2001年3月29日木曜日

3_4 二酸化炭素はいずこに

 原始の地球の大気は、二酸化炭素が主要成分でした。それが、今や非常に少ない成分となっています。その少なくなったはずの二酸化炭素が、少し(0.01%ほど)増えただけで、温暖化という問題が生じています。では、大量にあった二酸化炭素が少なくなったプロセスをほんの少し再現すれば、二酸化炭素による温暖化は解決されるかもしれません。ここでは、二酸化炭素の行方を追ってみましょう。


 二酸化炭素は、ある程度海水に溶けます。二酸化炭素は、海水に溶けると、炭酸イオンとなります。炭酸イオンは、マイナス2価のイオンですので、プラス2価の陽イオンと結びつきます。化学的性質で、カルシウムやマグネシウムと結びつくと、沈殿します。炭酸カルシウムや炭酸マグネシウムは、固まると方解石やドロマイトという鉱物になります。ですから、陸地に持ち上げられると、固体として安定したものとなります。そしてなにより、気体のときの二酸化炭素と比べると、格段にコンパクトなサイズになっています。
 海水から二酸化炭素が減ると、大気中の二酸化炭素からまた溶け込んできます。カルシウムやマグネシウムは、海水にたくさん含まれている成分です。岩石にもたくさん含まれている成分で、海水に少なくなると、陸地の岩石から水に溶けて、川によって海に運ばれてきます。
 海に生物が誕生すると、炭酸塩を殻や骨に利用するものが現れてきました。サンゴなどがその例です。サンゴは小さい生き物ですが、たくさん集まると島を取り囲むほど巨大になります。現在では、オーストラリアのグレートバリアリーフのように、長さが1000kmを越すような規模のものまであります。サンゴ礁は、海の中にあると、やがては溶けてなくなりますが、地球の営みによって、陸地にあげられれば、石灰岩という岩石として長く保存されます。陸地には、グレートバリアリーフに匹敵するような規模の石灰岩地帯がいくつもありあます。「日本には石灰岩のない県はない」といわれるほど、小さくてもいたるところにあります。
 陸地に植物が、誕生すると、植物が今度は、有機物として二酸化炭素を固体にしてきました。あまった有機物は石炭として炭素の固体として、大地の中に保存されました。
 地球の大気の変遷は、地球と大気の相互作用の結果なのです。その相互作用は、生物の進化にともなって、時代毎に変化してきました。
 今も大気中の二酸化炭素は、生物によって固体化されています。しかし、そのような生物を人間は、材木や紙として利用しています。あるいは石炭や紙を燃やして、植物が固体化する以上に、二酸化炭素を生産しています。これが、将来どう変化するかは、人類の選択に委ねられているのかもしれません。

2_9 最上の生活様式とは

 どのような生物でも、現在自分が置かれた環境に適応します。そして、その環境で生活できるようになっています。その生活様式が最上のものかどうかわかりませんが、とにかく生きていけます。では、その環境に最上の生活様式とは、どんなものでしょうか。答えはあるのでしょうか。
 「2_7 炭素を中心に」で地球生命は、炭素を積極的に利用していることを示しました。地球の大気のなかでは、炭素は二酸化炭素の形で存在します。ですから、生命は二酸化炭素から炭素を取り出し、有機物にして利用します。その二酸化炭素から有機物にいたるプロセスの代表的なものが、光合成と呼ばれるものです。光合成は、植物が担っています。
 植物は、陸地の広い部分を覆うほど発展をしています。しかし、光合成は地球の環境で最適な生活様式なのでしょうか。二酸化炭素は、現在、地球の空気には0.03%しかない成分なのです。植物は、少ない資源を有効に利用しているのです。しかし、別の多くある資源を有効に利用したほうが、効率的で生きやすいはずです。
 動物や植物も「呼吸」には酸素を利用しています。酸素は、空気の主要成分です。ですから大量に簡単に手に入る資源を使っているわけです。動物は、植物がつくった大量の有機物を、ちゃっかり利用しています。動物が一番、環境に適応している、あるいは一番楽な生活様式をもっているのかもしれません。
 では、植物はなぜ、そのような少ない二酸化炭素という資源を苦労して利用しているのでしょうか。実は、量は少ないのですが、二酸化炭素は地球上のいたるところに、一定の量が存在します。常に新たな二酸化炭素が、呼吸や火事、火山などで供給されているため、ある日突然枯渇することはありません。二酸化炭素は、少ないけれども、安心して利用できる資源なのです。
 二酸化炭素から有機物にするにはエネルギーを必要とします。植物は、光合成ためのエネルギーも、無尽蔵にあるものを利用しています。そのため光合成は、エネルギーに関しても安心な方式なのです。そのエネルギーの供給源が太陽なのです。太陽は、枯渇することのないエネルギーです。
 植物は一見少ない資源を細々と利用しているいるようなのですが、実は地球では、非常に有効な生活様式なのです。ですから、地表にあんなにも植物が繁栄しているのです。

2001年3月22日木曜日

4_5 最古の海の証拠

 海というと、海水のあるところです。では、海と陸との違いは、海水があるかないかの違いだけなのでしょうか。もっと違う部分が海の底には隠されています。


 海と陸の違いは、水のあるなし以外にもあります。岩石が違います。陸をつくっている岩石は、花崗岩と呼ばれるものです。墓石や石材としてよく使われている御影石とも呼ばれるものです。一方、海底をつくっている岩石は、玄武岩(げんぶがん)と呼ばれるものです。
 花崗岩も玄武岩もマグマからできものです。しかし、玄武岩とは花崗岩とはおおいに違います。花崗岩は、マグマが深いところでゆっくり冷えて固まり、大きな結晶(鉱物)からできている白っぽい深成岩です。玄武岩は、マグマが海底に噴出して急速に冷えて固まり、小さい結晶や結晶しきれずにガラスのなって黒っぽい火山岩です。
 さらに、海と陸の違いは、海をつくる玄武岩が新しい(大部分2億年より若い)のに対し、陸の花崗岩は、新しいものがありますが、大部分は古いものが多くなっています。ですから古い海の岩石は、海にありません。陸のあります。かつて海底の岩石であったものが、大地の営みによって大陸に持ち上げられたものが時々あります。そのようなものを探せば、海の化石ともいえる海底の岩石が見つけることができます。
 グリーンランドのイスアには、地球で最古の海の岩石があります。最古の堆積岩も海の証拠ですが、最古の海洋地殻もイスアから見つかっています。イスアから見つかっている海洋地殻の代表的なものは、玄武岩の枕状溶岩です。枕状溶岩とは、玄武岩が海の中で噴出して、溶岩が枕を積み重ねたような構造になったものです。
 グリーンランドのイスアで見つかる海洋地殻は、現在の海洋地殻と同じだと考えられています。イスアの岩石類が形成された年代は、今から約38億年前です。つまり少なくとも38億年前から、今の海洋地殻をつくる地球の営みが起こり、そして現在までその営みは続いているのです。

4_4 堆積岩の話

 続いて、グリーンランドの話をします。グリーンランドのイスアというところにある世界最古の堆積岩を紹介します。


 まず、堆積岩とは、大陸の川が運んできた土砂が、海底にたまったものです。堆積岩があるということは、海があったという重要な証拠となります。
 イスアの堆積岩は約38億年前のものです。38億年前から現在まで、さまざまな時代の堆積岩は世界各地から見つかっています。このように、各時代の堆積岩が見つかるということは、地球の海は、38億年前から現在まで、ずっと絶えることなく存在しつづけたことを意味します。
 海がずっとあったということは、地球の表面の温度が、摂氏0度から100度までの間に保たれていたことを意味します。このような条件は、生命にとっては非常に望ましい環境でもあるわけです。
 海があれば、生命の誕生の場となります。また、そんな海が持続的に存在すれば、海で誕生した生命は、海で更なる進化を遂げることができます。進化の結果、やがて生命は海を離れるものも出てきて、私たちヒトも生まれることができました。
 グリーンランド、イスアの堆積岩は、礫岩と呼ばれるものが特徴的でした。イスアの礫岩は、玉石のような粒の粗いものが混じっていました。そして、ザクロ石(ガーネット)の数センチメートルの結晶がたくさんできているところもありました。非常に珍しいものです。さらに、イスアの堆積岩は、褶曲していました。
 最古の海の証拠であるイスアの堆積岩からは、生命の痕跡が発見されています。真偽のほどは議論中で、まだ結論は出ていませんが、私自身はかなり信憑性は高いと考えています。もし、この生命化石が本物だったら、地球では海ができてすぐ、生命は発生したことになります。生命は案外、簡単にできてしまうものかもしれない、ということが、この議論の背景にはあるのです。

4_3 白い大陸グリーンランド

 クリーンランドという地名を、多くの人が聞いたことがあると思います。しかし、どこにあるのか知っている人はどれくらいでしょうか。まして訪れたことがある人は、どれくらいるでしょうか。今回はグリーンランドのお話です。


 なぜ、突然、グリーンランドの話を始めたのは、実は2000年7月に、グリーンランドに2週間ほど行ってきました。その話をします。
 まず、グリーンランドの位置から説明します。グリーンランドは、大西洋の北の方にあります。グリーンランドの最南端は北緯60度で、最北端は北緯84度で、ほとんどが北極圏にある白い大陸です。
 グリーンランドが白いのは大陸の氷床があるからです。こんな白い大陸ですが、人間は定住しています。私たちの血縁のあるグリーンランディックと自らを呼ぶ、イヌイット(エスキモー)と同属の人達です。黄色人種で、私たちに似ており、どことなく親しみがあります。
 グリーンランドとはいえ、夏には植物が生え、暖かい日が続きます。Tシャツでも大丈夫です。ただし、太陽が出ていているときです。曇っていたり、晴れても風があると、上着が必要です。ですから、家から出る時、何を着るべきは悩むところです。
 こんなグリーンランドに、3年前から行きたいと思っていて、やっと念願がかなって、行きました。普通の海外旅行の2倍の費用がかかりました。そして、念願の目的地であるイスアというところには、約3時間ほどしかいれませんでした。本当は5時間ほどいる予定だったのですが、天候の都合で半分しか滞在できませんでした。しかし、満足しています。
 なぜ、たった3時間のために、高いお金を払ったのかといいますと、そこにしかない地層と岩石が見たかったのです。地質学的に非常に面白いところなのです。博物館には、グリーンランドのイスアの岩石があります。しかし、本物を見たい、そして、現地の臨場感を味わいたい思って行ったのです。
 私が恋こがれたのは、38億年前の堆積岩と海洋底を構成していた岩石があるからです。堆積岩も海洋底の岩石も、海があった証拠となるものです。そして、イスアの堆積岩と海洋底の岩石が地球で最古のものなのです。地球最古の海の記憶を肌で感じたかったのです。それが、遥かグリーンランドへの旅の目的だったのです。

2001年3月15日木曜日

2_8 火星の生命

 2月27日付けのアメリカ科学アカデミーの機関紙に2つの論文が載りました。その論文は、火星から飛んできた隕石から生物の痕跡を発見したという報告でした。火星生命化石に関するニュースは、これが2度目です。本当に火星に生命がいたのでしょうか。科学界では、このニュースをどのように捉えているのでしょうか。
 1度目のニュースは、1996年の夏でした。アメリカの科学雑誌サイエンスに、火星起源の隕石から化石を発見したという報告が載りました。その雑誌が出る直前に、NASAの長官が事前にプレスへ発表しました。その発表の数日前から、インターネットのメイリング・リストでは、「何かしらないけど大発見があったらしい」という噂が流れていたのですが、NASAの長官の記事が、写真付きで新聞に出たときは、私も少なからず驚きました。すぐさまサイエンスのホームページにアクセスして、その論文を取り寄せました。
 1996年の論文が出てから1年間くらいは、さまざまな学会で、火星生命の真偽のほどが議論され、特集号もたくさん出版されました。
 今回の化石の発見も前回の同じ隕石のALH84001からの発見でした。前回の論文では、炭酸塩の形態や、生物特有の化学組成を持っていることが、その根拠となっていました。今回は、磁鉄鉱(Fe3O4)という鉱物に関する報告でした。一つは、形態が地球のバクテリアだけがつくる磁鉄鉱にそっくりであるという報告でした。もう一つは、有機体でしかできない磁鉄鉱の結晶の鎖の発見でした。
 前回も今回も、火星生物の証拠となった炭酸塩や磁鉄鉱は、生物でなくても無機的にできる可能性がある、という反論が強くあります。今のところまだ、断定的結論は出ていませんが、否定的見解が多いようです。しかし、どの研究者も、強行に否定しません。それは、完全に否定してしまうと、火星探査のための予算が打ち切られることを懸念しての配慮かもしれません。学術雑誌の特集号でも、否定的ですが、その真偽を決定するためには、更なる火星における探査や調査が必要としています。
 果たして、火星に生物はいたのでしょうか、あるいは今の火星のどこかにいるのでしょうか。火星人の夢は敗れたのですが、私たち地球人は、宇宙で孤独な存在ではないのかもしれません。そんな可能性を、このニュースは伝えているのです。

2_7 炭素を中心に

 私たち地球の生命は、さまざまなものがいます。でもその化学的な性質は、すべてに共通した性質があります。つまり炭素という元素を中心とした生物なのです。では、なぜ炭素なのでしょうか。炭素以外の元素の生物はありえないのでしょうか。
 私たち地球の全生命は、有機物からできてます。有機物とは、炭素を中心とした化合物です。炭素は、地球の原料物質として比較的多い元素でした。炭素は、元素として4本の腕を持ち、他のイオンと結合することができます。そして、6個集まって環のかたちになり、いくつもの環が連結することもできます。ですから、さまざなま化合物をつくるのに都合のよい元素といえます。このように炭素を中心として生物を、炭素型生物といいます。
 では炭素だけが生命に適した元素でしょうか。4本の腕をもってイオンとして結びつくことができる元素であれば、周期律表をみればいいわけです。炭素は4本の腕を持つ元素としては、周期律表では一番上に位置します。炭素(C)と同じ列(IVB族)としては、すぐ下に珪素(Si)その下にはゲルマニウム(Ge)、スズ(Sn)、鉛(Pb)があります。ゲルマニウムやスズ、鉛では地球では存在度が少なすぎて、生命の材料としては適しません。それと、周期が下になるほど重くなります。珪素は地球にたくさんある元素で、炭素より多くなります。
 ではなぜ、珪素を中心とした生命が誕生しなかったのでしょうか。それは、反応する温度によると考えられます。炭素の化合物の多くは、0から100℃で合成されます。つまり、地球の表層の温度の範囲で、さまざまな化合物をつくることができるわけす。ところが、珪素の化合物は100℃以下の低温では、ほとんど化合物が形成されません。多くの鉱物は、数百度から千数百℃の高温で形成されます。ですから、地表では、マグマが活動するような地域やマントル付近の高温の部分でしか珪酸塩化合物ができません。ですから、もし生命がいたとしても、われわれには観察できないかもしれません。それに、火山地帯にいたとしても、火山活動が終われば死に絶えてしまい岩石となります。さらに、その代謝の仕組みや、生活形態があまりに異質すぎて私たち炭素型生物には認知できないかもしれません。
 地球の初期のマグマオーシャンには、珪素型生命が活発に活動していたかもしれません。どうすればそのような生物を私たちは、知ることができるのでしょうか。今のところ知るすべはありません。想像するしかありません。

2_6 酸素を嫌う生き物たち

 生命といえば、生きているもののことです。では、「生きているということ」とは、いくつもの答えがあるでしょうが、答えの一つに「呼吸をする」が出てくると思います。そして呼吸とは、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すと考えてしまいます。しかし、呼吸とは、そのようなものだけなのでしょうか。実は、呼吸にはいくつかの方法があり、酸素の呼吸は、地球の歴史では後半の方法なのです。酸素の嫌う生き物もいるのです。
 生命といえば、私たちはヒトを規準にして考えます。しかし、ヒトは地球生命の代表としてふさわしいでしょうか。例えば酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す。このような呼吸は、代謝と呼ばれます。酸素呼吸は、動物や植物では共通していますが、地球生命を代表する代謝の仕方でしょうか。
 生物のエネルギー供給源は、もとをたどれば太陽にたどりつきます。太陽エネルギーの利用法で一番有名なのは、光を直接エネルギー源として利用する光合成です。光合成は、二酸化炭素を取りこみ、最終的には酸素を放出する代謝の方法です。光合成は、太陽の光の届く範囲でおこなわれます。そのような環境は、現在の地球では酸素が多い環境となります。酸素の多い環境での生活をする生物を、好気性生物といいます。
 これに対して酸化還元の化学反応を介してエネルギーを獲得する方法は、化学合成といいます。化学合成には、有機物を利用する有機化学合成と、硫黄やアンモニア、水素などの無機物を利用する無機化学合成があります。化学合成は、太陽のエネルギーを使わずに代謝する方法です。太陽エネルギーの到達しない環境には、酸素のないところが多くあります。このような酸素のない環境で生きる生物は、嫌気性生物といいます。
 地球の初期には酸素は存在しなかったので、最初は酸素を利用しない生物がいたと考えられます。そして移ろいやすい地表付近の環境より、安定した深海底などのほうが生物の誕生、発展の場としてふさわしいと考えらています。そのような環境は、過酷なようですが好熱性の古細菌、好酸性の古細菌にとっては最高の生息環境となったのです。生命の誕生から、地球の大気に酸素が多くなる約20億年前まで、地球は嫌気性生物の惑星だったのです。
 現在も、土壌中と海洋に生息する微生物の数は、地球上の全生物の過半数になりますが、その多くは無機化学反応によってエネルギーを得ている嫌気性生物なのです。
 ですから、「生き物は酸素を呼吸する」という私たちの常識は、実は一側面しか見ていないことになります。酸素が生命の星の証といいましたが、二酸化炭素と窒素の初期的な惑星大気でも生物は誕生し充分繁殖できたのです。

2_5 小さい生命たち

 細菌は非常に小さい生物で、日ごろのほとんど目にしない、あるいは気にしてないものです。あえて細菌といえば、ヒトにとって有害なものと考えて、なんでもかんでも殺菌しなければならないように思ってしまいます。細菌は、私たちヒトとはまったく無関係で、有害なものなでしょうか。実は、私たちと共通の祖先をもつのです。このようなことが、なぜわかったのでしょうか。見ていきましょう。
 地球を宇宙を見たとき、何色に見えるでしょか。青と白、茶色、緑が目立つ色です。このうち緑は、生命が出している色です。つまり、植物です。宇宙から見て、存在が確認できるほど多くの生物は、植物なのです。緑は、一つの種類ではありませんが、植物全体として、地球を広く覆っているのです。植物は、地球を制覇しているように見えるのですが、実は細菌や古細菌と呼ばれる生き物も、もう一つの地球を制覇していました。それは過去の地球です。そして、生命の進化において重要な役割を果たしました。
 私たちヒトは、真核生物に分類されます。真核生物とは、核を持っている生物です。核(かく)とは、一つ一つの細胞の中でDNAが収められている膜です。核を持たない生物は、原核生物と呼ばれ、DNAは細胞の中に散らばっています。細菌(正確には真正細菌)や古細菌は原核生物でです。真核生物と原核生物を比べると、原核生物を1としたとき、真核生物の細胞の大きさは100倍以上あり、DNAも10から1000倍以上あります。
 細菌と古細菌と真核生物は、それぞれ別の分類体系になるほどの違いあります。その分類方法は、塩基配列を調べておこなわれます。リボソームのRNA分子(rRNA)の全塩基配列を用いておこなわれます。リボソームは、すべての生物が細胞内にもっているたんぱく質を合成する器官です。塩基配列の変化は時間とともにある確率的によって起こっているという仮定をもとに、遺伝距離法という研究法があります。遺伝距離法によって、各生物のrRNAの変化が、今からどれくらい前に起こったかを計算することもできます。絶対的な時間に関する精度はまだ不充分ですが、分かれた順番や、その相対的な時間においては、比較的正確に求めることができます。
 その結果、一番最初、生命は細菌と古細菌に分かれます。その後、古細菌と細菌の違いよりもずっと隔たったところで真核生物が分かれます。真核生物は、古細菌に近いほうに位置しています。つまり私たちは、古細菌と共通の祖先を持っているということです。さらに遡ると、細菌類とも共通のすべての生命の祖先にたどり着きます。そのような祖先はまだ見つかっていません。すべての生命の共通の祖先として、コモノートと呼ばれています。

2_4 多数決でいえば

 ヒトは万物の長(ちょう)であるといわれます。確かに、ヒトには他の生物種にはみられない特徴がありそうです。しかし、生命全体から見れば、数は、ヒトが一番ではありません。霊長類、哺乳類、脊椎動物でも主流を占めるわけではありません。では、生命の主流派は、いったい誰なんでしょうか。今回は、多数決で考えてみましょう。
 私たちは、昔から生命を分類してきました。細かく一つ一つ分けていく分類と、一つ一つを体系立てて区分する方法をとってきました。その方法は、現在も進行中です。全生物種のうち、記載されているのは、全体の1割にも満たないかもしれないのです。まして、過去の生物も含めれば、私たちが知っている生物の全体像は、ほんの一部なのかもしれません。また、生物の体系のまだ、確定されていません。
 かつて生命は、動物か植物かの二界に区分されていました。その分類体系は、1758年にリンネが「自然の体系」でまとめました。その後、1874年にヘッケルは、動物と植物の2界以外に、バクテリアを含まない単細胞生物を区分して、3界としました。20世紀初頭には、バクテリアは新しい界(モネラ界)として区分され、4界となりました。1959年にホイタッカーが、真菌を区分して5界としました。しかし、モネラ界は、他の4つの界に比べて大きく違うことがわかっていました。
 近年、DNAやRNAなどの塩基配列を調べて、生物の近縁関係を調べる方法が普及してきました。その方法によれば、かなり客観的に生物種の関係を調べることができます。その方法によって1977年代にウースは、古細菌を真正細菌と区分し、界より上の生物区分体系のドメイン(domain)という考えを導入し、真核生物(ユーカリア)、古細菌(アーキア)、真正細菌(バクテリア)の3つドメインを提唱しました。現在もこの考えについては論争中です。
 細菌も古細菌も、核を持たない生物です。大きさは、0.5から1.5μm、長さは1から数μmです。このような小さな生物ですが、その繁殖力は旺盛です。1gの土の中に、数千から数百万の細菌がいます。ですから、数という多数決でいえば、細菌や古細菌が一番ではないでしょうか。また、生活圏は広く、深海底の熱水墳気口から、地下数千メートルの地中、90℃以上の熱水中、pH1のような酸性の温泉水中など、ありとあらゆるところで見つかります。地球のどのような過酷な環境でも生活可能です。
 私たちが日ごろ目にする生き物たち、それは、生物のほんの一側面なのです。目に見えないから少数派ではないのです。目に見えなくても多数派もいるのです。

2001年3月8日木曜日

5_8 鼻が利くということは

 科学者は「鼻が利く」必要があります。では、科学において「鼻が利く」というのは、どういう意味を持つのでしょうか。科学とは、客観的で誰がおこなっても同じ結果が出るはずではなかったでしょうか。今回は、科学と「鼻」について考えましょう。

 No.015の「5_7 科学と常識と」で紹介したように、科学も人間がおこなう営みの一つです。ですから、少し特殊かもしれませんが社会の一つの職種や階層として、他の職種や階層と同じように、さまざまな思惑や、人それぞれの流儀、経験、縁起など、人間臭い面があります。それに派生して、業績争いや、先陣争い、研究費の取り合い、ねたみ、恨みなども、どこの世界でもある軋轢もあります。
 「鼻が利く」科学者という話をしましたが、科学の世界にそのような職人的な部分があるのでしょうか。実はあるのです。最古の鉱物の発見の話をしました。しかし、最古の鉱物を発見した科学者は、偶然最古の鉱物を発見したのでしょうか、あるいは闇雲に最古の鉱物を探してやっと発見したのでしょうか。いずれでもありません。最古の鉱物を発見した科学者は、いくつかの場面で、経験や勘、つまり「鼻が利かせ」ているはずです。
 実際に当事者でありませんから、実情はわかりません。しかし、著者がこのような研究をした経験から、一般的な岩石の研究方法で考えていきます。
 まず、最古の鉱物のありそうな地域を事前に調べます。そして必要なら、その研究者と連絡をとり、共同研究をします。次に、野外調査をして、一番古いと思われる岩石資料を採集します。その資料の中からジルコンを分離して一番古そうなもの分析します。このようなプロセスを踏みながら、最古の鉱物に、如何に、無駄なく、楽に、早くたどり着けるかが、「鼻が利く」科学者の真価となります。
 研究の各場面で、研究者は「鼻を利かさ」なければなりません。
 調査する場所選びで、まず「鼻を利かし」ます。以前最古の鉱物が見つかった付近が、一番手っ取り早い候補地となります。実際、同じ地域の再調査とまったく新しい調査地で2つの研究がおこなわれました。
 次に、その選ん地域の野外調査でも、「鼻を利かさ」なければなりません。狙うのは、その付近で、一番下にある地層を探します。地層は上に新しい地層が重なりますので、下ほど古い地層となります。古い時代の地層は、水平ではなく、曲がったり(褶曲(しゅうきょく))、切れたり(断層)していることがあります。一番下の地層見つけるのも経験や勘が必要になります。つまり「鼻を利かさ」なければなりません。
 同じ地層でもジルコンが含まれていそうな部分を選んで、岩石を標本として採集します。年代測定は、ジルコンを用います。ですから、ジルコンの入ってない資料はいくら持っても年代測定はできません。岩石資料は、可能性のあるところすべてで多数取ります。どんなに「鼻の利く」科学者でも、一発勝負はしません。もてる限り、処理できる限りの資料を持ち帰ります。
 もって帰った岩石資料からジルコンを分離する資料を決めます。持って帰った岩石をすべて岩石薄片とし、顕微鏡で岩石を観察します。そして、ジルコンが入っているかどうか。そして、そのジルコンが、最古のものとなるかを「鼻の利かせ」て見分けます。
 いくつかの岩石資料が決まったら、ジルコンを分離します。予想通りジルコンが出てくれば、その中から年代測定に適しているかを判断して、「鼻の利かせ」て古そうなジルコンを選びます。
 目的とする最古の鉱物出なければ、第2の候補地に移るか、野外調査をやり直します。そのようはプロセスの結果、念願の最古の鉱物が、今回は2ヶ所から別の研究者によって発見されました。
 研究、特に発見的研究には、「鼻を利かさ」なければなりません。「鼻の利き」具合が、成功への道のりへの長さともなります。また、うまくいかないときの引き際も、「鼻の利かさ」なければなりません。そうしないと、ないものを永遠と探す羽目になります。研究は、結構、人間臭いものなのです。

5_7 科学と常識と

 科学では、客観的で誰がおこなっても同じ結果が出るはずです。科学は、主観の入らない客観的な学問の典型だと考えられています。多分、今でも多くの人はそう考えていると思います。科学者の多くもそう考えています。でも本当にそうでしょうか。少し哲学的で長くなりますが考えていましょう。

 私たちは、基本的には常識的な判断に基づいて日常生活をしています。そのため、常識的な判断によって科学もおこなわれています。このような常識的科学観の基盤を築いたのは、デカルトとベーコンであり、カントによって集約されます。
 デカルトは、「方法序説」の中で合理主義に基づく機械的な自然観を示しました。理性により一つの原理から個々の事実を証明するという演繹法を確立しました。デカルトから始まる合理主義は、パスカル、スピノザ、ライプニッツへと進んでいきました。
 ベーコンは、先入観や偏見を持たずに、自然をよく観察する経験主義を唱えた。いろいろな事実から一つの原理を導く帰納法という手法を確立しました。ベーコンから始まる経験主義は、ホッブス、ロック、バークリー、ヒュームへと受け継がれていきました。
 このような経験主義の流れの中に、ニュートンもいました。ニュートンは「われ仮説を作らず」と語り、ベーコン的な精神を表明しました。
 ニュートンの科学に強い影響を受けたカントは、自然科学では扱えない形而上学の領域を確保した。従来の経験主義と合理主義と批判しつつ、発展させ統一した。カントから始まるドイツ観念論は、フィヒテ、シェリングそしてヘーゲルによって集大成されました。
 このような科学や哲学的な潮流から、原因を追求すれば法則や理論が発見できるという要素還元主義と、法則や理論によってこの世は成り立っているという機械論的世界観が主流となりました。常識的科学観は、要素還元主義を基本的な方法論とした機械的世界観でした。そして、1950年までに、常識的科学観に基づく科学哲学が構築されました。
 しかし、このような常識的科学観に大きな変化が現れました。技術の進歩によって、自然に関するデータが爆発的に増加しました。それによって、要素還元主義的手法だけでは、すべては解明することができない現象が各分野で明らかになってきました。例えば、量子力学や宇宙論、生命科学などの分野で顕著に表れました。確実さには限界があることを量子力学は示しました。カオスやフラクタルなどの複雑系として自然とは複雑で混沌とした面があることが「科学的」にわかってきました。遺伝子の探求だけで生命の全体像が明らかにならないこともわかってきました。このような常識的科学観による科学の方法論に関する行き詰まりから、新しい科学哲学として、ゲーデルの完全性定理と不完全性定理、ポパーの批判的合理主義、クーンのパラダイム説などが提唱されました。
 ゲーデルの完全性定理は、人間の思考を形式化、体系化した記号論理学が完全であることを証明し、人間の論理能力に上限をつけました。不完全性定理は、自然数を用いる数学の公理系が不完全であることを示しました。自己の無矛盾性をその体系内で証明することができないのです。一般化すれば、体系をいくら論理的に整えても、この体系を否定も証明もできないことが多いことを意味します。新しい科学観では、意識的かあるいは無意識にかはわかりませんが、ゲーデルの不完全性定理が組み込まれています。
 常識的科学の方法は帰納的手法ですが、ポパーはこのプロセスを逆転させ、演繹的手法を提唱しました。ポパーの方法論的反証主義による理論の特徴は、理論を提唱した科学者自身が、反証を試みる点です。さらにポパーは、弁証法を批判して問題解決の新しい図式(トライ・エンド・エラー)を示しました。
 クーンは、科学が累積的に発展・進歩し続けるのではなく、断続的に転換すると考えました。このような科学革命をおこなうような規範的な理論を、パラダイムと呼びました。ある日突然、今まで常識だったことが、新しいパラダイムの出現で、すべて間違いとなってしまうのです。パラダイムは、その後、思想の枠組みという意味で一般に拡大解釈され、大流行しました。パラダイムの変換期を科学革命と呼び、最近ではパラダイム・シフトと呼ばれることもあります。
 以上述べたように、常識的科学観である要素還元主義と機械論的世界観は成功し、現在もその手法は有効です。しかし、それが唯一の科学のやり方ではないのです。科学には一つの方法や考え方があるのでなく、方法も考え方も時代や社会に合わせて変化しています。その変化は、昨日まで常識とされていたことが、今日には間違いだということがおこるのです。つまり、科学にも、主観が入り、再現性がなく、不確実なことがあるということです。

5_6 宇宙の年齢

 科学雑誌ネイチャー(Nature)の2月8日号に、放射性核種を用いた方法で、より正確な宇宙の年齢が求められたというニュースが出ていました。その年齢は、125億年でした。宇宙の年齢決定の裏には、どのような原理が隠されているのでしょうか。見ていきましょう。

 宇宙の年齢は、いくつかの方法で見積もられています。直接求める方法と間接的に求める方法があります。直接求める方法はハッブル定数を正確に決めるのがその一つです。間接的に求める方法として、一番古いものを探すという方法があります。宇宙で一番古いものより、宇宙は古いはずです。ですから、最古の物質から宇宙の年齢の最小値が求まるわけです。
 今回調べられたのは、私たちの銀河にある古い星です。私たちの太陽系のある銀河は、渦巻き銀河と呼ばれるタイプです。渦巻き銀河は、空飛ぶ円盤(UFO)のような形をしており、中心の球状の部分と回りのCDのような円盤状の部分とからできています。球状のところをハロー、円盤状の部分をディスクといいます。銀河の模様やつくりはすべて星(恒星)からできています。ハローには古い星が、ディスクには新しい星があることが知られています。
 今回調べられたのは、ハローにある星で、「くじら座」の11.7等で金属の欠乏しているCS31082-001と呼ばれる星でした。CS31082-001は、鉄が私たちの太陽の800分の1しかない、種族IIと呼ばれる星です。鉄がないということは、この星が、宇宙にまだ鉄ができてないほど初期につくられた非常に古い星であるということを示しています。
 CS31082-001に、今まで見つからなかった238U(ウラニウム)のスペクトルが、見つかりました。スペクトルとは、ある波長の電磁波(光や電波、X線もその一部)のことで、今回は238Uだけが放出する電磁波の波長(385.96ナノメートル)が発見されました。太陽系以外でUが検出されたのは、これが最初でした。
 今まで、半減期(もとあった放射性核種の半分になる時間)の長い232Th(半減期140.5億年)は検出されており、年代測定に利用されてきました。しかし、今回はもっと半減期の短い(44.68億年)238Uが検出されたので、100億年前後の年代を精度良く決めることができます。
 UやThだけの測定値では、測定精度が充分でなかったり、さまざなま条件を仮定しないと、年代を精度良く求めることができません。そこで、いくつかの元素を組み合わせることで、その相対存在比から、より精度良い年代決定が可能になってきます。核種の比を用いると、いろいろな仮定の値を使わなくて済みます(数式上、両元素の仮定の値を消すことができる)。ですから、年代測定では、核種の比が良く用いられます。今までは、Thと安定核種のOs(オスミウム)やIr(イリジウム)の組み合わせだけから求められたいた年代は、156億年±46億年でした。
 Uが検出されるたことによって、いくつもの核種の比を組み合わせて年代を決めることがきるようになりました。その結果、CS31082-001の年齢は、125億年±33億年と決定されました。
 今後、元素合成のモデルや実験データの精度が改善されれば、上記の誤差範囲はもっと小さくなると考えられています。今まで、ハッブル定数の値が話題によくなりましたが、今回の値も、今までの値に近いものとなりました。さまざまな方法で求められた年齢が一致してくれば、宇宙の年齢はより確かなものとなるはずです。

3_3 空気のようなもの

 存在を意識しないことを「空気のような」といういい方をします。しかし、空気はそんなに無意味なものでしょうか。実は、私たちが日ごろ吸っている空気には、地球の生命との長い時間にわたる歴史が秘められています。今回は空気に秘められた、歴史を見ていきましょう。


 空気の存在は、古くから信じられていました。紀元前500年頃、ギリシアのアナクシメネスは、「万物の根源は空気である」といっています。また、アリストテレスは、万物は水・空気・火・土の四元素から成ると考えていました。
 私たちが日ごろ吸っているいる空気は、地球の大気に対する名称です。地球の両隣の惑星、金星や火星にも大気がありますが、空気とはいいません。それは、金星や火星の大気と、地球の大気は、成分が違うので、特別に空気と呼ばれます。
 地球の空気と、金星と火星の大気を比べてみましょう。
 地球の空気の成分は、窒素(N2)が重量比で78.1%(体積比で75.5%)、酸素(O2)が20.9%(23.0%)で主要な成分となっています。次いで、アルゴン(Ar)が0.93%(1.29%)、二酸化炭素(CO2)が0.03%(0.04%)となり、以下ヘリウム(He)0.0005%(0.00007%)、クリプトン(Kr)0.0001%(0.0003%)、キセノン(Xe)0.000009%(0.00004%)となります。
 金星の大気は、酸素はほとんどなく、二酸化炭素が96.4%、窒素が3.4%を主成分としています。残りはほとんどがアルゴンです。
 火星の大気は、二酸化炭素が95.3%が主成分で、次いで、窒素が2.7%、アルゴン1.6%、酸素0.3%などからなります。火星には白い極冠がありますが、その中心部は水(H2O)の氷であり、季節により変動する周辺部は二酸化炭素が氷結してドライアイスになったものだと考えられています。
 火星と金星の大気は、似ています。しかし、地球の大気は、酸素を主成分の一つとして含み、二酸化炭素が0.03%しか含みません。一方、火星や金星の大気は二酸化炭素が主成分となる、酸素ははほとんど含まれません。この違いはどうして生じたのでしょうか。
 地球の大気も、金星や火星と同じように、もととも二酸化炭素主体の大気だった考えられます。同じ大気からのスタートです。それが、地球には海があったことによって、大気に大きな違いを生じたと考えられています。
 大気中の二酸化炭素は、水に溶けて炭酸(H2CO3)となり、水中にあったカルシウム(Ca)などのイオンと結びついて、固体として沈殿します。このようにして大気中の二酸化炭素は、固体として地球の地殻に保存されます。
 さらに、海には生命が誕生し、光合成をする生物によって、酸素が放出されます。生命による酸素合成が長い時間に渡ったので、大量の酸素が大気に蓄えられたのです。
 このように地球の空気には、地球と生命の歴史が織り込まれています。実はもっと、複雑で面白いメカニズムがあることがわかってきたのですが、それは稿を改めて紹介しましょう。

2001年3月1日木曜日

2_3 「生命とは」再び

 「生命とは」を再び問います。私たちヒトは、動物、生命、地球という枠の中で、どのような位置にあるのでしょうか。それは、中心に位置するものでは決してありません。ヒトはどこに位置するのか、考えてみましょう。
 「2_2 生命とは」で、生命の条件を、個体、代謝、繁殖、進化ということで定義しました。その定義をわかりやすくするために、個体を「自分をもっていること」、代謝を「食べてウンチをすること」、繁殖を「子供をつくること」、そして進化を「子供が親とは少し違っていること」といういい方をしました。しかし、この言い換えが、動物を視野にしたものでした。動物以外の生き物には、この言い換えは通用しません。例えば「食べてウンチをすること」は、植物ではうまくいうことができず「光合成をすること」といっても、代謝をうまく伝えることはできません。
 私たちヒトは、動物です。ですから、もう一つの分類体系の植物のことを忘れがちです。植物は、動物とはかなり違った生き方をしています。動物からすると、植物が生きていることさえ気づかないあるいは忘れてしまうほど、その生き方は違います。生物の一番大きな分類区分である「界(かい)」という分類になるほど、動物と植物(動物界と植物界という)は違っています。「界」には、動物、植物の他に、菌、細菌、古細菌という区分があります。
 進化過程においても、現在においても、生命全体という視点でみても、動物や植物は、主流派ではありません。日ごろ目にしている目で見えるような動物や植物も、主流派ではなく、目に見えないほど小さいものが、数でも、種類でも、量でも勝っています。そして、そのような小さいものから、進化して、より大きなより複雑なものへと進化してきました。
 分類体系では、動物と植物以上に、細菌や古細菌の方が、多様で、歴史も古くなっています。特に古細菌は、原始的で古いタイプであるとされています。地球創世時代に生まれ、その後ずっと創世記の環境で、いまだに原始的な生活をおくっています。しかし、その種類は非常に多様であることが、近年わかってきました。
 動物の植物の違いよりももっと大きな違いが、細菌や古細菌にはあります。細菌や古細菌の中の分類には、どうも「界」以上の違いがあるので、「ドメイン」という「界」より上位の分類体系が導入されています。つまり、細菌や古細菌の多様性は、動物や植物の多様性をはるかに上回るものであるということです。
 私たちは、地球という構成物の中では、生命というグループに属し、生命の中でも、動物に属し、多くの動物の中のヒトという種に属します。しかし、その生命や動物、ヒトの全体像すら、私たちは知りません。いつ、どのように生命や動物、ヒトが誕生したのか、生命や動物、ヒトがどのような履歴をたどってきたのか、そして現在どのような生命がいて、どのような関係を持っているのか、充分解明できていません。私たちには、知らないことが、まだまだいっぱいあります。どれだけ、科学が進んでも、まだまだわからないことは出ています。そして、私たちヒトは、ヒトであるため、ヒトからの発想をしがちです。しかし、私たちヒトは、動物のほんの片隅の、生命のもっと片隅の、地球においてはちっぽけな構成部のひとつに過ぎないのです。そのような視点を忘れることなく地球を見ていく必要はないでしょうか。
 この内容に関しては、スティーヴン・ジェイ・グールド の「フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説」(早川書房 刊; ISBN: 4152081783 )に詳しく書かれています。参考にしてください。