2014年11月27日木曜日

1_136 地球の水の起源 2:3つの仮説

 地球の水の起源には、いくつか仮説が提唱されています。時代によっていずれかの説が優勢になりました。少し前までは隕石起源が有力でした。最近新しい考えがいろいろでてきました。水の起源の説を広く概観していきましょう。

 地球の水の由来に関して、いくつもの説が登場し、時期によって支持される説も変わってきました。最近も、新しい報告が出てきていて、勢力図が変わるかもしれません。
 水の由来にかんする説は、大きく3つに分けられます。その3つの説の概要を紹介しましょう。
 まず一つ目は、1980年代に登場した脱ガス説です。脱ガス説は、前回紹介したコンドライトに含まれている揮発成分が、地球の水の起源だと考えるものです。地球の材料にもともと水が含まれていたというものです。地球をつくった材料は、最初は隕石のような小さいものからスタートし、最終的には微惑星と呼ばれるくらいの大きさまで成長した天体でした。
 微惑星が衝突合体して原始の地球に成長していくのですが、衝突の時に発生する高圧高温によって、微惑星からの脱ガスが起こるというものです。微惑星はコンドライト質の物質からできているので、そこには大量の揮発成分が含まれていると考えるわけです。その揮発成分が、地球の水の起源だとするものです。
 しかしこの説には、問題がありました。宇宙空間では気圧が低い(真空に近い)く、太陽からの地球の位置も近く、H2Oは液体の水ではなく水蒸気の状態であると考えられます。水蒸気は固体には取り込まれにくい「相」です。そのため地球軌道付近でできたコンドライトや微惑星には、H2Oの成分を含みにくいという難点があります。その課題は、H2Oの微粒子への吸着などで、少しは取り込めるはずということで解決しようしています。
 2つ目の説は、レイトベニア説と呼はれるものです。地球の水の占める割合は、質量でみると0.02%にすぎません。この程度の量であれば、地球が出来上がってから、水を含んだ炭素質コンドライトでできた微惑星や氷でできた彗星が衝突すれば、供給できるというものです。脱ガス説と似ていますが、時期と規模が違い、一度の衝突で水の起源を解決できるという利点があります。さらにこの仮説は、本来なら核(コア)にあるべき元素(Ru、Rh、Pd、Re、Os、Ir、Pt、Au)が、地球のマントルには多く含まれている、という特徴も説明できるという利点もあります。このような利点から、近年この説が支持されてきています。
 最後の説は、原始地球がガスとして取り込んだというガス捕獲説です。太陽の系形成時期に存在したはずのガスの成分の中に、もともとふんだんにあったH2O、あるいは水素と酸素を大気として原始地球が捕えたというものです。原始地球が月くらいのサイズになると、引力で周辺のガスを集めることが可能になります。そこに水蒸気もしくは水素と酸素があれば、反応してH2Oになり、温度が冷えればやがて海ができると考える説です。
 いずれがもっともらしいかは、まだ議論されているところです。今回、2つの説を支持する報告が相次ぎました。詳しくは次回です。

・レイトベニア・
レイトベニア(late veneer)説とは、
ベニア板の表面にある薄い化粧板のように、
後から少しだけ付け加える
という意味で付けられた名称です。
あまりいい呼び名とも思えませんが、
このような名称は、多くの人が使用すれば定着していきます。
それよりも、この説が受けいられるかどうか方が重要でしょう。

・日が短い・
北海道は雪が降ったり
温かい雨が降ったりと
寒さと温かさが行ったり来たりしながら
冬に向かっています。
11月も下旬になり日が短くなってきたました。
この頃は、4時前に日の入りがあり、
4時過ぎには暗くなってきます。
日の出は、6時半頃です。
日の出前に自宅を出て、
日の入り後に帰るという季節になりました。
冬至まであとひと月足らずです。
ますます日が短くなります。

2014年11月20日木曜日

1_135 地球の水の起源 1:コンドライト

 地球は青い星と呼ばれます。その青は水の色です。地球の水はどこから来たのか。地球の水の起源は、今も説が二転三転しています。今回は地球の水の話題を紹介しましょう。地球の水の起源にかんして、2つの新しい考えが示されました。

 少し前までは、材料物質に水が含まれていて、その水が地球の起源であると考えられていました。材料物質とは、隕石のことで、原始的な隕石は炭素質コンドライト(carbonaceous chondrite)と呼ばれるものです。炭素質コンドライトとは、炭素の成分を多く含む隕石です。炭素は、炭質物や有機物として存在します。
 コンドライトとは、隕石固有の組織で、丸い形の岩石(数mm程度のサイズ)が集まったような構造を持った隕石です。隕石だけにみられる組織で、地球の岩石にはないものです。そのような丸い岩石の粒をコンドリュール(chondrule)といいます。コンドリュールが集まったものがコンドライトです。
 コンドライトは、岩石が溶けていたもの(マグマ)が、冷えて固まり、集まったものです。なぜ丸いかというと、宇宙空間は無重力なので、液体は球状になります。その液が固まると丸い岩石ができます。隕石が無重力の宇宙空間ででき、地球でできたものではない証拠にもなります。
 さらにコンドライトから、太陽系ができたときに岩石がマグマになるほど高温の時期があったこと、温度が下がり固まってからのちは、つくりが消えるような高温になることはあろませんでした。隕石は固まったのち、200℃以上に上がることはなかったと考えられます。なぜなら、コンドライトには、温度が上がると抜けていくような成分が、隕石の中に残っているからです。
 コンドライトは、太陽系初期にあった各種の物質が、高温になりすべて溶けて気体や液体としてブレンドされ、その後冷えて固まりました。その後、高温になることなく、固体物質として太陽系に存在し続けたものです。それが、地球に落下したものがコンドライトなのです。太陽系の初期の素材や材料物質の「化石」ともいえる情報がつまっているはずなのです。
 炭素質コンドライトにも、炭素成分だけでなく、揮発成分もかなり含まれています。揮発成分とは、温度を上げると、固体から気化や昇華と呼ばれる現象を起こし気体になりやすいものです。炭素質コンドライトの中の代表的な揮発成分として、H2Oがあります。
 この揮発成分が、地球の水の起源だと考えられていたのですが、それが本当かどうかが、今回の話題です。

・初積雪・
北海道は、寒い日が何度もありました。
かなりの量の初雪もありました。
通勤や仕事で車を使っている家は、
今年は早くから冬タイヤにしていました。
我が家は天気予報を見て積雪ある前日に交換しました。
この雪も積もっていても昼間には溶け、
日陰に残っているだけです。
根雪ではないですが、
今年は根雪が早そうです。

・卒業研究・
4年生の卒業研究の毎日添削しています。
内容のレベルもさまざまです。
文章力もさまざまです。
彼らは2年もかけて取り組んだ仕事をまとめる、
いう初めての経験になります。
全力を出して取り組むことを期待しています。
もしかするとこのような経験は
最初で最後のチャンスかもしれません。
それぞれのレベルにあわせて、
もっと上を目指すように
緩めることなく指示を出します。
サボらないように指示します。
大変だけといい経験となると思って毎日添削をしています。
逃げることなく取り組んでいくことを望んでいます。

2014年11月13日木曜日

4_117 高知 2014年 2:足摺岬

 秋の四国調査で、足摺岬にいきました。足摺岬ではラパキビ花崗岩という珍しい石を見ることが目的でした。この花崗岩は、いろいろと不思議なことがある火成岩なのです。

 四国の西に、太平洋につきだした足摺半島があり、その先端が足摺岬です。今年の秋の調査では、高知県の西部を訪れました。足摺岬は半島の真ん中を通る足摺スカイライン(県道348号線)が主要な道路となります。住居の多くは海岸沿いにあるのですが、道が狭いので今ではお遍路や生活道となっているようです。今回も足摺半島を調査でウロウロしたので、足摺スカイライン(県道348号線)だけでなく、西の海岸道(県道27号線)も東の海岸道(県道27号線)も通りました。
 足摺岬は、四国の南側の大地はすべて付加体という地質でできているのですが、足摺岬には何故かマグマの活動があります。このマグマは、付加体の構成物を突き抜けている(貫入)ということがわかります。マグマの原因は、まだ十分に解明されていません。
 マグマの成因が不明だけでなく、そのマグマからできた火成岩も珍しいものなのです。火成岩は、アルカリ花崗岩、閃長岩などと呼ばれる、カリ長石に富んだ花崗岩の仲間です。なかでも、もっと珍しいものがあります。
 ラパキビ花崗岩と呼ばれている岩石です。ラパキビ花崗岩は、アルカリ長石(淡い肌色に見える鉱物)の周りを斜長石(白い鉱物)によって取り囲まれているのが特徴です。そのようなラパキビ状の長石は丸み(ピタライトと呼ばれます)を持っています。
 ラパキビ花崗岩というのは変わった名称ですが、ラパキビとは、フィンランド語で、ラパは「もろくて崩れやすい」、キビは「石」という意味だそうです。スカンジナビア半島、ロシア、北アメリカなどの大陸地域に広く分布する岩石で、赤っぽく見栄えのする岩石となっています。日本各地のビルで、石材としてよく利用されています。
 大陸地域のラパキビ花崗岩は、13~17億年前という非常に古い時代に形成されたものです。ところが、足摺岬のラパキビ花崗岩は、1400万年前の新しい時代にできました。できた時期でも非常に珍しい岩石です。
 そもそも、足摺岬の火成岩は、非常に不思議な位置にあります。四国の火山列(火山フロント)は山陰地方の火山群にまで奥まっています。なのに、こんな海側の火成岩類がどうしてあるのか、不思議です。それも次第に明らかにされつつあります。

・地学紀行・
これからは、ぽつりぽつりと
地学紀行も書いていくつもりです。
以前はまとめて書いていたのですが、
ついつい新しい話題や
興味をもった話題を追いかけてしまい、
疎かになっていました。
ネタがあるかぎり、
1ヶ月か2ヶ月に一度は書いていきたいと思います。

・落ち着いた色合い・
ラパキビ花崗岩の露頭は崖の下にあるようで、
私は、海岸沿いにある転石をみました。
以前にも来て見たのですが、再訪です。
大陸地域のラパキビ花崗岩のカリ長石は
濃いピンク色なので岩石全体が赤っぽくなります。
日本のものはカリ長石が淡い色なので
赤っぽくはなりません。
でもそこが日本的な
落ち着いた色合いに思えるのは
私だけでしょうか。

2014年11月6日木曜日

2_126 恐竜の生痕 3:越冬

 恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしいことがわってきました。さらに、化石の発見の場所が北極圏であったことが、重要な意味をもってきます。北極圏で、草食恐竜の群れは、どのような生活をしていたのでしょうか。

 前回までで、恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしい根拠を紹介しました。今回の足跡の発見された場所が、北極圏であったことが、次なる重要性をもってくるのです。
 北極圏では、冬は寒さだけでなく、日照時間が短く、太陽がほとんど登らない日が何日も続きます。冬に日が昇らなければ、恐竜は冬をどのように過ごしたのでしょうか。それが大きな問題となります。
 現在の北極圏は雪の覆われ、哺乳動物でも冬眠や冬ごもりでもしないと生きていけない環境です。冬眠や冬ごもりは、食料のない時期を体にためた栄養分で耐え忍ぶという生き残り戦略です。
 幸いなことに、白亜紀は、現在と比べて非常に暖かったことがわかっています。年の平均気温は、10度から12度ほどあり、冬でも2~4度ほどと推定されています。南極でも恐竜化石が見つかっているので、温暖な気候は局所的な現象ではありませんでした。全地球的に温暖期でした。
 寒いときの平均気温が2~4度だとすると、冬の寒い日には雪が降ることもあったはずです。現在の東北地方あたりの気温です。越冬せず過ごせる気温だったかもしれません。
 問題は、日射量が少なく、食物連鎖の基盤となる植物が、非常に限れていたはずです。生産者とも呼ばれる植物が冬場に枯れてしまえば、巨大な草食恐竜は暮らしていけたのでしょうか。そんな環境で恐竜の化石がみつかったというのは、どんな暮らしをしていたのか、非常に興味があるのとこです。
 ひとつは渡りをしていたという可能性です。大型恐竜が半年ごとに渡りをするのは非常に壮観ですが、何千kmもの距離を歩くので効率が悪い気がします。現在の生物、特に鳥類にはそのような習性をもっているものもいますので、鳥類の祖先である恐竜でも、渡りはあったのかもしれません。
 今回の足跡化石から、小さな足跡、つまり子ども(幼体)がいることがわかりました。亜幼体もいたことから、子育てをしながら群れで生活、移動をしていたことになります。亜幼体は前年生まれの子どもかもしれません。
 足跡の比率をみると、多数のその年生まれの子どもがいたことになります。このような多数の小さな子ども連れの群れが長距離を移動できるかは、大きな疑問だと、小林さんたちは考えています。そこから、これらの恐竜は北極圏で越冬していたと推定しています。さらには、雪も降るような環境では、変温性では耐えられないので、恒温性を持っていたのではないかとも考えています。
 新しい恐竜像が提示されました。はたしてこれが受け入れれれるでしょうか。今回の研究に期待されます。

・さらなる疑問へ・
ハドロサウルスが北極圏で越冬し、
恒温性をもっていたとなると、
さらなる疑問が生まれます。
冬の間、どう過ごしていたのかです。
極地での越冬の方法のひとつは、冬ごもり、冬眠ですが、
これは、巨大な恐竜の群れには
あまり適していないように思えます。
冬も活動していたとすると
恒温性を保つには、それなりに食料を採らなければなりません。
肉食ならなんとかなりますが
大型のそれも群れで過ごす草食性動物では、
なかなか難しい問題です。
いくら温かい時代の北極圏でも、
日照のほとんどない地域で、
草食の大型恐竜の群れが
暮らすことが本当にできたでしょうか。
しかし、現世の生物をみると、
想像を超えた暮らしをする生き物は多数います。
カリブやジャコウウシなども極寒の地で生きています。
なにせ今とは環境が大きく違っていたのですから、
人の想像などは簡単に超えてしまうのかもしれませんが。

・百代の過客・
もう11月です。
後期の講義が始まったばかりと思っているうちに、
3分の1が過ぎました。
「月日は百代の過客にして・・・」の心境です。
時間の流れは止めることができないので、
過ぎた時間を嘆くのはやめましょう。
自分の成すことを効率よくして、
時間を少しでも有効利用することに専念すべきなのでしょう。
もしかすると、生きることとは、
時間との勝負をし続けることなのかもしれません。
もう少し、のんびりと生きるすべも
あっていいのかと思うのですが。

2014年10月30日木曜日

2_125 恐竜の生痕 2:子育て

 恐竜の多数の足跡が鮮明なので、研究が進むと、これからもいろいろなことがわかってくると思います。期待できます。今回の報告では、種類と大きさ、そしてその統計から、重要なことがわかってきました。

 このシリーズは、恐竜の新しい生態の話でした。アラスカの北極圏で発見された恐竜の足跡化石からわかったことでした。数千個にもおよぶ大量の足跡が見つかっているのですが、いくつかの生物の足跡がありました。鳥や無脊椎動物の這った跡もありましたが、ほとんどが恐竜の足跡でした。
 いずれの足跡も生きている生物が移動した時につけたもので、生痕化石と呼ばれます。生痕化石は、生物の生態を把握するのに有効です。今回みつかった大量の足跡の生痕化石から、形成された時期が夏のものであることがわかりました。大きな恐竜たちが群れている、北極圏の賑やかな夏の様子が目に浮かぶようです。
 足跡の恐竜は、ハドロサウルスという時に体長10mにも達することのある大型の草食恐竜のものでした。足跡化石の保存がよく、その半数は皮膚の模様まで残されていました。ハドロサウルスの足跡を詳しくみると、サイズにはいろいろなものがありました。大きいものは80cmほど、小さいものは10cmほどと、サイズのばらつきが非常に大きなものでした。中でも、10cmの足跡は、非常に小さいものですが、その形からハドロサウルスの同じ種類と考えられています。
 足跡の大きさを計測して、統計的に見ると、4つのグループに分われることがわかってきました。これらのグループは、ハドロサウルスの成長段階の違いを表していると考えられました。小さいものは、子供(幼体と呼ばれています)のグループで、全足跡に占める割合は13%になりました。幼体の大きさは推定で体長1~2mほどです。次は少々大きめのもの(亜成体)が3%ほどありました。亜幼体のグループは、他と比べるとかなり少ない比率です。大きいものは2つのグループがあり、いずれも大人(成体)と考えられ、合わせると84%を占めていました。体長は4~8mになっていたと考えられます。
 この足跡の統計から、重要なことがいくつかわかってきました。成長段階の違う足跡が混じっていることから、ハドロサウルスは成体を主とした群れで、世代の違う個体も集まって行動していたこと、つまり大人と小さな子どもが一緒に群れで暮らしていたことが推定されます。恐竜は卵から生まれます。子どもが成体と一緒に行動していたということは、子育てしていた可能性が大きくなります。
 そして、亜成体が少ないことは、短期間に幼体から成体へと短期間で成長していったことになるとしています。子どもが早く成長できるには、大人が子どもを守り、子育てをしていたことが推定できます。現在の草食動物にみれるものと、似た習性を持っていたことになります。
 そしてさらに重要な事は、この地が北極圏であったことです。夏はいいとして、冬は子どもには過酷な環境です。その話は、次回としましょう。

・ふくらむ想像・
幼体は、非常に小さい足跡なので、
その年に生まれたものだと想像できます。
夏に群れで動きまわるには、
前の秋から冬にかけて、
産卵、抱卵をして、春に誕生となったのかもしれません。
亜成体は前の年に生まれたものでしょう。
成体の2グループにも、なんらかの意味がありそうです。
青年期の成体と大人の差か、
オスとメスの違いを反映しているのかもしれません。
夏の北極圏は、草食恐竜の群れ暮らし、子育てできるような、
たっぷりの食料や過ごしやすい環境があったのでしょう。
科学としては、検証、論証が必要ですが、
想像だけでは次々と膨らみます。

・週末は自宅で・
先週末は北海道では
外は風があるとそれなりの肌寒さはあったのですが、
昼間の室内は異常な暖かさになり
換気口や窓を開けてしまいました。
週末はできるだけ大学の校務はしないようにしています。
そして自宅では、校務と関係のない研究上の作業や
新しいことを調べるなどをするように心がけています。
しかし、最近、平日の学生対応が忙しく、
なかなか校務がこなせなくなってきました。
そのために、週末も校務が自宅に入り込んできました。
校務をこなすなら、大学のほうが集中できて
短時間で済むのですが、
それをすると気分転換ができないので・・・・
悩ましいものです。

2014年10月23日木曜日

2_124 恐竜の生痕 1:新しい生態

 北海道大学の総合博物館で、恐竜の研究をされている小林快次(よしつぐ)准教授が、今年の夏に報告された論文があります。そこでは、恐竜の新しい生態が報告されています。今回は、新しく発見された恐竜の生態を紹介しましょう。

 今回は、恐竜に関する新しく見つかった生態の話です。恐竜の話をするために、いくつか知っておくべき、基礎的な知識が必要となります。
 まずは恐竜自体のことです。恐竜は映画やニュースになどメディアにでることも多く、恐竜の基礎的な知識は持っていることとでしょう。例えば、恐竜には羽があったりとか、巣がみつかったりとか、恐竜のミイラがみつかったりとか、さまざまなニュースが流れ覚えておられる方も多いでしょう。その中に、恒温性をもつ恐竜もいたという情報もありますが、すべての恐竜が持っていたとは限りません。多くは変温性であったのではないかとも考えられますが、まだその実態は、十分明らかにされているわけではなりません。
 次に時代の話しです。恐竜が繁栄していた時代は、中生代です。中生代は、古い方から三畳紀、ジュラ紀、そして白亜紀となります。今回の恐竜の化石がみつかった時代は、白亜紀後期です。白亜紀後期には、大型の草食獣や肉食獣などがいて、恐竜の全盛期でもありました。トリケラトプスやティラノサウルスのように有名な恐竜がいた時代でした。
 当時も地球の自転軸が傾いているため、季節が生じています。北極では、冬は太陽が登らなくなり、夏は白夜となっていました。北極点には今と同じように北極海があり、海を取り囲んでユーラシア大陸と北米大陸がありました。ほぼ今と似た大陸配置でした。ただし、ベーリング海が開いておらず、シベリアとアラスカは陸続きでした。両大陸の生物は行き来が可能でした。それを示す証拠として、両大陸で似た恐竜化石が発見されています。
 今回の化石発見の場所は、北極圏です。そんな極地に、恐竜はどのように暮らしていたのでしょうか。その様子がわかってきたというのが、今回の発見でした。論文は、「Geology」(地質学という意味)の雑誌に報告されました。その論文から発見の概要を見ていきましょう。
 アメリカ合衆国アラスカ州のデナリ国立公園内で、日本とアメリカの共同研究で、化石の調査がなされました。調査の最初の年に、保存のよい恐竜の足跡の化石が発見されました。発見されたのは、50mの幅、長さが100mもある範囲で数千個も大量に見つかりました。足跡化石は、大量な上に非常に保存状態がよく、足の裏の模様まで残されている状態だったそうです。足跡化石から、いろいろな生態がわかってきました。それは次回としました。

・恐竜学者・
かつて日本では、恐竜の化石は発見されておらず、
研究者も少なかったのですが、
最近は恐竜を専門とする研究者も増えました。
その中に海外で経験を積んだ研究者もかなりおられます。
小林さんもその一人です。
現在も海外で野外調査をされて、
今回のような新しい発見をされています。
日本の研究者、研究対象もグローバルになりました。

・秋が深まる・
北海道は一段と秋が深まってきました。
山では何度か積雪があったというニュースが流れました。
紅葉もだいぶ進みました。
風の強い日、雨の日には紅葉した葉が舞います。
北海道の秋は一気に深まり、
通り過ぎていきます。
もう我が家では何度かストーブをたきました。
冬も近くなってきました。

2014年10月9日木曜日

6_124 丸山電気石 4:ダイヤモンド

 丸山電気石という新鉱物は、超高圧変成岩で見つかりました。この鉱物は、ダイヤモンドを中に含んでいました。小さな粒で宝石にはできませんが、地質学的には重要な意味をもっていました。その意味を紹介していきましょう。

 これまで、丸山電気石の発見のいきさつや特徴について、いろいろ述べてきました。最後に、この新鉱物の地質学における意味をみていきましょう。
 丸山電気石は、中央アジアのカザフスタンのコクチェタフ超高圧変成帯の岩石から見つかったことを紹介しました。超高圧とはどのような条件でしょうか。ひとつは日本列島のようなプレートの沈み込み帯で、沈み込んだプレートが大地の営みによって持ち上げられると、その岩石は高圧条件で形成された変成岩となります。しかし、その深度は深くても70km程度です。それより深くなると、マグマが形成される場(火成作用)となっていき、変成岩ではなくなります。70kmは、もちろん、それは沈み込み帯での圧力条件ですが。
 今回見つかった丸山電気石は、数百μmほどの大きさで、なおかつ知られている鉱物の中に、ある部分だけが新鉱物であるという、非常に特異な産状をしていました。そして新鉱物には、中に小さいダイヤモンド(マイクロダイヤモンド)が入っていました。それが新鉱物発見のきっかけともなっていました。電気石とダイヤモンドが一緒に産することも。初めての発見でした、
 ダイヤモンドは、宝石として貴重なものですが、地質学的にはその成因が重要視されています。ダイヤモンドは、超高圧の条件でないと形成されない鉱物だからです。その深さは、120kmより深いところだと考えられています。沈み込み帯の変成岩では考えられない深さでもあります。
 今回の超高圧変成岩は、大陸プレート同士の衝突の場で形成されたものと考えられています。大陸プレート同士の衝突のプロセスは、まず大陸プレート(ユーラシアプレート)に海洋プレート(テチス海プレート)が沈み込みんでいました。大陸同士(ユーラシア大陸とインド大陸)が近づいてくると、陸に近いところにたまった大量の堆積物をともなった地層も衝突をはじめます。やがて大陸同士の衝突になります。
 大陸プレート同士の衝突では、もともと厚い大陸地殻がぶつかって重なっていくため、高い山脈が形成されます。さらに、地下でも深くまで大陸の岩石や地層が押し込まれた重なった状態になります。押し込まれる岩石のなかには、大陸プレートの間にあった地層もありました。
 地表や海底でたまった堆積物には、カリウムや炭素や、ホウ素を比較的多く含む部分もあります。これらの成分が今回の電気石(カリウムとホウ素は主成分のひとつ)やダイヤモンド(炭素のみが主成分)の材料となりました。分厚い山脈の岩石と深くまで潜り込んだ岩石によって、大陸プレートの衝突の地下は、超高圧変成作用の場となります。
 時には120kmよりも深いところまで潜り込む岩石もありました。そのような場でダイヤモンドと丸山電気石が形成されたことになります。そして、衝突の場として激しい変動が継続しながらも、大地の営みで、深部の岩石が地表にもたらされたことになります。
 丸山電気石は、地球深部からもたらされた、地下からの手紙でもあるのでしょう。

・タイプ標本・
丸山電気石は、記載された後、
タイプ標本は国立科学博物館に保管されています。
タイプ標本とは、生物の新種記載のときに
用いられていた言葉なのですが
鉱物にも転用されています。
新しい鉱物種を定義するために用いた標本のことで
将来、似た鉱物があったとき、比べるときに
その鉱物の示す基準とする標本のことです。

・秋の深まり・
北海道はここ数日、冷え込んできました。
我が家はストーブを炊くところまではいっていませんが、
気の早いところ、寒がりの家庭では、
ストーブをつけたところもあるかもしれません。
先日の朝も、霜が降りていました。
高山での初雪の便りは9月の中頃にありましたが、
里はまだまだのはずです。
9月下旬までは、暑くて上着もいらない日もありました。
しかし、一気に秋が深まりました。
まだ雪虫の飛び交う姿が見ていないので
早すぎる秋の深まりに間に合っていないのかもしれません。