2003年8月28日木曜日

1_25 プレソーラーグレイン(2003年8月28日)

 隕石の中には、不思議なものがいろいろ含まれています。そんな不思議な、小さな粒を紹介しましょう。

 炭素質コンドライトとよばれる隕石から、プレソーラーグレイン(presolar grain)という不思議な粒が見つかりました。プレソーラグレインとは、太陽系(ソーラー)の誕生より前(プレ)にできた粒(グレイン)という意味です。不思議な名前を持つ粒です。
 炭素質コンドライトのような原始的な隕石は、太陽系ができるとき、宇宙空間にあった材料物質が集まってできたものです。しかし、太陽系では、粒が集まる前に、高温になる時期がありました。その高温時に、初期にあった材料物質の粒子が溶けて、気体になってしまいました。つまり、多くの材料は、元素のレベルで一度ならされ、太陽系全体で均質になったのです。そのときに、太陽系にあった材料の平均的なものですから、太陽系独自にブレンドされた成分となったのです。太陽系のどの物質でもある一定の値を持ちます。それは、太陽系で固有の値となっています。
 しかし、そんな高温に耐えて、少しだけですがもとの姿のまま「火の通っていない」材料、プレソーラーグレインがあることが発見されました。つまり、太陽系初期に溶けないで残った粒子があったのです。そんな粒子、プレソーラーグレインは、太陽系のブレンドされた組成とは違った成分をもっています。
 隕石の中にこんな風変わりな成分が混ざっていることは、1960年代から知られていました。その風変わりなものが分離され、そして分析できるようになったのは、1990年代になってからでした。
 プレソーラーグレインは、炭素質コンドライトの基質(マトリックスともいわれます)から発見されました。プレソーラグレインには、最初は、3種類の鉱物が発見されました。炭化けい素(シリコンカーバイト、SiC)、ダイヤモンド(Diamond、C)、グラファイト(Graphite、C)の3種です。最近では、さらに新たなプレソーラグレインとして、コランダム(Al2O3)や炭化チタン(TiC)なども発見されてきました。
 一つ一つの鉱物は非常に小さく、数ミクロンメートルから数ナノメートルくらいしかありません。ですから、見つけることも、まして分析することも大変だったのです。
 プレソーラーグレインのいくつかの元素の同位体組成で、異常が発見されました。最初は、酸素(O)やキセノン(Xe)などの同位体組成で異常が見つかっていましたが、今では、ネオン(Ne)、炭素(C)、窒素(N)、けい素(Si)などでも異常が見つかっています。
 このような地球でブレンドされた組成とは違ったものは、その粒子ができたときの情報を保存していると考えられています。太陽系の材料が、どのようなところから由来しているかを知るためには重要な情報が得られたのです。
 炭化けい素(シリコンカーバイトSiC)には、組成の違うものが4種類ほどふくまれていました。それぞれが、違った起源をもっています。その起源として、漸近巨星分枝星(Asymptotic Giant Branch Star)、超新星というものが考えられていますが、起源の不明なものもあります。
 ダイアモンドは、別の超新星、グラファイトは、別の漸近巨星分枝星、Wolf-Rayet星、新星などが起源が考えられています。
 ほんのちっぽけな粒子ですが、私たちの太陽系よりもう一つ前に存在した星たちの名残をとどめているものです。自然は、素晴らしい贈り物を私たちに用意してくれていたのです。

2003年8月21日木曜日

4_36 佐田岬半島:夏の黒瀬川2

 四国、愛媛県の北西部に、九州に向かって伸びている佐田岬半島があります。佐田岬半島の先まで、石を見に出かけました。夏の暑い日の見学でした。海水浴客を横目に、石を見てきました。


 佐田岬半島を貫くようにして国道197号が走ります。佐田岬半島の先端の三崎港から四国九四フェリーで九州に、この国道は続きます。197号の東は、愛媛県東宇和郡城川町を通り抜けて、高知県の須崎まで伸びています。この国道は、以前はくねくね道で、「いくな酷道」(197国道)と呼ばれるほどひどい道だったそうです。今では2車線のまっすぐな道になり、かなり走りやすくなっています。
 そんな佐田岬半島をつくる石を見に行きました。佐田岬半島の海岸は、緑色の縞のある石からできています。石積みの塀の多くは、この緑色のしましま石からできていました。この石は、緑色片岩と呼ばれています。緑色でも、さまざまな色合いの縞模様をもつ変成岩です。高い圧力で、玄武岩の溶岩や玄武岩の破片からできた堆積岩が、変成されたものです。
 これらの緑色片岩は、三波川変成岩の一部です。きれいな石なので、三波石として庭石や積石に利用されています。三波川変成岩は、緑色片岩だけでなく、いろいろな石が見られます。
 今回みたのは、佐田岬半島の先端の町、三崎町の南側の海岸、長浜というところです。長浜は三波川変成岩の崖の下に砂浜が広がる海岸で、人っ子一人いませんでした。もったいないようなきれいな砂浜を、独り占めできました。暑く、泳ぎたくなるような日でしたが、ここへ来た目的は石を見ることです。
 長浜には、緑色片岩の露頭はなく、蛇紋岩と黒色片岩がありました。蛇紋岩と黒色片岩が断層で複雑に接していました。
 蛇紋岩とは、蛇の体のように、青や黒、緑などの色が、てかてか光って見える石です。蛇紋岩は、マントルをつくっているカンラン岩に水が加わってできた岩石です。
 黒色片岩の片岩とは、細かい縞模様をもつ岩石で、ハンマーでたたくと、縞模様にそって割れやすく、時には手でもはがれます。黒色片岩は、黒い色をした片岩で、堆積岩のうち泥岩のような細かく黒っぽい石が強い圧力による変成作用を受けたものです。
 その他にも海岸にはいろいろな石の転石がありました。緑色片岩ももちろんありました。砂岩の変成された砂質片岩、石灰岩が変成した石灰質片岩。それらが交互に重なった片岩も見かけられました。石英片岩を探したのですが見当たりませんでした。
 三波川変成帯には、各種の片岩が含まれています。場所によっては、さらに圧力の強いところでできる変成岩も見つかっています。三波川変成帯は、温度より圧力の強い場所でできたことになります。そのような場所は、地球の深い場所で、それほど温度の高くないところということになります。
 現在の地球では、それは、海溝より深部だと考えられています。海溝深部とは、海洋プレートの沈み込むところです。海洋プレートは冷たいまま、沈み込みます。すると温度はそれほど高くならずに、圧力だけが上がっていきます。ですから、三波川変成帯は、昔のプレートの沈み込み帯の深部の岩石が、顔を出していると考えられています。佐田岬半島とは、昔に沈み込んだ海洋プレートが変成作用を受けたのち、地表の持ち上がられたものだったのです。

・人工と自然・
三崎の北向きの入り江に海水浴場がありました。
しかし、見るからに人工の防波堤と持ち込まれた白い砂からできています。
防波堤はこの地にない花崗岩で作られ、
砂も、この地にはない花崗岩からできたマサと呼ばれる白い砂です。
少し離れていますが、南向きの海岸には、いい砂浜があります。
それを利用する人はなく、人工の砂浜で海水浴をしているのです。
利用している人も、これは人工の砂浜であることよく知りながら使っています。
これで、いいのでしょうか。
自然の恵みをそのまま利用すれば良いのではないでしょうか。
もちろん、自然のままですから、荒々しさや危険も伴うかもしれません。
でも、それは自然の中で遊ぶための、当たり前のルールではないでしょうか。
それが自然との接し方ではないでしょうか。

・原子力発電所・
佐田岬半島の伊方には原子力発電所があります。
そのアピール館があり、立ち寄りました。
原子力発電所の仕組みや、安全対策、そして安全性を紹介しています。
クイズやゲームもあり、大人も子供も楽しめるようになっています。
そして物産展もあります。
大変なお金をかけて、このアピール館は、維持運営されているようです。
これも消費者である電気使用者のお金から出ているはずです。
このようなことは、宣伝費として、当たり前なのかもしれません。
この原子力発電所は、四国の4分の1の電力を供給しているようです。
ですから、この原子力発電所は、もはや中止することはできません。
原子力発電所が本当に安全かどうかは、わかりません。
もし何かがあったとき、水力発電所や火力発電所より
原子力発電所は危険です。
それを多くの人は直感的に恐れているのです。
理屈や安全対策をいくら説明しても、
人々はその危険性を肌で感じています。
「もしも」ということを、誰もが感じていることなのです。
安全対策の予想を超えた「もしも」があったとき、どうなるか。
それを多くの人は心配しているのです。
私たち、人類はとんでもないものに、
生活の基盤を依存しているのではないかと心配になってきました。
それに日本人は、原子力の怖さをいちばん知っている国民でもあるのです。

2003年8月14日木曜日

4_35 城川再び:夏の黒瀬川1

 今年(2003年)の5月のゴールデンウィークに、四国の愛媛県東宇和郡城川町を訪れました。そして、8月3日から8日まで、5泊6日で再び、城川町に滞在しました。再訪した城川で感じたことです。


 泊まっていた宿泊施設で、地元のおじいさんと話す機会が毎朝、何度かありました。そして、城川の今と昔を話を聞きました。そこで聞いた話を紹介しましょう。
 四国の松山空港についたとき、冷房の効いたロビーから外に出ると、熱く湿気のある空気が体を包み、一気に汗が吹き出しました。本州では、長かった梅雨のあけて、夏らしい暑い日がはじまっていました。
 愛媛県東宇和郡城川町に滞在中に、夕立がありました。激しい夕立、まさに「篠突く雨」というべきものが、1時間ほど降りました。そのとき私は、山のかなり上流にある地質館という建物の中にいました。すると、地質館のすぐわきの川は増水し、轟々と音を立てて、茶色くにごった水が流れていました。こんな集中豪雨と増水は、天候によってどこでもおこることです。ところが午後2時ころあった夕立が、夕方には川の水量もだいぶおさまり、濁りも取れたきました。さすがに、山をしっかりと守っている町だから、山も保水力や浄化作用があって、いいなと思っていました。
 こんな状態になるのにも、紆余曲折があったようです。古老の話を聞くと、戦後は、木が必要でいっぱい切ったそうです。切ったあとの山の斜面は、段々畑にして、食料を作っていた時期があったそうです。そのころは、山に保水力がなく、年に3度も4度も増水があり、川筋はそのたびに洗われて、石ころの荒れた川原だったそうです。ですから、葦なんかはえず、広い河原があったそうです。草刈などの川の手入れがあまりいらなかったそうです。
 ところが、いまでは、山に木が植えられ、しっかりした森ができると、洪水がなくなり、河原は葦がびっしりはえるようになったそうです。少々の洪水では、根のはる葦は流されず、河原が葦林になってきたそうです。葦の生えた狭い河原は、手入れをしないと、近づきがたいものです。山と川、植物、人間活動。これらは密接な関係を持っているようです。
 食糧難がおわると、国の政策もあり、荒廃した山を建て直すために、植林をしたそうです。でも少し前までは、間伐材も充分商品となったので、山や木を守ることができたそうです。ところが最近では、30年以上たった太い木でも、手間賃、搬送コストのほうが、木の売れる金額より高くなるようです。これでは、林業では食っていけません。
 日本では、けっして木の需要が減っているわけではありません。未だに木の住宅は建てられ続けています。しかし、その木の大半は、外国の木で、安く輸入しているものです。この状態が続く限り、日本の林業が廃れていきます。
 でも、今、木を切っている外国の森も、戦後の日本が経験したことと同じことがおこっているのかもしれません。日本のように、植えさえすれば木が成長するところは、切っても復元できます。日本が輸入している木材が、熱帯雨林の木やタイガの針葉樹などがたくさん含まれているとすると、その再生は容易ではありません。すごく長い年月が必要かもしれません。あるいは、二度と復元できないかもしれません。
 私たちは、経済性だけを中心して、生活しているようです。いつのころからお金中心の生活をするようになったのでしょうか。安ければいい。もうかればいい。多くの人は、それを世の中の仕組みと思っています。でも、森を守ろう、30年しか持たない家より100年も200年ももち、子孫がそこに住み続けられる家を建てるべきではないでしょうか。
 林業も重要な産業としていた城川も、もはや山の維持がなかなか難しくなってきたようです。そんな夕立でにごった川を見て、こんなことを考えしまいました。

・台風・
私が城川町から発つ日、台風10号が四国に接近していました。
昼前の東京行きに乗ったのですが、ぎりぎり飛んでくれました。
午後の便はすべて欠航でした。
この台風は、大きな被害を与えました。
北海道でも多くの犠牲者を出しました。
城川町でも、2名の行方不明者を出したことをニュースを見て驚きました。
これは、城川町の人たちは大変だろうなと心配していたのですが、
さらに驚いたことに、
そのひとりは、私の友人の同級生だったそうです。
なんとか彼の遺体は発見されたました。
それがせめてもの救いです。
御冥福をお祈りします。
北海道に住んで感じることですが、
関東を台風が過ぎたり、それたりすると、報道の量が一気に減ります。
需要と供給を考えると仕方ないことですが、
地元の放送局でもその報道量は極端に減ります。
NHKの四国接近の時はずーっと報道してました。
しかし、北海道では、被害のみがニュースになり、
その被害を防止す効果を持つ、報道が少なくなっていました。
なんとなく残念な気がしました。

・城川再訪・
私が今回来たのは、城川町の地質館のデータベースをつくるためです。
私の他に、博物館から4名がその要員として、作業をしました。
城川の地質館にある全資料の撮影とそのラベルや解説のデータベース。
城川町内の地質の観察ポイントの資料採集と撮影、解説のデータベース。
城川町とその周辺からとれる化石とその解説のデータベース。
これらを城川町のホームページに置いて公開することが目的でした。
これを完成させて帰ろうというのが目標でした。
私は、そのほかに、城川と神奈川の地学クラブの子供たちの交流行事をします。
交流事業は、4日午後の学習会と5日一日の地質の野外観察会でした。
このような交流も、もう4回目となりました。
着実に成果は上がっていると思います。
そして子供たちもそれなりの成長をしてくれていることでしょう。

・心の故郷・
城川滞在中に、激しい夕立が2日続けてありました。
2度目の夕立のときは、私たちは佐田岬半島にいたため、
雨にもあわず、暑い思いをしていました。
その日、城川でバーベキューをしました。
その夜は、一雨のおかげで夜は涼しくなっていました。
やはり、私は田舎は好きです。
もちろん、そこを訪れた、季節のせいかもしません。
でも、あるとき、あるところを訪れたとき、
その地のよさは、訪れた時期、気候、天候、精神状態、肉体状態など
すべての条件を寄せ集めて、それをどう感じたかということです。
それが、すべて合計してプラスになれば、その地はいいところとなるはずです。
私にとって城川は、何度も訪れているところです。
そのようなたびたび訪れている地では、
たぶん本質的なところ、風土というべきもでしょうか、
そこが好きかどうかになっているのでしょう。
私とって、城川は、好きなところです。
心の故郷、あるいは第二の田舎となっていきそうです。

2003年8月7日木曜日

6_30 天空の島:人智を超えるもの

 川は、海から蒸発した水蒸気が、雨として大地に降り、雨が集まり、流れ下っていくものです。川はやがて海にいたります。日本の川のはじまり、つまり源流は、山岳地帯です。川が刻む大地の模様、すなわち地形は、水と大地が織りなすものです。もし平らな大地に雨が降ったらどんな模様ができるでしょうか。そんな疑問に答えるてくれるような素晴らしい、そして圧倒的な模様が、大陸にありました。

 コロラド川の上流にあるコロラド高原は、海抜2,000mから3,000mの高さで、さしわたし500kmを越える広い台地です。コロラド高原には、グランドキャニオンという有名な景勝地があります。しかし、さらに上流にも、すばらしい景勝地があります。キャニオンランズ国立公園ということろであります。ここキャニオンランズ国立公園の一角に、大陸の川のはじまりを見ることができました。
 コロラド川は、カリフォルニア湾に注ぐ川で、下流からメキシコ合衆国、カリフォルニアとアリゾナの州境界を流れ、ネバダとアリゾナの州境界、アリゾナ州、ユタ州、そしてコロラド州のロッキー山脈にその源をたどります。北アメリカでは6番目の長さと流域面積を持つ、大きな河川です。
 グランドキャニオン国立公園はアリゾナ州のコロラド川流域にあります。キャニオンランズ国立公園は、アリゾナ州の北隣のユタ州の南東に位置します。グランドキャニオンでは、川が大地を削り込んでつくった景観が見ることができます。しかし、グランドキャニオンは、川がすでに深く切り込んで深い谷となったものです。
 では、平らな大地を川が削りはじめるときは、どんな模様ができるのでしょうか。もちろん、最初は小さな川の跡ができるでしょう。この作業が長年にわたって繰り返されると、どうなるでしょうか。
 日本のような山岳の河川の源流では、太かった川の流れも細くなり、やがてちょろちょろ流れいた川も、尾根や山腹で消え去ります。川は、周辺に生えている植物や岩場の隅からしたたり落ちたひと滴からはじまります。つまり、川のはじまりは、ほそぼそとした小さなものです。
 私たち日本人には、川とは上流にいくとほそぼそとした流れになるという常識がありました。ところが、大陸の平ら大地では違っていました。それも、想像もつかないような不思議な模様からはじまっていました。
 唐突というべき模様です。唐突に川ははじまります。まるで巨大な熊手でざっくりと大地を掘り起こしたように、あるいは針葉樹のような形をして、川がはじまります。地上から見ているのに、まるで自分が天空にいるような錯覚に落ちってします。数百メートルあるような巨大な地形が、まるで箱庭のように見えてします。まるで、自分が天空の視点を得たような気持ちにさせる、そんな錯覚を起こすところです。ここは、「天空の島(Island in the Sky)」という名称をもつ地です。まさにここは天空といいたくなるような、そんな不思議なそして神々しさに感動を覚えます。
 ある時は、3つの支脈をもった、まるで巨大な恐竜がつめで削ったような川の模様です。川の浸食がさらに進むと本流が太くなり、爪あとが小さな木の枝状に残っていきます。巨大な天空の物の怪が、戯れに大地を掘り込んだように、平坦な大地に川が生まれます。
 もちろん、そこにつながる小さな川の流れの跡があります。しかし、その小さな川の跡は、大地を刻んでいません。小さな川の跡はあっても、平らな大地と呼んでもおかしくありません。ここでは、それは川の跡というにはふさわしくありません。
 その川の跡は、あまりにも唐突にはじまります。常識を覆すはじまり方です。でも、これも川のはじまりの姿です。もしかすると川のはじまりとしては、例外的なものかもしれません。でも、数百メートルにおよぶその地形は、厳然として存在します。
 こんな不思議な地形をみると、どうしてできたのだろうという疑問は当然わきます。もちろん科学はそんな疑問に答えてくれます。科学とは、「天空の島」だけの説明にとどまらず、どこでも通用するようなものに仕立て上げられます。
 水平の地層があり、サバンナや草原のような半乾燥あるいは乾湿が繰り返される気候のところでできます。大陸内部で長い時間かけてたどり着く地形です。川は線状の侵食ではなく、面状の侵食をおこないます。水平の地層中には、いくつ種類かの岩石からできています。その中には侵食の程度が違うものが含まれています。硬い岩石は浸食されにくい地層となります。硬い岩石の地層は浸食されずに上面が平な面となり、平原となっていきます。「天空の島」のように広いものは、構造平原と呼ばれています。構造平原のような地形は、コロラド高原だけでなく、インドのデカン高原、アフリカのレソト高原などでも見れます。
 このような水平な地域が地殻変動により上昇すると、川の位置は変わることなく、上昇した分だけ、平らな大地を深く掘り込み、川の深さは維持されます。侵食が進むとメサやビュートと呼ばれる地層になり、やがて次の硬い地層が現れると、そこが次の構造平原へと変わっていきます。古い大陸では、このようなサイクルが繰り返されていきます。
 このように「天空の島」の地形のでき方は、地質学あるいは地形学で説明されています。でき方がわかっても、なお不思議なものもあるようです。そして感動はいつまでたっても消えていきません。そんな人間の小ざかしさを吹き飛ばす奇妙さ、そして不思議な感動は、ここにはあります。まさに、先人が呼んだ「天空の島(Island in the Sky)」にふさわしい地に、川のはじまりを見ました。