2001年12月27日木曜日

5_13 宇宙とは

 宇宙とは、一体どこまでを指す言葉なのでしょうか。その実態は、私たちは正確に把握しているのでしょうか。宇宙とは何かについて、そのもともとの定義について、考えていきましょう。

 天文学事典によれば、「すべての天体を含む全空間」とあります。天文学の対象としている天体を含む場として、宇宙が規定されています。
 理化学事典によれば、宇宙とは、「存在する限りの全空間、全時間およびそこに含まれている物質、エネルギーをいう」とあります。つまり、物理や化学が対象とする、全空間、全時間、全物質、全エネルギーを、すべて含んでいるものが、宇宙なのです。
 一方、日常語としては、広辞苑によれば、「世間または天地の間。万物を包容する空間」とあります。つまり、この世に存在するありとあらゆるものが、宇宙には含まれます。あるいは「森羅万象」ともいわれています。「森羅万象」、素晴らしい言葉ではないでしょうか。もちろん、私たちが、まだ知りえない事柄も、宇宙には含まれます。
 日本語の宇宙は、西洋では、英語ではcosmosとuniverseが使われ、フランス語ではunivers、ドイツ語では、KosmosとUniversumが使われます。つまり、西洋では、英語でいうcosmosとuniverseの2つが、宇宙として使われているのです。
 cosmosの語源は、ギリシア語の「秩序と調和の現れとしての完全体系」を意味するものです。命名者はアルキメデスという説があるようですが、定かではありません。ギリシア時代の象徴である秩序、調和、美しさというような、人間にとって意味のある価値観が、cosmosという言葉には含まれています。cosmosの反対語は、chaos(混沌(こんとん))という言葉です。
 もう一つのuniverseとは、ラテン語が語源で、"uni"は「単一(one, single)」という意味の連結形で、"verse"はラテン語の「(turn)」という意味の単語の複合語です。統一や普遍の意味こめられています。
 西洋でできた言葉であるcosmosもuniverseも、現在の宇宙の意味とは少し違っています。
 日本の宇宙という言葉は、中国(過去の中国大陸の国名は、不適切だとは思いながらここではすべて中国と呼びます)から来たものです。宇宙という言葉は、紀元前2世紀(前漢時代)、淮南子(えなんじ)によって書かれた「斉俗訓」の中に、「往古来今謂之宙、天地四方上下謂之宇」という一文があり、それを宇宙という言葉の始まりとしているようです。日本語に読み下しますと、「往古来今これ宙という、天地四方上下これ宇という」となります。つまり、宇とは時間、宙とは空間を意味するということです。「淮南子」は奈良時代に日本に伝えられていますので、日本人も8世紀には、宇宙という言葉を知っていたわけです。
 西洋のcosmosとuniverseには、空間の意味も時間の意味はありませんでした。でも、淮南子の「宇宙」という言葉には、空間と時間を網羅した意味を持っていました。特に、時間をも宇宙の定義の中に取り込んだのは、見事でした。そして漢字文化圏で使われている「宇宙」という言葉は、現在使われている宇宙という意味に一番近い言葉です。それを2000年以上前から使っていたのです。
 昔の中国人の考えた言葉が、現在の科学に通用するものであったとは、素晴らしいではないですか! 近代科学の源流は、すべて西洋にありと思うのは、大きな間違いです。東洋人の、あるいは中国人の考えたことにも、素晴らしいものがたくさんあります。そして、もしかするとそこにこそ、新しい科学の真理が垣間見れるかもしれません。

2001年12月20日木曜日

3_17 核

 地球の中心部。そこには、核(かく)と呼ばれる層があります。核は、まさに地球の芯にあたります。地球の各層について、今まで、その概要を述べてきました。今回がとうとう最後の層となりました。では、その地球の最深部を覗いてみましょう。


 核は、金属の鉄からできています。鉄は、岩石より密度が大きい物質です。だから、地球の一番深部にあるのです。つまり、核でも、地球の層構造の原則、重いものは下、にしたがっているのです。
 核を構成している鉄は、金属のままで、酸化されていません。つまり、核には酸素がないのです。地殻やマントルを構成する岩石にも、鉄が含まれています。でも、岩石内の鉄は、多くが酸化物となっています。酸化物でなくても軽い元素と結びついて酸化状態になっています。ですから、比重の大きな鉄が、地表やマントルに留まっていられるのです。
 さて、鉄でできている核は、地震波で見ると、2層に分かれていることがわかります。核の外側(外核)は、溶けた鉄からできています。内側(内核)は固体の鉄からできています。成分は同じなのですが、相としては全く違うものです。このような固相と液相の違いがあることによって、現在の地球の境界と地球の歴史に影響を与えています。
 液体の鉄は、地球の自転に伴って動きます。金属鉄の流動によって、電流が生じると考えられています。電流が生じると、そこには磁場が発生します。つまり、地球が巨大な発電機となり、発電機は電磁石の作用をするのです。その結果、地球全体が、磁場を持ち、巨大な磁石として振舞います。それが、地球磁場となり、方位磁石(コンパス)が北を指す理由とされています。このような考え方を、地球ダイナモ理論と呼んでいます。
 地球の形成直後は、高温であったと考えられています。現在は、だいぶ冷めていますが、火山活動がおこるということは、地球内部にはまだまだ熱を持っていることを意味します。そのような地球内部の熱源として、核は重要な働きをしていると考えられています。
 一般に液体から結晶ができると熱(潜熱といいます)の放出がおこります。核では、液体の鉄が結晶化することによって、熱が放出されています。その熱は外に向かって、つまりマントルに向かって放出されます。外核の固体化はゆっくりですが、進んでいるのです。外核で形成された鉄の結晶は、まるで雪のように内核の表面に向かって降っています。そして、雪だるまが成長するように、内核が成長していきます。
 熱をもらったマントルは、暖められます。暖まったマントル物質は、周りの暖まってないマントル物質より、比重が軽くなります。そして、あるとき暖まったマントル物質が上昇を始めます。上昇して抜けた場所には、上部から冷たいマントル物質が降りてきます。このような大きな物質の移動が、数1000万年から2億年くらいのサイクルで起こってきたと考えられています。このようはメカニズムをプルームテクトニクスと呼んでいます。
 プルームテクトニクスは、上部マントルの上の方や地殻では、プレートテクトニクスを生みます。そして、火山が発生したり、山脈が形成されたり、大陸が移動したりという現象を生みます。層と層は相互作用をもっています。層には相があり、それぞれの違いがまた、相互作用を生みます。

2001年12月13日木曜日

3_16 マントル

 よくある例えですが、卵を固体地球に例(たと)えると、地殻は卵の殻にあたり、白身がマントルに当たり、黄身が核(コア)に当たります。白身のマントルと黄身の核は、成分が全く違います。成分でいえば、マントルは地殻に似ています。でも、よくよく見ると、マントルと地殻も違いがあります。


 マントルは、地殻より下にあります。ですから、地表に住んでいる私達には、直接見ることはできません。どうすればマントルを「見る」ことができるでしょうか。間接的に見る方法としては、地震波を利用したり、高温高圧岩石合成実験をする方法があります。しかし、一番いい方法は、なんといってもマントルの物質を手に入れることです。地表を丹念に地質調査すると、マントルから持ち上げられてきた物質(それは岩石です)を、少しですが見つけることができます。そのようなマントルの切れ端から、マントルを「覗いて」みましょう。
 前回の「3_15 地殻」で紹介したように、大陸地殻を構成する岩石は花崗岩で、海洋地殻を構成する岩石は玄武岩でした。そして、それは、「重いものが下」という原則で、並んでいました。マントルもやはり、その規則にそっています。マントルを構成している岩石は、花崗岩や玄武岩より重いかんらん岩という岩石からできています。
 かんらん岩は、花崗岩や玄武岩より比重が大きく、主としてかんらん石という鉱物からできます。かんらん石は、オリーブ色をしたきれいな結晶で、英名はその色の通りオリビン(olivine)といいます。かんらん石は、きれいな色から飾り石としても利用されています。かんらん石は、玄武岩にも含まれていますが、かんらん岩では、その岩石名通り、大部分がかんらん石からできています。
 マントルは、地表30kmの深さから2,900kmの深さまでを占めます。温度圧力の条件では、マントルの一番上は温度600~1,000℃、圧力1GPa、一番深いところでは4,600℃、140GPaになります。多分、想像もできないほどの高温高圧だと思いますが、地球の深部とはそんな所なのです。
 かんらん石も、高温高圧条件に置かれますと、かんらん石のままでいられません。つまり、かんらん石が、かんらん石でいられるのは、ある決まった温度圧力の範囲なのです。その範囲を越えてより高温高圧になると、もっと密度の大きな結晶に変化します。このような結晶の変化を相転移といいます。マントルでは、相転移が起こる温度圧力の条件、つまり深さがあります。その境界は、400kmから670kmの範囲で、遷移帯と呼ばれています。その遷移帯を境界として、浅いほうを上部マントル、深いほうを下部マントルといいます。下部マントルは、もちろん、もはや、かんらん石はなく、全く違う種類の鉱物(ペロフスカイトと呼ばれるスピネルの一種)になっています。このような深部の岩石は、天然では見つかりません。でも、高温高圧岩石合成実験において少量ですが作られています。
 地球の体積(全地球の82%をマントルが占める)でも重さ(68%)でも、マントルは重要な構成物であるマントル。その実態は、深くなればなるほど、分かりにくくなります。つまり、手に入いる情報は、私達人類が住んでいる地表から遠くなればなるほど、減っていきます。でも、その情報不足を補うのが、人類の知恵であり想像力なのです。

2001年12月6日木曜日

3_15 地殻

 固体部分の地球で、一番外側にあるのが、地殻です。つまり、地殻が、固体部分では、一番軽い物質です。さらに、地殻は、固体部分で、一番、私たち生命や人類に馴染み深いものであります。地殻を、概観していきましょう。


 地殻は、岩石からできています。地殻の岩石は、種類によって、さらに2つに区分できます。花崗岩(かこうがん)と玄武岩(げんぶがん)の2つです。花崗岩と玄武岩には、さまざまな違いがあります。花崗岩は、白っぽい色で、粒が粗く、比重は小さいです。一方、玄武岩は、黒っぽい色で、粒が細かく、比重は大きいです。玄武岩の方が比重が大きいので、玄武岩が下(あるいは地球の中心に近い内側)にあり、花崗岩が上にあることになります。そして、その一番の現れが、大陸と海洋の地殻となっています。海洋地殻は玄武岩からできています。大陸地殻の上部は花崗岩からできおり、花崗岩の下(大陸地殻下部)には玄武岩な仲間の岩石があると考えられています。
 花崗岩は、古い時代に形成されたものから、最近できたものまで、さまざまな時代ものがあるのに対し、玄武岩は、花崗岩のように古いものは海洋地殻には見当たりません。大陸地殻には、新しい時代にできた花崗岩が付け加わり、地表に残されているのに対し、海洋地殻は常に更新されているのです。
 このような花崗岩と玄武岩、あるいは大陸地殻と海洋地殻の関係は、どのように説明されているのでしょうか。現在の大陸地殻と海洋地殻の関係は、プレートテクトニクスで説明されています。海洋地殻と大陸地殻の接点には、海溝(かいこう)が形成され、そのさらに大陸側には、島弧(とうこ)と呼ばれる火山活動の活発な地域が形成されます。島弧の地下深部では、花崗岩が形成されていると考えられています。つまり、大陸地殻と海洋地殻の境界では、新しい大陸地殻が形成されているのです。つまり、大陸地殻は常に、増えているのです。
 つぎに、大陸地殻と海洋地殻の関係が、いつごろ成立したのか、みていきましょう。最古の海洋地殻が、38億年前のグリーンランド、イスアにあります。グリーンランドは大陸地殻でできてますが、そこには、玄武岩でできた海洋地殻の小さな断片が残されています。同時期の花崗岩もあります。ですから、最古の大陸地殻と海洋地殻の関係、つまりプレートテクトニクスの証拠が、そこには残されています。その関係は、現在の関係と同じです。地球の地殻の歴史は、38億年前から現在まで、ずっとプレートテクトニクスが重要な働きをしてきたことがわかります。そして、その結果、大陸は常に増加していると考えられます。
 最古の鉱物は、ジルコンと呼ばれているもので、約44億年前(正確には44億0400万年前)まで遡ります。ジルコンが、プレートテクトニクスの直接の証拠となるわけではありません。でも、ジルコンから海やプレートテクトニクスの匂いが漂ってきます。その理由は以下の「風が吹けば桶屋が儲かる」式論法によります。
 ジルコンは、花崗岩に普通に含まれている鉱物です。大部分の花崗岩は、水の存在下で形成されています。水の存在は、海の存在を匂わします。海の存在は、海洋地殻の玄武岩の存在を匂わしっます。海洋地殻の存在は、プレートテクトニクスの匂わします。ほんの微かな匂いです。でも、少ない証拠から夢は広がります。