2010年5月27日木曜日

6_80 人工細胞の増殖:人工生命1

 生命は人工的に合成できるのでしょうか。実は最近、合成されたという報告がなされました。それは科学にとって重要な進歩ではあるのですが、その背景にある重要性を見過ごしてはいけません。


 先日(2010.05.20版)のアメリカの専門雑誌「科学」(Science)の電子版に、ある論文が報告されました。この記事をみて、とうとうここまできたかという思いが沸きました。記事のタイトルは「Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome」というもので「化学合成された遺伝子によるバクテリア細胞の創造」という意味です。ギブソン(D. G. Gibson)他23名の著者が、名前を連ねている共著論文です。
 人工的に合成した最近が細胞増殖をしたという内容です。私は生物学にあまり詳しくないのですが、この研究結果は、重要な節目を示していると感じました。その論文を少し詳しく紹介しましょう。
 用いられたのは、マイコプラズマ・マイコイデス(Mycoplasma mycoides)という細菌です。この細菌が用いられたのは、塩基配列が少なく、操作しやすいためです。つくり方は次のとおりです。
 マイコプラズマ・マイコイデスのDNAの短い一部部分を、化学合成でつくります。そのようにして合成したパーツが、DNA全体になるように部分部分をつくっていきます。それらの全パーツを、大腸菌などの中でつないでいき、ひとつのDNAとして、人工的に合成します。合成で完成したDNAを取り出して、同じ属ですが、別種のマイコプラズマ・カプリコラム(Mycoplasma capricolum)を用意して、もともとのDNAは抜いておき、合成したDNAに入れ替えます。つまり、別種のマイコプラズマ・カプリコラムのDNA以外の細胞を、これからつくろうとするマイコプラズマ・マイコイデスの入れものとするわけです。すると、合成したマイコプラズマ・マイコイデスが、細胞として機能をもち、増殖をしたという報告です。完全に合成されたDNAが、増殖という生命の重要な機能を発揮したのです。
 彼らの用いた技術は、それぞれの部分をとれば、既存の技術を利用しているようです。もちろん見えないノーハウや苦労はたくさんあったのでしょうが。そして、最終的に到達した結果も、ありえるだろうなと思える範疇のものです。つまり、そこには虚偽はなく、実際の合成ができたようです。
 しかし、問題は真偽ではなく、結果を受け入れた上で、見逃すべきでない重要な点があります。別の生物の細胞組織を利用はしていますが、DNAを完全に化学的に人工的に合成しているという点、そしてその合成したDNAが生命活動(増殖)したという点が重要です。
 彼らのグループは、2008年には、ある細菌(Mycoplasma genitalium)の全DNAの合成に初めて成功していました。ですから、次なる目標はその合成したDNAを機能させることだということも理解できるものです。そしてその延長線上には、いろいろと人間の役に立つ生物もできるかもしれません。実際今回の報告をした研究者たちが属している研究施設は、エネルギー生産などに役立つ微生物の創出を目的としています。今回の研究も、その一環だったのかもしれません。
 生命の遺伝情報を司るDNAが人工的に合成され、それが機能しているとなれば、それは生命のキーとなる部分が合成された、人工生命と呼べる可能性があります。もしそのDNAが細菌ではなく、もっと複雑なDNAを持つ生物であったら、どうなるでしょうか。そんな疑問を多くの人が持つのではないでしょうか。哺乳類、あるいはヒトになったら、という危惧ももちろんあります。
 節度ある研究が必要なのですが、実は今回の研究グループはいろいろ話題の多い人が指導者なのです。続きは次回としましょう。

・香川徳島へ・
ここしばらく晴れ間が見えても、
すぐに雨や曇ったりします。
はっきりしない天気なので、
日程を立てづらくずっと悩んでいたのですが、
来週、香川と徳島にでかけることにしました。
昨日、宿をすべて手配しました。
海岸沿いをめっぐて、
その後中央構造線沿いをいくつもりです。
天候しだいなのですが、
なんとか予定通りいきたいものです。

・友人の来訪・
先週末に、友人が私のところを訪ねてくれたのですが、
たままた私が不在のときでした。
非常に残念でしたが、
週明けにすぐにその友人と連絡をとりました。
友人は松山に在住なのですが、
奥さんの実家が隣町なので
わが町も時々通るとのことです。
また、学生の調査でこらから時々来るそうです。
日程は未定ですが、今度調査の折には
付き合うことにしました。
また松山のほかの友人にも会うことにしているので
いずれ松山にいくことにしました。
会えそうで会えないのは、歯がゆいものです。
近くて遠いのは、友人なのかもしれません。
意図しないとなかなか会えないものですね。

2010年5月20日木曜日

2_85 獣脚類が祖先:恐竜から鳥へ4

 現在の説では、獣脚類が鳥類の祖先だとされています。また、始祖鳥も鳥類と同じ祖先ですが、現在の鳥類は栄えてきますが、始祖鳥は絶滅したと考えられています。まあ、これも現状での説ですが。

 そもそも恐竜が鳥類の祖先であるという説は、今まで述べてきた化石になりやすい骨格だけでなく、珍しいですが羽毛の化石がみつかったことだけが証拠ではありません。恐竜の卵化石を詳しく観察して、鳥類の卵と同じように、多層微細構造をもつことがわかりました。2005年にマジュンガトルスという恐竜の脊椎骨の化石の研究から、鳥類のような気嚢をもっていたということが言われています。前にも紹介しましたが、いくつかの根拠から、恐竜にも恒温性があったこともいわれています。このような根拠から、今では研究者も、恐竜は鳥類の祖先であると信じています。
 どのような恐竜が、鳥類の祖先なのかについては、いくつかの説があります。
 三畳紀(2億5100~1億9960年前)ころの樹上性の小型の四足歩行をした原始的な主竜類(祖竜とも呼ばれる)を祖先とする説、古生代末から中生代前期の二足歩行をした地上性の槽歯類を祖先とする説、もっと後の二足歩行をする獣脚類という恐竜類を祖先とする説などがありました。
 その後、鳥類の特徴をもった恐竜の化石や原始的な鳥類の化石などが、発見されてきたことも紹介しましたが、それによって前回紹介した槽歯類を祖先とするダイノバード説は否定されました。また、アメリカの古生物学者のオストロムは、1973年、恐竜の獣脚類にも鎖骨があることを見つけ、獣脚類から鳥類が進化したという説を復活させ、現在ではこの説が定着しつつあります。
 恐竜は、大きく鳥盤目と竜盤目の2つの系統に分かれ、竜盤目のうちの竜脚類と獣脚類に別れ、いくつかの枝分かれをしながら、最終的にジュラ紀後期に鳥類の直系の祖先がでてきます。鳥類の祖先は少なくとも2系統あり、ひとつは現在の鳥類へ、もうひとつは始祖鳥になりました。始祖鳥の系統は、残念ながら子孫の化石が見つからないことから、絶滅してしまったと考えられています。
 以上の話は、あくまでも現状ではという但し書きがつきます。学説は、研究者がその時点まで手にした証拠によって考えた最良のものです。しかし、それは、あくまでもその時点での証拠に基づいたものです。新しい化石が発見されたら、状況は変わることは大いにあります。たった一つの化石の発見が、それまでの説に大きな変更を迫ることもあります。
 これからの大発見に、期待したいものです。これこそ科学の醍醐味でもあるのですから。

・科学の進歩・
恐竜から鳥のシリーズはとりあえず
今回で、いったん終了とします。
恐竜の発掘は、現在も世界各地で続けられています。
特に中国やモンゴルでは、新しい発見が続いています。
そんな発見の中で、今までの学説を覆すものも
出てくるかもしれません。
そんな発見は、現在の説を唱えいている人には
心穏やかではないかもしれませんが、
それも、学問の進歩の一形態ですから歓迎すべきでしょう。

・足摺行・
先日、愛媛から半時計周りに
足摺岬を一周し、四万十川を経由してもどってきました。
4日間をかけて巡りました。
ただ走るだけなら、2日ほどで
走破できる距離かもしれません。
でも、ここぞともうところを
じっくり見ることが私の目的です。
地層をみて、いろいろ思うところがありました。
まあ、それは別の機会にしましょう。

・山派・
ところで、山派と海派に分けるとすると
私は、山派です。
海沿いの景色は、私にはまぶしすぎます。
それに比べて川沿いは川面を渡る風は涼しく、
暑くとも木陰が涼をもたらしてくれます。
四万十川沿いを走って非常に心地よい思いをしました。
自宅から1時間足らずでそんな環境があります。
これから、時々出かけましょう。

2010年5月13日木曜日

2_84 ダイノバード:恐竜から鳥へ3

(2010.05.13)
 古生物学は、まず化石の発見から研究がスタートします。たくさんの化石がみつかれば、いろいろなことが分かってきます。ところがダイノバードという生物は、化石も見つかっていないのに提唱されたことがありました。それは、ミッシング・リンクですが、架空の化石でした。

 鳥類とは、そもそもどのような特徴をもっている動物をいうのでしょうか。私たちがよく知っている鳥(分類学上は鳥綱になります)の特徴は、羽毛に覆われ、羽があり、卵を産み、恒温性で、歯がなくくちばしをもち、声を出すというところでしょうか。これらは、分類学上も重要な特徴です。
 でも、このような特徴は鳥類だけのものでしょうか。前回までで紹介したように、羽毛をもち、羽を持つ恐竜の化石は見つかっています。もちろん恐竜は卵を産むことは化石からもわかっています。また、くちばしは、恐竜の獣脚類(オルニトミムス、オヴィラプトルなど)でも、鳥盤類(カモノハシ竜、角竜など)の多くが、持っていたことが分かっています。
 ただ、恒温性については、まだ決着をみていません。なぜなら、恒温性は化石から判別できないからです。しかし、根拠となりそうな重要な証拠があります。アメリカの古生物学者オストロム(John H. Ostrom)が、1964年にディノニクス(Deinonychus)という恐竜の化石を発見しました。そのディノニクスが、重要な証拠になっています。
 ディノニクスは、体長が2mから4mほどで、2足歩行をする恐竜でした。その特徴は、大きく鋭い鉤爪、そして大きな脳を持っていることでした。前肢もよく動くことが化石からわかり、鋭い鉤爪は狩をする肉食獣の特徴です。脳が大きいことから知能が高かったと考えられます。さらに、ディノニクスの化石は、いくつもの個体が集まってみつかることから、群れで暮らし、狩も共同でしていたと考えられました。
 このような活発な行動をする動物は、恒温性がなければならないとして、オストロムやその弟子のバッカー(Robert T. Bakker)は、恐竜の恒温説を唱えました。
 まだ、恐竜の恒温性を持っていたかどうかは不明ですが、科学者によっては恒温説を唱える人もいるわけです。
 以上見てきたように、個々の特徴を比べていくと、恐竜と鳥はよく似ていることがわかります。
 鳥類が恐竜の類似性は、古くから知れていました。ダーウィンの進化論に賛同し急進的に広めようとしたことで有名なハクスリーは、恐竜から鳥が進化したとすでに主張していました。
 しかし、当時知られていた恐竜の化石には鎖骨がなく、鳥類にはあることが問題でした。解剖学的には、恐竜から鳥類が進化したと考えるには、無理があるということになります。その問題を解決するために、恐竜と鳥類の共通の祖先(古生代末に誕生した槽歯類)から進化したという説(ダイノバード、dinobird)、あるいは鳥類のほうが先に誕生して恐竜があとから進化してきたという説(BCF仮説、Birds came first hypothesis)などが提唱されました。
 しかし、これらのダイノバード説は現在では否定されています。その証拠を見つけたのも、やはりオストロムでした。それは次回にしましょう。

・調査・
こちらに来てやっとまとまった調査に
出ることになりました。
高知県の西部を調査しています。
3泊4日で見て回っています。
北海道からすると、近いので、車ですぐにいけます。
天気を見ながら、晴れが続きそうなときに
宿を予約してさっといけます。
これが近場のメリットです。

・母の日・
皆さんは先週末の母の日になにかしましたか。
私は、電話をしただけでした。
電話をしたら、法事で、親戚にいっているときで、
何人もの人に電話で話をすることになりました。
知っている人ばかりなのですが、
懐かしい人の声も聞けました。
弟も一緒に法事にいっていたのですが、
母とその姉妹の親戚とたくさん話しました。
これも親孝行なのでしょうかね。

2010年5月5日水曜日

2_83 羽毛恐竜:恐竜から鳥へ2

 始祖鳥をめぐっては、議論が二転三転しています。鳥類の祖先であるなしをめぐって長年議論されています。それは、化石の保存の良さによるものです。ゾルンホーフェン以外からも保存のよい化石が見つかるようになり、鳥の起源については、いろいろ情報が加わるようになりました。


 始祖鳥の化石は、1855年に発見され、1861年に記載され科学者たちが知るところになりました。19世紀中ごろといえば、科学の歴史に少しでも詳しい人なら、ダーウィンの「種の起源」の出版された時期と思うでしょう。「種の起源」の初版がでたのは、1859年11月24日でした。
 ダーウィンは始祖鳥化石の発見のニュースは聞いていたかもしれませんが、出版の時期にあたります。科学的な記載がなされていなかったのか、それともこのニュースをしらなかったのかわかりませんが、ダーウィンは初版の中では、始祖鳥についてはふれていません。しかし後の版では、爬虫類と鳥類を繋ぐ発見として評価したしたそうです(手元には初版の日本語訳しかないので確認してません)。
 では、始祖鳥が、恐竜と鳥類のミッシング・リンクとなるのでしょうか。それが、なかなか一筋縄ではいかないところなのです。
 まず、始祖鳥は、鳥類より恐竜の獣脚類(恐竜の2大グループ竜盤目のひとつ)に似ている特長がいくつもりました。ただ、決定的な違いもありました。それは、恐竜にはない羽と叉骨(胸骨を固定しているしている骨)の存在でした。ところが、当時の恐竜の化石がまだたくさんの種類が発見されていなかったため、恐竜の多様性が充分おさえられておらず、始祖鳥と恐竜の違いが強調され、現在の鳥類の祖先ではないとされたこともあります。
 恐竜の多様性が分かるにつれて、恐竜にも上で述べたような鳥類がもつような特徴のある化石が見つかってきました。
 アメリカ合衆国のテキサス州で始祖鳥より7500万年も古い(三畳紀の2億2500万年前ころ)「プロトエイビス」という化石が、1986年に発見されました。この化石は、骨が中空であること、竜骨突起というものがついた胸骨をもつことなど、現在の鳥に似ていました。しかし、現在の鳥類の祖先ではなさそうです。
 また、1996年、中国遼寧省からシノサウロプテリックスという羽毛も持った恐竜が見つかりました。羽毛恐竜の発見です。ただし、この化石は白亜紀前期(1億2000万年前ころ)のもので、始祖鳥よりずっと新しい時代でした。実はこれはかなり深刻な問題で、祖先ともいうべきタイプが、時代が新しいのです。これは、非常の矛盾したことになります。
 しかし、2009年に、中国東北部にあるジュラ紀後期(1億6100万年~1億5100万年前)の地層から、トロオドンという肉食恐竜の仲間で、羽毛を持った恐竜が見つかりました。これで、やっと始祖鳥より古い時代に、恐竜の仲間に羽毛をもったものがいたことになりました。
 恐竜の多様性は大きく、その中には現在の鳥の特徴をもった種類が何度か出現していたようです。その多様性が起こりだしたのは、ジュラ紀中期ころからではなかいかと考えられています。
 では、始祖鳥と現在の鳥との関係は、またそもそも鳥類といったいどのような特徴をもったものをいい、いつのどの系統から生まれたのでしょうか。それは次としましょう。

・種の起源・
ダーウィンの「種の起源」は正式には、
"On the Origin of Species by Means of Natural Selection,
or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life"
という長いタイトルの本です。
現在では
「自然選択、もしくは生存競争における適者生存による種の起源」
とでも訳すのでしょうか。
当時の本は、通常このように長いタイトルが付けられています。
また、本の中の章立ても長いもので
文章となっていることもあります。
私は、渡辺政隆訳の光文社古典新訳文庫『種の起源』(上下)
を手元においています。
実は、始祖鳥の記載が種の起源にないが
さんざん探したのですが、
初版なのでないことが、あとで判明しました。

・運動・
長いゴールデンウィーク、
皆さんはどのように過ごされたでしょうか。
私は、地域の祭に2日、
1日は近所の子供と化石採りに出かけました。
あとは、おとなしく仕事をしていました。
運動もしっかりやっています。
執務室まで、片道1.5kmほどあるのですが、
歩いて通っています。
また、夕方は、温泉プールがあるのですが、
そこの年会員になっています。
毎日夕方ひと泳ぎして、
シャワーもしくは温泉にはいって
帰るようようにしています。
来週から天候を見ながら調査をはじめようかと思っています。
論文を書くことも重要な仕事なので、
抜かりなく進めていきたいと思っています。

2010年4月29日木曜日

2_82 始祖鳥化石:恐竜から鳥へ1

 「恐竜は、白亜紀末ですべてが絶滅したのではない。子孫が鳥類として生き残っている」という話は、それほど真新しい話題ではありません。この内容が、今ではだいぶ普及して、多くの人が知るようになったようです。でも、なぜそのようなことがいえるのでしょうか。その理由をみていきましょう。

 恐竜の化石が、日本の各地でいくつも見つかるようになり、恐竜は馴染みのある存在になりました。博物館でも、何年かごとに行われる恐竜展でも、実物を目にしことがある非常にポピュラーな存在になりました。恐竜の新情報もメディアに登場することも多くなりました。このように恐竜に関する情報が広く伝わるようになると、正確な情報も広がります。そんな一つに鳥類が恐竜の子孫であるという説があります。今回は、その説についてみていこうと思います。
 現在までに、始祖鳥の化石は、10個発見されていますが、すべてドイツの南部のゾルンホーフェン近郊から見つかっています。そのうち2個は残念ながら行方不明になっています。
 ゾルンホーフェンは、ミュンヘンの北にある町で、古くから石灰岩を建材用に採石をしてる地でした。18世紀になると、石版印刷(リトグラフ)のために、ここの石灰岩が適しているため、たくさん採石されました。始祖鳥の化石は、そんな石灰岩の採石中に見つかりました。
 最初の始祖鳥化石は、1855年にみつかっていたのですが(ハールレム標本と呼ばれています)、その記載は1875年にドイツの古生物学者であるヘルマン・フォン・マイヤー(Hermann von Meyer)によって記載されました。記載されてはじめて化石は世に出ますので、世界中の研究者が引用することができます。ハールレム標本は、発見が一番早かったのですが、記載が遅れてしまいました。
 ハールレム標本の発見から5年ほど遅れて1860年に見つかったものが、1861年に、同じくフォン・マイヤーによって最初に記載されました。この標本が、タイプ標本なりました。タイプ標本とは、新種と定義するための記載の根拠としている標本のことです。現在この化石は、ベルリンのフンボルト自然史博物館に保管されています。
 タイプ標本発見の直後の1861年に、頭部が欠落した始祖鳥がみつかり、イギリスの古生物学者リチャード・オーウェン(Sir Richard Owen)が1863年に記載しました(ロンドン標本)。他にも、1876年(1877年とも)発見のベルリン標本は、頭部までの残っているもっとも保存のよい化石があります。その後始祖鳥の発見は、20世紀中ごろまでとだえます。
 さて、この始祖鳥を産した石灰岩は、中生代のジュラ紀後期キンメリジアン(Kimmeridgian、1億5560万から1億5080万年前)に形成されたものです。始祖鳥以外にも、エビ・魚・カブトガニ・アンモナイト・ウミユリ・トンボ・ナナフシなど、1000種ほどの化石が発見されています。当時のゾルンホーフェンは、サンゴ礁の化石などもあることから、暖かいラグーン(礁湖)のような環境であったと考えられています。
 始祖鳥が発見されたジュラ紀は、恐竜が生きていた時代にです。鳥の祖先の始祖鳥と恐竜は同時期に生きていたことになります。さて、19世紀中ごろの始祖鳥の発見は、学問の上でどのような影響があったのでしょうか。それは次回としましょう。

・天候不順・
今年は、天候不順の春です。
野菜への影響が強く現れています。
今後、稲作への影響も気になります。
不作にならなければいいのですが。
アイスランドの火山噴火による気象への影響も懸念されます。
そんな、不安を抱えたままの春ですが、
さすがに、晴れると心地よい春めいた空になります。
愛媛の山里の空は、北海道の突き抜けるような青空とは違って、
しっとりとした湿度を感じる青空です。
それは、森や山の緑越しに眺めるせいでしょうか。
こんな青空もいいものです。
早く気候が落ち着いてもらいたいものです。

・日本の心・
いよいよゴールデンウィークになりました。
私は、愛媛の山暮らしですが、
地元の行事にでるだけ顔を出すようにしています。
そこには、地域の人々に守られ、継続してされてきた
習慣や風俗が息づいています。
それは形骸化することなく、
あるべきものとして存在しています。
神社や寺はいまだに信仰の対象として祭られ、
実際に利用されています。
ここでは、昔ながらの日本の心が
残されている気がします。
行事に参加するということは、
そんな日本の心に触れることかもしませんね。

2010年4月22日木曜日

3_89 ダイヤモンドアンビル:マントル7

 今回は、マントルシリーズの最後ですが、最新の情報をお届けします。それは、地球内部のあらゆる場所の物質合成実験が可能になったというニュースです。ダイヤモンドを使った手のひらサイズの実験装置です。そんな小さなものが偉業を達成したのです。

 高温高圧発生装置を利用したマントルの再現実験は、上部マントルからマントルの遷移層までの条件は達成できていました。しかし、もっと深部となるとなかなか難しいものです。なぜなら、同じタイプの装置でより深部を再現するには、高圧を発生しなければなりません。そのためには装置が大きくなります。また、温度を上げると保持する材質が高圧に耐えられなかったりして、なかなか困難なものとなっていました。
 それを克服する試みはいろいろなされてきたのですが、最新の話題として、東京工業大学の廣瀬敬さんを中心として開発された高温高圧発生装置を紹介しましょう。
 その装置は、それほど大きくありません。手のひらに乗るほどのサイズです。ダイヤモンドを利用する方法です。ダイヤモンドはそれほど大きくはありません。ダイヤモンドを二つ、先端のとがった方を同士を合わせて圧力をかけます。
 ハイヒールで足を踏まれると、普通の靴で踏まれるより、ものすごく痛いものです。それは、ハイヒールを履いた人の体重が、ヒールのとがったところにすべてかかると、その圧力は大きなものになるためです。このハイヒールの原理を利用するわけです。ダイヤモンドアンビル超高圧発生装置とよばれるもので、以前から利用されていました。この装置は、以前から高圧発生装置の中でも、もっと高圧を発生させられるものとして、利用されてきました。
 高価にも関わらずダイヤモンドを利用するのは、高圧を発生するために硬いので適しているのですが、そのほかにもいろいろメリットがあります。ダイヤモンドは透明なので、光を通すという特性が利用できることです。
 ダイヤモンドアンビルの場合、狭いところなので熱をどう発生するのかが問題となります。その問題をレーザーを使って解決しています。レーザーを透明なダイヤモンドの中を通して、先端の試料に照射して温度を上げてきます。これで、ある程度温度の問題も解決できました。問題は、どこまで温度や圧力を上げられるかです。
 特に圧力は狭い範囲にする必要があるので、固いダイヤモンドを精巧に加工する必要があります。廣瀬さんは、ダイヤモンドの先端を40μmほどの直径の円形の平坦な面をつくり、そこに20μmの試料をつめて実験を行います。そこまで加工精度を上げられたことが、廣瀬さんが長年取り組んできた成果でした。
 20μmの試料というのは非常に微小です。しかし、入舩さんも利用したSPring8での強力X線を用いることで、そのような小さなものの構造解析が、高温高圧を発生したままでおこなえるようになりました。
 廣瀬さんは、これまでに、ダイヤモンドアンビルの改良を加えながら、発生圧力を上げてこられました。2008年4月には、マントルの最下部の条件を達成しています。そこには、電気の通りやすい層(高電気伝導層と呼ばれています)があり、その層が地球の自転速度を変動させていることを明らかにしました。
 そしてとうとう、2010年4月5日に、広瀬さんたちは、364万気圧、5550℃という人類未踏の条件での実験に成功しました。実は、この条件は、地球の中心部(364万気圧、5000℃以上)を越えるのもでした。この小さなダイヤモンドアンビルのおかげで、地球内部のすべての条件を、再現することができるようになったのです。もちろん広瀬さんたちの技術をもってしてですが。この技術を利用して、今後いろいろな成果が出されることになるはずです。期待したいものです。

・シリーズが終了・
今回でマントル・シリーズが終了です。
本当は、マントルの全貌を紹介するために
はじめたつもりだったのですが、
ついつい後半は高温高圧発生装置の話になりました。
それは、4月になってすぐに
廣瀬さんの研究成果の発表があったためでした。
また、すでに報告されていた入舩さんたちの成果も
紹介してなかったことあって、
ついつい話が変わっていきました。
まあ、最新情報を織り込んでいますから、
ご容赦ください。

・ミクロとマクロの融合・
小さなダイヤモンドを利用する実験手法です。
しかし、そこには硬いダイヤモンドを、
高精度に加工し、レーザーを絞り正確に照射するという
最先端技術が必要になるあずです。
そして、なんといってもSPring8という大型の装置も
不可欠でした。
このシリーズで紹介したものは、
すべてミクロとマクロの融合してはじめて達成された技術です。
これらは、日本が世界に誇れる技術だと思います。

2010年4月15日木曜日

3_88 メガリス:マントル6

 マントルの遷移層までの実態が明らかになってきました。その物質は、よく知られているものでしたが、予想外の広がりをもって横たわっていました。それを解明したのは、SPring-8という巨大な装置でした。

 SPring-8を用いた入舩さんたちの実験を紹介している途中でした。それを続けましょう。
 入舩さんたちは、高温高圧条件においたマントル物質に、強力なX線をあてて、試料の長さを正確に測定しました。また、超音波を用いてその試料を通過する時間も正確に測定しました。この2つの測定データから、長さ/時間=速度ですから、その物質を波(弾性波)が伝わる速度を精度よく決めることができます。この弾性波速度が、地球では地震波速度に相当します。つまり、入舩さんたちは、マントル遷移層の地震波の様子を実験で再現することに成功したことになります。
 いくつかの候補の物質を用いて実験し、そこから求めた弾性波速度と、実際の地球の地震波速度を比べました。すると、マントル遷移層も上部マントルと同じカンラン岩であることがわかりました。その結果、遷移層が柘榴石が多いという説が否定されたことになります。これで、マントルの化学組成の問題がかなり限定されたことになります。
 また他にも、新たなことが分かってきました。遷移層の下部には、従来から想定されていたマントル物質ではない、ハルツバージャイトと呼ばれるカンラン岩があることが明らかになりました。
 ハルツバージャイトとは、カンラン岩の一種だですが、少々特殊で、普通のカンラン岩から玄武岩の成分が抜けたものです。このようなハルツバージャイトは、玄武岩組成のマグマである海洋地殻が抜けたあと、その下にあるマントルを構成していると考えられています。つまり海洋プレートの主たる成分と同じものが遷移層の下部にあるようなのです。
 これは沈み込んだ海洋プレート、メガリスと同等にものであると考えられます。メガリス自体は、地震波でもその姿は捉えられています。
 今回の入舩さんたちの報告は、メガリスの存在根拠を見つけただけでなく、実は重要な問題提起もしています。メガリスの成分(海洋プレートの残骸)が、深度650kmあたりに全地球的にたまっていることになります。
 しかし、メガリスは、沈み込み帯の先に形成され、ある一定時間が経過すると、下部マントルに落下していくもので、全地球的にあるものとは考えられていませんでした。地震波のデータもメガリスは一時的にある場所に形成されているように見えていました。
 ところが、入舩さんたちのデータは、全地球に数10kmから100kmの厚さで、ハルツバージャイトの成分があることを示しています。これは、メガリスが、すべて落ちてしまうのではなく、一部がマントル遷移層下部に残ってしまうことを意味しています。それが、長年にわたって蓄積されたため、プレートの墓場の層ができているのではないかと考えられます。これも、今後のさらなる検討が待たれます。
 入舩さんたちの高圧発生装置は遷移層までの条件しか到達できませんので、下部マントルについてはまだ実験がされていません。しかし、別の方法で、もっと深部まで実験に挑んでいる人たちもいます。それは次回としましょう。

・新たな謎・
入舩さんたちは、上部マントルと遷移層が
カンラン岩からできていることを示しました。
それは、マントルの上半分が化学組成に
大きな違いはないことを示しました。
一方、遷移層下部がハルツバージャイトであることを示し
化学的に不均質があることも示しました。
沈み込んだプレートがメガリスとして
マントル対流が完結させるはずでしたが、
しかし、地球はどうも残渣をマントルの境界に残していたようです。
その数10kmの残渣を科学者は捕らえたのです。
今までの議論があったところは解決したのですが、
新たな謎を提示したことになります。
こんな繰り返しが、科学の進歩といえます。

・日常・
やっと研究の態勢が整い、
日常と呼べるものが始まりました。
校務の束縛がなく、
やりたいことを中心に生活ができる幸せを感じています。
家族と離れる寂しさがありますが、
メールと家族間の無料通話で連絡を取っています。
やるべきことも進めなければなりません。
それは、深く考えて論文を書くことと、
調査のために野外に出ることです。
しかし、野外での地質調査は、
5月以降から始めるつもりですが、
市内のいろいろな名所や風物を
見て回ることも目的としています。
その散策も日常に組み入れる必要があります。
それも考えているところです。