2010年7月29日木曜日

1_92 氷山より:IRD 3

 深海底から回収されたコアの砂の層は、6層ありました。その砂が由来した時代も決定されています。コアの時代が、なぜ決められるのでしょうか。そして、砂はいったいなぜもたらされたのでしょうか。今回は、それらについて考えたいと思います。


 コアはタイムレコーダです。その時間軸として、一番よく利用されているのが、プランクトンの化石です。
 深海の堆積物の多くが、マリンスノーとして海底に降ってきたプランクトンの遺骸からできています。遺骸の有機物の部分は腐敗や捕食されてなくなってしまいますが、硬い殻の部分は、残ることがあります。
 殻を持ったプランクトンはいろいろなものがいますが、石灰質の殻をもつ植物性プランクトンのココリス(円石藻)、動物性プランクトンの有孔虫、珪酸質の殻をもつ植物性プランクトンの珪藻、動物性プランクトン放散虫が主要なものとなっています。
 珪質の殻は海底にそのまま保存されるのですが、石灰質の殻は、条件によって残る場合と残らない場合があります。浅い海では殻のまま残りますが、深度が深くなると溶けてしまいます。その深度は、炭酸塩補償深度(Carbonate Compensation Depth、CCD)と呼ばれています。大西洋の赤道付近では5000mあたりで、高緯度ほどその深度は浅くなっていきます。北大西洋の付近の海底はCCDより浅かったようで、前回紹介したように有孔虫が残っていました。ただし、なぜか砂のあたりでは、有孔虫が極端に少なくなっていました。
 プランクトンは進化が早い生物で、時代ごとに特徴的な種が多数でてきます。もしコアから有孔虫や珪藻などの化石が多量に見つかれば、示準化石となり時代をかなり詳細に決めることができます。深海堆積物のコアは、化石による年代決定が有効になります。
 ハインリッヒが調べたコアは、13万年分の地層がありました。それを詳細に調べると、13万年分の海洋域の様子を知ることができます。コアの中の年代をみていくと、砂は、1万6500年前、2万3000年前、2万9000年前(?)、3万7000年前、5万0000年前、7万0000年前(?)に見つかりました(?は少々問題があるもの)。
 前回紹介したように、深海底には通常の地質学的作用で砂はもたらされません。もし届いたとしても、円磨された淘汰のよい砂になるはずなのですが、コアでは角ばった砂でした。それも北大西洋の北緯50度あたりに広域に広がり、繰り返し(6層あったので6度にわたって)起こっています。
 ハインリッヒは、この砂を、氷山からもたらされたと考えました。漂流してきた氷山は陸地を流れてくるので、その中には砂礫を多数取り込んでいます。その氷山が海流に乗って流れて、ゆっくりと溶けていき、中の砂礫が海底に落ちていきます。ハインリッヒは、コアで見つけた砂が流れてきた氷山からの砂だ、というのです。このような砂をIce Rafted Debris(岩屑)と呼び、IRDと略されています。
 氷山だと考えれば、砂の特徴をうまく説明することができます。でも、氷山が、大量にある時期に北大西洋を漂ったのです。それも繰り返し起こっています。いったいこの出来事に、どんな意味があるのでしょうか。その出来事と化石(有孔虫)の減少とは、どんな関係があるのでしょうか。続きは、次回としましょう。

・発行予約・
先週半ばに、何とか論文も仕上げて、投稿しました。
一息つくまもなく、夏休みの準備です。
夏休みは1週間ほど休んで北海道に戻ります。
その間に、発行予定のメールマガジンが2つあります。
その原稿を作成して、発行予約をしておきます。
予約をやっておけば、
メールマガジンは途切れることなく、発行できます。
マグマグでは2週間先まで予約可能です。
以前は1週間だったので、
長期の不在には定期発行がなかなか困難でした。
でも、今は、長期の不在がなくなったのと、
2週間の予約が可能になったので、
滞ることなく発行ができます。
その代わり、出かける前が大変なのですが。

・北海道の夏・
梅雨が明けてから、暑い日が続いています。
からりとはしてるのでしょうが、
はやり北海道と比べると湿度が高く感じてしまいます。
北海道に帰るのですが、
じつは一番暑い時期でもあります。
本州と変わらない暑さなることがよくあります。
そんなことにならないように祈っています。

2010年7月22日木曜日

1_91 不思議な砂:IRD 2

 陸上で砂を見ていると、あるのが当たり前で不思議でも何でもありません。ところが、砂のないはずのところにあれば、それは、不思議な砂となります。深海には、一般的には砂はたまりません。ところが、深海の堆積物のコアから薄いですが、砂の層が見つかりました。その砂とは、どんな砂だったのでしょうか。


 海洋底の掘削のDSDPからIPODにかけては、多くの研究者が注目していました。私も、昔の海洋地殻(オフィオライトと呼ばれています)の研究をしていたので、それらの報告書にマメに目を通していた時期がありました。海洋底の基盤にある岩石に注目していたのですが、初期のころはなかなか玄武岩層まで達しませんでした。ところが、海洋底の堆積岩は、あちこちで採取されてきました。
 北大西洋の海底堆積物のコアを観察していたドイツの海洋地質学ハインリッヒ(Hartmut Heinrich)は、そのコアの中に、岩片が多数入っている砂の層を発見しました。岩片は、海洋底を構成している火山岩や堆積岩のものではなく、大陸を構成しているような石英や長石などでした。そのサイズは、180μmから3mmほどの範囲でした。
 3mmもの大きさになると海流で運ばれてくることありません。ですから、何か特別な作用があったはずです。
 実は、深海で砂の層が見つかることがあります。それは、海流ではなく、混濁流というものによって運ばれてきたものです。このような深海に運ばれた砂を、深海砂(deep-sea sand)と呼び、堆積物をタービダイト(turbidite)と呼んでいます。
 大陸斜面で地震や海底地すべりで発生した重力による物質の流れは、時に深海まで届くことがあります。混濁流によってたまった地層をダービダイトと呼んでいます。タービダイトは、砂から泥まで物質で地層を形成します。タービダイトの砂の由来は、河川から海にまで運ばれたものが、再度、混濁流によって深海へと運ばれたものです。その砂は河口や海岸よくみる砂で、円磨され、淘汰のよい砂となります。
 ところがハインリッヒのみつけた砂は、タービダイトの砂ではなく、円磨されておらず、角ばっていました。なおかつ、砂の層は、いくつかのコアで見つかました。これはその砂の層が、広く北大西洋に広がっていることになります。その砂の層は、北緯50度あたりで、なんと3000kmにわたって見つかっています。タービダイトでは、こんな大きな規模にはなりえません。
 そのほかにも、その層の上下には有孔虫がたくさんみつかるのですが、砂の層では、有孔虫の化石が異常に少なくなっていました。
 海洋底の地層のコアとは、一種のタイムレコーダです。深海は、堆積物があまりたまらない穏やかな、変化の少ないところです。深海底では、非常にゆっくりとしか堆積しません。深海の堆積物は、長い時間をかけて薄い地層が積み重なっていきます。そのようなタイムレコーダとして、海洋底の各地からコアとしてあるわけです。
 この深海堆積物に、広域的に特徴的な砂があるということは、北大西洋全域におよぶような、なんらかの事件があったことを意味しています。このような砂の層を、ハインリッヒは、コアの中から6つ見つけています。それを1988年に、報告しました。その6度におよぶ事件とは、いったどのようなものだったのでしょうか。
 その事件の詳細は、次回としましょう。

・水泳大会・
いよいよ夏休みです。
私の滞在している町では、
夏休みの初日に、小学校の水泳大会が行われました。
役場の横にあるプールで、行われていたので
執務室にも、その歓声が響いてきました。
昼食後少し見学したのですが、
人数は少ないですが、盛り上がっていました。
梅雨明けの真夏の青空のもとでの大会で
水の中が気持ちよさそうでした。

・帰省・
7月23日締め切りの論文で
私はたばたしていました。
ほぼ完成したので、なんとか間に合いそうです。
今回は、なかなかてこずりました。
これが終われば、少し、息抜きをしたいと思っています。
暑いので、あまり外に出る気にならないのですが、
北海道に一時帰宅するつもりです。
家族サービスで旅行をする予定です
北海道も一番暑い時期ですから
涼しければいいのですが。

2010年7月15日木曜日

1_90 深海底の記録:IRD 1

 IRDとは"Ice Rafted Debris"の略です。「流氷岩屑」とでも訳のでしょうか。IRDについて紹介するシリーズです。少々専門的かも知れませんが、思わぬ現象がわかってきて、それが現在の私たちに関係があることが分かってきました。


 陸から遠く離れた海底の堆積物を採取して、調べることが、1960年代後半から国際的に行われました。深海掘削計画(DSDP:Deep Sea Drilling Program)と呼ばれ、国際的な研究プログラムで、日本も参加していました。
 名称に「掘削(Drilling)」とあるように、深海底の堆積物から岩盤まで円筒状(真ん中に穴があいた)のドリルを用いて、円柱状に岩石を掘りぬいていきます。その円柱(コア、coreといいます)を回収すれば、海底の岩石試料が連続的に手に入ることになります。そのような掘削が海域のあちこちでなされました。そして、技術も進歩していきました。
 私たちが日ごろ目にしている地層の多くは、陸から由来したり、火山起源の砕屑物からできているものがほとんどです。しかし、陸地から遠く離れた深海底は、あまり堆積物が来るところではありません。深海は、生物の遺骸や海流や風に運ばれた微小な粘土のような粒子などが、ゆっくりと沈んでくるだけです。しかも、深海には海流や波もなく穏やかな状態が長く続きます。非常にゆっくりとしか堆積していきません。ですから、長いスパンでみるときには、重要な過去を記録しているタイムレコーダーの役割を果たします。
 地質学者は、自分の足であることで調査をしてきました。しかし、海は調査ができず、まして深海底は深く、科学がなかなか到達できないところでもありました。宇宙開発より遅れていました。地球の表面の3分の2が海ですから、月に到達したのに、自分たちの住む地球の海の底が未知の領域だったのです。現在も深海は神秘に満ちた場所で、深海の調査は継続されています。
 掘削の技術さえあれば、位置さえ変えれば、いたるところで、試料が手に入ります。ただし、3000mを越えるような深海ですので、掘削は技術的には大変です。専用の掘削船も必要です。掘削自体に費用もかかります。深く掘るためには新しい技術開発も、人手も必要になります。ですから、国際プロジェクトになっています。
 掘削は大変ですが、得られる情報は重要です。DSDPは、1968年から1983年まで実施され、1985年から2002年までは国際深海掘削計画(IPOD: International Phase of Ocean Drilling)になり、2003年からは統合国際深海掘削計画(IODP: Integrated Ocean Drilling Program)になって、現在も継続されています。世界最高の掘削能力を持つ「ちきゅう」は、IODPの目的のために建造された船です。
 DSDP以来、深海底の掘削は50年以上に渡っておこなわれ、科学に多大な成果をもたらしました。そして掘削された試料は現在も保管され、研究者の必要に応じて提供されています。50年以上に渡る研究によって、海洋底の荒く網羅的な調査は終わり、概略はつかめました。現在は、目的を絞った研究に推移しています。
 深海底は、まだまだ未知の領域があります。その領域は場所のことではなく、微細な詳細についてです。それまで見過ごされてきた、非常の小さな石の屑のようなものが、大きな意味をもつことが分かってきました。そんな発見と展開の話をシリーズで紹介します。

・本がきっかけ・
今回のシリーズのきっかけは、
大河内直彦さんの書かれた
「チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る」
という本を読んだからです。
そこで紹介されていた
"Heinrich event"が元になっています。
本を読んでいただければわかりますが、
過去をみる分解能の精密さ、
そして現状の限界も書かれていて
気軽に読めますが、なかなか読み応えもあり、
いい本だと思います。
本の中で、H. Heinrichという若い研究者が
書いた論文の話題が取り上げれています。
それを私になり紹介していきたいと思っています。

・梅雨・
皆さんのところは大雨の影響はどうでしょうか。
私のいる愛媛県の山奥は、
先日も激しい雨が降りましたが、
いまのところ被害はないようです。
今年の梅雨は長くなかなか明けませんが、
北海道からきた私に梅雨は体に答えます。
熟睡できないせいか、
朝起きても疲れがなかなか抜けません。
そのせいか集中力がでず、
仕事がなかなかはかどりません。
私だけが長梅雨にあっているわけではなく、
皆同じ状況です。
まあ、愚痴を言わずに
気力でなんとかしなければならないところでしょうかね。

2010年7月8日木曜日

1_89 新生代の再編の決着

 新生代の再編が1月に決着がつきました。それまのでいきさつは、このエッセイで何度か紹介しましたが、議論の末、一番混乱のないような、穏やかな再編に落ち着きました。その最終的な決着を遅ればせながら紹介します。


 このエッセイで何度か取り上げましたが、時代区分の変更が国際地質科学連合(IUGS)によってなされました。新生代から第三紀という時代区分をなくし、パレオジン(Paleogene)とネオジン(Neogene)、第四紀(Quaternary)に区分し、第四紀の下限を258万年前とするという再編がされました。
 IUGSの提案を受けて、日本でもその対応が求められ、日本地質学会を中心にしていくつかの関連学会で、さまざまな検討、議論がされてきました。まず、区分を受け入れるかどうか、受け入れるとしたら日本語名称をどうするかなどの検討が求められました。
 その結果が、2010年1月22日に出ました。紹介しようと思いながら、昨年の暮れに時代区分の再編をシリーズで紹介したので、また同じような内容になるので、ついつい躊躇していたら、遅くなってしまいました。遅ればせながら、紹介します。
 第四紀の下限が258万年前まで古くなったことを受け、これまで新第三紀鮮新統になっていたジェラシアン期は、第四紀更新世前期に組み入れらることになりました。第四紀と新第三紀の境界が変更になりました。
 第四紀は、更新世(Pleistocene)と完新世(Holocene)に区分されているのは従来のままです。ただし、日本では、洪積世と沖積世が現在でも使われていたのですが、これが廃止され使用しないように決まりました。
 時代の名称については、パレオジンは古第三紀に、ネオジンは新第三紀にすることが正式に了承されました。これは従来から使われてきたもので、馴染みのあるもので、再編の影響が最小限になる配慮からでしょうか。
 当初は第三紀とともに、第四紀も廃止するという提案でした。蓋を開けてみると、結果的にはあまり大きな再編ではなかったことになりました。専門家だけの対応で済んでしまうことになるのでしょう。
 学問は進歩します。その結果、研究領域も細分化されていきます。今回のように体系が再編されると、研究者の社会では、混乱が起こります。その再編を研究テーマにしていたり、深く影響を受ける人は、それなりの対応が必要になり、反発する人もでてきます。
 IUGSののワーキングループからの提案があってから、このエッセイでも何度か紹介したのですが、長い議論、紆余曲折がありましたが、なんとか現状に至りました。各国が数年がかりでやっと再編を消化して受け入れることになりました。これによって、新生代の再編が終わることになります。
 再編が達成されれば、これからは定着がされていく時期になります。研究者はその再編に従います。論文を書くときや発表の場では、正式名称を使うことが義務付けられます。でも、社会に普及していくのには、時間がかかるでしょうね。でも、あまり影響はないのかもしれません。

・再編・
今回の再編の結果は、地質学会の他、
日本学術会議のIUGS分科会とINQUA分科会、
日本第四紀学会との連名で報告されました。
同様の報告の例として、
冥王星が準惑星とされたときがありました。
冥王星のときは、話題になり、
多くの人がこのニュースを知り、
今では、冥王星が惑星でないということを知るようになりました。
そして教科書にも反映されているはずです。
このように広く周知ができると、
定着する時間は短くてすみます。
今回の新生代の再編は、ニュースにあまりならないため、
定着しにくいかもしれません。
第四紀とともに第三紀はずっと使われるかもしれません。
でも、内容的には研究者に周知徹底されれば、
とりあえずは混乱が生じない程度の
再編ですんだというべきなのかもしれません。

・はやぶさ・
前回まで紹介していた日本の宇宙探査シリーズで
「はやぶさ」を紹介しました。
その「はやぶさ」のカプセルから
小さな粒子がいくつか見つかった
というニュースがありました。
まだ、イトカワのものはどうから分かりませんが、
もし、そうだったらなかなか興味深いことになります。
違ったとしても、今回の一連の技術は
次回にきっと活かされるはずです。
期待して見守っていきたいと思います。

2010年7月1日木曜日

5_89 きぼう:日本の宇宙探査4

 今回で日本の宇宙探査のシリーズは終わりとします。最後に日本が今後も継続的に運営し、宇宙飛行士も滞在させていく予定の「きぼう」について紹介します。若田さん、野口さんも「きぼう」を建設作業をしながら、施設で実験するという仕事をされていました。


 「きぼう」は、国際宇宙ステーション(International Space Station、略称ISS)に接続されているモジュールのことです。国際宇宙ステーションには、アメリカ、ロシア、日本、カナダ、欧州宇宙機関(ESA、11ヶ国加盟)が参加しており、いくつかのモジュールが接続されています。「きぼう」もそのうちの一つで、日本が中心になって実験ができる施設となっています。
 建築は、最初、船内保管室が2008年3月11日に打ち上げられたスペースシャトル「エンデバー」で運ばれました。その後、ロボットアームが取り付けられ、2009年7月に打ち上げられたエンデバーによって船外実験プラットフォームが取り付けられ、基本部分はほぼ完成しました。その後もいくつもの装置が加わっています。
 ISSに最初に長期滞在をしたのは若田光一宇宙飛行士で、2009年3月16日から137日間滞在されました。「きぼう」を完成させての帰還となりました。その後、2009年12月から、野口聡一宇宙飛行士が、ISSに滞在することになります。その滞在期間は、若田さんよりも長く161日間という滞在でした。
 さて、ISSに日本のモジュール「きぼう」がつけられ、日本の宇宙飛行士が滞在しているのは、なぜでしょうか。もちろん長期滞在記録が目的ではありません。ワレリー・ポリャコフ宇宙飛行士がミールで437.7日間という破れそうにない記録があります。
 宇宙に滞在する重要な目的は、宇宙の環境、条件を用いた実験をすることです。さらに、その重要性を市民に理解してもらうための広報や教育活動も重視されています。市民からの実験を一般公募したりしています。
 若田宇宙飛行士の滞在中、面白実験と称したものがなされました。その様子は映像が公開されました。見た方もあると思います。たとえば、宇宙空間で、ラジオ体操ができるか、水鉄砲はどうなる、目薬ができるか、魔法のじゅうたんができるか、腕相撲をするとどうなるか、紙飛行機はどう飛ぶか、などの興味がわきそうな実験もいろいろなされました。いろいろ予測できることもあるのですが、予測できないものもあります。これらは市民からの公募によるもので、教育現場などで利用できるようになっています。今でも、その様子の動画は、インターネットで見ることができます。
 野口さんは、若田さんより研究に徹した作業が多くなっていました。無重量、真空、宇宙線などの条件を利用したり、生命の宇宙空間での影響を調べる実験が各種行われています。重力下ではうまくできない結晶(シリコンなど)を無重力でつくってみたり、宇宙空間の哺乳類やイネの細胞への影響、宇宙飛行士を検体にした人体への影響などの実験がなされました。もちろん広報や教育のための時間も確保はされていましたが。
 今だに一般の人が気軽に宇宙空間に行くことできません。地球を離れられるのは特別な人だけです。このように日本人宇宙飛行士の宇宙滞在や、広報教育活動などのさまざまな努力で、宇宙がかなり身近なものになってきました。そして、今後も日本人宇宙飛行士は、養成は続く、宇宙ステーションでの活動が予定されています。
 さて、野口さんは、6月2日にカザフスタン共和国の草原に無事帰還を果たしました。このニュースは、鳩山総理辞任劇の陰であまり伝わることがありませんでした。残念です。

・訂正・
「はやぶさ」の回で、「イトカワ」が
火星と木星の間の小惑星帯にある
と書きましたが、これは間違いでした。
Tabさんからご指摘を受けました。
「イトカワ」は、小惑星ですが、
火星軌道よりも内側をまわる小惑星群のひとつで、
地球接近小惑星(NEO)と呼ばれているものです。
地球に衝突する危険性のある小惑星です。
「イトカワ」は、もともと小惑星帯でも
太陽に最も近い側をまわっていたものが、
なんらかの原因で、より内側を巡る軌道に
変わったと考えらています。
現在は、地球の公転軌道を横切っています。
地球に近づく可能性もあります。
長い年月の後は、太陽、水星、金星、地球、火星のいずれかに
衝突して終わるだろうと考えられています。
そんなNEOの様子を調べるのも
「はやぶさ」の目的であったようです。
JAXAの報道によると、
サンプルコンテナの開封が24日から始まったとのことです。
その作業に1週間ほどかかるようです。
この開封作業、装置もなかなか面白いのですが、
別の機会にしましょう。

・宇宙の話題・
今回のシリーズで紹介したように、
日本が関係する宇宙の話題が、
いくつも連続してありました。
他にも、山崎宇宙飛行士のISSへの15日の滞在や、
陸域観測技術衛星「だいち」の話題、
準天頂衛星「みちびき」など、
いろいろな話題があります。
それぞれのミッションで得られた成果は
報道の多い少ないに左右されませんが、
その重要性が市民に伝えられる機会が減ったのは事実です。
報道はそれなりにされているので、
興味のある人は知っていたでしょうが、
やはり報道量が少ないようです。
政治問題が混迷していためでしょうか。
私の現在の情報ソースは、テレビ、ラジオでないので
興味のある情報をインターネットでは追いかけることになります。
そのため、ついついここで紹介したような話題に目が行きました。
皆さんはどうだったでしょうか。
ぜひJAXAのホームページを覗いてみてください。
http://www.jaxa.jp/