2006年9月26日火曜日

5_52 宇宙から調べる1:視点の変化

 宇宙から調べるシリーズをはじめます。このシリーズでは、人工衛星を用いて、どのようなことが見えてくるか考えていきます。

 同じことを繰り返していても、なかなか大発見や革命的な考え方などは生まれそうにもありません。でも、繰り返しでもとことん突き詰めていくと、新たな発見が生まれることがあります。
 最近私は、人工衛星の画像を扱っています。ASTERという衛星画像を扱っていたことがありますが、現在主には無料で公開されているランドサット衛星の画像を扱っています。その画像を使うていると、同じ繰り返しであっても突き詰めていくと、発想の転換、あるいは違ったものの見かたを生むことを経験しました。その経験を中心に、このシリーズでは紹介していきます。
 私たち地質学者は、地上を歩きながら、丹念に岩石や地層の様子を調べ、試料を採取して、それを実験室へ持ち帰り、より詳しく調べていきます。この過程では、より小さいものへと視点を進めていきます。
 地質調査をするときは、20万分の1や5万分の1などの地形図を使い、テーマに合った地域を定め、その調査期間に調べる範囲を決めます。そして実際の調査では、今日はどの地域を歩くかを2万5000分の1の地図で決めて、1万分の1や5000分の1の地図をもって調査結果を記入しながら歩きます。
 実験室では、崖や川底などからとってきた岩石試料を詳細に観察します。顕微鏡で観察するために、岩石をガラス板(プレパラートといいます)にはり、20μmくらいの薄さにして、光を通るようにしていきます。このようなものを薄片といいます。時には、その薄片を、それぞれの鉱物の中をひとつひとつ丹念に分析装置で化学組成を調べていきます。ある装置の調べられる範囲は数μmのサイズです。
 そのようなデータを集めて、調べた岩石がどのような性質なのか、どのようにしてできたのかを考察していきます。その考察では、調査範囲の岩石や地層がどのようにしてできていったのを考えていきます。時には、もっと広域で考えていくこともあります。あるいは時間変遷を考えることもあります。
 調査は人間のサイズの視点からはじまり、研究室では顕微鏡スケールへ進み、考察で広域へと進みます。サイズでいいますと、m→μm→kmという循環をします。
 kmのスケールとはいっても、高い山からみれば、自分の調査範囲は一望できます。あるいは、ヘリコプターから見れば、自分の調査範囲や考察の範囲は一望することができます。ですから、地質調査に航空写真を用いることがあります。野外調査では見えない、地質の境界や断層、褶曲などがみえることがあるからです。私もそのような調査してきたことがありました。
 ある時、非常に広域を調査することをテーマにしたことがあります。広島、岡山、兵庫、京都まで広く分布する地質帯を、3年ほどかけて調査したことがあります。それをまとめるにあたって、航空写真では枚数が多すぎて入手不可能です。ですから、20万分の1や100万分の1の地図を使って考えていくことになります。そのようなスケールの範囲を、一望ものとに見ることができません。唯一ジェット旅客機の高度(10kmほどの上空)に乗ってみたときみえる景観の範囲に近いものとなります。しかし、そのような画像は手に入りませんでしたので、自作の地図で考えを巡らすことになりました。
 現在では、人工衛星から見た画角がちょうどそのような視点になります。もちろん地質でもそのような離れた視点から見えるもの、あるいは逆に見えなくなるものもあります。でも、自分が地をはうようにして長年調査した地域が一望できるのです。このような視点は非常に重要なものを提供すると考えられます。
 この続きは次回としましょう。

・新しい講義・
9月ももう終わりとなります。
北海道はめっきり秋らしくなってきました。
気の早い家では、もうストーブを炊いています。
我が家は、まだ炊いていません。
しかし、もう朝夕はすっかり冷え込んでいます。
最近北海道の秋らしく抜けるような青空の日がよくあります。
それが北海道の秋のよさであります。
さて、我が大学は、10月から後期の講義がはじまります。
そろそろ授業の準備をはじめます。
新しい講義が始まるので、また大変な半年となりそうです。
実際に毎回の講義を作っているときは、時間が足りなくて
はしょってしまったところや飛ばしたところなど
悔いを残しながらつくりこみます。
苦しく必死の思いでやっています。
でも、講義をつくるのは大変なのですが、
終わるとそれなりの満足感があります。

・いくつもの視点・
TERRAという人工衛星に搭載されている
ASTERというセンサーは地球の資源探査を目的とするものです。
日本とアメリカの共同で打ち上げて運営しているものです。
日本側の窓口がERSDACという半官半民の会社です。
私は、その衛星画像を科学教育に利用していくという試みを
ERSDACと共同で1年間に渡っておこないました。
私が調査で訪れた地を、
人としての視点、地質学的な視点、宇宙からの視点
という、それぞれ3つ違った視点で見たものを融合していきました。
その融合からどのような新たなことが
見えてくることのかを考えていく試みでした。
そのとき、画像処理はERSDACの専門家にお願いしました。
私でもソフトを使えば、加工できるはずなのですが、
なにせ初めてだったので、大容量の画像処理で大変だったので、
地域と画角を指定して、衛星画像の処理は任せていました。
私は文章を書くこと、手持ちの地表の写真と、
衛星画像の意味することを解説することに専念しました。
毎月1つの地域を選んで、
日本と海外を交互を繰り返しておこないました。
それは私にとって、いい経験となりました。
そしてそれは新たな挑戦へと続きます。
その話は、次回にしましょう。

2006年9月21日木曜日

3_49 マントルの水5:水の由来

 マントルの水シリーズの最終回です。前回まで、マントルの遷移層に水が留まることができ、そして実際に存在する可能性も指摘しました。今回は、その水がどこから来たのか考えていきます。


 マントルには、ある程度水があります。それは火山ガスや地球深部に由来する岩石を調べることでわかります。
 火山噴火に伴うガスの成分には、水蒸気、つまりH2Oが多く含まれています。そのH2Oの由来は、水素の同位体(質量数の違う核種)から、知ることができます。マグマの水の多くは、地表付近の水に由来するものですが、一部にはマントルから由来する成分があることが確かめられています。
 また、マグマが上昇してくるときに、マグマの通り道にあった岩石の破片を取り込んでくることがあります。そのような岩石は、捕獲岩と呼ばれています。捕獲岩にも水を含む鉱物がたくさん見つかっています。これも、地球深部に水がある証拠となります。
 マントルでマグマが形成される範囲は、せいぜい100km程度の深さです。捕獲岩もマグマの形成場所より浅いところになります。ですから、マントル遷移層の400kmのような深さから、直接マグマが由来することはありません。ですから、直接の証拠は今のところはありません。
 しかし、このシリーズで今まで見てきましたように、遷移層には水がありそうだと分かってきました。では、そんな深いところに、どのようにして水がもたらされたのでしょうか。
 2つの可能性があります。一つはもともとあったというもの、もう一つは海の水がマントルに入り込んだというものです。
 もともと地球をつくった物質に、水の成分が含まれていました。それはあ惑星の材料物質の残りといえるある種の隕石には、水の成分が含まれています。水のような岩石と比べれば気化しやすい成分は、地球の形成期に地球の外側ずぐに移動していったと考えられます。海の水もそこから由来しました。また、地球の内部は高温高圧ですので、残っていた水も、マグマと一緒に地表にもたらされたと考えられています。ですから、地球深部の水は、ずべて地表に出てしまったと考えられます。
 しかし、ストロンチウムやネオジウムなどの同位体組成から、そのような水を含んだ材料物質が、地球の遷移層より下の下部マントルには、まだ残っている可能性が考えらています。その水が遷移層に溜まっていると考えられます。
 もう一つの可能性として、海水のマントルへの逆流です。海水といってもH2OやOHなどのことです。海洋プレートが海溝で沈み込むとき、海底で海洋地殻の中に溜まった水分は、搾り出されていくと考えられていました。しかし、マントルの物理条件が変化することによって、水を含む鉱物が、深部でも安定に存在できることが実験からわかりました。そのことから、沈み込むプレートと共に、地球深部に水が入り込む可能性がわかってきました。
 それのような変化は、地球が冷めていくことで起こると考えられます。7億5000万年前から5億5000万年前にかけて起こった事件だと考えられます。すると、大量の水がマントルに時期にもたらされることになります。しかし、その水の行き場所が今まで不明でした。それが、今回の報告で遷移層に蓄えられるという可能性がでてきたのです。
 どちらか可能性が正しのかまだ、判断できません。どちらもそれなりの根拠があります。しかし、今回の大谷さんたちの報告は、マントル深部に水が存在でき、地球史上の重要な事件の謎を解く可能性をも示したのです。

・謎を解く鍵・
大谷さんたちの報告の持つ意味を紹介しました。
今回でマントルの水シリーズも終わりです。
間も開いて、長い連載となりましたが、いかがだったでしょうか。
日ごろ当たり前に目にする水も、その由来をたどると、
なかなか複雑な経歴ありそうなことがわかっていただけたでしょうか。
そして大谷さんたちが、その複雑な問題を解く鍵を一つ見つけたのです。

・近況・
北海道はめっきり秋らしくなりました。
高山では紅葉の便りも聞きます。
いよいよ我が大学の長い夏休みも終わろうとしています。
北海道の9月はもう夏休みというには涼しすぎます。
我が家の子供たちは、急に涼しくなったので、
風邪を引いてしまいました。
夏休み前は夏風邪、夏は夏バテ、秋は風邪。
どうも今年の夏は、我が家では体調不良に見舞われています。
私はいつものように仕事に追われています。
どれも興味をもってやっていることなのですが、
やはり追われて仕事をするのはつらいものです。
でも、好きでやっていることですから、
愚痴は言わずやりましょう。

2006年9月14日木曜日

4_72 城川へ:そこには、きっと固有の大地がある

 私は毎年城川町にきています。もう14年近くなるでしょうか。今年も9月2日から6日まで滞在しました。そのとき感じたことがあります。

 今年も城川に来ました。城川とは、四国愛媛県西予市の中にあります。山奥の小さな町です。その城川町でもさらに奥の窪野というところにある公園施設の一つとして地質館があります。地質館の近くにもとは窪野小学校の跡地に、城川自然ロッジがあります。
 今年は、4泊しましたが、正味3日間の仕事時間となりました。その間は、地質館とロッジだけの往復だけでした。今回の仕事は、地質館のデータベースの作成でした。城川町の地質データベースは、すでに完成していました。しかし、3年前に市町村合併で西予市になったことで、西予市の地質館としてカバーすべき地域が広くなりました。
 城川町では、野外での地質観察ポイントをもうけて、その地点の様子や岩石の写真などを紹介していました。そのような観察ポイントを、合併した他の4つの町でもみつけて、作成していくことにしました。そのため、2年間、野外調査をして、データを集めてきました。
 城川町は、地質学的に非常に面白く、見学すべきところもたくさんありました。そのため地質館ができたのです。城川町と比べると、合併した他の市町村は、地質学的には見劣りがしました。ですから、調査をはじめるまでは、本当に見るべき観察ポイントがあるだろうか心配していました。
 しかし、そんな心配は杞憂にすぎませんでした。
 詳しく地域の地質を見ていくと、そこには必ずその地を構成している岩石や地層があります。それは地域によって固有であり、その地域の地質が地域の自然をつくり、風土を生んでいます。ですから、なんとか岩石のでている露頭さえみつければ、それなりの観察ポイントにすることができました。
 その中には、第一級の構造線(仏像構造線)の露頭を見つけることができました。また町内には、四国カルストの石灰岩地帯や、古生代の海底に噴出した溶岩、深海底に堆積した海のプランクトンの死骸からできている層状チャート、きれいに重なった凝灰岩の地層、などなど、地質学的に面白く多彩なポイントが、海や山で見ることができることが判明しました。
 本当はもっと各地を詳しく調査していきたかったのですが、研究費で定められた期限が今年まででした。ですから今年が一応の区切りとなります。
 今回、それらの集大成として、調査結果をデータベースとしてホームページ上で公開できるようにすることが、城川に出かけた目的でした。残念ながら、時間不足と画像データの撮影が残ったため、完成できませんでした。あとは、こつこつと、つくりこんでいきたいと思っています。

・日陰者として・
どの地域にも固有の自然があります。
自然は、その地の土壌、気候と地形に大きく左右されます。
そして土壌や地形は地質が大きく関わっています。
地質が、その地の自然に大きなかかわりを持っています。
地域の自然を理解するには、地質の理解は不可欠といえます。
西予市を歩いて感じることですが、
城川町の人は地質で有名なところですから、
地質に関心を持っています。
しかし、他の地域の人は、地質に関して人は非常に無関心です。
ある生物がいなくなると、どこでも騒ぐのですが、
地質学的に第一級の露頭が、
コンクリートに覆われようとしているのですが
だれも関心を持ちません。
地質は日陰者の存在のようです。
縁の下ではなく地下の力持ちとして
ばんばるしかないのですかね。

・城川自然ロッジ・
私がいつも泊まっている城川自然ロッジは、
かつては、第三セクターによる運営でした。
しかし、赤字でいったん閉鎖したのですが、
今年の8月から再度運営形態を変更して再開しました。
非常に雰囲気のいいロッジで、私はここが大好きです。
ただ、集客のためにはハンディがあります。
国道からは離れているし、
奥まっているために観光地への中継地点でもありません。
ですから、どうしても集客力がありません。
それに町内には宝泉坊温泉があり、そこは交通の便もよく、
昨年の11月から大きな保養施設へと改築されました。
ですから、どうしても観光客はそちらに向かいます。
今回泊まったとき、ロッジの人といろいろ話をした。
いい人で、なんとか存続してもらいたいものです。
一人の人間の希望、努力には限界がありますが
微力ながら影で応援したいものです。

2006年9月7日木曜日

3_48 マントルの水4:浮沈法

 マントルの水のシリーズです。少し、間が開きましたが、遷移層にマグマが留まれるかどうか、みていきましょう。


 遷移層にマグマができることは、前回示しました。ところが、マグマが遷移層に留まれるかどうかと、遷移層に水があることを、まだ説明していませんでした。
 まず、マグマが遷移層に留まれるのでしょうか。マグマは、まわりの岩石が溶けてできたものです。一般に同じ成分の固体と液体を比べれば、液体の方が密度が小さく、固体が大きくなります。ですから、マグマができると、上昇してきます。これは、マグマの上昇のメカニズムでもあります。
 マグマが遷移層に留まるというのは、常識を破る現象なのです。では、この常識破りが正しいかどうか、どうすれば判定できるのでしょうか。前にも紹介しましたが、高温高圧実験で遷移層の条件をつくり出し、そこでマグマをつくってみればいいわけです。そしてそのマグマが周囲の岩石より、密度が大きいか小さいか比べれてみればいいわけです。
 実際の遷移層では、水があるためにマグマができるのでした。ですから、実験でも、水を入れてマグマをつくらなけばなりません。実は、水を含んだマグマの密度をはかるのは、非常に難しい実験で、だれもできてせんでした。その実験に大谷さんたちのグループが成功したのです。
 その方法は、「浮沈法」と呼ばれるもので、大谷さんたちのグループが、以前に開発したものです。浮沈法とは、マグマの中にダイヤモンドをいれて、そのダイヤモンドが浮くか沈むかで、マグマの密度を決めようというものです。ダイヤモンド自身の密度は、温度圧力の条件が決まれば、状態方程式から決めることができます。
 高温高圧の実験でマグマをつくり、その中でダイヤモンドが完全に移動を終えてから、その装置の温度を急激に下げます。すると、マグマは一気に冷めて固まります。ダイヤモンドの位置を維持したまま、固まります。それを装置から取り出して、資料を顕微鏡で観察して、どの位置にあったかをみて、密度を決定するものです。
 実験の結果から、マントルの遷移層の条件で、マグマが滞留できることがわかりました。これによって遷移層にマグマが存在できる根拠が見つかったわけです。
 マントルの岩石にも水は入ることができますが、マグマができれば、水はマグマの方へ移動します。また遷移層でマグマができる条件は水があることです。ですから、マグマがあれば、その中に水がきっとあるはずになります。
 実験から、マグマが遷移層に滞留できるには、水が6.7重量%の含有量までなら、大丈夫ということが分かりました。つまり遷移層のマグマには最大、6.7%まで水が入りうるということです。
 6.7%というのは、一見少なそうに見えますが、遷移層全体と考える、膨大な水の量になります。
 単純な試算をしてみましょう。海水は1.4×10^21kgあります。遷移層の岩石の重さは、体積と密度から3.9×10^23kgと推定できます。その6.7%なら2.3×10^22kgとなり、あとはマグマが遷移層にどの程度あるかによって水の量が決まります。マグマが重さで5%ほどできるとしたら、海水の同じほどの量が遷移層にあることになります。
 まだマグマの量ははっきり分かりませんが、少量でもマグマがあれば、その水の総量は、膨大な量となります。遷移層のマグマが、地球の海に匹敵するほどの水の貯蔵庫となりえます。
 地震波を詳しく見ると、上部マントルと遷移層の境界に、でこぼこが見つかっています。このでこぼこは、温度のムラという説明がされていますが、大谷さんたちは、遷移層の水の含有量の違いによって、説明したほうが無理がないと考えています。
 でも、この水はいったいどこから来たのでしょうか。それは、次の回としましょう。

・シンプルな問いが難しい・
マントルの水シリーズの4回目をお送りしました。
冥王星の騒ぎで、2回、間が開きました。
ここまでの説明で、遷移層の水があってもいい
という論理的な根拠ができました。
遷移層の実体をよく詳しく解明してされて来ました。
そこには、困難とされた実験を解決する方法を以前開発してました。
その方法が、今回の実験にも活かされました。
その結果、マグマがマントルの深部に留まれることが
明らかになってきました。
今後は、次のステップへと進みます。
次のステップとは、
遷移層に水があるのか
あるとするとその水はどこから来たのか
という問題を解決することです。
実は、この一番シンプルな問いが、
答えを得るものが一番難しい問題です。
それは、次回説明しますが、
推定するしか現状ではありません。
でも、簡単な問題ほど、研究者なら誰もが取り組みたい、
そして誰もが知りたい問題となります。

・四国へ・
このエッセイは、四国の城川に出かける前に書き、
発行したものです。
8月の段階で書いています。
ですから、四国の様子をここでは、報告できません。
近いうちに、紹介しますので、お楽しみに。