2005年7月21日木曜日

2_39 進化論の進化2:進化論の歴史

 ダーウィンの進化論が生まれて150年近くたちます。その間、進化論は紆余曲折してきました。現在でも進化論の内容については、いろいろな議論されています。進化論の歴史をザーッと見てきましょう。

 1859年に出版されたダーウィンの「種の起原」では、生物の進化は、自然選択(自然淘汰とも呼ばれる)によって起こるという考えが示されました。この自然選択とは、個体変異と生存競争というものによって進化を説明しています。もう少しわかりやすく述べましょう。
 もともと生物ひとつひとつは、同じ種類でも、大きい小さい、あるいは長い短い、または太い細い、などのいろいろな差があります。このようなひとつひとつの生物(個体といいます)ごとにある差(変異)を、個体変異と呼んでいます。もちろん生まれてくる子供にも、そのような個体変異があります。
 例えば、オス同士でも、強いオス、角の立派なオス、色のきれいなオスがよりメスに気に入られて、多くの子孫を残す可能性があります。子供間にも、競争があります。同じ親から生まれた子供でも、大きい子供、力の強い子供が、親からエサをたくさんもらい、早く成長し大人になるかもしれません。これらは、生存競争とよばれ、ある変異をもつ個体が、生き残りやすく、子孫を残す可能性が高くなるという考えです。
 もし、住んでいる環境でこのような生存競争が起こったとすると、環境からの影響、つまり自然が生き残る個体を選択するかのような効果を持ちます。これが、自然選択の考えです。
 住んでいる環境により適応した性質をもつ個体が生き残る率が高くなり、このプロセスが繰り返し起こることによって、変異がやがてその地の生物全体の性質となり、もとの種とはまったく違った新しい種となっていきます。つまり、種分化が起こるということです。
 ダーウィンの時代には、変異の原因も不明でした。しかし、自然選択説は、生存競争と変異の組み合わせによって、神が介在しなくとも、種が進化するメカニズムが示されたことに重要な意味を持ちました。
 進化論は、「種の起原」が出版後、10年ほどで広く受け入れられました。しかし、自然選択説に対しては、さまざまな反対意見が出されました。
 例えば、オオツノジカの巨大な角や剣歯虎(サーベルタイガー)の長くのびすぎた犬歯などは、あまりにも過度に発達しています。これは、ある方向に向かった進化は必要以上に進むという定向進化という考えで説明すべきで、自然選択説では説明できないとされました。
 アメリカの古生物学者コープ(1840~1897)は、動物の体が大型化する傾向ような生物の進化には一定の方向性があるという「コープの法則」を見つけ、定向進化論を唱えました。アメリカの古生物学者オズボーン(1857~1935)も、コープらの定向進化説を支持しながら、適応放散説を提唱しました。
 オランダの植物学者ド・フリース(1848~1935)は、突然変異によって、新しい種が生まれるという説を発表した。少しの連続的変異が集まって進化していくというダーウィンの自然選択説に、突然変異説で反対したのです。この説は、多くの支持をえました。
 もちろんそれぞれの反論に対しても、いろいろな議論が起こりました。ドブジャンスキー(1900~1975)やマイヤ(1904~)は、種分化には隔離が重要であるとしました。シンプソン(1902~1984)は、定向進化説を実証的に否定しました。
 いずれにしても進化論が誕生して50年ほどの間に、このような混乱した状況が生まれました。そして、自然選択説は、危機に瀕していていました。
 その後進化論は巻き返しが起こりますが、この続きは次回としましょう。

・海か山か・
北海道も暑い日が来ました。
あまりの暑さに海で泳ぐ人もでてきました。
しかし、海難事故が起こっています。
私は、海よりも山が好きです。
調査も山のことが多いので、
我が家の子供たちは、山のきれいな沢で水遊びをします。
沢では、冷たくて、なかなか泳げませんが、
水遊びをするには、山の中の沢は楽しいものです。
そろそろ子供たちは夏休みが始まります。
北海道の夏休み1ヶ月もなく、短いものです。
でも、近いうち海にも連れて行きますかね。

・十勝岳・
先日、富良野の十勝岳に出かけました。
リフトがあると思っていたのですが、
今はなくなっていました。
昭和火口まで行きたかったのですが、いけませんでした。
家内の母が一緒だったので
リフトがないので無理はできず、
途中までいきました。
しかし、1200m近くまで登りました。
下は暑くてたまりませんでしたが、
涼しい気候と高山植物、残雪、眺望が心地よかったです。
このときの話は、別の機会にしましょう。