2014年11月6日木曜日

2_126 恐竜の生痕 3:越冬

 恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしいことがわってきました。さらに、化石の発見の場所が北極圏であったことが、重要な意味をもってきます。北極圏で、草食恐竜の群れは、どのような生活をしていたのでしょうか。

 前回までで、恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしい根拠を紹介しました。今回の足跡の発見された場所が、北極圏であったことが、次なる重要性をもってくるのです。
 北極圏では、冬は寒さだけでなく、日照時間が短く、太陽がほとんど登らない日が何日も続きます。冬に日が昇らなければ、恐竜は冬をどのように過ごしたのでしょうか。それが大きな問題となります。
 現在の北極圏は雪の覆われ、哺乳動物でも冬眠や冬ごもりでもしないと生きていけない環境です。冬眠や冬ごもりは、食料のない時期を体にためた栄養分で耐え忍ぶという生き残り戦略です。
 幸いなことに、白亜紀は、現在と比べて非常に暖かったことがわかっています。年の平均気温は、10度から12度ほどあり、冬でも2~4度ほどと推定されています。南極でも恐竜化石が見つかっているので、温暖な気候は局所的な現象ではありませんでした。全地球的に温暖期でした。
 寒いときの平均気温が2~4度だとすると、冬の寒い日には雪が降ることもあったはずです。現在の東北地方あたりの気温です。越冬せず過ごせる気温だったかもしれません。
 問題は、日射量が少なく、食物連鎖の基盤となる植物が、非常に限れていたはずです。生産者とも呼ばれる植物が冬場に枯れてしまえば、巨大な草食恐竜は暮らしていけたのでしょうか。そんな環境で恐竜の化石がみつかったというのは、どんな暮らしをしていたのか、非常に興味があるのとこです。
 ひとつは渡りをしていたという可能性です。大型恐竜が半年ごとに渡りをするのは非常に壮観ですが、何千kmもの距離を歩くので効率が悪い気がします。現在の生物、特に鳥類にはそのような習性をもっているものもいますので、鳥類の祖先である恐竜でも、渡りはあったのかもしれません。
 今回の足跡化石から、小さな足跡、つまり子ども(幼体)がいることがわかりました。亜幼体もいたことから、子育てをしながら群れで生活、移動をしていたことになります。亜幼体は前年生まれの子どもかもしれません。
 足跡の比率をみると、多数のその年生まれの子どもがいたことになります。このような多数の小さな子ども連れの群れが長距離を移動できるかは、大きな疑問だと、小林さんたちは考えています。そこから、これらの恐竜は北極圏で越冬していたと推定しています。さらには、雪も降るような環境では、変温性では耐えられないので、恒温性を持っていたのではないかとも考えています。
 新しい恐竜像が提示されました。はたしてこれが受け入れれれるでしょうか。今回の研究に期待されます。

・さらなる疑問へ・
ハドロサウルスが北極圏で越冬し、
恒温性をもっていたとなると、
さらなる疑問が生まれます。
冬の間、どう過ごしていたのかです。
極地での越冬の方法のひとつは、冬ごもり、冬眠ですが、
これは、巨大な恐竜の群れには
あまり適していないように思えます。
冬も活動していたとすると
恒温性を保つには、それなりに食料を採らなければなりません。
肉食ならなんとかなりますが
大型のそれも群れで過ごす草食性動物では、
なかなか難しい問題です。
いくら温かい時代の北極圏でも、
日照のほとんどない地域で、
草食の大型恐竜の群れが
暮らすことが本当にできたでしょうか。
しかし、現世の生物をみると、
想像を超えた暮らしをする生き物は多数います。
カリブやジャコウウシなども極寒の地で生きています。
なにせ今とは環境が大きく違っていたのですから、
人の想像などは簡単に超えてしまうのかもしれませんが。

・百代の過客・
もう11月です。
後期の講義が始まったばかりと思っているうちに、
3分の1が過ぎました。
「月日は百代の過客にして・・・」の心境です。
時間の流れは止めることができないので、
過ぎた時間を嘆くのはやめましょう。
自分の成すことを効率よくして、
時間を少しでも有効利用することに専念すべきなのでしょう。
もしかすると、生きることとは、
時間との勝負をし続けることなのかもしれません。
もう少し、のんびりと生きるすべも
あっていいのかと思うのですが。