2004年5月27日木曜日

3_31 硬水と軟水

 ある人から「日本は軟水、ヨーロッパは硬水が多い」のはなぜ、という質問を受けました。これは、地質学と一見関係ないようですが、でも考えていくと関係があったのです。


 硬水と軟水の詳細について、私は専門家ではありません。ですから、この質問を水や水理の立場から答えることができません。地質学者の立場で答えることにしました。
 硬水と軟水は、カルシウム(Ca)とマグネシウム(Mg)の量が違いによって区別されます。カルシウムやマグネシウムを多く含む水が硬水です。一般に水には、地下水であろうが、川の水であろうが、多かれ少なかれ、カルシウムやマグネシウムを含んでいます。ただし、炭酸水素塩や硫酸塩などのかたちで含まれます。
 このような区分を定量的にあらわしたのが、水の硬度とよばれるものです。水100cc中に酸化カルシウム(CaO)+1.4×酸化マグネシウム(MgO)をmg(ミリグラム)の単位で表したものを、水の硬度としています。より正確には、カルシウムやマグネシウムの量の他に、鉄やアルミニウムなどの金属イオンも加えて考えられています。
 酸化カルシウムなどが1mgあれば、水の硬度は1度です。この硬度が20度以上のものを、工業上は硬水と呼んでいます。
 なぜこのような区分をするかというと、硬水は、生活や工業用として利用するときに、さまざなま支障を起こすからです。カルシウムやマグネシウムの化合物は沈殿を作りやすく、石鹸の効果をなくしたりします。沈殿が起こると、パイプやボイラーが詰まったり、繊維に化合物が付着して染色、製糸を妨げたりするからです。
 さて、なぜ、硬水がヨーロッパに多いのかという点ですが、日本でも硬水の多い地帯はあります。ただし、日本では、水資源が豊富なので、軟水を別途用意できるから、軟水を利用し、硬水を使わずにすむので、あまり問題が表面化していないのでしょう。それに、水道水も最近は技術の進歩によって一時よりはずっとおいしくなりました。それが、ますます硬水と軟水の比率を紛らわす要因になっている可能性があります。
 ですから、ヨーロッパだけに硬水が多いとは限らないと思います。ちなみにヨーロッパから水を輸入にしてありがたがっている人が日本にはたくさんいます。不思議なことです。当然のことですが、ヨーロッパにもおいしい水があるのです。
 でもやはり、経験的に、硬水が多いように感じます。私はヨーロッパの硬水と軟水の比率を知りませんが、その理由を想像してみます。あくまでも想像です。データはありません。
 カルシウムやマグネシウムは、多くの岩石や地層をつくる主要な成分です。しかし、水に溶けやすいかどうかは、カルシウムやマグネシウムがどのような鉱物として岩石に含まれているかが重要となってきます。
 水に溶けやすい鉱物として、なおかつ量の多いものとして、石灰岩とドロマイト(苦灰岩ともいいます)というものがあります。石灰岩は炭酸カルシウム(CaCO3)でドロマイトは炭酸マグネシウム(MgCO3)です。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わってできるものです。ですから、古い時代の石灰岩はドロマイトに変わっていることがよくあります。
 また、水だけを考えますと、水が上のようなカルシウムやマグネシウムをたくさん含む岩石に接する機会が多いほど、水の硬度は高くなっていくはずです。つまり、水が海に達するまでに長い時間、あるいは長い距離を流れれば、水の硬度は高くなります。このような条件を満たすしたものが硬水になります。
 ヨーロッパは、日本と比べれば古い地層からできているところが多いです。そして海で溜まった地層もその中にはたくさんあります。そのなかには、石灰岩やドロマイトをたくさん含む地層もあります。
 また、アルプスからアペニン山脈より北側のヨーロッパでは、川は蛇行してゆったりと、そして長い距離を流れ、海に向かいます。ですからこのような条件を満たしているのだと思います。
 でも、これは、フランスやドイツ、デンマークなどを想定したものです。ヨーロッパ全土に当てはまるかどうかはわかりません。また、アメリカ大陸やユーラシア大陸、そして日本でもこのような条件を満たすところもあります。そんなところは、硬水となっていはずです。ですから、日本でも硬水があるわけです。
 地層や岩石の分布は、長い時間の地球の変動を繰り返し受けて、複雑になってます。特に古い時代のものはそうです。また、地表に出ている地層や岩石だけが、水の硬度に影響するわけでなく、地下の地層や岩石も地下水を通じて関与しています。
 ですから、ひとくくりにして語るのは、統計がないと難しいと思います。そして、その統計も地質を水という視点で見た平均値、あるいは積算値のようなものとみなすべきです。だから一般論で語れるかどうかは、私にはいまのところ判断できません。

・おいしい水・
おいしいと思って飲む水。
まずいと思って飲む水。
本当においしい、まずいというのはあるはずです。
その間には、どちらでもない水があるはずです。
しかし、人間は感情の動物です。
日々当たり前だと思って接している水のようなものは、
味を意識することは少ないはずです。
でも、お金を出してかった水。
のどが渇いてやっとありついた水。
暑いときに飲む冷えた水。
これらは、おいしく感じます。
味というのは、最終的に心が感じるものです。
だから、心さえ惑わせれば、おいしく思わせることもできるはずです。
ラベルや見た目など、注意しないと心は簡単に惑わされますよ。

・やらせ・
先日の週末、岐阜に1泊2日で行ってきました。
今回で5回目、延べ10日間通ったことになります。
あと一度出かけなければならないかもしれません。
ある研究プロジェクトで、
教員に野外学習の素養を高めてもらうための方法を
考えていくための活動でおこなっています。
先週は、岐阜の小中学校の先生たちを集めて、
河原で石ころを素材に
一日実験授業に参加してもらいました。
50名ほどの先生が集まってこられました。
このような行事に、休日にもかかわらず参加される先生は、
もちろん熱心な先生です。
そん熱心な先生ですから、多分、
期待した成果は得られるはずです。
でも、これって「やらせ」ではないでしょうか。
結果のわかっているものを、
一種のアリバイ作り、証拠固めのような気がしてなりません。
私は、いまこのやり方にすごく疑問を感じ、
研究会のメンバーに議論を投げかけています。
さてさて、どうなることやら。

2004年5月20日木曜日

4_45 白亜紀の恐竜:春の道北2

 道北の旅でいくつかの博物館を見ました。博物館の恐竜化石をみて、はやり博物館は面白いところだと思いました。そんな話をしましょう。

 北海道からは、貴重な化石がたくさん見つかっています。アンモナイトは特に有名で、三笠町にはアンモナイトを中心とした博物館があるほどです。アンモナイトは中生代の代表する化石ですが、中生代はなんといっても恐竜の化石が有名です。
 かつて、日本では恐竜はいなかったと考えられていました。ただ一つの例外は、昭和9年(1934年)に、当時日本領だったサハリンから恐竜の化石(カモハシ竜の仲間のニッポノサウルス)が見つかっていただけでした。
 ところが、1978年に岩手県岩泉町茂師(もし)から、恐竜の化石(モシリュウ)が発見されて以降、熊本、群馬、石川、福島、福井、岐阜、福岡、北海道、富山、山口、徳島、長野、三重などで、ぞくぞくと恐竜化石が発見されてきました。今では、日本も、恐竜がたくさん出る国となっています。
 恐竜の化石の産地としては、手取層群が世界的に有名です。手取層群は、富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがって分布する地層で、日本の恐竜化石の約90%を占めています。手取層群は、中生代ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけで形成された地層す。
 世界の恐竜の化石は、中生代のいろいろな時代から出ているのですが、なぜか白亜紀前期の地層は、それほど多くはありません。ところが日本で発見される恐竜化石の多くは、白亜紀の時代からです。ですから、今まで恐竜の研究でよくわかっていなかった白亜紀前期の恐竜を調べるには、日本が非常に大切な地域となりました。
 北海道の白亜紀の地層としては、空知層群、蝦夷(えぞ)累層群(るいそうぐん)、根室層群などがあります。なかでも蝦夷累層群は、恐竜化石やアンモナイトなどのがたくさん出ることで有名です。蝦夷累層群は、北海道の南北にのびる脊梁山脈周辺に、平行に分布している砂岩と泥岩からできている地層です。白亜紀の前期中ごろから後期中ごろ(1億1000万から7200万年前ころ)に、アジア大陸周辺の大陸斜面に溜まった地層です。時代が新しくなるにつれて、堆積する場所はだんだん浅い海になってきます。そして、浅い海で溜まった地層から恐竜化石が見つかっています。
 今回訪れた博物館のひとつは、中川郡中川町佐久にある中川町エコミュージアムセンターでした。中川町は蝦夷累層群がたくさん分布する地域で、以前からアンモナイトやイノセラムスなどの化石がたくさん出ることで有名です。中川町から首長竜の化石が1991年に発見されました。この首長竜は、ナカガワクビナガリュウと呼ばれ、エラスモサウルスの仲間とされています。ナカガワクビナガリュウは日本では最大の首長竜とされています。このような白亜紀の化石を、博物館ではたくさん見ることができました。
 そして、エコミュージアムでは、ゴールデンウィークには、子供たちを対象にして、いくつものエベントがおこなわれていました。恐竜の模型を使って仲間探しをしたり、恐竜のおもちゃをつかって遊んだり、発掘コーナーで発掘をしたり、化石のレプリカを自分でつくったりするようなイベントをしていました。これらのエベントでは、日本でも恐竜を代表とする化石がたくさんあり、それを子供たちに身近に感じて欲しいという学芸員の心意気が見えました。私は、日本にも恐竜がいたのだということを強く感じました。

・恐竜への熱い心・
中川エコミュージアムは、国道から少し奥まったところにありました。
初めて訪れました。
その建物は、廃校になった中学校を再利用したものでした。
体育館が展示スペースとなり、教室が宿泊型研修室となっていました。
天井も高く広い展示場でしたが、天候のせいで非常に寒かったです。
強力なストーブをたいて暖めていましたが、
なかなか展示場全体は温められてませんでした。
でもストーブの前だけは暖かくなっていました。
親は寒くなると、ときどきストーブの前で暖を取っていました。
ところが、子供たちは、上着を脱いで、腕まくりをして、
化石のレプリカ作りに目を輝かせていました。
また、化石の発掘コーナーでは、
砂の中に埋もれた化石を刷毛で熱心に発掘していました。
この寒い体育館でも、子供たちの化石に対する熱い心は、
肉体をも熱くしていたようです。
化石や恐竜は、子供たちを熱くしてしまうようです。
もちろん大人もその大きさには圧倒されますが、
やはり寒さには勝てませんでした。
子供のような体が熱くなるような情熱を
もうなくしてしなったのでしょうかね。

・周氷河地形・
脊梁山脈とはいいますが、道北では、その山並みは、
南部の脊梁である日高山脈ほど険しくありません。
むしろ、たおやかな感じがします。
それは、氷河によって険しさが均されているせいかもしれません。
道北の先端地域である宗谷地方は
周氷河地形と呼ばれるものができています。
周氷河地形とは、氷河の周辺部にできる地形で、
小さな起伏が連続するなだらかな斜面を発達しています。
このような地形は、日高山脈南部の襟裳岬周辺でもみられるものです。
北海道の北と南で似たような周氷河地形がみられるのは、
北海道の脊梁山脈が中央部の標高が高く、
南北で低くなっているからです。
この性質がそのまま北海道の形に反映されているのです。

・再訪・
中川町は、私が大学3年生の夏に、研修論文作成のために、
学科の3年生全員が、大学の研修施設に泊まり、
夏休みに調査をした地域でした。
いってみれば、私が地質調査と呼ばれるものを
はじめておこなった地域でもあります。
再訪して懐かしかったのですが、
20数年も前のことなので、
町の様子も、道路も、景色もだいぶ変わったようです。
手元には資料がないので、
どこを調査したのかさえも正確には思い出せません。
でも、ここで過ごした夏の思い出の現実が一致しません。
なにか懐かしいようで、もやもやしたような
不思議な気分になりながら、中川の町を後にしました。

2004年5月13日木曜日

4_44 2つの列島:春の道北1

 みなさんはゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私は北海道の北部(道北)を調査で巡りました。そのときに感じたことを紹介しましょう。まずは、北海道全体の地質の話からです。

 北海道では、脊梁山脈と呼ばれる山並みは、南北に走ります。南から北に向かって、襟裳岬から日高山脈、そして北海道の中央に十勝岳や大雪山の大きな山体があり、宗谷岬まで続き、その北方延長は宗谷岬から間宮海峡を越えて、サハリンまで続いています。もちろん、これらの山並みつくっている基本的な地質も続くことになります。
 北海道には、連続性は少ないのですが、もう一つの山並みがあります。それは、千島列島から知床半島、斜里岳、屈斜路、阿寒、大雪山、十勝岳、少し間があいて、支笏、登別、洞爺、羊蹄山、駒ケ岳、恵山へと点々と続く山並みです。これらの山並みは、道東では東西方向に並び、大雪山から十勝岳で湾曲して道南にかけては南北に並びます。こちらの山並みは、もうお気づきかもしれませんが、火山がつくる山並みです。
 2つの山並みは、並びの方向だけででなく、活動した時代、現在の岩石や地層のようすはまったく違ったものです。でも、そこには重要は共通点がありました。
 北海道がもともと一つのものではなく、2つの地質帯が衝突した結果できたものであると考えらています。2つの地質帯の間には、今はなくなってしまった海があったと考えられています。その証拠となるのが、脊梁山脈にみられるさまざまな地層や岩石です。
 海があったのですから、海でたまった地層があります。そして、海底でたまった地層には、化石が含まれていることがあります。中生代の海で生きていたアンモナイトやイノセラムス、首長竜などもみつかっています。また、サンゴ礁からできた石灰岩あり、現在は鍾乳洞をつくっているところもあります。海底で活動した火山岩もあります。枕状溶岩やその枕状溶岩がくずれた火山性の砕屑岩(ハイアロクラスタイトとよばれる)などが見つかります。こんな海の証拠が脊梁山脈やその周辺から見つかります。
 海がなくなるというのは、プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込むことによって起こります。沈み込み帯の地下深部では、変成作用がおこります。冷たいプレートが沈み込ますから、圧力は高いのですが、温度がそれほど高くない変成作用が起こります。そのような条件では、片岩とよばれる変成岩がたくさんできます。神居古潭変成岩とよばれる地帯がそれにあります。
 沈み込みがおこれば、陸側では沈み込むプレートから供給された水分によって、マグマ活動がおこります。深部では、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩ができます。日高深成岩類とよばれるものです。深部では、温度の高く、圧力も高い状態での変成作用が起こります。そのような条件では、片麻岩などの変成岩がたくさんできます。このような岩石は日高変成岩類とよばれます。
 北海道の脊梁山脈は、2つの地質帯がくっついたときにできたものです。それは、今は活動はやめてしまった列島がつくった山脈だったのです。激しい上昇をとなう活動だったのでしょう。列島の表層を覆っていたであろう地層や火山などは、ほとんどは削剥されてなくなってしまいました。
 そして、衝突が終わって北海道の原型ができた後に、次の列島の活動がはじまったのです。それが、脊梁山脈を横切るもうひとつの火山の織り成す山並みです。つまり、北海道では2度にわたって列島を作る作用がおこっていたのです。そして、2度目の列島を作る作用は現在進行中の営みなのです。
 いずれも列島をつくる営みによってできたも山並みなのです。時代や方向は違いますが、2つの地質帯がぶつかり合っている場にできたものなのです。
 今回の調査では、私が北海道でも今まで見たことのない脊梁山脈の北方延長となる道北でいろいろな石をみることができました。

・ラッシュ・
今年のゴールデンウィーは大型連休なので、
4泊5日の休日となり、出かけた方も多いでしょう。
我が家では、調査を兼ねて、道北を巡りました。
北海道でも大型連休ともなると混雑します。
でも、車が渋滞するということはなく、
車が連なって走るというのが混雑するといいます。
北海道では普通は何台も車が連なって走るということは
大都市周辺の幹線道路以外ではそうそうありません。
高速道路も、一般国道も、都市や観光地の周辺はこのような状態だったので、
さすがの北海道も人が一杯出かけているということを感じました。
本州のラッシュと比べれば穏やかですが、
北海道の人間には、これでもラッシュなのです。

・卒業論文・
私が卒業論文で調査をしたのは、
日高山脈の西縁にあたる地域です。
静内川の中流から上流に当たるところです。
その地域は、海底の火山活動できた枕状溶岩からできていました。
ダム工事の最中のもっとも岩石が良く見える状態での調査となりました。
しかし、現在は、残念ながら、
その調査地域の主要なルートなるところは、
コンクリートで覆われたり、ダム湖の中に水没しました。
そのダム建設中に卒業論文の野外調査をおこなっていました。
ダム工事の作業員たちが宿泊する飯場に
3ヶ月間ほど厄介になって調査をしていました。
この3ヶ月は北海道の自然や地質に深く触れした。
そして、地質学に深くかかわるという自分の人生も決めたときでもありました。

2004年5月6日木曜日

3_30 熱がなすこと

 前回は地球の冷め方から、地球の年齢を探るという方法の歴史を紹介しました。今回は、地球の年齢ではなく、地球の仕組みを総合的に考えることに、地球の熱が大切だということを紹介しましょう。


 大地は、じっとしている訳ではありません。いろいろ変化しています。いちばん身近な変化は、雨や川の流れによって、大地が削られ、その削られたものが海に運ばれるという作用でしょうか。雨が降り、川が流れるという作用は、そのエネルギーのもとをただせば、太陽の熱から由来したものです。
 雨や川の作用以上に、激しく大地を変化させるものとして、火山があります。火山は、ほんの短い時間の間に、周辺の大地を変化させます。火山という山ができたり、溶岩を流して、新しい大地をつくったり、火山灰を降らせ地層を形成したり、カルデラのように大地をくぼませる作用だっておこないます。マグマは、大地をそして地球を大きく変化させる働きをしています。
 火山は、大地の変化、中でも、新しい大地をつくるという重要な作用をしています。火山は、マグマが地表で活動したものです。マグマは、地表ばかりで活動をするわけではありません。地表にまで出てこないで、地下で固まることもあります。そのような岩石は、深成岩と呼んでいます。火山岩も深成岩もマグマが固まった岩石です。このような岩石をあわせて、火成岩といいます。
 大地の、もちろん海洋底も、地殻をつくる岩石の大部分は火成岩とそれが変成を受けた変成岩からできています。つまり、地球の大地は、マグマがつくっているといってもいいほどです。
 マグマはどこからくるのでしょうか。マグマは、地球の内部からきます。マグマは、岩石が溶けたものです。しかし、地球の内部は固まった岩石からできていることがわかっています。不思議です。マグマは岩石が溶けたものです。しかし、地球の内部の岩石は、溶けていません。ですから、ある特別なことが起きると、地球内部で岩石が溶けて、マグマができることになります。
 そこで、重要な働きをするのが、地球内部の熱なのです。熱が作用すると岩石が溶けます。一番単純に考えると、岩石が高温になると溶けて、マグマができます。内部には溶けた鉄や固体の鉄が地球の中心の核としてありますが、その外には、マントルや地殻と呼ばれる岩石からできた層が厚く覆っています。マグマは岩石が溶けたものです、地球は固体からできています。
 岩石は熱を伝えにくい断熱効果のある物質です。ですから、地球の内部がいくら熱くても、岩石が多い地球では、熱が伝わることはあまりありません。でも、現実にマグマができます。他の作用が働いているはずです。
 熱だけが、物質を伝わる方法を伝導といいます。熱の伝わり方には、伝導以外に、2つの方法があります。放射と対流です。
 放射とは、物質の表面から電磁波を放出して熱を伝える方法です。これは、真空中や気体中など、電磁波が伝わるところで起こる作用です。ですから、地球内部では、放射の作用で熱は伝わりません。残された伝わり方は、あと一つです、対流です。ものが動いて、ものと共に熱も伝わる仕組みです。じつは、この対流が、熱をいちばんよく伝える方法なのです。
 地球内部が岩石でできているといいましたが、地球内部の暖かい岩石と地球の外側の冷たい岩石では、同じ岩石でも密度が違ってきます。暖かいものの方が密度も小さく、軽くなります。岩石も地球内部のような温度の高い状態では、流動します。そして、まるで液体のように対流をするのです。もちろん水のようにさらさらとは流れるものではありませんが、ゆっくりとですが、対流します。これが、マントル対流と呼ばれるものです。
 熱による対流によって、マグマができます。それについては、次回としましょう。

・冬眠明け・
このメールマガジン「地球のささやき」は6つの区分があり、
内容を分けて掲載しています。
ただし、私が思いつくままに、その内容を適当に決めて書いています。
一応、満遍なく、いろいろな内容で書くように心がけていますが、
ついつい書いている量や時期にムラがてできます。
そんなことで、ふと見直したら、「地球の仕組み」が少し間が開いているようです。
なんと2002年11月21日に「3_29 日本列島の火山帯の形成モデル」を書いて以来、
1年半も間、「地球の仕組み」の内容のエッセイがありませんでした。
ですから、今回、このエッセイを書きました。
北海道も長い冬が終わりました。
そろそろ冬眠も終わりとしましょう。