2009年12月31日木曜日

3_79 周期性:黒点2

 太陽の黒点の増減には、約11年の周期性があることがわかっています。このような周期性がみつかったのは、19世紀の中ごろでした。幸いにも、17世紀まで黒点の観測記録がさかのぼることができたので、その周期性が明らかにされました。その後も観測は継続され、周期性は確定しました。周期性の発見についてみていきましょう。


 太陽の黒点数は、11年周期で変化し、ここ2、3年、黒点の一番少ない極小期を迎えています。2007年から2009年にかけて、黒点のまったくない無黒点日が多数出現していることを紹介しました。今回は、その周期性について考えていきます。
 まず、11年周期を発見したのは、ドイツのアマチュア天文研究家のシュバーベ(Heinrich S. Schwabe)が、1843年に初めてこの周期に気づきました。およそ10年の周期性があるとしました。1852年(1848年と書かれている文献もあります)には、スイスの数学者で天文学者のウォルフ(Johann Rudolf Wolf)は、やはり同じような周期性を見出しました。
 太陽黒点については、ガリレオ・ガリレイがその存在を確認して以来、断続的ですが、観測記録が残されていました。ウォルフは、太陽の黒点観測の記録を、1610年までさかのぼって調べました。1610年以降の太陽黒点数の極大期と極小期を決定し、平均11.1年の周期で繰り返されることを計算しました。
 もともとウルフは数学、特に統計学をも専門としていましたので、このような計算には秀でていました。また、ウォルフは、1849年(1848年と書かれている文献もあります)には、太陽の活動の様子を表す計算法(ウォルフ黒点相対数と呼ばれています)を提案し、その方法は現在でも使われています。
 ウォルフが発表した当初、太陽黒点数の周期説は受容れられなかったようです。しかし、多くの観測データが集まるにつれて、この周期性は明らかになってきました。
 18世紀後半以降は黒点の観測が充実していますが、それ以前はあまり精度のよいものではありませんでした。そのため、観測データが充実している1755年から、太陽の活動周期を第1周期として、各周期には番号がふられています。2007年は第23周期の極小期にあたります。2008年からサイクル第24周期に入り、2012年頃には極大期になるはずです。ところが、前回述べたように2009年まで、異常な極小期が続いている状態になっています。
 さて、このような異常な状態は、何を意味するのでしょうか。未来のことですから、数年後にその結論が出ることでしょう。過去の歴史を探求すれば、因果関係が解明できるかもしれません。また因果関係の解明が無理でも、繰り返し大きな異変が起こっていることがわかれば、今回も何か異常なことが起こる可能性がでてきました。因果関係が解き明かされていませんから、一種の経験則です。しかし、もし未来に危機が待ち受けていると予想されるのであれば、対処すべきかもしれません。
 どのような未来が見えるでしょうか。それは、次回としましょう。

・一目瞭然・
太陽の黒点の周期性は、図にすると非常に明瞭になります。
その図はいろいろありますが、
次のサイトが参考になるでしょう。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/07/Ssn_yearly.jpg
数字は正確に読み取れないかもしれませんが、
図を見れば、周期性があるのは一目瞭然です。
このような周期性は、なぜ生じるのか、
その周期性と地球の気候との因果関係は、
まだ十分解明されていません。
関係がないという研究者もいます。
本当のところはどうでしょうか。
過去の歴史に学ぶことも必要でしょう。

・今年最後のエッセイ・
今年最後のエッセイとなりました。
今回の発行日は、12月31日です。
今年は、皆さんにとってどんな年だったでしょうか。
私は、例年通りの年でした。
ただし大学では、はじめての卒業生をだすため、
新たなことがいろいろありました。
それは来年3月まで続きます。
太陽の黒点シリーズは
今年だけで終わることができませんでした。
来年も継続することになりました。
今年一年メールマガジンの購読ありがとうございました。
来年も、本エッセイのよろしくお願いします。
皆様にとって、来年もよい年でありますよう
お祈りしています。

2009年12月24日木曜日

3_78 無黒点日:黒点1

 太陽は、地球にとって、決定的に重要な役割を果たしています。しかし、その実態は、必ずしも解明されているわけではありません。でも、観測は続けられていて、観測データからも、いろいろなことがわかります。中でも太陽の黒点による活動の11年周期が有名です。現在、その周期の極小期にあたっています。ただ、その極小期が従来のものと違っているようです。その意味を考えてきましょう。

 太陽の活動が極小期になっているのをご存知でしょうか。
 太陽は約11年周期で活動が変化しています。その活動の変動は、黒点数の多少で調べられます。黒点が少なくなると活動は穏やかになり、多くなると激しくなります。
 黒点が、ここ2、3年、極端に減っています。太陽表面に黒点が見られない日が、2007年には163日、2008年には266日、そして今年もその傾向は継続しているようで、12月20日現在で、無黒点の日数は260日に達しています。ただ、今年の8月、9月をピークに、無黒点の日は減ってきているようですが。
 これほどの極小期は珍しく、異常ともいえる状態になっているようです。前回の極小期は1996年だったのですが、そのときの無黒点の日数は165日でした。それを比べると、今回の無黒点の状態がいかに長く、異常かがわかるでしょう。このような状態は、無黒点が311日あった1913年以来のことのようです。
 太陽活動を議論する前に、そもそも黒点とは、どのようなものでしょうか。それをみておきましょう。
 黒点とは、太陽の表面にみられる黒い点のようなものです。正確には、単なる点ではなく、暗い部分とその周辺のやや明るい部分(半暗部とよばれています)があります。その形は不規則で、丸いとは限りません。黒点は、いくつか集まって現れること(黒点群とよばれます)が、しばしばあります。黒点は、温度が周りより低いところです。低いといっても約4000℃もあります。他の表面が約6000℃もありますので、そこと比べると温度が低いので、黒く見えているわけです。
 太陽でなぜ、黒点ができるのでしょうか。それは、太陽の磁場によるものだと考えられています。太陽の自転によって、内部ではプラズマ化した原子が流動しています。ちなみに太陽は高緯度は32日、低緯度では27日で一周します。そのとき大きな電流が発生し、同時に磁力線も形成されます。磁力線は、最初地球と同じように北極南極にできるのですが、自転のずれにともなって、半年後には赤道付近に巻きつくようにずれていきます。そして何年も赤道付近に引き伸ばされた磁力線が巻きつくことになります。この何周にもわたって巻きついた磁力線によって、太陽表面の対流が妨げられることになります。その結果、巻きついた部分の温度が下がり、黒点が発生すると考えられています。
 では、今回のように黒点が減ると何か問題があるのでしょうか。それが、地球と何か関係があるのでしょうか。それは次回としましょう。

・黒点シリーズ・
いよいよ今年のエッセイも残るところあと1回です。
今回から黒点の極小化のシリーズです。
次回だけで終わるかどうかわかりませんが、
終わらないのなら、来年も続けていくことになります。
太陽には、わからないことも多いようです。
特に地球の気候との関係が最近注目されています。
地球の気温や気候は、
太陽からのエネルギー供給が重要な働きをしています。
そのエネルギー量が周期的に変動しているわけです。
その周期性は地球の気温や気候において
何らかの形で対応しているはずです。
その対応関係が明瞭でないのではなぜでしょうか。
なにかの緩衝効果でもあるのでしょうか。
それとも私たちはまだ気候変動のメカニズムを
捕らえきっていないのでしょうか。
そのあたりを探っていきたいと考えています。

・インフルエンザ・
先週はインフルエンザにかかりました。
病院の簡易検査では新型かどうかはわからないので、
インフルエンザであるという診断でした。
しかし、現在、流行していのは大半が新型だそうで
私もたぶん新型でしょうということでした。
季節性インフルエンザの予防接種をしているので、
たぶん新型のはずです。
先週は、まだ授業があったのですが、
4つの講義が休講になってしまいました。
でも、卒業研究はなんとか全員、
個別の対応もでき、提出も無事に終わりました。
どうしても抜けられない校務があったので
今週から復帰したのですが、
まだ、あまり人に会わないほうがいいので、
研究室にこもっていました。

2009年12月17日木曜日

1_88 境界変化:第四紀問題3

 第四紀が再定義されたということは、そこに重要な地質境界が認定されたということです。その境界やその時代を境に地質が大きく変化したということです。第四紀の地質学的変化は、気候変動です。それも寒冷化の進行というのが、第四紀の再定義のキーになりました。

 第四紀が再定義され、ゲラシア期のはじまりの258.8万年前が、第四紀のはじまりとなりました。
 今までも、第四紀のはじまりについては、何度も議論されてきました。境界が設定あるいは変わるということは、地球規模での地質現象が起こったことを意味します。再定義の議論は、地球規模での地質現象が何で、いつか、ということに尽きます。また、第四紀をなくするという提案もありましが、それは、時代区分の階層性を重視し、統一を取るためでした。あるいは、第四紀の境界では重要な地質現象の変化がないという立場でもあります。
 このような議論の根源は、第四紀とはどんな時代であるのかということに至ります。そして、第四紀は現在も続いている時代であるということも考慮しなければなりません。つまり、現在をも定義することになります。
 新生代後半から、地球は寒冷化に向かっていることが知られています。第四紀前後から、繰り返されてきた氷河期は、その象徴でもあります。氷河期によって、大量の氷が大陸に蓄積されると、海水面は下がり、海洋や大気の循環に大きな異変が起こります。氷河期が繰り返し起こると、生物の進化にも大きな影響を与えます。また、氷河期や間氷期に固有の地質現象も起きるでしょう。
 前回も述べましたが、第四紀のはじまりに起こった地質現象として、以下のような現象が挙げていました。深海底の堆積物中の化石(底生有孔虫と呼ばれるもの)の酸素成分の変化(酸素の同位体比が現在の値より大きくなる)、北半球高緯度の地層で氷河漂流堆積物が出現、中国の砂丘堆積(レスと呼ばれる)のはじまりました。他にも、酸素の成分(酸素同位体ステージのMIS103の基底)の変動が大きくなったり、北半球での氷床ができはじめたり、パナマ地峡が閉ざされるなどの事件が起こります。
 これらはいずれも、寒冷化や氷河期がその原因と考えられています。
 南北アメリカ大陸の間にあるパナマあたりで、現在は運河があるように両大陸は陸続きです。しかし、かつては海で分断されて、両大陸が繋がっていないことが分かっています。パナマで、太平洋と大西洋の海水が行き来していたということは、海流、つまり海洋循環が今とは違っていことになります。それが第四紀の始まりに閉じたということになります。約270万年前のパナマ地峡の閉鎖が原因で氷河期を引き起こしたと考える人もいるようですが、氷河期の結果、パナマ地峡が閉じたとも考えられます。
 これら寒冷化という全地球的な現象が、第四紀のはじまりを特徴付けていることになります。これは大きな気候変動だと考え第四紀が再定義されたわけです。
 第四紀は寒冷化の時代と特徴付けられます。第四紀は、さきほどもいいましたが、現在も含む時代です。寒冷化傾向は今も継続しています。非常に長い地質学的な時間スケールでの寒冷化ですが、その気温の変動は激しいことが知られています。
 一番最近の最温暖期は、縄文時代約6000年前です。そのころは、縄文海進と呼ばれ、氷河期の一番海退が激しいころと比べると場所によっては100mも海水準が上がり、現在と比べても3~5m低く、気温では1から2℃ほど高かったことが分かっています。
 最後の氷河期が終わって、6000年前に温暖期のピークをむかえ、その後地球は緩やかに寒冷化に向かっています。これが繰り返されながら、第四紀は寒冷化が進んでいるのです。やがては氷河期が来るかもしれません。
 地球温暖化が危惧されている現在、背景ではこのような寒冷化が地質から読み取れるのです。この第四紀における気候変動の特徴を、忘れないようにしなければなりません。

・風邪・
風邪をひきました。
現在のところ、熱は出ていないので
インフルエンザではないと思いますが、
時々咳が出て鼻水も出ます。
卒業研究の最後の校正段階にはっています。
あと6名分が残されています。
これだけは、どうしても休めない仕事なので、大学に出ています。
これが終わったら医者にいって、2、3日休む予定です。

・科学の進歩・
第四紀の定義が決定されました。
これは、当面、この定義でいくというにすぎないことを
理解しておく必要があります。
今回決定された定義も、
全研究者が納得してるわけではありません。
今まで、第四紀の定義や存在意義については、
何度も議論されてきました。
新しいデータや視座が提示されたら
再度、定義や存在意義に関する議論が沸き起こるでしょう。
でも、これが科学の進歩といえのですが。

2009年12月10日木曜日

1_87 再定義:第四紀問題2

 第四紀のはじまりは、ここ数年、地質学界の重要問題でした。いや、地質学界だけでなく、多くの関連分野の研究者も、その成り行きに注目していました。その決着を今年やっとみました。第四紀の定義は、従来のものと変更になりました。今回のエッセイでは、その定義の内容を紹介しましょう。

 前回、第四紀問題で、決着がみたといいました。決着とは、学会が公式に、第四紀をこう定義するということを決めたことになります。定義をするということは、第四紀を廃止するという案はなくなり、公式に定義を行い、正式に第四紀という時代区分を使うことができるということも決まったことを意味します。その定義とは、第四紀のはじまりを258.8万年前とするというものです。
 この決定が下るまでは、第四紀のはじまりは、カラブリア期(Calabrian)の最初(180.6万年前)と考えられていました。しかし、今回の決定までは、ゲラシア期(Gelasian)の最初(258.8万年前)も併記されていました。それが、今回、ゲラシア期のはじまりを、第四紀のはじまりと決まったのです。結局、第四紀は、78.2万年、時代が延び、古くなり、遡ったことになります。
 この第四紀の定義は、いくつかの定義もかねることになります。第四紀は、新生代の最後にあたり、新生代はパレオジン、ネオジン、そして第四紀に区分されます。ですから、第四紀の下限とは、ネオジンの最後ともなります。ネオジンは中新世と鮮新世に区分されます。第四紀は、更新世(Pleistocene)と完新世(Holocene)に区分されます。ですから、第四紀の下限の年代は、鮮新世と更新世の境界にもなります。
 第四紀は、比較的大きな時代区分なので、上で述べたようないくつもの境界になってきます。
 そもそも第四紀とは、1829年、デノアイエ(J. Desnoyers)は、パリ盆地で第三紀の地層の上に重なる海でできた地層(海成層といいます)の年代名として第四紀を用いました。これが第四紀の定義のはじまりです。
 その後、1833年、C.ライエル(C. Lyell)は、地層に含まれている貝化石に現生種がどれくらい含まれているかによって決めることにしました。ライエルは、第三紀の一番最後を、現生種を70%以上含む地層の時代を「更新世」(Pleistocene、最新の意味)としました。それより後の時代を「現世」として、人類の遺物を含むのが特徴の地層であるとしました。
 ところが、1846年、フォーブズ(E. Forbes)は、第四紀として更新世を氷河時代にのみに用い、第四紀から更新世を除いたものを現世と提案し、定着しました。1885年の万国地質学会(IGC)では、そのように定義された現世を完新世という名称にすることが決定されました。1885年以降、第四紀は、氷河時代の更新世と氷期以降の完新世に区分されるようになりました。
 また、1911年にオー(E. Haug)は、新生代の時代区分が哺乳類化石で区分されることが多いので、第三紀と第四紀の境界もそれに従うことが望ましいと考えました。そして、現代型のウシ、ゾウ、ウマの化石が最初に出現するときを、第四紀のはじまりと定義しました。1948年には、ロンドンでおこなわれた万国地質学会で、第四紀のはじまりは、海の動物化石群の変化によって決定することになりました。
 その後、第四紀の基底がみられる典型的な地域(模式地と呼ばれます。GSSP;Global Strato-type Section and Point)として、地中海沿岸のイタリア、ヴリカという地域のカラブリア層(カラブリア期のもととなった名称)が決まりました。カラブリア層の中にあるe層と呼ばれる地層の上面が、その始まりとなりました。カラブリア期のはじまりは、180.6万年前でした。それが、1985年の国際地質科学連合(IUGS)で決定されました。その定義が、今年まで活きていたことになります。
 研究が進むにつれて、いくつも時代境界の候補が提唱されるようになってきました。深海底の堆積物中の化石(底生有孔虫と呼ばれるもの)の酸素同位体比が現在の値より大きくなる時期、北半球高緯度の地層で氷河漂流堆積物が出現し始める時期、中国の砂丘堆積物(レスと呼ばれる)のはじまり時期、などが候補に挙がってきました。それらが、いずれも従来のカラブリア期ではなく、ゲラシア期の始まり、258.8万年前、を支持しており、混乱を招き、議論を沸き起こす結果となったのです。
 今回、第四紀をなくすのではなく、その新たな提案が受け入れられ、ゲラシア期のはじまりの258.8万年前が、第四紀のはじまりとなりました。それに伴って、ゲラシア期のはじまりの地層(模式地)が第四紀のはじまりの模式地となります。第四紀のはじまりは、シシリー島のモン・サン・ニコラの南斜面にある地層で、古地磁気のデータ(松山/ガウス境界の約1m上)を基にして決められています。その時代は、酸素の成分(酸素同位体ステージのMIS103の基底)にも対応しています。
 では、これほど問題になってきた第四紀の境界では、いったい何が起こった時代だったのでしょうか。それを次回紹介しましょう。

・繰り返される再定義・
今回の第四紀のはじまりが決定するまで、
何年もの紆余曲折がありました。
上で述べたように、何度も再定義されてきました。
一度は廃止案も浮上してきました。
第四紀は、いちばん私たちに身近な地質時代です。
それでありながら、定義の改定を繰り返してきました。
データも他の時代と比べて多いはずです。
それなのに、なかなか決まらない。
これは、もしかすると、関心の大きさが
引き起こす現象なのかもしれません。
関心が大きいと、研究者も多くなり、
研究も増え、得られるデータも増える。
すると、いろいろ新しいことがわかるようになり、
今までの内容での不都合が見えてくる。
そして、その不都合を解消するために、
再定義がなされる。
そこには、研究者、研究分野の利害も発生する。
そして、混乱が生じる。
というようなことが
繰り返し起こっているのかもしれません。
研究者が少ない時代境界は、
あっさりと再定義され、変更が起こっています。
参加者が多い物事における変更は、
なかなか大変なのです。
ですから、研究が進めば、
また再定義の議論が浮上するかもしれませんね。

・学生の成長・
私が担当している4年生の卒業研究が
最後の詰めの段階にあたっています。
毎日、空いている時間のすべてを
個別面談をして、報告書の添削にあたっています。
先週から来週半ばの締め切りまで続きそうです。
学生も大変でしょうが、私も大変です。
自分の仕事を、最後の最後まで突き詰めていく、
研究するという姿勢を学んでいく、
そんなチャンスでもあります。
学生には、そういうチャンスは
4年生までもったことがありませんでした。
ですから、はじめての経験となります。
プレッシャーに押しつぶされそうになる学生もいます。
そんな学生をはげましながら、面談は進行していきます。
でも、形が見えてくると、
学生も最後のがんばりを見せます。
それで彼らが、成長してくれればいいのですが。

2009年12月3日木曜日

1_86 決着:第四紀問題1

 第四紀問題の決着をみましたので紹介します。第四紀とは、人類史にとって重要な時期にあたります。地質学だけでなく、生物学、考古学、歴史学など多くの分野で使われている用語です。それが一時は廃止するという決定が出たのですが、長い時間をかけて、その問題に対しての結論がでました。その内容を紹介しましょう。

 第四紀は、地質学者が中心になって研究しています。しかし、第四紀という用語はいろいろな分野に浸透しており、もはや地質学だけの問題ではありません。特に、廃止ということになったら、多くの分野で混乱が起こることは日を見るより明らかです。学校の教科書も、あちこち書き換えなければなりません。それをおしても廃止するか、それとも妥協策を探るか、ここ数年、そんな決断が迫られていました。本来なら2008年末までに決着がつくはずだったのですが、このたびやっと決着をみました。
 国際地質科学連合(IUGS)の理事会が、今年(2009年)の6月29日に、国際層序委員会(ICS)が提案した第四紀(Quaternary)の下限を258万8000年前とすることを承認しました。これによって、第四紀が再定義されたことになり、存続することが決定されたのです。
 第四紀問題については、本エッセイでも何度か扱ってきました。「1_52 新生代1:時代区分」(2005.10.27)、「5_48 第四紀の復活?1:時代区分の更新」(2005.12.29)と「5_49 第四紀の復活?2:第三亜代と第四亜代」(2005.12.22)、あるいは「1_64 Concise版:地質時代1」(2008.10.23)から「1_68 第四紀問題の決着は?:地質時代5」(2008.11.20)の5回、計8回エッセイとして取り上げてきたことになります。
 何度も取り上げてきたのは、決着をみるまで長い時間がかかったということです。それは上で述べてきたようにいろいろな問題を含んでいたためでした。しかし、20年近くにわたって議論されてきた第四紀問題がやっと終止符が打たれたのです。
 第四紀問題は、ICSの意向を受けて"A geological time scale 1989"という本で、ではなくすという方針が示されました。そのときは、あまり問題に顕在化してなかったのですが、2005年春に発行された"A Geological Time Scale 2004"では、新生代の第三紀(Tertiary)という時代名称を公式には使わなくなり、新生代はパレオジン(Paleogene)とネオジン(Neogene)に区分されることが紹介されました。それに伴って、第四紀もなくす(公式には使えないものとする)という方針が、強く打ち出されました。これが、大きな議論を呼ぶことになりました。
 第四紀の廃止という方針には、多くの関係者や学会が反対声明を出したこと、あるいは廃止に賛成するグループからの意見が出され、混乱を極めました。そして、議論を尽くした後、最終的にICSにおける3月の投票によって、第四紀は再定義が可決されて、今回の決定となりました。
 IUGSの決定を受けて、日本地質学会でも、その取り扱いについて、拡大地層名委員会において検討に入りました。委員会は、今後、関連する学術会議や学会と連携をとりながら、日本としての対応が検討されていくことになります。
 さて、第四紀とは、どう定義されたのでしょうか。それは次回としましょう。

・師走・
いよいよ師走となりました。
北海道では、日一日と寒さが募り
積雪も何度もありました。
もちろん暖かくて雨が降ることもありますが、
いよいよ冬到来です。
自宅でもストーブをたかない日はなくなりました。
忘年会、餅つきなどの年末特有の
行事のアナウンスも行われています。
気持ちばかり急いていきましたが
今こそ落ち着いてやるべきこともあります。

・卒業研究・
4年生の卒業研究の指導は、今が山場です。
学生も大変でしょうが、私も大変です。
ゼミ生の10名分のレポートを熟読して、
校正していかなければりません。
それが今週から来週にかけて続きます。
でも、彼らにとっては4年分の集大成となります。
よもや気を抜くことはできません。
今がんばっておけば、
なんとか穏やかな正月が迎えられるはずですから。