2017年2月23日木曜日

4_133 日豊の旅 2:網代島の層状チャート

 前回は、私が野外調査にできるときの下準備や、調査の日程の組み方などを紹介しました。今回からは、実際の調査で行った地域の紹介します。その地の地層の見どころや調査の目的などを紹介していきたいと思います。

 今回、調査の最初の目的地は、大分県津久見市の網代島でした。網代島は、満潮のときは島になっていますが、干潮のときは陸地が現れ、歩いて渡ることができます。干潮は午後でしたので、その時間帯にここに来て、網代島に渡り、調査をしました。
 網代島は、層状チャートが非常に見事にでているところで、以前にも来たことがあるのですが、再度、調査に来ました。陸側にはジュラ紀後期の砂岩が分布しており、黒色頁岩に変わっていきます。ちょうど海峡のところに断層があり、島側は三畳紀前期の地層になっています。三畳紀の地層は、最初は珪質の砂岩とチャートの繰り返し(互層といいます)で、やがて層状チャートに変わっていきます。島は層状チャートからできています。
 陸側の地層のジュラ紀後期(約1億6000万年前)と網代島の三畳紀前期(約2億5000万年前)の間には、大きな時代の違いあります。この間にある断層は、非常に大きな時代の境界になっています。
 また、地層の種類もだいぶ違っています。ジュラ紀の地層は、陸から由来している堆積物(砂岩や黒色頁岩)からできており、三畳紀は深海(層状チャート)から、やや陸に近い深海の堆積物(珪質砂岩とチャートの互層)となっています。
 ここに来たのは、層状チャートの中に隕石の衝突の痕跡があるので、それを観察するためです。実際には目で見ても、痕跡は非常に小さいものなので、よくわかりません。隕石の衝突の痕跡とは、宇宙塵と呼ばれる小さい隕石のカケラが多数見つかっていることです。同じ時代の岐阜県犬山の層状チャートにも、宇宙塵が、多数、見つかっています。ですから、この時代に、大きな隕石衝突が起こったことがわかります。
 層状チャートは、海面付近で暮らしていた珪質の殻をもったプランクトンの遺骸が、深海底にたまったものです。層状チャートは大きな海洋の深海底で形成されたものです。地球上でもっとも安定した環境です。そこに衝突の影響が記録されているということは、非常の大きな異変が起こっていたことになります。
 そんな目に見えない、天変地異の様子を、網代島に観察しにきたのです。

・確定申告・
確定申告の季節になりました。
住基ネット時代から、私はe-taxで納税しています。
そして、毎年、その処理の煩わしに
いらいらしながら、申告をしています。
昨年は、Windows10になったせいでしょうか、
従来のやり方で認証ができずに、
最終的にはe-taxで作成したものを印刷して郵送しました。
これでは、なんのためのe-taxかわかりません。
今年は、マイナンバーになって、やはり手こずりましたが、
なんとかe-taxで送信することができました。
集計は家内がおこなうのですが、申告は私が行います。
ですから、毎年、私は、イライラしながらの確定申告です。
次こそは、すんなりいくことを願っています。

・三寒四温・
先日、非常に暖かい日がありました。
暖かい日は、一気に雪や氷を溶かし、
道を水浸しにしてしまいました。
洪水のような道になっていました。
かと思うと、また寒い日が来て、吹雪がきました。
三寒四温にしては、温度変化が激しすぎます。
体調には気をつけなければなりませんね。

2017年2月16日木曜日

4_132 日豊の旅 1:スケジュールの決め方

 今回の旅シリーズは、私がどのようにして調査日程を組んでいくのか、そして調査にどのようなドラブルがあるのかなど、少々思い出話しめいた内容も組み込みながら、紹介していきたいと思っています。

 1月末、講義と校務の合間をぬって、5日ほど調査に出かけていました。通常では、この時期は寒いので、出かけることはありません。しかし、今年度の研究費申請で、ゴールデンウィークに大分ー熊本の調査、9月に和歌山の調査で申請していました。しかし、ゴールデンウィークの調査は熊本地震のため中止せざるえませんでした、北海道内の他の地域にもいったのですが、予算の執行も目的に遂行もできずにいました。
 そこで当初の目的通り、大分を中心に調査にいくことにしました。大分南部(豊後)から宮崎(日南)北部にかけて、いくつかみたい地層がありました。日程は、定期試験の期間なのですが、私が担当する業務のない日程と、土・日曜日を組み合わせて都合をつけました。それが、今回の日豊地域の調査になりました、それに、あと一箇所、青島での地層の観察を加えたいと思っていました。本来ならもう少し南にも足を伸ばしたかったのですが、日程的に無理となりました。
 私は、調査の日程を移動と目的地を選定して考えて組んでいきます。今回の日程は、5日間でした。北海道からでかけますので、飛行機の乗り継ぎがあります。初日と最終日は移動が中心の日となり、正味の調査日程は、3日間となります。
 今回の3日間の調査では、一日ごとにメインの目的を定めて、そして次の目的地に移動していきました。1箇所目は、津久見地域の層状チャート、次が佐伯地域のメランジュ、最後が青島の宮崎層群を調査することでした。あとは移動の途中に、時間とチャンスがあればいろいろ見ていくことにしていました。
 佐伯以外のところは、以前にもいったことがありました。しかし、津久見では重要な露頭を再度調査することと、前回は日程の都合でいけなかった場所があったので、そこにいくという目的もありました。今回は津久見では、うろうろしながらこまめに見て回ったので、予期せぬ露頭を見つけることができました。
 はじめての佐伯地域で、文献で調べていたところでは、目的の露頭は海岸でアプローチが容易ではなさそうで、たどり着けない可能性があるところでした。しかし、地域内であれば、地質学的には、同じ地層がでているはずです。他のところで似たものが見られるかもしれません。いってみるしかありません。
 青島へは何度かいっており、かなり細かく調査していたのですが、再度、行ってみることにしました。
 このような予定を立ててはいるのですが、実際には、天候が悪いと予定通り進めるかどうかはわかりません。今回は幸いにも天候には恵まれ、予定通りに調査が進みました。また、予期せぬ素晴らしい露頭があったのですが、予定を変更するまでには至りませんでした。いい記録を撮るために、時間帯を変えて訪れることもありました。津久見の網代島は、干潮でないと渡れません。干潮に時間は午後2時でした。朝一番に満潮の状態を見ておき、他のところを調査して、午後に再度じっくり時間をかけて調査して、次の目的近くの宿に移動することにしました。
 このように野外調査をするときは、いろいろを考えていくのですが、最終的には現地いってみないと、どうなるかはわかりません。今回のように日程が短い場合、天候が悪いと、予定がほとんどダメになることもありますが、今回は天候がよくて、救われました。

・宮崎空港から・
今回の調査地への出入りを考えるとき、
大分空港から宮崎空港からかを迷いました。
青島の地層をみる予定がないのなら、
大分空港の方が楽なのですが、
青島を見ることを考えると宮崎空港が効率的です。
初日に高速を使って一気に津久見までいくことにしました。

・研究の季節・
大学は入試のシーズンです。
我が大学のいとつめの入試は終わり、
3月に次の日程が入ります。
また、在学生の成績と進級判定、4年生の卒業判定など
この時期に目白押しの予定となります。
いろいろ不規則な会議がありますので、
なかなか落ち着かないのですが、
時間が一番とれる時期でもあるので、
研究に没頭したいところなのですが・・・・

2017年2月9日木曜日

1_155 チバニアン 3:地磁気の逆転

 千葉には、第四紀の更新世中期の地層がでており、GSSPとして名乗りをあげています。もし認められれたら、更新世中期の時代名は、「チバニアン」となるはずです。さて、どうなるでしょうか。

 千葉県市原市田淵の「千葉セクション」は、第四紀の更新世中期の地層が連続してでています。前期と中期の境界も連続露頭の中で見えているため、「国際標準模式層断面及び地点」のGSSPになるべく、申請がされています。もし認められたら、更新世中期の時代名は、「チバニアン」となるはずです。日本の地層で、時代名がつけられるのは、はじめてのことになります。
 千葉セクションの地層では、環境を示すデータも揃っており、境界には火山灰層もあり、わかりやすい露頭となっています。また、時代区分として重要な事件として、地磁気の転換が起こっています。
 地磁気の転換とは、現在、磁石のNは北を指します。地球の地場(地磁気という)は北極にS極があることを意味します。地磁気は、核で溶けた鉄が流動することで磁場を発生している(地球ダイナモ説)と考えられています。流動は乱れることがあり、地場が反転すること(逆磁極と呼びます)が起こります。過去に何度も起こっており、少なくとも360万年の間に、11回は逆磁極の時期があったことが知られています。もっと以前にも地磁気の転換は、何度もおこっています。
 現在の地磁気と同じを状態(正磁極)になったのが78万年前のことです。そのような特徴的な事件があったため、地層境界として考える時、地磁気の転換のデータが重視されることになります。
 千葉の地層がGSSPとして選ばれるかと、そうは簡単にはいかないようです。ライバルがいます。イタリアで2カ所の地層が名乗りを上げているため、3つの地点での争いとなっています。
 イタリアの地層は、イタリア南部のバレ・ディ・マンケとモンテルバーノ・ジョニカのイオニコにあるものです。バレ・ディ・マンケは、目立った長所がなく、不利な状況のようです。一方、モンテルバーノ・イオニコは、地磁気のデータはないのが弱点だったのですが、放射性年代によって、間接的ですが地磁気逆転を推定できたと主張しています。イオニコは、環境データなどが千葉より充実しており、なかなか手ごわいライバルとなっているようです。時代名は、地中海のイオニア海に由来する「イオニアン」を主張しています。
 日本列島は大地の変動の激しい場です。連続した地層や露頭が少ない日本列島で、時代を代表する地層が見つかり、国際的な名称になることは素晴らしいことです。決着は、今年から来年にかけて見られそうですが、どうなるか見守っていこうと思っています。

・教員希望の学生・
我が大学は、入試の第一陣が終わり、
採点、評価作業にはいっています。
また、大学の教務的な作業としては、
成績評価の提出が終わり、
卒業や進級の判定作業に入っています。
4年生は、大学の講義は終わったので、
あとは卒業式を待つのみでしょうか。
教員志望で採用試験に合格した学生は、
どこに配属されるのかは
3月にならないとわかりません。
臨時採用の教員を目指す学生は、
どこで呼ばれるのか不明です。
いずれにしても教員希望の学生は、
落ち着かない時期を過ごすことになります。

・2月の月日は・
2月の月日の流れは一段と速いようです。
大学の授業は終わっているのですが、
教職員には、つぎつぎと大きな校務があるので、
あっという間に一日が空き去ってしまいます。
気を引き締めて、日々研究に対して
精神を集中していないとなりません。

2017年2月2日木曜日

1_154 チバニアン 2:ゴールデンスパイク

 時代境界はこれまで混乱があったので、地質学界では合意のもとで決定していきます。科学的証拠と議論のもとづいて、露頭のレベルと決めていきます。決まったところは、ゴールデンスパイクと呼ばれる杭が露頭に打ち込まれます。

 時代境界としてIUGSが確定したものは、GSSP(Global Boundary Stratotype Section and Pointの略)は「国際標準模式層断面及び地点」と呼ばれます。その場所は露頭で、模式的な地層境界として現れているところです。認められた露頭に、青銅の杭が打ちこまれます。その杭をゴールデンスパイクと呼んでいます。GSSPとなったところは、地質時代層状表にもそのマークが記録されていきます。
 研究が進んできているので、多くの時代区分においてGSSPが決まってきました。しかし、まだ時代境界が決まっていないところがあります。さらに、境界だけでなく時代名もまだ正式に決まっていないところもあります。もちろん時代名が決まっているのに、境界が定まっていないところもあります。
 今回話題にしているのは、第四紀(258万年前から現在)は、更新世(258万年前から1万1700年前)と完新世(1万1700年前から現在)に分けられています。完新世にはGSSPがあります。更新世の初期のジュラシアン(Gelasian、258万年前から180万年前)とアラブリアン(Calabrian、180万年前から)は決まっているのですが、中期の下限境界と後期の下限境界が、まだ決まっていません。そして両方とも時代名もまだ決まっていません。
 このような時代名は、時代境界を決定した人たちが申請して決めていくことができます。そのときに、前回紹介した条件を検討して、GSSPにふさわしいかどうかが判断されます。ただし、その認定は、IUGSがしていきます。
 今回、千葉県市原市田淵の養老川沿いにある地層がでてていて「千葉セクション」と呼ばれています。約77万年前に御嶽山から飛んできた火山灰の層を挟んでいます。そして、重要なことに、この時代境界に地磁気の逆転が起こっています。これが時代境界の重要な出来事になります。火山灰と地磁気の逆転は、時代決定の重要な指標になります。茨城大、国立極地研究所などのグループがここを研究して時代境界にすることを提案してます。
 その結果は、どうなるでしょうか。

・野外調査・
1月31日まで調査にでていたました。
幸い天気には恵まれて、
順調に調査をすすめることができました。
半分ほどが、以前みたころがある露頭の再訪でした。
それでも充分目的が達成できました。
すべてが予定通りではありませんでした。
いちおう露頭の記載はあるのですが、
船を使わない行けそうもないところでしたので、
無理はしないようしていました。
それを補えるような露頭があったので、
助かりました。

・宮崎では・
野外調査では、宮崎空港から出入りしました。
この時期、宮崎は、スポーツチームの合宿で賑わっています。
おりたったときも、到着ロビーがごった返していました。
出発するときは到着ロビーは見ませんでしたが、
西部ライオンズや侍ジャパンなどの到着があるとのことでした。
そういえば、かなり早く旅館を探したのですが、
宮崎での予約が難しかったのはそのためです。
この時期の南九州は要注意ですね。