2025年7月17日木曜日

1_236 冥王代の岩石 1:最古の岩石とは

 最古の岩石が見つかったという報告がありました。冥王代と呼ばれる時代で、これまでより2億年近く古い年代でした。まずは、最古の岩石と最初の岩石について考えていきましょう。


 以前書いた論文で、地球で最古の岩石は、どのようなものかを論じたことがありました。岩石は、変成岩、堆積岩、そして火成岩の3つの成因に区分できました。その中で一番最初の岩石を考えました。まずは、それぞれの成因を整理していきましょう。
 変成岩は、既存の岩石が地下で高温や高圧になることで、もとの岩石が溶けることなく別の結晶へと変化(再結晶といいます)することです。溶けてしまえばマグマができ、火成岩になるので、溶けずに、固体の状態で再結晶することが特徴です。堆積岩は、風化により陸地の岩石が砕屑物になり、河川によって湖や海底に運ばれ、堆積したものです。水の関与が重要になります。火成岩は地下深部のマントルが溶けてマグマができ、冷え固まったものになります。固体が液体になり、再度固体になるという変化をします。
 これらの3つの成因で、もっとも古い岩石はどれになるのでしょうか。
 変成岩は、既存の岩石が再結晶するので、既存の岩石が必要になります。既存の岩石の種類は問いませんので、変成岩、堆積岩、火成岩のいずれでもいいことになります。変成作用を重複して受けた変成岩も存在しますが、その変成岩も、既存の岩石を必要とします。突き詰めてとどっていきますと、既存の岩石は、堆積岩か火成岩にたどりつくはずです。
 堆積岩の形成には、砕屑物が水に運ばれたり、水に成分が溶け込む必要があります。水は、かつては地球形成初期からあったと考えられていたのですが、現在では、冥王代の中ごろに、小惑星帯あたりから飛来した多数の小天体の衝突でもたらされたと考えられるようになりました。
 他にも生物の遺骸(チャートや石灰岩)や化学的沈殿(岩塩や石膏)からでできるものものあります。生物の遺骸からできた堆積岩は生物が誕生していなくてはなりませんが、最古の堆積岩は生物誕生のもっと前です。化学的沈殿も水が関与していますので、水が地球にもたらされて以降になります。
 水ができる前は、月の表面のように、岩石だけが広がる乾燥した表層となります。そこでも衝突が起これば、既存の岩石は破壊され、砕屑物が飛び散ります。月の表層には、これらの破片でできた堆積岩(レゴリスと呼ばれています)ができています。既存の岩石はどれでもいいのですが、変成岩と同じように、もっとも古い既存の岩石を辿っていくと、火成岩にたどり着きます。
 以上のことから、地球に最初にできたはずの岩石は、火成岩だったと考えられます。では、最初の火成岩はどのようなものだったのでしょうか。次回としましょう。

・更新された年代・
このシリーズの書くきっかけは、
次回から紹介していきますが。
これまでの最古の岩石を
更新した年代が報告されました。
この論文には、他にも注目すべき点がいくつかあり
それをシリーズにして
紹介していこうと考えました。

・北海道の夏・
先週前半まで暑くてたまらず
エアコンをつけたのですが、
中ごろあたりから北海道らしい、
清々しい夏の天候が訪れました。
北海道らしい天気とは、
日差しは強いのですが、
乾燥しているため、
日陰に入ると涼しく過ごせます。
日が傾くと涼しくなり、
夜も窓を閉め、
夏掛けが布団をかけて寝ます。
こんな北海道の夏は気持ちいいものです。

2025年7月10日木曜日

4_196 螺湾のフキ:いつもとは少し違って

 足寄町は、大雪山の西から阿寒の南側の山岳地帯から十勝平野の直前までの山間にある町です。阿寒から足寄に町に向かう道が好きでよく通るルートとなっています。今回はその途中の螺湾(らわん)に目的地がありました。


 6月下旬、自家用車で知床から阿寒を通り足寄に走り抜けました。何度かきているオンネトー(アイヌ語で老いた沼という意味)を見学した後、今回は、道道664号を通り抜けるのをひとつの目的としてました。以前にもこのルートを進もうとしたのですが、砂利道だったのと、天気が悪かったので敬遠しました。しかし、今シーズンは新しい夏タイヤに替えたので、砂利道も気にせず通りました。
 奥地にある牧草地まで降りてくると、道道は舗装されており、快適に走ることができました。このルートを選んだのは、この時期ラワンブキがまだ生えているはずだったからでした。
 以前にも国道241号から螺湾(らわん)付近に来て、少し道道を入ったことはあるのですが、時期が遅かったのと、国道からかなり奥に入らなければ見れないようなので、諦めたことがありました。
 今回、自生しているラワンブキの観賞用の圃場(ほじょう)があり、そこでみることができました。
 日本には、普通にみかけるフキとアキタブキ(オオブキ)の2種があり、よく見かけ、食用にされているのはフキの方です。ラワンブキは、アキタブキの同種と考えられているそうですが、この地域にだけ、なぜか巨大に成長しています。地名からラワンブキと呼ばれて名産になっています。高さは2mから3mと人の身長を有に超え、葉の直径も1mほどにもなるそうです。かつては、高さ4m、葉の径も2mに達したものもあったとのことでした。大きなラワンブキは写真では見たことがあったのですが、実物は見たことがありませんので、見たいと思っていました。
 自生している圃場には多数のラワンブキが生えていたのですが、時期的は少し遅かったようで葉が少し枯ればじめていたのが残念でした。また、ラワンブキはそれほど大きいものはありませんでした。調べると、ここはもともとは自生地だったのですが、2016(平成28)年の台風で螺湾川が氾濫し、自生地が大きな被害を受けたそうです。自然回復が見込めないようなので、復旧したとのことです。同じ種でも、環境によって大きくなっているのでしょうが、そこまで大きくなっていないようです。他の場所は見なかったので、大きいのがあるのでしょうが、今回は諦めました。

・はじめてのルートで・
オンネトーはもっと深い山の中にあり
神秘的な湖になっています。
道は狭いですが整備されているため
観光客がよく訪れています。
ただし、そこより先の道道に進む車は
ほとんどないようです。
道道を走っていて、人家のあるところまで
一台もすれ違うこともありませんでした。
まさに秘境です。
今回はじめて通り抜けました。
こんなところに来ると、
野外調査をしていたときのような
ホッとした気分になります。
いつものルートですが、
いつもと少し違った目的もって
訪れるのもいいですね。

・いつものルートで・
知床から足寄に向かう途中、
阿寒にいきました。
これまで、何度も訪れてきたおなじみのルートとなリます。
定宿もあるので、そこに泊まりました。
阿寒では、火山と森の散策をして、
遊覧船でマリモを見学するというルートを
いつものように巡りました。
阿寒湖は釧路市に属していますが、
近くのオンネトーは足寄町になります。
峠のあたりが境界となっています。
足寄町に下る山地を通るルートは、
何度も来ているところです。
町に下りてきたときは、
道の駅で毎回休憩で寄ります。
博物館もあり、久しぶりに訪れました。

2025年7月3日木曜日

4_195 知床の旅:シャチを見る

 夏の知床にいきました。今回は、羅臼の海でシャチをみるためのクルージングに参加することが目的でした。妻の希望でしたが、非常に満足できる結果となりました。


 先週、4泊5日の旅に出ました。今回も妻のリクエストを入れてあります。妻が大好きなシャチを見ることです。知床半島の東側にある国後島との間にある根室海峡には春から夏にかえてシャチが多数群れているを見ることができます。羅臼の港から、クルージングでチャチの見学ができます。一番見やすいといわれている時期に出かけることにしました。中型で小回りが効き、船足が一番速い船でのクルージングにしまた。午後の便を申し込んでいました。あとは当日の天気とシャチ次第でした。
 当日、快晴の上、海の凪の状態で、絶好のコンディションでした。予約者が集まり次第出発するこのことでしたが、予定より30分速く出港することができました。何度も同船されているアマチュアカメラが2名おられ、午前中にも間近でたくさん見れたとのことで期待できました。
 他の船より1時間近く出港し、スピードも早かったので、すぐにシャチの群れが見つかり、接近することができました。船の周りを10頭以上の群れがいました。船の下をくぐり抜けたり、間近で見ることができました。他の船が来る頃には、もうたっぷりと観察をすることができました。
 写真もたくさん撮影しましたが、妻のカメラでも私のでも、大接近したシャチや、シャチの大群、知床連山を背景にしたシャチなどが、きれいに撮れていました。満足できる成果となりました。下船後は、羅臼で妻のお気に入りのシャチグッズの専門店にいきました。今回も妻はシャチの土産を買っていました。
 本来なら羅臼に宿泊するのが、地の利として一番いいのですが、知床ではウトロに定宿にしているホテルがあります。そこには、妻の大好きなエゾモモンガの写真をとるアマチュアカメラマンが働いていて、写真がホテルに展示されています。昨年本人から大きなパネルの写真をお願いして購入していました。しかし、残念ながら、今年はやめられたそうです。もう新しいエゾモモンガの写真は増えそうにありません。
 クルージング中には羅臼から沖に向かうので、国後島に向かっていくことになります。GPSの軌跡を見ると、沖に7、8km程度しか出ていないので、国境を越えることはないのですが、国後を間近に見ることができました。知床のポピュラーな観光地には出かけませんでしたが、満足のできる知床の旅となりました。

・混雑・
今回は、4泊したのですが、
どのホテルも満室に近く驚きました。
春の花の最盛期は過ぎて、
夏の花としても少々早めでした。
端境期になり観光客も少ないと思っていたのですが、
修学旅行と外国のツアー客が多い時期のようで
いずこのホテルも満室に近かったです。
ホテルも観光地も人の多さは、
避けることができませんでした。
マイナーなところや時間をずらして
行動するようにしていました。
比較的混雑は避けることはできました。
時間がたっぷり取れる旅だから
できたことでしょうね。

・鳴き砂・
知床に向かう途中にいつも寄る
小清水原生花園にいきました。
天気はよく、暑い日でした。
花はエゾスカシユリ、エゾキスゲくらいだけが
かろうじて咲いていました。
鳴き砂の海岸を歩いてみたのですが、
やはり鳴りませんでした。
ガイドの人がいたので聞いたら
かなりきれいに洗ったら鳴るとのことでした。
海の汚れのせいだと言っていました。
どこの海でも起こっている汚染です。

2025年6月26日木曜日

4_194 沖縄北山の旅 2:アスムイハイクス

 北の石灰岩地帯を訪れました。石灰岩の山自体は昔と同じでしたが、その周辺施設や道、そして博物館も整備されていました。しかし、なんといっても、一番の見ものは石灰岩のカルスト、そしてガジュマルの木でした。


 今回の沖縄で訪れたかったのは、前回紹介した「今帰仁」と、以前にも訪れたことのある「アスムイハイクス」でした。これは、以前「大石林山」と呼ばれていたところがが、2024年12月にリニューアルされ、改名されたものです。
 琉球開闢の神である阿摩美久(あまみく)が降り立った聖地が、安須森(あすむい)となります。沖縄最古の歴史書となる「中山世鑑」の琉球開闢之事として、
「昔、天にアマミクと云う神 御座しけり
先づ一番に 国頭、辺戸の安須森作りてけり」
とあるそうで、それがこの地なるということです。
 この安須森の森には、祈りのための拝所が多数あり、現在も利用されているそうです。そんな聖地の森、アスムイを歩いて見てまわれるようニ、ルートがハイクスとして整備されています。
 駐車場のある博物館からは、聖地のあるアスムイまでは、バスでのピストンでの移動になります。森の中のコースもよく整備されていました。車椅子でも周れるコース、短いのコース、長いコースが選択できました。もちろん、長いコースを夫婦で歩きました。
 アプリをダンロードすれば、ポイントごとに、解説も聞けるので、案内者がいなくても、セルフガイドで楽しむことができました。このアプリは全国の博物館施設で利用できるものでした。他を回るときも使ってみたいですね。
 訪れたのは暑い日でしたが、人も少なく、のんびりと見て回ることができました。時期的に少ない上に、聞くと沖縄でももっとも北に位置しているため、訪れる観光客も少いのだそうです。
 帰りもバスが使えるのですが、歩いて回るガジュマルロードがあり、多数のガジュマルやソテツなどの熱帯の植物など、多数の見どころがあるので、歩いて帰ることにしました。以前にも、バスで上がり、帰りは歩いて帰りましたが、道がきれいに整備されているので、時間を忘れて降りてくることができました。
 この地域には、石灰岩がカルスト地形として露出しています。辺戸(へど)の岬の周辺にも石灰岩のカルストがあります。海岸の石灰岩地帯もなかなか見ごたえがありました。
 沖縄には「琉球石灰岩」呼ばれているものが、広く(地表の3分の1ほど)をを占めています。その石灰岩は第四紀更新世(130万年前から7万年前)の新しいもので、空隙も多く柔らかいものです。ところが、もっと古い時代(二畳紀後期、2億8000万から2億2500万年前)のものがあります。北部の辺戸岬周辺と今帰仁城があった本部半島に分布しています。古いので固い岩石となって降り、、今帰仁城の石垣に使われていました。
 沖縄石の文化博物館も新しく整備されていました。二階にはレストランもあり、一階がショップと、岩石も多数展示されている博物館になっていました。少々蒸し暑かったのですが、晴れていたので、じっくり見て回ることでできました。

・自分との付き合い方・
高齢になったためでしょうか、
いろいろ行動に制限が出てきました。
多数の場所を巡ったり、
夜の行事への参加は、辛くなりました。
早朝型の生活をしているのと
体力の低下のためでしょう。
若いときは、時間と体力があったのですが、
お金がありませんでした。
働き出すと、お金と体力はあるのですが、
時間がありませんでした。
歳を取ると、時間もお金もありますが、
体力がありません。
そんな自分の置かれた条件と状態を受け入れて、
無理をしないで、体を壊さないように
付き合っていくしかありませんね。

・ガラス細工・
名護の周辺も半日訪れたました。
名護では、妻のリクエストしていた
ガラス工芸の店にいきました。
子どもがつくったガラスのグラスを
割ってしまったので
自分で作りたいといっていたので探しました。
ガラス工芸店を見つけて訪れたところ
それは、以前、家族で訪れて
子どもたちがガラスをつくった店でした。
一番いいタイプのグラスを選んで
妻が自作に挑んで、無事自宅に配送されてきました。
他にもグラスやガラスの加工品なども購入しました。

2025年6月19日木曜日

4_193 沖縄北山の旅 1:北山王国

 沖縄北部へ旅をしました。本部(もとぶ)に6日間滞在して、北山王国の各地を巡りました。移動日もあるので、正味4日間の旅となりました。久ぶりの旅のシリーズを紹介します。


 5月末から6月初頭にかけて、沖縄に観光旅行にいってきました。久しぶりの沖縄となります。子どもが小さい時、2004年と2007年に家族で出かけました。冬から春で、子どもや私の休みの都合に合わせていました。
 今回の沖縄は、梅雨時期の訪問となりました。幸いなことに、初日は激しい雨となりましたが、晴れの日も多く、雨で困ることはありませんでした。
 もともと、梅雨の時期で訪問者が少なく、なおかつ北部はさらに訪問者が少なくなります。そんな人があまり訪れないところを回りました。以前にいったところへの再訪が多かったのですが、初めて訪れるところもありました。
 今帰仁城は、初めてでした。世界遺産にもなって降り、施設も整っていました。沖縄の歴史についても解説を読んで、少々学びました。
 シリーズタイトルの北山(ほくざん)とは、沖縄本島の14世紀ころの時代区分です。当時の古代琉球は3つの王国に分かれていました。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)の時代が、100年ほど続きました。北山王国は、恩納村より北側に位置し、本島の北半分を占めていた大きな王国でした。北山王国は、現在の国頭(くにがみ)地方が中心となリ、今帰仁城(なきじんくす)を居城としていました。
 その後、中山が力を増していき、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼし、琉球を統一しました。北山は、中山に滅ぼされ以降、今帰仁城は北山監守が置かれていましたが、17世紀には廃止されました。それ以降、城としての機能をもつことはなかったようです。
 今帰仁城は、これまで訪れたことがなかったので、じっくり見たいと思っていました。城は、景色のいい、山の尾根筋に位置していました。尾根の脇を川が流れているのですが、山の上から川まで汲みにいってたそうです。戦いがはじまったら、水の確保は難しかったのでしょうね。天守の跡だけはありましたが、思っていたより狭かったです。石垣が残っており、往時の姿を想像させていました。
 今帰仁城では、幸い観光客も少なかったので、私たち夫婦だけのためにボランティアの人が案内をしてくれました。2時間以上もたっぷり時間かけて、城内を案内してくださいました。城内を案内で巡ったあとは、博物館もあったので、その中もじっくり見ました。朝一番から半日たっぷりとかけて、今帰仁城にて過ごすことができました。

・ゆったりと・
沖縄では、いくつ訪問する地は決めていましたが、
あまり厳密にスケジュールは決めずに、
天気を見ながら漠然と決めることにしていました。
空港からレンタカーを借りていたので
自由に見て回ることができるので、
ゆったりとした旅程で進めました。
初日は、那覇空港から本部へ直行し、
最終日は、ホテルから那覇空港へ直行しました。
もともと、人の多そうな中・南部は素通りの予定でした。
3日目は天気がよさそうなので、
今回、紹介した今帰仁を訪れました。

・海洋公園は2度・
妻の一番の目的地は、美ら海水族館でした。
2日目に訪れ、5日目にも海洋公園に半日いました。
この日程は正解でした。
5日目、午前中は名護にいったのですが、
時々雨も降る蒸し暑い日で少々バテていました。
そこで、海洋公園の施設で海洋文化館にいきました。
そこにはプラネタリュームがあり、
3つのプログラムの映像を
すべて見ながら過ごせました。
人も少なく、のんびりした見学することができました。

2025年6月12日木曜日

1_235 スノーボールアースの開始 8:ガス放出の低下

 スターチアン氷河期の開始と終了が、二酸化炭素の増減との関係がシミュレーションされました。二酸化炭素の供給源としては、中央海嶺で起こる火山活動が考えられました。


 フーさんたちの「衝突誘導」は、証拠不十分なので、可能性は低いようです。一方、ドゥトキェヴィチさんたちの研究は、地質的な記録から、大陸移動のモデルを作成しました。
 このモデルでは、気温変化と関係すると考えられる要因として、超大陸ロディニアの分裂、大陸と海の配置、海洋盆地の年齢、海洋底の深さ、海水準の変動、中央海嶺の火山活動による二酸化炭素の供給程度などを想定しています。それらの要因をもとに、全地球のプレートテクトニクスでシミュレーションをしています。テクトニクスの影響を定量化して、スターチアン氷河期の開始を考えています。
 シミュレーションでは、大きく2つのモデルを作成して検討しています。両モデルでは、大陸の沈み込み帯の長さは、スターチアン氷河期のはじまりから終わりま一定のままでした。そのため、スターチアン氷河期への沈み込みの関与はなさそうです。
 2つのモデルは、中央海嶺での二酸化酸素の放出のタイミングと程度が異なっています。この違いが大きいようです。
 1つ目のモデルは、中央海嶺での二酸化酸素の放出が多く、海洋盆地の体積が小さくなるため、温室効果が大きく、白亜紀後期より温かい状態だと予測されました。これの条件では、大規模な氷河期へとはなりません。
 2つ目のモデルでは、中央海嶺での二酸化酸素の放出が少なく、海洋盆地の体積が大きく、低い海面となっていました。中央海嶺からの二酸化炭素の放出量が少なくなったため(9Mt/年)、スターチアン氷河期の契機となると考えられました。
 スターチアン氷河期の終了は、氷河期の状態が継続することで、大気中の二酸化炭素が徐々にですが蓄積していきます。ロディニアの分裂に伴う激しい火山活動(フランクリン大規模火成岩区と呼ばれています)も加わることで、二酸化炭素も供給されていきます。
 そこに、ケイ酸塩の風化の減少の組み合わせがあったと考えられます。ケイ酸塩鉱物が水中や大気中で風化するとき、二酸化炭素と反応して炭酸塩として固定されていきます。ケイ酸塩の風化が減少すると、大気中の二酸化炭素の消費量が減り、溜まりやすくなります。
 これまでも、スターチアン氷河期の契機も終了も、二酸化炭素が重要な要因であるとは予測されていました。しかし、シミュレーションによって、氷河期への契機は、温暖化のための二酸化炭素の供給の低下で、氷河期の終了は、大気中への二酸化炭素の蓄積によるものと、示されてことになります。二酸化炭素の由来が、定量的な可能性が示されたことになりました。
 スノーボールアースに関しては、いろいろな研究が進められていますが、まだまだ可能性の追求の段階にあるようです。

・初夏から夏へ・
北海道は初夏から夏になってきました。
朝、歩いてくるときには、
春から聞こえているヒバリの鳴き声に加えて
カッコーの鳴き声が加わりました。
昼間にはエゾハルゼミが騒がしく鳴きます。
5月のライラックまつりから
6月はじめのYOSAKOIへと移りました。
我が大学のチームも入賞していました。
YOSAKOIが終わると、
北海道もいよいよ夏になります。

・沖縄へ・
先週まで、沖縄に行っていました。
同じホテルで5泊7日の短期滞在しました。
沖縄は梅雨で、旅行者が比較的少ないはずなので
この時期を選びました。
到着した日は、激しい雨で、
帰る前日からは蒸し暑くなりました。
しかし、この時期には珍しく
滞在中は、爽やかな日々となっていました。
天気に恵まれて
旅行を楽しむことができました。

2025年6月5日木曜日

1_234 スノーボールアースの開始 7:衝突が契機の可能性

 全球凍結への契機には、大陸配置は重要でした。しかし、それだけでは充分んではなさそうです。他にも2つの契機の可能性が指摘されてきました。最新の研究成果を紹介してきましょう。


 全球凍結へは、ロディニア超大陸の存在とその分布位置、そして分裂の開始という地質学的条件がそろったためだと前回紹介しました。温かい地域でのひとつの超大陸と、赤道から極地までつながって広がっているひとつの海となっている状態が、全球凍結に向かう必要条件でした。しかし、それだけで全球凍結には至らないようです。十分条件として、なんらかの契機が必要になりそうです。
 前回は、超大陸の分裂によって、多数の河川の形成や、海岸線の増加によって、大気中の二酸化炭素が消費されるという十分条件を示しました。しかし、それが本当に全球凍結の契機だったのでしょうか。その根拠は、必ずしも明瞭ではありませんでした。
 契機の可能性を新たに指摘する論文が、2024年に相次いで報告されました。2024年2月のScience Advance誌に、フー(Fu)さんたちの共同研究による
Impact-induced initiation of Snowball Earth: A model study
(スノーボールアースの衝突誘導による開始:モデルによる研究)
そして、2024年2月のGeology誌にドゥトキェヴィチ(Dutkiewicz)さんたちの共同研究による
Duration of Sturtian “Snowball Earth” glaciation linked to exceptionally low mid-ocean ridge outgassing
(例外的に低い中央海嶺のガス放出と関連したスターティアン「スノーボールアース」氷河期の期間)
という論文が報告されました。
 いずれも、全球凍結への契機として、これまでにない、隕石の衝突と中央海嶺のガス放出の低下という可能性を考えたものでした。
 まずは、フーさんたちの「衝突誘導」とは、シミュレーションによる研究で、天体の衝突を契機に、全球凍結がはじまったという説を紹介しましょう。
 白亜紀の大絶滅を起こした小天体の衝突で、「衝突の冬」と呼ばれる一時的に寒冷化が起こり、その結果、大絶滅が起こりました。もし白亜期末のような天体衝突が原生代末期に起こったとしたら、どうなるのかをシミュレーションした研究です。
 衝突により、成層圏に硫酸塩エアロゾルが舞い上がるという条件で、その濃度をいろいろと変えてシミュレーションをしていきました。その結果、衝突時が、暖かい時期であれば全球凍結には至りませんが、寒冷化がおこっていたら、衝突を契機に全球凍結になることを示しました。
 ただし、これは可能性の指摘にすぎず、衝突の痕跡は、まだ見つかっていません。それも2度も続けておこったという証拠もありません。ですから、可能性としての説に過ぎません。
 ドゥトキェヴィチさんの説は次回としましょう。

・可能性・
可能性を指摘することは、重要です。
もしシミュレーションの結果、
可能性がないのであれば、
その条件では全球凍結は
起こっていないということになります。
ただし、一般に、可能性がないという結果を
論文として報告することはないでしょう。
ですから、今回は起こる可能性がでてきたので
論文となったのです。
しかし、根拠が示せないのは残念ですね。

・遠隔授業・
今回、長期に不在にしていました。
その間の講義は、遠隔授業としました。
コロナ禍による遠隔授業の経験が活きています。
以前なら不在のため休講としていた場合でも
遠隔授業として講義を実施することができます。
今回の講義に関しては、課題を提示して
それを提出することで
評価に加えていくことにしました。

2025年5月29日木曜日

1_233 スノーボールアースの開始 6:従来の説

 全球凍結からの回復は、火山活動によって大気中に二酸化炭素が蓄積され、その温室効果によると考えられます。全球凍結からは、必然的に回復できることがわかってきました。では、全球凍結への契機は、なんでしょうか。


 シミュレーションでは安定した状態であった全球凍結から、火山による大気中の二酸化炭素の蓄積によって、温暖化が起こりました。それは、必然的に起こる現象だったので、全球凍結からは必ず戻れることが示されました。では、どのような契機によって、全球凍結がはじまるのでしょうか。
 いくつかの要因が組み合わさって起こったと考えられてきました。一番の要因は、超大陸の存在です。
 原生代の11億年前には、大陸がほとんど一箇所に集まっており、超大陸(ロディニア超大陸と呼ばれていました)と呼ばれる状態になっていました。ロディニア超大陸は、赤道から南北に伸びる形で分布していました。大陸が一箇所に集まっていたため、海洋(パンサラッサ海と呼ばれていました)も一つだけになっています。そのような海と陸の配置は、海が一気に、そして全面的に、凍ってしまう状態でした。
 例えば、現在の海と陸の配置は、全球凍結になりにくい状態です。北極には海があるのですが、周辺は陸地に囲まれています。そのため、北極海が凍ったとしても、その凍結領域が外側に進出しにくい状態になっています。また、南極には大陸があり、現在も大半が氷に覆われていますが、陸にある氷床なので、夏には、周りの溶けてない海があり、氷と海が切り離されます。大陸が分散してるため、海が太平洋、大西洋、インド洋などに分かれています。海洋全体が北半球と同時に南半球も凍りつくことは難しくなります。ですから、ここ数百万年の間に、何度も氷河期が繰り返されていますが、全球凍結には進んでいません。
 全球凍結の直前、ロディニア超大陸は、原生代末の8億2500万年前から7億5000万年前にかけて、分裂をはじめていました。温かい地域に広がる大陸では降雨量も多く、陸地での風化作用が進んでいたところに、分裂によって河川や海岸線が広がり、さらに風化が進んでいきます。風化の結果、大気中の二酸化炭素が大量に消費され、温室効果も減っていきます。
 大陸は分裂していきますが、分布状態が超大陸の配置のままで、海がひとつで北極も南極にも海が広がっていました。極地で海が凍りだしすと、海全体が凍っていきます(負のフィードバックといいます)。いったんすべての海が凍ってしまうと、海を温めるための太陽エネルギーが海面で反射され(アルベドも一気に大きくなっていきます)、地球全体が短期間に寒冷化(暴走冷却)が進み、全球凍結に至ります。
 海が凍ると、水蒸気ができず、雲もできず、大気を通じた水の循環も停止し、大陸は干からびていきます。全球凍結のまま、地球全体は安定状態になります。
 以上のように、全球凍結になるためには、地球表層で地質学的特別な状態があったためだと考えられていきました。それだけでなく、新しい可能性があるという報告が2つ相次いで出されました。それは次回としましょう。

・夫婦で旅行・
今日から、夫婦で旅行に出かけます。
このエッセイも予約配信です。
退職後、校務や研究ではなく
のんびりと旅行を楽しみたいと思っています。
5泊6日間となりますが
ひとつの宿でレンタカーで
うろうろとしようかと思っています。
ただし、どこに行こうかなど決めずに
現地で、行き当たりばったりで
その日の行動を考えようと思っています。
こんな旅もいいのではないでしょうか。

・初夏のいい季節・
北海道は初夏のいい季節なりました。
朝、通勤している時、
快晴の抜けるように青空は
非常に心地よい思いで歩けます。
カッコウやヒバリの鳴き声も聞こえてきます。
初夏の花々も咲き出したました。
あちこち行楽にいきたくなります。
先日は中島公園とライラックまつりに出かけました。
平日だったのですが
海外からの人や高齢者の人も多かったです。
いい季節になったので、
行楽地はいつも混んでいますね。

2025年5月22日木曜日

1_232 スノーボールアースの開始 5:温暖化へ

 シミュレーションによる、地球では全球凍結も安定した状態であることがわかってきました。いったん全球凍結になると、温暖な状態に戻って来れません。しかし、温暖な状態に戻ってきています。なぜでしょうか。


 地球表層のシミュレーションでは、全球凍結は安定した状態で継続することがわかってきました。つまり、全球凍結になると、温暖な状態に戻ってこれないことになります。地質学的証拠から、6億年前には、少なくとも2度の全球凍結が起こっていましたが、その度に温暖な状態に戻ってきています。地球には、全球凍結から、簡単に戻れる仕組みがあったはずです。どのような仕組みだったのでしょうか。
 全球凍結期の直後の地層の中に、海底に堆積した炭酸塩の厚い岩石層がありました。全球凍結の発見者のポール・ホフマンは、この岩石が、温暖化に戻ってくるための重要な地質学的痕跡と考えました。
 厚い炭酸塩岩の地層があるということは、大量の炭酸塩が沈殿したことになります。その炭酸塩は、大気中の二酸化炭素から海洋に供給されたと考えられました。気体の二酸化炭素は、固体の炭酸塩にすると、750分の1のサイズにコンパクトになります。ですから、全球凍結の時には、膨大な量の二酸化炭素が大気中にあったことになります。大気中の二酸化炭素は温暖化効果を起こします。全球凍結の時期中に大量の二酸化炭素が大気中に蓄積され、激しい温室効果を起こし、その効果が全球凍結を終わらせたと、ホフマンは考えました。
 では、その二酸化炭素はどこから供給されたのでしょうか。
 火山噴火にともなって放出されたガスが供給源だとしました。現在の火山ガスにも、二酸化炭素は含まれています。放出された二酸化炭素は、植物が利用したり、海に吸収されたりして、大気中の量は一定に保たれています。このような平衡状態が、地球の気温を一定に保っているメカニズムを担っています。ただし近年、人類が化石燃料の使用で、大気中の二酸化炭素が増加していますが。
 原生代にも現在と同様に火山の活動はしていたはずです。ところが、原生代には、陸上植物は存在せず、二酸化炭素を利用する生物も少なかったはずです。また、全球凍結で海も凍っていたので、二酸化炭素が海に吸収されることもありませんでした。火山から放出された二酸化炭素は、使われたり吸収されることもなく、大気中にたまるしかありません。二酸化炭素が、大気に多くなってくると、温室効果で気温が上昇していきます。
 やがて、海の氷が溶けはじめていきます。いったん温暖化がはじまると、強烈で急激な温暖化(暴走温暖化と呼ばれています)が起こります。大量の二酸化炭素が大気には溜まっていたので、溶けた海洋ができると、吸収されて、炭酸塩として沈殿していきます。大半の二酸化炭素が使用されてしまうまで、温暖化が継続していきます。
 つまり、全球凍結が起これば、一定期間その状態が継続することになり、大気中に二酸化炭素が蓄積されていきます。そして、その後には、急激な温暖化が必然的に起こってくることになります。つまり、全球凍結から温暖な状態には必然的に戻ることになります。
 では、全球凍結にはどうして起こったのでしょうか。次回としましょう。

・初夏・
わが町も、やっと夏めいた季節になってきました。
朝夕はひんやりしていることもありますが、
初夏と呼べる季節がやってきました。
札幌ではライラックまつりがはじまりました。
天気がよければ、でかけたいと思っています。
YOSAKOIから北海道神宮祭へと続きます。
北海道は一番いい季節が巡ってきました。
今年は、地元も催しに参加したいと思っています。

・思想史を・
現在、思想史、あるいは哲学史を
勉強しなおしています。
哲学史といっても、通史ではありません。
少し前は、仏教のうち密教と空海の真言でした。
現在は、合理主義と経験論、カントのそれらの批判
ヘーゲルの弁証法を中心としたドイツ観念論
のあたりの基本的なところを、学んでいます。
思索の詳細は難しいのですが、
概要を追いかけていくのならなんとかなりまそうです。
問題は地質学へどのように応用していくかが
もっとも重要だと思っています。

2025年5月15日木曜日

1_231 スノーボールアースの開始 4:安定状態

 全球凍結という状態は、地球の位置でも安定した状態でした。しかし、そこには大きな問題がありました。全球凍結になると、温暖な状態に戻ってこれないことでした。なぜ戻ってこれないでしょうか。


 全球凍結が、なぜはじまり(契機)、どのようにして終わった(回復)かについては、難しい問題となっています。それは、地球表層の条件に関するシミュレーションの結果があったためです。
 地球の表層の条件に関するシミュレーションがあります。太陽からのエネルギーが地球を温めるための熱源となり、その熱源を地球表層でどのように利用されるかが、地球表層の温度を決定していきます。太陽系における地球の位置は、現在のように海が広く存在でき、氷床や氷河(夏でも溶けない氷)があっても少しある状態になれるほどの太陽からのエネルギーが届いています。
 地球表層の温度は、届いている太陽からの熱エネルギーだけでなく、熱ネルギーが表層でどのように利用されていくか、留まっているのか、放出されていくのかによって、大きく左右されます。それは大気の有無や成分、地表の条件により変化します。
 例えば、天気のいい日は、朝夕は宇宙空間にエネルギーが放出され、気温は下がりますが、昼間は太陽エネルギーがたくさん注ぐので、気温は上がります。曇りや雨の日になると、太陽光がささないので、昼間でもあまり気温は上がりませんが、朝夕でも気温が下がることがありません。これは雲が気温変化をさせない影響をあたえていることになります。
 気温を決める条件の中でも、地表の太陽光を反射する割合は、アルベド(albedo)と呼ばれ、0から1の値で示されます。現在の地球のアルベドは、0.3ほどです。この状態が地球では安定していることが、シミュレーションに確かめられています。
 ところが、もうひとつシミュレーションでは安定な状態があることがわかっています。それが全球凍結の状態です。全球凍結は、大きな問題がある安定状態なのです。
 全球凍結となると、海面や陸地の山岳地帯などが真っ白な氷で覆われることになります。寒いので大気中の水分は雪となり、海も湖、河川も凍っているため、水蒸気もほとんどなく、雲もなくなっていきます。こんな真っ白な状態になると、海洋や大気を温めることもなく、太陽光が反射され、宇宙空間に戻っていきます。アルベドも0.8くらいに大きくなると推定されます。この状態は安定していることも、明らかにされてきました。
 もしいったん全球凍結の状態になってしまったら、安定した状態なので、海のある状態に戻ってこれなくなります。実際にこれまで氷河期と呼ばれる状態があっても、海が一部しか凍ることはありませんでした。全球凍結というシミュレーションの結果があったのですが、海がすべて凍るような状態にはならないと考えられていました。
 しかし、地質学的に全球凍結が起こってきたことが明らかにされました。発見者のポール・ホフマンは、そこから簡単に戻る方法を示しました。それは二酸化炭素による温室効果によるもので、その証拠もありました。その詳細は次回としましょう。

・少し眼の調子が回復・
目の調子が悪くなり
先週まで頻繁に医者にかかっていましたが、
少しずつ回復してきています。
医者も2週間後まで様子を見ることになりました。
左目が見えにくいので、
どうしても右目に負担がかかり疲れてきます。
長時間、集中しての研究は難しくなりました。
今までの半分ほどのペースで
研究を進めていこうと考えています。

・長い老後・
退職以降、平日が自由に使えることになりました。
できる限り、週に一度くらいは
夫婦で過ごす時間として
使うようにしようと考えていました。
4月中旬からは、妻が体調不良になり
現在は、私が体調不良になりました。
ですから、あまり出歩けていません。
私が、少しずつ回復してきています。
今後は、少しずつ夫婦での時間を
取っていこうと考えています。
これから長い老後があるでしょうから、
のんびりと時間を使っていこうと思っています。

2025年5月8日木曜日

1_230 スノーボールアースの開始 3:何度かの全球凍結

 カンブリア紀までは、定量的な気温の推定が可能でしたが、それ以前の時代では定性的な推定になります。原生代には地球全体が凍ってしまうような、超寒冷化が起こっていたことがわかってきました。


 これまで気温の推定法をいろいろ紹介してきました。カンブリア紀以前の連続的な気候変動は、定性的推定になっていきます。調べていく中で、激しい寒冷化が、原生代末に起こっていたことがわかってきました。
 この寒冷化は、現在から数100万年前から繰り返し起こっている氷河期とは、桁違いのものでした。その時期、赤道付近の陸地からも氷河の堆積物があり、赤道付近まで海洋はすべて凍りついていたと考えられます。全球凍結と呼ばれ、地球全体がまるで雪玉のようになっていたと想定されることから、「スノーボールアース(Snowball Earth)」とも呼ばれています。
 全球凍結の様子が、地質学的な証拠から推定されています。赤道付近の海まで1000mの厚さの氷がはるほど、寒かったとされています。もちろん夏でも解けることはありません。長い氷期が終わった後には、超高温期が訪れたと推定されています。
 その後、詳しく調べられていくと、全球凍結は、原生代末に少なくとも2回、7.2億から6億6000万年前(スタルティアン氷期 Sturtian)と、6億5000万から6億3500万年前(マリノアン氷期Marinoan)が起こっていることが明らかになってきました。そして、それぞれの氷期の特徴もわかってきました。
 スタルティアン氷期は、約5000万年もの非常に長期に渡り、寒冷化がもっとも厳しく、平均気温はマイナス40度以下で、赤道でも氷河堆積物が見つかっています。海洋では激しい酸欠が起こり、縞状鉄鉱層が堆積しています。その後の温暖化は顕著ではありません。
 マリノアン氷期では、全球凍結は起こっていたようですが、氷河は成長と後退が繰り返され、大きな気候変動が起こってい多様です。そして、氷が溶けたあとに、急激な温暖化が起こり、その時の平均気温40°Cまで達していました。温暖化によって、大気中の蓄積されていた大量の二酸化炭素が、海水に溶け込んで、炭酸塩として大量に沈殿していきました。やがて、炭酸塩の厚い地層(キャップカーボネートと呼ばれています)となっていきます。
 原生代末の全球凍結では、平均気温で80度もの気温差ができる、激しい気候変動となりました。このような2度の激しい寒冷化があったことは、多くの証拠から確認されてきました。
 他に、もう2つの全球凍結が起こった可能性が指摘されています。
 マリノアン氷期の後、5.8億年前のガスキアーズ氷期(Gaskiers)と呼ばれ、短期間(30万年間ほど)で局所的な寒冷化だった可能性があります。もう一つは、25億年前(原生代初期)のヒューロニアン氷期(Huronian )と呼ばれるもので、非常に長期に渡り(24億5000万から21億年前)、一時期全球凍結が起こったと推定されています。
 なぜ全球凍結がはじまり、なぜ終了したでしょうか。それについては、次回としましょう。

・ゴールデンウィーク・
当初、ゴールデンウィークには、夫婦で、地元へ
何箇所か出かける予定をしていました。
しかし、いずれも、断念しました。
眼の調子がよくないのと
なにより天候が安定していないので
出かけることができませんでした。
曇ったり、雨が降ったり、寒い日が続きました。
晴れたとしても一時的で、不安定な日々でした。
そのため、大学と自宅と、
2度ほど買い物で街に出かけるだけでした。
そんな時期もあるでしょう。
これからは、平日にも出かけられますので、
よしとしましょう。

・仕事のペースを抑えて・
眼の炎症は、継続中です。
左目が、まだかすんでいます。
激しい炎症は少し治まったので
散瞳する目薬はささなくてよくなりました。
眼圧が上がってきており、
その治療が新たにはじまりました。
頻繁に病院にいっています。
そのため、最近は、仕事のペースが
ゆっくりとしたものになってきました。
むりせずに研究も進めていきましょう。
自宅でも作業できる環境を
構築していこうと少しずつ進めています。

2025年5月1日木曜日

1_229 スノーボールアースの開始 2:気温の定量値

 化石の分析から海水の温度が推定できました。そこから大気の温度の推定がされますが、直接気温を推定しているわけではありません。気温の推定はどうのようにすればできるでしょうか。


 前回は、連続した地層中の化石を入手することができれば、殻化石の酸素同位体組成から、その地域の水温が定量値として推定できることを示しました。化石の生息環境から、海底や海面の温度が推定できました。海面の温度は、大気の温度を反映していることを紹介しました。しかし、化石からの推定は、大気の温度つまり気温を直接測定しているわけではありませんでした。
 直接、気温を探る方法もあります。同じ酸素同位体組成による仕組みを利用しますが、材料が氷です。極地では、毎年降雪があり年輪のような氷が堆積して氷床となります。降った雪がふかふかしており、空気を含んでいます。氷になっても、中にはその時代の空気も閉じ込められています。その空気はその地点の上空の大気となります。氷の中の空気を集めて、その酸素同位体組成を測定すれば、直接気温を計算することができます。
 氷の層を一枚ずつ数えるのは困難で、年代補正として、噴火時期のわかっている火山灰などの層(鍵層 キーベッドと呼ばれます)を手がかりに年代を定めて、時代ごとの気温を定量的に求めることができます。
 グリーンランドや南極などの氷床には、古い時代かたたまったものがあります。連続的に気温変化が測定されています。岩石と比べる氷にボーリングは楽なので、長いコア(氷の試料)が回収されています。そのような情報から、数100万年分くらいの気候変動が読み取られ、そこには氷河期と間氷期の多数の繰り返しがあったことも明らかになってきました。
 氷床が手に入る時代は100万年前くらいまでです。それ以前の数億年前などの古い時代の気温を推定することはできません。一方、地層中の化石であれば、数億年前までの化石もあります。しかし化石となるような生物が多量に生存していたカンブリア紀(5億3880万年前から)から以降の時代になります。
 カンブリア紀以前は、前回示した定性的な推定となります。有機物(生物由来の化合物)や特徴的な地層(縞状鉄鉱層やチャート)からえられる物質の酸素同位体組成から推定していくことになります。
 カンブリア紀以前には、大きな気候変動が見つかってきました。その内容は次回としましょう。

・桜は足踏み・
北海道もやっと桜の季節になってきました。
わが町では、ツツジがすでに開花していますが、
次が、桜となります。
ただし、最近天気の悪い日、肌寒い日が続き
少々開花も足踏み状態になっています。
桜のソメイヨシノは一番先に咲くのですが、
少し気の早い木は咲いているのですが、
多くは蕾状態です。
桜は一気に咲きますが、ツツジは長く咲いています。
今週は、妻と花見や野山に散策などに
出かけたいと考えています。

・眼の不調・
眼の不調は、悪化はしていないですが、
悪い状態で足踏み状態です。
何度も医者にいっているのですが
現在の治療を継続して、様子見の状態です。
無理せずに、時間をかけてゆっくりと
対処療法を続けていくことになりそうです。

2025年4月24日木曜日

1_228 スノーボールアースの開始 1:土壌と化石

 地球の気候変動についてみていきます。今回は、気候変動の中でも、全球凍結、スノーボールアースに関する研究を紹介するシリーズとなります。まずは、過去の気候をどのようにして知るのか、その方法を考えていきます。


 地球には、激しい気候変動が、過去に何度もありました。その変動は、現在危惧されている温暖化や繰り返されてきた氷河期などとは、比較にならないほど、激しい変動であることがわかってきました。では、そん気候変動はどのようにして、推定されていくのでしょうか。
 いくつかの方法によって、気候は推定されています。気候の推定で利用するのは、目的の時代の地層となります。地層には、堆積した時の環境の痕跡が記録されていることがあります。
 痕跡の記録として、例えば土壌があります。気候条件を反映した特徴的な土壌ができることが知られています。このような土壌は、気候指標土壌(climosequences soils)と呼ばれています。熱帯の高温多湿ではラトソル(Laterite)、乾燥地帯ではカリシソル(Calcisol)やアリソル(Aridisol)、温帯ではポドゾル(Podzol)、寒帯のツンドラでは永久凍土土壌(Cryosol)、高山ではアンデゾル(Andosol)などが、気候指標土壌となります。このような土壌が過去の地層の中から見つかったら、その時代のその地域の気候が推定ができます。特徴的な土壌の発見から、定性的に気候を推定することができます。
 他にも、定量的に気候を知る方法もあります。化石を構成している物質の化学組成から、海水の温度を調べる方法があります。微生物の化石(有孔虫)の殻をつくっている成分(炭酸カルシウム CaCO3)に含まれている酸素の成分(酸素の同体組成)には水温と比例する関係(同位体平衡)が知られています。その関係を利用して、海水温を計算できます。その時、目的の時代の海水の値を推定する必要があるのですが、仮定をすることで定量されていきます。
 また、有孔虫化石の形態や種の判定から、海面や海底などの生息環境を見分けることができます。一枚の地層から、両者を組み合わせることで、海面と海底の温度を推定することもできます。海面温度は、大気の温度(気温)に近いとみなせます。
 連続した地層は、同じ地域で堆積していたはずなので、同一地域の連続記録とみなせます。海で連続的に堆積した地層から、化石を取り出し、海水温の連続した記録は、定点での地球の気候変動として読みとるができます。
 さて、今回は、大きな気候変動として地球の海がすべて凍結したという全球凍結についての研究成果を紹介していきます。

・自由の謳歌・
現在、自由を謳歌しています。
以前と同じように、土日も含めて
毎日大学の研究室にきています。
週に一度は講義があるので
その準備と当日の束縛はあるのですが、
それ以外の時間は、好きな研究に使うことできます。
ただし、講義の曜日以外は、
平日に好きに時間を使うことができます。
なにより精神的に自由度が大きくなっています。
その自由さを有効に活かしていこうと考えています。

・眼病・
週末にこのエッセイの下書きをしていました。
ところが、持病ともいうべき眼病が発症しました。
この眼病は、若い時に2度発症していました。
しばらく再発していませんでした。
それが週末に発症しました。
地元の眼科病院にかかりました。
処方されて点眼薬が効いていて
痛みは消えたのですが、炎症は残っています。
紹介状をもらって、
翌日、市立病院でも治療を受けました。
金曜日まで様子をみてから、
今後の方針を決めていくことにしました。
痛みはないので、日常生活ができるので、
研究室にも出てきました。
大学で講義もできそうです。
この炎症は、これまで長引いてきましたので
今回も長引きそうです。
歳を取るということは、
病気ともうまく付き合っていく必要があります。
退職後だったので、時間が自由になるので
通院の自由度が大きいので助かっています。
しかし、病院の待ち時間の長さには
耐え難いものがありますが。

2025年4月17日木曜日

4_192 上野のお山の科博にて

 最近はこの時期には帰省しています。親族の面会と墓参りなので、しなければならない帰省となっています。年々、都会での滞在が、疲れるようになっていきました。それでも、無理しないようにしながら、観光もしています。


 先日、横浜に帰省しました。親族に会うことと、墓参りが目的でした。都会にいくと、いつも人の多さに圧倒されます。現在住んでいるところでも、街に出れば多数の人がいます。そんなところは避けたいので、多いところでの滞在は最小限にするようにしています。首都圏では、行きたいところは、すべて人の多いところになります。いく行程でも、たどり着いてからも、人が多くて、疲れてしまいました。
 愚痴ばかりいっていないで、本題に入りましょう。
 一日、上野の国立科学博物館(科博と略称されています)を訪れました。10時開館だと思っていたら、9時でした。それに、特別展も開催されていたのですでに多く人が入館していました。以前、何度か来ているのですが、久しぶりなので展示内容をあまり覚えていませんでした。そのため、楽しんで見ることができました。
 入ってすぐの日本館では、企画展の「地球を測る」を見ました。さすが科博と思えるような古い気象や地震に関する観測機器の展示物がよかったです。特に、地震の揺れを3次元に針金で表現したものは、これまで存在も知らなかったのでよかったです。ボランティアの人が、詳しく説明をしてくれたのでよくわかりました。また、関東大震災の地震計の記録も画像でしか見ていなかったのですが、実物が展示されていました。やはり、実物の迫力、魅力は代えがたいものがあります。
 日本館の途中で昼になったので、レストランで食事を摂りにいきました。平日でしたが、親子連れや外国人客が多数いました。なんとか、食事を終えて、次は、地球館にいきました。
 以前も見たはずで、一部老朽化しているところもがあって残念でしたが、やはりその物量、質、デザインなどは、圧倒的でした。急ぎ足でしたが、地球館は全部を見ることができました。そこままでかなり疲れたのでラウンジで休憩をしてから、ミュージアムショップでの家内の買い物に付き合いました。時間もまだあったので、日本館の見残した展示室やシアターの見学もしたかったので、体力的にもう疲れてしまいました。すべてをじっくりと見るのも、体力が必要です。
 帰りは、上野公園の桜並木を通り抜けて来ました。まだ桜が満開で残っていたので、多くの人が見学をしていました。メインストーリーでは道沿いのシートを敷いての見学はできないようでしたが、少し外れた木立の前では、花見客が多数、座って食事をしていました。少し先の並木では、宴会が可能なところもありました。しかし、そこを巡る体力はありませんでした。
 都会で動き回る体力はなくなりました。特に、人が多いところでは、疲れてしまいやすくなるようです。自然の中を歩いたり、石や露頭を見るのいいですが、人の少ないところを歩くのが性に合っているようです。

・体力不足・
上野へは、9時前の電車に乗りました。
桜木町駅が始発の京浜東北線だったので
上野まで座っていくことができました。
以前の記憶の混みぐわいと比べると、
空いているはずなのですが、
それでも、人が多く混んでいると感じました。
もし、9時前の東海道だったら、
乗車時間は短かかったかもしれませんが、
まだ混んでいたのでしょう。
都会では、乗り物もラッシュを避けて
移動するしかありません。
毎年この時期に、横浜に行くのですが、
年々、出かける度に体力が落ちていくようです。
退職前後から歩くことや水泳をして
体力増強に努めているのですが、
まだまた足りないようです。

・外食・
横浜に到着した一日目は、
東京に住んでいる次男を呼び出して
中華街で食事を摂りました。
2日目以降は、二人とも昼間の疲れで、
夕方、風呂に入ったら、
食事にでる元気もなくなっていました。
仕方がないので、館内のコンビニで
食事を買ってわびしく食べました。
まあ、それでも朝と昼は外食していますので、
都会を味わっているのでしょう。

2025年4月10日木曜日

4_191 大学教員として最後の旅路 2:最後の宴席にて

 退職に当たり、いくつも宴席が設けていただきました。最後となる宴席では、仕掛けをしました。全部が分かる人はいなかったと思いますが、いくつかの仕掛けを解いた方もいたようです。


【独白1:キーワード】
 私は、人前で話すのは上手くないので、フォーマルの場での挨拶は、原稿を用意していました。最近はそのようなフォーマルな場はないので、挨拶は、毎回、キーワードだけを頭の中で決めておき、その場で話すことにしています。なぜか、最近あまり緊張することがなくなりました。ただし、マイクの前に立った時には、それなりに緊張しますが。この最後の挨拶では、原稿ではないのですが、キーワードを用意しました。
【独白2:前置き】
 子どもと暮らしていた時、いっしょにクイズ番組をよく見ていました。なぞなぞのようなクイズは、子どもが小さい時は、家内や私が先に解けていましたが、時は子どもが先に解けることがありました。解ける快感もさることながら、先にわかる優越感が大きかった思いがあります。そして子どもが大きくなるにつれて、ほとんど勝てなくなりました。
 いずれにしても謎に挑戦して、それを解く快感は知的楽しみとしては大きと思います。
【註】こんな前置きの話しを、本来はしようと思っていたのですが、時間が限られていたので、省略することにしました。
【ここから話をはじめました】
 大学では、退職にあたり、各所で挨拶をすることになります。最後の場となるのが、大学全体でのこの歓送迎会となります。ホテルの大きな会場での宴席となります。考えたら長らく大学に奉職してたのですが、公式に大学の教職員の前で話すのは、これが最後になると思うと、話したい内容や思い出が、次々と湧いてきました。それをそのまま吐露すると、支離滅裂になるので、今回はメモを用意しました。
【といって、キーワードを書いた用紙を取り出しました】
 さて、これらの挨拶の中で、私が目指してきた教養、そして数名の教職員と話した話題から、キーワードを選び、それを話すことにしました。ですから、ここには、キーワードだけが書かれたメモをもってきました。キーワードには順番もあるので、メモが必要でした。

【この内容については、別の所に書いていますので、すべて省略します】

 話の中で、いろいろな仕掛けを考え、大学にくるまでの経歴で、一旦話しを中断して、閑話として、ここまでの話に使った6つのキーワードを示して、その意図を種明かしをました。また、それは教員(学長が多い)との会話で出てきたキーワードあることも明かしました。

 閑話休題以降、話の内容は、5つのキーワードを織り交ぜながら、大学での思い出、アカデミアとしてよさとその存在意義の話をしました。キーワードの種明かしをすることなく、挨拶を終えました。
 後半で使ったキーワードの難易度は高く、一人ですべてを解くのは不可能だと思いました。ただし、最後のキーワードだけは、有名なものなので、会場で何人かの人が答えがわかったようでざわつきました。話し終わると、会場が一瞬シーンとなりましたが、じわりと染み込んで、よかったようです。
 あとから知り合いの先生から、その仕掛けのキーワードの一部しかわからなかったが、あのキーワードはわかったなどの話が聞きました。そんな評価こそが望むところでした。
 このキーワードは、最終講義から連続していたもので、最終講義を聞いていないと、まずは解けないと思います。そして、最終講義の隠れた目標は、教養を身につけることの大切さを示すとともに、その実践例を示したいということでした。歓送迎会の挨拶の後半のキーワードは、最終講義で述べた内容でもありました。
 このように、退職に向けて、ほとんど気づかれないでしょうが、いろいろな仕掛けをして、わかりにくいとこにメッセージを残してきました。そんな他愛のないことを、最後に楽しみました。
【独白3】
 謎解きの楽しさの前置きは、時間の都合で割愛しましたが、本来なら、11個のキーワードの内、いくつわかったか聞こうと思っていました。その中で一番難しいものを答えた人に商品を渡そうかと思いましたが、そんな時間的猶予はありませんでした。

・謎解きの楽しさ・
最後の挨拶の概要は、あるエッセイに書きました。
種明かしも、そこでしています。
また、退職にあたって、見つかりにくですが
いろいろな意図について公開しました。
こんな仕掛けをしていくことは楽しいですね。
そして、家族で見ていたクイズ番組で
謎を解く楽しさを味わいました。
もしかすると、家族の誰かが、
気づくかもしれません。
インターネット上に公開し、それが残っていれば
誰かが、いずれ、なにかの機会に気づいて
謎解きの楽しさを、味わってくれるかもしれません。
ただし、家族には、いずれ気づくかもしれないが
わかりにくいところですが、
メッセージを隠してあります。

・熊楠のまんじゅう・
学部の歓送迎会でも
花束をもらうことになっていましたが、
それは職員の人にあげることにしていました。
その代わりとして、
私が熊楠に興味をもっていることを
よく知っておられたので
熊楠に関連するまんじゅうをもらいました。
こんな凝った対応をしてくださった職員の方々は
私が好きなユーモをお持ちなので
非常にうれしかったですね。

2025年4月3日木曜日

4_190 大学教員として最後の旅路 1:最終講義にて

 大学の退職しました。退職に当たり、研究内容だけでなく、最後のメッセージとして、いろいろな、わかりにくいところに残してきました。そんな自己満足のようなメッセージの一端と、場所のヒントを紹介しましょう。


 2025年3月末を持って、大学の退職しました。23年におよぶ大学教員として生活を終えました。終わるに当たり、自ら進めてきた研究や、目指していたもの、考えてきた方法論とその実践などを、大学の関係者には伝えたいと思いました。その伝え方も、自身が考えた方法論の実践と位置づけました。研究内容な方法には興味のない人も多いはずなので、「思い」の部分は隠れたメッセージとすることで、気づく人だけが楽しめばいいとしました。そんか仕掛けをいくつかしました。
 大学での退職セレモニーとして、公式の場として、最後の講義や、最終講義の場などで花束を渡すことになっていました。最近は、セレモニーを辞退することも選択する教員もいます。
 最終講義として、以前聴講した何人かの先生のものが印象に残り、その先生の人となりが伝わり、いいものだという記憶がありました。私の所属していた学部では、コロナ禍の影響もあり、ここしばらく最終講義はなされていませんでした。私は大学への最後のメッセージとして、最終講義をさせていただくことにしました。
 そこに、隠れたメッセージをいろいろ埋め込むことにしました。大学の関係者が中心なるように、2月28日(金)の校時にさせて頂くことにしました。また、担当職員もはじめてとなるとことで、仕事を増やさないように、大げさな告知はせず、学内だけにしました。気づいた在学生や教職員だけを予定していました。その一貫で大学ホームページでも情報が出ることになりました。そのため、在学生や教職員だけでなく、ホームページや口コミで、卒業生一部の外部の人にも知られ聴講にこられました。数えてないので正確ではないですが、全部で70から80名ほど聴講されていたようです。
 講義内容の詳細は省きますが、研究への道を歩んできた履歴とともに、研究テーマの変遷や成果を示しました。退職後も、探求したい研究テーマがあり、研究の道をまだまだ歩み続けることも伝えました。
 終了後、非常に専門性の高い所で、何人かの人たちから強い反応がありました。いろいろな手応えがありました。その中には、今までそんなことに興味をもっていな人がいたこともわかり、非常にうれしかったです。私にとっても非常に有意義な最終講義になりました。
 最終講義で話した内容は、当日配ったレジメの目次の部分だけは、某所で公開しました。また、別のところに、最終講義の仕掛けも少し示しまた。最終講義の完全版は、今のところ公開する予定もありません。
 また、他の場でも仕掛けをしましたが、それについては、次回としましょう。

・キーワード・
最終講義の内容で反応があったキーワードを列挙します。
共同研究者の特定の人、
以前の勤務場所の前身が横浜正金銀行であったこと、
四国西予ジオパーク、
ステファン・J・グールド、
南方熊楠、密教、マンダラ
などでした。。
また、外部から聴講に来られた方は
私自身に興味があったようでした。

・花より団子・
本来、退職教員には最終講義などの場で
花束贈呈をすることになっています。
花束は生花なので、辞退しました。
そんな時はいつも、「花より団子」
といって断っています。
すると担当者は、気を利かせて
花束ではなく団子(食品)を
送ってくださることがあります。
大学からは、ジオパークと南方熊楠のお菓子を
個人的に清酒を、
卒業生からは寄せ書きや手紙、メールを頂きました。
最終講義に出席していた、
卒業生からは花束を持ってきてくれました。
ありがたく頂くことしました。

2025年3月27日木曜日

2_229 20億年前からの生物 8:課題と期待

 生物種がどれだけの期間継続しているのか、という疑問からスタートしました。昔から現在まで生き続けている生物種を探し、極限環境で長期間生きづけてきたことを、証明してきました。しかし課題もあります。


 ここまで紹介してきた論文で、地下の古い地層に生きている微生物の存在が明らかにされてきました。その生物は、そこに住みはじめた時期は不明ですが、過酷な閉鎖環境で生きています。代謝の仕組みはまだよくわかっていませんが、進化速度も遅いようです。古くからそこで生き続けてきたことになりそうで、その期間は長いと20億年に及ぶと考えられています。
 そこから、もし火星の生物の生存している可能性を推定しました。火星に水が存在した時期に粘土鉱物ができ、ある時生物が発生していれば、環境が地下保存されていれば、現在でも生物が生きている可能性がありました、
 この論文の結論は、どこまで確からしさがあるでしょうか。それは今後の課題でもあるのでしょう。見ていきましょう。
 試料への現在の生物の汚染には非常に注意を払われています。そして、現状では、汚染がないように見えます。しかし、これも「不在の証明」と同じ困難さを抱えています。汚染がなかったということを証明するには、その生物群が、周辺の生物、あるいは全生物と異なっている「なにかの特徴」を持っているこを示すといいかもしれません。しかし実態のよくわからない生物群が、地下に大量にいることは知られています。ですから、既知の生物は、現存する生物の一部に過ぎないので、異なっていることを完全に検証することはできません。
 また、亀裂は鉱物が充填され閉じていること、長期間安定した地層であることから、その環境に長期間生き続けていると考えました。生物として生きているということは、代謝をしていることになります。代謝とは、生きていくために必要な成分を外から取り入れ、生物内で不要になったものを排出するということです。ですから、その生物の周辺では、物質移動が必然的に起こることになります。
 その物質移動を生物群、あるいは生態系内で閉鎖することは、難しいと考えられます。なぜなら、エネルギーの保存、エントロピーの保存など、外部からなんらかの関与がないと、代謝を継続的に営めないはずです。亀裂に生物が生きているということは、エネルギーの注入や物質移動が起こってることになります。外部となんらかのつながっている経路があることにあります。それは、生物が通れる通路ともなっていたかもしれません。
 閉鎖系となっているのは、最近になって起こったのか、あるいはうがって考えれば、掘削によって一時的にできた状態という危険性もあります。その可能性を排除できないかもしれません。
 しかし、今後の展開も期待できます。一番気になるのは、その微生物群の実態解明です。群集のそれぞれの代謝方法や、DNA解析で、種や系統的位置づけがわかってくれば、古い時代のもなのか、特異な環境で生きていけるタイプのか、それとも全く未知の生物群かもしれません。それらが明らかになってくること期待しましょう。困難な研究となると推定されますが、興味深いテーマです。

・名残惜しさ・
大学では、最後の入試、学位記授与式、
教職員の歓送迎会など、
次々と年度末の行事が進んでいます。
今年度で退職なので、
主役となる場面もありました。
最後の授業の補講も続いていたので、
いくつか参加してきました。
どれも最後となると名残惜しいものです。
自身の目標を忘れることなく、
常に淡々と進めていこうと考えています。

・今後は・
このエッセイは大学教員という身分での
最後のエッセイとなります。
名誉教授という称号をただくことになり、
図書館やメールアドレスなどの継続使用が
許されるたのは、ありがたいです。
今後は大学教員の肩書は使うことはなく
在野の研究者として活動していくことになります。
ただ、研究成果の発表の場としとして
大学の紀要への投稿ができるので助かります。

2025年3月20日木曜日

2_228 20億年前からの生物 7:展望は火星へ

 20億年前の地層から、慎重な研究で、生物を発見されきましました。まだまだ不明なこともあるのですが、この成果により、多くの研究テーマが今後も展開していきそうです。その展望は火星にまでいきそうです。


 このシリーズで紹介してきたように、地球での古い地層からの生物探しは、ステップを踏みながら、非常に慎重に進められてきました。
 地球には、地表には生物が満ちています。そのため採取する時に、試料に現在の生物が混入する危険性があります。また、地下にも生物が多数見つかっているので、目的の試料の内部に新しい時代の生物が混入している可能性もあります。それらすべてを排除していくことが、古い時代からの生きてきた生物の検証に重要になります。
 前回紹介したように、20億年前の地層にできた割れ目から、生物が発見されました。その地域は安定した地質なので、変動がほどんないところで、割れ目が形成されてから、外部から生物が混入してこなかった考えられます。割れ目のできた時代は決められていませんが、長期間、閉ざされた空間で、その生物群は生きてきたようです。もし地層ができる活動直後に割れ目ができたとすれば、その生物は20億年前近くに入り込んだものになります。ですから、生物生存期間として20億年に達する可能性もあります。
 限られた栄養の過酷な閉鎖環境で、何十億年間も生き続ける生物がいたとすると、その代謝のメカニズム、代謝速度の下限、進化の速度など、今後、多くの研究テーマが出てきそうです。割れ目の形成年代が確定すれば、これらの問題への定量化も可能かもしれません。
 鈴木さんたちは、この結果は、地球の生物を調べることだけでなく、火星の生物探査にも適用できると考えています。現在、火星で探査しているパーシビアランス(Perseverance)は、移動しながら、いろいろな試料を蓄えています。現在、試料を入れたチューブは2025年3月10日現在で27本になっています。それらの回収のためのプロジェクトを現在検討されていますが、だいぶ先なりそうです。
 火星のパーシビアランスが着陸したのはジェゼロクレーター(Jezero Crater)の中です。そこは、35億年前より以前に水が流れ込んで、湖になったところです。粘土鉱物も発見され、湖底や海岸の堆積物も形成されています。もし、火星に生物が発生していれば、その痕跡(化石)や、地下にも生物が分布していれば、現在も生きているかもしれません。地球の20億年前の極限的な環境での生物の存在は、火星の試料内の生物やその痕跡の発見の可能性も示しています。
 今回紹介した成果には、今後の研究の展望もいろいろありましたが、課題もありそうです。それは、次回としましょう。

・腰痛・
先週、朝、着替えていると
突然腰痛が発生しました。
いわるゆるぎっくり腰です。
持病になっているもので、
日頃から注意をしているのですが、
突然起こるので、避けることはできません。
ですから対処法も、自分流ですが持っています。
しかし、今回の腰痛は、ひさびさで
非常に激しいもので動くのも大変でした。
しかし、当日の夕方、どうしても
しなければならない所用があったので出かけました。
翌日も校務の会議も、議長なので大学に出ました。
動き出すと、痛みはましになるのですが
4日間、朝に起きた時、激痛が走りました。
体を動かすと痛みが走ります。
日曜日には激痛が治まってきたので、
リハビリを兼ねて、大学に出ました。
しかし、長時間椅子に座っているのは辛かったです。

・重要な行事の連続・
今週から来週にかけては、
大学で重要な校務、行事が連続します。
体調が思わしくないので、
いくつかは欠席させていただききました。
しかし、欠席できないものも多く、
だましだまし、やりくしていくつしかありません。
再発だけは避けたいと考えています。

2025年3月13日木曜日

2_227 20億年前からの生物 6:超閉鎖環境

 前回まで紹介してきたように、現在の生物や人為による汚染には、非常に慎重に対処されて進められてきました。着実にステップを踏んで、研究は進められています。20億年前の生物の有無について紹介していきましょう。


 ブッシュベルト火成複合岩体の20億年前の岩石にできた亀裂に生物の有無を調べられてきました。その結果をみていきましょう。まずは、前回紹介したように、現在の生物や人為の汚染をなくした試料を用いています。
 海洋底の岩石で用いた方法でもあったDNAの染色によって、生物の存在を確認し、その細胞から赤外線を用いた分析によって、たんぱく質を検出しています。赤外線分析では、たんぱく質とともに、粘土が存在していることも明らかになっています。つまり、この亀裂には、外部からの汚染ではなく、掘削前から微生物が生きていることが確認されたことになります。
 この結果から、もしこの亀裂ができ、そこに水が入り込み粘土鉱物ができた時、生物が住みついたとすると、その環境がそのまま残っていた可能性がでてきました。海洋底の岩石からは、前に紹介したように1億年前から生き続けている生物の可能性が示されました。ブッシュベルト地域の地層は、20億年前から現在にいたるまで、安定していたところです。ですから、亀裂ができた時期は未確認ですが、亀裂で粘土形成後、生物が住み着いてから、そのまま閉鎖的な環境が維持されていたとすれば、その当時の生物が、生き続けている可能性があります。
 今後、生物の遺伝子解析で、どのような生物なのかを検証していけば、進化のスピードもわかるでしょう。超閉鎖環境になれば、進化が少ないとすると、生物種の生存期間の考え方も改めなければなりません。進化の生物の変異の用いる分子時計などの方法論も、改めなければなりません。
 この研究手法を使えば、40億年前の変動がないところで岩石が採取できれば、生命誕生初期の生きた生物の発見も可能かもしれません。安定した環境が続けば、進化が起こらないとすると、進化の要因として環境が非常に強いことになります。そして、なにより進化とはなにかを再考させる機会にもなりまそうです。
 鈴木さんたちが考えている、この研究に大きな展望があるようです。その実現はかり先になりそうですが、重要なものです。その紹介は、次回としましょう。

・3月はバタバタと・
集中講義が終わりました。
補習が何人かありますが、これで一段落です。
今後、大学では、学位記授与式や
進級者や新入生を迎える準備も進みます。
また、退職のためのセレモニーが続きます。
3月中は、公私ともにバタバタしそうです。
しかし、一番重要なことを忘れないようにしましょう。
もちろん私にとっては研究です。

・最後の教え子たち・
今年で学生を指導をするのが最後になります。
感慨深いものがあります。
退職の時がきた多くの先生たちが
この気持ちを味わうことになるでしょう。
幸い、非常勤講師として
いくつかの講義を担当します。
ただし、自身が所属した学科の専門科目ではなく、
教養科目や他学科の科目なので
学生との接触機会は少なくります。
それもで、授業やその時の出会いがきっかけになり
将来の選択に影響を与えることもあります。
気を抜くことなく、
授業は進めていかなくてはなりませんね。

2025年3月6日木曜日

2_226 20億年前からの生物 5:蛍光微粒子

 古い時代の岩石中での生物の有無は、前回紹介した方法で確認できます。しかし海の岩石は数億年前までしありません。それより古いものは、陸地にありますが、生物や水の汚染を排除するかが問題となってきます。


 前回の報告は、1億0400万年前までの玄武岩で、現在の海洋底で見つかった岩石でした。海底なので水の供給は、比較的簡単にできそうです。ところが、海洋底の岩石は、1億数千万年前くらいまでは遡れますが、それより古いものは入手できません。
 なぜなら、プレートテクトニクスが働いているためです。海洋プレートの岩石は海嶺で形成され、古い海洋プレートは海溝でマントルに沈み込んでいきます。現在の海洋底には、せいぜい1億数千万年前の岩石しか残されていません。地球の歴史45億年、あるいは生命の歴史38億年と比べると、あまりにも短い試料しな手に入りません。
 もっと古い時代の岩石で、生物の検出はできるのでしょうか。
 これまでの研究で、大陸地域で2kmより深い坑道の地層内で、20億年前より古い、10億年より長く、外部から水が入ってくることなく、存在し続けた生物がいることがわかっています。また、地下深部では、原始的な生物が、増殖の速度も遅く、1億年ほど進化することもないこともわかっています。
 このような研究と前回紹介した研究から、新しい時代の水や生物の汚染のない岩石中で生物が見つかったら、これまでの生物進化の時間スケールを考えなおす必要がでてきそうです。
 前回紹介した鈴木さんたちが共同研究され、2024年のMicrobial Ecology(微生物生態学)誌の116巻に
Subsurface Microbial Colonization at Mineral-Filled Veins in 2-Billion-Year-Old Mafic Rock from the Bushveld Igneous Complex, South Africa.
(南アフリカ、ブッシュベルト火成複合岩体からの20億年前の苦鉄質岩中の鉱物が充填された岩脈で地下微生物のコロニー形成)
が報告されました。
 ブッシュベルト火成複合岩体には、太古代の複雑な火成岩類が混在しています。それは過去の島弧が大陸化したもので、地下深部のマントルが上昇して地殻に入り込んでいます。地質は詳しく解明されています。それはこの岩体から金が発見され、ゴールドラッシュになったためです。現在もクロムやプラチナといったレアメタルの鉱山があり、地下の様子もよくわかっています。
 この研究では、500m以上のボーリングを進めて試料を採取しています。現世生物の汚染を排除するため、ボーリングした試料の洗浄、表層の加熱滅菌、真空パックして低温での保存など、いろいろな工夫がされています。
 さらに、ボーリングをする時には、潤滑のために水を使うのですが、その水にも注意を払っています。水には、紫外線に反応する微小な蛍光微粒子(0.25から0.45μm)を大量に入れ、岩石中に微粒子がないことを確認しています。もし紫外線をあてて、微粒子が見つかれば、水による汚染があったとして分析から除外しています。
 ここまで注意を払って、20億年前の岩石の亀裂での生物の有無を調べました。その結果は、次回としましょう。

・最終講義・
先週末に、最終講義を実施しました。
幸い多くの人に来て頂きました。
卒業生も在学生も来てくました。
平日なので卒業生は仕事があり来れませんでしたが、
メールで多数が連絡をくれました。
最終講義では、私がこれまで進めてきた研究の総括ですが、
その詳細は示しませんでした。
主に思索やその変遷を紹介しました。
そして最後には今後の展望などもお話しました。
終わってからも多く人から声をかけていただき
有りがかったかです。

・祭りの後は・
最終講義のあと、本来なら参加者と
歓談の場を設けるべきところなのでしょうが、
設けませんでした。
我が大学ではコロナ禍もあり
最終講義の実施が久しぶりでした。
どの程度の人が来るのか、不明でもありました。
それに平日なのでアナウンスも最小限にしてもらいました。
大学内では、退職する教職員への行事が
有志、学科、学部、大学で
開催していただけることになっていました。
ですからその日は、苦労かけてきた家内とともに
温泉に浸かりながら、のんびりとしようと考えました。
夫婦で温泉に入りごちそうを頂きました。

2025年2月27日木曜日

2_225 20億年前からの生物 4:海洋底の玄武岩

 昔の生物が外部と接することなく、生き続けられる環境とは、どのようなものでしょうか。そこに本当に生物が見つかるのでしょうか。それを調べた一連の研究があります。まずは、1億年前の岩石から紹介していきましょう。


 もともと生物がいない火成岩に生物が住み着き、継続的に住めるには、生存できる環境でき、その環境が持続していかなければなりません。そして、新しい時代になってから、外から生物で入ることなく、試料を手にする時、現在の生物の汚染もないようにしなければなりません。
 まずは生物がいない海に近くの火成岩で、生物が住める環境ができるかどうか、また採取時の汚染がなく試料が入手できるかどうかを、確認しておく必要があります。
 生物が暮らせる環境として、酸素はなくても大丈夫です。地球の酸素自体、生物が作り出したものです。酸素の有無は考えなくてもいいことになります。しかし、水と栄養は不可欠ですが、地球では海があるので、海に接近していれば、常時水が供給可能になります。問題は栄養です。
 そのような場に環境でき、生物が住んでいるのでしょうか。それを調べた研究があります。東大の鈴木庸平たちの共同研究で、イギリスのCommunications Biology誌の2020年の3号に掲載された
Deep microbial proliferation at the basalt interface in 33.5-104 million-year-old oceanic crust
(3350万~1億0400万年前の海洋地殻内の玄武岩界面における深部微生物の増殖)
という論文です。
 この研究では、海水が侵入しやすい海洋底の玄武岩を調べています。ただし掘削する時に、生物汚染が起こる可能性があるので、掘削でできたものではない玄武岩にもともとあった亀裂部分を調べることにしています。
 火成岩に割れ目ができ、そこに水が侵入したところです。水と岩石の長い時間、反応していれば、鉱物が変質していきます。このような水と岩石の反応につていは、以前から多くの研究や合成実験がなされて、さまざまな条件に応じた鉱物ができることがわかっていました。水があれば、粘土鉱物ができることがわかっていました。
 この研究で、玄武岩の亀裂中に水と反応してできた多様な粘土鉱物を見つけ、それらがどのような鉱物かを決め(同定といいます)ていきました。粘土鉱物を栄養にできれば、生物が住むことが可能になります。
 生物のDNAを染色する方法を用いれば、生物の存在を確認することができます。DNAの染色で、岩石の亀裂の粘土鉱物内に微生物が大量に密集していることがわかりました。
 この研究では生物の存在している密度も調べています。粘土を含む亀裂部分の薄片を作って、個々の細胞を見分けられるように、元素組成画像を用いて、細胞の量を調べました。その結果、粘土のあるところには、1cm3当たり100億個の細胞があることがわかってきました。この密度は人間の腸内微生物の密度に相当するとのことです。
 海洋底の深部で、それも3350万年前から1億0400万年前の玄武岩です。マグマが固化して、1000万年以上経過すると、岩石は冷たくなり、熱の供給はありません。ですから、生物が繁殖するには適さない条件ともいえます。そこに大量の生物群が暮らしていくことが明らかになりました。
 この結果を延長して考えると、海洋底は地球の7割ほどの占めています。水と栄養のみが供給される玄武岩中に、上記のような生物がいたとすると、地球全体での総量は非常に膨大だと推定できます。
 ただし、ここまでは、海底という前提での研究です。この研究には、さらに進展があります。それは、次回としましょう。

・排雪の風景・
北海道では、個人の住居では
敷地内での雪の捨て場も限られています。
業者に除雪や排雪を頼む家も多くなっています。
我が家の周りでも、そのようは家庭が増えてきました。
市では除雪はされるのですが
雪を道路脇に寄せていくだけなので
道も狭くなっていきます。
そのため自治会が費用を負担して
地域全体の排雪することが
年に一度おこなわれます。
先週、それが実施されました。
地区ごとに日程が事前に知らされ
大規模な排雪作業がされます。
ブルドーザーで捨てる雪を集め、
排雪車が行列をしたトラックの荷台に
雪を連続的に入れています。
例年、ルート上、我が家は、排雪は最後になります。
窓から、その様子を見ると
なかなか興味深いです。
雪が多い時期は、夜まで作業が続きます。
しかし、今年は雪が少ないので
帰宅前に終わっていました。
これも、北海道の冬の風物詩ですね。

2025年2月20日木曜日

2_224 20億年前からの生物 3:生き続けられる環境

 ある生物だけが生存できる環境が、長く維持されていれば、その生物種は、長い期間生き続けてきたと判定できそうです。そんな環境とは、どのようなものでしょうか。それは、達成できるようなものなのでしょうか。


 化石を用いた種の認定と、化石から見積もる生存期間には、どうしても不確かさが混入してきます。では、どのような方法であれば、そこの確実さが増すでしょうか。
 こんな条件があったなら、どうでしょうか。
 ある時代に誕生した種が、他の種に進化することなく、現在も生きているのなら、その種の継続期間は確実になるのではないでしょうか。例えば、1億万年前の地層があり、そこにある生物が住み着き、同じ環境が保持されれながらも、どの時代にも他の生物の汚染も受けることないとしましょう。その生物種は、1億年間、種が継続してきた期間といえないでしょうか。
 同じ環境が保持されている地層とは、どのようなものが考えられるでしょうか。外部から他の生物によって汚染されない状態で、1億年前の地層の中で、生き続けている生物がいればいいはずです。
 外から生物が入り込まない状態になっている地層とは、地下深部で固化したまま、外部との物質の出入りが最小限で、その物質には他の生物が入りこまない状態のものになります。
 一般に化石が見つかるのは、堆積岩の中です。堆積物中に生物が住み、その堆積物が固化して岩石になったものが、堆積岩です。もし1億年前の堆積物からできている地層があり、地層内に生物いて、現在も生存していれば、生存期間が判定できます。
 ただし、外部からの水の出入りがするとなると、水とともに他の生物が入ってくる可能性もあります。そうなると見つけた生物が、どの時代のものかを判定するのが難しくなります。また、分析する研究者の処理でも、汚染には注意が必要になります。
 同じ環境で保存され、ある時の生物種が維持されている岩石を入手するのも、そもそもその判定をするのも困難です。
 良好な保存状態を持ちうる地層として、マグマが固まった火成岩が考えられます。しかし、マグマ内には生物が住めない環境となります。もともと生物がいない岩石に、なんらかのきっかけで生物が入り込み、その生物種だけが生き続けられる特別な生存環境として維持されたとしたら、困難ですが、上記の条件を達成できそうです。
 では、古い時代の地層の中から、昔から生き続けている生物など、本当に発見できるのでしょうか。それにチャレンジした研究があります。

・次々と終わりが・
先日、今年度後期の成績登録が終わりました。
今月下旬には、次年度のシラバスの締切があります。
それもほぼ入力は終わっています。
年度末の重要な校務書類もあったのですが
それも私の担当分は、ほぼ終わりました。
あとは月末にある最終講義の準備となりますが、
概要は終わっているのであとは
内容の推敲とともに予行と要旨の作成となります。

・退職後のテーマ・
先日、退職後の研究テーマについて
整理することにしました。
これまで、南方熊楠やソクラテス、プラトン、デカルトなど、
気になる人物の思想をフォローして
気になるところを少し読んでいました。
それは現在までの研究の
延長線上で進めてきたものです。
今後のテーマも考えていたのですが、
なんのために熊楠や哲学を読むのかを
少し落ち着いて考えていくことにしました。
そのテーマは、どれくらいの規模になり、
どれくらいの期間になるのか、
アウトプットをどうするのかなど
少し整理しながら考えていこうしています。

2025年2月13日木曜日

2_223 20億年前からの生物 2:種の継続期間

 個体の寿命から種の寿命の話になります。種の寿命とは、その種が継続してきた期間を意味します。ではその種の継続期間は、どのように定義して、その定義はどの程度確かなのでしょうか。


 個々の生物の寿命を見てきましたが、生物の多様性を考えると、「寿命」という概念が、必ずしも適用できない種類もあることもわかってきました。では、生物「種」としての寿命は、どう調べればいいのか考えていきましょう。
 種の寿命とは、ある「種」から別の「種」として分化した時が、種の誕生となります。そこから種の寿命がスタートしてから、種がすべていなくなる時(絶滅)までの期間が、種の寿命となります。種の誕生の前と絶滅の後は、種は「不在」となります。不在の証明は難しいものとなりますが、絶滅の判定については定義があります。現生の生物種においては、信頼できる調査によって一定期間(50年間)、生存が確認されない場合を「絶滅」としています。
 ただしこれは、人為的定義によるもので、その種が本当に「不在」となったかどうかの判定ができるものではありません。なぜなら不在の証明は、論理的に不能だからです。一方、種が継続、あるいは生存している証拠は、簡単に示すことができます。その種の個体がひとつでも確認できれば証明できます。有名な例として、シーラカンスがあります。
 シーラカンス(目という大きな分類群レベル)は、古生代から中生代まで生存していことが化石からわかっています。しかし、中生代(白亜紀)と新生代(古第三紀)の境界(K-Pg境界と呼ばれています)以降、化石が見つかっていないので、絶滅していたと考えられていました。ところが、生きているシーラカンスが見つかりました。化石と現生の種の間で、形態的な差異がほとんどないことから、同じ種だとされました。
 長期間、化石が見つからなかったので定義に基づき絶滅と判断しされたのですが、生きている種が見つかったことで、生存期間が一気に6500万年も延長されました。6500万年間も化石が見つからないという不思議は残されていますが、生存の証拠が優先されます。
 種の出現はどのように判定するのでしょうか。種の誕生は、過去の出来事になるため、多くの場合「化石」で、新種と認定された時が、「出現」となります。それは古生物学的手法によって、それまでにない種の化石が見つかったとき、新種の出現と判断されます。少数の化石では、生存の証拠にはできますが、新種の出現とするのは困難です。なぜなら、その化石が、最初の種の誕生の化石とはいえないからです。
 生存期間の判別には、目的の種の化石が、大量にそして連続した多数の地層から見つかるような条件が必要です。そのような条件を満たするのは、深海底に堆積したプランクトン化石の集合物となっている珪質粘土や、それが陸地に持ち上げられた層状チャートがあります。
 ところが、一般の地層で、長期間に渡って、そのような条件を満たす地層は、あまりありません。ある種の化石が見つかり、別の場所の別の時代の地層で似た種の化石が見つかったとしても、全期間を示していないし、種の連続性も保証されないことにもなります。
 化石の同種の認定は、形態の特徴が似ていることを前提としています。化石は、生物の一部で、岩石中に残された部分(骨、歯、種子、葉など)や痕跡(体の一部の印象、形態、別の物質に置き換わったものなど)になっています。そのため不完全な部分同士で、同種として認定していくことになり、その判断は困難でしょう。その上、時代をまたいだり、あるいは地域を超えて同種の判断は、信頼性が落ちていきます。
 他にいい方法はないでしょうか。次回としましょう。

・老人力・
出張時には、レシート類を2日分を紛失しました。
あちこち探し、ホテルにも問い合わせたのですが、
結局は行方不明となりました。
ところが、提出すべき領収書が
財布に入れていたのを失念していました。
かろうじて事なきを得ました。
このようは加齢による能力の変化を
赤瀬川原平が「老人力」と呼びました。
少し前にその本を読み直しました。
耄碌(もうろく)などといわず、「老人力が増した」と
プラス思考で考えていく姿勢がいいですね。
幸い、妻も老人力が増しているので
お互い様となっています。

・年度の混在・
後期の成績評価を提出しました。
研究費で購入した備品類を返却作業や
パソコンの初期化などを進めて
大半を返却しました。
また、初期化できないものと、
大学のSEの人に頼んだものが残っています。
講義で使う消耗品類も次の担当者に託しました。
校務の報告書の提出も今週締切です。
次々と今年度の業務が終わっていきます。
先週は入試に関する出張がありました。
今月中に次年度の講義シラバスの締切りもきます。
これらは、次年度に関わる業務です。
今年度と次年度が混在している時期です。

2025年2月6日木曜日

2_222 20億年前からの生物 1:生物の寿命

 まず生物の寿命について考えていきます。人間や動物などを基準にすると、寿命というは当たり前の概念です。しかし、多様な生物に寿命という概念をあてはめようすると、一筋縄ではいかないことがわかってきます。


 生物として、どれくらい生きられるのでしょうか。一個体として、寿命はどれくらいあるのでしょうか。生物種ごとによっても、同じ種でも置かれている環境や条件によって、寿命の長さは異なってくるはずです。
 人類でも、その寿命は大きく変化してきました。幸若舞の「敦盛」(あつもり)では「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」とうたわれています。当時、50年ほどが日本人の寿命だと考えられていました。ところが、厚生労働省の2023年の簡易生命表によりますと、日本人の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳となっています。日本では、「人生100年時代」といわれるようになりましたが、まだまだ100年には及びませんが、80歳以上となり50歳よりは大幅に伸びています。
 人類の寿命より長い哺乳類もたくさんいます。体の大きなゾウやクジラは長寿命で知られていますが、体の小さいネズミなどは短くなっています。一説によると、一生の心臓の鼓動数は、それぞれの生物種において大差がないと考えれるようです。ただし、人類だけが例外で、鼓動数の割に長生きとなるようです。
 哺乳類でない動物であれば、ゾウガメやシーラカンス、大型のカニなどは長生きします。昆虫のように1年に満たないものもいます。
 植物でも、数1000年の寿命をもった屋久杉やレバノン杉もある一方、毎年生え変わるヒマワリやアサガオなどもあります。
 微生物の単細胞生物の寿命は、少々ややこしくなります。細胞分裂によって、短期間に増えていきます。一つ個体が2つに分かれていくので、そこには親子関係がなく、個体の寿命という概念の適用が難しくなります。
 中には、現在生活している環境が悪化すると、生物としての活動を低下させエネルギー消費を抑えたり、完全に停止してエネルギーを使わない状態、仮死状態になる生物もいます。植物の種子は、長期間保存しても、条件が整えば発芽して植物としての活動を再開できます。
 そのよう多様なタイプの生物の寿命は、どう見積もればいいのでしょうか。人間や哺乳類などを基準にした寿命という概念は、わかりやすいのですが、多様な生物に広げていくと、判断に迷うものできてきます。

・難しい判断・
今回紹介する一連の論文は、
なかなかおもしろい挑戦だと思います。
しかし、その処理についても、
処理した結果の判断についても、
慎重にならなければなりません。
なぜなら、非常に困難な条件を
いくつもクリアしなければらならないからです。
その判断においても、いくつかも前提を
設ける必要もありそうです。

・大荒れの天気・
今週は校務で2泊3日の出張となりました。
2日間の夜を、地元の魚介類を出してくれる店で
担当者一同で美味しい夕食を摂りました。
ところが、十勝周辺は豪雪となり
交通機関の運休、道路の通行止め
学校の休校などがありました。
それらの地域への校務出張のグループは
大変な状況となりまし。
幸い私たちは順調に校務も帰還もできました。

2025年1月30日木曜日

1_227 過去のプレートテクトニクス 7:砕屑性ジルコン

 プレートテクトニクスのはじまりの直接的証拠があったのは39.5億年前でした。次に、間接的証拠を見ていきましょうた。それは、どのようなもので、直接的証拠より前の時代まで遡れるのでしょうか。


 プレートテクトニクスの年代は、太古代のはじまりの39.5億年前まで遡れることがわかってきました。この時代以降は、各地で岩石が見つかっています。これ以前の冥王代になると岩石は見つかっていません。
 岩石ではなければ、冥王代の物質が見つかっています。それは、冥王代のより後の時代となる太古代に形成された地層の中に見つかる砂粒となっている鉱物です。現在では、ミクロンサイズの鉱物でも、年代測定が可能になってきたことから、冥王代の年代であることが判明しました。
 ただし、年代測定が可能になるには、それなりの条件が必要です。その鉱物が、侵食・運搬作用でも壊れることなく、変質・変成作用などによって成分が移動しないものでなければなりません。そして、年代を示す放射性元素(主にはウランU)を多く含んでいることが必要条件です。また、放射性元素の生成元素(Uだと鉛Pb)を、あまり含んでいない鉱物の方が、精度良く年代を測定することができます。
 そのような条件を満たす鉱物としてジルコンがあります。堆積物となっているので砕屑性ジルコンと呼ばれています。
 もっと古い時代の砕屑性ジルコンが、西オーストラリアのナリアのジャックヒルズ礫岩から、見つかっています。地層ができたのは、約30億年前の太古代中期ですが、その礫岩層から43億年前の砕屑性ジルコンが見つかっています。非常に有名になったので、多くの研究者が、いろいろな方法で多数の年代測定をしてきたので、この年代は確定していると考えられます。
 ジルコンの化学組成はZrSiO4となり、二酸化ケイ素が多いマグマから形成されています。そのような二酸化ケイ素の多いマグマは、酸性マグマと呼ばれ、大陸を構成している花崗岩をつくります。ですから、ジルコンの存在は、花崗岩、つまり大陸地殻の存在を推定させます。大陸地殻は島弧で形成されていきます。
 さらに、砕屑性ジルコンの化学組成(希土類元素のパターン)、結晶の中に含まれている包有物の酸素同位体や形成温度の推定などを調べることで、島弧の下で起こっている火成作用に由来している可能性が指摘されています。島弧は、海洋プレートの沈み込みによって形成される地質場なので、島弧の存在が証明されれば、プレートテクトニクスがあったことになります。
 以上のことから、プレートテクトニクスは、直接的証拠(火成岩)からは39.5億年前には営まれており、間接的証拠(砕屑性ジルコン)からは43億年前まで遡れそうになりました。プレートテクトニクスと島弧の形成には、海洋が存在しなければなりません。そうなると、海の存在は43億年前より古いはずです。地球は、45億年前にできたのですが、海ができればプレートテクトニクスもはじまるということになりそうですね。

・後期授業の終了・
今年後期の講義もすべて終わりました。
あとは定期試験と採点評価がありますが、
とりあえずは一段落の感があります。
大学の専任教員としては、最後の講義となります。
来年度は非常勤講師として
いくつかの科目を担当しますが、
退職後となると、気分は異なりそうです。
来年度の講義の作成をしています。

・時間を買う・
急用で帰省しました。
航空チケットもホテルも
正規料金でとることになりました。
いつもは早くから格安価格の探して
移動や宿泊しているので
予想以上の高額となったので驚きます。
現在のように格安やパックツアばかりを利用していると
通常の正規料金は驚きますね。
どうしても必要な時、
お金には換算できない時間を
買ったと思えばいいのでしょうね。

2025年1月23日木曜日

1_226 過去のプレートテクトニクス 6:最古の痕跡

 今回とりあげた論文は、プレートテクトニクスが33億年前まで遡れそうだという報告でした。それが最古でしょうか。もっと古い時代の痕跡はあるのでしょうか。もしあるとすれば、どのようなものでしょうか。


 前回までのエッセイでは、32.7億年前の特殊な火山岩から沈み込んだ海洋プレートの痕跡が見つかったこと、そこから以前にプレートテクトニクスがあったと推定した論文を紹介してきました。
 では、33億年前がプレートテクトニクスのはじまりでしょうか。これより古い証拠がなければ、33億年前が最古になります。過去のプレートテクトニクスの痕跡は、このシリーズの最初にも紹介したように、海洋プレートが沈み込む場で必然的に起こる地質現象がありました。沈み込み帯でみられるプレートテクトニクスの痕跡をおさらいしておきましょう。
 海洋プレート層序の破片のオフィオライト、沈み込みの圧縮の力で陸側に形成される堆積物の付加体やデュープレックス構造、沈み込んだ海洋プレートが低温高圧型の変成作用でできた青色片岩などを挙げました。
 それぞれの最古の年代がどれくらいになるでしょうか。いくつか見ていきましょう。順番は前後しますが、青色片岩からいきましょう。
 青色片岩の年代として、10億年前以降の新しいものしか見つからないので、それ以前にはプレートテクトニクスは作用していないと考えられていました。ところが、その後の研究で、古い時代は青色片岩は形成されないことがわかってきました。マントルの温度が現在よりも高かったはずなので、想定される高温条件では、現在よりずっと浅いところで海洋プレートが溶けてしまいます。青色片岩ができる条件に達する前に、マグマができてしまいます。青色片岩が新しい時代のものしかないのは、それが原因だと考えられます。ですから、最古の青色片岩の年代がプレートテクトニクスの年代とはならないことになります。
 グリーンランドのイスアには、38.0億年前のいろいろな岩石が分布しています。イスアには、38億年前の島弧から大陸の破片が分布しています。大陸を構成していた花崗岩、また島弧を構成していた付加体の岩石、海洋プレートを構成していたオフィオライトも見つかっています。38億年前がプレートテクトニクスが起こっていたことが、かなり以前から判明していました。
 同じような地質体が、カナダのラブラドールにもあります。そこでは、39.5億年前の海洋プレート層序とデュープレックス構造が見つかっています。
 紹介した論文の33億年前のプレートテクトニクスは、最古ではありません。しかしこの論文の重要性は、まったく異なったアプローチ(独立した根拠)で、プレートテクトニクスの根拠が示されてたことになります。限られた岩石しかない時に、この方法論が利用できるかもしれません。
 以上のことから、プレートテクトニクスの証拠となる年代は、39.5億年前まで遡れると考えられます。ここまでは、直接的な証拠になっています。現在見つかっている最古の岩石は、40億年前までなので、プレートテクトニクスのはじまりの探求はここまです。
 これより前の時代にへ、証拠をもとに検証することがここまでしょう。実は、もう少し遡れる可能性があります。次回としましょう。

・共通テスト・
先週末に大学入学共通テストが実施されました。
各地の大学が会場になりました。
我が大学も会場になっており
監督官をしました。
全国の受験生が同じ条件で受けられるように
実施会場の大学では非常に細かく指示されています。
大変ですが、仕方がありません。
この共通テストの業務も今年が最後になります。

・卒業研究・
今週、卒業研究の発表会が実施されます。
4年生にとっては、
もっとも重要な最後の講義になるかと思います。
このメールマガジンは、
発表会前に配信をしているので、
その様子は、まだ体験していません。
すべての人が緊張しているでしょうが
多分、全員無事に終わっていることでしょう。

2025年1月16日木曜日

1_225 過去のプレートテクトニクス 5:海洋プレート由来

 今回取り上げた論文のタイトルで示された内容とその意味が、やっと明らかになります。そこから、その当時にプレートテクトニクスが営まれていたことが、わかってきました。これだけが最古の痕跡なのでしょうか。


 前回紹介したように、32.7億年前のコマチアイト中のカンラン石の酸素同位体組成と元素組成を調べられました。その結果、カンラン石には、2つのグループがあることがわかってきました。もちろん、カンラン石は、変成や変質を受けていない、マグマから結晶化したままのものを使用しています。
 ひとつ(グループ I)はマントルと同じような酸素同位体組成(18Oの比率が大きい:重い)とカンラン石の組成(マグネシムの含有量が多い)でした。これは、マントル物質が溶融してでできたと考えていいものでした。もうひと(グループ II)つは、酸素同位体組成が低く(18Oの比率が小さい:軽い)、マグネシウムの少ないカンラン石の組成となりました。
 2つのグループで、カンラン石のマグネシウム量は異なっていますが、マントルのカンラン岩からできるマグマの多様性の範囲にはなっています。ですから、両グループともマントルでできたマグマであることは確かですが、異なったマントル物質に由来することになります。
 問題は、この低い酸素同位体組成やマグネシムの少ないカンラン石は、どのようなマントルであったかです。
 酸素同位体組成は、マントルのカンラン岩より水(海水)の方が軽く(18Oの比率が小さい)なります。つまり、海水の影響を受けたマントルがあり、そこから由来したマグマがグループ IIのコマチアイトだということになります。
 海水の影響を受けたマントルは、海底で海水の影響を受けた海洋プレートの中のカンラン岩だと考えられます。ただし、それがマントル内の溶融する条件(マントルのあるような深部の条件)に置かれていたことになります。
 沈み込んだ海洋プレートは低温なので、溶融しにくいため、マントル内にしばらく置かれ温度が上がらばければなりません。欧陽たちは、マントル遷移層に沈み込んだ海洋プレートがしばらく滞留したものだったと考えました。コマチアイトマグマよりかなり以前に沈み込んだ海洋プレートに由来するマントル物質が、このグループ IIの起源になったことになります。
 以上のことから、欧陽たちは、32.7億年前のコマチアイトに海洋プレート由来のものがあることから、「oceanic crust subduction before 3.3 billion years ago(33億年前より前の海洋地殻の沈み込みを明らかにした)」というタイトルを付けたのです。
 少々回りくどい説明をしてきましたが、これが論文のタイトルの意味と地質学的意義です。論文では33億年前以前ということにしていますが、このシリーズで前に述べたように、他にも沈み込み帯の証拠も挙げていました。そこからもっと古い痕跡があるかもしません。それは次回としましょう。

・連続する行事・
正月が明けて、先週から講義がはじまり
大きな行事もひとつ無事に終わりました。
一段落としたいところですが
1月は大学共通テスト、卒業研究発表会、
定期試験と採点評価、そして2月の入試
次年度の講義のシラバス作成など
つぎつぎと校務や行事があります。
講義終了後もなかなか落ち着かないです。

・老後の研究テーマ・
研究の方は順調に終盤を迎えています。
予定していた論文のすべて投稿が終わり
現在校正がつぎつぎと入っていますが
こちらは一段落です。
現在は、退職後の研究テーマに関する
準備を少しずつ進めています。
これまでの延長線にはあるのですが
なかなか手ごわいテーマになりそうです。
手強いほど、老後の楽しみとして
長く続けらそうなので期待できます。

2025年1月9日木曜日

1_224 過去のプレートテクトニクス 4:酸素同位体組成

 今回の論文紹介に、なかなか入っていけないのですが、もうひとつ酸素同位体組成の意味を知っておく必要があります。このような基礎知識から、地質学の多くの成果を知ることができます。もう少しお付き合いください。


 欧陽たちは、太古代(33億年前)にのみに産するカンラン岩質のコマチアイトの溶岩を用いて、化学分析をしてきました。分析した結果が、「軽い酸素同位体組成」というものでした。論文のタイトルも難しい内容になっています。酸素の同位体組成はどうのようなもので、そしてそれが軽いとは、どんな意味があるのでしょうか。説明していきましょう。
 原子には水素の1からはじまる原子番号があります。原子番号とは陽子の数に相当します。陽子の数が、元素の性質を決めています。原子核には陽子の他にも中性子もあり、陽子と合わせたものを質量数といいます。一つの原子(同じ陽子の数)においても、中性子の数が異なったものがあり、それを同位体と呼びます。中性子の数が異なった同位体がいく種類ある元素もあり、その違いを利用し、物質の特徴や由来を調べていけることもあります。
 酸素原子は、原子番号が8で、陽子が8個あります。酸素の同位体には質量数が、16(中性子が8個)、17、18のものが安定に存在しています。酸素は質量数16のもの(16O)は99.759%(原子比率 atom%)になり、17Oは0.037%、18Oは0.204%となっています。それらの比率を同位体組成といいます。
 酸素の同位体は、元素としての挙動は同じですが、状態変化や温度変化に応じて、質量数に応じて少し比率が変わることがあります。このような変化を「同位体分別」といいます。
 上で示した同位体組成は大気中のものです。18Oの同位体組成で見ていくと、海水は0.1995%となっています。これは、水分子(H2O)では軽い16Oを多く含んでいることを意味します。また水が蒸発する時、18Oを含んだ水より、16Oを含んだものより蒸発しにくいので、同位体分別が起こり軽くなっていきます。雨となり陸上に降った淡水や、雪や氷で極地で氷床となった18Oの同位体組成は、0.1981%という小さい値になっていきます。
 極地の氷の18Oの比率が大きく(重く)なるということは、寒冷化により氷床が発達していくと、海水の16O比率が大きく(軽く)なっていきます。このような性質を利用して、氷床から当時の気候変動や、海底の堆積物中の微化石の殻の成分(炭酸カルシウムCaCO3)から海水温の変化などを探ることができます。
 論文では、コマチアイト中のかんらん石((Mg,Fe)2SiO2)の酸素同位体組成と元素組成を調べています。その結果、かんらん石には、2つのグループがあることがわかってきました。その詳細は次回としましょう。

・我が家の正月・
わが町は、暮れには積雪がありましたが、
それほど多くの降雪もなく、
正月には、冷え込みはありましたが、
穏やかに、明けていきました。
元旦は一日、のんびりと夫婦とも自宅で過ごしていました。
家内は、いつもと同様に家事をしていたので、
正月気分が味わえないといっていましたが。
ニ日は、幸い快晴だったので初詣にいきました。
次男が元日夜に帰省していたので、
家内は買い物にでました。
三日は、次男も同窓会があると夜は出かけたので
家内も自宅でのんびりとしていました。
正月中は次男が帰省していたので
家内の仕事は増えていましたが。

・正月明けは・
昨年の暮れに、締め切りのある仕事を
大半、片付けてしまったので
正月はのんびりと過ごせました。
正月番組を見たり、録画して見ていなかったものなどを
少しずつ消化しました。
本を入れ込んだけの自宅の書斎も
未整理だったので、それを進めたり
などとりとめのない日々を
のんびりと過ごしました。
正月明けの4日からは、通常モードで、
大学で仕事はじめとしました。

2025年1月2日木曜日

1_223 過去のプレートテクトニクス 3:コマチアイト

 明けまして、おめでとうございます。本年も、地球や地質に関する話題を、淡々と紹介していきます。今回の話題は、昨年からの続きとなる過去のプレートテクトニクスの痕跡の探求のシリーズとなります。

 地球と環境の通信誌(Communications Earth & Environment)の2024年5巻に中国科学院の欧陽(Dongjian Ouyang)と共同研究者が、
Light oxygen isotopic composition in deep mantle reveals oceanic crust subduction before 3.3 billion years ago
(マントル深部の軽い酸素同位体組成から33億年前より前の海洋地殻の沈み込みを明らかにした)
というタイトルの論文を発表しました。この論文の意義は、いくつかの説明を経て理解していく必要があります。順番に説明していきましょう。
 アフリカ南部に、バーバートンという地域があります。ここには、太古代の岩石が分布していることで有名です。
 バーバートンには、緑色岩帯(グリーンストーン帯)と呼ばれる地帯があります。世界各地の緑色岩帯の多くは、海洋地殻が陸に持ち上げられたオフィオライトであったことがわかってきました。ただし、もともと列島(島弧と呼ばれます)の火山岩類や複雑な地帯の岩石も含んでいることもあります。オフィオライトの玄武岩類が、変成作用を受けると緑色のなっていることから、古くから緑色岩類と呼ばれてきました。緑色岩類が分布している地域を、緑色岩帯と呼ばれ、現在でもその名称が残っているところがいくつもあります。
 今回、分析された岩石は、緑色岩帯中のウェルテヴレーデン(Weltevreden)層の溶岩ですが、通常のオフィオライトの溶岩ではなく、コマチアイトと呼ばれる変わったものでした。
 コマチアイトは、特異な化学組成を持っており、マントルのカンラン岩に似たマグネシウム(Mg)の含有量(18重量%程度)を持っています。このようなマグマで現在は活動していません。主に太古代にだけ活動していた特異なマグマです。マグネシウムの多いマグマをマントルでつくるためには、高温(1600℃)で、マントルのカンラン岩を多く溶かして(45%ほど)いく必要ががあります。そのような高温の条件が今ではないため、マントルが熱かった時代の火山活動になります。
 このコマチアイトの年代は、太古代(40億から25億年前)の前半の32.7億年前となります。ところが、論文タイトルでは「33億年前より以前」というのは、コマチアイトの年代よりものが想定されるとという意味になります。古い海洋地殻の沈み込みの痕跡が、コマチアイトのマグマをもたらしたマントルで見つかったという報告になります。マグマが由来する岩石は、すでにできていた岩石になるので、32.7億年前より古いものになります。
 では、それはどのよう痕跡に基づくものだったのでしょうか。次回としましょう。

・年のはじめに・
月初めは、地球地学紀行にしてきましたが、
新年なので、めでたい地域での話題にしたかったのですが、
思いつきませんでした。
新年ですが、昨年から続きのシリーズを
淡々と紹介することにしました。
この論文を理解するには、
地質学の前提となる知識が
いくつも必要になるややこしいものです。
新しい知見が含まれているので、
詳しく紹介していくことにしました。
ただし、このシリーズでは、論文より先へと
もっと展開していきます。

・いつものように・
正月の三ヶ日以外、
仕事納めから仕事初めの間も
大学で仕事をしています。
いつものことなのでこれはいいのですが
今年は、年初からいろいろと
締切のある校務を
多数、抱えています。
今年の3月に退職するための校務も
そこに加わっているめた多くなっています。
優先順、締切順にこなしていきます。