2008年11月27日木曜日

2_70 幸運の賜物:マンモス1

 2008年11月19日にマンモスのゲノムが解読されたというニュースがありました。それに関連してマンモスの話題をいくつかまとめて紹介しましょう。

 マンモスの話題は、以前(2007年7月19日)の「2_57 氷漬けのマンモス」のエッセイでも紹介しました。その時紹介した内容は、2007年5月、シベリアで、生後半年から1年ほどのメスの赤ちゃんマンモスの化石が発見され、日本の東京慈恵会医科大学のCTスキャンで体の構造が詳しく解析されるということでした。その後日談を、今回から数回に分けて紹介していきます。
 冷凍マンモスは、シベリア最北のヤマル・ネネツ自治区、ユリベイ川の岸から見つかりました。発見者は、トナカイを放牧中の人でした。このマンモスは、発見者の奥さんの名前をとって「リューバ」という愛称で呼ばれています。
 2007年12月末にリューバは、慈恵医大高次元医用画像工学研究所に非常によい保存状態のままで届けられ、冷凍状態のままでけCTスキャンにかけられました。
 保存が良いというのは、リューバの体には損傷がほとんどなく、無傷の状態であったことを意味しています。このような状態で保存されるためには、リューバは傷を負うことなく死んだことになります。死んだ後も、他の動物に食べることもなく、また腐敗にさられることもなく保存され、そして冷凍される環境に置かれなければなりません。ここまでは、自然のなせる偶然の賜物です。
 永久凍土から発見された時も、損傷をうけないような状態でなければなりません。解凍が進まず、腐敗せず、冷凍状態のまま発見されたことがよかったのです。この過程は、人為的な幸運がなければなりません。
 トナカイを放牧中に解凍が進んでいないマンモスの遺体を川岸で見つけ、すぐに地元の博物館に連絡をしました。博物館の即座にその情報に対応して、現場まで300kmほども離れてたのですが、発見から2日後には博物館に保管されほど短時間で回収されました。このような迅速な対応が、リューバをよい状態のまま研究材料にできたのです。これは、人々の連携がスムーズに、そして幸運に進められたためでしょう。ここには、人の努力と、やはり幸運が介在します。
 以上ようにみてくると、リューバが、得がたい貴重な研究材料になるにいたったのには、多くの「たまたま」があったからです。絶滅してこの世には存在しない生物の体は、本来腐ったり他の生物の餌として、消えてなくなるのが大部分です。幸運に残ったとしても、せいぜい骨や歯などの硬い組織だけです。
 ところが、このリューバというマンモスは、氷河期という全地球的寒冷化が進む中、たまたまシベリアという地で生活し、たまたま腐ることなく地中に埋まり、土がたまたまリューバともども永久凍土として凍り、たままた解けて腐ってしまう前に心ある人に発見され、たまたまその重要性を知っていた博物館の人が回収と保管にのりだしたのです。このような多くの「たまたま」に支えられリューバは研究材料になったのです。
 さて、次回から、最新の研究成果を紹介しましょう。

・冷え込み・
北海道は先週末に雪が降って以来
まるで冬のように道路がアイスバーンになっています。
ここ数日の冷え込みました。
25日の朝には下川で-20.9℃を記録しました。
もちろん、この冬一番の冷え込みです。
11月中に北海道内で-20℃以下になるのは
1988年以来、二十年ぶりになるさうです。
旭川では-12.9℃になりダイヤモンドダストが観測されたそうです。
例年、根雪は12月もだいぶ入ってからですので、
暖か日があれば今の雪は溶けると思いますが、
まるで、根雪のような景色となっています。

・マンモスハンター・
マンモスの体の一部は、シベリア地域では
それほど稀なものではないようです。
マンモスの牙や骨、皮などとるためのハンターがいるようです。
特には牙には、国際オークションや
闇市場では、かなりの高値がつくそうです。
ですから、短い夏の間だけですが、
マンモスハンターが出現します。
しかし、マンモスハンターというと、
マンモスが生きていた時代、
それを食料として狩の対象としていた昔の人たちをいいます。
その話はマンモスの絶滅の原因の回で少し触れる予定です。

2008年11月20日木曜日

1_68 第四紀問題の決着は?:地質時代5(2008.11.20)

 長くなりましたが、今回で地質時代のシリーズも終わりとなります。最後に、第四紀の扱いに関する現段階の状況をまとめておきます。残念ながら、まだ問題は解決されていません。

 今まで述べてきましたように、第四紀のはじまりの定義は、いろいろ変遷してきました。現段階の定義として一番多くの人が支持しているのは、激しい気候変動の繰り返しが始まるときです。激しい気候変動の繰り返しとは、氷河期と間氷期の繰り返しのことで、年代いうと260万年前ころになります。
 「2004」版では、第四紀は新生代の時代区分として、公式には用いないとなっていたのですが、いくつも学会からの要請によって、一時公式に使用が可能として復活しました。しかし、「Concise版」では、境界をどうするかはまだ未定であるとなっています。
 「2004」版では、時代境界を決定していくことに重点が置かれました。ですから、第四紀を考慮しない時代区分は詳細になされています。
 まず、鮮新世(Pliocene)と更新世(Pleistocene)の境界は、細分した時代区分でいうと、ゲラシア期(Gelasian)のはじまりになり、イタリアのシシリー島のモンテ・サン・ニコラ(Monte San Nicola)が模式地とされていて、258.8万年前となります。ここは、時代境界として確定されたポイント(Globale Standard Sction and Point; GSSPと略されています)と認定されているところです。
 更新世は、古いほうからカラブリア期(Calabrian)、イオニア期(Ionian)、タランチア期(Tarantian)となっています。カラブリア期は、イタリアのブリカ(Vrica)が模式地とされていて、はじまりは180.6万年前で、GSSPとなっています。イオニア期は、まだ検討の中で変更の余地があるようです。イタリアのモンタルバノ・ジョリカ(Montalbano Jorica)かヴァレディ・マンチェ(Valle di Manche)、そして日本の千葉県が模式地の候補で、はじまりは78.1万年前とされています。タランチア期は、オランダのアムステルダム駅のボーリングコア(地表から63.5mのところ)が模式で、やはり暫定的で12.6万年前とされています。
 完新世(Holocheのはじまりは、中央グリーランドの氷床のボーリングコア(地表から1492.45mのところ)が模式とされ、1万1700年前で、GSSPされています。
 さて、第四紀問題を突き詰めると、このような時代区分の中で、どこに境界を置くのかという問題にいきつきます。鮮新世と更新世の境界はGSSPで、確定されています。従来の定義に基づけば、第四紀は更新世以降ですから、この境界が第四紀の始まりとしなければなりません。
 一方、多くの人が第四紀の定義として認めている気候変動を基準とすると、ゲラシア期の始まりに置くのがいいことなります。しかし、ここを時代境界にすると、もともと鮮新世であったものを第四紀は含むことになります。もしこの時代境界をそのまま使うと、第三紀と第四紀の両方がゲラシア期を含むことになります。
 このような事情が、第四紀問題として混乱を招いているのです。「2004」版では、混乱を解消するために、GSSPを重視した整理をし、第四紀の廃止となったのです。「Concise版」では、第四紀を復活させたので、再度混乱が生まれているのです。
 第四紀研究国際連合(INQUA)が公式に利用できるように、2008年中に決着をつけてほしいと、IUGS(International Union of Geological Sciences)に申し入れをしています。時代区分の作業は、実際にはICS(The International Commission on Stratigraphy)がおこなっていますので、ICSが検討して、最終的にIUGSが判断するのでしょうが、さてさて、どうなることでしょうか。まだまだ波乱がありそうですね。結果がわかれば、また報告します。

・私の意見・
私は第四紀に関する部分を研究していませんし、したこともありません。
ですから、部外者という立場になります。
無責任な発言になるかもしれませんが、
利害が関係ないので、客観的な見方ができるかもしれません。
私は、今までのICSが行ってきた膨大な作業や整理を
尊重すべきだと思います。
もちろん、もろもろのしがらみや思惑、
思い入れがあるのも理解できます。
でも、ICSの整理は、合理的で筋が通っています。
私はICSの立場を支持します。
しかしもし、第四紀を廃止するとなると、
やはり混乱は生じることは、必至でしょう。
第四紀がなくなるということが周知されるには、
長い時間が必要だと思います。

・メディアの力・
以前、冥王星が惑星からはずされたとき、
メディアが大騒ぎし、それに対応して、
関連学会や国立天文台などが
理科教育などへの対処を提示しました。
たぶん、新しい学習指導要領に基づいた教科書には
そのような記述かなされるでしょう。
ということは、次世代として子どもたちには
冥王星は、惑星ではないということで
周知がいきわたっていきます。
それを思うと、メディアの力を思い知らされます。
同じように、第四紀が廃止されるということが決定されたら
それが周知されるまで、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。
メディアの協力は望めそうにありません。
なぜなら、2004年には一度廃止が決定されましたが、
メディアはまったく話題にしませんでした。
メディアが協力したら、このような新しい科学的決定が、
早く皆に伝わるのにと思ってしまいます。

2008年11月13日木曜日

1_67 第四紀境界の決定法:地質時代4(2008.11.13)

 人類化石を第四紀の時代境界の基準にするには、あまりにも汎用性が少なすぎます。そのために代替案が、いろいろ考えられてきました。今回は、人類化石に変わる方法には、どのようなものがあるかをみていきます。

 そもそも第四紀は、人類の出現をもってはじまりとされていたのですが、人類の化石は、産出する数が少ない上に、産出する場所も限られています。世界のどこでも利用できる時代境界ではありませんでした。ですから、人類化石の代替として、世界のどこもで利用できる時代境界が必要になります。
 その候補は、いくつかあります。人類の出現と同じ時期に認められる事件、現象、化石の出現などに定義を変更して、そこを時代境界の新たな基準とすることです。その典型的な場所を模式地といいます。模式地は、研究者や国、地域によって統一されないこともあります。それでも、時代境界として一致していればいいのですが、ずれていることが往々にして起こります。特に第四紀は、地質学者だけでなく、多くの学問分野の人が入り乱れている学際的領域となります。データも、新しい時代なので、他の時代比べれば量も多く、精度も高くなっています。そんな状態が第四紀の境界問題を複雑にしているのだと思います。
 まずは、第四紀を決めていく方法について、いくつか見てきましょう。
 第四紀を人類の化石ではなく、汎世界的に見つかる生物で、大量にでる化石に置き換える方法です。その化石の種類が大きく変わるとことにすれば、化石の産出量や地域の局所性という問題は解消されます。気候などのによって比較的影響を受けにく汎世界的に見つかる生物として浮遊性プランクトンが上げられます。しかし、そのような生物は、海成の地層でないと適応できません。陸上の地層には、なかなか適切な汎世界的生物の化石がなさそうです。
 化石ではなく汎世界的な事件を利用する方法があります。そのような事件として、古地磁気の反転を利用する方法が提案されています。人類の化石がではじめる時期の起こった世界的な古地磁気変化であるオルドバイ事件(松山事件の中のひとつ)を利用する方法があります。これであれば、海や陸を問わず適用可能です。
 この方法の問題点は、目的の地域で、古地磁気に適した岩石が手に入れられるかどうかは不明なことです。古地磁気が岩石に記録されるには、磁鉄鉱などの磁性を持つ鉱物を含んでいなければなりません。磁鉄鉱は火成岩に見つかる鉱物です。火成岩が対象ならいいのですが、時代境界は堆積岩が用いられます。火成岩由来の粒子も堆積岩にも含まれていますが、磁性の方向がばらばらになったり、量が少なかったりすると、岩石全体の磁性は弱くなっていきます。このような欠点がありますが、分析精度をあげることで、実用化可能となっています。
 他にも地球規模の気候変動を利用する方法があります。人類の化石が出現するのは、氷河期の始まり(更新世のはじまり)です、また、氷河期の終わり、つまり今の間氷期のはじまりが、完新世のはじまりに一致します。このような気候変動を指標にしょうようという方法です。しかし、高緯度や山岳地帯では、氷河の証拠がありますが、氷河は、地形や局所的な気候変動によって、どの地域でも時期が一致するとは限りません。ですから、地域によって氷河期の区分や時代のずれがあることがわかっています。しかし、人類化石の代替として古くから利用されているので、この方法は氷河期などの区分には利用されています。
 以上、代替案をいろいろ見てきました。では、どのような方法がいいのでしょうか。あるいは、国際的はどうしようとしているのでしょうか。それを次回考えていきましょう。

・晩秋の快晴・
北海道はここ数日、快晴の日が続いています。
久しぶりの快晴の日です。
今まで、一日の中でも、
晴れたり、曇ったり、雨だったり、雪だったり
めまぐるしく変わりやすい天気が続いていました。
気温も一日で大きく変化しました。
快晴の日も、朝夕は急激に冷え込みますが、
昼間の太陽はなにものにもかえがたい
ありがたさがあります。
ほんの2日間ですが、晩秋の快晴を楽しました。

・忘年会・
大学の後期も半分ほど授業が進みました。
しかし、まだ半分残っているので、
気を抜くことができません。
しかし、11月半ばなので、忘年会の連絡が入ってきました。
公式な忘年会が2つあります。
大学の教職員全体のものと、学科も忘年会です。
時には学部の忘年会も入りことがありますが、
今年は、この2つだけのようです。
もしろん参加するのですが、忘年会という言葉を聞くと、
なんとなく落ち着かなくなります。
先ほど、まだ授業半ばで、気を引き締めなければならない
といったばかりなのですが、不思議なものです。
12月は先生(師)が走り回る時期なのでしょうかね。

2008年11月6日木曜日

1_66 第四紀の定義の変遷:地質時代3(2008.11.06)

 地質時代区分として、第四紀が問題となっています。今回は、その第四紀の定義がどのように変遷してきたかをみていきます。するとその問題の所在がわかってきます。

 地質時代の区分として、第四紀が問題になっているということを、前回のエッセイで紹介しました。そして、第四紀問題は、第四紀の時代区分における定義に由来しているといいました。では、そもそも第四紀の定義はどうなっているのでしょうか。その歴史的背景をみてきましょう。
 第四紀という時代名称は、19世紀前半に、その由来があります。
 1829年、デノアイエ(J. Desnoyers)は、パリ盆地で第三紀の地層の上に重なる海でできた(海成といいます)地層の年代名として第四紀を用いました。「三」の上にある地層なので、「四」という名称が使われました。名称の由来としては、単純ですが、納得がいくものでます。しかし、この定義を他の地域でも使うとなると、どこでも共通するような地層境界にしなければなりません。
 1833年、C.ライエル(C. Lyell)は、地層に含まれている貝化石を調べました。比較的新しい時代の地層には、現在も生きている種(現生種といいます)が含まれていることがあります。ライエルはそこに目をつけて、現生種がどれくらいの割合含まれているかによって決めることにしました。これの方法であれば、境界を定量的に決めることができます。ライエルは、第三紀の一番最後を、現生種を70%以上含む地層の時代を「更新世」(Pleistocene、最新の意味)としました。それより後の時代を「現世」として、人類の遺物を含むのが特徴の地層であるとしました。
 ところが、1846年、フォーブズ(E. Forbes)は、第四紀として更新世を氷河時代にのみに用い、第四紀から更新世を除いたものを現世と提案し、定着しました。1885年の第3回国際地質学会議では、そのように定義された現世を完新世(Holocene)という名称にすることが決定されました。
 1885年以降、第四紀は、氷河時代の更新世と氷期以降の完新世に区分されるようになりました。
 また、1911年にオー(E. Haug)は、新生代の時代区分が哺乳類化石で区分されることが多いので、第三紀と第四紀の境界もそれに従うことが望ましいと考えました。そして、現代型のウシ、ゾウ、ウマの化石が最初に出現するときを、第四紀のはじまりと定義しました。
 しかし、そもそも第四紀とは、新しく出現したヒトが特徴となる時代だったので、ヒトの化石を時代区分の基準とすることが正式なものと考えられてきました。そのため、1920年ころには、第四紀は人類紀(Anthropogene)とも呼ばれていました。ただし、人類化石の資料は不十分なので、「とりあえず」他の動植物化石、火山灰、氷河の痕跡、古地磁気、放射年代などを用いて境界を決めることにされていました。
 「とりあえず」が続くのはあまりよありません。そこで1948年のロンドンでの国際地質学会議で、第四紀の始まりを定義するにあたって、模式地の選定、境界は海生動物群の変化にもとづくこと、さらに第四紀の最下部には、海成のカラブリア層と同時代に陸で堆積した(陸成といいます)ビラフランカ層があり、氷河期のような気候変動がはじまる時期であるはずという推定などが提案され、検討することになりました。そのような最終決定には、イタリアの海成層の分布地域が最適の地域(模式地とよばれます)と考えられていました。
 第四紀は、人類の出現の時期にあたるはずですが、20世紀後半から今世紀にかけて人類の化石の発見や新しい報告が相次ぎ、予想以上に古い時代にまで遡りました。最古の人類(ホモ属のレベル)としては、ホモ・ハビリスが最初のものとなります。ホモ・ハビリスは約240万から140万年前に繁栄していたヒト属の最初の種となります。ホモ・ハビリスは、250万前ころにアウストラロピテクスの一つから種分化したと考えられています。
 この時期が、第四紀の始まりとなります。しかし、ヒトの化石の産出は少なく、限られた地域からしか産出しないため、正確で、どこでも利用できるような時代境界というには、少々難があります。そのため、第四紀のはじまりは、なかなか定まらず、新しい発見があるたびに、年代値が変化してきました。それが、今回の第四紀廃止の原因となっています。
 第四紀の始まりと定義として、どのようなものがふさわしいかは、次回としましょう。

・洪積と沖積・
第四紀は更新世と完新世に区分されます。
日本では、それぞれに洪積世と沖積世という名称が
同じ意味で、現在も使われることがあります。
この洪積世と沖積世は、
1822年マンテル(G. A. Mantell)が最初に使ったものです。
そして、1823年には、イギリスの有名な地質学者である
バックランド(W. Buckland)も使い始めたので、定着しました。
日本語の洪積世はDiluviumを、沖積世はAlluviumを訳したものです。
Diluviumとは、氷河時代の堆積物を
ノアの洪水によってできたものと考えられて使われたものです。
それに対して、Alluviumは、現在の川ぞいの堆積物をいいます。
激変説の名残ともいうべき言葉は、
現在、欧米では地質時代として使われることはなくなりました。

・波紋・
第四紀は、定着した時代名です。
この名称は地質学だけです、
歴史に関する学問では、
重要な時代名称として利用されてきました。
ですから、第四紀の廃止に対しては、
多くの学界に波紋を投げかけ、
反論も多数でてきました。
その一番大きな学界として、
第四紀研究国際連合(INQUA)が公式に利用できるように、
そして、その決着を2008年中につけてほしいと、
IUGS(International Union of Geological Sciences)に
申し入れをしています。
時代区分の作業は、
ICS(The International Commission on Stratigraphy)が
行いっていますので、そこが検討して、
最終的にIUGSが判断するのでしょうが、
Concise版では、第四紀は表記されていますが、
どうなることでしょうか。