2005年6月30日木曜日

2_37 後世に残るということ:進化3

 世に残る成果には、いろいろあります。天才的なひらめき、高度な数学的処理、大きな装置を使っての大規模な実験や観測、複雑なプログラムによるシミュレーション、どれも能力のある人がなせるものです。しかし、長期間継続した研究によって残る成果を上げる人もいます。このような研究は、能力以上に継続する強い意志が必要です。そんな研究者の仕事を紹介しましょう。

 絶滅の周期についての研究を前回紹介しましたが、そこで用いられたデータは、ある一人の研究者によって構築されたものです。その研究者の名は、セプコスキー(J. John Sepkoski Jr.)です。
 セプコスキーは、1948年7月26日にマイアミで生まれました。ノートルダム大学で学士、ハーバード大学で学位を取得しました。サウスダコタのブラックヒルズで野外調査による古生物学の研究をおこないました。最初はロチェスター大学で教鞭をとり、後にはシカゴ大学に移りました。シカゴの自然史フィールド博物館の研究員もかねていました。
 セプコスキーが、ハーバード大学在学しているとき、古生物学者のグールドに師事していました。その時に、このデータベースをつくり始めました。彼のデータベースは、シンプルでした。彼は古生代以降の顕生代の生物で、海洋の動物化石の属という分類の単位で、報告されているすべての化石のデータを集めました。彼が集めたデータは、属の数で3万7000以上になりました。
 セプコスキーは、なぜ属という単位を用いたのでしょうか。生物の分類のいちばん小さな単位が種というものです。種を用いた方がよかったのではないでしょうか。種の上の分類が、属になります。化石の場合、種のレベルの分類の考え方は、研究者によっても違ってくるし、研究の進展により、種のレベルでは、変更がよく起こるります。属のレベルだとそのような激しい変更は少なくなります。ですから、属のレベルでデータベースをつくりました。
 生物の分類名のつけ方は、かつては、属は中の種が持つ共通の特徴を書き、種は個別の特徴をすべて書くようにしていました。ですから、やたら長い分離名称となっていました。現在では、属名と特徴的な1語で種を表す方法がとられています。これは、18世紀にリンネが用いて普及した、二命名法と呼ばれているものです。古生物もこの命名法にならっています。
 また、セプコスキーが海の動物化石を用いたのは、陸上生物は、古生代の初めにはいませんでしたし、生物が土砂の中に埋もれて化石になるので、陸上生物では、生きていたものがすべて化石になる率は少なくなります。化石としてよく保存されているのは、海洋生物です。特にプランクトンのような微生物は、チャートなどの海洋底堆積物をつくることから、大量に地層の中から発見できます。
 セプコスキーのデータベースは、大量の論文を長年にわたって集め続けました。属の中の種がどれかが見るつかれば、その属の出現時期として、属のどれか種が最後に見つかった時代を、その属の絶滅として記録しました。これだけを淡々と継続的に続けたのです。
 単調で単純な仕事にみえますが、実際にやろうとすると、網羅的に、そして新しい論文を次々と集めてその内容を検討していくという、膨大で永続的な作業を続けなければなりません。彼は、20数年間にわたってこのデータ収集を続けたのです。その継続するという志には、頭が下がります。そして見習うべき志だと思いました。
 セプコスキーのこのデータ収集は、1999年5月1日に終わりました。新しい属ができなくなったのではなく、彼が死んでしまったからでした。50歳という若さでした。高血圧による心不全で、自宅で亡くなりました。
 しかし、セプコスキーのデータベースは、今も、生き続けて活用されています。2002年にはアメリカ古生物学雑誌で「化石海洋動物属概要」という563ページの大部の本が、彼の著書として出版されました。そこには、CD-ROMで彼のデータベースがついています。セプコスキーという研究者の存在はなくなりましたが、彼のデータベースという業績は、今も多くの研究者が活用しています。それが、今回のネイチャーの論文へとつながっているのです。

・師弟関係・
私は、論文や彼のデータを用いた図は見ていたはずなのですが、
セプコスキーという彼の名前を知ったのは、
ネイチャーに掲載されたロードとミュラーの論文から、
いろいろ調べていく過程でした。
一方、彼が師事したグールドは、私が尊敬する古生物学者でした。
そのグールドのとろこでセプコスキーは博士論文の研究をしていたのです。
そのグールドも2002年に60歳で逝きました。
そして、グールドと7つ違いの弟子が師より先に逝ったのです。
師はそのときどんな思いだったのでしょうか。
私は、恩師をすでに2名亡くしました。
恩師には報いることはできなかったのですが、
少なくとも恩師より今のところ長生きしています。
それだけがとりあえずの恩返しとなっています。
立派な研究をして恩師を喜ばせることは、
いつのことになるでしょうか。
そもそも私にできるのでしょうか。
不安ですが、自分のペースで怠けることなく励むしかありません。

・北海道の夏・
北海道も夏らしくなってきました。
日中は暑い日が続きます。
私の大学建物は南北にのびる建物が多く、
中央に南北に伸びる廊下があり、
東西に教室や研究室があります。
私の研究室は、5階建ての5階の西向きにあります。
窓が西向きにあり、午後からは西日が差します。
窓もドアも開ける風が通るのですが、
快晴の午後は耐えられない暑さになってきました。
今年は今のところ雨も少なく、暑い夏になりそうです。
北海道の建物は寒さ対策をしているのですが、
暑さ対策は窓を開けるだけです。
朝夕は涼しいので、窓を閉めなければならないのですが、
午後の暑さはたまりません。
でも、これも北海道の自然なのです。
甘んじましょう。

2005年6月23日木曜日

2_36 絶滅の周期:進化2

 少し前ですが、ネイチャーという雑誌に生物の絶滅に関して面白い論文がありました。絶滅が周期的に起きているという報告です。今回は、絶滅の周期性について紹介しましょう。

 前回のエッセイで、生物に進化が起こっていることは確かだが、進化の仕組みや、進化がなぜ起こるのかは、よくわかっていないという話をしました。今回は、進化ではなく、進化とも密接に関係がある絶滅についてです。
 地球の歴史を見ていくと、生物の大絶滅が何度もあったのですが、その大絶滅が、なぜ、どのように起こったのかも、進化同様、よくわかっていません。進化のメカニズムがわからないのだから当然ともいえますが、絶滅が生物自身に起因するのであれば、進化と同じように解明できません。しかし、自然環境の変化などの外因で、絶滅が起こるのであれば、大絶滅などの大きな異変は、地球環境に大きな変化を与えたような大事件となります。そのような地球における大事件は、どこかに記録されているかもしれません。その事件の詳細がわかれば、もしかしたら大絶滅のメカニズムが解明できるかもしれません。
 白亜紀末の隕石の衝突の事件があり、地球環境に劇的変化が起こりました。その環境変化がきっかけで、大絶滅が起こったと考えられています。大絶滅の原因が隕石の衝突であるというのは突き止められたのですが、衝突の事件から、どのような連鎖が起きて、多くの種や属にいたる生物種が大量に絶滅したのか、そのプロセスはまだよくわかっていません。
 すべての生物が絶滅したのなら、まだ話は簡単であったのです。なぜなら地球生物がすべて絶滅するほどの大きな環境変化、例えば大気や海洋がすべてなくなるような大事件、が起こればいいのです。ところが、いくつもの生物が生き延びたのです。生き延びた種が、次の時代に新たに進化をして、生物の多様性をつくっていったのです。
 なぜ、それらの生物が生き延びたのでしょうか。もし偶然なら、進化は偶然が大きく作用していることになります。進化が偶然か必然化は、重大な問題ですが、解決されていません。
 白亜紀の末の大絶滅は、原因が突き止められただけでも、上出来というべきでしょう。他の時代に起こった大絶滅は、原因がまだよくわかっていなのですから。
 ロードとミュラーがネイチャーという科学雑誌の2005年3月10日号に論文を報告しました。彼らは、既存の化石のデータベースをもとに、統計的な処理をして、絶滅には周期性があることを見つけ出しました。大絶滅には6200万年と1億4000万年周期の周期性があるという内容です。そして、6200万年の周期が強くあわられているというのです。
 アメリカン・サイエンティストの7-8月号で、ヘイズもその論文に関連する議論しています。新しい年代区分に基づく補正や各種の統計的手法について詳細に検討しています。そして、同様の周期を見出しています。処理方法によっては、1億4000万年の周期の方が強くなることを示しました。
 生物の絶滅の周期性の研究は、ロードとミュラーの研究が最初ではなく、何人かの研究者が周期性を見つけて、すでに報告しています。6200万年の周期は1970年代にすでにトムソンが唱えています。フィッシャーとアーサーは3200万年周期を、ロープとセプコスキーは2600万年周期を、それぞれ提唱していました。そして、今回再度6200万年周期と1億4000万年周期が提示されたのです。
 6200万年という周期は長いものです。ロードとミュラーは、生物たち自身が生み出す周期としては、長すぎると考えました。つまり、この絶滅の周期は、生物学的な原因ではなく、生物以外の要因を考えるべきだとしました。
 彼らは、物理学者なので天文学的原因をたくさん挙げていますが、7つの可能性を考えました。太陽系が銀河の分子雲のなかを通り抜ける1億4000万年の周期、マントル・プルームの周期、太陽系が銀河系の回転面を横切る7400万から5200万年の周期、まだ見つかっていない太陽の長い周期の変化が気候に影響を与える周期、地球軌道の周期性が引き起こす気候変動、彗星の周期的衝突、未知の惑星Xがカイパーベルトを刺激して彗星のシャワーを起こす、などが考えられています。これらはきちんと議論された原因の候補ではありません。彼らの上げた可能性に過ぎません。
 原因を探る前に、この周期性が何を意味するのかを考えなければならないようです。白亜紀の終わりの大絶滅が隕石の衝突で、他の大絶滅では隕石の衝突の証拠は明らかではありません。となる、大絶滅が少なくとも隕石衝突とそうでないものがあるわけです。違う原因で起こった大絶滅が、なぜ周期性ができるのでしょうか。よくわかりません。まだまだ謎は解けそうにもありませんね。

・雨の周期性・
本州は梅雨の真っ最中でしょうか。
それとも暑い夏のような日でしょうか。
北海道は、爽快な日が続いています。
1年で一番いい季節でもあります。
祭りや外での行事が、この時期にいろいろおこなわれます。
ただ困るのは、最近は平日が快晴でいいのですが、
週末が雨の周期で変わっていくことです。
休日の外での行事の予定が流れたり、
変更したりすることがあります。
子供たちの行事は一通り終わったので、
天気に気をもむことはなくなりました。
でも、天気によって、出かけるか出かけないかの
我が家の予定も変わってきます。
できれば、外でいろいろしたいことがあるのですが、
天気ばかりは、ままならないものです。

・歴史科学・
結果から原因を探ることは、実はなかなか難しいものです。
物理現象は化学反応のように、再現可能な現象なら
その解明はまだ可能でしょう。
しかし、地球の歴史や生物進化は、
一度限りのことで、再度繰り返すことがありません。
歴史の科学は、なかなか厄介なものです。
ある出来事(結果)があったとき、その原因とされたものが、
本当かどうかは、どうしたら確かめることができるでしょうか。
論理的には、できません。
従って、研究者は、その原因とする仮説が
もっともらしいかどうかを競うことになります。
証拠や情報をできるだけ集めて、
原因とされる仮説をもっともらしくすることで、
とりあえずの決着を見ることになるのでしょう。
歴史科学は、再現不可能なところがつらいところです。
でも、そこが歴史科学の面白さでもあるのでしょうが。

2005年6月16日木曜日

2_35 進化の原因:進化1

 進化という考え方が生まれてから140年以上たちます。しかし、私たちは本当に進化を解明したのでしょうか。進化の本質について、考えていきましょう。

 生物の進化について、1859年にダーウィンの有名な「種の起源」が発表され、進化論が唱えられて以来、優秀な多数の生物学者が140年以上にわたって考え続けてきました。その結果、生物が進化してきたことは、確からしいことがわかってきました。もちろん創造説などを支持する人は、宗教的立場から反対していますが。
 進化は過去にだけ起こっただけでなく、これから未来に向かって起こっていくでしょう。そして現在進行中の進化もあります。今起きている進化を調べている研究者もいます。ウイルスや昆虫など世代交代の早い生物では、進化が起こっていることが確かめられています。身近なところでは、病気の原因となっているウイルスに対して、以前はよく効いていた薬が、効かなくなってきたという話を聞いた人もいるでしょう。これは、ウイルスが薬に負けないように進化してきたものです。
 しかし、現在生きている世代交代の期間が長い哺乳類などの生物では、現在進行中の進化は調べにくいのですが、家畜やペットなどの品種改良は、進化のメカニズム利用しているものです。人為的に進化を起こしたといえるでしょう。進化の研究の初期には、このようなものが利用されてきました。
 化石を調べることによって、多くの生物種がどのように進化してきたかを、知ることができています。過去にすでに起こって、終わってしまった進化も、調べることができます。化石という証拠は、化石がどのような順番に出てくるかを知り、そこから生物がそうのように変化してきたかを推定していきます。その変化を進化と呼んでいるのであって、なぜ進化したのかという原因を化石は示しているのでありません。
 ダーウィンが示した自然淘汰という考え方は、進化の要因のひとつの可能性を示しています。自然淘汰とは、環境に適合した生物が生き残る確率が高く、それが繰り返されると、新しい種が生まれるというものです。自然淘汰という考え方は、一見環境変化が種に進化をもたらしているようですが、本当にそこには因果関係が存在するのでしょうか。その因果関係を証明するのは、実は難しいことです。
 もし、自然淘汰が進化の原因だとしても、自然淘汰の考えから、脊椎動物が、魚、両生類、爬虫類、哺乳類というような大きな流れ(大進化と呼びます)が、なぜ起こったのかを教えてくれるでしょうか。大進化は偶然の積み重ねでしょうか。もちろんそう考える研究者もいます。一方、大進化には、なんらかの必然性が働いていると考える研究者もいます。では、自然淘汰と大進化にはどんな必然性があったのでしょうか。よくわかっていません。
 現在唱えられている進化論には、解決されていない問題がいろいろあります。自然淘汰と遺伝子への記録のメカニズム、遺伝子の突然変異が自然環境にうまく適応しているように見える謎、似た環境では別種の生物でも似た形態を持ちうること、などなど。考えると進化にはわからないことがいっぱいあります。
 実のところ、進化の実態はよくわかっていないのが現状ではないでしょうか。生物が進化しているのは確かですが、進化論というべきものは、まだ完成しているとはいえません。私たちの進化に関する知恵は、まだまだ足りません。進化論をもっと進化させる必要があるようです。

・詳細さと大胆さ・
進化とは、長い間研究されてきたおかげで、
非常に詳細に解明されていることもたくさんあります。
分子レベルの解明が進められていることもあって、
遺伝子とその進化のメカニズムについても
深く考えられています。
かたや、長い時間にわたって起こってきた大進化についても、
かなり詳しくわかってきました。
いまや、非常に微小な部分の情報、
非常に長い時間にわたる変化、
多様な情報が、進化論には付け加わりました。
しかし、化石による情報、
とくに大型の陸上生物に関する情報は、非常に断片的です。
時には骨の切れ端ひとつのある生物種を決めていることもあります。
どんな状態の化石で、それなりの根拠をもって、
ある生物の情報を得ているわけです。
それも重要な証拠ではあります。
このように少ない部分的な化石で種が同定されているのは
特別な例ではなく、大型の化石では極当たり前のことなのです。
非常に断片的な証拠で、大進化が構成されていることも確かです。
詳細さと大胆さによって進化は語られているのです。
これは、いた仕方のないことだとは思います。
しかし、なんとなく不安を感じているのは、私だけでしょうか。

・進化の進化・
いまや時間と共に変化してきたものについて、
生物に限らず、「進化」という言葉があちこちで使われています。
そして、時には、いや多くの場合、そんな「進化」という言葉には、
後の時代に進化したものの方が、より高度である、より進んでいる
という考えが潜んでいます。
本当の進化には、そのような価値観は含まれていません。
もとの生物種と何らかの原因で違ったものが誕生したとき、
進化したという言葉を使います。
ただそれだけです。
そこに人間的な価値感を入れないことが重要です。
でもいまや進化という言葉は、
日常語となり、いろいろなニュアンスが加わってきました。
これは、「進化」という言葉の進化なのでしょうか。

2005年6月9日木曜日

1_45 古生代から中生代へ2:絶滅の原因(2005年6月9日)

 古生代の終わりに起こった絶滅の事件は、化石の記録が残っているものの中では最大のものでした。最近、その実態が明らかになってきました。今回はその大絶滅を紹介しましょう。

 古生代と中生代の時代境界は、古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と、中生代最初の時代である三畳紀(Triassic)の境界なので、P-T境界と呼ばれています。P-T境界の大量絶滅は、現在、わかっている絶滅の中では、最大規模のものでした。この絶滅事件で、海洋域の無脊椎動物の属のレベルで78~74%が絶滅し、種のレベルでは最大で96%が絶滅したといわれています。絶滅は海だけでなく、陸の生物にも及んでいます。
 この大絶滅の原因として、いくつものものが考えられてきましたが、いまだに確定されていません。地球外の原因、特に隕石衝突説は、何度も提唱されてきましたが、その根拠は多くの研究者が認めているものではありません。従って、多くの研究者は、地球内に原因があると考えています。
 原因として、P-T境界の頃に起こった事件が、いくつか候補があります。超大陸の形成と分裂、異常な火山活動、海洋の超酸欠状態という事件があったことが、地質学的証拠から知られています。そしてそれらが、現在最も有力な候補であります。
 古生代末の3億年前ころに、パンゲア超大陸が出現しました。パンゲア超大陸は、北半球にあった北半球の大陸が集合しはじめ、ローラシア大陸となり、南半球にあったゴンドワナ大陸と古生代末に合体してできたものです。パンゲア超大陸は、北極から南極まで長く延びた巨大な大陸でした。パンゲア超大陸の東側には、テチス海とよばれる巨大な湾があり、残りは超海洋パンサラサができました。
 古生代末の地球は、ひとつの大陸とひとつの海という非常に単純で、不思議な構成となっていた時代です。このような超大陸がひとつの状態というのは、顕生代ではパンゲア超大陸の一度だけでの出来事でした。
 中生代の三畳紀(約2億5000万年前)に入ると、パンゲア超大陸が分裂をはじめます。南・北アメリカとヨーロッパ・アフリカ大陸の間に、大西洋ができはじめます。
 超大陸の分裂は、巨大な暖かいマントルの上昇流(スーパープルームといいます)によっておこります。大陸が割れはじめるときには、特別激しい火山活動が起こりました。この火山活動は私たちが知っているどんな火山活動より、激しいものであったと考えれています。その激しい火山活動が、地球規模の環境変化を起こしたのではないかと考えられています。その事件は「プルームの冬」と名づけられて、研究されています。
 日本で見つかったP-T境界は、深海底でたまったチャートと呼ばれる岩石から見つかっています。周辺のチャートは、赤っぽい色をしているのですが、P-T境界の部分だけ黒っぽい色で、見かけの違うチャートとなっています。
 チャートは珪酸(SiO2)からできていますが、珪酸だけのチャートは、無色か透明のものとなります。しかし、少量の不純物が含まれていると、不純物によって色が付くことがあります。赤っぽい色は、赤鉄鉱という鉄の酸化物の色です。一方黒っぽいチャートには、赤鉄鉱がまったく含まれないで、黄鉄鉱(FeS)という鉱物を含まれています。
 赤鉄鉱も黄鉄鉱も鉄を含む鉱物ですが、チャートが溜まる環境によってできる鉱物が違ってきます。赤鉄鉱は酸素が多い環境ででき、黄鉄鉱は酸素がない環境でできます。
 P-T境界のチャートが黒いということは、時代境界のときに深海底付近が酸欠状態になっていたことを意味しています。また、黒っぽいチャートの地層の厚さから、酸欠の期間は、2000万年ほど続いたと考えられます。大変長い期間の酸欠状態であることから、超酸素欠乏事件と呼ばれ、その原因が探られています。
 超大陸の形成と分裂、異常な火山活動、海洋の超酸素欠乏のどれもがP-T境界付近で起こった地球史上における重大な事件です。それぞれが、どこかに因果関係があるのでしょう。しかし、その因果がどのように大絶滅事件に結びついているのかが、まだわからないのです。あまりにも原因の候補が多すぎるためかもしれません。そのために、因果関係が複雑になっているのでしょう。そんな謎に多くの地質学者が取り組んでいます。

・今どきの大学生・
前にTasさんから、最近の学生が勉強しないという話題がありました。
それに対して、私は、次のようなメールを書きました。

「最近の学生は勉強できないという話ですが、
時代が違うので単純に比較できないですが、
私の目から見ても、そう見えます。
本もあまり読まないし、好奇心も少なく、
集中力も少ないように見えます。
しかし、それはあくまでも一般論であった、
個別の個々人に対しては、個性もありますし、
一概には当てはまらないことでもあります。
個々人というところを見るべきでもあると思います。
なによりも、学力のなさを学生当人の責任するのは間違っています。
かつては進学率も低く、勉強のできる子供たち、
勉強の好きな子供たちが、大学に進学し、学び続けていました。
現在は、学びたくない子供は、大学に行かないと意思表示ができています。
その点では、自分の将来を選ぶ、判断力があるともいえます。
大学に来る子供たちには、
学びたい子供たちも、もちろんいますが、
意思表示のできない子供たち、
あるいは何がしたいかもわからない子供たちも含まれています。
以前は大学に来なかった階層も、日本が豊かになったので、
いけるようになりました。
その比率が「全入(進学希望者全員入学)の時代」となって、
多くなったことは確かです。
そのような状況が、大学生の学力低下という評価に
結びついているのだと思います。
このような子供の属性ができたのは、子供の責任ではなく、
時代がそのような子供を生んだのです。
だから、そのような子供が大学に来るのは、
社会状況として仕方がないことです。
大学側はそのような子供をどう教育するかを対処を迫られます。
これは、大学側の問題なのだと思います。
子供の属性を愚痴っていても、生産的でありません。
少しでも、彼が大学に来てよかった、
あるいは今後の人生でなんらかの役に立つことを身に付けて
卒業できるようにしてあげることこそ、大学側の任務だと思います。
それさ押さえれば、いつの時代も、どの教育も、目的は同じとなるはずです。
それを一生懸命やれるかどうかが、そしてできたかどかが、
大学の存在理由であり、存在価値となるのではないでしょうか。」
という返事でした。
皆さんはどうお考えでしょうか。

・ジンギスカン・
本州はそろそろ梅雨の話題でしょうか。
北海道は晴れさえすれば、
すがすがしい、いい季節となっています。
こんないい気候は、外でいろいろ祭りがあります。
大学祭も各地でおこなわれます。
ヨサコイ・ソーラン祭りが、
そろそろたけなわとなってきました。
今週末には最後の審査会があります。
周辺の大学でも一生懸命に練習をしています。
ある大学では、ヨサコイ・ソーランを
授業に組み込んでいることろもあります。
そして、祭りにはジンギスカンがつき物です。
私は、もう外で2回ジンギスカンを食べました。
青空の下で、ジンギスカンもなかなかいいものです。

2005年6月2日木曜日

1_44 古生代から中生代へ1:大絶滅の意味(2005年6月2日)

 しばらく間が開きましたが地質時代のシリーズを再開します。3月に古生代の話を書いたのを最後に、しばらく途切れていました。さて、今回は古生代と中生代の境界の話から再開しましょう。

 地球の歴史で、大量の絶滅が何度か起こっています。どの程度の絶滅があったかは、その絶滅の事件が起きる直前まで生きていた生物の化石の種類が、その事件でその程度絶滅したかで、見当が付きます。つまり全滅前後の化石の種類を調べ、どれだけ絶滅したかを統計ととれば、その絶滅の規模をだいたい見当が付きます。この方法は一見簡単にみえますが、当たり前のことですが、たくさんの化石が出る時代でないと使えません。
 この地質時代シリーズも紹介しましたが、化石がたくさん見つかるのは、顕生代(けんせいだい)と呼ばれる古生代の始まり(5億4200万年前)以降の時代です。生物が顕(あらわ)れた時代という意味です。つまり、生物が繁栄している時代ということです。もちろん現在も顕生代に含まれます。
 それ以前の大絶滅がどんなに大規模であったとしても、その規模を見積もることはなかなか難しいものです。たとえていうと、どんなに状況証拠がそろっていても、肝心の多数の死体が見つからないことには、その虐殺の様子や程度はわからないようなものです。私たちが生物の進化を定量的に知ることができるのは、今のところ、顕生代だけです。つまり45.5億年の地球の歴史の9分の1しか、正確な絶滅の証拠をつかめないのです。
 顕生代には、たくさんの絶滅があったことがわかっています。大きな絶滅の事件の多くは、時代の境界に用いられています。もちろん大きな絶滅があったのに、それが大きな時代境界になっていないこともあります。地質時代の境界は、学問の進展に伴って、必要に応じて、区分されてきました。今わかっているすべての情報が提示されて区分されたものではなく、そのときにあったデータでもっとらしいものをもととして区分されたものです。
 ですから、今から考えると、なぜそこに境界があるか、なぜそちらの境界の方が重要視されているのか疑問に思えるものもあります。しかし、このような矛盾を解消するに、十分な議論をしていかなければなりません。もし変えるとしたら、今までの研究成果の表現を、すべて読み替えることにしなければならないからです。それは、すごく混乱を伴うことになるからです。
 さて、大量絶滅の原因については、多くの研究があり、さまざまなものが考えられてきました。たとえば、気候の悪化、食物の悪化、病気、寄生虫、闘争、解剖学上のまたは代謝上の障害、種の老齢化、老化を示す過度の特殊化に向かった進化的浮動、大気の圧力のまたは組成の変化、有毒ガス、火山チリ、植物による過剰な酸素の生産、隕石、彗星、造山運動、卵を餌にする小型哺乳類による遺伝子プールの流出、捕食者の過剰な殺戮能力、宇宙線、洪水、地球の極の移動、大陸漂移などがあります。このあたりまでは、なんとなく科学的な根拠がありそうです。しかし、他の原因として、重力定数の変動、精神異常的な自殺因子の発達、エントロピー、太平洋海盆からの月の抽出、湖沼環境の排水、黒点などになると、それがどう大絶滅と結びつくのか、本当に起こったこのななか思えるようなことが原因となっています。さらには、神の意思、空飛ぶ円盤でやってきたグリーンハンターたちの襲撃、ノアの箱舟が狭かったなどなど、まさにありとあらゆる原因が考えられてきました。
 なぜこんなにもたくさんの原因が挙げれているかというと、大絶滅が起こった理由がなかなか究明できないからです。生物が生きていた環境は、海、土、大気など地表にあるもののいずれかです。それらの環境は、移ろいやすく、なかなか明瞭な記録を残さないからです。もちろん生物の柔らかい肉体は、他の生物のエサや栄養になります。運良く他の生物の栄養にならなかったとしても、長い時間を経れば、有機物は分解してしまいます。最終的に残るのは、化石と呼ばれる、石化したもの部分だけです。
 私たちが過去を調べるすべは、地層や岩石などの固体物質として残されたものだけです。化石ももちろん固体です。大気や海の記憶も、地層や岩石に刻印されていなければ、私たちは読み取ることができないのです。
 私たちがよく知っている恐竜絶滅は、中生代と新生代の時代境界で起こった事件です。地質学者も大いに関心を寄せています。その大絶滅事件で、まじめに議論されたものだけでも、65種類の原因が考えられたそうです。
 古生物学者や地質学者の多くは、一般に大絶滅が地球内の原因によると考えています。しかし、多くの研究者が納得している絶滅の原因で、唯一はっきりとしているのは、皮肉なことに、地球外の原因によるものです。それが有名な恐竜絶滅の隕石衝突説です。
 たくさんの大量絶滅の中でも最大のものは、古生代の終わりにおこりました。古生代と中生代の境界は、古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と、中生代最初の時代である三畳紀(Triassic)の境界なので、P-T境界と呼ばれます。さて、次回は、その時代境界の話をしましょう。

・地質時代シリーズ・
地質時代シリーズを続けるのを、ついつい怠っていました。
地球地学紀行が連続していたためです。
これからは、忘れないようにこのシリーズを続けていこうと思います。
シリーズは、調べればいろいろと新しいことがわかってきて、
書き出すと長くなってしまいます。
でも、この「地球のささやき」は6つに分けて進めています。
それらを万遍なく書いていきたいと考えています。
もちろん、シリーズのようものは継続的に、
最新情報は、そのときにすぐに取り上げるようにしていきたいと思います。

・予兆現象・
Matさんから不思議な雲を見つけたという報告がありました。
それはもしかしたら、地震雲ではということでした。
私はそれに対して、次のようなメールを書きました。
「まず、地震雲については、私の専門とするところではありませんので、
その上での話とご了承ください。
現在のところ、地震雲と地震との完全な関連は、
まだ理論的には確立されていないはずです。
それは、地震の予兆に関しては、
残念ながら、完全な証拠が得にくいからです。
なぜなら、予兆現象に関する証拠は、
すべて後追いで提示され、記録されていくからです。
つまり提示される証拠に偏りがあるのです。
例えば、ある日何ごともなかったとき、
変な現象を見たと名乗り出る人は少ないでしょうし、
もし何もなければ、その現象は忘れ去られるでしょう。
でも、巨大地震があったときには、私はこんな現象を見た、写真を撮った、
という人がたくさん名乗り出て、証拠らしきものもたくさん集まるでしょう。
でも、それらの証拠が本当に予兆として特別な現象かどうかは、
注意が必要です。
何もないときにこそ、データを集めて、
特別な現象があったときと、比べることが重要になります。
もちろんそのような研究をなされている方もいるでしょう。
しかし、次の問題として、そのような予兆らしきものが、
地震とどのような関連があるかということを
論理的に証明にしなければなりません。
こと災害に関しては、不用意な仮説、あるいはあいまいな仮説を
研究者としては一般市民に向けて、安易に提示すべきではないでしょう。
人心を惑わすことは、不用意にすべきではないと思うからです。
それは研究者の倫理でもあります。
とりあえずは、学会でその説の正当性を、
多くの専門家の中で議論していくべきでしょう。
そのような意味で、地震の前兆現象は、
必ずしも、確立されているものではありません。
でも、今後、十分検討されるべきでしょうが。」
と答えました。
皆さんは、どうお考えになりますか。