2016年10月20日木曜日

4_131 南紀の旅 5:橋杭岩

 南紀の旅シリーズも、最後になります。今回は、奇岩の紹介です。大地の景観や名勝の多くは、地質学的背景と現在至るまでの自然現象によって造形されます。今回の奇岩も、マグマと津波によってできた景観でした。

 南紀の先端は、本州最南端でもある潮岬(しおのみさき)です。潮岬は、台風などが来ると中継によくでてくるところです。潮岬の東側には大島があり、橋が渡されていて、今では簡単にアプローチできるようになっています。
 潮岬の付け根に、不思議な岩が乱立しているところがあります。橋杭岩(はしくいいわ)と呼ばれているものです。岩石の柱が、何本も海(大島の方)に向かって、一直線に並んでいます。非常の不思議な光景です。
 柱の東側は深い海になっているのですが、西側は浅くなっており、柱がくずれたと思しき残骸の岩が多数ころがっています。杭のような岩の柱が、橋桁のように連なっているところから、橋杭岩とよばれたそうです。25の岩には、形に基づいてすべてに名称がつけられています。国指定の名勝天然記念物に指定されており、ジオパークのジオサイトにもなっています。
 橋杭岩は、幅15m長さ900mにわたって岩石が直線状に並んでいます。周辺の岩石は泥岩とよばれる黒っぽい堆積岩なのですが、橋杭岩は火成岩からできています。石英の斑晶が多数入っている閃緑岩(石英斑岩とも呼ばれます)という火成岩で、このような大きな斑晶と粒の粗い石基が混在している岩石は、マグマが上昇してきた時に、地表付近の割れ目に添って形成されたもので、岩脈とよばれています。マグマが上昇してくるときは、地層の割れ目(断層)があればそこが一番通りやすいので、断層にそって貫入ることよくあります。ですから、火成岩が直線的で板状になっているのです。
 南紀にはこのようなマグマの活動が、1400万年前ころにかなり広域に渡って起こり、「熊野酸性火成岩類」と呼ばれています。前回紹介した那智の滝をつくっている岩石も、同じ起源のものでした。
 さて時代が進み、このあたりの地層が上昇して地表に顔をだすると、侵食を受け、柔らかい泥岩が削られていきます。一方、硬い火成岩は、柱状のまま残っていきます。現在の地形は、岩脈の東側は少し深くなっており、西側が浅くなっています。ですから崩れた岩が西側だけに残って見えます。
 西側に海岸に散らばった岩を詳しく見ていくと、柱に近い所で岩が非常に大きく、離れていくとだんだんと小さくなっているように見えます。まあ、壊れた近くに大きなもの、離れれば小さくなるの当たり前のように思われますが、ここは平らな海岸です。斜面ではありません。それに小さいとはいっても一抱えもある岩です。通常の波や台風なの高波では動きそうもないサイズでもあります。このような岩の配置は、津波によってなされたものだと考えられています。
 橋杭岩は、今では駐車場や観光施設も整備され、多くの観光客が訪れるところとなりました。以前は潮が引いている海岸へ、多数の人が歩いて見学にいったのですが、今では海沿いの施設から見学するようになっています。海岸に入っていいかどうかわからなくなっていました。本当は入っていきたかったのですが、多数の観光客がいるので、入ることは遠慮しました。残念。

・人目を気にして・
自然景観を売りしている観光地は、
そこまでのアプローチがよく、
駐車場や解説板やトイレ、歩道などの施設
地質や地形を観察するのに適しています。
特にジオパークのあるところでは、
地質を観察する時が便利になりました。
ただし、前回も書いたのですが、人目が多いと、
たとえ許されていたとしても
コースから外れて石を見たり、
詳細を確認するために
露頭に近づいたりすることが
はばかれることがあります。
今回もそうでした。

・霜の降りる日・
北海道の山では、かなり早くに初冠雪の便りを聞き
数日前の快晴の日の冷え込みでは、
里でも霜の降りるような日が続きました。
そのためでしょうか、一気に周辺の紅葉が進みました。
でも、また暖かい日がくるという
気温変化の激しい気候が続きます。
冷え込みのせいで、秋が一気に深まりましたが、
このまま冬になるのでしょうか。
里の初雪まだまだ先だと思いますが。