2010年11月25日木曜日

4_96 鳥巣石灰岩:西予11月

 城川は、地質学的に見所がいくつかありますが、古生代や中生代の化石が産出することでも有名です。その地質学的研究は、今も継続しています。今回は、観光客が見れるような場所での研究の一端を紹介しましょう。

 西予市城川町の旧役場、現城川総合支所は、下相(おりあい)というところにあります。下相は、黒瀬川が大きく曲がるところあたり、広くはありませんが、河床平野ができていて、耕作地もあり、国道も通っています。古くからの集落からははずれているのですが、いくつかの公共施設や旧役場、道の駅「きなはい屋しろかわ」もあります。市民にとっても、通行する人や観光客にしても、集まりやすい中継所となっています。
 その道の駅のすぐ下の黒瀬川の河床は、知る人ぞ知る、化石の産地となっています。その露頭では、現在も研究され、成果が報告されています。興味のある方も、眺めるだけにして、むやみな採取はしないようにしましょう。
 城川地域の秩父帯南帯(三宝山帯とも呼ばれます)は、南から高川層群、古市(ふるいち)層群、そして今井谷(いまいだに)層群に区分されています。今井谷層群は、さらに下部の下相層と上部の中津川層に区分されています。
 今井谷層群は、鳥巣層群に相当すると考えられています。鳥巣層群というのは、日本列島の太平洋側(日本外帯と区分されています)に広く連続的に分布する地層です。この地層は、ジュラ紀後期から白亜紀後期に陸棚で堆積したもので、化石が出ることが特徴です。鳥巣石灰岩とよばれる岩石から、アンモナイトや二枚貝などの大型化石がでることから、古くから研究もされてきました。
 道の駅の下の地層は、今井谷層群下相層に属します。この下相層は、砂岩と泥岩が繰り返す互層(ごそう)で、この地層本体には化石をあまり含まないのですが、別のところでできた岩塊が紛れ込んでいます。このような別の地域でできたものを、地質学では異地性と呼びます。この異地性岩塊が化石をたくさん含んでいる鳥巣石灰岩なのです。
 鳥巣石灰岩は浅い海(200m以浅)である陸棚で溜まったものであるのに対し、下相層は陸棚から急に傾斜がきつくなっていく大陸斜面での堆積の場(堆積盆)でたまったものです。つまり、堆積環境が違っているのです。それが、今では混在してみることができます。
 ストーリーとしては、浅海にたまっていた大型化石を含む石灰岩が、斜面崩壊によって、ブロック状にくずれて、より深い大陸斜面へ流れ込み、そこで異地性岩塊として溜まったと考えられています。その時代は、ジュラ紀末期(1億5000万年前ころ)だと考えられています。
 穏やかな黒瀬川の流れ、観光客でにぎわう裏で、そんな壮大な大地の物語が見れます。ぜひ、見学に来られてはいかがでしょうか。

・言い訳・
発行が一日遅れました。
一昨日から昨日にかけて調査に出かけました。
今週末か、来週に調査に行こうと思っていました。
できれば今週に行きたいと思っていたのですが、
23日には地元の公民館で講演会をして、
その夜、懇親会に出席する予定だったので、
翌日の出発は疲れるなと思っていたのですが、
天気予報が降水確率0%だったので、
体調さえ良ければ出かけることにしました。
うまくすると日帰りも可能なので、
宿も予約せず、出かけました。
ですから、このメールマガジンのことを
忘れていて、一日遅れで配信しました。
以上、言い訳でした。

・達成感・
今回の調査で見る場所は二箇所だけです。
7時前に自宅を出発して、8時半頃に一箇所目に到着しました。
調査を終えると、11時を過ぎていました。
でも、体力的には次がきつそうなので、
そこからいつも泊まるホテルに予約を入れて、
二箇所を目をまわりました。
予想通り、二箇所目の調査で
くたくたになりました。
ここしばくなったことがないような
筋肉痛に、今も見舞われています。
体力の衰えを感じますが、
でも、達成感はあります。

2010年11月18日木曜日

3_93 巨大火山噴火:丹沢山地 4

 丹沢には、比較的新しい時代の火山岩があります。その火山岩は、火山噴火をともったはずです。新しければ、その噴火による火山灰が残されているかもしれません。これは、結果論で、実際には特異な火山灰の発見から、火山の探求がスタートしました。

 今年の7月30日に、丹沢山地を噴火の中心とする大きな火山噴火があったというニュースが流れました。なぜ、このようなニュースが流れたのかよくしりませんが、首都大学東京の田村糸子客員研究員とその今日研究者の仕事によるものです。
 田村さんは、北陸や中央山地の火山灰の研究をされていたのですが、数年前から関東地方の調査も始められたようです。千葉県銚子市の屏風(びょうぶ)ケ浦を調査しているとき、ざくろ石(柘榴石とも書かれ、ガーネットとも呼ばれます)含んでいる2cmほどの厚さの火山灰層を発見しました。ざくろ石を含む火山灰は時々見つかっていたのですが、屏風ケ浦のものは大量にざくろ石を含む特異なものでした。
 それまでにざくろ石を大量に含む特異な火山灰層は、神奈川県相模原市の中津川層群と鎌倉市の上総層群でも見つかっていましたが、田村さんは、ざくろ石を含む同時期の火山灰に注目されて調査されてきました。東京都江東区の地下からもガーネットを含む火山灰を見つけていました。
 それらの火山灰の噴火年代は、同じ頃であると推定されていました。また、ざくろ石のサイズも、東になるほど小さくなっていきました。こられは、噴火口は相模原市より西にあるということを意味しています。
 4箇所の火山灰のざくろ石の化学組成を比べたところ、一致していることが判明しました。つまり、同一の噴火に由来することが明らかになってきたのです。そして、火山灰にざくろ石を含んでいるということは、噴火したマグマに、もともとざくろ石を含んでいたことになります。
 ざくろ石を含んだマグマは珍しいものですから、きっとどこかに火山岩があるはずです。それを探せば、噴火口にたどり着くはずです。探す場所は、相模原市より西方です。そこには丹沢山地が広がっています。
 実は丹沢山地の細川谷には、ざくろ石を含む火山岩があることは良く知られています。私も神奈川の岩石\図鑑をつくるときに、標本を見て、撮影もしています。そして、年代測定もされており、243万年前のざくろ石流紋岩(マグマが地表で固まった溶岩の一種)であることも分かっています。ただ、以前の研究で、この溶岩のざくろ石の組成は、火山灰のものとは違うという研究結果が報告されていました。
 しかし、田村さんは、いくつかの露頭でざくろ石を取り出して、分析したところ、一致するという結果を得られました。この試行がすばらしいものでした。
 関東地方にいると、丹沢と千葉県は近いように感じますが、距離にすると、165kmも離れています。そんなに遠くまで、2cmの火山灰層をためた噴火です。これは、非常に大規模な噴火であったことになります。同じ頃、中部山岳地帯でも巨大噴火が相次ぎました。それに呼応した火山活動ではないかと考えれています。
 丹沢に火山岩があり、その年代もわかっていました。しかし、それを火山噴火や噴出物と結びつけて考えることがあまりされていませんでした。今回の発見によって、大規模な火山噴火が日本列島では繰り返し起こっていること、それも神奈川県で箱根や富士山以外にも巨大が火山があることがわかってきました。
 もうひとつ重要なことは、論理を積み上げていき、これしかないという推定の元に、先入観(先行研究)を覆したことです。科学の結果には、誤謬は紛れ込みます。それは、研究者が意図せずにも入り込むことがあります。原因はさまざまでしょう。これは、なかなか難しい問題ですが、それを打ち砕くには、根気強い調査研究が必要となります。その一例を示したことが、今回の重要な成果ともいえます。

・冬の準備・
紅葉が里にも下りてきました。
天気のいい日に、枯葉が舞散るのをみると、
きれいよりうら寂しさを感じてしまいます。
これからは、秋から冬に向かいます。
先日厚手のジャンバーを購入しました。
私も、冬の準備を整えています。

・桜の狂い咲き・
桜の狂い咲きが、
またしてもありました。
数本の桜で起こっていました。
結構な数、花をつけていました。
この秋に桜の狂い咲きを見たのは、
これで2度目です。
寒暖の繰り返しが激しいせいでしょう。
来年の春の桜は、
少々、寂しくなるのでしょうか。

2010年11月11日木曜日

3_92 大陸の急成長:丹沢山地 3

 丹沢山地の岩石が、大陸成長の歴史を明らかにできることがわかってきました。大陸と比べる小さい山ですが重要だったのです。また、年代測定に用いた鉱物の化学成分が、大陸形成のメカニズムを解き明かしました。山と比べると小さい結晶が重要な役割を持っています。

 丹沢山地をつくる岩石の年代測定で明らかになったことは、花崗岩類(大陸地殻の構成物)が、沈み込みによる作用だけでなく、衝突によって形成されることでした。
 近年、島弧では大陸構成物の花崗岩類が形成されることがかってきたのですが、島弧が大陸になるためには、衝突合体を繰り返し起こさなければなりません。その実態は、まだよくわかっていませんでした。
 しかし、今回の研究で、大陸地殻は、島弧の沈み込みの作用で形成されるだけでなく、島弧が衝突することによって花崗岩マグマが新しくでき、大陸地殻が形成され、成長していくことがわかってきました。大陸形成には、プレートの沈み込みだけでなく、衝突も重要な働きがあることが明らかになりました。
 現在、形成中の島弧である伊豆-小笠原島弧、そして島弧の衝突の場である丹沢が、重要なフィールドになります。日本の地質学者には地の利があることになります。
 地質学的条件を考えていくと、マグマが形成後、最速で100万年の間に約660℃という冷却をしたことがわかってきました。このような急速な冷却速度は、通常の深成岩では起こりません。ですから、丹沢では、マグマ形成後、急速に固まりながら上昇していったと推定されます。
 これは丹沢だけの事例ではなく、一般化すると、衝突の場ということにあります。そこでは、花崗岩マグマ形成後すぐに固化する、つまり大陸地殻は一気に(200から300万年で)形成されることを意味します。さらに、衝突した島弧の岩石も加わりますので、大陸は、間欠的に急成長することになります。
 また年代測定に用いたジルコンの微量の化学成分から、形成されたマグマには、伊豆・小笠原島弧の地殻物質のほかに、衝突された側(本州島弧)の成分も加わっていることもわかってきました。この成分とは、トリウム(Th)とニオブ(Nb)です。ニオブに比べてトリウムの方が大陸地殻に集まりやすい化学的性質を持ちます。古い大陸やその堆積物では高い値を持ちます。同じ鉱物でTh/Nb比の比較をすると、違いは明瞭になります。
 伊豆・小笠原の海にできたばかりの島弧(未成熟島弧といいます)と本州島弧(成熟した島弧)のジルコンのTh/Nb比を見ると、違いがあります。Th/Nb比をみていくと、丹沢のものは、明らかに高くなっています。これは、沈み込み帯に溜まった、成熟した本州島弧から由来する堆積物の影響があることと推定されています。
 首都圏に近い丹沢でもまだまだ新発見があるのです。さらに、関東平野全体に広がる新しい発見が、この夏ありました。次回に紹介する予定ですが、丹沢で大噴火があったというものです。

・秋の深まり・
四国の山里も寒くなってきました。
山の方では紅葉が盛りのようですが、
里でも紅葉がはじまっています。
いよいよ秋が深まってきました。
でも、今年の秋は、短いような気がします。
それに、寒暖の差が日ごとにありすぎ、
体調を崩しそうです。
皆さんも体に気をつけてください。

・目に見えない満足感・
私は、食に関してはあまり気にしないたちです。
栄養と量さえ満たされれば、いいと考えます。
それに見合った価格であればいうことがありません。
基本的に昼食は外食ですので、
店のランチタイムのメニューになります。
店の雰囲気が満足感に変化を与えます。
そんな私が満足できるところが、
地元でもいくつか見つかってきました。
そんな店が見つかるとうれしいいものです。
満足感には、雰囲気や人という
目に見えない、心でしか感じられないものが
大いに関係していることが分かります。

2010年11月4日木曜日

3_91 新しい地殻形成:丹沢山地 2

(2010.11.04)
 丹沢の深成岩の年代から、沈み込みよって形成されたのではなく、ほとんどが衝突によって形成されたことがわかってきました。丹沢は、新しい地殻形成の場ではなかいかと考えられてきました。正確な年代値が、またまた従来のモデルを書き換えてきました。

 丹沢の斑レイ岩や花崗閃緑岩(トーナル岩とも呼ばれます)などのマグマが固まり、深成岩が形成されました。その年代が、カリウムーアルゴン(K‐Ar)年代測定法によって、700万年前ころとされていました。このK‐Arによる年代測定の方法によるものは、実はいろいろ含みのある年代となります。
 カリウム40(40K)は放射性元素で、半減期12.5億年で崩壊して、12%が40Arに、残りの88%が40Caになります。Caはもともと岩石にたくさん含まれている元素なので、40Kからできたものか、もともとあったものかが区別しにくいので、40Arだけを用いて年代測定をします。Arは希ガスですので、岩石が高温だと抜けていきます。Arによる年代は、岩石が冷却してArが動かなくなった時を示しています。ですから、マグマが固まっても岩石が地下で高温のままであれば、Arは抜けていって、放射性元素の時計がスタートしたことになりません。実際には丹沢のマグマの固結には、1100万から400万年前くらいまでかかっていると考えれていました。
 一方、SHRIMPによる年代測定では、ジルコンという鉱物が形成されたら時計がスタートします。ジルコンの中に含まれていたウラン(U)が崩壊してPbになるというシステムを利用しますので、K-Arで行ったような元素の出入りの問題はなく、ジルコンが形成された年代、つまりマグマが固まった年代を示しています。
 丹沢の深成岩類の年代は、西の花崗閃緑岩は890万年前(892万、883万年前)古いので、これは別の時期の成因だと考えられます。主体ともいうべき花崗閃緑岩(535、500、468、462、425、402万年前)や斑レイ岩(559、499万年前)は、500万年前ころという年代になりました。かなり幅をもっていますが、丹沢深成岩類の本体のマグマの活動は、560万から400万年前に形成されたことになります。
 前回紹介した丹沢の衝突に続いて起こった、伊豆半島になっている海山(伊豆・小笠原弧と呼ばれています)が本州に衝突したのは、周辺の堆積岩から約700万年前くらいだと考えられています。
 丹沢深成岩類本体の年代は、560万から400万年前に形成されたことがわかりました。この年代が出る前は、衝突によって深成岩マグマが形成されたと考えたら都合がよかったのですが、どうもそうはいかなくなりました。200万から300万年年代が若くなったのです。その結果、いくつか考え直さなければならないことがででてきます。
 今までは、丹沢深成岩類は伊豆・小笠原弧の衝突以前に通常の沈み込みによる活動で形成されており、衝突の結果、深部から隆起し、地表に露出しと考えられていました。しかし、そのような通常の沈み込み活動によってできたのは、西の花崗閃緑岩だけで、丹沢深成岩類の主体は、伊豆・小笠原弧の衝突後の活動となります。
 伊豆・小笠原弧の衝突は一時期のものではなく、プレート運動によるもので、継続しています。継続する衝突作用によって、マグマが形成されたことになります。形成されたのは、花崗岩、つまり大陸地殻です。これは、丹沢山地が、大陸が形成され、成長している現場を見ていることになります。その現場を解き明かすのに、丹沢は便利な地です。
 そこでわかってきたことがいくつかありますので、次回に紹介しましょう。

・北国・
一時帰宅で北海道に戻っています。
千歳から札幌に向かう列車で
まず、感じたことは、
空が広いことです。
愛媛県では山地で暮らしていたので、
北海道の平野部では、
地平の広さに圧倒されます。
やはり、この北国の透明な空気の感じ
そして広さはいいですね。

・帰省・
子供の行事、
自分のいくつかの医者通いをしました。
まあ、それ以外はのんびりとしていたのですが、
後半天気がよくなかったので、
インフルエンザの予防接種の影響か
余り体調がよくなかったので、
あまり出歩けませんでした。
まあ、家族と過ごすのが目的ですが、
少々残念でした。