2011年6月30日木曜日

2_90 鳥類?:恐竜の子孫 1

 鳥類が恐竜の子孫であることは、20世紀後半からさかんに紹介されるようになってきました。その結論は、多くの人の知るところなってきました。しかし、完全に証明されたのかというと、そうでありません。まだ、未解決の問題がありました。しかし、今年の2月に、大きな問題が解決されました。その話題を紹介していきましょう。

 鳥類が恐竜から進化してきたものであるということは、以前からいわれてきました。その発端となったのが、以前にもこのエッセイでも紹介したのですが、始祖鳥の化石の発見でした。
 そのあたりを少し紹介しておきましょう。
 始祖鳥の発見は、19世紀中葉にまでさかのぼります。ダーウィンが進化論を発表した「種の起源」の出版は、1859年11月24日でした。そして、1860年、ドイツのバイエルン州ゾルンホーフェンから、最初の始祖鳥の化石が見つかりました。1962年には、その化石の記載論文が出版されました。
 始祖鳥の骨格が、小型恐竜や爬虫類のある仲間(槽歯類)に似ていたことから、恐竜と鳥類と類似性が考えられるようになりました。それ以降、恐竜と鳥類の系統関係については、さまざまな議論がなされてきました。
 20世紀末になると中国大陸の各地から始祖鳥の化石が発見されてきました。また、空をとぶ恐竜の仲間(ドロマエオサウルス類)が見つかったりもしました。そして、恐竜と鳥類には密接な関係があることが確実になってきました。
 ただし、恐竜の子孫として鳥類を考えるとき、いくつかの問題がありました。
 例えば、恐竜には鎖骨がないのに鳥類にはあることが、解剖学的には大きな問題でした。鳥類と一番似ているのは恐竜の中でも獣脚類なのですが、それは収斂という進化の結果にすぎないとされてきました。そして、鎖骨を失っていない恐竜(槽歯類)こそが、鳥類の祖先であると考えられてきました。しかし、多数の化石が発見されてくると、恐竜には大きな多様性があり、獣脚類の恐竜でも鎖骨を持つものがいることが分かり、解剖学的に類似性がある獣脚類が直系の祖先であるという見方が正しかったことが分かってきました。
 近年では、始祖鳥は現生鳥類の直接の祖先ではなく、鳥類は恐竜(獣脚類)の子孫であると考えれるようになってきました。
 もちろん、すべての問題が解決できたかというとそうでありません。まだ、未解決の問題がありました。例えば、なぜ鳥類だけ生きのびて他の恐竜は絶滅したのか、なぜ空を飛ぶようになったのか・・・。生物学上の疑問として、指の番号の違いも問題でしたが、それは次回としましょう。

・涼しい6月・
6月も終わりにです。
本州では暑い日がありるようですが、
北海道は涼しいです。
たまには、暑い日もありますが、
今年は暑いがまだ少ないようです。
これも北海道の良さなんですが、
からりと晴れた暑い日もないのも、
少々もの足りませんが、
あれもこれも望むのは贅沢でしょうね。

・Natureダイジェスト・
このエッセイの書こうと考えていたら、
中学生の長男が鳥類の祖先が恐竜であることが、
確実になったという話をしていました。
だれに聞いたのかは聞き漏らしましたが、
このような科学の成果も話題になったようです。
この研究は今年の2月に発表された成果で、
かなり話題にもなりました。
ただ、Natureダイジェストの6月号に紹介されていたので
それを読んだ人から聞いたのかもしれません。
でも、新しい話題に興味をもつことはいいことです。
ただ、今まで何が問題で、それをどう解決したのか、
そしてその後の課題はなんなのかなどもわかっていると、
さらに興味がでてくるのですが。
まあ、あれもこれもいうのは贅沢すぎますね。

2011年6月23日木曜日

1_104 振り出しに:OAE 3

 今回でOAEのシリーズは終わりです。OAEは、欧米の大西洋や地中海でたまった堆積物を中心に調べられてきました。今回太平洋沿岸での報告がなされました。それは、今まで述べてきたことを否定するようなものなります。でも、これも科学の進み方なのです。

 OAE(海洋無酸素事件)は、急激な温暖化によって、深層水の循環が停止して起こったとされています。もう少し詳しく当時の様子をみていき、検討していきましょう。
 古生代末(石炭紀後期からペルム紀にかけて)の寒冷な時期(冷室期と呼ばれています)から、中生代になると、温暖な時期(温室期と呼ばれています)になってきました。白亜紀、中でもチューロニアン期(約1億年前)に、もっとも温暖化していた時期になります。チューロニアン期の海水の温度は、高緯度でも10℃を越え、低緯度では30℃に達していたとも推定されています。もちろん、陸地に氷床はまったくなく、海底も浅くなっていたこともあり、海水準も今より200mほど上がっていたと考えられています。
 温暖化の原因は、大気中の高い二酸化炭素濃度の温室効果であったとされています。二酸化炭素は、少なくとも1000~2000ppmの濃度(現在の数倍)、多い見積では、現在の10倍以上あったとするものもあるようです。このような大気中の二酸化炭素は、活発な火山活動が起こっていたため、放出された火山ガスに由来すると考えられています。
 白亜紀には、大規模な火山が連続的に活動しました。古いものからみていくと、パラナ洪水玄武岩(約1億3500万年前)、オントンジャバ海台(約1億2500万年前)、ケルゲレン海台(約1億1000万年前)、カリブ海台(約9500万年前)、デカントラップ(約6500万年前)などの火山活動が断続的に続き、二酸化炭素を放出していきました。
 最後のデカントラップの活動に対応するOAEはありませんが、それ以外は、だいたい対応するOAEが見つかっています。ただし、OAEがあっても、大規模火山活動がないところもあります。
 白亜紀の大規模火山は、核-マントルの境界から上昇してきたマントル対流(マントルプルームと呼ばれています)にその根っこをもっていたと考えられてます。ホットプルームは、大規模火山だけでなく、海嶺の活動も活発にし、海洋地殻の形成量も多くなっていきます。暖かい海洋底は膨張していますので、海が全般的に浅くなっていきます。その分、海水準が上がります。
 さて、中生代、あるいは白亜紀の気候を考えていくと、極地には氷床はなく、冷たい水による深層水の循環は、そもそも起こっていなかったことになります。ですから、海水の循環が悪い状態が長く続いていたことになります。深層水や中層水は酸欠になっていたはずです。そんな時期に、OAEがパルス的に起こったのは、なぜでしょか。
 少なくとも白亜紀の温暖期に関しては、深層水循環の停止だけでは、説明がつきません。以前、捨て去った仮説である、生物による有機物の生産が盛んで、分解しきれずに、有機物が堆積物に混じったという可能性を見直す必要があります。
 黒色頁岩の分布を詳しく見ると、大西洋沿岸や地中海、北米大陸の内陸地域では、たくさん見つかっていました。そのような浅く狭い海域では無酸素状態が形成されていたようです。狭い海の黒色頁岩は、有機物の生産量が多かったことで説明できそうです。
 OAEの研究は、このような地域を中心にして進められてきました。ですから、他地域、特に太平洋のような最大の海洋の研究があまりありませんでした。最近(2011年5月)、髙嶋礼詩たちのグループが報告をしました。ターゲットは、OAE 2と呼ばれる9400万年前の事件です。カリブ海台が活発に活動していた時期です。
 日本列島の太平洋沿岸や北米大陸の太平洋沿岸の大陸棚にたまった堆積物を調べたところ、黒色頁岩が見つかりませんでした。酸化還元の程度を推定できる黄鉄鉱(黄鉄鉱化度とよばれています)を調べていくと、大部分は無酸素状態ではなく、酸化的(酸素がある)状況でした。ただ、短い時期だけ還元的(無酸素)状態であったことがわかりました。短時間のものを考慮に入れると、OAE 2は全世界的に起こったことになりますが、全般的には太平洋の大陸縁辺海域は無酸素状態はほとんどんなかったことになります。
 氷床の欠如、酸化状態の海底の存在など、OAEのシナリオ(少なくともOAE 2)は、振り出しにもどったことになります。解決するには、もっと詳細な時間分解能と環境分解能を用いて、OAE毎に個別に当たっていくしかないようです。そして、再度、凡世界的な現象なのかどうかを考えていく必要があるようです。

・演奏会・
今週になって大学では、
校内で昼休みに音楽サークルの演奏が行われてます。
大学祭は秋なので、
夏は、サークルの発表会が中心になります。
ヨサコイも出陣式をしていました。
演奏自体は講義の邪魔をしないように
きっちりの時間厳守で行われています。
ただ、講義時間をけずって準備を行っている学生がいます。
クラブやサークルの活動は、
公欠が一度は認められています。
それをつかっていれば問題がないのですが、
クラブやサークルに熱心な学生には、
授業よりそちらが重要に考えている人もいます。
まあ、それも重要な学生生活でしょう。
教員からすると、何のために大学にいるのか、
高い授業料は何のためか、
などの小姑のごとく思ってしまいます。
まあ、それも教員側の思いなのでしょう。

・前進・
学問は、進みます。
研究者の考えも変動します。
同じデータを見ても、解釈が違うと
正反対の結論になることもあるでしょう。
時には、あるテーマを推進するつもりで、
否定することも起こるでしょう。
否定も成果なのです。
後退でなく、螺旋状の前進なのです。

2011年6月16日木曜日

1_103 パルス的事件:OAE 2

2011.06.16)
 前回は、地層の中で有機物に富む黒色頁岩は、海洋無酸素事件(Oceanic Anoxic Events、OAE)によって形成されることを示しました。そして、OAEは、急激な温暖化によって、深層水の循環が途絶することに由来する可能性があることを、紹介しました。今回は、そのOAEが、いつ、どれくらいあったかのかをみていきましょう。

 地球史における気候変動は、長い時間をかけて緩やかに変動していることが読み取られています。緩やかな変動は、昔は今と違って、穏やかな気候変動が起こっていたのでしょうか。「現在は過去の鍵である」というジェイムス・ハットンの言を信じるなら、過去が穏やかな変動で、最近だけ激しい変動というのはないことになります。緩やかな変動は、単に素材や技術の問題による見かけ上のものなのでしょう。
 過去の気候変動を読み取るのは、地層からです。地層は鉱物や岩石片が集まっています。そこには当時の気候の記録が、間接的にかすかな記憶として紛れ込んでいるだけです。ですから、そのような素材から高精度の気候記録を読み取ることは困難なこととなります。現在の技術は、氷床のコアのように気候を記録している成分がよく保存されていれば、非常に高い精度で過去の気候変動が読み取ることができます。素材さえ整えば、それくらいの技術は、今ではあることになります。ちなみに、ここ数十万年の気候は、非常に激しく変動していることを物語っています。
 素材の問題もさることながら、過去の記録は古くなればなるほど、その痕跡は薄れ、素材自体も断片化し、散逸していきます。そんな不完全な素材に対し、高い分解能で読み取る技術は、今のところありません。氷床の記録も古いものでは、堆積構造がゆがんでいたり、変形を受けていたりして、不正確になります。まして氷床の素材は、せいぜい数十万年分しかなく、それより古いものは、手にできません。やはり古い気候は、岩石片や鉱物の集まった地層に記録されていることになります。その地層は、断片的で、不揃いなものです。
 過去の気候変動は、最近同様、激しく変動していたのでしょうが、分解能がよくないため、大雑把な変動としてしか読み取れないのでです。それでも過去の気候の概略は読み取られています。
 ただし、OAEのような急激な異変は、地層に顕著な特徴として記録されているため、短いパルス的な事件として読み取れられています。
 OAEは、中生代に何度もおこっていたことが分かってきました。ジュラ紀、そして特に白亜紀には度々起こったことが分かっています。ジュラ紀には、明瞭なもの(トアルシアンOAEと呼ばれています)が一度と、不確かものが3つあります。白亜紀には10回ほどのOAEが見つかっており、それぞれに名称がつけられています。また一度のOAEと考えられていたもの(OAE1と呼ばれているもの)が、実は4回の事件からなることも分かってきました。
 OAEは、黒色頁岩の堆積や、生物相の変化などから、数万年から100万年の期間での事件であったことがわかります。ただし、100万年間ずっと無酸素状態出会ったとする説や、数万年単位の無酸素事件が何度も繰り返されていたという説もあり、決着はみていません。
 中生代はもともと温暖期で、中でも白亜紀前期(約1億年前)がもっとも高温の時期であったと考えられています。現在より平均気温で15℃ほど高かったと推定されています。OAEは、中生代が温暖期であるにもかかわらず、さらなる急激な温暖化が起こったことを意味します。どのような原因によるものだったのでしょうか。それは、次回です。

・短期調査・
晴れたり曇ったりの天気が続きます。
もう、肌寒さはなくなりました。
蒸し暑さを感じる日もあります。
でも、北海道が一番いい季節でもあります。
本来であれば、野外調査に出かけたいところですが、
授業ノルマの厳しい現状では、
なかなかそうもいきません。
私は、長期にわたる野外調査を研究手法としなくなったので
論文を書くことはできますが、
他の地質学者にとって、
野外調査が夏休み以外できないのは
死活問題になることもあるでしょう。
それでも、研究者はなんとか調査をこなしています。
もちろん他の分野でも野外調査を
手法としている人も同じような事情を抱えながら
研究をしていることと思います。
まあ、あまりグチをいっても解決にはなりません。
私は、夏休みに短期間、野外調査に出かけることにします。

・長い目で・
学生たちの学校での教育実習の山場は過ぎました。
ただし、まだ実習を続けている学生もいます。
遅い学生では、採用試験の直前まで実習をしています。
試験へのハンディが大きいのですが、
教育実習は必修であること、
受け入れ小学校の希望によって日程が決まるので、
まがままは言えないのがつらいところです。
でも、教員を希望するということは、
将来を長い目で見る必要があります。
数年後に結果として教員になっていればいいのです。
その間、非常勤教員として経験をつむこともできます。

2011年6月9日木曜日

1_102 黒色頁岩:OAE 1

 海洋無酸素事件はOAEと呼ばれています。海水中に溶存している酸素が著しく少なくなる事件です。無酸素の状態が長期にわたると、大絶滅や環境変化、それも地球規模の異変となります。その全貌は、必ずしも分かっているわけではないのですが、OAEのあらましをシリーズで紹介していきましょう。

 地層の中に黒い頁岩が見つかることがあります。黒い色の由来は、硫化物の場合もありますが、有機物のこともあります。有機物に富む黒色頁岩が今回の素材です。
 海で生物が死ぬと海底に沈みます。海底には、その死骸を処理する(食べる)生物がいて、多くの有機物は分解されてしまいます。また、生物が食べ残した有機物も、酸化され二酸化炭素や水などの分子に分解されてしまいます。ですから、ほとんどの有機物は、消費され、堆積物にはなりません。つまり、有機物は、再び生態系の中へのもどっていくことになります。炭素でみると地球規模の循環が成り立っていることになります。
 有機物の多い黒色頁岩が貯まるのは、炭素の循環を断ち切るような特別な環境が出現したことになります。そのような特別な環境が、もし広域的、あるいは全地球的にあったとしたら、それは地球史上の大きな異変となります。黒色頁岩の由来を調べれば、環境異変の記録が読み解けるかもしれません。
 地球環境を左右する重要な条件として、平均気温があります。現在温暖化が危惧されていますが、地球史においては、現在問題にされている以上の温暖化が何度も起こっています。特に急激に、そして短期間におこった温暖化の時期に、有機物に富む黒色頁岩ができることが知られています。
 急激な温暖化は、なぜ、黒色頁岩を形成する原因になるのでしょうか。そもそも有機物が分解されないような環境とは、いくつかの要因が考えられています。
 温暖化は生物にとって生活しやすい条件となります。暖かいと海での蒸発量が増え、降雨が増えます。陸地での雨量も増え、陸上生物が生育しやすくなります。繁茂、繁栄した陸地では、河川によって、有機物が大量に海域に流入します。その有機物を餌にして海洋でもプランクトンが大量発生します。このような結果として、海底には分解しきれないぐらいの有機物がたまるというメカニズムが想定できます。
 しかし、一番大きな要因は、海水循環の停止だと考えられています。
 極地に氷床がある時期は、定常的に海水が冷やされ、冷たい海水が極地から深海に沈み込み、それが海洋全域をめぐるような地球規模の海水の大循環の原動力となっています。深海をめぐる海水は、冷たく酸素を沢山含んだ塩分の多いものとなります。現在のその状態にあります。
 温暖化は、極地ほど激しく進行します。温暖化が極地で起こると、氷床が一気に溶けてなくなってしまいます。それまであった、極地からの冷たい水の流入がストップし、深海底への循環も止まってしまいます。急激な温暖化が起こると、海水のベルトコンベアが止まることになります。深海での海水の循環が停止すると、酸素を含んだ海水が供給されなくなり、深海底は、貧酸素あるいは無酸素の海水が長期にわたって滞留してしまいます。
 海面では酸素があるので、通常の生態系が維持されていますが、海底での有機分の分解の生態系が破壊されていきます。通常の深海底の生物は絶滅し、有機分の酸素による分解もストップします。無酸素の海水が有機物の多い黒色頁岩を形成する主要なメカニズムではないかと考えられています。
 つまり、海洋の無酸素の事件(Oceanic Anoxic Events、OAEの略称されています)が、黒色頁岩の形成の原因であったと考えられています。では、地球史で、そのようなOAEがどれほどあったのでしょうか。それは次回としましょう。

・OAEシリーズ・
OAEの証拠は、世界各地で見つかっています。
1976年に初めてOAEが報告されました。
ある時代の有機物をたくさん含む黒色頁岩が、
浅海や深海などの多様な環境で形成された地層でみつかりました。
OAEが、大きな海洋や全地球規模で同時期に
起こっているという証拠なので注目を集めました。
OAEの証拠は、日本各地で見つかっています。
ただ、どの時代でもあるわけでなく、
いくつかの時代にだけ見られ異変です。
また、OAEが起こったときには、
絶滅も起こっていることが多いようです。
OAEは地球における重要な異変の記録といえます。
OAEは、まだまだ研究途中でありますが、
その成果をまとめて示すのが、
今回のOAEのシリーズです。

・風物詩・
北海度では、エゾハルゼミが騒がしく鳴いています。
この鳴き声が、初夏の風物詩となっています。
いよいよ北海道の初夏の行事がはじまります。
まずは、YOSAKOIが今週からスタートします。
私は、教育実習の指導で出張が2件あり、
週末は次男の運動会になっています。
まあ、これらも季節の風物となりました。
実習指導でいろいろな地域にでかけられるのですが、
いって帰ってくるだけの余裕しかありません。
食事に道の駅などに寄ることが
唯一の楽しみでしょうか。

2011年6月1日水曜日

3_98 反論:暗い太陽4

 暗い太陽のパラドクスのシリーズも、今回が最後です。パラドクスを温室効果ガスではなくアルベドの低下で、解決しようとする説にも問題はあるようです。最後の回では、その問題点を反論からみていきましょう。

 「暗い太陽」のパラドクスを解決するために、温室効果ガスとして二酸化炭素が考えられていました。しかし、地表の地質学的根拠から、温室効果ガス(二酸化炭素)も、それほど多くはなさそうだという予想されました。パラドクスを解決するために、ロージングらは、アルベドについて検討して解決案を示しました。温室効果ガスが少なくても、アルベドが低ければ、太陽からのエネルギーを地表付近に蓄えて地球を温めることができるというのものです。
 ロージングらの考えに対して、反論もあります。その筆頭が、温室効果ガスによって「暗い太陽」のパラドクスを説明しているキャスティング(Kasting、2010)でしょうか。その反論の内容をみていきましょう。
 ロージングらは堆積物(縞状鉄鉱層内の鉄の酸化物の鉱物種)から大気組成を見積もったのですが、そこに問題もあるという指摘です。キャスティングの指摘によれば、太古代の大気組成が、もしメタンが二酸化炭素と比べて1割より多ければ、大気中にメタンから有機物が形成され、カスミのように漂い、アルベドを上げてしまう可能性があるということです。ロージングらによると、メタンが二酸化炭素と同じ程度の量が大気あったとしてシミュレーションをしています。もしそうなら、もっと多くの有機物が大気中にできてしまい、さらにアルベドを上げてしまいます。つまり、地表を冷やす効果となります。
 また、ロージングらのシミュレーションは、一次元モデルで行われているのですが、三次元モデルで計算すべきだと指摘しています。現状のコンピュータの能力であれば三次元モデルの計算も可能だから、三次元モデルで検証すべきだという反論です。一次元モデルの問題点は、極地に氷床があればアルベドを上げる効果があるのですが、そのような効果が反映できないため、不確かなシミュレーションとなるからです。
 ただ、彼らのモデルの利点もあると指摘しています。縞状鉄鉱層が大量に堆積した20億年前後は、酸素の急激な増加があった時期です。そのような時期にアンモニアのような還元的ガスのある大気が存在すれば、即座に酸化されて大気からなくなっていきます。それが温室効果ガスの急激な減少になり、太古代の末に起こった氷河期の原因の説明できます。このメリットは、一つの時代の変化は説明できても、長い歴史を説明できません。「暗い太陽」のパラドクスは時間と共に変化する効果ですが、全時代の通じての説明ができません。まだまだ、解決には時間が必要なようです。
 二酸化炭素の温室効果だけで、「暗い太陽」のパラドクスを解決するのは、地質学的証拠から難しいようです。でも、パラドクスをアルベドだけで説明するのも難しいようです。両者の効果を組み合わせて、解くのがいいのかもしれません。しかし、パラドクスは、時間とともに変化する効果です。その時間変化に対応したメカニズムを説明しなければなりません。
 まだまだ、パラドクスの解決までの道のりは遠そうです。まあ、科学はこのような議論を繰り返しながら進歩していくものなのでしょう。

・教育実習・
我が大学では、この時期に学生が教育実習に出かけます。
実習生は研究授業として教科指導を実際にします。
基本的には担任(ゼミの担当教員)が
その研究授業に出張指導に出かけることになっています。
私は、全ての学生の出張指導に行きたいのですが、
出張するということは、
私が担当している講義を休講することになります。
休講をすれば多くの受講している学生が被害を受けます。
一人と多数を秤にかければ多数が勝ちます。
でも秤で済まないのが現状です。
教育実習は大学の単位として認定します。
教員免許では必修の単位となります。
その指導は小学校などの組織や教諭にお任せします。
大学がその指導にまったくタッチしないのは問題ですし
受け入れ校に対しても失礼です。
その兼ね合いを計らなければなりません。
なかなか難しいです。

・快晴・
今日(5月31日)は非常に心地より
抜けるような青空の広がる晴れです。
北海道らしい青空は、非常に気持ちいいものです。
5月はいい天気の日が少なく寒い曇天が多かったのですが、
5月の最下旬になって暖かくなってきました。
北海道らしい初夏の天気です。
本当ならこんな時に外を出歩きたいのですが、
なかなか時間がありません。
でも、この時期は遠出の出張がよくあるので、
時間があれば、少し寄り道します。
日頃行かないところで
その地域の自然をみることができます。
四国にいるときは、頻繁に外にでかけていたのが
ずっと昔のことのようです。
まあ、過去を懐かしむのはやめましょう。