2006年4月20日木曜日

2_47 生物の分類6:分類から進化へ

 生物の分類のシリーズが、今回で終わりです。当初3回ほどの予定をしていたのですが、6回にもなってしまいました。まだ述べ足りない気もしますが・・・。最後は、分類から進化の解明への道をみていきましょう。

 現在、生物の分類では、前回紹介した分子系統学と、もう一つの主流である分岐分類学というものがあります。
 系統学とは、生物間の類縁関係から、進化の道筋を探ろうとする学問です。その主流が生体分子を利用した分子系統学です。分析した分子を比較し、統計処理したものを分かりやすく示したものが、系統樹とよばれるものです。
 もう一つの主流である分岐分類学とは、生物の種は、ひとつの祖先からの分かれたものだとみなして、進化の過程をおいかけるものです。そのために類縁関係を積極的に類推する考え方を用いています。
 分岐分類学で種を比べるときは、共通の特徴を見つけていきます。たくさんの特徴がありますから、どの特徴に注目するかが問題です。そこに研究者ごとに違った主観が入ってはいけません。分岐分類学では、共通する特徴がどれくらい祖先まで遡れるかを目安にします。
 遠い祖先と共通する特徴(共有原始形質)と、祖先にはなく分岐した種だけが共通してもつ特徴(共有派生形質)を見分けていきます。そして、共有派生形質から、分かれた(分岐した)時期を考えていくのが手法となります。
 共有派生形質を持つものは、近いグループになり、その共有派生形質が誕生したときが、祖先から分かれた時となります。そのような作業を多くの種で繰りかえしていくと、枝わかれを図で示すことができます。この図を分岐図と呼んでいます。
 しかし、どれを共有派生形質に選択するかには、主観が入る余地があります。その主観を排除するために、多数の共有派生形質を求め、もっとも矛盾の少ない分岐図をコンピュータに描かせるという方法が取られています。これによって主観が入るという弱点をカバーしています。
 このシリーズで述べてきた生物の分類するために各種の方法を用いて、12カ国の200人におよぶ科学者たちが、5年間にわたる研究をして、1999年8月4日にその成果を発表しました。
 それは植物に関する研究でした。その結果は、植物は1つのグループ(界という分類)ではなく、3つに分けるべきだというものでした。植物は、緑色植物、赤色植物、褐色植物の3つに分けられるというもののです。
 そしてもうひとつ重要な成果がありました。それは、植物の陸上進出への歴史がわかってきたのです。
 以前は、海水に生息する単細胞の緑色植物が陸上へ進出したと考えられてきました。ところが、研究の結果、緑色植物は何度も地上に進出してきたのですが、最終的に現在の地上植物の祖先となったのは、淡水で多細胞生物に進化し、4億5000万年以上前に、地上へとして進出してきたというものです。
 このシリーズでも示してきたように、生物の進化を探る方法は、いろいろ進歩してきました。もちろん、まだまだ進歩の余地もあるでしょう。しかし、生物の進化には、いまだに分からないことがたくさんあります。進化に関する科学は進んでいるので、生物の進化のプロセス(歴史)は着実に解明されていくことでしょう。もちろん、過去の生物の資料は化石に頼るしかありません。化石は気まぐれにしか出てきません。ですから、過去の記録は断片です。それでも、ジグソーパズルを解くように研究は着実に進んでいくことでしょう。

・分ける・
長く続いた生物の分類のシリーズも、今回で終わりです。
もの(ここでは生物)を分けるということは、
人は当たり前のこととしてやってきました。
そして分けたものには名前をつけます。
これも当たり前のこととしてやっています。
分けるときには、似たものがあれば、同じか違うか、
違うにしても何が違い、似ているところはどこか
ということを考えていくはずです。
分けるとは、人に備わった生来的な能力なのかもしれません。
分類学とそこで分けられたものは、そんな能力の結晶ともいえます。
しかし、対象物のによって、その分け方はの流儀は違います。
流儀は違っても分ける方法のよしあしは、
だれでも、いつでも、どこでやっても、同じ分け方になることです。
そんなものを目指して、日夜、人は分け続けているのです。

・フキノトウ・
私の住む町では、雪はほとんど融けました。
もちろん軒下や除雪によってできた雪山は、
まだ雪が残っていますが、道路、畑などはあらかた融けました。
雪が融けるとすぐに、フキノトウが芽吹きます。
その成長スピードは早く、
一日で葉の影から全身が見えるほど伸びます。
最初のかわいいのですが、畑の畦一面に生えていき、
最終的には人の背丈を越える大きさまでに成長します。
そこまで大きくなると、恐ろしさを感じるほどです。
でも、まだかわいいものですし、
春を告げるかのような淡い緑は目に新鮮です。
こんな時、春という季節のありがたさを感じています。