2007年4月26日木曜日

1_61 隕石の起源5:最古を求めて(2007.04.26)

 地球最古のものを考えていきます。それは、もちろん地球にあるものです。果たして、真の地球最古のものは、何でしょうか。それは、どれくらい古いものなのでしょうか。

 地球で一番古い「岩石」は、約40億年前にできたものです。カナダの北西準州のアカスタというところから見つかったものです。岩石に「」をつけたのは、岩石というカテゴリーでは最古という意味だったのです。
 実は、地球上で見つかった「もの」(物質という意味)には、もっと古いものがあります。それは、44億0400万年前のジルコンという鉱物です。鉱物は岩石を構成する成分です。このジルコンは、古い時代にできたのですが、その岩石は、風化や浸食でばらばらになり、砂粒となりました。もとの岩石はもうなくなっています。最古のジルコンは、約20億年前の堆積物の中から、砂粒として、いくつか見つかっています。
 地球で最古の「もの」といえば、地質学者であれば、この44億0400万年前のジルコンという鉱物を挙げるでしょう。
 しかし、もっと古いものが地球にはあります。それは、隕石です。隕石には、45億年前にできたものが、たくさん見つかっています。隕石は今でも地球に落ちてきます。ですから、地球のものではないという人もいるかもしれません。
 しかし、地球とは、もともと隕石のような小さな物質が、衝突や合体を繰り返して、その中のたまたま大きくなったものが、選ばれて今の地球になったのです。地球は今も少しずつですが成長を続けていることになります。地球の材料は、45億年前につくられた隕石なのです。
 多くの隕石が45億年前の時代を示しているのは、地球ブレンドという事件があったからです。太陽系の素材は、今の太陽より一つ前の太陽が、超新星爆発をして、飛び散ったものを主な素材にして、周辺にあった他の材料も取り込みながら、原始太陽系ガスができました。
 原始太陽系ガスには、いろいろな物質が混じっていました。それがそのまま隕石のような物質になったら、太陽系周辺に散らばっていた、いろいろな起源の物質が混じっていて、いろいろな年代を示すはずです。しかし、隕石がすべて同じ年代や化学的性質を示すのは、ガスが混じり合う作用があったことを示しています。
 太陽系ができた時、原始の太陽を取り巻く濃いガスが、太陽の熱にあぶられて、非常に高温になります。ガスの中に混じっていた固体物質も気体になってしまい、均質に混じりあってしまいました。それが、地球固有のブレンドとなったのです。その地球ブレンドのガスが冷却して、固体物質が凝縮してきました。その時代が、隕石の年代なのです。
 しかし、よくよく調べるとある種の隕石(炭素質コンドライト)からは、高温にも耐えて固体のまま残った粒子が見つかっています。ダイヤモンドや石墨、炭化珪素などの小さな鉱物です。これらは、地球ブレンドの値を持たず、異質な化学的な性質をもっています。ですから、太陽系における融け残り素材と考えられています。今の太陽系の前の粒子なので、プレソーラーグレインと呼ばれています。
 プレソーラーグレインには、残念ながら、年代を測定できる成分は含まれていません。ですから、太陽系ができたの時代より古いのは、わかっているのですが、いつできたのかは不明です。
 実は、形成年代もわかっていて、もっと古いものがあるのを、ご存知でしょうか。それは、水素原子です。水素原子がどうしてできたかを考えれば、その理由がわかります。
 水素原子は、宇宙が形成された137億年前のビックバンの直後にできた成分です。それが宇宙の大半の成分ともなっています。ヘリウムも同時にできましたが、地球ではそれほど多い成分ではありません。しかし、水素は、水や有機物の素材として、地球にはたくさんあります。隕石にも、もちろん海にも、私たちの体にも、含まれているものです。一番身近な成分である水素が、実は、地球最古のものだったのです。
 でも、ちょっと「考え落ち」のような気がしますが、科学的に考えても、これは筋が通っています。

・トラブル・
先日、講義をしているとき、ノートパソコンでプロジェクターで
プレゼンテーションをしようと思ったら、映像が出ません。
あせりました。
教務の方に来てもらって装置を見てもらいながら、
私は、昨年度まで行っていた板書で講義を始めていました。
今年からプレゼンテーションソフトを用いておこなうようになっていたので、
昨年までと同様に、講義メモ(手持ち用)と講義レジメを用意していました。
結局、プレゼンテーションは利用できませんでした。
板書とレジメだけで、90分の講義をしました。
少し時間が押していましたが、
何とか予定通りの講義をこなすことができました。
私のノートパソコンが壊れたのか心配になったのですが、
確かめたら、その教室のプロジェクターの配線がどうもいかれたようです。
他の先生もプロジェクターを使われているかもしれませんから、
大丈夫だったのか心配ですが、苦情は出てないそうですから、
私が先週その教室を使ったときは問題がなかったのですが、
その後誰もトラブルに合わなかったようです。
ITは便利ですが、何かあったときお手上げになるので、困ってしまいます。
その時のことまで、考えておかなければならないのですかね。

・春・
北海道も春めいてきました。
大学の授業もスタートして落ち着いて
学びができるようになってきました。
外では、いろいろな花が咲き始めています。
桜はまだですが、フキノトウは大きくなり、
日当たりのいいところでは、エゾエンゴサクが咲きはじめています。
ツツジも、つぼみが膨らんでいます。
北海道ではツツジも桜も同じころに咲きます。
今週末からゴールデンウィークとなります。
我が家でも、花と春を味わいに外に出かけましょうか。
そんな気分になる気候となりました。

2007年4月19日木曜日

4_75 銭石:沖縄3

 沖縄の旅の紹介も今回が最後です。最後は、沖縄の砂の中からみつけた不思議な砂粒を紹介しましょう。

 沖縄本島北部、本部半島よりさらに北の西海岸沿いに、塩屋湾があります。大宜味村にある塩屋湾は、入り組んだ形をしていますが、さらに地形を複雑にしているのは、湾の入り口に、宮城島があるためです。
 かつて、西海岸を走る県道58号線は、この湾の海岸線を縫うように走っていました。しかし、現在では、宮城島に2つの橋をかけて、塩屋湾をバイパスしています。宮城島から南側にかかる短い橋は宮城橋、北側かかる塩屋大橋は全長307mもあります。
 この塩屋大橋の宮城島のたもとに、小さいな海岸があります。少しの砂浜があり、岩も顔を出しています。この岩は、黒っぽい色で薄くはげやすいもので、黒色片岩という変成岩からできています。
 私がここを訪れた目的は黒色片岩ではありません。砂でした。砂を採取することもさることながら、砂の中に含まれている不思議な「銭石(ぜにいし)」を見つけることでした。
 銭石とは、直径数mm程度の小さいコイン状のものです。これは、有孔虫の仲間のマルギノポラ(Marginopora)というものの遺骸です。
 有孔虫とは、アメーバーなどの原生動物の一種で、単細胞動物です。単細胞生物ですから、それほど大きなものはなく、小さいものがほとんどです。しかし、銭石のように数mmを越えるものや、時には、パレオジン(古第三紀)の貨幣石と呼ばれる有孔虫には、15cmにものあるものがあります。
 海岸の砂の中にみられる有孔虫は、目で見える大きいものがあるので目をひきます。その中には、おみやげ物で有名な、星砂(バキュロジプシナ)や太陽の砂(カルカリナ)もありますが、銭石と同じ有孔虫の仲間です。
 有孔虫は殻をかぶっており、海を漂って生活するものと、海底で生活するものがあります。銭石などは、海底で生活しています。海底といっても、サンゴや海草などにくっついて生活するものも含まれています。銭石は、殻にあいた小さな穴から透明な偽足を出し、リュウキュウスガモなどの海藻にくっついて移動しながら、えさをとって暮らしています。ですから銭石の生活に適した海草が多い海岸には、銭石が打ち上げられています。宮城島の塩屋大橋のたもともそんなところなのです。
 銭石は、少ししか見つかりませんが、丹念に探せば、変わった形をしているので、子供でも見つけることができます。

・貨幣石・
上のエッセイで15cmもの大きさの貨幣石あるといいました。
貨幣石とは、銭のような形をしたものですが、
非常に大きいものが、世界各地から見つかっています。
貨幣石はたくさん出ることと、生存時期が短いので、
示準化石(時代を示す化石)として利用されています。
フランスでは、パレオジン(古第三紀)を
貨幣石紀と呼ぶほどたくさん出ていたのです。
学名は、ヌンムリテス(Nummulites gizensis)といいます。
学名についているgizensisは、
エジプトのギザのピラミッドから由来しています。
ピラミッドの石材には石灰岩があり、
その中に貨幣石の化石がたくさん含んでいるものがあります。
沖縄の始新世の地層からも貨幣石が見つかっています。

・発見・
砂浜で、我が家の家族も銭石を探しました。
最初の1個は、私が見つけました。
それは小さいものですが、その形の不思議さに家族は驚きました。
自分でも見つけたいと、皆で探し始めました。
小学生の子供たちも、家内も、15分ほど探して、
1個から数個は、見つけることができました。
これくらいの頻度で見つかるのが、
発見の面白さ、珍しさ、でもだれもが手にできる喜び
などを味わうには、いいかもしれませんね。
もちろん一番たくさん見つけたのは、私でしたが。

・画像・
銭石という形の不思議さは、
言葉で聞いてもなかなかわからないかもしれません。
もし、興味がある方は、私がとってきた銭石の写真を
http://terra.sgu.ac.jp/geotravel/2007/Okinawa2007/index.html
に掲載してます。
覗いてみてください。

2007年4月12日木曜日

4_74 カルスト:沖縄2

 沖縄には石灰岩がたくさんあります。そのうち、前回は、新しい時代の石灰岩を紹介しました。今回は、古い時代の石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄本島の北部は、山地が多く、深い森がある地域となっています。「山原」と書いて「やんばる」と読みます。国の天然記念物に指定されている「ヤンバルクイナ」のヤンバルは山原から由来しています。山道を走っていると、道路には「ヤンバルクイナ注意」の看板があります。
 ヤンバルの山には、ごつごつしたものや、こんもりとした山など、不思議な形のものを見かけます。実は、この不思議な形をしたものの多くは、石灰岩からできています。
 この石灰岩は、前回紹介した「琉球石灰岩」と比べると非常に古いものです。時代は、古生代二畳紀から中生代三畳紀にかけてのものです。そのような石灰岩からは、アンモナイトなどの古い時代の化石が見つかっています。
 北部の石灰岩は、古いだけでなく、現在の位置にたどりつくのにも少し変わった履歴をもっています。オリストストロームと呼ばれる大規模な海底地すべりのような仕組みで巨大が石灰岩のブロック、土砂の中に埋まりこんだものです。ですから、石灰岩ができた時代と周りの土砂の形成された時代が違っています。
 このようなオリストストロームという仕組みは、日本列島ではよく見られるもので、付加体と呼ばれる地質構造となっています。
 今回、沖縄本島の最北端にあたる辺戸岬を見下ろす山に行きました。「金剛石林山」と呼ばれるところで、公園として整備されています。ヤンバルの道を、ながながと登った頂上付近にあります。マイクロバスでの送迎があり、バリアフリーのコースもありますので、子供や車椅子などの人も見学することができます。
 公園は、石林と名称にあるように、中国の石林と似たような景観をもっています。石が林立したり、奇岩が多数あったりします。
 実は、オリストストロームに巻き込まれた巨大な石灰岩のブロックが、侵食によってカルスト地形をつくったものです。沖縄の北部の西海岸付近には、このようなオリストストロームが多数ある地質帯なのです。その一つとして金剛石林山があります。
 カルスト地形とは、石灰岩地帯が、雨水によって侵食を受けたものです。琉球石灰岩でも、カルスト地形がありましたが、古い時代の石灰岩地帯でもカルストがあります。
 石灰岩地帯に形成されるカルスト地形は、日本の本州でも多くみらますが、温帯地方の特徴を持ったカルストです、ところが、辺戸では、熱帯のカルストとなっています。熱帯カルストの特徴は、円錐カルストで、こんもりとした山になります。沖縄本島の北部には、このような円錐カルストがよく見られます。それが奇妙な山の正体でした。
 金剛石林山にも、円錐カルストが高い頂きとしてあります。そして、そこから辺戸岬から北の海を見渡すことできます。金剛石林山は、沖縄本島の北端にあたり、熱帯カルストの北限ともなります。コックピットと呼ばれる星型に侵食された深い窪地や、針の塔のようにとがったピナクルなども見られます。
 奇岩の織りなすカルスト地形が、ソテツやガジュマロなどの熱帯植物からなるヤンバルの中にあります。非常に不思議な熱帯の景観を堪能しました。

・金剛石林山・
金剛石林山の金剛とは、非常に硬いことをいいます。
金剛石とは、もっとも硬い結晶であるダイヤモンドのことです。
金剛砂とは、研磨剤に使われるやはり硬いカーボランダムのことです。
石灰岩は、方解石という結晶かできています。
方解石は、実はそれほど硬くはありません。
カッターナイフの刃で、傷つけることができます。
ですから、表現としては「金剛」は、
地質学的には、ちょっといただけませんが、
固有名詞ですので、あまり「堅いこと」をいってもしかたがありません。
金剛石林山の麓のヤンバルには、
とてつもなく大きなガジュマロの木があります。
非常に大きく、枝から地面に降りてきて根になった
気根と呼ばれるものが、多数形成されています。
沖縄では、大きなガジュマロには、ブナガヤー(木の精)が
宿っているといわれています。
本州や北海道ではみられない、不思議な景観の中に立ち、
木の精が存在するような感じを味わいました。

・パワーポイント・
いよいよ学校が本格的に始動しました。
私の講義も、はじまりました。
今年から私はコンピュータのプレゼンテーションソフト(パワーポイント)を
利用してある講義を行うことにしました。
今まで学会や研究会ではパワーポイントは当たり前に使っていましたが、
講義では意識的にレジメと板書だけにおこなっていました。
そして、この度、6年目にしてはじめてパワーポイントを講義に導入します。
それは、今後PCレターを使った講義への伏線でもあります。
PCレターを使うと講義をよりアトラクティブにそして記録できます。
しかし、講義をそのまま公開するのは、なかなか困難です。
なぜなら著作権や個人情報などの配慮すべきことが色々あるからです。
そのために、講義や記録ファイルを見直す必要もあるでしょう。
すると簡便さが薄れていくような気がします。
パワーポイントは多分非常に便利だと思います。
一度使うと多分非常に便利で病み付きになるかもしれません。
まあ、ほどほどに、そして冷静に使っていきましょう。

2007年4月5日木曜日

4_73 鍾乳洞:沖縄1

 2007年3月26日から31日まで沖縄に行きました。3年前にも家族で訪れています。今回の訪問の目的は、沖縄本島の石灰岩をみること、そして付加体の地層を見ることでした。まずは石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄のマリンブルーの海には、サンゴ礁があります。サンゴ礁が陸地に上がり固まると石灰岩になります。ご存知の方もおられるかもしれませんが、沖縄は非常に石灰岩の豊富なところです。石灰岩が織りなす地形がいたるところに見られます。
 沖縄の石灰岩には、いくつかの種類があります。石灰岩としては同じものなのですが、時代が違っています。それは古いものと、新しいものです。
 新しい石灰岩とは、琉球列島に広く分布する「琉球石灰岩」と呼ばれています。更新世(180万年前から1万1500年前)の新しい時代(多分70、80万年前以降)から堆積しはじめたものです。
 琉球列島では、60kmの幅と300kmの長さにわたって、サンゴ礁堆積物が連続的に分布しています。サンゴ礁の大部分は、海底にあり、陸に上がっていませんで。
 琉球列島の島になっている部分だけが、上昇して陸化しました。サンゴ礁に覆われた島の部分は、平坦になっています。もともと平らな面を持っていたのと、侵食に弱い岩石であるためです。沖縄本島の南部のそのような平坦な地帯になっています。
 サンゴ礁が陸に上がりますと、侵食や再沈殿がはじまります。地表のものだけでなく、地下水の面より上にあれば、水が浸透していきます。サンゴ礁は隙間が多く、水が浸透しやすい性質をもともと持っています。ですから、沖縄本島の南部は雨の多い地帯にかかわらず、水不足が問題となっています。
 大気中の二酸化炭素を溶かしこんだ雨水が、石灰岩の中に浸透してくると、石灰岩は溶解していきます。サンゴ礁がそのまま陸化した石灰岩は、非常に解けやすく、洞窟を作りやすくなります。解けた石灰岩は、再沈殿します。このような作用が繰り返し行われると鍾乳洞が形成されます。
 私は、今回、玉泉洞という鍾乳洞を見学しました。新しい時代のサンゴ礁からできている石灰岩なのに、非常に大きく深いものです。鍾乳洞内には、さまざまな形状や成因の沈殿物がみられます。玉泉洞の石灰岩は、上で述べたような原因で、石灰分の沈殿の速度が非常に大きいためです。そのスピードは、コンクリートの上に鍾乳石が成長をはじめているほどでした。
 私にとって、この鍾乳洞で一番印象に残ったのは、多様な鍾乳石の中でも、「槍天井」と呼ばれているところでした。槍天井は、天井から細い本当に槍のように見える鍾乳石が、多数垂れ下がっているところです。誰が数えたのかは知りませんが、槍の数が2万本もあるそうです。
 沖縄島は、現在も変化を続けているところなのです。

・暑い沖縄・
以前沖縄を訪れたのは、2月末から3月上旬でした。
今回は、それより一月遅い3月末でした。
今年は暖冬だったせいでしょうか、
寝る時は蒸し暑くて寝れないほどでした。
まるで梅雨を思わせ気候でした。
晴れた日に、地層を見るために、海岸を半日歩いたのですが、
家族一同真っ赤に日焼けをしてしまいました。
今回の私の目的は、石を見ることでしたが、
家族の目的は、水族館(再訪)とガラス細工やシーサー作成など、
沖縄ならではのものを楽しむことでした。
そして、みんなほぼ目的を達成することができました。

・ミス・
沖縄には25日から6泊7日の予定で出かけるつもりでした。
しかし、空港に向かう途中、チケットを忘れるというミスをしてしまいました。
途中で気づいたのですが、家内がタクシーで自宅にとりにもどったのですが、
寸前のところで間に合いませんでした。
再度チケットを購入する金銭的余裕はありませんので、
どうしようか迷っていました。
子供たちは行きたがっています。
幸いなことに、私が、事前にぎりぎりか遅れるかもしれない
という届けをカウンターに出向いてしていました。
乗り遅れた後、どうにかならないかと
カウンターで、すったもんだの交渉をしました。
担当の人が、何度か偉い人に聞きにいってるうちに、
事前に私が届けていた担当者が見つかりました。
その人がカウンターのチーフだったので、直接交渉できました。
翌日ならチケットを、そのままで、1日短いのですが
追加料金なしに手配できるという扱いにしていただきました。
その日は、自宅にもどったのですが、翌日に無事出発できました。
1日短かったのですが、沖縄の旅行をすることができました。