2007年7月5日木曜日

3_57 エクロジャイト:変わった石1

 今回から、新しいシリーズとして、変わった石のシリーズを始めます。まず最初は、エクロジャイトという珍しい石からです。


 四国には東西に走る石鎚山脈があります。この山脈は、南側にある中央構造線の作用によって盛り上がったものです。
 石鎚山脈の中央部に愛媛県側の新居浜市の山間に別子鉱山があります。別子鉱山は1973年まで採掘され、約280年間に70万トンの銅を産出ました。現在、閉山となり、鉱山に関係したものとして道の駅をかねたマイントピア別子というテーマパーク、温泉施設「ヘルシーランド別子」、「別子銅山記念館」などがあります。
 地質学者には、別子といえば、「エクロジャイト」という岩石が産出することでも知られています。別子鉱山は、西赤石山の山麓にありますが、その3kmほど東に東赤石山があります。「東赤石山のエクロジャイト」として有名です。このエクロジャイトを、東赤石山から流れ出る沢に、拾いにいったことがあります。
 実は、地質学でエクロジャイトというときには、2つの意味があります。
 ひとつは、岩石名としてエクロジャイトです。エクロジャイトとは、大部分がザクロ石(ガーネットとよばれる)と単斜輝石からできている岩石です。このような鉱物の組み合わせを持つ岩石は、地殻の下部やマントルの上部で安定に存在します。東赤石山のエクロジャイトは、もともとはカンラン岩の一種として、マグマだまりで結晶が沈んでできた組織が見つかっています。ですから、もともとは溶けた岩石、つまりマグマからできた火成岩だったのです。
 もうひとつのエクロジャイトの意味は、高温高圧の条件に岩石がおかれたとき、溶けることなく、その条件で安定な別の結晶に変わることがあります。このようにしてできた岩石を変成岩、その条件を変成相といいます。高温高圧の変成相としてエクロジャイト相と呼ばれるものがあります。エクロジャイト相の条件では、ザクロ石と単斜輝石ができます。鉱物の量は数なくても、そのような変成作用できた結晶の組み合わせがあれば、エクロジャイト相の岩石と呼ばれます。
 2つのエクロジャイトは、火成岩か変成岩かの違いがあります。大きな違いですが、火成岩のエクロジャイトも地下深部でできますから、固まった後に変成作用を受けるような場所にあるわけです。ですから、火成岩のエクロジャイトの多くは、変成作用を受けています。
 東赤石山のエクロジャイトも、エクロジャイト相の変成作用を受けています。ただ、最も低い温度で生成されたエクロジャイトとして有名になっています。
 もともとの岩石の成分によっては、変成作用でほとんどがザクロ石と単斜輝石になってしまうことがあります。そのような岩石として、玄武岩や斑れい岩があります。このような岩石は、玄武岩なら海洋地殻として、斑れい岩なら大陸地殻の下部に、たくさんあるのと考えられています。それらがエクロジャイト相の条件にあれば、エクロジャイトはできると考えられます。
 問題は上昇するメカニズムです。別子は、最初にもいいましたように、中央構造線で持ち上げられた山脈があります。そのような激しい大地の営みがあってこそ、深部の岩石が地表に上がってくるのです。
 ザクロ石はマグネシウムの多い紅色(パイロープとよばれています)で、輝石は鮮やかな緑色(オンファス輝石と呼ばれています)からできています。ですから、非常にきれいな色合いの岩石になります。そんなにきれいな石が、大地の深くで形成され、そして大地の神秘を垣間見せてくれるのです。

・別子鉱山・
別子鉱山は、現在の住友グループのもとになる
住友財閥が開発したものです。
住友家は、もともと京都であった銅製錬や
銅細工をする商店からスタートしました。
住友家は、1691年に別子鉱山の採掘権を得て、採掘をはじめました。
そこから派生して、やがて化学、林業、建設、重工、船舶、銀行、商社
などの会社が設立されて、財閥へとなっていきました。
別子鉱山は、住友家のもともとの家業である銅を採掘するための鉱山でした。
残念なが、現在では閉山して、その名残として、
いろいろな観光施設が作られています。

・前期もあと少し・
北海道の夏らしい気候となってきました。
とはいっても、快晴のときでも、すがすがしい天気で、
日影は涼しく快適です。
まあ、朝夕は涼しいですから、窓を閉め切らなければなりません。
学生たちも、昼休みには、芝生の上でねっころがったり、
サッカーやキャッチボールなどをしています。
いかにも大学の、初夏の昼下がりという気分をかもし出しています。
大学の前期の講義も残り少なくなってきました。
前期の定期試験、あるいは夏休みに向けて、
学生も教員もあと少しがんばらなくてはなりませんね。