2007年12月27日木曜日

6_67 2007年地質重大ニュース

 今年最後のメールマガジンとなりました。今回は、2007年を振り返り、地質学に関するニュースを振り返ってみたいと思います。

 今年、2007年に報道された地質学に関するニュースを振り返りましょう。これは、私が選んだものですので、その点を配慮してください。
・「天然ダイヤモンドの日本初発見」
 このニュースに関しては、エッセイでも取り上げたので記憶されている方もおられるでしょう。詳しくはホームページでのエッセイを参考にして欲しいのですが、私にとっては、科学成果が与える影響を考えるきっかけになりました。
・「かぐやの月探査」
 これのエッセイに取り上げたのですが、小惑星はやかわの探査を成し遂げた「はらぶさ」に続く快挙でしょう。日本の宇宙探査技術の高さを示すものでした。
・「恐竜化石発見ラッシュ」
 このニュースは、いくつもの発見が相次いであり、ついついエッセイでも取り上げるがおろそかになりました。ざっと眺めていきましょう。1月には国内最大級の恐竜の「丹波竜」が、非常によい状態で発見されたと報道されました。福井では恐竜の皮膚の跡の化石が発見されています。国内最古級のハドロサウルス類の化石が、熊本県御船から発見されました。和歌山でも、カルノサウルス類の化石が発見されています。こうしていみていくと、日本も恐竜化石の産地と呼べるような気がします。
・「能登半島地震」および「新潟県中越沖地震」
 巨大が地震が2つも続けて起こりました。実は、このエッセイでは、災害に関わるものを、以前書いたことがありました。しかし、読者の方や、関係者からいくつかの反応があり、個人で発信することに関して、慎重になるべきだと反省しました。その一つの哀れがダイヤモンドの発見についてのエッセイもでありました。
 災害に関しては、よほどいうべきこと、いいたいことがない限り、不用意に取り上げないようにしていました。そのせいもあって、大きな地質現象である地震も、今年は取り上げせんでした。ここでは、概略だけを見ていきましょう。
 能登半島地震は、2007年3月25日9時41分58秒、石川県輪島市西南西沖40kmを震源とするM6.9の地震でした。現在では、能登の幹線道路は、ほぼ開通しました。能登有料道路も11月末までにすべての迂回路が解消されたと報道されています。しかし、災害から完全に復興したわけではありません。
 その記憶も醒めやらない2007年7月16日10時13分23秒に新潟県中越沖地震がおきました。新潟県上中越沖を震源とするもので、Mは6.8でした。2004年10月23日午後5時56分に発生したM6.8、震度7を観測し大きな被害を出した記憶にも新しい新潟県中越地震(新潟県中越大震災とも呼ばれています)の3年後のことでした。新潟県では7月16日より地震の被害状況の報告が公開されています。そして、12月18日15時現在として、地震による被害状況の報告の第213報が出されています。まだ、この地震の被害が継続し、復興作業は続いています。
 現在もこれら地震の影響は残っています。それを研究している人もおられます。災害を伴う地質現象に対して意見を述べるのは、注意が必要です。ただ、私は、意見を述べない態度を固持するつもりはありません。述べるべき場では、はっきりと述べるつもりです。このような姿勢が、いいことなのか悪いことなのかわかりませんが、少なくもと被災者がおられる限り配慮する必要があります。特に地震のように、被害が大きい場合は注意が必要だと感じています。
 実は、私にとって2007年は、科学と自然、科学と人間、科学と社会、科学と自然災害、科学者と被災者、科学者と成果の普及などなど、科学を取り巻くもろもろのものとを関係を考えさせられる1年だったような気がします。

・地球のつぶやき・
私は、意見の述べる場として
別のメールマガジンを利用しています。
月刊の「地球のつぶやき」
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/
と、地域の自然との関わりには、月刊の「大地を眺める」
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
の2誌です。
私は、両メールマガジンを、
充分な分量をもっていいたいことをしっかりと述べる場としています。
このような場を自分自身では用意し、区分けしているので、
この週刊メールマガジンの「地球のささやき」では、
地質学に関係する軽い短い読み物を心がけています。
そして地質や地球、宇宙、自然に関して興味を持ってもらえるように
科学普及の私なりの方法だと考えています。
来年からもこのような姿勢で連載を続けていくつもりです。
もしよろしければ、これからも購読をお願いします。

・愛読御礼・
今年も毎週かかすことなく、
このメールマガジンを発行することができました。
これは、読者の方がおられるから継続できたことです。
読者の方から100通以上のメールをいただきました。
私からも同じほどのメールを差し上げました。
このような読者との交流があり、
読者がおられて、読まれているという手ごたえが
このメールマガジンを継続させていく原動力となっています。
メールを頂かなくても、読んでもらっているはずという前提が
私の励みになっています。
今年1年の愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

2007年12月20日木曜日

2_59 恐竜絶滅の隕石2:小惑星帯より

 恐竜絶滅をさせた隕石は、小惑星帯に存在するある天体の衝突がきっかけだったという説がだされました。果たして、その説はどこまで正しいのでしょうか。

 前回、隕石の衝突頻度に関する情報と、それが恐竜絶滅を引き起こした隕石と関係があるという報告を紹介しました。今回は、その内容を、もう少し詳しく示しましょう。
 ボットク(Bottke)らの報告では、小惑星帯での中に、バティスティーナ族という一群の小惑星に注目しています。その族のなかで、298バティスティーナと呼ばれる小惑星が、最大で直径40kmほどあります。同じような組成、軌道を持つ小惑星が大小、多数見つかっています。それらをまとめて、バティスティーナ族としています。これらは、もともと同じものであった可能性があります。
 それに気づいたボットクらは、これらの小惑星群の軌道情報から、過去にどのような振る舞いをしていたのかを、形成時までコンピューターを使ってシミュレーションして遡ってみました。その結果、衝突の事件を見つけることができました。
 一番現状によく合う事件は、約1億6000万年前に、直径170kmの天体に、直径60kmの天体が、秒速3kmで正面衝突するというシミュレーションでした。このような衝突が起こると、直径1kmをこえるような破片を、1000個以上できることがわかってきました。
 小惑星帯は、火星と木星の間にあるですが、特殊な領域があります。その領域とは、火星と木星の重力の影響で、大きな天体が、地球軌道を横切るようなところに飛ばされるようなところです。もし、衝突の事件がこの領域で起きたとすれば、サイズの大きな天体は、1億6000万年前以降、地球や月に衝突すること多くなると予想されます。
 そこで、先に述べた隕石の衝突頻度の話につながるわけです。白亜紀から新生代初期にかけて、ここ1億年ほどクレータの形成頻度が増えています。それと、この衝突事件は呼応しています。また、月のティコ・クレータは、1億0900万年前の隕石衝突の激しい時代にできています。ですから、このバティスティーナの小惑星群と関係があるかもしれません。
 また、現在ある298バティスティーナの表面の分光分析の結果から、原始的な炭素質コンドライトとよばれる隕石と似た組成を持っていると考えられます。これは、白亜紀の恐竜絶滅を引き起こした隕石の種類と同じタイプのものです。
 このような情報から、すべて丸く収まりそうなのですが、実は問題があります。
 地球上の2億年前より新しい時代に形成されたクレータで、1km以上の直径を持つものは、8個見つかっています。1km以上のクレータを形成するには、直径50m以上の天体が衝突しなければなりません。ですから、これらのクレータとバティスティーナ族の形成時間が関係している有力な証拠となりそうです。
 ところが、これら8個のクレータを形成した衝突天体は、恐竜の絶滅を引き起こしたもの以外は、炭素質コンドライトでないことがわかっています。これは、今までの議論と矛盾しています。恐竜絶滅のクレータ(チクシュルーブ・クレータ)以外は、バティスティーナ族ではないことになります。もちろん、バティスティーナ族がチクシュルーブ・クレータを形成した可能性はありますが、隕石の頻度を説明したことにならないわけです。
 しかし、この報告から重要なことがわかります。それは、この方法を使えば、小惑星帯に特異な軌道を持つ天体群を見つけ、その軌道データとシミュレーションから、地球や月のクレータをつくった事件と対応できるかもしれないということです。それは、未来に起こる事件かもしれません。

・シミュレーション・
シミュレーションは可能性と危険性を秘めています。
両者を分けるのは人間ではないでしょうか。
シミュレーションの結果に問題があるのではなく、
その結果を利用する人間側の問題です。
論理的に考えれば、わかることですが、
ある初期条件や仮定をおいて、ある手続きをへておこなったのが
シミュレーションで、その結果はひとつの可能性に過ぎません。
シミュレーションの結果がある説に反しても、
その説を否定したことになりません。
その説の可能性を下げることになっても、
その判断は人間が下すものです。
シミュレーションは人間の判断を助けるものであって、
判断を下すものではありません。
今回のシミュレーションの結果は、
さまざまな証拠を満たすものではありませんでしたが、
方法を示したという点では重要な意義があると思います。
ただ、このような方法が、
他の小惑星群に、どの程度適応できるのかが、
次の問題となるのでしょう。

・年末・
今年も残るところ、あと少しとなりました。
あわただしさが続いています。
特に年末は忙しく、時間がなかなかとれません。
私は、24日の祝日と母の訪問(26日から正月まで)があるので、
研究室にいることはできません。
ですから、空き時間を見て
自宅で仕事をするしかありませんが、
そうそう時間が取れそうにありません。
ですから、研究室にいれるあと数日が
私とっては、重要になります。
でも、その残された時間も校務が割り込んできます。
それらの校務も重要で、仕方がないことなのですが、
なぜ、この時期という疑問もあります。
まあ、愚痴を言っている時間があれば、
仕事に励みましょう。

2007年12月13日木曜日

2_58 恐竜絶滅の隕石1:衝突頻度

 恐竜を絶滅させた隕石について、興味深い論文が報告されました。今回は、隕石と絶滅を中心として話題を紹介しましょう。

 今では多くの人が、恐竜の絶滅が隕石の衝突によるものであるという説を知っています。では、その隕石が、どこから由来し、どのような原因で、どのような経路で、地球に衝突したのでしょうか。それを調べるのは、なかなか困難な問題です。なぜなら、隕石の衝突は、過去の出来事ですし、隕石が廻っていた軌道を、もはや計算することができないからです。
 そんな困難な問題にも、いくつかアプローチがなされています。その一つとして、ボットク(Bottke)らが2007年9月のネイチャーという雑誌に、恐竜を絶滅させた隕石について、興味深い論文を報告しました。その内容を紹介する前に、地球に落ちてきている隕石が、時代ごとに頻度に変化があるかどうかを調る方法を見ていきましょう。
 一つの方法として、宇宙塵を利用するものがあります。実は、地球には、隕石の小さな粒が、いつでも、地球中に、たくさん降ってきています。もちろん今現在も落ちています。このような隕石の小さな粒は、宇宙塵と呼ばれています。古いビルの屋上で、掃除があまりされていないところを、ほうきではけば、宇宙塵を集めることができます。
 ある時代に溜まった堆積岩の中の宇宙塵を調べれば、その時代にどの程度降ってきていたかを定量的に調べることができます。調べてみると、いつの時代も同じ量の宇宙塵が降っていたわけではなく、たくさん降っていた時代があることがわかってきました。宇宙塵は、約3500万年前(始新世後期)や約800万年前(中新世後期)、4億8000万年前(オルドビス紀)など、たくさん降った時代があることがわかってきました。
 また、地質学的に衝突の記録がない時代でも、地表に残された隕石の衝突の跡としてクレータのできた時代や、衝突の時に飛び散った物質からできた地層などから、衝突が多かった時代を知ることができます。それによると、34億7000万~32億4000万年前、26億5000万~25億年前などの時代に激しい衝突があったことがわかります。
 さらに古く、地球に記録のない時代のことについては、月のクレータの形成年代を参考にすることができます。月は地球の衛星ですから、地球の近くを廻っています。もし月に隕石の衝突が頻繁にあれば、確率的にも地球への隕石の衝突も激しかったと考えられます。月では、40億年前まで、天体形成の材料物質(小天体)の名残がまだたくさんあり、その影響で衝突が激しかった時代があります。名残の衝突が一段落した後、38億年前に、再度激しい衝突の事件がありました。この衝突は、後期の「重爆撃(heavy bombardment)」と呼ばれている事件です。
 そして、理論やコンピュータのシミュレーションを用いたアプローチもあります。ある説では、ここ1億年間は、隕石の衝突頻度が多くなっている時代であるという説もあります。
 さて、これらの衝突頻度に関する情報が、恐竜絶滅の隕石とどのような関係があるのでしょうか。それは次回としましょう。

・ばたばた・
あれよあれよという間に、時間は過ぎていきます。
師走ももの中旬となりました。
締切りが過ぎて、少し待ってもらっていた論文がやっと手放せました。
でも、やり残した仕事もいっぱいあります。
年賀状はまだできていません。
1月中旬締切りの論文が、次は控えています。
ばたばたと仕事に追われて
走っています。
これが師走なのでしょうか。

・忘年会・
今週末には2つ目の忘年会があります。
私は、公式の飲み会には可能な限り参加しています。
宴会の場は楽しいからです。
先週も学科の忘年会がありました。
めずらしく教職員全員が集まりました。
とはいっても総勢11名ですが。
これくらいの人数が、
皆で共通の話題を話すにもちょうどいいし、
個別に話するのもちょうどいいようです。
時間制限がなかったので、
1次会で4時間ほど皆で話していました。
今週末は大人数なので、
近くのテーブルに座った人との会話が中心になります。
これは、これで楽しいのですが、
ホテルの宴会場なので、スケジュールが決まっているので
時間が自由になりません。
まあ、これはこれは楽しいのですが。

2007年12月6日木曜日

3_62 大陸地殻の形成:伊豆・小笠原諸島から

 JAMSTECは、伊豆・小笠原諸島で大陸地殻の形成の証拠を発見した、と報告しました。今回は、そのニュースを紹介しましょう。


 大陸と海洋の地殻をつくっている岩石は、違っています。海洋地殻をつくっている玄武岩類は、海底の中央海嶺でできるメカニズムが解明されています。ところが、身近であるはずの大陸地殻が、実はどのようにしてできてきたかは、よく分かっていませんでした。
 独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)は、大陸地殻のでき方が伊豆・小笠原諸島の海洋調査からわかってきたというニュースを発表しました。この報告は、2007年11月1日のGeologyという雑誌に掲載されました。
 大陸地殻が花崗岩の仲間(トーナル岩と呼ばれる岩石)や安山岩からできていることは、大陸を構成している岩石を調べることでわかります。では、このような大陸を構成している岩石が、いつ、どこで、どのようにしてできてきたかは、仮説はいろいろあったのですが、よくわかっていませんでした。地震波を利用した海底調査から、今回、実証的にわかってきたのです。
 日本列島の研究から、列島のようなところ(島弧と呼ばれています)が、大陸の地殻の形成場であると、推定されていました。しかし、日本列島のような発達した列島(成熟した島弧と呼ばれます)は、構造が複雑でなからずしも、大陸の形成場であるという充分な確証が得られていませんでした。
 もし大陸の形成現場を探るなら、できたての列島(未成熟島弧と呼ばれます)を探ればいいわけです。その候補として、伊豆・小笠原諸島がいいとされていました。伊豆・小笠原諸島は、島がいくつもあるものの、大部分は水中にあるため、海底の調査が必要となります。
 JAMSTECは、海洋調査船「かいよう」を用いて、213箇所、相模湾から北硫黄島北方までの1000kmの長さ(側線といいます)にわたって、海底地震計を設置しました。2004年7月と2005年7月に、1ヶ月に渡る調査を2回おこないました。
 その方法は、海面で人工地震(エアガンで音波を海底に向けて発振する方法)を起こし、海底下約35kmまでの地殻を調べるというものです。この観測によって、地殻とマントルの地質構造を調べることができました。
 結果は、予想通り、大陸地殻を構成している岩石が、伊豆・小笠原諸島に、南北に直線状にあることがわかりました。そして、火山のある地殻が厚くなっていることから、大陸地殻をつくるメカニズムは、火山が原動力であることがわかってきました。
 実は、科学の成果の発表だけで話は終わらず、この成果は領土問や漁業権などと密接な関係があることがうかがわれます。
 海岸線から12海里を領海、24海里を接続水域、200海里(約370km)を排他的経済水域と定められています。そして200海里までを大陸棚と定義しています。大陸棚では、天然資源(漁業や海底資源)の開発の主権と、構築物の設置・利用の管轄権が認められています。また、上記の原則以外にも、地理的条件等によっては、海洋法によって大陸棚を延長することができます。
 もし、伊豆・小笠原諸島に大陸棚の存在が科学的に示されたら、排他的経済水域の定義に、根拠を与えることになります。
 今回の調査は、北硫黄島の北方海底でままで、ここより南の海域は調査されていません。いってみれば、排他的経済水域内での調査です。ただ、海底地形図を見ていると、伊豆・小笠原諸島にみられる高まりと似たものが、南に続いています。もし、そこまで大陸地殻の生成が確認できれば、大陸棚を主張する根拠になります。伊豆・小笠原諸島の南側は、アメリカのマリアナと排他的経済水域が接しています。今のところアメリカとの領土問題はありませんが、今後のことを考えると領土を確固たるものにすることは重要となります。
 多くの科学は、国の税金を用いてなされています。今まで科学者は、国よりも科学の成果を優先していたのですが、これからは成果が与える影響も考慮しなければならないようです。

・成果への配慮・
JAMSTECのプレスリリースには、
研究成果とともに、背景として
「大陸的な地殻の存在や日本領土からの連続性などの地質学的知見は、
大陸棚延伸を主張する上で重要な科学的根拠となります(以下略)」
という記述がなされています。
これは、研究成果が、領土や排他的経済水域を考える根拠となることを
意識していることを物語っています。
今までこのような成果に対し、
科学者は無頓着に公表してきた気がします。
しかし、これからは、配慮を持って
成果の公表をしなければならない時代なのかもしれません。

・師走・
いよいよ師走となりました。
皆さんも、年末や来年のことが気にされていることでしょう。
忘年会もはじまってくるでしょう。
私も金曜日に最初の忘年会があり、
今週末には小学校の餅つき大会があります。
大学の講義も終盤になってきました。
今年中にしなければならないこと、
したかったことなどが、頭をよぎります。
なにかとあわただしくなってきました。
そういえば、年賀状も買ったままになっています。
やるべきことを、順番にこなしていきましょうか。

2007年11月29日木曜日

3_61 こんにゃく石:変わった石4

 今回は、変わった石シリーズの第4弾として、こんにゃく石をお送りします。石には、硬くないものもあるのです。


 「石頭(いしあたま)」というと、ものわかりの悪く、融通がきかない人のことをいいます。変えようがなく、性格が石のように硬いことをいうわけです。ですから、石とは硬いものの象徴でもあります。
 ところが、柔らかい石があるのです。その日本名は、こんにゃく石と呼ばれています。非常の印象的な名前ですし、一度でも見るとその不思議さですぐに覚えてしまう石です。こんにゃく石は、名前の通り柔らかい石です。さずがに、本家のこんにゃくほどはぐにゃぐにゃはしませんが、それでも石とは思えない柔らかさをもっています。石の充実した博物館には、よく展示されている標本です。
 こんにゃく石は、正式名称はイタコルマイト(itacolumite)と呼ばれています。石のこのような柔らかい性質を、撓曲(とうきょく)性と呼びます。イタコルマイトは、ブラジルのミナス・ゲライス(Minas Gerais)州のイタコルミ(Itacolumi)山という地名に由来しています。もちろん、そこにはイタコルマイトがあります。
 イタコルマイトは、もともと石英がたくさん集まってできた堆積岩で、石英岩という石です。顕微鏡でみると石英の粒の間が隙間だらけになっています。本来なら粒の間も鉱物で埋められているはずなのですが、それが風化や変成作用で融けてなくなってしまっています。そのため、砂粒の間に狭いですが隙間が空いて、粒が動くことができます。一粒の動きはほんの少しですが、石のサイズになると、結構な動きとなります。これが曲がる原因です。
 イタコルマイトの産地として、インドとブラジル、アメリカのアパラチア山脈のものが有名です。インドは石英質砂岩で、ブラジルとアパラチアのものは、変成作用を受けた石英岩(雲母石英片岩)となっています。
 イタコルマイトは、以前はもっと注目されていたことがあります。その理由は、イタコルマイトとダイヤモンドが関係があると考えられていました。イギリスの世界でも有数の百科事典であるブリタニカの1911年の記述には、イタコルマイトを通り抜けてできる石英の脈の中に、ダイヤモンドができる可能性があると書かれています。しかし、当時の記述でも但し書きがあって、ダイヤモンドはイタコルマイトの中ではなく、イタコルマイトが砕けて流れた堆積物の中で見つかると記述されています。
 まだ、結晶の形成される条件もわかっていない時代のことですから、このような推定はいたしかたのないことなのでしょう。今の科学で考えると、イタコルマイトが石英岩としてたまっているとき、上流の別の場所にキンバーライトなとで地下深くから持ち上げられたダイヤモンドがあり、それが堆積物として流れて溜まったものではないかと考えられます。石英岩とは、大陸でできる岩石ですから、そこにはキンバーライトもあったかもしれません。
 こんにゃく石を見てきてわかるのですが、科学は進歩するものですが、不思議さはそのまま残り、今も驚きを与えます。

・訂正・
前回のメールマガジンに
「アポロ計画で、月に関する非常に多くの情報を、
人類は得ることができました。
それから早15年近くたちました。」
と書きましたが、35年の間違いです。
申し訳ありませんでした。
メールマガジンは修正できませんので、
ホームページを修正しておきました。
この間違いは、Fujさんからの指摘でした。
そして、今回のエッセイは、そのお礼を兼ねて、
変わった石シリーズにしました。
楽しんでいただけたら幸いです。

・冬到来・
北海道は、ここしらばく雪が続いています。
そして冷え込みも続いています。
ある程度の量も降り、根雪とはいきませんが、
草原や畑は、真冬のように白い状態です。
交通量の多い道路はすぐに融けてしまいますが、
まだ除雪が入る時期ではないので、
早朝では残った雪が氷って、歩きにくい時もあります。
今年の冬は積雪と寒さで一気に到来したようです。

2007年11月22日木曜日

5_67 かぐやが見たもの:日本の月探査

 2007年11月7日付けで、日本の月周回衛星の「かぐや」がとったハイビジョン撮影が成功して公開されました。今回は月へ向かったかぐやの話題です。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2007年9月14日に種子島宇宙センターから「かぐや」は打ち上げました。かぐやは、日本としては初めての本格的な月探査となります。この月探査計画は「SELENE(セレーネ:SELenological and ENgineering Explorer)」と呼ばれています。SELENEには、「月の科学観測と基盤技術の検証を行う探査機」という意味を込められているそうです。
 アメリカ合衆国のアポロ計画の有人月面探査は、1969年7月16日のアポロ11号が月の静かの海に着陸したときから幕を開け、1972年12月7日のアポロ17号が晴れの海から離陸で終わりました。アポロ計画最後のミッションには、ハリソン・シュミットが初めて地質学者として月面を調査をして、アポロ計画が幕を閉じました。私も同じ地質学者として、地質学者も月を調査できる時代が来たことを、よかったと思えます。アポロ計画は、人類史上の輝かしい記録として、またアポロ宇宙飛行士の月面での光景は多くの人の記憶に残りました。
 アポロ計画で、月に関する非常に多くの情報を、人類は得ることができました。それから早35年近くたちました。しかし、未だに月の起源や進化について、まだわからないことが多々あります。
 今回のかぐやの目的は、月の起源と進化を解明することです。そのために、月の表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を全域にわたって行います。これらの情報から月の起源に迫ろうというものです。他にも、SELENEという名前のとおり、基盤技術として将来の月の利用のためのさまざまな観測が行なわれます。
 私が興味のある観測では、月面の元素分析をする装置(蛍光X線分光計)と、鉱物分布を詳細に調べるマルチバンドイメージャとスぺクトルプロファイラ、そして地形や表層構造を調べる地形カメラによるものです。
 蛍光X線分光計やスぺクトルプロファイラはまだ動いていませんが、マルチバンドイメージャ(20mの空間分解能)と地形カメラ(10m)は、もう動作が確認され、最初の画像が公開されています。従来はクレメンタインという探査機による100mの解像度でした。これからはその10倍の解像度となります。地形カメラは、カメラ2台でステレオ撮影しますので、地球並み解像度を持つ月面の立体画像を手にすることができるはずです。
 かぐやは、目的の違う2つの子衛星「おきな」と「おうな」を持っています。2つの子衛星はすでに分離に成功しています。
 そして10月31日にはハイビジョン撮影がなされました。また2007年11月7日には、「地球の出」や「地球の入り」が撮影されました。その様子は、NHKで特別番組が組まれて、その鮮明な画像が紹介されました。ハイビジョンは高解像度の動画ですが、CCDの有効画素数が1920×1080ピクセルで200万画素の解像度を持ちます。ですから、静止画として充分見るに耐えるものとなっています。まるで玉手箱のように、つぎつぎと新しい成果がでてきます。いよいよ初期運用完了後、10ヶ月間の観測がはじまります。さてさて、新しい技術に基づいた観測で、月の起源に決着を見るでしょうか。楽しみです。
 20世紀の惑星探査は、アメリカや旧ソビエトが中心でした。しかし、21世紀になって、日本も各種の月探査機を飛ばし、実際データを取れるようになりました。日本の宇宙探査技術は、「はやぶさ」による小惑星「はやかわ」の試料を持って帰るという技術など、目覚しいものがあります。今後も、空から目が放せませんね。

・メッセージ・
以前、この月探査機の名前の募集がありました。
私の応募しようと思いましたが、
いい名称を思いつかず断念しました。
なんと名前の募集には、11596件の応募があり、
1701名がかぐやで応募したようです。
応募者の中から種子島宇宙センターでの
SELENEの打上げへ招待というのがあって、魅力を感じました。
また、「かぐや」にとりつけるプレートへの
メッセージも募集されました。
多くの人のメッセージと名前を刻んだ
プレートがかぐやには取り付けられています。
その数なんと41万人分です。
メッセージは世界中から集められました。
多分このメッセージはだれも見れないものでしょう。
しかし、このようなことに精力を使ってくれる科学者がいるのが
なんとなくうれしい気がすのは私だけでしょうか。

・冬・
北海道は今週になって冷え込んでいます。
まるで、真冬のように積雪があり吹雪にもなりました。
根雪にはまだ早いので、すぐに溶けるでしょうが、
一気に冬になってしまいました。
北海道の秋は、本当に短く、あっという間でした。

2007年11月15日木曜日

1_63 日本のダイヤモンド(2007.11.15)

 今年9月上旬、テレビや新聞で日本からのダイヤモンドが発見されてというニュースが流れました。その報道が一段落したので、今回のエッセイを書きました。

 今年の9月、札幌で行われた日本地質学会の第114回学術大会で、日本ではじめてダイヤモンドが発見されたという発表が水上知行氏らによって行われました。それは大きなニュースとして報道されました。
 ダイヤモンドは、キンバーライトあるいはキンバーライトから由来した堆積物としてたまったものが大部分です。しかし、サイズが小さく、量も少ないですが、隕石の中や、隕石が衝突した場所(超高温高圧になるから)、超高温高圧の条件の変成岩からもダイヤモンドは発見されています。
 キンバーライトは火山岩ですが、日本によくある火山とはまったく違った性質のものです。キンバーライトは古い大陸地殻があるところでしか見つかりません。もちろん日本からは見つかっていません。
 ですから、日本であるとすれば超高温高圧変成岩の可能性ですが、それが短時間で上昇するのはなかなか難しそうです。地質学的な常識として、日本の火山からは、ダイヤモンドが見つかるはずはないと考えられていました。
 ところが、日本の火山岩からダイヤモンドが見つかったというニュースが流れたのです。
 発見されたのは、四国のある場所(場所は産地保護のために公開されていません)から産出する火山岩(正確な岩石名称は公開しません)があります。その火山岩中にあった捕獲岩から見つかりました。捕獲岩とは、マグマが上昇してきた時、途中にあった岩石を取り込んだもので、今回の火山岩にはマントルにあった岩石が捕獲されてきたものです。
 その捕獲石は、マントルを構成しているもので、輝石を含んでいます。捕獲岩の輝石の中に、小さな泡(流体包有物といいます)がありました。その泡のうち、二酸化炭素からできているものの中に1ミクロンメートルほどの小さなダイヤモンドの粒が発見されました。
 非常に小さいものですが、ダイヤモンドがあったということ自体に意味があります。今回見つかったタイヤモンドは、小さいだけでなく、非常に複雑な経歴と産状となっています。マントルにあった岩石の結晶の流体包有物の中です。それは、古い大陸地殻下からもたらされる通常のダイヤモンドのでき方とは明らかに違ったものであろうと考えられます。しかし、火山岩の中にそのようなダイヤモンドがあり、日本列島のような地質学的環境でも見つかるということが重要です。
 あまりに小さく、特殊な条件なので、多くの研究者はタイヤモンドがあるなどという視点でみていなかった場所です。今後、ダイヤモンドがあるかもしれないということを頭においておけば、もしかするともっといろいろなところから見つかるかもしれませんね。

・情報公開・
今回のダイヤモンドの発見を通じて、
情報公開の難しさを感じました。
発表者や日本地質学会のプレス情報では、
産地の保護を考えて、明確な場所は示されていません。
しかし、インターネットを検索すると、
研究者仲間しか知らない情報が、
公的あるいは私的に公開されています。
インターネットで情報を公開している人は、当事者でないから、
情報公開に関して無頓着にいられるのでしょう。
当事者がいくら黙っていても、情報は漏れていくという例でしょう。
もちろん、原則的に科学の成果は市民に即座に還元されるべきです。
しかし、そのような最新情報を悪用する人もいます。
マニアや興味本位の研究者には、新鉱物が見つかると、
その産地に行って対象の岩石を採集する人もいます。
その結果、本当に研究したい人が採りいく頃には
肝心の試料が取れない状態になっていることがあります。
あわてて保護しても、もう手遅れも場合もあります。
地質学者はそのような例をいくつも見聞きしているはずです。
今回のダイヤモンドについても、私もいつどこまで公開するか迷いました。
すぐに書こうかと思いましたが、しばらく間を置いた方がいいと思いました。
そして、思案の結果が、上記の文章となりました。

・冷え込み・
朝夕の冷え込む日があります。
もちろん暖かい日もあります。
わが町にはまだ雪は降っていませんが、
山並みは何度か白くなりました。
いつ里に初雪があってもおかしくありません。
近所では雪を予想して冬タイヤに換えている光景もよく見かけます。
今年の夏は暑かったのですが、
冬は暖かいのでしょうか、それもと寒いのでしょうか。
原油価格が上がっていますので、
北海道の冬は、懐が寒くなりそうです。

2007年11月8日木曜日

1_62 最古のダイヤモンド(2007.11.08)

 前回、キンバーライトというダイヤモンドを含むことのある石の話をしました。今回は、キンバーライトの中のダイヤモンドではなく、変わったところから見つかったダイヤモンドの話です。

 ダイヤモンドの多くは、キンバーライトあるいはキンバーライトから由来した堆積物としてたまったものです。しかし、実はそれ以外にもダイヤモンドはできることが確認されています。
 例えば、隕石の中や、隕石が衝突した場所(超高温高圧になるから)、超高温高圧の条件の変成岩からもダイヤモンドは発見されています。残念ながらそのサイズは、顕微鏡レベルのもので、宝石用とはなるような大きなものはありません。しかし、小さなダイヤモンドでも、科学で果たす役割は大きいものがあります。
 さて、2007年8月23日号のネイチャーという科学雑誌に、ドイツのメンネケンらが、地球でもっとも古いダイヤモンドが見つかったという報告をしました。発見場所は、地球最古の鉱物がみつかっている西オーストラリアのジャックヒルということろです。
 ジャックヒルの堆積岩は20億年前くらいに溜まったものですが、その中にジルコンという鉱物が含まれていました。1トンの堆積岩のなかに1グラムのほどしかジルコンはありません。でも、ジルコンは非常に丈夫な鉱物で、一度できたらなかなか変化することなく残っています。ジャックヒルのジルコンが地球最古の時代を示しています。ジルコンの時代は、44億0400万年前が最古ですが、それより新しいものも含んでいます。
 ジルコンの中には、いろいろな鉱物が含まれています。挙げるとアパタイト、石英、ゼノタイム、モノズ石、ルチル、黒雲母、角閃石、カリ長石、斜長石です。メンネケンらが1000個のジルコンを調べたところ、1000個の内45個からダイヤモンドを含むものが見つかりました。そしてダイヤモンドには、石墨が伴っていました。石墨は、ダイヤモンドが変わったものと考えています。
 ジルコンに取り込まれた鉱物とは、ジルコンかできた時に存在していなければなりません。ジルコンはマグマの中で結晶として形成されます。取り込まれた鉱物は、少なくともジルコンと同じ時代か、それより古い時代のものとなります。
 ダイヤモンドを含むジルコンの年代は、42億5200万から30億5800万年前のいろいろな年代のものから見つかっています。その中に、3つの古いダイヤモンドが見つかっていて、ジルコンの年代は42億5200万年前、41億3200万年前、40億9600万年前です。今まで見つかっている地球のダイヤモンドでは、33億年前のものですが、それより古いものとなっています。ダイヤモンドはこれと同じか、それより古い時代にできたものだということになります。
 メンネケンらは、ダイヤモンドの年代に広がりがあることから、ダイヤモンドが形成される条件が何度かあったか、あるいはある時できたダイヤモンドが循環していたか、ということを意味していると考えました。そして、地球初期が特異な条件でなければ、42億5000万年前にはすでにダイヤモンドをつくれるような環境があったということになります。その条件とは、比較的厚い大陸リソスフェアができていて、地殻とマントルの相互作用が起こっていたというものです。
 さてさて、本当のところはどうでしょうか。まだまだ検討の余地がありそうです。

・時間の制約・
メンネケンらの発見は、重要な意味を持ちます。
それは地球の冷えるスピードを大きく変えてしまうからです。
最古の岩石は40億年前で、表面がマグマが固まる温度、
つまり地殻ができたことを意味します。
最古の堆積岩は、38億年前に水があったことを意味しています。
今までなら、地球の誕生が45億年前ですから、
地殻ができるまで5億年の猶予があったのですが、
今回の発見は、地球の地殻ができるのに
2億5000万年しかないということです。
今までの半分の時間で、一気に冷めたことになります。
地球の形成時は、ある見積もりのよりますと
6000度にもなっていたと考えられます。
それが、2億5000万年間で、
表層に水ができる温度まで下がるということです。
短い時間の間に多くのことが起こったとして考えなければなりません。

・難題・
もう一つ不思議なことがあります。
ジルコンは、普通、花崗岩のマグマから結晶します。
花崗岩のマグマは、浅いところで低温で形成されます。
そして水があればできやすくなります。
ところがダイヤモンドは、
少なくとも地下100kmより深くなければできません。
ダイヤモンドが花崗岩のマグマ、それもジルコンに中にできるには、
複雑なプロセスが必要になります。
浅いところまで何らかの作用で
ダイヤモンドをいったん持ってこなければなりません。
そして、ジルコンの中に取り込まれなければなりません。
今回の発見は、地球の歴史に、
なかなか難しい問題を提起したのです。

2007年11月1日木曜日

3_60 キンバーライト:変わった石3

 「変わった石」のシリーズに少し間があきました。久しぶりになりますが、日本では見られない変わった石を紹介しましょう。それは、キンバーライトと呼ばれる岩石です。


 キンバーライトと呼ばれる石は、日本からは見つかりません。日本だけでなく世界的に見ても、キンバーライトは珍しい石ですが、非常に重要な岩石です。キンバーライトとして有名なのは、南アフリカ共和国北ケープ州の州都にあたるキンバリーというところのに産するものです。岩石の名前の由来ともなっているところです。
 キンバリーのキンバーライトとは、いったいどんな岩石なのでしょうか。キンバーライトは、マグマが地表に噴出して固まった岩石です。ですから、火山岩の一種です。
 岩石の特徴として、揮発成分やカリウムをたくさん含むこと、分類では超塩基性岩になること、カンラン石が多い雲母(金雲母と呼ばれるもの)を主要な結晶として、輝石やザクロ石なども含んでいることです。雲母カンラン岩と呼ばれることもあります。一般に蛇紋石化していることが多いようです。
 上のような特徴は、日本でよく見られる火山岩にはないものですが、もっと大きな違いがあります。それは、時代、産地、成因、そして特別な鉱物を取り込んでいる点です。
 キンバーライトが形成された時代は、先カンブリア紀(5億4200万年前)以前の古いものばかりです。日本の火山岩は、古いものは少なく、新しい時代ものがほとんどです。また、キンバーライトが見つかるのは、大陸だけです。ですから、大陸の形成や大陸深部の条件が、キンバーライトの起源に大きなかかわりがあることになります。
 キンバーライトの成因として、マグマが非常に深いところ(150~250km)から、すごいスピード(一説には時速30~60kmといわれている)で上昇してきました。
 なぜそのようなことがわかるのでしょうか。キンバーライトには、ダイヤモンドを含むことがあるのが、重要なヒントになります。
 ダイヤモンドは炭素(C)からできています。地球に深部で炭素が集まると、150kmより深い条件では、炭素はダイヤモンドの結晶になります。しかし、浅くなると、ダイヤモンドは石墨(グラファイト)に変わってしまいます。
 キンバーライトは、タイヤモンドが石墨に変わる前に地表まで上がってこなければなりません。いったん上がってきたダイヤモンドは、準安定な結晶して石墨に変わることはありません。そのためには、スピードが必要です。
 ダイヤモンドは、ゆっくりと温度や圧力が下がってくると、石墨になってしまいます。つまりキンバーライトは、マグマとして、ものすごいスピードで上がってきたことになります。
 すべてのキンバーライトにダイヤモンドが含まれているわけではありません。ダイヤモンドはキンバーライトだけからしか見つからないわけではありません。しかし、キンバーライトといえばタイヤモンドと連想する地質学者も多いはずです。
 地質学者はキンバーライトからダイヤモンドの起源や由来の思いをはせ、女性はダイヤモンドの輝きに思いをはせるのでしょうか。

・タイヤモンド・
タイヤモンドは、インドでは紀元前から採掘されていました。
かつては、インドが世界で唯一のダイヤモンド産地でしたが、
今では多くの地域で採掘されています。
アフリカで1867年にダイヤモンドがキンバリーから発見されました。
ボーア人の農民の子供が遊んでいる石に目を留めて、
鑑定したところ、それがダイヤモンド原石だと判明しました。
発見と共に、周辺はダイヤモンドラッシュとなりました。
世界各地から、一攫千金を夢見て採掘者や投機家が殺到し町ができました。
それがキンバリーです。
1915年には露天掘りでの採掘は終わりましたが、
あとには、直径約500m、深さ400mの世界最大の穴
ビッグ・ホール(大穴)が残りました。
今では観光地となっています。
ビック・ホールは一攫千金という夢の跡なのです。

・冬を迎える季節・
この数日ほどは、暖かい日が続いています。
しかし、朝夕はストーブとたくことが多くなりました。
北海道は、ここ一週間ほどで
木々が一気に葉を落としました。
いつ里に雪が来てもおかしくなり季節となりました。
10月の大学祭や学芸会の行事も終わりました。
11月は穏やかな日々が流れるときです。
北海道では、11月は冬を迎える季節でもあります。

2007年10月25日木曜日

6_66 グーグルで地球の旅5:月と火星の探検

 グーグルアースを用いた地球の旅も今回が最後となります。最後にふさわしく地球外の旅をしましょう。

 グーグルアースは、世界各地を、空を飛びながら旅をさせてくれます。グーグルアースは、無料公開されているソフトです。そして、すごいことに、しょっちゅうバージョンや機能は上がっていきます。それも大きな宣伝もんしにです。
 気づくととんでもない機能が加わったりしています。知らないうちに、膨大なデータをもった天文シミュレーションの機能がついたり、YouTubeや静止画でジオタグを持った情報とのリンクも付け加わっていました。
 そのような機能を5回にわたって、エッセイで紹介してきたのですが、今回は最後ですので、グーグルを使った惑星探検の旅を紹介しましょう。
 グーグルアースは仮想のものではありますが、現実の位置情報と画像などの各種のデータをリンクすることで構成されています。グーグルアースが常に新鮮さを保っているのは、地理情報(ジオタグ)とそれにリンクした膨大な情報があり、増殖している状態であるからでしょう。
 地球以外の天体でも、同様の位置情報と網羅的な画像情報があれば、原理的にはグーグルアースと同じよう仕組みをつくることができます。何も私が考えなくても、グーグルはすでに考えて公開しています。
 地球と同じような位置情報と画像情報がある天体は、月と火星です。月はグーグルムーン(http://www.google.com/moon/)、火星はグーグルマース(http://www.google.com/mars/)として、公開されています。
 グーグルムーンでは、画像(Visible)や標高(Elevation)、アポロ(Apollo)が降り立った地点が表示できます。アポロが降りて調べた周辺地域では、地図(Charts)のタグをクリックすると、地形図や地質図も見えるようリンクされています。また、画像とともにアポロの成果も、紹介されていきます。地質学者だけでなく宇宙に興味ある人にとっては、垂涎もののデータといえます。
 グーグルマースでは、画像(Visible)や標高(Elevation)、そして赤外線による画像(Infrared)があります。火星では、地形に対応した多数の地名がすでにつけられていますが、それが検索できます。地形のタイプで検索すると、リストが表示されて、選べば、その位置へジャンプしてくれます。地図上のアイコンをクリックすれば、更なる情報が提示されます。必要に応じて説明サイトにリンクされています。
 これまで、グーグルアースに関連した情報をいろいろ紹介してきましたが、これは「現状では」というただし書きのついたものというべきでしょう。今後、もっとデータや情報は増殖していきはずです。そして、いろいろな機能も付け加わっていくはずです。グーグルアースが今後どのような進化を遂げるか楽しみです。
 でも、「グーグルアースの将来は」などと、ここで議論する気はありません。このような豪勢な情報を無料公開してグーグルに感謝して、使っていくことが、グーグルにとってもいいことなのでしょう。今までそのようにしてグーグルは成長してきたのですから。

・ポリシー・
5回に及ぶグーグルアースの紹介でした。
紹介しているうちに、新しい機能が付け加わりました。
グーグルの太っ腹には感心します。
グーグルムーンもグーグルマースも
残念ながらサーバが速い回線になっていないようで、
少々時間がかかるのが難点でしょうか。
でも、充分楽しめます。
それにして、これほどいろいろなことをしながら、
グーグルのメインの検索画面がシンプルであることは
非常にいいコントラストとなっています。
シンプルな検索画面は、
グーグルのポリシーを示しているようで
すがすがしさを感じます。
検索エンジンとしての実力もさることながら、
そんなポリシーも多くのユーザを獲得している所以かもしれませんね。

・学芸会・
北海道は秋が深まってきました。
大学の学園祭は終わりましたが、
今は小学校で学芸会が行われています。
今週末は子供の小学校で学芸会があります。
親バカかもしれませんが、
小学生の学芸会とはいえ、
なかなか見ごたえのあるプログラムが
いろいろあり、楽しめます。
長男は毎年新しい楽器に挑戦しているので、
早バスで朝錬をしています。
その成果が報われるといいのですが。
でも、努力することに意味があるのでしょう。

2007年10月18日木曜日

6_65 グーグルで地球の旅4:Skyモード

 グーグルアースを紹介していますが、今回は空を旅する方法を紹介しましょう。

 グーグルアースでは空から眺めるように旅行ができ、訪れている場所にリンクされた情報があれば、テキストはもちろん、画像でもURLでも、表示してくれます。つい最近、さりげなく新たなレイヤが付け加えられました。YouTubeとよばれる動画投稿配信サイトの動画もグーグルアースで見ることがことができるようになりました。位置情報(ジオタグと呼ばれています)がつけられていれば、地球のいたるところの、いろいろな情報が、グーグルアースと結びつくようになってきました。
 しかし、グーグルアースで訪れることができるのは、なにも地球だけではありません。夜空の旅行もできます。
 グーグルアースのバージョン4.2から、グーグルスカイ(Google Sky)と呼ばれるモードがつけられました。切り替えは、グーグルアースの上のツールバーに土星マークのアイコンがあります。そのアイコンをクリックすれば、グーグルスカイのモードになります。それに伴ってレイヤもスカイ用に切り替わります。
 グーグルスカイとは、プラネタリウム、あるいは天体シミュレーションソフトのようなものです。レイヤで選択すれば星座やメシエ番号の表示もできます。天体に関する各種の説明も表示されます。並みの天体シミュレーションソフトとは違って、そのデータ量はグーグルらしく他のソフトの追従を許しません。1億個の星、2億個の星雲のデータが納められています。もちろん月や惑星の軌道などの時間変化も示してくれます。
 このようなデータは、グーグルのチームが、カリフォルニア工科大学のパロマ天文台、宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)、Digital Sky Survey Consortium(DSSC)、スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)、英天文学技術センター(ATC)、英豪天文台の画像を集めて作成しています。また必要に応じてNASA/IPAC Extragalactic DatabaseやSimbad(天体データベース)へのリンクもはられています。さらにNASAの協力でハッブル宇宙望遠鏡で撮影された約120枚の高解像度画の写真もあります。これらはすべてレイヤ操作で簡単に探すことができます。
 このような優れたソフトが無料公開されているのです。使わない手はないという感じです。
 実は、私は少し前から、いい天文シミュレーションソフトがないかなと思っていました。どれを買おうかなと思いながら、そのうちに決めようと、ずるずとしているうちに、グーグルスカイが出てきたのです。細かなシミュレーションを必要としなければ、これがあれば充分用が足せます。少なくとも私には充分なものとなりました。これで、天体の名称がでてきても、どの辺りにあるのか悩まなくても、すぐに調べることができます。
 グーグルは夜空の散策だけではなく、もっとすごい探検も提供してくれます。それは次回としましょう。

・YouTube・
グーグルは、さりげなくすごいものを出してきます。
グーグルアースで画像やURLへのリンクができるなら、
当然動画にもリンクできるはずです。
そしてYouTubeと書かれたレイヤが
さりげなくできていました。
YouTubeは、だれでも自由に動画の投稿ができ、
だれでもその動画を自由に無料で見ることできるサイトです。
動画の画質や時間には制限がありますが、その情報量は膨大です。
ちなみにグーグルアースのYouTubeのレイヤで日本をみると
すでにかなりの数が登録されています。
これからは、ますます多くなっていくでしょう。
静止画だけではなく、動画でしか見れないものも
公開することができます。
ますますグーグルアースでの旅が楽しくなります。

・ジオタグ・
ジオタグとは位置情報を動画や画像に付加するものです。
YouTubeだけでなく、写真投稿サイトのFlickrでも
ジオタグを付けられるようになっています。
今後、ジオタグは、当たり前の機能になるのかもしれません。
地質学のような位置に関する情報が不可欠な学問分野では
ジオタグは非常に有用なフォームだといえます。
地質学で体系的に利用する仕組みがあってもいいのかもしれません。
私もそれについては以前から考えていて、
私なりの提案はしていますが、
このような提案は、最終的に多くの人が
使うようにならなければ意味がありません。
その点、グーグルアースは非常に有効な
プラットフォームになるかもしれませんね。

2007年10月11日木曜日

6_64 グーグルで地球の旅3:レイヤ

 グーグルアースを紹介しています。今回は、レイヤの使い方を見てきましょう。いろいろな情報をグーグルアース上で見ることができます。

 グーグルアースは、地球のいろいろなところを旅行気分で、あるいは鳥の視線で眺めることができます。グーグルアースをマウスで動かしているだけでも、充分楽しいのですが、他にもいろいろな使い方があります。そのいくつかを紹介しましょう。
 使い方の一つに、レイヤというものがあります。左下のウインドウに見えているものです。そのレイヤを利用するといろいろなものをグーグルアース上にアイコンとして表示することができます。
 レイヤで、「特集コンテンツ」の「NASA」のボタンをオンにして表示をすると、NASAのアイコンがグーグルアース上に表示されます。アイコンは、1960年代からNASAが撮影した宇宙から見た地球の画像の位置が示されています。非常に鮮明なものがいろいろ見つかるはずです。
 現在私が気なっているものに、GigaPanというプロジェクトがあります。レイヤでは、「特集コンテンツ」の「Gigapan Photos」となっていますが、600枚以上の巨大なパノラマ画像が、すでて公開されています。GigaPanは、非常に高精細なパノラマ画像を撮影して合成して公開するためのプロジェクトです。名前のとおりギガ・ピクセルのサイズの画像も公開されています。その鮮明さには目を見張ります。
 このプロジェクトでは、特別な装置で撮影した画像を、公開されているソフトでサーバに送るとパノラマ合成してくれるものです。カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)の研究者が行っているもので、グーグルもNASAもスポンサーになっています。ですから、巨大なサーバが自由に使えるのでしょう。撮影はともかく、グーグルのような巨大サーバがあれば、高精細のパノラマ画像を大量に公開しても十分なスピードで表示することができます。
 「Gigapxl Photos」でも、巨大で鮮明な画像があります。例えばアメリカのフロリダ半島にあるNASAの基地の画像を見ると、スペースシャトルの打ち上げ準備の画像が公開されています。その画像は、シャトルの横にいる人の姿まで鮮明に写っています。
 他にもいろいろと興味を引くものが公開されています。インストールするとレイヤの上のウインドウにある「場所」に追加されています。アメリカのCBSが公開しているリアルタイムで地震情報を示したり、Panoramioという巨大な画像サイトの画像をグーグルアース上にアイコンとして示すことも可能です。また、場所に関する情報でウィキペディアの記事が編集された最新の50個を示すPlaceopediaというものあります。
 グーグルアースでは、位置情報さえ伴っていれば、表示することができるということです。それは個人のレベルの情報であっても、学会が大きな組織レベルであっても、同等にアイコンで示すことが可能です。
 グーグルアースは、非常に面白いソフトです。いやソフトという範疇には納まらない可能性を持っている気がします。
 グーグルアースは地球をめぐるだけではありません。それは次回としましょう。

・Gigapan・
Gigapanのプロジェクトでは、
パノラマ画像を撮影する精密な装置が、
試作版ですが$279で販売されます。
あまりにも安い価格です。
私も、撮影装置が非常に気になっているので早速申請しました。
採択されるかどうかわかりませんが、10月19日が締切りとなっています。
採用されれば、2、3ヶ月のうちに撮影することになります。
コンパクトなデジカメがセットできて、
装置が自動的に動いてシャッターを切ってくれます。
この装置はパノラマ撮影では、
ノダールポイントを中心に回転させる必要がありますが、
それはどうも配慮はなされていないようです。
しかし、その装置は非常に興味がありますので、
ぜひ試してみたいものです。
興味のある方は、次の動画を参照ください。
Gigapanを紹介動画
http://www.youtube.com/watch?v=sYhwVMB9QYw
装置の撮影方法
http://www.youtube.com/watch?v=_7vscAxKxuw&mode=related&search=

・コンテンツ・
グーグルアースには、いろいろなコンテンツがあります。
そのコンテンツはグーグルの次のサイトにまとめられています。
一度覗いてみてはどうですか。
いろいろな使い方ができると思います。
Google Earth Showcase - 人気スポット
http://earth.google.co.jp/showcase/
Google Earth の特集コンテンツ
http://earth.google.co.jp/featured_content.html

2007年10月4日木曜日

6_63 グーグルで地球の旅2:Google Earth

 グーグルは、あらゆるものが検索できるようにすることを目指しています。その一つに、地球の位置情報もデジタル化して、視覚的、直感的に見ることできるようにする仕組みもあります。

 私たちは、地球や日本を宇宙から映した衛星画像を、テレビや本、インターネットなどでよく目にしています。自分が住んでいる地域や、自分が行きたいところなどの衛星画像が見ることができれば、素晴らしいことだと思いませんか。実はその技術は、グーグルアース(Google Earth)として実現していてます。グーグルアースには、都市部は衛星画像よりもっと精度の高い航空写真が利用されています。航空写真がある地域では、車まで見えるほどの精度があります。知識もなにもない子供でも、ただ見るだけで、充分感動でき、遊ぶこともできます。
 グーグルアースは、グーグルマップ(Google Map)と連携されているので、道路地図の参照ができます。まさに至りつくせりの地理情報となっています。これがあれば、昔訪れた町や場所を上空から訪れることもできます。これから出かける時の案内地図としても利用できます。その位置をグーグルアースで記録しておけば、どこからでも即座に飛んでいけます。まるで、ドラえもんの「どこでもドア」のような道具になっています。
 グーグルアースやグーグルマップの精度は、衛星画像や航空写真ですから、どうしても地上で自分の目で見たような鮮明さはありません。
 例えば、私は、野外調査をすると典型的な露頭の景観を記録するために、デジタル画像たくさん撮影します。時には石の接写撮影もします。そのような人間の目でみるような精度はグーグルアースにはありません。また、私はデジタル画像を用いて、露頭や景観のパノラマ写真の合成などもしています。そのような画像は私のホームページに公開していますが、位置情報がないので、地図と連携して直感的に見ることはできません。
 もし自分や他の人がとった景観写真が位置情報付きで地図と連携して見ることができれば便利で素晴らしいことだと思いませんか。実はその技術も、やはりグーグルアースで実用されています。だれでも、グーグルアースの上で自分の撮った画像を自由に公開できます。グーグルアースでその付近を見ているとき、探している時、青い丸やカメラのアイコンがあれば、そこの画像が誰かが公開していることを示しています。クリックすれば、その画像を即座に見ることができます。その画像は、個人が自由に公開しているものですから、玉石混交です。これらの情報を取捨選択するのは、インターネットではおなじみの見る側の問題といえます。
 グーグルアースを利用すれば、世界旅行をしたり、自分の旅行記録を作成して公開することも可能です。グーグルアースとグーグルマップは、私が出かける時にはなくてはならないツールとなっています。グーグルアースには、私が欲しかった、もっとすごい機能があります。それは次回です。

・無料公開・
グーグルアースのニュースを聞いてすぐ見たとき、
私の自宅のある地域は、まだ衛星画像だけしかありませんでした。
しかしその後しばらくしてからみてみると、
自宅付近まで航空写真が整備されていました。
自分の家の屋根がはっきりと識別できたことに、衝撃を受けました。
航空写真を手に入れれば、自宅を見つけることができるでしょう。
しかし、それのためだけ航空写真を入手する人はいないでしょう。
航空写真をデジタル化して、正確な地理情報と一致させるためには、
画像のオルソ化という変換作業をしなければなりません。
それはなかなか面倒な作業となります。
国土交通省で国土数値情報として公開されている航空写真は、
昭和49年度から平成2年度にかけて撮影されたもので
我が家はまだできていません。
ですから、グーグルアースの航空写真は
もっと新しいものを利用しているはずです。
全世界で航空写真を集め編集するには、
おそらく膨大な資金と手間が必要なはずです。
その成果を無料公開するグーグルとは
不思議な会社としかいいようがありません。
無料のおかげで多くの人が利用して、
グーグルアースのすごさを実感できるようになります。
その宣伝効果は絶大なものでしょう。
それを利用して企業がグーグルに資金を投入することもあるのでしょう。
グーグルは、その相乗効果が上手くいっているのでしょうね。

・秋の恒例・
北海道はめっきり秋めいてきました。
紅葉も始まってきました。
私の身のまわりでは秋の恒例のことがあります。
私の大学の後期の講義がいよいよはじまりました。
はじまったと思ったら、今度の連休には大学祭があります。
子供たちの小学校では、9月から準備を始めた学芸会が
10月下旬におこなわれます。
秋は収穫の時期で、いろいろおいしい作物が集荷されます。
昨日は母から送ってもらった秋茄子を焼いて食べました。
少々皮が硬かったですが、母を思いながら食べました。

2007年9月27日木曜日

6_62 グーグルで地球の旅1:Googleとは

 グーグルは、単に検索だけでなく、いろいろな情報にアクセスするための玄関口として役立ちます。まずは、グーグルとは何かを紹介していきましょう。

 グーグルという言葉を御存知でしょうか。パーソナルコンピュータを使ってインターネットをなされる方なら、すでに御存知だと思います。グーグルとはGoogleと表記される検索用のサイトのことです。
 検索結果を高速に示すには、事前に多くのサイトを訪れ、その情報を読み取ってデータベースにしておかなければなりません。このような検索を自動的にするものを、検索エンジンと呼んでいます。グーグルの検索エンジンとデータベースは非常に強力で、検索結果は非常に高速に表示されます。検索エンジンが、検索しているサイトのURLの数は、80億以上になります。その数は、現在も増加中です。
 グーグルは、アメリカのグーグル社が運営しているもので、世界中に拠点を持っています。日本にも会社があり、日本語でも検索できます。利用できる言語は35個以上あり、100言語への翻訳機能も提供されています。
 グーグルのすごいところは、だれでも無料で使用することができることです。グーグル社は、このような強力な検索機能を無料で公開しているのですが、どのようにして利益を得ているのでしょうか。それは、企業から、うまく料金を得ています。その仕組みは単純です。
 グーグルのその強力な検索能力で、多くのユーザを得ています。ユーザは、検索したキーワードに対して何らかの興味があるはずです。検索結果に基づいて、そのURLを訪れることになります。中には、購入意欲をもって検索する人も多数含まれているはずです。それこそが、多くの人がグーグルを使う目的であるわけです。
 検索のキーワードで訪れる人は、ぶらりと立ち寄る人より、購入の可能性が高くなります。企業からすると、多数の興味を持ったユーザが企業のサイトを訪れてくれるのに、検索サイトの検索結果は、非常に重要なものとなります。ユーザがたくさん訪れるサイトは、黙っていても儲かることになります。不特定多数へのメディアへの宣伝より、もっと効果があります。検索結果に企業のサイトが上位に出るためには、費用を払ってもいいという企業がでてきます。
 そこで多くの人が利用するグーグルの検索結果他に対して、ユーザと企業の利害が一致するわけです。そこに目をつけたのが、グーグルの商売です。
 検索結果の画面の上部か右側に、広告の部分があります。もちろん通常の検索結果が一番広い面積を持っています。良く使われるキーワードには多くの広告がでてきます。広告では、上の方がユーザの訪れる頻度が高くなります。企業は、それぞれの検索キーワードに対してグーグル社に費用を払っていきます。掲載の順位は、高い費用を出している会社が上位に表示されます。そこで、企業間に競争が生じ、より多くの利益が発生します。
 グーグルの検索エンジンは、サイトだけでなく、ブラウザーに組み込んで利用することもでき、いちいちサイトにまで行かなくても、即座に検索することができます。自分自身のハードディスクの中も検索してくれます。
 しかし、グーグルのユニークな点は、ベータ版としていろいろな新しい検索に関する機能が、ひっそりと公開されます。しかもそれらは大抵無料で利用できます。私も、いくつか利用していますが、本当にいろいろなことに利用できます。詳しくは、次回です。

・アメリカンドリーム・
Googleというのは聞きなれない単語ですが、
10の100乗を示す「googol(ゴーゴル)」から名付けられました。
ただし、創業者たちがgoogleと間違ってつづったというのは有名な話です。
グーグルは、スタンフォード大学の博士課程の大学院生であった
ペイジとブリンが出会い、1998年9月より始まりました。
グーグル本社では、
一定量の時間を研究に費やすことが保障され、
食事や施設の利用は無料で、
非常に恵まれたオフィス環境となっているようです。
まあ、私には、研究時間も食事、娯楽施設に魅力は感じませんので
今の環境の方があっているのでしょう。
実力のある若い人には魅力があるのではないでしょうか。
まさに、マイクロソフトやアップル社のように、
アメリカンドリームを達成した会社です。

・大学教員の日常・
先日の連休に旭岳に登ってきました。
幸いに好天に恵まれて、非常に快適な登山となりました。
帰宅後、筋肉痛に悩まされました。
登頂の翌日に北海道で始めての初雪が旭岳で降りました。
きわどいタイミングでした。
いよいよ我が大学の長い夏休みも終わり、後期が始まります。
また、日々の授業と学生たちに追われる日々が始まります。
しかし、それが大学教員の日常のはずです。
がんばっていきましょう。

2007年9月20日木曜日

5_66 かなたの星まで6:VERA

 この「かなたの星まで」のシリーズも今回で終わりです。最後として、日本が取り組んでいる銀河内の星を正確に測るVERAというプロジェクトを紹介しましょう。

 VERAという、銀河系ある天体の3次元の立体地図を作るという日本の研究プロジェクトがあります。
 私たちの銀河は、教科書にもイラストがあり、もう立体的な構造までわかっているのに、いまさら何をするのかと思われる方もいることでしょう。しかし、この「かなたの星まで」というシリーズを読まれてきた方は、星までの距離を正確に測ることが、非常に困難であることがわかっているので、この計画の重要性がわかるのではないでしょうか。
 地球からの距離が正確にわかっているのは、実は、地球近傍だけなのです。私たちは、奥行きの情報のない状態で、銀河の全体像を推定しているにすぎないのです。銀河の規模で考えると、奥行き、つまり距離の情報が、まだまだ不足している状態なのです。
 すばる望遠鏡は、大気のゆらぎをレーザーを用いた人工ガイド星によって光学望遠鏡の回折限界に近い70ミリ秒角までの精度を達成しています。ヒッパルコス衛星は、大気のゆらぎのない宇宙で、半径1,000パーセクの範囲(3260光年)にある星の年周視差を、1ミリ秒角の精度の観測しました。
 しかし、銀河は広く、約10万光年もの直径があるので、上記の技術をもっていしても、私たちは銀河を、少ししか解明していないのです。
 ところが、まったく違った原理で星を観測する手法があります。それは、VLBIというものです。VLBIは超長基線電波干渉法と呼ばれるもので、電波を用いた観測方法です。正確に一致した時間に、別の地点の望遠鏡で同じ天体を観測します。同じ天体を同じ時刻で別の地点で観測したデータを合わせることによって、仮想的に一つの望遠鏡として扱うことができます。つまり、離れた観測点の距離が直径となった望遠鏡と同じ解像度を持つことになります。ですから、非常の高い解像度を得ることができます。
 日本の国立天文台を中心として、VLBIをより高度にしたVERAという観測が行われています。VERAはVLBIの原理で観測されます。VERAは、岩手県奥州市、鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市の4ヶ所に設置された直径20mの電波望遠鏡で同時に観測されています。
 さらに、VERAでは「2ビーム」望遠鏡という手法を世界で初めて用いて観測されています。「2ビーム」望遠鏡とは、2つの天体を同時に観測するものです。1つの天体だけを観測すると、以前にもいいましたが、大気のゆらぎの影響を受けます。地上で観測する限り、2つの天体でも同じように大気のゆらぎの影響を受けます。しかし、2つの天体の観測データを同時に観測すると、共通する大気のゆらぎの成分を見つけ出して、そのデータを除くことが可能になります。これは、すばる望遠鏡と似た原理を用いています。そのため非常に精度の良い観測データを得ることができます。
 VERAの精度は、10マイクロ秒角です。10マイクロ秒角とは、ヒッパルコス衛星の約100倍の精度に当たります。この精度があれば、銀河系内の天体の年周視差が検出できます。もちろんこれは、世界最高の精度となります。
 VERAは2003年から観測がはじめられ、2007年7月11日には、オリオン座の方向にあるS269(シャープレス269)という星が、1万7250±750光年にあるという結果が報告されました。これは、ヒッパルコス衛星の観測した天体より、5倍も遠い天体でした。その年周視差は189±8マイクロ秒角で、これまでに測定された最小ものでした。
 VERAは、いいこと尽くめのようですが、実はこの手法で観測できるのは、強い電波を出す天体(メーザー源と呼ばれています)が主となります。メーザー源は、銀河系内で1000個ほど見つかっています。その星を10年から15年かけて観測していくというプロジェクトなのです。
 メーザー源の多くは、生まれたばかりの若い星や年老いた星だと考えられています。ですから、銀河の起源や星の進化も同時に解明していくことになのでしょう。

・真実・
VERAとは、VLBI Exploration of Radio Astrometryを略したものです。
またVERAは、ラテン語で「真実」を意味するそうです。
10マイクロ秒角という精度をいいましたが、
ピンとこないと思います。
その精度は、月面上におかれた1円玉を
地球から見分ける精度です。
このとんでもない精度で、
銀河の「真実」が見えるのでしょうか。

・自由時間・
四国の調査から帰ってきました。
台風のため、出発が予定より1日ずれましたが、
予定通り日程を組めました。
しかし、北海道も今年の夏は暑かったのですが
もう涼しくなっていたので、体が緩んでいました。
しかし、四国はまだ、夏の暑さがあり、参りました。
汗をいっぱいかきました。
水分もいっぱい取りました。
4日ほどの野外調査だったのです、
体が慣れてきた頃に、調査が終わりました。
もう少しいたかったのですが、
私もいろいろ仕事を抱えていますので、
なかなか思うようにいきません。
もっと、自由になる時間が欲しいものです。

2007年9月13日木曜日

5_65 かなたの星まで5:すばる望遠鏡

 地上の望遠鏡でも、ハイテクを利用することで、宇宙望遠鏡に劣らない精度の観測が、なされるようになってきました。その代表が、日本が世界に誇る「すばる望遠鏡」です。

 大気圏外に望遠鏡を上げて、大気や重力による影響のない観測を行うという話を前回しました。宇宙望遠鏡もいいことばかりではなく、問題もあります。費用がかかる点とメインテナンスが大変であるという問題です。
 1990年4月24日に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡は、打ち上げ直後に、製作ミスでレンズがゆがんでいることがわかりました。そのミスは、鏡の端が設計より0.002mmのゆがみでした。そのため、設計上の性能と比べて、5%の解像度しか出なくなっていました。それでも地上の望遠鏡の性能には勝っていましたが。
 当初、観測データを、ソフトでなんとか補正したのですが、1993年12月、スペースシャトルによって、その歪みが修理によって補正されました。その修理は非常に難しい作業であるために、スペースシャトルのクルーは1年間訓練を積みました。
 ハッブル宇宙望遠鏡は、15年(2005年まで)の運用期間を予定したのですが、2013年まで利用を続けるための修理が行われました。メインテナンスができなくなれば、軌道上に留まることができず、やがては落下してしまいます。これは、宇宙でのメインテナンスが大変だということを示す好例です。
 ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げ直後の1991年に、地上で最大の望遠鏡の計画が持ち上がっていました。日本の「すばる望遠鏡」です。この望遠鏡は、世界最大の直径8.3mを有する一枚鏡の反射望遠鏡です。この鏡は、7年以上の歳月をかけてつくられました。
 すばる望遠鏡は、ハワイのマウナ・ケア山頂(標高4,205m)に建築されました。1998年10月に完成し、1999年1月29日にファーストライトをとらえました。
 大きな鏡は、どうしても、地球の重力でたわみます。そのたわみをコンピュータが補正して、反射鏡の裏からの261本もあるアクチュエータとよばれるもので、正確に修正していきます。その結果、すばる望遠鏡の鏡面は、常に100nm(10の-7乗メートルの桁)の精度を保っています。また、建物の中の空気の乱れも最小限にする工夫もなされています。
 それでも、大気の乱れによって、星がゆがんで見えます(シンチレーションと呼びます)。位置のわかっている明るい星が、観察したいの星の近くにあれば、それの明るい星を基準(ガイド星)にして、補正されます。ガイド星が大気の乱れで見える位置が変わると、その乱れを即座に計算して、リアルタイムで補正しながら目的の星の光を観測しています。
 もし、近くにガイド星がないときは、人工的にガイド星をつくるということがなされています。レーザーを天文台から空に向けて照射します。高度100kmほどのところにあるナトリウム層に、そのレーザーをあて、ナトリウムを発光させます。するとそれがガイド星と同じ役割を果たします。この方法は、日本が独自に開発して、すばる望遠鏡で2006年10月にはじめて成功しました。
 もっと解像度を上げることが、将来、可能でしょうか。いいかえると、いくらでも解像度を上げることができるからということです。
 実は、解像度には限界があります。光は、粒子と波の両方の性質を持っています。光学望遠鏡は、光の粒子としての性質を利用して解像度を上げてきました。しかし、解像度が上がるにつれて、より小さいのもの、つまり光の波長に近づいてきます。もし波長より小さくなると、光は波の性質によって回折という現象が起きます。回折現象がおこると、物体の後まで光が回りこんでしまい、光が曲がって、到達しないはずのところまで光がとどきます。回折がはじまるところが、解像度の限界(回折限界とよばれます)となります。
 近赤外線の波長領域では、ほぼ観測限界に達しつつあります。今のところ、すべての波長で限界には達していませんが、近いうちに、ほぼ限界の能力を持つにいたることでしょう。
 しかし、まだまだ人間の智恵は留まるところを知りません。銀河内の天体の年周視差を、宇宙望遠鏡のヒッパルコス衛星より、もっと精度を上げて測ろうという試みがなされています。これは、次回としましょう。

・設置の条件・
すばる望遠鏡の性能は素晴らしいだけではなく、
その性能を十分活用した成果も多数挙げられています。
赤外線による最遠の超新星爆発、
最遠(128億光年)の銀河団、
最遠(128億8000万光年)の銀河、
など多くの大発見しています。
本当は、日本に望遠鏡があればいいのですが、
そうもいきません。
望遠鏡の精度を考えると、
観測条件もよくないとなりません。
そのような場所は、やはり限られてきます。
光の害がないこと(都会から離れている)、
大気がきれいなこと
晴天率が高いこと、
気流が安定していること、
広い範囲の星域を観察できる地形(高い標高がいい)、
などを考えて、天文台が設置される場所が選定されます。
チリのアンデス山脈、カナリア諸島などの高山も条件を満たしますが、
地の利でハワイのマウナ・ケアが選ばれました。

・帰省・
このメールマガジンが皆さんの届く頃、
私は、愛媛県西予市城川町にある地質館で作業をしているはずです。
毎年のように訪れている城川ですが、
今年がいよいよ区切りとなりそうです。
この作業が終わったら、
次に、どのようなことをするかは、まだ未定です。
しかし、今では、城川は私の第2の故郷のようになっています。
私が子供の頃に見ていた田園風景を
城川では、今、見ることができます。
そんな郷愁を味わいながら、
どんな雑音にもさえぎられることなく、
仕事ができるのは、非常にありがたいことです。
いつも、行けば、リフレッシュすることができます。
今年も、そんな「帰省」をします。

2007年9月6日木曜日

5_64 かなたの星まで4:ヒッパルコス衛星

 大型の望遠鏡をつくって高精度の観測していくことは、技術の進歩とともに発展してきました。しかし、技術的に限界がありました。発想の転換が必要になります。

 星の年周視差を観測するのは、非常に難しいことでした。それは、測るべき角度が非常に小さいためでした。星が遠くなればなるほど、高い精度で星の位置を観測しなければなりません。観測精度をあげるためには、望遠鏡の性能を上げればなりません。技術が進歩すると共に、望遠鏡の性能が向上しました。その結果、前回紹介した19世紀中ごろの、0.2秒ほどの年周視差の観測ができました。その後も、望遠鏡の性能は向上していきました。
 遠くの星を見るためには、かすかな光を捉えなければなりません。かすかな光をとらえるためには、望遠鏡の口径を大きくして、光を集めなければなりません。それために、大きなレンズを用いた望遠鏡が作られるようになりました。
 1949年には、直径200インチ(5.08m)のヘール望遠鏡が、パロマー天文台に完成しました。当時世界最大の望遠鏡でした。現在最大の光学望遠鏡は、日本がハワイに建設した直径8.3mの「すばる」です。1枚鏡としては世界最大です。その鏡を磨くのに7年を要しました。大きな口径のレンズをつくれば、光は集められますが、レンズ自身の重さや温度変化で歪みが生じます。「すばる」のように、大きなレンズの製作は、なかなか困難です。
 なんと言っても一番の問題は、大気のゆらぎです。大気がゆらぐことによって、星からの光もゆらぎます。せっかく高精度の望遠鏡を作成しても、大気のゆらぎのために、天体の像がぼやけてしまいます。
 つまり、機械的にも条件的にも観測の精度を上げることには、限界がありました。その限界を打ち破るためには、発想の転換が必要です。
 大気の影響のないところ、つまり大気圏外に望遠鏡をおけば、精度良く観測ができます。宇宙は、天気や大気の影響を受けません。また、レンズの重力の影響もありません。宇宙空間は、いろいろ問題もありますが、星の観測としては、なかなか条件のよいところなのです。そのような発想でつくられたのが、ハッブル宇宙望遠鏡です。
 また、年周視差を正確に測定する目的で作られた宇宙空間の望遠鏡があります。ヒッパルコス衛星と呼ばれています。ヒッパルコス衛星は、1989年8月8日、欧州宇宙機関によって打ち上げられたものです。目的は、恒星の位置やその年周視差を1ミリ秒の精度で観測していくものです。1993年6月の観測終了までに、ヒッパルコス衛星は、11万8274個の恒星の年周視差を観測しました。その範囲は、半径1,000パーセクにも広がります。
 しかし、現在ではもっと精度のよい観測を行うとしています。その最先端が「すばる」です。それは次回としましょう。

・発想と努力・
ヒッパルコスは、ドイツの放送衛星とともに
アリアンロケットV33号によって打ち上げられました。
しかし、実は、アポジモーターの故障により
静止軌道に行くことができませんでした。
その軌道は、近地点約500キロメートル、
遠地点約3万6000キロメートルという極端な楕円軌道でした。
しかし、スタッフの4ヶ月に渡る観測システムの調整の努力で、
多くの観測は行われました。
このような科学者の陰の努力によって、
一見失敗したかのような打ち上げも、
なんとか成功裏に終わらせることができました。
複雑なシステムには、失敗はつきものです。
でも、失敗が起こったとき、できるだけ被害を少なく、
そしてできるだけ目的に沿ったデータをとること、
そんな発想と努力が重要なのでしょう。

・調査・
私は、明日7日から16日まで出かけています。
前半は野外調査で後半はいつものように西予市城川の地質館で
ホームページ作成をしています。
以前から計画してた高知県の模式的地層を用いて
地層を精度良く記録する方法を試すためです。
新しい工夫をいろいろしています。
新しい装置も完成しました。
さてさて、上手くいくでしょうか。
一番の目的は短時間で大量の高精細の画像記録ができるかどうかです。
野外調査がどこまで順調にいくかが問題です。
天気も気になります。
でも、まる3日間、狭い地域に張り付いて調査する予定ですので
天気が悪くても、1日でも天気がよければ
記録ができれと思うののですが。
条件しだいで、結果はどうなるかわかりません。

2007年8月30日木曜日

3_59 皆既月蝕

 月蝕が天文ショーであることは、多くの人が知っているはずです。月蝕の情報は、テレビや新聞のニュースで流れるので、一度ならず月蝕を見たことがある人も多いでしょう。しかし、皆既月蝕を見るチャンスは、人生において実はそうそうないのです。


 2007年8月28日の皆既月食を、ご覧になったでしょうか。日蝕は地球の限られた地域でしか見ることができませんが、月蝕は夜の側であれば地球のどこからでも、肉眼で見ることができます。ですから、比較的多くの人が経験できる天文ショーです。
 今回の月蝕は、本州や四国では雲があって見えなかったところも多かったようですが、幸いにも私が住む北海道は快晴で見ることができました。九州でも天気が良かったようですし、本州でも雲の切れ間から見られた方といるようです。
 今回の皆既月食は時間帯が早かったので、多くの人が見るチャンスができ、家族でも楽しむことができました。逆に早い時間帯だったので、明るさの残った空でやや見づらく、地平線から低いところで障害物があったり、大気の影響を受けることがハンディにもなりました。
 月蝕とは、月が地球の影に入ることです。つまり、太陽、地球、月の順に一列に並ぶことです。もともと満月であるのに、短時間で満月が欠けて、またもとに戻っていきます。
 月は約一ヶ月で地球を一周しています。ですから、満月のたびに、地球の影に入るなるはずなのですが、実際にはそんなに頻繁に月蝕は起こりません。月が地球をめぐる面(軌道面)が、地球が太陽を巡る面(公転面)と一致していないためです。月の軌道は、公転面に対して5.1度傾いています。ですから、満月のたびに月蝕が起こるわけではありません。普通、月蝕は年に2度ほど起こりますが、少ない時には1年に一度もないこともあるし、多いときは3回起こることもあります。
 月が地球の影の中に完全に入るのを皆既月食といいますが、一部分だけが欠ける部分月蝕の方が多く起こることになります。天候も必ずしも晴れるとは限らず、札幌では20年以上も皆既月蝕は見られなかったそうです。いろいろな条件によって、皆既月蝕を実際に自分の目で見ることができるのは、人生で数回程度のチャンスになるようです。以前も家族で部分月蝕は見たことがあるのですが、皆既月食を今回見ることができたのは、非常に幸運だったのでしょう。
 今回の皆既月食は、皆既状態になったとき、本来なら光の当たらない影の中に入るのだから、真っ暗で見えないはずなのですが、赤茶色にぼんやりと明るくみえました。これは、地球にある大気のためです。
 地球の大気を通り抜ける光は、少しですが屈折して影の中に回り込みます。そのとき、夕焼けの同じ原理で、大気の中を通り抜けた光のうち、青い光は散乱して、赤い光が通り抜けやすくなります。そのため、赤っぽい光が、月面をぼんやりと照らします。
 日蝕と違って皆既月蝕は長い時間続きます。月は地球から38万km離れているのですが、そのあたりで地球の影の大きさは、月の直径の約2.7倍になっています。ですから、6時52分から8時22分まで長時間、皆既の状態になっています。その後少しずつ月が現われていきます。
 今回の皆既月蝕は、我が家では家族全員で、自宅の窓から、何度も眺めることができました。こんなチャンスは早々ないとすれば、次回の皆既月食は2010年12月21日ですが、家族全員で見ることのできるのでしょうか。

・人間の目・
夕食後、月蝕がみることができるか、家族で窓から眺めてみました。
するとちょうど皆既になる直前で、ほとんど欠けている状態でした。
その後、7時前に見たら皆既になって、赤銅色に淡く輝く月になっていました。
皆既で淡く輝く月をコンパクトデジカメで気軽に撮影したのですが、
やはり失敗していました。
手ブレではなく、暗すぎて光が不十分だったらしく
何も写っていませんでした。
その後8時半頃には皆既が終わっていたので、
同じ条件で撮影してみたところ、そちらは撮れていました。
それほど明るさが違っていたようです。
人間の目は暗いところになれると、本当は暗くいはずなのですが、
目の感度がいいため、淡い光が見えてしまうのですね。
デジタルカメラの無能さより、人間の目の性能の良さに驚かされました。

・秋の気配・
ここしばらく北海道は快晴が続いています。
朝夕の涼しくなるですのでが、昼間が暑い日となります。
しかし放射冷却のため、早朝は、
あまりの涼しさに上着を着てくるようになりました。
8月末だというのに、午後は研究室が暑くなります。
西日が差し込み始める3時を過ぎると、
研究室が暑くなって耐えられなくなり、早々に帰宅してしまいます。
午前中は非常に快適なので、仕事がはかどります。
8月後半から準備を始めていた論文が快調に進んでいます。
また、自宅も夕方まで暑いのですが、夜になると涼しくなり、
寝る前には寒くなり窓を閉めなくてはなりません。
秋の夜風のようです。
もう朝夕は秋の気配が出てきました。

2007年8月23日木曜日

5_63 かなたの星まで3:年周視差

 前回は30mメッシュの公開のニュースを紹介したので、「かなたの星まで」が一回休みました。今回は、以前の続きで、三角測量で星までの距離を測る方法についてです。

 行くことができないほど遠くにあるものまでの距離を測る場合、三角測量を利用するという話をしました。三角測量には、原理的に3つの方法がありますが、行くことのできないものまでの距離を測るには、「一つの辺の長さとその辺の両側の角度を決める」方法がだけが使えます。
 この方法を、星までの距離を測定するのに利用すればいいわけです。この方法は、測りたいものが遠くなればなるはど、一辺の長さに比べて、他の2辺が長くなります。つまり、測れる一辺の両側の角度が90度に近づいていきます。
 数学では、無限遠の時のみ90度で、有限の距離であれば、90度以下の角度になるはずです。しかし、観測には誤差がつきものですが、遠くのものを測定するときには、その誤差が大きくなっていきます。原理は簡単なのですが、実際に測定しようとすると、非常に難しいものとなります。
 地球上で使える実測可能な一番長い辺は、地球の直径(約13000km)を誰もが思い浮かべるでしょう。これは、日没後と日の出前などに、同じ星を観測すれば、地球の直径分の距離を確保して、観測したことになります。もっと、長い測定可能の距離を、利用することができます。
 地球は太陽の周りを公転しています。この公転の直径を使えば、1億5000万kmとなり、地球の直径の1万倍の辺を手に入れることができます。ただし、この観測には半年かかという気の長いものとなります。
 このような地球の公転の直径を辺としたとき、星の位置がずれことを年周視差と呼びます。このずれは、もっと多くの動かない星を背景に決めていくことになります。
 ところが、1億5000万kmという距離をもってしても、星までの距離は遠いのです。このような年周視差が角度で1秒(1度の360分の1)になる距離は、3.26光年に当たります。この距離を天文学では、距離の単位して利用していて、パーセク(parsec)と呼んでいます。
 地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星は、年周視差がわずか0.76秒しかありません。
 このような年周視差の原理が、星の距離を測定するのに使えることは、かなり古くからわかっていました。しかし、なかなか実測されるに至りませんでした。ですから、ティコ・ブラーエは、年周視差が観測できないことから、地動説を否定し、天動説が正しいと考えていました。
 実際の年周視差を用いて観測されたのは、1838年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが、はくちょう座61番星の年周視差を観測できた時でした。その年周視差は、なんと0.314秒でした。その後、ベガの0.26秒、ケンタウルス座α星の0.76秒など、続々と年周視差による観測結果がでてきました。
 現在では、技術の進歩によって、当然ことながら、観測できる距離はもっと長くなっています。それは、次回としましょう。

・いい気候・
北海道の湿度が高い高温の時期は、お盆の数日でした。
先週末にはいつもの北海道の気候に戻りました。
私も一息つくことができました。
ただ、夏バテの影響か、運動不足がたたっているのか、
まだ、本調子ではありません。
しかし、過ごしやすい気候となっています。
それに大学は今夏休みですから、仕事をするのには、一番いい時期です。
いろいろと仕事をこなしていきたいと考えています。

・ティコ・ブラーエ・
ティコ・ブラーエ(1546~1601)は、デンマークの天文学者です。
非常に精密な観測をした天文学者でした。
精密な観測を大量におこない、彼の観測データは、
当時としては最高のものでした。
天体望遠鏡が発明されるのは、
1608年で望遠鏡が発明され、1609年にその噂を聞いたガリレオが、
望遠鏡を製作したのが始まりです。
ブラーエは、望遠鏡を利用することなく天体観測をしていました。
もちろん時計もありませんでした。
残念ながら、彼は、自分の観測データをまとめることはできませんでしたが、
弟子のケプラーによって、その記録からケプラーの法則が発見されました。
その他にも、いろいろ業績はありますが、
年周視差が観測できなかったので、
「太陽は地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転している」
という「天動説」を提唱しました。
この天動説は、彼が古いタイプの人間であったせいではなく、
望遠鏡を利用しない方法の限界であったのです。
彼自身は、観測結果に基づいた当然の帰結を述べたのです。

2007年8月16日木曜日

5_62 30mメッシュの公開

 日本はNASAと協力して、30mメッシュの公開を行うと発表しました。今回は、予定を変更して、このデータの意義を考えてみます。

 経済産業省が、8月10日、全世界の高精度数値標高データの公開の発表をしました。国土地理院のある国土交通省からではなく経済産業省が発表したということ、そして日本だけでなく何故全世界のデータなのかが、少々奇異な感じがします。
 経済産業省は、これまで資源探査を目的とした技術開発を行ってきました。1999年12月に打ち上げられたTerra衛星に搭載されている地球観測センサー(ASTER)は、7年以上にわたって地球観測を続け現在も運用されています。このASTERは、標高も高精度に測定する能力を持っています。
 地球観測に関する国際的なGEO(Group on Earth Ovservations)は、地球観測システムGEOSS(Global Earth Ovservation System of Systems)をつくり上げるために、経済産業省とアメリカのNASAに、ASTERの標高データを提供するように要請してきました。これに答えたのが、今回の報告となりました。ASTERを用いて、全世界の30m(±7m)メッシュを公開されることになったのです。メッシュとは、地表を格子状に区分して、その格子ひとつひとつをメッシュとよんでいます。30mメッシュとは、30m四方の標高を示しているということです。30mメッシュというのは、一見半端な値に思えますが、球体の地球をメッシュに分ける場合、緯度経度を等間隔に区分した等緯経度で1秒(1度の360分の1)が30mメッシュに相当します。この数値標高データは、G-DEMと呼ばれています。
 今まで日本で、全土の標高データとして公開しているのは50mメッシュでしたが、このたび30mメッシュの精度に更新されることになります。そのサンプルデータとして、西日本のものが現在公開されています。そのデータは、
http://www.ersdac.or.jp/GDEM/J/index.html
で得ることができます。
 標高データはASTERでまだ観測中で、2009(平成10)年度末までに、全世界のデータ公開を目指すそうです。私は現在サンプルデータで確認中ですが、このデータには期待しています。
 世界全土については、SRTM3と呼ばれている90mメッシュが一番高精度のものとして、無料公開され、私も利用しています。SRTM(Shuttle Radar Topography Mission Data)は、2000年に11日間にわたってスペースシャトルを用いて観測されたものです。搭載されたレーダの性質により、地形が急峻な地形のところや、北緯60度より北の高緯度と南緯56度より南の高緯度になると、精度が悪くなるという欠点がありました。
 しかし、今回のG-DEMは、そのような欠点が克服されたものになります。完成すれば、全地球が、もれなく、従来の3倍の精度のデータが得られることになります。
 30mメッシュが高精度といっても、日本ではより高精度の10mメッシュが北海道地図株式会社がGISMAP Terrainとして公開しています。10mメッシュをすでに見られている方は、それほどすごいことと思われないかもしれません。しかし、30mメッシュの精度で、全世界がすべてそろうのは、調査研究、防災、資源探査・管理などにおいて、非常に重要な基礎資料となります。海外の地図の整備されていない地域を調査される方には、これほど重要な情報はないかもしれません。日本の非常に重要な国際貢献になると思います。

・猛暑・
北海道は猛暑です。
暑くて、なにもできないほどです。
自宅はもちろん、研究室も、
早朝でも暑くて耐えられないほどです。
もう4日目です。
子供たちも、プールに行って涼んでいるのですが、
帰ってくるまでに暑くてたまらないといっています。
冷房のない多くの北海道の家屋では、
みんな生き絶え絶えにこの暑さに耐えていることと思います。
もうすぐ涼しくなると期待しながら、
耐えるしかありませんね。

・30mメッシュ・
北海道地図の10mメッシュは私も利用しています。
そして現在共同研究として10mメッシュを利用した
地形と地質に解説を
メールマガジンとホームページで行っています。
50mメッシュを扱ってきたものが、
10mメッシュを見たときの衝撃はすごいもでした。
今回の30mメッシュの検討は現在準備中です。
50mメッシュから3m0メッシュへは、
それほど差を感じないかもしれません。
しかし、海外が今まで90mメッシュであったのが、
30メッシュになれば、この効果は明瞭なものがあるはずです。
そんな期待を抱かせてくれます。
すべてのデータが公開される2009年の春が待ち遠しくなります。

2007年8月9日木曜日

5_61 かなたの星まで2:視差と三角測量

 かなたの星の位置を知るのには、苦労があります。しかし、私たちがものを見るときに生じる遠近感に、遠くのものまでの距離を測るためのヒントがありました。

 星までの距離をどのようにして測るのでしょうか。これは、離れたものまでの距離を、そこに行くことなく測るにはどうすればいいのかという問題になります。星に行くことは大変です。しかし、星まで行くことなく、その距離を測れれば、私たちの住んでいる太陽系やその近所に星がどのよう分布するのかを知ることができます。
 星の分布にムラがあるのが、太陽系は星がたくさんある都会のようなところにあるのか、それてもまばらにしかない寂れた場末のようなところなのかを知ることができます。そして、最終的に宇宙の3次元的な星の分布図が作ることができます。そのためには、まずは、星までの距離を正確に測る方法を編み出すことです。
 ヒントは、身近なところにあります。両方の目でものを見るとき、実は無意識のうちに距離を測る機能を使っています。例えば、キャッチボールをするとき、相手の投げたボールが自分に届くまでの時間や位置、あるいはスピードなどを、両目で見ることによって割り出しています。ですから、ボールを受けることができるのです。
 同じ位置にあるボールを、右目で見たときと、左目で見たときに、遠くの背景に対して、ボールの位置が少しずれています。これを視差と呼んでいます。この視差を利用して、私たちは遠近感を感じているのです。
 この目による遠近感は相対的なもので、止まっているボールが自分から何メートル離れているかを定量的に知ることができるわけではありません。しかし、視差の原理を用いて正確に測定すれば、ボールの位置を定量的に正確に知ることができます。この技術として三角測量というものがあります。
 三角測量は、三角形の定義をどうするかにがわかれば、理解できます。三角形を決定するには、3つの方法があります。
・一つの辺の長さとその辺の両側の角度を決める
・二つの辺の長さとその間の角度を決める
・三つの辺の長さを決める
かのいずれかがわかれば、三角形は決まります。三角測量はそのいずれかを利用しています。
 このうち下の2つは、目標物のところまで行かなくてはなりません。ですから、目標物に行かずに距離を求めるには、一番上の「一つの辺の長さとその辺の両側の角度を決める」方法となります。
 三角形の各頂点に両目とボールを当てはめれば、それぞれの目は、1辺のその両側の角度を測っていることになります。ですから、両方の目の間隔にあたるものを測り、各目玉からボールまで伸ばした線の角度を正確に測れば、三角形は決定できます。
 目の場合は、これを定性的に使っていましたが、三角測量では定量的に行いマス。この方法を利用すれば、遠くのものまで正確に測ることができます。
 しかし、これは地上での話で、星までこの原理を使うにはなかなか大変な難しい問題でした。この続きは、また、次回です。

・秋田青森・
秋田から青森の海岸を回ってきました。
7日間かけてめぐりました。天気があまりよくありませんでしたが、
なんとか予定通りめぐることができました。
ただ、問題は、私がホテルのエアコンで風邪を引いてしまいました。
6日の午後あたりから体調が悪くなり、
その夜にさらに悪くなりましたが、
一晩寝れば少し楽になりました。
昨日も1日家でのんびりしていたのですが、
まだ、全快とはなりません。
北海道も湿気が多く少々蒸します。
しかし、昼間でも窓を開ければ何とか過ごせます。
やはり、夏は北海道に限ります。

・夏休み・
子どもたちの夏休みは、
7月25日からはじまり、8月16日までで
17日には2学期の始業式があります。
カレンダーの関係で、より夏休みが短くなっているようです。
今年は、8月になって1週間、旅行でたので、
子供達の夏休みが短く感じます。
あと1週間で夏休みが終わります。
しかし、私の夏休みはまだまだです。
大学の仕事が1週間分たまっています。
成績と評価の作業があります。
旅行の後にはこれがあります。
少しずつですが、進めていくしかありません。

2007年8月2日木曜日

5_60 かなたの星まで1:惑星と恒星

 夏の夜は、蚊いたり霞むこともありますが、星を見る機会が多い季節です。かなたに見える星、いくこともできない星ですが、地表にいながら星のことを知る技術があります。今回は、星までの距離を測る方法に焦点をあてて紹介します。

 夏は日が長く、外での遊びも増えます。夜も、花火、キャンプファイアー、祭りや縁日と、いろいろな催しもあります。晴れた夜空を見上げたとき、多数の星を見ることができます。
 先日家族で蛍を見に行ったとき、長男が「月の横に見える明るい星は、なに」と聞かれました。「惑星だと思うけど、どの惑星かわからないな」と答えました。しかし私は答えながら、『前に、夜空を見上げてじっくりと星を見たのは、いつのことだったろう』と、別のことを考えていました。そして、屋空を見上げてじっとしていると、ついつい星の世界に吸い込まれそうな気がしました。
 星を見ていると、日常から離れて、空想や思いの中に入っていくのは、私だけでしょうか。昔の人は、星を見て、明るい星をつないで、いろいろな形(星座)を考え、そして神話を生み出してきました。それと同じような心持ちを、そのときの私はしていた気がします。そんな古代から人々が持ち続けてきた気持ちが、私にも理解できそうに思えました。
 惑星は、ひときわ明るく見え、惑星ごとに特徴もあり、誰もが名前を聞いたことがある馴染みのあるもののはずです。ある夜、星を見上げて、天空に多数見える星が、惑星なのか恒星かを知っている人は、ある程度天体に詳しい人のことでしょう。知識がなければ、夜空にみえる多数の星の中から、惑星と恒星の違いを、どのようにして見分けるのかは、なかなか難しいことでしょう。
 惑星と恒星を見分けるには、天体の運動を、毎夜、観察しなければなりません。長い時間観察した結果、恒星はその配置が季節と共に変化し、毎年同じ季節には同じ星座として見ることができます。恒星は1年で一回りすることを繰り返ていることがわかります。
 一方、惑星は季節変化ではなく、それぞれの惑星に固有の時間によって位置を変えることに気づきます。惑星の動きは、天空を惑(まど)っているように、少々変わった動きをしていることが特徴でした。時には、惑星が、恒星の前を横切ることもありました。
 惑星は不思議な運動をするのですが、惑星も他の恒星と同じように、高い天空にある考えられていました。しかし科学が進んでくると、惑星が他の恒星と違い、太陽系という太陽の周りを巡る星であることがわかってきました。その運動や位置は、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンなどによって完成された、物理の法則によって正確に知ることができます。
 しかし、太陽系より外にある星のことについて、どこにあるのか、どれくらい離れているか、などがわかるには、長い時間がかかりました。この続きは、次回としましょう。

・ニュース・
かなたにある星までの距離を正確に求めることは、
じつはなかなか困難なことなのです。
しかし、先日国立天文台は、
約2万光年もかなたにある天体の距離を
正確にはかることに成功したというニュースが報じられました。
今までの精度より4倍も正確に、距離を決めることができました。
その方法と精度を説明するために、
今回の一連をエッセイを書くことにしました。

・秋田から青森へ・
私は、このエッセイが公開される頃には、
秋田から青森の海岸線を走っています。
海岸線といくつかの地域を見ることと、
そして家族旅行が目的でもあります。
暑い季節には北海道に居るのが一番のなのですが、
私の調査の順番から、
本州の中部から北部に行かなければならなくなりました。
春がいいのですが、時間的余裕があまりないので、
今回は、夏休みにすることなりました。

2007年7月26日木曜日

3_58 正珪岩:変わった石2

 大陸でできた砂粒が、長い地球史の旅の末、日本列島の地層の中から見つかります。そんな石ころから、自然の営みの悠久さを、感じることができるでしょうか。


 orthoquartziteは、オーソコーツァイトあるいはオルソクォーツアイトと呼ばれる石があります。英語をカタカナ書きにしようとすると、発音の違いでいろいろな表記が可能で混乱します。日本語では、オルト珪岩あるいは正珪岩と呼ばれていますが、一般方には、なじみが少ない石の名前だと思います。そして、そのような石を見たことのある人は少ないでしょう。その理由は、日本では珍しい石だからです。
 そもそも珪岩は、堆積岩の一種で石英の粒子が集まって固まったものです。石英砂岩とも呼ばれています。珪岩の中の石英の粒は、ほとんど丸みを持っているという少々変わった性質を持っています。
 砂岩をつくっている粒子の90%以上が、石英からなるものについて、オルソ、「正」という名称をつけ正珪岩と呼ばれます。
 珪酸を95%以上含むもので似たものに、チャートとよばれる岩石があります。以前は、チャートのことを珪岩と呼んだことがありますが、今ではチャートと珪岩は別物として区別されています。チャートも堆積岩の一種ですが、チャートの多くは深海底で、生物の遺骸が集まってできたものです。正珪岩とは明らかに起源の違うものだとわかっているので、区別されています。
 日本では、正珪岩が地層をつくることはありません。上で珪岩の仲間は、丸い砂粒からできているといいました。このような大量の砂粒は、大陸内部の砂漠などをつっている砂です。ですから珪岩は大陸内部の湖などで溜まった岩石ではないかと考えられています。大陸地域の地層中には、正珪岩からできたものがよく見られます。
 日本はもともとは大陸の縁にあったのですが、内陸ではなく、海からおし寄せるプレートの断片や堆積物、そして火山などからできているようなところです。正珪岩がたまるような環境ではなかったのです。日本列島を構成する岩石からみると、やはり珪岩、特に正珪岩は、変わったと石といえます。
 ところが、日本各地で、地層の中の礫として、正珪岩は時々見つかります。礫岩の中にはたくさんの正珪岩の礫を含むこともあります。ですから地質学者には結構なじみのある岩石なのです。
 正珪岩のでき方を考えていきましょう。大陸の内陸部を構成している岩石が地表にあると、長い時間の経過で、風化を受けてきます。物理的や化学的に弱い結晶は、長い時間の風化に耐え切れず、小さな破片となり、風で遠くに飛んでいったり、川で流れていきます。なかでも一番頑丈な結晶である石英は、侵食に耐え、丸くなりながらも生き残ります。それがたまたま地層ができるような湖に流れ込み、堆積すると、正珪岩からできた地層になります。
 その正珪岩の地層も、地表にあれば、やがて浸食を受けます。侵食を受けたものは正珪岩の小石として、川となって海に運ばれます。その中には、礫岩として大陸周辺に地層に紛れ込むこともあります。これが今、日本列島に見つかる正珪岩の由来なのです。
 私が学生の頃は、日本で正珪岩が見つかっていたのは、四万十層群の礫岩中だけでしたが、今では、日本の各地のいろいろな時代の地層から見つかってきました。日本列島には、このような長い旅をしてきた石ころもあるのです。

・大地の営み・
正珪岩を礫として含む地層は、
四万十層群、山口県幡生累層上新地礫岩層、
手取層群赤岩亜層群、大阪層群、
矢良巣岳礫岩、刀利礫岩層、綴喜層群礫岩、
などなど、いろいろな時代、各地の地層からみつかっています。
私は、日本でも上の例の2箇所で見ることができました。
ネパールでは、正珪岩からできた地層を見ています。
しかし、日本の礫岩の中の正珪岩は、小さいものが多く、
よく見ると、その小さな石の中に、
石英の丸い粒が見えることがあります。
そんな粒を眺めると、大地の営みの偉大さを感じてしまいます。

・定期試験・
大学は、現在、定期試験の真っ最中です。
今週が試験週間で、これが終われば、大学も一段落です。
私は、まだまだ仕事があり、日曜日にオープンキャンパスで
高校生向けのミニ講義を担当しなければなりません。
試験が終われば、前期の採点とその入力がまっています。
大変ですが、これも重要な仕事です。
それが終われば、私にも楽しい夏休みがきます。
多分9月になってからですが。
一段落したら、早速調査に出かけたいと思っています。
今年は少々新しい調査法を実行したいと考えていて、
わくわくしています。
新しく開発してもらった装置も試してみたいと思っています。

2007年7月19日木曜日

2_57 氷漬けのマンモス

 氷漬けのマンモスが見つかったというニュースをご覧になられた方が多数おられたと思います。科学者たちは大きな期待持って、このニュースを読んだはずです。私もその一人でした。

 2007年5月、ロシア西シベリア、ウラル山脈から北の北極海に延びたヤマル半島でトナカイの飼育をしている人が、マンモスの化石を発見しました。このマンモスは、発見者の奥さんの名前をとって「リューバ(Lyuba)」と呼ばれています。
 「リューバ」は、生後約半年から1年のメスの赤ちゃんで、体重50kg、体高85cm、全長130cmの小さなマンモスでした。1万年前ころに死んだのではないかとみられています。
 このマンモスは、日本の東京慈恵会医科大・高次元医用画像工学研究所(東京都狛江市)に輸送され、CTスキャンで体の構造が詳しく解析される予定です。
 マンモスは、絶滅してしまったゾウの仲間です。絶滅は大昔の話ではなく、1万年前ころ、もしかしたら4000年ほど前まで生きていたとも考えられています。紀元前1700年ころまで生きていたという説もあります。
 マンモスの骨は、古くから氷の中から掘り出されており、その存在は知られていました。18世紀になると、比較解剖学の創始者でもあるフランスのキュビエは、化石のマンモスと現在生きているゾウの骨を比べています。その結果、ゾウの一種であるが、現生種とは違う絶滅した種で「マンモス」と命名しました。1796年のことです。
 マンモスの化石は、シベリアだけでなく世界中から見つかっています。ユーラシア大陸だけでなく、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸にも広く生息していました。アメリカ大陸に生息していたコロンビアマンモスは、大型で短毛で、最後まで生存していたマンモスとして有名です。現在ではマンモスの全種は、絶滅しています。
 多数見つかっているマンモスの化石をよくみると、人と深いかかわりがあることがわかります。
 フランスの洞窟にはマンモスの壁画があり、ドイツの遺跡からはマンモスを描いた石板が発見されています。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されています。そして、アメリカから、マンモスの化石の骨の間から、石の槍の穂先が見つかっています。
 このような遺跡や化石から、昔の人類がマンモスを狩っていたことがわかります。そのため、人類が過度にマンモスを狩猟をしすぎたせいで絶滅したという説があります。しかし、絶滅の原因についても諸説あり、まだわからないことの多い古生物です。
 今回の氷漬けのマンモスが注目されているのは、保存状態が非常によいからです。もし氷河期の終わり(11,500年前ろ)ころの新しい時代に死んだ個体であれば、DNAが保存されている可能性が高くなります。
 今までも氷漬けのマンモスのDNAを抽出されてきましたが、いずれも古いものだったので、DNAが分解されて断片化していました。もし今回のマンモスに完全なDNAが残っていれば、DNAが入っている核を取り出すことができます。この核を現在のゾウの卵細胞のものと入れ替え、うまく発生させることができば、マンモスが復活します。冷凍された細胞からのクローン技術も、かなり進んでいるので、保存のよいDNAが手に入れば、マンモスを蘇らすことができるかもしれないのです。その期待が高まっているのです。
 マンモス復元に一番熱心なのが、日本なのです。冷凍のマンモスが日本の送られてくるのも、復元してくれるのではなかいという期待をもたれているためではないでしょうか。

・事実と原因・
更新世末期の約4万から数千年前にかけて、
マンモスは絶滅しました。
アメリカ合衆国のアリゾナ州から見つかったマンモスの化石から、
石の槍の穂先が見つかっています。
この化石は約1万2千年前のものです。
最後のマンモスは、紀元前1700年頃に、
東シベリアの沖合にある北極海(チュクチ海)上の
ウランゲリ島で狩猟されたという説もあります。
しかしこの絶滅が人間のせいなのか。
それとも氷河期の終わりの温暖化による環境変化なのか。
あるいは、コロンビアマンモスの化石では、
伝染病説が最近の有力な仮説だと考えられています。
マンモスだけでなく、生物の絶滅の原因は、
よく分かっていないものがほとんどです。
絶滅というひとつの事実と多数の原因についての仮説があります。
その謎は、マンモスのように多数の化石があったとしても
なかなか解き明かせないのです。

・講義・
いよいよ今週で大学の講義が終わります。
来週は定期試験期間になります。
それで学生たちは講義から開放されます。
教員は、成績のことがあるのでお盆まで忙しさは続きます。
しかし、今年は、非常勤講師がなくなったのことと
担当の大人数のクラスが4クラスから2クラスに減ったこと
などから比較的に楽になりました。
そのかわり、講義期間中に非常に忙しい思いをしました。
いずれにしても、楽に生きていくことはできないようです。

2007年7月12日木曜日

6_61 石見銀山:世界遺産への登録

 島根県大田市の石見銀山が、オーストラリアのオペラハウスなどと共に、世界遺産として登録されました。今回は、石見銀山にいつて紹介しましょう。

 2007年6月28日、石見銀山が世界遺産に登録されたというニュースが、日本国中を流れました。その報道が驚きをもって伝えられたのは、どんでん返しがあったからです。2007年5月に、イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡会議)より、登録延期という勧告がありました。そのため、だれも予期していない、今回のどんでん返しとなったのです。ですから地元や関係者の喜びも、ひとしおであったことでしょう。
 石見銀山の「石見」が「いわみ」と読むのを知っている人は、このニュースが流れるまで、どれくらいいたでしょうか。私は、地質学を専門としていたので、読みかたはもちろん、この鉱山のことは、ある程度は学んで知っていました。私は、5年ほど島根県の隣の鳥取県に住んでいて、近くまでは何度も行っているのですが、鉱山跡を訪れたことはありませんでした。
 石見銀山は、中新世(2300万~500万年前)に活動した火山岩(石英安山岩類)やその破砕物などからできた地層中に形成された鉱床です。不規則に鎖状に続く多数の濃集部からできている鉱床と、いくつかの鉱脈からなる鉱床の2つのタイプがありました。鉱床は、自然銀、方鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱等の鉱物からできてます。0.02~0.05%の銀が含まれ、地表近くで高い濃度の銀があり、古くから発見され、採取されていました。
 石見銀山は、16世紀前半から20世紀前半にかけて採掘された銀鉱山です。特に16世紀から17世紀の約100年の間には、大量の銀が採掘されました。戦国時代から江戸時代にかけて、軍資金や幕府の財源として使われてきました。
 17世紀初ころ、日本から大量の銀が、中国や朝鮮半島などのアジア諸国、ポルトガルやスペイン、イギリス、オランダなどのヨーロッパへ輸出されました。国際的に流通した日本産の上質の銀を「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれました。ソーマ銀は、日本の石見銀山が語源となっています。石見銀山が佐摩郷にあったことから、そのような名称で呼ばれました。
 17世紀前半には、世界の銀の産出の約3分の1を、日本の銀が占めていました。その日本の銀の主要産地が石見銀山でした。
 17世紀中期から、石見銀山の銀の産出はしだいに減ってきました。18世紀には銅も産出して、鉱山は少し持ち返しましたが、1923年についに長い鉱山の歴史に終わりを告げました。
 石見銀山は、1969にが国指定の史跡となったことから、観光として新たに復活をしました。そして、観光資源の仕上げとして、このたびの世界遺産への登録へとつながるのです。
 世界遺産に登録されている鉱山遺跡として、5つものがすでにあります。
 世界最高地(標高4,070m)の都市であるポトシ(ボリビア:1987年登録)は、1545年に銀山が発見され、石見銀山とともに世界二大銀産地として世界経済に影響を及ぼしました。
 サカテカス歴史地区(メキシコ:1993年登録)は、1546年に銀を発見されから、その後も銀の鉱脈が相次ぎ、鉱山沿いに大きく街が発展したところです。
 古都グアナファトと近隣鉱山群(メキシコ:1988年登録)は、1548年に最初に発見されてから豊富な鉱脈があります。グアナファト市街地にはチュリゲーラ様式の建築物もあります。
 ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー(ドイツ:1992年登録)は、神聖ローマ帝国の経済基盤となった鉱山であり、帝国中心都市でありました。1988年まで1000年以上にわたり、銀や金、鉛を産出しました。
 レロス(ノルウェイ:1980年登録)は、ヨーロッパ最北の銅鉱山で、1644年から1977年まで銅を産出し続けましたが、鉱害による汚染という負の遺産も残しました。
 バンスカ・シュティアヴニツァ(スロバキア:1993年登録)は、銀・銅の採掘・製錬で古くから発展した町で、17世紀から18世紀には優れた冶金技術で欧州各地に輸出しました。
 そして、このたび、6番目の鉱山遺産として、石見銀山が追加されたのです。

・メールより・
このエッセイは、読者でもあるFujさんから頂いた
メールをきっかけに書いたものです。
世界遺産に石見銀山が登録されたニュースは知っていましたが、
それほど気に留めていませんでした。
しかし、よく考えてみると、鉱山とは
まさに地球の営みと、人の営みの接点でもあります。
ですから、このエッセイにも取り上げるべきだと考えました。

・どんでん返し・
この石見銀山のどんでん返しは、いろいろ情報を集めてみると、
次のようないきさつがあったようです。
当初、登録は極めて厳しいと考えられていました。
登録延期という勧告があっても、反論が可能なようで、
勧告に反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送ったそうです。
石見銀山の特徴である「環境に配慮した生産方式」をアピールして、
ユネスコ日本代表の大使や外務省、文化庁、大田市などから、
巻き返しの外交活動が展開されていたようです。
その結果、6月28日、世界遺産委員会の審議により、
満場一致で世界遺産の登録が正式に決定されました。

2007年7月5日木曜日

3_57 エクロジャイト:変わった石1

 今回から、新しいシリーズとして、変わった石のシリーズを始めます。まず最初は、エクロジャイトという珍しい石からです。


 四国には東西に走る石鎚山脈があります。この山脈は、南側にある中央構造線の作用によって盛り上がったものです。
 石鎚山脈の中央部に愛媛県側の新居浜市の山間に別子鉱山があります。別子鉱山は1973年まで採掘され、約280年間に70万トンの銅を産出ました。現在、閉山となり、鉱山に関係したものとして道の駅をかねたマイントピア別子というテーマパーク、温泉施設「ヘルシーランド別子」、「別子銅山記念館」などがあります。
 地質学者には、別子といえば、「エクロジャイト」という岩石が産出することでも知られています。別子鉱山は、西赤石山の山麓にありますが、その3kmほど東に東赤石山があります。「東赤石山のエクロジャイト」として有名です。このエクロジャイトを、東赤石山から流れ出る沢に、拾いにいったことがあります。
 実は、地質学でエクロジャイトというときには、2つの意味があります。
 ひとつは、岩石名としてエクロジャイトです。エクロジャイトとは、大部分がザクロ石(ガーネットとよばれる)と単斜輝石からできている岩石です。このような鉱物の組み合わせを持つ岩石は、地殻の下部やマントルの上部で安定に存在します。東赤石山のエクロジャイトは、もともとはカンラン岩の一種として、マグマだまりで結晶が沈んでできた組織が見つかっています。ですから、もともとは溶けた岩石、つまりマグマからできた火成岩だったのです。
 もうひとつのエクロジャイトの意味は、高温高圧の条件に岩石がおかれたとき、溶けることなく、その条件で安定な別の結晶に変わることがあります。このようにしてできた岩石を変成岩、その条件を変成相といいます。高温高圧の変成相としてエクロジャイト相と呼ばれるものがあります。エクロジャイト相の条件では、ザクロ石と単斜輝石ができます。鉱物の量は数なくても、そのような変成作用できた結晶の組み合わせがあれば、エクロジャイト相の岩石と呼ばれます。
 2つのエクロジャイトは、火成岩か変成岩かの違いがあります。大きな違いですが、火成岩のエクロジャイトも地下深部でできますから、固まった後に変成作用を受けるような場所にあるわけです。ですから、火成岩のエクロジャイトの多くは、変成作用を受けています。
 東赤石山のエクロジャイトも、エクロジャイト相の変成作用を受けています。ただ、最も低い温度で生成されたエクロジャイトとして有名になっています。
 もともとの岩石の成分によっては、変成作用でほとんどがザクロ石と単斜輝石になってしまうことがあります。そのような岩石として、玄武岩や斑れい岩があります。このような岩石は、玄武岩なら海洋地殻として、斑れい岩なら大陸地殻の下部に、たくさんあるのと考えられています。それらがエクロジャイト相の条件にあれば、エクロジャイトはできると考えられます。
 問題は上昇するメカニズムです。別子は、最初にもいいましたように、中央構造線で持ち上げられた山脈があります。そのような激しい大地の営みがあってこそ、深部の岩石が地表に上がってくるのです。
 ザクロ石はマグネシウムの多い紅色(パイロープとよばれています)で、輝石は鮮やかな緑色(オンファス輝石と呼ばれています)からできています。ですから、非常にきれいな色合いの岩石になります。そんなにきれいな石が、大地の深くで形成され、そして大地の神秘を垣間見せてくれるのです。

・別子鉱山・
別子鉱山は、現在の住友グループのもとになる
住友財閥が開発したものです。
住友家は、もともと京都であった銅製錬や
銅細工をする商店からスタートしました。
住友家は、1691年に別子鉱山の採掘権を得て、採掘をはじめました。
そこから派生して、やがて化学、林業、建設、重工、船舶、銀行、商社
などの会社が設立されて、財閥へとなっていきました。
別子鉱山は、住友家のもともとの家業である銅を採掘するための鉱山でした。
残念なが、現在では閉山して、その名残として、
いろいろな観光施設が作られています。

・前期もあと少し・
北海道の夏らしい気候となってきました。
とはいっても、快晴のときでも、すがすがしい天気で、
日影は涼しく快適です。
まあ、朝夕は涼しいですから、窓を閉め切らなければなりません。
学生たちも、昼休みには、芝生の上でねっころがったり、
サッカーやキャッチボールなどをしています。
いかにも大学の、初夏の昼下がりという気分をかもし出しています。
大学の前期の講義も残り少なくなってきました。
前期の定期試験、あるいは夏休みに向けて、
学生も教員もあと少しがんばらなくてはなりませんね。

2007年6月28日木曜日

5_59 冥王星の分類

 2007年6月22日に冥王星が、どのような天体に分類するのかの決着をみました。「準惑星」という分類が正式な日本名と決まりました。

 冥王星が惑星の分類からはずされたことは、多くのメディアでニュースとなり、多くの方がご存知だと思います。これは、2006年夏、プラハで行われた国際天文学連合(IAU)の総会で決定されたものです。そのときのいきさつは、このメールマガジンでも紹介しました。
 IAUの総会で、冥王星は惑星に分類せず、「dwarf planet」という新たな分類になりました。しかし、その和名は正式には決まっておらず、仮に「矮(わい)惑星」という言葉が用いられてきました。これは、あくまでも仮の名称でした。
 日本では、日本学術会議の中の小委員会(太陽系天体の名称等に関する検討小委員会)が設置され検討されてきました。2007年6月22日に、この委員会から最終報告が提出されました。
 冥王星の名称は、学校の教科書にでているため、もし惑星でないとするなら、どう呼ぶかが、早急に答えが求められていました。4月9日に、「準惑星」という和名とともに、「第一報告:国際天文学連合における惑星の定義及び関連事項の取扱いについて」が公表されました。2007年6月21日の「第二報告:新しい太陽系像について-明らかになってきた太陽系の姿-」では、中学校や高校での教育現場での取り扱いに対する説明や、学生向けの解説、図表も用意されました。
 IAUでは、冥王星を惑星からはずすとともに、惑星の定義が正式になされました。惑星とは、「水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の8つである。これらの惑星は、ほぼ同じ面内を運動している」となります。その結果、冥王星は惑星ではない、とされました。
 惑星とは、
・太陽のまわりを回っている
・質量が十分大きいため自己の万有引力で強くまとまり、ほぼ球形(流体力学的平衡の形状)になっている
・その軌道の領域で他の天体を力学的に一掃している
のが、条件となり、現在見つかっている8個に限定されるということです。
 準惑星は、太陽系外縁天体である冥王星とエリス、小惑星帯で最大のケレスの3つとなります(2007年4月現在)。太陽系外縁天体(単に外縁天体と呼んでもいいことになっています)とは、海王星よりも遠方に見つかっている「準惑星」以外の多数の天体のことです。エリスは、10番目の惑星として、この騒動の原因となった天体でした。当時は「2003UB313」と呼ばれていましたが、天体名がつけられました。
 仮の訳である「矮惑星」は、「矮」という言葉の持つニュアンスがよくないため推奨しないとされています。ですから、今後、矮惑星という言葉は消えて、「準惑星」が定着していくのでしょう。
 新しい発見によって、学問体系が整理される時、それが市民や教育にかかわりが深いと、今回のような大きな騒動となります。それも学問の進歩のなのでしょうね。

・夏の調査・
いよいよ6月も終わりとなります。
北海道も夏らしくなってきました。
そろそろ夏休みの計画を考える時期になってきました。
皆さんは、夏の計画は立てられたでしょうか。
私は、8月に秋田から青森の海岸沿いを調査する予定です。
夏の一番暑い時期になり、ねぶた祭りもあり、
道中が混雑も予想されます。
旅館もなかなかとれずに苦労しました。
私の調査も、沖縄、九州、四国ときて、
いよいよ本州へと移ってきました。
当初は、5カ年計画でしたが、もう4年近くたちます。
でも、なかなか終わりそうにありません。
じっくりと味わいながら調査していこうと考えています。

・冥王星型天体・
日本学術会議の中の小委員会では、
太陽系外縁天体でもあり準惑星でもある
エリスや冥王星のような天体を「冥王星型天体」と呼ぶことにしました。
IAUの総会でも、この天体の分類はいろいろ提案されていたのですが、
英語の名称が決まっていませんでした。
それに対して、「冥王星型天体」“plutonian object”という名称を
日本が独自の提案することにしたのです。
これが採択されるといいですね。

2007年6月21日木曜日

6_60 科学と国境:諺・慣用句5

 「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉があります。この言葉は、パスツールが残したものですが、今も活きています。そしてパスツールの挙げた科学的成果も残っています。

 フランスの生物学者ルイ・パスツールは、19世紀を生きた人で、数々の業績を挙げました。なかでも、「白鳥の首」フラスコを用いた実験は有名です。白鳥の首フラスコは、後にパスツール瓶と呼ばれるようになりますが、白鳥の首のように細く長くフラスコの口を伸ばしたものです。このフラスコには、空気は出入りするのですが、チリや微生物が入らないように工夫されたものです。
 この実験以前、生物は、自然発生するものだと考えられていました。生物の自然発生の考えは、キリスト教の影響を受ける前のギリシア時代からあるものでした。近代的科学がはじまった時代でも、自然発生が考えられていました。
 例えば、うじ虫はどこからともなく発生しているように見えます。また、ものが腐るのも、細菌など微生物によってタンパク質などの有機物が分解されていきます。そのような微生物や腐敗にともなう微生物は、栄養源さえあれば、どこからともなくわいてくるようにみえたからです。
 生物の自然発生が本当かどうかを確かめるために、パスツールは白鳥の首フラスコを用いたのです。
 煮沸して殺菌した肉汁を、白鳥の首フラスコ中に放置していても、うじ虫はもちろん、腐敗もしなかったのです。うじ虫が発生したり、腐敗が起こっていたのは、ハエや微生物が空気中から飛んできて、そこで産卵や繁殖したものであることが、この実験によってわかったのです。そして、「生命は、生命から生まれる」という、一見、昔の考えにもどるような状態になりました。
 パスツールは、白鳥の首フラスコでおこなったように、培養の栄養源として液体を使いました。しかし、液体のなかで培養した微生物は、何種類かのものがあると混っていて、分離しにくいものでした。
 パスツールは液体培養でしたが、ドイツのロベルト・コッホは、固体による培養の方法を開発しました。固体であれば、適当に切り分ければ、微生物の種をうまく分けることができます。この点に関しては、コッホが進んでいました。
 パスツールと13歳年下のコッホは、ライバルとして研究を続けていました。パスツールは、低温殺菌法の開発、いくつもの病気のワクチンを発明をしました。一方、コッホは、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などの病原菌を発見しました。コッホの発見した炭疽菌によっておこる炭疽病のワクチンをつくりだしたのは、パスツールでした。このようにコッホが細菌類の発見と分類をし、パスツールは予防接種法を生みだしていくようなりました。二人は、細菌類の研究で競い合ったのです。それが、国境もなく、科学を進めることなったのです。これらの業績から、両者とも「近代細菌学の開祖」と呼ばれています。
 パスツールはスイス国境近くのドールというところで生まれました。パスツールの生きていた時代は、フランスとプロシアが対立していた時でもありました。ですから、科学と国というものを、深く考える境遇にあったのだと思います。そのため、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉が生まれたのでしょう。

・はしか・
札幌の大学でも「はしか」がはやりだしました。
現在のところ、1つの大学だけですが、
隣の大学なので我が大学のいつ発生するかわからない状態です。
しかし、予防的な措置を我が大学ではとっています。
その措置が、ある学生にとって今までの成果を、
結実できないこともあります。
教員としては、悩ましいところです。
幸い我が大学では、発病者はいまのところいません。
ですから、現状のまま続行することもありえるのですが、
予防と安全のための対処がとられます。
私は、学生の半年間の努力を無にするようで
非常につらい思いをしています。
なんとか結実させてあげたいのですが。
私の一存でできることとできないこともあります。
これはできないことなのでしょうね。

・狂犬病・
パスツールは、1885年に狂犬病ワクチンをつくりました。
そのワクチンが2人目に使用されたのが、
ジョセフ・メイスターという子供でした。
メイスターは、後年、パスツール研究所の
守衛をつとめるようになりました。
1940年、ドイツ軍がパリに侵攻したとき、
パスツール研究所も接収されました。
そのときパスツールの墓を暴こうとしたので、
彼は、鍵を渡すことを拒み、
自ら命を絶ったという逸話があります。
パスツールに助けてもらった命を、
最後にはパスツールにささげたのです。

2007年6月14日木曜日

6_59 三上あるいは三前:諺・慣用句4

 新しいアイディアは、思わぬところで浮かぶことがあります。しかし、それは、本当によくあることでしょうか。少なくとも私がアイディアを思いつくのは、デスクに向かっているときとか、野外調査の最中とか、そのことに集中している時に、一番たくさん思いついています。みなさんは、どうでしょうか。

 ものごとを思いつくのは、どのような場所でしょうか。私がいちばん多く思いつくのは、机に向かって「さーって、新しいことを考えよう」と気持ちを向けたときです。私にとって思い付きが必要な時は、たいてい机に向かっているときだからです。
 では、野外で調査をしているときは、どうでしょうか。野外調査をしているときは、一人で石を観察しながら、石に関する思いを、ひたすらめぐらしています。いろいろな石が、どのようにできて、どのような関係があるのか。それらを調べるためには、どこの露頭で、どのような試料を採取していけばいいのか。どのような分析や調べた方をすればいいのか。などなど、研究テーマに関わるもろもろのことばかり考え続けています。
 もちろん、自然の景観を楽しみ、自然の変化を見る余裕もあります。そんな時は、まさに心身ともに、自然の中に没入しています。野外調査は、日常の研究室の暮らしとはかけ離れた、野外科学ならではの特殊性があるのかもしれませんが、私は心が洗われる気がして、楽しんでいます。
 それともう一つよく思いつくのは、議論している時です。あるテーマで研究会や会議、ゼミなどで議論している時、いろいろな考えや意見を聞いて、自分も発言している時、いろいろなアイディアが思いつきます。
 私が考えごとをする場合、研究室の机の前でも、野外調査の石の前、会議室の人の前でも、心からそのテーマにのめりこんだ状態でいるときのようです。
 中国の北宋に、政治家でもあり、詩人、文学者でもあった欧陽修(おうようしゅう 1007年-1072年)という人がいました。彼は、『帰田録』の中で「余平生所作文章多在三上、乃馬上、枕上、厠上。盖惟此尤可属思尓」という一文を記しています。これは、「私はふだん文章を作るところは、馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)の三上でするのが多い。特にものを考えるときは、ほとんどここである」という意味です。
 当時の高官は馬で移動したので、馬上で考えごとをするのが多かったのでしょう。今では乗り物や徒歩でも移動中でしょう。枕上とは、寝ているときですが、寝床の中の寝入りばなのときです。厠上とは、便所で用を足している最中のことです。
 どれも、自分自身に当てはめてみても、そのようなところで考えが浮かんだこともあり、確かに思いあたるところがあります。しかし、どれもなかなか、アイディアをものにできない、あるいは消えてしまう場合が多いように思います。
 三上のような別のことをしているとき、いいアイディアを思いつくというのは、多くの人が経験することでしょう。もちろん、私も経験したことがあります。でも、定常的には、私はそうでありません。多分、多くの人も、三上が多いわけはないと思います。
 私は、研究室のデスクに向かっているときや地質調査をしているとき、ひたすら、そのアイディアを考えています。そして、何とか、アイディアをひねり出していることが大半です。締め切りのあるものは、そのアイディアがいいものであろうと、悪いものであろう、仕上げてしまうわけです。ですから、結果として上手くいく場合も、よくない場合もあります。
 本当はアイディアとは、そのような当たり前の時に生まれることが大部分なのかもしれません。三上のように思わぬところで思いつくというのは、その記憶が強いためかもしれませんね。私の場合は、当たり前ですが、机前(研究室のデスクの前)、石前(野外調査の石の前)、人前(会議室の人の前)の三前が、一番アイディアが浮かぶところです。

・馬上・
馬上は今では、移動中のことですが、
私の日々の通勤は徒歩での移動ですから、
いろいろ考えることができます。
しかし、歩きながら、考えごとをしていても、
それがなかなか覚えていられません。
ICレコーダの使用も考えたのですが、
それを出しているのがもどかしいのです。
現在は、写真を撮ることが
通勤中にすることの一番の仕事となっています。
それにぼんやりと考えていときは、
記録すること、あるいは記憶することすら忘れています。
後で、歩いている時大切なことを思いついたんだけど
それがなんだんったのかがまったく思いだせません。
ほんの数分前のこと
ですから、大半は上に書いたように、
当たり前のところで、私は思いつくのです。

・夏の日差し・
6月になって、北海道は一気に暖かくなりました。
暖かというより、暑くなってきました。
学生もちろんですが、私も、もう半袖になっています。
ほんの1週間ほど前は、朝夕はコートが必要なほどの
涼しさだったのですが、今では、日中は窓を開けっ放しです。
乾燥してすがすがしい風が入りますから、
日影では、なんとか過ごせます。
しかし、太陽の下では、かなりの暑さです。
先日の土曜日は、小学校の運動会で1日外にいました。
もう暑くてたまりませんでした。
私は、少し離れた日影で見ていたのですが、
多くの人は、運動場の炎天下で観覧していました。
さぞかし暑かったろうと思います。
子供たちもぐったりしていました。

2007年6月7日木曜日

3_56 人工石:思い出の石ころ5

 石は自然界で、自然の力によってつくられたものです。しかし人間も似たような条件を再現したら石のようなものができます。今回は、そんな石のようなものの話です。


 不思議な石があります。それは、灰色としていうのですがテカテカした石です。磨いたわけでも、ニスを塗ったわけでもあります。その石の中には、灰色の地の部分に、白い結晶がたくさん見えます。見かけは石に似ています。しかし、自然の石とは違って、見慣れないものです。
 石というのは、もともと自然のものですが、私が持っているこの石は、実は自然のものではありません。人工のものということになります。でも、意図して造られたものではなく、製品とも違います。
 回りくどい言い方をしましたが、これは、焼却炉でゴミを焼いた灰に、ガラスを混ぜてできたものです。焼却灰を固化するために、実験的に行われたものです。しかし、融けた焼却灰を取り出す予定が、出口に詰まってしまったため、実験は失敗に終わりました。そのため、高価な焼却炉が壊れました。
 実験の失敗の原因を究明するために、焼却炉を解体されました。詰まっていたものが取り出されました。それは石のようなものでした。その石がどのようなものかを調べるために、私のところに持ってこられました。鑑定してほしいという依頼でした。
 私は、その石に興味を持ちました。それは、今まで見たこともないものですが、石に見えました。その石を調べれば、どのような経歴を持っているかを知ることができると、その時思ったからです。
 私は石のでき方、そしてそのでき方を調べる方法を知っています。
 その石は、焼却灰にガラスの成分が加えられて、融けてできたものです。融けたものは、マグマとみなすことができます。マグマの成分は、石をそのまま分析すれば知ることができます。石の中にどのような結晶があるかは、顕微鏡を使えばわかります。また、結晶の成分は、分析装置を使えば調べられます。そのような情報があれば、どのような条件でその石ができたかを知ることができます。
 調べると多少の変動はありますが、一般の焼却灰は、ある一定の成分を持っていることがわかりました。そこにガラスの成分を加え、炉をある条件にすると、焼却灰は融けはじめます。その融けた焼却灰がマグマとみなせます。あるスピードで冷やせば、マグマからいくつかの結晶が、条件にしたがって出てきます。その過程は、私が調べてわかりました。
 この成果を、学会で発表しました。しかし、私が属している学会ではそのような研究分野はありません。廃棄物学会というのに急遽入会し、学会発表と論文発表をしました。
 焼却灰も石になれば、コンパクトに、そして安全に処理できます。まして、製品になれば、社会的にも重要な貢献となります。そのような展望も論文には書きました。いいこと尽くめなんですが、その後、その石の話がどう進展したかは、連絡ないのでわかりませんが。
 この研究は、私にとって本業ではなかったのですが、非常に面白い経験でした。まったくタイプの違う学会での発表も楽しみました。そんな経験をさせてくれた石は、今も私のロッカーの中にあります。

・はしか・
6月になりました。
北海道ではいろいろヨサコイ祭りはじまりました。
ただ心配は麻疹です。
ご存知のことと思いますが、
麻疹と書いて「はしか」と読みます。
本州の多数の大学で発生し、休講措置がとられています。
北海道でも、すでに4名の発病者がいるようです。
わが大学でも非常に緊張して、いろいろな告知がされています。
もし大学関係で、3名の発病者がでれば、休講になるようです。
ヨサコイ祭りのように多くの人が日本全国から集まると、
伝染病は広まりやすくなります。
予防接種も今、在庫不足のようです。
今年は素直に祭りを楽しめないようです。

・イベント続き・
ヨサコイ祭りの話をしましたが、
北海道は今行事がいろいろ行われています。
北海道には梅雨がなく、一番いい季節なので、
行事がつぎつぎと行われます。
子供たちの小学校では、今週末に運動会があります。
大学の学部の1年生の体育大会もあります。
学科の子供向けの行事もあります。
隣の大学では、我が家が毎年行っている大学祭があります。
地区のジンギスカンパーティがあります。
子供祭りもあります。
イベント続きで楽しいのですが、
体調だけには注意が必要ですね。

2007年5月31日木曜日

6_58 年々歳々:諺・慣用句3

 地球時間の流れを読んだ詩を知りました。それは実は日本人ならよく知っている「年々歳々」という言葉に込められていました。

 北海道では、桜やツツジは終わりましたが、リンゴや八重桜の花が咲いています。もうじき、ヨサコイ祭りやライラック祭りなどの初夏の行事がはじまります。毎年同じ季節に咲く花をみると、「花相似たり」という言葉を思い浮かべます。
 そして、「花相似たり」の前には「年々歳々」ときます。諺・慣用句ではないのですが、「年々歳々」という言葉をきくと、ついつい「花相似たり」や「人同じからず」という言葉が続いて浮かびます。高校の漢文で習ったものですが、その他の部分は、すっかり忘れていました。「年々歳々 花相似たり」を思い出して、調べてみました。その詩は、実は地球時間を詠ったものでした。
 唐詩選の巻2に劉廷芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代る)」という七言古詩があります。その詩に「年々歳々花相似 歳々年々人不同」という一節があります。
 「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と読みます。「毎年毎年、花は同じように咲く。しかし、毎年毎年、人は変わっていく」という意味です。老人が白髪を悲しんでいることを詠んだ詩です。この詩では、植物は毎年変わることなく花を咲かすのに、人は年々変わり、そして老いてくということをいっています。
 論理的に考えれば、このような比較が必ずしも正しくないことがわかります。まず、比較している対象が、植物の花(桜や桃、松、柏、桑)と動物のヒトを比べています。生物種の違うものを比べて導いた結論が、果たして正しいといえるでしょうか。また、植物とヒトとは、違った時間の流れで一生を送ります。ですから、異質なものを比べて嘆いてもしかたがないはずです。
 どのような種であっても、種一世代で考えれば、植物だって老化し、花は咲くなくなり、枯れて死にます。どのような生物だって、ヒトと同じような老いや死を迎えます。その死の時期やタイプは、生物種によって違ってきますが、死は生物が本来持っている属性であります。死があるからこそ、生が定義できるのです。こう考えると、より普遍的な比較をすれば、共通項が導き出せ、自然の摂理というものいきつきます。
 また、地球に流れる長い時間スケールで見れば、大地は海になり、海に溜まった地層は大地になることだってあります。
 実は、劉廷芝は同じ詩の中で、「已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海」と詠んでいます。「已(すで)に見る松柏の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為るを 更に聞く桑田の変じて海と成るを」という意味です。
 松や柏だって、くだかれて、たきぎとなり、桑の畑だって、海になることもあるのです。植物や大地も、長い時間の流れで見れば、生命として必然としての死、あるいは大地も海へと移ろうのだといっているのです。これは、地球時間で、大地や生物の移り変わりを見ていたのではないでしょうか。
 こう読んでいくと、この詩もなかなか奥深く感じます。まあしかし、詩というものは、その科学的背景をいちいち問うものではなく、感性で読むものでしょうがね。

・代悲白頭翁・
劉廷芝の代悲白頭翁の全文を
(http://www.geocities.jp/sybrma/29ryuuteishinoshi.htmより
引用させていただきます。

洛陽城東桃李花  洛陽城東 桃李の花
飛來飛去落誰家  飛び来たり飛び去つて誰が家にか落つる 
洛陽女兒惜顔色  洛陽の女児は 顔色を惜しみ
行逢落花長歎息  行くゆく落花に逢ひて長歎息す
今年花落顔色改  今年(こんねん)花落ちて顔色改まり
明年花開復誰在  明年花開いて復た誰(たれ)か在る
已見松柏摧爲薪  已(すで)に見る松柏の摧かれて薪(たきぎ)と為るを
更聞桑田變成海  更に聞く桑田の変じて海と成るを 
古人無復洛城東  古人 復た洛城の東に無く
今人還對落花風  今人 還た対す 落花の風
年年歳歳花相似  年年歳歳 花相似たり
歳歳年年人不同  歳歳年年 人同じからず
寄言全盛紅顔子  言(げん)を寄す 全盛の紅顔子
應憐半死白頭翁  応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁
此翁白頭眞可憐  此の翁白頭 真に憐れむべし
伊昔紅顔美少年  伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下(もと)
淸歌妙舞落花前  清歌妙舞す 落花の前
光祿池臺開錦繍  光禄の池台に 錦繍を開き
將軍樓閣畫神仙  将軍の楼閣に 神仙を画(えが)く
一朝臥病無相識  一朝病(やまい)に臥して相(あい)識る無し
三春行樂在誰邊  三春の行楽 誰(た)が辺(ほとり)にか在る
宛轉蛾眉能幾時  宛転たる蛾眉 能く幾時ぞ
須臾鶴髪亂如絲  須臾(しゅゆ)にして 鶴髪乱れて糸の如し
但看古來歌舞地  但(ただ)看る 古来歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲  惟(ただ)黄昏(こうこん)鳥雀の悲しむ有るのみ

自然の摂理を歌ったなかなか含蓄ある詩ですね。

・今年の5月・
北海道は、暖かい日や寒い日が繰り返します。
暖かい日は初夏を思わせ、
寒い日はコートが欲しくなります。
寒い日に半袖のTシャツの学生が寒そうに震えながら、
「こんな天気じゃ風邪をひきそうだ」といってました。
私は、コートを着たり、脱いだりを繰り返しています。
日が出て昼間は暑くても、朝夕は冷え込むことがあります。
今年の5月は、どうも対処の難しい気候でした。

2007年5月24日木曜日

3_55 ストロマトライト:思い出の石ころ4

 私の研究室のロッカーには、板状で縞模様のある石があります。分析装置にかけるために、板状に薄くして、磨いたものです。この石はストロマトライトと呼ばれています。この石にまつわる話をしましょう。


 もうずいぶん前のことになります。1990年夏、私はカナダに調査に行きました。その一番の目的は、博物館の依頼を受けてストロマトライトの採取することでした。当時私は、博物館に勤務する前で、大学の研究所にいました。
 7月15日~8月14日までの長期にわたる調査ですので、私には、別の目的もいくつかありました。しかし、一番の目的は、ストロマトライトと呼ばれる石を博物館に展示するために、大量に採取することでした。
 そもそもストロマトライトとは、どんな石なんでしょうか。私が訪れたカナダのグレートスレイブ湖畔では、ストロマトライト自身が、厚い層をなして、延々と連続していました。ですから、ここにはストロマトライトが、地層として大量にあることになります。
 湖畔の岸では、ストロマトライトの上がよく見える場所があります。そこで見ると、直径40~50センチメートルもあるような丸い形をしたものがぎっしりと集まって面をつくっています。その丸いものの断面が見えるところでは、同心円状のつくりをもつマッシュルーム上の形をしたものであることがわかります。マッシュルームごとの隙間も、石の小さな破片でうめられて、全体が地層となっているのです。非常に不思議な石です。
 ストロマトライトは、英語ではstromatoliteとつづります。1908年にカルコウスキーが名づけた石だとされています。stromatoliteのstromaあるいはstromatは、ラテン語のベッドカバーを意味するものです。そして英語の岩石名につく接尾語のliteをつけたものです。丸いベットカバーのような石という意味でしょうか。
 ストロマトライトは、20世紀にはじめて見つかったわけではなく、古くからこの不思議な石の存在は知られていました。1883年にはホールという地質学者が「クリプトゾーン」と名付けています。
 ストロマトライトは、炭酸塩からできている石です。20億年前ほどの地層から見つかります。その量は大量で、世界各地の同時代の地層から見つかっています。このことから、20億年前ころに大量に形成された堆積岩に一種であることまではわかるのですが、その不思議な石がどうしてきたのか、なにものなのかはわかりませんでした。
 ところが、1960年ごろに、西オーストラリアのシャーク湾のハメリンプールという入り江で、現在も生きているストロマトライトが発見されました。ハメリンプールに、ストロマトライトがあることは、地元の人は知っていたのはずなのですが、この奇妙なマッシュルームのようなものものが、20億年前の地層から見つかるストロマトライトであことに地質学者が気づいたのが1960年代になってからでした。
 その発見によって、20億年前のストロマトライトについて重要なことわかりました。マッシュルームの表面には、シアノバクテリアが群生しています。そのシアノバクテリア自身が、このマッシュルームをつくっているのです。そして、そのシアノバクテリアは光合成をする生物であることです。
 大量のストロマトライトが地層になっているということは、盛んに酸素が形成されたということです。ストロマトライト形成時に酸素が形成されました。それ以前は大量の光合成生物はいませんので、20億年前より以前は地球には酸素がないことになります。20億年前より以降は、光合成生物は進化して、酸素が継続的に形成されてきたことになります。
 ストロマトライトは、地球の酸素形成の歴史を物語る重要な石なのです。

・地球の時間・
ストロマトライトを採取する時は、
博物館の以来を受けて調査チームとして参加しました。
その時、私はある大学の研究所で研究していました。
しかし、その翌年にその博物館に職を移すことになりました。
不思議な縁を感じました。
現在私がもっている資料は、
私が博物館にいたときに、
ストロマトライトのことをより詳しく知るために、
分析に用いたものです。
博物館には大型のストロマトライトの標本があります。
それはマッシュルーム数個分の大きさがあります。
きれいに磨かれた断面のストロマトライトに触れると、
地球の時の流れの雄大を感じます。
もちろん私の小さいの標本からも
地球の悠久の時間を感じることができます。

・日常と快楽・
北海道でも、桜もツツジも終わり、
いよいよ春が深まってきました。
タンポポがいたるところに咲いています。
半袖のTシャツ姿の学生たちを、何人も見かけます。
私もやっとコートを脱ぎました。
ゴールデンウィークがあけると大学も落ち着いてきます。
祝日も7月までなく、講義が順調に進みます。
単調な日々ですが、これが大学の日常です。
でも、多くの人は、変化を求めます。
いや変化というより、快楽のいったほうがいいかもしれません。
北海道は、これからいろいろな祭りがはじまります。
祭りの快楽にあまり気を取られないようにしなければなりませんね。

2007年5月17日木曜日

3_54 縞状鉄鉱層:思い出の石ころ3

 縞模様は、規則的な繰り返しでできます。ですから、その繰り返しがどのようなものであったかを探れば、縞模様から規則を読みとるとができるかもしれません。今回は縞状の鉄鉱石をみてきましょう。


 BIFと呼ばれる石があります。日本人、いや人類なら、いつもこの石の恩恵に与っています。石自体を見たことのある人は、少ないと思います。しかし、石からできたものは、非常に馴染みあります。
 それは鉄です。BIFとは、Banded Iron Formationの頭文字で、日本語では縞状鉄鉱層と呼ばれています。私のロッカーにも、きれいに磨いた板状のBIFがあります。
 石器時代の終わりとともに、鉄器時代がきます。それは5000年ほど前で、文明の発祥と時を同じくします。鉄が文明を支えてきたともいえます。そして現在の科学技術文明も、鉄が重要な役割を果たしいます。鉄ナシの文明など成り立たないでしょう。
 BIFは、大量にあります。現在の鉄は、BIFを精錬してつくっています。ですから、鉄に関しては資源不足になることはしばらくはなさそうです。
 私は、BIFをオーストラリア、カナダ、アメリカ合衆国、グリーンランドなどでみました。グリーンランドを除くと、BIFを露天掘りをしていました。特に印象的だったのは、1998年秋にいった西オーストラリアのハマスレーというところです。このときはBIFを見ることが目的の一つとしていたので、BIFを詳しく野外で観察できました。その時の標本が磨かれて手元にあります。
 ハマスレーでは、BIFを大規模に露天掘りしていて、採掘が終われば、元の状態にするために埋め戻すことまでされていました。近くには国立公園があり、BIFのガケを詳しく見ることができました。
 日本語の縞状鉄鉱層という言葉が示すとおり、縞状の模様をもっています。私の手元の標本も縞模様がきれいに見えます。BIFは、海底で堆積物としてたまってきたものです。BIFでは、鉄の成分の多いところと少ないところが、縞模様をつくっています。
 地球の大気には、もともと酸素がありませんでした。しかし20億年前ごろに光合成をする生物が進化し、海底で大量発生しました。するとそれまで海水中に溶けていた鉄の成分が、酸素ができることによって沈殿をつくります。ですから、世界のBIFの巨大な産地は20億年前ころのものがほとんどです。海水中に鉄がなくなると、酸素が大気中にでてきます。現在も光合成生物が盛んに酸素を作っています。それが酸素の起源であり、現在も量が一定に保たれている理由です。
 縞模様ができるのは、酸素の作られる量に変動があったためだと考えられます。例えば、季節や雨季乾季などの気候変化が繰り返しあれば、光合成生物の繁殖に大きな影響を与えことになるかもしれません。すると、酸素の生産の多いときには鉄の沈殿が多く、酸素の生産が少ない時は鉄の沈殿も少なくなります。このような生物の活動の変化が、縞模様を形成したと考えられます。
 私は、赤いオーストラリアの大地を深く削りこんだ谷のガケに、そんな悠久の時間と生命と地球の関わりを感じました。BIFの標本を見るたびに、ガケの思いが蘇ります。

・BIF・
私のロッカーにあるBIFは、分析をするために、
3cm×10cmの板になっています。
表面は、光るほどきれいに磨かれています。
鉄分の多いところは茶色からこげ茶色や赤褐色になり
少ないところは透明(黒っぽく見える)や白っぽくなっています。
縞は、規則的なところや乱れたところがあります。
しかし、全体としては縞模様が明瞭にみえます。
このBIFは、自然が作り出した造形で、
どこでも似たような縞模様ですが、
詳細に見れば一つとして同じところはありません。
不思議なものです。
手のひらに乗るようなものでも
自然の不思議さを感じることができます。

・実体験・
学生たちが実習の中で、子ども達のために実験を企画しています。
その企画を立て、子ども達を集め、実施するという一連の作業を通じて
地域の子ども達との連携をマネジメントすることを学んできます。
4人の教員がついて、今一緒に企画を考えています。
学生も教員も大変ですが、楽しんでいます。
実験が上手くいかなくって悩んでいる学生もいます。
問題点を何とか解決して成功して大喜びをしている学生もいます。
でも、成功も失敗も、実体験が重要だと思います。
初めてのことは何事も大変ですが、
成し遂げた時の喜びはひとしおです。
そんなことを学生と共に味わいつつあります。
こんな経験の積み重ねが、人間教育になるのだと思います。

2007年5月10日木曜日

6_57 石に漱ぐ:諺・慣用句2

 ことわざ・慣用句のシリーズです。今回は石と川の流れに関する慣用句から漱石を取り上げましょう。さて漱石にはどのような経緯があるのでしょうか。

 夏目漱石を知らない日本人はいないのではないでしょうか。現在では1000円札は野口英世に代わりましたが、1984(昭和59)年11月1日に発行された1000円札にその肖像が描かれている人といえば、顔も思い出すでしょう。若い人は古い1000円札は知らないかもしれません。しかし、もともとは夏目漱石は、小説家で、彼の作品を読んでない人がいても、名前だけでも知っていることと思います。ですから、夏目漱石は日本を代表する小説家といってもいいでしょう。
 夏目漱石は、本名は夏目金之助といいます。ですから、漱石はペンネームです。では、どうして漱石というペンネームを使っているのでしょうか。Wkipediaによると、「漱石」はもともと、親友の正岡子規が使っていたペンネームの一つだったそうです。それを夏目が、正岡子規から譲り受けて使ったそうです。
 では、子規のペンネームは、どこからきているのでしょうか。漱石は「そうせき」と読みますが、もともとは「石で漱(くちすす)ぐ」という慣用句から由来しています。でも、石で口をすすぐという行為は、できないようなことです。
 中国には、隠遁(いんとん)生活を表す言葉として、「石枕流漱」というものがありました。隠遁生活では、「石に枕(まくら)し、流れに漱(くちすす)ぐ)」という言い方をしたようです。もともとは、流れに口をすすぐという言葉だったのです。確かに、川の流れであれば、口をすすぐこともできます。でも、もともとは石枕流漱だから、漱石では、おかしいことになります。
 なぜ、漱石が生まれたのでしょうか。漱石は、もともと、晋書(しんじょ)という本から由来している慣用句です。晋書の中に書かれた話が由来です。
 孫楚(そんそ)という太守がいました。孫楚は、すぐれた才能や文才があり、性格はさわやかでしたが、他人に負けまいとしたり傲慢であったので評判はよくありませんでした。孫楚は隠遁しようと、友人の王済に話をしている時に、隠遁生活を表す言葉として、「石枕流漱」というべきところを、「石漱流枕」と言い間違えたそうです。王済は、孫楚の言い間違いに気づいて「石枕流漱」だと訂正したのですが、負けすぎらいの孫楚は、間違いを認めませんでした。そして、「流れに枕するというのは、汚れた耳を洗うため、石に漱ぐというのは、自分の歯を磨くためだ」といいはりました。
 このような故事から、負け惜しみが強く、自分が誤っていることを屁理屈をこねて、言い逃れることを「漱石枕流」といいます。
 この話は、晋書に載っているものです。晋書とは、中国の正史と呼ばれるもので、正史は次の王朝が前の王朝の時代のものを作成することになっています。晋の国の正史を作成したのは、東晋が滅亡して、200年後の唐の太宗の時代に、房玄齢(ぼうげんれい)らが作成したものです。そのため、歴史書として、不正確な記述が多いとされています。
 さて、石枕流漱などということが実際にできるのでしょうか。以前私が野外調査をしていとき、昼食後疲れたりすると、たまに昼寝をすることがありました。その時、まさに石を枕に川原でねっころがることがありました。そして目が覚めれば、きれいな水で、顔を洗ったり、流れで漱いだりしました。
 これは私が川原でした短時間の昼寝の話です。それを日常とするのは、なかなかつらい生活でしょう。しかし、昔の人たちは、そのままではないでしょうが、それに近い生活をしていたのかもれません。まして隠遁生活ですから、贅沢などすることなく、質素により自然に近い暮らしをしていたことでしょう。
 現代人は、キャンプなどで自然に接する生活をしますが、やはり灯りや調理には、文明の利器を使っているはずです。ですから、石枕流漱は現代人にはなかなか難しいことかもしれませんね。

・故事・
中国の文人たちは、多くの故事に通じていました。
中には、間違って覚えているものあったということです。
実は、孫楚の言い訳も、故事があるらしいのです。
その故事とは次のようなものです。
中国古代の伝説上の人物に許由(きょうゆう)という人がいました。
当時の帝王が堯(ぎょう)といい、
堯が許由に帝位を譲ろうとしているというのを伝え聞いて、
「耳が汚れた」といって、川で耳を洗ったそうです。
堯の父親の巣父(そうほ)が牛に水を飲ませるために、
川に来たところ、堯の話を聞いて、
そんな汚い水を牛に飲ませられないといって、帰ったそうです。
王になるような人は、許由や巣父のように高潔で無欲でなければならない
という故事があるそうです。
そのために孫楚は、「流枕」が「汚れた耳を洗うため」という
言い訳をしたのだと考えられるそうです。
逆に、その故事があったから、
孫楚も間違って覚えてしまったのかもしれません。
流石(さすが)ですね。
ちなみに流石も、石枕流漱から由来しています。

・教養・
諺・慣用句シリーズの2回目です。
中国の文人は、中国の歴史が長いだけに非常に多くの故事があります。
ですから、すぐれた文人の教養は並大抵ではなかったことでしょう。
また、中国の教養を持った、日本の文人たちも
そのような故事に通じていたのでしょう。
ですから中国の故事とは東洋の一般教養というべきものかもしれません。
日本人も、寺子屋時代には、漢文を素読の教科書として習っていました。
ですから、東洋の一般教養をある程度は身につけていたのでしょう。
しかし、私も含めて現代人は東洋の一般教養は非常に少なくなっています。
欧米の教養もさることながら、日本や東洋の教養を身につけていることが、
これからの国際人として重要ではないでしょうか。
英語を読み書きするのも大切ですが、日本語の読み書きをよくし、
慣用句に通じ、その背景にある故事などを知っているほうが
豊かな教養といえるのでなはないでしょうか。
まずは自分や自分の国の風土、自然、歴史を
よく知ることが重要かもしれませんね。
でも、私くらいの年齢になると、手遅れかもしれませんが。

2007年5月3日木曜日

3_53 アカスタ片麻岩:思い出の石ころ2

 思い出の石ころシリーズの2回目は片麻岩という石です。今回紹介する片麻岩は一味違った意味があります。


 1990年7月15日から8月14日まで約1カ月、カナダで地質調査をしました。その主たる目的は、アカスタという地域にでる片麻岩の調査でした。
 1989年の科学雑誌に、カナダ北西準州のアカスタ地域から、39.8億年前の岩石が発見されたという論文が発表されました。それまで地球最古のの岩石は、グリーンランドの38億年前のものだったのですが、その記録を一気に2億年もぬりかえたのです。その直後に、私は、アカスタ地域の片麻岩の調査をすることになりました。
 その新記録樹立には、高精度の最新の分析装置(SHRIMPと呼ばれる微小部分の同位体測定装置)が利用されていました。そして、最古の岩石の発見は、アカスタという地域と分析装置のSHRIMPを、一気に世界的に有名にしました。
 片麻岩とは、縞状の模様があり、その縞模様が曲がりくねっている岩石ものです。かなりの高温高圧の変成作用で片麻状の組織ができます。もとの岩石は、堆積岩のこともあるし、火成岩のこともあります。アカスタの最古の片麻岩は、トーナル岩という火成岩が変成作用を受けたものでした。
 発見者である地質学者たちが、その当時、アカスタでまだ調査をしていたので、彼らのキャンプに合流して、調査をすることになりました。アカスタは、湖がいっぱいある広大な露岩地帯です。大きな湖の中の島にキャンプ地がありました。
 私は、アカスタでいろいろが岩石を探すこと目的としてましたが、やはり一番の目的は、当時最古の片麻岩を調査することです。
 カナダの地質学者たちは、広域を踏査して、必要な試料を採取していくという手法でした。一方、私たち日本の地質学者は、詳細な地質調査をすることを身上としていました。もちろん私も日本的なスタイルで、アカスタ片麻岩を中心に地を這うように調査をしました。
 何日か調査していくと、その地域の岩石の構成がわかってきました。火成岩は、マグマが冷え固まったものです。マグマは地下深部できます。マグマが深部から上がってくる時に、上ですでに固まっている岩石を割って上がってきます。このような関係を貫入といいます。ですから、火成岩を調べれば、貫入関係から、形成時期の前後関係を知ることができます。調査の結果、アカスタ地域の貫入関係をまとめることができました。
 私の調査で、最古の年代を出したトーナル岩が貫入している閃緑岩があり、すべてに貫入されている斑れい岩があることがわかりました。年代決定はされていませんが、最古の片麻岩より古い岩石が2種類もあることが明らかになったのです。
 その後、私は所属が変わったので、その研究を続けることはできませんでしたが、そのマグマの貫入関係だけは論文として記録に残していました。その後、その地を調べていた地質学者たちによって、39.8億年前よりさらに古い40億年前の岩石も発見されました。
 私には、はじめての極北の地域での調査でした。大量の虫、そして雄大な野生、自然に圧倒された調査でした。アカスタのトーナル岩質片麻岩は、そんな思いを思いこさせます。今でも私のコレクションとして棚に収められています。

・違う視点で・
アカスタは、極北地域で道などないところです。
そこに行くには飛行機しかありません。
もちろんそのような人跡未踏地に飛行場などありません。
湖が多数あるので、水上飛行を使えば、どこにでも着水できます。
水上飛行でアカスタのキャンプ地まで行きました。
カナダの地質学者たちは、
専属のヘリコプターとそのパイロットを雇っていました。
彼らは、研究費や調査費をふんだんに持っていますので、
そのような夢のような調査ができるのです。
しかし私は、ヘリコプターで目的地に下ろしてもらって、
帰る時間がきたら、予定の地点に迎えに来てもらっていました。
地を這う日本的な詳細な調査をしました。
その結果、同じものをみていても、違う視点でみれば、
違ったものが見えてくるということが実感できた調査でした。

・連休後半・
ゴールデンウィークの後半がはじまりました。
北海道は連休の間の2日間の平日は、天気が悪く、
後半はどうなるか心配です。
天気を心配していのは、
後半の連休に道南の恵山に登る予定をしているからです。
恵山はまだ蒸気を出している火山です。
以前、近くには行っているのですが、
周囲を詳しく見たことがないので、
恵山とその周辺を見ることが今回の目的です。
家族は、温泉と登山が目的です。
遠いので、2泊3日の予定となります。

2007年4月26日木曜日

1_61 隕石の起源5:最古を求めて(2007.04.26)

 地球最古のものを考えていきます。それは、もちろん地球にあるものです。果たして、真の地球最古のものは、何でしょうか。それは、どれくらい古いものなのでしょうか。

 地球で一番古い「岩石」は、約40億年前にできたものです。カナダの北西準州のアカスタというところから見つかったものです。岩石に「」をつけたのは、岩石というカテゴリーでは最古という意味だったのです。
 実は、地球上で見つかった「もの」(物質という意味)には、もっと古いものがあります。それは、44億0400万年前のジルコンという鉱物です。鉱物は岩石を構成する成分です。このジルコンは、古い時代にできたのですが、その岩石は、風化や浸食でばらばらになり、砂粒となりました。もとの岩石はもうなくなっています。最古のジルコンは、約20億年前の堆積物の中から、砂粒として、いくつか見つかっています。
 地球で最古の「もの」といえば、地質学者であれば、この44億0400万年前のジルコンという鉱物を挙げるでしょう。
 しかし、もっと古いものが地球にはあります。それは、隕石です。隕石には、45億年前にできたものが、たくさん見つかっています。隕石は今でも地球に落ちてきます。ですから、地球のものではないという人もいるかもしれません。
 しかし、地球とは、もともと隕石のような小さな物質が、衝突や合体を繰り返して、その中のたまたま大きくなったものが、選ばれて今の地球になったのです。地球は今も少しずつですが成長を続けていることになります。地球の材料は、45億年前につくられた隕石なのです。
 多くの隕石が45億年前の時代を示しているのは、地球ブレンドという事件があったからです。太陽系の素材は、今の太陽より一つ前の太陽が、超新星爆発をして、飛び散ったものを主な素材にして、周辺にあった他の材料も取り込みながら、原始太陽系ガスができました。
 原始太陽系ガスには、いろいろな物質が混じっていました。それがそのまま隕石のような物質になったら、太陽系周辺に散らばっていた、いろいろな起源の物質が混じっていて、いろいろな年代を示すはずです。しかし、隕石がすべて同じ年代や化学的性質を示すのは、ガスが混じり合う作用があったことを示しています。
 太陽系ができた時、原始の太陽を取り巻く濃いガスが、太陽の熱にあぶられて、非常に高温になります。ガスの中に混じっていた固体物質も気体になってしまい、均質に混じりあってしまいました。それが、地球固有のブレンドとなったのです。その地球ブレンドのガスが冷却して、固体物質が凝縮してきました。その時代が、隕石の年代なのです。
 しかし、よくよく調べるとある種の隕石(炭素質コンドライト)からは、高温にも耐えて固体のまま残った粒子が見つかっています。ダイヤモンドや石墨、炭化珪素などの小さな鉱物です。これらは、地球ブレンドの値を持たず、異質な化学的な性質をもっています。ですから、太陽系における融け残り素材と考えられています。今の太陽系の前の粒子なので、プレソーラーグレインと呼ばれています。
 プレソーラーグレインには、残念ながら、年代を測定できる成分は含まれていません。ですから、太陽系ができたの時代より古いのは、わかっているのですが、いつできたのかは不明です。
 実は、形成年代もわかっていて、もっと古いものがあるのを、ご存知でしょうか。それは、水素原子です。水素原子がどうしてできたかを考えれば、その理由がわかります。
 水素原子は、宇宙が形成された137億年前のビックバンの直後にできた成分です。それが宇宙の大半の成分ともなっています。ヘリウムも同時にできましたが、地球ではそれほど多い成分ではありません。しかし、水素は、水や有機物の素材として、地球にはたくさんあります。隕石にも、もちろん海にも、私たちの体にも、含まれているものです。一番身近な成分である水素が、実は、地球最古のものだったのです。
 でも、ちょっと「考え落ち」のような気がしますが、科学的に考えても、これは筋が通っています。

・トラブル・
先日、講義をしているとき、ノートパソコンでプロジェクターで
プレゼンテーションをしようと思ったら、映像が出ません。
あせりました。
教務の方に来てもらって装置を見てもらいながら、
私は、昨年度まで行っていた板書で講義を始めていました。
今年からプレゼンテーションソフトを用いておこなうようになっていたので、
昨年までと同様に、講義メモ(手持ち用)と講義レジメを用意していました。
結局、プレゼンテーションは利用できませんでした。
板書とレジメだけで、90分の講義をしました。
少し時間が押していましたが、
何とか予定通りの講義をこなすことができました。
私のノートパソコンが壊れたのか心配になったのですが、
確かめたら、その教室のプロジェクターの配線がどうもいかれたようです。
他の先生もプロジェクターを使われているかもしれませんから、
大丈夫だったのか心配ですが、苦情は出てないそうですから、
私が先週その教室を使ったときは問題がなかったのですが、
その後誰もトラブルに合わなかったようです。
ITは便利ですが、何かあったときお手上げになるので、困ってしまいます。
その時のことまで、考えておかなければならないのですかね。

・春・
北海道も春めいてきました。
大学の授業もスタートして落ち着いて
学びができるようになってきました。
外では、いろいろな花が咲き始めています。
桜はまだですが、フキノトウは大きくなり、
日当たりのいいところでは、エゾエンゴサクが咲きはじめています。
ツツジも、つぼみが膨らんでいます。
北海道ではツツジも桜も同じころに咲きます。
今週末からゴールデンウィークとなります。
我が家でも、花と春を味わいに外に出かけましょうか。
そんな気分になる気候となりました。

2007年4月19日木曜日

4_75 銭石:沖縄3

 沖縄の旅の紹介も今回が最後です。最後は、沖縄の砂の中からみつけた不思議な砂粒を紹介しましょう。

 沖縄本島北部、本部半島よりさらに北の西海岸沿いに、塩屋湾があります。大宜味村にある塩屋湾は、入り組んだ形をしていますが、さらに地形を複雑にしているのは、湾の入り口に、宮城島があるためです。
 かつて、西海岸を走る県道58号線は、この湾の海岸線を縫うように走っていました。しかし、現在では、宮城島に2つの橋をかけて、塩屋湾をバイパスしています。宮城島から南側にかかる短い橋は宮城橋、北側かかる塩屋大橋は全長307mもあります。
 この塩屋大橋の宮城島のたもとに、小さいな海岸があります。少しの砂浜があり、岩も顔を出しています。この岩は、黒っぽい色で薄くはげやすいもので、黒色片岩という変成岩からできています。
 私がここを訪れた目的は黒色片岩ではありません。砂でした。砂を採取することもさることながら、砂の中に含まれている不思議な「銭石(ぜにいし)」を見つけることでした。
 銭石とは、直径数mm程度の小さいコイン状のものです。これは、有孔虫の仲間のマルギノポラ(Marginopora)というものの遺骸です。
 有孔虫とは、アメーバーなどの原生動物の一種で、単細胞動物です。単細胞生物ですから、それほど大きなものはなく、小さいものがほとんどです。しかし、銭石のように数mmを越えるものや、時には、パレオジン(古第三紀)の貨幣石と呼ばれる有孔虫には、15cmにものあるものがあります。
 海岸の砂の中にみられる有孔虫は、目で見える大きいものがあるので目をひきます。その中には、おみやげ物で有名な、星砂(バキュロジプシナ)や太陽の砂(カルカリナ)もありますが、銭石と同じ有孔虫の仲間です。
 有孔虫は殻をかぶっており、海を漂って生活するものと、海底で生活するものがあります。銭石などは、海底で生活しています。海底といっても、サンゴや海草などにくっついて生活するものも含まれています。銭石は、殻にあいた小さな穴から透明な偽足を出し、リュウキュウスガモなどの海藻にくっついて移動しながら、えさをとって暮らしています。ですから銭石の生活に適した海草が多い海岸には、銭石が打ち上げられています。宮城島の塩屋大橋のたもともそんなところなのです。
 銭石は、少ししか見つかりませんが、丹念に探せば、変わった形をしているので、子供でも見つけることができます。

・貨幣石・
上のエッセイで15cmもの大きさの貨幣石あるといいました。
貨幣石とは、銭のような形をしたものですが、
非常に大きいものが、世界各地から見つかっています。
貨幣石はたくさん出ることと、生存時期が短いので、
示準化石(時代を示す化石)として利用されています。
フランスでは、パレオジン(古第三紀)を
貨幣石紀と呼ぶほどたくさん出ていたのです。
学名は、ヌンムリテス(Nummulites gizensis)といいます。
学名についているgizensisは、
エジプトのギザのピラミッドから由来しています。
ピラミッドの石材には石灰岩があり、
その中に貨幣石の化石がたくさん含んでいるものがあります。
沖縄の始新世の地層からも貨幣石が見つかっています。

・発見・
砂浜で、我が家の家族も銭石を探しました。
最初の1個は、私が見つけました。
それは小さいものですが、その形の不思議さに家族は驚きました。
自分でも見つけたいと、皆で探し始めました。
小学生の子供たちも、家内も、15分ほど探して、
1個から数個は、見つけることができました。
これくらいの頻度で見つかるのが、
発見の面白さ、珍しさ、でもだれもが手にできる喜び
などを味わうには、いいかもしれませんね。
もちろん一番たくさん見つけたのは、私でしたが。

・画像・
銭石という形の不思議さは、
言葉で聞いてもなかなかわからないかもしれません。
もし、興味がある方は、私がとってきた銭石の写真を
http://terra.sgu.ac.jp/geotravel/2007/Okinawa2007/index.html
に掲載してます。
覗いてみてください。

2007年4月12日木曜日

4_74 カルスト:沖縄2

 沖縄には石灰岩がたくさんあります。そのうち、前回は、新しい時代の石灰岩を紹介しました。今回は、古い時代の石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄本島の北部は、山地が多く、深い森がある地域となっています。「山原」と書いて「やんばる」と読みます。国の天然記念物に指定されている「ヤンバルクイナ」のヤンバルは山原から由来しています。山道を走っていると、道路には「ヤンバルクイナ注意」の看板があります。
 ヤンバルの山には、ごつごつしたものや、こんもりとした山など、不思議な形のものを見かけます。実は、この不思議な形をしたものの多くは、石灰岩からできています。
 この石灰岩は、前回紹介した「琉球石灰岩」と比べると非常に古いものです。時代は、古生代二畳紀から中生代三畳紀にかけてのものです。そのような石灰岩からは、アンモナイトなどの古い時代の化石が見つかっています。
 北部の石灰岩は、古いだけでなく、現在の位置にたどりつくのにも少し変わった履歴をもっています。オリストストロームと呼ばれる大規模な海底地すべりのような仕組みで巨大が石灰岩のブロック、土砂の中に埋まりこんだものです。ですから、石灰岩ができた時代と周りの土砂の形成された時代が違っています。
 このようなオリストストロームという仕組みは、日本列島ではよく見られるもので、付加体と呼ばれる地質構造となっています。
 今回、沖縄本島の最北端にあたる辺戸岬を見下ろす山に行きました。「金剛石林山」と呼ばれるところで、公園として整備されています。ヤンバルの道を、ながながと登った頂上付近にあります。マイクロバスでの送迎があり、バリアフリーのコースもありますので、子供や車椅子などの人も見学することができます。
 公園は、石林と名称にあるように、中国の石林と似たような景観をもっています。石が林立したり、奇岩が多数あったりします。
 実は、オリストストロームに巻き込まれた巨大な石灰岩のブロックが、侵食によってカルスト地形をつくったものです。沖縄の北部の西海岸付近には、このようなオリストストロームが多数ある地質帯なのです。その一つとして金剛石林山があります。
 カルスト地形とは、石灰岩地帯が、雨水によって侵食を受けたものです。琉球石灰岩でも、カルスト地形がありましたが、古い時代の石灰岩地帯でもカルストがあります。
 石灰岩地帯に形成されるカルスト地形は、日本の本州でも多くみらますが、温帯地方の特徴を持ったカルストです、ところが、辺戸では、熱帯のカルストとなっています。熱帯カルストの特徴は、円錐カルストで、こんもりとした山になります。沖縄本島の北部には、このような円錐カルストがよく見られます。それが奇妙な山の正体でした。
 金剛石林山にも、円錐カルストが高い頂きとしてあります。そして、そこから辺戸岬から北の海を見渡すことできます。金剛石林山は、沖縄本島の北端にあたり、熱帯カルストの北限ともなります。コックピットと呼ばれる星型に侵食された深い窪地や、針の塔のようにとがったピナクルなども見られます。
 奇岩の織りなすカルスト地形が、ソテツやガジュマロなどの熱帯植物からなるヤンバルの中にあります。非常に不思議な熱帯の景観を堪能しました。

・金剛石林山・
金剛石林山の金剛とは、非常に硬いことをいいます。
金剛石とは、もっとも硬い結晶であるダイヤモンドのことです。
金剛砂とは、研磨剤に使われるやはり硬いカーボランダムのことです。
石灰岩は、方解石という結晶かできています。
方解石は、実はそれほど硬くはありません。
カッターナイフの刃で、傷つけることができます。
ですから、表現としては「金剛」は、
地質学的には、ちょっといただけませんが、
固有名詞ですので、あまり「堅いこと」をいってもしかたがありません。
金剛石林山の麓のヤンバルには、
とてつもなく大きなガジュマロの木があります。
非常に大きく、枝から地面に降りてきて根になった
気根と呼ばれるものが、多数形成されています。
沖縄では、大きなガジュマロには、ブナガヤー(木の精)が
宿っているといわれています。
本州や北海道ではみられない、不思議な景観の中に立ち、
木の精が存在するような感じを味わいました。

・パワーポイント・
いよいよ学校が本格的に始動しました。
私の講義も、はじまりました。
今年から私はコンピュータのプレゼンテーションソフト(パワーポイント)を
利用してある講義を行うことにしました。
今まで学会や研究会ではパワーポイントは当たり前に使っていましたが、
講義では意識的にレジメと板書だけにおこなっていました。
そして、この度、6年目にしてはじめてパワーポイントを講義に導入します。
それは、今後PCレターを使った講義への伏線でもあります。
PCレターを使うと講義をよりアトラクティブにそして記録できます。
しかし、講義をそのまま公開するのは、なかなか困難です。
なぜなら著作権や個人情報などの配慮すべきことが色々あるからです。
そのために、講義や記録ファイルを見直す必要もあるでしょう。
すると簡便さが薄れていくような気がします。
パワーポイントは多分非常に便利だと思います。
一度使うと多分非常に便利で病み付きになるかもしれません。
まあ、ほどほどに、そして冷静に使っていきましょう。

2007年4月5日木曜日

4_73 鍾乳洞:沖縄1

 2007年3月26日から31日まで沖縄に行きました。3年前にも家族で訪れています。今回の訪問の目的は、沖縄本島の石灰岩をみること、そして付加体の地層を見ることでした。まずは石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄のマリンブルーの海には、サンゴ礁があります。サンゴ礁が陸地に上がり固まると石灰岩になります。ご存知の方もおられるかもしれませんが、沖縄は非常に石灰岩の豊富なところです。石灰岩が織りなす地形がいたるところに見られます。
 沖縄の石灰岩には、いくつかの種類があります。石灰岩としては同じものなのですが、時代が違っています。それは古いものと、新しいものです。
 新しい石灰岩とは、琉球列島に広く分布する「琉球石灰岩」と呼ばれています。更新世(180万年前から1万1500年前)の新しい時代(多分70、80万年前以降)から堆積しはじめたものです。
 琉球列島では、60kmの幅と300kmの長さにわたって、サンゴ礁堆積物が連続的に分布しています。サンゴ礁の大部分は、海底にあり、陸に上がっていませんで。
 琉球列島の島になっている部分だけが、上昇して陸化しました。サンゴ礁に覆われた島の部分は、平坦になっています。もともと平らな面を持っていたのと、侵食に弱い岩石であるためです。沖縄本島の南部のそのような平坦な地帯になっています。
 サンゴ礁が陸に上がりますと、侵食や再沈殿がはじまります。地表のものだけでなく、地下水の面より上にあれば、水が浸透していきます。サンゴ礁は隙間が多く、水が浸透しやすい性質をもともと持っています。ですから、沖縄本島の南部は雨の多い地帯にかかわらず、水不足が問題となっています。
 大気中の二酸化炭素を溶かしこんだ雨水が、石灰岩の中に浸透してくると、石灰岩は溶解していきます。サンゴ礁がそのまま陸化した石灰岩は、非常に解けやすく、洞窟を作りやすくなります。解けた石灰岩は、再沈殿します。このような作用が繰り返し行われると鍾乳洞が形成されます。
 私は、今回、玉泉洞という鍾乳洞を見学しました。新しい時代のサンゴ礁からできている石灰岩なのに、非常に大きく深いものです。鍾乳洞内には、さまざまな形状や成因の沈殿物がみられます。玉泉洞の石灰岩は、上で述べたような原因で、石灰分の沈殿の速度が非常に大きいためです。そのスピードは、コンクリートの上に鍾乳石が成長をはじめているほどでした。
 私にとって、この鍾乳洞で一番印象に残ったのは、多様な鍾乳石の中でも、「槍天井」と呼ばれているところでした。槍天井は、天井から細い本当に槍のように見える鍾乳石が、多数垂れ下がっているところです。誰が数えたのかは知りませんが、槍の数が2万本もあるそうです。
 沖縄島は、現在も変化を続けているところなのです。

・暑い沖縄・
以前沖縄を訪れたのは、2月末から3月上旬でした。
今回は、それより一月遅い3月末でした。
今年は暖冬だったせいでしょうか、
寝る時は蒸し暑くて寝れないほどでした。
まるで梅雨を思わせ気候でした。
晴れた日に、地層を見るために、海岸を半日歩いたのですが、
家族一同真っ赤に日焼けをしてしまいました。
今回の私の目的は、石を見ることでしたが、
家族の目的は、水族館(再訪)とガラス細工やシーサー作成など、
沖縄ならではのものを楽しむことでした。
そして、みんなほぼ目的を達成することができました。

・ミス・
沖縄には25日から6泊7日の予定で出かけるつもりでした。
しかし、空港に向かう途中、チケットを忘れるというミスをしてしまいました。
途中で気づいたのですが、家内がタクシーで自宅にとりにもどったのですが、
寸前のところで間に合いませんでした。
再度チケットを購入する金銭的余裕はありませんので、
どうしようか迷っていました。
子供たちは行きたがっています。
幸いなことに、私が、事前にぎりぎりか遅れるかもしれない
という届けをカウンターに出向いてしていました。
乗り遅れた後、どうにかならないかと
カウンターで、すったもんだの交渉をしました。
担当の人が、何度か偉い人に聞きにいってるうちに、
事前に私が届けていた担当者が見つかりました。
その人がカウンターのチーフだったので、直接交渉できました。
翌日ならチケットを、そのままで、1日短いのですが
追加料金なしに手配できるという扱いにしていただきました。
その日は、自宅にもどったのですが、翌日に無事出発できました。
1日短かったのですが、沖縄の旅行をすることができました。

2007年3月29日木曜日

1_60 隕石の起源4:極地から(2007.03.29)

 南極と隕石はなかなか結びつきません。しかし、南極こそ、隕石のメッカともいうべきところです。そんな南極と隕石の関係を紹介しましょう。

 隕石とは、地球に落ちてきて、誰かが隕石だと認定して初めて隕石になります。だれも、誰も隕石と知らなければ、ただの石ころになってしまいます。
 隕石として、だれでもすぐに見分けられるものに、鉄隕石があります。鉄ですので、重く、金属色をしています。その辺に転がっている石とは、明らかに違いがあります。
 隕石の中に占めている鉄隕石の割合は、数の上では6%程度にしかなりません。ですから、鉄隕石が見つかる確率は非常に小さいものです。もし落ちていたとしても、表面がさびていたりすると、金属色ではないので非常の判別しづらくなっています。
 石の隕石(石質隕石といいます)が、隕石の中では、非常に多くの比率を占めています。しかし、石であることから、地球の石なのか隕石なのかを見分けることが困難となります。
 隕石として一番見つけやすいのは、落ちてくるのが目撃されている場合です。しかし、隕石の落下を目撃することは、非常に稀なことです。地球の7割は海です。3割の陸でも、砂漠や氷原、極地など、人があまり住んでいない地域も広くあります。ですから、人が目撃し、隕石を拾うことができるのは非常の稀なことです。それでも、1000個強の隕石が落下の目撃され、採取されています。
 落下が目撃されていない隕石が、3700個以上も発見されています。まあ、それにしても、5000個に満たない数しか隕石が発見されていないのです。
 ところが、隕石の数は、現在、4万4000個近くあります。それは、人の住んでいないところから、隕石が大量に発見されるようになったためです。
 それは南極からはじまりました。1912年、オーストラリアの人が、南極で最初の隕石を発見しました。その後1961年、ソビエト(当時)が2個の隕石を南極で発見しました。1アメリカ合衆国が962年と1964年にそれぞれ2個と1個と、発見しました。
 1969年には、日本の第10次観測隊が9個の隕石を発見しました。その後、日本の観測隊は、1973年第14次に12個、1974の第15次に663個、197年第16次に308個と、大量の隕石を発見しはじめました。1976年には、日米共同で探索が始まり、11個、1977年には310個、1978には311個と、隕石の発見が相次ぎました。2007年2月17日までに、南極からは総計3万2282個の隕石が発見されています。
 なぜ、南極からこんなにも大量の隕石が発見されるのでしょうか。
 南極の大部分が氷で覆われています。ですから、もしそこに石ころが転がっていれば、非常に目立ちます。氷の大地は、隕石を探すには非常に効率のいいところなのです。
 さらに、氷の大地には、隕石を濃集するメカニズムがあったのです。南極の氷は、ゆっくりとですが、流れて移動しているところがあります。そのような氷の流れには、山脈にぶつかるような流れもあります。そのような場所では、氷が風や乾燥によって、激しく昇華(しょうか、固体から直接気体に変わること)して、減っていきます。
 氷の中には、稀にですが隕石が紛れ込んでいることがあります。隕石は、南極でも非常に稀なものですが、このように氷の移動と昇華によって、隕石を集積するメカニズムが働いていることわかってきました。ですから、そのような場所を見つければ、非常に効率よく隕石を発見することができます。このようなメカニズムは、隕石探査の結果、日本の研究者が見つけ出したものです。
 南極は、どの国の領有権もなく、科学研究のために利用するというと国際的な約束があります。長期間、南極で動き回っているような人は、観測隊員で、隕石があるかもしれないという知識があります。ですから、変な石を見つけたら、まずは、隕石ではないかと疑います。それも隕石を見つける率を高めているはずです。そして、見つけた隕石は、科学に利用するために公開されます。
 南極では、隕石を見つけやすい条件と、見つけられる人、見つけて公開するという理由がそろっているため、多くの隕石が発見されて、人類共通の資産となってきました。
 南極隕石の保有数は、日本が1万6000個以上で、世界で一番となっています。ついで、アメリカ合衆国の1万1000個弱となります。日本は、南極の隕石については、非常に大きな国際貢献をしているのです。

・日本の隕石・
南極には日本も毎年多くの観測隊員が参加して研究しています。
そして時には隕石探査を重要な目的として、研究されたこともありました。
日本隊は、上で述べたようなメカニズムにいち早く気づき、
大量の隕石を収集したのです。
日本の隕石は、国立極地研究所が管理して、国際的に公開されています。
研究者で研究目的であれば、申請をして採択されれば
無料で隕石の提供を受けられます。
また、教育目的として、貸し出しの制度もあります。
このようにして日本の隕石は、国際的に有効利用されています。

・沖縄・
このメールマガジンがお手元に届いてる頃には、
私は、沖縄に調査に来ています。
3年前の2004年にも、一度来ているのですが、
今回は、前回見残した地域を見ることと、
鍾乳洞やカルストなどの石灰岩地帯を見ることが目的です。
これは、私の目的で、家族の目的は、もちろん違います。
海水浴(水遊び)と美ら海水族館です。
6泊7日の間、コンドミニアムタイプのホテルに宿泊します。
自炊しながら、のんびりとしようと考えています。

2007年3月22日木曜日

1_59 隕石の起源3:太陽系の創成を読む(2007.03.22)

 隕石に含まれている特殊な成分から、いろいろな情報が読み取られています。ほんの小さな石ころから、いろいろな情報が読み取られます。その一つに年齢があります。今回は隕石の年齢からわかることを紹介します。

 「放射性核種」というものをご存知でしょうか。放射性同位体とも呼ばれています。放射性とは、物質や元素が、放射能をもっているものを指します。同じ元素でも、放射能を持つものと持たないものがあります。同じ元素でも、原子の質量の違いがあり、放射能を持つものと持たないものを、区別することができます。その質量の違いを区別したものを、核種あるいは同位体と呼んでいます。
 放射能とは、ある核種から、なんらかの粒子、あるいは電磁波を出して、別の核種に変わるという性質です。ひとつ放射性核種を観察していたとすると、いつ別の核種に変るかは、定かではありません。しかし、同じ核種がたくさん集まっていれば、種類によって、その変化する時間は決まっていることがわかっています。
 その変化する時間を利用すれば、その放射性核種を持っている物質ができてから、どれくらい時間が経過したかが測定できます。変化する時間は、半減期(もとの核種が半分になる時間)などによって、示されています。
 核種によって、壊れるスピードがわかっていますから、できて間もないものは、半減期の短い放射性核種を、できてから長い時間たつものは、長い半減期のものを利用すれば、物質ができてからの年齢測定ができます。
 さて、隕石です。隕石にも放射性核種が含まれています。その核種の量の測定から、隕石が形成されてからの経過時間がわかります。ただし、隕石の年齢は、非常に古いために、半減期の長い放射性核種を選んで、測定しなければなりません。
 ほとんどの隕石の年齢は、約45.5億年前というものになっています。測定結果は、非常によい一致をします。隕石の年齢の一致は、太陽系で最初にできた物質が隕石で、固体物質はすべて同時にできたということを示しています。
 しかし、隕石を構成する粒子を、詳しく調べていくと、粒子ごとに形成年齢が若干違っていました。ほんの少しですが、測定誤差以上の違いとして、高温でできる粒子ほど古く、低温の粒子ほど新らしいことがわかってきました。
 このような年齢の違いは、何を意味しているのでしょうか。太陽系ができた当初は、すべての粒子が、気体のガス状になってしまうほど、熱い状態であったということです。これを、原始太陽系ガスと呼んでいます。その後、太陽系全体が冷めてきて、ガスから結晶ができはじめます。熱かったものから冷めてできるのですから、最初に高温で形成される結晶ができ、その後低温でできる結晶が出てきています。
 隕石の構成物のほんの少しの測定値の差から、このような太陽系誕生の物語が読み取られるのです。
 このように隕石を調べれば、太陽系の創成期の様子を探ることができます。隕石が、太陽系のすべての素材となり、集積して天体が形成されたことになります。ですから、隕石から、太陽系の天体の起源を探ることもできるのです。さらに、そのような隕石が今も落ちてくるということは、太陽系の創成時代のまま現在まで保存されている場として。小惑星帯があることがわかります。
 隕石は、太陽系の起源を知っている証人なのです。

・隕石不足・
隕石は、小さなひとかけらでも、非常に重要な意味を持ちます。
そして、読む側の能力さえがあれば、同じ隕石からでも、
いろいろな情報を読み取ることができます。
例えば、宇宙空間で形成される放射性核種で、
非常に半減期の短いものがあります。
そのような核種は、隕石が地球に落下してすぐに
測定しなければ、少なくて測定できなくなってしまいます。
しかし、その核種がなくなっても、
今度は半減期の長い核種を利用して
別の情報を読み取ることができます。
多数の核種があるために、一つの隕石からも
いろいろな情報を読み取ることができるのです。
ただ、問題は、多くの分析では、隕石を砕いたり、
溶かしてしまうことです。
そうなれば、その隕石から、他の情報を読み取ることはできません。
しかし、隕石は、今も落ちてきますし、
今まで探さなかったところから、大量に見つかったりもしています。
ですから、とりあえずは、隕石が不足するということはないはずです。
不足するころには、小惑星帯での探査や試料回収などが
行われているかもしれませんね。

・卒業・
現在、卒業式があちこちで行われています。
次男の幼稚園は15日に、長男の小学校は18日に、
私の大学は23日に行われます。
そして、今週で小・中・高校も終業となります。
いよいよ区切りの季節となりました。
新たな場、環境に向けて、多くの人たちが旅立ちます。
残っている人も、新しい人たちを迎えることになります。
そんな4月には、桜が似合います。
でも、北海道の4月はまだ春浅く、
桜は新天地になれたころとなります。

2007年3月15日木曜日

1_58 隕石の起源2:ふるさと(2007.03.15)

 隕石は、どこかでできて、地球に落ちてきたのです。隕石のふるさとを見つける方法を紹介しましょう。

 隕石は、空から降ってきます。しかし、空から降ってくるといっても、空の大気中で、生まれるわけではありません。空よりもっと上の太陽系のどこかで生まれ、そして何らかの理由の地球に落ちてくるのです。それは、いったいどこでしょう。隕石のふるさとを探っていきましょう。
 隕石のふるさとは、どのように調べる前に、まず、太陽系の天体について考えていきましょう。太陽系にある天体は、すべて運動しています。その運動は、自転だけでなく、太陽か、あるいはいずれかの母星の周りを回転する公転もあります。普通、公転は、円ではなく、楕円となります。円も楕円の一種とみなせます。この公転には、楕円軌道がひどくつぶれていてるものも多数あります。
 太陽をめぐるつぶれた公転軌道で、地球より内側まで入り込む天体があれば、長い時間のうちに、地球と軌道が交差することもあります。軌道が交差するということは、衝突を意味します。地球と比べて、その天体が極めて小さい場合が、隕石の落下という現象になります。
 現在の天文学では、運動する天体は、いくつかのデータがあれば、その軌道を計算によって正確に求めることができます。そのためには、少なくとも3回の観測が必要です。正確に軌道を求めるには、ある程度時間をおいた観測が必要です。短期間での3回の観測では誤差が大きくなります。あるいは、短時間であっても、3ヶ所で観測すれば、誤算は大きくなりますが、軌道を求めることができます。
 この軌道計算の手法を隕石に用いれば、隕石がどのような軌道を持っていたかを決めることができます。ただし、これは、理想で、現実には非常に難しいのです。
 なぜなら、隕石は、いつ、どこに、落ちてくる来るかがわかりません。他の天体の観測のとき、たまたま見つかることもあります。しかし、それは落ちてくる時ですから、再度観測をすることができません。また、他の地点で同じ隕石を観測していることは、ほとんどありません。ですから、隕石の軌道を求めるのは、実は、非常に困難なのです。
 現在まである程度正確に隕石の軌道が求められたものは、数えるほどしかありません。ダージャラ、イニスフリー、ロストシティ、プリフラム、ピークスキル、テイギッシュの6個だけです。それぞれ、いくつかのよい条件を満たしていたため軌道を求めることができました。
 テイギッシュは、2000年1月18日の明け方、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の北西部に落下しました。落下の時の光はアメリカの軍事衛星で検出され、大勢の人も見ました。そして、隕石の落ちた後にできた雲が24枚も撮影され、5つのビデオの撮影もありました。このような幸運によって得られたデータから、軌道が計算されました。
 6つの軌道は、いずれも地球より内側を回る軌道なのですが、外側は小惑星帯にあります。ですから、他の隕石も、小惑星帯から由来したのではないかと考えられています。
 小惑星帯には、大小さまざまな小天体が、いろいろな軌道や周期で移動しています。その中には、衝突やニアミスをして、軌道を乱された小天体があったはずです。軌道を変えて、太陽の方に向かうと、ゆがんだ軌道となります。そのような小天体が、あるとき地球と交差したのが、隕石だというわけです。
 隕石と似たような構成物からできた小天体が、小惑星帯には発見されています。ですから、隕石のふるさととして、小惑星帯が有力な候補となっています。

・ピークスキル・
ピークスキル隕石は、1992年10月9日に、
アメリカ合衆国のニューヨークに落ちたものです。
都会に、夕方に落ちてきたものなので、多くの目撃者がいました。
ビデオでとらえた人が少なくとも14人もいたそうです。
大リーグのスタジアムでビデオをとっているとき、
隕石の落下にきづいて、録画した人もいます。
このような豊富なデータからピークスキルの軌道は求められました。
その隕石の一つが駐車してあった車に追突して壊しました。
この車と隕石が日本でも展示即売に出されていましたが、
どうなったでしょうか。
私は、その結果を知りません。

・吹雪・
13日、北海道は、大荒れの天気となりました。
風と雪で、ひどい吹雪となりました。
あちこちに吹き溜まりができて、私は、朝、長靴できたのですが、
靴下が濡れてしまったほどです。
今年は、春が早く来そうだと思っていましたが、
そうは、なかなかいかないようです。
しかし、気温はそれほど低くなく、天気さえ回復すれば、
やはりすぐに融けてしまいそうです。
北国の春は、もう少し先でしょうか。

2007年3月8日木曜日

1_57 隕石の起源1:言葉の意味(2007.03.08)

 隕石という言葉を何気なく使っていますが、隕石の言葉の意味を知っている人は少ないと思います。隕石の意味を探っていきましょう。

 隕石の落下は、稀な出来事です。でも、人の住んでいるところに落ちれば非常に目立つ大事件となります。これは、洋の東西を問わずいえることです。
 隕石は英語で、meteorite(メテオライト)といいます。meteoriteは1824年にはじめて、「流星」あるいは「流れ星」(meteoroid、あるいはmeteorといいます)の同義語として使われました。やがて、落ちてきた流星として「隕石」の意味にも使われるようになりました。流星を表す語であるmeteorは、ギリシア語の「空中のもの」という意味のmeteorosから由来しています。ですから、西洋では隕石は、流星が落ちてきたという意味から由来しています。
 西洋において、隕石落下の記述は、それほど古いものはありません。旧約聖書に書かれているものに、戦い時「主は天から彼らの上に大石を降らし、(中略)多くの人々が死んだ」という記述が「ヨシュア記」10章にあります。これは、大きな隕石が落ちて、戦場に落ちて被害を与えたことを意味しているのかもしれません。しかし、史実かどうかは定かではありません。
 中国には、確実な史実をたくさん用いて経義を説いている「春秋左氏伝」というものがあります。その史実の中に、「隕星」(いんせい)と呼ばれている隕石が登場します。
 「春秋左氏伝」とは、春秋時代(紀元前500年頃)に書かれたものが、前漢末(紀元元年頃)にまとめられたものです。日本にも古くから伝わり、奈良時代(757年)の基本法令として、大宝律令に続く養老律令が定められました。その養老律令の中で、「春秋左氏伝」は大経の一つとされていました。ですから、東洋では、隕石という存在は、非常に古くから知られ、隕石が起こした事件も、史実として記録されてきたのです。
 現在では、隕石という言葉は、誰もが耳に、その意味するところを知っています。しかし、「隕」という漢字は、隕石という言葉以外で、目にすることはほとんどありません。ですから、「隕」という漢字に、訓読みがあることや、その読み方を知っている人は、ほとんどいないでしょう。
 「漢字源」によりますと、「隕」の訓読みでは、「おちる」と「おとす」と読みます。「隕」とは、「ぽとんところげおちる」とか「こぼれおちる」という意味です。「隕石」とは、漢字の意味を理解すれば、「ぽとんところげおちてきたも石」という意味だとすぐに分かります。隕石を表現するものとして、素晴らしい命名ではないでしょうか。
 隕石が落ちれば大事件ですが、その事件の記録と共に、事件の元となった隕石が保管さていることは非常に稀です。日本は、国土が狭いため、落下した隕石の数はそれほど多くないのですが、神社やお寺などに記録と共に保管されていることがあります。現在、隕石と認定されているものは、50個ほどあります。
 日本の「続日本紀」に、764年(天平宝字8年)9月18日に「是夜有星、落于押勝臥屋之上」という記述があります。これは、恵美押勝の乱の頃「夜、押勝の臥屋に星が落ちた」という意味です。これは日本最古の隕石の記録となっていますが、その隕石は残されていません。
 福岡県直方市に861年5月19日(貞観3年4月7日)に落下した隕石は、その記録が残され、なおかつ隕石自体も須賀神社に保存されていました。直方隕石と呼ばれていて、472gの重さのものです。これは、記録のあるものとしては、世界最古の隕石となります。
 直方隕石が見つかるまで、世界最古の隕石(127kg)は、1492年11月7日にアルザスのエンシスハイム(Ensisheim)に落下したものでしたから、一気に600年以上も記録を塗り替えたのです。

・隕石の起源シリーズ・
今回から隕石の起源シリーズをはじめます。
以前にもシリーズではないのですが、
「地球の歴史」の項では隕石を何度か扱ってきました。
しかし、今回は隕石の起源にまつわる話を、
いろいろしていこうと考えています。
お楽しみ。

・同義反復・
本文でも述べましたが、隕石の「隕」とは「おちる」という意味ですから、
「隕石の落下」は「馬から落馬」と同じような使い方です。
つまり同義反復です。
現在では、隕石は岩石のタイプを示す名称となっていますから、
今では、「隕石の落下」という言葉は普通に使われます。
しかし、もとを正せば、「隕」という文字が、
日常的には隕石にしか使われないため、
その意味が忘れ去られたためかもしれません。
ですから、誰も同義反復であることに気づかないのかもしれませんね。

・暖冬・
3月の声を聞いてから、北海道は一気に雪解けが始まりました。
今年は全国的に暖冬ですが、北海道も雪が少なく、
除雪費用もあちこちの市町村で余っているようです。
しかし、財政の再建を多くの自治体では取り組んでいるので、
残った除雪には翌年の一般財政に組み込まれるのでしょうか。
本当は、昨年のようにドカ雪のようなときに備えて、
繰り越せればいいのですが、
単年度会計を基本とする自治体では難しいのでしょうか。

2007年3月1日木曜日

6_56 情報収集衛星

 先日のニュースで、H-IIAロケットによって情報収集衛星の打ち上げが成功したということが報じられました。今回はこの情報収集衛星について紹介しましょう。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2007年2月24日13時41分に、種子島宇宙センターからH-IIAロケット12号機を打ち上げ、情報収集衛星2機を分離したことを確認した、というプレス発表をしました。
 この記事をみて、「情報収集衛星て何」という疑問を感じた人もおられたかもしれません。JAXAのホームページを見ても、情報収集衛星についての詳しい情報は見つかりません。日本の安全保障に関わることなので、詳細な情報は公開されていないようです。
 しかし、インターネットを検索すると、この衛星についての情報はいろいろ見つけることができます。それらを頼りに、今回の衛星について紹介しましょう。
 情報収集衛星とは、偵察衛星ことです。日本の安全を守るために、宇宙から、他国を偵察するためのものです。
 他国とは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を強く意識しています。そもそもの発端は、1998年8月31日に北朝鮮のミサイル発射実験でした。このテポドン1号と呼ばれているミサイルは、事前通告なしに日本上空を通過しました。
 北朝鮮は人工衛星の打ち上げだといっていましたが、日本としては不意打ちを受けたことになります。ですから、日本の安全を守るために、この事件をきっかけに、日本独自の偵察衛星を打ち上げる計画が自民党から提案され、1998年11月には早くも情報収集衛星のプロジェクトが決定して、総額で約2,500億円の予算が計上されました。
 この偵察衛星は、法令上「我が国の安全の確保、大規模災害への対応その他の内閣の重要政策に関する画像情報の収集を目的とする人工衛星」(内閣官房組織令第4条の2第2項)と定義されています。ですから偵察衛星ではなく、情報収集衛星と公式には呼ばれています。
 情報収集は、光学センサーを搭載して画像を撮影する光学衛星と合成開口レーダーによる画像(夜間や雲があっても撮影可能)を撮影するレーダー衛星の2機がペアとなり、2組、4機で運用されていくものです。4機体制になると、地球上のすべての地点で毎日1回は観測可能となります。
 2003年3月28日に最初の2機(レーダー1号機および光学1号)が同時に打ち上げられました。2003年11月29日に次の2機を打ち上げられましたが、失敗しました。2006年9月11日には光学2号機が、そして今回2007年2月24日にレーダー2号機および光学3号機実証衛星が打ち上げられました。今回の衛星が正式に運用されれば、4機体制が整うことになります。
 光学衛星の解像度は公称1mとされています。しかし、現状の仕様では、どうもこの性能を達成することは容易ではないといわれています。最大分解能を40cmを持つとされる光学3号機は2009年に、レーダー3号機は2011年に打ち上げられる予定となっています。
 2006年7月5日の北朝鮮のミサイル発射実験、2006年10月9日の北朝鮮の地下核実験に対して、この偵察衛星は、それなりの効果があったようです。しかし、当初の計画通りの偵察活動として、それらの実験が検知できたか、対処はどうしたのかなどの内容について、やはり国家機密なので発表はありませんでした。ですから、国民は、この衛星の本当の実力を知ることはできないのです。
 いつまで待っても世界の平和はなかなか来ません。世界が平和でないために、国家の安全のために多くの労力と費用をつぎ込まなければなりません。国対国の争いがなければ、国民の安全のためにもっと労力も費用も使えるのにと思うのは、私だけでしょうか。

・昼間の時間・
いよいよ3月です。
北海道は今年は暖冬でしたが、
でも3月になると春めいてきました。
もちろん雪も降りますし、寒い日もあります。
しかし、季節は春に向かっています。
日の出は早くなり、日の入りは遅くなりました。
昼の時間が長くなったのを感じます。
特に朝6時頃自宅を出て、5時頃大学を出る私にとって
日の出、日の入りは身近なものなのです。

・新研究プロジェクト・
私は、新しい研究プロジェクトとして
地層を丸ごと記載するシステムを開発しようと考えています。
ある会社が開発したハードウェアとソフトウェアに
触発されて思いついたプロジェクトです。
その会社のソフトは以前学会で見たことがあるもので、
社長さんともその時いろいろお話したことがありました。
最近その会社のホームページを見たところ
新しいソフトができ、新しいハードウェアも開発されていました。
私はそれらに興味を持って連絡を取っていたら、
社長さんがわざわざ研究室まで来られることになりました。
そして半日に渡って、社長さんといろいろ話をすることができました。
私はそのハードとソフトを何とか研究費で購入して
新しい利用法を開発しようと考えるようになりました。
それが今回の研究プロジェクトです。
社長さんは、費用などいくらでもいいといわれましたが、
私は、研究に使いたいので正規料金を払うことにしています。
ユーザーとしていろいろ仕様を変更して欲しい点がありましたので、
その改良をお願いすることにしました。
その改良が実現できるかどうかは分かりませんが、
努力するという返事はいただきました。
あとは私の研究費の申請が通るかどうかが問題ですが。
こればかりは、私の努力だけではいかんともしようがありません。

2007年2月22日木曜日

6_55 天災は忘れたころにくる:諺・慣用句1

 「天災は忘れたころにくる」という有名な警句があります。今回は、この警句について考えていきます。

 「天災は忘れたころにくる」という警句は、誰もが聞いたことがあるはずです。これは、寺田寅彦がいったといわれていますが、彼が書いた文章の中には見つかっていません。ですから、現在のところ、彼がいったものだという証拠はありません。
 1923年(大正12)9月1日11時58分に伊豆大島付近から相模湾にかけて発生した関東地震は、マグニチュード7.9の強烈なものでした。この地震は、関東地方に大きな被害をもたらし、関東大震災と呼ばれています。
 同クラスの地震が、今後、起こると予想されています。例えば、マグニチュード7クラスの神奈川県西部地震には、過去の歴史から73年±0.9年の周期があり、マグニチュード8クラスの東海地震には100年~150年の周期があります。経験的で科学的に根拠は少ないのですが、次回の地震が起こりそうな時期が計算できます。
 次回の神奈川県西部の地震発生は、統計によれば1998.4±3.1年となり、その時期はもう10年近く過ぎています。また、前回の東海地震は1854年に起こった安政東海地震で、すでに144年が経過しています。いずれも、いつ起こってもおかしくない時期ではありません。一方が起これば、それを景気に他方も起こることもありえます。
 1923年の関東地震が起こった当時、寺田寅彦は東京帝国大学の教授でした。同大の地震学の今村明恒教授とともに、震災の調査をおこなっています。その今村が書いた『地震の国』(1929年)の中で「故寺田寅彦博士が、大正の関東大震災後、何かの雑誌に書いた警句であったと記憶している」と述べています。これが、寺田寅彦のいったのいう根拠となっていますが、該当する雑誌は見つかっていません。
 以上が、寺田寅彦が「天災は忘れたころにくる」といったとされている経緯ですが、その警句をそのまま使ったかどうかは、今となっては定かではありません。しかし、寺田寅彦が、類似の警告を発していることは、多くの文書からわかっています。
 人間からすると非常に長いスパンで起こる巨大地震のようなものは、なかなか対処も難しいものです。いくつ来るかわらなかいものに、人間は常に注意を払うことはできません。それに、地震という自然現象をとめることはできません。しかし、その自然現象で起こる災害は小さくすることができます。
 それを寺田寅彦は、1948年の「災難雑考」の中で「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである」と述べています。
 しかし、1931年の「時事雑感(地震国防)」の中では、「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する」ともの述べています。もちろん注意を呼びかけているものでしょうが、もしかするとこれは、真理かもしれませんね。

・諺シリーズ・
地質や自然現象に関する諺や警句、格言などを探そうと考えています。
見つかったらそれを題材にする諺シリーズとしたいと考えています。
しかし、なかなか題材が集まらず、とりあえず、
今回の「天災は忘れたころにくる」を取り上げました。
継続できるかどうか分からないのですが、
不定期ですが、気にかけていこうと思います。

・まるごとデジタル記録・
現在、「地層をまるごとデジタル記録するシステム」を考えています。
このシステムの開発は、既存の技術を組み合わせていくことになります。
従来、数が多すぎるために、間引かれて記録されていたものを
間引くことなく、全データを記録していこうと考えています。
そして詳細で膨大な記録と定量化から、
今まで見えてこなかったこと、今まで見過ごしてきたこと、
例えば、時間変遷などを読み取るための手法を開発することを目的とします。
デジタル記録するものは、地層の構造、走向・傾斜、
デジタル画像から層厚、粒形、粒度、色などを読みとる仕組みです。
デジタル画像から読み取るために
撮影カメラのとり方やジグが必要となるでしょう。
それも同時に考えていくことになります。
さてさて上手くいくのでしょうか。今思案中です。