2008年2月28日木曜日

3_65 PETM 3:結果

 PETM後の温暖期に、北極海では、アカウキクサ・イベントと呼ばれる異変が起こります。PETMシリーズの最終回として、その異変を見てきましょう。


 PETM後のEocene Optimumでは、全地球的な温暖期で、大気中の二酸化炭素も現在よりもっと多く、現在の10倍ほどの3500ppmもあったようです。北極海では、この温暖期に大きな環境変化が起こります。その記録は、北極海の海底堆積物から読み取ることができます。
 北極海の海底には、現在、8mほどの堆積物がたまっています。それらの堆積物は、珪質砕屑物とプランクトンを原料とする有機物が主成分としていますが、その中にアカウキクサの化石からできている数mmの薄い層(ラミナと呼ばれています)があります。このアカウキクサの薄い化石の層に、じつは重要な意味があるのです。
 アカウキクサの薄層が、北極海のどこからの海底堆積物からも見つかることが、いくつかのボーリングコアで確認されています。その薄層がたまった時代は、4900万年前です。また、詳細な古地磁気と花粉の研究から、その薄層の形成された期間が、80万年間であることも突き止められています。
 これらの証拠から、4900万年前の北極海で、一時的ですがアカウキクサが大発生したと推定されます。これをアカウキクサ・イベント(Azolla event)と呼んでいます。このイベントは、ある地域である一種が大繁栄をしただけのことですが、注目されるには訳があります。
 アカウキクサとは、直径1から2cmほどの小さな葉を持つ、淡水に生息する浮遊性のシダ植物です。日本でも近畿以西の本州、四国、九州などで見られ、熱帯から温帯の暖かい地域に生息している植物です。アカウキクサは、繁殖力が旺盛で、条件さえよければ、2、3日で葉っぱが、2倍に増えていきます。
 北極海は、PETMの前後の大陸移動があっても、現在と同じような高緯度に当たっていました。ですから、北極海は当時も地球上では一番寒い海に当たります。極寒の海であるはずの北極海に、なぜか。熱帯や温帯でしか育たないアカウキクサが大発生したのです。
 さらに、このイベントと同時に、大気中の二酸化炭素の量が、3500ppmあったものが650ppmに激減します。二酸化炭素が、一気に約82%も減少したのです。これは、現在の地球温暖化問題の解決に重要なヒントを与えてくれそうです。ですが残念ながら、これらの因果関係は、まだ定かでありません。
 ある試算では、当時の北極海の広さ(約400万平方km)に、80万年間に渡ってアカウキクサが覆い繁殖をしつづければ、この単独のイベントで、大気中の二酸化炭素を2割に減少させることも可能だとされています。
 地球史上のPETMという一つの異変が新たな異変を引き起こします。これが因果の連鎖というもので、非常に複雑な因果が絡み合って起こるはずです。このような連鎖を過去の歴史から探ることは、科学が進んだ現代でもなかなか困難なことなのです。もし過去の一つの事件の解明された因果関係を、安易に現在や未来の問題に適用するのは、危険なこともあはずです。しかし、過去は現在に重要な示唆を与えてくれます。地球はさまざまな異変を経てきました。その事件の発見と研究は、今の私たちが進むべき道標となるはずです。今後も研究を続ける必要があります。

・再確認・
PETMという事件は、私は以前から知っていました。
しかし、Azolla eventというものは、
今回PETMを調べていく過程ではじめて知りました。
H. Brinkhuisと35名におよぶ共著が、
北極海のボーリングコアをもとに
2006年にNatureに発表したのがきっかけのようです。
少々専門が違うので、この論文は知りませんでした。
この時期に北極海の温暖化が起こっていたのは、
以前からわかっていたのですが、
北極海が淡水で、ここまで温暖であるとはだれも気づきませんでした。
この新たな証拠の発見で、PETMの温暖化のすごさが再確認されました。
今後、この研究はますます注目されていくのでしょう。

・手術・
私は、先週の19日に眼の手術を受けました。
日帰り手術ですが、少なくとも1週間は
自宅で安静にしていることなります。
経過によっては、2週間以上療養が必要かもしれません。
ですから、このメールマガジンは、
18日に発行しています。
次回からは、復帰して、メールマガジンを発行していると思います。

2008年2月21日木曜日

3_64 PETM 2:原因

 PETMと呼ばれるイベントは、なぜ起こったのでしょうか。その原因は、どうも海と大陸の配置、そして火山活動、海流や気候変動など複雑だったようです。


 PETM(Paleocene-Eocene Thermal Maximum)とは、暁新世-始新世境界温暖化極大イベントと呼ばれ、今から約5500万年前に起こった急激な地球温暖化事件のことです。それを呼応したように暁新世-始新世の時代境界では、大絶滅が起こっています。PETMがどのようにして起こったのかは、興味があるところです。現在、多くの科学者が、研究しているホットな話題となっています。
 PETMは、1990年に海洋学者のケネット(J. Kennett)とストット(L. Stott)の論文がきっかけになりました。彼らは、海底の堆積物の分析から、北極海では始新世の始まりに、海水面だけでなく海水温全体が突然高くなり、深海では酸欠になり絶滅が起こったと考えました。その報告をきっかけに、北極海の異変が全地球的な絶滅を起こした、という説を唱える研究者が何人もでてきました。もしこれが本当なら、PETMは北極海周辺の局地的な現象ではなく、全地球的な大事件になるわけです。問題は、PETMが、なぜ起こったのかです。
 PETMが起こった5500万年前ころは、現在の大陸配置とはだいぶ違っていました。研究者によって過去の大陸配置の復元は、その詳細においてはいろいろ違いがありますが、あらすじは一致しています。
 PETMの前後に、インドがユーラシア大陸に衝突しました。その影響で、ヒマラヤ山脈ができ、世界各地で火山活動が活発化しました。また、すでに開きはじめていた大西洋は、さらに開きはじめます。
 多くの研究者は、この時期に、大陸の衝突の影響で各地で火山活動が活発化し、大陸と海洋の配置が変化したことで海流にも大きな変化が起こし、気候変動へとつながったと考えています。
 PETMのころの北極海は、今よりも閉ざされた、いくつかの海峡で外洋とつながっている海でした。ヨーロッパとアジアの間には、広い海峡(ツルゲイ海峡:Turgay Strait)があり、別々の大陸となっていました。その海峡は、北極海と、当時はまだ広かったテチス海(後に閉じてきて地中海になります)をつないでいました。グリーンランド-北アメリカ大陸間とグリーンランド-ヨーロッパ大陸間は、くっついていたか、あるいは細い海峡しかありませんでした(復元は人によって違います)。いずれにしても、北極海は、今よりもっと閉ざされた内湾の環境だったようです。
 その後、グリーンランドの東側にあった大西洋の中央海嶺と、西のバフィン湾周辺での火山活動が活発になります。その結果、グリーンランドは、北米大陸やヨーロッパ大陸と完全に分裂していきます。その分裂時に起こった火山活動で、大量の溶岩が噴出した直後に、PETMが起りました。
 このように時系列に並べた地質現象をみていくと、誰もが、大規模な火山活動とPETMの関係づけたシナリオを考えたくなります。多くの科学者も、それぞれが得た証拠をもとに、いろいろな仮説を出してきました。火山活動によって直接二酸化炭素の放出を考える説、海嶺のマグマが海底の堆積物に含まれていた二酸化炭素やメタンの放出をさせた説、海底に大量にあったメタンハイドレートが一気にメタンとして放出される説などがあります。
 現在のところ、PETMのシナリオは、まだ確定していません。大気中に大量のガス(いわゆる温暖化ガス)が放出され、温暖化が起こるというシナリオが共通しているようです。その急激な環境変化が引き金となって、大絶滅が起きたようです。では、PETMの結果、次の異変が起こりました、その話は次回にしましょう。

・大陸配置・
PETMのころの大陸配置の復元は、
http://www.scotese.com/newpage9.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Early_Eocene_Arctic_basin.PNG
などがあります。
両者をよく見ると、結構違いが目に付きます。
データがないあるいは少ない時代や地域では、
研究者独自の考えで大陸配置をしなければなりません。
大陸配置は、新たな研究成果が出れば変わることがあります。
たとえば、時代決定が正確になれば、今まで同時期だとされたものが、
実は違う時代の事件になることも起こります。
あらすじはあまり変わらないようです。
なぜなら、あらすじとは、基礎的なデータに基づいて
大陸配置が復元されているためです。
これからも、研究が進めば、より詳しい復元がなされていくでしょう。
もしかすると、決定的な新事実が見つかれば、
新しいあらすじも生まれるかもしれませんね。

・雪庇・
先週は爆弾低気圧のために、全国的に雪模様になったようです。
北海道は、数日で大量の降雪となりました。
雪かきがどこの家庭でも苦労しています。
我が家でも、雪庇がせり出してきたので、
業者に頼んで、雪下ろしてもらいました。
一人の人が2時間ほどで終わらせてくれました。
我が家は雪庇の落下で以前ガレージのシャッターを
破損したことがあります。
もし下に人がいた大事になっていました。
今度の冬に備えて、雪が解けたら、
屋根に雪庇よけの工事をしようかと考えています。

2008年2月14日木曜日

3_63 PETM 1:突然の異変

 今回から数回にわたってPETMについて考えていきます。聴きなれない言葉ですが、PETMは地球史の中では、不思議な事件なのです。


 PETMという言葉を御存知でしょうか。PETMとは、地質学や古気候学などの専門家だけが使っている特殊な術語です。しかし、近年、その重要性に注目されるようになってきました。
 PETMとは、Paleocene-Eocene Thermal Maximumの頭文字をとったものです。PaleoceneとEoceneは、地質時代の名称で、それぞれ暁新世(ぎょうしんせい)と始新世(ししんせい)と日本では呼ばれています。Thermal Maximumとは、温度の極大という意味です。同じものを、Initial Eocene Thermal Maximum (IETM)と呼んだり、同じ事件ですが、時代の認定の考え方の違いからLate Paleocene Thermal Maximum(LPTM)と呼ばれることもあります。
 日本語では、「暁新世-始新世境界温暖化極大」イベント(イベントとは事件という意味)と呼ばれています。なぜ、イベントという語がつけられているかというと、短時間に異常な温度上昇が起こっているため、事件とみなすべきだという意味です。
 顕生代以降の古環境の復元で、平均気温をまとめている図が地質学の教科書に出ていることがあります。それを見ていくと、古生代や新生代と比べて中生代が温暖であったことがわかります。中でも、白亜紀の中頃(1億2500万から8000万年前)は、顕生代の中でかなり温暖な時期にあたります。白亜紀中頃は、海水温が現在よりも平均で13℃、深層水も15から20℃も高かったと考えられています。極地では氷冠(大陸の広い範囲を被う氷河のこと)がなくなっていました。そのために、大陸上の氷はなく、ほとんどの水が海に流れ込み、大規模な海面が上昇が起こっていました。近年危惧されている地球温暖化をはるかに凌ぐ温暖化が起こっていました。
 新生代のパレオジン(かつては古第三紀と呼ばれた時代)に入った直後は、白亜紀の温暖化がいったんおさまりましたが、暁新世の終わり頃から、再度温暖化がはじまります。始新世の前期から中期にかけて(5500万から4500万年前)、白亜紀に匹敵するほどの温暖化が起こります。ある化学成分(酸素の安定同位体など)のデータや古環境の復元から、温暖な気候であったことがわかっています。
 中でも、PETM(5550万前ころ)は、地球史でも飛び抜けて異常な温暖化が起こっています。異常というのは、たった数千年ほどの間に、北極海の海面温度が5度から8度上昇し、亜熱帯では23度も上昇します。今問題となっている温暖化以上の大事件が起こっていました。そして、PETMは20万年ほど継続して、唐突に終わりをつげます。ですから、イベント(事件)と呼ばれているのです。
 PETM以降も、温暖化は継続していきます。温暖化は5000万年前をピークとして1000万年間も継続します。この長期の温暖化を、始新世高温期(Eocene OptimumあるいはMECO:Middle Eocene Climatic Optimum)と呼んでいます。5000万年前の温暖化のピーク時には、PETMと同じほどの平均気温に達します。
 始新世高温期以降の時代は、寒冷化へ向かっていきます。その寒冷化は、今も継続中です。もちろん現在の温暖化問題の短期間の話ではなくもっと長い時間スケールで見た場合です。
 PETMやEocene Optimumを研究することで、急激な温暖化の原因やその後の気候の反応などを解明できるかもしれません。そのような研究は、現在の温暖化問題を考える上で、非常に重要な記録となるはずです。では、PETMは、いったいなぜ起こったのでしょうか。その詳細に入るのは、次回からとしましょう。

・気温変化・
顕生代以降の気温変化は
http://math.ucr.edu/home/baez/temperature/

http://www.scotese.com/climate.htm
があり、新生代の気温変化は
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:65_Myr_Climate_Change.png
などが参考になります。
地質時代の温度の変化は、いくつかの見積もり方法がありますが、
それぞれ一長一短があります。
いずれかの方法ですべての時代の温度を見積もることもできません。
いくつかの方法で見積もることになります。
見積もりは、過去ほど不確かになります。
ですから、過去の平均気温は、
どうしても仮定が入り、研究者によってその値には違いがあります。
それを考慮に入れた上で、見ていく必要があります。

・休養・
北海道の雪祭りも終わり、
大学は入試も終わり、
周りは、一段落が着いたような感じです。
私にはそのつもりはないのですが、
緊張が抜けたのでしょうか、
子供がもらってきた風邪を引いたようで、
火曜日からけだるさがあります。
あまり無理をしないで、
ひどくなる前に休養をしたいのですが、
それができるでしょうかね。

2008年2月7日木曜日

2_64 オスとメス5:雌雄の証拠

 このシリーズでは、生物のオスとメスという戦略について考えてきました。シリーズの最後に、オスとメスがいつ誕生したのかをみていきましょう。

 生物は、35億年前には誕生したことは確かな証拠があります。その後しばらく、単細胞の原核生物だけで、無性生殖をするだけだったと考えられます。最古の生物も、単細胞生物のような証拠も、化石から決定されたものです。単細胞の原核生物が固い殻や骨のような化石に残るものを持っているわけではありません。形態の痕跡が、炭素やその化合物として残されているだけです。それでも、細胞も大きさ、形や細胞分裂している様子などから、その痕跡が生物であったことがわかります。
 現在の生物でみると、はっきりとした雌雄を持っているのは、DNAを核という袋に入っている真核生物だけです。真核生物は、原核生物より複雑な構造をしていますから、35億年前よりもっとあとになって誕生したはずです。
 真核生物は15~20億年前に誕生したと考えられています。では、真核生物が、いつごろから雌雄という機能を持つようになったのでしょうか。
 有性生殖のはじまりとしては、異型配偶子接合、つまり減数分裂をともなう有性生殖を行うです。
 植物の化石で見つかるのは、珪藻類があります。珪藻類は異型配偶子接合を行うもので、約12億年前ものが最古です。植物では、花粉(花粉は化石に残りやすい)や花、実などが化石として見つかれば、雌雄の存在が比較的簡単に見分けられます。
 一方、動物では、そうはいきません。多細胞動物の化石が、10億年前以降から見つかりますが、オス・メスは、そうたやすく判別できません。顕生代のはじまりカンブリア紀の直前(約6億年前)のエディアカラ動物群では、減数分裂を行っていたと考えられますが、化石としては判別できません。
 動物のオス・メスの差異を化石から見つけなければならないのですが、化石から雌雄を決めるのは、なかなか困難なのです。それは、生殖器が化石になりにくいからです。多数ある動物の化石でも、オス・メスが確実に決められているのは、案外少ないのです。
 化石として雌雄がはっきりと確認されているのは、私が知っている限りでは、古生代後半、3億年前のミジンコの化石が最古のものです。最近でも、骨の形からカマラサウルスという大型の植物食恐竜の雌雄の判定法を見つけたとして、論文が書かれるほどです。
 オスとメスは、我々人間では当たり前に存在するものに見えるのですが、実は、なかなか複雑で謎めいた存在なのですね。

・男女関係の苦労・
オスとメス、人間でいえば、男と女ですが、
その関係は複雑なものです。
人間関係ですから、個人と個人の関係に基づいているはずなのですが、
同性同士には見られない、別の関係が生じます。
男女関係の中には、当然、
遺伝子の命ずる生殖への動機(本能と呼ばれる)が含まれています。
なにも人間だけが、この関係に悩んでいるわけではありません。
節足動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類など他の生物も
男女関係では苦労しています。
その関係で、生死をもかけて戦われることもよくあります。
雌雄の誕生は、苦労の誕生でもあるのでしょうか。
それとも生きる自体に、苦労が伴うのでしょうか。

・考えきれないこと・
私立大学は、入試のシーズンです。
我が大学も、今日から入試です。
少子化のため、どの大学も生き残りをかけて、
さまざまな対策を練っています。
少しでも、受験生にアピールをしようといろいろな手を打っています。
教員も当然それに参画し、協力しなければなりませんが、
教員の一番努力すべきことは、
いい教育、つまりいい講義の提供ではないでしょうか。
いい講義とは、学生の望む内容を提供しながら、
それを打ち砕き、より上を目指すものでなくてはなりません。
ただ単に学生の望むものを提供するだけでは、
教員の妥協や手抜きに過ぎません。
ですから、毎年同じ講義名であっても、
内容や提供手法は、いつも試行錯誤しながら
改良していくことになります。
教員として、それは当たり前のことなのですが、
それでも毎年考えさせられます。
特に今の時期は我が大学では、
来年度の講義のシラバスを提出する時期となります。
いろいろ悩みながら考えながら、
でも、最後は締切りに追われて、
これでいいのかと迷いながらも決断してしまいます。