暑い夏に、寒い氷河期のことでも思いをはせるために、氷河期の代表的生き物でもあるマンモスを見に行きました。
愛・地球博(愛・地球博は愛称、略称は愛知万博で正式名称は2005年日本国際博覧会)では、8月にはいってからは、連日10万人超す入場者を記録しているようです。中でも、冷凍マンモスが話題になっているようです。そのマンモスは、地名から「ユカギルマンモス」と呼ばれています。しかし、私は、別のところで、冷凍をマンモスを見ました。それも並ばず、無料でです。
札幌近郊の人は思い当たったでしょうか。北海道大学の博物館でおこなわれている特別企画展示の「マンモス絶滅の謎に迫る シベリア・マンモス展」でマンモスのお尻の部分が展示されていました。じつは、このお尻の標本は、愛・地球博で、一時的にマンモスの頭部と一緒に公開されていたものです。
シベリアのマンモスは、永久凍土の中に冷凍保存されていたため、皮膚や毛、尻尾まで、なまなましく保存されています。もともと北大の博物館には、北大の研究チームがシベリアで発見し、持ち帰ったマンモスの歯や毛髪マなどの展示がされていました。そんないきさつから、お尻の標本を借りて、冷凍のまま展示されたのです。
ご存知でしょうが、今から氷河期の終わりに(正確には1万1000年から1万年前の間)、マンモスはシベリアの大地から、突然、絶滅してしました。なぜでしょうか。
400万~500万年前にアフリカで生まれた人類の祖先は、50万~60万年前に現在の中国の地域及び東南アジアへ広がっていきました。彼らは、モンゴロイドという黄色人種で、北京原人やジャワ原人などの化石人類として発見されています。モンゴロイドの一部は、北に向かいマンモスだけを狙って狩っていました。彼らはマンモスハンターと呼ばれ、40人ほどの集団で暮らし、年間4頭ほどのマンモスを狩っていたようです。しかし、アジアに広がっていたモンゴロイドは、氷河期最盛期に絶滅してしまいました。
かつては、マンモスハンターの過度の狩猟によるためと考えられていたのですが、どうも原因はそれだけではないというころがわかってきました。
マンモス絶滅の有力な原因として、激しい気候変動による可能性がでてきました。
ヨーロッパとアメリカのチームがグリーンランドの氷床で2本のボーリングコア(GRIP、GISPと呼ばれています)から、過去10万年以上の気候変動が読み取られました。そのデータによると、氷河期の終わりは、短い周期で気候が激しく変動していたことがわかってきました。
温かくなりつつあった氷河期の終わり頃、1万1500年前に一時的に寒い時期(ヤンガー・ドライアス期と呼ばれています)がきました。その様子は、想像を絶するものだったようです。寒い時期から、約10年のあいだに気温が約7.7度以上も上昇したと推定されています。氷河期からの急激な温暖化によって、北半球の氷床は融けだし、大量の淡水が大西洋に流入していきました。その結果、海洋・気候のシステムに大きな影響を与えました。
シベリアでは、大量の雨や雪が降りました。大量の積雪は植物を隠してしまいます。それまで、シベリアは乾燥した大地で、柳やイネ科の草が広がる草原でした。マンモスにとっては、冬期にエサがないという環境では生きていけませんでした。
さてさて、マンモス絶滅の謎は、まだ解けていません。温暖化、人為どうも1万数千年前に起こったことのですが、現在の人類が直面している状況と似ているような気がします。果たして、私たちはマンモスの絶滅から学ぶべきことはないでしょうか。
・最後のマンモス・
マンモスについては、いろいろな説があります。
実は4000年前(紀元前1700年頃)に、
北極海のウランゲル島で、
体高1mほどの小型のマンモスが発見されています。
コビトマンモスとも呼ばれ、この小型化は、
乏しくなった食料で生きていくための
適応ではないかと考えれられています。
最後のマンモスがこの島で原住民に狩猟され、
マンモスが絶滅したとも考えられています。
すると、上の気候変動説も、本当の原因ではないことになります。
さてさて謎はますます深まります。
・北大博物館・
北大の博物館を見学しているとき、
ボランティアでマンモスの解説のところにいた方を見かけました。
よく知っているAさんでした。
Aさんは今年の春、北大を定年退職されたのですが、
ボランティアとして博物館の展示場で週に一度解説をされ、
それ以外の日には研究を続けられているそうです。
話し込んでいて、実は展示の解説をよく見ることができませんでした。
申し訳ないことをしてしました。
せっかくの解説を聞かずに、
近況報告をし合っていました。
できれば、機会があればもういちど見に行きたいものです。
2005年8月18日木曜日
1_47 中生代(2005年8月18日)
地質時代のシリーズです。今回は中生代です。中生代は現在人類が直面している地球環境問題の起こっていた時代でした。そんな中生代を概観してみましょう。
中生代は、2億5100万年前から6550万年前の間の1億8550万年間の時代です。中生代は、三畳紀(2億5100万年前~1億9960万年前:5140万年間)、ジュラ紀(1億9960万年前~1億4550万年前:5410万年間、白亜紀(1億4550万年前~6550万年前:8000万年間)に細分されています。
中生代の特徴は、一言でいうと「現在につながる時代」ということになります。生物のタイプでいいますと、現代型生物の出現してきた時代です(1_46 古生代から中生代へ3:生物の変化を参考にしてください)。また、古生代末にできたパンゲア超大陸が分裂する時代(1_45 古生代から中生代へ2:絶滅の原因)で、中生代を通じて温暖な時期となります。
この温暖で安定した気候の時期が、陸上生物の発展をもたらしました。それは、恐竜の時代ともいうべき時期であります。恐竜の仲間は地球のほぼ全域に進出しました。陸だけででなく空へも翼竜が、海へも魚竜が進出しました。陸上の恐竜には恒温性を持っていた可能性もありますが、変温性でも暖かい時代であったので、十分勢力をもって繁栄できる時代でした。
温暖化の程度は、白亜紀には年平均気温で10~15℃も高かったという見積もりがあります。こんなに暖かいと、氷床はほとんど融け、世界的な海進が起こっていました。また、海洋生物の生産量が増え、有機物が地層中にたくさん蓄積され、石油がたくさん形成されました。
この温暖化のそもそもの原因は、パンゲア超大陸を分裂させたプルームの活動です。古生代と中生代の境界に起こった事件ですが、その後も活発にプルームが活動したと考えられています。プルームは激しい火山活動を伴います。火山から放出された二酸化炭素が大量で、その温室効果で、気温が上昇したと考えられています。
軽く「年平均気温で10~15℃も高かった」と書きましたが、もし二酸化炭素が中生代の温暖化の原因だとすると、現在人類が直面している温暖化は、中生代に起こったほどのものではありません。地球にとってはその変化は「ささやか」といっていいかもしれません。
P-T境界という古生代から中生代への境界で、原因不明の生物史上最大の絶滅がありました。その結果、現在型の生物が現れたのですが、新しい時代には新しい生物が発展しました。それが恐竜たちです。恐竜たちは、中生代の温暖化の時代を最大限に利用しました。
このように地球の歴史を眺めていくと、地球環境に激変があっても、生物たちはタフに生き延びます。そして新しい地球環境に適応して、新しいタイプの生物が繁栄していきます。そんなタフな生物たちに、6550万年前にさらなる試練が待ち構えています。これは次回以降の話としましょう。
・水泳の夏休み・
今年の北海道は、暑かったです。
特に6月から7月に、蒸し暑い日が何日もありました。
この暑い夏を、我が家の子供たちは、水泳に明け暮れました。
夏休みに入った早々、スイミングスクールに5日ほど通いました。
その後は、近所の小学校のプール解放にほとんど毎日のように通いました。
まだ次男が小さいので母親が付き添わないとだめなので
家内も子供と一緒にプール通いました。
しかし、お盆ころから、昼間どんなに暑くても
朝夕は涼風が吹くようになりました。
そろそろ北海道の暑い夏も終わろうとしています。
そして子供たちの夏休みの終わりです。
夏休み最後の日は、山のきれいな川に
家族でいって、川遊びをしてきます。
山の川は水が冷たくで泳げませんが、
いろいろなものがあるので、川は面白いです。
・地球環境・
人類が直面している地球温暖化は、
地球にとっても、生物にとっても初めてのことではありません。
上で述べたように中生代に経験しています。
生物は地球の環境の変化を受け入れるだけです。
たとえそれが他の生物が引き起こしたことだとしてもです。
しかし、ひとつの種にとっては、環境の変化は死活問題になりかねません。
同胞の死、家族の死、自分の死は、受け入れがたいことです。
このような思いは、何も人類だけでのものではないはずです。
しかし、人類以外の生物は、それに黙って耐えてきました。
知恵を持った人類は、それを受け入れることを良しとせず、
何とか回避しようとしています。
自分で蒔いた種を、自分で摘もうとしています。
しかし、気をつけなくてはいけないのは、
その回避方法を展開するときに、
他の生物を犠牲にしていないか、
あるいは今まで他の生物を犠牲にして
その問題を起こしてこなかったかということです。
そんなことを深く考えながらよく、
いろいろな方策を考えていかないのと、
新たな問題を引き起こしかねません。
地球は人類のものではありません。
地球は地球自身のものです。
そして他の生物のものであります。
もっと人類は、もっと知恵を使っていかなければなりません。
中生代は、2億5100万年前から6550万年前の間の1億8550万年間の時代です。中生代は、三畳紀(2億5100万年前~1億9960万年前:5140万年間)、ジュラ紀(1億9960万年前~1億4550万年前:5410万年間、白亜紀(1億4550万年前~6550万年前:8000万年間)に細分されています。
中生代の特徴は、一言でいうと「現在につながる時代」ということになります。生物のタイプでいいますと、現代型生物の出現してきた時代です(1_46 古生代から中生代へ3:生物の変化を参考にしてください)。また、古生代末にできたパンゲア超大陸が分裂する時代(1_45 古生代から中生代へ2:絶滅の原因)で、中生代を通じて温暖な時期となります。
この温暖で安定した気候の時期が、陸上生物の発展をもたらしました。それは、恐竜の時代ともいうべき時期であります。恐竜の仲間は地球のほぼ全域に進出しました。陸だけででなく空へも翼竜が、海へも魚竜が進出しました。陸上の恐竜には恒温性を持っていた可能性もありますが、変温性でも暖かい時代であったので、十分勢力をもって繁栄できる時代でした。
温暖化の程度は、白亜紀には年平均気温で10~15℃も高かったという見積もりがあります。こんなに暖かいと、氷床はほとんど融け、世界的な海進が起こっていました。また、海洋生物の生産量が増え、有機物が地層中にたくさん蓄積され、石油がたくさん形成されました。
この温暖化のそもそもの原因は、パンゲア超大陸を分裂させたプルームの活動です。古生代と中生代の境界に起こった事件ですが、その後も活発にプルームが活動したと考えられています。プルームは激しい火山活動を伴います。火山から放出された二酸化炭素が大量で、その温室効果で、気温が上昇したと考えられています。
軽く「年平均気温で10~15℃も高かった」と書きましたが、もし二酸化炭素が中生代の温暖化の原因だとすると、現在人類が直面している温暖化は、中生代に起こったほどのものではありません。地球にとってはその変化は「ささやか」といっていいかもしれません。
P-T境界という古生代から中生代への境界で、原因不明の生物史上最大の絶滅がありました。その結果、現在型の生物が現れたのですが、新しい時代には新しい生物が発展しました。それが恐竜たちです。恐竜たちは、中生代の温暖化の時代を最大限に利用しました。
このように地球の歴史を眺めていくと、地球環境に激変があっても、生物たちはタフに生き延びます。そして新しい地球環境に適応して、新しいタイプの生物が繁栄していきます。そんなタフな生物たちに、6550万年前にさらなる試練が待ち構えています。これは次回以降の話としましょう。
・水泳の夏休み・
今年の北海道は、暑かったです。
特に6月から7月に、蒸し暑い日が何日もありました。
この暑い夏を、我が家の子供たちは、水泳に明け暮れました。
夏休みに入った早々、スイミングスクールに5日ほど通いました。
その後は、近所の小学校のプール解放にほとんど毎日のように通いました。
まだ次男が小さいので母親が付き添わないとだめなので
家内も子供と一緒にプール通いました。
しかし、お盆ころから、昼間どんなに暑くても
朝夕は涼風が吹くようになりました。
そろそろ北海道の暑い夏も終わろうとしています。
そして子供たちの夏休みの終わりです。
夏休み最後の日は、山のきれいな川に
家族でいって、川遊びをしてきます。
山の川は水が冷たくで泳げませんが、
いろいろなものがあるので、川は面白いです。
・地球環境・
人類が直面している地球温暖化は、
地球にとっても、生物にとっても初めてのことではありません。
上で述べたように中生代に経験しています。
生物は地球の環境の変化を受け入れるだけです。
たとえそれが他の生物が引き起こしたことだとしてもです。
しかし、ひとつの種にとっては、環境の変化は死活問題になりかねません。
同胞の死、家族の死、自分の死は、受け入れがたいことです。
このような思いは、何も人類だけでのものではないはずです。
しかし、人類以外の生物は、それに黙って耐えてきました。
知恵を持った人類は、それを受け入れることを良しとせず、
何とか回避しようとしています。
自分で蒔いた種を、自分で摘もうとしています。
しかし、気をつけなくてはいけないのは、
その回避方法を展開するときに、
他の生物を犠牲にしていないか、
あるいは今まで他の生物を犠牲にして
その問題を起こしてこなかったかということです。
そんなことを深く考えながらよく、
いろいろな方策を考えていかないのと、
新たな問題を引き起こしかねません。
地球は人類のものではありません。
地球は地球自身のものです。
そして他の生物のものであります。
もっと人類は、もっと知恵を使っていかなければなりません。
2005年8月11日木曜日
4_60 十勝岳
7月下旬の夏休み前の連休に十勝岳にいって来ました。調査が目的なのはもちろんですが、観光もしてきました。今回は十勝岳の周辺の火山について紹介していきましょう。
北海道の中央部には、南北に50km以上にわたってのびる火山の列があります。北の大雪山から南の十勝岳までに多数の火山から構成されてる列です。この火山列の南側は、十勝火山群と呼ばれ、北東から南西にかけて延びる前富良野岳、富良野岳、上ホロカメトック山、十勝岳、美瑛岳、オプタテシケ山があり、その列と交差するように南東側に、下ホロカメトック山や大麓山などがあります。いずれも、1500mの越える標高の火山で、中でも2077mの十勝岳が主峰ともいうべき山となっています。
十勝火山群は、50万年前から現在まで、繰り返し活動をしていきた成層火山群です。北海道でも有数の活火山で、何度も噴火が起こっています。北海道の中央部には、十勝岳火山群の火山噴出物が広く積もっています。
十勝岳火山群の活動は詳しく解明されています。活動は、古期、中期、新期の3つに区分されています。歴史時代でも活動は続いていて、1857年、1887年、1836年、1962年、1988-89年の火山活動の記録があり、現在も噴気が上がっています。
中でも1926年の噴火は大きな被害を出しました。1926年2月から小規模な噴火を繰り返していていたのですが、5月24日正午過ぎ、中央火口丘の北西部から水蒸気爆発が起こり、小規模な泥流が発生しました。泥流は6kmほど下の白金温泉まで流れ下りました。午後2時にも小規模な噴火があり、午後4時18分に大規模な水蒸気爆発が起こりました。この噴火により熱い岩屑なだれが形成されて、積雪が融けて、大規模な泥流が発生しました。噴火の1分後には2.4km離れた硫黄鉱山事務所を襲い、24分後には25km離れた上富良野や美瑛町を襲いました。死者・行方不明者144名、負傷者約200名におよぶ大災害となりました。この噴火によって北西に開いたU字型の火口(450×300m)が形成されました。
その後も噴火を繰りかえし、9月には行方不明者2名を出す噴火があり、大正火口ができました。1928年12月にようやく一連の噴火がおさまりました。
十勝火山群は、現在も小規模な火山活動が続いています。1998年、2000年にはやや活動が活発化しました。その後も毎年のように小規模な火山活動が繰り返されています。
私が行った7月下旬は、北海道にしては蒸し暑い天気でした。しかし、標高が1000m以上にもなるとさすがに涼しくなります。7月下旬ですが、まだ日陰には残雪が残っていました。残雪の向こうには十勝岳の噴煙が見えました。そして私の足元には高山植物が花盛りでした。
私には、この火山の噴煙と高山植物が、どうも落ち着かない取り合わせに感じられました。なぜかはわかりません。高山植物の艶(あで)やかさと噴煙の禍々(まがまが)しさが、どうも相容れないものに感じました。植物はたくましく生きている生命の営みです。噴火は大地の営みです。大地の営みのもとで、生命の営みがなされます。ですから、艶やかさの背景の儚(はかな)さを感じてしまうのかもしれません。
バスで訪れた観光客も、噴煙と高山植物を眺めていました。さて彼らには噴煙と高山植物はどうのように映ったのでしょうか。
・富良野・
北海道の中央には、テレビドラマで有名になった富良野があります。
私はテレビドラマで有名になる前に、
調査で富良野に何度かきていました。
もう20数年も前のことです。
そのころの富良野は、スキーのワールドカップが開催されたスキー場があり、
ウィンタースポーツの地として、ニセコとともに有名でした。
夏は、ただ静かな田園風景が広がる地域でした。
そんな印象があるので、富良野の東部にある十勝岳の調査のついでに、
今回も静かな富良野の田園風景を見るつもりでいました。
ところがどうでしょうか。
富良野に向かう道がかなり混んでいました。
これは、このままいくと大変だという気がして、
人気のないところへ、逃れました。
確かに穏やかな田園風景、そして瀟洒な店は観光客を誘うに十分です。
その道は北海道とは思えない車の列となっていました。
でもこれも北海道なのでしょうね。
・芦別・
富良野の混雑を避けて行ったのは芦別でした。
そちらはもとは鉱山町でしたが、
現在では炭鉱はおこなわれていません。
今では、大きな観光宿泊施設があり、
観光に力を注いでいるようです。
今回紹介した調査とは別に、
7月下旬から8月頭に3日間、私は芦別に行きました。
星槎大学という通信制の大学が芦別にあり、
その大学の主催のシンポジウムがあったのと
私が参加している研究会の集まりがあったからです。
そのときに市長や地元のもと炭鉱マンとも話をする機会がありました。
いずれもなかなか面白い話が聞けました。
多くの経験をしている人は面白ですね。
私もそんな人間になりたいと思っています。
北海道の中央部には、南北に50km以上にわたってのびる火山の列があります。北の大雪山から南の十勝岳までに多数の火山から構成されてる列です。この火山列の南側は、十勝火山群と呼ばれ、北東から南西にかけて延びる前富良野岳、富良野岳、上ホロカメトック山、十勝岳、美瑛岳、オプタテシケ山があり、その列と交差するように南東側に、下ホロカメトック山や大麓山などがあります。いずれも、1500mの越える標高の火山で、中でも2077mの十勝岳が主峰ともいうべき山となっています。
十勝火山群は、50万年前から現在まで、繰り返し活動をしていきた成層火山群です。北海道でも有数の活火山で、何度も噴火が起こっています。北海道の中央部には、十勝岳火山群の火山噴出物が広く積もっています。
十勝岳火山群の活動は詳しく解明されています。活動は、古期、中期、新期の3つに区分されています。歴史時代でも活動は続いていて、1857年、1887年、1836年、1962年、1988-89年の火山活動の記録があり、現在も噴気が上がっています。
中でも1926年の噴火は大きな被害を出しました。1926年2月から小規模な噴火を繰り返していていたのですが、5月24日正午過ぎ、中央火口丘の北西部から水蒸気爆発が起こり、小規模な泥流が発生しました。泥流は6kmほど下の白金温泉まで流れ下りました。午後2時にも小規模な噴火があり、午後4時18分に大規模な水蒸気爆発が起こりました。この噴火により熱い岩屑なだれが形成されて、積雪が融けて、大規模な泥流が発生しました。噴火の1分後には2.4km離れた硫黄鉱山事務所を襲い、24分後には25km離れた上富良野や美瑛町を襲いました。死者・行方不明者144名、負傷者約200名におよぶ大災害となりました。この噴火によって北西に開いたU字型の火口(450×300m)が形成されました。
その後も噴火を繰りかえし、9月には行方不明者2名を出す噴火があり、大正火口ができました。1928年12月にようやく一連の噴火がおさまりました。
十勝火山群は、現在も小規模な火山活動が続いています。1998年、2000年にはやや活動が活発化しました。その後も毎年のように小規模な火山活動が繰り返されています。
私が行った7月下旬は、北海道にしては蒸し暑い天気でした。しかし、標高が1000m以上にもなるとさすがに涼しくなります。7月下旬ですが、まだ日陰には残雪が残っていました。残雪の向こうには十勝岳の噴煙が見えました。そして私の足元には高山植物が花盛りでした。
私には、この火山の噴煙と高山植物が、どうも落ち着かない取り合わせに感じられました。なぜかはわかりません。高山植物の艶(あで)やかさと噴煙の禍々(まがまが)しさが、どうも相容れないものに感じました。植物はたくましく生きている生命の営みです。噴火は大地の営みです。大地の営みのもとで、生命の営みがなされます。ですから、艶やかさの背景の儚(はかな)さを感じてしまうのかもしれません。
バスで訪れた観光客も、噴煙と高山植物を眺めていました。さて彼らには噴煙と高山植物はどうのように映ったのでしょうか。
・富良野・
北海道の中央には、テレビドラマで有名になった富良野があります。
私はテレビドラマで有名になる前に、
調査で富良野に何度かきていました。
もう20数年も前のことです。
そのころの富良野は、スキーのワールドカップが開催されたスキー場があり、
ウィンタースポーツの地として、ニセコとともに有名でした。
夏は、ただ静かな田園風景が広がる地域でした。
そんな印象があるので、富良野の東部にある十勝岳の調査のついでに、
今回も静かな富良野の田園風景を見るつもりでいました。
ところがどうでしょうか。
富良野に向かう道がかなり混んでいました。
これは、このままいくと大変だという気がして、
人気のないところへ、逃れました。
確かに穏やかな田園風景、そして瀟洒な店は観光客を誘うに十分です。
その道は北海道とは思えない車の列となっていました。
でもこれも北海道なのでしょうね。
・芦別・
富良野の混雑を避けて行ったのは芦別でした。
そちらはもとは鉱山町でしたが、
現在では炭鉱はおこなわれていません。
今では、大きな観光宿泊施設があり、
観光に力を注いでいるようです。
今回紹介した調査とは別に、
7月下旬から8月頭に3日間、私は芦別に行きました。
星槎大学という通信制の大学が芦別にあり、
その大学の主催のシンポジウムがあったのと
私が参加している研究会の集まりがあったからです。
そのときに市長や地元のもと炭鉱マンとも話をする機会がありました。
いずれもなかなか面白い話が聞けました。
多くの経験をしている人は面白ですね。
私もそんな人間になりたいと思っています。
2005年8月4日木曜日
2_41 進化論の進化4:進化論の更なる進化
「進化論の進化」のシリーズも、いよいよ最後です。今回は、進化論が現在直面している問題点と今後の展望を見ていきましょう。
遺伝子はDNAの分子配列によって決まりました。DNAの変化が子孫に伝わることが進化のメカニズムの核心でした。しかし、そのような分子レベルの変化が生物の進化を生み出すことに、どうしても賛成できない研究者もいます。
との一つが、生物とは、DNAのような生物に内在するも要因ではなく、個体が集まった集団、グループが一斉に変化していくという考えに立つものです。
例えば、フランスの生物学者のラマルクは(1744~1829)、ダーウィンと同時代に生きたい人で、早い時期に進化説と唱えました。だた、ダーウィンの進化論とは違っていまし。進化は、環境によって成長に影響を与え、身体が変化し、その後天的に得た変化(獲得形質といいます)が子孫に伝わるという考えでした。この説は、用不用説とも呼ばれています。ラマルクの進化論は、ある個体が獲得した形質がどのように遺伝するかが説明できないため、批判され、認められることはありませんでした。いくつかの実験結果から、この説を裏付ける証拠が得られたのですが、現在では、その実験の信憑性が疑われています。それに、後天的に得た形質を、どのように子孫に遺伝させるかが、解決されていません。
この考えの延長線上に、前に話した定向進化説があります。今西錦司(1902~1992)の唱える進化論(今西進化論と呼ばれます)があります。今西は、カゲロウの研究から、棲む環境が異なると多くの種が同時に、異なる形態をした種になっているという「棲み分け」という現象を見つけました。この棲み分けから、環境に適合するために形態を進化させるという進化論が生まれました。この説は、総合説のようなゆっくりとした進化ではなく、急激な進化が必要になるため、対立します。しかし、今西の説は、どのようなシステムで進化が起こるのかが解明されていないため広まりませんでした。
もう一つの大きな反論は、大進化を一番よく見ている研究者からのものです。総合説は種分化のような小規模な進化には適用できても、今までにない新しいタイプの種や大進化には適応できないという反論です。
この考え方は、古生物学の分野から出てきました。1972年に発表されたエルドリッジとグールドとの断続平衡説と呼ばれるものです。比較的短期間(断続的に)に爆発的な種の分化がおこり、あとは長期の安定期(平衡状態)が続くという考え方です。その根拠は、中間種的な化石が極めて少ないこと、大量絶滅などの環境の激変の後に新しい形質の爆発的な出現すること、が挙げられています。これはなかなか手ごわい反論ですが、まだ決着はみていません。
次なる反論は、ダーウィンの進化論では進化が連続的に起こりますが、非連続的な進化の実例が見つかってきたことです。それも、生物の進化における重要な局面においてです。
それは、マーギュリスが唱えた細胞共生説というものです。真核生物のミトコンドリアや葉緑体、鞭毛など、生物において重要な器官が、別の単細胞生物が共生することによってできたものだという考えです。これは、自然選択とはまったく違った方法で進化が起こるというとことを示しました。高等動物でも、微生物やウイルスの遺伝子に影響を受けている可能性があります。現在では、この説が正しいことが証明されています。そして、このような影響も、進化の過程にはあったことが、総合説でも受け入れられています。
分子レベルの研究からも反論が出てきました。それは、木村資生が唱えた中立説というものです。中立説によると、分子レベルの進化は、突然変異と遺伝的浮動(定常的に起こっている変化)によって説明でき、分子が環境とは無関係に進化するというものです。この説は、分子レベルの議論を中心にした総合説は、衝撃を与えました。しかし、現在では、重要な遺伝子にかかわる分子の進化は、自然選択によって抑制されることがわかってきました。そのため、現在では総合説と矛盾しないと考えられています。
いくつかの反論は、総合説に取り入れられました。また、科学の進歩によって、分子レベルでみた総合説の教義(ドグマ)と考えられていた、DNA→RNA→たんぱく質へという遺伝情報の流れが、逆転写現象の発見によって崩れ去りました。総合説自身の研究からも、変化を求められています。
上で述べたように、まだまだ、白黒のついていない問題も残されています。まだ、進化論は完成していないのです。新しい知識をとりいれた、よりより進化論が必要なのでしょう。まだまだ進化論は進化していきそうです。
・世の常・
今年は、7月下旬から北海道は天気が悪い日が多いようです。
雨でなくても、湿気も多く蒸し暑い日が多いです。
それでも本州の暑さに比べればましなのですが、
北海道の涼を求めてこられている人には、
期待はずれのような気がするのでしょうね。
でも、これも北海道です。
北海道の夏は、涼しいことは涼しいのですが、
盛夏ともなれば暑い日もあります。
蒸し暑い日だってあります。
砂漠にだって雨が降ることだってあります。
一般論はあったとしても、
ある個別にみれば、それなりの変化があるのです。
これは世の常でもあります。
・停電・
夕方から雷が鳴っていたのですが、
雨で夜は涼しいので窓を閉め切っていました。
まして、テレビをつけていると外の音はあまり聞こえません。
その夜、数分ほどでしたが、停電がありました。
私も子供も寝ていたので、騒ぎはしませんでした。
程なく停電は回復しました。
回復してから時計を見ると家内が
まだ起きている時間なので、さぞかしあわてていたことでしょう。
朝起きたら、あちこちの電化製品がリセットされていました。
常時電気をつけていると、便利なこともあるのですが、
非常事態には不便なものです。
この街に引っ越して4年目ですが、停電は初めてのことでした。
遺伝子はDNAの分子配列によって決まりました。DNAの変化が子孫に伝わることが進化のメカニズムの核心でした。しかし、そのような分子レベルの変化が生物の進化を生み出すことに、どうしても賛成できない研究者もいます。
との一つが、生物とは、DNAのような生物に内在するも要因ではなく、個体が集まった集団、グループが一斉に変化していくという考えに立つものです。
例えば、フランスの生物学者のラマルクは(1744~1829)、ダーウィンと同時代に生きたい人で、早い時期に進化説と唱えました。だた、ダーウィンの進化論とは違っていまし。進化は、環境によって成長に影響を与え、身体が変化し、その後天的に得た変化(獲得形質といいます)が子孫に伝わるという考えでした。この説は、用不用説とも呼ばれています。ラマルクの進化論は、ある個体が獲得した形質がどのように遺伝するかが説明できないため、批判され、認められることはありませんでした。いくつかの実験結果から、この説を裏付ける証拠が得られたのですが、現在では、その実験の信憑性が疑われています。それに、後天的に得た形質を、どのように子孫に遺伝させるかが、解決されていません。
この考えの延長線上に、前に話した定向進化説があります。今西錦司(1902~1992)の唱える進化論(今西進化論と呼ばれます)があります。今西は、カゲロウの研究から、棲む環境が異なると多くの種が同時に、異なる形態をした種になっているという「棲み分け」という現象を見つけました。この棲み分けから、環境に適合するために形態を進化させるという進化論が生まれました。この説は、総合説のようなゆっくりとした進化ではなく、急激な進化が必要になるため、対立します。しかし、今西の説は、どのようなシステムで進化が起こるのかが解明されていないため広まりませんでした。
もう一つの大きな反論は、大進化を一番よく見ている研究者からのものです。総合説は種分化のような小規模な進化には適用できても、今までにない新しいタイプの種や大進化には適応できないという反論です。
この考え方は、古生物学の分野から出てきました。1972年に発表されたエルドリッジとグールドとの断続平衡説と呼ばれるものです。比較的短期間(断続的に)に爆発的な種の分化がおこり、あとは長期の安定期(平衡状態)が続くという考え方です。その根拠は、中間種的な化石が極めて少ないこと、大量絶滅などの環境の激変の後に新しい形質の爆発的な出現すること、が挙げられています。これはなかなか手ごわい反論ですが、まだ決着はみていません。
次なる反論は、ダーウィンの進化論では進化が連続的に起こりますが、非連続的な進化の実例が見つかってきたことです。それも、生物の進化における重要な局面においてです。
それは、マーギュリスが唱えた細胞共生説というものです。真核生物のミトコンドリアや葉緑体、鞭毛など、生物において重要な器官が、別の単細胞生物が共生することによってできたものだという考えです。これは、自然選択とはまったく違った方法で進化が起こるというとことを示しました。高等動物でも、微生物やウイルスの遺伝子に影響を受けている可能性があります。現在では、この説が正しいことが証明されています。そして、このような影響も、進化の過程にはあったことが、総合説でも受け入れられています。
分子レベルの研究からも反論が出てきました。それは、木村資生が唱えた中立説というものです。中立説によると、分子レベルの進化は、突然変異と遺伝的浮動(定常的に起こっている変化)によって説明でき、分子が環境とは無関係に進化するというものです。この説は、分子レベルの議論を中心にした総合説は、衝撃を与えました。しかし、現在では、重要な遺伝子にかかわる分子の進化は、自然選択によって抑制されることがわかってきました。そのため、現在では総合説と矛盾しないと考えられています。
いくつかの反論は、総合説に取り入れられました。また、科学の進歩によって、分子レベルでみた総合説の教義(ドグマ)と考えられていた、DNA→RNA→たんぱく質へという遺伝情報の流れが、逆転写現象の発見によって崩れ去りました。総合説自身の研究からも、変化を求められています。
上で述べたように、まだまだ、白黒のついていない問題も残されています。まだ、進化論は完成していないのです。新しい知識をとりいれた、よりより進化論が必要なのでしょう。まだまだ進化論は進化していきそうです。
・世の常・
今年は、7月下旬から北海道は天気が悪い日が多いようです。
雨でなくても、湿気も多く蒸し暑い日が多いです。
それでも本州の暑さに比べればましなのですが、
北海道の涼を求めてこられている人には、
期待はずれのような気がするのでしょうね。
でも、これも北海道です。
北海道の夏は、涼しいことは涼しいのですが、
盛夏ともなれば暑い日もあります。
蒸し暑い日だってあります。
砂漠にだって雨が降ることだってあります。
一般論はあったとしても、
ある個別にみれば、それなりの変化があるのです。
これは世の常でもあります。
・停電・
夕方から雷が鳴っていたのですが、
雨で夜は涼しいので窓を閉め切っていました。
まして、テレビをつけていると外の音はあまり聞こえません。
その夜、数分ほどでしたが、停電がありました。
私も子供も寝ていたので、騒ぎはしませんでした。
程なく停電は回復しました。
回復してから時計を見ると家内が
まだ起きている時間なので、さぞかしあわてていたことでしょう。
朝起きたら、あちこちの電化製品がリセットされていました。
常時電気をつけていると、便利なこともあるのですが、
非常事態には不便なものです。
この街に引っ越して4年目ですが、停電は初めてのことでした。
2005年7月28日木曜日
2_40 進化論の進化3:進化の総合説
ダーウィンの進化論は19世紀後半から20世紀前半にかけての60年ほどの間、さまざなま反論が出されてきました。ダーウィンの進化論は、主流派の考え方でしたので、それらの反論を受けて立つ形で、新たな進化論へと変貌してきました。1930年代から40年代になると、主流派の反撃がはじまります。その概略を見ていきましょう。
20世紀に入って生物学の進歩と科学技術の進歩によって、多様な生物学に関するデータが出てきました。ダーウィンの進化論も、そのような新しい情報を取り入れた進化論へと展開していきます。
発展的な進化論とは、ダーウィンの自然選択説を、現代的に再構築したものです。多くの新しいデータ、反論に対する回答、新しい考え方などを取り入れて、成長してきたものです。そのため、進化の総合説と呼ばれています。総合説の考え方は、ネオ・ダーウィン主義と呼ばれることもあります。
進化の総合説は、現在においても、主流で正統とされている進化論です。正統派ですから、多くの研究者が、この仮説に基づいて研究し、考えています。現在でも、まだ総合化はされ続けています。
時代順にみていくと、ダーウィンの進化論への批判に対する反撃は、集団遺伝学というものからはじまりました。
集団遺伝学は、生物測定学という学問から発展してきました。生物統計学とは、あるグループの個体の中にみられる変異を測定して、統計的分析をおこなうことです。その分析を何世代にわたって測定することで、進化の傾向を見ようとする手法です。
19世紀にはじまったこの生物測定学から、集団遺伝学が発展してきました。変異の測定を、集団の遺伝子の状態としてとらえ、統計的に処理し、検討していきます。その結果、生物には、多数の遺伝子が働いていることが示されました。そして、メンデルがおこなったような実験で見られる突然変異や連続的な変異は、矛盾なく説明できることが示されました。
いろいろな視点から、他にも反撃がなされました。
アメリカの遺伝学者ドブジャンスキー(1900~1975)は、ショウジョウバエを使った実験をしました。あるグループの中に伝わる遺伝子には、現在の環境では、役に立っていないものがたくさありました。しかし、種全体としてみたとき、環境に変化が起こったときに、多様な遺伝子を持っている方が、変化する環境に適応できる能力をもっていると考えました。それが自然選択という形に表れるのだという考えです。
ドイツ出身のアメリカの進化生物学者マイヤ(1904~)は、鳥類の研究をしていました。ある鳥のグループが、地理的に隔離されることによって、新種となることを示しました。これは、異所種分化による新種の誕生という考え方です。隔離という自然選択が、種分化を起こすという実例でした。
アメリカの古生物学者シンプソン(1902~1984)は、哺乳類の化石、特にウマの化石の研究をしていました。化石の証拠から、ウマが環境に適応しながら進化してきたことを示し、「定向進化説」を否定する証拠を示しました。
彼らが中心となって、進化の総合説(ネオ・ダーウィニズム)が確立されてきました。総合説という言葉は、シンプソンが1949年に書いた「進化の意味」という本の中で用いたのが最初とされています。
進化は、あるグループの中に蓄えられている遺伝子の変化として起こるのですが、そのプロセスは、次のようのようなものだと考えられています。
まず、突然変異や交配の時に遺伝的な組み換えが起こります。それらの遺伝的な変異は、集団の中に蓄えられていきます。遺伝的な変異の頻度は、適応とは関係なく変動したり、自然選択によって適応として変動することもあります。さらに、グループが地理的に隔離されることによって、異なった遺伝子をもった変種と呼ぶべきグループができます。やがて、それは新種へと定着し、種分化が起こります。
これが現在の進化の総合説の概略です。しかし、総合説は、実はダーウィンの自然選択説といくつかの点で違いが生じてきました。
ダーウィンの考えた自然選択は、個体単位で起こる現象でした。つまり、生存競争で適応力の強い個体が生き残ることによって進化がおこると考えたのです。一方、総合説では、遺伝子単位で自然選択が起こります。適応している遺伝子が集団中に増えていくことによって進化が起こると考えています。
個体か遺伝子かに違いがあります。この違いを重視したのが、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスでした。ドーキンスは、その考えを1976年に出版された「利己的な遺伝子」で展開して有名になりました。
現在では、遺伝子がDNAレベルで解明されてきました。それは総合説には有利に働きました。しかし、そのような分子レベルが進化をコントロールすることに疑問を感じる研究者もいました。進化も新しい局面に入ったのかもしれません。それは次回としましょう。
・夏休み・
夏休みのはじまりました。
北海道の夏は短いのですが、
学校の夏休みも短くなっています。
ところが、わが大学は、今年から夏休みが長くなりました。
昨年までは、9月中ごろから、後期の講義がはじまりました。
しかし、今年から9月一杯夏休みで、10月から後期が始まります。
その分、1月から2月にかけて講義が延びることになります。
そうなると、教員は忙しくなります。
講義の成績評価と共に、入試の判定、卒業の認定などが、
短い期間にこなさなければならなくなるからです。
でも、いい気候の夏に、長い休みが取れるのはありがたいことです。
特に私のように野外調査をしているものにとっては、
調査のチャンスが増えて助かります。
冬は北海道の調査はできないですから。
・台風・
台風が本州に来襲しました。
北海道も雨が激しくなっていきました。
この文章を書いている時点では、まだ、台風は北海道には来ていませんが、
雨が各地で激しく降っているというニュースが流れています。
北海道は台風に弱いところですが、大きな被害が出ないか心配です。
皆さんの所は台風の被害はなかったでしょうか。
こんな雨だというのに我が家の子供たちは、プールに出かけるのでしょう。
もちろん室内の温水プールですが。
どうも最近は危機意識が低下しているのか、
予報の発達、都市の安全対策の徹底によって、
安全が神話となっているのでしょうか。
まあ、今後の様子を見守りましょう。
20世紀に入って生物学の進歩と科学技術の進歩によって、多様な生物学に関するデータが出てきました。ダーウィンの進化論も、そのような新しい情報を取り入れた進化論へと展開していきます。
発展的な進化論とは、ダーウィンの自然選択説を、現代的に再構築したものです。多くの新しいデータ、反論に対する回答、新しい考え方などを取り入れて、成長してきたものです。そのため、進化の総合説と呼ばれています。総合説の考え方は、ネオ・ダーウィン主義と呼ばれることもあります。
進化の総合説は、現在においても、主流で正統とされている進化論です。正統派ですから、多くの研究者が、この仮説に基づいて研究し、考えています。現在でも、まだ総合化はされ続けています。
時代順にみていくと、ダーウィンの進化論への批判に対する反撃は、集団遺伝学というものからはじまりました。
集団遺伝学は、生物測定学という学問から発展してきました。生物統計学とは、あるグループの個体の中にみられる変異を測定して、統計的分析をおこなうことです。その分析を何世代にわたって測定することで、進化の傾向を見ようとする手法です。
19世紀にはじまったこの生物測定学から、集団遺伝学が発展してきました。変異の測定を、集団の遺伝子の状態としてとらえ、統計的に処理し、検討していきます。その結果、生物には、多数の遺伝子が働いていることが示されました。そして、メンデルがおこなったような実験で見られる突然変異や連続的な変異は、矛盾なく説明できることが示されました。
いろいろな視点から、他にも反撃がなされました。
アメリカの遺伝学者ドブジャンスキー(1900~1975)は、ショウジョウバエを使った実験をしました。あるグループの中に伝わる遺伝子には、現在の環境では、役に立っていないものがたくさありました。しかし、種全体としてみたとき、環境に変化が起こったときに、多様な遺伝子を持っている方が、変化する環境に適応できる能力をもっていると考えました。それが自然選択という形に表れるのだという考えです。
ドイツ出身のアメリカの進化生物学者マイヤ(1904~)は、鳥類の研究をしていました。ある鳥のグループが、地理的に隔離されることによって、新種となることを示しました。これは、異所種分化による新種の誕生という考え方です。隔離という自然選択が、種分化を起こすという実例でした。
アメリカの古生物学者シンプソン(1902~1984)は、哺乳類の化石、特にウマの化石の研究をしていました。化石の証拠から、ウマが環境に適応しながら進化してきたことを示し、「定向進化説」を否定する証拠を示しました。
彼らが中心となって、進化の総合説(ネオ・ダーウィニズム)が確立されてきました。総合説という言葉は、シンプソンが1949年に書いた「進化の意味」という本の中で用いたのが最初とされています。
進化は、あるグループの中に蓄えられている遺伝子の変化として起こるのですが、そのプロセスは、次のようのようなものだと考えられています。
まず、突然変異や交配の時に遺伝的な組み換えが起こります。それらの遺伝的な変異は、集団の中に蓄えられていきます。遺伝的な変異の頻度は、適応とは関係なく変動したり、自然選択によって適応として変動することもあります。さらに、グループが地理的に隔離されることによって、異なった遺伝子をもった変種と呼ぶべきグループができます。やがて、それは新種へと定着し、種分化が起こります。
これが現在の進化の総合説の概略です。しかし、総合説は、実はダーウィンの自然選択説といくつかの点で違いが生じてきました。
ダーウィンの考えた自然選択は、個体単位で起こる現象でした。つまり、生存競争で適応力の強い個体が生き残ることによって進化がおこると考えたのです。一方、総合説では、遺伝子単位で自然選択が起こります。適応している遺伝子が集団中に増えていくことによって進化が起こると考えています。
個体か遺伝子かに違いがあります。この違いを重視したのが、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスでした。ドーキンスは、その考えを1976年に出版された「利己的な遺伝子」で展開して有名になりました。
現在では、遺伝子がDNAレベルで解明されてきました。それは総合説には有利に働きました。しかし、そのような分子レベルが進化をコントロールすることに疑問を感じる研究者もいました。進化も新しい局面に入ったのかもしれません。それは次回としましょう。
・夏休み・
夏休みのはじまりました。
北海道の夏は短いのですが、
学校の夏休みも短くなっています。
ところが、わが大学は、今年から夏休みが長くなりました。
昨年までは、9月中ごろから、後期の講義がはじまりました。
しかし、今年から9月一杯夏休みで、10月から後期が始まります。
その分、1月から2月にかけて講義が延びることになります。
そうなると、教員は忙しくなります。
講義の成績評価と共に、入試の判定、卒業の認定などが、
短い期間にこなさなければならなくなるからです。
でも、いい気候の夏に、長い休みが取れるのはありがたいことです。
特に私のように野外調査をしているものにとっては、
調査のチャンスが増えて助かります。
冬は北海道の調査はできないですから。
・台風・
台風が本州に来襲しました。
北海道も雨が激しくなっていきました。
この文章を書いている時点では、まだ、台風は北海道には来ていませんが、
雨が各地で激しく降っているというニュースが流れています。
北海道は台風に弱いところですが、大きな被害が出ないか心配です。
皆さんの所は台風の被害はなかったでしょうか。
こんな雨だというのに我が家の子供たちは、プールに出かけるのでしょう。
もちろん室内の温水プールですが。
どうも最近は危機意識が低下しているのか、
予報の発達、都市の安全対策の徹底によって、
安全が神話となっているのでしょうか。
まあ、今後の様子を見守りましょう。
2005年7月21日木曜日
2_39 進化論の進化2:進化論の歴史
ダーウィンの進化論が生まれて150年近くたちます。その間、進化論は紆余曲折してきました。現在でも進化論の内容については、いろいろな議論されています。進化論の歴史をザーッと見てきましょう。
1859年に出版されたダーウィンの「種の起原」では、生物の進化は、自然選択(自然淘汰とも呼ばれる)によって起こるという考えが示されました。この自然選択とは、個体変異と生存競争というものによって進化を説明しています。もう少しわかりやすく述べましょう。
もともと生物ひとつひとつは、同じ種類でも、大きい小さい、あるいは長い短い、または太い細い、などのいろいろな差があります。このようなひとつひとつの生物(個体といいます)ごとにある差(変異)を、個体変異と呼んでいます。もちろん生まれてくる子供にも、そのような個体変異があります。
例えば、オス同士でも、強いオス、角の立派なオス、色のきれいなオスがよりメスに気に入られて、多くの子孫を残す可能性があります。子供間にも、競争があります。同じ親から生まれた子供でも、大きい子供、力の強い子供が、親からエサをたくさんもらい、早く成長し大人になるかもしれません。これらは、生存競争とよばれ、ある変異をもつ個体が、生き残りやすく、子孫を残す可能性が高くなるという考えです。
もし、住んでいる環境でこのような生存競争が起こったとすると、環境からの影響、つまり自然が生き残る個体を選択するかのような効果を持ちます。これが、自然選択の考えです。
住んでいる環境により適応した性質をもつ個体が生き残る率が高くなり、このプロセスが繰り返し起こることによって、変異がやがてその地の生物全体の性質となり、もとの種とはまったく違った新しい種となっていきます。つまり、種分化が起こるということです。
ダーウィンの時代には、変異の原因も不明でした。しかし、自然選択説は、生存競争と変異の組み合わせによって、神が介在しなくとも、種が進化するメカニズムが示されたことに重要な意味を持ちました。
進化論は、「種の起原」が出版後、10年ほどで広く受け入れられました。しかし、自然選択説に対しては、さまざまな反対意見が出されました。
例えば、オオツノジカの巨大な角や剣歯虎(サーベルタイガー)の長くのびすぎた犬歯などは、あまりにも過度に発達しています。これは、ある方向に向かった進化は必要以上に進むという定向進化という考えで説明すべきで、自然選択説では説明できないとされました。
アメリカの古生物学者コープ(1840~1897)は、動物の体が大型化する傾向ような生物の進化には一定の方向性があるという「コープの法則」を見つけ、定向進化論を唱えました。アメリカの古生物学者オズボーン(1857~1935)も、コープらの定向進化説を支持しながら、適応放散説を提唱しました。
オランダの植物学者ド・フリース(1848~1935)は、突然変異によって、新しい種が生まれるという説を発表した。少しの連続的変異が集まって進化していくというダーウィンの自然選択説に、突然変異説で反対したのです。この説は、多くの支持をえました。
もちろんそれぞれの反論に対しても、いろいろな議論が起こりました。ドブジャンスキー(1900~1975)やマイヤ(1904~)は、種分化には隔離が重要であるとしました。シンプソン(1902~1984)は、定向進化説を実証的に否定しました。
いずれにしても進化論が誕生して50年ほどの間に、このような混乱した状況が生まれました。そして、自然選択説は、危機に瀕していていました。
その後進化論は巻き返しが起こりますが、この続きは次回としましょう。
・海か山か・
北海道も暑い日が来ました。
あまりの暑さに海で泳ぐ人もでてきました。
しかし、海難事故が起こっています。
私は、海よりも山が好きです。
調査も山のことが多いので、
我が家の子供たちは、山のきれいな沢で水遊びをします。
沢では、冷たくて、なかなか泳げませんが、
水遊びをするには、山の中の沢は楽しいものです。
そろそろ子供たちは夏休みが始まります。
北海道の夏休み1ヶ月もなく、短いものです。
でも、近いうち海にも連れて行きますかね。
・十勝岳・
先日、富良野の十勝岳に出かけました。
リフトがあると思っていたのですが、
今はなくなっていました。
昭和火口まで行きたかったのですが、いけませんでした。
家内の母が一緒だったので
リフトがないので無理はできず、
途中までいきました。
しかし、1200m近くまで登りました。
下は暑くてたまりませんでしたが、
涼しい気候と高山植物、残雪、眺望が心地よかったです。
このときの話は、別の機会にしましょう。
1859年に出版されたダーウィンの「種の起原」では、生物の進化は、自然選択(自然淘汰とも呼ばれる)によって起こるという考えが示されました。この自然選択とは、個体変異と生存競争というものによって進化を説明しています。もう少しわかりやすく述べましょう。
もともと生物ひとつひとつは、同じ種類でも、大きい小さい、あるいは長い短い、または太い細い、などのいろいろな差があります。このようなひとつひとつの生物(個体といいます)ごとにある差(変異)を、個体変異と呼んでいます。もちろん生まれてくる子供にも、そのような個体変異があります。
例えば、オス同士でも、強いオス、角の立派なオス、色のきれいなオスがよりメスに気に入られて、多くの子孫を残す可能性があります。子供間にも、競争があります。同じ親から生まれた子供でも、大きい子供、力の強い子供が、親からエサをたくさんもらい、早く成長し大人になるかもしれません。これらは、生存競争とよばれ、ある変異をもつ個体が、生き残りやすく、子孫を残す可能性が高くなるという考えです。
もし、住んでいる環境でこのような生存競争が起こったとすると、環境からの影響、つまり自然が生き残る個体を選択するかのような効果を持ちます。これが、自然選択の考えです。
住んでいる環境により適応した性質をもつ個体が生き残る率が高くなり、このプロセスが繰り返し起こることによって、変異がやがてその地の生物全体の性質となり、もとの種とはまったく違った新しい種となっていきます。つまり、種分化が起こるということです。
ダーウィンの時代には、変異の原因も不明でした。しかし、自然選択説は、生存競争と変異の組み合わせによって、神が介在しなくとも、種が進化するメカニズムが示されたことに重要な意味を持ちました。
進化論は、「種の起原」が出版後、10年ほどで広く受け入れられました。しかし、自然選択説に対しては、さまざまな反対意見が出されました。
例えば、オオツノジカの巨大な角や剣歯虎(サーベルタイガー)の長くのびすぎた犬歯などは、あまりにも過度に発達しています。これは、ある方向に向かった進化は必要以上に進むという定向進化という考えで説明すべきで、自然選択説では説明できないとされました。
アメリカの古生物学者コープ(1840~1897)は、動物の体が大型化する傾向ような生物の進化には一定の方向性があるという「コープの法則」を見つけ、定向進化論を唱えました。アメリカの古生物学者オズボーン(1857~1935)も、コープらの定向進化説を支持しながら、適応放散説を提唱しました。
オランダの植物学者ド・フリース(1848~1935)は、突然変異によって、新しい種が生まれるという説を発表した。少しの連続的変異が集まって進化していくというダーウィンの自然選択説に、突然変異説で反対したのです。この説は、多くの支持をえました。
もちろんそれぞれの反論に対しても、いろいろな議論が起こりました。ドブジャンスキー(1900~1975)やマイヤ(1904~)は、種分化には隔離が重要であるとしました。シンプソン(1902~1984)は、定向進化説を実証的に否定しました。
いずれにしても進化論が誕生して50年ほどの間に、このような混乱した状況が生まれました。そして、自然選択説は、危機に瀕していていました。
その後進化論は巻き返しが起こりますが、この続きは次回としましょう。
・海か山か・
北海道も暑い日が来ました。
あまりの暑さに海で泳ぐ人もでてきました。
しかし、海難事故が起こっています。
私は、海よりも山が好きです。
調査も山のことが多いので、
我が家の子供たちは、山のきれいな沢で水遊びをします。
沢では、冷たくて、なかなか泳げませんが、
水遊びをするには、山の中の沢は楽しいものです。
そろそろ子供たちは夏休みが始まります。
北海道の夏休み1ヶ月もなく、短いものです。
でも、近いうち海にも連れて行きますかね。
・十勝岳・
先日、富良野の十勝岳に出かけました。
リフトがあると思っていたのですが、
今はなくなっていました。
昭和火口まで行きたかったのですが、いけませんでした。
家内の母が一緒だったので
リフトがないので無理はできず、
途中までいきました。
しかし、1200m近くまで登りました。
下は暑くてたまりませんでしたが、
涼しい気候と高山植物、残雪、眺望が心地よかったです。
このときの話は、別の機会にしましょう。
2005年7月14日木曜日
2_38 進化論の進化1:進化しているということ
生物の進化だけでなく、時間と共に変化していくことに対して、進化という言葉が広く使われています。例えば、コンピュータの進化、携帯電話の進化、宇宙の進化、地球の進化、などなど。ここでは、生物の進化について見てきます。
現在、生きている生物は、その祖先から進化してきました。しかし、進化とはいったいどういうことでしょうか。本当に進化は起こっているのでしょうか。そんな素朴な疑問を考えてみます。
進化とは、長い時間がかかって、祖先とはまったく違った種類の生物に変わってしまうことです。祖先が今も生きていることもありますし、祖先はいなくなっている場合もあります。そんな進化ですが、生物の歴史を見ていきますと、進化には、スケールの違いによって、2つのものがあります。種分化(小進化とも呼ばれます)と大進化の2つです。
種分化(小進化)とは、生物が時間とともに変化していき、最終的に異なった種類の生物になることです。上で述べた意味をそのまま反映している変化です。これは、新しい種が誕生することを意味しています。
一方、大進化とは、種分化と比べて、生物のより大きな変化をいいます。脊椎動物でいえば、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと変わるようなものを大進化といいます。生物の分類体系でも大きな、界、門、綱、目などが変化することを大進化と呼んでいます。
上で述べた例で、動物は界という分類で、脊椎動物とは門で、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類は綱の変化で、体の基本的な構造に違いによって区分されています。
2つの種分化と大進化は、現在では、根本的に違うものではないとされています。つまり少しの変化(種分化)の積み重ねが、大きな変化(大進化)つくるということです。
今まで生物が進化していることを前提として話してきましたが、ところで、本当に生物は進化しているのでしょうか。もし進化しているのなら、その証拠は何でしょうか。
現在、進化の証として、化石、現生生物の分布と相、分子進化学的な証拠などが挙げられています。
化石の証拠とは、まず、化石を過去の生物とみなすことからはじまります。そして、いろいろな時代の多数の化石を集めて、過去の生物がどう変化してきたかをみよう、という考え方です。しかし、これは、化石を多数集めて、進化という連続をみようという考えです。化石という点を多数集めて進化という線とみなしていきます。実際の化石は、必ずしもすべて連続していないのですが、過去の生物から現在の生物に至るまでの道筋の概略を表しており、進化とみなしています。過去の証拠から進化を探る方法であります。
生物が現在の地理的な分布や、生物の組み合わせ(生物相といいます)が、そうなっている理由を説明するには、生物が種分化してきた、つまり進化してきたという考えを取り入れなければ説明できないことがあります。これは、現生生物の種分化を、マクロ的な視点でみるアプローチであります。
分子進化学的な証拠とは、現生生物をミクロ的な視点で見て調べる方法です。細胞や生物関連分子などを調べていくと、そこには進化の痕跡や証拠が見つかるということです。
以上のような進化の証拠が挙げられていますが、いずれも進化があったということを論理的に、証明しているわけではありません。ですから、進化の考え方には、いろいろな解釈がありえますし、実際にいろいろな進化論があります。しかし、多くの生物学者は、進化があったと信じています。
もうひとつ、進化の考えには、最初の生物が一つのものから始まったという前提があります。これも実はなかなか難しい問題です。
生物が生まれ、進化しているという考えは良しとしても、ひとつの生物から進化がスタートしたという保障はありません。
多数の多様な生物が誕生して、いろいろな種が生まれ、いろいろな進化があってもいいはずです。地球初期の生命誕生の様子を想像すると、多様な生物が生まれ、多様な生物から、多様な進化が起こった、と考えた方が、ありえそうです。
しかし、現在の生物は、ひとつの種からすべての生物が進化してきたと考えています。そのような最初の生命をコモノートと呼んでいます。もちろんコモノートは、ひとつの考え方、仮説で、そのような生物は見つかっているわけではありません。
コモノートには、根拠があります。それは、生きている生物には、いろいろな生命活動の方法が可能なのに、共通の仕組みを持つことがわかっているからです。その代表的なものは、セントラル・ドグマ(中心狭義とも呼ばれます)というものです。セントラル・ドグマとは、遺伝情報がDNAに蓄えられ、RNAを使って遺伝情報が運ばれ、タンパク質を合成するというメカニズムです。この方法をすべての生物が用いているのです。いろいろな方法がありうるはずなのに、ひとつの方法しか使っていなのは、一つの祖先コモノートがあり、その祖先はたまたまこの方法を選んだということになります。
・成績・
6月、北海道は暑く、雨がほとんど降りませんでした。
7月になり、北海道にはやっと雨らしい雨が降りました。
そして6月下旬の暑さが嘘のように、
爽快に日々が続いています。
7月ともなれば、大学の学生たちは、
そろそろ試験を見据えた行動をしています。
授業で試験に関する内容が述べられないか、
何とか単位をうまくとる方法がないか
などをあの手この手で模索しています。
教員も、定期テストの準備と成績をつけるために
レポートや出席の整理に追われ始めます。
わが大学の出席は完全にデジタル化しされています。
学生証をカードリーダに通すことによって
出席を取れます。
コンピュータに翌日には集計されて
教員と本人には出席情報は閲覧できます。
ですから、自分が現在何回出席しているのかは
簡単に知ることができます。
しかし、レポートの評価や入力、テストの採点は
やはり、教員が自力しなければなりません。
1400名分の処理が必要となります。
こればかりは、何度やっても気が重いものです。
・共通祖先・
生物の進化について、最近、考えています。
もちろん生物学者ではないので、
地質学者としても立場で考えています。
古生物学も専門が違っていますが
地質学と近い分野なので理解できます。
生物の進化を地質学的に考えていくことは
なかなか面白いテーマでもあります。
今回エッセイで紹介したコモノートは、
エッセイのような内容では、
正確には共通祖先という言葉を使うべきです。
ですが、私がいつも用いているコモノートを使いました。
コモノートとは、東京薬科大学生命科学部の山岸明彦さんが
提唱された考え方です。
「遺伝的仕組みが成立し、環状ゲノムを有していた」生物で、
共通祖先を想定して使われました。
共通祖先に関する呼び方には、他にも、
プロゲノート(遺伝子型と表現型の対応していない生物 )
センアンセスター(曖昧な共通祖先を意味する概念的な生物)
などがあります。
実際のコモノートは化石ではわかりませんが、
現生生物の研究から、
好熱菌で、ゲノムサイズは小さく、遺伝子数は少ない
生物だと考えられています。
さて、いつの日にかコモノートにたどり着けるのでしょうか。
それとも、今は亡き、幻の生物のなのでしょうか。
現在、生きている生物は、その祖先から進化してきました。しかし、進化とはいったいどういうことでしょうか。本当に進化は起こっているのでしょうか。そんな素朴な疑問を考えてみます。
進化とは、長い時間がかかって、祖先とはまったく違った種類の生物に変わってしまうことです。祖先が今も生きていることもありますし、祖先はいなくなっている場合もあります。そんな進化ですが、生物の歴史を見ていきますと、進化には、スケールの違いによって、2つのものがあります。種分化(小進化とも呼ばれます)と大進化の2つです。
種分化(小進化)とは、生物が時間とともに変化していき、最終的に異なった種類の生物になることです。上で述べた意味をそのまま反映している変化です。これは、新しい種が誕生することを意味しています。
一方、大進化とは、種分化と比べて、生物のより大きな変化をいいます。脊椎動物でいえば、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと変わるようなものを大進化といいます。生物の分類体系でも大きな、界、門、綱、目などが変化することを大進化と呼んでいます。
上で述べた例で、動物は界という分類で、脊椎動物とは門で、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類は綱の変化で、体の基本的な構造に違いによって区分されています。
2つの種分化と大進化は、現在では、根本的に違うものではないとされています。つまり少しの変化(種分化)の積み重ねが、大きな変化(大進化)つくるということです。
今まで生物が進化していることを前提として話してきましたが、ところで、本当に生物は進化しているのでしょうか。もし進化しているのなら、その証拠は何でしょうか。
現在、進化の証として、化石、現生生物の分布と相、分子進化学的な証拠などが挙げられています。
化石の証拠とは、まず、化石を過去の生物とみなすことからはじまります。そして、いろいろな時代の多数の化石を集めて、過去の生物がどう変化してきたかをみよう、という考え方です。しかし、これは、化石を多数集めて、進化という連続をみようという考えです。化石という点を多数集めて進化という線とみなしていきます。実際の化石は、必ずしもすべて連続していないのですが、過去の生物から現在の生物に至るまでの道筋の概略を表しており、進化とみなしています。過去の証拠から進化を探る方法であります。
生物が現在の地理的な分布や、生物の組み合わせ(生物相といいます)が、そうなっている理由を説明するには、生物が種分化してきた、つまり進化してきたという考えを取り入れなければ説明できないことがあります。これは、現生生物の種分化を、マクロ的な視点でみるアプローチであります。
分子進化学的な証拠とは、現生生物をミクロ的な視点で見て調べる方法です。細胞や生物関連分子などを調べていくと、そこには進化の痕跡や証拠が見つかるということです。
以上のような進化の証拠が挙げられていますが、いずれも進化があったということを論理的に、証明しているわけではありません。ですから、進化の考え方には、いろいろな解釈がありえますし、実際にいろいろな進化論があります。しかし、多くの生物学者は、進化があったと信じています。
もうひとつ、進化の考えには、最初の生物が一つのものから始まったという前提があります。これも実はなかなか難しい問題です。
生物が生まれ、進化しているという考えは良しとしても、ひとつの生物から進化がスタートしたという保障はありません。
多数の多様な生物が誕生して、いろいろな種が生まれ、いろいろな進化があってもいいはずです。地球初期の生命誕生の様子を想像すると、多様な生物が生まれ、多様な生物から、多様な進化が起こった、と考えた方が、ありえそうです。
しかし、現在の生物は、ひとつの種からすべての生物が進化してきたと考えています。そのような最初の生命をコモノートと呼んでいます。もちろんコモノートは、ひとつの考え方、仮説で、そのような生物は見つかっているわけではありません。
コモノートには、根拠があります。それは、生きている生物には、いろいろな生命活動の方法が可能なのに、共通の仕組みを持つことがわかっているからです。その代表的なものは、セントラル・ドグマ(中心狭義とも呼ばれます)というものです。セントラル・ドグマとは、遺伝情報がDNAに蓄えられ、RNAを使って遺伝情報が運ばれ、タンパク質を合成するというメカニズムです。この方法をすべての生物が用いているのです。いろいろな方法がありうるはずなのに、ひとつの方法しか使っていなのは、一つの祖先コモノートがあり、その祖先はたまたまこの方法を選んだということになります。
・成績・
6月、北海道は暑く、雨がほとんど降りませんでした。
7月になり、北海道にはやっと雨らしい雨が降りました。
そして6月下旬の暑さが嘘のように、
爽快に日々が続いています。
7月ともなれば、大学の学生たちは、
そろそろ試験を見据えた行動をしています。
授業で試験に関する内容が述べられないか、
何とか単位をうまくとる方法がないか
などをあの手この手で模索しています。
教員も、定期テストの準備と成績をつけるために
レポートや出席の整理に追われ始めます。
わが大学の出席は完全にデジタル化しされています。
学生証をカードリーダに通すことによって
出席を取れます。
コンピュータに翌日には集計されて
教員と本人には出席情報は閲覧できます。
ですから、自分が現在何回出席しているのかは
簡単に知ることができます。
しかし、レポートの評価や入力、テストの採点は
やはり、教員が自力しなければなりません。
1400名分の処理が必要となります。
こればかりは、何度やっても気が重いものです。
・共通祖先・
生物の進化について、最近、考えています。
もちろん生物学者ではないので、
地質学者としても立場で考えています。
古生物学も専門が違っていますが
地質学と近い分野なので理解できます。
生物の進化を地質学的に考えていくことは
なかなか面白いテーマでもあります。
今回エッセイで紹介したコモノートは、
エッセイのような内容では、
正確には共通祖先という言葉を使うべきです。
ですが、私がいつも用いているコモノートを使いました。
コモノートとは、東京薬科大学生命科学部の山岸明彦さんが
提唱された考え方です。
「遺伝的仕組みが成立し、環状ゲノムを有していた」生物で、
共通祖先を想定して使われました。
共通祖先に関する呼び方には、他にも、
プロゲノート(遺伝子型と表現型の対応していない生物 )
センアンセスター(曖昧な共通祖先を意味する概念的な生物)
などがあります。
実際のコモノートは化石ではわかりませんが、
現生生物の研究から、
好熱菌で、ゲノムサイズは小さく、遺伝子数は少ない
生物だと考えられています。
さて、いつの日にかコモノートにたどり着けるのでしょうか。
それとも、今は亡き、幻の生物のなのでしょうか。
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