2010年5月27日木曜日

6_80 人工細胞の増殖:人工生命1

 生命は人工的に合成できるのでしょうか。実は最近、合成されたという報告がなされました。それは科学にとって重要な進歩ではあるのですが、その背景にある重要性を見過ごしてはいけません。


 先日(2010.05.20版)のアメリカの専門雑誌「科学」(Science)の電子版に、ある論文が報告されました。この記事をみて、とうとうここまできたかという思いが沸きました。記事のタイトルは「Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome」というもので「化学合成された遺伝子によるバクテリア細胞の創造」という意味です。ギブソン(D. G. Gibson)他23名の著者が、名前を連ねている共著論文です。
 人工的に合成した最近が細胞増殖をしたという内容です。私は生物学にあまり詳しくないのですが、この研究結果は、重要な節目を示していると感じました。その論文を少し詳しく紹介しましょう。
 用いられたのは、マイコプラズマ・マイコイデス(Mycoplasma mycoides)という細菌です。この細菌が用いられたのは、塩基配列が少なく、操作しやすいためです。つくり方は次のとおりです。
 マイコプラズマ・マイコイデスのDNAの短い一部部分を、化学合成でつくります。そのようにして合成したパーツが、DNA全体になるように部分部分をつくっていきます。それらの全パーツを、大腸菌などの中でつないでいき、ひとつのDNAとして、人工的に合成します。合成で完成したDNAを取り出して、同じ属ですが、別種のマイコプラズマ・カプリコラム(Mycoplasma capricolum)を用意して、もともとのDNAは抜いておき、合成したDNAに入れ替えます。つまり、別種のマイコプラズマ・カプリコラムのDNA以外の細胞を、これからつくろうとするマイコプラズマ・マイコイデスの入れものとするわけです。すると、合成したマイコプラズマ・マイコイデスが、細胞として機能をもち、増殖をしたという報告です。完全に合成されたDNAが、増殖という生命の重要な機能を発揮したのです。
 彼らの用いた技術は、それぞれの部分をとれば、既存の技術を利用しているようです。もちろん見えないノーハウや苦労はたくさんあったのでしょうが。そして、最終的に到達した結果も、ありえるだろうなと思える範疇のものです。つまり、そこには虚偽はなく、実際の合成ができたようです。
 しかし、問題は真偽ではなく、結果を受け入れた上で、見逃すべきでない重要な点があります。別の生物の細胞組織を利用はしていますが、DNAを完全に化学的に人工的に合成しているという点、そしてその合成したDNAが生命活動(増殖)したという点が重要です。
 彼らのグループは、2008年には、ある細菌(Mycoplasma genitalium)の全DNAの合成に初めて成功していました。ですから、次なる目標はその合成したDNAを機能させることだということも理解できるものです。そしてその延長線上には、いろいろと人間の役に立つ生物もできるかもしれません。実際今回の報告をした研究者たちが属している研究施設は、エネルギー生産などに役立つ微生物の創出を目的としています。今回の研究も、その一環だったのかもしれません。
 生命の遺伝情報を司るDNAが人工的に合成され、それが機能しているとなれば、それは生命のキーとなる部分が合成された、人工生命と呼べる可能性があります。もしそのDNAが細菌ではなく、もっと複雑なDNAを持つ生物であったら、どうなるでしょうか。そんな疑問を多くの人が持つのではないでしょうか。哺乳類、あるいはヒトになったら、という危惧ももちろんあります。
 節度ある研究が必要なのですが、実は今回の研究グループはいろいろ話題の多い人が指導者なのです。続きは次回としましょう。

・香川徳島へ・
ここしばらく晴れ間が見えても、
すぐに雨や曇ったりします。
はっきりしない天気なので、
日程を立てづらくずっと悩んでいたのですが、
来週、香川と徳島にでかけることにしました。
昨日、宿をすべて手配しました。
海岸沿いをめっぐて、
その後中央構造線沿いをいくつもりです。
天候しだいなのですが、
なんとか予定通りいきたいものです。

・友人の来訪・
先週末に、友人が私のところを訪ねてくれたのですが、
たままた私が不在のときでした。
非常に残念でしたが、
週明けにすぐにその友人と連絡をとりました。
友人は松山に在住なのですが、
奥さんの実家が隣町なので
わが町も時々通るとのことです。
また、学生の調査でこらから時々来るそうです。
日程は未定ですが、今度調査の折には
付き合うことにしました。
また松山のほかの友人にも会うことにしているので
いずれ松山にいくことにしました。
会えそうで会えないのは、歯がゆいものです。
近くて遠いのは、友人なのかもしれません。
意図しないとなかなか会えないものですね。

2010年5月20日木曜日

2_85 獣脚類が祖先:恐竜から鳥へ4

 現在の説では、獣脚類が鳥類の祖先だとされています。また、始祖鳥も鳥類と同じ祖先ですが、現在の鳥類は栄えてきますが、始祖鳥は絶滅したと考えられています。まあ、これも現状での説ですが。

 そもそも恐竜が鳥類の祖先であるという説は、今まで述べてきた化石になりやすい骨格だけでなく、珍しいですが羽毛の化石がみつかったことだけが証拠ではありません。恐竜の卵化石を詳しく観察して、鳥類の卵と同じように、多層微細構造をもつことがわかりました。2005年にマジュンガトルスという恐竜の脊椎骨の化石の研究から、鳥類のような気嚢をもっていたということが言われています。前にも紹介しましたが、いくつかの根拠から、恐竜にも恒温性があったこともいわれています。このような根拠から、今では研究者も、恐竜は鳥類の祖先であると信じています。
 どのような恐竜が、鳥類の祖先なのかについては、いくつかの説があります。
 三畳紀(2億5100~1億9960年前)ころの樹上性の小型の四足歩行をした原始的な主竜類(祖竜とも呼ばれる)を祖先とする説、古生代末から中生代前期の二足歩行をした地上性の槽歯類を祖先とする説、もっと後の二足歩行をする獣脚類という恐竜類を祖先とする説などがありました。
 その後、鳥類の特徴をもった恐竜の化石や原始的な鳥類の化石などが、発見されてきたことも紹介しましたが、それによって前回紹介した槽歯類を祖先とするダイノバード説は否定されました。また、アメリカの古生物学者のオストロムは、1973年、恐竜の獣脚類にも鎖骨があることを見つけ、獣脚類から鳥類が進化したという説を復活させ、現在ではこの説が定着しつつあります。
 恐竜は、大きく鳥盤目と竜盤目の2つの系統に分かれ、竜盤目のうちの竜脚類と獣脚類に別れ、いくつかの枝分かれをしながら、最終的にジュラ紀後期に鳥類の直系の祖先がでてきます。鳥類の祖先は少なくとも2系統あり、ひとつは現在の鳥類へ、もうひとつは始祖鳥になりました。始祖鳥の系統は、残念ながら子孫の化石が見つからないことから、絶滅してしまったと考えられています。
 以上の話は、あくまでも現状ではという但し書きがつきます。学説は、研究者がその時点まで手にした証拠によって考えた最良のものです。しかし、それは、あくまでもその時点での証拠に基づいたものです。新しい化石が発見されたら、状況は変わることは大いにあります。たった一つの化石の発見が、それまでの説に大きな変更を迫ることもあります。
 これからの大発見に、期待したいものです。これこそ科学の醍醐味でもあるのですから。

・科学の進歩・
恐竜から鳥のシリーズはとりあえず
今回で、いったん終了とします。
恐竜の発掘は、現在も世界各地で続けられています。
特に中国やモンゴルでは、新しい発見が続いています。
そんな発見の中で、今までの学説を覆すものも
出てくるかもしれません。
そんな発見は、現在の説を唱えいている人には
心穏やかではないかもしれませんが、
それも、学問の進歩の一形態ですから歓迎すべきでしょう。

・足摺行・
先日、愛媛から半時計周りに
足摺岬を一周し、四万十川を経由してもどってきました。
4日間をかけて巡りました。
ただ走るだけなら、2日ほどで
走破できる距離かもしれません。
でも、ここぞともうところを
じっくり見ることが私の目的です。
地層をみて、いろいろ思うところがありました。
まあ、それは別の機会にしましょう。

・山派・
ところで、山派と海派に分けるとすると
私は、山派です。
海沿いの景色は、私にはまぶしすぎます。
それに比べて川沿いは川面を渡る風は涼しく、
暑くとも木陰が涼をもたらしてくれます。
四万十川沿いを走って非常に心地よい思いをしました。
自宅から1時間足らずでそんな環境があります。
これから、時々出かけましょう。

2010年5月13日木曜日

2_84 ダイノバード:恐竜から鳥へ3

(2010.05.13)
 古生物学は、まず化石の発見から研究がスタートします。たくさんの化石がみつかれば、いろいろなことが分かってきます。ところがダイノバードという生物は、化石も見つかっていないのに提唱されたことがありました。それは、ミッシング・リンクですが、架空の化石でした。

 鳥類とは、そもそもどのような特徴をもっている動物をいうのでしょうか。私たちがよく知っている鳥(分類学上は鳥綱になります)の特徴は、羽毛に覆われ、羽があり、卵を産み、恒温性で、歯がなくくちばしをもち、声を出すというところでしょうか。これらは、分類学上も重要な特徴です。
 でも、このような特徴は鳥類だけのものでしょうか。前回までで紹介したように、羽毛をもち、羽を持つ恐竜の化石は見つかっています。もちろん恐竜は卵を産むことは化石からもわかっています。また、くちばしは、恐竜の獣脚類(オルニトミムス、オヴィラプトルなど)でも、鳥盤類(カモノハシ竜、角竜など)の多くが、持っていたことが分かっています。
 ただ、恒温性については、まだ決着をみていません。なぜなら、恒温性は化石から判別できないからです。しかし、根拠となりそうな重要な証拠があります。アメリカの古生物学者オストロム(John H. Ostrom)が、1964年にディノニクス(Deinonychus)という恐竜の化石を発見しました。そのディノニクスが、重要な証拠になっています。
 ディノニクスは、体長が2mから4mほどで、2足歩行をする恐竜でした。その特徴は、大きく鋭い鉤爪、そして大きな脳を持っていることでした。前肢もよく動くことが化石からわかり、鋭い鉤爪は狩をする肉食獣の特徴です。脳が大きいことから知能が高かったと考えられます。さらに、ディノニクスの化石は、いくつもの個体が集まってみつかることから、群れで暮らし、狩も共同でしていたと考えられました。
 このような活発な行動をする動物は、恒温性がなければならないとして、オストロムやその弟子のバッカー(Robert T. Bakker)は、恐竜の恒温説を唱えました。
 まだ、恐竜の恒温性を持っていたかどうかは不明ですが、科学者によっては恒温説を唱える人もいるわけです。
 以上見てきたように、個々の特徴を比べていくと、恐竜と鳥はよく似ていることがわかります。
 鳥類が恐竜の類似性は、古くから知れていました。ダーウィンの進化論に賛同し急進的に広めようとしたことで有名なハクスリーは、恐竜から鳥が進化したとすでに主張していました。
 しかし、当時知られていた恐竜の化石には鎖骨がなく、鳥類にはあることが問題でした。解剖学的には、恐竜から鳥類が進化したと考えるには、無理があるということになります。その問題を解決するために、恐竜と鳥類の共通の祖先(古生代末に誕生した槽歯類)から進化したという説(ダイノバード、dinobird)、あるいは鳥類のほうが先に誕生して恐竜があとから進化してきたという説(BCF仮説、Birds came first hypothesis)などが提唱されました。
 しかし、これらのダイノバード説は現在では否定されています。その証拠を見つけたのも、やはりオストロムでした。それは次回にしましょう。

・調査・
こちらに来てやっとまとまった調査に
出ることになりました。
高知県の西部を調査しています。
3泊4日で見て回っています。
北海道からすると、近いので、車ですぐにいけます。
天気を見ながら、晴れが続きそうなときに
宿を予約してさっといけます。
これが近場のメリットです。

・母の日・
皆さんは先週末の母の日になにかしましたか。
私は、電話をしただけでした。
電話をしたら、法事で、親戚にいっているときで、
何人もの人に電話で話をすることになりました。
知っている人ばかりなのですが、
懐かしい人の声も聞けました。
弟も一緒に法事にいっていたのですが、
母とその姉妹の親戚とたくさん話しました。
これも親孝行なのでしょうかね。

2010年5月5日水曜日

2_83 羽毛恐竜:恐竜から鳥へ2

 始祖鳥をめぐっては、議論が二転三転しています。鳥類の祖先であるなしをめぐって長年議論されています。それは、化石の保存の良さによるものです。ゾルンホーフェン以外からも保存のよい化石が見つかるようになり、鳥の起源については、いろいろ情報が加わるようになりました。


 始祖鳥の化石は、1855年に発見され、1861年に記載され科学者たちが知るところになりました。19世紀中ごろといえば、科学の歴史に少しでも詳しい人なら、ダーウィンの「種の起源」の出版された時期と思うでしょう。「種の起源」の初版がでたのは、1859年11月24日でした。
 ダーウィンは始祖鳥化石の発見のニュースは聞いていたかもしれませんが、出版の時期にあたります。科学的な記載がなされていなかったのか、それともこのニュースをしらなかったのかわかりませんが、ダーウィンは初版の中では、始祖鳥についてはふれていません。しかし後の版では、爬虫類と鳥類を繋ぐ発見として評価したしたそうです(手元には初版の日本語訳しかないので確認してません)。
 では、始祖鳥が、恐竜と鳥類のミッシング・リンクとなるのでしょうか。それが、なかなか一筋縄ではいかないところなのです。
 まず、始祖鳥は、鳥類より恐竜の獣脚類(恐竜の2大グループ竜盤目のひとつ)に似ている特長がいくつもりました。ただ、決定的な違いもありました。それは、恐竜にはない羽と叉骨(胸骨を固定しているしている骨)の存在でした。ところが、当時の恐竜の化石がまだたくさんの種類が発見されていなかったため、恐竜の多様性が充分おさえられておらず、始祖鳥と恐竜の違いが強調され、現在の鳥類の祖先ではないとされたこともあります。
 恐竜の多様性が分かるにつれて、恐竜にも上で述べたような鳥類がもつような特徴のある化石が見つかってきました。
 アメリカ合衆国のテキサス州で始祖鳥より7500万年も古い(三畳紀の2億2500万年前ころ)「プロトエイビス」という化石が、1986年に発見されました。この化石は、骨が中空であること、竜骨突起というものがついた胸骨をもつことなど、現在の鳥に似ていました。しかし、現在の鳥類の祖先ではなさそうです。
 また、1996年、中国遼寧省からシノサウロプテリックスという羽毛も持った恐竜が見つかりました。羽毛恐竜の発見です。ただし、この化石は白亜紀前期(1億2000万年前ころ)のもので、始祖鳥よりずっと新しい時代でした。実はこれはかなり深刻な問題で、祖先ともいうべきタイプが、時代が新しいのです。これは、非常の矛盾したことになります。
 しかし、2009年に、中国東北部にあるジュラ紀後期(1億6100万年~1億5100万年前)の地層から、トロオドンという肉食恐竜の仲間で、羽毛を持った恐竜が見つかりました。これで、やっと始祖鳥より古い時代に、恐竜の仲間に羽毛をもったものがいたことになりました。
 恐竜の多様性は大きく、その中には現在の鳥の特徴をもった種類が何度か出現していたようです。その多様性が起こりだしたのは、ジュラ紀中期ころからではなかいかと考えられています。
 では、始祖鳥と現在の鳥との関係は、またそもそも鳥類といったいどのような特徴をもったものをいい、いつのどの系統から生まれたのでしょうか。それは次としましょう。

・種の起源・
ダーウィンの「種の起源」は正式には、
"On the Origin of Species by Means of Natural Selection,
or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life"
という長いタイトルの本です。
現在では
「自然選択、もしくは生存競争における適者生存による種の起源」
とでも訳すのでしょうか。
当時の本は、通常このように長いタイトルが付けられています。
また、本の中の章立ても長いもので
文章となっていることもあります。
私は、渡辺政隆訳の光文社古典新訳文庫『種の起源』(上下)
を手元においています。
実は、始祖鳥の記載が種の起源にないが
さんざん探したのですが、
初版なのでないことが、あとで判明しました。

・運動・
長いゴールデンウィーク、
皆さんはどのように過ごされたでしょうか。
私は、地域の祭に2日、
1日は近所の子供と化石採りに出かけました。
あとは、おとなしく仕事をしていました。
運動もしっかりやっています。
執務室まで、片道1.5kmほどあるのですが、
歩いて通っています。
また、夕方は、温泉プールがあるのですが、
そこの年会員になっています。
毎日夕方ひと泳ぎして、
シャワーもしくは温泉にはいって
帰るようようにしています。
来週から天候を見ながら調査をはじめようかと思っています。
論文を書くことも重要な仕事なので、
抜かりなく進めていきたいと思っています。