2007年7月12日木曜日

6_61 石見銀山:世界遺産への登録

 島根県大田市の石見銀山が、オーストラリアのオペラハウスなどと共に、世界遺産として登録されました。今回は、石見銀山にいつて紹介しましょう。

 2007年6月28日、石見銀山が世界遺産に登録されたというニュースが、日本国中を流れました。その報道が驚きをもって伝えられたのは、どんでん返しがあったからです。2007年5月に、イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡会議)より、登録延期という勧告がありました。そのため、だれも予期していない、今回のどんでん返しとなったのです。ですから地元や関係者の喜びも、ひとしおであったことでしょう。
 石見銀山の「石見」が「いわみ」と読むのを知っている人は、このニュースが流れるまで、どれくらいいたでしょうか。私は、地質学を専門としていたので、読みかたはもちろん、この鉱山のことは、ある程度は学んで知っていました。私は、5年ほど島根県の隣の鳥取県に住んでいて、近くまでは何度も行っているのですが、鉱山跡を訪れたことはありませんでした。
 石見銀山は、中新世(2300万~500万年前)に活動した火山岩(石英安山岩類)やその破砕物などからできた地層中に形成された鉱床です。不規則に鎖状に続く多数の濃集部からできている鉱床と、いくつかの鉱脈からなる鉱床の2つのタイプがありました。鉱床は、自然銀、方鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱等の鉱物からできてます。0.02~0.05%の銀が含まれ、地表近くで高い濃度の銀があり、古くから発見され、採取されていました。
 石見銀山は、16世紀前半から20世紀前半にかけて採掘された銀鉱山です。特に16世紀から17世紀の約100年の間には、大量の銀が採掘されました。戦国時代から江戸時代にかけて、軍資金や幕府の財源として使われてきました。
 17世紀初ころ、日本から大量の銀が、中国や朝鮮半島などのアジア諸国、ポルトガルやスペイン、イギリス、オランダなどのヨーロッパへ輸出されました。国際的に流通した日本産の上質の銀を「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれました。ソーマ銀は、日本の石見銀山が語源となっています。石見銀山が佐摩郷にあったことから、そのような名称で呼ばれました。
 17世紀前半には、世界の銀の産出の約3分の1を、日本の銀が占めていました。その日本の銀の主要産地が石見銀山でした。
 17世紀中期から、石見銀山の銀の産出はしだいに減ってきました。18世紀には銅も産出して、鉱山は少し持ち返しましたが、1923年についに長い鉱山の歴史に終わりを告げました。
 石見銀山は、1969にが国指定の史跡となったことから、観光として新たに復活をしました。そして、観光資源の仕上げとして、このたびの世界遺産への登録へとつながるのです。
 世界遺産に登録されている鉱山遺跡として、5つものがすでにあります。
 世界最高地(標高4,070m)の都市であるポトシ(ボリビア:1987年登録)は、1545年に銀山が発見され、石見銀山とともに世界二大銀産地として世界経済に影響を及ぼしました。
 サカテカス歴史地区(メキシコ:1993年登録)は、1546年に銀を発見されから、その後も銀の鉱脈が相次ぎ、鉱山沿いに大きく街が発展したところです。
 古都グアナファトと近隣鉱山群(メキシコ:1988年登録)は、1548年に最初に発見されてから豊富な鉱脈があります。グアナファト市街地にはチュリゲーラ様式の建築物もあります。
 ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー(ドイツ:1992年登録)は、神聖ローマ帝国の経済基盤となった鉱山であり、帝国中心都市でありました。1988年まで1000年以上にわたり、銀や金、鉛を産出しました。
 レロス(ノルウェイ:1980年登録)は、ヨーロッパ最北の銅鉱山で、1644年から1977年まで銅を産出し続けましたが、鉱害による汚染という負の遺産も残しました。
 バンスカ・シュティアヴニツァ(スロバキア:1993年登録)は、銀・銅の採掘・製錬で古くから発展した町で、17世紀から18世紀には優れた冶金技術で欧州各地に輸出しました。
 そして、このたび、6番目の鉱山遺産として、石見銀山が追加されたのです。

・メールより・
このエッセイは、読者でもあるFujさんから頂いた
メールをきっかけに書いたものです。
世界遺産に石見銀山が登録されたニュースは知っていましたが、
それほど気に留めていませんでした。
しかし、よく考えてみると、鉱山とは
まさに地球の営みと、人の営みの接点でもあります。
ですから、このエッセイにも取り上げるべきだと考えました。

・どんでん返し・
この石見銀山のどんでん返しは、いろいろ情報を集めてみると、
次のようないきさつがあったようです。
当初、登録は極めて厳しいと考えられていました。
登録延期という勧告があっても、反論が可能なようで、
勧告に反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送ったそうです。
石見銀山の特徴である「環境に配慮した生産方式」をアピールして、
ユネスコ日本代表の大使や外務省、文化庁、大田市などから、
巻き返しの外交活動が展開されていたようです。
その結果、6月28日、世界遺産委員会の審議により、
満場一致で世界遺産の登録が正式に決定されました。