2002年4月25日木曜日

4_16 連続する地層:中国3

 中国の地質見学で、非常に長い時間にわたって形成された地層をみました。長い時間の連続した記憶が、ほんの数キロメートルに納まっています。今回はその地層の持つ意味を考えました。


 中国の西方、永定河沿いには、震旦(しんたん)紀とよばれる先カンブリア紀の地層と古生代(億万~億万年前)の地層が広く分布しています。大都会北京のところどころでも、古生代の地層が見ることができます。
 カンブリア紀からはじまる古生代の地層は、震旦紀とは不整合で接し(4_14「4_14 北京の震旦」を参照してください)ます。
 今回見た地域では、カンブリア紀の地層は、石灰岩を主な岩石とし、400メートルほどの厚さがあります。まず、その地層の薄さに驚きました。カンブリア紀は、5億7000万~5億1000万年前からの6000万年間です。もし、現代からその時間を遡ると、新生代のほとんどが入ってしまうほどの期間になります。日本列島では、これくらいの時間が経過すると、分厚い地層がたまります。
 私は、日本で地質学を学び、研究をしてきました。一応、世界各地の地質を調べたり、見たりしましたが、私の「地質学的常識」は、日本列島のものです。ですから、ついつい日本列島の地層の溜まりかたと比べて、いるのです。
 ところが、ある時間に、一定の量の地層が溜まるわけではありません。一般的傾向として、長い時間かけてたまった地層は厚く、短い時間でできた地層は薄くなります。しかし、地層が溜まる環境が違えば、その溜まるスピードは違ってきます。同じ時間が経過しても、環境の違いによって、厚い地層や薄い地層ができるわけです。
 ですから、中国大陸の北京付近の古生代の地層の堆積速度は遅く、日本列島は早いという違いあったのです。日本は、プレートが沈み込むところで、堆積物が溜まりやすいところです。一方、中国の古生代は、暖かい、浅い海の環境が長く続きました。そして、大量の堆積物を運んでくるような川はなかったようです。でも、地震による地層の乱れ(中国では地震岩とよんでいます)や、津波によってできた岩石も多数発見されています。
 地震や津波によって乱れた地層は、最近注目を浴びてきました。白亜紀と第三紀の境界で起こった恐竜大絶滅の原因として、隕石の衝突が考えられています。そのときに大きな津波がおこったと考えられています。大規模な津波は、隕石衝突の証拠とひとつとして、考えられています。白亜紀と第三紀の境界の時代に、津波によってできた地層が、中米の各地の地層から発見されています。
 中国の古生代では、日本の常識列島に捕われていた自分を発見しました。私にはよくあることなのですが、旅行をすると、何故か、自分自身や日本について、思いが巡ってきます。もしかすると、旅とは、見聞を広げる一方、自分自身を見なおし、再発見することなのかもしれません。

2002年4月18日木曜日

4_15 周口店:中国2

 北京南西部にある周口店を訪れました。周口店といえば、北京原人です。北京原人の山地である周口店は、世界遺産にも選ばれています。今回は北京原人の遺跡の見聞録です。


 周口店は、北京の50キロメートル南西の周口店駅の近くにあります。周口村は、北京の市街地からは、だいぶ外れてあり、房山県に属します。周口店は、永定河の支流、ハ(第2水準ではない漢字)児河と竜骨山の出合うところにあります。私が訪れた2002年3月26日の周口店は、白やピンクの桃と桜、黄色いレンギョウの咲く、のどかな季節でした。周口店は、石炭や石灰岩の産地としての一面も持っていました。
 北京原人は、鉱務顧問として招かれたスェーデンの地質学者アンダーソンが、1918年に、周口店へ調査に来たとき、小動物の化石を採集しました。これがきっかけとなり、その後の北京原人の発見や、長年にわたる研究の始まりとなりました。
 その後、アンダーソンの他に、ツダンスキー、ボーリン、ブラックなどの古生物学者が、周口店を調査しました。また、斐文中、揚鐘健などの中国人研究者、中国地質調査所、北京大学が、発掘調査をしました。その結果、40個体ほどの人骨を含む多数の動物の化石、10万点を越える石器や石片類が発見されました。
 1927年に、アメリカのブラックが、人骨を、シナントロプス・ペキネンシス(正式には、ホモ・エレックトス・ペキネンシスに分類されています)と命名したことによって、北京原人が世界的にしられれようになりました。北京原人が、周口店に住みだしたのは、46万年前で、その後約20万年にもわたって、この洞窟に住み着いていました。洞窟の崩壊や堆積物による埋没によって、ここから立ち退かざる得なかったのは、23万年前です。
 北京原人のほかに、2万~1万8000年前の山頂人の遺跡も、同じところから見つかりました。山頂人の人骨や石器なども発見さています。
 周口店の遺跡は、オルドビス紀の石灰岩からできている山腹の洞窟でみつかりました。この洞窟付近は、眼下に扇状地が広がる景色のよいところです。
 洞窟は景色はいいのですが、生活のためには、洞窟まで登ったり降ったりしなければならず、大変なところです。いくら北京原人が、現代人のようにひ弱でなかったとしても、なぜ、わざわざこんな山に生活の場を求めたのでしょうか。
 単に雨風をしのぐという理由だけではない何かが、あるような気がします。狼やトラ、サーベルタイガーなどの外敵から身を守るためもあったでしょう。でも、食料の調達は、平野からが主だったのではないでしょうか。となると、やはり重い食料をかついで山を登るは大変だったのではないでしょうか。もしかすると、冬場の乾燥した時期は、水も下まで汲みにいかねばならなかったかもしれません。
 そこで、ふと、私は考えました。多くの北京原人は生活のしやすい平野に住んでいて、一部の北京原人だけは、山の洞窟に住んでいたのではないかと思いました。では、なぜこんなところ住んでいたかというと、私と同じことを北京原人も感じたからではないかと思いました。私がこの周口店の遺跡のある山腹に立って、真っ先に感じたことは、大変景色が綺麗なところだということです。その景色を毎日満喫したいがために、多少の不便は覚悟で、ここに住んだのではないかと。
 まったく科学的ではありませんし、根拠もありません。人類の仲間というだけで、彼らを自分と同等に考えて、感情移入してしまいまいました。だから、彼らが私達と同じことを感じたのではいか、とついついこんな妄想をしてしまいました。

2002年4月11日木曜日

4_14 北京の震旦:中国1

 2002年3月24日から27日まで、中国の北京付近の地質の見学に行きました。黄砂(こうさ)に霞む、北京は、桃が咲き、桜が咲き、若葉が芽ぶく、春でした。今回の見学の目的は、先カンブリア紀とカンブリア紀の境界を見ることでした。その目的を達したような、達しなかったような、不思議な気分でした。


 北京の北西30キロメートルほどの村、三家店西方の永定河沿いに、目的の地があります。そこに、震旦紀とカンブリア紀の境界があります。中国では、カンブリア紀より前の8億年から6億年前の時代を、震旦(しんたん)紀と呼んでいます。
 さて、震旦紀とカンブリア紀の境界は、文献の上では、不整合であるとされています。今回の私の目的は、その不整合がどのようなものか見たかったのです。
 不整合とは、整合に相対する言葉です。ある地層が途切れることなく連続してたまったものを整合といいます。不整合は、たまった地層が、一度陸になり、もののたまらない状態で、何らかの侵食を受けた後、再び堆積の場となり、地層がたまったものです。
 不整合を認定するには、いくつかの条件があります。一番の条件は、上下の地層に、時間的ギャップがあることです。少なくとも削られた分の時間に相当する地層は、消失しているはずです。また、不整合の面は、水平とは限らないことです。もし、上下の地層の面が、平行でなければ(斜交しているといいます)、そこには不連続面があることになります。さらに、基底礫があることです。基底礫とは、下の地層が陸地であった時に侵食されて、その上に礫となり、上の地層の最下部(基底)に含まれているいるものをいいます。以上のような条件をみたせば、不整合と認定できるわけです。
 結論からいうと、今回の震旦紀とカンブリア紀の境界は、確認できませんでした。案内者の人によれば、他の地域では、不整合が確認できているということです。ここでは、どうも、断層によって、不整合が見えなくなっているようです。
 震旦紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい状態に変成された岩石(千枚岩といいます)になっていることが特徴です。千枚岩のもともとの岩石(原岩)は、赤い粒の細かい泥岩と緑の凝灰岩、淡灰色の石灰質砂岩からなっています。それのうち、泥岩は、赤色千枚岩、緑色千枚岩と呼ばれます。一方、カンブリア紀の地層は、石灰岩を主ような岩石とし、石英砂岩も含みます。石灰岩には、さまざまなものがあります。丸い石灰岩の粒を含むもの(魚の卵のように見えるので魚卵状石灰岩(oolitic limestone)と呼ばれます)竹の葉のような模様をもつものもの、化石を含むものなど、さまざまなものが見られます。
 今回観察した地点では、震旦紀の千枚岩に接して、カンブリア紀の魚卵状石灰岩があり、次ぎに、また、震旦紀の千枚岩がカンブリア紀の石灰岩があります。その間には、小さな断層はいくつもあるようで、不整合らしきところは見かけられませんでした。
 今回の震旦紀の地層は、千枚岩だけだったのですが、北京の東部には、ストロマトライトと呼ばれるシアノバクテリアがつくった岩石や、氷河堆積物からできた岩石もあります。震旦紀だけでなく、カンブリア紀の地層も、日本では見られない古い時代の地層です。中国にはもっともっと古い地層もあります。

2002年4月4日木曜日

6_10 4月の誕生石

 ダイヤモンド。この一言で、興味を示される方がたくさんおられると思います。4月の誕生石は、ダイヤモンドです。ダイヤモンドは、なぜ、綺麗なのでしょうか。その秘密を見ていきましょう。

 ダイヤモンドは、単に値段が高いから、魅了されるのでしょうか。それだけではありません。宝石、特にダイヤモンドには、見ると誰でも、引き込まれるような美しさがあります。それは、天然の結晶がもつ特徴と、人間の叡智とが共同してつくりあげた美しさなのです。
 ダイヤモンドの特徴は、屈折率が高く、硬度(モースの硬度10)が大きいこと、そして、天然での産出が少ないことから、宝石として珍重されています。
 屈折理の高さは、透明鉱物の中でも最大です。屈折率が高いということは、ダイヤモンドの中に入った光が大きく曲げられます。また、ダイヤモンドは、波長によって屈折率が違っています。入る光の角度によっては、光を鏡のように反射させることができます。どこから見ても光をうまく反射する面をつくったものが、ブリリアン・カットなどとよばれる加工です。また、波長によって屈折率が違うため、きらめきが生じます。
 硬度が大きければ、その輝きは永遠に保証されます。
 ダイヤモンドの成分を見ていきましょう。ご存知の方もおられると思いますが、ダイヤモンドは、炭素(C)という元素からできています。同じく炭素からできている鉱物として、石墨(せきぼく)(グラファイトともいます)があります。しかし、石墨は、ダイヤモンドとは似ても似つかない鉱物です。石墨は、真っ黒な結晶で、手でこすると、結晶が手につくくらい柔らかいものです。けっして身に付けて飾ろうという気も起きないものです。
 炭素を、墨でも、もちろん石墨でもいいですが、高温あるいは高温高圧の条件にすると、原理的には、ダイヤモンドができます。強い圧力よって、ダイヤモンドは、炭素のぎっしりとつまった状態になっています。ぎっしりつまっているということは、密度が大きくなっています。同じ炭素からできている結晶でも、ダイヤモンドの密度が大きく(約3.5 g/cm3)、石墨は小さく(約2.2)なっています。
 では、天然のタイヤモンドは、どこでできたのでしょうか。それは、地球の深部です。地球は、深部に入るほど圧力が上がります。ダイヤモンドができるのは、100km以上の深度になります。そのダイヤモンドが、低温低圧の地表にくるには、マグマの働きによって地下から持ち上げられなければなりません。それも、ゆっくりと上がってくると、低圧で安定な鉱物である石墨に変わってしまいます。そのような余裕もなく、一気に地表にまで達したものが、ダイヤモンドとなります。
 現在、ダイヤモンドは合成されますが、天然のものとは不純物(インクルーション)で区別できます。人工結晶には、不純を含まなかったり、不純物の種類や入り方が違っています。ですから、区別できます。また、ダイヤモンドの贋物(イミテーション)として、ジルコン、YAG(イットリウム・アルミニウム・ガーネット)やチタン酸ストロンチウムなどが用いられます。贋物はダイヤモンドだけではありません。いろいろなもので、あります。
 しかし、天然のダイヤモンドは、非常に変わったできかた、そして運ばれ方をしたものなのです。だから、ダイヤモンドの輝きには、人を惑わす魅力、いや魔力があるのかもしれません。ダイヤモンドの魔力は、人にイミテーションまで生み出さすまでにいたったのです。