2013年8月29日木曜日

6_115 ボイジャー 1:淡い青のドット

 エッセイでは、惑星探査機ボイジャーが上げた成果を、何度か紹介してきました。今回は、ボイジャー1号から届いた太陽系の縁についての新情報を紹介します。

 惑星探査機のボイジャーの話題は、エッセイで何度か紹介したことがあります。ボイジャーの機体は、今も生きています。太陽系から遠ざかりながらも、現在も観測を継続中です。そして、6月には重要なデータを送ってきました。その成果の概要を紹介します。
 まず、ボイジャーの概要からみていきましょう。
 ボイジャーには、1号と2号があります。1号は1977年9月5日に、2号は1977年8月20日に打ち上げられました。飛行コースが少し違いますが、いずれも外惑星を調べることが目的でした。惑星の配置が絶妙で、うまく飛行コースをとれば、木星、土星、天王星、海王星を、連続的に、しかも接近しながら探査することができるという機会がありました。そのような機会は、次は175年後にしか来ません。そんな絶好の機会を利用して、2つのボイジャーが打ち上げられました。いくつもの惑星を見て回ることができる調査を、NASAは、「グランドツアー」と呼んでいました。
 ボイジャー1号は、木星と土星を観測しました。ボイジャー2号は、木星と土星の他に、天王星と海王星も探査しました。ボイジャーの探査によって多くの発見がなされました。私には、惑星の画像が非常に衝撃的でした。名前しか知らない、おぼろげな姿でしかなかった惑星を、鮮明なカラー画像で、私たちに紹介してくれました。
 ボイジャーのグランドツアーという目的は、無事、終了しました。
 惑星の探査を終えたボイジャー両機は、太陽系から離れていきました。主な惑星を探査した後も、いくつものミッションはおこなわれましたが、印象的なのは、「太陽系の肖像」(Solar System Portrait)と「淡い青のドット」(Pale Blue Dot)でした。
 「太陽系の肖像」とは、60枚のモザイクによる太陽系の惑星の全体の撮影です。エネルギーの消耗を承知で、「太陽系の肖像」をとるために、姿勢を変え撮影されました。そのモザイクの一枚に、「淡い青のドット」として地球が写っていました。その大きさは、画素(ピクセルといいます)1つにもなりませんでした。地球はたった0.12ピクセルしかありませんでした。その儚さ、小ささが、ボイジャーから見た私たちの地球でした。
 現在もミッションは継続中です。ミッションで重要なものとして、太陽系の縁を調べることです。現在(2013.05.31)ボイジャー1号は186億km、2号は152億kmのところを飛んでいます。通信も片道17時間以上かかります。それでも定期的な通信をおこなっています。その成果は毎週報告されています。
 ボイジャーの上げた驚異的な成果はいくつかありますが、私はその耐用年数の長さと、装置の安定性に驚きます。
 ボイジャーは打ち上げられてから、もう35年もたっています。太陽から遠くはなれているために、太陽電池を利用することはできません。ボイジャーのエネルギー源は、原子力電池をもちいています。放射性核種の崩壊によるエネルギーを利用するもので、非常に長期間にわたって発電できます。現在は特別な目的がない限り、原子力電池の利用はされていません。打ち上げ失敗による放射性物質による危険性を考えてのことです。原子力電池は、1号では2020年、2号では2030年ころにはエネルギーを供給できなくなると見積もられています。
 複雑な装置で、なおかつ過酷な環境の中を飛行する探査機で、原子力電池がなくなるまで運用できることは、通常はなかなかありません。
 そしてなんといっても、ボイジャーをコントロールしているのは、1977年のコンピュータです。今使われているどんなコンピュータより多分性能は低いものでしょう。それでもしっかりと仕事はしています。道具には、速さの大きさなどの高性能を求めることも多いのですが、安定性やタフさの方が重要なこともあります。
 そんな驚異を、私は、儚い青のドットから考えています。

・安定感・
ボイジャーの他にもパイオニア10号と11号も
原子力電池を搭載していましたが、
両機とも電池の寿命はあったはずのですが、
通信が途絶してしまいました。
多数の探査機は、どこかに不備が発生し
使えなくなります。
なにせ人が行けないところを
探査機がかわりに調査するのです。
壊れたとしても、多額の経費は無駄になりますが、
人命は失われません。
いくつもの探査機が太陽系の遠くを飛んでいますが、
現在遠く離れたところで、生きて活動している探査機は
ボイジャー1号、2号だけす。
さらなる活躍を期待しましょう。

・太陽系の肖像・
本文で述べた印象的な画像は
NASAのサイトでみることができます。
太陽系の肖像
http://photojournal.jpl.nasa.gov/catalog/PIA00451
淡い青のドット
http://photojournal.jpl.nasa.gov/catalog/PIA00452
のアドレスに公開されています。
興味のある方は、覗いてみてはいかがでしょうか。
また、毎週の報告は
http://voyager.jpl.nasa.gov/mission/weekly-reports/
に掲載されています。

2013年8月22日木曜日

6_114 宇宙への夢

 ある少年の夢について、先月(2013年7月)のネットで話題になり、世界のニュースでも取り上げられました。彼の夢は、今は叶えることができませんが、きっとその夢を糧に彼は成長するでしょう。それを後押しをする粋なはからいが、ニュースとなりました。

 ある少年が、自分の夢を叶えるためにどうすればいいのか、という質問の手紙を書きました。その答えが帰ってきて、少年は大喜びしました。
 その少年は、イギリスに住む、7歳のデクスター君です。彼は、2018年に火星への有人飛行の計画がNASAが進めているというニュースを聞きました。自分も宇宙飛行士として火星に行きたいという夢でした。
 その夢を叶えたいと思ったデクスター君は、次のような手紙を書いて出しました。

Dear nasa
my name is Dexter  I heard that you are Sending 2 peopLe to mars and I Would Lik to come but I m 7.5 O  I can't. I WouLd Like to coMe in the Future, what do I need to do to become an astronaut?
Thank
you
Dexter

親愛なるNASAへ
ボクの名前はデクスターです。NASAが火星にふたりの人を送るとききました。ボクはいきたいのですが、7歳半なのでいけません。将来、ボクはいきたいのですが、宇宙飛行士になるにはどうすればいいですか。
ありがとう
デクスター
(手紙下部にはロケットに自分ともう一人が乗っている絵が書かれている)

という手紙でした。この手紙は、小学生1年生らしい、たどたどしい文字(少し誤字もあります)で書かれています。
 この手紙にたして、NASAは公用レターヘッドで返事を出しました。ワシントン DCになるNASA本部からの手紙でした。担当者の個人名はありませんが、渉外担当(Public Communications Program Public Outreach Division Office of Communications)の方から出されています。

Office of Communications  June 26, 2013
(Dexter's address)
Dear Dexter:
 On behalf of NASA, thank you for writing us a letter.  NASA wants you to know that your thoughts and ideas to further space exploration are important, and we hope that you will continue to learn all you can about NASA's space programs, missions, and accomplishments.  Just think ― in a few years, you could be one of the pioneers that may help lead the world's activities for better understanding of our earth and for exploring space.
(中略)
Again, thank you for your letter. Your interest on NASA is appreciated. NASA wishes you every success in earning good school grades and encourages you to keep reaching for the stars!

渉外部 2013年6月26日
(デクスター君の住所)
親愛なるデクスターへ、
 NASAを代表して、手紙を書いてくださったことにお礼を申し上げます。NASAは君にわかってほしいことがあります。それは、将来の宇宙探査についての君の考えやアイディアは非常に大切だということです。さらに、私たちはNASAの宇宙計画、ミッション、成果について、君ができるかぎりを学び続けてくれることを望みます。ちょっと考えてください-ほんの数年のうちに、君は、私たちの地球をよりよく理解し、宇宙を探査するための世界の活動を指導するようなパイオニアの一人になれでしょう。
(中略:3つのNASAのWEBサイトを紹介)
もういちど、お手紙ありがとう。君のNASAへの興味に感謝します。NASAは君が学校でいい成績をあげることを期待して、星に手を伸ばし続けること応援します!
(部署名)

という、返事がデクスター君に送られました。手紙には、火星の写真と、火星探査車キュリオシティ・ローバー(Curiosity Rover)の写真、NASAのステッカー、そしてローバーのしおりが同封されていました。手紙を受け取ったデクスター君は大喜びでした。
 それを見た母親も喜んで、その様子を写真におさめ、あるサイトに公開しました。すると、口コミでそのニュースが広がり、そのサイトの写真は、一ヶ月間で25万人ほどが見に来ました。NASAのこんな粋なはからいが、次の宇宙飛行士を生みだすのでしょうね。

・粋なはからい・
写真が掲載されたサイトは、
imgurというところで、
http://imgur.com/gallery/6MqlY
現在、まだ残っています。
ささやかかもしれませんが、
こんな手を抜かない「粋なはからい」が
やがては立派な宇宙飛行士を産んでいくのでしょう。

・集中講義・
北海道はお盆から今週にかけて
天候が不順で蒸し暑い日が続いています。
蒸し暑さになれていない北海道の住民は
少々ぐったりしています。
たしか昨年も同じような時期に
蒸し暑さがありました。
集中講義だったので覚えています。
今年も同じように集中講義ですが、
今年は一人のためのゼミなので楽です。

2013年8月15日木曜日

5_116 炭素14年代 5:限界へ

 年代測定の限界に挑戦するには、手間も費用もかかります。しかし、そのようなチャレンジをする人がいて、その技術が普及することで、手軽に多くの人が利用できるようになります。この繰り返しが科学の進歩といえます。

 前回、炭素14放射性核種による年代値の較正について紹介しました。5万数千年前以上の年代の較正のデータが現在入手可能になりつつあるという話をしました。エッセイの終わりで、それ以上、古いものは必要ないという話をしました。その理由を説明していきましょう。
 放射性核種は、原子核が崩壊して別の核種に変わります。炭素14はβ崩壊をして、約5730年の半減期をもっています。
 半減期とは、もともとあった放射性核種が半分になっていく時間を示しています。もとの核種の量が1000分の1になった場合、理論的な限界とされています。炭素14の場合、約6万年が理論的な限界となっています。ただし、実際の運用においては、理論値までは達していない場合もあります。それは分析装置の測定限界によって適用限界が決まってくるからです。
 現在、炭素14の年代測定は、主にβ線測定法と加速器質量分析(Accelerator Mass Spectrometry:AMS法と略されています)の2つがあります。
 β線測定法とは、炭素14が崩壊するときにでるβ線を直接測るものです。新しい試料でも、炭素1gで4、5秒に1個しか壊れないので、精度を上げるには、多くの試料と長い計測時間が必要になります。古くなる場なるほど放射性核種は減っていきますので、測定年代の限界は、3~4万年ほどとされています。
 一方、AMS法は、加速器と質量分析器を合体して、炭素14を直接数える方法です。加速器とは、炭素の原子核(イオンになったもの)を電磁場によって加速していき、同じ質量数をもつ化合物を分解して除いていくものです。炭素の原子核だけになったものを、その先の質量分析装置に入れます。質量分析では、炭素の質量の違いによって曲がり方が違うのを利用して、炭素12、13、14だけを測定していきます。
 AMS法は、少量の試料(1mg程度)と比較的短い時間(30分から1時間)で測定できます。ただし、不純物を取り除くための前処理をしたのち、二酸化炭素にした後、再度個体の炭素(グラファイト)にして測定しなければなりません。大変な手間がかかり、なおかつ加速器は大型の装置となります。なかなか大掛かりな測定となります。AMS法は、以前は、β線測定法より少し精度のよい、4~5万年程度が測定限界でした。現在では非常に精度が上がってきて、理論的限界の6万年前近くまでの試料の分析も可能になってきていて、装置の小型化も進んできました。技術的には、限界に達しているともいえます。あとは、精度の向上と普及が課題となります。
 炭素14年大測定は、技術の進歩により、理論上の限界近くまで測定できるようになって来ました。較正データもそろいそうです。さらに古い年代は、C14では不可能となるので、別の放射性核種を用いて測定することになります。それは、別の機会としましょう。

・蒸し暑いお盆・
お盆になりました。
北海道や東北では週末に激しい雨になりました。
地域によっては洪水の災害もあったりしました。
幸い私の地域ではは大きな被害はありませんでした。
西日本では、暑い日々を過ごされた人もあったでしょう。
雨のあと、北海道は蒸し暑くなりました。
暑さだけならな、北海道は乾燥しているので耐えれるのですが、
湿度が高いと、北海道の人は、ぐったりしてしまいます。
我が家も大学も、冷房がないので、
ウチワが夏の必需品となっています。
大学の生協も休みなので、
私は昼には帰宅してしまいます。

・暑い時は・
暑い時は怪談やホラーでしょうか。
私は、ホラーは特別好きではないですが、
暑い時は怖いもの見たさで
ついつい見てしまいます。
何か怖いものがでるより、
状況が怖くなっていくのが怖さを増します。
パラノーマルのシリーズがなかなか怖くていいですね。
長男は一話をみて、夜寝れなくなったようです。
家内も次男ももちろん見ません。
私は、大丈夫でした。
でも、やっぱり今は、
暑さのなか一流のアスリートが頑張っている
世界陸上でしょうか。
毎日、テレビ放送を録画しては、日課として見ています。

2013年8月8日木曜日

5_115 炭素14年代 4:較正

 炭素の年代測定は、1950年を基準とします。それ以前は、炭素の同位体は平衡に達しているという前提です。その平衡も、問題があることがわかってきました。その較正は、どのようにしていくのでしょうか。

 炭素同位体による年代は、1950年を基準として、「○○年前」ということになっているという話をしました。その理由は、1950年前後を境に、人類が核爆弾の実験をやりだしたので、大気中の炭素同位体比の人為による変動がはじまったからだと説明しました。それ以前の炭素14の比は、一定であるとしました。ところが、自然現象としても炭素14の比率は、変動していることがわかってきました。
 自然状態における炭素14比の変動は、形成過程を考えれば理解できます。形成過程を、再度見ていきましょう。
 高いエネルギーをもった水素原子核(陽子)が、地球の大気圏に突入してきます。これを一次宇宙線と呼びます。陽子が、大気を構成している原子核に衝突して、中性子をはじき出します。この中性子を二次宇宙線と呼びます。中性子がさらに窒素14の原子核に衝突して、炭素14が形成されます。大気中で炭素14の形成と、炭素14が崩壊して窒素14にもどるという速度が一定で、平衡状態になっています。平衡状態にある大気の二酸化炭素が、植物に取り込まれ、光合成によって植物の体となります。植物が死ぬことで平衡関係がストップし、放射性炭素14の時計がスタートします。これが炭素14の形成と、時計の仕組みです。
 このような仕組を考えると、いくつかの変動の要因があることがわかります。
 太陽から飛んできた(すべてが太陽からではなく銀河からくるものある)一次宇宙線は、太陽の活動の程度によって変動することがわかっています。
 陽子は電子をはがされた状態で電荷をもっているので、地球の磁場の影響を受けます。磁場の強度には変動があり、地球の入ってくる一次宇宙線の量も変動し、炭素14比も変動します。磁場の地域差もあり、北半球と南半球でも炭素14比が違っていることがわかっています。
 炭素は二酸化炭素として、海水に吸収されたり放出されたりして、平衡状態になっています。その平衡を達成する時、海洋から放出される炭素は、昔のものなので、同位体比に影響をおよぼすことがわかっています。
 さらに、植物が二酸化炭素を吸収(光合成)したり、放出(呼吸)したりするとき、質量数によって出入りする同位体比に差があること(同位体分別と呼ばれています)もわかっています。
 過去の自然状態の炭素14の比も、いろいろな変動が起こっているので、炭素14比が一定という前提では、精度を上げていく時、誤差を生むことになります。誤差の較正は、年ごとの炭素14の比率を正確に測定して、それを基準値として考えるべきです。その比を時計のスタートすることになります。基準値は、毎年の同質の記録で、長い時間の記録をしている試料があれば最適です。
 そのような基準物質として、木の年輪と年縞堆積物などが用いられています。木の年輪は毎年正確に記録されているので、非常に有用な指標になります。年輪では、1万2600年ほどの基準値があります。
 それより古い年代は、サンゴがつくる年輪を用います。サンゴのウラン-トリウム(U-Th)の年代を測定したものと照合され、およそ2万4000年前まで基準とされています。
 さらに古いものは、福井県の三方五湖の一つの水月湖の湖底にたまった年縞堆積物があります。現在3万3000年ほどのデータがあり、測定が進めば5万3000年分の基準値が手に入ると考えられています。
 それらの基準値から年ごとの較正用の曲線を作成していき、その値を基いて年代を較正していきます。
 これより古いものは、炭素14の年代測定では、必要はありません。その話は次回にしましょう。

・格闘する学生・
大学は、定期試験も終わりました。
ただし、私は、卒業研究の目次の添削を個別にしていますので
のんびりとはできません。
目次とはいっていますが、
研究レポートの構成を検討しています。
一番大事なところです。
各自、実践をしていますので、
実践データを活かす構成を考えなければなりません。
そこは知恵の使いドコロです。
それが理解できれば、
自分の研究の重要性を把握することになります。
重要な作業でもあります。
まだ半数のゼミ生が格闘しています。

・今できることを・
8月の北海道は、晴れれば暑いですが、
湿度が低いので非常に快適です。
日陰であれば涼しく
風があれば涼しい心地よくなります。
夏休みになったので、本当はのんびりしたいのですが、
なかなかのんびりできないのが辛いです。
休みを取りたいのですが、
9月まではダメなようです。
調査日程をなんとか1週間とりました。
研究費があり、別の地域の1週間の調査費が
あたっているのですが、
いつ行けるのでしょうか。
まあ今は、今できることをやりましょう。

2013年8月1日木曜日

5_114 炭素14年代 3:1950年

 過去の年代測定の値は、「○○年前」と表記されます。「前」とは「現在から」を意味しています。ところが、炭素14による年代は、現在からではなく、「1950年から」という基準を持っています。その基準は本来なら1945年とすべきでした。1945年がもっている意味は、日本にも関わる重要なものでした。

 大気中の炭素14は、地球外からの宇宙線によって定常的に形成されています。その結果、大気中の炭素14は、ほぼ一定の比率で含まれていることがわかっていてます。できた炭素14は、すぐに二酸化炭素になります。
 植物は、大気中の二酸化炭素を吸収して光合成をしています。生きている限り代謝をして、細胞を維持しますので、大気中の二酸化炭素と同じ値を保ち続けています。しかし、植物が死ぬと、代謝も止まりますので、大気中の炭素14の値からずれていきます。放射性核種の崩壊がはじまります。つまり、炭素14の時計がスタートします。
 さて、植物の炭素14を用いて年代測定をしたデータは、「今から○○年前(BPと略されます)」と表現されます。例えば、1980年に測定された値と、2010年に測定された値を比較するときは、1980年の年代値は、30年プラスして考えなければなりません。すべての測定値は、毎年1年ずつプラスしなければなりません。そんな作業をするのは大変ですし、中には測定時期の定かでないものも混じっているかもしれません。そうなると、その年代値は用いることはできません。
 そんな煩わしさや問題を解消するために、すべての年代値を1950年を基点として表現することに決められています。つまり「○○年前」とは、「今から○○年前」ではなく、「1950年から○○年前」ということになっています。
 なぜ1950年という年代にされたのでしょうか。切りのいい数字だからというわけではありません。それはBPという略号にヒントがあります。
 BPは、通常「Before Present」と頭文字をとったものとされています。「今から○○年前」という意味になります。ただし、上で述べたように、「今から」とすると、問題があり、適切なものとは思えません。本来なら「Before 1950」が正式なものとすべきでしょう。でも、年代値のあとに別の数字が並ぶのは、混乱を生じます。
 もう一つ、BPの解釈として「Before Physics」の頭文字だとする考えもあります。「物理学前」という意味です。その意図するところは、核実験などをして、炭素のなどの同位体比が変わる前というものです。
 1945年7月16日に、アメリカで最初の核実験はおこなわれています。この直後、1945年8月6日には広島に、1945年8月9日には長崎に原爆が落とされていました。米ソの冷戦による核開発競争がスタートして、1950年ころから核実験が多発します。その結果、炭素14の値も自然のものから変動していきます。
 人類が核兵器で改変した炭素14の値ではなく、自然の状態の値という意味で、「Before Physics」なのです。本来なら1945年を基準年とすべきでしょう。アメリカの研究者たちが、反対するかも知りませんが。
 年代測定をする試料は、そもそも古いものなので、人類が改変した値の影響を受けてはいません。愚かな人類の行為の記憶として「Before Physics」という名称を使いましょう。できれば、基準年が1950年とされているが、本当は1945年にすべきということも覚えておいてください。被爆国の国民として。

・夏・
数日天気が悪くて、湿度も高かったのですが、
久しぶりに晴れました。
すると湿度が高いまま気温が上がり、
少々深いな状態となっています。
まあ、それでも本州の湿度ではなく、
北海道の蒸し暑さですから
耐えられるものです。
ただし、北海道人はこれでも蒸し暑いといって
ぐでぇーとするのですが。

・ドタバタ・
今週は大学の定期試験の真っ最中です。
夏休みは暑いから休みになるはずです。
私が大学生の頃は、前期は夏休みを挟んで
9月にも授業があり、その後定期試験がありました。
でも、今では夏やすみ前に
前期に定期試験まで終わらせるということになっているようで、
一番暑い時期に定期試験をやっています。
学生は暑いのに試験は大変です。
まあ、この1週間が終われば、彼らは夏休みです。
教員はこれからもしばらくは
ドタバタが続くのですが。