2026年6月25日木曜日

2_230 アスガルド古細菌 1:ドメイン

 アスガルド古細菌(Asgard archaeon)という種類の生物がいます。近年、注目され、研究も進んできました。最新研究の紹介をする前に、まずは、古細菌とは区分を見ていましょう。


 私たち人類は、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)という生物種に分類されます。この名前の付け方は、リンネが提唱した生物学の分類では共通の方法となっていて、属名(属名の頭文字は大文字)・種小名(すべて小文字)で書くことになります。印刷物ではイタリック体(斜体)で表記されます。ですから、Homo sapiensは、ホモが属名、サピエンスが種小名で、合わせて種名となります。
 属から上の分類体系をヒトを例にしてみていきましょう。ホモ属(Hom)、ヒト科(Hominidae)、霊長目(Primate)、哺乳綱(Mammalia)、脊椎動物亜門(Vertebrata)、脊索動物門(Chordata)、動物界(Animalia)となります。
 最後の界は、動物界、植物界、菌界、原生生物界、モネラ界(原核生物界)の5つに分けられています。ところが、最近では、さらに上の分類体系としてドメインが設けられてきました。5界のうち、モネラ界以外の4つは、すべて真核生物で、モネラ界は原核生物となります。
 真核生物とは、DNAが核の中に幕(核膜)で囲まれて、まとめられています。原核生物は、DNAが細胞全体にあります。これの違いに伴って、細胞が分裂する時、真核生物は、細胞だけでなく核も分裂(有糸分裂)していきます。また雌雄がある真核生物では、DNAが半分になって分裂(減数分裂)していきます。これ以外の違いとして、真核生物は、大きくなり、細胞内に各種の小器官(ミトコンドリア・小胞体・ゴルジ体など)が多数あります。ですから、4界ごとの違いよりも、モネラ界との違いが大きいことになります。
 界までの分類は、形態などの類似性で分類されていたのですが、微小な生物を観察分析できる分子生物学の発展により、より詳しく分類できる可能性ができてました。そこから、モネラ界も、細菌と古細菌に区分できることがわかってきました。
 遺伝子レベルで分類を考える分野が生まれました。1977年、カール・ウーズが、RNA(16sリボソーム)の配列を比較して、3つの大きな違いで区分でき、その区分としてドメイン(domain)が導入されました。ドメインという分類を詳しくしらべていくと、生物進化に重要な意味があることがわかってきました。それは次回としましょう。

・網戸張替え・
現在、我が家では、網戸の張替えを少しずつ進めています。
以前、ひどくなっているところは
3分の1ほど変えました。
それ以外のところが、破れがでてきました。
今回、古い網戸を全部交換することにしました。
夫婦でのんびりと、
一日、一枚ずつ交換しています。
ほぼ終わりましたが、網が余りそうなので、
以前変えたところで古そうなところ、
今回交換したのですが、
端っこが破れたところなども
張り替えられればと思っています。

・筋肉痛・
朝のウォーキング、午後のプールと
日々、運動してきました。
ただし、あまり無理せずに、のんびり、
ゆっくりと、継続していくことにしていました。
ところが、網戸の張替えには、
1時間から1時間半ほどかかります。
いつもの運動量と変わらないのですが、
腹筋や背筋で筋肉痛がでてきました。
多分、違う筋肉を使っているためだと思いますが、
妻は、筋肉痛はでていないようです。
いつも家事で複雑な作業をしているので
体を常に鍛えている状態のようです。
家事は重要な運動だったのですね。
体で味わいました。

2026年6月18日木曜日

4_209 登別 2:ウポポイ

 登別の旅の2日目には、隣に位置する白老にあるウポポイを訪れました。大きな敷地にある施設で、アイヌ文化を楽しみながら、学ぶことができます。一日いても、飽きない施設です。


 登別温泉に1泊した翌日、白老のポロト湖のほとりにあるウポポイを訪れました。以前にも登別で泊まった時に、訪れたことがありました。もう一度来たいと思っていた場所でした。展示物を見るだけでなく、各所で、アイヌの人が、舞踏や文化を紹介するエベントがあり、楽しめる施設になっています。
 ウポポイは、アイヌ文化を復興し発展させ、新たなアイヌ文化の創造なども理念にしてい国の施設で、民族共生象徴空間とも呼ばれています。解説をされるアイヌの方は、語る時、最初に「ここの公用語はアイヌ語です」といわれたのが印象的でした。確かに、言語は重要な文化なので、それを絶やさず使っていくことは重要です。解説は、アイヌ語を交えていましたたが、見学者の多くが、日本人なので日本語でも説明されていました。ここでは、日本語が第二公用語なのでしょうね。
 ウポポイの中核施設として、国立アイヌ民族博物館があり、中ではアイヌの歴史や文化が大規模に紹介されています。ウポポイには、博物館だけでなく、外にも伝統的コタンの建物や体験交流ホールなど施設、アイヌ料理を提供する食堂、もちろん土産物もあり、アイヌ文化をいろいろと楽しむことができます。体験交流ホール(ウエカリ チセ)で、歌や踊りの公演を見学し、伝統的コタンの屋外でも子守唄と説明を見ました。
 ムックリが演奏されているのは2個所で聞きました。今回の見学で、一番興味深かったのは、ムックリの演奏でした。今回聞いたのは、いずれも女性の奏者でしたが、すばらしい演奏でした。まるでジャズのアドリブ音楽を聞いているような演奏で感動しました。
 ムックリとは、竹を薄くして、切れ込みを入れ、弁状の構造をもった簡単な楽器です。両側に2個所にヒモをかけてあります。ムックリを、開けた口に当てて、ヒモを引っ張ることで、弁を振動させ音を出します。弁が一つだけなので、音程はひとつしか出ない単純な楽器です。ところが、呼吸法や口の大きさを変えることで、多彩な音が出せます。
 訪れた日は、外国人観光客も多かったのですが、修学旅行や園児の遠足などの団体が多数訪れていました。賑わっていましたが、広い敷地なので、混雑してはいませんでした。好天の半日を、ウポポイで楽しむことができました。

・ムックリ・
自宅にも、ムックリが2個あります。
これらは、以前家族で、開拓記念館にいったとき
体験講座で、子どもたちが作成したものです。
最初は音と出すのも難しいのですが、
慣れてくれば、音はでるようになります。
練習すれば、口の大きさを変えることで、
いくつかの音色を出せるようになります。
しかし、演奏までには至りませんが。

・同窓会・
最近、大学の同窓会のメンバーによるメール交換が
活発になってきています。
しばらく連絡をしていなかった人からも連絡があり
近況がわかり、楽しみになっています。
定年後の、各人各様の近況です。
体力の衰え、老化もありますが、
若い頃を彷彿とさせる行動的な人もいます。
ノスタルジーともに、いろいろと刺激も受けています。

2026年6月11日木曜日

4_208 登別 1:マリンパークニクス

 先日、登別に1泊2日で出かけました。夫婦での旅となります。幸い、両日とも北海道らしい快晴で、日向は暑かったのですが、日陰は涼しいという、行楽日和となりました。


 6月上旬のある平日、午前中遅めに自宅を出発して、高速道路の途中のサービスエリアで昼食を摂って、昼すぎには、登別マリンパークニクスに到着しました。江別からは車で来ると近いです。ここには、何度も来ているのですが、チャンスがあれば訪れることにしています。
 駐車場に向かうと大量観光バス止まっていました。妻が数えていたのですが、何台あったかが忘れてましたが、確か10数台あたっといていました。あまりのバスの多さに圧倒されました。登別は、冬には観光客が殺到しており、オーバーツーリズムになっているのですが、春になると少ないとは聞いていました。ですから、最盛期と比べれば、まだましなのでしょうが、それでも多くの観光客が訪れていました。外人観光客は少なかったのですが、修学旅行の高校生の団体が一杯きていて、賑やかでした。
 登別マリンパークニクスは、道内でも最大の水族館で、1990年に第三セクターとして発足したのですが、開館数年にして赤字となり、経営危機に陥りました。その後、民間主導で再建が進められ、人員のスリム化や集客を意識した経営などの努力で、今では経営も順調なようです。近年のインバウンドの集客もあり、経営も安定してきているようです。2026年3月には、登録博物館と認定されています。
 マリンパークは、入場すると、広場の先に「ニクス城」が目に飛び込んできます。北欧デンマークのイーエスコウ城をモデルにしてたものです。周辺には堀があり、湖に浮かぶ古城を模しています。
 4階建て各フロアーの中に、多数の水槽や展示があります。城内の水族館だけでなく、外にも、イルカ、アシカ、アザラシ、ペンギン、イワシの群れなどのプールもあり、それぞれのアトラクションがなされています。通年で実施されているペンギンのパレードは、眼の前で散歩するペンギンを見学することができます。じっくりの見ていくと、それなりに時間かかります。
 それぞれの展示で工夫が凝らされ、裏方を見るツアーもあります。子ども小さい時、箇所か申し込んで見学させてもらいました。今では、一般の見学コースからみるだけになりました。
 学校行事への対応も熱心されており、各種のレクチャーやワークシートもあります。大学の非常勤での授業で、博物館教育について担当しているので、興味があるところです。
 午後、のんびりと時間かけて見学してから、登別の温泉宿に向かいました。

・関西からの修学旅行者・
団体客として、修学旅行の学生さんたちが
バスを連ねて多数見学していました。
駐車場の人に尋ねると
例年これくらい訪れているようです。
中には関西から来た高校の修学旅行もあり
ネイティブな関西弁を一杯聞きました。
京都出身なので、なつかしさを覚えながらも、
うるさくも感じましたが。
京都を離れて長く、北海道の今の町が
もっとも長く暮らしている地となっています。

・夫婦の時間・
退職に向けて、年賀状も、学会も、
大学とも、付き合いをゆっくりと消していきました。
定期メールも、可能な限り
送信停止の手続きをとってきました。
退職して1年半がたって、
外界との交流が非常に少なくなってきました。
退職してから、自宅以外では、
常に夫婦での移動となっています。
妻は買い物や用足しに車で一人で出ています。
私も、朝のウォーキングも
非常勤講師のための外出も一人で移動しています。
しかし、基本的に、夫婦二人の生活を
淡々の静かに過ごしています。

2026年6月4日木曜日

4_207 北九州の旅 2:博物館へ

 北九州では、訪れたい博物館が2つありました。規模もテーマも、まったく異なっており、なかなか興味深いところでした。時間的には厳しいものがあり、案内の長男には、迷惑をかけてしまいましたが。


 北九州では、2つの博物館を訪れました。ひとつは、北九州市漫画ミュージアムでした。この博物館、北九州出身の漫画家を紹介するためのものでした。なんといっても松本零士氏がビックネームです。小倉駅の各所には、松本零士氏の漫画の登場人物のモニュメントがあります。モニュメントには多くの人が記念写真を撮っていました。
 博物館はビルの5階と6階にありました。ビルの「あるあるCity」全体がポップカルチャー(アニメ、漫画、ゲーム、アイドルなど)のショップやイベント会場となっているので、総合的にまとまっています。前回訪れたときも、博物館の存在は知っていましたが、時間がなく訪れませんでした。今回やっと訪れることができました。こじんまりとしていましたが、松本零士氏に関連した展示が充実しており、大量の漫画が開架で置かれ、自由に読むことができるようになっていました。
 もうひとつ、以前から訪れたかった博物館として、「北九州市立いのちのたび博物館」がありました。長男は訪れたことがあったのですが、じっくりとはみたことがなかったようです。今回は、じっくり見ることにしていたようです。平尾台を見て昼食を摂ってから訪れたので、この博物館についた時には、1時を過ぎていました。
 「いのちのたび博物館」では、大規模な展示には圧倒されました。一階には、長く広い自然史の展示がありました。地球の歴史にそって、地球誕生から、古生代、中生代、新生代の順に展開されていました。なんといっても、圧巻は大型の恐竜化石や骨格標本が大量に展示されているところです。奥からは、生命の展示コーナになり、二階からは一階の展示場が眺められる構造になっています。三階には、生命から続きと、歴史ゾーンの展示になっていました。
 2時間ほどで見てまわるつもりでしたが、自然史の展示が面白かったので、じっくりと見学していたら、そこだけで2時間半を使ってしまいました。慌てて、生命から歴史ゾーンの展示を、駆け足でみてまわることになってしまいました。3時間ほど見たことになったのですが、再度、訪れて、じっくりみてまわりたいと思っています。
 博物館の見学時間が、予定より1時間もオーバーしたので、そこからホテルに向かいました。日曜日の夕方で道路が混んでいて、着いたのは5時を過ぎていました。一日中、長男の車の運転で案内をしてもらっていた上に、ホテルから2時間以上かかって帰宅したようです。ご苦労さまでした。
 もう一館、訪れたいところがあったのですが、いける日程のときが休館日だったので、訪れることはできませんでした。次回とします。

・コンセプト・
「いのちのたび博物館」は総合博物館なので、
人文系の展示もされています。
この博物館の自然史のコンセプトは
以前勤めていた神奈川県立「生命の星・地球博物館」と
似たものになっていました。
「生命の星・地球博物館」は
自然史だけの博物館でした。
人文系の展示は、神奈川県立歴史博物館として、
別の場所に別の施設としてありました。
ですから、全体の規模はだいぶ異なっていますが、
その圧倒的な化石や骨格の資料で
地球と生命の歴史を示すというコンセプトは似ていました。
なかなか興味深い博物館でした。

・登別へ・
このメールマガジンは日曜日に
予約配信しています。
毎週月曜日を配信日にしているのですが
夫婦で登別温泉にでかけます。
高速道路を使えば、1時間半ほどでいけるので、
数年に一度は、訪れています。
今回は、広告チラシでみつけた安いパックがあったので、
それに申し込みました。
今回は、マリンパークニックスと
ウポポイを訪れるつもりです。

2026年5月28日木曜日

4_206 北九州の旅 1:平尾台

 昨年の11月に続き、5月にも北九州にいきました。3泊4日ですが、北九州の小倉と志賀島、そして博多を巡りました。まずは、長男から景色がいいと聞いていた、平尾台のカルデラをを巡りました。


 ゴールデンウィーク明けに、九州を訪れました。幸い、千歳から福岡へな直行便があるので、一気にいけるので助かります。今回も長男に、一日、車を出してもらって、北九州を巡りました。今回は、小倉周辺の平尾台(ひらおだい)カルストにでかけたので、紹介してきましょう。
 平尾台カルストは、小倉の真南の山地に、大きな石灰岩が分布しています。日本三大カルストのひとつに数えられています。日本の三大カルストは、山口の秋吉台、愛媛と高知にまたがる四国カルスト、そして福岡県の平尾台になります。前の2個所は、何度か訪れたことがあるのですが、今回はじめて、平尾台カルストを訪れることができました。これで、やっと3つすべてのカルストを訪れたことになります。
 平尾台は、大規模なカルスト台地で、国の天然記念物にも指定されており、国定公園や県立自然公園にもなっています。侵食により、石灰岩地帯固有の景観やカルスト地形をみることができます。カルスト固有の尖ったピナクル状の風化面や、羊の群れのように見える地域(羊群原 ようぐんばる)あります。ドリーネと呼ばれる大小のすり鉢状のくぼ地や穴もあり、鍾乳洞も多数見つかっており、入ることもできます。
 平尾台の石灰岩は、約3億6000万年前〜2億5000万年前(石炭紀〜ペルム紀)に形成されたものです。南の暖かい海の海洋島の周囲にできたサンゴ礁や有孔虫などの遺骸が起源になっています。石灰岩をともった海洋島が、海洋プレートと一緒に移動して、アジア大陸の縁にまでたどり着きます。海洋プレートは海溝で沈み込むのですが、石灰岩は陸側に削ぎ取られていきました(付加といいます)。平尾台の石灰岩は、時代的にも秋吉台も同じころできました。四国カルストのでき方は同じですが、より新しい付加体となっています。
 約9000万年前(白亜紀)、平尾台の石灰岩に、花崗岩質マグマ(角閃石黒雲母花商岩マグマ)の貫入しました。花崗岩は、現在では、石灰岩台地の北東側に残っています。花崗岩のすぐ近くでは、石灰岩が変成作用を受けており、結晶質石灰岩に変化しています。時には、鉱床帯(スカルン)ができているとこもあります。平尾台カルストの石灰岩全体も、熱変成を受けて石灰岩が再結晶して、大理石となっています。そのため、あったはずの化石も消えていしまっています。
 平尾台カルデアは、きれいな景観や名勝として、保護されています。そしてカルスト特有の自然と保つために、例年2月中旬には野焼きがおこなわれています。ところが、西側では大規模に石灰岩が採掘がされています。石灰岩は、セメントの材料にもなるので、日本で数少ない自給できる資源です。ですから、露天掘りできる石灰岩は、重要な資源となります。平尾台も採掘されています。
 いずれも、平尾台の現在の姿です。平尾台には、開発、発展と保存、保護が接していました。

・施設・
カルストに至るまでの道は狭く
険しかったのですが、
カルスト台地の上まで登れば、
素晴らしい展望が開けます。
平尾台には、自然観察センターがありました。
カルストや自然の生い立ちが紹介されていました。
休息を兼ねて映像をたくさんみました。
ソラランド平尾台という施設もありました。
展望もすばらしいのですが
野外で子ども向けの施設やステージ
売店や体験教室などの施設も充実していました。
日曜日だったので、多くの家族連れが訪れていました。
この施設が入場料が無料なので驚きました。

・一席・
長男が月曜日に休みが取れれば、
日曜日に宿泊できればよかったのですが、
外せない用事がありました。
一日だけの動向となりました。
車を運転させるだけでは大変なので、
土曜日の夜に、夕食を一緒にとりました。
翌日の運転があるので、2軒めぐりましたが、
あまり飲まないようにしました。
楽しい時間となりました。
春はいろいろと仕事が忙しそうなので、
次回は秋にしようと話していました。

2026年5月21日木曜日

5_226 太陽系の移動 6:障壁の突破

 天の川銀河には、棒状構造があることがわかってきました。その形成時期や運動の様子もわかってきました。太陽系が、銀河の内側でできて、外側に移動してきたこともわかってきました。


 太陽系近隣に多数ある太陽双子星のスペクトの特徴と年齢から、種族Iに区分されました。種族Iの星とは、金属量が多く(1~3%)、世代を重ねた場で形成された若い(数10億歳以下)恒星で、銀河のディスク(円盤)や渦状腕に多く見つかります。種族Iの星は、銀河の内側(中心から1万6000光年)に多く存在しています。
 太陽双子星のような種族Iの恒星は、天の川銀河では、現在の位置よりもっと内側で誕生していたようです。ですから、太陽双子星たちは、銀河の内側から、外側へ移動してきたのではないかと考えられました。もし同時期にできた恒星が、銀河内を外にむかって移動してきたとすれば、銀河全体になんらかの仕組みが働いていたことになります。
 別の研究で、天の川銀河の中心付近に棒状構造できる時には、その周辺では星の形成が活発化していき、できた星が効率的に外側に移動する可能性が指摘されていました。もし天の川銀河の中心付近の1万6000光年の辺りでできた恒星たちが移動したとすると、現在の2万7000光年まで、1万光年も距離を移動しなければなりません。
 これまで、そのような移動は困難だとされていました。なぜなら、共回転バリアがあるためだと考えられていました。共回転バリアとは、銀河の棒状構造の回転と恒星の公転の速度が一致する半径のところ(共回転半径)に、星の移動を妨げる障壁ができるという効果のことで、それが働くためでした。いったん棒状構造ができてしまうと、共回転バリアが生じるため、星が内側から外に移動することができなくなります。
 そうなると棒状構造ができた時期と恒星が移動した時期が重要になります。棒状構造ができた時期は、いろいろ議論されてきましたが、これまで80億年前以前だという説が主流となっていました。もしそうなら、80億年前にできた恒星の年齢のピークができているはずです。ところが、今回の論文では、40~60億年前の太陽双子星があることが明らかにされてきたました。棒状構造の形成時期とは一致していません。
 もし、天の川銀河の棒状構造が60~70億年前できたとしたら、その周辺には40~60億年前に多数の恒星が形成されたと考えられます。棒状構造の形成とともに、銀河の内側で多数の太陽双子星も誕生し、すみやかに大移動してきたと考えればよさそうです。
 ただし、そうなると、太陽双子星は、銀河の中を高速で移動してきたことになります。本当でしょうか。他の証拠はあるのでしょうか。さらなる探求が必要でしょう。
 もっとも身近な天の川銀河の様子も少しずつ明らかになり、いろいろな事件が起こっていたことも新たに明らかになってきました。でも、まだまだわからないことも多そうです。

・福岡の訪問・
先週、旅行で福岡を訪れました。
北九州市を中心に、博多も少し見て回りました。
ただし、体力が落ちているので、
無理はできず、少しずつ見て回ることになります。
まだまだ見残したところがありますので
北九州に長男がいるので、
これからも、案内してもらえるチャンスはあります。

・Quality of Life・
最近、医者に掛かる機会が多くなってきました。
一時的なものもありますが、
加齢による衰えは、今後一生、
飲み続けていかえればならない薬も
いく種類もあります。
外科手術ので対処できる症状もあるので、
おいおい検討していこうと考えています。
Quality of Lifeを考えると、
常用薬より、手術による根治が望ましいでしょう。
医者と相談しながら検討していきます。

2026年5月14日木曜日

5_225 太陽系の移動 5:銀河の衝突

 天の川銀河には、他の銀河が、通過(衝突)するということが、現在も起こっていました。通過(衝突)の現象は、何度かあったことがわかってきました。その銀河は、現在も恒星の筋として天の川銀河の周りを取り巻いています。


 今回のシリーズでは、ふたつの論文が同時に報告されました。ひとつは、前回紹介した谷口さんたちの研究で、もうひとつ論文として、辻本さんが筆頭著者になっている共同研究になります。
Solar twins in Gaia DR3 GSP-Spec II. Age distribution and its implication for the Sun's migration
(Gaia DR3 GSP-Specにおける太陽双子星 II. 年齢分布と太陽の移動への影響)
というものです。
 谷口さんたちの研究によって、観測による偏りのない太陽双子星の年齢が正確にわかってきました。そして、この辻本さんの研究で、太陽双子星の年齢分布を調べると、いくつかの特徴があることがわかってきました。
 太陽双子星の年齢分布に偏りがあることで、約20億前のあたりに狭い年齢のピークがあり、もうひとつは40~60億前に広くゆるやかなデータの膨らみが見つかりました。
 1つ目の年齢ピークには、数千〜1万光年の範囲内の近い領域にある太陽双子星も含んでおり、銀河円盤内で星が急激に形成されたことを意味します。2つ目のゆるいピークは、太陽の形成時期(46億年前)と一致しています。これは、太陽系の近くに、太陽双子星が多数あることになります。
 若い太陽双子星があるということは、以前から知られていました。その理由として、別の銀河が、天の川銀河に通過(衝突)という、全く異なった現象で説明されるかもしれません。
 天の川銀河の周りには、小さな銀河(伴銀河と呼ばれています)ものがいくつか巡っています。大マゼラン銀河や小マゼラン銀河もその仲間です。そのうち、「いて座矮小楕円銀河(SagDEG)」もあり、天の川銀河を通過していることがわかってきました。
 その現象の詳細は、ガイア衛星のデータに基づき、シミュレーションされたもので、57億年前、約19億年前、そして約10億年前の合計3回、天の川銀河の円盤を通過したと推定されてきました。このような通過の現象が起こっている時、星の形成が、通常時の4倍ほどになることがわかってきました。
 この内、57億年前の衝突がもっとも大規模でしたが、これが恒星年齢の40~60億前のゆるやかなピークが一致し、多数の太陽双子星の形成が起こったと考えられています。約19億年前にも通過しているので、その時も星の形成が進んだと考えられています。1つ目の約20億前の恒星年齢ピークは、この銀河の通過で説明できそうです。
 しかし、それだけでは、太陽系近隣に多数ある太陽双子星を説明できないことが、この論文で指摘されています。それは、次回としましょう。

・予約配信・
このメールマガジンは、
ゴールデンウィーク中に予約配信しています。
それは、火曜日まで旅行にでているのと
帰ってきてすぐに、講義の準備と
医者にいかなければならないので
バタバタしそうなので
心配事は事前に終わられせておくためです。

・福岡へ・
今週末から来週にかけて、旅行にでかけます。
昨年秋に続いて、北九州を訪れます。
長男が住んでいるので、
日曜日に車をだしてもらい、
周辺の観光地を巡ろうと考えています。
もし月曜日に休みがとれるようなら、
日曜日に一緒に一泊できればと思っていましたが、
抜けられない業務があるようです。
できれば、土曜日の夜に
夕食でも一緒にとれればと思っています。

2026年5月7日木曜日

5_224 太陽系の移動 4:モデル駆動型

 太陽双子星のカタログをつくるため、観測に生じる偏りを減らす方法に工夫がされています。異なったモデルを複合して、偏りを取り除いていきました。信頼度の大きな太陽双子星のカタログがつくられました。


 前回、谷口さんたちの研究で、膨大なデータベースから太陽双子星を探すに当たり、恒星パラメータ(温度・重力・金属量・年齢など)の推定が重要になることを紹介しました。しかし、このような作業を進めていく時、明るい星、近くの星ほど見つかりやすく、集まったデータに偏りが出てしまいます。そのような偏りを取り除いてくための方法が重要になります。
 推定の方法として、大きくモデル駆動型とデータ駆動型の二通りのやり方があります。2つは、理論をどの程度重視するかの違いとなりますが、もう少し詳しく見ていきましょう。
 モデル駆動型とは、理論からか恒星のパラメータを計算し、恒星の大気モデルから、理論的に恒星スペクトルを多数の計算していきます。理論からえられた仮想の恒星スペクトルと、実際の観測データと比較していきます。観測値ともっとも合っているパラメータを抽出していきます。
 この方法は、観測データと理論的に求めた恒星パラメータとが一致しているので、観測データの意味が解釈しやすくなります。ただし、理論に基づいて計算しているので、えられた恒星パラメータは、理論に依存していきます。そのため、他の理論で説明できる可能性が常に存在しています。また、理論計算にも、大量の観測データを扱わなければならないので、コンピュータのパワーや多くの計算時間を要します。
 一方、データ駆動型とは、観測データからの恒星スペクトルや恒星パラメータとの関係を、機械学習をしていきます。ガイア衛星のデータベースが大量にあるので機械学習には適しています。学習の結果でえられた恒星パラメータを、未知の恒星に適用していきます。
 この方法は、実際の観測データで学習しているので、推定の精度がいいものになります。ただし、精度が保証されているのは、学習したデータの範囲内だけです。そのため、学習範囲を越えた場合は、類似性がわかっても、その結果に対する信頼性の判断が困難となります。
 この論文では、巧みな方法を用いています。モデル駆動型で理論的にスペクトルで恒星パラメータを決めていきます。モデルから、7万5588個の人工的な太陽双子星を計算して、模擬カタログをつくって、実際の観測データと比べています。さらに恒星パラメータの精度を上げていくため、正確な観測値がある太陽類似の天体で補正していきます。この観測データとの比較という方法は、データ駆動型でパラメータの改善をしていったことになります。
 モデル駆動型による恒星パラメータを求めて、データ駆動型によって、より適用範囲を広げて検証されたことになります。このような方法によって、観測データによる偏りの影響の少なく、信頼性の高い恒星パラメータをえたことになります。
 そこから、年齢が高精度に求められた6594個からなる太陽双子星のカタログができました。太陽双子星の年齢を見ていくと、広い範囲に渡っていることが明らかになりました。この詳細は次回としましょう。

・春なのに・
北海道の桜は、
ゴールデンウィークのはじまる前に
満開を迎え、近隣のあちこちで眺めることができました。
ゴールデンウィーク以降からは
一気に花の季節になってきます。
5月だというのに、天気の悪い日は、
少々肌寒く、ストーブを短時間ですが
つけてしまいました。
夫婦ともども、高齢者になってきたので
無理をせずに、体が望む方向に
向かっていこうと思います。

・ゴールデンウィークは・
例年、ゴールデンウィークは、
近隣でも観光地では、人出が多くなるので
例年、自宅や周辺で、
のんびりとしていることにしています。
今年は、天気が不安定な日もあったので、
外出はあまりできませんでした。
自宅や餅つきやパン焼きをして、
天気のいい日には
近隣でサイクリング、散策など
こじんまりと楽しみました。

2026年4月30日木曜日

5_223 太陽系の移動 3:双子星の条件

 今回のシリーズでは、膨大なデータベースから、太陽と似た恒星「太陽双子星」を、どのように見つけ出し、太陽の移動を推定していくかを考えています。2つの論文が報告されています。まずはひとつ目から紹介していきましょう。


 太陽系の移動を考えるとき、今回の報告では、「太陽双子星」を手がかりにして、検証していきます。そのためには、太陽双子星を見つけていくことが、重要になります。まずは、その方法が、2026年3月12日発行のAstronomy & Astrophysics(天文学と天体物理学)誌に、2つの論文として掲載されています。
 谷口さんが筆頭著者になっている共同研究として報告された、
Solar twins in Gaia DR3 GSP-Spec I. Building a large catalog of solar twins with ages
(Gaia DR3 GSP-Specにおける太陽双子星 I. 太陽双子星の年齢別の大規模カタログの構築)
から見ていきましょう。谷口さんたちの研究では、ガイア衛星のデータベースから、太陽双子星の年齢別のカタログを作成したというものです。
 太陽と似た恒星の条件として、有効温度、表面重力、金属量をもとに比べています。
 「有効温度」は、天体そのものの表面温度(太陽は6000℃)とは異なった考え方で、少々難しい概念なのです。恒星が放射する総エネルギーをもとにして(同半径の黒体からの放射)計算された温度(約5500℃)のことです。恒星の放射エネルギーを比べるための基準となり、星の色に反映されます。太陽の温度と比べて±200度の範囲のものを太陽双子星としていきます。
 「表面重力」は、恒星の表面における重力の値です。ただし、重力加速度(g)では示さず、その対数(log g)で示されます。その理由は、星の種類によって重力加速度の値の桁が異なるほどの差となります。そのため、logをとることで桁で比べていきます。太陽の表面重力のlog gは4.44です。巨大な星(例えば、赤色巨星)になるほど、半径が大きくなるため、log gは小さくなります(0~2程度)。データベースから、log gで±0.2のものを太陽双子星とします。
 「金属量」とは、恒星の金属量(Metallicity)の意味なのですが、少々誤解されそうな表現です。元素としての金属ではなく、天文学では恒星の化学組成において、水素・ヘリウムより重い元素を、すべて「金属」と呼んでいます。ですから、星の金属量(M)と水素(H)の比(M/H)として、やはり対数の値を用います。太陽と同じ値なら0、金属が多ければプラスの値、少なければマイナスの値となります。対数スケールで±0.1となるものを太陽双子星と判断します。つまり太陽の0.8倍から1.25倍までの範囲です。
 恒星で金属量(重い元素)が多くなるのは、恒星の材料ができた場に、重い元素が多くなっていることになります。重い元素は、恒星の超新星爆発で形成されていくので、世代を重ねた星であること、つまり古い星になります。
 恒星は金属量によって、種族に区分されます。種族Iとは、金属量が多く、世代を重ねた場で形成されたので、年齢が比較的若い恒星になります。種族Iは、銀河のディスクに多く見つかり、太陽もこれに属します。種族IIは、金属量が非常に少ない星です。世代を重ねることなく、宇宙ができてすぐに形成された年老いた恒星になりますです。銀河では、ハローや球状星団を構成しています。
 有効温度、表面重力、そして金属量の3つで比べると、恒星の特徴が把握でき、そこから太陽双子星を見つけることになります。ただし、この論文では、データ駆動型だけではなく、モデル駆動型という方法を組み合わせています。その詳細は次回としましょう。

・桜の満開・
北海道の暖かくなってきて、
桜が咲きはじめました。
今週には満開になります。
4月上旬に横浜で桜を見たのですが、
今年二度目の花見ができればと思っています。
いつもでかけている神社の桜を
晴れた日に見に行ければと思っています。
桜の花は青空に映えるので。

・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークがはじまります。
遠くに出かける予定はありません。
ただ、毎年、この時期に開演する
植物園を訪れたいと考えています。
ゴールデンウィーク中になるので、
人出が多くなりそうです。
出かける日は天気したいで、
変更するつもりです。

2026年4月23日木曜日

5_222 太陽系の移動 2:ガイア衛星

 太陽系は、銀河系の中を公転しているでなく、内側から外側に移動していると推定されてきました。その様子を確かに示すため、膨大なデータを用いた研究が進められてきました。


 前回のエッセイで、太陽系が銀河の中を公転していること、その移動速度から一周に約2億2500万から2億5000万年ほどかかっていることから、これまで約20〜25周していることになると紹介しました。
 ところが、太陽系が、円軌道や楕円軌道であることは確かめられてはいません。ですから、不確定な仮定の上の推定となっていました。太陽系の形成場が、現状の軌道(銀河からの距離)をとっていれば、上の推定が正しいことになります。
 前回紹介したように、銀河を構成している星は、形成年代や化学組成には、その位置に系統的な違いありそうでした。太陽と、他の恒星の形成年代や化学組成(重い元素の比率)を比べて、銀河系のどのような位置でできたかを推測していきます。もちろん大雑把にしか推定しかできませんが。
 これまでの推測では、太陽系は、現在よりもっと銀河の中心に近いところ、おおよそ中心から約2万光年より内側の軌道で形成されたと考えられてきました。もしそうであれば、現在の公転軌道が2.7万光年なので、1万光年ほど、内側から外側へ移動したことになります。では、いつ、どのようなメカニズムで起こったのかを明らかにしていく必要があります。
 その方法を、東京都立大学の谷口さんと国立天文台の辻本さんたちの共同研究で示しました。その方法とは、銀河系の恒星に対して、形成年代や化学組成を、精度を上げて大規模におこなっていくことでした。太陽と似た形成年代と化学組成の恒星のデータ大量に集めて、比較検討していこうという研究です。
 ガイア(Gaia)衛星の観測データを用いました。ガイア衛星とは、欧州宇宙機関(ESA)が2013年に打ち上げた観測衛星で、目的は銀河系の最も精密な3次元地図をつくることでした。それぞれの恒星の位置と運動と、同時にスペクトルも観測していました。
 ガイア衛星のデータから、表面温度、重力、大気の化学組成(主に重元素量に着目)など比べていき、太陽に似ている星(論文では太陽双子星と呼んでいます)を見つけていきました。
 ガイア衛星の成果として、大規模なカタログが作成されています。運用期間で観測した恒星は、20億個ほどになります。2022年版のカタログ(DR3、EDR3)では、約18億個の恒星の位置と明るさが精密に測定され、約14億7000万個が太陽からの距離とその運動も詳しくわかりました。他にも、銀河系外の天体(クエーサーなど)が約155万個、太陽系内の小惑星の数も約15万個も観測しました。これまでの観測とは桁違いの膨大なデータベースとなっています。
 現在公開されているデータは、観測データの一部に過ぎません。今後も解析が進み、数も増え、精度も上がっていくことになるでしょう。予定では、2026年12月にDR4が公開され、2031年以降に最終版としてDR5が出る予定です。
 現状の大規模カタログから、谷口さんたちは、太陽双子星をピックアップしていきました。その結果、太陽系から1000光年以内で6594個が抽出され、年齢も正確に求められ、その精度も格段によくなっています。
 その内容は次回としましょう。

・データ解析中・
ガイア衛星以前にも、ヒッパルコス衛星が
似た観測をしていました。
ガイア衛星は、100倍以上の精度をもっていましたが、
2025年に観測活動を停止しました。
10億個以上の恒星を観測する予定でしたが、
20億個以上も観測しました。
予定以上の成果を上げました。
データ解析は、現在も進行中で、2026年12月には
DR4として66か月分(前半の約5.5年分)のデータが
まとめて公開されるはずです。
DR3の約2倍の観測期間にあたります。
DR5では、10.5年の全期間のデータが
網羅されて公表されるはずです。

・ラグランジュ点・
ガイア衛星は、ラグランジュ点(L2)と
呼ばれる地点で観測していました。
太陽、地球、月、衛星が一直線に並ぶ位置で、
なおかつ重力的に釣り合っているとこです。
太陽や地球の影響を受けないため、
宇宙望遠鏡を置くには適したところとなります。
現在、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡も
この軌道で観測をしています。
この軌道上は貴重なところになるので
そこでデブリになることを防ぐために、
使用が終わった衛星は太陽周回軌道に移動ます。
ガイア衛星も活動を停止したので、
この位置からはずれて、地球から少し離れた
公転軌道をめぐることになりました。
今後100年間は、地球から
1000万km以内には近づかない
安定した軌道に投入されました。

2026年4月16日木曜日

5_221 太陽系の移動 1:天の川銀河

 地球は、太陽系の中を自転しながら、公転しています。太陽系自体も天の川銀河の中を公転しています。運動していることはわかっているのですが、その詳細が、最近わかってきました。


 私たちの太陽系は、銀河(天の川銀河と呼ばれています)の中にあります。天の川銀河の中とはいっても、中心ではなく、中ほどあたりになります。まず、天の川銀河の特徴をまとめておきましょう。
 天の川銀河の中に地球があるので、地球からの観測では、天の川銀河の全体の姿を見ることはできません。しかし、太陽系近傍の星の分布をみることで、天の川銀河は渦巻型で、その渦の腕の中に太陽系はいると考えられていました。
 アンドロメダ銀河が似たものとして、それが天の川銀河のイメージになっていました。ところが研究が進むにつれて、少しずつ天の川銀河の実体が明らかになってきました。姿も少し変わってきました。
 銀河の中心には、大質量の天体として超巨大ブラックホールがあることが観測されました。他の銀河の中心にも巨大ブラックホールがあると考えれています。
 また、銀河の中心の周辺には、球状に古い年代の恒星が、多数集まっています(バルジと呼ばれます)。天の川銀河のバジルは、球状ではなく、約2万7000光年の長さを持つ棒状の古い赤い星の集まりがあることがわかってきました。棒構造は、太陽系とは斜め(44度ほど)の角度で伸びています。
 バジルの周辺には、円盤状に星が薄く分布(ディスク)しています。ディスクの半径は5万3000光年ほどあり、厚さは中心部では約1万5000光年、周縁部で約1000光年あり、全体として凸レンズ状の形になっています。
 このディスクには、渦状に星やガス、塵が集まった部分が、中心から伸びた渦状腕があります。腕は太いものが4本、小さいものが少なくとも2本かあります。ただし、銀河中心の向こう側が、うまく観測できないので正確なところはわかっていません。太陽系は、小規模なオリオン腕の中にあります。位置は、中心から2.7万年光年のところになります。
 腕は、銀河の自転と星やガスが、一時的に集まる密度波という現象でできます。星やガスが公転する時、場所によって密度が大きい場所ができ、そこに星やガスが一時的に集中して明るく見えます。一種の交通渋滞のような現象が起こり、そこが腕となります。
 さらにディスクの周辺には、約130個の球状星団などからなる直径約25万から40万光年の球状の星の集まり(銀河ハロー)があります。
 天の川銀河は、棒渦巻銀河というタイプに分類され、約2000億から4000億個の恒星があると推定されています。これが天の川銀河の最近の全体像となります。
 一般の星の運動はニュートン力学に従い、ケプラー運動として、外の軌道ほど遅く移動しています。ところが、銀河系内の恒星は、外側の恒星は中心からの距離によらず、ほぼ同じ速度(秒速210から240km)で運動しています。なぜこのような運動しているのかは、まだ十分解明されていないのですが、暗黒物質の影響していると考えられています。
 恒星は、腕の中にずっと留まっているわけではなく、通過していきます。通過した後ろには、新たな渋滞域(腕)ができていきます。交通渋滞が起こるのと同じような現象となります。腕とは、ガスが圧縮され密度の大きな場となっているのところで、新しい星ができる場になります。
 太陽系が銀河を一周するに、約2億2500万から2億5000万年ほどかかり計算なので、約20〜25周していると考えられています。太陽系も銀河内を移動しているのですが、きれいな円軌道ではなく、楕円軌道であること、また同じ軌道を巡っていたのではないことがわかってきました。次回としましょう。

・横浜・
3泊4日の横浜への帰省から戻ってきました。
義父は体調不良で会えなかったのですが、
義兄の案内で、義母の墓参りと、
新しく購入した墓を見学にいきました。
また、義兄や妻の育った地を見にいきました。
私も何度も訪れていた実家のあったところも
その後の開発で大きく変わっていました。
夫婦で住んでいたところを巡るのは
天気が悪いので諦めて、
横浜の山下公園の周辺を見学しました。

・不調からの脱出・
出かける前から不調だったのですが、
帰省中も無理をしないでいました。
戻ってきてからも、
2、3日は不調でしたが、
やっと調子が戻ってきました。
不調から回復すると、
健康のありがたさがよくわかります。

2026年4月9日木曜日

5_220 恐竜の卵の殻の年代測定 4:年代誤差と実用

 卵の殻化石の年代と他の方法の年代との間に、測定誤差以上の違いがありました。その違いの原因は、どのようなものだったのでしょうか。そしてこの誤差は許容できるのでしょうか。


 前回、卵の殻化石の年代測定の結果を紹介しました。卵の殻化石の年代は、9470万年前で、下の火山灰層の年代は9949万年前、上は9940万年前でした。年代値間の誤差は、約5%程度となるため、地層の年代を推定した年代と比べれば、十分実用可能であると、論文では判断しています。しかし、測定誤差を越える値は、気になるところです。
 論文では、化石の年代が若くなった原因を、詳細な元素分布の測定から探求しています。殻化石の断面を詳細にみていくと、堆積物との接触部で、化石に細孔、亀裂、裂け目などができているところでは水が浸透して、ウラン(U)を移動していた(吸収されていた)ことが示されました。
 このような変化は、殻の断面を連続的に分析することで、確認しています。親核種が移動(減少)していくと、娘核種の量も減っていきます。その結果、年代が若くなっていくことになります。似た現象は、第四紀の新しい時代の卵化石でも確認されています。試料が良質、つまり割れ目や亀裂などが少ないものが見つかれば、今回のような5%以下というかなり精度のいい年代測定ができることがわかってきました。
 論文では、他の地域の卵の殻化石で、年代測定をしています。東ゴビ盆地のティール・ウラン・チャルツァイ層のセインサンドで2022年に見つかった殻化石で測定しました。ここの地層には、年代測定できそうな火山岩や火山灰がないため、信頼できる年代値がえられていません。研究者によって、推定されている年代があるのですが、白亜紀前期と白亜紀後期と異なっています。ですから、この卵の殻化石の年代測定には、最適なテストとなります。
 殻化石の年代を測定した結果、7535±74/150万年前(白亜紀後期)という値になりました。定量的に比較検討できるものがないので、この年代の信頼度は定かでありません。この方法を使えば、それまで相対的な時代推定しかしていなかった地層で、年代値が決定できることが示されてきました。非常に重要な手法といえます。
 世界には、各地で年代が不明な卵の殻化石も見つかっています。恐竜の卵の殻化石ではジュラ紀前期(約2億年前)以降で、海棲爬虫類の卵殻は三畳紀(2億5000万年前)以降から見つかっています。そのような時代まで、この方法が適用できる可能性があることになったと、論文では指摘しています。まだまだ課題はいろいろありそうですが。

・行事と日常・
4月になりました。
3月からは、研究室の明け渡しをしたので
大学に一度もいっていません。
大学では、3月以降、集中講義や学位記授与式
二次入試や在学生ガイダンス、入学式など
いろいろな行事がありました。
大学と離れてしまうと、
学校行事や年度の変わり目で起こる
空気を感じなくなりました。
寂しさもありますが、
現在は、在宅での日常にも
慣れてきつつあります。

・懐かしき街へ・
現在、横浜に滞在しています。
このエッセイは、出かける前に
予約配信したものです。
毎年、恒例としている横浜訪問ですが、
神奈川県には、11年住んでいました。
その間、横浜市内、海老名市、
小田原市、湯河原町と住居と
点々と移してきました。
それぞれの地に、愛着があります。
今回は、海老名市と小田原市を
訪れようと思っています。
さて、訪れることができたのでしょうか。

2026年4月2日木曜日

5_219 恐竜の卵の殻の年代測定 3:U-Pb年代測定

 今回のシリーズは、恐竜の卵の殻化石で年代測定ができるようになったという報告です。どのような測定方法で、どのような結果がえられたのでしょうか。その紹介していきましょう。


 2025年11月10日付けの「Communications Earth & Environment」誌に、Tucker氏らの共同研究で、
U-Pb calcite age dating of fossil eggshell as an accurate deep time geochronometer
(古い時間への正確な地質時計として、正確な化石の卵の殻のU-Pbによる方解石の年代)
というタイトルで報告されました。この論文では、卵の殻を構成している方解石と呼ばれる鉱物を用いてウラン-鉛による年代測定しています。
 放射性核種としてウランを利用しており、ウラン238(238U)は鉛206(206Pb)へ、ウラン235(235U)は鉛207(207Pb)へと壊変していきます。この2種の崩壊するウランの核種(親核種と呼ばれます)と、できた鉛の核種(娘核種)の同位体比から、年代を求めていく方法です。
 放射性核種が崩壊する時の速度を、半減期(親核種が半分になる時間)と呼びます。238Uは約45億年、235Uは約7億で半分の量になります。これらの値を用いて、年代を算出していきます。2種類の異なった核種を、同時に測定するため、2通りの年代がえられることになります。2つの年代でクロスチェックでき、補正も可能となるため、信頼度も高くなります。
 ウラン-鉛年代測定は、これまで第四紀の卵殻には用いられたことがあったのですが、もっと古い時代には、これまで適用されていませんでした。この報告では、古い時代への適用になるので、精度の確認が必要となります。この論文では、その検証を目的としています。
 論文は、アメリカ合衆国ユタ州中部のシダーマウンテン層(Deep Eddyと呼ばれています)から産出した化石が用いられています。地層中には何層かの火山灰があるので、その層から砕屑性ジルコンを用いて年代測定をしています。マグマで形成されたジルコンなの火山灰の年代を直接示しているはずです。この年代と化石のものを比較検証に利用しています。
 Deep Eddyより50cm下にある火山灰層は、9949.0+5.7/-5.0万年前、70cm上からは9940.1+8.5/-6.6万年前の値が求められました。両火山灰の間にある卵の殻化石の年代は、9470±130/230万年前となりました。化石の年代が、少々若く、年代測定値の誤差を越えていました。ただし、論文では、その誤差は年代値で約5%程度となるため、十分実用可能であると判断しています。
 また、殻化石では、なぜ若い年代がでてきたのかも、検討しています。それは次回としましょう。

・雪解け・
北海道では、3月中旬以降から、
暖かくなり、一気に雪解けが進みました。
風が吹くと、まだまだ寒く感じます。
畑や空き地には雪が残っているので
そこを通る風は冷たくなってきます。
畑の雪解けも一気に進んでいます。

・横浜へ・
来週はじめから、横浜にでかけます。
いつもこの時期に出かけます。
義父のいる施設での面会と
義母の墓参りをするためです。
義兄が車で半日付き合ってくれるので
効率的に巡ることができます。
もう一日は、以前住んでいた街を
いくつか回っていこうと考えています。
懐かしい町並みが残っているでしょうか。
楽しみでもあります。

2026年3月26日木曜日

5_218 恐竜の卵の殻の年代測定 2:現地性化石

 化石には、見つかった地層の形成時代と同時期で、同じ場所でてきたとはいえないものが大半になります。ところが、卵の殻化石は、同時代にその場でできたことが明らかです。現地性化石と呼ばれています。


 化石が示準化石であれば、相対年代が決まります。しかし、示準化石は、産出頻度は稀で、大部分の化石の年代は不明です。もし、化石のみを用いて、年代測定する方法が確立ができれば、重要な情報をえることができます。
 化石は地層の中から見つかるのですが、通常の状況では化石にはなりません。現在できる多くの野生生物の死体は、その場ですぐに食べられたり、腐敗し分解されて、ほとんどなくなってしまいます。それは陸でも海の生物でも同様です。
 化石になるには、食べられたり分解されにくい場(例えば、深海底や火山などで酸素が少ないところ)に置かれたり、地層の中に埋もれたりしなければなりません。海底や湖沼などの水底に急激に溜まった地層が、そのような条件を満たします。そのような地層の中だけで、化石が見つかります。
 結果として、貝や魚などの海棲生物の化石が多くなります。死骸が水底に沈み、土砂に埋もれて化石になったものを、「現地性化石」と呼びます。現地性化石であれば、化石の年代(示準化石)が地層の年代になります。
 海棲生物の化石でも、たくさんの化石が集まったもの(化石床と呼びます)ができることがあります。それには特別な条件が整わなければなりません。多数の生物が生息していた(生きたままでも、死体でも)が、海流や海底地すべりなどによって、土砂ごと一気に堆積場に運ばれ、そのまま埋もれてしまった場合です。陸棲の生物であっても、死体や骨、葉や枝、実などが河川で運ばれ、湖沼や海の底に溜まったものが化石になります。これらの化石は、棲んでいた場所と環境、ときは時代も異なったところで化石になるので、「異地性化石」と呼ばれます。異地性化石の中に示準化石があったとしても、化石の示した時代は、地層の年代と同じとはいえません。異地性であれば、その化石から地層の年代を確実に決めるのは困難となります。
 恐竜化石も、多くは骨が河川で運ばれて堆積したものです。陸棲生物の化石の年代を求めるのはなかなか困難です。その中でも、確実に現地性化石とわかるものに、足跡や卵の殻化石があります。
 足跡は、物質としては残っていなので、年代を決めることは困難です。一方、卵の殻化石は、その壊れやすさから、移動することなく、砂(砂嵐や流砂など)や火山灰などで、短時間にその場で埋められたものだと考えられています。保存のよいものでは、殻の中から恐竜の胎児の化石も見つかっています。ですから、殻化石を年代測定の素材するのは有効です。
 ただし、卵の殻化石は、珍しいものです。それでも、各地でいろいろな時代で、それなりの数が見つかっています。もし卵の殻化石が年代測定に利用できれば、有力な情報をえられることになります。
 化石の説明が少々長くなりました。次回から卵の殻化石の年代測定の話をしましょう。

・暴風雪・
先週末は本州は晴れたでしょうか。
北海道は、土曜日の夜半から、
発達した強い低気圧の通過にともなって、
暴風雪となりました。
ベチョベチョの雪でしたが、
かなりの積雪となりました。
夜中には建物が揺れるほどの強風でした。
その様子から、ルーティンとしている朝の
ウォーキングを早々に中止しました。
朝起きるまで、寝床で読書をしてました。

・下半身用ヒーター・
順調に日常のルーティンが確立してきました。
研究も進められるようになってきました。
ただ、研究室とは異なって、
自宅は、ペチカと呼ばれる
大きな灯油ストーブを炊いて
家全体を温める仕組みのために、
書斎のある部屋は最上階の隅にあるので
なかなか暖まりません。
それを予想して、
下半身に履くヒーターを用意していました。
快適なのですが、トイレや用事で部屋をできるとき
いちいち脱がなければならないのが不便です。
しかし、そんな寒さもあと少しで終わりそうです。

2026年3月19日木曜日

5_217 恐竜の卵の殻の年代測定 1:相対と絶対

 過去の地層や岩石で年代測定できて、地質時代が決まります。正確な年代測定は技術の進歩により、精度が上がってきました。しかし難しい素材もあります。まずは、どのような年代測定の方法があるのかをみていきましょう。


 時代区分は地質学において重要な基礎情報になります。そのために、地層や岩石、化石の年代を決めていく必要があります。岩石や地層、化石などの年代を調べる方法には、相対年代と絶対年代があります。それそれの概要をみてきましょう。
 相対年代とは、地層の上下関係を用いて、形成時代の新旧を決めていく方法です。多数の地層の連なりでは、非常に詳細な前後関係を決めることができます。離れた地域の地層であっても、同時期に堆積したとわかる根拠があれば、それを同時代層(鍵層と呼びます)として、それぞれの地域を対比して、地層で新旧を決めることができます。同時期の堆積物として、火山灰がよく使われています。
 時代のわかっている化石があれば、地層の時代を決めることができ、鍵層と同じ役割を果たせます。このような化石を「示準化石」と呼びます。示準化石となるには、時代が確定しているだけでなく、広く分布し、たくさん見つかること、種の出現、繁栄、絶滅ができるだけ短い期間であること(進化速度が速い)、種としての見分けやすい特徴をもつことなどが必要になります。
 海洋底の堆積物、あるいはそれらが陸上に持ち上げられた地層(層状チャート、深海底堆積物など)では、微小の化石ですが、大量に集まっているので、非常に詳細な時代区分がなされています。目で見えるサイズの示準化石であれば、野外調査の最中でも、即座に時代を決定することができ、非常に手軽な方法となります。
 しかし、相対年代は、どれだけ詳細な時代区分ができたとしても、新旧という定性的な区分になります。定量化された年代ではないので、鍵層のない他地域の地層とは比較できません。また、示準化石に頼ると、化石の見つからない地層や時代(カンブリア紀以前)には使えません。また、化石を含まない火成岩や変成岩では利用できな方法です。他の方法が必要になります。
 絶対年代と呼ばれる方法があります。これは、放射性元素を用いた年代測定で、定量的な値として「今から◯◯年前」と求められます。時代や地域(地球外であっても)を問うことなく、年代値を決めることができます。放射性核種の半減期(崩壊定数)を利用しているので、一定の速度で崩壊していくので、非常に正確な時を刻みます。
 ただし、その岩石や鉱物、物質など(以下では鉱物と呼ばます)ができた時、均質に放射性核種が含まれていて、外部との元素交換がない状態(閉鎖系と呼ばれます)で保存されてなければなりません。その鉱物が閉鎖系になっていても、その鉱物が経てきた年代にふさわしい半減期で、放射性核種またはその崩壊でできた核種が正確に測定できる技術と量がなければなりません。このような条件を満たした時、正確な年代測定が可能になります。
 相対年代も絶対年代も、いずれにも長所短所があり、現在では、両者が組み合わせて利用されています。その集大成として、国際体的(国際地質科学連合IUGSの国際層序委員会ICS)によって、国際年代層序表が作成されています。ほぼ、すべての年代境界の基準となる地層と年代値が決まってきました。
 どのような地層や化石でも、年代測定ができるかというとそうではありません。例えば、化石で直接、絶対年代を測定しようとしてもうまくいかないことがほとんどです。しかし、今回、化石の卵の殻を用いて、正確な年代測定できるという報告がありました。その紹介は次回から。

・新しい日常・
少しずつ新しい日常の組み立ています。
書斎、パソコン関係、プリンターや
ネットワークのセットアップなどが
ほぼ整ってきました。
日々の早朝の散歩のルートを考え
GPSによる距離と時間のチェックも進めて
ルーティンをつくってきました。
あれこれと整備してきました。
書棚の本の入れ替え以外は
ほぼ整ってきました。
今後も継続的に調整を加えていくのですが
新しい日常がやっと整ってきました。

・カラープリンター・
自宅に置きっぱなしにしていた
カラープリンターを自宅で
2年半ぶりに動かしました。
するとインクがかすれて
きれいな印刷ができませんでした。
いろいろやったのですが、だめでした。
メーカーに相談したら、修理は可能だが、
それにかかる費用が後継機種の購入費の方が
安いことがわかりました。
カラープリンターは必要なので
新機種導入をして、セットアップしました。
新品なので快調です。

2026年3月12日木曜日

3_236 大絶滅を起こした隕石 9:稀な衝突

 K-Pg境界で衝突したのは、C型小天体でした。他の時代の衝突の天体を調べたところ、一般的なS型小天体でした。C型小天体の衝突は稀であることがわかりました。しかし、大絶滅との関係は今後の課題です。


 この論文では、他のいくつかの時代の衝突事件の天体のルテニウム組成とも比較しています。太古代から顕生代に渡る35億年前から3600万年前の8つの衝突事件で検討しています。
 古い順でみていくと、太古代の35億~32億年前のボーリングコアで見つかった南アフリカのBARB5-SL2、CT3-1-SL9、CT3-2-SL13の地層の試料です。この地層は、衝突で飛び散った粒子(顆粒、spherule)からできたものです。顕生代では、衝突構造をもったところから、クリアーウォーター東(Clearwater East、カナダ)で4億6000万年前のボーリングコア、ブレンド(Brent、カナダ)の4億5280±2700万年前のボーリングコア、ロチェチョート(Rochechouart、ロシア)の2億0100±200万年前の露頭、モロクェング(Morokweng、南アフリカ)の1億4600±16万年前のボーリングコア、ポピガイ(Popigai、ロシア)で3663万±92万年前の露頭の5つの試料を集め、同位体組成が分析されました。
 これらのルテニウム同位体組成から、すべてS型小惑星に由来する衝突であることがわかりました。
 S型小惑星とは、岩石(ケイ酸塩鉱物からできている)を中心として、金属(鉄やニッケルの合金鉱物)も含んでいるもので、隕石ではもっとも多くある石質隕石と呼ばれるタイプになります。「はやぶさ」が調査した「イトカワ」もこのタイプになります。
 S型小惑星は、小惑星帯にも多くあるのですが、「地球近傍小天体」と呼ばれるものを主に構成しています。地球近傍小惑星とは、もともとは小惑星帯にありました。小惑星帯には多数の小惑星があるため、小惑星同士がぶつかったり、接近して軌道が変わったりすることも起こります。その現象によって、太陽に向かう軌道をとり、地球の公転軌道を横切るような軌道をもった天体をいいます。そのような軌道をもった天体は、地球に衝突する確率が高くなります。地球に落下していくる隕石の多くは、地球近傍小惑星に由来すると考えられています。
 以上のことから、これまで衝突した小天体は、S型で、地球近傍小惑星に由来していることがわかります。ところが、K-Pg境界の衝突は、木星より外縁に由来した、C型小惑星によるイベントであったことになります。大きな衝突は度々おこっているのですが、K-Pg境界の衝突だけが、特殊な天体であったことになります。
 サイズは小さく、頻度は少ないですが、C型小惑星に由来する炭素質隕石の落下は起こっており、隕石もそれなりに見つかっています。稀な炭素質隕石が衝突したことと、大絶滅との関係は不明です。大絶滅との因果関係の有無が今後の課題でしょう。

・朝の散歩・
大学の研究室を退室して、
新しい日常を構築するために、
日々、試行錯誤しています。
これまでのように早朝に起きて
一人で朝食を摂ってから
散歩をすることにしました。
大学に向かう必要がないので、
あちこち、気の向いたコースをとっています。
今後どのようなコースをルーティンにするのか。
それともルーティンなど決めないのか。
試行錯誤しながら、考えていこうと思っています。

・まずは使えるよう・
書斎の片付けは、まずは、仕事道具のパソコンや
日常に的に使用していう機材を
セットアップし終わりました。
使用頻度小さい、
スキャナーやペンタブレットなどは
使う時にセットアップしようと考えています。
一番の問題は、とりあえず書棚に入れた書籍類が
バラバラになっており、整理されていないことです。
これをなんとかしたいのですが、
これも、必要になった時に、
おいおいと進めていこうと考えています。
とりあえず使えるようにすることが優先です。

2026年3月5日木曜日

3_235 大絶滅を起こした隕石 8:炭素質型小惑星

 K-Pg境界の地層のルテニウムの同位体組成から、衝突天体は、炭素質型小惑星という結論をだしています。その根拠はどのようなものなのでしょうか。少し詳しく紹介していきましょう。


 前回、衝突天体が、炭素質型小惑星だったということを紹介しました。ルテニウムの同位体組成を根拠に決定したのですが、その詳細を見ていきましょう。
 フィッシャー・ゲッデらは、K-Pg境界に濃集しているルテニウムの同位体組成を、高精度に分析していきました。同位体組成の測定は、精度を上げるために、101Ruの値を分母にして100Ruとの同位体比でおこなわれます。その値を、比較するときは、違いが小さいために、ある基準にされている物質(標準試料)と比較した値でおこなわれます。
 標準試料としては、南アフリカのブッシュベルド(Bushveld)クロミタイト(UG2と呼ばれます)を用いられています。試料でえられた値(比)を、標準試料の値(比)で割った値(比)として規格化していきます。この値は小さいので、1万倍(1万分率)して示されます。このような比率はε100Ru(イプシロン)として表します。ほかにも1000倍にするパーミル(‰)、100倍したものは馴染みのあるパーセント(%)などの表示法があります。
 隕石でも、新たにルテニウム同位体組成を高精度に測定してε100Ruを求めています。分析された隕石としては、炭素質コンドライト、エンスタタイト・コンドライト、普通コンドライト、鉄隕石でした。その結果、K-Pg境界の試料は、炭素質コンドライトに非常に似ていることが明らかになりました。
 次に、論文タイトルにあった炭素質型小惑星についてです。炭素質型小惑星は、小惑星をスペクトル分析によって区分されたものです。スペクトル分析とは、光(天体の場合は太陽光)が天体に当たったとき、表面の物質によって、吸収されたり反射されたりする光の波長が決まっています。波長を細かく調べることで、表層の物質を区分していくことができます。例えば、ものの色などは、その物質の特徴を表していることを意味します。
 小惑星帯周辺には、小天体が多数あるので、望遠鏡を用いてスペクトル分析がされています。そのスペクトル分析をもとに小天体が分類されています。
 隕石と小惑星が対比されています。隕石は小惑星帯から飛来していることが、落下時の軌道計算からわかっています。小天体と隕石は、それぞれをスペクトル分析して比較していくことで、両者の対応関係を決めることができます。
 炭素質型小惑星とは、隕石の炭素質コンドライト(carbonaceous chondrite)と似ているC型(炭素のC)に区分されるものです。炭素質型小惑星は、木星軌道より外側に多く分布していることもわかっています。
 K-Pg境界で衝突した天体は、隕石としては炭素質コンドライトの同じルテニウム同位体組成をもち、炭素質コンドライトは、木星軌道より外側から由来した炭素質型小惑星に類似していることになります。以上のことから、論文のタイトル「衝突天体が炭素質型小惑星だった」ということになったわけです。
 さて、この論文では、地球のほかの時代の衝突クレータの物質も分析しています。それは、次回としましょう。

・三寒四温・
2月末から3月初めにかけて、
雨が降ったり雪が降ったり
根雪が溶けたり凍ったりを
繰り返しています。
冬が終わる頃なので、
三寒四温の様相を呈しています。
春先の三寒四温が終わると、
本格的な春がはじまります。
北海道の春は、雪解けの時期が長く続きます。
今年の雪解けは早く進んでいるようです。

・不足の事態・
3月になりました。
ただし、このエッセイは、
前回のエッセイでも紹介しましたが、
研究室の退去が2月末になったので、
自宅でのコンピュータや研究環境を
整えなければならないのですが
バタバタしている可能性があります。
そのため、早めに予約配信して
不足の事態に備えました。

2026年2月26日木曜日

3_234 大絶滅を起こした隕石 7:ルテニウム

 このシリーズでは、ここまで、6つのエッセイを書きました。これらは、前置きに当たるので、少々長くなりました。今回から、いよいよ大絶滅を起こした隕石の話題になります。論文の紹介からしていきましょう。


 K-Pg境界で恐竜などの大絶滅が起こった時代の話題で、論文は2024年8月のScience誌に掲載されました。
Ruthenium isotopes show the Chicxulub impactor was a carbonaceous-type asteroid
(ルテニウム同位体組成は、チクシュルブの衝突天体が炭素質型小惑星だったことを示す)
というタイトルでした。ドイツのケルン大学のフィッシャー・ゲッデ(Mario Fischer-Gödde)らの共同研究で報告されました。大絶滅を起こした衝突天体の特徴を明らかにしたという内容です。
 1980年のアルヴァレスたちの論文で、大絶滅があったK-Pg境界部の地層にだけ、イリジウム(Ir)の含有量が多いことが、衝突の重要な根拠になっていました。イリジウムは、隕石に多く含まれている成分であるために根拠となりました。
 激変説に反対する人たちからは、火山噴火による放出でもイリジウムが濃集することがありえます。これが論点のひとつになりました。隕石衝突が原因ならば、短時間で突然、一気に大絶滅が起こります。一方、火山噴火であれば、長期間(数万年)で、噴火の影響が及ぶにつれて少しずつ絶滅が広がっていくはずです。
 多種多様な観点、手法で多数の研究がなされました。各地で衝突の証拠や、短期間に一気に大絶滅が起こったことがわかってきました。これで論争に決着を見ました。
 K-Pg境界部の地層には、イリジウムの他にも白金族元素が高濃度で含まれていいて、ルテニウム(Ru)もその仲間です。今回の論文では、試料から、ルテニウムに着目して、同位体組成から、衝突した天体の特徴が探されました。
 ルテニウムは、原子番号44ですが、中性子の数が50~60まであるので、いろいろな原子量のものがあります。同じ原子の種類なのですが、多数の同位体があり、天然には7種(96Ru、98Ru、99Ru、100Ru、101Ru、102Ru、104Ru)が安定して存在しています。ルテニウムの分析値は、7種の同位体の混合物を分析していることになります。
 ルテニウムの同位体組成を詳しく調べて、由来を明らかにしていこうというものでした。隕石の衝突が原因であることはすでに判明しているので、衝突天体の特徴を明らかにしようとすることが、論文の目的です。その結果、タイトルにあるとおり、炭素質天体だったということを明らかにしました。
 その天体の詳細と判定方法は、次回にしましょう。

・研究室退去・
研究室退去の日程を
担当職員の方と調整しました。
2月27日(金)が平日としての末日になります。
当初はその日に退去の予定にしていました。
ところが、大学の来年度の講義のシラバスが
28日が締め切りとなっています。
また、2月25日(水)が後期の評価に対する
学生からの問い合わせ期間となっており
対処が必要になるかもしれません。
28日土曜日まで猶予をもつことにしました。
3月1日(日)に、残しておいたパソコン関連の
荷物を搬出していくことにしました。
その事情を職員に説明して了承をとり、
3月2日(月)の午前中に退去することにしました。
退去は、職員立会いのもと、研究室のチェックがあり、
鍵を渡して、終わりとなります。

・新しい生活パターン・
長きに渡り、この研究室を利用してきました。
起きている時間の大半を、ここで過ごしたと考えると
感慨深いものがあります。
3月からは、新しい生活をスタートしなければなりません。
自宅での研究環境の確立、
健康のための運動方法、
日常の生活パターンなど
いろいろな変化に対応していかねればなりません。
それも楽しんでいけければと思います。

2026年2月19日木曜日

3_233 大絶滅を起こした隕石 6:激変説の復活

 年代測定で、地球には長い時間が流れていたことが明らかされました。斉一説によって、科学は、宗教の激変説の呪縛が解かれました。しかし、20世紀後半、科学の世界に激変説が復活してきます。


 年代測定により、地球創成が、聖書に記された数1000年前ではなく、何桁も古いことが明らかになってきました。現在の年代測定で、地球創成は45.6億年前となっています。
 年代測定は、宗教的呪縛を破るとともに、斉一説が激変説に勝利したことも意味しました。ケルヴィンが示した科学的推論による「時間の壁」が、別の科学的結果によって更新されたことになります。この科学の自己修正機能が、科学的方法論のよさでもあります。
 科学的方法論は、斉一説すら、置き換えられることになります。
 1980年、アルヴァレスたちは、中生代と新生代の時代境界(K-Pg境界)に起こった大絶滅が、巨大隕石の衝突が原因だと発表しました。ところが、アルヴァレスらの研究は、隕石の衝突による大絶滅は、ノアの洪水に匹敵する天変地異でした。これには、西洋の科学者たちは、大きく反論しました。もちろん地質学者たちの多くが反論しました。
 それまで、20世紀までの激変説と斉一説の論争が、放射性元素を用いた年代測定によって、斉一説が勝利したのに、このアルヴァレスたちの論文は激変説の復活となります。
 多くの地質学者が、反論のためもあって検証作業をすすめたところ、地球全域で、隕石衝突の痕跡が見つかってきした。年代測定も正確になされ、当時もっとも精度のよい時代境界が、K-Pg境界といえるほどになりました。議論の末、大絶滅と環境の激変、つまり天変地異が起こっていたのことが確定されました。これは激変説の復活、あるいは新激変説の登場となりました。
 他の時代境界の大絶滅も、天変地異が起こったのではないかと再検討されてきました。生物史上最大のペルム紀と三畳紀(P-T 境界)の大絶滅は、隕石の衝突ではありませんが、シベリア・トラップと呼ばれる巨大な火山活動によることがわかってきました。これも天変地異によるものだとわかってきました。現在のところ、他の時代の大絶滅についてはまだ不明ですが、これまでの斉一説では説明できない激変が起こっていたことも明らかになってきました。
 科学的方法論によって、地球史には斉一説だけではなく、激変説による事象も存在していることを証明したことになります。これも、科学的方法論の自己修正機能でしょう。

・非常勤講師・
寒波の中の雪まつりも終わり、
大学も一般入試も終わり、
後期の成績評価も終わりました。
次は、来年度のシラバスの締切が2月末に来ます。
これで今年度の大学での
校務がすべて終わりとなります。
4月から、継続となりますが、
非常勤講師として、
週1日ですが、勤務することになります。
前期は新キャンパスで1講
後期には今のキャンパスで2講
全部で3つの講義を担当します。

・開け渡し・
2月末に、研究室の開け渡しがあります。
処分の困っていた書棚も
大学に頼んで処理をお願いしました。
元は大学に備品だった机やテーブル類もあるのですが、
これも同じように処理を
お願いしようと思っています。
引き渡しまで、最低限の研究環境を
維持したと考えています。
着実に準備を進めています。
最後の週にすべての搬出をするのですが
できるだけ研究に停滞が起こらないように
作業が進められばと思っています。

2026年2月12日木曜日

3_232 大絶滅を起こした隕石 5:年代測定の確立

 20世紀になってから、放射性核種の発見とその計測法の開発によって、年代測定が確立されました。年代値の確定によって、「時間の壁」が突破されました。それは、宗教の呪縛からの解放でもありました。


 過去の事象を探求する地質学では、化石による古さの順序(層序区分)や古さの区分(相対年代区分)ができ、化石が豊富な地層ではかなり詳細な区分ができていきます。しかし、化石のない地層、あるいは化石が見つからない時代には、この方法は適用できません。
 過去の物質を対象とする地質学において、定量的な年代測定は念願でした。この念願を達成するためには、原子核、放射性元素の研究、そして各種ごとの測定技術が確立されるまで待たなくてはなりませんでした。
 19 世紀末、ベクレル(Antoine Henri Becquerel)が放射能を発見し、ラザフォード(Ernest Rutherford)らが放射性崩壊が一定の速度あることを示したことから、年代測定の可能性がでてきました。
 ボルトウッド(Bertram Boltwood)が、ウランを含む鉱物中の鉛の量から、年代が計算できることを、1907年に示しました。この方法は、ウランが放射壊変して鉛ができることから、もともと鉛を含まない鉱物(ウラニナイトなど)で、鉛の量を測定すれば、その鉱物が結晶してからの時間が計測できるはずだという考えです。この論文では、世界各地から43個の試料を集めて分析して、年代を計算しました。その年代は、4億1000万年から22億年になりました。
 しかし、この年代値には問題がありました。少ないとはいえ鉱物にもともと鉛(初期鉛と呼ばれます)が含まれていた場合の区分ができていませんでした。また、ウランには2種の放射性同位体(238Uと235U)があり、鉛にもいくつもある同位体が区分されていませんでした。ただし、当時はこれらの同位体については、まだ未発見でした。
 ホームズ(Arthur Holmes)は、1911年(当時21歳)に、ボルトウッドのアイディアを改良して、ウランが鉛に変わる速度(崩壊定数や半減期と呼ばれます)を精度をよく決定して、初期鉛や風化の効果なども配慮しました。そこで、3億7000万年、10億2500万年、16億年の年代値を示しました。1930年代以降には同位体を測定する装置(質量分析計)をもちて、より正確な年代測定の方法を確立しました。ホームズが示した最古の岩石は、1913年には16億年前でしたが、1930年代には30億年前でした。理論的に推定した地球の年齢は、1946年には鉛の同位体の比率から理論的に地球の年代を約33億5000万年前となりました。
 各種の放射性性元素による年代測定法として、14C法、K-Ar法、Rb-Sr法、Nd-Sm法などが開発されてきました。放射年代の測定法の確立によって、絶対年代が測定でき、「時間の壁」が突破できることになりました。地球創成の時代は、聖書に書かれた時代に比べて、古いことが確定しました。
 しかし、化石による相対年代が不要になったわけではありません。化石が多産する地層では、年代区分の精度の方がよいことがあります。相対年代と絶対年代が両者を加味して、年代区分がなされています。
 また、年代測定には、いろいろな方法があるのですが、年代測定できる物質(岩石や鉱物)が限定されることです。含まれる放射性核種の種類と年代にふさわしい半減期、その核種を測定する技術も伴わなければなりません。
 現在、測定する技術の改良が進められて、微小の部分、微量の成分などの測定も可能になってきました。それでも、すべての岩石や地層の絶対年代が測定されているわけではありません。

・繰り返される寒波・
1月下旬から2月上旬にかけて
何度も寒波の襲来がありました。
地域によっては、大雪による交通の混乱もありました。
JR北海道の雪の脆弱性が問題になりました。
とくにインバウンドへの影響が大きくなったので
ニュースにもなりました。
安全性への配慮も背景にあるのではないでしょう。
しかし、以前から大雪があるの列車の遅延は当たり前で
北海道の人はしかたがないと思っていました。
現在は、時間通りに物事が進まないと
批判されることになるのですね。

・荒天の日はひっそりと・
我が家は、悪天候の日は、
自宅でじっとしているのが原則です。
毎日徒歩で大学に来ているので
大雪でも問題ではありません。
今年は以前に体験したひどい吹雪と比べると
それほど大変ではありませんでした。
大雪だと自宅での除雪は大変ですが。
徒歩による通勤も
今月一杯で研究室の明け渡しになるので
終わりになります。

2026年2月5日木曜日

3_231 大絶滅を起こした隕石 4:時間の壁

 地質学に斉一説が導入され、地球には古い歴史があることが示されました。物理学でも、地球の年齢が推定されましたが、地質学の示した年代より短いものでした。この矛盾は「時間の壁」と呼ばれるものでした。


 聖書の記述から、地球創成は6000年前と算出されていました。一方、斉一説を受け入れた地質学では、地球には非常に長い時間が流れていると考えました。現在みられる自然現象が、過去にも同様に働いて、地層ができたと考えられます。すると、地層ができるには、長い時間の自然現象の継続が必要となります。
 地質学的に推定された長い時間は、進化に必要な時間を保証していました。ダーウィンは「種の起源」の中で、ある地方(Weald)の海蝕崖の浸食速度を斉一的に仮定してみると、3億年ほどの時間が必要という算出しました。ひとつの地域、ひとつの崖だけでも3億年もの時間が必要となるので、地球には長い時間が流れていたと考えました。
 侵食や地層形成の現象は、非常のゆっくりとしか働かないこと、いくつもの仮定や推定の上での計算であること、地球の年代が間接的にしか示されていないこと、などの問題がありました。
 ケルヴィンは、物理学的に地球の時間を考えました。地球初期を高温の球体と考え、内部に蓄えられた熱が、熱伝導で冷めていくと考え、現在の地殻の温度勾配(地温勾配)の実測から、熱伝導方程式を用いて、推定しましました。そこから、地球の年齢が3000万年から1億年としました。また、太陽の重力収縮から太陽の年齢が1億年未満だと推定しました。独立した方法でえられた年代が似ていたことから、信憑性がある年代だとして、地質学者たちが主張する長い年代ではないと反論しました。これが「時間の壁」と呼ばれるものでした。
 ケルヴィンは、科学的方法で、再現性をもった実験や法則に基づいた定量値を示しました。現在の知見からすると、地球の内部には放射性元素という別の熱源、熱伝導ではなくマントル対流にて熱が伝わることなどが明らかになってきました。また、地温勾配の値は地表付近のもので、全地球に適用するには、大きくすぎる速度になっていました。しかし、これば後付の知識ですので、当時は、「時間の壁」は非常に大きな課題となり、以降、50年以上に渡って議論されることになりました。
 化石の多数でる地層では、化石の種類の変化から、非常に細かく見分けることできるため、時代区分には利用できます。別の地域の地層で、同じ化石が見つかれば、その時代区分が適用できます。ある地層から、ある時代を示す化石(示準化石)が見つかれば、それより下の地層は「より古く」、上の地層は「より新しい」という判別ができます。このような時間の示し方は「相対年代」と呼ばれています。新旧が定性的に示されているに過ぎず、これでは「時間の壁」は突破できません。
 「時間を壁」を突破するためには、直接、地層や岩石、化石などの時代を定量的に示す必要がありました。定量化できた年代を「絶対年代」と呼びますが、それができたのは、20世紀半ばまで待たなくてはなりませんでした。

・またもや大雪が・
北海道は、週末にまたもや大雪となりました。
我が家で妻は、車は使わず、
除雪のみに外にでて、
あとは、自宅にこもって
じっとしていることになります。
私は、どんなに大雪の中でも、
1時間ほど歩けば大学に着きますので、
いつもの通り歩いてきました。
ただし、ガリガリに凍って歩けないときが
今シーズン2日ほどありました。
今月は、そうならないことを願っています。

・明け渡し・
いよいよ、2月になりました。
今月いっぱいで研究室の明け渡しとなります。
それまでに研究室を
研究を継続するのに
最低限の機材は残しています。
ほぼ、片付いているのですが、
27日には、空っぽにしておかなければなりません。
24日から26日の3日間で最終的な搬出を考えています。
天気が問題ですが。

2026年1月29日木曜日

3_230 大絶滅を起こした隕石 3:論争

 斉一説、それを元にした進化論は、発表当時には、社会や学界から激しく批判されました。それらは、やがて受け入れられ、科学的方法論やその概念が、現在の科学の基礎となっていきました。


 教義に則った激変説と科学的方法論による斉一説との論争は、イギリスとフランスで激しく起こりました。その様子を少し見ていきましょう。
 イギリスでも、当然ながら、当時は地質学者も激変説を信じていました。斉一説は、18世紀末にハットン(1726~1797)が最初に唱え、その考え方は「現在は過去の鍵である」といわれていました。その後、ライエル(1797~1875)も、詳細な地質現象をもとに、斉一説に基づいて大著をしたためました。
 ダーウィン(1809~1882)も、ライエルの著書をビーグル号に乗っている時に入手して、斉一説の存在を知り、受け入れていました。ダーウィンは、自然淘汰という現象の積み重ねで、生物は進化してきたと考え、1859年に「種の起源」で進化論を提唱しました。進化論には、長い時間が必要になります。地質学的な斉一説を受け入れれば、聖書に示された時間(6000年程度)より、もっと長い時間が、地球には流れていたことを意味しました。
 ダーウィンの進化論は、「種の起源」出版直後から、かなり話題になりました。しかし、宗教界からも、恩師(アダム・セジウィック)や科学界からも激しい批判を受けました。ダーウィンは、その批判や書評に敏感になり、第2版では修正を加えています。
 ダーウィンは、公開の場での討論は避けました。その討論の代役をかってでたのが、ハクスリーで「ダーウィンのブルドッグ」とも呼ばれていました。もちろん、一部の地質学者や生物学者、若い人からの支持はあり、やがては科学界に受け入れられていきました。
 フランスでは、キュビエとラマルクが。生物進化について論争していました。キュビエ(1769~1832)は、各地から産する動物化石、とくに脊椎動物化石を研究し、「比較解剖学」の手法を確立しました。そのため、脊椎動物古生物学の祖ともいわれています。キュビエは、激変説によって古生物の変化を説明しました。
 キュビエは、生物は進化しないと考えていました。何千年前にも、犬、猫、人間はいるが骨格の変異も進化もしておらず、変種でさえ骨格は近似していることを比較解剖学で示しました。斉一説に対して、化石種から見られるように絶滅種は多数存在するが、生物連鎖(生物進化)があるなら、なぜ絶滅があり、連鎖が途切れているのかという批判をしました。
 一方、ラマルク(1744~1829)は、斉一説で生物進化を考えました。無脊椎動物化石の研究から、生物は無生物から自然発生し、単純なものから、複雑なものへと「前進」する、つまり進化してきたと考えました。自然界には、発生時期の違いによって、発展段階の違うものが階層的に存在すると考えていました。生物は、現在用いている器官(キリンの首)が、必要に応じて(高い木の葉を食べる)、優位に働く(首が長い)であれば、それが子孫に遺伝すると考え、「用不用説」の提唱しました。獲得形質(使って変化した形)が遺伝するという考えでした。
 キュビエの考えは、当時は多くの支持を受けていたのですが、ラマルクやライエルに反対され、やがて斉一説を受け入れました。ダーウィンにも影響を受け、進化説も受入れることになりました。

・大雪・
先週末には、全国的寒波や大雪で
大混乱となりました。
今回の寒波は厳しいものでした。
雪に慣れている北海道でも、
混乱はおきました。
わが町より、札幌の方に雪雲が伸びて
大雪となりました。
幸い日曜日だったので、
交通量が少なかったのが幸いでした。
交通の乱れは、しばらく続きました。

・影響や乱れ・
大学は月曜日は大雪のため、
一日休講となりました。
月曜日から、後期の定期試験期間に入るため
試験日がずれることになりました。
どうなるかは別途、連絡があるのでしょう。
このメールマガジンは月曜日の朝に
予約配信しています。
そのため火曜日以降の状況はわかりませんが、
これで寒波や大雪が
一段落すればいいのですが。

2026年1月22日木曜日

3_229 大絶滅を起こした隕石 2:造形力説

 現在の科学は斉一説に基づいて進められているので、地層も、化石のでき方も現在の現象や生物をもとに考えられていきます。では、中世から近世のキリスト教が支配的な世界では、どのように考えられていたのでしょうか。


 中世から近世のキリスト教が支配的な世界では、聖書に記載された内容が正しいと信じられていました。自然現象も、聖書に書かれていることで説明されてきました。
 創世記には、生物の出現も多様な生物も、神がつくったと書かれていました。地層の形成も、生物の絶滅も、聖書にあるノアの洪水のような天変地異で説明されてきました。
 科学的知見が増えてくると、地層の中から見つかる化石は、多様で、現在はいないような形態の化石も、多数見つかってきました。地層の順に、化石の形態が変化していくこともわかってきました。このような化石の多様性や変化は、聖書の中の出来事だけでは説明できませんでした。
 自然に内在する「造形力(形成力)」という神秘的な作用があったと考えられました。これは、神が、混沌から秩序をもたらし、生物や人間に固有の形を与えるという考えです。生物の形態は、造形力によって、一定の秩序や方向性をもって生み出されると説明されました。化石も、造形力の表現様式の一環で、石が生命の形を模して石化し、成長したと考えられます。地層内の生物種の消滅(絶滅)も様式の転換として説明されてきました。
 造形力説であれば、神秘的な作用で、化石や生物の形態の変化など、どのような形態や、どのような形態変化も説明できました。造形力説で、生物や化石の問題は解決できそうでした。しかし、造形力自体の解明は困難でした。
 ところが、問題はまだありました。それは時間でした。聖書に書かれている時間は、天地創造が今から6000年ほと前で、地球の歴史は、それ以降にすべて起こっていなければなりませんでした。
 科学が発展してくると、斉一説が生まれてきました。斉一説とは、地質現象は、現在見られる自然現象の集積によって進んでいくという、ごく素直な考えでした。
 例えば、河川が氾濫したら、川に堆積していた土砂が一気に海に流れ込み、海底に堆積します。洪水は稀な現象ですが、数十年、数百年に一度は起こります。ただし、この洪水という稀な現象は、人間にとってであり、地球の時間にとっては、「しょっちゅう」起こっている現象となります。海底には、このような堆積物が繰り返し溜まっていきます。山をつくっている地層の存在は、地球には非常に長い時間が流れていたことを意味しています。
 斉一説では、造形力のような神秘的な作用ではなく、化石の多様性や変化も説明できました。山をつくっている地層中に貝化石には、現在の海に生きている貝に似ているものもあります。もともとは海で生きていた貝が、土砂が洪水にで海底に運ばれた時、貝も土砂に埋まったと考えれば、山の地層内の化石も説明できます。
 斉一説に従えば、地層も化石も、現在起こっている自然現象によって説明できます。斉一説で地層や化石の形成を考えるには長い時間が必要となります。ただし、何年くらいの時間が流れていたかは、不明でした。過去の時間の定量化はできていませんでした。
 激変説と斉一説は激しく論争しました。激変説は、これまでのキリスト教の信仰の中で考えればよく、当時の教義や常識に叶っていました。一方、斉一説では、論理的ではありますが、教義に反する異端となる考え方でした。斉一説を唱えるのは、それなり勇気も必要でした。
 その論争については、次回としましょう。

・共通テスト・
このエッセイは、19日に配信しています。
大学入学共通テストが先週末に終わりました。
交通の乱れがあると、
受験生も試験会場の担当者も
大変な思いをすることになります。
札幌の一部会場で開始時間繰り下げがありましたが
無事に終わりました。
北海道では、週半ばには
寒波が来るとの予報がでています。
何度も寒波は来ているのですが
今回の寒波は、かなりの降雪が
週末まで続くとの予報です。
試験と重ならずによかったです。

・研究室の使用期限・
先週、研究室の使用期限に関する連絡がきました。
2月末までが期限となっており、
それ以降の延長は認めないというものでした。
27日に退去することにしました。
現在、日々使う最低限のものだけを
研究室に残して、
毎日持てるものを運んで帰っています。
ほぼ片付きつつあります。
現在、研究の必要な最低限のものになっています。
日々、静かに研究できる環境は
捨てがたいものがあります。
3月からは、自宅が研究の場となります。
緊張感の継続が重要かと思っています。

2026年1月15日木曜日

3_228 大絶滅を起こした隕石 1:斉一説

 恐竜絶滅が隕石の衝突によるものというのは、多くの人が知っています。ところが、その隕石は少々異なった性質をもっていることがわかってきました。隕石の性質が、どのようなものだったのかを紹介していきます。


 このシリーズでは、恐竜を大絶滅に至らせた隕石の種類に関する論文を紹介していきます。ただし、まず、恐竜大絶滅が隕石衝突によるものだという説に至るまでの、いろいろな論争を紹介しながら、説明していくことにします。
 中生代白亜紀と新生代の古第三紀の境界は、生物の大絶滅によって区分されています。K-Pg境界と略されて呼ばれています。時代境界は、両側の時代名の略号を用いて示されます。Pgは英語の古第三紀(Paleogene)の略号です。白亜紀(Cretaceous)は、CではなくKとなっているのは、Cは石炭紀(Carboniferous)の略号としてすでに用いられているので、ドイツ語のKreidezeitからKが使われています。
 さて、K-Pg境界では、恐竜の大絶滅は有名ですが、それ以外の生物種も同様に大絶滅しています。その原因となったが、隕石衝突という事件であることは、多くの人が知るようになりました。大絶滅を起こすのですから、隕石衝突の規模が、いかに大きかったのかが想像されます。
 K-Pg境界の隕石衝突が、はじめて科学的に確定された大絶滅の原因になります。それ以前は、K-Pg境界の大絶滅や他の時代の大絶滅でも、これという定説がありませんでした。いろいろな説があり、地球内部からの現象(巨大火山噴火、プレート運動など)や、地球環境の変化(気候変動など)、激しい生物同士の生存競争のような、現在でも起こりうる自然現象で説明していくことになっていました。
 地球内で起こる自然現象による説明は、「斉一説」と呼ばれる考え方で、現在の科学でも重視されているものです。斉一説が、科学のいろいろな分野で利用されるようになると、生物の進化、新種の出現や大絶滅など、化石としてみられる種の変化は、地球内で起こる現象で、説明することになっていました。また、各種の地層形成や地層変化、火山活動なども、現在みられる自然現象の繰り返しや蓄積でできると考えれれるようになってきました。
 ところが、隕石は地球外に由来するもので、その衝突は偶然に起こる現象になります。隕石衝突による大絶滅は、天変地異によることになり、激変説と呼ばれるものです。原因としては起こりえますが、不定期に突然起こるものです。激変説は、斉一説に対抗する説になります。
 激変説と斉一説は、近世ヨーロッパで激しい論争を巻き起こしました。その論争を次回から紹介していきましょう。

・科学史・
現在、科学と宗教に関する論文をまとめています。
激変説と斉一説の論争は
近世のヨーロッパの科学史においては
重要なものになります。
ですから、このシリーズでも、
科学史の内容に触れながら
隕石の性質に関する
論文の紹介もしていくことにしました。

・嵐・
週末から祝日にかけて、
北海道は大荒れとなりました。
金曜日から土曜日の午前中までは暖かく、
非常に珍しいのですが雨が降りました。
日曜日の早朝も小雨で
道路の氷が濡れてツルツルになっており
雨で溶けて水たまりになっていました。
いったん自宅をでたのですが、
危なくて歩けず、大学にでるのを断念しました。
日曜日の昼にはいったん晴れたのですが、
午後からは一転、雪になりました。
月曜日には嵐となり、降雪も激しく、
あちこちに吹き溜まりができていました。
雪が深いので長靴を履いてきたのですが、
大学に着いた時には、
長靴の中まで雪が入り込んでいました。
大変な思いをしました。
ところが昼にはおさまってきました。
激しく変化する天気でした。

2026年1月8日木曜日

4_205 志賀島 2:トンボロ

 陸繋砂州はトンボロとも呼ばれ、島と陸が砂州で繋がった地形です。砂の供給源と、その砂を陸側に運ぶ海流や風などの条件が必要となります。志賀島と海の中道は、その条件を満たしていました。


 金印の見つかった志賀島(しかのしま)は、現在は、九州と陸続きになっています。陸の東から志賀島に伸びる海の中道があります。海の中道から砂嘴が東西に伸びて、志賀島まで繋がっています。陸繋島とも陸繋砂州(りくけいさす)、あるいはトンボロとも呼ばれています。現在は、砂嘴の上に道路が整備され、1928(昭和3)年に志賀島のと間に橋(志賀島橋)が架けられて、安定して陸続きとなっています。
 志賀島はもともとは島なのですが、山地になっています。一方、海の中道はのっぺりとした平地になっており、長さは約8km、幅は最大約2.4kmにも達しています。海の中道北側の海岸には砂丘ができています。それぞれ全く異なった地形となっています。これは大地を形成した地質が異なっていたためです。
 志賀島は、主に白亜紀の花崗岩類からできています。花崗岩類は、マグマが深部でゆっくりと冷え固まった深成岩類で、花崗閃緑岩(花崗岩と閃緑岩の中間的な深成岩)という岩石に分類されます。北部は南東の海岸沿いには、花崗閃緑岩に貫入している斑れい岩があります。斑レイ岩も深成岩類となります。
 つまり、志賀島は、マグマが深部で冷え固まった岩石からできていることになります。深成岩なので地下深部で形成されたので、周辺にはなんらかの岩石類があったはずです。それらは、長い時間、侵食を受けたため、現在では残っておらず、花崗閃緑岩と斑レイ岩が露出している島となっています。非常に古い時代に形成され、侵食を受けたところとなります。
 海の中道は、第四紀に堆積した砂礫からできています。この堆積物は、砂浜でたまったものが、砂丘を形成しています。砂丘の堆積物は二層あり、氷河時代以前に形成された「奈多(なた)砂層」、その上に「海の中道砂層」がたまっています。この砂丘の形成の作用が継続したことで、志賀島とつながっていきました。
 砂丘をつくった大量の砂は、志賀島の花崗岩類が供給源だと考えられています。花崗岩類は、風化や侵食に弱い岩石なので侵食されやすく、砂状の「真砂(マサ)」となって海に流れ込みます。海に流れ込んだ砂は、志賀島の東側を回り込んだ海流に運ばれ、海の中道に海岸に打ち上げられます。ただし、砂丘の形成は、少々複雑な歴史をもっています。
その砂が、日本海からの北風で陸に持ち上げられます。その作用が長く続くことで、志賀島と陸地の海の中道をつなぐ砂州、そして砂丘となっていきました。
 氷河期には海面が低下して、奈多砂層が砂丘として形成されていました。ところが、1万5000年前の温暖化で海面上昇が起こり、海の中道の奈多砂層が侵食を受けました。海面上昇がもっとも大きかった4700年前(縄文中期)ころには、かなり北側に砂丘ができていました。その後、3100年前(縄文晩期)ころには寒冷が起こり、現在と同じくらいの海面になると、海の中道に砂丘で再度形成されました。
 現在は、侵食と堆積が均衡して安定化しています。ただし、人間の時間スケールでの安定にすぎません。地球環境において、気候変動は常に興っている現象なので、今後、どうなっていくは不明です。

・新年のスタート・
大学の講義も昨日からはじまりました。
1月4日から大学にはでていました。
年末年始の休みの期間は、
暖房が最低限にしか入っていません。
そのため研究室も寒い状態となっています。
その対策としては、まずは厚着で
あとは小さな電気ストーブで
なんとか寒さを凌いでいいます。
昼過ぎまでは仕事をしていましたが
長時間は寒いです。

・再訪・
今年の、5月の連休明けに
福岡に旅行することにしました。
再度、長男に1日車を出してもらう予定でいます。
主に北九州を見ていく予定でいます。
博物館や景勝地を見るつもりです。
車のない日は、宿泊施設の近くの
博物館などをみていくつもりです。
そして今回も、志賀島に宿泊することにしています。

2026年1月1日木曜日

6_215 年齢と時間の感じ方

 毎年、年末になるとこの1年があっという間に過ぎ去ったことを思います。それは年々短く感じています。ほんの1日の差しかありませんが、年始には新しい年の1年の計を考えています。時間の感じ方についてい考えました。


 年齢ととともに、時間の経過を速くなっているように感じてしまいます。多くの人が、同じように感じていることではないでしょうか。脳の働きが関係しているとは考えられますが、これまで仕組みがよくわかっていませんでした。その感じ方が、科学的に解明されてきました。
 イギリスのルグトマイヤー(Lugtmeijer)らの共同研究で、その仕組を明らかにしてきました。2025年10月8日、Communications Biologyという科学雑誌に
Temporal dedifferentiation of neural states with age during naturalistic viewing
(自然な視聴中に加齢に伴う神経状態の時間的脱分化)
というタイトルで報告されました。
 タイトルの中の「時間脱分化(temporal dedifferentiation)」という言葉が、とてもわかりにくいものにしています。歳を取ると、脳が体験を区切る「境界線」(分化)が減っていきます。これが「脱分化」となります。その時間的分化が減っていき、出来事が一つにまとまって感じられるようになることを意味しています。
 自然な視聴中の体験とは、ケンブリッジ老化・神経科学センター(Cam-CAN)の577名の参加者(18~88歳)に、8分間の映画を視聴するという実験のことです。参加者の34の年齢グループに分けて、映画を見て、イベントの終了と別のイベントのはじまりと感じたときにボタンを押すことにしました。その実験中、脳の神経状態の変化を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で観測しています。
 その結果、視覚野と腹内側前頭前野に、神経状態が加齢とともに有意に長くなることがわかりました。これも難しい内容です。
 イベントの境界は、脳の状態変化と重なっているのですが、年齢には影響はありませんでした。ところが、加齢とともに、脳は出来事を細かく区切らなくなり、より大きな流れとしてまとめて処理していることがわかりました。同じ時間でも、記憶される時間感覚が、加齢とともに長くなっていくことになります。つまり、加齢によって脳が時間の流れを細かく区切るのをやめ、体験を大きなまとまりとしているのです。そのため、時間の流れが速く感じられる現象となっていることになります。加齢による時間の流れの速さは、錯覚ではなかったのです。
 もしこの仮説が正しければ、老人になるほど、1年が早く経つことは、拒めないということになります。しかし、見方を変えれば、全体をまとめて理解し大局を掴むための「効率化」がされていることにもなります。これは年の功ともいえるのではないでしょうか。

・来し方行く末・
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
とはいっても、今年も、年末まで大学にいて、
暮れに、この1年の来し方を考えていました。
そして、今年はどのように過ごすかの行く末、
1年の計も、年末に立ています。
正月から三ヶ日は休むことしています。
このメールは2025年末に配信しています。

・コホート研究・
この報告は、疫学研究の手法となる
コホート研究の対象者を参加者にしています。
コホート研究とは、定まった参加者集団を
長期追跡し、生活習慣や病気の関係を調べる
研究手法となっています。
日本でも、国立がん研究センターで
「多目的コホート研究」が実施されています。