2004年12月30日木曜日

1_37 原生代2:海水のマントルへの逆流(2004年12月30日)

 地質時代シリーズ、原生代の2回目です。今回は、海水がマントルへ逆流しだした事件について紹介します。

 原生代後期、10~6億年前に大事件がおきました。それは、顕生代への移行期(エオカンブリアンとも呼ばれています)の頃でした。大事件がおこったという証拠として、氷河に関係した地層と陸や浅い海でたまった地層などがあります。
 氷河に関係した地層には、ティライトなど各種の氷河堆積物がありますが、それは地質時代シリーズの次の回で詳しく紹介します。陸や浅い海でたまった地層の証拠としては、蒸発岩(石膏、岩塩など)、赤色砂岩、正珪岩(オルソクォーツァイト)と呼ばれる岩石がみつかります。
 蒸発岩とは、内湾や湖で、海水や水に溶けていた成分が、水分が干上がることによってできたものです。そこには、暑く乾燥気候があったことが分かります。乾燥気候は、大きな大陸の存在を意味します。赤色砂岩は、干潟のような酸化しやすい環境でできた堆積岩です。正珪岩(オルソクォーツァイト)とは、よく円磨された石英の粒からだけでできたもので、砂漠のようなところできた砂がたまってできたものです。
 これらの証拠を詳しく調べていくと、2つの事件がおこったことがわかりました。一つは、7.5億年前に起こった海水のマントルへの逆流と、もうひとつは、7億5000万年前~5億8000万年前にあいだに起こった全球凍結(スノーボールアース)というものです。
 海水のマントルへの逆流は、浅い海でたまった地層が大量に形成されたことと、変成岩の中に見られる鉱物が時代変化していることの2つから推定されています。
 大量の堆積物の形成されるには、大きな河川が多数必要で、これは陸地が広くなったことを意味します。つまり、海水が減った可能性があるのです。上で述べた赤色砂岩や正珪岩(オルソクォーツァイト)は、大陸が広がり、その大陸が海面上にあったことを示します。
 海水の逆流は、地球の冷却が、その原因だと考えられています。地球は、内部に蓄えている熱を、マントル対流として地表に放出しています。地球が今より熱を持っていて暖かかったときは、水を含む鉱物がプレートの沈み込むときに分解されていました。ところが、地球が冷めることによって、水を含む鉱物がプレートと伴にマントルに沈み込めるようになりました。それは、地表に出てきた沈み込み帯で形成された変成岩の中の鉱物の種類が時代変化として見られるということです。それが、7億5000万年前頃に見つかりました。その頃に、海水がマントルに逆流をはじめたのです。
 7億5000万年前ころから5億5000万年前ころにかけて、海水は徐々に減っていきました。海の深さにすると、200~300m分の海水が、マントルに入ったと考えられています。そのために、陸地が広がったのです。陸地は地球の表面積の10%くらいだったのが、現在の30%くらいにまで広がったと推定されています。
 水を含むようになったマントルは膨れ、陸がより上昇します。広い大陸ができ、砂漠や氷河もできるという多様な陸上の環境が形成されます。大河の形成もおこり、堆積物もより多く形成されます。
 広がった陸地から、大量の陸の成分が溶け込み、海水の塩分濃度が上昇したと考えられています。また、堆積物が増加すると、その中に含まれていた有機物が分解されずに、岩石中に残っていきます。これは、炭素が、大気-海洋-生命のサイクルから取りのぞかれることになり、大気中の酸素が増加していくことになります。
 マントルに水が入ると、マントルは軟らかくなり、暖かいマントルが上昇しやすくなり、火山活動が活発になります。その結果、マントルに逆流する水と、マグマの活動によって、新しいマントルの安定状態ができ、海水の減少も止まります。このような安定状態に5億5000万年前ころに達したと考えられます。
 全球凍結(スノーボールアース)については、次回紹介しましょう。

・読者の皆様への感謝・
今年は、これが最後のメールマガジンとなりました。
この1年間、購読ありがとうございました。
そしてメールをいただいた方、本当にありがとうございました。
大変励みになりました。
このようなメールマガジンは、
購読されている方が存在するとういことが重要です。
購読されている方がいれば、
メールマガジンとはいえ、独りよがりな発言は自粛します。
また、乱暴な考え方、常識はずれの考え方を
自分自身で深く考えながら、方向も修正をできます。
このメールマガジンは2000年11月末にスタートして
4年以上が経過しました。
毎週書くことが習慣となってきました。
時間がないときは、書くのがつらいこともありました。
でも、興が乗ると、2、3回分を一気に書くこともありました。
このメールマガジンを書くことが、
自分のペースメーカーのような役割を持ってくるようになりました。
私自身にとって重要なものとなっています。
その背後は読者がおられることが、
やはり何ものにも換え難い重みがあります。
どうもこの1年間も購読いただきありがとうございます。
よろしければ来年も購読をお願いします。
では、よいお年をお迎えください。
新年号は、1月6日発行の予定です。

・新しいメールマガジンの発行・
前回もお伝えしましたが、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、暖めた企画で、「大地を眺める」というものです。
大地の景観を、地形や地質のデータから眺めたら、どう見えるか、
毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固いものではなく、読みやすいエッセイで綴ろうと考えています。
地形を鳥瞰しながら、大地の造形に隠された仕組みに、目を向けます。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。

2004年12月23日木曜日

1_36 原生代1:地球の特徴の形成(2004年12月23日)

 地質時代シリーズです。今回は、原生代です。原生代は、現在にいたる地球の特徴がつくられた時代です。3回にわたってみていきます。

 原生代は、太古代と顕生代の間の時期です。原生代のはじまりは24億5000万年前で、終わりは5億4200万年前となります。原生代の特徴は、一言でいうと、現在にいたる地球の特徴がつくられた時代といえます。具体的には、大気の改変(太古代と原生代の境界の事件)、生命の関係する岩石の形成、大陸の形成、大量の堆積岩の形成、の4つが挙げられます。
 順番に見ていきましょう。大気の改変とは、太古代と原生代の境界の時代に起こった事件です。その事件は、その時期に特徴的に現れる縞状鉄鉱層、ストロマトライト、赤色砂岩が、形成されていることから推測できます。これらの証拠は、光合成をする生物が、浅海に大量発生したことを示しています。つまり、大気が変化してきたということです。
 酸素の急増によって、酸化に対応できた生物だけが生きのびて、繁栄しました。それは、ミトコンドリアを細胞内に持つことです。もともとミトコンドリアは一つの生物でした。それが他の細胞に入り込んで共生しました。入りこまれた生物は、住みよい環境と安全を与え、ミトコンドリアは酸素を処理しました。DNAを区別すためでしょうか、ミトコンドリアに入りこまれた生物は膜の中に入れました。これが真核生物の誕生です。21億年前ころに起こったと考えられます。
 酸素を作った葉緑体やミトコンドリアを体内に持つことによって、生きのびただけでなく、酸素の強力な化学反応のエネルギーを有効に利用できるようになりました。このような新しい機構をもった生物は、大型化できるようになったのです。
 その結果、縞状鉄鉱層、ストロマトライトや石灰岩など生命の関係する岩石が形成されはじめます。また赤色砂岩は大気に酸素が増えた証拠だと考えられています。
 原生代の地層から、28億年前と18億年前に激しい火成活動が起こったことがわかります。このような激しい火成活動は、地球内の何らかの事件に対応しているはずです。28億年前と18億年前頃の2つの事件は別の原因に夜と考えられています。
 28億年前に起こったこととは、マントル対流が、二層対流から、一層対流へ変わった事件だと考えられています。
 一層対流とは、沈み込んだプレートは、670km(上部マントルと下部マントル境界部)にたまり、結晶がより密度の高いものに変化した後、重くなって沈みます。その反動として、核とマントルの境界部から、暖かいマントルが上昇してきます。
 対流の直径にプレートの大きさが、匹敵すると考えられています。二層対流の頃は、700kmくらいのプレートと大きさになり、一層対流になると、3000kmくらいのサイズになります。このサイズのプレートで地球の表面を覆うと、10枚くらいのプレートの数になります。この数は、現在のプレートの数に一致します。
 18億年前の事件は、ウイルソンサイクルがスタートした時期と考えられています。
 ウイルソンサイクルとは、カナダの地質学者ツゾー・ウイルソンが提唱した、海洋プレートの一生をプレートテクトニクスという考えで説明するときに生まれた考えです。
 地球内部の熱の放出は、物質の対流(マントル対流)でおこなわれます。この対流の出口にあたるのが海嶺です。海嶺では新しい地殻がつくられています。地殻とマントルの一部は、かたい板(プレート)として地球の表面を移動します。このようなプレートはリソスフェアともよばれます。10数枚のプレートの水平運動によって、さまざまな大地の営みを考えることをプレートテクトニクスといいます。
 太古代にも堆積岩はあったのですが、その量は少なかったと考えられています。太古代は、大きな大陸はなく、列島(島孤と呼ばれる)や、せいぜい小さな大陸程度(マダガスカル島程度)のものしかなかったようです。大量の堆積岩できはじめるのは、原生代になる直前の28億年前頃からです。大陸には、原生代の初期から中期にかけて、堆積岩たくさん分布します。堆積岩がたくさん形成されるためには、広い陸地がなければなりません。つまり広い大陸が形成されたことを意味します。
 18億年前には、最初の超大陸ヌーナ(ローレンシアと呼ぶ人もいます)が誕生します。ヌーナとは、North Europe and North Americanの頭文字をとったもので、アメリカ、ハーバード大学のホフマン博士が命名しました。超大陸とは、地球の大陸の大部分(80%以上)が、一ヶ所に集まったものです。当時は大陸がまだ少なかったので、ヌーナは、現在の北米大陸の大きさ程度だと考えられています。現在のその破片は、北米大陸、グリーンランド、スカンナビア半島、オーストラリア大陸、南極東部に分散しています。原生代後期には、造山運動が活発になり、造山帯と安定帯の区別がはっきりしてきます。
 大量の堆積岩できると、その中に堆積物として有機物や、石灰岩が保存されます。これは、炭素が、固体として固定されることを意味します。生物が利用する炭素の大部分は、大気の二酸化炭素から供給されています。大気から、二酸化炭素が一方的に取りのぞかれていきます。

・今年のうちに・
いよいよ2004年も押し詰まってきました。
皆さん、今年のうちにしなければならないことは、
すべて終わりましたか。
私は、まだ終わっていないことがあります。
それもたくさん残っています。
どうしましょうか。悩んでしまいます。
でも、愚痴を言っても、終わるわけではありません。
仕方がありません。ひたすらやり続けることです。
今までサボっていたツケが回ってきたようです。
少々乱暴でも、なんとかやりきってしまうことも手かもしれません。
すると、その先で、進めるべき目処が立ちます。
あわよくば、次なるステップに進めるかもしれません。
まあ、これも終わらなければ空論ですが。

・新しいメールマガジンの発行・
このたび、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、あたためていた企画です。
「大地を眺める」というものです。
大地の景観には、さまざまな自然の驚異、素晴らしさ、
不思議が隠されています。
そんな大地の景観を、地形や地質のデータから、
地質学者である私が眺めたら、どう見えるでしょうか。
そんなことを毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固い内容ではなく、私が訪れたときの感想をいろいろ述べる
エッセイのようなものにしていくつもりです。
また、地形の数値データを使用して
見づらい地形や、特徴的な地質を
鳥瞰することもしていきます。
大地の造形に隠された仕組みに、目を向けて、
楽しんでもらえるものを考えています。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
もしよろしければ、
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。

2004年12月16日木曜日

3_39 ゼロ・エミッション:サブダクション・ファクトリー4

 サブダクション・ファクトリーをシリーズでお送りしましたが、これで完結となります。今回は列島の下でおこなわれる作用が、非常に効率的に大陸地殻をつくるという話です。


 大陸地殻の平均は、トーナル岩あるいはカルクアルカリ安山岩の組成でした。そのようなマグマが大量に活動しているのは、日本列島のような、プレートの沈み込み(サブダクション)があるところでした。もちろん火山だけでなく、深部でゆっくりと固まっていく深成岩の活動もあります。
 列島のマグマの活動は、火山のようなマグマの噴出だけでなく、巨大な花崗岩のマグマ、あるいはトーナル岩のマグマなど、さまざまな性質、種類のマグマの活動が起こっています。しかし、列島では、平均すると安山岩質のマグマで、実際に安山岩質の火山噴出がたくさん活動する場所であります。
 列島の下での物質収支を見積もる試みが、海洋科学技術センターの巽好幸さんによってなされています。まだ、完全に証明されたものではありませんが、その全貌が明らかにされつつあります。
 沈み込むプレートから水や水に溶けやすい成分が、列島の下のマントルに供給されます。条件によってはプレート自体が溶けることも起こります。これが、列島の下への物質供給です。出がらしや溶け残りのプレートは、マントルへと沈みこんでいきます。
 供給された水は、マントルを溶かして、まずは玄武岩質のマグマをつくります。列島の地殻が薄いときは、そのまま火山として噴出し、玄武岩の火山ができます。列島が厚い地殻になっているときは、玄武岩質のマグマが、すでにある玄武岩を溶かして花崗岩質のマグマを形成します。
 また、玄武岩質のマグマが地殻にたまった堆積岩を溶かすと、大量の花崗岩マグマをつくります。この堆積岩は、列島にある岩石が浸食されて溜まってできたものです。列島で、物質は自給されているものです。
 花崗岩質のマグマが、そのまま固まれば、深部で花崗岩になります。しかし、列島の下では、溶かした玄武岩質のマグマか別の玄武岩質のマグマかはわかりませんが、花崗岩質のマグマと混じるということがよく起こります。混じる比率によって、玄武岩に近いものから花崗岩(火山岩ではデーサイトや流紋岩とよばれます)まで、多様なものができます。しかし、列島で安山岩質のマグマがたくさん活動していることから、玄武岩と花崗岩の間の安山岩になることが多いとわかります。
 玄武岩質マグマと花崗岩質マグマが混じってカルクアルカリ安山岩ができるということは、柵山さん(残念ながら若くして地質調査中に亡くなられました)が、日本列島の火山の研究から、すでに明らかにされています。
 列島では、プレートがもぐり込むときに圧力が上がることによって必然的に起こる脱水作用が引き金になっています。列島の下で溶け残り物質は、残存物として、マントルに沈んでいきます(デラミネーションと呼ばれています)。このような特殊な履歴を持った物質は、マントル深部に貯蔵されます。
 もし、このような特殊な物質がまったく利用されることがないと、私たちはこのモデルが本当かどうか証明のしようがありません。ところが、これらの物質は、マントル対流やプルームとよばれる上昇流として、火山活動をしているところがあります。ですから、残存物が存在することが判明しています。
 まるで、地球全体が、廃棄物ゼロ(ゼロエミッション)の工場のように、無駄なく大陸地殻を形成しているようにみえます。巽さんは、このような作用を、工場に見立ててサブダクション・ファクトリーと呼んでいます。

・日本の貢献・
4回にわたって続いたサブダクション・ファクトリーですが、
今回で終わりとなります。
私たちの住む日本列島が、
その秘密の解明の舞台となっています。
そして、それを主導的に解明している人たちも日本人です。
日本列島を調べることことで、地球の大陸のでき方から、
地球の物質循環まで、解明されつつあります。
日本人が、科学の進歩に大きな貢献をしていることです。
なかなか痛快なことですね。

・苦労は報われる・
日本列島は、色々な岩石が少しずつでるような
まるで標本箱のような地域です。
標本採取をするには便利なのですが、
鉱物資源を採掘するには、地質が複雑であるために、
大量に採集することができず、ハンディがありました。
しかし、苦労して採掘した結果、
石炭を地下深くで探がしたり、掘ったりする技術は、
世界の一流になりました。
露天掘りする国では、技術はそれほどいらず進歩もしません。
しかし、そんな国でも、地表の主だった石炭が採り終わると、
次は地下で採掘していかなければなりません。
日本は、その技術を輸出することができます。
今回は、列島の研究から大陸の起源を調べる研究を
輸出することなりそうです。
今回のサブダクション・ファクトリーでも
今までの苦労が報われるといいですね。

2004年12月9日木曜日

3_38 列島の岩石:サブダクション・ファクトリー3

 前回までに、海底の岩石は玄武岩で、大陸の平均的な岩石は、列島のカルクアルカリ安山岩の化学組成に似ていることを示しました。それはトーナル岩と呼ばれるもので、実際に日本列島でも見つかっているという話をしました。今回は、列島の岩石について見ていきましょう。


 列島には、さまざまな岩石があります。火成岩、堆積岩、変成岩、それこそありとあらゆる岩石が見つかります。
 その比率は、理科年表のデータからみていくと、堆積岩が58%、火成岩が38%、変成岩が4%となっています。これは、どのようにして求めたかというと、日本の地質図から上の3種の岩石を読みとり、その岩石の分布する面積を、岩石の占める比率とみなしたものです。
 堆積岩が一番多く、ついで火成岩、変成岩となっています。堆積岩が多いのは、日本列島が、つねに激しい風化や浸食を受けていることを示しています。陸地はどこでも程度の違いはあるでしょうから、風化や浸食を受けているはずです。しかし、多くの堆積岩ができるということは、激しく変動している地域であるといえます。その変動は、火山であったり、断層であったり、褶曲であったり、大規模な大地の営みが激しく起こっている場所です。このような地域を変動帯と呼んでいます。日本は変動帯なのです。
 日本の火成岩の内訳をみると、火山岩が26%、深成岩が12%となり、火山岩が深成岩の2倍以上あります。ですから、日本列島の現在見られる姿は、火山岩で特徴づけられているといえます。
 深成岩はマグマ地下深部でゆっくりと冷えてできたものです。その中には列島の下で新たにつくれた深成岩がたくさんあります。深成岩の中では、花崗岩が圧倒的に多くなります。深成岩が地表に顔を出すには、上にかぶさっている地層や岩石が、大地の営みによってなくならなければなりません。新しい時代にできた深成岩が、地表に顔を出しているのは、上で述べた侵食によるものです。
 マグマの活動の激しい日本列島では、現在も花崗岩がつくられているはずです。多くの花崗岩は、まだ地下にあり、地表に顔を出していないのですから、深部には多くの花崗岩があると思います。でも、それは私たちにはわかりません。
 堆積岩も変成岩も、元になる岩石があったわけですから、その元をたどれば、いくつの岩石を経由するかはわかりませんが、最後には火成岩にたどりつくはずです。火成岩が日本列島の岩石の特徴を決めると考えられます。
 まずは、深成岩として花崗岩がたくさんあることは、心にとめておきましょう。列島のマグマの特徴を、多少の誤差があるでしょうが、現在活動している火山のマグマが代表しているとみなしましょう。そのマグマがどのような性質のものかを見ていきます。それには、現在(第四紀の火山とします)の火山岩の性質をみればいいいことになります。
 日本列島も厚い地殻のある地域や、薄い地殻の地域などさまざまですが、典型的な列島として、厚い地殻ある東北地方を列島の代表としてます。玄武岩から流紋岩まで幅広くありますが、安山岩が圧倒的に多くなっています。そして安山岩もカルクアルカリ安山岩と呼ばれるものが多くなっています。こうして、とうとう列島のマグマが、カルクアルカリ安山岩をつくる性質のものであるとういことにたどり着きました。
 3回の話で、地球の各地の岩石の様子をみてきました。さて、次はいよいよサブダクション・ファクトリーでの大陸地殻製造工場の説明です。

・異常・
先日の異常な低気圧で、本州はとんでもない風と陽気が襲い、
北海道にはドカ雪が降りました。
そして、週明けの7日には、北海道で、なんと雨が降りました。
6日の朝は、雪が凍りアイスバーンになっていたのに、
なんとも移ろいやすい天候でしょうか。
このようなことをいうと
今年は夏暑くて、台風が多く、地震が多いなどと思い起こし、
地球はどうも異常をきたしている、という意見がでてきそうです。
しかし、確か去年と一昨年の夏は、暖冬、冷夏で
異常気象の話題がありました。
毎年、何らかの天候に異常があるようです。
いつの時も、人は、平年と比べてその年の天候の特徴を考えます。
そしてその特徴が際立っていると、すぐ異常だということをいいます。
地質学からみると本当の異常は、
大絶滅が起こすようなものだと思いますが、いかがでしょうか。
人類が気候の記録をとりはじめてから、
あるいは文字で記録を残しはじめからの変化は、
地球の異常を語るには、あまりにも短すぎます。
それをついつい地球という言葉を重ねて、その異常に重みをつけようとします。
地球という言葉がつくと、私は、ついつい
もっと大きな異変がありましたよ、といいたくなります。
大きなお世話でしょうか。

・事実と真実・
Kogさんから、メールをいただきました。
それは、列島の岩石が大陸になっていくという考えが、
昔の造山運動で語られていたものに似ているのというものでした。
それに対して、私は次のような返事を出しました。
「昔の造山運動は、大地の上下動の垂直運動で
すべての地質現象を説明しようとしたものです。
一方、プレートテクトニクスは、水平運動を原動力としてます。
しかし、基本となる地質学的データは、
いつの時代も、野外調査から得られた事実です。
ですから、そのような事実は、いつまでたっても不変のままです。
また、事実から見えてくる相似性もかなり事実に近い考えのはずです。
大陸周辺部の造山帯が、大陸に付け加わり、
大陸成長していくというのは、昔の造山論の中にありました。
事実に近い相似性も不変に近いのでしょう。
造山論は、当時得られていた事実
もしくは、相似性から作り上げられたモデル、思考です。
事実が増え、そして多様な相似性が得られてくると
そのモデル、思考も自ずから変化していくのでしょう。
季節は移ろい、自然も変化します。大地すら時間とともに変化します。
さまざまなタイムスケールでの変化の集積が、今をつくっています。
比べるまでもなく、もっとも移ろいやすいものは人間の思考の方です。
私たちの知恵は、いったい、いつになったら、
真の自然の姿を見ることができるのでしょうか。
でも、知恵が変化していくので、科学者の興味も尽きないのでしょう。
そしてその延長線上いる私も、それが飯のタネとなるのです。」
というものでした。お粗末さまでした。

2004年12月2日木曜日

3_37 大陸の起源:サブダクション・ファクトリー2

 海洋地域の岩石は玄武岩の化学組成を持ち、大陸地域の岩石は、平均すると安山岩に似ている、というところまで前回は話をしました。今回は、その続きです。


 大陸地域の岩石は、平均すると安山岩(火山岩の名称でいうとトーナル岩となります)の組成なるということは、多くの地質学者は、知っていました。なぜなら、地震波からみると大陸の上部の岩石が花崗岩(火山岩の名称でいうと流紋岩となります)があり、大陸深部には斑レイ岩(火山岩の名称でいうと玄武岩となります)のような成分の岩石があると推定されていました。ですから、大陸の平均化学組成も安山岩なるだろうというわけです。
 地震波のデータからだけでなく、大陸地域には実際に花崗岩が広がっていることは多くの人が知っていました。また、大陸地域で活動している火山のマグマの中には、深部の岩石が紛れ込んでいるのですが、それには斑レイ岩の仲間の岩石がたくさんありました。地震波のデータを信じたくなるような事実もあったのです。
 大陸地域の岩石の起源を探るには、深部の斑レイ岩の起源と浅い部分にある花崗岩が、それぞれどうしてできたかという2つの問題を、独自に解くことになります。
 昔の海洋の岩石の上に、軽い花崗岩が活動して大陸ができたと考えれば、問題は単純になります。つまり、深部の斑レイ岩の起源は、海洋の岩石がどうしてできたのかという問題に置き換えればいいわけです。それは、海洋地域の岩石の起源に関する結果をそのまま借用すればいいのです。ですから、大陸の起源というと、花崗岩の起源ばかりに議論が集中していました。
 しかし、研究が進むにつれて、思わぬ方向に大陸の起源の話が進むようになってきました。大陸の起源に、列島が重要な役割を果たしているのではないかという考えが出てきたからです。
 そのような考えにいたる理由がいくつかありました。
 まず、大陸地域の岩石の平均化学組成を詳しく見ていくと、列島固有の火山がであるカルクアルカリ安山岩というものに似ていることがわかってきました。また、日本列島の伊豆-小笠原列島の地震探査から、どうもトーナル岩のようなものがあることがわかってきました。さらに、伊豆-小笠原列島の一番大陸側にあたる丹沢山地には、新しい時代(約1000万年前)にできたトーナル岩が上になった地層が削剥されて露出していることもから、どうも列島で大陸の岩石が現在進行形でつくられているのではとい考えられるようになってきました。
 そうなると、大陸の深部の斑レイ岩と上部の花崗岩の起源を別々に考えるのではなく、統一的に考えていく必要ができてきました。それを解き明かすには、列島のマグマがどういう仕組みでできるいるかということを解くことでもありました。それを解いていけば、大陸の岩石の起源を統一的に理解できる答えが得られるはずです。その続きは、次回としましょう。

・列島と島弧・
このエッセイでは、日本列島のように海側に海溝があり、
火山がいっぱいある島の連なりを、
「列島」と呼びました。
列島なら、多くの人が馴染みがある言葉だからです。
地理学では、島がたくさんあるところを
島嶼(とうしょ)と呼びます。
難しい字ですが、嶼とは、小さい島という意味です。
ですから島嶼とは大小様々なしまじまという意味からきています。
地質学では島弧といういい方をします。
英語から来た言葉です。
英語で島弧は、island arcといいます。
列島は一般に島が弧状に並んでできているからです。
弧状列島という言い方もしますが、
地質学では島弧という言葉の方がよく使われています。
字が簡単で島嶼よりは、わかりいい言葉なのですが、
多くの人には、馴染みがないようです。
ですから、ここでは列島という呼び方を使いました。

・水道管凍結・
私の住む北海道の町では、とうとう雪になりました。
今回の雪は、本格的なもののようです。
冬型の気圧配置によって、降った雪です。
10月下旬に一時的に冬型になって初雪が降りましたが、
今回は本格的な冬型のようです。
天気図では西高東低で等圧線が混んでいました。
強い北西風が吹き、やがて激しい雪となりました。
いよいよ冬本番となってきたようです。
我が家では、ついうっかりして、
外の水道を凍らしてしまいました。
水抜きをするのを忘れていたのです。
水道管は破裂しなかったのですが、
地面から立ち上がったところが凍ったようです。
水道管の立ち上がっているところは、
断熱をしてあるので、
凍った部分が奥の方だったら融かすのも一苦労です。
今回は、幸いなことに、蛇口のところだけが凍っていました。
寒い夜を迎える前に何とかしておかなくはなりません。
お湯を掛けただけで融けてくれたので、一安心です。
それまでその水道につけていた
水まき用のホースが凍ってしまいしました。
室内に入れると融けてきて水だらけになります。
ですから、暖かい日にお湯につけて融かすしかないようです。
それまで雪のかからないように軒下に置いておくしかありません。
暖かい日は、いつ来るでしょうか。
まさか春まで来ないということはないでしょうが。
さてさてどうなることやら。

2004年11月25日木曜日

3_36 地殻をつくる岩石:サブダクション・ファクトリー1

 大陸の岩石は、日本列島のような火山列島でつくられていることがわかってきました。そのような列島の下でおこっているプロセスをサブダクション・ファクトリーとよび、工場に見立てて解明されてきつつあります。そんな大陸地殻製造工場について見ていきましょう。


 地球の表面は、地殻と呼ばれる岩石からできています。地殻をつくっている岩石は、場所によって違っています。それこそ、さまざまな岩石があります。しかし、大局的に見ていくと、いくつかの特徴的な岩石からできています。
 地殻の岩石は大きく分けて2種類の岩石からできています。海洋地域の岩石と大陸地域の岩石です。それぞれ見ていきましょう。
 海洋地域の岩石は、海洋底をつくっているものです。深海ですので、なかなかその岩石を見ることはできないのですが、深海を掘削する調査船が、世界各地の深海の岩石をボーリングしてくりぬいてきました。その結果、海洋の岩石の様子がわかってきました。
 深海底をつくっている岩石は、表層近くでは玄武岩と呼ばれる岩石からできていることがわかりました。玄武岩とは、火山岩の一種で、黒っぽく緻密な岩石です。日本列島にも玄武岩の火山岩が見つかります。富士山や伊豆大島の火山では、玄武岩を溶岩として噴出しました。
 日本列島の火山岩と海洋底の岩石との違いは、列島の火山がある限られた場所(火山)で玄武岩ができるのに対して、海洋底ではどこを掘ってもすべて玄武岩でできている点です。
 海底で噴出した溶岩ですので、水の中で噴出してきる枕状溶岩とよばれる形をしていますが、すべて玄武岩という種類の岩石からできているのです。それは、海洋底の玄武岩は、中央海嶺というところでの火山活動によって、玄武岩ができます。常に中央海嶺では新しい玄武岩ができています。中央海嶺から離れるにしたがって、玄武岩の年代は、古くなっていきます。そして、一番古い玄武岩は海溝近くにあり、もっと古いものは海溝の奥に潜り込んで消えていきます。ですから、2億年より前にできた玄武岩は、海底にはほとんど残されていません。これは、プレートテクトニクスという考えにつながるものであります。
 海洋底の岩石は、表層近くでは玄武岩ですが、深くなるにつれて、玄武岩の性質が変わってきました。もともとのマグマは玄武岩をつくるもので一緒なのですが、深くなるとともに、よりゆっくりと冷えてできるつくりになっていきます。玄武岩からドレライト、斑レイ岩へとより大きな結晶からなるつくりへと変化していきます。
 さらに深くなると、違ったタイプの岩石になります。マグマ溜まりの中で早くできた結晶の中で、重いものが沈んでできる岩石(沈積岩とよばれます)となります。岩石としては、かんらん岩と呼ばれるものになります。これは、マントルをつくっている岩石と同じもので、このような岩石があらわれると、そこから下はマントルという区分になります。
 つまり、海洋底の岩石は、新しい時代にできた玄武岩の仲間からできているということになります。
 一方、大陸の岩石は、海洋の岩石とはかなり違っています。ひとつは、大陸の岩石が多様であるということです。多様さは、岩石の種類だけでなく、岩石が形成された年代もいろいろであるということです。種類が多様であるというのは、いろいろなでき方をした岩石があるということです。
 中でもいちばん多いのが花崗岩の仲間です。花崗岩はマグマがゆっくりと冷えて固まった深成岩というものです。多様な岩石が砕けて海底で溜まり固まった堆積岩、そして多様な岩石が地下深部で変成作用を受けてできた変成岩などが、多様性をさらにまします。
 大陸地域は多様な岩石でできているのですが、その化学成分を平均化すると、ある岩石に似たものとなります。深成岩の分類ではトーナル岩と呼ばれ、火山岩の分類では安山岩(正確にはカルクアルカリ質安山岩と呼ばれます)というものに似ています。これは、単に似ているだけでなく、そのような岩石が実際にあることも重要です。
 さて、少々長くなりました。続きは次回としましょう。

・サブダクション・ファクトリー・
サブダクション・ファクトリーというアイディアを
最初に出されたのは、巽好幸さんです。
それは、沈み込み帯でのマグマの起源を
調べていくうちに生まれてきたものです。
沈み込み帯の典型的な場所として、日本列島があります。
そして日本列島に住む研究者から、
列島の火山について新しいアイディアを出すことは
非常に筋の通ったことです。
しかも、これまでごく当たり前だと思われていたことに、
実は大きな秘密か隠されていたのです。
それを思いついた巽さんが偉いということです。
大陸地殻の平均的な化学組成が海洋底の玄武岩や
マントルのかんらん岩に比べて、
珪酸(SiO2)に富んでいること(SiO2の量で60wt%程度)は、
多くの研究者は知っていました。
しかし、そこから話は深まっていきます。
そのような組成の火山岩は、
沈み込み帯で特有、つまり沈み込み帯によくある
安山岩(カルクアルカリ安山岩)であったことが判明してきました。
同じ成分のものが同じでき方でできるという保障はどこにもありませんが、
あえてそれを前提とすると、
列島の沈み込み帯でのマグマの作用で
大陸地殻の生成が行なわれているのではないかというのが、
巽さんの発想です。
その発想を論証する過程で生まれたのが、
サブダクション・ファクトリーというアイディアでした。
そして、それは、ゼロ・エミッションの工場であるということが
わかり始めてきました。
巽さんの研究は面白そうです。
目が離せません。

・冬は間近・
北海道は寒くなってきています。
北海道の各地のスキー場ではオープンのニュースが出ています。
しかし、私が住む札幌近郊では
まだ雪があまり降りません。
10月下旬に積雪があって以来、
ぱらぱらと降ることがあっても
積もることは、まだありませんでした。
でも、冷え込みが続いています。
そろそろ雪の季節になるでしょう。
いよいよ冬となりました。
風邪がはやっているようです。
私も咳がなかなか抜けません。
皆さんお大事にしてください。

2004年11月18日木曜日

4_50 支笏湖再訪:樽前山の溶岩ドーム

 10月下旬に支笏湖に出かけました。紅葉真っ盛りでしたが、積雪に見舞われました。

 10月上旬の道北に続いて、支笏へも再訪しました。昨年の11月中旬に訪れた支笏湖は、雪のために、あちこちが閉鎖されていて、残念な思いをしました。ですから、今回は早めにと思い、10月下旬にでかけて、目的を果たしてきました。
 今回の一番の目的は、樽前山の溶岩ドームを近くで見ることでした。札幌あたりからも、樽前山の溶岩ドームの形は目立っているため、すぐに見分けられます。
 この特徴のあるドームを間近に見るには、樽前山の火口の縁まで上がることになります。以前はドームのある中央火口丘の裾野の噴気孔まで行けたのですが、今では火山活動が活発なために、火口内は立ち入り禁止となっています。
 私も火口縁からドームを見るために、登山道を登りました。土・日曜日、1泊で出かけたので、天気のいい日に樽前山に登ることにしていました。1日目は雨で、途中から雪になってきましたので、あきらめて支笏湖の周辺を見学しました。2日目は、初雪で樽前山も真っ白になっていました。でも、天気も良くなってきたので、登ることにしました。同じような思いなのでしょうか、多数の登山客がいました。
 樽前山は登山道がしっかりしているので、登ることにそれほど問題はありません。長靴を履いて、雪の中を出かけました。7合目まで車でいけますので、そこから登山道を2.5kmほど登ると火口縁につきます。天気は晴れていたのですが、風が強く、火口縁でかなり寒い思いをしました。
 溶岩ドームのその異様な形状と存在感には、寒さも忘れて圧倒されました。この溶岩ドームは、直径1.2kmから1.4kmの火口の中にどっしりと存在します。溶岩ドームは、最大直径450m、高さ150m、頂上部が平坦で鏡餅のような形をしてます。1909(明治42)年4月17日夕方から19日夕方にかけて、たった2日でできたドームです。がさがさした安山岩の溶岩(アア溶岩とよばれます)で、中には大きな斜長石の結晶を含んでいます。
 樽前山は支笏火山の一部です。支笏火山は、4万年前に大噴火(破局的噴火とよばれます)によって支笏カルデラができました。樽前山は、風不死(ふっぷし)や恵庭山とともに、支笏カルデラができたあとに活動した火山です。
 樽前山は9000年ほど前から活動をはじめ、何度かの休止期をへたのち、1667(江戸時代の寛文7)年に、樽前山では最大の噴火をします。古文書によれば、その噴火の音は、遠く青森県でも聞こえたそうです。火山噴出物も多く、苫小牧では2mもの厚さになりました。また、1739(元文4)年にも大噴火し、大量の火山噴出物を放出し、現在の火口をつくりました。最近では、1981年に小噴火をしました。その後は噴火をしていませんが、噴気が激しく、火山性地震が頻繁にあるために、噴火の危険性があると考えられています。
 今回の支笏湖周辺では、コケの洞門とオコタンペ湖を訪れました。
 コケの洞門は、1667年の樽前山の噴火によって発生した火砕流が熱いまま堆積し、固まった(溶結凝灰岩とよばれる岩石)ものが、侵食によって沢になり、そこにコケがびっしりと生えたところです。今では落石のために奥まで入れませんが、入り口には見学の台が設けられています。
 オコタンペ湖は、3万年前の恵庭山の火山噴出物が川を堰き止めてできた湖で、支笏湖より300mも高いところにあります。そこから、オコタンペ川として急な滝として支笏湖に流れ込んでいます。
 紅葉と雪の支笏で、火山を見学してきました。火山を間近に見ると、自然とはけっして同じものがずっと維持されているのではなく、変化も自然の中では、重要な役割があることを痛感させられます。

・初登山・
支笏湖へは、いつものように家族で出かけました。
4歳の次男が上まで登れるかどうか心配だったのですが、
休み休み登ったので、なんとか火口縁にたどり着きました。
昨年も樽前山の看板のあるとことまでは登ったのですが、
次男には無理そうなのでそこでやめていました。
でも、今年は何とか上までいってみようと挑戦しました。
周りの登山客は、小さい子供が登っているのでびっくりしていましたが、
山登りは、自分のペースでゆっくりと行けば、
特別難しい山でない限り、登れるはずです。
重要なのは、上にいきたいという気持ちを
上につくまで持続できるかどうかです。
家内は、狭い急な登山道を
長男がちょろちょろしながら登るので気が気でないのと
自分自身が高所恐怖症なので、一番怖がっていました。
火口縁で私が撮影している間、
家族はおやつを食べ、飲み物を飲んで休憩していました。
残念ながら、風が強く、体感温度が下がっていましたので、
火口縁で私は撮影を終え、家族は栄養補給と休息をしたらすぐに降りました。
下りは、皆らくらくと降りてきました。
長男と次男にとっては、これがはじめての登山となりました。
でも、川に出かけているとき、
あちこち野山を上り下りしているので、
子供たちにはあまり登山の感動はなかったようです。
それより、遊べるかどうかの方が、重要だったようです。
子供たちには、オナタンペ川の河口のほうが
遊べたので楽しかったようです。

・自然の営為・
支笏湖も台風の影響で多くの倒木を出しました。
道路沿いは片付いていますが、
それ以外の多くの倒木は、まだ処理しきれずにあります。
少しずつ処理はされているようですが、
あまりに広大な地域に、大量に倒れているので、
いつ片付くのでしょうか。
その量に圧倒されて、心配になります。
夏に、植樹祭も支笏湖周辺で予定されていたのですが、
倒木の被害で中止されました。
自然の営為には、変化も含まれてることを痛感させられます。
そして変化には、災害、被害を伴うことがあります。
私たちは、そんな自然の中に置かれていることを、
理解しておく必要があるのかもしれませんね。

2004年11月11日木曜日

1_35 太古代2:海と大気の形成(2004年11月11日)

 前回の陸の形成に続いて、太古代の2回目は、海と大気の形成についてみていきます。

 はじめに太古代の海についてみてきましょう。冥王代で、海の形成については紹介しましたが、今の海は今のものに過ぎず、過去の海は残されていません。ですから、今ある海から過去の海は探ることができません。
 しかし、海が存在していた間接的な証拠はあります。それは堆積岩です。堆積岩とは、土砂が海で溜まって、固まったものです。ですから、海の存在を、間接的ですが知ることができます。堆積岩の存在は、大陸があり、雨が降り、川ができ、土砂が大陸から川によって海に運ばれるということを意味します。堆積岩ができるということは、海と陸と大気があったということです。
 最古の堆積岩は、冥王代でも紹介しましたが、38億年前のグリーンランドのイスアにあります。それ以降、どの時代にも堆積岩が見つかっており、地球ではいつも海と陸があったということになります。
 グリーランドのイスアには、枕状溶岩という岩石があります。枕状溶岩とは、マグマが水の中で噴出して、枕をたくさん並べたような形になって固まったものです。枕状溶岩も、海があった証拠となります。
 グリーンランドの枕状溶岩は、オフィオライトとよばれる一連の岩石の一部です。オフィオライトとは、昔の海洋地殻を構成していた岩石が、陸上に上がり、保存されているものをいいます。オフィオライトには、枕状溶岩のほかにも、岩脈群、班れい岩、かんらん岩など現在の海洋地殻を構成しているのと同じ岩石が含まれています。グリーランドのイスアの岩石は、最古のオフィオライト、つまり海洋地殻があったことを示しています。
 次は太古代の大気です。冥王代には、二酸化炭素(CO2)あるいは一酸化炭素(CO)や、水蒸気(H2O)、窒素(N2)などを主成分とする大気がありました。これは、金星や火星の大気が似ていて、隕石に含まれている揮発性成分とも一致しています。ところが、現在の地球の大気は、窒素と酸素(O2)を主成分で、二酸化炭素は微量成分にすぎません。
 このよう大気の成分の違いは、地球の大気が、変化してきたことを意味します。窒素は変化しなかったのですが、水蒸気と二酸化炭素がなくなり、酸素が新たに加わらないと、現在の大気になりません。そのような変化が地球では起こったことになります。
 水蒸気は、地球が冷めるとともに、液体の水となります。海の誕生です。今も水蒸気は海に液体として蓄えられています。もし、この海をすべて水蒸気にすると、30 MPa(300気圧)ほどになってしまいます。これは、冥王代に起こった大激変と考えられます。
 酸素は、生物がつくったと考えられています。その証拠として、25億年前から6億年前にかけて、ストロマトライトとよばれる岩石が、大量に見つかっています。ストロマトライトは、同心円状の構造をもつ不思議な岩石なのですが、シアノバクテリアが群生して形成される岩石であることがわかってきました。太古代の終わり、約25億年前頃から、シアノバクテリアが大量に酸素を生産しはじめたことになります。現在では、植物が光合成によって酸素を生産しています。
 二酸化炭素は、石灰岩として、地殻に蓄えられていると考えられています。二酸化炭素は、大陸の岩石に含まれているカルシウムイオン(Ca2+)を、雨が溶かし、川が海に運びます。カルシウムイオンは、海で大気から溶けこんだ炭酸イオンと結合して、炭酸カルシウム(CaCO4)として沈殿します。そのままでは、また溶けていくのですが、プレートテクトニクスによって、陸上に上げる作用が起こります。石灰岩として大地に保存されれば、溶けることはありません。現在、岩石には、5~10 MPa(50~100気圧)もの二酸化炭素が固定されていると見積もられています。
 古生代以降、生物が殻や骨(炭酸カルシウムからできいます)をつくるようになってから、サンゴ礁のように大量に集まると、二酸化炭素が固体になる作用が促進され、陸上で石灰岩として保存できます。生物が炭酸カルシウムを作りようになってからは、二酸化炭素の固化が促進されたと考えられます。
 地殻と海洋、生命、プレートテクトニクスの連携によって、大気の変換が絶え間なく続けられていることになります。

・今年は雪が遅いほうがいい・
北海道では、10月下旬に初雪が降って以来、
暖かい日が続いています。
今年は、誰がなんと言っても、雪が遅いほうがいいのです。
観光やレジャーで雪を待つ人がいるかもしれませんが、
雪は遅ければ遅いほどいいのです。
今年は多くの地域で自然災害がありました。
被災地で、雪はつらいものです。
雪が降れば、復興作業も滞ります。
北海道の台風の復興も徐々に進んでいます。
でも、新潟の余震はまだ続いています。
自分なりにできること、
今までの研究で培ってきたものを活かすにはどうすればいいか。
台風の被災地の積丹、支笏の災害地は、
近いので訪れて地質学者としてみることはできます。
でも、遠いところは、その地の地質学者に任すことになります。
私一人では、あれもこれもできませんが、
新潟の復興のために義捐金を送らせていただきました。
寒いときほど、人の温かさが必要だと思います。

・医療とは・
次男の急性中耳炎はすぐには直らず、
いっきに治すために、強い炎症止めを飲むことなりました。
この薬は、吐き気、下痢、腹痛を伴うもので、
次男は3度ほど吐きました。
月曜日には一応薬を飲まなくていいというお許しができました。
そのときに考えたことがあります。
医療とは、何のため、誰のためなのかということです。
病気の苦痛より治療の苦痛の方が大きいとき、どうすべきでしょうか。
医療とは病気や怪我の苦痛から人を救うものであるはずです。
それを治療のためとはいえ、ひどい苦痛を伴うのは、考えものです。
医学とは難しいものです。
がん治療でも似たようなことがなされます。
これは明らかに間違っていると私は思います。
生を長らえるために、苦痛に耐えることはわかります。
しかし、その先には、やはり、遅かれ早かれ寿命という死があります。
若いうちなら、まだその苦痛に耐えて、次の生を謳歌できるかもしれません。
また、確実に生を保証されているのなら、耐えられるかもしれません。
でも、治癒の可能性が低いのなら、 私は治療を拒否すると思います。
私は40代後半ですが、残りの生を長らえるために、
私はそのような延命治療は望みません。
死の病にかかれば、私は告知されることを望んでいますし、
家族にもその希望は伝えています。
そしてどのような治療を受けるかは、私自身が判断したいと思っています。
たとえ延命できても、頭が働かなくなるような状態なら、私は生を望みません。
苦痛を和らげるだけの治療をして、短い生を望みます。
その残された期間を、私は頭が働く状態で過ごし、死に臨みたいのです。
残された時間で、何をするかはわかりません。
でも、多分、私は淡々と、今と同じ日々を過ごせること望むと思います。
もし毎日を精一杯、目標に向かって進んでいるのであれば、
その生き方を変える必要ないからです。
そんな日々を過ごすことを望んでいるのです。

2004年11月4日木曜日

1_34 太古代1:陸の形成(2004年11月4日)

 地質時代シリーズです。今回は、冥王代の次の時代、太古代の話です。

 太古代(たいこだい)は、冥王代の終わりである38億年前から、原生代のはじまりの24億5000万年前までの13億5000万年間の時代です。冥王代は断片的な証拠しかない時代なのですが、太古代より後の時代では、連続的な証拠が得られる時代となります。つまり、連続的に時間を扱うことができる時代の始まりが、太古代といえます。
 太古代からいろいろなことが、はじまります。そのいくつかは冥王代から始まったかもしれませんが、確実に継続的にはじまっていく時代が太古代といえます。最初のできこととして、地殻の形成、海の形成、大気の形成、つまり海、陸、空のはじまりがあります。
 地殻は、厚さも、構成している岩石も、化学成分も、できた時代も、多様です。多様さの中でも一番の違いといえるのは、海(海洋地殻)と陸(大陸地殻)の岩石の違いです。
 海洋地殻の岩石は、玄武岩やその仲間で、黒く密度の大きな岩石からできています。大陸地殻と比べて新しい時代の岩石からできています。一方、大陸地殻の岩石は、さまざまな岩石がありますが密度の軽い岩石からできています。新しいものもありますが古い岩石がたくさんあります。このような海洋地殻と大陸地殻の岩石の違いは、地球の仕組みを反映していると考えられます。
 大陸地殻は、さまざまな岩石からできているといいましたが、その化学成分を平均してみると、火成岩のトーナル岩と呼ばれる岩石に似たものとなります。
 トーナル岩は、カリウムに乏しいが火成岩で、石英とナトリウムに富む斜長石からできています。そのような岩石は、列島で活動する安山岩(カルクアルカリ安山岩という)に似た化学成分となっています。詳細は省きますが、大陸地殻はトーナル岩ができており、そのような岩石は列島のマグマの作用で形成されていると考えられてます。
 大陸の岩石の形成時期には、いくつかの急成長したときがあった考えられます。約28億年前、約18億年前、約8億年前で、それぞれの時期に、多くの大陸が合体して、ひとつの超大陸ができた時代だと考えられています。
 また、古生代以降には、地層が厚くたまり、その地層が激しく褶曲や変成作用を受けるような造山運動と呼ばれる大陸の成長期が何度かありました。古生代早期のカレドニアン造山、古生代後期のバリスカン造山、中生代後期~新生代のアルプス造山などがその代表的なものです。
 大陸の岩石は、いったんできると、マントルの岩石に比べて軽い岩石なので、ずっと地表に存在しつづけることになります。大陸地殻が浸食で堆積岩となっても、やはり大陸地殻と同じように軽い岩石なので、地表に存在し続けていきます。大陸地殻は、さまざまな時代に形成されていきますが、古いものも姿を変えながら地表に存在し続けます。
 海洋地殻は、化学的に均質な岩石で、どの時代でも似た岩石で、どの海嶺でも似た岩石、から形成されています。このような海洋地殻の岩石の特徴は、プレートテクトニクスとよばれる作用が現在まで継続的に働いているためだと考えれています。
 中央海嶺にマントルが上昇してきて、海洋地殻が形成されます。中央海嶺で形成された海洋地殻は移動していき、海溝でマントルに沈み込むというサイクルで、海洋地殻は常に更新されていきます。ですから、古い海洋地殻は、海洋地域には残っていません。
 ところがグリーンランドのイスア地方には、38億年前の海洋地殻の断片が大陸地殻の上に持ち上げられて残っています(オフィオライトと呼ばれれています)。いろいろな時代の海洋地殻の断片が残されていることから、海洋地殻を形成するメカニズムであるプレートテクトニクスが、38億年前から現在まで働いていることがわかります。

・漬物・
北海道は、暖かかったり寒かったり、
変わりやすい天気が続いています。
そろそろ漬物用の大根や白菜の
農家での大量の販売も終わります。
我が家でも土付の大根20本を購入して、
漬物に初挑戦することにしました。
前日まで暖かい日だったのですが、
購入した日から急に寒くなり、
土を落とすのを寒い中母と家内がしました。
つくり方を聞きくために京都から母を呼んでいます。
でも、大根は干してから漬けるために、
もう少し漬けるまでに時間がかかりそうです。
お隣さんからいただいた漬物がおいしいので、
お隣さんに聞きながらつけていこうと考えています。

・子供の成長・
母が土・日曜日と連休を利用して我が家に来ているのですが、
こんなときに限って、子供が病気になったりします。
次男が風邪を引いていたのですが、
だいぶよくなっていたのですが、
夜中に突然耳が痛いと言い出しました。
翌日病院に連れて行くと
急性中耳炎と判明し、即、切開しました。
その後痛むことはなくなりましたが、
まだ、体調はよくないようです。
でも、母には病気でおとなしくしているくらいがいいようです。
男の子は動きが激しいので、なかなか大変です。
家内は小学校一年生の長男に先日走る競争をしたら、
とうとう負けてしまいました。
かなりショックだったようです。
私もそのうち負けるのでしょうか、
まだまだ時間が必要なようです。

2004年10月28日木曜日

4_49 大地と海の狭間:秋の道北2

 10月9日から11日に訪ねた道北は、秋が深まっていました。そんな道北の秋を2回にわたって紹介をしています。今回はその2回目です。

 前回、ゴールデンウィークに訪れたときは、宗谷岬を回り渚骨川の河口である紋別までたどり着きましたが、今回はオホーツク海に沿って、少し足をのばして湧別川の河口のあるサロマ湖までいきました。
 サロマ湖は、海跡湖と呼ばれるもので、海水が出入りしている汽水(きすい)の湖です。サロマ湖は、周囲は91kmあり、湖としては北海道で一番大きく、日本でも琵琶湖、霞ケ浦についで三番目になります。サロマ湖をつくっているのは、砂嘴(さし)というもので、オホーツク海と湖の間には長さ約25km、幅200~700mほどあります。サロマ湖は日本の重要湿地200にもの選定されています。私が行ったときにも、真っ赤なサンゴ草をみることができました。
 サロマ湖は、湾が砂嘴によって湖のようになったものです。砂嘴とは、砂の嘴(くちばし)と書くように、細くとがった形をしています。その形は、付近に流れ込む川から運ばれた土砂が、海流や波の働きによって、海岸や岬が海に向かって長くのびていったものです。サロマ湖では、湾をふさぐようにして砂嘴がのびたものです。サロマ湖内には漁港があるため、砂嘴によってサロマ湖が閉じない試みもなされているようです。
 砂嘴の砂の供給源となった湧別川は、サロマ湖の西側に流れ込んでいます。しかし、サロマ湖の中にも大きな川だけでも、西から芭露川、計呂地川、朱丹川、佐呂間別川など、多数の川が流れ込んでいるために、海とつながっていますが、塩分濃度の薄い水(汽水といいます)となっています。海と川、陸の狭間にできたものです。
 オホーツク沿岸のサロマ湖周辺には、湿地や湖、池が点々と並んでいます。大きなものを地図から拾っていきますと、北西から、コムケ湖、シブツナイ湖、サロマ湖、能取湖、網走湖、藻琴湖、涛沸湖などがあります。
 湖や池の多い不思議な地形は、珍しいもののように見えますが、じつは、このような海岸の地形は、よく見られる地形なのです。
 川が山から土砂を運びながら、平野にでて、そして海に出るとき、運んできた土砂を落としていきます。平野が狭いと、多くの土砂が海近くまで運ばれます。海流や波によってたまった土砂が移動して、海岸の一定のところに集まると、海岸線沿いに池や湖、湿地などがたくさん形成されていきます。もちろん、海岸の海流や自然環境によっても違ってくるでしょうが、このような条件を満たすところは日本にはたくさんあります。また、河口の近くでは、規模はさまざまですが、砂の移動による変化に富んだ地形をみることができます。
 北海道でも、サロベツ原野、根室の野付半島から風連湖、釧路の東の厚岸付近、十勝川の河口付近、苫小牧周辺など、規模は形はさまざまですが、似たような地形が見られます。
 ある営みが大地と海の狭間に働くと、そこには自ずから、似たような模様ができます。さまざまな地にできた似たような模様は、その地域の気候風土に応じて、多様な環境を生み出し、多様な生態系を育みます。日本は四方を海に囲まれた島国です。ですから、多様な海岸地形と生態系をもっています。ところが、自然の海岸は、防波堤や護岸のために、人工物の海岸線の増えています。もちろんそれは人間の生活を守るためでしょう。必要な措置なのでしょう。しかし、必要以上に生態系を犠牲にしていなければいいのですが。

・サケの遡上・
秋に北海道の川を調査すると、
サケの遡上によく出会います。
上がってくる数は数匹だったのですが、
最初に見たときはすごく感動しました。
それ以来、もう何箇所で見たでしょうか。
何度見ても感動するものです。
川では、サケの遡上に伴って、
いろいろな生き物の様をも見ることになります。
子孫を残すために、必死になって遡上するサケ。
それを狙うヒグマ。
サケの死体をついばむ野鳥たち。
サケの死体が無数に沈んでいる川もみました。
そんな河原は腐敗臭の漂う異様な雰囲気となります。
でも、もっと異様なのは、サケを中心とする人の挙動です。
サケに挑む釣り師たち。
密漁を監視する猟師たち。
人間だけは、生きるため、食べるためではなく、
金のため、趣味などの人間らしい動機によるものです。
それらすべてを含めてサケの遡上が産み出す
秋の一時的生態系と見るべきなのでしょうか。

・雪虫・
北海道はそろそろ秋も終わり、
冬に突入します。
まだ、平野には雪は降っていませんが、
先日、雪虫が飛び交っているのを見かけました。
雪虫は、白くふわふわとした姿で飛んでいます。
それがまるで雪のように見えるから雪虫といいます。
雪虫は初雪の前に飛びます。
雪虫とは、俗称でアブラムシ科のトドノネオオワタムシという虫のことです。
雪虫は春と夏とで寄生する植物を変えながら樹液を吸って生きています。
春にはヤチダモ類の葉裏で生活し、
夏の間はトドマツの根で世代を重ねますが、
晩秋のころ冬の間住むヤチダモに移ります。
そのときに飛んでいる姿が白く人々の目につきます。
このような綿毛をもって飛ぶものには何種類かあり、
北海道だけでなく、本州の方でも飛ぶそうです。
この雪虫が飛ぶと、秋が終わり冬がきます。
雪虫の飛んで2週間ほどすると雪が降るそうです。
我が家も冬の準備をしましょう。

2004年10月21日木曜日

4_48 手塩川再訪:秋の道北1

 秋の深まった道北へ調査に行きました。そんな道北の秋の調査で思ったことを書きましょう。

 10月の連休に道北へ調査に行きました。ゴールデンウィークに道北を調査したのですが、雪解けの増水期で、河川沿い調査が十分できませんでした。今回は、その不足を補いながら、より調査を進めるために、再度道北の調査にでかけました。目標は前回調査し残した手塩川と渚骨川、そして今回新たに湧別川も調査することにしました。それと海岸沿いを少し調査することにしました。
 天塩川は手塩岳を源流として、利尻島を右手に見て日本海に流れ込みます。天塩川の長さ(幹川流路延長と呼ばれます)は、256kmあり、石狩川(268km)についで、北海道では2番目の長さで、日本でも第4位の長さを持っています。
 春に手塩川の河口から中流を調査したのですが、河口は護岸されていて、調査しようがありませんでした。今回は、中流から上流、手塩岳に向かって調査しました。上流には、岩尾内ダム、ポンテシオダムなどがあります。その周辺で調査をしました。
 天塩川の源流の手塩岳は、もうひとつ一級河川の源流となっています。それは、渚骨川です。渚骨川は、紋別でオホーツク海に流れ込んでいます。天塩岳は2つの川の分水嶺でもあるのです。
 北海道では、中央に南北に走る山並みがあります。この中央の山並みは、東西の分水嶺となっています。分水嶺とは、その峰を境に川が別の反対側に流れ、別の海へと分かれていくところで、山の稜線が分水嶺になることが多くなります。
 北海道の中央を走る分水嶺は、南は襟裳岬から、日高山脈、十勝岳、トムラウシ岳、大雪山、天狗岳、天塩岳、北見山地、宗谷岬へと続きます。さらにその先は、樺太(サハリン)へと続きます。分水嶺の南の方では、十勝川として東側の太平洋へ、沙流川と鵡川として苫小牧のある西側の太平洋へ注ぎます。分水嶺の北の方では、常呂川、湧別川、渚骨川はオホーツク海へ、天塩川は日本海へと注ぎます。
 北海道の中央では南北に険しい山並みが続き、東西の交通の障害となっています。低い峠のあるところが、交通で重要な役割を果たしています。北見峠は今や自動車道ができて、苦もなく車で通ることができます。しかし、旧道のくねくね道を走るのもいいものです。交通量の少ない峠道を走ったので、色鮮やか紅葉が見ることができました。峠は紅葉の盛りで、木々の色が鮮やかで、夕方曇って薄暗くなってきても、色のため明るく見えるほどです。特に北見峠の東側では、白樺が道路沿いにすばらしい紅葉を見せくれました。シラカバロードと呼ばれています。
 北見峠の東側には白滝村があります。湧別川の源流の村にもなっています。大雪山から続く火山がこの付近にも分布しています。約300万年前の火山だと考えられています。この火山の特徴として、黒曜石が大量にでることです。黒曜石は石器などに使えるもので、うまく割ると鋭利な割れ口ができます。このような黒曜石は、現在もとれるようです。
 昔の人も、黒曜石を利用していました。2万数千年前の旧石器時代の人が石器を作って住んでいたようです。白滝遺跡群と呼ばれ、湧別川沿いに100箇所以上の遺跡が見つかっているようです。当時でも有数の石器製作地だったようで、湧別技法として独特の製法を持っていたようです。ここで作られて石器がシベリアでも見つかっているそうです。非常に多様でそして繊細な石器があります。国指定の史跡となっています。自動車道を作るときには、その遺跡調査がなんされ、できるだけ埋蔵物少ないルートが選ばれたようです。
 紅葉真っ盛りの道北は、思いで深いものとなりました。

・天狗岳・
標高1553mの天狗岳のふもとにある北大雪スキー場。
スキー場にあるロッジに宿泊しました。
夏は登山客が、冬にスキー客が泊まるロッジです。
ちょうどはざかい期だからでしょうか、
秋の連休だというのに、泊まる人は二組だけでした。
親切なおじさんとおばさんが食事から宿の世話をしてくれました。
標高が高いせいでしょうか、朝夕は寒く、
ストーブをたきました。
寒い朝、子供たちと外を散歩しました。
山から見下ろす朝の景色は爽快で、
谷間には雲が降りていました。
下に見える放牧地や家並みが雲に隠れて見えました。
紅葉と雲の上に立っている自分を思うと、
まるで天上の世界にいるような錯覚を覚えました。

・白滝村・
白滝の道の駅で黒曜石でつくった細工を
売っているところがありました。
みると石器を作っている人がいます。
子供たちと見ていると、
おじさんが親切に説明してくれました。
そして石器の作り方も実演して教えてくれました。
子供たちは興味深々です。
土産に黒曜石の原石を買って帰りました。
いつか、石器を作りたいと考えています。
それとも自分たちで黒曜石を探して
原始人のように石器を作りましょうか。
白滝村は、また行きたいところとなりました。

2004年10月14日木曜日

1_33 冥王代2(2004年10月14日)

 地球最初の時代、冥王代(めいおうだい)の話の続きです。始めてのことばかりが起きます。最初の大気、海洋、陸ができていきます。そんな最初の物語をみていきましょう。

 地球最初の大気には、2つの段階を経てできていきます。最初は、水素(H2)とヘリウム(He)を主成分とする大気ができます。この成分は、地球だけでなく太陽系全体に共通する大気で、太陽系ができるときにあった成分と考えられています。水素とヘリウムは、宇宙でも、もっとも多い、つまりありふれた成分でもあります。太陽ができて間もない頃、非常に明るく輝く時期があります。その時に、太陽に近い惑星で小さいものは、ガスをひきつけておく引力も弱いために、原始太陽系ガスが、吹き飛ばされたと考えられます。
 次の段階は、二酸化炭素(CO2)あるいは一酸化炭素(CO)や、水蒸気(H2O)、窒素(N2)などを主成分とする大気です。この成分は、原始的(隕石の世界では始源的という)隕石に含まれていた成分です。原始の地球に隕石が衝突するときに、高温高圧条件で、ガスの成分が隕石から抜け出た成分が原始的大気をつくったというモデルです。
 次は、最初の海についてです。地球のはじまりは、隕石の激しい衝突で、マグマも溶けるほど熱い状態でした。最初の海は、今とは似ても似つかない、マグマの海でした。でも、宇宙空間は冷たく、地球に落ちてくる隕石も減ってきます。すると、地球はじょじょに冷めてきます。大気の温度が100℃より下がると、大気中の水蒸気が液体の水になります。水は、雨となって地表に降り注ぎます。暑かった大地も雨によって冷まされます。やがて、地表も100℃以下まで冷めると、雨は川となります。川は流れ、低いところに池ができます。いたるところにできた池は、降り続く雨によって、広がり大きなものへと成長していきます。これが最初の海となっていきます。
 昔の海の証拠は、海の中にはありません。なぜなら、海は常に混じっていて、古い海水など残っていないからです。海以外のところに海の証拠を探すことになります。最初の海の証拠は地層の中にあります。川によって運ばれた土砂が、海でたまって、固まったものが堆積岩です。古い堆積岩を探せば、その時代には海があったという証拠になります。
 最古の堆積岩は、約38億年前のグリーンランドの堆積岩です。そこには、礫岩や砂岩など、現在でもみられるような堆積岩があります。それ以降、各地から、さまざまな時代の堆積岩が見つかっています。ほぼ全ての時代の堆積岩があることがわかっています。このことから、38億年以降現在に至るまで、海が存在しつづけてきたことを示しています。
 陸とは海のないところですが、ここでは大陸のことにします。大陸には、色々な岩石があります。なかでも、火成岩が圧倒的に多く、火成岩でも花崗岩(かこうがん)とその変成岩である片麻岩(へんまがん)が一番多い岩石です。大陸は、花崗岩からできています。ですから、最初の大陸を探るということは、最初の花崗岩を探すということになります。
 花崗岩は、マグマが固まってできます。高温高圧の条件に置かれた物質に、水が加わると、溶けはじめることがあります。その時に特徴的にできるマグマが、花崗岩質マグマなのです。つまり、花崗岩と水とは密接な関係があるのです。間接的ではありますが、花崗岩の存在自体が、海の存在の証拠となるのです。
 花崗岩マグマができるには、地下深部に水を持ち込まねばなりません。水は海からきます。そして供給のメカニズムとして、プレートテクトニクスが考えられます。プレートテクトニクスとは、海嶺で形成されたプレートが、海底で冷えて、海溝で沈み込む、という一連の運動のことです。この沈み込むプレートと共に、水を含んだ堆積物や岩石も沈み込み、水が絞りだされて、上にある物質を溶かすというものです。花崗岩は、プレートテクトニクスの証拠ともなります。
 一番古い花崗岩は、約40億年前のものです。カナダの北西準州のアカスタ地域で見つかったものです。今のところ、これが最古の陸の証拠です。

・冥王代・
地質時代シリーズの冥王代です。
まだ最初の出来事があります。
生命の誕生です。
それは、また次回としましょう。

・台風・
今年は、台風が、たくさん来ています。
そして被害もいたるところで起こしていきました。
先日の台風22号は、東海や関東で大きな災害をもたらしました。
皆さんのお宅や地域は、大丈夫だったでしょうか。
被害にあわれた方に、お見舞い申し上げます。
今回の台風22号は、10年に一度の強烈なもとして、
注意を呼びかけられていました。
北海道は、それほど影響もなく無事でした。
連休でしたので、私は道北へ調査へ出かける予定を立てていました。
初日は晴れるという予報だったので、
一日だけでも調査できるかもしれないと出かけました。
しかし、台風が来たら途中で取りやめるつもりでした。
幸い、台風の影響もなく、無事調査を終えることができました。
その内容は次回に紹介しましょう。

2004年10月7日木曜日

1_32 冥王代1(2004年10月07日)

 地質時代のそれぞれの時代についてみていきましょう。まずは、地球の最初の時代、冥王代についてです。

 地球の最初の時代は、冥王代(めいおうだい)と呼ばれています。冥王代のはじまりは、地球の誕生です。それは45.6億年前のことです。一方、冥王代のおわりは、つぎの時代である太古代(太古代)のはじまりです。
 この太古代は、地球最古の岩石からスタートします。冥王代とは、最古の地層や岩石より前の時代になります。つまり、冥王代とは、地質学的な証拠となる岩石のない時代であります。
 ところで、この冥王代という呼び方は、日本固有の名前です。冥王代は、英語ではヘーディアン(Hadean)と呼ばれています。冥府の王プルートの住む黄泉の国、冥府のハーディス(Hades)の意味です。ですから、英語に忠実に従うなら、黄泉代(みよだい)あるいは冥府代(めいふだい)の方が、正しのですが、今では冥王代が使われています。
 太古代のはじまりは、1980年代までは最古の岩石や地層が出ていたグリーンランドの太古代の地層から、38億年前と定義されています。時代区分の境界は、一度決定されると簡単に変えられません。なぜなら、しょっちゅう変更していると、混乱が起きるからです。
 冥王代にはいるような岩石がある日見つかっても、そこまで太古代にしましょうとは、ならないのです。したがって、地質学的証拠のないはずの時代なのに、その時代の岩石が発見されるという矛盾が起きます。技術の進歩によって現在までに、多く地域から38億年前より古い岩石や地層が発見されるようになってきました。
 最古のものとしては、1989年にカナダのアカスタ地域から39.8億年前の岩石が発見されました。グリーンランドの38億年前の最古の岩石の記録を、一気に2億年もぬりかえたのです。その後、アカスタではさらに古い40億年前の岩石も発見されました。アメリカ合衆国、中国、南極などからも、38億年前ころの古い岩石が発見されてきました。
 現在、地球最古の鉱物は、ネイチャー(Nature)という科学雑誌の2001年1月11日号に掲載された西オーストラリアのジャックヒル44億0400万年前のジルコンという鉱物です。
 つぎに、冥王代の最初のできごとである地球誕生についてみていきましょう。まずは、地球の誕生の条件についてです。
 地球は、太陽系の形成の中に考えられるべきです。地球は、他の惑星と同時に、同じプロセスで形成されたはずです。地球にだけ特別な材料や生成環境などの条件は考えられません。太陽系自身も、特別な材料や生成環境は考えらません。
 地球の材料は、太陽系をつくったのガス(原始太陽系星雲ガスとよばれます)に含まれていた物質です。その物質には、3種類のもの見つかっています。・もともと宇宙にたくさんあった元素
・以前星を構成していて、その星が死ぬとき(超新星爆発など)にばらまかれた元素
・それ以外のプロセスでできた粒子:プレソーラーグレイン(粒子)
これらの素材が、混ぜ合わさって、地球のそして太陽系の材料となりました。
 ガスの中で、衝突したり合体が繰り返されて、元素は分子となり、分子は小さな粒子となり、しだいに大きなものへと成長していいました。ある程度の大きさになると、衝突・合体のときにおこる衝撃によって熱や圧力が大きく発生します。そのため原始惑星は、高熱の状態を迎えます。岩石が溶けて岩石の海(マグマオーシャン)ができるほど高温となります。
 その後、各惑星は、置かれた環境(太陽からの距離)と独自の性質(自転、公転、惑星の大きさ、大気)などによって、それぞれ別の変化をしていきます。つまり、地球には、地球の環境が形成され、地球の歴史がつくられていきます。

・地質時代シリーズ・
以前予告したように地質時代シリーズをはじめました。
月に1、2度の連載で、時代ごとの紹介を
しばらくの間、続けていきたいと思っています。
今回は、地球最初の時代、冥王代についてでした。
科学は技術の進歩によって、
飛躍的な展開を迎えることがあります。
石の年代を決める方法も、
数10ミクロンほどの小さいな試料でも
時代が決められるようになりました。
すると今まで測定できなかった試料でも、
年代が決められるようになってきました。
このような技術革新があると
年代測定の研究が一気に進むことがあります。
冥王代の年代データが
ここ10年ほどたくさん出はじめています。
国際的に年代を確定する作業で、
2004年にまとめられた論文でも
冥王代の終わり、あるいは太古代のはじまりは
まだ未定の時代となっています。

・冥王代という名称・
冥王代という名前は誰が付けたのでしょうか。
私もわからず、知り合いの磯崎さんという地質学者に聞いたところ、
自分がつけたといってました。
本当かどうかはしませんが、本人はそう話してました。
そのときは、その事実に驚いて、納得していたのですが、
今では、上で書いたように
黄泉代(みよだい)あるいは冥府代(めいふだい)の方が、
いいような気がします。
なぜなら、冥王という言葉は、
冥府の王プルートの訳として
すでに冥王星に使われているからです。
天体の名称と、地球の時代ですから混同することはないのですが、
黄泉代のほうが私は好きですが、そうはいきません。
一度決まって使われだしたものは、
むやみ換えたり、新しいものにすると混乱を招きます。
ですから、次に換える時は、
多くの人の合意の下に決めなければなりません。
一般的に命名権は、最初の言いだしっぺの役得となります。
磯崎さんは、その役得に浴しています。

・北海道の秋・
北海道の10月に入って、急に寒くなってきました。
とうとう我が家では、朝夕の冷え込むときには、
ストーブを炊きだしました。
北海道では、初雪のニュースがいくつも入ってきています。
今年の夏は、暑さと台風が北海道を襲いました。
しかし、夏の暑さも過ぎて、寒くなってくると、
懐かしいような気がします。
北海道はこれから短い秋を向かえ、
冬になります。冬の準備がはじまります。
そして、秋の収穫を楽しむ時期でもあります。
10月下旬なると、大量の白菜、大根が漬物用として販売されます。
我が家でも今年は漬物に挑戦しようと、
漬物樽2個と重しも買いました。
さてさてはじめのて漬物ですが、
うまくいくでしょうか。
ご近所のベテランにきいて挑戦してみましょう。

2004年9月30日木曜日

6_39 季節感

 今年の北海道の夏は特別暑く、夏に台風の被害を受けました。このような自然現象は、例外的とみなされ、済まされてしまいます。でも、少し違うのではないかと感じています。

 地球には、さまざまな環境があり、それに応じて多様な生物が暮らしています。そのような環境と生命の織り成す総体を自然と呼ぶのでしょうか。
 自然は、大きな国土を持つ国では多様すぎて、その国の典型的な自然というものは成り立ちません。
 例えばアメリカ合衆国を考えると、首都ある大西洋岸地域の自然を教科書的に示したとしても、その自然観や季節感は、その地域の人だけに通じるものにしか過ぎません。ロッキー山脈の中の人、南部のメキシコ湾岸の人、フロリダの湿地帯の人、大陸の真ん中の大草原の人、太平洋岸の人、アラスカの人、ハワイの人には、まるで異国の自然にしか見えないでしょうか。ですから、アメリカのような大きな国土の国では、これがアメリカの自然だというひとつの典型が示されるのではなく、この地域にはこんな自然が、あの地域にはあんな自然がある、といろいろな自然を記述していくことになります。
 このような多様な自然や季節感は、大国だから起こることです。でも、日本のような小さな国土ではどうでしょうか。小さいのでアメリカ合衆国のような多様性はもちろんありません。学校の理科の教科書に書かれ、俳句の季語になり、詩や小説、歌詞などに利用される典型的な季節感があります。多くの人は、その季節感に基づいて、会話やニュース、音楽、芸術を理解していきます。
 桜といえば春、紫陽花といえば梅雨、セミといえば夏、コスモスといえば秋、雪といえば冬というような季節感が、日本人には定着しています。しかし、こんな狭い日本においても、この季節観に符合しない地域があります。それは本州の関西や関東などでつくられた季節感によるためです。
 この季節感を否定するものではありません。その地域ではそれが当たり前の季節感だからです。しかし、季節感とは、本来、人がその地で暮らす中で生まれ育って感じたことを基礎に成り立っているはずです。その自分の自然体験による季節感が、教科書的な季節感に合わないとき、それは自分の地域が、東北だから、沖縄だから、北海道だから、小笠原だからということで、目をつぶってしまいます。これはよく考えると、主客転倒のような気がします。
 俳句の季語、詩や小説、歌詞なども、本来、人が自然に接したものから抽出されたれ成立したはずです。いつのまにか一人歩きしていき、それらが季節感を定義し、その季節感あわないものは、例外として排除されるようになってきました。私が言いたいことは、現実の自然がもっと尊重されるべきではないかということです。
 沖縄では冬に桜が咲き、北海道では秋や春に雪が降ります。このような季節感でも、その地域に住む人たちの常識的な季節感のはずです。それを小さいとはいえ、多様性のある日本の季節感として認めることが、多様な自然を容認する一歩ではないでしょうか。
 俳句の季語に詳しくありませんが、その地の季節感を反映した季語のようなものがあってのいいのかも知れません。あるいは、その地域の自然史がまとめられ学校で利用されてもいいのではないでしょうか。北海道では、4月に残雪が町中にあり、時には5月にも雪が降ることがあります。夏にコスモスの満開があり、タンポポが春から秋までずっと咲いています。1年の半分近くが冬のような地域の季節感があってもいいはず。
 私が北海道に引っ越してきて、2年半がたちました。いつも感じることは、北海道の季節感と本州の季節感は違っているということです。この季節感のズレは、北海道だからとついつい例外的にみてきました。しかし、北海道の季節感こそ、北海道にすむ人にとって常識的な自然の感覚であるはずです。それを頭でねじ伏せるはよくないことではないでしょうか。今、そんなことを考えています。

・北海道の秋・
北海道は、山では紅葉の真っ盛りです。
紅葉は山を下り、北から南へと下ってきます。
秋は、春とは逆のコースをたどってきます。
ですから北海道から秋が始まります。
9月からもうすでに秋が始まっています。
晴れた日のその澄み具合が、秋のものです。
9月の積丹半島ではサケの遡上を2つの川で見ました。
まわりの木は、葉を落とし始め、
ナナカマドの実も赤く色づいています。
まだストーブをたくことはないですが、
朝夕は上着がないと寒いくらいです。
北海道の短い秋は真っ盛りです。

・秋の調査行・
10月には、北海道の秋を味わうことになりそうです。
春のゴールデンウイークには残雪と雪解け水に阻まれて
調査できなかった道北の再調査を10月の連休におこないます。
また、昨年11月に訪れ、どこも見れなかった支笏湖周辺へ
今年は、閉鎖される前の10月下旬の土・日曜日にでかけます。
季節は出かける日によって決めることができます。
しかし、その日の天候ばかりは予想がつきません。
野外調査の一番のつらさは、その日が雨のときです。
そのかわり快晴の日の爽快感は
何ものにも換えられない満足感があります。
さて、今年の秋の調査はどうなることでしょうか。

2004年9月23日木曜日

4_47 積丹半島2:火山と侵食

 台風18号が積丹半島に大きな被害を与えた直後に訪れました。今回は、その2回目で、積丹半島の地形、地質について書いていきます。積丹半島の象徴として、積丹岬と神威岬がありますが、両者はまったく違った岩石からできてます。

 積丹半島の先端には、観光名所として名高い積丹岬と神威岬があります。半島の東側で突き出ているのが積丹岬で、西側に突き出ているのが神威岬です。どちらも岬と呼ばれているのですが、違った特徴を持っています。どちらも先端までいくとわかるのですが、まったく違った石ですが、でも両岬を広く見渡すと共通した石がみられます。
 積丹岬は、急な崖を降りて海岸線にたどりつきます。積丹岬のごつごつした景観は、貫入岩や溶岩の火山岩がつくっていものです。そして青く澄んだ海の色は、心惹かれるものがあります。神威岬の海岸には、色々な種類の火山岩がころがっています。火山活動は、1000万から900万年前ころの時代です。しかし遠くには、水平でやや傾いた地層(尾根内層と呼ばれています)が見ることができます。
 一方神威岬は、海に突き出たやせた尾根の上を、転げ落ちそうなほど細い道を先端まで歩いて行きます。その先は、また断崖で、海まではまだ高いところにあります。神威岬では、やわらかそうな水平の地層(余別層と呼ばれています)が見られます。しかし、海の中に切り立ったような形状の岩や、遠くの崖には貫入岩や火山砕屑岩が侵食に耐えて不思議な地形をつくっています。また、そこらじゅうに、火山岩(角閃石を含んだ安山岩)の礫がころがっています。こちらの火山活動は、積丹半島よりやや新しく、600万年前ころのものだと考えられています。
 さて、この積丹半島は、小樽の西にあり、日本海に突き出ています。札幌や小樽に近く、有名な地域ですが、開発が遅れています。その理由として、地形と気候の険しさがあるのかもしれません。
 積丹半島は北西に日本海に突き出ています。険しい地形で、海岸線沿いをへばりつくように半島の周回道路である国道229号線があります。ですから、半島の西半分は冬には季節風が激しく、いい道路ができるまでは、天候が荒れると、通行ができず、陸の孤島のような状態になっていました。峠越えの道も、風と雪が強く、冬場は通行に支障をきたすこともあるようです。
 積丹半島と同じような条件の地域は、道南の瀬棚や雷電、道央の雄冬など、北海道にはいくつかあります。今でこそ道路がよくなったため、冬でも通ることができますが、道路が海岸わきを通っているため、上げしい雨が降ったり、波が高いと、崩落の危険性があるために、通行止めになります。
 このような危険な箇所なら道路や町をもっと内陸につくればいいのですが、そうはいきません。住んでいる人たちは、漁業を生業としているため、海沿いで生活し、集落があります。そのような集落を結んで道ができますから、どうしても海沿いに道ができます。今では、道路を頑丈につくったり、険しい箇所はトンネルをつくっていくなどの技術力で自然の険しさに対抗しています。しかし、それでも、崩落はおきます。それは、侵食という自然現象だからです。1996年2月の古平町豊浜トンネル付近の大規模な崩落は、記憶に新しいものです。
 なぜ、地形が、海岸から切り立ったようになっているのでしょうか。まず、上であげたような地域には、共通した特徴があります。それは、海側に飛び出た地形になっています。それがどうも切り立った地形を作っているようです。
 積丹半島だけでなく、北海道の日本海側に飛び出た地域には、いずれも新第三紀や第四紀に活動したマグマでできた岩石があります。それ以外の穏やかな海岸地域は、堆積岩からできています。
 火山のマグマの性質にもよるのですが、積丹半島の火山の上は比較的なだらかな台地状の地形をしています。マグマでできた岩石は、同時代の堆積岩より一般的に硬いものです。ですから、本来なら侵食で削られるべき地域が、まだ、残っています。これが海側で飛び出している理由だと思います。
 積丹半島には、神威岬にあったような堆積岩でできた地層もあります。特に西部の海岸ではよく見られます。堆積岩でできた地域は比較的やわらかいので、海の波による侵食を受けます。その結果、新しいものでは海食崖、古いものでは海岸段丘などの地形ができます。海岸段丘は積丹半島の西側で、海抜50mあたりによく見られ、最後の間氷期のものであることがわかっています。弱いがために侵食を受け、段丘と海食崖で険しい崖となっています。また、半島中央部の火山活動に関連したマグマの活動によって、地層中には火山砕屑岩や貫入岩がいたるところにあり、侵食を免れて切り立った地形をつくっています。
 このような地質の背景が、積丹半島の海岸での生活を厳しいものにしています。でも、侵食がつくりだしたが、奇岩や地形が、素晴らしい景観をつくっています。これが自然の荒々しさを味わう観光として人を集めています。

・お詫び・
前回のエッセイで観光客を悪く書いてしまいました。
その観光客の中に、以前からの読者のKogさんがおられ、
観光客も台風の被害を感じていたといられてました。
それ対して、私は次のような返事を書きました。

「積丹の台風被害に関する件で、観光客を悪者にしたような書き方をしました。
しかし、考えてみると私も観光客ですし、
観光客にもKogさんのように台風の被害者の方もおられるわけです。
そして、一番災害のひどいところを見なくても、
周辺の状況から被害の程度も予想できるでしょう。
観光客でも被災地を思い、心を痛められている方も多くおられたはずです。
ですから、あのエッセイの書き方は、思慮のない書き方をしたと思います。
反省しています。
別の見方をすれば、積丹においては観光業は大きな産業のひとつでしょう。
台風の直後にもかかわらず、
それも、すべてのコースが見れないというハンディを承知で
観光に行くということは、
復興への間接的な援助ともいえるのと思います。
観光とは、その地の自然、風景、暮らしぶりを見ていくことで、
その地に金をお金を落としいきます。
意識的であろうが、無意識であろうが、
結果として、私が、落ちりんごを買ったのと同じことをしているわけです。
いや、金銭的には、もっと大きな援助をすることになるでしょう。
そんな面もあるということを失念いたしてました。
多分、積丹から帰ってきてすぐあの文章を書いたので、
感情的に書ききってしまったようです。反省しています。
(中略)
重要なご指摘、ありがとうございました。
勉強になりました。」

というものです。
この返事どおり、反省しています。
観光客は決して悪者ではなく、観光地にとっては、
その地域の需要な産業を担っている人たちに当ります。
それをあのような書き方をしたのは、間違いでした。
どうも済みませんでした。

・家族旅行・
神威岬の先端、そして積丹岬の海岸まで、
いずれも6歳と4歳の子も一緒に家族でいきました。
神威岬は、それほど急な上り下りはなかったので、
子供でも足元さえ気をつけていれば大丈夫だったのでした。
しかし、積丹岬は一気に、70mほどを下ることになります。
帰りが大丈夫かなと思ったのですが、
4歳の子供でもゆっくりと時間をかければ大丈夫でした。
でも、このように好きなとこを好きなだけ
時間をかけてみることができるのが、
個人旅行の有利な点でしょう。
我が家は、子供がまだ小さいので、
団体旅行をしたことがありません。
団体旅行には、安く効率よく観光地を回るという利点があります。
それに、道中のトラブルは添乗員が処理してくれるので、
その気安さは何事にもかえられないものだと思います。
そのおかげで多くの人が旅行ができるのですから。
でも、まだ、私は、手間がかかり、お金もかかるのですが、
個人旅行でいこうと思っています。

2004年9月16日木曜日

4_46 積丹半島1:災害の直後に

 積丹半島へ調査に行きました。調査中は、幸い天気に恵まれましたが、台風による災害の跡が生々しく残っていました。そこで感じたことをつづります。

 九州をかすめて日本海に出た台風は、9月8日未明、北海道の奥尻島の沖を北上しました。台風18号は、衰えるどこか成長して、15m以上の強風域が南東側に600km、北西側が410kmと北海道を覆いつくすような状態にまでなりました。
 網走管内雄武町で最大瞬間風速51.4m、札幌市でも50.2mを観測し、道内の観測点の14ヶ所で過去最高を記録しました。強風による高波によって、海岸付近では被害が大きなものとなりました。死者7名、行方不明者2名、負傷者120名を超える災害となりました。その被害は、青函連絡船が強風で転覆し、約1600名の死亡者を出した1954年9月26日の「洞爺丸台風」に次ぐものではないでしょうか。
 北海道には台風があまり来ないために、いったん来ると被害が大きくなりますが、昨年の台風10号の教訓はいきています。でも、今回は、日本海で成長するという予想に反する台風の挙動が災害を大きくしたのかもしれません。
 9月10日の午後から9月12日まで、2泊3日の予定で、積丹半島を一周する予定を立てていました。台風18号の影響で、半島を周回する国道229号線が、途中で通行不能になっているということを、9日の夕刊で知りました。調査を中止するかどうか迷いました。昨年の台風10号と地震の後の沙流川と鵡川の調査を思い出しました。しかし、意を決して出かけることにしました。そして、できれば、被害の状況も遠目で見ることにしました。
 情報では、積丹半島の西側の中央に位置する神恵内村の大森から柵内間で高波で橋が壊されたということでした。事前に通行止めにしていたため、死傷者がなったということも聞いていました。昨年の台風10号で通行止めの判断が遅れ道道で8人が死亡者を出した教訓が、いかされたのだと思います。
 現地に行ってみて、驚きました。高波で海岸沿いの人家がかなり被害をうけていたのです。国道脇では、被害を受けた家の人たちが、水に濡れた家財道具や家屋を乾かしていました。私が訪れたのは、そんな災害直後の復旧作業をしている最中でした。私は、その地に入り見ているうちに言葉がなくなりました。家内も同様でした。
 考えてみれば当たり前のことです。頑丈につくられた海沿いの国道の橋が壊れるほどの高波が襲ったのです。周辺の人家や施設にも同様の被害があったことは容易に予想がついたはずです。それをよく考えずに行ったので、惨状にショックを受けました。晴天の海岸線に、被災者の方々の黙々とした復旧作業が言葉を奪います。
 この人家や施設の復旧にどれくらいの時間がかかるかのでしょうか。国道の復旧はいつになるのでしょうか。神恵内の町は、国道の破壊で2つに分断されました。当丸峠を越えて積丹半島の東側にまで出て、半島を周回し、村の反対側にいかなければなりません。今までほんの数分の距離が1時間半ほどかかるようになったのです。
 積丹半島の最大の観光地である神威岬や積丹岬は、半島の先端にあります。国道が通れば、神恵内の村から、車でほんの10分か15分ほどでいけるところです。そこは、観光客でにぎわっています。観光バスで乗りつけた人たちは、台風による惨状を見ることなく、楽しかった思い出だけを胸に帰っていくのでしょう。
 それでもちろんいいのです。観光という産業も必要です。かたやその地で漁業や農業で生活している人たちがいて、非日常的な状態ですが、災害に見舞われている人たちも同じ時刻にすぐ近くにいます。両者を一緒に見ると、どうもそのギャップが頭の中で消化できません。
 そんな未消化な心持ちで、積丹半島から帰ってきました。

・落ちりんご・
今回の台風で収穫直前の農作物も多大な被害を受けました。
果樹園では、落ちたりんごを市価の4分の1程度で
訪れた人に売っていました。
それでも「多くの皆さんが来ていただいてすぐに売りきれました」と
果樹園主は現金収入になったこと喜んでいるのを
ニュースで聞いていました。
りんごはまだ熟していませんし、傷も付いています。
商品価値があまりありませんから、
それを承知で買っていく人に感謝していたのでしょう。
積丹半島の付け根にある余市町と仁木町も、果物の産地です。
もちろん台風の被害を受けました。
余市の観光案内所で落ちりんごを売っている果樹園を聞きました。
そこで、落ちりんごを一袋買ってきました。
つめ放題で300円で売っていましたので、
子供たちはたくさんつめました。
そのりんごを近所におすそ分けしました。
すっぱいかな思っていたのですが、甘みがありました。
もちろん、完熟の甘さには及びませんが。
毎日、災害の甘酸っぱさを家族で味わっています。

・台風遭遇・
台風18号に私は四国で遭遇しました。
そのあと北海道に帰ってきたので、
北海道での台風の状況は体験していません。
わが大学も近所の大学でも倒木の被害がたくさんありました。
今回の台風は全道的に大きな被害をだしました。
特に道南、道央、道北の被害が大きかったようです。
家内は北海道でこの台風の経験しているのですが、
風が強かったというだけで、
普段と変わりない生活をしていたようです。
どうも現実離れしているようです。
今回のエッセイはちっと暗い話でした。
もちろん調査ですから、海岸沿いの砂や石ころ
そして地質をみてきました。
次回は、積丹半島の地質の話をしましょう。

2004年9月9日木曜日

3_35 化石を探す人たち

 化石のマニアやアマチュアは、化石を見つけることが一番目的です。ところが、研究者は化石を地層から見つけることが目的です。化石探しには違いないのですが、実は大きな違いがあります


 化石は多くの人を惹きつけます。特に子供たちは化石には目がありません。恐竜の化石ともなれば、いつまでも見入っています。化石を探すことも、なかなか面白いものです。でも、化石はどこでもすぐに見つかるとは限りません。やはり限られた場所に出ます。そんな化石を探すにも、研究者は、それなりの注意をはらっています。研究者でも、古生物学者は、化石を見つけることも重要な仕事なります。しかし、化石ハンターや化石マニアとは明らかに違ったアプローチをします。
 すべての堆積岩に化石があるわけではありません。化石がたくさん含まれる地層とほとんど含まれない地層、その間の少ないけれどもときどき含まれている地層などあります。その違いは、地層がどんな環境で溜まったかによります。例えば、北アメリカ大陸で恐竜がたくさん出る地域は、深く南北に延びた湾の海岸沿いに溜まった地層のあるところです。モンゴルでは砂丘のようなところでたまった地層から恐竜がみつかっています。
 地層がどんなとろにたまったものなのかは、地質調査がされた結果とし、その見解をもとに地質図が作られます。日本では、地質図の説明書として、同時に出版されています。その情報をもとに、化石が出るところ探すことになります。
 例えばある地域のある時代の生物を調べるとしましょう。研究者は、まずはじめに、その時代のその地域の地層のことを、できるだけ詳しく調べた論文をたくさん探して調べてます。そして、化石がなんという地層のどこに出るかを調べていきます。そして、その場所がわかったなら、たとえそれがどんなに大変なところであろうと、その目的を達成するために、その地層の出るとこへ入ってきます。滝があろうが、熊が出そうでも、いきます。そして、地層から化石をみつけるまで、永遠と発掘を続けていきます。それが研究者です。
 古生物学者は、特別に珍しいものをのぞき、地層の中にあるものを見つけることに専念します。化石には、河原にころがっている石ころの中にも入っていることがあります。しかし、そんな化石は学術的には価値が低くなります。なぜなら、河原の石ころは、もともとそこにあったわけではなく、上流から転がってきたものです。ですから、どの地層から、どのような状態で見つかるかが、非常に重要な情報となります。
 たとえば、恐竜の卵の化石などは、卵がどう並んでいたのか、巣のようなものがあったのかなどは、ばらばらの卵の破片の化石では知ることができません。そして、地層の中から卵の化石がみつかれば、その情報を探ることができます。そして巣があれば、恐竜は卵を産みっぱなしではく、子育てをしていたことがわかります。
 また、恐竜の体が埋まった状態がわかれば、その恐竜がどのように死んだのかわかります。砂の穴に落ち込んでもがきながら生き埋めになった状態の恐竜化石が見つかっています。子供を守るようにして死んでいる親の恐竜化石も見つかっています。
 研究者たちは、化石から生きていた時のこと、その当時のことを知るために、よりたくさんの情報がみつかる地層からの化石の発掘をしていきます。
 考えてみれば、化石とは死体の一部です。でも、長い時間を経てきたものは、死体とはいえ、人を惹き付けるものに生まれ変わるようです。これは時間の効果でしょうか。時間には浄化作用があるのでしょうかね。

・化石を見つけるには・
Matさんとのメールで、恐竜の化石の話をしているときに、
ふと思いついたのが、このエッセイです。
アマチュアが化石を探すコツは、
まず、化石が出そうな堆積岩が分布しているところを
探さなければなりません。
どこに化石のよく出る地層が出ているかの情報は、
地質図や地質のガイドブックで得ることができます。
日本では、すべての地域で精度はさまざまですが、
地質図はそろっています。
少なくとも20万分の1の縮尺のものは全国の分があります。
さらに精度の高い5万分の1の縮尺は、まだそろっていませんが、
多くの地域のものがあります。
そして、地質図の説明書や地質のガイドブックなどで、
化石の出る場所の情報をえて、
その地域を丹念に探していきます。
ひとつ見つけるまでが大変です。
どれが化石かが、なかなかわからないからです。
そんなとき専門の案内者がいるとすぐに見つけられるようになります。
ひとつの化石を見つけると、つぎつぎと見つけられるようになります。
そんな宝探しのような醍醐味が化石探しの魅力でしょうかね。

・城川から積丹へ・
9月に2日から9日まで、
四国の西予市の城川にでかけていました。
このメールが届くころを
私は北海道にもどっています。
明日からは北海道の積丹半島をめぐる調査をしてきます。
四国は私一人でしたが積丹半島は家族も一緒です。
私は、海岸線沿いの調査していくつもりです。
家族は海遊びです。
問題は天候です。
さあどうなることでしょうか。
こればかりは、心配してもしょうがありません。
まずは、足を運ぶことが大切でしょうから。

2004年9月2日木曜日

5_38 年代を決めるということ

 年代測定の話の続きです。どこにでもある石ころや砂つぶでも、年代測定はできるのでしょうか。そのような疑問についてみていきましょう。

 絶対年代の測定は、放射性元素を利用しておこないます。年代を決めるためには、石ころや砂つぶに、測れるだけの成分があるかどうかが問題になります。放射性元素の種類ごとに、正確に測れる量が違います。同じ元素でも、使う装置や、研究室の環境は研究者の腕によっても、正確に測れる量は違ってきます。ですから、測定を目的としている研究者は、少ない量の試料で、どれほど正確に測れるかを目指して、他の研究室をにらみながら、日夜凌ぎを削っています。
 ウラン-鉛による年代測定を例にみていきましょう。現在の技術では、二次イオン質量分析計という装置をもちいて、ジルコンというウランが比較的たくさん含まれている鉱物なら、20ミクロンメートルの範囲で、年代を測定できます。20ミクロンメートルとは、0.02ミリメートルですから、石ころはもとより、砂つぶひとつでも、充分測れる技術です。
 二次イオン質量分析計は、ジルコンのような鉱物を分析装置の中に入れて、そこにイオンビームをあてて、表面の元素を掘り起こしながらウランと鉛だけを検出装置まで導き、測定していきます。ですから、装置自体は大掛かりですが、コンピュータ制御されています。分析する研究者は比較的楽で、ひとつの鉱物の表面で、いくつも場所の年代を測定することも可能です。
 しかし、同じウラン-鉛による年代測定でも、別の方法もあります。それは、化学分析でウランと鉛を抽出して、表面電離型質量分析計という装置でおこなうものです。ウランと鉛は別の元素と事前に分離していますので、この分析のほうが、精度は格段によくなります。しかし、試料がある程度の量が必要なことや、実験室がきれいでなければいい精度が得られません。それになんといっても化学的に抽出するのに何日もかけなければなりません。もちろんその抽出過程では、研究者の腕も問われます。それに、使ったジルコン全体の平均的な年代を求めることになります。
 二次イオン質量分析計で年代測定をする重要な目的は、ひとつぶのジルコンの中に、さまざまな事件を記録を読みとれることです。地球最古の岩石の年代や地球最古の砂つぶ(地球最古の固体物質と考えられています)の年代、隕石の年代なども、この装置とジルコンをもちいて行われています。砂つぶひとつのなかに、さまざまな歴史を読みとることができるようになってきたのです。
 もちろんこのような装置は高価ですし、世界にも10台もないような装置ですから、多くの研究者が利用したがって、分析の順番を待っています。ですから、何でもかんでも測るということはありえず、研究上重要なものが優先されます。そして、その成果はすぐにでも論文を書けるようなものが、順番待ちをしています。
 二次イオン質量分析計を使うには、ジルコンという鉱物や、古さが必要です。ジルコンでなくても、ウランをたくさん含んでいる鉱物であればいいのですが、鉱物ができた後の変化でウランや鉛の出入りのない鉱物はあまりありません。また、ジルコンがあったとしても新しいものでは、ウランが壊れてできる鉛が少なすぎて正確に測定できません。ですから、いろいろな条件を満たしたものだけが測定可能となります。
 上で述べたようにどちらの方法にも長所と短所があります。でも、二次イオン質量分析計が、鉱物さえ分離しておけば、それ以降は、完全にコンピュータ制御された装置になっていますので、研究者の腕があまり問われません。ですから今後は二次イオン質量分析計が主流の分析装置になっていくのかもしれません。
 ウラン-鉛の年代測定を中心に述べてきましたが、他の放射性元素でも事情は同じです。年代を決めるには、その試料の古さに見合った放射性元素が含まれているかどうか、そしてそれを測定する技術があるかどうかです。これを満たさなければ、この測定法は役に立ちません。
 でも、いろいろな年代測定のための元素や測り方があります。ですから、たいていの場合、絶対年代を決めたければ、しかるべきところに行けば求めることができるはずです。年代測定は科学技術とともに進歩しています。ですから、昨日まで年代測定ができなかったものでも、今日はできるかもしれません。

・質問に答えて・
前回の誤差の話と今回の測定の方法の話で
Namさんの質問である
「どこにでもある石や砂でもその年代を正確に測定できるのでしょうか。
もし放射性元素が見つからない場合は、
この測定方法は役に立たないのでしょうか。」
に答えることができました。
今まで量が少なくって測れなかった試料の年代も
ある時から測定できるようになることがよくあります。
逆に、理論的にはこうすれば年代測定できるということがわかっていても、
実現する装置がまだないものもあります。
先端技術の進歩によって、
ひとつずつ研究者の夢が実現されていきます。
逆に研究者の夢が、技術を促しているのかもしれません。
楽しみな時代でもあります。

・ウラン-鉛法・
私は地質学の研究で年代測定も手法として用いていました。
3年間は、ある研究所で、ゼロの状態から
ここで紹介したウラン-鉛法の精度をあげることに全精力を注いでいました。
その結果、世界でも有数の汚染の少ない
研究システムを作り上げることもできました。
でも、今はそんな一線から退きました。
それは、私自身の職の変遷のせいであります。
実は、二次イオン質量分析計の2号機を導入すると話があり
その装置を使える人としてあるところに呼ばれました。
現実はバブルの崩壊で導入できませんでしたが、
私は転んでもタダでは済ましませんので、
そのときにいろいろなことを学んでいき、
今の自分があると思っています。
その3年間の研究漬けの日々は大変でしたが、
充実したものでした。
そして何より、地道な努力を3年間、継続、専念して行えば、
世界の一流になれるということを
身を持って体験することができました。
これは何事にも換え難い経験となって
今の私を支えてくれています。
そんなことを懐かしく思い出しながら、
今回のエッセイを書きました。

2004年8月26日木曜日

5_37 誤差

 前回、時代を決める方法として絶対年代というものを紹介しました。では、その絶対年代は、どのようにして精度が決まっていくのかを紹介しましょう。

 絶対年代を示すときは、誤差も同時に示すようにされています。例えば、1億5000万±2500万年前というように、±(プラスマイナス)をつけて、その確かさが示されます。測られた年代ごとに誤差が示されています。この誤差の数値の範囲に測定値は動きうるということです。測定値は、それだけの年代の幅を持っているということです。年代の数字だけが一人歩きすることがよくあるのですが、注意が必要です。
 実は、その誤差の中にはさまざまな内容が含まれています。
 誤差にも、いろいろな意味があります。同じ試料を同じ条件で繰り返し測って得た値がどの程度ばらつくのか(精密さ、precisionといいます)、同じ試料を別の条件で測ったときにどの程度ばらつくのか(再現性、reproducibility)、得た値が真の値からどの程度かたよっているのか(確度、accuracy)などあります。
 分析をする研究者、あるいは研究室では、これらの精度を示した後、年代測定の値を示すことになっています。ですから、年代測定で公表されている値の誤差とは、すべての誤差の中身がたどれるようになっています。年代測定の誤差とは、上で述べた誤差の総合的なものだといえます。
 その誤差の程度は、研究室の環境や設備、そこの使われている分析装置の性能、測る研究者の腕などによって違います。でも、それ以前に、放射性元素の種類や測る試料の様子などが、年代測定の結果に影響を与えます。
 放射性元素の種類は、古い時代のものを測るときは、ゆっくりの壊れる放射性元素を使います。でも、同じ放射性元素でも、古い試料ほど、その誤差の数値も大きくなります。逆に新しいものは、誤差の数値が小さくなります。
 まあ考えれば当たり前のことです。ある研究室では年代測定に1%の誤差があるとしましょう。例えば、30億年前の事件を1%の誤差で測れたとすると、
30億(3,000,000,000)×0.01=3000万年
という誤差なります。ところが、数万年前の事件なら1%の誤差なら、
30,000×0.01=300年
となります。同じ1%という誤差でも、得られた年代によってその誤差となる年数は違ってきます。
 実際には、年代測定で、0.01とか0.001、つまり1%や0.1%の誤差があれば、多くの場合は実用性があります。遺跡などの調査で5000年前のもの年代測定で50年くらいの精度なら充分実用的だと考えられます。
 元素の種類としては、古い時代の試料には壊れるスピードの遅いものが、新しい試料には壊れるスピードの速いものが使われます。遅いもから順番に、ルビジウム-ストロンチウム、トリウム-鉛、ウラン-鉛、カリウム-アルゴン、炭素-窒素(いわゆる14Cいうもの)などとなります。ここで前に書いた元素は、放射能を出して壊れる元素(親核種といいます)、後に書いた元素は壊れてできる元素(娘核種)です。
 これらを精度よく測りたい場合は、測る試料がある条件を満たさなければなりません。それらの条件がどの程度厳密に守られているかが、やはり誤差を大きく左右します。
 まず、測りたい元素が、目的の岩石にたくさん入っていることです。少ないと測定の精度が悪くなってきます。さらに測りたい事件のあった後、その岩石に、測りたい元素が出入りのない環境に置かれていたことも重要な条件となります。たとえば、岩石ができた年代が知りたければ、岩石ができた後に、変成作用を受けたり、地表で風化を受けたものは、正確な年代が測定できなくなります。
 そして、上で述べたような元素を精度よく測る技術、つまり誤差を小さくする技術も必要です。その技術には、試料を取り扱う研究者の腕や、実験室の環境もあります。研究者の腕が悪かったり乱暴だったりすると誤差も大きくなります。また、実験室が汚いと、測りたい試料以外のところから、余分な成分が混入すること(汚染といいます)があります。
 隕石や月の岩石、岩石の中の一粒の鉱物などは、非常に少量しか分析に利用できません。このような少ない試料を測るときは、誤差をいかに小さくするかが問題となります。それこそ研究者の腕の見せ所です。
 絶対年代として、年代値だけが問題になるのではなく、測定値にどの程度の幅があるかということも重要です。特に誰も調べたことのない時代の地層や岩石では、誤差に注意する必要があります。そして、その誤差を頭に入れて年代の数値を考える必要があります。そして、示された誤差には、研究者の熱い思いが込められているのです。

・ある質問から・
このエッセイは、Namさんから受けた質問に答えています。
最初、メールで返事を書き出したのですが、
長くなったので、エッセイにしました。
まだ、質問には完全に答えていません。
「どの程度の誤差が出るのでしょうか」という
質問に答えたものです。
半分だけ答えたものです。
後半分の
「どこにでもある石や砂でも
その年代を正確に測定できるのでしょうか。
もし放射性元素が見つからない場合は、
この測定方法は役に立たないのでしょうか。」
という質問には次回に答えることにしましょう。

・秋に焦りは禁物・
北海道はすっかり涼しくなってきました。
あちこちに秋の気配が漂ってきています。
コスモスがいたるところで咲いています。
まあ、コスモスは夏の間中、咲いていましたが。
でも、ススキの穂がではじめました。
ナナカマドの葉や実も色づきだしました。
赤とんぼが里にも舞い始めました。
季節としてはいい時期なのですが、
私にとっては、外ですべき野外調査が
あまりはかどっていないので、少々焦り気味です。
でも、焦りは禁物です。
一人でこつこつと進めていくことです。
あせらず、でも怠ることなく、
急がず、でも休まず、
あれもこれもではなく、やりたいことだけを、
計画も大切だが、修正も大切。
今と未来と、自分の体調、体力、能力などを考えながら
進んでいきましょう。

2004年8月19日木曜日

1_31 時代の境界(2004年8月19日)

 前回まで、時代の区分の仕方や考え方を見てきました。今回は、実際に、どのように時代区分されていくか見ていきましょう。

 地球の時代区分は、化石と放射能を出す元素(放射性元素)を利用して、おこなわれます。生物がたくさんいた時代は、化石を使えば細かく分けることができます。しかし、数値で決めるためには、放射性元素で決めていきます。両者をうまく組み合わせて使えば、よりよく年代を時代区分をすることができます。
 時代の境界ができるということは、多くの生物が絶滅し、地球全体に異変があったことを意味します。ですから、時代区分が大きなものほど、その異変は、大変なものであったといえます。
 いくつもの階層に分かれて時代区分がなされています。一番大きな区分として、古いものから順に、冥王代、太古代(始生代ともよばれます)、原生代、顕生代と4つに分けられてます。
 冥王代は地球の始まりで、まだよくわからない時代です。それをのぞけば、太古代、原生代、顕生代は、それぞれ、細分されています。なじみのある時代である顕生代は、古生代、中生代、新生代と分けられています。顕生代は生物がたくさん顕れた時代ですから、細かく区分されています。古生代はカンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ペルム紀の6つに、中生代は三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つに、新生代は、第三紀と第四紀の2つに分けられています。もっと、もっと細かく分けられていますが、ここまでとしましょう。
 ところで、問題があります。時代を決めるための素材は、地層です。すべての時代の境界がある地層が、連続的にひとつの地域にあればいいのですが、そうはいきません。ある時代の境界はある地域のある地層に見つかり、次の時代の時代境界は別の場所のある地層に見つかります。つまり、時代の境界が、世界中にばらばらになってあるのです。
 また、同じ時代の境界の地層も、いくつかの地域にあります。すべてが一致した数値で年代が決まればいいのですが、すべての時代境界で位置しているわけではありません。
 なにしろ時代の記録が地層に残されています。地層は、大洪水や海底地すべりによって海に溜まったものが大部分です。ですから、場所が違えば、土砂がきた環境も、土砂が溜まったの環境も、そしてその土砂に埋もれた生物たちも違ったものとなり、それが地層となります。
 そこは熱帯の海だったり、温帯の海だったり、極地の海かもしれません。化石となった生物はまったく違っているかもしれません。でも、地球規模の異変ですから、多くの生物が絶滅しているはずです。どれか共通する化石を手がかりに、異変の共通性を見つけて、比べていきます。
 ひとつの時代の境界を決めるためには、世界中の同時代の地層境界をいくつも調べなければなりません。そして、ここだと思われるところを、その時代の典型的なところとされます。気の遠くなるような調査や研究がされているのです。
 以前はある場所で決められた時代境界でも、よりよい場所があれば、そこを典型的なところと変更されます。ですから現在でも、時代の境界については検討されています。国際的な地層の時代区分は、1989年にされたものを改変して、2004年に発表されたばかりです。その発表されたものをみても、まだ時代区分で、正確に決まっていないところがいくつか残されています。
 カンブリア紀のはじまりも、変更がありました。カンブリア紀のはじまりとは、原生代と顕生代の境界といういちばん大きな区切りです。現在の定義では、カナダの東部のニューファンドランド島のチャペル・アイランド層メンバー2という地層の底から2.4mが、その境界の典型的な場所とされています。しかし、以前は、カンブリア紀のはじまりはある化石が見つかるいちばん古いところで、炭素の成分にある異変があるところとされていました。以前決められた境界の年代は5億7000万年前でしたが、現在では、5億4200万年前と変更になりました。
 研究は、休みなく続けられているのです。

・地質時代シリーズ・
今回まで、地球の時代の決め方を見てきました。
これから、シリーズで各時代の特徴を見ていこうと思います。
あまり詳しくもできないので、
大きな区分で見ていきます。
できるだけ新しいものを月に1時代ずつ、
紹介していこうと考えています。
お楽しみに。

・山の渓流・
先日、家族で山に出かけました。
私は、石や砂を集めることも目的のひとつではあったのですが、
一番の目的は、いい河原を探すことでした。
私は、なかなかいい河原がみつからなくて、
欲求不満になっていました。
そんな河原を何とか見つけたくて、少し遠出をしました。
なかなか見つからず、
地元の人と山の中で出会って教えていただいたところに
いい川といい河原がありました。
前日降った雨で下流の川は濁っていたのですが、
上流の川は澄んで、河原の石ころもきれいに見えました。
暑い日だったので子供たちはパンツになって、水遊びをしていました。
冷たすぎて水にもぐれなかったようですが。
でも、いい一日を過ごしました。
こんな川なら何度も来たいと思いました。

2004年8月12日木曜日

1_30 時代区分:絶対年代(2004年8月12日)

 前回は、地球の年代を区分するときに、生物の絶滅を利用するという方法を紹介しました。今回は、別の区分の方法を紹介しましょう。

 地球の時代区分で生物の絶滅を利用するには、生物がたくさんいる時代でなければなりません。地球の歴史で生物の化石がたくさん出はじめる時代は顕生代(けんせいだい)と呼ばれる時代です。漢字で、生物が顕(あらわ)れるという、そのままの意味になっています。
 顕生代は古生代のカンブリア紀から現在までの時代のことです。カンブリア紀は、5億4200万年前から始まります。ところが地球の歴史は約45億年前からはじまります。ですから、顕生代が地球の歴史で占める割合は、12%に過ぎません。また、化石で最古の記録は、約35億年前のものです。生物の歴史から見ても15%に過ぎません。
 地球の歴史を区分することに、生物の絶滅による相対年代に頼っていては、たくさんある古い時代の歴史を区分することができません。他の方法を用いなければなりなりません。そこで用いられるのは、絶対年代と呼ばれるものです。
 放射性元素とよばれる化学成分を分析して年代測定をする方法です。放射性元素は、正確には元素ではなく、元素の中でも重さ(質量数が違うといいます)成分のことで、同位体あるいは核種と呼ばれます。でも、ここでは元素と呼んでおきましょう。
 この年代測定の原理は、放射能を持っている元素が、壊れて別の元素に変わっていく作用を利用するものです。放射性元素は、ある一定のスピードで壊れます。また、そのスピードは、地球のどこの条件でも変わることはありません。ですから、放射性元素は、正確に時間と共に壊れていく時計として利用できます。
 もともとあった元素(正確には親核種といいます)から、壊れてできた元素(娘核種)ができます。もともとあった元素と壊れてできた元素の数が正確に測定できれば、経過した時間が調べられます。このような放射性元素を利用した年代決定を、絶対年代測定といいます。
 放射性元素を用いる年代測定には、もともとあった元素と壊れてできた元素の比をもちいる方法と、宇宙線によりできた元素を利用する方法の2つがあります。どちらも試料や目的に応じて使い分けられます。
 このような放射性元素を用いる絶対年代の利点として、適切な試料と適切な分析の技術(分離装置と分析装置)があれば、年代を正確に決められるという「精度」をもっています。また、誰でも技術さえあれば、いつの時代の試料に対しても利用可能であるという「汎用性」があります。さらに、試料の種類は問わず、目的とする元素が分析できるほど充分あるかどうかだけが問題となり、どこの場所でもみつかる岩石に適用できるという「敷衍性、広範さ」があります。
 一方、絶対年代の欠点として、時代は、測定するまで分からないという「可視性」がないということがあげられます。また、大きな分析装置や複雑な化学分析の手続きが必要で、大掛かりであり、「簡便」ではないという欠点もあります。
 現在、地球の時代を区分するための地質年代の数値は、絶対年代が採用されています。しかし、時代区分は、もともと化石によって細分されてきたので、その時代や時代境界を正確に決めることに絶対年代が採用されています。また、化石がたくさん出る時代では、化石のほうが精度がいいことがあります。このようなことから、現在では、絶対年代と相対年代の両者の利点をうまく利用していくことで、地球の年代を区分しています。

・夏休み・
さて、そろそろお盆シーズンに突入します。
皆さんは、田舎に帰るのでしょうか。
私たちは、お盆は自宅でのんびり過ごすつもりです。
子供たちは学校のプール開放に行き、
自宅でいつものように過ごそうと考えています。
私は、暑ければ、午前中は研究室で仕事をして、
午後は自宅でぼちぼちと仕事したり、
子供と遊んだりしているでしょう。
北海道は8月20日から学校が始まります。
7月も23日までありましたから、北海道の夏休み一月もないのです。
北海道では一番いい季節を、勉学に励むことになります。
そのかわり冬休みが1月ほどあり、長くなります。
どちらがいいでしょうか。
やはり子供たちにとっては、
長い夏休みがいいのでしょうかね。
我が家は夏休みが終わって、9月に入ったら
あちこち出かけるつもりをしています。

・海へ・
先日、海に行ってきました。
私は、海より山の方が好きなのですが、
長男の夏休みの希望が海に行くことでした。
長男の希望を満たすために、平日の朝に海に出かけました。
ニュースによると今年の北海道は暑いので
どの海水浴場もいっぱいのようです。
いっぱいといっても本州の江ノ島や湘南の海のように
芋を洗うような混雑はありません。
しかし、せっかく北海道の海に行くなら、
自然のままの海で遊ばせてあげたいと思い、
海水浴場になっていない海に行くことにしました。
そこは以前、資料を採集するために出かけたところです。
あまり人がいないことがわかっているところでした。
でも、もちろん人がいましたが、
3組ほどの人が、釣りをしているだけでした。
しかし、最近つくづく思うのですが、
自然のままの海も、川も、今や北海道でも貴重になってきました。
もちろん都市から離れたところへ行けばまだまだあるのでしょうが、
私の住む町の近くには散々探しているのですが、
いいところが見つかりません。
もしかすると私の希望は多くの人が望むものと違っているのかもしれません。
人手のできる限りはいっていない河原や海岸です。
野生の自然があるところは、管理上の問題でしょうか、
多くのところでは、一般の人が入れなくされています。
また、そんなことになったのも、
マナーの悪い人がたくさん入り込んでいるせいもあるのでしょう。
確かに、ごみや焚き火の跡が残されていたりして、
興ざめしてしまうるところもよく見かけます。
でも、私は、自然の川や自然の海が残っているところを
飽きることなく探していきたいと思っています。
少なくとも自分の子供たちは
野生の自然に触れさせてあげたいなと思っています。
これは、もしかすると、子供をだしにした親のわがままかもしれません。
でも、北海道においてすら自然が残されていないことを考えると、
本州での悲惨さを思って余りあります。

2004年8月5日木曜日

1_29 時代区分:相対年代(2004年8月5日)

 地球の歴史の概略をシリーズで紹介しましょう。まず、時代区分の方法を考えていきましょう。

 地球の歴史を考えるとき、時代を区分して考えていきます。例えば、ジュラ紀や白亜紀がそのような時代区分の例です。時代を区分するということは、時間を区分するということになります。
 ところが物理学で定義されている時間は連続的なものですから、なんらかの目印によって連続な時間を区分しているはずです。
 その目印は、誰もが納得できて、どの時代でも、どの地域でも、通用するようなものがいいはずです。では、時代区分をするときに、どのような目印を使えばいいのでしょうか。
 どの時代でもどの地域でも通用する目印として、一番重要な条件は、現在までその目印が残っていなければなりません。これは、不可欠の条件です。そのほかにも満たすべき条件があります。
 時間を区切る目印の条件としては、だれにでも見えるもの(可視性)、いつの時代にでも使えるもの(汎用性)、どこの場所でもみつかるもの(敷衍(ふえん)性や広範さ)、手軽なもの(簡便性)、正確にきまるもの(精度のよいもの)、などが考えられます。
 このような目印の条件を満たすものは、今のところありません。そこで、妥協策として、化石などが利用されています。
 化石などを用いて、地層の後(あと)先(さき)の関係を決めて、それをもって地層などの順番を決めていくものです。何年前という数値は決められませんが、どちらが先か、どちらが後かを決めることができます。
 化石を用いた時代の目印は、大量絶滅によってそのランクを決めることができます。絶滅の程度が大きければ、その目印はより大きなランクの時代区分となり、絶滅の程度が小さければ、時代の区分のランクも小さなものとなります。
 絶滅の程度が大きいということは、地球の環境に大規模な変化が起こったことみなせます。ただし、このような時代区分は、人為的な判断に基づくものであることを忘れてはいけません。
 化石は、大きく肉眼で見えるものを使えば、経験さえつめば、野外調査の場で、どんな時代かを決めることができます。つまり、その化石の出る時代があらかじめ知っていれば、その地層のできた時代が限定できます。このように化石によって決めた年代を、相対年代といいます。
 相対年代の利点は、上で述べたように、化石、特に大型のものは誰にでも見えるという可視性があります。そして、化石の識別(同定)ができれば、時代がすぐに決定できます。特別な道具はいらず、野外ですぐに時代が決まるという。簡便性があります。化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度よく決めることができます。
 相対年代の欠点は、化石に残るような生物のいない時代には使えないことです。つまり、主に5億7000万年前以降の顕生代(けんせいだい)という時代にしか、利用できないのです。時代の範囲が狭く汎用性がないといえます。また、化石は堆積岩だけからしか出ません。地殻を構成する岩石のうち、地層をつくる堆積岩は、非常に少ないものです。ですから、敷衍性や広範さがないといえます。上で化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度がいいといいましたが、逆に化石の少ないところや化石の時代範囲が不明瞭の場合は、正確に時代を決めることができません。つまり、精度が悪いという面もあります。
 このような欠点を補うために、絶対年代というものが利用されています。それは次回としましょう。

・キャンプ・
北海道は、まだ暑い日々が続いています。
涼しいつもりで北海道に来ている観光客はがっくりしていることでしょう。
我が家は、先日キャンプをしました。
そのキャンプ場は車で30分ほどのところにありました。
私も久しぶりのキャンプでした。
家内や子供たちは初めてでした。
今日の午後も(8月4日)も近くのキャンプ場に出かけるつもりです。
自転車でいっても森の中を通り抜ければ、
15分ほどで着く森の中のキャンプ場です。
でも、荷物があるので、車で行くと遠回りになり、
車でも15分ほどかかります。
私は、人の多いキャンプ場は苦手です。
できれば、誰もいないキャンプ場が理想です。
季節外れでもない限り、そんなところはないでしょうが。
でも、キャンプすることは、
私にとって自然を身近に感じるためだと思っています。
人工の灯りも最小限しか持っていきません。
食事も買ってきたものを、皆で外で食べることにしています。
夜の自然を楽しむこともキャンプの楽しみの一つでしょう。
子供たちは、自然の中で遊べばいいのです。

・生き物たち・
キャンプをしていると
灯にはクワガタなどが集まりますから、
それを子供たちはとります。
虫取りや魚取りをすると、
虫かごやビンに生き物を入れておき、
獲った成果を眺めます。
そんな虫たちも、しばらくしたら、あるいは遅くとも翌朝には
逃がすことにしてます。
なぜなら、飼っていると、たいていは死んでしまうからです。
それなら、楽しんだ後は逃がしてやればいいと思っています。
子供たちは、虫や魚を獲ること、
そしてその獲ったものを集めて、眺めることで満足しています。
生き物を飼うことは責任があることだと思います。
そして死が自分の責任であることを理解すべきだと思います。
うまく飼えるようになったら、
持って帰ればいいと思っています。
小学生の長男は長期間に渡って世話をするということは
まだできないようです。
すでに、何匹も殺しています。
オバケイエビ、カブトエビなど
付録で付いていたもので試していますが、まだダメなようです。
あまりに小さいため、生き物の死を実感できないのかもしれません。
そんなことを親としては考えますが、
子供はいたってあっけらかんとしてます。
世代ギャップなのでしょうかね。

2004年7月29日木曜日

6_38 未来予測3

 未来予測についての3回目です今回は、因果関係がはっきりしないことについてです。さて、未来予測の最後の回です。どんな予測が可能でしょうか。

 人それぞれで、望む未来が違うでしょう。望む未来の違いによって、それぞれの人の身の振り方は多様になるでしょう。
 第一志望の大学に入りたい。いい企業に就職したい。新しくはじめる事業がうまくいってほしい。一流のスポーツ選手になりたい。などなど、人には、人それぞれの夢があります。そして、そんな夢が将来かなうかどうか知りたいと思っています。あるいは、どうすればそんな未来を迎えられるかを知りたいという気持ちもあるでしょう。
 夢をかなえたいということは、未来を自分の望む方向にしたいと願っているのです。でも、多くの人は、その未来がたやすく望む方向にいかないことを知っています。夢が大きければ大きいほど、実現することが難しいと思っています。それは、実現する可能性が少ないと判断しているからです。
 でも、私たちは、その少ない可能性をあげる方法を良く知っています。たとえ今、どんなに成績が悪くても、勉強すれば、成績を良くすることはできることを知っています。第一志望の大学に入れるかどうかわかりませんが、勉強しないよりした方が入れる可能性が高くなることを知っています。いい企業に就職するためには、大学で一生懸命勉強したり、クラブ活動に打ち込んだり、卒論を一所懸命したりして、就職のための努力をすれば、確実ではありません、しないよい可能背が大きくなることを知っています。一流のスポーツ選手になるためには、日々の練習を怠ることなく、大きな目標をもって継続することが大切なことは知っています。
 つまり、私たちは、目標、つまり夢に向かって努力することが、夢を実現する可能性をあげることだと本能的に知っているのです。その現在の努力が、未来の自分に近づけることだと知っています。
 望む未来には、こうすれば確実に成功するという法則も因果関係の明らかでないものも多いでしょう。それは未来に対する不安が生みます。そんな不安な気持ちのとき、ある人は、手相占いや星占いなどに意見を求めることもあります。ある人は、友達やその道の先輩、専門家に相談するかもしれません。それは、精神的な援助は得られますが、未来を保障してくれません。
 未来の多くは、因果関係がはっきりしないものでしょう。因果関係がはっきりしていても、そうなるとは限らないのが未来です。でも、多くの人は、因果関係がはっきりしなくても、とりあえず望む未来に向かって努力し続けることが重要だということを、知っています。
 この努力し続けることが、泥臭いですが、因果関係がはっきりしない未来への、今ある一番確実な対処法でしょう。努力をしても、未来に向かって可能性をあげるという保障はありません。しかし、望む未来に向かって努力することが、少なくとも自分自身の能力や技術の向上にはなります。すると、来るべき未来に越えるべき障害があったとき、それを努力をしなかったときより、努力した方が越えやすくなっているかもしれません。
 あるいは、一番の効用は、自分が望む未来に向かって努力を続けているという安心感と、常にチャンスがあれば手に入れようと狙っている気持ちが必要なのかもしれません。常に未来に向かって今を生きているという姿勢が、大切なのかもしれません。

・努力の難しさ・
すべての人は、良い未来を望んでいます。
しかし、そのために、現在を犠牲にしなければなりません。
現在をどの程度犠牲にできるかによって、
その未来をどれほど渇望しているかを推し量ることができるかもしれません。
ただし、未来は、努力したから望むものが手に入るわけではありません。
他人から見ると、何の努力もせずに素晴らしい未来を
手に入れていている羨むべき人もいるでしょう。
そこが未来の過酷なところでもあります。
でも、それを嘆いていては、
自分にとってのよい未来を手に入れることはできません。
とりあえず、今、未来に向かって努力することです。
私にも、もちろん望む未来はあります。
そのために自分自身、努力になければなりません。
一人で自分に努力を強いることは大変です。
楽をしたい、怠けたいという自分自身に鞭打って、
未来への努力を強いらなければならないのです。
そのためには、多くの精神力を必要とします。
上で述べたように、未来に向かって努力する必要性を
多くの人は知っています。
しかし、また多く人は、その努力をすることが
大変なことも知っているのです。
もちろん私もその一人で、日々、努力の大変さに悩んでいます。

・暑い北海道の夏・
北海道も暑くなっています。
ここ数日、泳ぎたくなるような天気です。
北海道の短い夏の訪れです。
私が北海道にきて、すでに2回の夏をすごしましたが、
それはいずれも冷夏だったので、
暑い夏を味わうことなく過ごしました。
今年はじめて、例年並みの暑い夏が来ました。
暑さに体がなれていないために、
本州の人からするとたいしたことのない暑さでも、
私には、大変こたえます。
でも、こんな日もないと夏らしくありません。
短いでしょうが、暑い北海道の夏を満喫しましょう。

2004年7月22日木曜日

6_37 未来予測2

 今回は未来予測についての2回目です。前回は、因果関係がはっきりしている未来予測を、生物はごく当たり前にやっているということを示しました。今回は、現在から未来を変化させる方法について考えてみましょう。

 流れる時間の中で私たちが感じることができるのは、「現在」だけです。「過去」も、そして「未来」は感じることができません。私たちに時間をコントロールすることはできませんが、自分はコントロールできます。ただし、自分のコントロールも、できるのは「現在」の自分だけで、「未来」の自分はコントロールできません。なぜなら、私たちは、今、現在に生きているからです。
 この単純な、そして融通のきかない関係なのですが、なんとか自分にとっていい未来をつくることはできないでしょうか。
 前回は、因果関係のはっきりとした未来は予測できるといいました。つまり、因果関係がはっきりした未来が予測できるなら、現在の自分の身の振り方を変えれば、未来の自分を多様に変化させることが可能ではないでしょうか。つまり、私たちには、現在しか扱えないのですが、現在の自分を、自分の望む方向に向けて進めていけば、思い描く未来の自分を手に入れられるかもしれないということです。この方法は、単純ですが、非常に有効だと考えられます。
 難しい言い方をしていますが、これは、ごく普通に私たちが取り組んでいることなのです。夢を目指して、今、努力していくことです。たとえそれが長い時間の継続が必要でも、努力を続ければ、報われる可能性が高くなると考えています。
 努力することの多くは、退屈で単調でつらいことです。繰り返し基礎練習をしたり、基本的な問題を解いたり、何度も繰り返して実験して、いろいろのあ技術や能力を身につけます。こんな努力をすれば、あるレベルまで自分自身を高めることができます。いっぱいやったから、人よりやったからといって、やれば未来を約束してくれるものではありませんが、少なくとも何もしなかった自分より、努力した自分の方が、望む未来に近づきやすいことを、私たちは経験的に知っています。
 望む未来が大きければ大きいほど、多くの努力が必要でしょう。もし、その夢がライバルの多い中を勝ち抜いて得られるものであれば、長くつらい努力を続けた人たちだけが、その未来を手に入れられる最低条件を満たすことになるはずです。努力を続ける「現在」に耐えられた人だけの競争となります。その時点でライバルたちは少なくなっているはずです。もしそうなら、成功への最初のステップは、努力を続けることで、上がれることになります。これで、望む未来への可能性を上げたことになります。
 私たちは、未来のために、現在を犠牲にしてもいいと考えて、行動することがあります。それは、何もしない未来より、努力した未来の方がよくなる可能性が高いからでしょう。
 ここまでは、因果関係のはっきりしていることです。しかし、そこから先の未来は、因果関係がはっきしていません。望む未来になるかどうかは、保証の限りではありません。望む未来への2番目のステップはどうすれば上がれるのでしょう。それは次回としましょう。

・母の滞在・
母が1週間、滞在していました。
会うたびに老けていき、弱っていくように見えます。
ということは、母から見て私も、会うたびに老けてみるのでしょう。
お互い様かもしれません。
京都に住んでいるのですが、
夏の暑さにだいぶ弱っていたようです。
我が家について、涼しいせいでしょう、
昼寝をし、夜も早めに寝床に入ってぐっすりと休んでいました。
1週間の間に、2度温泉に宿泊しました。
温泉宿は暑くて寝苦しかったで、私たちは疲れてしまいました。
でも、母は、なれているせいか、
暑いとは言いながらぐっすり寝ていたようです。
母は、現在、自分用の野菜つくりをしています。
もともと農家ですから、やってもおかしくないのですが、
祖父が中心となっておこなっていたものですから、
母や父は忙しいときだけ農業をしていました。
今では、田んぼは人に頼んで作ってもらっています。
自分は畑の一部を利用して、自分用や近所に分けたりするために
野菜を作っています。
でも、これが健康のためにはいいようです。
以前は足が痛いといっていましたが、
今では、走ることはできず、不自由そうですが、
日常生活には支障はなくやっています。
そんな母をみていると、
もしかすると自分の方の老け方の方が早いのではないか
と思ってしまいます。
日本では、いまだに農業が、
もしかすると一番人間的な生活様式のような気がします。
でも、私にはいまさら農業はできませんがね。

・前期の終了・
大学もそろそろ前期の講義が終わります。
最近では、多くの大学ではセメスター制を採用するようになって、
前期の後に定期試験をして、その後に夏休みに入ります。
以前は、前期は9月上旬まであって、
その後に定期試験がありました。
まじめな学生ほど夏休みは落ち着いて過ごせませんでした。
もちろん私は、まじめな学生ありませんでしたが、
でも、心のどこかに9月の試験のことが頭にあり、
どこか落ち着かない気持ちがありました。
セメスター制では、夏休みは試験の後なっていますので、
のびのびと心置きなく羽を伸ばせます。
そんな学生を横目に、
教員は試験の採点、レポートや出席の整理などに追われます。
これは昔自分が学生だったころ
夏に遊びすぎたツケが回ってきたのでしょうかね。

2004年7月15日木曜日

6_36 未来予測1

 過去について考えたことがありました。今度は、未来について考えていきましょう。未来を、予測することができるのでしょうか。できるとするとどのようなものでしょうか。

 未来という字は、「未(いま)だ、来ない」と書きます。ですから、まだ来ていない時間のことを意味します。そんなまだ来ない時間を、科学で探ることができるのでしょうか。なかなか難しい問題です。今回は、まず生物が未来を予測できるかどうか考えていきましょう。
 時間に関して私たちは非常に鈍感です。私たちが感じることのできる時間は、今、つまり現在だけしかないのです。
 過去でも、記憶や記録に残っているものなら、たどることができます。でも、忘れてしまったものや、記録に残っていないものは、たどることはできません。記憶しているとか、記録に残っているものは、実をいうと、それらが現在まで残っており、現在それらをたどることができるのです。
 記憶や記録を通じて一見過去を見ているように見えますが、現在に残されたものを通じて過去を再現している過ぎないのです。過去を味わうというのは、現在からたどるしかない行為なのです。過ぎ去った現在は、二度と味わうことはできないのです。どんなに似ていようとも、同じではありません。例えば、同じ映画を見ても、一度目と二度目は、感じ方が明らかに違います。
 私たちには、過去をもはや感じることができないのです。もちろん未来を感じることもできません。ですから、私たちは、「現在」という非常に限られた時間の中で生きているのです。そんなつかの間の現在を、私たちはどのようにして生きているでしょうか。
 多くの生物は、今を、少しでも楽しいもの、より快適なもの、少しでもいいものにしたいと考えているはずです。また、少々今がつらくても、より未来を楽しいものにしたいと考えているはずです。そのためには、今、つらくても我慢したり、がんばって努力したりして、よりよい未来を迎えることを望んでいるはずです。
 こうありたいという未来を望んで、私たちは、今を我慢や努力をしているのです。そんな未来を予測して、今を生きているのです。これは、願望や夢といったほうがいいかもしれませんが、今を生きる重要な動機ではないでしょうか。
 未来は、正確に予測することは難しいのですが、どんな生物も、ある程度、予測はしています。
 簡単な例を出しましょう。草原でチーターが向かってくるのを見たトムソンガゼルはどうするでしょうか。もちろん逃げます。じっとしていたり、チーターに向かっていったりすると食われてしまいます。それは、自分の未来を亡くすることになります。だから、トムソンガゼルは、チーターの来ない方に逃げ、追いつかれないように全速力で逃げるでしょう。時には急激な方向転換もするでしょう。これは、自分の未来を瞬間的に予測して、その悲惨な未来を回避する行動をしているのです。これは、明らかに未来予測に基づく行動です。人間でも道路を横切るとき、車とぶつからないタイミングを予測して渡ります。これができないと、いつまでたったも道路を渡れないか、車にひかれてしまいます。
 生物は、なにも、近い未来だけを予測しているのではありません。やがて来たる冬に備えて、食料をためこんだり、食いだめをしたりします。学生が、受験勉強をするのは、しないよりした方が受かる可能性が高くなるからです。このような予測は、数ヶ月や、1年に及ぶような予測に基づいて行われています。
 今はつらいけれど、よりよい未来のために、我慢しているのです。生物は、どうも本能的に未来を予測できるようです。
 でも、もっと先、もっと複雑な因果関係の未来をどのように予測するのでしょうか。これは次回のテーマとしましょう。

・北海道の夏・
ここ数日、北海道でも天気の悪い日が続いていました。
まるで梅雨のように、雨が降ったりやんだりしていました。
北海道にしては湿気の多い日が続いています。
もちろん、本州の梅雨のようにじめじめしている訳ではありません。
気温も20度少しなので、蒸し暑いわけではありません。
でも、快適な夏をいつも味わっている北海道では、
これでも、嫌な天気に感じてしまいます。
一番いい時期を、こんな天気だとつらく感じます。
北海道は冬から開放されて一番いい季節です。
今朝はやっと晴れてきました。
今日は暑くなるでしょうか。
北海道の夏は、すがすがしい暑さです。
そんな季節が戻っていることを願っていましょう。

・大学の休み・
大学では、そろそろ前期の講義が終わりに近づいています。
祝日の配分によって、もう終わった講義から、
あと2回残っている講義もあります。
祝日はいいのですが、大学、とくに授業に関しては、
祝日があると非常にやりにくくなります。
現在のように振り替え休日などの制度があると
月曜日の講義日数がかなかな確保できません。
うちの大学では、月曜日の講義日数が確保できず、
とうとう7月19日は講義日としています。
学生には、休みが多くあります。
大学では世間の祝日を無視してもいいのではないでしょうか。
大学生は、休みの多い生活をしています。
8月、9月の半分、2月、3月は講義がなく、休みです。
なんと3ヶ月半が休みです。
100日ほど休んでいることになります。
だから、せめて講義のある期間ぐらい、
土曜・日曜以外の休みなく
講義をしたらどうでしょうかね。
ちょっと乱暴ですかね。

2004年7月8日木曜日

3_34 石灰岩とチャート2

 石灰岩とチャートはどちらも生物の遺骸からできた岩石なのに、でき方が違っていました。そんなナゾの二回目です。


 石灰岩は、サンゴなどの礁をつくる生物の炭酸塩の遺骸からできています。一方、チャートはプランクトンで珪酸の殻や骨をもつものからできています。
 造礁性サンゴ以外のサンゴの仲間は褐虫藻とは共生していません。ですから、海の条件に関わりなく、いたることに広く住んでいます。プランクトンとして漂って生活しています。このほかにもプランクトンには、石灰藻類やココリスとよばれる炭酸塩の殻や骨を持つものもいます。
 プランクトンには珪酸だけでなく、炭酸塩の殻や骨をもつものもいます。このような石灰質の微生物の遺骸は、マリンスノーとして珪藻に混じっているはずです。だとするとチャートは石灰質(炭酸カルシウム)の成分が含まれているはずなのに、岩石としてできるのはチャートという珪酸を主成分とする岩石です。不思議です。炭酸塩の成分はどこにいったのでしょうか。
 それは、深海では炭酸塩が溶けやすくなる効果があるからです。海の表面の海水は、炭酸塩が目いっぱい溶け込んでいます。ところが、深くなるに連れて、水圧が上がると、炭酸塩の溶け込む程度が大きくなります。つまり深くなるとよりたくさん溶けていきます。深くなればなるほどその効果は強くなっていきます。その他にも、水温、pHの変化などの効果も加わるとされています。
 ところが、炭酸の供給源は大気中の二酸化炭素ですから、表面にだけ炭酸がたくさんできます。したがって、海の深度が深くなるにつれて、炭酸がよりたくさん溶け込める状態になります。そんな状態のところに、炭酸塩のマリンスノーがゆっくりと沈んでいくと、溶けていくのです。
 炭酸塩が溶け始める深度を、炭酸塩補償深度(CCDと略されています)と呼びます。大西洋では、炭酸塩補償深度は4,000から5,000mで、太平洋では1,000から2,000mとされています。これは、海底の深さより、溶けたり溶けなかったりする微妙な深度です。しかし、深海底にたまったプランクトンの遺骸は、最終的には、プレートテクトニクスの営みによって、陸地に上げられます。つまり、海洋底プレートが移動して、海溝に行き着き、陸地に上がる作用となります。海底の堆積物は、少なくとも海溝ではCCDを越えてしまいます。つまり、海洋底の堆積物は、炭酸塩は溶けて、珪酸だけになっていきます。これが、チャートが珪酸だけからできている理由となります。
 堆積岩の内、20%が石灰岩だといわれています。でも、堆積岩はサンゴや層孔虫など誕生する前から石灰岩はあります。ですから、生物に関係なく、石灰岩ができる作用があったはずです。
 浅い海では、今では生物の作用で炭酸塩がつくられているのですが、かつては化学反応によって炭酸塩の沈殿によってつくられたと考えられます。深い海では今と同じように炭酸塩は溶けてしまいますが、浅い海底で溜まった炭酸塩だけが、プレートテクトニクスによって陸に持ち上げられたと考えられます。
 地球の大気と海洋、生物、そしてプレートテクトニクスというさまざまな営みが複雑に関係しあってチャートや石灰岩ができていたのです。

2004年7月1日木曜日

3_33 石灰岩とチャート1

 石灰岩とチャートの違いについて質問がありました。どちらも生物の遺骸からできた岩石なのに、なぜ成分が違っているかというものです。それに答えながら、地球の仕組みを考えていきましょう。


 チャートも石灰岩も、生物の遺骸からできた岩石です。ただし、生物起源ではないチャートや石灰岩もあります。でも、日本でよく目にする多くのチャートや石灰岩は生物起源だと考えていいでしょう。生物起源のチャートは層状になっていることが特徴となっています、
 岩石の成因がどちらも生物起源という点では似ていますが、成分がまったく違います。チャートは、ほとんどが珪酸(SiO2)からできています。一方、石灰岩は、炭酸カルシウム(CaCO3)からできています。このような成分の違いは、やはり成因の違いに由来しています。
 同じ生物でも、珪酸の殻や骨格などをもつものと、炭酸カルシウムの殻や骨格をもつ生物がいます。
 珪酸の殻をもつものは、放散虫や珪藻、海綿などがいます。それらが生物が死んで遺骸となるとマリンスノーとして深海底に溜まります。海底に溜まった珪酸は泥状ですが、上に常に積み重なっていきますから、下に溜まっているものは圧力でだんだん水分が抜け、固い石つまりチャートになっていきます。
 炭酸の殻をもつものは、なんといってもサンゴがよく知られています。サンゴは、動物の仲間です。サンゴの殻の部分ではなく体の部分をいうときには、サンゴ虫といういいかたをすることがあります。サンゴ虫は、石灰質の骨格を持っています。このようなサンゴのうち、礁(しょう)をつくるサンゴを造礁サンゴと呼んでいます。
 造礁サンゴには褐虫藻が体の中に共生していて、骨格形成や石灰化を早めています。褐虫藻の生育には、暖かい海と太陽光が必要です。暖かい海とは、熱帯から亜熱帯の25~29℃が最適な水温です。また、太陽光が必要ですから、100mより浅い海でなければ生きていけません。ですからサンゴ礁は、暖かい浅い海にできるのです。
 サンゴ礁は小さなサンゴ虫と褐虫藻とがつくりだした石灰岩の塊です。もちろんサンゴ礁には、サンゴの破片も含まれます。サンゴ礁をつくる珊瑚は、海洋島のように一つ一つが孤立したものから、オーストラリア東部の沿岸のグレートバリアリーフのように堡礁(ほしょう)とよばれる巨大なものまであります。海洋島のサンゴ礁は、山口県の秋吉台や四国カルストをつくっているものがその例ですし、桂林のようにグレートバリアリーフクラスのすごく大きなものもあります。
 石灰岩もチャートも生物起源のものは、生物が大量にいる時代にしかみられないはずですし、生物の種類によって化石の種類は違ってきます。礁をつくるサンゴでは、イシサンゴ類がそれにあたります。しかし、古い時代(古生代)の造礁性サンゴは、今のサンゴとは違い、層孔虫類(ストロマトポラとよばれています)がその代表だと考えられています。層孔虫類は、サンゴの仲間ではなく、海綿の仲間だと考えられています。現在は絶滅しているものです。
 石灰岩とチャートのナゾは次回に続きます。

2004年6月27日日曜日

5_36 過去を見る力3:想像力

 過去をみる力として、事実と推定を区別すること、論理性が大切という話をしてきました。今回は、最後に中でもいちばん大切なものの話をしましょう。

 「過去を見る力」を考える素材として使ってきたのは、長さは10cmほどの恐竜の歯の化石でした。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかり、歯の先端には細かなぎざぎざがついていというものでした。
 「過去を見る力」手順は、この化石に関する事実をはっきりと見極めておきます。そして、必要に応じて、いろいろな測定や分析をして、証拠というべき情報の数を増やしたり、精度をあげていきます。そのような証拠に基づいて、論理を積み上げていきます。そして、いくつもの可能性の中から、自分がいちばんもっともらしいと思える論理を作り上げていきました。
 さて、ここからが大切なところです。これまでは、科学的な手続きに則っておこなってきました。科学的手法とは、それなりの個性は出せるかもしれませんが、いってみれば、誰でもできるものです。それが、科学的手法のいいところでもあり、悪いところでもあります。
 自分しかもてない、「過去を見る力」として、想像力があります。過去を見るためには、証拠も論理性も必要ですが、今まで科学的な取り扱いでは注意を払ってきた、推定や推理を大いに利用していきます。
 今まで使ってきた素材である、恐竜の化石を使って、想像をしてみましょう。
 この化石の恐竜の歯だと推定できます。そして歯の先端にあったぎざぎざは、肉を切り刻むのに適しています。つまり、肉食恐竜の歯だと考えられます。ひとつの歯の長さが10cmほどもあることから、この歯を持っていた恐竜は10m以上の大きさの体を持っていたでしょう。10mを越える白亜紀後期の肉食恐竜としては、ティラノザウルスが有名です。たぶんそのような体格の恐竜だと想像できます。
 ティラノザウルスのような大きな肉食恐竜がいたということは、彼らの食欲を満たすために、草食恐竜もたくさんいたはずです。草食恐竜にもいろいろな種類がいたはずです。草食恐竜が肉食恐竜から逃れる戦略は、現在の哺乳類と比べることで、推定できます。戦略として、あまり大きくならずに、すばやく行動する能力を身につける方法、食われないほど大きくなってしまう方法などがあるでしょう。
 小さな恐竜は、やはりティラノザウルスに食べられるでしょうから、たくさんの卵を産んで、数多く生まれることで対処したはずです。恐竜の子孫である鳥類をみていると、親が卵を守ったり、群れで生き残る戦略をとるものもいたはずです。
 大型草食恐竜は、大きくなれば、ティラノザウルスもなかなか襲えなかったでしょうが、小さな子供は、やはり狙われたはずです。でも、小さな草食恐竜と比べれば、少ない卵を生んでも、親が卵や子供を守ればよかったはずです。そのためには、大型草食恐竜は、家族や群れをつくって暮らしたはずです。
 いろいろな草食恐竜たちが、たくさん生活していくためには、食料となる植物が豊かでなければなりません。また、変温の恐竜たちが暮らしていくには、気候も穏やかでなければなりません。そのような穏やかな気候は、植物の生育にも適していたはずです。
 このような想像から、白亜紀後期の生物たちの暮らしぶりや環境が再現されていきます。そして、そのような物語を人に説明すると、わかりやすく理解しやすいものとなっていきます。上の想像は、すべてが根拠があるわけではありません。人によってストーリーは違うでしょう。でも、でたらめなストーリーでもありません。それなりの必然性もあります。まったく空想ともえいません。このような科学的想像は、フィクションと科学の狭間にあるものです。
 科学者たちは、論文には書きませんが、このような想像を楽しんでいるのです。そのような想像中から、論理性のあるものだけが、科学の成果として世に出るのです。でも想像することは、科学をすることの大きな楽しみでもあり、そこから優れた発想も生まれるのです。

・科学的想像・
科学的想像は、フィクションと科学の狭間という言い方をしましたが、
サイエンス・フィクション、つまりSFもこの仲間でしょう。
科学者がおこなっているか、
小説家がおこなっているかの違いかもしれません。
想像力の豊かな科学者には、優れたSF作家もたくさんいます。
ですから、科学的想像を楽しむことはいいことです。
科学的想像を科学に向けると科学的論文になり、
物語に向けるとSFになります。
同じ能力ですが、アウトプットの方法が
違うだけなのかも知れません。
もちろん、論文をつくり上げる論理性と
SFをつくり上げる構成力など
それぞれ違った能力は必要でしょうが。

・プログラムその後・
前回のメールマガジンで
プログラムをしているという話をしました。
そのプログラムは先週末に完成しました。
大きく2つのファイル群がありました。
ひとつは64個からなり、
もうひとつは約1,000個のファイルからできています。
一個のファイルの大きさは、約5Mbです。
64個のファイルの変換は、一晩で終わりました。
ところが1,000個のファイルは、
現在使っている一番早いパソコンである、
Pentium4、2.8GHz、1GbのRAMの仕様で、
丸3日かかりました。
これは、誤算でした。
金曜日の夕方スタートすれば、
月曜日の朝には終わっていると推定していたのですが、
月曜日の夕方までかかりました。
でも、大量のファイル変換は
一度すればいいので、これで大丈夫です。
あとは、個別にファイルをいくつかくっつけることがありますが、
そのプログラムも完成しています。
これは、一晩動かせば、朝には結合が終わっています。
ですから、以後は変換に手間取ることはありません。
久しぶりのプログラムでしたが、楽しむことができました。
それなりの苦労はありましたが、
できたときに楽しみはひとしおです。
ころからも時々プログラムも楽しみましょうか。

2004年6月17日木曜日

5_35 過去を見る力2:論理性

 地球の歴史を調べるときに、事実と推定に注意することが大切であることを、前回紹介しました。でも、過去を調べるときにもっと大切なものがあります。そんな大切なものをみていきましょう。

 前回、「10cmほどの恐竜の歯の化石」を例にして、事実と推定について見ていきました。
 事実とは、「化石」と呼んだ「過去のもの」という「実物」が存在しているということです。さらにその過去の実物から、誰がやっても同じものを読みとることできる情報も事実とされます。ですから「10cmほど」という情報も、事実になります。その事実は、測定方法や目的によって、精度はいろいろになりえます。必要とあれば、「10cmほど」ではなく、「10.01cm」などのように、精度をあげることもできます。このような実物とその情報という事実が、過去を見ていくときの、すべての出発となります。
 もちろん、人によって、「過去の実物」から読みとる情報はいろいろなものがあるでしょう。詳しく知りたい研究者は、いろいろな方向の長さを正確に測定するでしょう。角度も測り、成分も分析することもあるでしょう。でも、このような測定や分析は、他の研究者がその気になれば、実物さえあれば、同じ情報を読みとることが可能です。
 このような事実は非常に客観的なものといえます。事実はこのような客観性を備えていることになります。
 さて、このような事実から次におこなわれるのが、推定であります。いろいろな推定がありますが、科学者や論理性を重んじます。なぜなら、論理性こそ科学の重要な営みだからです。「過去の実物」から「化石」だと推定することは、ある論理性に基づいています。そして、その「化石」を「歯」と推定するときにも、論理性が必要です。さらに、「恐竜の歯」という推定にも、論理が必要です。こんなにも論理を重ねていくと、ふと大丈夫かなという不安を持ってしいます。
 数学は、まさに論理を積み重ねた上に構築された体系です。ですから、論理を積み重ねることは、科学の世界ではごく当たり前におこなわれています。しかし、数学と自然科学の論理には、性質の違いがあります。それは、数学における多くの体系では、論理はすべての場合を調べあげられています。そこには、例外は認められません。例外も論理に組み込まれていますので、例外とはいえなくなっています。
 ところが、自然科学の世界では、すべての因果関係を、私たちはまだ解き明かしていません。つまり、読みとる論理すら、完全ではないのです。さらに過去の歴史を扱うような科学では、一度きりしか起こったことの出来事を、断片的な事実から、読みとらなければなりません。その断片的な証拠は、すべての場合を網羅しているわけではありません。ですから、どんなに論理を精緻にしようとしても、限界があります。
 自然の歴史を扱う自然科学では、「ある程度」の論理性しか確保できません。事実に基づいていても、「ある程度」の論理性になるので、研究者ごとに、いろいろな論理が提示されることがあります。
 例えば、ある研究者は、その歯の持ち主の恐竜をある論理によってティラノザウルスだと推定し、別の研究者はスピノザウルスだと別の論理で判断するかもしれません。いやいや、それは肉食恐竜じゃない草食恐竜だという論理を提示する研究者もいるかもしれません。
 論理性は必要ですが、論理的だからといって「正しい」とは限らないのです。科学者も人間ですから、どのような論理をとるのか、あるいはその論理をどのような提示をするのかは、好みや癖、心情などが反映されます。自由な発想をする研究者は大胆な論理を提示するかもしれません。慎重な研究者は、自分の良識が許す範囲までの論理しか提示しないでしょう。疑り深い人は、反論の可能性があるような大胆な論理は提示しないでしょう。これは研究者の個性によります。
 慎重だからといって、その論理は正しいとは限りません。大胆な論理だからといって、間違っているとは限りません。これが、自然科学の難しさでもあり、面白さでもあります。

・融合の試み・
先日、旭川を再訪しました。
今回は、地図のメーカの本社を訪れるためです。
旭川には、技術や開発の本部もあり、
技術者たちと面会して、議論するためです。
分野の違うものを融合させることはできないか
ということについて話し合いました。
彼らのもっている地図に関する各種の技術とデータ、
私のもっている地質学の専門知識やデータと
その専門的内容を市民にわかりやすく表現する技術を
なんとか融合させたいというのが始まりでした。
何をするかは、これから考えていきます。
以前、衛星画像をつかって、同じような試みを
このメールマガジンを通じておこないました。
再度同じことをするかどうはまだ未定です。
お互いの専門から、思わぬ発見が生まれるかどうかです。
メーカはそれを商売に使うもよし、
私は、その成果を論文にもするもよしです。
この件に関する限り、お互いに自由に
利害抜きに癒合していきましょうというのが、目的です。
さて、どのようなものができるかは、
これからの楽しみです。
数ヶ月かけて、練り上げていこうと思っています。

・プログラミング・
最近プログラミングをはじめました。
20年ほど前は、Fortran、Pascal、Basicなどを用いて、
プログラムを自作していた時期がありました。
それは、自分の目的にあったいいソフトがなかったからです。
しかし、その後、自分が利用できるソフトがいろいろでてきてからは、
自作のプログラムを作ることはなくなりました。
しかし、最近、大量のデータを変換する必要に迫られました。
そのためにプログラムを作成する必要がでてきました。
私は、プログラムを20年近くおこなっていません。
できれば、コンパイラタイプで、馴染みある言語がいいので、
Visula Basic、Delphi(Pascal)などが候補になります。
大学の講義では、Delphiを採用しています。
とりあえず無料の言語を探したら、
コンパイラタイプのActive Basicというのが見つかりました。
それもなかなか優れもので、開発者自身による解説書もありました。
それに、開発者個人ですが、ホームページで、サポートをしています。
とりあえず、Active Basicでプログラムしています。
久しぶりなので、プログラミングはなかなか大変です。
先日の土・日曜日に、なんとかファイルの変換部分だけはできたのですが、
大量のファイルを自動で処理する方法に現在苦労しています。

2004年6月10日木曜日

5_34 過去を見る力1:事実と推定

 過去を調べるときに重要になるのは、何だと思いますか。多くの人は、証拠や科学的分析などを考えるでしょう。でも、それらの扱いには注意が必要です。実は推定なのにあたかも事実かのように思ったり、事実なのにあやふやに思えたりすることもあります。そんな陥りやすいワナを紹介していきましょう。

 ここに恐竜の歯の化石があるとしましょう。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかりました。長さは10cmほどあます。歯の先端には細かなぎざぎざがついています。この化石を素材にして少し、考えていきましょう。
 ここまでの記述には、推定と事実がまじっています。どれが推定でどれが事実かわかりますか。推定は、「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」で、「10cmほど」と「歯の先端には細かなぎざぎざ」が事実です。あれっ、逆だと思われたのではありませんか。科学的に見える「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」が推定にあたり、「10cmほど」というおおよその数値や、「ぎざぎざ」という感覚的で抽象的な言い方が事実になるとは、すこし意外な感じがします。
 よく考えていきましょう。事実とした「10cmほど」というのは、長さのことです。「ほど」とは、数値の精度を示す表現です。ですから、10cm前後の長さで、1cm程度の誤差を含んでいるという意味です。でも、この数値は計測可能ですから、事実といえます。必要とならば、精度よく計測することもできます。また、「ぎざぎざ」は形を表す言葉です。専門的ではないかもしれませんが、形態という事実を表現しているものです。必要とあれば、細かく記述することも可能です。
 ところが、推定とした「恐竜の歯の化石」は、まず、「化石」かどうかを、判定するためには、論理を用いて考えていかなければなりません。「化石」となれば、それは過去の生物の一部であったことになります。その生物が「恐竜」で、「化石」が「歯」であったかどうかは、似たような多くの類似物の「古生物」や「化石」などから、論理を組み立てることによって得られた推定となります。「白亜紀後期」も、何かの根拠となる「化石」などから論理によって推定されるものです。時代区分自体、人間が人為的につけた時間区切りに過ぎません。ですから、人的区分に実際にあったであろう過去の時間をあてはめるための論理をあらかじめ用意しておき、その論理にあうかどうかの判定の後、時代が推定されていきます。まどろっこしのですが、それが時代を決める論理の手続きとなります。
 化石も時代も、いずれの推定も、科学者たちが長い努力の末たどりついた論理によってです。多くの人がその推定を受け入れているために、あたかも「事実」のように扱われますが、実は、いくつもの論理を積み重ねた「推定」なのです。このような推定を何重にも重ねていくと、その信憑性はだんだんあやふやになっていきます。
 それと比べて、長さや形態は、化石というものさえあれば、誰でも、計測や確認ができるもっともシンプルな事実です。観測の精度をあげたれば、いくらでも詳しいデータを読みとることができます。これが事実と推定の大きな違いです。
 推定と事実は、簡単に見分けられそうに思えますが、じつは、意識をしていないと、ついつい推定を事実も思ったり、事実を推定だと思ったりしてしまうことがあります。今回の例のように、事実と推定が逆転している状態が常識となっていると、思わぬワナにはまってしまうことがあります。注意が必要です。

・動物園・
前日の休日に、旭川の旭山動物園というところに
家族でいってきました。
他の動物園は、伸び悩む中で、
この旭山動物園は、来園者数が伸びていることで有名です。
規模はそれほど大きくないのですが、
あちこちに工夫を凝らしています。
日本で一番北の動物園でという謳い文句で、
時間は短いのですが、冬場も開園しています。
そして、新設の施設は、冬場でも見られるような屋内施設にし、
それも動物を不思議な普段見られないような状態で
見ることができるように工夫されています。
たとえば、白熊の館には、ドームが2つあり、
そのドームが白熊の歩き回っているところに突き出ています。
白熊と鉢合わせすることもあります。
また、白熊のプールがあり、泳いでいるところを
水槽の横から見ることができます。
ひとつひとつはあちこちの動物園や水族館で
おこなわれているテクニックです。
それを、自分たち流にアレンジしています。
そこここに工夫の跡が見られます。
ボランティアでしょうか。
園内には多くの関係者が見受けられます。
手作りですが、いろいろな説明が付けられています。
そんなひとつひとつの関係者の姿と努力が見えるから、
リピーターが多いのでしょう。
さて、次は、札幌の動物園にいきましょうか。

・キャンプ・
動物園は自宅から2時間弱で車でいけます。
ですから、充分日帰り可能なところです。
しかし、我が家は旭川の温泉に泊まりました。
それは、ある目的があったからです。
その目的とは、私の調査を兼ねているのですが、
キャンプ地を探すことでした。
候補地が、事前にありました。
以前調査で一度きていたところでした。
そこは、住んでいる江別から遠く、80kmほど離れています。
今回、私自身は調査をしたのですが、
家族は、しばらく河原で遊んでいました。
家内は読書をしていました。
私は、その河原がキャンプに適しているかどうかを
再確認したかったのです。
石狩川の河原なのですが、ほとんど人が来ることなく、
自然のままの河原があります。
今度、この場所でキャンプをしたいと考えています。
一般のキャンプ場はあまり好きではありません。
なぜなら、どのキャンプ場も人が一杯で
自然を味わえるものではないからです。
多くのキャンプ場は、芝生、電気、水道、トイレが完備されていて、
野外で人里から離れて自然に親しむというものではないように思えます。
私は、先生や先輩から、地質調査の手法を学ぶと共に、
人気のない自然の只中でおこなうキャンプの
醍醐味を教えていただきました。
自然は素晴らしいものであるとの同時に、
怖いものであることも教えられました。
夜には、昼間とまったく違った別の自然があることを、
自然の中でキャンプすることで気づきました。
自分たち以外に人工的なものがない、
夜は真っ暗なこと、そして星や月が明るいこと、
そんな当たり前のことに気づくことが大切だと思います。
子供たちが大きくなったので、
今年の夏はキャンプをしようと思っています。
子供たちにははじめてのキャンプです。
テントを家の中に張って、
子供たちだけで寝かせました。
できれば、最初のキャンプの体験は
本当の自然の中で、怖さと素晴らしさの両方が
味わえるものにしたいと考えています。
なんといってもはじめが肝心ですから。
再来週にでも、天気がよければ
その場所でキャンプをしたいと考えています。

2004年6月3日木曜日

3_32 ドロマイト

 前回の硬水と軟水に関連した話題で、ドロマイトという名前の石が出てきました。ドロマイトについてわからないという質問がありましたので、今回は、ドロマイトについて紹介しましょう。


 ドロマイトは、石灰岩の仲間ですが、石灰岩が炭酸カルシウム(CaCO3)という化学成分をもっているのですが、ドロマイトは、炭酸カルシウムは半分で、あとは炭酸マグネシウム(MgCO3)になっています。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わたものとみることができます。岩石の見かけも、石灰岩に似ています。
 ドロマイトは、フランスの地質学者のデオダ・ドゥ・ドロミュ (1750-1801)にちなんで名づけられました。石灰岩の炭酸カルシウムは方解石という鉱物で、ドロマイトをつくる鉱物はドロマイトとよばれます。岩石も鉱物も同じ名称なので、ややこしいのですが、日本語では、鉱物を苦灰石(白雲石とも呼ばれる)、岩石を苦灰岩として区別されています。ちなみに、イタリアのドロミテ・アルプスはドロマイトが多いことから名づけられたものです。
 ドロマイトのでき方は、ドロマイトが直接たまることはないと考えられています。石灰岩からドロマイトに変わっていくと考えられています。その作用は、石灰岩の炭酸カルシウムが炭酸マグネシウムに置き換わってできていくことになります。その交代作用は、石灰岩ができて比較早い時期に起こる場合と、長い時間をかけてできる場合とがあります。いずれにしても、ドロマイトは石灰岩といっしょにでることが、多くなります。
 海でできた石灰岩のカルシウム分が、特別な条件になると、海水中のマグネシウムと置き換わることが起こることがあります。熱帯の海で塩分濃度が高くなったとき、石灰岩のカルシウムとマグネシウムが交代することがあります。
 また、長い時間を経た石灰岩には、ドロマイトに変わっているものがよく見られます。ドロマイトは、石灰岩できた場所で起こるだけでなく、経てきた歴史によっても、ドロマイトに変わっていく作用がおこります。したがって古い時代の石灰岩は、ドロマイトに変わるチャンスが多くなります。
 海で形成された地層が、プレートテクトニクスの営みによって、プレートが沈み込む付近で大陸に付け加わります。このようにしてできた付加体の中の地層には、海で形成されたサンゴ礁や陸付近で溜まった石灰岩がよく含まれています。日本の多くの地層は付加体できています。付加体の中には、規模は様々ですが、石灰岩がたくさんのところから見つかります。付加体の石灰岩のあるものは石灰岩のまま、あるものはドロマイトに変わっています。
 日本では、栃木県の葛生地方が産地として有名で、全国の生産量(400万トン/年)の90%を占めています。石灰岩の産地は、栃木県の葛生のほかに、岐阜県、三重県、北海道(上磯町)、高知県、大分県などがあります。葛生のドロマイトは、2億年前に赤道付近の海洋島の周囲で形成されたサンゴ礁が起源だと考えられています。サンゴは動物の仲間で、石灰岩のカラをもっています。小さなカラがたくさん集まったものがサンゴ礁です。サンゴ礁は石灰岩からできています。葛生のドロマイトは、サンゴ礁の石灰岩が、海水のマグネシウムと交代したものだと考えられています。
 産地というからには、ドロマイトを採掘しているということです。ドロマイトは、工業用の素材として、いろいろと利用されています。ドロマイトは、溶けた鉄鉱石の中のリンやイオウなどの不純物を取りのぞくのに利用されたり、溶鉱炉の耐熱の壁材を保護するのに利用します。植物の栄養素として、窒素、リン、カリウムの3つが有名ですが、カルシウムとマグネシウムを含めて5要素といわれています。ですから、ドロマイトの成分が肥料としても利用されています。さらに、透明感があり、きれいな結晶は、宝石にされることもあります。

・ジンギスカン・
本州では梅雨入りしているようですが、
北海道は、梅雨がありません。
いい気候の時期となります。
そんな天気のいい日の日曜日、
小学校で父兄の作業があり、
校庭の環境整備をしました。
小学校は、森のはずれの田園地帯にあります。
朝、カッコウの鳴き声を聞きながら
多くの父兄が集まり、作業をしました。
お昼は、皆でジンギスカンを食べました。
そしかするとそれが、目当てだったのかもしれませんが。
学校の中庭で、大きなジンギスカン鍋10台を並べて、
大規模なジンギスカン大会をおこないました。
業者にジンギスカンをすべて依頼してましたから、
火付けや片付けもお任せです。
だから、非常に楽しみながらのジンギスカンでした。
もちろん、おいしかったです。

・自分・
長いようで短い5月も終わりました。
5月は、4月のあわただしさと比べて、比較的落ち着いてくるはずです。
ところが私の場合は、
このひと月、いつものようにあわただしく過ぎました。
そんなひと月を振り返った慰め、あるいは言い訳のメモを書いたので、
紹介しましょう。
「何をなしたかは問うまい、振り返るまい。
それは自分が一番知っている。
それに満足感があるかどうかも
自分のみが知ることである。
反省は必要だ。
しかし、反省によって夢を捨てるようなら
反省などしないほうがいい。
反省して、明日からの前進につながればいい。
反省で、つらい思いのみ残るのであれば、
そんな反省はしないほうがいい。
生きていくことは大変だ。
しかし、生きていかねばならない。
そのために、努力をすることを怠ってはならない。
過大なる夢であっても、望むのであれば、
努力し、その結果、破れても後悔すまい。
できそうな希望を望み、
そんが果たせなくとも、悔やむまい。
そんな夢や希望を持ったもの自分。
果たせなかったもの自分。
すべて自分の中の営み。
その営みだけな確かのものである。
それを確かだと思える自分こそが、信ずべきもの。
生きていくということは、
自分自身をどれほど信じるかであろう。
たとえ自分が自分を裏切ったとしても、
自分は自分を許せるか。
夢を果たせなかった自分でも、信じ、
再度、夢を託せられるか。
同じ一生を共にするなら、
頼りない自分であっても、信じるしかない。
いつでも自分からはじまり、いつまでいっても自分である。
もしもそんな一生の相棒の自分が、
期待に応えてくれたら、
大いに褒めてやろう、喜んであげよう。
そんな日が来ることを、根気強く見守っていよう。」

2004年5月27日木曜日

3_31 硬水と軟水

 ある人から「日本は軟水、ヨーロッパは硬水が多い」のはなぜ、という質問を受けました。これは、地質学と一見関係ないようですが、でも考えていくと関係があったのです。


 硬水と軟水の詳細について、私は専門家ではありません。ですから、この質問を水や水理の立場から答えることができません。地質学者の立場で答えることにしました。
 硬水と軟水は、カルシウム(Ca)とマグネシウム(Mg)の量が違いによって区別されます。カルシウムやマグネシウムを多く含む水が硬水です。一般に水には、地下水であろうが、川の水であろうが、多かれ少なかれ、カルシウムやマグネシウムを含んでいます。ただし、炭酸水素塩や硫酸塩などのかたちで含まれます。
 このような区分を定量的にあらわしたのが、水の硬度とよばれるものです。水100cc中に酸化カルシウム(CaO)+1.4×酸化マグネシウム(MgO)をmg(ミリグラム)の単位で表したものを、水の硬度としています。より正確には、カルシウムやマグネシウムの量の他に、鉄やアルミニウムなどの金属イオンも加えて考えられています。
 酸化カルシウムなどが1mgあれば、水の硬度は1度です。この硬度が20度以上のものを、工業上は硬水と呼んでいます。
 なぜこのような区分をするかというと、硬水は、生活や工業用として利用するときに、さまざなま支障を起こすからです。カルシウムやマグネシウムの化合物は沈殿を作りやすく、石鹸の効果をなくしたりします。沈殿が起こると、パイプやボイラーが詰まったり、繊維に化合物が付着して染色、製糸を妨げたりするからです。
 さて、なぜ、硬水がヨーロッパに多いのかという点ですが、日本でも硬水の多い地帯はあります。ただし、日本では、水資源が豊富なので、軟水を別途用意できるから、軟水を利用し、硬水を使わずにすむので、あまり問題が表面化していないのでしょう。それに、水道水も最近は技術の進歩によって一時よりはずっとおいしくなりました。それが、ますます硬水と軟水の比率を紛らわす要因になっている可能性があります。
 ですから、ヨーロッパだけに硬水が多いとは限らないと思います。ちなみにヨーロッパから水を輸入にしてありがたがっている人が日本にはたくさんいます。不思議なことです。当然のことですが、ヨーロッパにもおいしい水があるのです。
 でもやはり、経験的に、硬水が多いように感じます。私はヨーロッパの硬水と軟水の比率を知りませんが、その理由を想像してみます。あくまでも想像です。データはありません。
 カルシウムやマグネシウムは、多くの岩石や地層をつくる主要な成分です。しかし、水に溶けやすいかどうかは、カルシウムやマグネシウムがどのような鉱物として岩石に含まれているかが重要となってきます。
 水に溶けやすい鉱物として、なおかつ量の多いものとして、石灰岩とドロマイト(苦灰岩ともいいます)というものがあります。石灰岩は炭酸カルシウム(CaCO3)でドロマイトは炭酸マグネシウム(MgCO3)です。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わってできるものです。ですから、古い時代の石灰岩はドロマイトに変わっていることがよくあります。
 また、水だけを考えますと、水が上のようなカルシウムやマグネシウムをたくさん含む岩石に接する機会が多いほど、水の硬度は高くなっていくはずです。つまり、水が海に達するまでに長い時間、あるいは長い距離を流れれば、水の硬度は高くなります。このような条件を満たすしたものが硬水になります。
 ヨーロッパは、日本と比べれば古い地層からできているところが多いです。そして海で溜まった地層もその中にはたくさんあります。そのなかには、石灰岩やドロマイトをたくさん含む地層もあります。
 また、アルプスからアペニン山脈より北側のヨーロッパでは、川は蛇行してゆったりと、そして長い距離を流れ、海に向かいます。ですからこのような条件を満たしているのだと思います。
 でも、これは、フランスやドイツ、デンマークなどを想定したものです。ヨーロッパ全土に当てはまるかどうかはわかりません。また、アメリカ大陸やユーラシア大陸、そして日本でもこのような条件を満たすところもあります。そんなところは、硬水となっていはずです。ですから、日本でも硬水があるわけです。
 地層や岩石の分布は、長い時間の地球の変動を繰り返し受けて、複雑になってます。特に古い時代のものはそうです。また、地表に出ている地層や岩石だけが、水の硬度に影響するわけでなく、地下の地層や岩石も地下水を通じて関与しています。
 ですから、ひとくくりにして語るのは、統計がないと難しいと思います。そして、その統計も地質を水という視点で見た平均値、あるいは積算値のようなものとみなすべきです。だから一般論で語れるかどうかは、私にはいまのところ判断できません。

・おいしい水・
おいしいと思って飲む水。
まずいと思って飲む水。
本当においしい、まずいというのはあるはずです。
その間には、どちらでもない水があるはずです。
しかし、人間は感情の動物です。
日々当たり前だと思って接している水のようなものは、
味を意識することは少ないはずです。
でも、お金を出してかった水。
のどが渇いてやっとありついた水。
暑いときに飲む冷えた水。
これらは、おいしく感じます。
味というのは、最終的に心が感じるものです。
だから、心さえ惑わせれば、おいしく思わせることもできるはずです。
ラベルや見た目など、注意しないと心は簡単に惑わされますよ。

・やらせ・
先日の週末、岐阜に1泊2日で行ってきました。
今回で5回目、延べ10日間通ったことになります。
あと一度出かけなければならないかもしれません。
ある研究プロジェクトで、
教員に野外学習の素養を高めてもらうための方法を
考えていくための活動でおこなっています。
先週は、岐阜の小中学校の先生たちを集めて、
河原で石ころを素材に
一日実験授業に参加してもらいました。
50名ほどの先生が集まってこられました。
このような行事に、休日にもかかわらず参加される先生は、
もちろん熱心な先生です。
そん熱心な先生ですから、多分、
期待した成果は得られるはずです。
でも、これって「やらせ」ではないでしょうか。
結果のわかっているものを、
一種のアリバイ作り、証拠固めのような気がしてなりません。
私は、いまこのやり方にすごく疑問を感じ、
研究会のメンバーに議論を投げかけています。
さてさて、どうなることやら。

2004年5月20日木曜日

4_45 白亜紀の恐竜:春の道北2

 道北の旅でいくつかの博物館を見ました。博物館の恐竜化石をみて、はやり博物館は面白いところだと思いました。そんな話をしましょう。

 北海道からは、貴重な化石がたくさん見つかっています。アンモナイトは特に有名で、三笠町にはアンモナイトを中心とした博物館があるほどです。アンモナイトは中生代の代表する化石ですが、中生代はなんといっても恐竜の化石が有名です。
 かつて、日本では恐竜はいなかったと考えられていました。ただ一つの例外は、昭和9年(1934年)に、当時日本領だったサハリンから恐竜の化石(カモハシ竜の仲間のニッポノサウルス)が見つかっていただけでした。
 ところが、1978年に岩手県岩泉町茂師(もし)から、恐竜の化石(モシリュウ)が発見されて以降、熊本、群馬、石川、福島、福井、岐阜、福岡、北海道、富山、山口、徳島、長野、三重などで、ぞくぞくと恐竜化石が発見されてきました。今では、日本も、恐竜がたくさん出る国となっています。
 恐竜の化石の産地としては、手取層群が世界的に有名です。手取層群は、富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがって分布する地層で、日本の恐竜化石の約90%を占めています。手取層群は、中生代ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけで形成された地層す。
 世界の恐竜の化石は、中生代のいろいろな時代から出ているのですが、なぜか白亜紀前期の地層は、それほど多くはありません。ところが日本で発見される恐竜化石の多くは、白亜紀の時代からです。ですから、今まで恐竜の研究でよくわかっていなかった白亜紀前期の恐竜を調べるには、日本が非常に大切な地域となりました。
 北海道の白亜紀の地層としては、空知層群、蝦夷(えぞ)累層群(るいそうぐん)、根室層群などがあります。なかでも蝦夷累層群は、恐竜化石やアンモナイトなどのがたくさん出ることで有名です。蝦夷累層群は、北海道の南北にのびる脊梁山脈周辺に、平行に分布している砂岩と泥岩からできている地層です。白亜紀の前期中ごろから後期中ごろ(1億1000万から7200万年前ころ)に、アジア大陸周辺の大陸斜面に溜まった地層です。時代が新しくなるにつれて、堆積する場所はだんだん浅い海になってきます。そして、浅い海で溜まった地層から恐竜化石が見つかっています。
 今回訪れた博物館のひとつは、中川郡中川町佐久にある中川町エコミュージアムセンターでした。中川町は蝦夷累層群がたくさん分布する地域で、以前からアンモナイトやイノセラムスなどの化石がたくさん出ることで有名です。中川町から首長竜の化石が1991年に発見されました。この首長竜は、ナカガワクビナガリュウと呼ばれ、エラスモサウルスの仲間とされています。ナカガワクビナガリュウは日本では最大の首長竜とされています。このような白亜紀の化石を、博物館ではたくさん見ることができました。
 そして、エコミュージアムでは、ゴールデンウィークには、子供たちを対象にして、いくつものエベントがおこなわれていました。恐竜の模型を使って仲間探しをしたり、恐竜のおもちゃをつかって遊んだり、発掘コーナーで発掘をしたり、化石のレプリカを自分でつくったりするようなイベントをしていました。これらのエベントでは、日本でも恐竜を代表とする化石がたくさんあり、それを子供たちに身近に感じて欲しいという学芸員の心意気が見えました。私は、日本にも恐竜がいたのだということを強く感じました。

・恐竜への熱い心・
中川エコミュージアムは、国道から少し奥まったところにありました。
初めて訪れました。
その建物は、廃校になった中学校を再利用したものでした。
体育館が展示スペースとなり、教室が宿泊型研修室となっていました。
天井も高く広い展示場でしたが、天候のせいで非常に寒かったです。
強力なストーブをたいて暖めていましたが、
なかなか展示場全体は温められてませんでした。
でもストーブの前だけは暖かくなっていました。
親は寒くなると、ときどきストーブの前で暖を取っていました。
ところが、子供たちは、上着を脱いで、腕まくりをして、
化石のレプリカ作りに目を輝かせていました。
また、化石の発掘コーナーでは、
砂の中に埋もれた化石を刷毛で熱心に発掘していました。
この寒い体育館でも、子供たちの化石に対する熱い心は、
肉体をも熱くしていたようです。
化石や恐竜は、子供たちを熱くしてしまうようです。
もちろん大人もその大きさには圧倒されますが、
やはり寒さには勝てませんでした。
子供のような体が熱くなるような情熱を
もうなくしてしなったのでしょうかね。

・周氷河地形・
脊梁山脈とはいいますが、道北では、その山並みは、
南部の脊梁である日高山脈ほど険しくありません。
むしろ、たおやかな感じがします。
それは、氷河によって険しさが均されているせいかもしれません。
道北の先端地域である宗谷地方は
周氷河地形と呼ばれるものができています。
周氷河地形とは、氷河の周辺部にできる地形で、
小さな起伏が連続するなだらかな斜面を発達しています。
このような地形は、日高山脈南部の襟裳岬周辺でもみられるものです。
北海道の北と南で似たような周氷河地形がみられるのは、
北海道の脊梁山脈が中央部の標高が高く、
南北で低くなっているからです。
この性質がそのまま北海道の形に反映されているのです。

・再訪・
中川町は、私が大学3年生の夏に、研修論文作成のために、
学科の3年生全員が、大学の研修施設に泊まり、
夏休みに調査をした地域でした。
いってみれば、私が地質調査と呼ばれるものを
はじめておこなった地域でもあります。
再訪して懐かしかったのですが、
20数年も前のことなので、
町の様子も、道路も、景色もだいぶ変わったようです。
手元には資料がないので、
どこを調査したのかさえも正確には思い出せません。
でも、ここで過ごした夏の思い出の現実が一致しません。
なにか懐かしいようで、もやもやしたような
不思議な気分になりながら、中川の町を後にしました。

2004年5月13日木曜日

4_44 2つの列島:春の道北1

 みなさんはゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私は北海道の北部(道北)を調査で巡りました。そのときに感じたことを紹介しましょう。まずは、北海道全体の地質の話からです。

 北海道では、脊梁山脈と呼ばれる山並みは、南北に走ります。南から北に向かって、襟裳岬から日高山脈、そして北海道の中央に十勝岳や大雪山の大きな山体があり、宗谷岬まで続き、その北方延長は宗谷岬から間宮海峡を越えて、サハリンまで続いています。もちろん、これらの山並みつくっている基本的な地質も続くことになります。
 北海道には、連続性は少ないのですが、もう一つの山並みがあります。それは、千島列島から知床半島、斜里岳、屈斜路、阿寒、大雪山、十勝岳、少し間があいて、支笏、登別、洞爺、羊蹄山、駒ケ岳、恵山へと点々と続く山並みです。これらの山並みは、道東では東西方向に並び、大雪山から十勝岳で湾曲して道南にかけては南北に並びます。こちらの山並みは、もうお気づきかもしれませんが、火山がつくる山並みです。
 2つの山並みは、並びの方向だけででなく、活動した時代、現在の岩石や地層のようすはまったく違ったものです。でも、そこには重要は共通点がありました。
 北海道がもともと一つのものではなく、2つの地質帯が衝突した結果できたものであると考えらています。2つの地質帯の間には、今はなくなってしまった海があったと考えられています。その証拠となるのが、脊梁山脈にみられるさまざまな地層や岩石です。
 海があったのですから、海でたまった地層があります。そして、海底でたまった地層には、化石が含まれていることがあります。中生代の海で生きていたアンモナイトやイノセラムス、首長竜などもみつかっています。また、サンゴ礁からできた石灰岩あり、現在は鍾乳洞をつくっているところもあります。海底で活動した火山岩もあります。枕状溶岩やその枕状溶岩がくずれた火山性の砕屑岩(ハイアロクラスタイトとよばれる)などが見つかります。こんな海の証拠が脊梁山脈やその周辺から見つかります。
 海がなくなるというのは、プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込むことによって起こります。沈み込み帯の地下深部では、変成作用がおこります。冷たいプレートが沈み込ますから、圧力は高いのですが、温度がそれほど高くない変成作用が起こります。そのような条件では、片岩とよばれる変成岩がたくさんできます。神居古潭変成岩とよばれる地帯がそれにあります。
 沈み込みがおこれば、陸側では沈み込むプレートから供給された水分によって、マグマ活動がおこります。深部では、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩ができます。日高深成岩類とよばれるものです。深部では、温度の高く、圧力も高い状態での変成作用が起こります。そのような条件では、片麻岩などの変成岩がたくさんできます。このような岩石は日高変成岩類とよばれます。
 北海道の脊梁山脈は、2つの地質帯がくっついたときにできたものです。それは、今は活動はやめてしまった列島がつくった山脈だったのです。激しい上昇をとなう活動だったのでしょう。列島の表層を覆っていたであろう地層や火山などは、ほとんどは削剥されてなくなってしまいました。
 そして、衝突が終わって北海道の原型ができた後に、次の列島の活動がはじまったのです。それが、脊梁山脈を横切るもうひとつの火山の織り成す山並みです。つまり、北海道では2度にわたって列島を作る作用がおこっていたのです。そして、2度目の列島を作る作用は現在進行中の営みなのです。
 いずれも列島をつくる営みによってできたも山並みなのです。時代や方向は違いますが、2つの地質帯がぶつかり合っている場にできたものなのです。
 今回の調査では、私が北海道でも今まで見たことのない脊梁山脈の北方延長となる道北でいろいろな石をみることができました。

・ラッシュ・
今年のゴールデンウィーは大型連休なので、
4泊5日の休日となり、出かけた方も多いでしょう。
我が家では、調査を兼ねて、道北を巡りました。
北海道でも大型連休ともなると混雑します。
でも、車が渋滞するということはなく、
車が連なって走るというのが混雑するといいます。
北海道では普通は何台も車が連なって走るということは
大都市周辺の幹線道路以外ではそうそうありません。
高速道路も、一般国道も、都市や観光地の周辺はこのような状態だったので、
さすがの北海道も人が一杯出かけているということを感じました。
本州のラッシュと比べれば穏やかですが、
北海道の人間には、これでもラッシュなのです。

・卒業論文・
私が卒業論文で調査をしたのは、
日高山脈の西縁にあたる地域です。
静内川の中流から上流に当たるところです。
その地域は、海底の火山活動できた枕状溶岩からできていました。
ダム工事の最中のもっとも岩石が良く見える状態での調査となりました。
しかし、現在は、残念ながら、
その調査地域の主要なルートなるところは、
コンクリートで覆われたり、ダム湖の中に水没しました。
そのダム建設中に卒業論文の野外調査をおこなっていました。
ダム工事の作業員たちが宿泊する飯場に
3ヶ月間ほど厄介になって調査をしていました。
この3ヶ月は北海道の自然や地質に深く触れした。
そして、地質学に深くかかわるという自分の人生も決めたときでもありました。

2004年5月6日木曜日

3_30 熱がなすこと

 前回は地球の冷め方から、地球の年齢を探るという方法の歴史を紹介しました。今回は、地球の年齢ではなく、地球の仕組みを総合的に考えることに、地球の熱が大切だということを紹介しましょう。


 大地は、じっとしている訳ではありません。いろいろ変化しています。いちばん身近な変化は、雨や川の流れによって、大地が削られ、その削られたものが海に運ばれるという作用でしょうか。雨が降り、川が流れるという作用は、そのエネルギーのもとをただせば、太陽の熱から由来したものです。
 雨や川の作用以上に、激しく大地を変化させるものとして、火山があります。火山は、ほんの短い時間の間に、周辺の大地を変化させます。火山という山ができたり、溶岩を流して、新しい大地をつくったり、火山灰を降らせ地層を形成したり、カルデラのように大地をくぼませる作用だっておこないます。マグマは、大地をそして地球を大きく変化させる働きをしています。
 火山は、大地の変化、中でも、新しい大地をつくるという重要な作用をしています。火山は、マグマが地表で活動したものです。マグマは、地表ばかりで活動をするわけではありません。地表にまで出てこないで、地下で固まることもあります。そのような岩石は、深成岩と呼んでいます。火山岩も深成岩もマグマが固まった岩石です。このような岩石をあわせて、火成岩といいます。
 大地の、もちろん海洋底も、地殻をつくる岩石の大部分は火成岩とそれが変成を受けた変成岩からできています。つまり、地球の大地は、マグマがつくっているといってもいいほどです。
 マグマはどこからくるのでしょうか。マグマは、地球の内部からきます。マグマは、岩石が溶けたものです。しかし、地球の内部は固まった岩石からできていることがわかっています。不思議です。マグマは岩石が溶けたものです。しかし、地球の内部の岩石は、溶けていません。ですから、ある特別なことが起きると、地球内部で岩石が溶けて、マグマができることになります。
 そこで、重要な働きをするのが、地球内部の熱なのです。熱が作用すると岩石が溶けます。一番単純に考えると、岩石が高温になると溶けて、マグマができます。内部には溶けた鉄や固体の鉄が地球の中心の核としてありますが、その外には、マントルや地殻と呼ばれる岩石からできた層が厚く覆っています。マグマは岩石が溶けたものです、地球は固体からできています。
 岩石は熱を伝えにくい断熱効果のある物質です。ですから、地球の内部がいくら熱くても、岩石が多い地球では、熱が伝わることはあまりありません。でも、現実にマグマができます。他の作用が働いているはずです。
 熱だけが、物質を伝わる方法を伝導といいます。熱の伝わり方には、伝導以外に、2つの方法があります。放射と対流です。
 放射とは、物質の表面から電磁波を放出して熱を伝える方法です。これは、真空中や気体中など、電磁波が伝わるところで起こる作用です。ですから、地球内部では、放射の作用で熱は伝わりません。残された伝わり方は、あと一つです、対流です。ものが動いて、ものと共に熱も伝わる仕組みです。じつは、この対流が、熱をいちばんよく伝える方法なのです。
 地球内部が岩石でできているといいましたが、地球内部の暖かい岩石と地球の外側の冷たい岩石では、同じ岩石でも密度が違ってきます。暖かいものの方が密度も小さく、軽くなります。岩石も地球内部のような温度の高い状態では、流動します。そして、まるで液体のように対流をするのです。もちろん水のようにさらさらとは流れるものではありませんが、ゆっくりとですが、対流します。これが、マントル対流と呼ばれるものです。
 熱による対流によって、マグマができます。それについては、次回としましょう。

・冬眠明け・
このメールマガジン「地球のささやき」は6つの区分があり、
内容を分けて掲載しています。
ただし、私が思いつくままに、その内容を適当に決めて書いています。
一応、満遍なく、いろいろな内容で書くように心がけていますが、
ついつい書いている量や時期にムラがてできます。
そんなことで、ふと見直したら、「地球の仕組み」が少し間が開いているようです。
なんと2002年11月21日に「3_29 日本列島の火山帯の形成モデル」を書いて以来、
1年半も間、「地球の仕組み」の内容のエッセイがありませんでした。
ですから、今回、このエッセイを書きました。
北海道も長い冬が終わりました。
そろそろ冬眠も終わりとしましょう。

2004年4月30日金曜日

1_28 熱から年齢を求める(2004年4月30日)

 地球は、私たち人間一人一人にとっては、とてつもなく大きいものです。この大きさが、実は、大きな役割を果たします。大きなものは、冷めるのにも時間がかかります。そんな例を見ていきましょう。

 「地球はいつできたのか」という問題は、大きなナゾです。「地球はいつできたのか」とは、「地球の年齢」ともいえます。地球の年齢を探るために、多くの研究者は知恵を絞りました。そして、今でもよりよく知るために知恵を絞っています。
 かつて西洋世界では、キリスト教がすべての考えの中心となっていました。ですから、「地球はいつできたのか」という問題についても、キリスト教的な考えに基づいて、答えを求めました。
 その方法とは、キリスト教の拠り所である聖書を用いることです。旧約聖書には「創世記」の天地の創造からはじまり、神が地球になした歴史がすべて書かれてると考えられてきました。ですから、聖書を読めば、たいていの問題は解決できたのです。また、科学や学問全般の聖書というべきアリストテレスの学問体系があります。ほとんど疑問は、聖書とアリストテレスの考えで解くことができました。そのような学問をしてきたのが、スコラ哲学者たちでした。
 アリストテレスや聖書を読めば、そこに答えが書いてあったのです。聖書やアリストテレスがある限り、「地球はいつできたのか」というのは、問題ではなかったのです。答えのわかりきったものだったのです。そんな時代もあったのです。
 17世紀のアイルランドの大司教ジェームズ・アッシャーは、約6000年前の紀元前4004年10月13日に天地創造があったと計算しました。ライトフットは、さらに計算を進めて、紀元前26万4004年10月26日午前9時を地球誕生としました。
 このような聖書を拠り所にされる一方で、聖書やアリストテレスの記述で、科学的根拠を考えると、根拠がなかったり、希薄だったりするなどの問題があることがわかりはじめました。13世紀ごろから、聖書やアリストテレスなどの聖域ともいうべき分野で、知識の蓄積、観察の集積によって、問題が浮かび上がってきました。
 問題を地球誕生にしぼりましょう。最初に科学的な方法で、「地球はいつできたのか」という問題を考えたのは、かの有名なニュートンでした。最近ではよく知られるようになりましたが、ニュートンは、化学や錬金術の実験をさかんにしてました。その中に、熱した鉄が冷めていくことに関する実験がありました。この方法を地球に適用すれば、「地球はいつできたのか」を計算できます。ニュートンは、その結果から、地球の年齢を5万年と見積もりました。17世紀末のことです。さすがにニュートンです。考え方や数値は、今のものとはまったく違っていますが、論理的であります。
 その方法をより精密にしたのは、フランスのビュフォンでした。ビュフォンは、地球が熱い状態から、現在の温度まで冷めてきたという前提を置きました。いろいろな物質を暖め、その冷めるスピードを求めました。1778年に、その計算結果から、7万4800年前に地球ができたという報告しました。さらに、9万3219年後には地球が完全に冷めるという予測もしました。
 その後、イギリスの有名な科学者ケルビンは、いろいろな球状の物質の冷却時間を測定しました、さらに、もともと地球が熱くなったのは、重力によって収縮するという作用によるものだという別の考えを導入しました。そのような作用から考えると、地球の年齢は、2000万年から4億年となるとしました。1862年のことです。やたら誤差が大きい見積もりです。その後、1897年にケルビンは、この値を修正して、2000万から4000万年としました。余談ですが、ダーウィンは、「種の起源」の第6版(1872年)では、生物の進化には長い時間が必要で、ケルビンの2000万年では短すぎると考えていました。
 地球の年齢は、物質が冷めるという作用によって推定しようというがその方法でした。この方法で正確に時間を測定するのは、現在では難しいことがわかっています。放射性核種を用いるというまったく別の方法によって、地球の年齢が求められています。
 今までの話で、地球の熱が、地球の年齢を見積もる上で重要な役割を果たしました。熱が地球で果たす役割は今でも、重要なまま変わっていません。そんな熱の役割の話は、次回としましょう。

・天候の変化・
北海道は、天候がめまぐるしく変わっています。
私が住んでいる地域では、平野の雪は、なくりました。
しかし、先日の4月24日から25日にかけて、寒くなり、雪が降りました。
25日の朝は一面雪景色となっていました。
もう、北海道の松前では桜の便りも聞かれます。
なのに雪です。
もちろん寒波が来ているせいでしょう。
26日には快晴でしたが、放射冷却で霜が降り、氷もはっていました。
晴れて風がない日には、Tシャツでも大丈夫なほどです。
若者たちは、Tシャツで外で遊んでいます。
以前は、ゴールデンウィークころまで、雪が降っていたそうですから、
4月下旬に雪が降ってもおかしくはありません。
でも、ここ数年の早い春しか知らない私は、
このめまぐるしい天候には驚かされます。

・道北へ・
今年のゴールデンウィークは、我が家では、道北にでかけます。
5月1日から5日までの4泊5日の旅をします。
家族旅行として、家から自家用車でいきます。
家族旅行ではありますが、私にとっては、野外調査の一環です。
海と川で試料を採取したり、データをとったり、写真を撮ったりします。
北海道のゴールデンウィークは春真っ盛りです。
花が一斉に咲きはじめます。
桜も、梅も、レンゲも、つつじも、一気に咲き始めます。
北海道のゴールデンウィークはそんな季節です。
ですから、北海道の人は、待ちかねた春を、
ゴールデンウィークには満喫します。
長い冬を過ごしてきた北国の人には
そんな春を大いに謳歌したくなります。
春は動き回りたい気分にさせられます。
さてさて、どんな旅になるでしょうか。

2004年4月22日木曜日

5_33 普遍的分類3:スタートとゴール

 普遍的な分類として、化学組成がいいと紹介しました。しかし、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準としても、一筋縄ではいかないことがありそうです、という話をしました。今回はそこから話を進めましょう。

 石ころがあるとしましょう。その石の化学組成を、現在では、適切な分析装置を使えば、正確に決めることができます。その石ころがしましま模様を持っていたとしても、決めることはできます。
 しま模様が白と黒だったとしましょう。典型的な白い部分や黒い部分を取り出して、そこを分析すればいいのです。すると、白と黒のそれぞれの部分の化学組成を求めることができます。
 でも、白と黒の石をつくる作用がはたして、ひとつものから由来しているかどうかです。白と黒がたとえば、違ったマグマから由来していたとしたら、それを一緒にして考えることは、間違った結論へと導かれます。また、白には、違った由来のもの2つ、それも同じ化学組成を持っていたとしたら、などと考えると、白の化学組成を考えるだけでは、本質を見誤る可能性があります。
 マグマからできた石であるデイサイトという火山岩が、日本にはたくさんあります。たまたまある川の河口付近に見つかるデイサイトには、まったく別の火山、それも時代の違ったマグマからできたものが混じっているかもしれません。でも、あるものは同じような化学組成を持つことがあるかもしれません。ですから、同じような化学組成をもっていたとしても、同じ起源とは言い切れないのです。
 そのためには、どこのマグマから、つまりどの火山からその石がもたらされてきたかを知ることが大切です。その石が転がってきた崖、露頭の状態を詳しく調べます。そして、同じ石はどこまで広がっているか、他の石とどのような関係を持っているかなど調べていきます。このような情報を産状(さんじょう)といいます。石を調べるにも、その石が、より多くの、より変化を受けてない情報をもつころこまで遡ることです。できるだけ、根源的なものまで、体を使って、野外調査でたどっていくことです。でも、このような野外調査をするということは、実は、石の個性をより詳細に記述することに他なりません。
 野外調査で探れる以前のこと、たとえばその火山のマグマは、本当にひとつの起源だったのか、ほんとうに同じ時代のものなのか、などは、見えないことです。地層をつくっている砂や石ころ粒は、今は存在しない山から転がってきたのかも知れません。このような見えないものが、石ができた背景にはあるはずなのです。
 話をもどして、しま模様だけれども、平均的な化学組成が欲しいというときも、方法はあります。石を砕き、砕いた石を紙の上に広げて、田の字型に4等分します。そして、その対角のある石を2つ集めて、今度はそれをさらに砕きます。このようにして石のムラをなくす方法(4分法とよばれています)があります。しかし、これは、昔、手で砕いてた時代の方法です。手で砕くと石の不均質がそのまま残ることがあるので、このような方法をとりました。しかし、最近では機械で砕きますので、このようなことはしなくなりました。つまり、石全体の化学組成を知りたいのなら、石を丸ごと砕いて、その砕いたものの化学組成を調べればいいのです。
 たとえば、川原に落ちているしましまの石を10個拾って、平均的な化学組成を調べたとしましょう。たぶん、それぞれが違った化学組成を持っているはずです。それは、それぞれの石の個性というべきものです。
 10個の石の個性から、より本質的なものを考えると、しましまの石の個性は、黒と白の多い少ないという比率の違いを反映しているはずです。ですから、このしましま石を、本質的に分類するためには、白と黒のそれぞれの化学組成を調べて、その白と黒がどの程度の割合で混じっているかを調べればすみます。白と黒の化学組成と、その比率を調べることの方が、より本質的であるはずです。つまり、石の分類は、石をつくる構成物とその構成物の比率を調べればいいということです。
 これを進めていくことは、以前ダメだとした鉱物の化学組成とそれぞれの鉱物の比率を調べることにつながります。鉱物にも個性があるために、元素という化学組成までたどり着いたのです。ですから、鉱物と化学組成という関係でなく、石のつくり(組織といいます)と化学組成の関係としてみていった方がいいはずです。もちろん組織を構成するものは鉱物です。鉱物の化学組成も関係しますが、ここではそこには踏み込まないことにします。
 問題はつくり、組織です。組織は、石ができたときの条件、環境などさまざまな複合的なものが反映してできていきます。石の組織をうまく読みとれば、石の素性をかなり詳しく読みとることができます。もちろん、定性的ですが。でも、そこに化学組成という定量的なものを加味することによって、組織の定性的な性質を、定量化することができます。これは、詳細な個性の記述につながります。
 今まで、いろいろ石の普遍的分類を調べてきました。石ころから、より普遍なものを求めてスタートして、さまざまな考えを巡らしました。石ころの個性は、それぞれの化学組成や組織、野外調査から、詳細に記述できます。しかし石の普遍的分類を調べていくことは、どれも、石ころの個性を詳細に調べていくことになりました。普遍性を求めることとは、実は石を調べるためのゴールだったのです。スタートラインこそが、実はゴールだったのです。詳細な個別の個性をいくつも集めて、より普遍的な分類の方法、あるいは石の起源などの本質に迫ることは、地質学の目的だったのです。
 今噴火した火山、今たまっている地層、でも、自然はすべての情報を、私たちに開示してくれていません。見えないところで何が起こっているのか、そこに働く原理は何か、見えないものは、推理するしかないのです。その推理をより説得力を持たすために、断片的な個性の詳細な記述、つまり証拠から、論理を用いて、普遍性を求めることに、地質学者は日夜知恵を絞っているのです。

2004年4月15日木曜日

5_32 普遍的分類2:化学組成

 前回は、石の分類として、起源に基づいた堆積岩、火成岩、変成岩という分類は、惑星レベルまで普遍化をすすめて考えると、普遍とはいえなかったり、その起源が必ずしもはっきりしていないことなどを紹介しました。今回は、もっとも普遍的と思える方法を紹介しましょう。

 分類を普遍的にするために、石の「起源」という考えを捨てて、別の本質的な基準をもとに考えていきましょう。その候補として考えられるのが、石をつくる基本的な成分からみていく方法です。
 基本的な成分として、石をつくるより小さな粒である鉱物を基に考える方法もあります。でも、鉱物にも地域性があり、地球に固有と考えられる鉱物や、月固有、隕石固有の鉱物なども結構あります。そんな特異性をできるだけ除いていくべきです。
 成分も普遍性があったほうがいいはずです。一番普遍的な成分としては、元素というものがあります。元素は宇宙共通の基本的で普遍的な成分です。ある石を、どの元素がどれくらいの割合でつくっているかということを調べていく方法は普遍的です。この方法は、実際の研究でも非常によく使われています。石の化学組成と呼ばれています。
 化学組成は、すべての元素でおこなうことが理想です。しかし、現実には、それは、なかなか困難なことです。なぜなら、分析の方法が元素の種類や含まれている元素の量によって違っていきます。
 ですから、すべての元素の分析がなされているの石は、それほどたくさんありません。各国が提供している標準試料とよばれるものや、特殊な隕石、月の石くらいです。
 標準試料とは、代表的な岩石の粉を各国公的機関が国内外の研究者に配布し、その試料を基準として、研究室間の分析値に違いがないかチェックしたり、研究室の分析精度を示したりするのに使われます。もちろん日本でも、に経済産業省の産業技術総合研究所地質調査総合センターが配布しています。標準試料に関しては、ほぼすべての元素のさまざまな分析方法で出されたデータが集められています。また、世界中の標準試料とその分析データは一冊の本として発行されています。
 元素の含まれている量が多ければ、分析は比較的楽ですが、量が少ないと大変になります。ひとつの元素を分析するのに、ある研究所のある装置でしか分析できないということも起こりえます。ですから、すべての元素の組成がそろっているのは、その石がそれほど苦労してまで分析をするに値するものであるかどうかにかかっています。
 研究者が石の化学成分をすべての元素で欲しいとといっても、手軽に手に入れるわけにはいかないのです。ですから、岩石の中でも多い化学成分10種類くらいを分析して、それで分類や比較するということがおこなわれています。最近では、分析装置の進歩によって、同じ手順で、20種類くらいの元素が分析できるようになってきました。石だけでなく、石の成分である鉱物にもこの化学組成による研究は進んでいます。
 化学組成は、定量的で非常に客観的です。ですから、この手法は、どこの石にも適用できます。ただし、注意が必要です。
 化学組成が同じであっても、起源が同じとは限りません。成分が違っていても起源が違うとは限りません。化学組成は分析した石の化学的性質の保障はしますが、それ以外の情報を引き出すときは、化学組成の情報だけでは足りないということです。
 わかりやすい例として、しましま模様の石を考えてみましょう。白と黒のしましま模様の石です。もちろん、色の違いは化学的な性質の違いを反映しています。ですから、白の部分と黒の部分との化学組成は違っているはずです。でも、このしましま模様は、同じマグマが固まるとき一連の作用でできたとしたら、起源は同じと考えて研究していく必要があります。
 またこのしましま石をとって分析するとき、白だけの部分、黒だけの部分、白と黒の混じった部分では、化学組成が違っているはずです。また、同じ白や黒の部分でも、崖の上と下では、違っているかもしれません。
 今は白と黒の明瞭なしましま模様を例としてましたが、複雑なつくりをした岩石を分析をするとしたら、場所ごとに化学組成が違ってくるはず。そんなときはどうすればいいのか、どう考えればいいのか。などなど、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準として考えるときにも、一筋縄ではいかないことがありそうです。
 まだ、普遍的分類に対する答えは出てきません。もう少し続けて考えていきましょう。

・化学分析・
化学分析には、私は苦労しました。
3年間それにかかわったことがありました。
鉛の分析(正確には鉛の同位体組成といいます)の仕組みをつくるのに、
ゼロからはじめて3年かかりました。
鉛はどこにでもあり、簡単に汚染されます。
ですから、微量の鉛を精度よくするには
空気、水、薬品などありとあらゆるものの鉛汚染を
除去するということをやらなければなりません。
しかし、3年目には、なんとか世界の研究室の分析精度に
並ぶほどのまでに、たどり着きました。
日本で、地質学のそのような分析をしている研究室は、
当時、他にはありませんでした。
日本人の地質学者が出した鉛の分析値は、
すべて海外の研究所で出したものでした。
ですから、日本では、なにもかもが初めてです。
さまざまな論文を参考にしました。
しかし、論文には書かれてないノーハウもありました。
ですから、自分で工夫しながら試していきました。
まったくゼロからでも、集中して取り組めば、
数年で何とかなるものだということが経験できました。
この経験は私にとって何事にも変えがたいものでした。
このエッセイを書きながら。そんなことを思い出していました。

・春・
4月10日と11日に岐阜へいってきました。
今年はこれが最初ですが、
昨年は、3回通いました。
今年も何度か通わなくてはなりません。
岐阜は、桜がきれいでした。
満開は過ぎていたようですが、まだまだあちこちに咲いていました。
菜の花、つつじの咲いているもの見かけました。
研究の合間をみて、早朝宿から近い、金華山に登ってきました。
これで2度目ですが、
やはり、朝の空気の中をひと汗かくのは爽快です。
北海道でもやったそんな気分を味わえるようになってきました。