2016年10月27日木曜日

2_138 三畳紀末の大絶滅 1:大絶滅とは

 生物の大絶滅は何度も起こっています。その原因の究明はなかなか困難なようです。研究者の努力によって、K-Pg境界のように原因が明らかにされてきたものあります。今回、新たな時代での原因が、明らかになりつつあります。そんな成果を紹介します。

 ワシントン条約や絶滅危惧種、レッドデータブックなど、生物の絶滅にかかわるニュースを時々耳にすることがあります。絶滅原因が人間の営みが関係していることを、それを暗に陽に問題としている語り口のニュースが多いと思います。
 生物の絶滅は、ある生物種が絶滅することです。このような絶滅は現在もニュースになっていますが、いつの時代にも起こっていたことです。なぜなら、生物は進化していることは、化石から明らかだからです。現在は存在しない多様な種(化石種といいます)が見つかっています。化石種から現在種までの過程が解明されているものがあり、それが進化実在の有力な根拠となります。存在の証明はたったひつとの証拠でいいのです。
 絶滅がある時代に集中的に起こることがあり、そのような現象を大絶滅といいます。大絶滅は相対的なものです。生物誕生以来、さまざまな程度の大絶滅があったはずですが、地球上の生物がすべていなくなるような規模のものは、地球史ではなかったことになります。なぜなら、生物が長い時間かけてきて、進化してきたことが証拠のひとつです。
 生物の絶滅は、本来、進化論とも関係しているもので、その原因は生物間の生存競争や、自然環境の変遷などの自然の営みとして起こっているもののはずでした。しかし人間の営みが他の生物や自然環境に大きな影響を与えることになってきて、問題が顕在化してきました。たとえば、人間による乱獲、過度の伐採、開発で生物の生存領域の減少や消滅、人間によって持ち込まれた帰化生物による今までにない競争が起こりました。環境問題といわれている温暖化や海水準変動など、環境変化による生物の絶滅も起こっているのかもしれません。環境問題のからの生物大絶滅が起こるかどうかは、将来の話となります。
 では過去の絶滅、それも大絶滅と呼ばれるものは、原因はどのようなものだったのでしょうか。人類がまだ種として誕生していない時のことですから、現在のような人間活動の影響はありません。ですから、自然現象の中に絶滅の原因を求めなければなりません。ただし、大絶滅ですから全地球的な変化でなければなりません。
 これまで多様な絶滅原因が考えられてきました。氷河期や砂漠化のような気候変動、海水変動、山脈や海の形成などの地形変化、新しいタイプの生物の出現による激しい生存競争、巨大火山活動など地球内部の現象、隕石や彗星の衝突などの地球外部の現象・・・。いろいろな原因が唱えられています。どれも一長一短があります。
 研究が進むつれて、すべての大絶滅がひとつ原因で説明できないことがわかってきました。それぞれの大絶滅について、固有の原因があるようです。それぞれの時代の大絶滅に関しての個別の原因究明が、現在進行中です。K-Pg境界のように(かつてはK-T境界と呼ばれた恐竜絶滅の時代)原因がある程度確定されたものもありますが、多くは未だに不明です。今回のエッセイはそれに関するものです。
 少々長い前置きになりましたが、今回は、絶滅の原因を考えていきます。それも三畳紀末の絶滅原因に関する話題です。その前に、三畳紀末がどの程度の大絶滅があったかが気になるところですが、それは次回としましょう。

・絶滅の認定・
絶滅の原因を見極めるのは困難です。
それは、生物の絶滅が、
時代境界で、多数の生物種の消滅し、新たな生物の出現を
化石からみていくことになります。
ある時期に絶滅が一気におこれば、
化石の違いがわかりやすくなります。
隕石や火山のような急激な現象であれば、
地層にその痕跡もくっきりと残る可能性があります。
それ以外の原因の場合、
特に長い時間がかかって起こるものは
地層に証拠が残りにくくなります。
このような絶滅の認定自体の困難さも、
原因究明が困難につながっているのかもしれませんね。

・出張が続く・
今週は校務での出張が何度あります。
卒業研究の添削で忙し時期でもあるのですが、
校務ですので、仕方がありません。
気持ちを切り替えて、対応することになります。
気持の切り替えには。慣れています。
こんな時は、気分転換だと思って出かけることにしています。
だた研究時間が減り、進まなくなるのが問題なのですが。

2016年10月20日木曜日

4_131 南紀の旅 5:橋杭岩

 南紀の旅シリーズも、最後になります。今回は、奇岩の紹介です。大地の景観や名勝の多くは、地質学的背景と現在至るまでの自然現象によって造形されます。今回の奇岩も、マグマと津波によってできた景観でした。

 南紀の先端は、本州最南端でもある潮岬(しおのみさき)です。潮岬は、台風などが来ると中継によくでてくるところです。潮岬の東側には大島があり、橋が渡されていて、今では簡単にアプローチできるようになっています。
 潮岬の付け根に、不思議な岩が乱立しているところがあります。橋杭岩(はしくいいわ)と呼ばれているものです。岩石の柱が、何本も海(大島の方)に向かって、一直線に並んでいます。非常の不思議な光景です。
 柱の東側は深い海になっているのですが、西側は浅くなっており、柱がくずれたと思しき残骸の岩が多数ころがっています。杭のような岩の柱が、橋桁のように連なっているところから、橋杭岩とよばれたそうです。25の岩には、形に基づいてすべてに名称がつけられています。国指定の名勝天然記念物に指定されており、ジオパークのジオサイトにもなっています。
 橋杭岩は、幅15m長さ900mにわたって岩石が直線状に並んでいます。周辺の岩石は泥岩とよばれる黒っぽい堆積岩なのですが、橋杭岩は火成岩からできています。石英の斑晶が多数入っている閃緑岩(石英斑岩とも呼ばれます)という火成岩で、このような大きな斑晶と粒の粗い石基が混在している岩石は、マグマが上昇してきた時に、地表付近の割れ目に添って形成されたもので、岩脈とよばれています。マグマが上昇してくるときは、地層の割れ目(断層)があればそこが一番通りやすいので、断層にそって貫入ることよくあります。ですから、火成岩が直線的で板状になっているのです。
 南紀にはこのようなマグマの活動が、1400万年前ころにかなり広域に渡って起こり、「熊野酸性火成岩類」と呼ばれています。前回紹介した那智の滝をつくっている岩石も、同じ起源のものでした。
 さて時代が進み、このあたりの地層が上昇して地表に顔をだすると、侵食を受け、柔らかい泥岩が削られていきます。一方、硬い火成岩は、柱状のまま残っていきます。現在の地形は、岩脈の東側は少し深くなっており、西側が浅くなっています。ですから崩れた岩が西側だけに残って見えます。
 西側に海岸に散らばった岩を詳しく見ていくと、柱に近い所で岩が非常に大きく、離れていくとだんだんと小さくなっているように見えます。まあ、壊れた近くに大きなもの、離れれば小さくなるの当たり前のように思われますが、ここは平らな海岸です。斜面ではありません。それに小さいとはいっても一抱えもある岩です。通常の波や台風なの高波では動きそうもないサイズでもあります。このような岩の配置は、津波によってなされたものだと考えられています。
 橋杭岩は、今では駐車場や観光施設も整備され、多くの観光客が訪れるところとなりました。以前は潮が引いている海岸へ、多数の人が歩いて見学にいったのですが、今では海沿いの施設から見学するようになっています。海岸に入っていいかどうかわからなくなっていました。本当は入っていきたかったのですが、多数の観光客がいるので、入ることは遠慮しました。残念。

・人目を気にして・
自然景観を売りしている観光地は、
そこまでのアプローチがよく、
駐車場や解説板やトイレ、歩道などの施設
地質や地形を観察するのに適しています。
特にジオパークのあるところでは、
地質を観察する時が便利になりました。
ただし、前回も書いたのですが、人目が多いと、
たとえ許されていたとしても
コースから外れて石を見たり、
詳細を確認するために
露頭に近づいたりすることが
はばかれることがあります。
今回もそうでした。

・霜の降りる日・
北海道の山では、かなり早くに初冠雪の便りを聞き
数日前の快晴の日の冷え込みでは、
里でも霜の降りるような日が続きました。
そのためでしょうか、一気に周辺の紅葉が進みました。
でも、また暖かい日がくるという
気温変化の激しい気候が続きます。
冷え込みのせいで、秋が一気に深まりましたが、
このまま冬になるのでしょうか。
里の初雪まだまだ先だと思いますが。

2016年10月13日木曜日

4_130 南紀の旅 4:那智の滝

 南紀の旅は、前回の天鳥褶曲は知る人ぞ知る地質ポイントでしたが、今回は白浜、白崎に続いて、まただれもが訪れる観光地です。観光地ならではのよさもありますが、不都合な部分もあります。地質学者側の都合を紹介します。

 和歌山の海岸からは山に入るのですが、那智勝浦町には、有名な那智の滝(那智滝と表記することあるようです)があります。幅13m、落差133mの圧倒されるようなサイズの滝です。落差が日本1位だそうで、日本三名瀑としても有名でもあります。もともと宗教の場でもあったのですが、観光地としても有名なところです。
 私は、今回2度目の訪問となります。那智の滝は、周辺が熊野那智大社の社有林でもあり、滝自体は飛瀧神社のご神体となります。さらに周辺は、「那智原始林」と呼ばれて、古くから(1928年より)国の天然記念物に指定されています。そして2004年には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が決まり、那智の滝はそのひとつに加えられています。そのため、より観光客が多くなっているようです。
 人が多く訪れる観光地なので、狭く険しい山沿い場所なですが、周辺は整備されていて、滝を見るまでの道も整っていて、足下を気にすることになく見学ができます。ただし長い石の階段があるので、足腰の弱い人、足の不自由な方には、少々大変かもしれません。ただ多くの観光客が訪れているところなので、アクセスは非常にいいところだと思います。
 ところが、整備された観光地や通路は、地質学者にとっては、あまりありがたいことではありません。なぜなら、通路以外への立入禁止、石を詳しく見るため叩くこともできません。石の表面には風化、植生があって、本来の色や組織などの特徴が見づらくなっていることが多いです。「本当の地質学者」は、石を叩いて新鮮な面を出したいのですが、叩けないと観察に困ります。さらに保護されているところからは、石を採取したくてもできないので困ることになります。地質調査をするには、特別な許可が必要になります。
 しかし、私は「変な(偽の?)地質学者」なので、石や露頭は「みる」ことを中心にしています。記録を残すために、「とる」のは写真だけにしています。ですから、観光地でアプローチが良くなっているのは歓迎です。でも、石の新鮮な面が見えないは少々困りますが、まあなんとか石が見れれば、諦めがつきます。
 那智の滝に来たのは、石を見るためでした。ここには熊野酸性岩類が出ています。地質についての詳細は、別のエッセイである
http://geo.sgu.ac.jp/geo_essay/2009/53.html
を参照いただければと思います。
 那智の滝を構成している石には、近づけないのはわかっていました。ですから、ただ「みて」、自然や景観を「感じる」ことが目的でした。その目的は達成できました。

・本当と偽・
「本当の地質学者」であっても、
保護されていないところでも
やたらと石を叩いて割ったりするのは
控えるべきでしょう。
景観だけでなく、重要な露頭を損ねるような
試料採取は他の地質学者、後世の地質学者に対して
チャンスを減らしてしまうからです。
今では強くそう思うようになりました。
以前の私の姿がそうだったからです。
同業の地質学者の案内で
珍しい石の見学にいくと、
その度に試料を採取していました。
多くの地質学者にも同じような経験があると思います。
採取された試料の内どれくらいが、
その地質学者の研究材料になったのでしょうか。
なったとしたらそれは問題ないと思います。
私も博物館時代は、博物館の標本として
展示に使えるように採取しことはありました。
しかし、博物館以前は、研究材料としてというより
見聞を広げるため、土産代わり、
皆が採るからなどという、
今思えは無駄な、無謀な試料採取をしていたと思います。
もちろんいくつは薄片にして顕微鏡で観察し
研究に使用したものもあります。
しかし、多くの試料は死蔵されていました。
その石も、転居、転職によってどこかにいきました。
今思えば、貴重なもの、珍しいもの、
少ししかないものもありました。
いずれも「欲しい」という気持ちで採取していました。
反省しています。

・同じ画像なのですが・
観光地には、人を惹きつける何かがあります。
私は、観光地で石や地質がよく見られるところで
撮影することが多いです。
以前は人がいない瞬間までまって
シャッターチャンスを狙っていました。
最近では、人も景観の一部だと思うようにして、
対象物が隠れない限り、
人の存在をあまり気にしなくなってきました。
私自身が自然体になってきたのでしょうか。
それともよりよいものを目指す気力が
衰えてきたのでしょうか。
結果としては同じ撮影なのですが、
前者であることを願っています。

2016年9月29日木曜日

4_128 南紀の旅 2:白崎海岸

 交通網や道路網が発達してきて、高速の自動車道や鉄道での移動が主になってきています。そのため、かつての交通路が、現在では不便になってきて、目的がないとなかなか観光客が訪れないところになってきているところも多いのではないでしょうか。そんなところをひとつ紹介しましょう。

 和歌山の海岸線は複雑で、海沿いの道路はくねくねとしていて、場所によっては狭いところもあるので、車での移動で急ぐときには、なかなか大変になります。しかし、近年は高速道路が充実してきて、あっという間に目的地についてしまいます。和歌山では内陸を通っているので、海岸線を見ることはなかなかできなくなっています。でも、海沿いには、いろいろな見所があります。
 和歌山日高郡由良町は、町の中心の近くをJR(紀伊本線)も国道(42号線、別名熊野街道)が通り、町の山側には高速道路(湯浅御坊道路)も通っています。町と外部への交通からすると便利ですが、観光客は目的がないと、なかなか海岸線の道を通ることはなくなったと思います。そのため、海岸沿いにみられる思わぬ景色や名勝を見逃してしまうことがあります。
 由良の町から、県道24号線は、海岸線を通る道になっています。北に向かって進むと海岸に突き出た白い崖の岬がみえてきます。その特徴通り地名で、白崎(しらさき)と呼ばれています。道の駅もあります。私が訪れた時は、台風の影響で道路の補修が何ヶ所があり、白崎から先も交互通行になってますます通行が不便になっていました。
 さて、この白崎ですが、白い色は石灰岩の色です。石灰岩をよく見ると化石を含んでいることがあります。石灰岩からは、紡錘虫やウミユリなどの化石いろいろ見つかります。そのうちいく種類かの紡錘虫によって、時代を決めることができました。このような化石を示準化石と呼んでいます。その時代は、ペルム紀(2億5000万年前)とよばれ、古生代最後の時代になります。かなり古い時代です。
 一方、石灰岩の近くで接してでている泥岩や礫岩からは、別の種類の化石が見つかっています。ウニや貝なのですが、その時代は、中生代最初のジュラ紀(約1億5000万年前)で、石灰岩と比べて、明らかに若い時代のものです。
 これは、非常に不思議なことです。1億年も形成年代の違う岩石が、すぐ近くにあるのです。このような現象は、付加体やメランジュなどの結果だとされています。もともと熱帯付近の海洋の真ん中の海山や海洋島で形成された石灰岩(サンゴ礁のようなもの)が、海洋プレートの移動に伴って海溝まできて、その後海溝で海山が崩れて、泥岩の中に石灰岩の塊として取り込まれたという考えです。
 海で形成された岩石類が、海溝で陸に付加していくものを付加体といいます。付加体の中に取り込まれる時に、もとの構造が残されずに取り込まれ、起源の違った岩塊(ブロック)が混在しているものを、メランジュと呼んでいます。白崎の石灰岩は大きなブロックとして、付加体の中に取り込まれたものです。
 白崎は、周辺の岩石とは全く違っているため、非常に不思議な景観が目に入ってきます。白崎には道の駅も設置されていますので、もし近くに行かれることがあれば、足を伸ばしてみられればと思います。天気が良ければ、石灰岩の白と、海と空の青のコントラストがきれいです。

・昔は・
以前来た時、和歌山の海岸線を通るために、
高速道路を降りて、海岸線を車で進んだことがあります。
そのときは、なかなか目的地につかなくて
慌てたことがあります。
しかし、今ではコースさえ選べば
高速や国道の幹線道路から容易に
足を伸ばして、目的地に到着できるようになりました。
でも、目的地としなければならないのですが。

・コントラスト・
白崎の石灰岩には、昔の採掘跡の穴があいています。
今は、入ることはできませんが、
金網越しに跡を見ることができます。
明治20年代に肥料用として採掘がはじまり、
その後、セメント原料などに使われたそうです。
戦後もかなり採掘されていたようです。
今では、その痕跡だけですが、
昔の栄華を少しだけですが、偲ぶことができます。
私が訪れた日は幸い天気が良くて、
化石や石灰岩の白と海と空の青の
コントラストに魅せられましたが。

2016年9月22日木曜日

4_127 南紀の旅 1:白浜

 和歌山に野外調査に行きました。いくつかの調査ポイントがあったのですが、ほぼ予定通りにこなすことができました。今回はその中から、地質の見どころをいくつか紹介していきましょう。

 しばらく「地球地学紀行」のシリーズを配信していませんでした。8月末から9月上旬にかけて、和歌山に調査に出かけたので、久しぶりにシリーズにして書くことにしました。まずは、有名な観光地である、白浜からはじめましょう。
 白浜は、和歌山県西牟婁(にしむろ)郡にあるのですが、関西からは古くから熊野詣での道中になっているので、道路網や鉄道網ができていました。しかし海岸を走る道路は曲がりくねってなかなか大変な行程だったのですが、最近では、白浜までは高速道路ができているので、比較的アプローチが楽になってきました。
 白浜には、地質によって織りなされている名勝がいつくかあります。白い砂が目に鮮やかな白良浜(しららはま)、ラクダ背のような形の島に丸く穴の空いた円月島、海岸に広がった平らな岩の千畳敷、すごい断崖絶壁の三段の崖などがあります。狭い地域に多様な景観があり、見ごたえがある地です。その上温泉があるので、古くから観光地として多くの人が訪れていました。
 白浜温泉は、熱海温泉と別府温泉と並んで日本三大温泉とも呼ばれ、道後温泉と有馬温泉とともに日本三古湯のひとつに数えられています。かつては、白浜は地域の古い名称である「牟婁(むろ)の湯」と呼ばれていました。
 この有名な白浜温泉ですが、実は、近くに火山がないのです。つまり熱源となものが見当たらないのに、温泉がわいています。ただし、温泉の定義には、温度が低く(20℃以下)でも、定められた成分が一定量以上含まれていれば温泉と名乗れます。しかし、白浜温泉は、78℃という高温の熱湯が湧いていますので、温度においても立派な温泉になっています。紀伊半島には、白浜温泉の他にも、湯の峰温泉(92.5℃)などの高温の温泉が豊富に出ているところがあります。熱源となる火山がないのに温泉がでています。少々不思議な温泉です。
 火山が以外に、どこかに、何らかの熱源となるものがあるはずです。周囲には、中新世に活動した火成活動(熊野酸性岩類と呼ばれています)が起こっているので、そのマグマが熱源ではないかと、かつては考えてられていました。しかし、その因果関係は確かめられたわけではありませんでした。それに、1200万年前のマグマなので、あまりにも古すぎるので、熱源となっているかどうかには疑問もありました。
 近年の地電流の調査から、地下10から15kmに、高温の部分があることがわかってきました。その高温部は、深度30kmに沈み込んているフィリピン海プレートから絞り出された高温の熱水を含んでいる領域であることがわかってきました。地下水が、その高温部分によって温められたものが温泉として出てきているのではないかと考えられるようになってきました。似たような起源として、兵庫県の有馬温泉があります。
 実はそんな理屈を考えることもなく、白浜の温泉につかってきました。

・核燃料開発機構・
ここで示した温泉の起源の成果を出したのは、
核燃料開発機構が2004年に調査報告したことでわかりました。
科学にとっては重要な成果がでたのですが、
その調査の目的はわかりません。
核燃料開発機構は、
さまざまな組織改編を繰り返しています。
原子燃料公社
→動力炉・核燃料開発事業団
→核燃料開発機構
→独立行政法人日本原子力研究開発機構
→国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
・・・・など流転しています。
この変遷は、日本の原子力行政の躊躇や迷いを
表しているような気がするのは、私だけでしょうか。

・後期授業のスタート・
後期の授業がはじまりました。
初日は、めまいがするほど忙しさでした。
夕方、研究室の席についた時は、
ぐったりしていました。
まあ、こんな日もあるのでしょうが、
最初だけにしてほしいものですが
どうなることやら・・・・。
なお今日22日は秋分の日で祝日ですが
我が大学は通常授業をしています。

2016年9月15日木曜日

1_149 隕石と大気 4:矛盾

 27億年前に大気上層部で反応した隕石の溶融物が見つかりました。そこから推定された大気組成と、今までの知見とは矛盾しているものでした。その矛盾を解くには、特別なモデルを考える必要がありそうです。そのモデルは納得できるものでしょうか。

 地球の大気は、地表付近が一番濃く、上空に行くにしたがって、大気の密度は小さくなります。対流圏(10数kmまで)はなかり大気がありますが、成層圏(10から50km)はかなり少なく、中間圏(50から80km)より上空では大気は千分の1以下になっていきます。
 そんな薄い大気でも、隕石が大気圏に突入すると、大気との摩擦により高温になっていきます。その時、熱によって隕石が融けます。隕石のサイズにより、溶融部分が表面だけの場合と、全体が融けることもあります。いずれにしても、いったん溶けた隕石の部分は、大気と反応しながら再度固まっていきます。
 今回の報告では、現状の大気の状態だと、砂粒ほどの「微小」な鉄隕石は、75から90kmの上空で溶けたと考えています。かなり薄い大気ですが、摩擦で溶けたようです。これは、現在の隕石の観察から推定されています。
 溶けた部分が固まるとき、周りの大気との反応が起こり、反応物に大気の組成を記録しているというのです。溶融物では急激な冷却があったようで、隕石には急冷によってできた樹枝状や羽毛状の組織があります。このような組織は、マグマが海水などで急冷した時によくみられるものであります。急冷は間違いないものです。
 急冷してできた鉱物は、ウスタイト(FeO)と金属を伴った磁鉄鉱(Fe3O4)でした。もともと隕石は、金属鉄からできていたので、このような酸化状態の鉄は、大気との反応でできたことになります。鉱物の酸化状態から考えると、大気の酸素濃度は、現在ものに近かったと推定されます。酸素と一酸化炭素の比率は、一酸化炭素による酸化よりずっと高い状態であったと考えられます。
 一方、海底の堆積物のイオウの化学組成からは、無酸素状態の環境であるデータが出ています。また一般に地表付近の大気も、まだ酸素が少なかったと考えられるので、今回の報告されたデータは、今までの知見と矛盾することになります。
 現在の考えでは、酸素はストロマトライトを形成したシアノバクテリアのような光合成生物が酸素を一気に形成した(24億年前)とされています。その証拠は多数あります。それ以前(27億年前)には、地表付近には酸素はほとんどなかったとはずですが、大気の上層部だけ大量の酸素があったということになります。
 このような矛盾を解決するひとつのモデルとして、太古代には大気の上層と下層の混合が少なかった、と考えれば解決できそうです。このモデルをどう考えるかは、今後の課題です。謎はすぐには解けそうにありません。

・いよいよ講義が・
今年は、北海道には、何度も台風が上陸し
例年とは違った天候でした。
しかし、この1週間ほどで、秋は着実に進んできました。
朝夕は涼しくなってきました。
朝大学に来る時は上着が必要になります。
そろそろ大学の夏休みも終わります。
来週からは授業がはじまります。
また慌ただしい日々がはじまります。

・外壁の塗装・
現在、自宅の周りに足場が組まれています。
外壁の塗装のためです。
10数年に一度の外装工事です。
先日の日曜日に、屋上を見るチャンスなので
その足場をつたって屋上に上がろうと思いました。
今まで自宅の屋上を見たことがありません。
ところが、3階の足場で足がすくみ、上がれませんでした。
屋根までは階段はなく足場をよじ乗る必要があります。
同じ日に2度チャレンジしましたが、だめでした。
でも、足場のあるうちのなんとか
再チャレンジして、屋根の上に出たいのですが、
どうなるでしょうかね。

2016年9月8日木曜日

1_148 隕石と大気 3:27億年前

 隕石と大気、それも過去の大気との関係を調べた報告を紹介します。今回の報告では、27億年前の大気組成を推定したというものです。直接過去の大気組成の測定はできないので、どうしても間接的になりますが、なかなかニュニークな方法です。

 イギリスの科学雑誌「Nature」の5月12日号に、
Ancient micrometeorites suggestive of an oxygen-rich Archaean upper atmosphere
(酸素に富んだ太古代の上部大気を想定させる古い微小隕石)
という表題の論文として、オーストラリアのモナシュ大学のトムキンズと共同研究者たちによって報告されました。
 隕石(宇宙塵)は、オーストラリアのピルバラ地域の27億年前の石灰岩から発見されました。調査した岩石からは、60粒の隕石が見つかりました。隕石の保存状態も良かったようで、落下時の化学組成が残されており、27億年前の情報が読み取ることできました。
 27億年前という時代も、地球の歴史におては重要な意味がありました。というもの、地球に酸素が急激に増えてきたのは、24億年前あたりからで、それ以前は、大気中に酸素はほとんどなく、今とは全く違う大気の組成の時代でした。現在の大気中の酸素と比べると、その量は0.001%以下だったと考えられています。
 そもそも過去の大気組成を、直接分析することは、なかなか困難なことです。残された地層の状況から間接的な情況証拠で示されたり、シミュレーションなどによる推定によるものになっていきます。
 27億年前という時代は、落下した隕石の年代としても最古(これまでの記録より10億年近く遡る)となり、それだけでも価値があります。しかし、報告には、それ以上の意義がありました。隕石から、当時の大気組成を見積もったことです。
 では、どのようにして、過去の隕石から大気組成を見積もることができたのでしょうか。それは、この微小隕石ができる過程に秘密があります。
 もともとは大きな鉄隕石だったものが、地球の大気圏に突入する時、摩擦で溶けて、小さな粒になったというのです。今日と同じような大気の密度であれば、隕石は75から90kmの上空で溶けたと考えられます。溶けた後、冷えて固まった時、大気と反応して、その状態を記録したと考えられるのです。
 その詳細については、次回に。

・野外調査・
和歌山の調査から5日(月)に帰ってきました。
台風の合間の晴れの期間が、調査の日程とピッタリと合いました。
予定していたところは、一通り回ることができました。
非常に幸運でした。
1週間も調査していると、何日かは雨に降られます。
そんな時は、予定通りに、調査は進みません。
重要な場所を見る時は、天気が非常に心配になります。
時には干満の様子も調べていかなければなりません。
干潮でも、海が荒れていたら行けないところもあります。
今回もそんな所があったのですが、
なんとか無事たどり着くことができました。
満足できる調査になりました。

・著書出版・
ライフワークにしている研究のひとつが
この度、成果として実を結びました。
2月から執筆していた著書が、野外調査中に印刷され納品されました。
出勤して、早速、受け取りました。
少部数の印刷ですので、最初は自費出版を考えていたのですが、
公費で賄うことができました。
PDFでも、データを貰う予定ですので、
一般にも配布しようと考えています。
少々、専門的になりますが、
「地質学における分類体系の研究」
というタイトルの本です。
PDFファイルが送られてきたら、アドレスをお知らせします。