2004年10月28日木曜日

4_49 大地と海の狭間:秋の道北2

 10月9日から11日に訪ねた道北は、秋が深まっていました。そんな道北の秋を2回にわたって紹介をしています。今回はその2回目です。

 前回、ゴールデンウィークに訪れたときは、宗谷岬を回り渚骨川の河口である紋別までたどり着きましたが、今回はオホーツク海に沿って、少し足をのばして湧別川の河口のあるサロマ湖までいきました。
 サロマ湖は、海跡湖と呼ばれるもので、海水が出入りしている汽水(きすい)の湖です。サロマ湖は、周囲は91kmあり、湖としては北海道で一番大きく、日本でも琵琶湖、霞ケ浦についで三番目になります。サロマ湖をつくっているのは、砂嘴(さし)というもので、オホーツク海と湖の間には長さ約25km、幅200~700mほどあります。サロマ湖は日本の重要湿地200にもの選定されています。私が行ったときにも、真っ赤なサンゴ草をみることができました。
 サロマ湖は、湾が砂嘴によって湖のようになったものです。砂嘴とは、砂の嘴(くちばし)と書くように、細くとがった形をしています。その形は、付近に流れ込む川から運ばれた土砂が、海流や波の働きによって、海岸や岬が海に向かって長くのびていったものです。サロマ湖では、湾をふさぐようにして砂嘴がのびたものです。サロマ湖内には漁港があるため、砂嘴によってサロマ湖が閉じない試みもなされているようです。
 砂嘴の砂の供給源となった湧別川は、サロマ湖の西側に流れ込んでいます。しかし、サロマ湖の中にも大きな川だけでも、西から芭露川、計呂地川、朱丹川、佐呂間別川など、多数の川が流れ込んでいるために、海とつながっていますが、塩分濃度の薄い水(汽水といいます)となっています。海と川、陸の狭間にできたものです。
 オホーツク沿岸のサロマ湖周辺には、湿地や湖、池が点々と並んでいます。大きなものを地図から拾っていきますと、北西から、コムケ湖、シブツナイ湖、サロマ湖、能取湖、網走湖、藻琴湖、涛沸湖などがあります。
 湖や池の多い不思議な地形は、珍しいもののように見えますが、じつは、このような海岸の地形は、よく見られる地形なのです。
 川が山から土砂を運びながら、平野にでて、そして海に出るとき、運んできた土砂を落としていきます。平野が狭いと、多くの土砂が海近くまで運ばれます。海流や波によってたまった土砂が移動して、海岸の一定のところに集まると、海岸線沿いに池や湖、湿地などがたくさん形成されていきます。もちろん、海岸の海流や自然環境によっても違ってくるでしょうが、このような条件を満たすところは日本にはたくさんあります。また、河口の近くでは、規模はさまざまですが、砂の移動による変化に富んだ地形をみることができます。
 北海道でも、サロベツ原野、根室の野付半島から風連湖、釧路の東の厚岸付近、十勝川の河口付近、苫小牧周辺など、規模は形はさまざまですが、似たような地形が見られます。
 ある営みが大地と海の狭間に働くと、そこには自ずから、似たような模様ができます。さまざまな地にできた似たような模様は、その地域の気候風土に応じて、多様な環境を生み出し、多様な生態系を育みます。日本は四方を海に囲まれた島国です。ですから、多様な海岸地形と生態系をもっています。ところが、自然の海岸は、防波堤や護岸のために、人工物の海岸線の増えています。もちろんそれは人間の生活を守るためでしょう。必要な措置なのでしょう。しかし、必要以上に生態系を犠牲にしていなければいいのですが。

・サケの遡上・
秋に北海道の川を調査すると、
サケの遡上によく出会います。
上がってくる数は数匹だったのですが、
最初に見たときはすごく感動しました。
それ以来、もう何箇所で見たでしょうか。
何度見ても感動するものです。
川では、サケの遡上に伴って、
いろいろな生き物の様をも見ることになります。
子孫を残すために、必死になって遡上するサケ。
それを狙うヒグマ。
サケの死体をついばむ野鳥たち。
サケの死体が無数に沈んでいる川もみました。
そんな河原は腐敗臭の漂う異様な雰囲気となります。
でも、もっと異様なのは、サケを中心とする人の挙動です。
サケに挑む釣り師たち。
密漁を監視する猟師たち。
人間だけは、生きるため、食べるためではなく、
金のため、趣味などの人間らしい動機によるものです。
それらすべてを含めてサケの遡上が産み出す
秋の一時的生態系と見るべきなのでしょうか。

・雪虫・
北海道はそろそろ秋も終わり、
冬に突入します。
まだ、平野には雪は降っていませんが、
先日、雪虫が飛び交っているのを見かけました。
雪虫は、白くふわふわとした姿で飛んでいます。
それがまるで雪のように見えるから雪虫といいます。
雪虫は初雪の前に飛びます。
雪虫とは、俗称でアブラムシ科のトドノネオオワタムシという虫のことです。
雪虫は春と夏とで寄生する植物を変えながら樹液を吸って生きています。
春にはヤチダモ類の葉裏で生活し、
夏の間はトドマツの根で世代を重ねますが、
晩秋のころ冬の間住むヤチダモに移ります。
そのときに飛んでいる姿が白く人々の目につきます。
このような綿毛をもって飛ぶものには何種類かあり、
北海道だけでなく、本州の方でも飛ぶそうです。
この雪虫が飛ぶと、秋が終わり冬がきます。
雪虫の飛んで2週間ほどすると雪が降るそうです。
我が家も冬の準備をしましょう。

2004年10月21日木曜日

4_48 手塩川再訪:秋の道北1

 秋の深まった道北へ調査に行きました。そんな道北の秋の調査で思ったことを書きましょう。

 10月の連休に道北へ調査に行きました。ゴールデンウィークに道北を調査したのですが、雪解けの増水期で、河川沿い調査が十分できませんでした。今回は、その不足を補いながら、より調査を進めるために、再度道北の調査にでかけました。目標は前回調査し残した手塩川と渚骨川、そして今回新たに湧別川も調査することにしました。それと海岸沿いを少し調査することにしました。
 天塩川は手塩岳を源流として、利尻島を右手に見て日本海に流れ込みます。天塩川の長さ(幹川流路延長と呼ばれます)は、256kmあり、石狩川(268km)についで、北海道では2番目の長さで、日本でも第4位の長さを持っています。
 春に手塩川の河口から中流を調査したのですが、河口は護岸されていて、調査しようがありませんでした。今回は、中流から上流、手塩岳に向かって調査しました。上流には、岩尾内ダム、ポンテシオダムなどがあります。その周辺で調査をしました。
 天塩川の源流の手塩岳は、もうひとつ一級河川の源流となっています。それは、渚骨川です。渚骨川は、紋別でオホーツク海に流れ込んでいます。天塩岳は2つの川の分水嶺でもあるのです。
 北海道では、中央に南北に走る山並みがあります。この中央の山並みは、東西の分水嶺となっています。分水嶺とは、その峰を境に川が別の反対側に流れ、別の海へと分かれていくところで、山の稜線が分水嶺になることが多くなります。
 北海道の中央を走る分水嶺は、南は襟裳岬から、日高山脈、十勝岳、トムラウシ岳、大雪山、天狗岳、天塩岳、北見山地、宗谷岬へと続きます。さらにその先は、樺太(サハリン)へと続きます。分水嶺の南の方では、十勝川として東側の太平洋へ、沙流川と鵡川として苫小牧のある西側の太平洋へ注ぎます。分水嶺の北の方では、常呂川、湧別川、渚骨川はオホーツク海へ、天塩川は日本海へと注ぎます。
 北海道の中央では南北に険しい山並みが続き、東西の交通の障害となっています。低い峠のあるところが、交通で重要な役割を果たしています。北見峠は今や自動車道ができて、苦もなく車で通ることができます。しかし、旧道のくねくね道を走るのもいいものです。交通量の少ない峠道を走ったので、色鮮やか紅葉が見ることができました。峠は紅葉の盛りで、木々の色が鮮やかで、夕方曇って薄暗くなってきても、色のため明るく見えるほどです。特に北見峠の東側では、白樺が道路沿いにすばらしい紅葉を見せくれました。シラカバロードと呼ばれています。
 北見峠の東側には白滝村があります。湧別川の源流の村にもなっています。大雪山から続く火山がこの付近にも分布しています。約300万年前の火山だと考えられています。この火山の特徴として、黒曜石が大量にでることです。黒曜石は石器などに使えるもので、うまく割ると鋭利な割れ口ができます。このような黒曜石は、現在もとれるようです。
 昔の人も、黒曜石を利用していました。2万数千年前の旧石器時代の人が石器を作って住んでいたようです。白滝遺跡群と呼ばれ、湧別川沿いに100箇所以上の遺跡が見つかっているようです。当時でも有数の石器製作地だったようで、湧別技法として独特の製法を持っていたようです。ここで作られて石器がシベリアでも見つかっているそうです。非常に多様でそして繊細な石器があります。国指定の史跡となっています。自動車道を作るときには、その遺跡調査がなんされ、できるだけ埋蔵物少ないルートが選ばれたようです。
 紅葉真っ盛りの道北は、思いで深いものとなりました。

・天狗岳・
標高1553mの天狗岳のふもとにある北大雪スキー場。
スキー場にあるロッジに宿泊しました。
夏は登山客が、冬にスキー客が泊まるロッジです。
ちょうどはざかい期だからでしょうか、
秋の連休だというのに、泊まる人は二組だけでした。
親切なおじさんとおばさんが食事から宿の世話をしてくれました。
標高が高いせいでしょうか、朝夕は寒く、
ストーブをたきました。
寒い朝、子供たちと外を散歩しました。
山から見下ろす朝の景色は爽快で、
谷間には雲が降りていました。
下に見える放牧地や家並みが雲に隠れて見えました。
紅葉と雲の上に立っている自分を思うと、
まるで天上の世界にいるような錯覚を覚えました。

・白滝村・
白滝の道の駅で黒曜石でつくった細工を
売っているところがありました。
みると石器を作っている人がいます。
子供たちと見ていると、
おじさんが親切に説明してくれました。
そして石器の作り方も実演して教えてくれました。
子供たちは興味深々です。
土産に黒曜石の原石を買って帰りました。
いつか、石器を作りたいと考えています。
それとも自分たちで黒曜石を探して
原始人のように石器を作りましょうか。
白滝村は、また行きたいところとなりました。

2004年10月14日木曜日

1_33 冥王代2(2004年10月14日)

 地球最初の時代、冥王代(めいおうだい)の話の続きです。始めてのことばかりが起きます。最初の大気、海洋、陸ができていきます。そんな最初の物語をみていきましょう。

 地球最初の大気には、2つの段階を経てできていきます。最初は、水素(H2)とヘリウム(He)を主成分とする大気ができます。この成分は、地球だけでなく太陽系全体に共通する大気で、太陽系ができるときにあった成分と考えられています。水素とヘリウムは、宇宙でも、もっとも多い、つまりありふれた成分でもあります。太陽ができて間もない頃、非常に明るく輝く時期があります。その時に、太陽に近い惑星で小さいものは、ガスをひきつけておく引力も弱いために、原始太陽系ガスが、吹き飛ばされたと考えられます。
 次の段階は、二酸化炭素(CO2)あるいは一酸化炭素(CO)や、水蒸気(H2O)、窒素(N2)などを主成分とする大気です。この成分は、原始的(隕石の世界では始源的という)隕石に含まれていた成分です。原始の地球に隕石が衝突するときに、高温高圧条件で、ガスの成分が隕石から抜け出た成分が原始的大気をつくったというモデルです。
 次は、最初の海についてです。地球のはじまりは、隕石の激しい衝突で、マグマも溶けるほど熱い状態でした。最初の海は、今とは似ても似つかない、マグマの海でした。でも、宇宙空間は冷たく、地球に落ちてくる隕石も減ってきます。すると、地球はじょじょに冷めてきます。大気の温度が100℃より下がると、大気中の水蒸気が液体の水になります。水は、雨となって地表に降り注ぎます。暑かった大地も雨によって冷まされます。やがて、地表も100℃以下まで冷めると、雨は川となります。川は流れ、低いところに池ができます。いたるところにできた池は、降り続く雨によって、広がり大きなものへと成長していきます。これが最初の海となっていきます。
 昔の海の証拠は、海の中にはありません。なぜなら、海は常に混じっていて、古い海水など残っていないからです。海以外のところに海の証拠を探すことになります。最初の海の証拠は地層の中にあります。川によって運ばれた土砂が、海でたまって、固まったものが堆積岩です。古い堆積岩を探せば、その時代には海があったという証拠になります。
 最古の堆積岩は、約38億年前のグリーンランドの堆積岩です。そこには、礫岩や砂岩など、現在でもみられるような堆積岩があります。それ以降、各地から、さまざまな時代の堆積岩が見つかっています。ほぼ全ての時代の堆積岩があることがわかっています。このことから、38億年以降現在に至るまで、海が存在しつづけてきたことを示しています。
 陸とは海のないところですが、ここでは大陸のことにします。大陸には、色々な岩石があります。なかでも、火成岩が圧倒的に多く、火成岩でも花崗岩(かこうがん)とその変成岩である片麻岩(へんまがん)が一番多い岩石です。大陸は、花崗岩からできています。ですから、最初の大陸を探るということは、最初の花崗岩を探すということになります。
 花崗岩は、マグマが固まってできます。高温高圧の条件に置かれた物質に、水が加わると、溶けはじめることがあります。その時に特徴的にできるマグマが、花崗岩質マグマなのです。つまり、花崗岩と水とは密接な関係があるのです。間接的ではありますが、花崗岩の存在自体が、海の存在の証拠となるのです。
 花崗岩マグマができるには、地下深部に水を持ち込まねばなりません。水は海からきます。そして供給のメカニズムとして、プレートテクトニクスが考えられます。プレートテクトニクスとは、海嶺で形成されたプレートが、海底で冷えて、海溝で沈み込む、という一連の運動のことです。この沈み込むプレートと共に、水を含んだ堆積物や岩石も沈み込み、水が絞りだされて、上にある物質を溶かすというものです。花崗岩は、プレートテクトニクスの証拠ともなります。
 一番古い花崗岩は、約40億年前のものです。カナダの北西準州のアカスタ地域で見つかったものです。今のところ、これが最古の陸の証拠です。

・冥王代・
地質時代シリーズの冥王代です。
まだ最初の出来事があります。
生命の誕生です。
それは、また次回としましょう。

・台風・
今年は、台風が、たくさん来ています。
そして被害もいたるところで起こしていきました。
先日の台風22号は、東海や関東で大きな災害をもたらしました。
皆さんのお宅や地域は、大丈夫だったでしょうか。
被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
今回の台風22号は、10年に一度の強烈なもとして、
注意を呼びかけられていました。
北海道は、それほど影響もなく無事でした。
連休でしたので、私は道北へ調査へ出かける予定を立てていました。
初日は晴れるという予報だったので、
一日だけでも調査できるかもしれないと出かけました。
しかし、台風が来たら途中で取りやめるつもりでした。
幸い、台風の影響もなく、無事調査を終えることができました。
その内容は次回に紹介しましょう。

2004年10月7日木曜日

1_32 冥王代1(2004年10月07日)

 地質時代のそれぞれの時代についてみていきましょう。まずは、地球の最初の時代、冥王代についてです。

 地球の最初の時代は、冥王代(めいおうだい)と呼ばれています。冥王代のはじまりは、地球の誕生です。それは45.6億年前のことです。一方、冥王代のおわりは、つぎの時代である太古代(太古代)のはじまりです。
 この太古代は、地球最古の岩石からスタートします。冥王代とは、最古の地層や岩石より前の時代になります。つまり、冥王代とは、地質学的な証拠となる岩石のない時代であります。
 ところで、この冥王代という呼び方は、日本固有の名前です。冥王代は、英語ではヘーディアン(Hadean)と呼ばれています。冥府の王プルートの住む黄泉の国、冥府のハーディス(Hades)の意味です。ですから、英語に忠実に従うなら、黄泉代(みよだい)あるいは冥府代(めいふだい)の方が、正しのですが、今では冥王代が使われています。
 太古代のはじまりは、1980年代までは最古の岩石や地層が出ていたグリーンランドの太古代の地層から、38億年前と定義されています。時代区分の境界は、一度決定されると簡単に変えられません。なぜなら、しょっちゅう変更していると、混乱が起きるからです。
 冥王代にはいるような岩石がある日見つかっても、そこまで太古代にしましょうとは、ならないのです。したがって、地質学的証拠のないはずの時代なのに、その時代の岩石が発見されるという矛盾が起きます。技術の進歩によって現在までに、多く地域から38億年前より古い岩石や地層が発見されるようになってきました。
 最古のものとしては、1989年にカナダのアカスタ地域から39.8億年前の岩石が発見されました。グリーンランドの38億年前の最古の岩石の記録を、一気に2億年もぬりかえたのです。その後、アカスタではさらに古い40億年前の岩石も発見されました。アメリカ合衆国、中国、南極などからも、38億年前ころの古い岩石が発見されてきました。
 現在、地球最古の鉱物は、ネイチャー(Nature)という科学雑誌の2001年1月11日号に掲載された西オーストラリアのジャックヒル44億0400万年前のジルコンという鉱物です。
 つぎに、冥王代の最初のできごとである地球誕生についてみていきましょう。まずは、地球の誕生の条件についてです。
 地球は、太陽系の形成の中に考えられるべきです。地球は、他の惑星と同時に、同じプロセスで形成されたはずです。地球にだけ特別な材料や生成環境などの条件は考えられません。太陽系自身も、特別な材料や生成環境は考えらません。
 地球の材料は、太陽系をつくったのガス(原始太陽系星雲ガスとよばれます)に含まれていた物質です。その物質には、3種類のもの見つかっています。・もともと宇宙にたくさんあった元素
・以前星を構成していて、その星が死ぬとき(超新星爆発など)にばらまかれた元素
・それ以外のプロセスでできた粒子:プレソーラーグレイン(粒子)
これらの素材が、混ぜ合わさって、地球のそして太陽系の材料となりました。
 ガスの中で、衝突したり合体が繰り返されて、元素は分子となり、分子は小さな粒子となり、しだいに大きなものへと成長していいました。ある程度の大きさになると、衝突・合体のときにおこる衝撃によって熱や圧力が大きく発生します。そのため原始惑星は、高熱の状態を迎えます。岩石が溶けて岩石の海(マグマオーシャン)ができるほど高温となります。
 その後、各惑星は、置かれた環境(太陽からの距離)と独自の性質(自転、公転、惑星の大きさ、大気)などによって、それぞれ別の変化をしていきます。つまり、地球には、地球の環境が形成され、地球の歴史がつくられていきます。

・地質時代シリーズ・
以前予告したように地質時代シリーズをはじめました。
月に1、2度の連載で、時代ごとの紹介を
しばらくの間、続けていきたいと思っています。
今回は、地球最初の時代、冥王代についてでした。
科学は技術の進歩によって、
飛躍的な展開を迎えることがあります。
石の年代を決める方法も、
数10ミクロンほどの小さいな試料でも
時代が決められるようになりました。
すると今まで測定できなかった試料でも、
年代が決められるようになってきました。
このような技術革新があると
年代測定の研究が一気に進むことがあります。
冥王代の年代データが
ここ10年ほどたくさん出はじめています。
国際的に年代を確定する作業で、
2004年にまとめられた論文でも
冥王代の終わり、あるいは太古代のはじまりは
まだ未定の時代となっています。

・冥王代という名称・
冥王代という名前は誰が付けたのでしょうか。
私もわからず、知り合いの磯崎さんという地質学者に聞いたところ、
自分がつけたといってました。
本当かどうかはしませんが、本人はそう話してました。
そのときは、その事実に驚いて、納得していたのですが、
今では、上で書いたように
黄泉代(みよだい)あるいは冥府代(めいふだい)の方が、
いいような気がします。
なぜなら、冥王という言葉は、
冥府の王プルートの訳として
すでに冥王星に使われているからです。
天体の名称と、地球の時代ですから混同することはないのですが、
黄泉代のほうが私は好きですが、そうはいきません。
一度決まって使われだしたものは、
むやみ換えたり、新しいものにすると混乱を招きます。
ですから、次に換える時は、
多くの人の合意の下に決めなければなりません。
一般的に命名権は、最初の言いだしっぺの役得となります。
磯崎さんは、その役得に浴しています。

・北海道の秋・
北海道の10月に入って、急に寒くなってきました。
とうとう我が家では、朝夕の冷え込むときには、
ストーブを炊きだしました。
北海道では、初雪のニュースがいくつも入ってきています。
今年の夏は、暑さと台風が北海道を襲いました。
しかし、夏の暑さも過ぎて、寒くなってくると、
懐かしいような気がします。
北海道はこれから短い秋を向かえ、
冬になります。冬の準備がはじまります。
そして、秋の収穫を楽しむ時期でもあります。
10月下旬なると、大量の白菜、大根が漬物用として販売されます。
我が家でも今年は漬物に挑戦しようと、
漬物樽2個と重しも買いました。
さてさてはじめのて漬物ですが、
うまくいくでしょうか。
ご近所のベテランにきいて挑戦してみましょう。