2010年3月25日木曜日

3_85 トモグラフィー:マントル3

 断層撮影は、体を傷つけることなく、体内を見ることができます。非常に優れた技術です。一種の非破壊検査ともいうべきものですが、その原理を地球と地震波を利用しておこなわれています。地震波トモグラフィーと呼ばれています。地震波トモグラフィーが見せてくれた地球内部を紹介します。

 プレート・テクトニクスの原動力は、地球内部の熱が外に出ようとするマントル対流です。そのマントル対流が、地震波トモグラフィーという手法で見てくるようになりました。地震波トモグラフィーとは、医療で使用されているような断層撮影(Tomography)を、地震波でおこうものです。
 地震波トモグラフィーは、現代の地震学の基礎を築いた安芸敬一(当時マサチューセッツ工科大学教授)が、1978年にカリフォルニアで上部マントルに用いたのが最初でした。1980年代になると、コンピュータの進歩と地震計波測網の発達などによって、地球全体の地震波トモグラフィーがおこえるようになりました。現在においても、まだ海洋域の地震観測は陸地に比べる手薄になっていますが。
 地震波トモグラフィーは、地震波の性質を利用しています。地震波には、いくつかの種類があるのですが、固体を地震波が通過するとき、固体の状態によって地震波の伝播速度に違いがでます。その違いを精度よく測定すれば、地球内部の状態が見えてきます。
 地震波速度の伝播の仕組みから、速度が速いところは物質の温度が高く、遅いところは低くなっている、と解釈されます。いろいろな前提や仮定をおくことになりますが、地震波速度の違いが、マントルの温度の差を反映しているとみなすことできるのです。地震波速度の1%の速度差は、温度に換算すると100℃の温度差に相当することになります。
 地震波トモグラフィーによって、マントルの温度分布を見ることができるようになったわけです。プレート・テクトニクスに基づけば、プレートの下降部(沈み込み帯)では、冷たいマントル物質が落ち込み、海嶺のようなプレート形成部では、温かいマントル物質が上昇していることになるはずです。海溝や海嶺がマントル内の温度分布とが一致しているはずです。
 地震波トモグラフィーは、大雑把には、そのような結果を示しましたが、実は、もっと別の情報も含んでいました。マントル物質の下降部と上昇部の様子が、単なる対流ではないことがわかってきたのです。
 マントルの下降部では、沈み込んだプレートが、そのままマントルの底までいくのではなく、マントルの670kmあたりでしばららく留まっている様子がみえてきました。一番顕著であったのでは、日本列島の海溝で沈み込んだプレートが日本海から大陸の下部に溜まっていたのです。そして、そのさらに下のマントルの底には、まだ完全に温まっていない、かつての冷たいプレートの残骸のようなものがみえていました。
 マントルの上昇部も、単に対流の上昇流があるのではなく、温かいマントル物質が670kmあたりで留まっていました。南太平洋に大きな暖かいマントル物質があります。また南アフリカの下では、マントルの底に暖かいマントル物質があり、これから上昇しようとしているかのようなマントル物質にみえます。
 このようなマントルの姿は、どうも単純なマントル対流ではないようです。それを取り入れて、新たなテクトニクスが考えられるようになりました。

・里帰り・
現在は私は、京都に帰省しています。
このメールマガジンは予約機能によって
配信しています。
京都に帰省しているのは
長男が中学生になると、
家族そろって里帰りがしにくくなるため
最後の家族全員での帰省となるかもしれません。
その日程にあわせて、父に13回忌も行うことになっています。
まあ、うちうちのことですので、気苦労はありません。
時間があれば、京都や奈良も回りたいのですが、
子供たちは、初日と2日目に行く予定の
海遊館と大阪城が一番の目的でもあります。

・法要・
父が死んで13年目となります。
長男が生まれてすぐ3ヶ月に
病床の父を見せに帰省しました。
3回忌には次男の誕生を見届けて
すぐに私は長男だけを連れて帰省しました。
7回忌は、長男の入学式でした。
父の死やその法要と、我が家の節目の年が
重なっています。
たまたまなのですが、
子供たちに父の影を見てしまいます。

2010年3月18日木曜日

3_84 水平か上下か:マントル2

 かつて、大地の営みは上下運動によって説明されていました。プレート・テクトニクスの登場によって、水平運動によって説明されるようになりました。プレートの運動は、地表で見ると水平運動に見えますが、マントルまで含めてながめると水平運動だけでなく、上下運動も含まれています。

 マントル最上部と地殻が、硬い岩石(リソスフェア)のプレートとして振舞います。プレートの下にあるマントルは、可塑性がある岩石からできているアセノスフェアと呼ばれています。アセノスフェアの上を、プレートがスムースに動くことができるます。リソスフェアとアセノスフェアによるプレートの動きが、プレート・テクトニクスとして体系されて、地球の表層における大地の営みの原理だと考えられています。
 プレート・テクトニクスは、地向斜とよばれるテクトニクスのアンチ・テーゼとして、1960年代後半に登場してきました。テクトニクスとは、大地の営み(運動)の仕組みのことで、運動論とも呼ばれています。
 地向斜テクトニクスとは、大陸内で堆積物がたるような盆地(これが狭義の地向斜のことです)の沈降運動から始まります。地向斜が堆積物がたまってくると、その重さで地向斜はますます沈降します。堆積物が厚くなってくると、地向斜の深部が高温高圧になり火成作用や変成作用がおこします。マグマの活動で、地向斜は上昇運動へと転換します。この上昇運動が山脈を形成していきます。このような山を形成する運動を造山運動と呼びます。地向斜形成に端を発し、造山運動にいたる運動論を、地向斜テクトニクスと呼びます。
 一方、プレート・テクトニクスは、地表では、プレートが水平運動するという考えで、大地の営みを説明することになります。プレート同士の衝突で造山運動を説明することになります。厚い堆積物は、沈み込み帯における付加体で説明されます。プレート・テクトニクスの提唱当初は、地向斜テクトニクスと論争が起こり、水平運動と垂直運動の対立ともいわれました。
 地向斜テクトニクスに対して、新しくプレート・テクトニクスが提唱されるに当たり、いくつかの理由がありました。
 ひとつは、地向斜テクトニクスでは説明できない現象があったことです。たとえば、上下運動の原動力の問題です。地向斜の下降運動や花崗岩の上昇運動の原動力を、浮力(もしくはアイソスタシー)で説明しようすると、どちらかの運動で矛盾をきたします。
 もうひとつは、新しい証拠として、海底探査によって得られたデータありました。海嶺やトランスフォーム断層などの海底固有の地形が発見されたり、海底の古地磁気の探査によって海嶺に対して対称な縞模様が発見されたりしました。
 地向斜かプレートかで、当初いろいろ論争があったのですが、上述のような理由に加えて、超長基線電波干渉計(VLBI:Very Long Baseline Interferometer)と呼ばれシステムで、年間数cmから十数cmという非常に小さいなプレートの動きが、測定できるようになりました。まさに、プレートの水平運動が実測されたのです。
 これらの証拠や根拠によって、プレート・テクトニクスは、その地位を不動のものにしました。
 プレート・テクトニクスの原動力は、地球内部の熱が外に出ようとする、対流という単純な原理に基づいています。プレートの動きは、地球表層では、水平運動にみえますが、地球全体を通してみると、マントル物質の対流による上下運動が不可欠なものになります。ですから、マントル深部まで考えると、プレート・テクトニクスは、マントル物質の上下と水平の両方の成分を持った運動ということになります。
 ところが、肝心のマントル対流は、なかなか見ることができませんでした。地震波を用いた地震波トモグラフィーと呼ばれる手法ができて、やっと対流の証拠となるようなものが見えるようになってきました。それは次回としましょう。

・旅立ちの季節・
いよいよ3月も半ばが過ぎて
卒業のシーズンとなりました。
今日は長男の卒業式ですが
私は所用で出席できません。
明日は、大学の卒業式です。
それには、校務ですから出席しなければなりません。
その後の、謝恩会が2つも連続でありますが、
いずれも出席することになります。
3月は旅立ちの季節です。
皆さんの周りでは、
旅立ちがあるのでしょうか。

・年度末・
今週末から、京都への帰省をします。
途中大阪に立ち寄ります。
そして、3月最後の週は、
引越しがあり、どたばたになりそうです。
3月下旬の帰省とどたばたのために
原稿を書きだめておかなければなりません。
また、研究費の申請も取り急ぎすることになりました。
まあ、いつものごとくあわただしい年度末になりそうです。

2010年3月4日木曜日

6_79 持続可能:エネルギー問題6

 これまで、エネルギー問題について5回にわたって考えてきました。前回と今回、最後に、解決策について検討しています。前回は、その解決策の一つを提案しました。今回は、策というより考え方、姿勢について考えていきます。問題解決には、従来のアプローチではなかなか困難のようです。原則、予測、対処、姿勢などが重要なキーワードになりそうです。正攻法ですが、問題解決の道を探っていきましょう。

 エネルギー問題の根底には、現在文明はエネルギーの多くを化石燃料に依存していること、そして有限の資源を消費すればなくなること、このような動かしがたい事実があります。この事実を受けとめ、どのような解決策を取るかということです。前回示した解決策は、物理学に反しないで、小さくて安価で効率的な発電蓄電装置を一人の天才が発明できればというものでした。実現すればいうことはないですが、現状では夢にすぎないので、現在でも目指せる目標を考えていきましょう。
 資源は、科学技術を背景にし、経済学に基づいてコントロールされています。ですから、将来見通しや見積もりには、不確定要素がどうしてもでてきます。しかし、やがてはなくなることは誰にでも理解できるはずです。問題は対処です。口で言うのはたやすいのですが、実行がなかなか大変なのが一番のボトルネックになっています。そこで科学技術や経済以外の視点で、このようなやがて来る問題に望むべきではないかと考えています。
 現在の文明が、「持続可能」な文明ではなく、消費型文明だからこのような問題が起きるのかもしれません。持続可能性にこだわるのであれば、太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気などに基づいた文明を再構築する必要があります。もちろん、その手段として、最先端の科学技術を導入し、最小限の資源物質で、耐久性のある、できれば再利用可能な道具を用いておこなうべきでしょう。
 最優先すべきは、経済性ではなく、資源やエネルギーの有効利用です。人はいったん手に入れた快適さや安楽から抜け出るのはなかなか大変でしょう。しかし、上で述べた事実を理解するのであれば、少々の苦労はしなければならないことを誰でも納得できるはずです。そのような納得を得るためには、教育による知識や教養やそして倫理観などを身につけた人が前提となります。
 人類が改変している自然環境は、実はそれほど大きなものではありません。地球はもっと大きな環境改変を行ってきました。このエッセイを読み返していただければわかるはずです。現在の環境問題は、人類の問題です。ですから、他の生物種や自然などを持ち出さなくても、自分たちの問題として考えればいいのです。エネルギー問題は、環境問題では一番分かりやすい例ではないでしょうか。
 残された資源や時間は、どれくらいか分かりません。でもたとえ長い時間が残されていたとしても、やがてエネルギー危機はくるはずです。そのときにあわてても手遅れです。資源のある今のうちに考えれば、資源を燃料としてだけではなく、多方面に使える資源として有効活用できるはずです。
 人類は、ほんの数百年前までは、太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気などに基づいた生活をしていました。今さらその時代に戻る必要はなく、科学技術を導入して、もっと安全で豊かな生活が営めるはずです。太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気があれば、生きていくの必要な衣食住はまかなえるはずです。そこにこそ、活路と、幸せや充足感を見つけるべきではないでしょうか。
 カロリーと栄養は必要最小限の量を旨とし、余すことなく、飽食することなく、足るを知りことを生活の基調とすべきでしょう。そのために、調理法や調理技術を、調理器具を駆使し、今まで蓄積してきた科学を注ぎ込むのです。エネルギー効率の悪い肉食は最小限にすべきでしょう。贅沢な食べ物なたまにしか食べられないかもしれません。それでも満足できる精神的な充足感を得るために、科学を利用するのです。
 幸福感を満たすに必要充分な衣食住を得ることが目標です。それこそ人類が一致団結して目指すべき持続可能な目標に違いありません。少々の困窮は受け入れるべきです。困窮を忍ぶために、人間性と文化を豊かにすればいいのです。
 春の心地よい草原、夏の川原の木陰、秋の紅葉に囲まれた林の中、森の雪原に残された生き物の足跡、そんな中にいるとき困窮を感じるでしょうか。癒しや心地よさを感じるはずです。忙しい時間の合間の休息、親しい友人の会話、家族との何気ない触れ合い、そんな瞬間に幸せを感じることでしょう。
 もっと精神性や文化、自然を重んじる知性を身につけ、その知性を背景にした文明を築かなければなりません。そんな社会ができ、数世代を重ねればきっと豊かな文化も育むことになることでしょう。
 ちょっとSF的な結論になりましたが、こんな解決策、未来像はいかがでしょうか。

・教育を・
現在の政治をみていると、
経済だけが議論されています。
環境問題も背景に経済があります。
人類の幸せも経済がなければ生まれないような口ぶりです。
しかし、みんなは知っているはずです。
金がすべてではないし、
金が幸せを与えてくれるものではないことを。
でも、皆、目先の金が気になってしかたがないのです。
このような精神を構造を改革する
構造改革こそ重要ではないでしょうか。
これは、もはや政治ではなく、
教育の範疇になると思います。
そしてその目標達成には
数10年でのスパンでの時間が必要となります。
教育とはそれほど、時間と手間のかかるものです。
でも、その成果は、金では得られないものです。
それも皆、知っているはずなのですが。

・燃料電池・
前回のエッセイで示した私の究極の解決策は
実は「燃料電池の仕組みそのもの」で
「エネルギー分野で最も盛んに開発が行なわれている」
ものだというご教示をSkaさんから受けました。
それに対して私は、次のような返事を書きました。

このアイディアがかなり長い期間検討され
今が旬の研究とは知りませんでした。
貴重なご指摘でした。
水素と酸素の仕組みが検討されていることは
おぼろげに知っていましたが。
それはまだまだの途上の技術や
始まったばかりの研究だと思っていました。
認識不足でした。
でももし、大きなブレイクスルーがあれば、
ものになる可能性ある思って今回のエッセイを書きました。
もちろん背景に多くに人が努力し、知恵を絞った後、
ある人のブレイクスルーを起こすのを理解したうえです。
「現実には、結局、石油から水素と酸素とを製造するのが
経済的に一番安価なのが現状だと数年前に聞きました。」
ですが、もしブレイクスルーとして触媒か特殊膜などの新素材で、
電気分解のように水から水素と酸素ができれば、
価格の問題は解決されるかもしれません。
また、大気の酸素を利用すれば、
水素だけを安全にコンパクトに保存運搬できれば、いいはずです。
たとえば、ブレイクスルーで白金やポリマーのようなものに
吸わせるとかできれば解決できるのではないか、
などいろいろ想像したわけです。
もちろん私が思いつくようなことは、検討されているでしょうが。
既存の技術ではなく、今はない理論や技術があればというのが
私の想像でのエッセイでした。
それと次回のエッセイの話題にするのですが、
「経済的に一番安価なのが」
という点を考えたいと思っています。
経済を中心にした考え方を問うことです。
現状の生活を維持することと
困窮に耐えて幸せを求めるのかという選択が
今後、重要になるということです。

というものでした。
Skaさんに対するさらなる答えが
今回のエッセイもであります。