2006年12月28日木曜日

2_54 生命の起源7:地球外有機物

 生命起源の間接的アプローチとして、地球の材料物質から探ろうという試みがなされています。

 もし、地球をつくった材料の中に、生命誕生に必要な素材があれば、地球上での生命の合成におけるいろいろな難しさはなくなります。
 地球をつくったような材料物質は、太陽系の始まり頃にたくさんあった隕石です。そんな隕石が今も時々落ちてきます。
 なぜ、始まりの頃のものかわかるのでしょうか。それは、隕石のできた年代が、45.6億年前であること、そして炭素質コンドライトとよばれている隕石の化学成分は、気体成分を除くと、太陽の化学組成とそっくりなことです。もし、隕石がたくさん集まれば、太陽、そして太陽系がそのままできると考えられます。もちろん惑星もです。
 ですから、地球の材料物質も、隕石を調べれば、どのようなものかがわかります。隕石の精密な化学分析をしたところ、中に有機物が含まれていることがかわりました。この分析の発表当初は、隕石が地球に落ちたときに、地球生物の有機物が汚染したと指摘されました。
 その後、地球生物の汚染のない南極の氷の中でみつかった隕石の分析や、1969年にオーストラリアに落下した直後で汚染のないマーチソン(Murchison)隕石の分析など、各種の検証によって、隕石に有機物が含まれていることが確実になりました。
 現在では、有機物が、炭素質コンドライトからたくさん発見されています。その中には、地球生命の生体物質あるいはその前駆体、材料物質となるものが多数発見されています。
 隕石は、原始太陽系のガスの中で形成されました。そのガスは、宇宙の主成分である水素(H2)とヘリウム(He)です。しかし、その他の成分も量は少ないながら含まれています。酸素(O)、炭素(C)、窒素(N)など有機物合成に不可欠な成分もあります。それらが、原始太陽系の初期に化学反応を起こして、有機物に必要な成分がいろいろな合成されたと考えられます。
 もしそうなら、これは太陽系だけの条件やブレンドによって、生命に必要なものがたまたまできたのかもしません。
 ところが、このような化学合成のプロセスは、ありふれたことであるのがわかってきました。宇宙でガスの多いところを観測すると、どのような化合物があるかがわかります。そのような観測によって、生命の材料として重要な成分もたくさん発見されてきました。ところが、その多くは分子量の小さい成分でした。しかし、宇宙線の照射によっても、分子合成が簡単におこなわれていることをがわかってきました。
 もちろん、このような成分から直接生命が合成されることはないでしょうが、このような分子の存在は、宇宙空間のような真空に近い低密度、極低温、低エネルギー状態であっても、分子合成が可能であることを示しています。つまり、生命の材料物質は、特別な元素や特別な物理化学的条件を必要とするものではないようです。ごくありふれた存在であることを示しています。宇宙空間は、生命の材料合成の場として不適ではないのです。まして、天体上の恵まれた環境では、生命の合成は、より有効におこなわれることになります。
 ところがせっかくできた隕石のなかの生命の素材は、隕石が地球に衝突したとき発生する高温高圧によって、すべて分解すると考えられます。元の木阿弥とは、このことなのでしょう。だから、地球の環境や素材で生命合成が考えられているのです。

・地球外有機物・
最近、宇宙空間での有機物の化合が見直されています。
それは、いくつかの理由があります。
1986年にハレー彗星が接近したときの観測で複雑な有機物が発見されたこと、
土星の衛星タイタンの探査から有機物らしきものが発見されていること、
惑星誕生の場を想定した実験で分子量の大きな有機物が合成されること、
などから、どうも原始太陽系には、
いろいろな有機物がたくさん形成されていたかもしれないと
考えられるようになってきました。
すると、そのようなガスが一時的にでも、
原始の惑星の大気としてあれば、
惑星表面に有機物が労せず集めることができます。
また、氷の惑星でも、有機物がたくさん存在することになります。
私たちが知らないタイプの生命がいる可能性もあるのです。

・ラセミ体・
隕石から発見される有機物のアミノ酸も糖もラセミ体とよばれるものです。
有機物には、同じ成分でも、
鏡に映して対象になるような構造を持つ2つものができます。
右利きと左利きにたとえられることがありますが、
D体、L体、あるいはR体、S体などと呼ばれています。
隕石の中の有機物は、その比が1:1に混合しているラセミ体となっています。
ところが、生命は、どちらか一方のみを利用しています。
化学的には似ているものなのですが、生命は区別しているのです。

2006年12月21日木曜日

2_53 生命の起源6:現在の生物から

 生命の起源を、現在生きている生物から探る方法を紹介しましょう。古細菌という生物がどうも手がかりとなりそうです。

 現在生きている生物から、生命起源を推定する方法は、いくつかあります。
 分子レベルで比較する方法があります。すべての生物がもっている共通の分子から、その配列の違いを比べることによって、分類をしていきます。もしその物質が進化の過程で、単純なものから複雑なものになってきているのであれば、その複雑さの程度から、生物の進化の程度を定性的に見積もることができます。比較生化学とも呼ばれる方法です。
 現在の真核生物がすべてもっている5SリボゾームRNA(5S rRNA)という核酸塩基配列を解析していきます。5SリボゾームRNAのように十分複雑であれば、この配列の違いは、生物としての変化の程度を示しているとみなせます。そして、いつごろ祖先から分岐したか、進化したかを計算で推定すことができます。まあ、真核生物だけですので、生命誕生にはこの物質は利用できませんが、真核生物の出現は、20億年前という値が出てきています。このような分子を進化の時計代わりに利用するものを、分子時計と呼んでいます。
 もっと、わかりやすものとして、現在の生物を分類していく方法です。多くの生物の系統関係を調べ、一番祖先に当たると思われるものを、現在の生物から見つけ出します。その生物が、最初の生物にふさわしいかどうかを検討していきます。もしその生物が、初期地球で最初に誕生した生物として問題がなければ、それと似た生物が、最初の生物の可能性がでてきます。その生物がたくさん手に入るなら、どのような条件を好むのか、どのような条件まで生存できるのかなどを、実験によって確かめることができます。
 系統からみると、最初の生物の候補として、非常にシンプルな生活様式をもつ古細菌があげられます。古細菌には、好熱古細菌、メタン細菌、高度好塩菌など、特異な生化学的特徴をもつ細菌の仲間です。現在の生物にはとうてい住めない環境でしか生育できないようなものが、たくさん見つかってきました。現在では、特殊な環境にだけではなく身近な環境にもよく見られる生物であることがわかってきました。古細菌の名前は原始地球に最初に登場した細菌の直系の子孫とされたことに由来しています。
 現在では、全生物は、古細菌、真正細菌、および真核生物の3つに大きく分類されるようになってきました。これは以前の5界分類よりもっと上の分類体系になり、ドメインと呼ばれています。
 古細菌は真核細胞と類縁性があることがわかってきました。それは、古細菌に、真正細菌が共生してミトコンドリアや葉緑体になり、真核生物になったという細胞共生説とよばれるものです。この説も、証拠がいくつも見つかり、認められるようになってきました。
 最初の生物は、深海の中央海嶺の火山にある熱水噴出孔や、そこに噴出メタンガスを利用するような古細菌ではないかと考えられています。

・古細菌・
古細菌は、最近見つかりました。
最近とはいっても、1977年のことですが。
ウーズとフォックスは、それまで生物が、
真核生物と原核生物に分類されていたのですが、
古細菌の発見によって、真核生物、真正細菌、古細菌の
3つに分けるべきであると主張しました。
その報告が、古細菌の重要性をはじめて世に示したものです。
古細菌の研究が進み、メタン細菌の仲間は、
1980年代に大量に発見されました。
現在も研究中で、その系統関係もたびたび変更されています。

・進歩・
12月もあと少しとなりました。
私は、今年中にすべきことが、まだ終わっていません。
できないにしても、可能な限り仕事を進めておく必要があります。
休むことなく、気を抜くことなく、仕事をしなければなりません。
しかし、25日から母が我が家にきます。
1月1日まで滞在します。
温泉に連れて行ったり、宿泊する予定もあります。
授業も27日まであります。
ですから、年末は忙しくなります。
だから、じっくり仕事をしている余裕がないのです。
このような状態は、毎年のことです。
ということは、私は進歩していないということでしょうかね。

2006年12月14日木曜日

2_52 生命の起源5:生命をつくる

(2006.12.14)
 前回、生命の合成における歴史的なミラーの実験の話をしました。今回は、その後の話をしましょう。

 ミラーによる生命誕生に迫る最初の合成実験は、学界に大きな刺激を与えました。研究者は、その後、さまざまな条件を考えて、合成実験を行っていきました。さまざまなの条件とは、原始地球であったであろう環境で、生命が誕生しそうなもののことです。まだ、どこで誕生したのか、どのようにして誕生したのかもわからない生命ですが、それを実験的に探れる可能性がでてきたのです。その重要性は、多くの研究者が理解し、そしてその研究に魅了されました。
 まず、大気についてです。かつては原始大気は還元的(メタン、アンモニア、水素)であったと考えられていたのですが、近年では酸化的(二酸化炭素、窒素、水蒸気)なものと考えられるようになってきました。ですから、ミラーの大気の条件を変更して、いろいろな合成実験がなされました。
 何も大気中だけが、生命の材料の合成の場でなかったはずです。海洋や地殻の環境でも、どこでも合成がおこっていもいいはずです。合成実験では、深海熱水噴出口、火山、干潟なども候補として、それらの環境を模した実験がされました。
 化学合成のためのエネルギーとして、ミラーの雷の他に、当時の地球表面にあったと考えられるものであれば、何でもいいわけです。激しい火山活動、激しい干満の差、熱水、放射線(紫外線、宇宙線など)、衝撃波(隕石の衝突で起こる)などが考えられました。
 このようないろいろな条件(材料やエネルギー、環境)を想定して、多数の実験がされてきました。その結果、どのような生命の材料、エネルギー、環境を想定しても、条件さえうまく調整すれば、生命に必要な素材は、大抵合成できることがわかってきました。また、生命の入れ物(細胞膜)になるような物質の合成実験も成功しています。完全とはいいませんが、生命の素材として必要なものの多くが、そろってくるようになってきました。
 現在のところ実験室では、まだ完全な生命体はつくられていません。しかし、いいところまでいっています。生命合成は、純粋に科学的興味によって行われています。
 しかし、もし、本当に生命合成ができるようなったとしたら、さまざまな問題が発生する可能性があります。例えば、
・その合成生物は、地球生物全体にとって脅威はないのか
・人に有害とならないのか
・人が生命を創ることに問題はないのか
・このような実験に社会的に合意が得られているのか
・緊急事態の対処は可能なのか
などなど、いろいろ解決しておかなければならないことがあります。
 生命誕生の条件や環境探しだけの実験なら問題がないのですが、合成実験は明らかに生命合成を目指しています。まだ、生命合成の実験には成功していませんが、生命を試験管の中で合成できる可能性があるのであれば、生命に関する倫理や、検疫、隔離などの安全対策を考えておくべきでしょう。そんな時期はもう近いのかもしれません。

・科学者の倫理・
クローン羊ドリーの研究が発表されたときは、
多くの科学者が衝撃を受けました。
そして、それをマネ、引き継いだ実験が行われました。
その時、倫理の問題が生じました。
他にも、人細胞のクローン実験、臓器移植など、
科学が先行しすぎて、人間の心の問題が後追いで
議論されることがありました。
今までの倫理の問題は、人間の心の問題ですみました。
しかし、新しい生命の合成実験の成功は、
今まで地球生物にはないタイプの微生物かもしれません。
もし、それが実験室から流れ出て、自然界に入ったら、
一種の病原菌のような働きをするかもしれません。
現在の地球生態系に大きなダメージを与えるかもしれません。
そうなると、取り返しがつかなくなるかもしれません。
気づいたときには、手遅れということもありえます。
現状の実験がどの段階であっても、
生命合成が一気に完成する条件で、
だれかが実験をしているかもしれません。
そもそもこの研究の目的がそうであったはずです。
だから、新生命がいつ誕生しても不思議ではないのです。
そんなときに備えておかなければなりません。
それを一番知っている科学者が、倫理的な問題を、
もっと真剣に考える時期に、もうなっているのかもしれません。

・エルニーニョ・
昨日(12月12日)は、今まで冷え込みが緩み、暖かくなり雨が降りました。
積もった雪も大部溶けましたが、まだまだ道路以外は雪だらけです。
このように北海道の平年より早い雪、
どうもエルニーニョが発生したようです。
季節は巡ります。
巡る季節にも年毎に変化があり、長期的な変動があります。
エルニーニョはめぐる季節変動の最大のものです。
人は、日々の天気の変動に一喜一憂しながらも、
季節の変化を感じていきます。
その年の季節が平年と違うこと、
その違いにも数年の周期があることを、なんとなく感じてしまいます。
そんな人間や生命の能力は、いったいいつどこで手に入れたのでしょうか。
少なくとも誕生間もない生物にはなかったはずです。

2006年12月7日木曜日

2_51 生命の起源4:素材の合成

 生命誕生を調べる間接的方法として、実験室で合成していくというものがあります。しかし、当初それは実証不可能と考えられていました。

 生命の起源を調べるために、生命を合成するという方法があります。現実に起こったかどうかはわかりませんが、実験室で、生命誕生のプロセスを再現していき、生命の誕生に迫ろうという考え方です。最初から生命を実験室でつくるのは困難でしょうから、まずは、生命の素材をつくることからはじまりました。
 生命の化学合成について、最初に考えを発表したのは、旧ソ連のオパーリン(A.I. Oparin)でした。オパーリンは、1922年に生命起源について講演し、1924年にその内容を「生命の起源」でまとめました。
 オパーリンは、3つの段階を経て、生命は誕生したと考えました。
 第1段階は、生命体の基本となる窒素を中心とした化合物(窒素誘導体とよばれるアミノ酸、核酸など)が、地球初期にあったメタンがアンモニアと反応して合成されます。これは、無機物からできた有機物が合成されることになります。第2段階として、原始の海で、濃度の高い「有機物のスープ」をつくりアミノ酸が集まり、タンパク質を合成されていきます。第3段階は、タンパク質を中心とする集合体が、入れものにはって外界と物質代謝をしはじめます。たんぱく質が膜に入った粒状の組織(コアセルベードと呼びました)となり、大きく成長した粒が分裂していくようになったと考えました。ここまでくれば、生命と呼んでいいようなものとなります。
 このような段階は、化学進化(分子進化)と呼ばれています。化学進化は、地球が多様な環境で、長い時間かけておこした化学反応のはずです。実験室では、短い時間に限られた条件でしか調べることができませんから、科学的に実験室で合成するのは不可能と考えられていました。これが当時の常識でした。
 しかし、そんな常識を覆す実験が行われたのです。1953年、シカゴ大学のユーリー(H.C. Urey)を指導教官とする大学院生のミラー(S.L. Miller)が、オパーリンの第1段階に相当する部分を実験しました。
 当時、原始の大気は、還元的な大気だと考えられていたので、メタン、アンモニア、水素の混合ガスを原始大気に見立てて用いられました。その混合ガスを原始海洋に見立てた水をフラスコに入れて、水を沸騰させました。混合ガスの中では、雷に見立てた放電によって火花が散っています。水蒸気や混合ガスは循環するようにされていて、途中で生成物を集める仕組みをつっておきました。
 ミラーは、このような原始の地球の海洋と大気の状態を、1週間ほど継続して実験をしました。すると、シアンやアルデヒド、各種のアミノ酸が、合成されたのです。この実験は、2つの意味で多くの研究者を驚かしました。
 ひとつは、有機物は生物しか合成できないものだと思われていたものが、生命の関与しない(無機的といいます)条件でも、簡単に合成できることがわかりました。もうひとつは、生命に必要な有機物が、短い時間で、多様なものが合成できるということです。生命の化学進化の段階も実験的に調べる道を拓いたのです。当時を有機物に関する常識をくつがえしたのでした。
 その後、生命に関する合成実験は大きく進歩しました。それは次回としましょう。

・常識を打ち破る・
常識を打ち破るには、常識にとらわれないことが重要です。
一番簡単なのは、そんな常識を知らないことです。
今回登場したミラー氏の指導教官であるユーリーは
ノーベル賞をもらった有名な科学者です。
液体水素の蒸留から、重水素の分離に成功し、
1934年にその成果を発表しました。
同年、重水素発見の功績によってノーベル化学賞を受賞しています。
マンハッタン計画にも参加し、ウランからウラン235同位体だけを集める
気体拡散法を開発し、原子爆弾の実現に貢献しました。
ユーリーは物理学者あるいは化学者ですが、
もしかしたら、ユーリーかミラーは、生命の起源に関しては、
あまり詳しくなかったのかもしれません。
だから常識にとらわれることなく、
常識破りの実験を行うことができたのかもしれません。
この実験のおかげで、
科学は大きな進歩を遂げることができるようになりました。

・ウォームビズ・
12月に入って、北海道は寒波が襲来していて
根雪のような雪が積もっています。
昼間でも雪がほとんど解けません。
その上、ウォームビズで、予算削減のために、
室温20度に設定するという試みがなされています。
そのため、暖房がある時間になると弱くなります。
着込んでいるのですが、寒くて手がかじかみます。
他の建物は個別暖房であったり、ウォームビズの対象にならかなったりで
暖かくなっています。
私は、講義や会議などがないときは、
基本的に研究室で仕事をしています。
ですから、研究室が寒いのは答えいます。
同じ棟にいる研究者からも苦情がでています。
前に引いた風邪がなかなかなおらないのは、
ウォームビズのためでしょう。
なんとかしてもらうように陳情しようと考えています。

2006年11月30日木曜日

2_50 生命の起源3:バイオマーカー

 生命誕生の化石探しは成功しませんでした。他の手段としてバイオマーカーが利用されています。今回はバイオマーカーについて紹介します。

 生命誕生の頃の化石を見つけるのは、なかなか困難でした。しかし、化石本体がなくても、生物の痕跡を見つけることができます。例えば、生物しか作れない化学物質があり、それを古い岩石から見つけたとしたら、それは、生物の痕跡、あるいは一種の化石とみなせるはずです。
 1968年、エグリントンとカルビンは、「過去の堆積物中に残されている有機物」を化学化石と定義しました。
 ここでいう有機物とは、生物しか作れないようなものなります。そのような有機物には、アミノ酸、タンパク質、DNAやRNA、炭化水素、などがあります。では、それぞれの有機物は、どれほどの期間、地層の中に保存されているのでしょうか。
 1954年、アメリカのアーベルソンによって、デボン紀のオハイオ頁岩の板皮類の化石から、7種類のアミノ酸(グリシン、アラニン、ズルタミン酸、ロイシン、プロリン、アスパラギン酸、バリン)が検出されましたた。この研究によって、化石中に有機物が残っていることがわかりました。この研究を契機にして、1960年代に古い時代の岩石で、有機物探しがはじまりました。
 南アフリカ、トランスパールのフィグツリー層群から、31億年前のアミノ酸が検出されました。ところが、1969年に、アーベルソンとヘアーは、カナダのスペリオル湖北岸のガンフリント層(19億年前)のチャートのアミノ酸が、すべて現生生物の汚染であることを指摘しました。ですから、今までの研究が、すべて再検討しなおさなければならなくなりました。
 このため生命の起源の化石探しは、一時挫折しました。しかし、チャートに中であればアミノ酸は安定に保存され、実験によれば、少なくとも19億年前のチャートには、アミノ酸が保存されている可能性があると考えられています。
 いくつかのアミノ酸が集まって多種のタンパク質ができます。ヒトの体には、500万種のタンパク質あるといわれています。そのうち最も多いのは、コラーゲンとよばれる線維のタンパク質です。コラーゲンは全タンパク質の3分の1を占めているのですが、コラーゲンは、象牙質、骨、軟骨、腱、皮膚の真皮、内蔵の膜などを構成しています。コラーゲンとは、安定した物質なのです。古いコラーゲンとしては、現在、島根県日御碕沖の海底から見つかったナウマンゾウの牙(3万8500年前)から、コラーゲンが検出されています。これが、現在最古のコラーゲンの記録です。
 その他のタンパク質として、カルボキシル基はジュラ紀後期(1億5000万年前)の恐竜の骨から検出され、酸性ペフチドはジュラ紀中期(1億6500万年前)のカキの化石から検出されました。
 DNAは、今まで400万年以上は保存されないとされていました。しかし、特別な条件(フェノールやタンニンの存在下やコハク中)では、DNAは安定に存在できることがわかってきました。フェノールやタンニンの存在下では、1700万年前のモクレンのDNA化石が発見されています。現在、一番古いDNAは、レバノン産の白亜紀前期(1億4000万年前)のゾウムシの仲間の昆虫からリボゾームRNAが検出されています。
 やはり有機物では、生命の起源に迫るのはなかなか難しいようです。そこで、化学的に安定な炭化水素(炭素と水素の化合物)を、生物の指標として用いる方法が考案され、バイオマーカー(生物指標化合物)とよばれています。さらに炭化水素の炭素同位体は、生命起源の研究には、非常に有効です。このような炭化水素は、現在生命起源の化石として非常に有力な指標として利用されています。
 最古の生命活動の痕跡、あるいは化石探しが、地球最古の堆積岩である38億年前のグリーランドのイスアのものでおこなわれました。1978年、ドイツのフラッグは、イースト菌状の丸いものを化石としました。その後、それは、石英中の液体包有物と判明しました。次いで、ドイツのシドロウスキーは、石墨の炭素同位体組成が、生物起源の炭素であるとしました。しかし、そのような炭素同位体は無機的(生物によらず)に合成できることをが証明されました。最近では1996年、モージスらが堆積物中の燐酸塩鉱物(アパタイト)中の炭素同位体組成が、生命活動の痕跡であると、指摘しました。しかし、2002年、その岩石が火成岩で、堆積岩でないことがわかり、否定されました。
 現在バイオマーカーをもってしても、なかなか生命の起源に迫てません。しかし、科学者たちはいくつもの失敗によって、いろいろな知識を得ました。そしてその失敗から学び、より高精度の生命誕生探しへと進んでいきています。
 さて最初の生命の化学化石はいつ見つかるのでしょうか。

・早わかり地球と宇宙・
このたび、日本実業出版社から
「早わかり地球と宇宙」(ISBN4-534-04156-X C0044)(定価1470円)
という本を執筆、出版しました。
高校で習う地学の内容を網羅する構成になっています。
しかし、一般人にも分かりやすい内容を心がけていました。
2ページの見開きで一つのテーマを扱っています。
各テーマは、イラスト、写真などでの説明をしています。
103個のテーマから構成されています。
このメールマガジンで書いている内容を基にしている部分も多数あります。
書き方も、このメールマガジンと同じく、
平易で分かりやすいものを心がけました。
よろしければ、書店で手にしてください。

・師走・
11月も、もう終わりです。
北海道は雪が降っては溶けるの繰り返しです。
この繰り返しで冬へと季節は巡っていきます。
今年もあと一ヶ月と聞くと、ついついあれもしていない、
これもやり残しているとことが思い浮かび、ついついあせります。
私も落ち着かなくなって走り出したくなるような気分です。
師走となると落ち着きがなくなるのですが、
あせることなく、着実にいきたいものです。

2006年11月23日木曜日

2_49 生命の起源2:砂漠の化石

 前回、最初の生命探しの方法で、直接的アプローチと間接的アプローチがあるといいました。そして直接的アプローチでもっと分かりやすいのが、化石を見つける方法でした。化石による最初の生命探しを紹介しましょう。

 もし、最古の化石が見つかったとしましょう。最初の生命が、その化石ということはまずはないでしょう。ですから、最初の生命が誕生した時期は、最古の化石と同じ頃か、それより古いということになります。では、最古の化石は、どの時代のものなのでしょうか。
 現在最古の化石として、確実なものは、約35億年前の地層から発見されたものです。
 1978年、ダンロップ(J.S.R. Dunlop)が、西オーストラリアのマーブルバーという町の西方、ノースポールというところからみつけました。ノースポールのダッファー層から、直径数μmの球状の化石を数百個発見しました。その化石は、シアノバクテリア(藍藻類)と考えました。化石の中には、2つや4つに細胞分裂しているものも発見されています。
 1987年にショップとパッカー(J. W. Schopf & B.M. Packer)が、同じ地域のタワー層とアペックス玄武岩層中のチャートから、球状のコロニーと繊維状のシアノバクテリアの化石を発見しました。
 生物であるという証拠として、ダンロップは細胞分裂している化石を見つけていました。また、ショップとパッカーは、形態(細胞)の特徴だけでなく、化学成分も証拠としてあげています。それらは、いずれも説得力のある証拠であるために、生物の化石であるというのは、多くの研究者が認めています。
 では、その化石はどのような生物だったのでしょうか。それは、まだ論争中なのです。
 ダンロップもショップらも、化石の形やサイズ、そして化石が出てくる岩石がストロマトライト状の構造をしていることなどから、シアノバクテリアと推定しました。
 この推定は重要な地質学的意味があります。もし、この化石の生物がシアノバクテリアであれば、光合成をする生物であることになります。光合成は、生物としては、かなり高度な機能となります。高度の機能を生物として獲得するためには、進化において長い時間が必要となります。もしこの化石がシアノバクテリアであれば、35億年よりもっと前に生物の誕生は起こっていたことになります。
 もし38億年前の最古の海で生命が誕生しても、たった3億年間で光合成の機能を持つまでに進化しなくてはなりません。これは、進化におては、かなりきつい時間的制限となります。
 ですから、ショップらのシアノバクテリア説には、多くの研究者も納得できませんでした。
 その後の日本の研究者が、ノースポール周辺を詳細な地質調査をおこないました。地質調査の結果、ノースポール周辺の地層は、深海の海嶺付近でできたものであることが突き止められました。そして、中央海嶺の火山活動や熱水噴出孔、地下の熱水の通り道なども復元していきました。
 このような環境は、深海で深度も3000m以上もあり、光が届きません。ですから、光合成生物であるシアノバクテリアは生息することはできません。もしそこでシアノバクテリアのような形の生物がいたとしても、それはシアノバクテリアではありません。
 日本の研究者は、そのような熱水噴出孔で住むような生物は、高熱性嫌気性古細菌の仲間だと考えました。ストロマトライト状構造も、水平に溜まった地層が変形によってそのような構造になったと考えました。
 古細菌は、生物の中でももっとシンプルな機能しかもたない生物で、最初に出現した生物と考えても、おかしくありません。古細菌であれば、進化の時間的制約はなくなります。
 まだ、この化石について完全に決着はみていませんが、どうも日本人研究者の主張の方が、分がよさそうです。

・マーブルバー・
私は、マーブルバーまでいきました。
マーブルバーは町で、モーテルも食堂もガソリンスタンドもあります。
ただし、ひとつも店ですべてやっています。
でも、マールバーがノースポールに一番近い町なのです。
しかし、ノースポールはアウトバック(道路のない地帯)を
長距離、進まなければなりません。
乗用車では無理で、4WDで2台以上でいかないと
何かあったときに死んでしまいかねません。
ですから、私は、ノースポールにはいかずに、
同じような地層がでるマーブルバーで観察することにしました。
秋だというの、非常に暑い日が続いていました。
でもここではこれが当たり前の日々なのです。
亜熱帯の砂漠地帯ですから乾燥していて過酷なところなのです。
マーブルバーとは、何色かのチョコレートをねじって
棒状してあるお菓子のことです。
この地域の地層(チャートと呼ばれています)が
そのように見えたためでしょう。
また、ノールポールとは北極という意味です。
人は住んでいませんが、地名だけでも涼しくということなのでしょうか。

・真実・
ノースポールを詳しく調べたのは、磯崎さんたちのグループでした。
暑い砂漠地帯を何年もかけて、詳細な調査をしました。
そして何トンもの大量の試料を採取してきました。
その結果が、上で示したような成果となりました。
後発の研究のせいもあるのですが、
明らかにデータ量、データの質も磯崎さんたちの説の方が
勝っているように見えます。
しかし科学の正否は、物量は努力量でありません。
一つの真実を明らかにしたほうが正しいのです。
しかし、真実へは、証拠と論理が確かなほうが近いと、
科学は考えて進められています。

2006年11月16日木曜日

2_48 生命の起源1:アプローチの方法

 生命の起源は、まだ不明です。しかし、最初の生命探しへの努力は続けられています。その様子を紹介しましょう。

 「私たちはどこから来たのか」という哲学的な疑問を、多くの人は一度は考えたことがあるでしょう。「私たちはどこから来たのか」という問いを、哲学ではなく、自然科学の世界で突き詰めていくと、生命の起源へとたどり着きます。では、生命の起源は、どのように探ればいいのでしょうか。
 生命の起源は、科学者にとっても興味のあるテーマです。ですから、いろいろな科学的アプローチが試みられてきました。しかし残念ながら、まだ生命の起源は不明です。
 生命の起源とは昔に起こったことです。昔、それもかなり昔に起こったことを、調べ、答えを求めるなどということなんて、そもそもできるのでしょうか。そして、もしなんらかの答えが出たとしても、その答えが正しいかどうか、何によって検証すればいいのでしょうか。
 まず、一般論の話をしましょう。ある謎があるとします。その謎にいろいろな方法で取り組んで、答えを求めようとしました。ところがその答えが得られませんでした。でも、そのおかげで、それぞの取り組みごとに、いくつかの重要なヒントや条件がえられたとします。まったく別の考え方、方法で得られたものであれば、独立したアプローチといえます。独立とは、お互いに依存することなく、独自の方法で得られたものであるということです。もしそれらのヒントや条件が、すべて同じ方向を示しているのなら、答えはその方向にあると考えてよさそうです。
 実は、このような方法で、生命起源に関するシナリオができるようになりました。ですから、完全な答えを得られない、そして検証もできないのですが、一番もっともらしいシナリオを描くことはできるのです。
 さていよいよ本題ですが、生命起源の謎を解くためにとられた方法は、直接的なアプローチと間接的なアプローチに分けることができます。直接的なアプローチとは、生命の誕生の現場証拠を探そうというものです。間接的なアプローチとは、生命の起源に必要な条件や環境、プロセスなどを絞って探っていく方法です。それぞれをもう少し詳しく見ていきましょう。
 直接生命の誕生の証拠を探すという方法は、分かりやすいものです。直接の証拠とは、誕生直後生物の痕跡、つまり化石を探すことです。それは、最古の化石探しが重要な方法となります。もし、誕生直後の化石が、証拠として見つかれば、説得力のあるものとなります。
 間接的なアプローチには、いくつかの方法があります。現在手に入る素材から、推定していこうという方法です。生命を実験室で合成していく方法(合成実験とよばれます)、現在の生物から推定する方法(比較生化学)、材料物質からの推定する方法(隕石の有機物)などがあります。
 次回から、その中身を詳しく紹介してきましょう。

・生命の起源シリーズ・
今回から、生命の起源シリーズをはじめます。
予定では、7回ほどのシリーズになりそうです。
今年一杯かかりそうです。
まあ予定ですから、どうなるかはまだわかりませんし、
いろいろ変更もあるでしょうし、
別のエッセイを急遽書くこともあるかもしれません。
まあ、のんびりと着実にいきましょう。

・風邪・
私の町にも、日曜日の夜から朝にかけて、初雪が降りました。
しかし、月曜日の朝には、道路の雪はとけていて、
その後暖かい天気が続いたので、街の雪はすっかり解けてしまいました。
木々の葉もすっかりなくなりました。
いよいよ冬です。
そんな冬の便りを、私は、風邪とともに味わいました。
先週の後半に風邪で寝込んでしまいました。
月曜日まで休み、火曜日から動き出したのですが、まだ不調です。
家内と私が風邪で、子供たちは一応大丈夫です。
今週末にインフルエンザの予防接種を予約しているのですが、
受けられるかどうか微妙です。
今年の我が家は、次々と風邪にかかり、
全員が元気なときはあまりなかったような気がします。
そんなときもあるのでしょう。

2006年11月9日木曜日

5_58 宇宙から調べる7:数値地図と地形解析

 宇宙から調べるシリーズも今回が最後です。私が宇宙から眺めて最後には自分たちの身近なスケールへと戻ってきます。そんな等身大への旅を紹介しましょう。

 標高データや地図画像のデータがデジタル化されています。そのようなデータを数値地図と呼んでいます。数値地図であれば、コンピュータを利用して、さまざまなことに利用できます。
 紙の地図では、なかなか困難なのが、地名からの位置探しです。しかし、地名がデジタルとして登録されていれば、検索すればその地点に一気にジャンプすることも可能です。また、紙の地図では縮尺の違うものは、別に用意してなければなりませんが、デジタル地図では、同じデータを拡大縮小することで、自由に縮尺を変えることができます。またデジタルですから、パソコンさえあれば、かさばらないですし、いつでも手軽に見ることができます。
 このように数値地図は、便利ではありますが、上で述べたようなことは、紙の地図でもできたことです。デジタル地図でしかできないこともあります。標高に応じて色を塗り分けることと、地図上に引いた直線沿いで断面図を作成することなどです。これも手作業ですれば、時間がかかりますが、可能です。
 数値地図では、専用のソフトを利用すれば、自由な地点・高度・画角で3Dの鳥瞰図を作成すること、GPSと連動させてナビゲーションすること、GPSのデータを保存し、移動経路や地点の記録を残すことなど、紙の地図や手作業ではできない、さまざまな利用法が可能となります。
 現在私が主に利用しているのは、標高データを、ある手法で数値処理をして、地形の特徴を際立たすことで、地形の背後にある地質の特徴を読み取ろうというものです。これは、地形解析と呼ばれているものです。
 いつも使っている地形解析の方法として、地下開度、地上開度、傾斜量などがあります。地下開度とは、空の見通しの度合いをあらわすもので、尾根の地形の分布や密度がよくわかります。地下開度とは、空が地表に遮られる度合いをあらわすもので、谷地形の発達状況や河川の分布・密度、溶岩ドームなどの凸地形やカルデラのような凹地形がよくわかります。傾斜量とは、ある地点の最大傾斜方向から傾斜の度合いを求めたもので、地質の違いや断層の判読、浸食の程度、崩壊地形などが区別しやすくなります。その他にも、斜面方位、斜面形、起伏量などさまざまなものがあります。
 地形解析には、標高データのメッシュによる違いが如実に現れます。国土地理院が公開している全国を網羅しているもので、一番精度のよい標高データは50mメッシュです。50mメッシュで表現される地形の特徴は、当然のことですが50m規模以上の数百mのものを見ることになります。このスケールでは、中規模から大規模な地形をみるのに有効です。
 50m以下の数十m規模の地形の特徴はメッシュが粗くて、表現されません。じつは小規模な地形は、火山地形、河川地形、海岸地形など、私たちに日ごろ目にする身近な地形は、数十m規模の程度のものが多くなっています。ですから、この精度のメッシュでの数値標高データが一番欲しいところであります。
 精度を上げればいいかというとそうではありません。数m規模の地形は、実は、標高データを作成するのは非常に大変になります。なぜなら地表には植生や建物などがあり、上空から読み取ったものでは、本当の地形をあらわしていいないからです。数mメッシュの標高データを作成するには、植生や建物などの効果を取り除くために、膨大なる労力が必要となります。
 国土地理院では一部の都市部のみで5mメッシュの標高データを作成しています。これは、都市開発として需要があるからです。しかし、日本全土では手間がかかりすぎ、需要も少ないことから、今のところつくる予定はされていません。
 現在日本全土分としある数値標高データとして一番精度のよいものは、10mメッシュです。北海道地図株式会社が2万5000分の1地形図から独自に作成したものです。商品として有料で販売されています。
 地形をみるとき、10mメッシュが最適だと思えます。なぜなら地質を反映した地形は10mメッシュ程度のものからはじまります。5mや1mメッシュになると植生の影響の除去が本当なのか、人為や災害、気候による一時的な改変はないのかというチェックぬきには、議論がはじまりません。その点10mであれば、地質を反映した地形本来の特徴を示しているとみなせます。現在、私は、10mメッシュによる地形解析を利用して、地質と地形の関係を示している典型的な地域をピックアップして紹介しています。
 宇宙から眺めることで、より広くを見られることからこのシリーズははじまりましたが、最終的には自分たちに一番身近なものを見直すということに戻ってきました。やはり人間は、等身大のものからスタートし、より大きなもの、あるいはより小さなものへと向かっても、最後には等身大へと戻ってくるような気がします。やはり自分が気になるのでしょうか。

・私の旅・
7回にわたり紹介してきた宇宙から調べるシリーズも
今回が終わりとなりました。
エッセイでも紹介したのですが、10mメッシュの数値地図を使って、
どのようなことができるか、いろいろ試しています。
より広くを見ることから、やがて宇宙から地球を眺めることになり、
宇宙からどのように見るのか、どれだけ詳しく見るかということになり、
やがて人間にはなじみのある、数十mの単位のものへとたどり着きました。
このような前提をもとに、どんなことが見えるのかを探し求めることが、
宇宙から眺めることの本当の目的だったはずです。
ですから、エッセイとしては、長い旅でしたが、
私の旅が、ここからはじまるのです。

・共同研究・
私の旅がはじまって、もう2年近くなります。
北海道地図株式会社から北海道全域の10mメッシュ標高地図を
購入したのが、3年前でした。
北海道地図は旭川に本社があり、
札幌の営業の人が、我が大学の出身者でもあることから
旭川本社を見学させてもらいました。
そのとき、北海道地図との共同研究をしましょうという話がまとまり、
2005年1月からスタートしました。
その共同研究はお互いがボランティアで行うもので、
金銭の授受はしないことにしました。
そのかわり、お互いのもっているデータを無償で提供しあい
新しいものを生みだそうという目的の共同研究でした。
共同研究の手段は、毎月1回のメールマガジンの発行と
作成した画像のホームページでの公開でした。
北海道地図は、データ提供です。
私は、調査資料の提供、画像作成、ホームページ作成、
エッセイ作成、メールマガジンの発行などを担当としています。
そして、このたび北海道地図が販売促進用の来年のカレンダーで、
私がホームページで作成したものを素材にして作成されました。
もちろん私も、無償で働きました。
共同研究は、とりあえず1年のつもりでしたが、
今年で2年目になり、3年目の来年も、
継続していくことになりました。
私は、調査計画で本州を順番にめぐっています。
沖縄、屋久島、九州、四国まできました。
まだ、中国、近畿、東海、中部、関東、東北など
半分以上が残っています。
しかし、現実の旅とデジタルの旅が融合して、
はじめて豊かなものになると考えています。
ですから、私の旅はまだまだ続きそうです。

2006年11月2日木曜日

5_57 宇宙から調べる6:世界地図

 前回までは画像を中心とした見方をいろいろ紹介してきました。今回は、地球全体を同じ精度の数値データの地図を作成しようという試みを紹介します。

 日本では、紙に印刷された地図は、大きな書店にいけば手軽に購入できます。また、国土地理院から数値標高データとして、1kmメッシュ、250mメッシュ、50mメッシュというものが発行されています。さらに、地形図もデジタル化されています。1/2.5万、1/5万、1/20万など縮尺の地形図も公開されています。
 ある縮尺で自分の住む国土を地図で自由に見ることができるのは、日本では当たり前にように思えます。しかし、世界で考えると地図が手に入らない国も多数あります。それは、軍事上の問題や、発展途上で正確な地図をつくる余力がない国などいろいろな事情によるものです。日本のように地図が、それも数値地図まで、誰もが自由に利用できるというのは、非常に恵まれた条件の国であるといえます。
 そこで、地球観測衛星から、国の事情や地理的条件に関係なく、一気に地図をつくってしまおうという計画ができ、実行されました。
 まずは、最初に作成されたのは、標高データの作成です。標高データであれば、地表で調べることなく、一様な精度で作成することができます。動く人工衛星から、地上の同じ地点を、見る位置を変えて、つまり違う角度で記録します。するとその角度の違い、つまり視差を利用して、地表の標高を機械的に、しかし正確に読み取ることができます。
 このようにして全地球の標高データが作成されて、公開されています。そのようなものとしてSRTMと呼ばれているものがあります。SRTMとは、Shuttle Radar Topography Missionの略で、スペースシャトルによって観測された全世界の標高データのことです。標高データには、SRTM-30、SRTM-3、SRTM-1などがあり、いずれも無料で公開されています。
 SRTMの後の数字は、角度における秒の単位(1秒=1/60度)での地表の広さを表しています。この角度とは、緯度と経度における値のことです。地表をある角度で等間隔に区切ったもので、この区切られた網目状のものをメッシュと呼んでいます。緯度経度ですから、北や南になるほど、メッシュのサイズは小さくなっていきます。標高データは、メッシュの各点の標高の値で示されています。
 SRTM-30とは、角度30秒のメッシュで、メッシュサイズは約900mになります。SRTM-3は3秒メッシュで約90mになります。アメリカ合衆国内だけですが、SRTM-1(約30mメッシュ)も公開されています。もちろんアメリカの情報ですが、インターネットを通じてどこの国の人でもそのデータを利用することができます。
 一応このSRTMで全世界中の標高データが一定の精度でそろえることができました。次のステップは、地形図です。地形図には、いろいろな情報を書かれています。例えば、日本の地図には、各種の境界(国境、行政境界)、河川、鉄道や道路、建物、地名、植生、土地利用などが記録されています。これらは人工衛星だけでは読み取れない情報もたくさんあります。ですからこのよう地図を作成するのは、地表の情報も必要となり、容易なことではありません。
 しかし、国際的におこなおうと日本が中心になって「地球地図」プロジェクトが進められています。地球地図では、地球の全陸域をカバーし、統一された仕様で、誰にでも安価に提供される解像度1kmのデジタル地図情報を目指して進められています。
 地図情報としては、標高はもちろんですが、植生、土地利用、河川、海岸線、土地被覆、交通網、行政界、人口集中地区が統一形式でデジタル化されます。
 現在、この地球地図プロジェクトには、151ヶ国が参加しています。
 日本が2006年1月24日打ち上げた地球観測衛星「だいち」は、地形情報を正確に測定することができます。「だいち」で地表の1/2.5万の精度の地形データを集め、「日本国内やアジア太平洋地域など諸外国の地図の作成・更新」することが、重要な目的のひとつとなっています。「だいち」の試験は終わり、定常観測運用がはじまり、2006年10月24日より観測データの一般提供もはじまりました。
 このよう地球観測衛星によって、陸域全部が同じ精度で記録されていく仕組みができました。あとは地道にデータを収集していくことです。今は、その段階になってきました。

・志・
アメリカ合衆国は、ランドサットの画像データや、
SRTMの標高データ、地形図など、自分たちの収集したデータを
国民だけでなく、人類全体に対して無償で提供しています。
日本でも無償の提供はありますが、
手続きが煩雑だったり、メディア代が請求されたりすることあります。
ところがアメリカのデータ提供者は著作権は保持していますが、
自由に使っていいことになっています。
見返りを求めない、無償での提供は、国民性によるものなのでしょうか。
いずれにしても、立派なことです。
無償のデータを使用したときすべきことは、
メリーランド大学のGLCF(The Global Land Cover Facility)の場合は、
「user acknowledge」つまり利用者としての謝辞を送ることだけです。
素晴らしい志ですね。
このような違いはなにによるものなのでしょうか。
志の違いでなければいいのですが。

・だいち・
私は、最初、「だいち」の性能を見たとき、
特別すごいとは思いませんでした。
「だいち」は最新の地球観測衛星ですから、
センサーの性能は、日本として衛星としては、
かなり素晴らしいものです。
でも、国際的に見ると、特別すごいと思えるものではありませんでした。
その目的のひとつに、世界中の2万5000分の1の地形図作成である
と聞いて納得しました。
既存の安定した技術を用いて、
全世界をその精度で調べるというのは、
地表からの観測では、外交や軍事的な理由、
あるいは経費や日数の問題で、実現は困難であろうと思えます。
しかし、「だいち」のような人工衛星のデータを用いて行えば、
短い時間内で効率よくできると思いました。
「だいち」のような使いかたをすれば、
その装置の素晴らしさが人類全体に及びます。
このような志がもっと必要だと思いました。

2006年10月26日木曜日

5_56 宇宙から調べる5:一目瞭然

 今まで宇宙から地球を観測する技術の進歩をみてきました。今回は、衛星データが、どのような利用の仕方があるのかを考えていきましょう。

 地球観測衛星が観測したデータは、デジタルとなっています。ですから、画像であれ、位置情報であれ、すべてデジタルデータとして地球の中継基地に送信され、解読、解析されていきます。それをどのように利用していくかが、今回のテーマです。
 デジタルデータの操作ですから、コンピュータの使用が前提となります。コンピュータを使って衛星のデータを見るというのは、一部の研究者だけのことかと思われるかもしれませんが、今では、市民でも自由に利用できる時代になってきました。
 地球の全陸域をカバーするランドサットの補正された衛星画像を無料で公開しています。人工衛星による標高データも無料で公開されています。これらのデータは、市民が自由に利用できます。もちろんその画像やデータを見るには特別なソフトがいりますが、無料のソフトもあります。
 衛星データでは、やはり画像でみるのが一番わかりやすい利用法でしょう。地表の様子を何の基礎知識や技術もなしに、見ることができます。
 たとえば現在インターネットで話題になっている
Google Earth(http://earth.google.com/)
では、世界中の詳細が画像が連結されて無料で公開されています。Google Earthで遊んでいると、まるで世界各地を旅行しているような気分になります。また、Google Earthは衛星画像だけでなく航空写真も連結しているので、地域によっては非常に高解像度になっています。
 このように画像を見れば、その意味するところが一目瞭然でわかります。それに空から覗かれることに対しては、国家だって人間だって無防備なのです。あるいは自由に同じ精度でどこでも観測できるというのが衛星画像の特徴です。
 Google Earthでは、北朝鮮からアメリカの軍事施設まで見ることができます。イラクの激戦地帯も眺めることができます。高解像度の航空写真のある地域では、ラクダや牛などの家畜、野鳥の群れ、人間(マンションの屋上でトップレスで日光浴している人が映っているのがネットで話題になりました)まで見ることができます。ちなみに、私の家も見分けることができました。
 このような興味本位な見かただけでなく、ランドサットのように長年上空から観測記録を撮り続けていると、経年変化をみることができます。有名なものでは、アマゾン流域の伐採の進行や、東南アジアの熱帯林の焼畑による消滅、都市化による緑地の減少などを知ることができます。その時間変化を画像として見せられると、どんな理屈などより、誰でもわかる説得力のある証拠となります。まさに、論より証拠、百聞は一見にしかず、です。
 肉眼(可視光を範囲を見ています)で見えないものも、地球観測衛星からは見ることができます。地球観測衛星では、いろいろな波長で観測することができますから、陸域では植生や氷の季節変化、資源探査、防災などに利用されます。海域では、海水温、海流、プランクトン、海底地形なども調べることができます。いろいろ応用がなされています。
 宇宙から地球を調べると、国境や環境などの条件に左右されないで、全地球を一定精度データを集めることができます。また、経年変化を調べることによって、地球の移り変わりや、人間の営為による環境変化などをモニターすることができます。このようなメリットを活かした観測やもっと智恵をしぼった利用方法も考えられていくでしょう。

・Africa Megaflyover・
家畜や鳥、人まで映っているのは、アフリカです。
なぜアフリカなのかちょっと奇異な気がしますが、
これはアフリカの生態系調査のプロジェクト
「アフリカ・メガフライオーバー」で撮影されたものです。
野生生物保護協会(WCS)とナショナルジオグラフィックが
生物学者で探検家でもあるマイク・フェイ(Mike Fay)と
一緒に進めたプロジェクトでした。
フェイが2004年の6月から12月にかけて
セスナで低空飛行をして撮影したものが
Google Earthに加えられています。
Google Earthのツールバーでレイヤから
特集コンテンツ(英語版でFeature Content)を開き、
ナショナルジオグラフィック誌
(英語版ではAfrica Megaflyover)を表示すれば、
飛行機のアイコンがでてきます。
そこにズームインすると
いろいろな面白いものが見ることができます。
このプロジェクトは人間の営為が
環境に及ぼす影響を探るためものです。

・抑止力・
衛星は、地上の国境や障害なしに
どこでも自由に見ることができます。
紛争地帯でも、軍事施設でも、地上では気づかないうちに
観察することができます。
ですから、地球観測衛星はもしかすると
軍拡の抑止力なるかもしれません。
以前は軍事的に飛行機による偵察が問題でしたが、
それは航空機であればレーダーでいち早く察知し、
領空あるいは領海内であれば、
警告をすること時には撃墜することもできました。
しかし、宇宙からの観測に関しては、対処しようがありません。
やれることといえば、地下もしくは建物内で
軍事行為を秘密裏に行うことになります。
野外での隠し事は今やできません。
地上の人の目からは逃れれたつもりでも、
宇宙からは覗かれてしまうことがあります。
トップレスで日光浴をしている人を見つけるというのは、
よっぽど偶然かしつこく見ている人なのですね。
ちなみに、位置は、
N52.07871096586479 E4.33277760814038
です。
ただし、鮮明でないのであまり期待しないで下さい。

2006年10月19日木曜日

5_55 宇宙から調べる4:地球探査技術の現状

 宇宙からの地球の探査技術を、軍事目的の衛星まで含めてみていきます。どれほどの技術を、私たち人類が持っているのか紹介します。

 これまで紹介した宇宙からの探査方法は、一般的なもので、民間人がだれでも使えるものでしたす。実際の技術はもっと進んでいます。前回紹介したイコノスは、地上の解像度は1mでした。それ以上のものが現実は実用化されています。
 2001年10月18日に、アメリカのバンデンバーグ空軍基地から打ち上げられたクイックバード2(QuickBird)は、商用の地球観測衛星です。クイックバードの地上での分解能は61cmです。地上に人がいるかどうかが見分けられます。例えば、サッカーの試合を宇宙から見れば、選手がどこにいるかがわかるのです。その精細な画像は、時々ニュースに使われています。
 これは民間の技術ですが、軍事技術はもっと進んでいます。軍事衛星として利用されているものには、偵察衛星とか探索衛星(スパイ衛星)と呼ばれるものがあります。
 日本も情報収集衛星(IGS)を、2003年3月に打ち上げをしています。この衛星は、解像度1mの光学衛星とレーダー衛星の2機1組が同時に打ち上げられています。2003年11月29日にも2号機打ち上げようとしましたが、HIIAロケット6号機の失敗によりだめになりました。しかし2006年9月11日には、光学衛星の2号機が打ち上げられています。情報収集衛星は、4号機までの打ち上げが予定されています。
 光学衛星の地上の解像度は1mとされています。しかし、その解像度を満たしていないとの報道もあり、問題になりました。情報収集衛星は、法律の上では「我が国の安全の確保、大規模災害への対応その他の内閣の重要政策に関する画像情報の収集を目的とする人工衛星」(内閣官房組織令第4条の2第2項)と定義されているので、災害対策や防災のために国民に公開されていいはずなのですが、そうはなっていません。明らかに軍事(日本では防衛でしょうか)として利用することが主な目的のようです。
 他国の軍事や防衛目的の衛星も、その性能は公開されていません。詳細は不明なのですが、推定によると探索衛星では約15~20cmの解像度が今や標準の解像度となっているようです。最高性能では、地上にある10cmほどのものも見分けることができるレベルに達しているようです。ここまで性能が上がれば、装甲車なのか普通車なのかや民間人か軍人かはもちろん、男か女かの見分けすらできかもしれません。
 北朝鮮の核実験の時も、アメリカの軍部や日本の首脳部は、探査衛星からの情報を得ているはずです。その内容は非公開です。相手のことをどこまで知っているかは、戦略上重要な秘密となりますから、明かすことはできないのは理解できます。でも、早くこのような衛星のデータを、民間で自由に使えるようになればと思います。
 膨大な国家予算が投入されて、軍事技術の開発が進められます。民間が費用の関係で開発できないものでも、国家規模では開発することができます。もちろん、時間がたてば、民間でも技術的に追いつくかもしれませんが、やはり無駄が多いと思います。
 アメリカでは、軍事技術の転用が可能となったため民間でイコノスが打ち上げれ運用されています。自由に利用できるようなればいいのですが、なかなか難しいものです。平和なら軍事費は必要なくなり、軍事目的の技術開発はなされません。とはいっても本当に必要なら人類の智恵で開発されるはずです。そしてそこで得られたものは、人類共通の知的資産というべきものですから、平和に利用するのが一番でしょうね。

・人類共通の資産・
宇宙から調べるシリーズの4回目の今回は、
軍事衛星の話になりました。
少々きな臭い話題ですが、これも現実に存在するものです。
そこで開発された技術やいらなくなった情報は
自由に使えるようにならないでしょうか。
いつものそれを思います。
戦略的に重要なのはわかりますが、
もし敵国があり、本当に探り合っているのであれば、
こちらの技術や能力は、ほとんど分かっているのではないでしょうか。
分かって上で、人材や能力、資金力に応じた戦略がとられるはずです。
資金力のない国は、ゲリラ戦や
北朝鮮のような非常に巧妙な挑発(?)戦略など
別の戦い方をするはずです。
ですから、軍事技術はどこまで本当に必要なのか、
投資対効果は本当にあるのか、そんなことを考えてしまいます。
すべて、人類が知力を絞って得たものです。
それを人類共通の資産とできないのは悲しいものです。

・健康第一・
北海道はここ数日ぐっと冷え込んできました。
ストーブも、朝夕はほぼ毎日炊くようになりました。
先日の晴れた朝には、霜が降りました。
これから一気に冬に向かっていきます。
短い秋を味わいたいのですが、
家族がまたまた体調をくずしています。
ですから、いつ秋を眺めにいけるかがわかりません。
もしかすると、今年は秋を味わうことなく
雪の季節になるかもしれません。
それも寂しいのですが、
健康第一ですからしかたがありませんね。

2006年10月12日木曜日

5_54 宇宙から調べる3:Return to Earth

 宇宙から地球を調べる技術は、市民に公開されるようになって来ました。そんな地球観測衛星の進歩を見ていきましょう。

 宇宙から調べる技術は進歩しています。前回紹介したランドサットの地上を見分ける能力も、1973年に打ち上げられたときは80mの分解能でしたが、30mへ、そして1999年の7号では15mまで上がりました。高分解能へと進歩しています。
 私が関係したものとして、アスター(ASTER)というものがあります。アスターは、EOS計画の一環のテラ(Terra)という衛星に搭載されています。テラは、1999年に米国カリフォルニア州のバンデンベルグ空軍基地から打ち上げられました。日本とアメリカが共同運用をしています。
 アスターの分解能は15mで、ランドサットと変わりません。しかし、真下を撮影する望遠鏡と後を撮影する望遠鏡を備えています。同じ地域を違う角度で撮影することができます。この両画像で、立体視ができます。そこから標高データを作成することができます。標高データも15mの分解能を持ち、地上分解能ではなく、空間分解能という性能となりました。
 最近では、日本が開発した陸域観測技術衛星の「だいち」があります。2006年1月24日10時33分に、種子島宇宙センターから打ち上げられたH-IIAロケット8号機(H-IIA・F8)に「だいち」(ALOS)は搭載されていました。その特徴は、パンクロマティック立体視センサー(PRISM)とよばれるもので、前方、直下、後方の3方向を同時に撮影します。その分解能は2.5mというものです。
 また、一般市民が使用できるものとして、イコノス(IKONOS)という衛星があります。アメリカの規制緩和により、偵察衛星技術を民生用に転用されたものです。商用観測衛星として、1999年9月25日にイコノス衛星が打ち上げられました。2000年1月よりデータの提供がされており、1mの分解能をもっています。1mの解像度とは航空写真に匹敵します。その精度を高度680kmから達成しているのです。その精度は、東京から、函館や広島にいる人が見えるというものです。驚異的です。
 地球外の宇宙は、人類にとって新たな新天地でした。月を筆頭に、火星や金星などへ、人々は思いを馳せてきました。
 月へ向かったアポロから撮影された地球、月面から見た地球は、青く美しく、そしてかけがえのないものであることが多くの人に思い起こさせました。そして、今では、宇宙から地球を観測するということが、より一層進められています。これは、既存の宇宙へ行く技術と、望遠鏡の技術、そしてデジタル技術が協力して進歩してきたものです。
 宇宙からの観測が、何を明らかにしてきたのか、何を明らかにしようとしているのか、それは次回としましょう。

・地球へ・
人は、宇宙にあこがれてきました。
20世紀になって、智恵と技術が、宇宙への夢をかなえました。
宇宙にいって初めてしたのは、
宇宙から地球を眺めるということでした。
宇宙から眺めた地球は、
暗い宇宙空間の中にある青い天体とみえました。
最初に宇宙を眺めた旧ソビエトのガガーリンも
「地球は青かった」という名言を残しています。
宇宙空間に浮かぶ儚げな地球を見れば、
誰もが、そこは私たちの母星であり、
愛おしさを感じるはずです。
科学者たちは、そんな地球をもっと知りたいと考えました。
そんな宇宙からの探査技術が、科学者の夢も同時に叶えました。
現在は多くの人工衛星が地球の周りを巡って、地球を見ています。

・宇宙と人のはざまにて・
私は、アスターの画像を利用して、
1年間メールマガジンとホームページで
科学教育の実験的研究をしていました。
私が持っている地表の画像と、
私が見聞きしたその地の感想、
そしてアスターの衛星画像をまとめて紹介するというものです。
アスターの日本側の運営管理母体である
ERSDACという組織との共同研究という形でした。
毎月1回メールマガジンを発行してました。
選択した地域は、日本を6ヶ所、海外を6ヶ所ということになりました。
もし興味のある方は、
「地球:宇宙と人のはざまにて」
http://www.ersdac.or.jp/Others/geoessay_htm/index_geoessay_j.htm
を覗いてみてください。

2006年10月5日木曜日

5_53 宇宙から調べる2:ランドサット

 科学技術の進歩は、今まで人が思いもしなかったものを見せてくれます。そんな進歩の成果をみて、人は新たな世界観を持っていくようになります。

 離れれば、より広く眺めることができます。地形でも、人の手の届くところから眺めるより、後に下がって眺めれば、より広く見えます。しかし、人が離れるにも限度があります。ですから、上空からみるという手段がとられています。
 かつては、上空からみるとは、地図を見るということでした。より広範囲をみるということは、より上空から、つまりより大縮尺の地図を見るということです。
 ところが、離れるにしたがって、細かいところが見えにくくなります。離れれば見えにくくなるということは、日常生活でも感じることで、しかたがないことです。視力には限界があります。地図でも同じで、同じ大きさにより広い範囲を書き込もうとすると、細かい情報は省かなければなりません。
 遠目でより広域を眺めるということは、細かい部分の情報を捨ててしまうことです。
 しかし、この一見当たり前にみえる情報を間引き現象を、現在の科学技術は、覆そうとしています。遠く離れていても、詳しく見ようということです。情報を間引くことなく、必要な情報をもっと細かく保持して必要に応じて提示するということです。
 遠く離れても、望遠鏡を使えば、近くにいるときに見た情報と同じようなレベルの情報を得ることができます。それを現在の地球観測衛星はおこなっています。望遠鏡の精度は、技術の進歩によって向上していきます。つまり、同じほど離れていても、より詳細な情報を得られるということです。
 地球観測衛星の中でもアメリカのNASAが打ち上げたランドサットは、非常に有名です。多くの人は、ランドサットとは知らないで、その画像を目にしているはずです。
 ランドサット1号は、1973年7月23日に打ち上げられ、その後6台の後継機が打ち上げれました。ランドサット6号は、1993年10月5日打ち上げられましたが、軌道投入に失敗しています。1999年4月15日打ち上げランドサット7号が、現在も運用中です。さらに、1984年打ち上げられたランドサット5号は、現在も運用中で、20年以上にわたって利用されています。6台のランドサットから得られた大量の画像で、地球を覆う画像が作成されています。それは全地球を覆う画像が、解像と時期の違いで、2種類が、無料で公開されています。
 ランドサットは、高度700kmのあたりを、地球を北極から南極を通る縦の軌道を、約100分で1周回っています。幅185km、縦170kmの範囲を1回の撮影でカバーできます。関東平野なら1~2枚、日本列島も32枚の画像で覆うことができます。これほど広範囲を一度に撮影できるので、1枚のランドサット画像があれは、いろいろな地質、地形の情報が読み取れるはずです。
 ランドサットに搭載されているセンサーは、地表から反射する電磁波を、波長ごとに記録していきます。現在のランドサットでは、7つの波長帯(バンド)が利用されています。8番目のバンドだけは、7つの波長帯と重複する広範囲の波長帯で高分解能のセンサーとなっています。
 デジタルですので、画像の1ドット分が、地表ではどれほどの大きさになるかでそのカメラの性能を比べることができます。これを分解能と呼んでいます。かつてのランドサットは、80mの分解能がありました。地上で80m以上のものがあれば、見分けられるということです。ランドサット4号では、分解能が30mとなり、現在のランドサット7号のETM+というセンサーのバンド8では、15mの分解能を持っています。
 700kmのかなたから15mもののを見分けられるのです。15mといえば、住宅が見分けられるというレベルです。ランドサット画像から自分の家を探すことが可能となります。我が家も見つけることができました。
 700kmのかなたから15mもののを見分けられるすごさが、実感できないかもしれません。その威力は次のようなたとえをすれば分かってもらいやすいでしょうか。
 東京駅から館山辺りにいる人が見える、あるいは富士山の山頂から江ノ島にいる人が見える、というレベルの分解能を持っています。その分解能で全地球を撮影しているということです。この情報が、だれでも自由にみることができるのです。
 素晴らしいと思いませんか。しかし、現在の観測衛星はもっと高分解能となっています。その話は、次回としましょう。

・数値地図・
必要があって、ランドサット画像を日本のものを利用しました。
そのときに感じたのは、15mの解像度がすばらしいということです。
現在利用できる国土地理院の地図データでは、
2万5000分の1で日本全国が網羅されています。
国土地理院の標高データは50m四方の平均値を
出したもの(50mメッシュと呼ばれます)です。
国土地理院ではさらに5mメッシュも出していますが、
これは一部の都市部だけです。
あと有料ですが、北海道地図株式会社の10mメッシュあります。
15mのランドサット画像の分解能を活かすには、
10mメッシュか5mメッシュが必要です。
私は必要があって、北海道や関係している地域の
10mメッシュデータは入手していますので、
そのデータでランドサットの高解像度の画像を利用しています。
やはり感動します。
まるで近く景色を望遠鏡を使ったように
宇宙からでも見ることができるのです。
もし興味のある方は、
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
を覗いてみててください。

・技術の進歩・
技術は進歩します。
観測衛星には、何種類かのセンサーが搭載されています。
年々そのセンサーは、観測する電磁波の周波数の分解能が上がったり、
地表の分解能を上げられたりしていきます。
その進歩は、ランドサットのセンサーの分解能の
変化をみていてもわかります。
80mから30m、そして15mへとなってきました。
同じ地域を、違った分解能で眺めると差は歴然としています。
一度高分解能で見てしまうと、低分解能の画像は、
特別な目的がない限り見る気になりません。
それほど分解能の差が、誰の目でも分かるということです。
そんな技術の進歩を目の当たりすると、
人類の智恵、技術の偉大さを感じます。

2006年9月26日火曜日

5_52 宇宙から調べる1:視点の変化

 宇宙から調べるシリーズをはじめます。このシリーズでは、人工衛星を用いて、どのようなことが見えてくるか考えていきます。

 同じことを繰り返していても、なかなか大発見や革命的な考え方などは生まれそうにもありません。でも、繰り返しでもとことん突き詰めていくと、新たな発見が生まれることがあります。
 最近私は、人工衛星の画像を扱っています。ASTERという衛星画像を扱っていたことがありますが、現在主には無料で公開されているランドサット衛星の画像を扱っています。その画像を使うていると、同じ繰り返しであっても突き詰めていくと、発想の転換、あるいは違ったものの見かたを生むことを経験しました。その経験を中心に、このシリーズでは紹介していきます。
 私たち地質学者は、地上を歩きながら、丹念に岩石や地層の様子を調べ、試料を採取して、それを実験室へ持ち帰り、より詳しく調べていきます。この過程では、より小さいものへと視点を進めていきます。
 地質調査をするときは、20万分の1や5万分の1などの地形図を使い、テーマに合った地域を定め、その調査期間に調べる範囲を決めます。そして実際の調査では、今日はどの地域を歩くかを2万5000分の1の地図で決めて、1万分の1や5000分の1の地図をもって調査結果を記入しながら歩きます。
 実験室では、崖や川底などからとってきた岩石試料を詳細に観察します。顕微鏡で観察するために、岩石をガラス板(プレパラートといいます)にはり、20μmくらいの薄さにして、光を通るようにしていきます。このようなものを薄片といいます。時には、その薄片を、それぞれの鉱物の中をひとつひとつ丹念に分析装置で化学組成を調べていきます。ある装置の調べられる範囲は数μmのサイズです。
 そのようなデータを集めて、調べた岩石がどのような性質なのか、どのようにしてできたのかを考察していきます。その考察では、調査範囲の岩石や地層がどのようにしてできていったのを考えていきます。時には、もっと広域で考えていくこともあります。あるいは時間変遷を考えることもあります。
 調査は人間のサイズの視点からはじまり、研究室では顕微鏡スケールへ進み、考察で広域へと進みます。サイズでいいますと、m→μm→kmという循環をします。
 kmのスケールとはいっても、高い山からみれば、自分の調査範囲は一望できます。あるいは、ヘリコプターから見れば、自分の調査範囲や考察の範囲は一望することができます。ですから、地質調査に航空写真を用いることがあります。野外調査では見えない、地質の境界や断層、褶曲などがみえることがあるからです。私もそのような調査してきたことがありました。
 ある時、非常に広域を調査することをテーマにしたことがあります。広島、岡山、兵庫、京都まで広く分布する地質帯を、3年ほどかけて調査したことがあります。それをまとめるにあたって、航空写真では枚数が多すぎて入手不可能です。ですから、20万分の1や100万分の1の地図を使って考えていくことになります。そのようなスケールの範囲を、一望ものとに見ることができません。唯一ジェット旅客機の高度(10kmほどの上空)に乗ってみたときみえる景観の範囲に近いものとなります。しかし、そのような画像は手に入りませんでしたので、自作の地図で考えを巡らすことになりました。
 現在では、人工衛星から見た画角がちょうどそのような視点になります。もちろん地質でもそのような離れた視点から見えるもの、あるいは逆に見えなくなるものもあります。でも、自分が地をはうようにして長年調査した地域が一望できるのです。このような視点は非常に重要なものを提供すると考えられます。
 この続きは次回としましょう。

・新しい講義・
9月ももう終わりとなります。
北海道はめっきり秋らしくなってきました。
気の早い家では、もうストーブを炊いています。
我が家は、まだ炊いていません。
しかし、もう朝夕はすっかり冷え込んでいます。
最近北海道の秋らしく抜けるような青空の日がよくあります。
それが北海道の秋のよさであります。
さて、我が大学は、10月から後期の講義がはじまります。
そろそろ授業の準備をはじめます。
新しい講義が始まるので、また大変な半年となりそうです。
実際に毎回の講義を作っているときは、時間が足りなくて
はしょってしまったところや飛ばしたところなど
悔いを残しながらつくりこみます。
苦しく必死の思いでやっています。
でも、講義をつくるのは大変なのですが、
終わるとそれなりの満足感があります。

・いくつもの視点・
TERRAという人工衛星に搭載されている
ASTERというセンサーは地球の資源探査を目的とするものです。
日本とアメリカの共同で打ち上げて運営しているものです。
日本側の窓口がERSDACという半官半民の会社です。
私は、その衛星画像を科学教育に利用していくという試みを
ERSDACと共同で1年間に渡っておこないました。
私が調査で訪れた地を、
人としての視点、地質学的な視点、宇宙からの視点
という、それぞれ3つ違った視点で見たものを融合していきました。
その融合からどのような新たなことが
見えてくることのかを考えていく試みでした。
そのとき、画像処理はERSDACの専門家にお願いしました。
私でもソフトを使えば、加工できるはずなのですが、
なにせ初めてだったので、大容量の画像処理で大変だったので、
地域と画角を指定して、衛星画像の処理は任せていました。
私は文章を書くこと、手持ちの地表の写真と、
衛星画像の意味することを解説することに専念しました。
毎月1つの地域を選んで、
日本と海外を交互を繰り返しておこないました。
それは私にとって、いい経験となりました。
そしてそれは新たな挑戦へと続きます。
その話は、次回にしましょう。

2006年9月21日木曜日

3_49 マントルの水5:水の由来

 マントルの水シリーズの最終回です。前回まで、マントルの遷移層に水が留まることができ、そして実際に存在する可能性も指摘しました。今回は、その水がどこから来たのか考えていきます。


 マントルには、ある程度水があります。それは火山ガスや地球深部に由来する岩石を調べることでわかります。
 火山噴火に伴うガスの成分には、水蒸気、つまりH2Oが多く含まれています。そのH2Oの由来は、水素の同位体(質量数の違う核種)から、知ることができます。マグマの水の多くは、地表付近の水に由来するものですが、一部にはマントルから由来する成分があることが確かめられています。
 また、マグマが上昇してくるときに、マグマの通り道にあった岩石の破片を取り込んでくることがあります。そのような岩石は、捕獲岩と呼ばれています。捕獲岩にも水を含む鉱物がたくさん見つかっています。これも、地球深部に水がある証拠となります。
 マントルでマグマが形成される範囲は、せいぜい100km程度の深さです。捕獲岩もマグマの形成場所より浅いところになります。ですから、マントル遷移層の400kmのような深さから、直接マグマが由来することはありません。ですから、直接の証拠は今のところはありません。
 しかし、このシリーズで今まで見てきましたように、遷移層には水がありそうだと分かってきました。では、そんな深いところに、どのようにして水がもたらされたのでしょうか。
 2つの可能性があります。一つはもともとあったというもの、もう一つは海の水がマントルに入り込んだというものです。
 もともと地球をつくった物質に、水の成分が含まれていました。それはあ惑星の材料物質の残りといえるある種の隕石には、水の成分が含まれています。水のような岩石と比べれば気化しやすい成分は、地球の形成期に地球の外側ずぐに移動していったと考えられます。海の水もそこから由来しました。また、地球の内部は高温高圧ですので、残っていた水も、マグマと一緒に地表にもたらされたと考えられています。ですから、地球深部の水は、ずべて地表に出てしまったと考えられます。
 しかし、ストロンチウムやネオジウムなどの同位体組成から、そのような水を含んだ材料物質が、地球の遷移層より下の下部マントルには、まだ残っている可能性が考えらています。その水が遷移層に溜まっていると考えられます。
 もう一つの可能性として、海水のマントルへの逆流です。海水といってもH2OやOHなどのことです。海洋プレートが海溝で沈み込むとき、海底で海洋地殻の中に溜まった水分は、搾り出されていくと考えられていました。しかし、マントルの物理条件が変化することによって、水を含む鉱物が、深部でも安定に存在できることが実験からわかりました。そのことから、沈み込むプレートと共に、地球深部に水が入り込む可能性がわかってきました。
 それのような変化は、地球が冷めていくことで起こると考えられます。7億5000万年前から5億5000万年前にかけて起こった事件だと考えられます。すると、大量の水がマントルに時期にもたらされることになります。しかし、その水の行き場所が今まで不明でした。それが、今回の報告で遷移層に蓄えられるという可能性がでてきたのです。
 どちらか可能性が正しのかまだ、判断できません。どちらもそれなりの根拠があります。しかし、今回の大谷さんたちの報告は、マントル深部に水が存在でき、地球史上の重要な事件の謎を解く可能性をも示したのです。

・謎を解く鍵・
大谷さんたちの報告の持つ意味を紹介しました。
今回でマントルの水シリーズも終わりです。
間も開いて、長い連載となりましたが、いかがだったでしょうか。
日ごろ当たり前に目にする水も、その由来をたどると、
なかなか複雑な経歴ありそうなことがわかっていただけたでしょうか。
そして大谷さんたちが、その複雑な問題を解く鍵を一つ見つけたのです。

・近況・
北海道はめっきり秋らしくなりました。
高山では紅葉の便りも聞きます。
いよいよ我が大学の長い夏休みも終わろうとしています。
北海道の9月はもう夏休みというには涼しすぎます。
我が家の子供たちは、急に涼しくなったので、
風邪を引いてしまいました。
夏休み前は夏風邪、夏は夏バテ、秋は風邪。
どうも今年の夏は、我が家では体調不良に見舞われています。
私はいつものように仕事に追われています。
どれも興味をもってやっていることなのですが、
やはり追われて仕事をするのはつらいものです。
でも、好きでやっていることですから、
愚痴は言わずやりましょう。

2006年9月14日木曜日

4_72 城川へ:そこには、きっと固有の大地がある

 私は毎年城川町にきています。もう14年近くなるでしょうか。今年も9月2日から6日まで滞在しました。そのとき感じたことがあります。

 今年も城川に来ました。城川とは、四国愛媛県西予市の中にあります。山奥の小さな町です。その城川町でもさらに奥の窪野というところにある公園施設の一つとして地質館があります。地質館の近くにもとは窪野小学校の跡地に、城川自然ロッジがあります。
 今年は、4泊しましたが、正味3日間の仕事時間となりました。その間は、地質館とロッジだけの往復だけでした。今回の仕事は、地質館のデータベースの作成でした。城川町の地質データベースは、すでに完成していました。しかし、3年前に市町村合併で西予市になったことで、西予市の地質館としてカバーすべき地域が広くなりました。
 城川町では、野外での地質観察ポイントをもうけて、その地点の様子や岩石の写真などを紹介していました。そのような観察ポイントを、合併した他の4つの町でもみつけて、作成していくことにしました。そのため、2年間、野外調査をして、データを集めてきました。
 城川町は、地質学的に非常に面白く、見学すべきところもたくさんありました。そのため地質館ができたのです。城川町と比べると、合併した他の市町村は、地質学的には見劣りがしました。ですから、調査をはじめるまでは、本当に見るべき観察ポイントがあるだろうか心配していました。
 しかし、そんな心配は杞憂にすぎませんでした。
 詳しく地域の地質を見ていくと、そこには必ずその地を構成している岩石や地層があります。それは地域によって固有であり、その地域の地質が地域の自然をつくり、風土を生んでいます。ですから、なんとか岩石のでている露頭さえみつければ、それなりの観察ポイントにすることができました。
 その中には、第一級の構造線(仏像構造線)の露頭を見つけることができました。また町内には、四国カルストの石灰岩地帯や、古生代の海底に噴出した溶岩、深海底に堆積した海のプランクトンの死骸からできている層状チャート、きれいに重なった凝灰岩の地層、などなど、地質学的に面白く多彩なポイントが、海や山で見ることができることが判明しました。
 本当はもっと各地を詳しく調査していきたかったのですが、研究費で定められた期限が今年まででした。ですから今年が一応の区切りとなります。
 今回、それらの集大成として、調査結果をデータベースとしてホームページ上で公開できるようにすることが、城川に出かけた目的でした。残念ながら、時間不足と画像データの撮影が残ったため、完成できませんでした。あとは、こつこつと、つくりこんでいきたいと思っています。

・日陰者として・
どの地域にも固有の自然があります。
自然は、その地の土壌、気候と地形に大きく左右されます。
そして土壌や地形は地質が大きく関わっています。
地質が、その地の自然に大きなかかわりを持っています。
地域の自然を理解するには、地質の理解は不可欠といえます。
西予市を歩いて感じることですが、
城川町の人は地質で有名なところですから、
地質に関心を持っています。
しかし、他の地域の人は、地質に関して人は非常に無関心です。
ある生物がいなくなると、どこでも騒ぐのですが、
地質学的に第一級の露頭が、
コンクリートに覆われようとしているのですが
だれも関心を持ちません。
地質は日陰者の存在のようです。
縁の下ではなく地下の力持ちとして
ばんばるしかないのですかね。

・城川自然ロッジ・
私がいつも泊まっている城川自然ロッジは、
かつては、第三セクターによる運営でした。
しかし、赤字でいったん閉鎖したのですが、
今年の8月から再度運営形態を変更して再開しました。
非常に雰囲気のいいロッジで、私はここが大好きです。
ただ、集客のためにはハンディがあります。
国道からは離れているし、
奥まっているために観光地への中継地点でもありません。
ですから、どうしても集客力がありません。
それに町内には宝泉坊温泉があり、そこは交通の便もよく、
昨年の11月から大きな保養施設へと改築されました。
ですから、どうしても観光客はそちらに向かいます。
今回泊まったとき、ロッジの人といろいろ話をした。
いい人で、なんとか存続してもらいたいものです。
一人の人間の希望、努力には限界がありますが
微力ながら影で応援したいものです。

2006年9月7日木曜日

3_48 マントルの水4:浮沈法

 マントルの水のシリーズです。少し、間が開きましたが、遷移層にマグマが留まれるかどうか、みていきましょう。


 遷移層にマグマができることは、前回示しました。ところが、マグマが遷移層に留まれるかどうかと、遷移層に水があることを、まだ説明していませんでした。
 まず、マグマが遷移層に留まれるのでしょうか。マグマは、まわりの岩石が溶けてできたものです。一般に同じ成分の固体と液体を比べれば、液体の方が密度が小さく、固体が大きくなります。ですから、マグマができると、上昇してきます。これは、マグマの上昇のメカニズムでもあります。
 マグマが遷移層に留まるというのは、常識を破る現象なのです。では、この常識破りが正しいかどうか、どうすれば判定できるのでしょうか。前にも紹介しましたが、高温高圧実験で遷移層の条件をつくり出し、そこでマグマをつくってみればいいわけです。そしてそのマグマが周囲の岩石より、密度が大きいか小さいか比べれてみればいいわけです。
 実際の遷移層では、水があるためにマグマができるのでした。ですから、実験でも、水を入れてマグマをつくらなけばなりません。実は、水を含んだマグマの密度をはかるのは、非常に難しい実験で、だれもできてせんでした。その実験に大谷さんたちのグループが成功したのです。
 その方法は、「浮沈法」と呼ばれるもので、大谷さんたちのグループが、以前に開発したものです。浮沈法とは、マグマの中にダイヤモンドをいれて、そのダイヤモンドが浮くか沈むかで、マグマの密度を決めようというものです。ダイヤモンド自身の密度は、温度圧力の条件が決まれば、状態方程式から決めることができます。
 高温高圧の実験でマグマをつくり、その中でダイヤモンドが完全に移動を終えてから、その装置の温度を急激に下げます。すると、マグマは一気に冷めて固まります。ダイヤモンドの位置を維持したまま、固まります。それを装置から取り出して、資料を顕微鏡で観察して、どの位置にあったかをみて、密度を決定するものです。
 実験の結果から、マントルの遷移層の条件で、マグマが滞留できることがわかりました。これによって遷移層にマグマが存在できる根拠が見つかったわけです。
 マントルの岩石にも水は入ることができますが、マグマができれば、水はマグマの方へ移動します。また遷移層でマグマができる条件は水があることです。ですから、マグマがあれば、その中に水がきっとあるはずになります。
 実験から、マグマが遷移層に滞留できるには、水が6.7重量%の含有量までなら、大丈夫ということが分かりました。つまり遷移層のマグマには最大、6.7%まで水が入りうるということです。
 6.7%というのは、一見少なそうに見えますが、遷移層全体と考える、膨大な水の量になります。
 単純な試算をしてみましょう。海水は1.4×10^21kgあります。遷移層の岩石の重さは、体積と密度から3.9×10^23kgと推定できます。その6.7%なら2.3×10^22kgとなり、あとはマグマが遷移層にどの程度あるかによって水の量が決まります。マグマが重さで5%ほどできるとしたら、海水の同じほどの量が遷移層にあることになります。
 まだマグマの量ははっきり分かりませんが、少量でもマグマがあれば、その水の総量は、膨大な量となります。遷移層のマグマが、地球の海に匹敵するほどの水の貯蔵庫となりえます。
 地震波を詳しく見ると、上部マントルと遷移層の境界に、でこぼこが見つかっています。このでこぼこは、温度のムラという説明がされていますが、大谷さんたちは、遷移層の水の含有量の違いによって、説明したほうが無理がないと考えています。
 でも、この水はいったいどこから来たのでしょうか。それは、次の回としましょう。

・シンプルな問いが難しい・
マントルの水シリーズの4回目をお送りしました。
冥王星の騒ぎで、2回、間が開きました。
ここまでの説明で、遷移層の水があってもいい
という論理的な根拠ができました。
遷移層の実体をよく詳しく解明してされて来ました。
そこには、困難とされた実験を解決する方法を以前開発してました。
その方法が、今回の実験にも活かされました。
その結果、マグマがマントルの深部に留まれることが
明らかになってきました。
今後は、次のステップへと進みます。
次のステップとは、
遷移層に水があるのか
あるとするとその水はどこから来たのか
という問題を解決することです。
実は、この一番シンプルな問いが、
答えを得るものが一番難しい問題です。
それは、次回説明しますが、
推定するしか現状ではありません。
でも、簡単な問題ほど、研究者なら誰もが取り組みたい、
そして誰もが知りたい問題となります。

・四国へ・
このエッセイは、四国の城川に出かける前に書き、
発行したものです。
8月の段階で書いています。
ですから、四国の様子をここでは、報告できません。
近いうちに、紹介しますので、お楽しみに。

2006年8月31日木曜日

5_51 惑星の新定義2

 前回惑星の定義について紹介しました。8月24日に決定しましたので、その結果を紹介します。

 2006年8月24日は、もしかすると天文学の記録に残る日かもしれません。それは、科学と理性の勝利という副題でもつけられるかもしれません。
 ご存知のように惑星の定義が確定して、冥王星を惑星からはずすというものです。メディアが煽ったせいでしょうか、特別なニュースも少なかったせいもあるのでしょうか、惑星の定義に関しては、当初から多くのニュースが報道されていました。
 前回の「地球のささやき」を書いていた段階(8月23日午前)では、惑星の新提案が出されて、その提案が採択されれば、惑星が12個になり、今後も増える可能性があるいうニュースが流れていました。それを紹介しながら、エッセイの最後のコラムで、私としては冥王星を惑星からはずした方がいい、という意見を述べました。
 国際天文学連合(IAU)では、歴史的経緯を重要視していたため、まず、冥王星を惑星のままにしておくという決定をして、その前提のもとに新しい定義が考えられました。ですから、かなり無理のある定義となっていました。それは、私だけでなく、多くの人が感じていたことです。
 その新提案がなされた直後から、多くの議論が起きました。その議論の大半は、定義の合理性のなさを指摘するものでした。
 冥王星は、P・ローウェルによって存在が予測され、1930年2月18日にクライド・トンボーが発見されました。いずれもアメリカの天文学者の仕事でした。冥王星は、遠く小さな天体であったため、大きさも定かでありませんでした。しかし、発見当初から、9番目の惑星として扱われてきました。
 観測が進むに連れて、冥王星の大きさや構成、軌道がわかってきました。大きさは、直径が2,320kmしかなく、月や木星の衛星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)、土星の衛星(タイタン)、海王星の衛星(トリトン)よりも小さいことがわかりました。冥王星は二重惑星とも呼ぶべき大きな衛星カロン(1186km)がありました。他にも小さな衛星が2個(ニクス、ヒドラ)見つかっています。
 また、公転の軌道も極端な楕円軌道で、内側の海王星より太陽に近づくことがあります。最近では1979年から1999年まで、海王星よりも太陽に近かい軌道を回っていました。軌道傾斜角も大きいことから、周囲にたくさん発見されているエッジワース・カイパーベルトの天体と同じような性質、起源ではないかと考えられていました。つまり、惑星としては、ちょっと変わった天体だったのです。
 その冥王星を惑星の仲間にするために、新しい定義がなされたため、かなり無理が生じたのです。
 結局、IAUの総会の採決で、「冥王星は惑星ではない」と採決されました。
 新しい定義によると、惑星とは、太陽を周回する天体であること、自己重力が固体強度を上まわって球形になっていること、軌道の周囲から他の天体を掃き散らしてしまったもの、というものです。
 合体や重力散乱で、自分の軌道の周囲から他の天体をきれいになくすことができなかったという点で、冥王星は、惑星でないとされました。そして惑星に近いが惑星の定義に当てはまらない天体を、dwarf planet(矮惑星という意味)と呼ぶことにしました。ただし、この分類に入れるための条件は、今後IAUが、決めることになりました。冥王星は、dwarf planetにすることが、同じ総会で決定されました。
 上でも書きましたが、海王星より遠くで太陽の周りを回る天体を、今までエッジワース・カイパーベルトという名称を使っていました。しかし、この名称も、今後はトランス・ネプチュニアン天体といういいかたになります。冥王星もトランス・ネプチュニアン天体に属します。
 以上の決定は、非常に合理的で、誰もが納得する定義となりました。確かに歴史的背景は、重要で、無視すべきではありません。歴史的経緯には、文化ともいうべき非合理的なものも含まれていることがあります。しかし、歴史的経緯を知らない後の時代の人にとっては、理解しがたい文化となります。その非合理的な文化でも、行事のようなものであれば、まだ存続しやすくなります。でも、継続性、継承性を考えるなら、できる限り合理的なものの方が、理解しやすく、長続きするものになるはずです。今回の冥王星の騒動から、そのようなことを感じました。

・季節感・
8月下旬ともなると、北海道は、だいぶ過ごしやすくなります。
空気が乾燥してきて、空が高く感じます。
日がだいぶ短くなりました。
いよいよ今日で8月も終わりです。
夏休みもいよいよ終わり、新学期ですね。
そう別のメールマガジンで書いたら、
9月は学期のはじまりではないというメールを頂きました。
横浜では、2学期制をとっていて、9月から学校が始まりますが、
9月中旬から期末試験があって、
10月に区切りもなく2学期がスタートするそうです。
多くの大学も2学期制ですが、夏休み前に試験を終わらせてしまいます。
ですから、夏休み明けからは、新学期となります。
制度は、地域にあわせたものがあっていいと思います。
夏休みに、固執する気もありません。
しかし、制度の多様性によって、
日本人として共通する季節感というべきものが
薄れないようにしておくべきでしょうね。
しかし、合理性はあったほうが後々のためにはいいと思います。

・城川へ・
私は、9月2日から6日まで、
愛媛県西予市城川に出かけてます。
毎年のように出かけているところです。
第二の故郷のようなものです。
いつも泊まっている瀟洒なロッジに、
帰ってきたというようなほっとした気持ちになります。
開放感というか、安心感というか、なんともいえない、
落ち着きとくつろぎを感じます。
もちろん、しばらく出かけるわけですから、
やるべきことを次々とこなしていかなければなりません。
それが大変ですが、出かける楽しみの前にがんばる気になります。

2006年8月24日木曜日

5_50 惑星の新定義

 最近新聞をにぎわしている惑星の定義について紹介します。

 火星と木星の間には、多数の惑星のある小惑星帯と呼ばれる軌道があります。小惑星帯最大の惑星としてセレスと呼ばれる天体があります。セレスの直径は約950kmありますが、他の惑星と比べると小さく、小惑星と呼ばれていますが、惑星に昇格できませんでした。
 しかし近年、冥王星の外側のカイパーベルトと呼ばれるところでも、大きな天体が多数見つかってきました。中でも、2005年にアメリカの天文学者たちが発見した2003UB313という天体は、月(直径約3400km)よりは小さいですが冥王星(直径約2360km)よりも大きく、直径約2400kmもあるため、「第10惑星」として論文を発表し、話題になりました。
 惑星は古くからあったもので、多くの人にとって当たり前のものでした。ですから、天文学では惑星を定義をしてきませんでした。いちばん最後に見つかった惑星は、1930年に発見された冥王星で、それ以来、惑星が9個であることが、市民に定着してきました。
 もともと、冥王星は月より小さく、公転の軌道も他の惑星とかなりずれていました。惑星らしくない惑星であったのです。そんな冥王星が惑星とされるのであれば、他の天体で、惑星らしいものは惑星にしようという主張です。
 このような新しい大型の天体の発見にともなって、惑星の定義が問題となってきました。国際天文学連合(IAU)では、2年前から、天文学者だけでなく、作家や科学史家など7名で構成されている「惑星定義委員会」で、新定義を検討してきました。多彩なメンバーで議論されているのは、惑星に関する定義が、歴史や文化にも影響を与えると考えられるからです。
 IAUでは、歴史的経緯から、冥王星を惑星のままにすることは決定しました。ですから、冥王星が惑星でいれるような定義を考えることにしました。その結果、
・天体が自ら球状の形を維持できる重力をもつ
・恒星(太陽)を周回している天体で惑星の衛星ではないもの
という2つの条件を満たす天体という新しい定義が提案されました。
 この定義が認められれば、月の約150分の1の質量、月の約4分の1の直径(800km)の天体まで惑星に含まれることになります。「第10惑星」として発表した天体のほか、小惑星帯の最大の天体セレスや冥王星の衛星とされていたカロン(約1200km)は新たな惑星として加わることになります。冥王星とカロンは惑星と衛星の関係ではなく、二重惑星となります。今後も、定義にあてはまる惑星がでてくるはずです。
 これらの新しい惑星は、「プルートン(冥王星型惑星)」という特別なグループに入れられます。冥王星、カロン、第10惑星の3つが、このグループに入ることになります。
 IAUの惑星の新定義には、多くの批判が出ています。そこで修正案が考えられています。現在チェコの首都プラハで開催中のIAU総会では、新しい定義案を、3つに分けて採択されることになっています。
1 惑星は「自己重力で球形を作り、恒星の周りの軌道を回る天体」と定義すること。そこでは、水星から海王星までの8個の惑星を「古典的惑星」としています。
2 冥王星や、新たに惑星に昇格する「2003UB313」などを「プルートン(冥王星族)」とした分類名を変える
3 冥王星の衛星カロンは惑星とする
の3つです。現在もまた修正はされているかもしれません。
 24日朝(日本時間では25日未明)に再度、改定案が提示され、その日の夕方の全体会議で決議される予定となっています。どういう結果になることでしょうか。目が離せません。
 この議決の是非をめぐって、今後も議論されることになるでしょう。新しい決定がなされれば、研究者間だけでなく、各種の本や教科書に反映されていくでしょう。市民に普及するまでには、長い時間がかかることになるでしょうが、これも科学の進歩です。

・私の定義・
冥王星のカロンは小さい天体です。
それが惑星になるのであれば、
月のような大きな衛星は、不自然な存在になります。
ですから、私は、冥王星を惑星から降格させた方が
すっきりすると思います。
水星程度の4800km以上の直径をもつものに限定して
惑星にしたほうが、分かりやすくなります。
でも、冥王星が惑星とされるには歴史的な経緯があります。
1930年に発見された冥王星は、遠く暗い天体だったので、
当時の観測技術では大きな惑星と考えられていました。
ところが観測が進むにつれ、直径がどんどん小さくなっていき、
ついには最小の惑星であった水星よりも小さいことが判明しました。
その後、カロンという衛星がめぐっていること、
軌道が他の惑星と違って公転面から大きくずれていることなどから、
惑星らしくないということがいわれるようになりました。
しかし、それは天文学者や科学者の間のことであり、
冥王星が惑星であることは、世間では定着していきました。
80年間も惑星とされてきたものを、
いまさら惑星でないとするには、
混乱が大きいというのがIAUの判断です。
でも、その決定のおかげで、
惑星の定義が複雑になってしまいました。
それが今回の騒動のもととなっていると思います。
さてさて、どのような判定が下されることになるのでしょうかね。

・どたばた・
北海道では、小・中・高校も2学期がはじまりました。
私は、大学の紹介をするため、
高校巡回を今週になってやっています。
釧路の方は高校の都合で中止になりました。
1泊2日での巡回になるところだったのですが、
正直なところ、日程があいて助かっています。
9月になるとすぐに、四国と帰りに東京によってきます。
5泊6日の予定で出かけいていきます。
その間不在になるので、
いろいろとやっておかなければならないことがあります。
そんなどたばたが、もうはじまっています。

2006年8月17日木曜日

3_47 マントルの水3:水が納まる

 いよいよ、大谷さんたちの研究の成果の核心部になります。マントル深部に、水が存在する可能性を示していきます。


 2006年1月12日号のイギリスの科学雑誌ネイチャーに、「地球上部マントル最下部での含水メルトの安定性」が発表されました。分かりやすくいうと、マントル深部に水を含んだマグマ溜まりが、安定に存在することが、わかったということです。マグマ溜まりとマントルの水とに、どのような関係があるのでしょうか。見ていきましょう。
 今までエッセイで述べてきたように、上部マントルと下部マントルの境界は、遷移層とよばれ、深度400~670kmあたりにあります。遷移層では、地震波による観測から、密度変化による不連続な面があることがわかっています。その密度変化は、岩石の高温高圧実験から、カンラン石がより高密度の結晶に変化するためだと考えられています。
 さらに地震波の観測から、遷移層には、液体状物質がある可能性が示されてきました。
 一方、岩石の高温高圧実験から、新たなことも分かりました。
 カンラン石が遷移層で変わる結晶は、地下410kmでスピネル構造(β相)をもった結晶(ウォズレアイトと呼ばれます)に変わり、520kmaで別のスピネル構造(γ相)の結晶(リングウッダイト)に変わります。
 これらウォズレアイトとリングウッダイトの結晶を詳しく調べていくと、水をたくさん取り込める構造をもっていることがわかってきました。ですから、遷移層に水が持ち込まれれば、水の納まるところはあるのです。遷移層に水があることにあれば、その量は膨大なものとなります。
 注意が必要なのですが、ここでいっている水とは、私たちが普段目にする流れる水があるのではありません。結晶の中に取り込まれた状態もので、H2Oや水酸基(OH)という分子状ものをいいます。ですから、地震波で予想された液体は、H2Oの水ではありません。遷移層に、たとえH2Oがあっても、結晶の中に取り込まれているわけですから、液体にはなりません。では、その液体とは何でしょうか。
 一番の候補として考えられていたのが、岩石が溶けたマグマです。マグマであれば、地球深部にあっても不思議ではありません。では、マグマであることを、どうすれば証明することができるでしょうか。
 証明すべきことは、マグマができること、マグマが遷移層に留まれること、遷移層に水があることです。
 岩石の高温高圧実験から、遷移層の温度圧力で、条件さえ整えれば、マントルの中でマグマを形成することはできることがわかっています。その条件とは水があることです。上でも述べましたように、水は遷移層の結晶に入ることができます。水さえ遷移層にあれば、話は上手くつながります。
 後の証明は、次回としましょう。

・お盆・
お盆が終わりました。
皆さんは、お盆をどうのように過ごされたでしょうか。
北海道も8月上旬の暑さから開放され、
風さえあれば過ごしやすい状態になりました。
私は、相変わらずの日々です。
お盆の間は、大学の生協がしまっているのと、暑いので、
昼前まで研究室で仕事をして、午後は自宅にました。
ただし、13、14日は天気いいので、昼食を森で食べました。
食後はひと時、のんびりしました。
子供は虫取り、家内は読書、私は撮影をしていました。
15日の午前中は、北海道大学の博物館で開催されている
モンゴルの恐竜展を見学に行きました。
17日からは平常どおりの仕事となります。
さて、成績の締め切りが迫ってきました。
急いで整理していきましょう。

・パソコンの不調・
最近自宅で使っているパソコンの調子が悪く、
フォーマットをしなおしました。
するとネットワークにつながりません。
非常に不便をしています。
大学に持ってきてもネットワークにつながらなくなりました。
また、メイラーも新しいもの変えたら、
またこれが不調で、同じメールを永遠に受信します。
どうしたことでしょうか。訳が分かりません。
明日からは、計算機センターも開くので、助っ人を頼みましょう。

2006年8月10日木曜日

4_71 マントルからの眺望:アポイ岳

 アポイ岳に登りました。アポイ岳はマントルの岩石がめくれ上がっているところです。そんなマントルからの眺望を楽しみました。

 2006年8月3日にアポイ岳に登りました。家族連れだったので、露岩がみえ、眺めのよい馬の背までいければいいと思っていました。
 予想に反して、いちばん体力のあるはずの長男が、登りはじめて、すぐに疲れたといい出しました。いつもは一番元気に登っています。実は、長男は夏休みに入る直前に、夏風邪をひいて体調を崩していたのです。しかし、今回の登山に備えて、体調を整えていたのです。プールにも行っても大丈夫でした。ですから、体力は回復していると思っていました。でもまだ、体調不十分だったようです。
 無理せず、いけるところまで行こうと、長男の様子を見ながら休み休み登りました。普通なら1時間ほどで登れるとこを、2時間近くかけて5合目の休息所までたどり着きました。そして、そこから馬の背が見えたら、少し気力が回復したらしく、なんとか7合目の馬の背まで登ってくれました。そこを目的地としていたので、登りはもう終わりです。そこで昼食をとり、ゆっくり休みました。風があったのですが寒くはなく、快適でした。日差しも弱く、爽快な気分で昼食をとりました。それに平日だったので、登山客も少なく、のんびりと眺望を楽しました。
 馬の背で、私は、景色を見て、岩石を見て、写真撮影をしました。子供たちも、景色や、虫を見つけては、一生懸命撮影していました。
 私は、大学の4年生のころにアポイ岳には登っています。そのあと調査で何度かアポイ岳周辺には入っています。アポイ岳の頂上からの眺望は木が茂っていてよくないのを知っていました。ですから、馬の背あたりが岩石も露出し、景色がいいと思っていました。アポイ岳周辺には、近年には2度ほど来ていますので、石も色々見ていました。ですから、今回はアポイ岳に登って、周囲の景観を見ることが、一番の目的でした。
 私は、山の頂上に登ることに、あまり興味がありません。その山で、自分が一番興味のあるところや、一番素晴らしいと思うところを、自分なりに味わえばいいと考えています。ですから、今回も馬の背まで来て、岩石や景色が見れればいいと思っていたのです。
 アポイ岳には、今や花の山として多くの登山客が訪れます。アポイ岳の固有種も多く、高山植物群は国の天然記念物に指定されています。しかし、私にとっては、岩石に興味があります。アポイ岳周辺は、もともとマントルにあった岩石が、めくれ上がって地表に出ているところなのです。ですから、アポイ岳を登るということは、地表を歩きながら、マントルの中を歩いていることになるのです。実際の地球深部、数10kmにあるマントルへの旅行は不可能です。でも、ここアポイ岳なら、歩いてマントル旅行ができるのです。
 アポイ岳は、海岸近くから立ち上がっている山なので、標高が低い(810.6m)割りに、その眺望がよく、登山したという充実感のわく山です。そして、なんといっても、マントルから、地殻、海洋、大気、生物という地球の重要な要素を、眺めることができます。こんな経験は、そうそうできません。今回はそんなマントル旅行を心いくまで楽しみました。

・興味・
下りで、長男は膝がわらって、疲れが足に来たようです。
本当に不調だったようです。
なんとか、駐車場にたどりついたとき、
もう足が疲れて歩けないといって、車の中で座り込んでいました。
しかし、そこに突然、鹿が現れました。
周囲には川遊びする人たちや、車も何台もありました。
そんなところが鹿が出てきたので、皆驚いていました。
長男は、自分が一番に見つけたのだといって、
足ががくがくなのも忘れて、車から飛び出そうとしてました。
追いかけてもダメだとなだめて、車から見るだけにしました。
子供は目先の興味のほうが、肉体より反応するようですね。
大人では自分の体をまず考えてしまうのですが、
それは老いなのでしょうかね。

・キツネ・
アポイ岳の登山の前日、一つ南側の川である幌満川に入っていました。
私は石を見るために、子供たちは水遊びをするためです。
そこで、2組のキツネを見かけました。
一匹目は、幌満川を登り出してしばらく行った道路脇の側溝にいました。
近づくと側溝の中に隠れていました。
まだ子供のキツネでした。
親がどうしたのか心配だったのですが、
下りの時、同じあたりに来ると、親子連れのキツネを見かけました。
多分登っていくときに見た子供のキツネとその親キツネでしょう。
親がエサを捜して行ってる間、その側溝に身を隠していたのでしょう。
もう一組のキツネも上流で見かけました。
車の前に子キツネを見かけたので車を止めて眺めていました。
しばらく眺めていたら、後からもう一匹のキツネが近づいてきました。
多分子キツネを心配している親キツネでしょう。
盛んに小さいですが鋭い警戒の鳴き声を出しています。
でも、子キツネは、車に興味があるようで、車の前から、なかなかどきません。
しばらく見ていたら、やっと道路わきの茂みに入っていきました。
それと共に親も、キツネの子育ても
そろそろ終わりに近づいているのでしょうか。
今回の旅では、こんな野生に接することができました。

2006年8月3日木曜日

3_46 マントルの水2:マントルの中身

 前回は、地球の構造の概略をみました。今回は、その中のマントルの中身を、もう少し詳しく見ていきましょう。


 マントルは、カンラン岩からできていることは、前回紹介しました。マントルは、地球内部で非常に広い範囲(50~2900km)を占めています。地球では、深くなればなるほど、温度や圧力も上がります。マントルの一番深いところでは、温度は1700℃、圧力は140GPa(140万気圧)にもなります。
 地球内部の様子は、地震波で探られています。マントルの中に、地震波の速度に変化が起こっているのが知られています。深度200kmあたりで地震波の速度が遅くなるところ(低速度層と呼ばれています)と、深度400~670kmあたりで地震波の速度が変化するところ(漸移層、あるいは遷移層と呼ばれています)が見つかっています。400kmより浅いところを上部マントル、670kmより深いところを下部マントルと区分して呼んでいます。
 深度200kmあたりの地震波が遅くなる低速度層は、マントルのカンラン岩が少し溶けている状態になっていると考えています。岩石が少し溶けていると、岩石は変形しやすい状態となります。その層より上の部分は硬い変形しない岩石です。硬い岩石は塊あるいは板として振舞いますが、溶けているところでは、変形してすべりやすくなります。低速度層より上の硬い岩石の部分が、板として、すべって動くことができます。これが、プレートテクトニクスのプレートに相当する部分だと考えられています。硬い部分をリソスフェア、溶けている部分をアセノスフェアと呼ぶことがあります。
 深度400~670kmあたりの遷移層では、違う変化が起きます。400kmで急激に地震波速度が速くなり、400kmから670kmでは地震波速度が増えていきます。また670kmでも地震波速度は急に早くなります。圧力の条件で見れば、400kmあたりでは13GPa、670kmあたりでは24GPaになります。低速度層は、プレートテクトニクスの重要な役割を担っています。
 下部マントルのような深部の岩石を手に入れることはできません。ですから実験室で高温高圧条件を生み出して、どのような結晶がありそうかを探る方法がとられています。実験でえられた結果を、地震波速度からえられた密度の情報と照らし合わせて、実験結果で推定された結晶が、深部の鉱物としてふさわしいかどうかが検討されます。そのような検討の結果、深部の岩石の様子もわかってきました。
 カンラン岩を構成している鉱物は、深さ共に温度や圧力が上がると、より密度の大きい、詰まった構造の結晶へと変化していくことが知られています。
 カンラン岩の構成鉱物で一番多いカンラン石は、13GPaでスピネル構造(β相)、17GPaで別のスピネル構造(γ相)、そして23GPaではペロブスカイト構造と岩塩構造の鉱物になります。
 次に多い輝石は、12GPaから16GPaでザクロ石へ、16GPaでメージャライトとよばれる結晶に変わり、22GPaより深くなるとイルメナイ構造やザクロ石構造などいろいろ変化しながら、最終的に26GPaより高い圧力では、ペロブスカイト構造をもつ結晶になります。
 670kmより深部の下部マントルでは、ペロブスカイト構造や岩塩構造をもついく種類かの結晶によって構成されることになります。
 このような地球深部のペロブスカイト構造や岩塩構造をもつ結晶は高密度です。H2Oのような物質が結晶の中に入る余地がありません。ですから、多くの研究者は、マントルには水などないと考えていたのです。しかし、遷移層の中に水がありうるということが、実験からわかったのです。続きは次回です。

・マントルの水・
マントルの水は、いろいろ重要な意味があります。
あるかもしれないないということは可能で、
後で紹介する事件からも
マントルには水がたくさんあるのではないかと
考えられていました。
しかし、肝心のマントルのどこに
水がありうるのかが分かっていませんでした。
ですから、今回の発見は重要な意味を持ちます。
それは、このマントルの水シリーズの後半でのお楽しみです。
もう少しこのシリーズが続きます。

・アポイ岳・
大学は定期試験も終わり、夏休みとなりました。
北海道は夏らしい天気が続いています。
私は、毎日定期試験の採点と
レポートや出席などの整理に追われています。
研究室は午後から暑いのですが、
風さえあれば、まだ過ごしやすく、仕事ができます。
やるべきことが多く、なかなか終わりません。
でも、私は、8月の上旬に、調査に出かけます。
このメールマガジンが届く頃には、
アポイ岳にいっています。
アポイ岳は、今回も紹介したマントルを構成している
カンラン岩からできている山で、
標高は1000mにも満たないのですが、
この山には、自然も固有ものがいろいろあり
不思議な山となっています。
そのために国立公園にもなっています。
詳しくは、別の機会としましょう。

2006年7月27日木曜日

3_45 マントルの水1:地球の構造

 地球のマントルに水があることが実験で示されました。それは、重要な意味を持ちます。今回は、そのマントルの水の意味について考えていきましょう。


 東北大学の大谷栄治さんたちのグループが、「ネイチャー」というイギリスの一流科学雑誌の2006年1月12日号に、マントルの遷移帯にマグマがあり水が含まれることを実験にて証明したという報告を載せられました。これは非常に重要な意味を持っています。それを説明していきましょう。
 まずは、地球の構造から話をはじめましょう。地球は、大きく見ると、固体と液体、気体の部分があります。気体とは大気のことで、液体とは海のことです。海は水を主成分としています。固体とは、岩石と鉄からできています。
 もちろん、水は空気より重く、岩石は水より重くなっています。鉄は岩石より重いものです。このように地球の構造の概要をみていくと、重いものは下、軽いものは上という、非常に単純な規則にしたがって構成されていることがわかります。
 水はH2Oですが、地球の環境では、水蒸気、固体も存在しますが、液体として存在しやすい条件となっています。ですからH2Oの大部分が水、つまり海としてあるわけです。地球はできたから長い時間経過していますから、地球の内部の岩石の中に含まれたいたH2Oの成分は、ほとんど外に持ち出されて、海となっている考えられます。
 固体の部分は、外側から、地殻、マントル、核という名称で呼ばれています。地殻は、他の部分の比べて非常に薄いものです。地球の構造をよく卵にたとえられますが、核は卵の黄身の部分に、マントルは白身に、地殻は、卵の殻にたとえられます。しかし、地殻の実際の比率はもっと薄いものです。
 その薄さを数値で示しましょう。地球の半径は6380kmです。これを半径2.5cmの卵に対応させるのです。地殻は平均すると30kmほどですが、大陸地域では厚く50km以上のところもあります。多い目に見積もって100kmとすると、地球の半径の1.5%となります。卵でみると、0.4mmとなり、これでは殻としてちょっと薄すぎます。実際の3倍ほども多い目に見積もっていますから、地殻を卵の殻にたとえるのは、あまりよくないかも知れません。まあ、いずれにしても地殻は非常に薄いものです。
 さて、地殻の下にあるマントルは、カンラン岩という岩石からできています。地殻も岩石ですので、似ているのですが、岩石の種類が違います。地殻は、さまざまな時代に活動したマグマや大地の変動によって多様な岩石ができています。しかし、おおざっぱに見て花崗岩の仲間と玄武岩の仲間が主要な構成岩石となっています。そのような地殻の岩石と比べて、マントルのカンラン岩は、密度の大きい岩石です。ですから、その違いは地震波を用いた地球深部の探査でも見分けることができます。その境界部分をモホ面と呼んでいます。
 カンラン岩の構成鉱物は、カンラン石(オリビンとよばれる鉱物)、輝石(2種類あります)と、少量の長石(深さによってザクロ石、スピネルというものに変化します)があります。
 このような鉱物は、どれも緻密につまった結晶構造をもっていて、結晶の中に水を含むことはありません。ですから、マントルには水は存在できないと考えられてきました。水があっても、非常に特殊な条件や状態のところだけで、全体に占める割合は非常に小さいと考えられていました。
 なのに今回、マントルの遷移帯というところに水が含まれることがわかったのです。その意味については次回としましょう。

・マントルの水シリーズ・
この内容は論文を見て以来、書こうと考えていたのですが、
なかなか機会に恵まれず、ついつい先延ばしになりました。
やっと今回から何回に分けて報告していきたいと考えています。
「マントルの水」シリーズです。
マントルの水については、現在の地球の仕組みや
地球の歴史において、いくつか重要な意味を持つのですが、
それを実際に書くとどれくらいになるかはまだ見当がつきません。
ですから、書き進めていかないと全体像が見えてきません。
お付き合いください。

・自然な生き方・
いよいよ夏休みです。
北海道の夏休みは本州よりは短いですが、
子供たちにとっては、大切な日々の始まりです。
しかし、今年は、全国的に天候不順で
梅雨前線の停滞による大雨で各地で被害をもたらしました。
北海道も、天候不順で、農作物に影響がでないか心配されています。
ここ数日やっと晴れ間が見えてきました。
しかし、スカッとした快晴になかなかなりません。
晴れてもすぐに雲がかかります。
日本だけでなく、世界の各地で異常気象がいわれています。
でも、異常気象とは人間側の言い分で、
気候の変動も自然の営みの一部です。
人間は自然の営みには逆うことはできません。
ただ受け入れるしかありません。
そして時には耐えなければなりません。
それが人間が昔から行ってきた、
自然との付き合い方ではないでしょうか。
あるがままの自然を受け入れること、
それは時にはつらい状況になるのでしょうが、
いちばん「自然な」生き方なのかもしれませんね。

2006年7月20日木曜日

6_52 宇宙人9:私たちは孤独なのか

 さて、宇宙人をめぐるシリーズも、今回がいよいよ最終回となります。最後は、宇宙において、私たち人類が、孤独な存在なのかどうかを考えていきます。

 ETIの存在の確率を求めるドレイクの式にいろいろ数値を入れていくことを、前回紹介しました。そして、その値には、なかなか決められないものがあることも示しました。
 正確な存在確率は求めることができませんが、今回は、その値が得られたら、どのような意味を持つかを考えていきます。そして、ETIの存在確率は、どの程度なのかを推定していきましょう。
 もし、ETIの存在の確率Nが求められたら、ETI文明間の平均距離が求められます。銀河系を円盤とみなせば、円盤の面積をN個に分けます。するとETI文明一個が、どれくらい面積にあるかが推定できます。その平方根をもとめれば、平均的なETIの距離が見当つきます。文明間の平均距離をd、銀河の半径(10万光年:4.7×10^22m)をDとすると、
d=2・(πD^2/N)^1/2
となります。
 ETIとコンタクトが可能であるためには、dは、
L>d/c
でなければなりません。cは、電磁波の速度、つまり光速で、Lは文明の継続年です。Lの単位が年ですから、9.46×10^15m/年となります。
 ドレイクの式では、地球文明を区別していませんでした。したがって、Nの値の中には、地球がありますから、N≧1でなければなりません。もし、N≦1なら、SETIをする意味はありません。また、N≫1ならフェルミのパラドックスが問題となります。
 さて、どれくらいの値が期待できそうでしょうか。現状では、ETIが探査にかからないほど平均距離dが大きく、ETIの文明の継続期間Lはそれほど長くないと推定しざるえません。
 Lを80年という値を入れて計算してみると、N>7.9となります。N=8としたとき、d=6200光年という数値になります。Nが増えれば、この値は減ります。この6200光年という値は非常に微妙なものです。6000年ほど待たないと彼らの電波が届かないということです。ETIはいるのですが、私たちとコンタクトがとれるほど近くにはいないということです。つまり、私たちの隣人は遠くてまばらなために、実質的には、銀河では私たちは孤独な存在だといえます。それは他のETIについても同じことがいえます。
 いろいろな時代にETIが存在した可能性があります。また隣のETIが離れているとしても、もちろん確率的な議論ですから、明日、ETIからのメッセージを乗せた電波が届くかもしれません。でも確率が示すところは、銀河系で、私たちがは孤独な存在であるということです。
 人類の文明は、惑星上で利用できるエネルギーを使用するタイプのI型です。II型やIII型文明への発展は、長い時間がかかるので、宇宙文明論の一般論から考えると難しいということになるのかもしれません。
 これは、人類の未来にとって、非常に悲観的な未来となります。なぜなら、文明が長続きし、宇宙への進出をするような知的生命はいないという一般則になるからです。
 しかし、もしそのような不幸な未来を予測できたのであれば、それを回避する努力はできるはずです。少なくとも、米ソの冷戦時代の全面核戦争は回避できたという実績が人類はあります。そのような未来にならないために、人類は、もっと智恵をつけ、文明が長期にわたって継続できるようにしてかなければなりません。
 ETIの思考は、どこまでいっても、人類自身へともどってくるようです。

・宇宙人シリーズ・
宇宙人シリーズは、8回という長いものになりました。
私もここまで長くなるとは、書き始めるまでは予想できませんでした。
しかし、書き始めるとついつい書きたいことが出てきました。
エッセイの最後に書きましたが、
その思考は、どうしても人類自身に思いが巡っていきます。
不思議なことです。
人類以外の知的生命であるETIについて考えていたのに、
最後には人類にもどることになります。
もしかするとETIという想定自体が、
もうひとつの人類を考えているのかもしれません。
ETIをめぐる思索の旅は、今回で終わりですが、
また新しい考えが生まれたら紹介します。

・8月の日程・
次男の水疱瘡も連休でやっと治り、
火曜日から幼稚園に通うようになりました。
これで一安心です。
でも、私のアポイ岳の野外調査は流れました。
天候も不順でしたから、よしとしましょう。
8月2日から4日に日程を変更して再挑戦することにしました。
急遽ですが、春に調査できなかった登別の調査が、その翌週に入りました。
いちばん忙しい時期ですが、家庭サービスを兼ねています。
私も気分転換になります。
地質屋としては、夏となる外に出たくてうずうずします。
野外調査をしたいのですが、
どうしても8月中は日程が一杯はいっていて、非常に忙しくなります。
北海道では小中高校の夏休みは短く、8月20日までです。
すると、8月には大学へのリクルートして高校めぐりをします。
北海道は広いので、宿泊していかなければなりません。
私の担当は、浦河、根室、岩見沢です。
岩見沢は近いのですが、浦河と根室は1泊2日の日程となります。
ですから、少なくとも5日は予定が入ります。
その日程調整は、8月20日以降となります。
ですから、8月下旬の10日間は、予定が入れられないのです。
まあ、愚痴を今から言っても、しかたがありません。
やるしかないのですから。

2006年7月13日木曜日

6_51 宇宙人8:ETIの存在確率

 ETIの探査を理論的に考える方法をみていきます。理論的に考えていくと、私たちがいかに自分自身ついて知らないかを、教えてくれます。

 理論的にETIのいる確率の求める方法が提案されています。
N=R・fp・ne・fl・fi・fc・L
という式です。
 ここでN(個)とは、銀河系内の文明の数として計算されるようにしてあります。銀河系内としているのは、現在技術として探索可能な範囲で、ETIの存在が私たちに与える影響を考えるとき、意味のある母集団といえます。そして、ここで文明とは、宇宙空間へ向けて電波による交信能力を持ち、そして実行能力のある文明(カルダショフの分類ではI型文明)です。
 この式は、ドレイク(1961)が提唱したもので、ドレイクの式といいますが、ドレイク・セーガンの式とか、グリーンバンク方程式とも呼ばれています。
 この式に数値を入れて、確率を求めるのですが、値を考えるに当たって、重要な仮定があります。それはメディオクリティの仮定とよばれるものです。それは、「太陽系あるいは地球は、宇宙で何ら特別な存在ではない」というものです。太陽系や地球で得られたデータを参考に、値を入れてよいという、ありがたい仮定です。太陽系で得られた値を、他の太陽系や太陽系外惑星で確かめられたものがより正しいものとなるはずですから、他の観測データも重要になります。つまり、利用できるものは何でも使っていこうという姿勢です。
 では、それぞれの項に値を推定しながら、入れていきましょう。
 最初の項はR(個/年)で、銀河系内の恒星の年間生成数です。天文観測と太陽系の理論によれば、太陽質量程度の星の寿命は、100億年程度(10^10年)で、銀河系の星の数は10^11個(数千億個)の桁となります。ですから、平均すると、星の生成率は、年間数十~数個となります。
 fp、誕生した恒星が惑星を持つ確率です。太陽系形成の計算機によるシミュレーションや標準形成モデルからは、惑星の形成には必然性がありそうだと考えられています。また観測では、1992年に電波パルサー(PSR 1257+12と呼ばれている)の周りで惑星系の発見されました。その後、2003年12月までに、104の太陽系外惑星系が発見され、そのうちの13個に複数の惑星をもっていることがわかりました。ですから、結論として恒星が惑星系を持つ確立は1に近いと考えられます。
 neは、惑星の中で生命生存に適した惑星の存在率です。太陽系では、10個の天体(大きな惑星9個+月1個)のうち、1個(地球)は条件を満たしているます。メディオクリティの仮定に基づき、10%程度は一般の惑星系でも生命生存に適したものがあると考えられます。地球の知識からは、水が生命の生存を左右すると考えられます。その条件にするのなら、火星にもかつては海がありました。だとしたら、20%という可能性になります。観測では、シャルボノーらのハッブル望遠鏡を使った研究の2002年の報告によれば、HD209458の惑星HD209458bの大気中にナトリウムがあることを発見しました。これは、他の惑星系でも大気があり海の存在を匂わせます。以上のことからneは、0.2と考えられます。
 fl(個/個)は、neの惑星から生命が発生する確率です。太陽系でneを満たした天体で生命が誕生して確認されているのは、地球のみです。ですから確率は、0.5となります。しかし、水があれば、生命が簡単に形成される可能性もあります。火星起源の隕石から化石を発見したという報告がありました。現在はまだその化石は生命でとは断定できないと考えられています。また、火星探査では、水探しや生命探しをすることが重要な目的となっています。その結果、もし火星から生命の痕跡が見つかれば、あるいは火星起源の隕石の化石が事実なら、1になります。結論として、現状では、0.5としましょう。
 fi(個/個)は、flの生命から知性が発生する確率です。これは残念ながら、不明です。また、fc(個/個)はfiの知性から文明が発生する確率ですが、これも不明です。
 L(年)は、その文明の継続する期間で、これも不明です。しかし、現在の文明をみると、メディオクリティの仮定から、最低値を求めることができます。1928年に、ロンドン-ニューヨーク間のテレビ中継放送が成功しました。その後、ニューヨークで定期的テレビ放送が開始されました。人類は電波技術をもって78年経ちます。1936年のベルリン・オリンピックではじめてテレビ中継されました。「コンタクト」という映画では、ヒットラーが開会宣言している映像とされています。それ以降、地球のテレビ電波は、宇宙へ垂れ流し状態となっています。
 さてN(銀河系内の文明の数)は、いくつでしょうか。以上の各数値を求めることができれば、現在存在しているETIの文明の個数(確率)が計算できます。しかし、値を推定するする過程で、不明なのは、我々自身の一番身近な内容でした。よく知っているべきはずの内容が実はわからないのです。このドレイクの式は、われわれの科学のレベルを評価する式でもあるのかもしれません。

・天候不順・
北海道の気温が上がっています。
今週にはいってから、天気が悪く、
昨日は、室内はまるで梅雨のような蒸し暑さです。
ただし、これは、北海道に住んでいる人の感想で、
本州の人にとっては、これでも十分快適かもしれません。
もちろん夜は窓を閉めないと、寒くて寝れないほどの気温です。
本当なら今頃はもっと乾燥して、好天が続くはずなのですが、
今年は、天候不順で、なかなか良い天気が長続きしません。

・諦観・
一昨日、次男の体に赤い湿疹ができているのに気づきました。
家内に伝えたら、水疱瘡かもしれないといいます。
幼稚園ではやっているそうです。
急遽かかりつけの小児科に電話したら、診療時間が終わっているが
待っているから来なさいといってくいただきました。
家内が連れて行ったら、やはり水疱瘡でした。
急に発症したようだ。
伝染性の病気なので周りへの気遣いが大変です。
幼稚園、近所で次男が尋ねた家にあわてて電話しました。
次男は親のあわてぶりに驚いたようですが、
予防接種をしているので、それほど変調はなく元気です。
ただ、やはり体がだるかったようで、一昨日の朝は眠いとぐずっていました。
ですからそのときからすでに発病しはじめていたのでしょう。
次男が1、2歳のときに、長男がかかったのですが、次男は発病しませんでした。
早くかかればと思っていたのですが、こればかりはどうしようもありません。
医療の進歩で、症状もそれほどひどくありません。
免疫をつくることが大切です。
土曜日からの旅行も、看護婦の話では、
多分大丈夫であろうということです。
金曜日に診療を受けて医師の判断しだいなのですが、
それによっては、旅行も流れるかもしれません。
ということは、私の調査もできないということになります。
でも、こればかりはいた仕方がないことです。
家族をもつと、致し方ないことがよく起こります。
人間はこのような経験を繰り返して、諦観を学ぶのかもしれませんね。

2006年7月6日木曜日

6_50 宇宙人7:SETI

 実際にいくつものSETIがおこなわれています。その方法と結果をみていきましょう。

 SETIには対象によって、大きく分けて2つの方法があります。全天をくまなく観測する方法と、目標の星を定めて詳しく調べる方法の2つです。いずれも実際におこなわれたものです。その方法や考え方を見ていきましょう。
 プエルトリコにはコーネル大学により運営されている世界最大の電波望遠鏡があります。その望遠鏡が、多数の星でのSETIに利用されました。アレシボ望遠鏡で1日観測すると、デジタルで35GBのデータが得られます。その中からETIの発した信号を探さなければなりません。多分弱い信号となっていて、雑音に紛れそうになっていることでしょう。解析して人工的な信号があるかどうかを調べなければなりません。
 非常に多くのデータがあるので、解析には膨大な計算時間が必要となります。そのためには世界最高速のコンピュータをもってしても時間を要します。それに最高速のコンピュータを独占的に使うことは不可能でしょう。そこで、SETI@homeという方法が考えられました。
 SETI@homeとは、個人が所有するインターネットに接続しているコンピュータをボランティアと利用させてもらうというものです。コンピュータが利用されてないときに、スクリーンセーバとして作業するソフトを無料配布して、協力してもらおうというのです。
 1999年からスタートして、全世界で54万人が参加しました。データは、1.420GHzを中心とした2.5MHzの周波数の信号を、256の部分に分割し、それぞれを約10KHzにして解析作業をします。10KHzの信号は、250KBで1つのワークユニットとしています。それに付加情報を付け加えて340KBのデータを参加者に送ります。もし、信号を見つけたときには、「原則の宣言書」に基づいて、確認をして、広く世界に告知することになっています。
 このように各地のコンピュータを利用する手法は、分散コンピューティングとよばれるもので、パーソナルコンピュータでも多数集められると、全体としては強力な計算能力を持つコンピュータとみなせます。
 2004年6月からは分散コンピューティングとして新しいソフトウェア(BOINCと呼ばれる)を用いたプロジェクトに移行しました。これによって初代SETI@home(SETI@homeクラシック)は2005年12月15日に終了しました。これは、壮大なる人類全体を巻き込んだ、地球規模の思考実験といえます。
 SETI@homeクラシックの結果は、「2003年2月までにうお座とおうし座の間の方角より、人工的な信号が3回受信され、現在は消えている」、というものでした。この信号は現在消えているので、本当にETIからものかどうかを、確認することはできません。
 もう一つの近くの星からの電波を丹念に探索する方法として、SETI研究所がおこなっているPhoenix計画があります。地球から2000光年にある2000個ほどの星からの電波を、丹念に探査していこうというものです。
 SETI研究所はNPO(非政府組織)ですが、年間4億円の予算を使っています。その大部分を、個人や民間の寄付で運営しています。しかし、いまだに、信号はキャッチされていません。
 以上の結果から、確実なETIの存在を示す信号は、まだ見つかっていないことになります。見つかっていないことが、ETIがいないことの証明とはなりません。ですから、続ければそのうち成功するかもしれません。しかし、SETIだけからのアプローチでは、あまり効率よくありません。今までの成果をもとに、別のアプローチを考えてみる必要がありそうです。それは次回としましょう。

・最速のコンピュータ・
SETI@homeが分散コンピューティングとして持っていた計算能力は、
2004年1月で、63 T FLOP/Sという数値でした。
FLOP/Sとは1秒間で計算のステップが何回できるかというもので、
Tとは10の9乗で、63 T FLOP/Sとは
毎秒6300億回のステップが計算できるという途方もない数です。
当時、最高速のコンピュータは、
NEC製の日本のjamstec(独立行政法人海洋研究開発機構)にある
「地球シミュレーター」でした。
その能力は35.86 T FLOP/Sで、2002年から2004年11月まで
世界で最高速のスーパーコンピュータの座にありました。
「地球シミュレーター」は2002年6月に最高速を記録したとき、
当時の第2位コンピュータに、5倍の差をつけてトップを獲得して以来、
2004年11月まで連続でトップを維持していました。
日進月歩のコンピュータの世界で、この記録は驚異的なことでした。
しかし、当時最速のコンピュータである「地球シミュレーター」を
SETI@homeの計算能力は、2倍近くあったのです。
人類の多くの参加した思考実験は、
当時最高の計算能力をもって取り組まれたことになります。
しかし、その結果は、ETIの発見というものではありませんでした。
ちなみに、現在(2006年06月28日)最速のコンピュータは、
アメリカ合衆国カリフォルニアのDOE/NNSA/LLNLという研究組織にある
IBM製のBlueGeneと呼ばれるものです。
その計算能力は280.6 T FLOP/Sというものです。
コンピュータは驚異的な進歩を遂げているのです。

・休日は外で・
いよいよ7月です。
北海道は7月になってから夏らしい暑い天気が続いています。
我が家は最近休日は外で過ごすことが多くなっています。
子どもが参加する行事に親も付き合っているということです。
健康的な生活を送っていて、私も家内も日焼けしています。
しかし、子どもと違って、大人は休日に疲れを取りたいところなのですが、
休日に疲れてしまっています。
外での疲労は、肉体が疲れるのですが、
精神的にはリフレッシュして気持ちがいいものです。
どちらをとるかは難しいのですが、
気持ちの良い季節は、やはり外で太陽の日差しものとで
動き回ることでしょうね。
冬の不足分を取り戻さねばなりませんから。

2006年6月29日木曜日

6_49 宇宙人6:科学としてのETI探し

 ETIのことを真剣に考えるのは、20世紀中ごろまでありませんでした。しかし、何人かの先駆者によって、ETIについて科学的に考えることができるようになりました。

 1959年9月19日にココニとモリソン(Cocconi & Morrsion)がネイチャーという権威ある科学雑誌に「星間通信への模索」という論文を報告しました。これが、ETIに関する初めての科学論文でした。
 それまでは、ETIのことを真剣に調べようとするのは、変な科学者とみなされ、表立って研究することはなかなか困難な状態でした。もし、科学者がETIのことに興味をもっていても、研究費も出ませんし、公共を施設(天文台や高速の大型コンピュータなど)を利用することはできませんでした。しかし、この論文によって、科学のテーマとして取り上げられるものになってきました。
 まるでその論文を待っていたかのように、1960年春には、ウエストバージニア州グリーンバンク(Greenbank)にあるアメリカ国立電波天文台のドレイク(Drake)らによって、オズマ(Ozuma)計画という名のCETIが開始されました。この計画は、電波望遠鏡によってETIと通信をしようとするものでした。
 オズマ計画では、地球に近い太陽に2つの星(エリダヌス座ε星とクジラ座τ星)からの電波を、30日間にわたって調べるものでした。それと同時にETIに対してもメッセージを送りました。
 その後も、SETIの試みはいろいろと続けられました。しかし、残念ながら、オズマ計画では、ETIの証拠は見つかりませんでした。
 このオズマ計画を指導したドレイクは、CETIやSETIの創始者ともいうべき研究者です。
 論文発表の翌年の1960年11月1日には、「地球外知的生命体に関するグリーンバンク会議」が開催されました。それは、わずか12人の科学者が集められた会議でした。しかしこの会議は、研究者がETIに対して、真剣な取り組みを始めた象徴的なものでした。これ以降、ETIの探査が科学的研究として認知されるようになりました。
 今まで、多くの周波数で、多くの天文台を使って、多くの星を目標にして、ETIの探査されています。しかし、探査するには、効率を考えなければなりません。効率探査するには、無駄を省くことです。どれが必要でどれが不要かを考える場合、ETIが私たちと同じ程度に賢いとします。
 私たちが考えているようなことは、ETIも同じように考えるはずだとするのです。すると私たちにとってベストな方法といえるものは、ETIにとってもベストであるはずです。
 EIT同士が星間通信をする場合、通信には電波を使うはずです。これが一番早い伝達速度もっているからです。その通信は、遠くなれば信号は弱くなるはずです。どこまで届くかは、信号の強さと、雑音の強さの関係となります。可能な限り強い信号を送るにしても、雑音は少ないに越したことはありません。遠距離の通信には、できるだけ雑音の少ない周波数を使った方が効率がよくなります。
 宇宙空間で一番雑音の少ないのは、水に関する成分(水素や水酸基)が出す固有の電波(輝線とよばれます)のあるあたりです。ですからその周辺の周波数帯はウォーターホールと呼ばれています。1~3GHz付近の周波数にあたります。そのあたりは、電波でもマイクロ波と呼ばれる領域です。マイクロ波のウォーターホール周辺でETIの探索されることが多くなっています。オズマ計画も21cmの波長(中性水素原子が出すもの)でCETIがされました。

・思考実験・
科学的に調査するとは、いろいろなことを考えてなされます。
探索すべき周波数は広く、そして星は星の数ほどあります。
何も考えずにやっていては、
どれほど時間をかけても、探査は終わりそうもありません。
時間がかかれば、費用もかかります。
ですから、効率的にSETIをしなければなりません。
そのためには、観測を実施する前、あるいは実施しながらも、
効率を考えなければなりません。
そんなSETIの歴史や考え方をみていくと、
実はSETIとは、自分たちのことについて考え、
自分たちの智恵を鍛えるための壮大なる思考実験と
私には思えてなりません。

・夏が来ない・
いよいよ6月も終わり、7月になります。
本州はまだ梅雨でしょうか。
北海道も夏もはずですが、天気の悪い日が続き、
なかなか夏らしい日が来ません。
先日やっと2日ほど快晴がありましたが、
毎日どんよりとした曇ったり雨が降ったりの嫌な天気です。
北海道には梅雨がなく、一番いい季節のはずなのですが、
こんな天気ばかりではたまりません。
なにか損をしたような気すらします。
でも、天候ばかりはどうしようもないのですが。

2006年6月22日木曜日

6_48 宇宙人5:ETIの見つけ方

 フェルミのパラドクスを解くには、ETIをなんとか探すことです。そんな方法を見ていきます。

 前回紹介したフェルミのパラドクスを解決するには、どれほどETIがいるかが重要になります。多ければパラドクスが謎のまま残ります。少なければパラドクスとはなりません。まずはETIがどれくらいいるかを探ることが、重要となります。
 ETIの数を探査する方法には、実際に観測して探そうというものと、理論から求めようというものの2つのアプローチがあります。
 まず、実際に観察する探査の方法を紹介しましょう。
 最初の探査は、ETIとコミュニケーションをすることを目指されました。その方法は、CETI(Communication for Extra-Terrestrial Intelligence)と呼ばれています。CETIができるためには、あまり遠くてはコミュニケーションができません。ですから、少々の時間差があるにして、ETIと交信可能となるのは、太陽系内や太陽系の近くの天体となります。それらの天体をターゲットしたCETIとなります。
 ところが、この探査の方法は現在行われていません。あるていど観測や探査はされたのですが、交信できるほど近くに、ETIはいそうにもなかったからです。コミュニケーションとは、メッセージを送れば、返事が返ってくるという前提に成り立っています。返事の来る当てもないものを、コミュニケーションと呼べるでしょうか。この方法は、非常にロスの多い探査だといえます。
 また、ETIが近くにいて、なんとかコミュニケーションできるとしても、彼らが友好的な種族という保障はありません。もし、彼らが私たちよりはるかに進んだ科学技術を持っていて、植民地を探している凶暴な種族だったらどうなるでしょうか。私たち自らから、情報を公開するということは、彼らに格好のエサを与えることにならないでしょうか。私たちの素性を知らせる前に、相手の素性を知ることが優先すべきでしょう。私たちに関する情報を、無防備に公開するのは、あまりよい方法とはいえません。
 そこで、SETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)という方法が、現在ではおこなわれています。SETIとは、ETIとのコミュニケーションをするではなく、ETIを探すことだけに専念する方法です。
 ETIを探す時は、人工的な電波を発信しているかどうかを調べることで、遠くからでも確認できます。この方法であれば、どんなに遠くの星でも、探査が可能です。そして、多数の星を調べることができます。そして、何よりいいのは、こちらの存在を知らせることなく、ETIの存在だけを探ることができることです。私たちは、ただ聞き耳を立てているだけでいいわけです。これは、非常に有効な方法といえます。現在、ETI探しは、SETIというやり方になっています。
 実際のSETIとその結果については、次回としましょう。

・北海道の初夏・
沖縄では梅雨が終わったようです。
でも、本州では梅雨の蒸し暑い日が続いてるのでしょうか。
ここ北海道は、先週末は少々蒸し暑かったのですが、
ここ2、3日は、雨で肌寒いほどです。
蒸し暑いといっても、窓を開ければ、
涼しい風が入ってきて、快適になります。
北海道も緑が濃くなり、良い季節となりました。
初夏を告げるエゾハルゼミがあちこちで鳴き始めました。
子どもたちと森のセミを取りに出かけたのですが、
まだ、数が少ないようで、木の低いところにはいず、
高い木の上で鳴いています。
また警戒心が強いせいか、子どもたちが近づくと鳴き止んでしまいます。
蝶々は取れるのですが、セミは、まだまだのようです。
しかし、ミヤマカラスアゲハを長男がとって喜んでいました。
北海道の初夏の風物ですね。

・エディター・
長年使っていたエディターを先日変えました。
エディタ-とは文章を書くために特化したソフトです。
私は今までWZエディターというのを長年使っていました。
それ以前はMifesというのを使っていたのですが、
一時Macを使っていたので、DOSに戻ってきたときから、
WZエディターを使っています。
WZエディターはバージョン3から5まで9年ほど使ってきました。
バージョン5になってから4年ほどたちますが、
バージョンが上がっていません。
それどころか新しいバージョン開発が行われる様子もなく、
サポート用の掲示板もなくなりました。
このような状況であれば他のエディターに変えたいのですが、
WZエディターから他のエディターに変えられませんでした。
それは、WZエディターにだけ、アウトライン機能があったからです。
その機能を私は常に使っていました。
今回主要なエディターである秀丸エディターとEmEditorも
アウトライン機能を正式に持つようになりました。
やっと選択肢ができました。
試した結果、秀丸エディターであれば、
WZエディターと同じ形式に表現できることが判明して
乗り換えることにしました。
まだ秀丸エディターのバージョン6はβ版ですが、
購入して、本格的に使用を始めました。
長年WZエディターを愛用していたが、
やはりソフトの対して更新が成されないのは
利用者としては、不安を感じます。
今、秀丸エディターの特徴を少しずつ味わっているところです。
そして、WZエディターでできたことを、
秀丸エディターでどうすればいいかをいろいろ試行錯誤しています。
大抵のことは工夫すればできることがわかってきました。
秀丸エディターのいいところは、マクロがたくさんあること、
それとサポートがしっかりしていることです。
このエディターとも、長い付き合いになってくれるといいのですが。

2006年6月15日木曜日

6_47 宇宙人4:フェルミのパラドクス

 ETIがいるか、いないかを考えるときに、重要な条件を考えていきます。すると不思議なことに、矛盾が発生します。

 ETI(地球外知的生命体)の乗物のことを、UFOと呼んでいます。しかし、UFOとは、Unidentified Flying Objectの略で、もともとの意味は「航空管制上、飛行体が認識、同定されていないもの」ということです。UFOのなかには、気象現象、風船やタコ、ビニールごみなどを誤認したものなどを、たくさん含んでいるはずです。しかし、それが何かがわかるまでは、UFOでありつづけるわけです。ですから、UFOは、ざらにあるものなのです。
 もちろんその中には、地球外からきたEITの乗物も含まれるかもしれませんが、今のところ本物となされているものはありません。UFOをETIの乗物としていますが、もしそれが認識されたとすれば、もはやUFOではなくなります。現在非常に混乱した使用がなされていることになります。ですから、UFOという用語はここでは使わないことにしましょう。
 ETIについて考えるとき、重要な条件があります。ハートが1975年に考えたもので、Fact Aというものです。Factとは「事実」という意味です。Aとは「ABCのA」ですから、日本語でいうと「いろはのい」という意味です。Fact Aとは、前提とする事実が「ETIが地球に飛来したことはない」ということです。Fact Aは、これからETI探しをしようというのに、少々変な感じがしますが、科学的考えていくためには、このような確実なところからスタートすべきでしょう。
 カルダショフという研究者が、宇宙にあるであろう文明を、科学技術あるいは使用エネルギーに基づいて区分しました。テクノロジー文明と呼ばれています。テクノロジー文明は、エネルギーの使用程度に基づいて、3つに分けられています。
 I型文明は一つの惑星上で利用できるエネルギー(10^19erg/秒)を使っているもの、II型文明は惑星が属している恒星が出しているエネルギー(10^33)を使うもの、III型文明は銀河全体のエネルギー(10^44)を使いこなすもの、となっています。現在の地球はI型文明にいることになります。
 人類の今までの歴史を見ていくと、ひとつの国で鎖国が続くのはせいぜい、数百年です。鎖国は長く続くことはなく、文明は長い年月の後には、破滅か発展かしていくことなります。このような人類の歴史を見ていくと、文明とは、発展を続けるものだと考えられます。その考えを、テクノロジー文明に適用すると、一般的なETIの文明は、I型→II型→III型へと発展していくはずです。
 するとFact Aとテクノロジー文明の発展を考えあわせると、パラドックスが生じます。人類の発達から推定すると、ETIは自分が生まれた天体の外へも発展していきます。ETIのあるものは、III型文明まで発展しているはずです。ところが、Fact Aから、ETIとの接触やETIの文明の証拠がいまだにないのです。これをフェルミのパラドックスと呼んでいます。
 フェルミは、このパラドクスをかくれんぼ遊びにたとえて"Where is everybody?"(みんなどこにいるんだい)と呼びかけています。
 このフェルミのパラドクスをまぬがれる方法として、動物園仮説というものを、バールが1973年に考えました。III型文明はすでに存在しているのですが、我々の太陽系は、銀河文明の自然公園で、わざと放置されているのだという考え方です。私たちはETIから、動物園の動物のごとく、その発展過程を観察されているのだというものです。私たちは、ETIから見られている動物園のサルのようなものなのでしょうか。

・動物園仮説・
宇宙人シリーズですが、もうしばらく続きます。
ついつい長くなってしまいます。
しかし、なかなか面白いテーマであります。
今回のフェルミのパラドクスは、どのようにして解くのでしょうか。
最後の予定になりますが、その説明をしたいと考えています。
もし、私たちに見えない状態で私たちをETIが観察している考えると、
私たちは、ETIに対して恥じない、発展をしているでしょうか。
自分たちの住む惑星のこと、太陽系のこと
銀河の平和や安全、環境を乱すようなことを
知らず知らずのうちしていないでしょうか。
そんなことを考えるきっかけに「動物園仮説」を使うことが
一番いい使い方かもしれませんね。

・元気が一番・
長男の小学校の運動会は、雨で一日延期になりましたが、
日曜日に無事終了しました。
月曜日が長男は休みとなり、火曜日に学校に行こうとしたら、
気持ちが悪くなって休んでいました。
月曜日に、そのような症状が出ていたのですが、
風邪ではないかということで、自宅で安静にしていました。
しかし、火曜日に病院で調べたところ、
風邪のウイルスは見つからずに、
自律神経失調症という診断でした。
つまり、疲れが出たのでしょうということです。
安静にしていなさいということです。
しかし、エネルギーがあまっているらしく、
長男は家の中で暴れまくっていました。
子供は暴れまくるくらい元気なのが一番ですかね。

2006年6月8日木曜日

6_46 宇宙人3:ETIとのコミュニケーション

 ETIの知性とはどのようなものでしょうか。知性が定義できないとしても、ETIとのコミュニケーションの方法はないでしょうか。

 ETIとのコミュニケーションを考えましょう。
 私たちは、ETIのことを何も知りません。いるかどうかも分からないのです。ここでは、もしETIがいるとしたらという仮定で進めましょう。
 ETIとは、地球外知的生命のことですから、知性があります。では、知性とは、どういう定義すればいいでしょうか。前回も考えたように、人類と他の生物を区別したり、人を特徴付けることすら難しいのに、地球外知的生命の知性を定義することは、なかなか大変なことです。知性の定義は、ここでは置いておいて、彼らは私たちの同じ程度に賢いということから考えていきましょう。
 彼らと、どのような方法でコミュニケーションしていけばいいでしょうか。コミュニケーション手段としては、宇宙でもっとも速い電波を使います。これは、ETIの知性に関する技術的な条件となりえます。
 電波を使うとしても、ETIとどのようにコミュニケーションすればいいのでしょうか。私たちは、ETIの文化も、知性の種類もわかりません。彼らとコミュニケーションをするには、日本語は通じないでしょう。もちろん英語もだめでしょう。さて、どんな言葉を使えばいいのでしょうか。
 電波でのコミュニケーションですから、ETIも電波技術を持っています。電波技術を獲得するには、一晩で一人の努力ですべての作り上げることは不可能です。多くの人が成し遂げた科学的な知識をたくさん積み上げてなければなりません。それができた知性体だけが、電波技術を扱えるのです。
 知識の積み上げには、何らかの言語や記述手法を使います。新しい知識の獲得には、科学的な考え方が必要です。電波を通信手段に持つということは、彼らは証拠と論理という科学の手法によって、ものごとを考えているはずです。
 この論理というものを使えば、言語がなくても知識の体系を伝えることができるはずです。私たちの科学の中にも、数学や論理学のように、科学者が日常生活に使っている言語に関係なく、論理的な記号によって記述する科学の体系があります。
 言い換えると、科学として論理的であるなら、すべて論理式で記述することが可能なはずです。このような論理による組み立てを、言語に見立ててコミュニケーションをしていけばいいはずです。
 まずは、私たちの科学の体系を、この手法で伝えればいいわけです。このコミュニケーションがうまくいけば、彼らも自分たちの科学の論理体系を同じ手法で伝えることができるはずです。いいえ、彼は私たちの同じほど賢いのですから、コミュニケーションしたいと考えたならば、同じ結論にたどり着くはずです。
 論理によるコミュニケーションとは、数学を小学校で教えるように、伝えていけばいいのです。まずは、1、2、3と数字を数えることから始まり、次は1+1=2などの足し算、次は四則計算をたくさんの実例を使って示せばいいのです。そして、さまざまな数学的処理を意味する記号と、その論理的内容を伝えていければ、私たちの数学の大部分を伝えることができます。
 これは、実は検証済みのことなのです。コンピュータの中で実際に行っていることです。少ない論理回路を用いて、非常に複雑な処理を、2進法という単純な電気信号でおこなっています。コンピュータで私たちが行っていることは、すべてこの方法でなされています。ですから、コンピュータでできることは、すべて伝えることが可能なのです。その手法を、そのままETIとのコミュニケーションに使えばいいのです。
 ただし、その内容が正確に伝わったかどうかは分かりません。もちろん論理的な部分は大丈夫なはずです。しかし、デジタル化された音楽や映像をみて、楽しい、美しい、悲しい、面白いなどという心の動きは、論理ではありません。これは、人間固有の感情です。その部分は伝わる保障はありません。まあ伝わらないと思っていたほうが無難でしょう。
 このようにみていくと、知性とは、もしかすると、科学的な考え方ができ、その成果を記録して、種として継承していくをいうような気がします。

・宇宙人シリーズ・
宇宙人シリーズもついつい長くなっています。
でも、もうしばらく続きそうです。
その存在すらわからない宇宙人について考えることは、
一種の思考実験とも呼ぶべきものです。
このような思考実験を通じて、ETIのことを考えながら、
同時に地球人類について考えているのです。
思考実験から、どうも私たちは、私たち自身について、
よく知らないということがわかってきます。
ETIよりも私たち自身が、もしかすると未知なる存在かもしれません。
でもこのような思考実験をすることによって、
ここでは知性をなんとくなく定義できたり、
思わぬ見返りがあります。
もう少し続けていきますので、お付き合いください。

・落ち着き・
6月ともなれば、本州ではそろそろ暑くなり、
梅雨の心配が始まるでしょうか。
でも、北海道はいい季節なので、
学校の運動会や大学祭がおこなわれます。
でも、今頃が、学校では、いちばん季節もよく、
落ち着いた時期ではないでしょうか。
我が大学の新学科も、そろそろ落ち着いてきました。
新学科の学生たちは、元気がいいのは変わりませんが、
何ができて、何ができないか。
何がしたくて、何がしたくないか。
何をすべきで、何をしてはいけないのか。
何に興味を持ち、何をあきらめるのか。
4月から5月まで1、2ヶ月は、それらがごちゃごちゃになって
とにかくあれもこれもやってみようと取り組んでいたのが、
整理されてくるからでしょうか。
やっと、収まるべきとことに収まったような気がします。
あと2ヶ月、前期の講義の後半が残っています。
一番学問に身が入るときでもあります。
教員としては、それに応えなければなりません。
大学が落ち着いてきたといっても、
気を抜けない時期でもあります。

2006年6月1日木曜日

6_45 宇宙人2:知性とは

 人間の持っている知性とは、どう定義すればいいでしょうか。それは、地球以外にもいるかもしれない宇宙人共通の知性と呼べるものでしょうか。

 前回、地球人も宇宙人だといいました。もし、私たちが日常的に使っている「宇宙人」を正確にいうとすると、「地球人以外の宇宙人」となります。あるいは「地球外の人間」と呼ばなければなりません。では、地球人以外の人間とは、どう定義すればいいでしょうか。
 地球人以外の人間の姿かたちは、私たちは知りませんから、姿かたちで定義するのはあまり良い方法ではありません。
 ここでは、地球人以外の人間とは、知性を持っている生命と定義しましょう。ですから、地球人以外の宇宙人は、地球外知性体あるいは地球外知的生命体と呼ばなければなりません。これでは長ったらしいので、英文のExtra-Terrestrial Intelligeuceの頭文字を取ってETIと呼びましょう。スティルバーグ監督の映画「ET」は、ETIをさらに略したものです。
 では知性とは、どう定義すればいいでしょうか。地球では人間だけが知性を持っている、と私たち人間は思っています。しかし、それは本当でしょうか。
 人間は言葉を使ってコミュニケーションをします。これは、知性もっている証のよう見えます。しかし、音声を使ってのコミュニケーションは、鳥や哺乳類では極普通におこなっています。鳥のさえずりや哺乳類の鳴き声は、コミュニケーションの手段として利用されています。そのコミュニケーションが単純かどうかは、必要性に依存しています。必要でなければ、複雑なものはいらないです。
 二足歩行をする鳥は、人間の言葉を話せます。また、イルカやクジラは、高度の知能を持っているといいます。彼らは、人間には聞こえないような長低周波の音波を発して、水中でも遠くの仲間と連絡を取っています。これは、十分知性的なコミュニケーションではないでしょうか。
 人間は道具を使います。これは、人間だけの特性ではないでしょうか。ところが、ある地域のチンパンジーは、木の実を割るのに、自分専用の台となる石(くぼみがあって木の実が安定する)と、割るためのハンマーとなる石を持っています。さらにチンパンジーは、木の中にいるアリを捕まえのに、木の枝や草から、葉っぱを取り除いて細い棒状にして、小さいなアリの穴に入るようにします。それを、穴に差込み、アリを捕まえて食べています。このような石や枝は、道具を作って使っていることにならないでしょうか。
 農業をして作物をつくのは人間だけです。いえいえ、ハキリアリというアリの仲間は、木の葉を取ってきて巣に運び、その葉に菌類を繁殖させて、食料としています。これは、立派な農業ではないでしょうか。
 人間には旺盛な好奇心があります。好奇心は人間だけの特性ではないでしょうか。好奇心とは、興味あるものを見たいという気持ちで、自分の不利益を少々こうむっても抑えきれない気持ちのことです。草食動物は、肉食獣に仲間が襲われると、その様子を少し離れたところが見ていることがあります。襲った肉食獣がいるということは、仲間が近くいるかもしれません。その場に留まることは危険です。なのに見るというのは、好奇心によるものではないでしょうか。まさに怖いもの見たさという好奇心にかられているように見えます。
 文化なら人間固有のものではないでしょうか。宮崎県青島のニホンザルで知られていますが、イモを洗って食べるという文化や、砂浜にまかれた小麦を海水につけ、浮かせて、効率よく、そしておいしく食べるという手法が若いサルが見つけました。それが、今や群れ全体に伝わっているというのは、文化の発生とその伝承ではないでしょうか。
 このようにしてみていくと、人間だけが持つ知性の特徴というものは、どうも特定できるものがありません。多くの生物がいろいろな知性的な特性を持っています。人間はそれらの知性の特性を、いろいろたくさん持ち合わせていることが、一番の特徴かもしれません。
 総合的な知性の特徴を、成功の記録や失敗の記録などを知識として長年積み上げていく必要があります。その知識の記録のために必要なので、文字が発明されたのではないでしょうか。文字による記録のために、土や石、皮から、紙になりました。記録や情報、知識を広くいきわたらすために、印刷の技術が発明されました。やがて記録の手法が電気信号を介して、すばやく伝達され、磁気や光で記録されるようになりました。
 このような知性の蓄積の実績によって、文明というものを発展させてきました。そこには、科学や技術というべきものが作り上げられました。この蓄積が成せる能力こそが、もしかしたら、人間の知性の重要な点かもしれません。
 人間は、電波(電磁波の一種)というこの世で一番高速の伝達スピードもをもつ通信手段で、コミュニケーションするようになりました。これは、文明の集大成といっていいかもしれません。ですから、ETIや地球人を考えるとき、電波によるコミュニケーションをできるという定義が可能かもしれません。

・天気の印象・
5月の上旬は暖かくて良い天気が続いたのですが、
5月下旬は涼しく雨が続きました。
まあ、雨の日も晴れの日もあります。
といってしまえば、それまでです。
もしかしたら、このような感想は、誤解に基づくものかもしれません。
土・日曜日が休みのサラリーマンとしては
土・日曜日の天気が一番記憶に残っていきます。
その記憶がもしかしたら、
一週間の天気の印象を大きく左右するのかもしれません。
これは、明らかに心理的効果によるミスリーディグです。
じつはこのようなことが、当たり前に起こっています。
人間は身勝手なもので、土・日曜日さえ晴れれば
なんとくなく得したような気がします。
雨だと損をしたような気がします。
特に北海道は一番良い季節を迎えています。
それを雨で室内でしか時間を過ごせないのはつらいものです。
今週末は、来週の小学校の運動会にそなえて、環境整備を行います。
終わったあとは、ジンギスカンです。
これが楽しみで、皆いそいそと出かけるのです。
やはり青空のもとで食べるジンギスカンは最高です。
晴れることを祈っています。

・企業努力・
大学は6月だというのに、来年の入学の準備であわただしくなっています。
入試用のパンフレットの印刷が終わり、配布が始まりました。
そして高校巡回がはじまります。
高校巡回とは、大学に来て欲しい高校に挨拶にいくことです。
そのとき、現在大学で過ごしている学生たちに近況を紹介したりします。
このような巡回が、そろそろ始まります。
6月下旬には、高校生を対象とした
オープンキャンパスという大学紹介があります。
いろいろなチャンスを利用して大学をアピールしていくのです。
これも大学の生き残りのために、努力の一環です。
私立大学は、民間企業ですから、常に営業や学生確保に励む
という企業努力をし続けるのです。
これが、大学自身を良くすることに、もつながっています。
とはいうものの北海道は広いのでなかなか大変なのです。

2006年5月25日木曜日

6_44 宇宙人1:いるか、いないか

 「宇宙人はいるか」という質問を受けることがあります。そんなとき、私の答えは、「はい、います」です。でも、この答えだけでは誤解を招くことがあるので、説明が必要なのです。

 かつて火星人を想像して描かれたタコのようなイラストが流布していたため、宇宙人のイメージは、タコようなものでした。でも最近では、SF映画の影響で、さまざまな姿かたちの宇宙人を、思い浮かべることができます。
 ここで述べた話は、宇宙人がいるという前提での話です。でも、宇宙人を本当に見た人がいませんし、科学的にその存在が確認されたわけでもありません。なのに、宇宙人の姿を想像するのは、あまりにも飛躍しすぎではないでしょうか。
 街行く人に「宇宙人がいるか、いないか」を質問すれば、多くの人は「いない」と答えると思います。それが常識的な答えでしょう。でも多く人は、「いない」もしくは「科学的そに存在は証明されていない」と思いながらも、「いるかもしれない」とか「宇宙人がいるとしたら」という仮定の上で考えています。そのような仮定である点がはっきりしていたら、宇宙人の話をすることは、何の問題もありません。幽霊や妖精、妖怪などを想像するとの同じレベルです。
 しかし、よく考えると、さらにそこには混乱があることがわかります。
 宇宙人とは、宇宙に住む人のことです。人とは明らかに人間に匹敵、あるいは人間以上の知性をもった生物を意味しています。でも「宇宙人がいるか、いないか」という質問では、その人の中には、地球人類は含まれないとして考えています。
 ところが、宇宙とは、地球も含むすべてのものです。地球も宇宙の一部です。厳密な意味でいえば、地球人も宇宙人の一員なのです。それを忘れてしまっています。
 そもそも宇宙というと、地球を含まない地球の外という意味で使われる場合が多くあります。もし、そのような使い方があるのなら、宇宙には、「地球を含む宇宙」と「地球を含まない宇宙」の2つの使われ方があることになります。そんな2つの意味がある「宇宙」という言葉を、区別することなく使われています。それが混乱を招いているのです。
 科学で用いる宇宙という用語は、「地球を含む宇宙」のことです。それは、地球だけを特別扱いにする理由がないからです。
 私たちは、自分のことは棚に置いて話すことがよくあります。あるいは、無意識に自分たちは別にして、考えていることがよくあります。これは一種の盲点です。そんな盲点に騙されなてはいけません。
 なぜなら、このような無意識の扱いが、「地球は特別だ」、「人類は特別だ」という意識を芽生えさせるのではないでしょうか。そして、地球や人間が、「特別」から「高級」や「高等」、「偉大」、「崇高」などという意識に至ることがあれば、地球や人間以外のものが劣っている存在、自由にしていい存在、助けるべき存在、守るべき存在、という階層性をもった考えが生まれます。その階層の頂上に、地球や人間を置いてしまうことになります。これは、過去に犯した過ちを繰り返すことではないでしょうか。
 宇宙とは、この世のすべてを含むものです。もちろん地球も人間も、宇宙の一部です。ですから、地球人は宇宙人でもあるのです。もし、宇宙人を見たければ、鏡を見ればいいのです。そこには一番身近な宇宙人が映っています。

・草刈・
5月も下旬となりました。
北海道の春も深まり、
遅咲きの桜も終わりを迎えています。
季節はいよいよ初夏へと入っていきます。
北海道の夏の風物である草刈が始まりました。
北海道では、夏になると道端の雑草や芝生が一気に延びます。
ですから、放置していると背丈を越えるほどの草むらができてしまいます。
ですから、夏の間に草刈が何度も行われます。
今年最初の草刈が、ここ数日あちこちではじまりました。
刈ったばかりの芝生の横を歩くと草の匂いが強烈にします。
これもまた夏の香りを運んできます。

・心地よい疲れ・
先日の土曜日と日曜日の両日、
家の近くの森に家族で出かけました。
天気がよかったせいで、多くの人が出ていました。
しかし、観光地でもありませんし、
人でごった返すようなことはありません。
見渡すとどこかに人影が見えるという程度です。
好天の休日を、野外で快適に過ごすことができました。
しかし、天気のよい日に、日向に長くいると、
あまり動かなくても体力を使います。
昼の早めに帰ってきたのですが、皆結構疲れていました。
しかし、心地よい疲れとなりました。

2006年5月18日木曜日

4_70 納沙布岬の輝石砂:道東の旅2

 道東の旅の2回目は、納沙布岬の話です。納沙布岬で見られる岩石を観察することが、今回の2つ目の目的でもありました。しかし、天気だけはままならず、2つの目的地とも雨にたたられての調査となりました。

 北海道の東には、2つの半島があります。北側に知床半島、南側に根室半島です。知床半島には先端に知床岬があり、根室半島には納沙布(のさっぷ)岬があります。この納沙布岬が、今回の調査の目的地のひとつでもありました。
 知床半島は世界遺産に選ばれて、多くの観光客を集めています。納沙布岬も観光地でもあり、北方四島返還の最前線としても、「北方館」や「平和の塔」などがあり、観光客を集めています。納沙布岬から見ると、歯舞諸島の水晶島はすぐ近くに見えます。北方四島が身近に思えてきます。
 私が、納沙布岬を訪れたときは、小雨が降り、霧が出ているような天気でした。そのせいかゴールデンウィークの中の休日だというのに、思ったほど観光客は来ていませんでした。雨の小降りのときを見計らって、一箇所だけ、岬の浜に降りて、石と砂を見ることができました。
 知床半島は、現活動中の活火山がある火山列ですが、根室半島はもっと前に活動した火山活動です。前回紹介したように、根室半島では、「車石」と呼ばれるような枕状溶岩を形成するようなマグマの活動が、海底でありました。根室半島は、白亜紀後期から古第三紀まで、海底で地層がたまっているところでした。そのような堆積中の地層の中にマグマが活動していった場所です。
 納沙布岬には、大きなマグマの塊が、地層中に入り込み(貫入といいます)、ゆっくりと固まったものが見られます。厚さ150mもある大きな火成岩となっています。
 火成岩の層は、冷えるときに成分を変化しながら固まりました。もともとは車石と同じアルカリ玄武岩のマグマです。マグマの大きな塊がゆっくりと冷えて、結晶を形成し集まって岩石となっていきました。結晶が集まると、残ったマグマは集まった結晶の分だけ、成分が変化していきます。このようなマグマの組成の変化(分化といいます)が、冷却に伴って起こりました。そして、マグマ全体は、組成が変化しながら岩石の層を形成していきます。そのような火成岩を層状分化岩体と呼んでいます。
 層状分化岩体は、地層に接した上下から冷えていきます。上下は、アルカリ玄武岩が固まった粗粒玄武岩で、内側に向かって重力の影響をうけながら結晶は移動して、モンゾニ岩から閃長岩へとなり、黒っぽい岩石から白っぽい岩石へと変化していきます。層状分化岩体は、地下深部で固まるマグマの過程を、地表で見ることができる非常に貴重なものです。
 アルカリ玄武岩のマグマの活動できた層状分化岩体は、根室半島では8ヶ所知られています。しかし、同じマグマの活動は、根室半島より先の歯舞諸島にも連続しているのです。マグマの活動には国境などありません。
 納沙布岬では、層状分化岩体が海岸で観察することができます。さらに、火成岩の主要構成鉱物である輝石や磁鉄鉱などが、波の浸食や風化で海岸の砂にたくさん混じっています。そして、さらに波に作用で、比重の違う暗い緑色の輝石の砂や黒い砂が、白っぽい砂とは区別されている浜があります。それは自然の妙でした。

・霧の岬・
私が納沙布岬を訪れたのは、2回目でした。
最初に訪れたのは、7年ほど前の秋のことでした。
そのときも寒く霧が出ていました。
いずれも冷たく、暗い天気だったので、
どうしても納沙布岬は暗い印象が残っています。
天気いい日に行けば、印象は違ったのでしょうが、
根室半島は冷たく、霧のかかったところの印象が強かったです。
層状分化岩体とじっくり見たかったのですが、
天気に恵まれず、海岸も一箇所しか降りれなくって、
十分な調査ができませんでした。
機会があれば、天気のいい日に、
じっくりと海岸沿いを巡りたいものです。

・土産物屋・
雨や霧のときには、野外調査はつらいものです。
野外調査だけでなく、観光旅行でもそうでしょう。
雨が降っていれば、外に出て見て回るのが億劫になります。
しかし、チャンスを考えると何度もこれないところなので、
私は、雨でも景色や石の写真が撮れないかと
外をうろうろしています。
観光地では、家内は、もっぱら土産物屋さんをうろうろしています。
実は前回もそうでした。
ですから、家内は、納沙布岬では、
土産物屋さんが一番記憶に残ったところではないでしょうか。
実は、別に霧や雨でなくても、家内にとっては、
土産物屋さんが重要なチェックポイントのようです。
まあ旅行ですから、思い出は、
それぞれの人がそれぞれにやり方で残すものです。
それをとやかく言うつもりはありません。
しかし、私の気づかない間に、どんなに短時間でも、
土産を買っていくテクニックは見上げたものです。

2006年5月11日木曜日

4_69 車石と節理:道東の旅1

 5月3日から7日までの休日を利用して、北海道の東部を調査してきました。その調査の話をしましょう。

 例年では、札幌はゴールデンウィークには桜前線の通過するころです。春の花々が咲きはじめる時期になります。しかし、今年の北海道の春は遅く、雪解けも、桜の開花も、農作業も遅れています。さらに寒い道東では、春はまだ浅く、世界遺産で観光客を集めている知床も、峠が雪のためゴールデンウィーク中は通行できませんでした。それ以外の主な幹線道路の路面には雪はなく、ノーマルタイヤでの通行が可能でした。しかし、朝夕の冷え込んだときには、凍結注意です。
 さて、そんな道東の旅で、今回特に見たかったところが、2ヶ所ありました。いずれも以前一度は訪れているところなのですが、再度じっくりと見ておきたいところでした。そのひとつは、今回紹介する根室にある巨大な車石というものです。
 根室市街の南ににある花崎港の海岸に、「根室車石」と呼ばれる国指定の天然記念物があります。ここは、納沙布岬へ行く道からは少しはずれ、観光地としては孤立しているので、人が訪れにくいところです。特に私がいった日は、霧と雨の降る肌寒い天気でしたので、さらに訪れる人が少なかったのかもしれません。しかし、私にとっては、2度目の訪問ですが、なかなか楽しいものとなりました。
 駐車場から灯台の脇の道を歩いていきます。この灯台は明かりだけでなく、霧笛をならします。根室地方は霧の出やすいところですから、霧笛が必要となります。私が訪れたときも、霧がでていましたので、霧笛が大きな音で鳴らされていました。その音は、耳が痛くなるほどです。
 そんな霧笛を聞きながら、階段を下りて海岸につくと、そこには異様な景観があります。黒いごつごつとした岩場があります。なかでも目を引くのは、ひときわ大きな丸い石です。この丸い巨大な石が車石と呼ばれるもののひとつです。
 見慣れてくると、その周辺にも丸い石があちこにあることが分かります。車石というのは、直径1mから3mほどの丸い石のことで、大きなものでは、7.5mにも達します。丸い石が海岸沿いに広がっています。
 この石は、枕状溶岩と呼ばれるもので、マグマが海底や海底に溜まった地層の間に入り込み、急激に冷やされてできた形です。アルカリ成分をたくさん含む玄武岩質のマグマ(アルカリ・ドレライトという種類のマグマ)で、1000度以上の高温で海底に噴出しました。その時期には根室層群の中の浜中層とよばれる地層が海底に溜まっていました。白亜紀終わり頃の6500万年前にマグマの活動が起こりました。
 車石には、自転車のタイヤのスポークの位置に放射状の割れ目(節理と呼ばれます)が多数できています。ですから、丸さがより強調され、車の車軸のようにみえます。このような丸みと割れ目から、ここの石が車石と呼ばれているのです。
 そして、車石をつくった溶岩は、花崎港の海岸付近まで連続しています。観光客には多分そちらまで足は伸ばさないようなところです。もちろん私はそちらも見に行きました。
 すると、こちらでは、溶岩は大きな塊となり地層に入り込んでいるようです。その溶岩の割れ目は柱状(柱状節理)で、さらに垂直に立った柱を水平方向の小さな割れ目がたくさんできていました。このような割れ目を板状節理あるいは平行節理と呼んでいます。同じマグマの活動なのですが、どのような場所にマグマが噴出し、そのような冷え方をしたのかによって、その見かけが大いに変わっていきます。それも不思議なことですね。
 車石の付近では、白亜紀の海底で起こった火山活動と、そこの溶岩が冷えるときにできたいろいろな節理を見ることもできるのです。

・一応順調・
今回の道東の調査の日程では、
一番みたいところを訪れる予定の5日が雨でした。
少々残念でしたが、仕方があません。
天気ばかりは、どうしようもありません。
しかし、道北の時の旅に比べて、
今回の道東の旅では、
同じ時期で、雪の多い寒い冬だったのですが
高い山に入らなかったし、
河川も深い山に源流をもたないので、
雪解けによる増水はそれほどではありませんでした。
ですから、川の調査もできました。
しかし、一応予定通りにコースを進むことができました。

・好き嫌い・
今回の調査も家族連れでした。
海岸沿いの調査でしたので、
海沿いの旅館やホテルなどに泊まりました。
すると、夕食には大抵、魚介類が豊富に出されます。
何度も、ホタテやカニが食べきれないほど出てきました。
残念ながら、我が家の長男は貝とカニ、エビが食べられないのです。
アレルギーではなく、単に嫌いで食べないのですが、
一口くらいは大丈夫なのですが、あとはもうだめです。
ですから、今回の旅行の食生活では、
長男にとってはなかなか大変なものだったようです。
最終日は十勝平野の池田のペンションに泊まりました。
牛肉とカニがメインの夕食で、長男はもちろんステーキを食べました。
聞くところによると市場価格で100g980円もするような
黒毛和牛の肉を使っているようです。
我が家では、安い肉やオージービーフをもっぱら食べていますので、
このような高級な肉はめったにお目にかかれません。
長男は、それがとろけるように軟らかく
非常においしかったらしく、いたく満足してしていました。
好き嫌いがあると旅の楽しみも半減してしまいますね。

2006年5月4日木曜日

6_43 気象と人への影響

 日々の天気は、人に影響を与えます。そんな影響を間違った方向に増幅されると困ったことになります。メディアによる「異常気象」というセンセーショナルなタイトルには、そんな増幅効果が含まれているかもしれません。

 今年の冬は、各地で豪雪がニュースになりました。昨年の冬は、北海道の豪雪がニュースでした。台風の多数の上陸とその被害もありました。このような例年にない気象現象が起こると、異常気象として扱われることがあります。さらに、異常気象と、世界的な話題になっている地球温暖化や地球環境問題と連動させて考えてしまわないでしょうか。科学的根拠があることならいいのですが、どうも感覚的に話題にされていること多いようです。
 そもそも、本当に例年にない異常気象なのでしょうか。
 まず、気象現象は、一定ではなく変動しています。繰り返しの変動もありますし、長期的変動もあるでしょう。その変動のメカニズム、特に長期変動のメカニズムはよく分かっていません。ですから、何をもって異常というのかは、難しいところのはずです。
 また、異常気象とは、めったに起きない気象のことをいうはずです。めったにない気象とは、観測史上例を見ない現象、あるいは観測史上、1、2ほどしかなかったような現象をいうはずです。
 繰り返しているようにみえる気象でも、細かく見る、日々、年々、変動があります。その変動は時に大きなことがあります。めったにないことは、そんなに回数は起きないでしょう。観測史上初めてのことは、それこそ100年に一度しかないような現象でしょう。
 確率として考えれば、確率の非常に小さいものは、めったに起きないし、確率の小さいのものは時々しか起きません。そんな条件を考慮すれば、私たちは、気象のあらゆる状態を観測してきたとはいい難いはずです。気象観測されてきたほんの100年や200年ほどの歴史と比べても、まだまだ大きな変動が起こる可能性があります。
 このようなことは、深く考えなくとも誰でも、わかるはずです。しかし、「ついつい」異常気象だと思ってしまいます。そのような、「ついつい」を本当らしくしてしまうのは、権威あるものからの情報です。特にメディアは、情報に関しては、その権威を象徴ともいうべきものではないでしょうか。
 マスメディアは、「異常気象」のように「感じる」あるいは「思える」ものは、ついついセンセーショナルな見出しや書き方で、読者の注目を集めようとします。
 マスメディアとしての倫理や良識とうい責務と共に、やはり販売部数や視聴率など、企業としての存続、営利も重要な達成目標となります。この公共性(情報伝達)と営利という立場が、衝突しなければ問題はありません。しかし、もし衝突したとき、どちらが優先するでしょうか。公共性が優先している場合ばかりではないようです。
 あるいは、通常の情報収集活動で、他社に負けないために、少なくとも他者が扱う情報は、入手しておく必要があります。どこかがスクープをすれば、それを上回る情報を得て報道しなければ、他社に追いつけません。そんな競争も、切磋琢磨のうちならいいのですが、速報性だけ、センセーションだけを追求して、情報の信憑性、確実さを十分検討せずに、報道されることがないでしょうか。
 権威を持ったものが不確実な情報を流すと、大衆は簡単に意識をコントロールされてしまいます。そんな例はいろいろあります。松本サリン事件(情報源は警察)、モリエモンも寵児扱い(情報源はメディア)、民主党の偽メール事件(情報源は政治家)などなど、最近の話題だけでも実例が色々あります。
 ですから大衆も賢くなければならないのですが、いうのは簡単ですが、なかなか困難です。日常生活をするときは、多くの人(科学者や知識人、政治家でも)は、大衆となります。大衆でいるとき、異常気象の例を出したように、感覚的に判断してしまいがちです。その感覚に合う情報が、しかるべきところから出てくれば、簡単に権威のコントロールを受けてしまいます。
 科学者、政治家、メディア、公官庁は、情報を発信するときは、その届き方にも注意しておく必要があるのかもしれません。そして、間違った伝わり方をしたら、訂正することも発信者としても責任かもしれません。難しいことですが、権威になる可能性のある立場の人は注意が必要ですね。

・道東調査・
ゴールデンウィークに皆さんはどちらかへお出かけでしょうか。
私は、現在、北海道の東部を調査しています。
今年のゴールデンウィークは5連休となりましたので、
私にとっては4泊5日の野外調査旅行ですが、
家族旅行も兼ねています。
しかし、道東は遠く、行くの1日、帰るのに1日かかります。
ですから、実質の調査期間は3日しかありません。
天候に恵まれなければ、調査ができません。
この時期、北海道は比較的安定してるはずなのですが、
今年はなかなか「異常気象」のようで、安定するかどうかはわかりません。
それに、今年の冬は積雪も多かったので、
残雪もありそうです。
多分河川は増水していて川原の調査は大変かもしれません。
こればかりは、どうしようもありません。
ただ行くのみです。

・人が感じること・
野外調査の時は、直接天候に左右されます。
しかし、デスクワークや室内での授業をしている時でも
私には、自宅から職場までの間を徒歩か自転車かでいきます。
その選択が変わります。
授業への学生の出席率などにも影響を受けます。
そんな影響は、農業や漁業に従事する人と比べれば、
ささやかな影響かもしれません。
一見たいしたことのない影響のようですが、
心理的変動として、多くの人に共通の影響を与えます。
春のこの時期だと、雨だと心もうっとうしく、
晴れだとなんだかうきうきします。
多かれ少なかれ、天候は人に影響を与えます。
そんな気候が、平年と違うと、その変化が多くの人に影響を与えます。
それが、上で述べた「人が感じること」というものに現れるのでしょう。
感覚は大切ですが、それ以上に理性との連動も大切ですね。

2006年4月27日木曜日

4_68 登別:活火山であることを忘れずに

 3月下旬の春休みを利用して、登別に出かけました。登別は火山で、現在も活発な噴気が温泉湧出が起こっています。そんな登別の話です。

 登別のある噴火湾は沿岸は、北海道でも暖かいところで、雪もあまり降りません。私は、以前クッタラ湖には行ったことがありましたが、調査をしていませんでした。噴煙を上げている地獄谷があったのですが、横目で見ただけで、通り過ぎてしまいました。今回の目的は、登別の火山をよく見ることでした。
 3月の下旬は、雪の少ない年なら、クッタラ湖までいけたのかもしれませんが、今年は雪が多く、ダメでした。上り口の道路を行ってみたのですが、通行止めで柵がしてありました。しかし、登別の観光地である地獄谷は、一部積雪がありましたが、運動靴でも回ることできました。
 地獄谷には、自噴する各種の温泉があります。温泉ごとに溶けている化学成分が違うため、流れる温泉の沈積物が変わっていき、色の違う川底となり、不思議な色の流れとなっていました。
 地獄谷の中には木道があり、観光客はその木道沿いに歩いていきます。木道の行き止まりには、間欠泉があります。間欠泉とは、温泉が時間をおいて噴出すす現象です。温泉が直径1mほどの池から湧いているのですが、その池の縁が少し盛り上がっています。普段はその縁を温泉はあふれることはないのですが、ある時間になると温泉が湧き出しあふれていきます。あまり激しい噴出ではないので、木道の周りの木枠から間近に覗くことができます。
 しかし、訪れたときは寒い日で、温泉の湯気がすごくカメラやメガネが曇ってよく見えなくなりました。一段の間欠泉の迫力がありました。温泉の池の中には、沈殿物の結晶がきれいに並んでいるのが印象的でした。
 地獄谷からひと尾根越えたところに、大湯沼と奥の湯というやはり温泉の池があります。尾根道には雪があったのですが、踏み跡があったので、行くことにしました。高台から眺めるところがあったので、そこから大湯沼を見たのですが、大きな池から湯気があがるので、なかなか迫力がありました。また大湯沼の背後にそびえる日和山(377m)の山頂からは、水蒸気の噴気が上がっています。
 この登別の火山で、一番最近の噴火活動は、約200年前以降の噴火であることがわかっています。現在30ヶ所以上の温泉の湧き出し口(源泉)がありますが、その活動の名残となります。最新の火山噴火は、かつては火口が1つだと考えられていたのですが、2006年4月24日の北海道新聞によりますと、室蘭工業大学の後藤芳彦さんたちが、昨年から登別市の防災マップをつくるために調査したところ、火口は7ヶ所以上のある大規模な噴火であったことがわかりました。
 日本では火山が観光地になります。噴気も間欠泉も、熱水の涌く泉も、噴気たちの殺伐とした景観は、奇異で珍しいため観光の目玉となります。しかし、火山の登別の周辺の火山活動は、デイサイト質から流紋岩質のマグマの活動によるものです。このようなマグマは、激しい噴火を起こる危険性があります。クッタラ湖は丸形の池ですが、これは火山活動でできたカルデラに水が溜まったものです。日和山は現在も水蒸気の噴火を上げていますが、溶岩が上昇してできた溶岩円頂丘です。
 登別の火山は、どれくらいの頻度で噴火がおこるかは詳しくわかっていません。しかし登別は、現在活動中の活火山であることを、忘れてはいけません。

・遠い接点・
新聞に登場した室蘭工業大学の後藤さんは、私の後輩です。
大学の時の指導教官が一緒でしたから、
同じ研究室にいて、よく知っている間柄でした。
彼は大学院の途中で就職が決まったので、
長い付き合いではありませんでしたが、
山岳部の彼は、卒業論文で知床半島の火山を研究していました。
険しい地域の野外調査をこなし、
研究成果を挙げていた彼の才能は、多くの人が気づくところでした。
大学を離れてからは、彼と私は専門が違っていたので
まったく顔を合わす機会はありませんでした。
彼が所属していたのは火山学会、
私は地球化学学会や地質学学会、あるいは地学教育学会でした。
学会で会う機会もありませんでした。
そして彼も私の職場を転々としてったので、
地理的にも離れていました。
彼は今、登別の近くの室蘭の大学で、私は江別です。
近いようですが、なかなか接点はありません。
現在も、まだ会っていません。
しかし、顔見知りの人だと、その研究成果も
ついつい馴染みあるように感じてしまいます。
でも、現在では、その専門もだいぶ離れてきました。
ますます、接点は遠のくようですね。

・マリンパーク・
春休みでしたの登別へは家族で出かけました。
私は登別の火山を見ることが目的でした。
家族は、温泉に入り、登別マリンパークを見学することを
楽しみにしていました。
マリンパークでは、事前の申し込みで、
アシカとイルカの裏方を見学させてもらえることになっていました。
1日限定5名のツアーでしたが、
運良く家族4名で参加することができました。
子どもは大喜びで、いろいろ事前に調べて質問していました。
裏方を見て、もう一度イルカショウをみると、
その芸をするまでの苦労やかかった時間を感じてしまいます。
そして、さっき上げてもらったステージで
案内し下さった人がショーをしているのを見るのは
なかなか感慨深いものでした。
帰ってからも、そのときの絵を描いて、
し忘れていた質問も一緒に書いて送ったら、
担当の人から丁寧な回答がありました。
子ども限定のツアーで保護者として参加したのですが、
大人も楽しめるものでした。
感謝しています。ありがとうこざいました。

2006年4月20日木曜日

2_47 生物の分類6:分類から進化へ

 生物の分類のシリーズが、今回で終わりです。当初3回ほどの予定をしていたのですが、6回にもなってしまいました。まだ述べ足りない気もしますが・・・。最後は、分類から進化の解明への道をみていきましょう。

 現在、生物の分類では、前回紹介した分子系統学と、もう一つの主流である分岐分類学というものがあります。
 系統学とは、生物間の類縁関係から、進化の道筋を探ろうとする学問です。その主流が生体分子を利用した分子系統学です。分析した分子を比較し、統計処理したものを分かりやすく示したものが、系統樹とよばれるものです。
 もう一つの主流である分岐分類学とは、生物の種は、ひとつの祖先からの分かれたものだとみなして、進化の過程をおいかけるものです。そのために類縁関係を積極的に類推する考え方を用いています。
 分岐分類学で種を比べるときは、共通の特徴を見つけていきます。たくさんの特徴がありますから、どの特徴に注目するかが問題です。そこに研究者ごとに違った主観が入ってはいけません。分岐分類学では、共通する特徴がどれくらい祖先まで遡れるかを目安にします。
 遠い祖先と共通する特徴(共有原始形質)と、祖先にはなく分岐した種だけが共通してもつ特徴(共有派生形質)を見分けていきます。そして、共有派生形質から、分かれた(分岐した)時期を考えていくのが手法となります。
 共有派生形質を持つものは、近いグループになり、その共有派生形質が誕生したときが、祖先から分かれた時となります。そのような作業を多くの種で繰りかえしていくと、枝わかれを図で示すことができます。この図を分岐図と呼んでいます。
 しかし、どれを共有派生形質に選択するかには、主観が入る余地があります。その主観を排除するために、多数の共有派生形質を求め、もっとも矛盾の少ない分岐図をコンピュータに描かせるという方法が取られています。これによって主観が入るという弱点をカバーしています。
 このシリーズで述べてきた生物の分類するために各種の方法を用いて、12カ国の200人におよぶ科学者たちが、5年間にわたる研究をして、1999年8月4日にその成果を発表しました。
 それは植物に関する研究でした。その結果は、植物は1つのグループ(界という分類)ではなく、3つに分けるべきだというものでした。植物は、緑色植物、赤色植物、褐色植物の3つに分けられるというもののです。
 そしてもうひとつ重要な成果がありました。それは、植物の陸上進出への歴史がわかってきたのです。
 以前は、海水に生息する単細胞の緑色植物が陸上へ進出したと考えられてきました。ところが、研究の結果、緑色植物は何度も地上に進出してきたのですが、最終的に現在の地上植物の祖先となったのは、淡水で多細胞生物に進化し、4億5000万年以上前に、地上へとして進出してきたというものです。
 このシリーズでも示してきたように、生物の進化を探る方法は、いろいろ進歩してきました。もちろん、まだまだ進歩の余地もあるでしょう。しかし、生物の進化には、いまだに分からないことがたくさんあります。進化に関する科学は進んでいるので、生物の進化のプロセス(歴史)は着実に解明されていくことでしょう。もちろん、過去の生物の資料は化石に頼るしかありません。化石は気まぐれにしか出てきません。ですから、過去の記録は断片です。それでも、ジグソーパズルを解くように研究は着実に進んでいくことでしょう。

・分ける・
長く続いた生物の分類のシリーズも、今回で終わりです。
もの(ここでは生物)を分けるということは、
人は当たり前のこととしてやってきました。
そして分けたものには名前をつけます。
これも当たり前のこととしてやっています。
分けるときには、似たものがあれば、同じか違うか、
違うにしても何が違い、似ているところはどこか
ということを考えていくはずです。
分けるとは、人に備わった生来的な能力なのかもしれません。
分類学とそこで分けられたものは、そんな能力の結晶ともいえます。
しかし、対象物のによって、その分け方はの流儀は違います。
流儀は違っても分ける方法のよしあしは、
だれでも、いつでも、どこでやっても、同じ分け方になることです。
そんなものを目指して、日夜、人は分け続けているのです。

・フキノトウ・
私の住む町では、雪はほとんど融けました。
もちろん軒下や除雪によってできた雪山は、
まだ雪が残っていますが、道路、畑などはあらかた融けました。
雪が融けるとすぐに、フキノトウが芽吹きます。
その成長スピードは早く、
一日で葉の影から全身が見えるほど伸びます。
最初のかわいいのですが、畑の畦一面に生えていき、
最終的には人の背丈を越える大きさまでに成長します。
そこまで大きくなると、恐ろしさを感じるほどです。
でも、まだかわいいものですし、
春を告げるかのような淡い緑は目に新鮮です。
こんな時、春という季節のありがたさを感じています。

2006年4月13日木曜日

2_46 生物の分類5:分子による分類

 生物の分類に生物を定量的に計測するという思想とが進化という考えが導入されるようになりました。そんな状況をみていきましょう。

 生物の種類を分けるのに、リンネはその種に特徴的な形や他の種と区別しやすい特徴(形質といいます)を選んで分類しました。このような分類方法は人為分類と呼ばれていました。
 人為分類では、選ぶ形質に決まりはなく、研究者が任意に選んでいました。人為分類は、研究者(人間)の都合によって選んだ特徴によるものであって、生物が持っている本来の特徴によるとは限りません。かつては、植物分類するとき、大きく木(木本といいます)か草かという、分け方がありました。木か草かは、人間にとっては見分けやすい特徴でありましたが、植物の本質にかかわる特徴ではありません。
 人為分類は、形質を選ぶ人によって、分類の体系が変わっていきます。ですから、あまり普遍性がありません。そこで、より生物の本質に基づいた自然な分類として、系統分類が必要となってきました。
 系統分類とは、生物が進化してきた道筋にしたがって分けていく方法です。現在の生物学の分類は、この自然分類を目指しています。しかし、まだ完全はありません。なぜなら、系統分類を完成させるには、すべての生物の進化が明らかにならなければなりません。私たちが解明した生物の進化は、ほんの少しです。まだまだ分からないことが多く、系統分類は推定の域を出ません。
 系統分類は、人為分類の主観性という欠点を補っているなずなのですが、研究者によって分類内容は変わってきます。人によって分類内容は変わるという点では、人為分類と変わらないのですが、進化に基づくという考え方は進歩しています。分類の目指すべき目標が生物の進化過程の解明ということも明確になってきました。
 系統分類には、大きく2つの方法があります。数量分類学と分岐分類学と呼ばれるものです。
 一つ目の数量分類学は、人為分類の欠点をなくすために、可能な限り多くの形質を調べて、統計的に類似性を定量化する方法です。コンピューターの発展に伴って、定量化の精度は上がってきています。
 数量分類学から派生して、現在では、分類において非常の重要な研究分野となっている分子系統学があります。
 分子系統学とは、生物の細胞をつくっている分子(生体分子といいます)から、類縁関係を推定する方法です。分子系統学の特徴は、目で見た形質ではなく、生体分子の配列の分析を用いて、非常に客観性、定量性をもった方法であります。
 生体分子には、DNA(デオキシリボ核酸)、RNA(リボ核酸)およびタンパク質などがあります。DNAはミトコンドリアの中にあるアミノ酸配列がよく使われています。タンパク質としては、チトクローム、ヘモグロビン、フィブリノペプチドなどのアミノ酸配列が使われます。
 分子系統学は、生体分子が一定の速度で変化してきたという考え方に基づいています。生体分子の違いが小さければ近い仲間で、違いが大きければ遠いものとされています。
 このような考えかたをつきつめていくと、生物は一つの共通の祖先から誕生してきたことになります。そのような最初の生物を、コモノートと呼んでいます。分子系統学は、コモノートからすべての生物は枝わかれしてきたとする進化の考えかたを前提としています。
 分子系統学にも欠点があります。それは、もちいる生体分子の種類によって、系統関係が違ってくることがあります。正確を期するためには、生体分子も1種類だけでなく、できるだけ多くの種類で比較することが重要になります。そして、それらの比較したものをいろいろな統計的方法で近縁関係を調べていかなくてはありません。
 もうひとつの分岐分類については、次回としましょう。

・新入生・
いよいよ大学の講義が今週からはじまりました。
新しい学科での専門科目の講義も始まります。
新学科なので、新入生の1年生だけです。
みんな、まじめに講義を受けています。
真剣に取り組んでいるのが、ひしひしと伝わります。
高校生でもない、まだ大学生らしくなく、
ちょうど過渡期のような状態です。
これから、大学という新しい環境で、
彼らは日々変化していき、大学生になっていくことでしょう。
いい変化、悪い変化、いろいろな変化が起こるでしょう。
変化の良い悪いは、外部の人間が判断すべきことではないでしょう。
自分で判断べきでしょう。
自分自信の判断も、その時でなく、後に判断することも多いでしょう。
あのときこうしておけばよかったということだけは、
できれば避けたいですね。
後悔先に立たずです。
こんなことを考えるのも、やはり新入生が入ってきたからでしょうか。

・水泳教室・
我が家の2人の子どもたちが、新しいことをはじめました。
水泳教室に通うようになりました。
昨年の夏に短期間、水泳教室に通いました。
そして夏の間、開放されていた小学校のプールに
毎日のように通い、水泳が好きなったようです。
今年の春休みにも4日間、水泳教室に通ったのですが、
次男が水泳を習いというので、週2回通うことになりました。
長男も次男に泳ぎで負けるのは嫌なようで、
週1回ですが通うことになりました。
先週からはじまったのですが、
冬の間の運動不足のためでしょう、
帰ってくるとかなり疲れているようです。
しかし、子どもは回復が早いので翌日にはけろっとしてます。
北海道で温水プールというのも、あまり地球に優しくないのですが、
子どもにとっては、北海道の野外で泳ぐ機会は非常に少なくなります。
しかし、どこかに出かけたとき、泳げる方が楽しいに決まっています。
それに、泳げないことで嫌な思いをするより、
泳げることで楽しい思いをするほうがいいと思っています。
好奇心をもっていろいろ経験をしてみて、
そこから自分の好きなこと嫌いなことを
判別していけばいいと思っています。
経験してみないことには、好きか嫌いかも分かりません。
そんな経験がたくさんあったほうが、
いろいろなことに対して、自分なりの判断ができるのでしょう。
まあ、いろいろいってはみても、親ばかなのでしょうね。

2006年4月6日木曜日

2_45 生物の分類4:分類の基本

 分類についての話が続いています。今回は、種の名前の付け方についてみていきます。

 生物の分類は、種(しゅ)が最小の単位、基準になっています。種には、地域、国ごとに違った名前が付けられています。日本では和名(正式には標準和名と呼ばれる)も付けられているものもありますが、これは日本独自の呼び方となりますす。
 その種の名前のつけ方(命名といいます)が、研究者によってばらばらだと、混乱を招きます。また、一つの種について、国や地域ごとに違った名前がつけられると、種の比較をすることができません。ですから、世界で統一された命名の方法が必要となります。現在は、命名規約として、国際的に統一されたものが定められています。命名規約に基づいて決められた世界共通の種の名称を、学名と呼んでいます。
 学名は、種の名称と、種より上の分類基準である属の名称をあわせて付けることになっています。順番は属名の次に種名(正式には種小名と呼ばれます)となります。正式には、その後に命名者の氏名と記載した論文の出版年が付けられます。ただし、分類学以外の論文では、命名者や年号などは省略してもいいことになっています。さらに、学名は、ラテン語で表記することになっています。
 このような2つの分類名を用いて名前を付ける方法は、「二命名法」と呼ばれ、スウェーデンの博物学者リンネ(カール・フォン・リンネ、1702年~1778年)が、1758年に「自然の体系(Systema Naturae)」という著書で提唱したものです。その方法が、現在も使われています。
 リンネは、当時知られていた動物と植物について整理して、分類表を完成させました。リンネは、属と種の名称をあわせて用いること、ラテン語を用いることの他にも、重要なことを定めました。それは、分類の階層構造です。種、属の上に、目、綱という分類の階層を設けました。現在では、分類の階層は、下位から、種、属、科、目、綱、門、界の7つとなり、より詳しいものになっています。
 これらの分類の階層の中で、同じところに属するものは、同じ祖先から進化してきたものと考えられています(単系統と呼ばれる考え方)。ただし、このような進化に基づいた考え方は、リンネより後に付け加えられたものです。なぜなら、リンネが生きていたころには、まだ、進化という考えがなかったからです。ダーウィンが進化論を提唱した「種の起源」の出版は、リンネの「自然の体系」より100年後の1859年のことです。
 種を決めるのには、その種についての「記載論文」が報告されなければなりません。それが出版されてはじめて、種が認定されることになります。一度命名された種名は、分類が変更されない限り変更できません。もし、種名の発表時に誤植があっても、そのままの種名が使われることになります。ですから、この「記載論文」は、非常に重要なものとなります。
 さらに重要なのが、その「記載論文」に用いられた生物の標本(模式標本)です。それ以降の種の基準となるものですから、永久保存されることになっています。そして、似たものが同種なのか新種なのかは、模式標本をしらべて結論が出されことになります。
 しかし、人間のやることですから、間違いはあります。同じ種について、別の名前が付けられることがあります。たとえば、同じころに同じ生物の記載を、別々の研究者が発表したり、先人が記載していたのを知らずに新たに新種として記載してしまう、などのような場合が生じます。
 そんな時は、先に発表されたものが、優先されます。これは、先取権の原則と呼ばれています。先に記載されていても、誰も気づくことのなく、後発の学名が広く使われてしまった場合は、学会で審査を受け学名とされることがあります。古い誰も気づかなかった種名を遺失名と呼び、使えない学名はシノニム(同物異名)と呼ばれます。
 種は、現在も新しいものが次々と見つかっています。さすがに大型の哺乳類では、めったに新種は見つかりませんが、昆虫や海洋生物では、毎年、実にたくさんの新種が発見されます。私達の記載してきた種の数は、実は現在生きている生物のほんの一部に過ぎないという見方もあります。まして過去に生きていた生物(古生物)の種の数ともなると、ますます知っている比率は少なくなることは、簡単に予想できます。まあ、どれだけの過去に生物がいて、今どれだけ生物がいるかもわからないのですから、比率を考えること自体が、無駄なことなのかもしれませんが。
 私達が自然について知っていることは、すべてでないこと、いやほんの一部であることを、心しておく必要があるようです。

・L・
二命名法は、実はリンネより200年前に
ボーアン兄弟によって最初に用いられたことが
現在ではわかっています。
しかし、リンネが二命名法を普及させたため、
リンネの業績と考えられています。
学名には記載者の名前がつけられるのですが、
正式な氏名を記さなければなりません。
しかし、記載者でL.と略称で書ける人が一人だけいます。
それはリンネで、L.はCarl von LinneのLなのです。
ただし、種名として、リンネの記載が、
現在も生き残っている場合だけですが。

・進化の考え・
リンネの分類の研究は、最初は植物からはじまり、
動物へと広がっていきました。
リンネは人間を分類学上に組み入れました。
人間は、属名をホモ、種名をホモ・サピエンスと命名されます。
ホモとは人という意味で、ホモ・サピエンスは賢明な人という意味です。
やがてその分類は、鉱物にまで広がりました。
鉱物は、現在ではまったく違った概念で分類されています。
しかし、リンネの時代には、進化という考えはなかったのです。
リンネは、自然界を構成するものを細分していき、
たどり着いた要素に、分類を適用していったのかもしれません。

・新学期・
いよいよわが大学でも、入学式が先日終わりました。
わが校の卒業生であるカーリングの小野寺歩さんがゲストで呼ばれました。
昨年は日本ハムファイターズのヒルマン監督でした。
いずれも夢を持ち、追い続けることの重要性を話されていました。
私も同感であります。
今週は在学生と新入生に対してのガイダンスがあります。
週末には、1泊2日の合宿オリエンテーションがおこなわれます。
あわただしい一週間の後の来週の月曜日からは、
いよいよ新しい学期の講義がはじまります。
私は、新学科で、はじめての講義となります。
準備がなかなか大変ですが、がんばっていくしかありません。

2006年3月30日木曜日

2_44 生物の分類3:種とは

 生物の分類を考えています。今回は、分類の一番基本となる種(しゅ)の概念についてみていきましょう。

 前回までのエッセイで、生物の分類は、2界からスタートして、5界分類になり、その後3ドメインへと変化してきたことを示しました。現在、一番一般的な分類は、動物界、植物界、モネラ界、原生生物界、真菌類という5つの界によるものです。そして、現在は、この界に基づいて、生物は分類されています。
 生物の分類のいちばんの基本になるのは、「種(しゅ)」という考えです。しかし、この種とは、実はなかなか難しい概念なのです。種の概念とは、分かりやすくいえば、同じ種(同種)と違う種(別種)とを、どう区別するかということです。
 種なんて、一見たやすいことことだと思えそうですが、多くの生物を見つけて、分類していくと、すべてに適応できる種の考えとは、実はなかなか難しいものであることが分かってきました。
 現在、マイヤーが1942年に提案した考えが、一般な種の考え方です(生物学的種と呼ばれています)。それは、自然の状態で、同じ地域で生きているもので、交配して子孫を残しているものを同種とみなすという考え方です。同地域に分布しても、交配しないで、子孫を残さないものは、異なる種と考えられています。
 かつて、種は形(形態)によって区分されていました(形態的種)。オスとメスでは形が違うことがありますが、オス同士やメス同士では形が違えば、別種と考えられました。しかし、形の違いと種の違いに、因果関係があるかどうかは不明です。つまり、種の差異がどのような形態に反映してしているのか、その根拠はあいまいでした。それに形態を区別するのに主観が入りやすいことも問題でした。
 現在では、そのようなあいまいさをなくすために、昆虫などでは生殖器、特に交接器の構造を用いて区別されています。このような種の存続にかかわるような特殊な器官を用いれば、比較的主観の入りにくい形態比較として有効な手段となっています。
 生殖器は動物などの複雑な体制をもつ生物に対して利用できるものです。それに、形態による分類では、見かけに大きな違いが生じる種では、適用が難しくなります。あるいはオスとメスがいる生き物で有性生殖するような生物でのみ使えるものです。
 有性生殖とは、生殖のための器官や細胞が、もう一つの生物と接合をして、生じた接合子から、新しい子孫ができるような方法です。動物の卵と精子による受精は、その典型的なものです。
 また、生物には無性生殖で増える生物がいます。無性生殖とは、ひとつの生き物が、他との生き物のなんのやりとりなしで、子孫を残す方法です。単独でも、発生(孵化、発芽)ができるものです。
 有性生殖をする生物でも、実際に交配を確認できるとは、限りません。ですから、マイヤーの種は、概念としてはわかるのですが、実際に適用するのはなかなか困難となります。
 単純に、自然の状態で生活している場が分かれていることを、種の重要な基準にする方法もあります。実験的には交雑可能であっても、自然状態で交配の可能性がなく、別の集団として分かれていれば、別種とみなす考えたかです。このような考えかたは生態学的種と呼ばれています。
 他にも、種の考え方には、進化の系統を考えたり、DNAの核酸塩基配列の類似性を基準にすることなどもあります。いずれにしても、種の概念は定義できても、すべての生物にその概念を適用することはなかなか困難なことのようです。
 しかし、生物は、そんな人間の思惑に煩わされることなく、今日も子孫を残しています。

・登別へ・
3月の26日から28日まで、登別に出かけていました。
私は、登別の火山を調べることでしたが、
家族は、温泉と登別にある水族館がお目当てでした。
私の調査のほうは、雪で思うようにできませんでしたが、
家族の方は大満足であったようです。
調査の様子は、別の機会に紹介します。

・歌での結びつき・
先週の金曜日に卒業式が終わりました。
わが大学では1000名以上も卒業生がいますので、
大学では、人数が多すぎて卒業式ができず、
札幌市内で大きなホールを借りての式でした。
卒業生の全員の名前を呼び上げて、卒業式が始まりました。
そのせいもあって、祝典がすべて終わるのに、2時間以上かかりました。
しかし、参列されている親御さんたちは、
自分の子供の名前が呼ばれるのは、うれしいことに違いありません。
私も何人も知っている名前をきき、考え深いものがありました。
高校までは、校歌を歌う機会があり、覚えることがありましたが、
大学では、卒業式と入学式くらいしか、聞く機会がありません。
しかし、私の卒業した大学は、
その当時まだバンカラの気風が残っていましたので、
校歌や寮歌を歌う機会があり、今でもまだ覚えています。
幸いなことなのでしょうか。
知らないOBや後輩が歌で結びつくこともあります。
しかし、現在の大学で、歌での結びつきというのは
希薄になっているのかもしれませんね。