2004年8月12日木曜日

1_30 時代区分:絶対年代(2004年8月12日)

 前回は、地球の年代を区分するときに、生物の絶滅を利用するという方法を紹介しました。今回は、別の区分の方法を紹介しましょう。

 地球の時代区分で生物の絶滅を利用するには、生物がたくさんいる時代でなければなりません。地球の歴史で生物の化石がたくさん出はじめる時代は顕生代(けんせいだい)と呼ばれる時代です。漢字で、生物が顕(あらわ)れるという、そのままの意味になっています。
 顕生代は古生代のカンブリア紀から現在までの時代のことです。カンブリア紀は、5億4200万年前から始まります。ところが地球の歴史は約45億年前からはじまります。ですから、顕生代が地球の歴史で占める割合は、12%に過ぎません。また、化石で最古の記録は、約35億年前のものです。生物の歴史から見ても15%に過ぎません。
 地球の歴史を区分することに、生物の絶滅による相対年代に頼っていては、たくさんある古い時代の歴史を区分することができません。他の方法を用いなければなりなりません。そこで用いられるのは、絶対年代と呼ばれるものです。
 放射性元素とよばれる化学成分を分析して年代測定をする方法です。放射性元素は、正確には元素ではなく、元素の中でも重さ(質量数が違うといいます)成分のことで、同位体あるいは核種と呼ばれます。でも、ここでは元素と呼んでおきましょう。
 この年代測定の原理は、放射能を持っている元素が、壊れて別の元素に変わっていく作用を利用するものです。放射性元素は、ある一定のスピードで壊れます。また、そのスピードは、地球のどこの条件でも変わることはありません。ですから、放射性元素は、正確に時間と共に壊れていく時計として利用できます。
 もともとあった元素(正確には親核種といいます)から、壊れてできた元素(娘核種)ができます。もともとあった元素と壊れてできた元素の数が正確に測定できれば、経過した時間が調べられます。このような放射性元素を利用した年代決定を、絶対年代測定といいます。
 放射性元素を用いる年代測定には、もともとあった元素と壊れてできた元素の比をもちいる方法と、宇宙線によりできた元素を利用する方法の2つがあります。どちらも試料や目的に応じて使い分けられます。
 このような放射性元素を用いる絶対年代の利点として、適切な試料と適切な分析の技術(分離装置と分析装置)があれば、年代を正確に決められるという「精度」をもっています。また、誰でも技術さえあれば、いつの時代の試料に対しても利用可能であるという「汎用性」があります。さらに、試料の種類は問わず、目的とする元素が分析できるほど充分あるかどうかだけが問題となり、どこの場所でもみつかる岩石に適用できるという「敷衍性、広範さ」があります。
 一方、絶対年代の欠点として、時代は、測定するまで分からないという「可視性」がないということがあげられます。また、大きな分析装置や複雑な化学分析の手続きが必要で、大掛かりであり、「簡便」ではないという欠点もあります。
 現在、地球の時代を区分するための地質年代の数値は、絶対年代が採用されています。しかし、時代区分は、もともと化石によって細分されてきたので、その時代や時代境界を正確に決めることに絶対年代が採用されています。また、化石がたくさん出る時代では、化石のほうが精度がいいことがあります。このようなことから、現在では、絶対年代と相対年代の両者の利点をうまく利用していくことで、地球の年代を区分しています。

・夏休み・
さて、そろそろお盆シーズンに突入します。
皆さんは、田舎に帰るのでしょうか。
私たちは、お盆は自宅でのんびり過ごすつもりです。
子供たちは学校のプール開放に行き、
自宅でいつものように過ごそうと考えています。
私は、暑ければ、午前中は研究室で仕事をして、
午後は自宅でぼちぼちと仕事したり、
子供と遊んだりしているでしょう。
北海道は8月20日から学校が始まります。
7月も23日までありましたから、北海道の夏休み一月もないのです。
北海道では一番いい季節を、勉学に励むことになります。
そのかわり冬休みが1月ほどあり、長くなります。
どちらがいいでしょうか。
やはり子供たちにとっては、
長い夏休みがいいのでしょうかね。
我が家は夏休みが終わって、9月に入ったら
あちこち出かけるつもりをしています。

・海へ・
先日、海に行ってきました。
私は、海より山の方が好きなのですが、
長男の夏休みの希望が海に行くことでした。
長男の希望を満たすために、平日の朝に海に出かけました。
ニュースによると今年の北海道は暑いので
どの海水浴場もいっぱいのようです。
いっぱいといっても本州の江ノ島や湘南の海のように
芋を洗うような混雑はありません。
しかし、せっかく北海道の海に行くなら、
自然のままの海で遊ばせてあげたいと思い、
海水浴場になっていない海に行くことにしました。
そこは以前、資料を採集するために出かけたところです。
あまり人がいないことがわかっているところでした。
でも、もちろん人がいましたが、
3組ほどの人が、釣りをしているだけでした。
しかし、最近つくづく思うのですが、
自然のままの海も、川も、今や北海道でも貴重になってきました。
もちろん都市から離れたところへ行けばまだまだあるのでしょうが、
私の住む町の近くには散々探しているのですが、
いいところが見つかりません。
もしかすると私の希望は多くの人が望むものと違っているのかもしれません。
人手のできる限りはいっていない河原や海岸です。
野生の自然があるところは、管理上の問題でしょうか、
多くのところでは、一般の人が入れなくされています。
また、そんなことになったのも、
マナーの悪い人がたくさん入り込んでいるせいもあるのでしょう。
確かに、ごみや焚き火の跡が残されていたりして、
興ざめしてしまうるところもよく見かけます。
でも、私は、自然の川や自然の海が残っているところを
飽きることなく探していきたいと思っています。
少なくとも自分の子供たちは
野生の自然に触れさせてあげたいなと思っています。
これは、もしかすると、子供をだしにした親のわがままかもしれません。
でも、北海道においてすら自然が残されていないことを考えると、
本州での悲惨さを思って余りあります。