2005年3月31日木曜日

5_40 時代境界2:模式地

 前回は時代時代に関して、ウィリアム・スミスという地質学者を中心にして、地質学における地層の考え方の変遷についてみてきました。今回は、時代区分の基準となる地層の模式地(もしきち)というものについてみていきましょう。

 時代区分とは、19世紀に長い時間をかけて、カンブリア紀から第四紀まで、すべての紀が定義されてきました。それは、系統的な研究成果に基づくものではなく、あるときは便宜上、またあるときは「こうあればいいな」程度の理由など、さまざまな根拠で決められてきました。そして、古いものから順番に決められたものでもありませんでした。今から見ると、当初は、必ずしも科学的根拠のない時代境界であったのですが、その境界は幸いにも、現在でもある程度通用するものとなっていました。
 当時の地質学者も、不十分ながら、化石の証拠を持っていました。ですから、当時の地質学者は、大型の植物や動物の化石の連続性が途切れるところに、時代境界をもってきました。
 しかし、歴史が示しているように、時代区分とは、自然現象、つまりは地層に見られる何らかの異変や特異性をもとに、時代境界が決められています。このような時代区分を、時代(あるいは年代)層序区分といいます。層序とは、地層が「地層累重の法則」で重なっているという考えを用いて、その地域の地層を、さまざなま地質学的証拠に基づいて並べられたものです。
 地質学的証拠には、岩石の特徴(岩相と呼ばれます)、地層の溜まっている様子(堆積形態と呼ばれます)、あるいは地層の物理化学的特長などがあります。そしてその証拠の一つとして、化石があります。時代層序区分には、化石が重要な証拠になるのは違いありませんが、それがすべての根拠となりません。
 とはいっても、化石は重要な証拠には違いありません。そのため、化石をもとに、時代区分における細分がなされてきました。このような化石をもとした時代区分を化石層序(あるいは生層序)区分とよびます。細分化された時代層序区分には、化石によって決められる化石層序区分が用いられることもあります。
 これらの時代層序区分と化石層序区分が一致していれば問題ないわけです。しかし、この時代層序区分自体が、人間が人為的に時間を区分したものです。ですから、そこにはいくつもの問題が生じ、現在も議論されています。その問題とは、時代層序区分がある典型的な地域の層序によって決められていることと、化石自身の性質によることから起こります。
 時代層序区分がある典型的な地域の層序によって決められているという問題についてです。地層による時代区分は、その時代の地層が一番よく出ているところを模式地(タイプ)の模式層序として選び、そこを基準にして決められています。もともとこのような地層による時代区分の考え方は、ヨーロッパを中心にしてなされました。ですから、その時代の模式地の多くはヨーロッパにあります。ところが、すべての時代の地層が最適な状態でヨーロッパにはあるとは限りません。
 時には、ある時代の地層の模式地と次の時代の模式地が違うところにあることがあります。すると、そこでは、ある時代の地層の重複や欠落が起こることがあります。時代境界という重要なことを議論するためには、時代境界をまたいで連続している地層を用いるべきでしょう。模式地として適切な地層は、連続的に堆積した地層があり、なおかつそこにたくさんの化石を含んでいることです。ヨーロッパの模式地で適切でなければ、他の適切な模式地が変更されることも起こります。
 もうひとつの問題である化石についてです。過去の大絶滅があったということは、化石の証拠からのみ、探ることができます。そしてそれはもちろん、時代境界には大きな手がかりになります。しかし、化石は、化石が当時の生物のすべてを代表しているとは限りません。化石になるのは、当時の生物のほんの一部に過ぎません。特に陸上生物は化石になる率は少なくなっています。さらに、化石のもとである生物は、住める環境が限られていて、ひとつの種ですべての環境に住めるものはいない、ということを常に頭に入れておかなければなりません。大絶滅とはいっても、ある限定された条件に生きていた生物に起こったと考えるべきです。特に陸の動物や植物の化石を扱うときは注意が必要です。
 以上のように模式地による時代境界を決めるという地質学の研究方法は、一見当たり前のアプローチのように見えますが、なかなかいろいろな問題があるようです。

・桜の季節・
とうとう3月も終わります。
そして、明日からいよいよ4月です。
ある人は、新学期を迎える季節です。
ある人は、新入学生として迎えることでしょう。
ある人は、新社会人として迎えることでしょう。
またある人は、迎える側となることでしょう。
そんな新陳代謝があるということは、いいことです。
4月は、家族にとっても、組織にとっても、
ひとつの区切りのなることです。
最初はギクシャクするでしょうか、
しばらくすると新しい組織が新しいパターンを持って
動き出すことでしょう。
そんな変わり目の季節を迎えました。
そんな季節には、なぜか桜が似合いますね。

・恐竜を見に・
このメールが皆さんのお手元に届く頃には、私は、東京にいます。
それは、科学博物館でおこなわれている恐竜展2005を見るためと
もうひとつは林原自然科学博物館の化石が展示されている
ダイノソアファクトリーを見るためです。
恐竜展2005のURLは
http://www.kahaku.go.jp/dinosaur2005/index.html
ダイノソアファクトリーのURLは
http://dinosaurfactory.jp/
です。
興味にある方は、実物を見られてはいかがでしょうか。
いずれも、ぜひ見たいとおもっていた標本があるので出かけます。
そのあと、私の実家である京都に移動します。
かなりの大移動ですが、今回も家族同伴でいきます。
本当なら、恐竜展2005などは春休みを避けたいところですが、
家族と一緒ですから、この時期になりました。
詳細はこのエッセイで紹介できるのはないかと思います。

2005年3月24日木曜日

5_39 時代境界1:ウィリアム・スミス

 地質時代の境界には、大絶滅がよく起こっています。しかし、大絶滅が起こったときが、時代境界とはいえません。大絶滅と時代境界について考えていきましょう。

 私が以前のエッセイで「ペルム紀の末、つまり古生代の終わりには、顕生代で最大の大絶滅がありました」書いたところ、「絶滅があったところに線を引いて、その前を古生代、後を中生代としたのではないでしょうか」という質問がありました。
 そうだとありがたいのですが、地層の実際の状態を見ても、歴史的に見ても、必ずしもそうではないのです。
 実際に地層をみると、同じ種類の地層が境界を持って繰り返したり、いくつかの違った地層が繰り返したりしています。人は、そのような地層を見て、大きな違いがあるところで、区分します。
 たとえば、ある地域にいくつか地層があったとしました。ある地層は石炭をたくさん含み、別の地層は白っぽい石灰岩でできていて、またある地層は土砂が固まった岩石からできている、などと、容易に見分けられる特徴から、地層の区分されるでしょう。もし、石炭の含まれる比率が大きい、あるは良質の石炭はどの辺りにあるかなど、営利に直結するような情報は、非常に重要になってきます。そんな場面では、より詳細に地層が調べられ区分されたことでしょう。
 そこには、絶滅などという考えはありませんでした。歴史的にも、このような段階がありました。
 古生代や中生代の区分される少し前に、地質学の発祥の地イギリスやヨーロッパでは、その地の地層を、化石や地層構成岩石などの特徴からいくつもにすでに区分されていました。産業革命によって、石炭などの鉱物資源の開発、水運のための運河掘削などで地層や岩石に関する情報が増えてきたからです。
 古生代(Paleozic)という名称は、セジュウィックが1838年に提案したものです。彼の定義では、カンブリア紀からシルル紀まで含まれていました。その後、フィリプスは、1840年に古生代をペルム紀まで拡大しました。さらに彼は、古生代と新生代の間の時代として、中生代も一緒にして、統一的に時代を区分しました。こうすれば、今後新しい発見のたびに、時代区分を変える必要がないと、フィリプスは記しています。そしてその区分は今も活きています。
 この時、明確な地層の区分の基準があったわけでなく、今後のことを考えてこう区分しましょうというのが、もともとの名称の起こりでした。ですから、厳密な定義があったのわけではありませんでした。
 同じ頃、イギリスのウィリアム・スミスは、時間変化、層序という視点を組み入れ、地層累重の法則を確立し、地質図を完成しました。地質図には、「地層累重の法則」や「化石による地層同定」などの新しい考え方が含まれていました。それらの新しい考えとは、地層の時間的、空間的な広がりが認識されたことです。
 違う場所にあるものでも、何らかの時間的共通性があれば、両地層は「対比」(つまり同一時間面にあったということ)可能であるという考えが確立されました。その代表的なものが化石(示準化石と呼ばれます)です。イギリスのウィリアム・スミスは、それを「化石による地層同定」として確立しました。現在では、火山灰などの特徴的な鍵層も共時性の証拠として利用されています。
 また、地下の地層の広がりや、見ていない地域への地層の広がりも、科学的に予測できるものになったのです。地層の広がりを3次元的な空間として捉えることができるようになりました。
 これらは、地質学において大きな考え方の飛躍でした。
 地層とは、誰が見ても違ったものがまず区分され、その地層に含まれる化石が違っていることから、化石が地層の対比に有効であることがわかってきました。どんなに構成している岩石が似たような地層でも化石が違っていれば、同じような環境であっても違う時代、つまり対比できないものであるということが証拠を持って判定できるようになりました。現在では、化石は地層対比にはなくてはならないものとなりました。ただし、化石は万能ではありません。これについては、次回紹介しましょう。
 以上述べてきたように、過去の地球の様子や生物の変遷を地層や化石から調べるということは、古くからなされてきました。地層の時代区分が先行していました。同時性を証拠立てるための化石の研究には、もっと多くのデータが積み重ねられる必要がありました。また、大絶滅が判明するには、同時代の広域の情報が必要とされます。地層の分け方、名称には、歴史的な背景をもっていますが、すべてが合理的に決定されてきたわけではなかったのです。

・ウィリアム・スミス・
産業革命に伴って、鉱山で石炭や鉱石が採掘されていくと、
地下の様子がわかってきました。
また、イギリスでは、石炭をより効率よく運ぶために
各地に運河が掘られました。
測量技師でも会ったウィリアム・スミスは、
地層を連続的に知ることができました。
いろいろな地層があることがわかり、
違った地層には、違った化石が見つかることも知りました。
ウィリアム・スミスは、自力で、化石や岩石の標本を集め、
地層の重なりには規則性があり、
その規則性を化石によって知ることができるということを発見しました。
その発見は地質図として体系化されました。
しかし、貴族が支配する時代において、
彼の業績はなかなか評価されず、
彼の成果は盗用されたり、無視されてきました。
詳しくは「世界を変えた地図 ウィリアム・スミスと地質学の誕生」
(ISBN4-15-208579-7 C0044)で紹介されています。
興味のある方はご一読ください。

・Tomさんからの質問・
このエッセイは、本文紹介しましたが、
Tomさんの質問に答えたものを、大幅に修正加筆して
書き上げたものです。
Tomさんとは古い付き合いです。
このエッセイが始まる前からの知り合いでしたが、
時々メールをいただきます。
考えるチャンスをいただいたTomさんに感謝します。
これからもよろしく。

2005年3月17日木曜日

1_43 古生代5:バリスカン造山運動(2005年3月17日)

 前回の地質時代シリーズでは、古生代のカレドニア造山運動について紹介しました。今回は、古生代のもうひとつの大きな造山運動である、バリスカン造山運動について紹介します。

 バリスカン造山運動は、イギリスやフランスではヘルシニアとも呼ばれています。バリスカンという名称は、ドイツに住んでいた民族名バリスケル(Varisker)に由来しています。一方、ヘルシニアンは、ドイツのHarz山地(herzynisch)に由来しています。
 バリスカン造山運動は、カンブリア紀から石炭紀かけての活動で、石炭紀には地層の変形・変成作用、花崗岩の貫入などの変動がおこりました。カレドニア造山運動よりは少し後ですが、時期的には重なります。
 バリスカン造山運動によってできた地帯は、チェコ西部、ドイツ中央部、ベルギー、フランス北部、イギリス南端部に広がります。連続しないのですが(大きく曲がっている)、イベリア半島でも見られます。ドイツ中央部が、典型的な地域(模式的地域)とされています。
 バリスカン造山運動は、オルドビス紀からシルル紀にかけて大陸が分裂して、海が形成されれることから始まりました。できた海は、リーク海と呼ばれ、その後も拡大していきます。カレドニア造山運動によって、それまであったイアペタス海(古大西洋とも呼ばれます)という大きな海が、大陸同士の衝突でシルル紀末に消えました。
 大陸は、北側に旧赤色砂岩大陸(ローレンシアとバルティックの2つの大陸)、南側にゴンドワナ大陸(中央ヨーロッパ大陸とも呼ばれます)に分かれました。
 デボン紀初期には、海洋の地殻は、北側の大陸に沈み込みはじめました。沈み込み帯の周辺には石炭紀後期まで堆積物がたまりました。また一部の海洋地殻は大陸に持ち上げられました、やがて、分かれていた大陸は、石炭紀に再び衝突しました。この大陸が、やがては今度紹介する超大陸パンゲアとなっていきます。
 激しい造山運動は、地球の表層に大きな環境変化をもたらしました。海ができたり、なくなったり、巨大な山脈ができたりするのです。このような運動は、ゆっくりした変化ですが、生物の進化や生態系に大きな影響を与えたはずです。
 大陸の分裂で海ができ、大きな海洋とつながることによって、生物は大きな環境を手に入れることになります。一方、海がなくなるということは、海でしか生きられない生物にとっては、絶滅を意味します。しかし、造山運動は、ゆっくりした変化ですので、進化をする猶予はあったかもしれません。
 カレドニアン造山運動の終わりともいえるイアペタス海の消滅(シルル紀末)は、因果関係が定かではありませんが、化石から生物の進化がいくつも読み取れます。シルル紀に空気呼吸が可能なサソリ類の進化してきます。シルル紀末には、最初の陸上植物(維管束植物)が見つかっています。デボン紀には、最初の森林が形成されます。森林は、ソテツシダ類、シダ類、トクサ類、鱗木類などで構成されていました。また、淡水魚、最初昆虫化石(ライニユラ)、最初の両生類(イクチステガ)など陸上生活に適応した生物が進化してきました。
 バリスカン造山の終わりのリーク海の消滅(石炭紀後期)では、完全な陸上生活ができる原始的ハチュウ類や多様な昆虫類、クモ類、カタツムリ類、サソリ類、ゴキブリ類の出現しました。低湿地帯では巨大樹木の森林(鱗木)や裸子植物である針葉樹の出現しました。
 どうも古生代の2回の造山運動は、生物の進化に大きな影響を与えたようですね。

・春の日差し・
北海道も、めっき春めいてきました。
もちろん朝夕は冷え込みますし、雪も降ります。
しかし、天気のいい日中に、
窓からさしこむ陽射しは、春のものです。
冬の寒さに肩を怒らせていたのが、なんとなく緩みます。
そして春のけだるい眠気が襲いそうです。
日一日と春の気配が強くなります。
でも、雪解けのびちゃびちゃ道を
覚悟をしておく必要がありますが。

・私立大学の生き残り策・
大学の入試は一段落を迎えました。
何処も同じかもしれませんが、学生数の減少によって、
入学者数の低迷が続いています。
わが大学も、予断を許さない状態です。
この逆境ともいえる時期に、
多くの大学は変わる努力するはずです。
しかし、困ったことに、理想と現実、大学側と受験者側、
大学と高校生の父母の思い、なかなか一致はしません。
一致した大学が生き残るのでしょうかね。
そうともいい切れにところがつらいです。
もちろん、大学全部が滅ぶことはありません。
社会にとって大学教育は不可欠ですから。
したがって、いくつかの大学のいくつかの学部学科は存続するはずです。
そのような存続する大学は社会的需要に対して
敏感に対処したからでしょうか。
一部の大学はそうでしょうが、
国公立、一流と呼ばれている大学はそうとは限りません。
弱小私立大学はこの逆境を利用して、
今までの奢った姿勢、今までの組織や人材の不備、過去の栄光など
虚飾をかなぐり捨て、手を入れらるところはすべて手を入れて、
生き残る努力をすべきでしょう。
しかし、成功の保証がないギャンブル的改革を
進めていくのはなかなか大変です。
しかし、そんな局面を多くの私立大学が向えているのでしょう。

2005年3月10日木曜日

1_42 古生代4:カレドニア造山運動(2005年3月10日)

 地質時代シリーズです。前回は古生代の各時代で、生物がどのように進化してきたかを紹介しました。今回は、古生代に起こったいくつかの絶滅に関して、重要な要因を紹介していきましょう。

 古生代には、オルドビス紀末、デボン紀後期、そしてペルム紀末に大絶滅がありました。いずれも、地球史上の大絶滅のベスト3に数えられるものです。ただし、大絶滅であるかどうかは、以前に生きていた生物種が、どの分類レベルで、どれくらい絶滅したかが、ある程度数字でわかっているものについての比較になります。そのようなことができるのは、化石がたくさん見つかる古生代以降の顕生代になってからのことです。ですから、本当は「地球史上」という表現は、あまり適切ではないのです。顕生代以降というべきかもしれませんね。
 絶滅の数値は研究によって変わるとしても、古生代ではひとつの「代」のという時代区分の中で、何度も大絶滅が起こったことは確かです。やはり、その原因を知りたくなります。
 大絶滅に詳しい人は、隕石の衝突したのではと考えるかもしれませんが、今のところ隕石の衝突や地球外天体の影響の証拠はなさそうです。消去法によって、原因は地球内部の何らかの現象となります。
 重要な役割を果たしているであろう地球内部の営みとして、造山運動(ぞうざんうんどう)と呼ばれるものがあります。造山運動とは、山を造るような大地の運動という字になっていますが、意味としてはもっと大きく捉えられていています。地球全体におよぶような、大きな地殻変動をいいます。もちろんそのときに、山を造る作用も同時におこります。
 大規模な造山運動は、プレートテクトニクスの考え方によって、大陸同士の衝突によるものとして説明されています。衝突によって、大陸の間にあった海にたまった大量の堆積物が陸上に顔を出し、山脈となります。そして、山脈の地下深部では、変成岩や花崗岩が形成されます。これらすべてをひっくるめて造山運動と呼びます。
 古生代には、2つの造山運動が起こっています。カレドニア造山運動とヘルシニア(バリスカン)造山運動の2つがありました。
 カレドニア造山運動は、原生代末からデボン紀にかけての活動です。イアペタス海(古大西洋とも呼ばれます)という大きな海が、大陸同士の衝突でシルル紀後期に消えたのです。
 カレドニア造山運動は、現在の、北米大陸東岸のアパラチア山脈、アイルランド、イギリス(ウェールズ、スコットランド)、ノルウェー、グリーンランド東岸などに残されています。
 それぞれの地域で少々違いがありますが、イギリスの場合を例にして見ていきましょう。衝突する前に北側にあった陸地をグランピアン高地、南側の陸地を南部高地と呼んでいます。グランピアン高地は、10~5億年前に浅海にたまった堆積物が変成された変成岩(結晶片岩)、その下に不整合で28~18億年前の変成岩(片麻岩)があります。南部高地は、大部分がもとの海洋地殻の岩石からできています。それより古い岩石はほとんどでていないのですが、少しだけ16億年前より古い片麻岩があること、ドイツのカレドニア造山帯では13~9億年前の片麻岩などがあることから、大陸地殻があったと考えられています。
 この造山運動が起こるまでイアペタス海では、カンブリア紀初期からオルドビス紀、シルル紀にかけて、連続的に(整合で)堆積物がたまっていました。そして、その間に3回の海進と海退のサイクルがあったことがわかっています。
 カレドニア造山運動の終りには、造山帯全体で激しく地層が圧し縮められて褶曲しました。そして、陸地となった地域では、旧赤色砂岩とよばれる赤い特徴的な地層がたまります。この旧赤色砂岩の堆積で、カレドニア造山は終わります。
 2つの大陸の衝突の証拠として、両側の陸付近で見つかる三葉虫の化石が違っていることが挙げられています。三葉虫の種類が違うほどイアペタス海が広かったことを示しています。
 長くなってきました。もうひとつの造山運動については、次回としましょう。

・ハットンの不整合・
今回のエッセイで、旧赤色砂岩というものを紹介しました。
以前、私はスコットランドで、
「ハットンの不整合」と呼ばれているところを見に行ったことがあます。
そのときに様子は、
http://www1.cominitei.com/earth/4Travel/4_23.html
http://www1.cominitei.com/monolog/terraincognita/09.html
などで紹介しています。
「ハットンの不整合」とは、
シルル紀の垂直になった地層の上に
不整合と呼ばれる関係で、
デボン紀の旧赤色砂岩が堆積しているものです。
ジェイムズ・ハットンとは、
18世紀に活躍したスコットランドの地質学者で、
「近代地質学の父」と呼ばれています。
「ハットンの不整合」とは、
地質学の教科書にでているような有名なところです。
不整合とは、下の地層の上に、
不連続に別の地層がたまっているということです。
不整合とはある地層境界の様子を示しています。
一般的に、次のような出来事が起こったと考えられます。
海でたまる地層が、まずできます。
ある時、その地域が上昇して、地層が陸化します。
その時に、地層は傾いたり褶曲したりします。
そして、地上上がった地層は、侵食が起こり、削られます。
その地層が沈降して、海の底になります。
そこに堆積物が積み重なっていきます。
この古い地層と新しい地層の境界が、
不整合と呼ばれるものです。
不整合という境界には、
長い時間が流れていていること、
大きな変動が何度かあったこと、
連続的な変化の積み重ねがあったこと、
など地質学的さまざまな現象が起こっていることを意味します。
この露頭をみて、ハットンは、不整合というものを見抜いたのです。
私が見に行ったのも、この地層境界でした。
ハットンは、地球に時間の流れが雄大であることを示したのです。

・春まであと少し・
北海道も少しずつ春めいてきました。
先日まで暖かい晴れの日がありました。
すると雪がすごい勢いで融けていきます。
道路が水浸しです。
長靴でないと歩けません。
そして、ある時は打って変わって吹雪です。
こんな繰り返しが、春への兆しとなります。
心なしか、除雪されたうずたかく積み上げられた雪山が
低くなってきたような気がします。
春まであと少しです。
待ち遠しいものです。

2005年3月3日木曜日

1_41 古生代3:生物の進化(2005年3月3日)

 地質時代シリーズです。前回までは古生代の直前とカンブリア紀について紹介しました。今回は、古生代全体の様子を生物の進化を中心に、紹介していきましょう。

 古生代は、5億4200万年前~2億5100万年前までの2億9100万年間の時代です。顕生代ではもっとも長い時代となっています。古生代は、6つの紀(き)とよばれる時代に区分されています。
 古いほうから順番に、カンブリア紀(5億4200万年前~4億8830万年前:5370万年間)、オルドビス紀(4億8830万年前~4億4370万年前:4460万年間)、シルル紀(4億4370万年前~4億1600万年前:2770万年間)、デボン紀(4億1600万年前~3億5920万年前:5680万年間)、石炭紀(3億5920万年前~2億9900万年前:6020万年間)、ペルム紀(2億9900万年前~2億5100万年前:4800万年間)の6つです。
 それぞれの時代に、多様な生物が現れています。概略を紹介しましょう。
 カンブリア紀は、多様な生物が爆発的に現れる「カンブリア紀の大爆発」と呼ばれる時代です。クラゲや海綿、三葉虫、当時の海の最大の最強の捕食動物アノマノカリス、そして脊椎動物の祖先と考えられる脊索をもつピカイアが代表的な生き物です。
 オルドビス紀は、海の生物が繁栄を極めた時代です。ウミユリなどの棘皮動物、貝やイカ、オームガイなどの軟体動物、筆石類、三葉虫などの節足動物などが現れました。三葉虫は古生代に栄えた生物ですが、特にオルドビス紀に繁栄しました。そして原始的な植物や節足動物の一部は、陸上へと進出を始めました。
 オルドビス紀末には、顕生代で最初の大量絶滅がありました。その絶滅は顕生代でも2番目の大きなものでした。600種以上もの生物が、海にはいたのですが、その85%はいなくなりました。その原因は大陸の集積による浅海の減少と寒冷化による海水準の低下(300mほども下がった)たのめだと考えられています。詳しくは、次回紹介します。
 シルル紀の海では、オルドビス紀末の大絶滅から三葉虫やウミユリは十分復活することができませんでした。刺胞動物のサンゴの仲間が礁をつくり、筆石類とともに栄えました。そして節足動物のウミサソリや魚類、中でもアゴのない無顎魚類やヒレの前にトゲを持つ棘魚類が、繁栄しました。陸上では、まだ水辺でしか生きていけませんが、コケやシダ植物が増え、動物が進出するための条件が整ってきました。
 デボン紀の海では、「魚の時代」と呼ばれるほど魚が栄えました。無顎魚類や棘魚類の他に、鎧(よろい)のような硬い甲羅を持つ板皮魚類やサメの仲間の軟骨魚類が現れました。川や湖の淡水の環境まで、魚は進出しました。陸では、水辺にシダ植物の森林ができます。そしてそのような水辺の環境に、肉鰭類と呼ばれる肉質のヒレも持つ魚が生まれ、やがてヒレの中に骨ができ、4本の足をもつ四足動物へ進化しました。デボン紀には、足を持つ両生類が誕生して水辺を歩いてたことが、化石からわかります。シルル紀から続いてデボン紀も穏やかな気候が続き、浅い海や川でたまった赤い砂岩が見つかり、旧赤色砂岩と呼ばれています。
 石炭紀は、名前のとおり石炭がたくさん見つかる時代です。石炭は植物からできたものです。大量の石炭があるということは、大量の植物があったということです。湿地やその周辺には、シダ植物や裸子植物の数十mの高さの巨木が、大森林をつくっていたと考えられます。森林には、昆虫やクモの節足動物が大繁栄しました。両生類が繁栄していましたが、卵は水の中で産まなければなりませんでした。原始的な爬虫類、哺乳類の祖先の単弓類は、硬い殻を持つ卵を陸上に産めるようになりました。海では、サメの仲間やアンモナイトが繁栄して、フズリナが現れました。フズリナとは日本では紡錘虫とも呼ばれる有孔虫の一種です。石炭紀からペルム紀にかけて約1億年間、栄えました。石炭紀の気候は激しく変動しました。石炭紀前期は暖かく湿度が高い状態だったのですが、中期から後期にかけて寒冷化で温度が下がり、氷河ができて、乾燥した気候となりました。
 古生代最後のペルム紀は、多様な陸上生物が生まれた時代です。植物はシダ植物から裸子植物へと主役が変わりました。シダ植物は湿気の多い地域だけに限られ、乾燥や寒冷化に強い裸子植物が石炭紀に現れ、広く繁栄しました。動物は、爬虫類や単弓類が繁栄しました。3mを越す大きな動物もいました。海では、サンゴ礁が広がり、フズリナが栄えました。
 ペルム紀の最初には、大陸がひとつに集まり赤道をまたぎ南北に伸びるパンゲアと呼ばれる超大陸が形成されました。そのため、赤道地殻の大陸内陸は暑く乾燥しており、南部や北部では寒い地域がありました。
 ペルム紀の末、つまり古生代の終わりには、顕生代で最大の大絶滅がありました。それは、別の機会としましょう。

・北国に春はいつ・
このメールマガジンの発行日は
3月3日、ひな祭りです。
早いところでは、梅の便りも聞かれるのでしょう。
ところが、北海道は、まだ雪の降る日が続いています。
積雪は1mを越え、道脇に除雪された雪は、
人の丈をゆうに越えています。
道路へ出るときに見通しが悪く、
危なくて仕方がありません。
5年ぶりだといっていますが、
もっと多い年になるかもしれません。
どこの市町村も除雪費が底をつき、
補正予算での対応ですが、
札幌ではそれもすでになくなり、
再度予算を組むということです。
北国は行政だけでなく、家庭でも個人でも、
雪や寒さに対して多くのお金を使います。
しかも、地方のつらさでしょう、
失業率や就職率は低いままです。
このような経済状況を反映して、
北海道の大学への進学率は低くなっています。
いつになったら北国に春は来るのでしょう。

・体に気をつけて・
学校は、入試や卒業式であわただしくなっています。
学校や当事者である学生にとっては、
もっとも大切な時期です。
北海道ではインフルエンザが猛威を振るっています。
他の地域ではどうでしょうか。
我が家では予防接種をしていたおかげでしょうか、
今のところ次男だけがインフルエンザにやられました。
次男も今週は直って幼稚園に行きだしたら
今度は学級閉鎖になりました。
現在自宅で元気に遊んでいます。
長男のクラスも先週学級閉鎖で、
今週からやっと正常にもどったようです。
しかし、他の学年に飛び火しているようです。
受験生や卒業生は体に気をつけてください。