2001年6月28日木曜日

3_9 石の種類

 私たちの知識は、どうしても身近なものについて多くなります。地球の構成物で一番身近なものは、石です。石については、かなりのことがわかっています。当然、分からないこともたくさんあります。今回は、一番身近な石について、わかっていることを見ていきましょう。


 石には、多くの種類があります。かつては、それぞれの石に早いものがちで、名前が付けられました。種類が少ないときはいいのですが、多くなってくると、混乱してきますし、同じものにも別の名前が付けられることがあります。それと、あまりにも経験的、恣意的です。
 名前は、体系的、系統的、論理的に付けられる必要があります。そうすれば最小限の名前ですみますし、覚えるのも楽です。その分類方法を学び、その方法を身に付ければ、どの石に対してもその方法を適応することができます。誰が、どこの石で、おこなっても、簡単に、同じ結果にたどり着けます。そして、同じ名前の石は皆が知っている同じ性質を持っていることになります。今日で言う、グローバルスタンダード(世界標準)です。
 石は、目的に応じて、色々な方法で分けることができます。中でも、でき方によって分ける方法が一般的です。
 石には、大きく分けて、3つのできかたがあります。ある石の原料かがどのように変化してできたものかを区分の基本としています。石の原料とはやはり石です。石が砕かれて集まり固まったもの、石が溶けて固まったもの、石が暖められたり(溶けずに)押されたりして固まったものの3種です。
 石が砕かれて集まり固まったものは、堆積岩(たいせきがん)といいます。堆積岩は、陸地の地殻が、海に溜まってできます。つまり、陸地にある原料の石が、雨や川などの作用で砕かれ、海に運ばれ、長い時間かけて固まったものです。堆積岩は、地球の一番表層でできる石です。
 石が溶けて固まったものは、火成岩(かせいがん)といいます。火成岩は、陸でも海でも、どこにでもあります。材料は、地球深部の石です。地球深部は、温度も圧力も高いですので、石が溶ける条件を持っています。地球深部で溶ける条件になったところで、石が溶け、マグマができます。マグマのできたところが、火成岩の故郷となります。火成岩は、地球深部でできて、地球表層でできる石です。
 石が暖められたり(溶けずに)押されたりして固まったものは、変成岩(へんせいがん)といいます。変成岩は、原料の石が溶けないけれども高い温度になったり、砕けないけど高い圧力にされたものです。ですから、成分の出入りがほとんどないまま、まったく別の結晶に変わってしまったものです。変成岩の素材となる石は、火成岩でも堆積岩でも、なんでもいいわけです。変成岩でもいいわけです。変成岩は、堆積岩より深いところ、火成岩より浅いところでできた石です。
 いろいろな石も、その素性をはっきりさせることによって、区分ができます。そのような素性がわかれば、より多くの石の種類を見分けることができます。さらなる区分も、客観的に普遍的におこなえば、みんながわかる分類となっていくはずです。詳細は、別の機会にしましょう。

2001年6月21日木曜日

1_9 星の死(2001年6月21日)

 毎夜あるいは毎年、同じ星座を見ることができるのは、星々が、恒(つね)に輝き続けてからです。では、恒星は、未来永劫に輝き続けるのでしょうか。答えは否です。恒星も、ある時に生まれ、ある時が経つと死んでいきます。今回は、星の死と、その死と密接に結びついている星の誕生を見ていきましょう。
 夜空を見上げて見える星々は、大部分恒星(こうせい)と呼ばれる自ら輝いている天体です。星々は毎夜、少しずつその位置を変えて、1年たつと同じ配置にもどります。これは、地球が太陽の回りを公転しているためです。地球の夜にあたる側が、太陽の回りに360度、つまり1回転した結果を見ているのです。
 毎年、同じ星座が見ることできるのは、人類が星を見てきた期間より、星の方が長い寿命を持っているからなのです。恒星の寿命は、大きさに依存しています。大きな星は明るく短命で、小さな星は暗く長寿です。私たちの太陽くらいの大きさの星は、約100億年くらいの寿命です。人類の歴史に比べて非常に長い寿命といえます。私たちの太陽は、現在、約46億歳です。あと、50億年ほどの寿命を残しています。人類の子孫は、多分、太陽の終わりを見ることはできないでしょう。
 夜空には、多数の星があります。もし、太陽サイズの星が100億個見えるとすると、確率的には、毎年1個の星が死んでいってもいいはずです。実際には遠くの星は見えませんから、そんなに多くの星の死は観察されていません。しかし、古くから、私たちは、星の死を見てきたのです。中国では、ある日突然明るくなったり、今まで見えなかったところに見え出した星を、客星(きゃくせい)と呼んで記録してきました。明るい客星は、昼間でも見えたといいます。
 星は死ぬ時、一瞬非常に明るく輝きます。それを超新星爆発といいます。超新星爆発を起こす星は、私たちの太陽より、何桁も大きい星です。最近では、1987年にマゼラン星雲で起きた超新星爆発が有名です。
 超新星爆発の時、それまであった物質は、原子より小さな素粒子のレベルまで含めて、一新されます。また、元素の合成と新しい元素の配分比率ができます。寿命の長い放射性核種や、寿命が短く一瞬しか存在できないウランより重い超重元素なども、この時できます。
 超新星爆発によって、周辺に元素が、まき散らされます。まき散らされた元素は、次の星の材料となります。寿命の短い放射性核種から、私たちの太陽系は、超新星爆発から、1000万年もかからずに形成されたことがわかっています。星の死から誕生は、あっという間の出来事なのです。
 太陽系の主要な成分である軽い元素(水素とヘリウム)は、もともと近くにあった成分を利用しますが、それより重い元素は超新星爆発からもたらされたことになります。
 一つの星の死が、他の星の材料となり生まれ変わっていきます。星の死と同じ数だけ星の誕生があろことになります。長い時間たてば、星の配置は変わるかもしれませんが、夜空を彩る星の輝きは衰えることはなさそうです。

2001年6月14日木曜日

4_8 宇宙への窓口(NASAへの旅)

 NASAはアポロ計画で初めて人類を月に送り込みました。そしていくつもの惑星探査機を打ち上げました。記憶に新しいところでは、無人の火星探査機マースパスフィンダーによる映像は大きなニュースとなりました。そんなNASAを見学にきました。


 NASAは、National Aeronautics and Space Administrationの略で、日本語としては、アメリカ航空宇宙局あるいは単に航空宇宙局と訳されます。NASAの基地としてはロケットの打ち上げを主に担当するフロリダ州のケネディ宇宙センター、有人飛行の訓練と飛行管理をするテキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙センター、宇宙船開発や宇宙実験をコントロールするアラバマ州ハンツヴィルのマーシャル宇宙センターなどがあります。その中でもケネディ宇宙センターが見学するには一番見ごたえがあります。
 1996年6月、ケネディ宇宙センターを訪れました。一番近いオーランド国際空港は、デズニー・ワールドへの玄関口にもなっています。ですから、飛行機を降りる時は、スチュワーデスのアナウンスも、「ミッキーによろしく」でした。空港のロビーに出たとたん、ミッキーマウスの人間を持った日本人や各国の(当然アメリカ人も)観光客と出くわすことになります。私の目的は、ケネディ宇宙センターなので、オーランドの街の南東の外れのモーテルに泊まり、東にあるケープ・カナベラルに連日レンタカーで通いました。ちなみに、デズニー・ワールドは南西の郊外です
 ケネディ宇宙センターを訪問した目的は、何といっても現役の宇宙空港を生で見てみたいという好奇心です。それと、アメリカ合衆国では、このような大きな研究施設は、観光としても力を入れており、内部の見学ツアーや、ショップ、ビジターセンターも充実しています。アイマックシアターも3つくらいのプログラムが上映されていました。一番いい席で見たいので、3日間、一番に行って並んでみました。それと、NASAを巡るツアーもすべて参加してきました。残念だったのは、馬鹿でかいショップで大量のNASAグッズが売っているの聞いていたのですが、もっとでかいものにするために改修中で、ちっぽけなのがあっただけなので、がっかりしました。
 NASAのケネディ宇宙センターで感じたことは、人類が目指した宇宙というところは、とんでもなく大変なところだということです。宇宙とは、膨大な費用、多くの人、資材、そして多大なる英知を費やさないと、行けないところだということです。しかし、それほどにまでして、人は宇宙へは行きたいのです。
 NASAは宇宙の窓口です。NASAの上げた成果は、広く人類に公開されています。そして、その公開された情報によって、少年たちが宇宙に夢を馳せ、何年か後には、彼らの一部がNASAのスタッフとして、あるいはNASAの理解者として、膨大な予算の使用を許可する国民になるのでしょう。

2001年6月7日木曜日

6_8 新天地とヒト

 「6_7 ヒトと宇宙と」で、ヒトも「新天地に向う」という特性を持っているといいました。このような開拓者精神(フロンティア・スピリッツ)は、生物が本質的に持っているものであるといいました。しかし、ヒトだからこそ、生物の本性をむき出さない生き方を取るべきなのでしょうか。考えてみましょう。

 ヒトも生物の一つの種です。ですから、生物の基本的性質を持っています。例えば、食べること、排泄すること、子孫を残すこと、そして進化することなどです。今回のテーマは、この進化するということに関係があります。ヒトにおける進化とは何かうを考えましょう。
 ヒトは、原人から旧人、新人、そして現代人へと進化してきました。このような時の流れからすると、当然、将来、現代人も進化して、別の種となっていくはずです。もしかすると、その進化の方向は、自分で選ぶことができるかもしれません。
 進化の要因として、ダーウィン以来、自然淘汰が一番有力だと考えられています。一つの種が新しい種として進化と遂げるために、新しい性質を持った子孫たちが必要です。その子供が、その以降もその新しい性質を持つためには、DNAにその性質が刻み込まなくてはなりません。でも、その新しい性質を持った子供たちは、どうして生まれるかは、よくわかっていません。
 私は、このような性質は、新しい環境に進出した時、目立って生じるのではないかと考えています。あるいは、潜在的にそのような性質が生じては消えていたのが、新天地へ進出したとき、現われたのかもしれません。新しい環境でその性質が活かされる場合、一気に花開くのではないかと考えています。つまりその時その環境に最適な遺伝的形質が発現し、その種全体に継承され、定着するということです。私の専門は生物学ではないので、多分誰かがこんなこと言っていると思いますが、私は知りません。
 つまり、新天地に進出し、その新天地に適応しきれた個体を中心にして新しい種へと発展するのではないかということです。その進化に要する時間は、クールドのいう断続平衡進化説のように、一気におこるはずです。失敗すれば、別の種がその新天地を支配するはずです。
 こんな考え方は、妄想でしょうか。それとも真実でしょうか。これを証明するには進化できるだけの実験時間が必要かもしまれません。そして、その答えは、新天地にこそ、存在するかも知れません。もしかすると、ヒトにとっての新天地は、地球外の宇宙や深海底、他の天体かもしれません。そして、そのような環境選ぶかによって、新しい種の変化の方向が決まるかもしれません。つまり、自分たちの未来を選ぶことができるかもしれません。