2006年12月14日木曜日

2_52 生命の起源5:生命をつくる

(2006.12.14)
 前回、生命の合成における歴史的なミラーの実験の話をしました。今回は、その後の話をしましょう。

 ミラーによる生命誕生に迫る最初の合成実験は、学界に大きな刺激を与えました。研究者は、その後、さまざまな条件を考えて、合成実験を行っていきました。さまざまなの条件とは、原始地球であったであろう環境で、生命が誕生しそうなもののことです。まだ、どこで誕生したのか、どのようにして誕生したのかもわからない生命ですが、それを実験的に探れる可能性がでてきたのです。その重要性は、多くの研究者が理解し、そしてその研究に魅了されました。
 まず、大気についてです。かつては原始大気は還元的(メタン、アンモニア、水素)であったと考えられていたのですが、近年では酸化的(二酸化炭素、窒素、水蒸気)なものと考えられるようになってきました。ですから、ミラーの大気の条件を変更して、いろいろな合成実験がなされました。
 何も大気中だけが、生命の材料の合成の場でなかったはずです。海洋や地殻の環境でも、どこでも合成がおこっていもいいはずです。合成実験では、深海熱水噴出口、火山、干潟なども候補として、それらの環境を模した実験がされました。
 化学合成のためのエネルギーとして、ミラーの雷の他に、当時の地球表面にあったと考えられるものであれば、何でもいいわけです。激しい火山活動、激しい干満の差、熱水、放射線(紫外線、宇宙線など)、衝撃波(隕石の衝突で起こる)などが考えられました。
 このようないろいろな条件(材料やエネルギー、環境)を想定して、多数の実験がされてきました。その結果、どのような生命の材料、エネルギー、環境を想定しても、条件さえうまく調整すれば、生命に必要な素材は、大抵合成できることがわかってきました。また、生命の入れ物(細胞膜)になるような物質の合成実験も成功しています。完全とはいいませんが、生命の素材として必要なものの多くが、そろってくるようになってきました。
 現在のところ実験室では、まだ完全な生命体はつくられていません。しかし、いいところまでいっています。生命合成は、純粋に科学的興味によって行われています。
 しかし、もし、本当に生命合成ができるようなったとしたら、さまざまな問題が発生する可能性があります。例えば、
・その合成生物は、地球生物全体にとって脅威はないのか
・人に有害とならないのか
・人が生命を創ることに問題はないのか
・このような実験に社会的に合意が得られているのか
・緊急事態の対処は可能なのか
などなど、いろいろ解決しておかなければならないことがあります。
 生命誕生の条件や環境探しだけの実験なら問題がないのですが、合成実験は明らかに生命合成を目指しています。まだ、生命合成の実験には成功していませんが、生命を試験管の中で合成できる可能性があるのであれば、生命に関する倫理や、検疫、隔離などの安全対策を考えておくべきでしょう。そんな時期はもう近いのかもしれません。

・科学者の倫理・
クローン羊ドリーの研究が発表されたときは、
多くの科学者が衝撃を受けました。
そして、それをマネ、引き継いだ実験が行われました。
その時、倫理の問題が生じました。
他にも、人細胞のクローン実験、臓器移植など、
科学が先行しすぎて、人間の心の問題が後追いで
議論されることがありました。
今までの倫理の問題は、人間の心の問題ですみました。
しかし、新しい生命の合成実験の成功は、
今まで地球生物にはないタイプの微生物かもしれません。
もし、それが実験室から流れ出て、自然界に入ったら、
一種の病原菌のような働きをするかもしれません。
現在の地球生態系に大きなダメージを与えるかもしれません。
そうなると、取り返しがつかなくなるかもしれません。
気づいたときには、手遅れということもありえます。
現状の実験がどの段階であっても、
生命合成が一気に完成する条件で、
だれかが実験をしているかもしれません。
そもそもこの研究の目的がそうであったはずです。
だから、新生命がいつ誕生しても不思議ではないのです。
そんなときに備えておかなければなりません。
それを一番知っている科学者が、倫理的な問題を、
もっと真剣に考える時期に、もうなっているのかもしれません。

・エルニーニョ・
昨日(12月12日)は、今まで冷え込みが緩み、暖かくなり雨が降りました。
積もった雪も大部溶けましたが、まだまだ道路以外は雪だらけです。
このように北海道の平年より早い雪、
どうもエルニーニョが発生したようです。
季節は巡ります。
巡る季節にも年毎に変化があり、長期的な変動があります。
エルニーニョはめぐる季節変動の最大のものです。
人は、日々の天気の変動に一喜一憂しながらも、
季節の変化を感じていきます。
その年の季節が平年と違うこと、
その違いにも数年の周期があることを、なんとなく感じてしまいます。
そんな人間や生命の能力は、いったいいつどこで手に入れたのでしょうか。
少なくとも誕生間もない生物にはなかったはずです。