2017年3月30日木曜日

2_145 最古の化石 2:ストロマトライト状

 グリーンランドの堆積岩から化石の痕跡が見つかったという報告がありました。岩石は「ストロマトライト状」だったされています。ストロマトライトには、地質学的には重要な意味があります。それを紹介していきましょう。

 最初に紹介するの化石は報告は、グリーンランドのイスアからのものです。発見者は、オーストラリアのウーロンゴン大学のナットマン(A. P. Nutman)と共同研究者たちです。Natureの2016年9月に発表されました。タイトルは、
Rapid emergence of life shown by discovery of 3,700-million-year-old microbial structures
(37億年前の微生物構造の発見によって急速な生命の創発が示された)
というものです。
 最古の化石探しといえば、いつもグリーンランドが登場します。グリーンランドには最古の堆積岩がでることが有名で、最古の化石探しはといえば、その地層からはじまります。かつて何度も最古の化石発見のニュースが流れては、否定されたり、確証がなかったりしてきました。現在でも、まだ最古の生命の存在が確定しているわけではありません。ですから、最古の化石探しの舞台になることが多いのです。
 現在、多くの地質学者が認めている、もっとも古いとされる化石は、約35億年前の西オーストラリアのピルバラから見つかっているものです。岩石は、最初、「ストロマトライト状」の産状を示していたため、太陽光が届く浅海底で形成されたと考えられていました。ストロマトライトという岩石は、光合成をするシアノバクテリアがつくった岩石の産状なので、そのような環境が考えられました。
 しかし、日本の地質学者が地質を精査した結果、現在では、そのような産状の岩石は、光の届かない深海底ではないかと考えられています。深海の海嶺で、熱水噴出孔や熱水の地下の通り道で、マグマに近い場が想定されています。ですから、熱に強い生物(古細菌とよばれるもの)の化石だとされています。
 今回見つかったグリーンランドの岩石も、ストロマトライト状の岩石でした。この岩石は、今まで氷河の下になっていて露出していなかった部分でしたが、近年の氷河の後退で露頭として露出するようになったそうです。
 さて、この報告の課題は、本当に化石つまり生物の痕跡かどうか、そしてストロマトライトかどうかという、2つの点です。
 まず、当たり前ですが、この痕跡が、本当に生物の痕跡、証拠としていいかどうかの検討を進めなければなりません。もし前者の生物かどうかが否定されたら、後者のストロマトライトということも否定されます。もし化石でだったと認定されたとしても、ストロマトライトかどうかという課題も検討しなければなりません。
 なぜなら、上でも述べたように、「ストロマトライト」とは、シアノバクテリアがつくった岩石の構造とされています。シアノバクテリアは光合成をする生物です。西オーストラリアでおこなわれた本当にシアノバクテリアによるものなのかという議論と、同じようなチェックが必要になります。
 光合成は、生物の進化ではなかり複雑な仕組みとなります。生命の歴史としては、地球ができて、海ができ、それから生物が誕生します。その後生物が進化と続けて光合成生物へと至るとされています。現在の地球の歴史では、シアノバクテリアが大量発生したのは、25億年前以降だとされています。地球が誕生して20億年かかって光合成ができる生物まで進化したと考えれば、それなりに納得しやすい時間です。ですから、37億年前の岩石が本当にシアノバクテリアによるものかどうかが、次なる課題となります。
 この化石が本物かどうか、本当にストロマトライトかどうか。検証が待たれます。

・年度末・
3月が終わります。
4月1日には、大学は入学式を行います。
新学期のスタートです。
2016年度の進みは慌ただしかったです。
しかし、いろいろこなしてきたこともあるのですが、
忙しさのため、つぎつぎとくる締め切り、催促など
スケジュールに追われて仕事をこなしていました。
こんな時期もあるのでしょうが、
一時的ことだと思いたいものですが。

・グリーンランディック・
グリーンランドはかつて一度だけ訪れました。
日本からは遠く、経費もかかります。
個人でいくにはなかなか難しいものがあります。
でも、グリーンランドにも街があり、
先住の人たちもいます。
彼らは、自分たちのことをグリーンランディックと呼んでいました。
グリーンラントときくと、
アパートの一室に民泊させて頂いた
グリーンランディックの
おばさんを思い出します。
看護師をされていましたが、まだ元気でしょうかね。

2017年3月23日木曜日

2_144 最古の化石 1:古い化石

 あるニュースが報道され、その後、それが真実として検証されたどうかについては、知らずにすましていることがよくあります。印象の強いものを記憶しがちで、仕方がないのでしょう。最近、最古の生物が発見されニュースになりました。はたしてその化石は本物でしょうか。

 2つの地域から最古の生命の発見について報告されました。その内容を紹介していきます。新発見の紹介する前に、これまでの最古の生命化石について、基礎的なところからみていきましょう。
 このエッセイでも何度か紹介しましたが、古い化石の認定はなかなか難しいしいものです。なぜなら、古い化石は、多くの人が想像する化石とは、全く違うものだからです。
 化石というと、骨や歯、貝殻、葉っぱなどの化石を想像します。これらは生物の体の一部です。さらに、恐竜の足跡も化石として扱われ、しばしばニュースにもなることがあります。生物の這い跡や巣穴など、生物が生活していた跡も化石とされています。多様な化石があります。
 しかし、ここで示した例は、いずれもかなり進化した生物の体の一部や生活痕です。あまり進化していない生物は、殻や骨、歯などをもっていません。多細胞ですらないのです。
 多分、最古の生物は、柔らかい体を持った単細胞生物だったはずです。ただし、単細胞生物でも群れや集合体になっていたことはあるかもしれません。これからの単純ば生物は、私たちが化石で想像した生物の形態、生活とは全く違ったものだったはずです。
 最古の生物探しは、単細胞生物の痕跡を探すことになります。化石は、堆積岩から見つかります。この条件は、化石を探すときに重要な手がかりとなります。最古の単細胞生物は、海で誕生したはずです。なぜなら、現在の生物の体をつくっている物質を化学的に合成するには、水が不可欠となるからです。地球には、少なくとも38億年前から海が存在することがわかっています。38億年前まで最古の生物の探査はできるはずです。
 残念ながら、最古の38億年前の海といっても、液体の水がそのまま残っていることはありません。海底でたまった地層を探します。もちろん、火山灰や、池や湖、砂丘の砂のように陸地でたまる地層もありますが、多くの地層は海底でたまったものです。海でできた物質が現在の陸地に地層としてあり、それを地質学者が発見するのです。ですから、最古の化石は、最古の地層から見つかるはずです。
 ただし、すべての地層に化石が見つかるわけではありません。地層の中にうまくすると化石が見つかる程度で、多くの地層には化石はありません。最古の化石も、地層から、運ければ見つかるかもしれないのです。ただ、ひたすら探すしかないのです。
 さらに、単細胞生物が、最古の化石となる場合、生物をつくっていたからだがそのまま残っているわけでありせん。体をつくっている有機物は、時間がたてば分解してしまいます。しかし、成分のほんの一部が、もしかすると残っているかもしれません。その痕跡が、生物しかつくれないものであれば、生物の存在を間接的ですが、証明したことになります。そんな化学物質をバイオマーカー(生物の痕跡)と呼んでいます。
 最古の生物探しは、基本的にはバイオマーカーを根拠にすることになります。

・最古の化石探しをする人・
生物を扱う生物学だけでは、
最古の化石を探すのは難しいものです。
なぜなら、生きた生物ではないからです。
地層の中に含まれている痕跡を探さなければなりません。
地質学の素養がなければなりません。
しかし、地質学だけでも難しいものとなります。
なぜなら、バイオマーカーは微量の成分を
精度良く検出、測定しなければなりません。
分析の能力も問われます。
最古の化石探しをする人は、
そのような能力を持った人となります。

・そのような季節・
大学は卒業式も終わり、
次は、新入生や新学期に向けての
準備のツメの時期となります。
私達の学科では、新4年生が実習にいくための
準備の授業が集中してはじまりました。
その講義を担当をしていますので、
なかなか忙しいものになります。
ですから、この時期、
他の仕事は、全く進まなくなります。
でも、しかたがありません。
そのような季節なのですから。

2017年3月16日木曜日

4_136 日豊の旅 5:よもやま話

 このシリーズの最後の回になります。日豊の旅で起こったよもやま話をしていきます。私は自分の野外調査では、目標を達成するために、いくつか注意は払っていることがあるのですが、いろいろ思わぬことが起こります。

 野外調査に出かけるときに、一番注意しているのは、いくつかある目的地に、優先順位をつけること、そして目的地を少な目に設定すること、トラブルを事前に極力排除することです。
 目的地に優先順位をつけるのは、その調査の目標を達成するためです。今回は3つの目的地がありました。それを今回のエッセイで紹介しました。優先順位は、1番は鶴見半島の海洋プレート層序、2番は網代島の層状チャート、そして3番が青島の砂岩泥岩互層でした。
 目的地を少なくしているのは、臨機応変に対応するためです。予定はあくまでも予定で、天候や露頭の状況によって、予定通りに進まないこともあります。そんなときに備えて、現地で予定を変更できるように、ゆったり目に立てています。たいてい、午前と午後に一つずつの目的地で調査をしていきます。天候で当時がだめになっても、翌日や別にの日に再挑戦できるかもしれないからです。
 トラブルは、「君子危うきに近づかず」で、事前に危なそうなところや場面はやめておきます。天候以上の不測の事態を排除したいからです。今回の日豊の旅で気をつけたのは、水にはいるようなところ、山の深いところに行く予定では立てませんでした。1月末の真冬なので、水に浸かるのは冷たいし、濡れてからの調査が困るからです。山の予定を入れると、九州でも雪が降ることがあります。また、レンターカーがスタットレスをつけていないので、動けなくなったり、予定通りに進めなくなるころがありうるからです。
 実は一番の問題は、天気です。天気はいかんともし難いので、雨や荒天もありうるので、予定が変わることがもあります。今回は、風の強い日、曇っている日もあったのですが、雨が降るような日はなく、予定変更はありませんでした。短い期間の調査だったので、雨が降るとほとんど調査できないことになるので、幸いでした。
 ただし、いくつか問題もありました。それは調査の最終日です。宮崎で宿を事前に予約しようとしていたのですが、空港近くのホテルや調査地の青島の近くのホテルがほとんど満室でとれませんでした。しかたなく、車で空港から1時間ほどの少々離れたところに宿をとりました。それには、理由がありました。
 私が宮崎空港についたとき、到着ロビーに記者団が行列をしていました。この時期、野球やサッカーのチームが多数、宮崎で合宿をするようです。レンタカー会社の運転手がクラブや球団の合宿リストもっていました。びっしりと予定が入っていました。帰るときにも「侍ジャッパの合宿が・・・」ということをいっていました。ファンや取材陣が宿泊するので、宮崎の周辺の宿が埋まっていたのです。
 合宿については、私の配慮には入っていませんでした。残念でした。

・選んだ道・
今週末、大学の学位授与式があります。
私の学科でも、多くの卒業生を社会に送り出します。
自身の決めた進路で、社会にでていきます。
不安、期待の入り混じった気持ちで
社会に巣立っていくのでしょう。
どこにいっても、自身の選んだ道です。
期待通りにいかない場合もあるでしょう。
予想に反する場合もあるでしょう。
しかし、そこを選んだからには、
精一杯の努力で属するの組織や社会に
対応し、貢献していくことしかありません。
できれば、選んだ道を好きになってもらいたいものです。

・早い春・
北海道のまだ雪も降っていますし、
雪も残っています。
でも、今年は積雪が少ないので、
春の訪れは例年よりも早そうです。
北海道の冬は、厳しいので、
いつでも春の訪れは待ち遠しいものです。
春が早いのは望むところです。

2017年3月2日木曜日

4_134 日豊の旅 3:海洋プレート層序

 大分県の南の佐伯市の鶴見半島に調査にきました。付加体を構成している海洋プレート層序の代表的な岩石を見ることが目的でした。予定していた露頭へのアプローチはできなかったのですが、道路沿いでいい露頭を見ることができました。他にも思わぬサプライズがありました。

 大分県の海岸線を南下していくと、宮崎県に接する町、佐伯(さいき)市になります。周辺の5町3村が、2005年に、佐伯市に合併しました。祖母山から豊後水道まで、非常に広い市となりました。調べたら、九州では、最も大きな面積を持つ市町村となっているようです。
 佐伯市には、豊後水道につきでた半島があります。鶴見半島と呼ばれています。海岸の北側には県道604号線が通っていますが、南側の海岸は切り立っているので、道はほとんどありません。ただ、もっとも東に突き出た鶴御崎には、自然公園があり鶴御埼灯台がたっています。この地は、九州最東端となるところだそうです。
 県道604号線沿いに調査に入りました。事前の文献調査では、南の海岸沿いに、是非見たい露頭があることがわかっていたのですが、その場所は地図では道はありません。でも現地にいってみないとわかりません。釣り人が通るルートなどがたいての海岸にはあり、アプローチできることもあります。ただし、重要な地質調査では、船を利用して海岸沿いを調べることもあるので、一人で徒歩でいけるかどうかは、いってみるしかありません。
 現在と調査された時代とでは、道路の拡張、切り替えや、町の開発なので、岩石の露出の状況が違っていることも多いので、別の露頭が見つかることがあります。やはり現地にいってみるかありません。
 さらに、似た岩石は地質学的は、連続的に分布しているはずです。周辺を調べれば、露頭さえあれば、似た岩石を見ることができるはずです。
 この鶴見半島に来たのは、「メランジュ」をみるためでした。できれば「メランジュ」の構成要素となっている「海洋プレート層序」の岩石類を見たいと思っていました。
 海洋プレート層序とは、海洋底の岩石を構成している岩石類のことで、下の方から、海嶺で海洋地殻として形成された玄武岩、生物の遺骸が深海底にたまってできた層状チャート、極細粒の陸源物質からできた赤色頁岩、陸地から流れてきた土砂によるタービダイト層からできています。
 これらの層序は、付加作用によって断層によって分断されます。激しく乱れて混在していることもよくあり、もともとの構造が不明になっているものを、「メランジュ」と呼びます。メランジュは、スケールが大きと地質図レベルで、あるいは露頭ごとに違う岩石がでたり、小さいスケールだとひとつの露頭にいろいろな岩石が混在していることもあります。また、メランジュの擾乱の程度によって、もとの岩石すらぐしゃぐしゃになっていたり、メートルサイズでもとの産状が残されていることもあります。
 私は、産状が残された海洋プレート層序の岩石を見たいと思っていました。結局、当初目指していた露頭には近づくことはできなかったのですが、県道沿いで海洋プレート層序の各種の岩石類を、きれいな産状のまま見ることができました。こんな失望と歓喜が両方あると、この地は非常に思い出深いところとなります。

・丹賀砲台・
県道604号線沿いを車で走っていると、
丹賀砲台園地という看板がみえて
分かれ道がありましたので入ってみました。
駐車場があり、管理の人もいます。
尋ねると、現在リフトは運休中なので駐車も入場も無料だとのこと。
朝も早かったので、私しかいなかったのですが、
予定外でしたが、「無料」なので、見学することになりました。
ここには、戦時中「丹賀砲台」があったそうです。
観光については調べていないので、知りませんでした。
巨大なトンネルと長い階段、砲台の跡、
そしてその地上部にはモダンなドームがありました。
砲台として巡洋艦伊吹の大砲が据え付けられたそうですが、
事故で大爆破を起こし、多くの死傷者をだしたそうです。
一度も使用されることはなかったそうです。
ドームはなかなか見ごたえのあるもので、
海洋プレート層序の露頭と共に
サプライズのような思い出となりました。

・健闘を・
いよいよ3月です。
北海道は三寒四温が来ています。
暖かいときは、多くの雪や氷が一気にとけ
道が水浸しになります。
寒いときはかなりの雪が降り、冷え込みも厳しいものです。
温度変化の大きい、
メリハリのきいた三寒四温です。
大学は、この時期、入試、卒業、進級など
いろいろ行事が重なるので慌ただしいのですが、
人生の区切りを迎える学生たちには
新天地での健闘を願っています。