地中海と大西洋がつながっているところは、ジブラルタル海峡と呼ばれています。この海峡は、狭く、海路交通の要所となっています。アフリカとヨーロッパの接点でもあります。そのため、政治、宗教、軍事などの要ともなっています。このジブラルタル海峡は、メッシニアン塩分危機以降にできたものでした。
現在の地中海は、ジブラルタル海峡を通じて大西洋とつながっています。地図をみると、その海峡は細く狭いものであることが、よくわかります。対岸が近くにあり、肉眼でも見ることができます。海岸には、渓谷のように急な崖となっているところもあります。
ジブラルタル海峡の海底地形は、水深が286mと深いのですが、幅が14km~44kmで、長さが60kmにわたって延びています。海水がなければ、まるで狭い回廊のような場所に見えるはずです。
海水があってもジブラルタル海峡が狭く感じます。それは、地中海に面して、アフリカとヨーロッパの両側に、大きな山地があるためではないでしょうか。海峡の入り口にあたる岩崖を、「ヘラクレスの柱(2本柱とも呼ばれます)」といいます。2本の柱に見えるほど、切り立って見えるということです。
海岸沿いで山を形成しているのは、ユーラシア大陸(ヨーロッパのスペイン)側では、ジブラルタロックと呼ばれる標高425mの岩山です。アフリカ大陸側には、モンテアチョ山(Monte Hacho)とヘベルムサ山(Jebel Musa)があります。モンテアチョ山はセウタという町にあり、ヘベルムサ山はモロッコにあります。ヘラクレスの2本柱に当たるのは、セウタにあるモンテアチョ山の方です。
セウタは、モロッコの東にあるスペインの飛び地の領地になっています。地中海の出入り口に当たるこの地は、昔から海洋交通の要所となっています。したがって軍事の要所ともなります。まして、そこに眺めのよい山地があれば、要塞などの軍事施設としても最適となります。じっさい軍の施設が設置されています。
ジブラルタルは、アフリカとヨーロッパの接点ともなっており、宗教や政治、軍事においても複雑な場となっています。
さて、メッシニアン塩分危機が起こる以前、まだジブラルタル海峡が形成されていませんでした。地中海は別の地域で大西洋とつながっていました。つまり現在は陸地となっているところが、大西洋との海水交換の道、回廊としてありました。
回廊は、現在の南スペイン(Betic回廊と呼ばれています)と北西アフリカ(Rifean回廊と呼ばれ2つの海路が開いていました)との2箇所で、大西洋とつながっていたと考えられています。回廊という名称がついていますが、今のジブラルタル海峡よりもっと広い海峡となっていたようです。
地中海の海底や周辺の陸地の地質を調べていくと、そのような過去の回廊があったのがわかってきました。メッシニアン塩分危機のときに、ジブラルタル近辺では、海水が干上がっていれば出来たはずの蒸発岩類が見あたりませんでした。そして、海があった痕跡を探すと、ジブラルタル海峡以外のところに2箇所も見つかったのです。
広い回廊が2つもあったのに、なぜか回廊が閉じて、海水が入らなくなりメッシニアン塩分危機が起こったのです。その理由は、次回としましょう。
・セウタ・
「ジブラルタル」という名前は、
「ターリクの山(ジェベル・ターリク)」から由来しているそうです。
「ターリク」とは、イベリア半島に進入した
アラブ人の首長ターリク・イブン・サイードのことだそうです。
古くから、文明の交差する場所であったことが、
ジブラルタル自体の名前からも伺えます。
現在スペインの飛び地領であるセウタを、
モロッコは地続きである自国への編入を求めています。
セウタの歴史を見ると、
カルタゴ人やローマ人、ヴァンダル人、西ゴート族、
キリスト教とイスラム教、
ポルトガルやスペイン、モロッコなど、
さまざま組織が支配を巡って争ってきました。
セウタを例にしましたが、
ジブラルタルは、非常に重要な拠点であるために
このような複雑な歴史があるのです。
・ドル・
アメリカ合衆国のお金の単位は「ドル」です。
「ドル」の単位を、$と表記します。
ただし、$は正式には、
2本の縦線が使われることになっています。
なぜ、2本線が引かれているのかというと、
「ヘラクレスの2本柱」を表すという説があります。
スペインの貨幣は、ジブラルタル海峡から大西洋を渡り、
アメリカ大陸でも使われていた時代がありました。
その時のなごりで、ジブラルタル海峡の象徴として、
Sに「ヘラクレスの2本柱」を意味する
縦の2本線を加えたといわれています。
本当の由来は知りませんが、
このような由来もなかなか面白い説ですね。
2009年3月19日木曜日
2009年3月12日木曜日
1_78 地中海誕生:メッシニアン塩分危機3(2009.03.12)
メッシニアン塩分危機は、地中海の成因と深い関係があるという話を前回して、終わりました。今回は、その地中海の誕生にまつわる物語を紹介します。
そもそも地中海は、どのようにして形成されたのでしょうか。実は、地中海は、もともと非常に大きな海洋だったものが、今のような大きさに縮小してしまったものです。そのような縮小の過程で、メッシニアン塩分危機が起こったのです。
地中海は、もとはテチス海(Tethys Sea)と呼ばれ、古生代から新生代のパレオジン(以前は新第三紀と呼ばれていた時代)にかけて存在した大きな海でした。その大きさは、時代ごとに変化しましたが、大陸に囲まれていることがテチス海の特徴でした。ですから、テチス海の話をするには、その時代の大陸配置を理解する必要があります。ただし、過去の大陸を復元するのは、大変な作業で、科学者によってもいろいろな考え方があります。以下の話は、"The Concise Geologic Time Scale"に基づいて紹介していきます。
まず、古生代から話をはじめましょう。古生代の最初の時代は、カンブリア紀です。その時代には、ゴンドワナという巨大な大陸が一つありました。その他に3つの小大陸(ローレンティア、バルティカ、シベリアと呼ばれています)が、ゴンドワナの近くに集まって存在していました。その他の部分を占める大きな海洋は、パンサラッサ海と呼れていました。ゴンドワナと小さな大陸の間には、イアペタス海と呼ばれ海がありました。
オルドビス紀になると、小さいな大陸は配置を変えていきます。パンサラッサ海とゴンドワナ大陸という大きな構図はそのままに、小さな3つの大陸の配置が変わっていきます。そのため、イアペタス海は小さくなり、新たに古テチス海と呼ばれる海ができます。
大陸の配置は変わり、シルル紀からイアペタス海は小さくなり続け、古テチス海は、大陸配置の変更によっていろいろな形をとっていきます。デボン紀には、いくつもあった小さな大陸がゴンドワナ大陸に向かって集まりはじめ、イアペタス海はなくなります。そして、石炭紀を経てペルム紀には、一つの大きな超大陸パンゲアになっていきます。その間、古テチス海は、パンゲア大陸の内海として存在し続けます。そしてペルム紀には、古テチス海の片隅に、パンゲア大陸に抱かれるようにして、テチス海が形成されていきます。
中生代の三畳紀になると、古テチス海は狭まり、テチス海が広がりだします。ジュラ紀には古テチス海が消え、テチス海だけになります。また、テチス海は、拡大しながら、内湾から外海の環境になります。テチス海とパンサラッサ海がつながったとき、パンサラッサは太平洋と呼ばれるようになります。この頃、パンゲアは分裂を始めローラシアとゴンドワナに分かれ始めます。白亜紀になるとローラシアとゴンドワナはさらに分裂をはじめ、大西洋が形成されていきます。そして、テチス海は縮小していきます。
新生代になると、ユーラシア大陸に、アフリカ大陸とインド大陸の衝突して、間にあったテチス海が閉ざされ、その大部分が消えてしまいました。テチス海は、地中海や黒海、カスピ海、アラル海などが、その名残として今も少しあるだけです。
ユーラシア大陸(ヨーロッパ)とアフリカ大陸、ユーラシア大陸(アジア)とインド大陸という大陸同士の衝突は、現在も継続しています。衝突の場には、山脈が形成され、今も上昇を続け、地震も頻発します。ところによっては火山も形成されています。
テチス海の名残である地中海は、アフリカ大陸とユーラシア大陸の衝突が続いているところにあたります。ですから、今後も、地中海は閉じていく海になっていくはずです。メッシニアン塩分危機は、その前触れともいうべき事件だったのかもしれません。
・スペック不足・
昨年新しいデスクトップのパソコンとして
Windows VISTAを購入しました。
予算の都合で、理想のスペックのものは購入できず、
しかたなく予算に見合ったスペックの低いものにしました。
ところが、ハードディスクの容量不足が、すぐに発生しました。
予期していたことですが、まめにファイルを整理していけば、
大丈夫かと思っていました。
ところがいくら整理しても、すぐに容量が足りなくなります。
購入したタイプのコンピュータでは、
ハードディズクは250GBが最大の容量でした。
これが一つ目の間違いです。
二つ目の間違いは、VISTAにしたことです。
VISTA対応のソフトをいくつか導入したのですが、
遅すぎて使い物にならず、
古いバージョンに戻してしまいました。
これでは、何のためにVISTAにしかわかりません。
また、ハングアップすることはないのですが、
いつもエラーを出していますので、
使用上、不安が付きまといます。
だから、安定しているXPにバージョンダウンした
デスクトップに買い換えようかと考えています。
価格の関係で望む機能を削ったのが、
失敗の原因だったような気がします。
少々無理をしても、必要なところには、
十分なスペックを持っていたほうが
結局は長持ちすることになりそうです。
一つ前のデスクトップは十分なスペックもっていたので、
4年ほど使うことができました。
パソコンとして十分長く使っていると思います。
まあ、新しく購入するにしても、来年度になるのですが。
・卒業と入学のはざま・
いよいよ卒業のシーズになります。
早い大学では、今週が卒業式になっています。
わが大学は来週が卒業式です。
卒業式は、本来なら大学内で挙行するのがいいはずなのです。
ところが、卒業生が1000名、そのほかに大学院生と父兄も参加します。
そんな大人数では、大学の施設では収容しきれません。
ですから、大きな会場を借りて卒業式を行います。
教員もそちらに出向いていきます。
卒業式の話をしましたが、現在、入試はまだ継続中です。
二次入試の試験は終わりましたが、
現在、集計中で、来週、その発表があります。
大学は、終わりと始まりのはざまにあります。
そもそも地中海は、どのようにして形成されたのでしょうか。実は、地中海は、もともと非常に大きな海洋だったものが、今のような大きさに縮小してしまったものです。そのような縮小の過程で、メッシニアン塩分危機が起こったのです。
地中海は、もとはテチス海(Tethys Sea)と呼ばれ、古生代から新生代のパレオジン(以前は新第三紀と呼ばれていた時代)にかけて存在した大きな海でした。その大きさは、時代ごとに変化しましたが、大陸に囲まれていることがテチス海の特徴でした。ですから、テチス海の話をするには、その時代の大陸配置を理解する必要があります。ただし、過去の大陸を復元するのは、大変な作業で、科学者によってもいろいろな考え方があります。以下の話は、"The Concise Geologic Time Scale"に基づいて紹介していきます。
まず、古生代から話をはじめましょう。古生代の最初の時代は、カンブリア紀です。その時代には、ゴンドワナという巨大な大陸が一つありました。その他に3つの小大陸(ローレンティア、バルティカ、シベリアと呼ばれています)が、ゴンドワナの近くに集まって存在していました。その他の部分を占める大きな海洋は、パンサラッサ海と呼れていました。ゴンドワナと小さな大陸の間には、イアペタス海と呼ばれ海がありました。
オルドビス紀になると、小さいな大陸は配置を変えていきます。パンサラッサ海とゴンドワナ大陸という大きな構図はそのままに、小さな3つの大陸の配置が変わっていきます。そのため、イアペタス海は小さくなり、新たに古テチス海と呼ばれる海ができます。
大陸の配置は変わり、シルル紀からイアペタス海は小さくなり続け、古テチス海は、大陸配置の変更によっていろいろな形をとっていきます。デボン紀には、いくつもあった小さな大陸がゴンドワナ大陸に向かって集まりはじめ、イアペタス海はなくなります。そして、石炭紀を経てペルム紀には、一つの大きな超大陸パンゲアになっていきます。その間、古テチス海は、パンゲア大陸の内海として存在し続けます。そしてペルム紀には、古テチス海の片隅に、パンゲア大陸に抱かれるようにして、テチス海が形成されていきます。
中生代の三畳紀になると、古テチス海は狭まり、テチス海が広がりだします。ジュラ紀には古テチス海が消え、テチス海だけになります。また、テチス海は、拡大しながら、内湾から外海の環境になります。テチス海とパンサラッサ海がつながったとき、パンサラッサは太平洋と呼ばれるようになります。この頃、パンゲアは分裂を始めローラシアとゴンドワナに分かれ始めます。白亜紀になるとローラシアとゴンドワナはさらに分裂をはじめ、大西洋が形成されていきます。そして、テチス海は縮小していきます。
新生代になると、ユーラシア大陸に、アフリカ大陸とインド大陸の衝突して、間にあったテチス海が閉ざされ、その大部分が消えてしまいました。テチス海は、地中海や黒海、カスピ海、アラル海などが、その名残として今も少しあるだけです。
ユーラシア大陸(ヨーロッパ)とアフリカ大陸、ユーラシア大陸(アジア)とインド大陸という大陸同士の衝突は、現在も継続しています。衝突の場には、山脈が形成され、今も上昇を続け、地震も頻発します。ところによっては火山も形成されています。
テチス海の名残である地中海は、アフリカ大陸とユーラシア大陸の衝突が続いているところにあたります。ですから、今後も、地中海は閉じていく海になっていくはずです。メッシニアン塩分危機は、その前触れともいうべき事件だったのかもしれません。
・スペック不足・
昨年新しいデスクトップのパソコンとして
Windows VISTAを購入しました。
予算の都合で、理想のスペックのものは購入できず、
しかたなく予算に見合ったスペックの低いものにしました。
ところが、ハードディスクの容量不足が、すぐに発生しました。
予期していたことですが、まめにファイルを整理していけば、
大丈夫かと思っていました。
ところがいくら整理しても、すぐに容量が足りなくなります。
購入したタイプのコンピュータでは、
ハードディズクは250GBが最大の容量でした。
これが一つ目の間違いです。
二つ目の間違いは、VISTAにしたことです。
VISTA対応のソフトをいくつか導入したのですが、
遅すぎて使い物にならず、
古いバージョンに戻してしまいました。
これでは、何のためにVISTAにしかわかりません。
また、ハングアップすることはないのですが、
いつもエラーを出していますので、
使用上、不安が付きまといます。
だから、安定しているXPにバージョンダウンした
デスクトップに買い換えようかと考えています。
価格の関係で望む機能を削ったのが、
失敗の原因だったような気がします。
少々無理をしても、必要なところには、
十分なスペックを持っていたほうが
結局は長持ちすることになりそうです。
一つ前のデスクトップは十分なスペックもっていたので、
4年ほど使うことができました。
パソコンとして十分長く使っていると思います。
まあ、新しく購入するにしても、来年度になるのですが。
・卒業と入学のはざま・
いよいよ卒業のシーズになります。
早い大学では、今週が卒業式になっています。
わが大学は来週が卒業式です。
卒業式は、本来なら大学内で挙行するのがいいはずなのです。
ところが、卒業生が1000名、そのほかに大学院生と父兄も参加します。
そんな大人数では、大学の施設では収容しきれません。
ですから、大きな会場を借りて卒業式を行います。
教員もそちらに出向いていきます。
卒業式の話をしましたが、現在、入試はまだ継続中です。
二次入試の試験は終わりましたが、
現在、集計中で、来週、その発表があります。
大学は、終わりと始まりのはざまにあります。
2009年3月5日木曜日
1_77 異変の履歴:メッシニアン塩分危機2(2009.03.05)
地中海の海水が干上がるというメッシニアン塩分危機が、中新世末期に起こりました。その時、今の穏やかな地中海から想像もできないほどの激変が起こりました。多くの海洋の生物は絶滅したはずです。沿岸地域の環境にも大きな影響を与えたはずです。その影響の全貌はまだ解明されていませんが、概要はわかってきました。異変の履歴を紹介していきましょう。
前回、新生代中新世末期に、地中海の海水が干上がるというメッシニアン塩分危機があったことを紹介しました。メッシニアン塩分危機の実態は、地上の地質調査だけでなく、20世紀後半から、海洋底を掘削する調査(Deep Sea Drilling Program:DSDPと呼ばれる)が地中海の各地でおこなわれることによって、より詳細な解明がなされてきました。14箇所の海底で掘削が行われました。この掘削という調査方法は、一度に一つの地点でしか調査できない大掛かりなものですが、地下に向かって連続的な地質試料を回収することができます。それを実験室で精密に調べることができ、地上では得られない重要な情報をもたらします。掘削と並行して、音波や地震波を利用して海底の断面を調べていくことによって、広域の3次元的な海底堆積物の様子がわかってきました。
それらの結果によると、地中海には、海水の蒸発によって形成された蒸発岩として苦灰岩や石膏が、広域にわたって堆積していることがわかってきました。もちろん前回紹介したように、地中海沿岸の陸地にも、海水の蒸発の痕跡は残されていました。
メッシニアン塩分危機という事件の時間変化を、順を追ってみていきましょう。まだ議論の余地が多々あるようですが、概略は多くの研究者が同意しているものです。その様子を、Crippsが2005年にまとめたもの(http://ougseurope.org/newsletter/articles/messinian.asp)から、紹介していきましょう。
まず、724万年前(あるいは6.88万年前)には、事件の予兆のような現象が記録されていました。シシリア島の地層に、泥灰岩と腐泥炭の互層があることから、大西洋との海水の交換が徐々に変化して、沿岸域の環境変化が起こってきたことが伺えます。
596万年前から、塩分危機が始まります。この時期から地中海の海水の流入が、減るか完全に途絶えていきました。その結果、地中海全域で蒸発岩が形成されていきます。海底の地震波探査でみつかったM reflectorと呼ばれた反射面が、このとき形成されました。これは、海水準が100~200mほど低下したことを示しています。
そして、559万から533万年前の間、地中海は大西洋から完全に切り離され、外海から海水が入ってこなくなりました。地中海の海水準は、現在の海底まで近くまで下がり、そこには塩湖が形成されていたと考えられます。この時期になると、地中海は、地層の堆積場というよりも、陸地として侵食の場となりました。もともとの海岸線は、巨大な渓谷になっていたことになります。それは、グランドキャニオンに匹敵する規模だと推定されています。
533万年前には、再び、外界とつながった海の環境が戻ってきました。この年代は、中新世と鮮新世の時代境界ともなっています。
塩分危機の時代は、地中海に外洋の海水が供給されていない596万から533万年前の63万年間になります。地質学的には、それほど長い期間ではないのですが、地中海という狭い海峡しかない内海であったため、その影響は大きなものとなりました。
ではなぜ、海水の流入が止まったのでしょうか。それは、地中海が成因と深い関係があるようです。続きは、次回としましょう。
・キプロス島・
私は、1987年に地中海のキプロス島で
学会があったときに、地中海を間近に見ました。
キプロス島では、学会参加と共に
テチス海の海底を構成していた岩石群を見ることも
重要な目標でした。
その地質見学旅行で見た、地中海固有の澄んだ海の色と
乾燥した快晴の青空が強く印象に残りました。
さらに、古代ギリシア時代の遺跡やモザイクを見て、
乾燥した大地に残された人類の歴史に思いを馳せました。
それ以降、残念ながら地中海は見ていません。
・第一期生・
いよいよ3月となりました。
北海道も春めいた暖かい日差しが
注ぐ日も訪れるようになりました。
もちろん雪のたくさん降る日も、まだまだあります。
しかし、この暖かさは、春の到来を予感させるものです。
大学は、卒業と入試の季節です。
私の所属する学科は、今年はまだ卒業生がいません。
来年度やっと4年生が誕生します。
第一期生です。
あと一年、はじめてのことを新4年生とともに
築きあげていくことになります。
彼らとは苦楽を共にしたという気持ちが非常に強くあります。
彼らもこれから、進路を決定する重要な時期になります。
特に教員志望の学生にとっては、気の抜けない日々が続きます。
教員としては、彼らの努力をサポートしながら
成功を祈るしかありません。
前回、新生代中新世末期に、地中海の海水が干上がるというメッシニアン塩分危機があったことを紹介しました。メッシニアン塩分危機の実態は、地上の地質調査だけでなく、20世紀後半から、海洋底を掘削する調査(Deep Sea Drilling Program:DSDPと呼ばれる)が地中海の各地でおこなわれることによって、より詳細な解明がなされてきました。14箇所の海底で掘削が行われました。この掘削という調査方法は、一度に一つの地点でしか調査できない大掛かりなものですが、地下に向かって連続的な地質試料を回収することができます。それを実験室で精密に調べることができ、地上では得られない重要な情報をもたらします。掘削と並行して、音波や地震波を利用して海底の断面を調べていくことによって、広域の3次元的な海底堆積物の様子がわかってきました。
それらの結果によると、地中海には、海水の蒸発によって形成された蒸発岩として苦灰岩や石膏が、広域にわたって堆積していることがわかってきました。もちろん前回紹介したように、地中海沿岸の陸地にも、海水の蒸発の痕跡は残されていました。
メッシニアン塩分危機という事件の時間変化を、順を追ってみていきましょう。まだ議論の余地が多々あるようですが、概略は多くの研究者が同意しているものです。その様子を、Crippsが2005年にまとめたもの(http://ougseurope.org/newsletter/articles/messinian.asp)から、紹介していきましょう。
まず、724万年前(あるいは6.88万年前)には、事件の予兆のような現象が記録されていました。シシリア島の地層に、泥灰岩と腐泥炭の互層があることから、大西洋との海水の交換が徐々に変化して、沿岸域の環境変化が起こってきたことが伺えます。
596万年前から、塩分危機が始まります。この時期から地中海の海水の流入が、減るか完全に途絶えていきました。その結果、地中海全域で蒸発岩が形成されていきます。海底の地震波探査でみつかったM reflectorと呼ばれた反射面が、このとき形成されました。これは、海水準が100~200mほど低下したことを示しています。
そして、559万から533万年前の間、地中海は大西洋から完全に切り離され、外海から海水が入ってこなくなりました。地中海の海水準は、現在の海底まで近くまで下がり、そこには塩湖が形成されていたと考えられます。この時期になると、地中海は、地層の堆積場というよりも、陸地として侵食の場となりました。もともとの海岸線は、巨大な渓谷になっていたことになります。それは、グランドキャニオンに匹敵する規模だと推定されています。
533万年前には、再び、外界とつながった海の環境が戻ってきました。この年代は、中新世と鮮新世の時代境界ともなっています。
塩分危機の時代は、地中海に外洋の海水が供給されていない596万から533万年前の63万年間になります。地質学的には、それほど長い期間ではないのですが、地中海という狭い海峡しかない内海であったため、その影響は大きなものとなりました。
ではなぜ、海水の流入が止まったのでしょうか。それは、地中海が成因と深い関係があるようです。続きは、次回としましょう。
・キプロス島・
私は、1987年に地中海のキプロス島で
学会があったときに、地中海を間近に見ました。
キプロス島では、学会参加と共に
テチス海の海底を構成していた岩石群を見ることも
重要な目標でした。
その地質見学旅行で見た、地中海固有の澄んだ海の色と
乾燥した快晴の青空が強く印象に残りました。
さらに、古代ギリシア時代の遺跡やモザイクを見て、
乾燥した大地に残された人類の歴史に思いを馳せました。
それ以降、残念ながら地中海は見ていません。
・第一期生・
いよいよ3月となりました。
北海道も春めいた暖かい日差しが
注ぐ日も訪れるようになりました。
もちろん雪のたくさん降る日も、まだまだあります。
しかし、この暖かさは、春の到来を予感させるものです。
大学は、卒業と入試の季節です。
私の所属する学科は、今年はまだ卒業生がいません。
来年度やっと4年生が誕生します。
第一期生です。
あと一年、はじめてのことを新4年生とともに
築きあげていくことになります。
彼らとは苦楽を共にしたという気持ちが非常に強くあります。
彼らもこれから、進路を決定する重要な時期になります。
特に教員志望の学生にとっては、気の抜けない日々が続きます。
教員としては、彼らの努力をサポートしながら
成功を祈るしかありません。
2009年2月26日木曜日
1_76 海の蒸発の記録:メッシニアン塩分危機1(2009.02.26)
メッシニアン塩分危機という地質学的事件が、新生代中新世末期に起こりました。それは、地中海の海水が干上がるという事件でした。この事件が意味することとは、なんでしょうか。数回のシリーズで紹介していきます。
皆さんは、メッシニアンという言葉をきいたことがあるでしょうか。多分、ほとんど人は知らない言葉でしょう。メッシニアンとは、地名でシシリア島のメッシニアという地域があります。今回取り上げたいのは、その地域のことではありません。地質学では、メッシニアンには別の意味に使われています。
メッシニアンとは、Messinianと書かれ、地質の時代区分の名称として使われています。メッシニアンは、新生代の中新世末期で、724.6万から533.2万年前の時期です。メッシニア期と呼ばれる階層の時代区分になります。
マイヤーアイマー(Charles Mayer-Eymar、1826-1907)という地質学者が、シシリア島のメッシニアの石膏を含んだ、汽水から淡水で形成された地層の化石を調べました。その成果を1867年に発表した論文で、その時期をメッシニアと名づけました。以来、中新世の末期をメッシニア期と呼ばれるようになりました。
メッシニアに注目が集まったのは、地中海において、一部もしくは全部の海水が蒸発してしまった事件があったことがわかってきたからです。その事件を、メッシニアン塩分危機(Messinian salinity crisis)と呼んでいます。
岩塩や石膏など、海水の蒸発で形成される岩石(蒸発岩と呼ばれます)が、地中海の沿岸や島で大量にあることは知られていました。それらの蒸発岩の形成の時代が、メッシニア期であることも知られていました。しかし、それほど重要視されていませんでした。
ところが、1961年に行われた地震波の探査で、地中海の海底下100から200mのところに、反射面(M reflectorと呼ばれた)がわかってきました。その実体を探るために、海洋底を掘削する調査(Deep Sea Drilling Program:DSDPと呼ばれる)がなされ、地中海の海底に、3kmの厚さに達すほどの蒸発岩があること発見されました。これによって、地中海全域で、海水が蒸発し、大量の塩分が形成されるという事件が起こったことが認識され、塩分危機と呼ばれるようになりました。
さて、このメッシニアン塩分危機という事件は、果たして地中海だけに起こった地域的な出来事だったのでしょうか。それとも、世界的事件となんらかの関係があるのでしょうか。それは次回としましょう。
・ありふれたこと・
私が、地中海が干上がるという事件を知ったのは、
数年前でした。
ネイチャーという科学雑誌に2003年に発表された
"Deep roots of the Messinian salinity crisis"
という論文を見たときでした。
そのときは、地域の異常現象として
大して気にもしていませんでした。
ところが、最近、別の調べ物をしているときに、
その事件がもしかすると、
別の事件と関係するのではないかということに気づきました。
なにも、私が最初に気づいたわけではありません。
もちろん、研究者はとっくに気づいていて
その記述をみて、私も知ったということです。
それは、第一級の事件ではなく、
多数ある事件の一つに過ぎませんでした。
しかし、地質学的ありふれた出来事が、
これほどの大異変を起こすということです。
そのことに気づかせてくれました。
その事件の内容は、次回以降紹介していきます。
・Gmail・
大学のメールサーバの自分のメールボックスを整理しました。
半年に一度整理しています。
大学の研究用メールサーバーは容量に制限はないのですが、
メールの量が多くなる(300MBを越える)と、
急に反応が遅くなります。
ですから、私は、メーラーで呼んで
パソコンのハードディスクでメールを管理しています。
先日もメールボックスを削除するのに、
なんと半日かかりました。
これには参りました。
ですから、最近、メールの管理を、Gmailに移行しようと
試しているところです。
まだ、Gmailは試したばかりですが、
7GBも容量があり、無料なのが魅力です。
基本は自分のパソコンに保存しますが、
大量のデータの保存として、
Gmailを利用しようと考えています。
皆さんは、メッシニアンという言葉をきいたことがあるでしょうか。多分、ほとんど人は知らない言葉でしょう。メッシニアンとは、地名でシシリア島のメッシニアという地域があります。今回取り上げたいのは、その地域のことではありません。地質学では、メッシニアンには別の意味に使われています。
メッシニアンとは、Messinianと書かれ、地質の時代区分の名称として使われています。メッシニアンは、新生代の中新世末期で、724.6万から533.2万年前の時期です。メッシニア期と呼ばれる階層の時代区分になります。
マイヤーアイマー(Charles Mayer-Eymar、1826-1907)という地質学者が、シシリア島のメッシニアの石膏を含んだ、汽水から淡水で形成された地層の化石を調べました。その成果を1867年に発表した論文で、その時期をメッシニアと名づけました。以来、中新世の末期をメッシニア期と呼ばれるようになりました。
メッシニアに注目が集まったのは、地中海において、一部もしくは全部の海水が蒸発してしまった事件があったことがわかってきたからです。その事件を、メッシニアン塩分危機(Messinian salinity crisis)と呼んでいます。
岩塩や石膏など、海水の蒸発で形成される岩石(蒸発岩と呼ばれます)が、地中海の沿岸や島で大量にあることは知られていました。それらの蒸発岩の形成の時代が、メッシニア期であることも知られていました。しかし、それほど重要視されていませんでした。
ところが、1961年に行われた地震波の探査で、地中海の海底下100から200mのところに、反射面(M reflectorと呼ばれた)がわかってきました。その実体を探るために、海洋底を掘削する調査(Deep Sea Drilling Program:DSDPと呼ばれる)がなされ、地中海の海底に、3kmの厚さに達すほどの蒸発岩があること発見されました。これによって、地中海全域で、海水が蒸発し、大量の塩分が形成されるという事件が起こったことが認識され、塩分危機と呼ばれるようになりました。
さて、このメッシニアン塩分危機という事件は、果たして地中海だけに起こった地域的な出来事だったのでしょうか。それとも、世界的事件となんらかの関係があるのでしょうか。それは次回としましょう。
・ありふれたこと・
私が、地中海が干上がるという事件を知ったのは、
数年前でした。
ネイチャーという科学雑誌に2003年に発表された
"Deep roots of the Messinian salinity crisis"
という論文を見たときでした。
そのときは、地域の異常現象として
大して気にもしていませんでした。
ところが、最近、別の調べ物をしているときに、
その事件がもしかすると、
別の事件と関係するのではないかということに気づきました。
なにも、私が最初に気づいたわけではありません。
もちろん、研究者はとっくに気づいていて
その記述をみて、私も知ったということです。
それは、第一級の事件ではなく、
多数ある事件の一つに過ぎませんでした。
しかし、地質学的ありふれた出来事が、
これほどの大異変を起こすということです。
そのことに気づかせてくれました。
その事件の内容は、次回以降紹介していきます。
・Gmail・
大学のメールサーバの自分のメールボックスを整理しました。
半年に一度整理しています。
大学の研究用メールサーバーは容量に制限はないのですが、
メールの量が多くなる(300MBを越える)と、
急に反応が遅くなります。
ですから、私は、メーラーで呼んで
パソコンのハードディスクでメールを管理しています。
先日もメールボックスを削除するのに、
なんと半日かかりました。
これには参りました。
ですから、最近、メールの管理を、Gmailに移行しようと
試しているところです。
まだ、Gmailは試したばかりですが、
7GBも容量があり、無料なのが魅力です。
基本は自分のパソコンに保存しますが、
大量のデータの保存として、
Gmailを利用しようと考えています。
2009年2月19日木曜日
1_75 成長のメカニズム:大陸の形成7(2009.02.19)
いよいよ大陸の形成シリーズも、今回が終わりとなります。最後に、大陸の成長が、なぜ急激に起こるのかを考えていきます。その仮説には、ある鉱物から得られた年代測定の結果が、重要な役割を果たしました。
原生代がはじまるころ(25億年前)には、現在の2割程度しかなった大陸が、原生代の終わり(5.24億年前)には、現在と同じほどの量にまで成長しました。原生代には、花崗岩の年代から3回(27~25億年前、20~17億年前、13~10億年前)、もしくは川砂のジルコンの年代から4回(28~27億年前、22~21億年前、18~10億年前、7~5億年前)の激しい大陸形成の時期があったことがわかってきました。
大陸の急激な形成は、大量の花崗岩マグマをつくり出すことになります。列島や大陸地殻を構成する花崗岩マグマは、プレートの沈み込みに伴って形成されます。そのプロセスは少々複雑ですが、以下のようなものであることがわかってきました。
沈み込むプレートから水や水に溶けやすい成分が、列島の下のマントルに供給されます。供給された水は、列島下のマントルを溶かして、玄武岩マグマをつくります。玄武岩マグマは、すでにある列島地殻下部の玄武岩を溶かしたり、地殻にたまった堆積岩を溶かし、大量の花崗岩マグマをつくります。花崗岩マグマが、そのまま深部で固まれば花崗岩になります。ただし、列島の下では、玄武岩マグマと花崗岩マグマと混じることがよくあり、マグマ混合(マグマミキシングと呼ばれます)が起こると、トーナル岩(あるいは安山岩)マグマが形成されます。トーナル岩とは、大陸地殻や列島の平均的な岩石組成に相当し、大陸地殻そのものといっていいものです。
このようなメカニズムは、定常的に大陸地殻が形成されていくプロセスを説明しますが、急激な地殻の成長を説明するには、別の何かが起こらなければなりません。その記録が、マントル由来の鉱物から見つかりました。
ピアソンたちは、その研究結果を2007年にネイチャーという雑誌に報告しまひた。海底から採られたカンラン岩(海洋地殻下のマントル)やオフィオライト(昔の海洋地殻で地上に残されたもの)のカンラン岩に含まれるレニュウム(元素記号Re)に富む白金族の合金からなる鉱物を用いて年代測定(Re-Osの年代測定)をしました。
このような岩石を用いたのは、海洋地殻がいつ形成されたかを知るためです。もし、大量にそのようなデータを集め、その形成年代にピークがあるようなら、その時期に大量の海洋地殻が形成されたことを意味します。ピークの年代は、それは地球内部から上昇してくる大きな対流(スーパープルームと呼ばれます)があったことを示しています。また、海洋地殻が大量に形成されたということは、それに呼応して沈み込み帯の活動も活発になります。つまり、列島のマグマの活動が激しくなり、大陸地殻がたくさん形成されたということになります。
ここで示した仮説は、少々複雑なプロセスですが、定常的な大陸成長ではなく、急激な大陸成長を説明できます。
さて研究の結果、得られた年代はというと、27億年前、19億年前、12億年前に集まりました。これは、花崗岩の年代測定から得られた3回のイベントに対応しています。川砂のジルコンとは時期が違っていますが、大陸急成長のメカニズムを説明する仮説には、それなりの証拠があったことになります。大陸成長は、最終的には地球内部の熱の急激な放出メカニズムとして説明できそうです。
この一連のシリーズで示したように、大陸の成長の研究は、まだ道半ばです。本当の急成長の時期は、いつなのか。なぜ、そのような熱放出メカニズムがその時期に起こったのか。その時期には必然性はあるのか。などなど、これから解明しなければならない謎は、いっぱいあります。しかし、それも地道に解かれていくことでしょう。
・新たな展開の予感・
大陸の形成のシリーズも今回が終わりです。
少々長くなりましたが、大陸の成長が一様でないことは、
以前から言われていました。
その成長にムラがあることが、明らかになってきました。
平田さんたちの精度のよいデータが
今までの結果と一致しないのは、疑問より、
今後の新しい展開を期待させます。
ですから、他の大陸でのデータが待たれます。
新たなデータが得られたとき、
大陸成長のモデルに展開が生まれそうな予感がします。
平田さんたちの手法は、
大量の試料を処理し、データを出さなければなりません。
並大抵の努力でないことがわかります。
でも、その精度は非常に高いものです。
ぜひ、いい成果が出ることを期待します。
・インフルエンザ・
長男が、今週、インフルエンザB型になりました。
今では、病院にいけば、ほんの10数分で
インフルエンザの判定、またA型かB型かの判別もできます。
家族全員がインフルエンザの予防接種を受けていましたので、
症状も軽く、ほっとしています。
ただし、学校は5、6年生が学年閉鎖となりました。
学年閉鎖といっても、一クラス10数名しかない小さい学校なので、
一般の学校より閉鎖になりやすくなっています。
ところが、他の学校と比べて、児童数も少ないため
感染経路も少ないためでしょうか、罹患率も少なくなります。
実際に、学級閉鎖も他校と比べて多くはありません。
学年閉鎖は、子供が学校に通っている中で
子供のいるクラスが閉鎖になるのは
今回が始めての出来事です。
その分、今年のインフルエンザは、
わが町では、流行しているということなのでしょう。
原生代がはじまるころ(25億年前)には、現在の2割程度しかなった大陸が、原生代の終わり(5.24億年前)には、現在と同じほどの量にまで成長しました。原生代には、花崗岩の年代から3回(27~25億年前、20~17億年前、13~10億年前)、もしくは川砂のジルコンの年代から4回(28~27億年前、22~21億年前、18~10億年前、7~5億年前)の激しい大陸形成の時期があったことがわかってきました。
大陸の急激な形成は、大量の花崗岩マグマをつくり出すことになります。列島や大陸地殻を構成する花崗岩マグマは、プレートの沈み込みに伴って形成されます。そのプロセスは少々複雑ですが、以下のようなものであることがわかってきました。
沈み込むプレートから水や水に溶けやすい成分が、列島の下のマントルに供給されます。供給された水は、列島下のマントルを溶かして、玄武岩マグマをつくります。玄武岩マグマは、すでにある列島地殻下部の玄武岩を溶かしたり、地殻にたまった堆積岩を溶かし、大量の花崗岩マグマをつくります。花崗岩マグマが、そのまま深部で固まれば花崗岩になります。ただし、列島の下では、玄武岩マグマと花崗岩マグマと混じることがよくあり、マグマ混合(マグマミキシングと呼ばれます)が起こると、トーナル岩(あるいは安山岩)マグマが形成されます。トーナル岩とは、大陸地殻や列島の平均的な岩石組成に相当し、大陸地殻そのものといっていいものです。
このようなメカニズムは、定常的に大陸地殻が形成されていくプロセスを説明しますが、急激な地殻の成長を説明するには、別の何かが起こらなければなりません。その記録が、マントル由来の鉱物から見つかりました。
ピアソンたちは、その研究結果を2007年にネイチャーという雑誌に報告しまひた。海底から採られたカンラン岩(海洋地殻下のマントル)やオフィオライト(昔の海洋地殻で地上に残されたもの)のカンラン岩に含まれるレニュウム(元素記号Re)に富む白金族の合金からなる鉱物を用いて年代測定(Re-Osの年代測定)をしました。
このような岩石を用いたのは、海洋地殻がいつ形成されたかを知るためです。もし、大量にそのようなデータを集め、その形成年代にピークがあるようなら、その時期に大量の海洋地殻が形成されたことを意味します。ピークの年代は、それは地球内部から上昇してくる大きな対流(スーパープルームと呼ばれます)があったことを示しています。また、海洋地殻が大量に形成されたということは、それに呼応して沈み込み帯の活動も活発になります。つまり、列島のマグマの活動が激しくなり、大陸地殻がたくさん形成されたということになります。
ここで示した仮説は、少々複雑なプロセスですが、定常的な大陸成長ではなく、急激な大陸成長を説明できます。
さて研究の結果、得られた年代はというと、27億年前、19億年前、12億年前に集まりました。これは、花崗岩の年代測定から得られた3回のイベントに対応しています。川砂のジルコンとは時期が違っていますが、大陸急成長のメカニズムを説明する仮説には、それなりの証拠があったことになります。大陸成長は、最終的には地球内部の熱の急激な放出メカニズムとして説明できそうです。
この一連のシリーズで示したように、大陸の成長の研究は、まだ道半ばです。本当の急成長の時期は、いつなのか。なぜ、そのような熱放出メカニズムがその時期に起こったのか。その時期には必然性はあるのか。などなど、これから解明しなければならない謎は、いっぱいあります。しかし、それも地道に解かれていくことでしょう。
・新たな展開の予感・
大陸の形成のシリーズも今回が終わりです。
少々長くなりましたが、大陸の成長が一様でないことは、
以前から言われていました。
その成長にムラがあることが、明らかになってきました。
平田さんたちの精度のよいデータが
今までの結果と一致しないのは、疑問より、
今後の新しい展開を期待させます。
ですから、他の大陸でのデータが待たれます。
新たなデータが得られたとき、
大陸成長のモデルに展開が生まれそうな予感がします。
平田さんたちの手法は、
大量の試料を処理し、データを出さなければなりません。
並大抵の努力でないことがわかります。
でも、その精度は非常に高いものです。
ぜひ、いい成果が出ることを期待します。
・インフルエンザ・
長男が、今週、インフルエンザB型になりました。
今では、病院にいけば、ほんの10数分で
インフルエンザの判定、またA型かB型かの判別もできます。
家族全員がインフルエンザの予防接種を受けていましたので、
症状も軽く、ほっとしています。
ただし、学校は5、6年生が学年閉鎖となりました。
学年閉鎖といっても、一クラス10数名しかない小さい学校なので、
一般の学校より閉鎖になりやすくなっています。
ところが、他の学校と比べて、児童数も少ないため
感染経路も少ないためでしょうか、罹患率も少なくなります。
実際に、学級閉鎖も他校と比べて多くはありません。
学年閉鎖は、子供が学校に通っている中で
子供のいるクラスが閉鎖になるのは
今回が始めての出来事です。
その分、今年のインフルエンザは、
わが町では、流行しているということなのでしょう。
2009年2月12日木曜日
1_74 大陸の成長過程:大陸の形成6(2009.02.12)
川砂のジルコンの年代測定から大陸の成長過程を探ろうという試みは、現在進行中です。まだ、完全な結論は得られていませんが、途中段階の成果は公開されています。その内容を紹介しながら、大陸成長を考えていきましょう。
東京工業大学の平田さんたちのグループが、大陸を流れる大河の川砂を用いて大陸の成長を調べている、という話を前回しました。それは、川砂の中のジルコンという鉱物を用いて大量の年代測定をしていこうというものでした。
平田さんたちのグループは、2つの大陸のデータを公表しました。北米大陸では、中央を流れるミシシッピ川と、北部を流れ北極海にそそぐマッケンジー川で調査と分析をしました。南米大陸では、北部で主にブラジルを流れるアマゾン川と南部の主にアルゼンチンを流れるパラナ川を調査分析しました。
その結果は、2つの大陸だけのまとめになりますが、次のようなことがわかってきました。
太古代(40~25億年前)の後半(28億年前)までは、大陸は現在の2割ほどしか形成されていないことがわかってきました。なお、北米大陸にも南米大陸にも、30億年より古い大陸の岩石は、各地から見つかっています。ですから、古い岩石から少ないから、あまり成長がなかったように見えないということはありません。
また、大陸の成長は、原生代(25~5.42億年前)に集中的に行われたようです。そして、原生代の急激な成長も、一様に起こったのではなく、急激な成長時期が4回あったことががわかってきました。その時期は、28~27億年前、22~21億年前、18~10億年前、7~5億年前です。また、原生代の成長で、ほぼ現在の大陸の量になったようです。
原生代が大陸の成長期であったことは、以前の研究でもわかっていました。しかし、平田さんたちが得た大陸地殻の急激な形成時期が、以前紹介した花崗岩から得られたもの(27~25億年前、20~17億年前、13~10億年前)とは、微妙にずれていることがわかります。これは、単に測定誤差なのか、それとも何か意味があるのは今後の検討が必要でしょう。
もし、これが地域差に由来するのであれば、成長過程に、地域ごとにムラがあったことになります。前に示した花崗岩のデータは、世界各地の大陸からの得たものの平均ですが、平田さんたちのデータは厳密に大陸や、大河の流域が限定されています。そしてデータは統計的に十分な数があり、その年代精度もよく、統一されたものです。ですから、平田さんたちのデータを信頼すると、大陸地殻の成長時期に、大陸ごとにずれがあり、データはその違いを反映しているのかもしれません。
いずれにしても、今まで述べてきたことから重要なことがわかってきました。大陸成長は、一様なものではなく、急激に成長する時期とあまり活発でない時期があったこと、そして大陸は原生代に一気に成長し現在の量にまで達したことです。つまり大陸成長は、原生代の重要な地質現象として大きく捉えることができます。
原生代の大陸成長は、大量の花崗岩の形成を伴います。つまり、大量のマグマが関与しています。大量のマグマが形成されるということは、その影響は当然マントルに及んでいるはずです。もしかするとマントルにも、原生代の大陸成長の脈動が記録されているかもしれません。それは、次回としましょう。
・入試・
大学は一般入試が終わりました。
しかし、入試は一度で終わりではなく、
別日程の入試やセンター試験利用の入試などが続きます。
ですから、3月まで、つぎつぎと入試や
採点、判定会議などが連続します。
一方、在校生の成績評価や単位認定も並行して行われます。
単位認定にかかわる追試が今週の後半にあります。
2月、3月は講義や曜日ごとに決まった業務はありませんが、
落ちつかない時期でもあります。
・体が大事・
昨年の2月に目の手術をしました。
そして、1年間定期的に眼科で術後の検査を受け続けていました。
先月末に検査を受けて、1年たったという話をしたのですが、
無事、手術は成功に終わったと判断されました。
ただ、半年に一度程度の検査は受けてくださいということでした。
私の仕事は、どうしても目を酷使してしまいます。
それに、私は目には昔からいろいろ悩まされてきました。
また、実用上問題は生じていませんが、
見えなくなると非常に不自由な生活を強いられます。
ですから、目の状態管理も抜かりなく行わなければなりません。
目も歯も、内臓もいろいろ体を気にかけながら
生きていく世代になりました。
東京工業大学の平田さんたちのグループが、大陸を流れる大河の川砂を用いて大陸の成長を調べている、という話を前回しました。それは、川砂の中のジルコンという鉱物を用いて大量の年代測定をしていこうというものでした。
平田さんたちのグループは、2つの大陸のデータを公表しました。北米大陸では、中央を流れるミシシッピ川と、北部を流れ北極海にそそぐマッケンジー川で調査と分析をしました。南米大陸では、北部で主にブラジルを流れるアマゾン川と南部の主にアルゼンチンを流れるパラナ川を調査分析しました。
その結果は、2つの大陸だけのまとめになりますが、次のようなことがわかってきました。
太古代(40~25億年前)の後半(28億年前)までは、大陸は現在の2割ほどしか形成されていないことがわかってきました。なお、北米大陸にも南米大陸にも、30億年より古い大陸の岩石は、各地から見つかっています。ですから、古い岩石から少ないから、あまり成長がなかったように見えないということはありません。
また、大陸の成長は、原生代(25~5.42億年前)に集中的に行われたようです。そして、原生代の急激な成長も、一様に起こったのではなく、急激な成長時期が4回あったことががわかってきました。その時期は、28~27億年前、22~21億年前、18~10億年前、7~5億年前です。また、原生代の成長で、ほぼ現在の大陸の量になったようです。
原生代が大陸の成長期であったことは、以前の研究でもわかっていました。しかし、平田さんたちが得た大陸地殻の急激な形成時期が、以前紹介した花崗岩から得られたもの(27~25億年前、20~17億年前、13~10億年前)とは、微妙にずれていることがわかります。これは、単に測定誤差なのか、それとも何か意味があるのは今後の検討が必要でしょう。
もし、これが地域差に由来するのであれば、成長過程に、地域ごとにムラがあったことになります。前に示した花崗岩のデータは、世界各地の大陸からの得たものの平均ですが、平田さんたちのデータは厳密に大陸や、大河の流域が限定されています。そしてデータは統計的に十分な数があり、その年代精度もよく、統一されたものです。ですから、平田さんたちのデータを信頼すると、大陸地殻の成長時期に、大陸ごとにずれがあり、データはその違いを反映しているのかもしれません。
いずれにしても、今まで述べてきたことから重要なことがわかってきました。大陸成長は、一様なものではなく、急激に成長する時期とあまり活発でない時期があったこと、そして大陸は原生代に一気に成長し現在の量にまで達したことです。つまり大陸成長は、原生代の重要な地質現象として大きく捉えることができます。
原生代の大陸成長は、大量の花崗岩の形成を伴います。つまり、大量のマグマが関与しています。大量のマグマが形成されるということは、その影響は当然マントルに及んでいるはずです。もしかするとマントルにも、原生代の大陸成長の脈動が記録されているかもしれません。それは、次回としましょう。
・入試・
大学は一般入試が終わりました。
しかし、入試は一度で終わりではなく、
別日程の入試やセンター試験利用の入試などが続きます。
ですから、3月まで、つぎつぎと入試や
採点、判定会議などが連続します。
一方、在校生の成績評価や単位認定も並行して行われます。
単位認定にかかわる追試が今週の後半にあります。
2月、3月は講義や曜日ごとに決まった業務はありませんが、
落ちつかない時期でもあります。
・体が大事・
昨年の2月に目の手術をしました。
そして、1年間定期的に眼科で術後の検査を受け続けていました。
先月末に検査を受けて、1年たったという話をしたのですが、
無事、手術は成功に終わったと判断されました。
ただ、半年に一度程度の検査は受けてくださいということでした。
私の仕事は、どうしても目を酷使してしまいます。
それに、私は目には昔からいろいろ悩まされてきました。
また、実用上問題は生じていませんが、
見えなくなると非常に不自由な生活を強いられます。
ですから、目の状態管理も抜かりなく行わなければなりません。
目も歯も、内臓もいろいろ体を気にかけながら
生きていく世代になりました。
2009年2月5日木曜日
1_73 川砂から成長をみる:大陸の形成5(2009.02.05)
大陸の成長の時間変化を成果に見積もる方法が、わかってきました。その方法を実施されている東京工業大学の平田岳史さんの研究成果から、みていきましょう。
大陸は多様な岩石からできています。大陸を構成するすべて岩石の形成年代を正確に決定するには、膨大な時間が必要で、現実的には不可能です。そのため、苦肉の策として、大陸を構成する花崗岩で、今まで得られている年代データを集めて、その頻度分布を調べるという試みがなされました。もちろん人為的偏りが起こる不安があります。後に、データを多くして、より厳密にやっていっても、やはり同じような結果になっていました。ですから、その結果が、正しく思えます。しかし、統計的に正しいのか、本当に人為的偏りがないのか、やはりなんとなく不安が残ります。
そのような不安を解消するために、大陸の大河の砂を利用する方法があることを前回紹介しました。砂の中によく見つかる結晶で、一粒でも年代測定できるジルコンと呼ばれる鉱物が用いられます。ジルコンは、主に花崗岩をつくるマグマからできる結晶です。岩石の中では、ジルコンの量は少ないのですが、もと岩石への激しい変形や、900℃ほどの熱の変成作用によっても、年代データを保持できる頑丈な鉱物です。そして、川砂の中でも、削られてなくなってしまうことなく、よく見つかる結晶です。
ジルコン一粒で年代測定できる技術が、今ではほぼ完成しています。ただ、川砂から得られた年代データに、統計的に偏りをなくすには、多数のジルコンを測らなければなりません。川砂の中から、ジルコンだけを分離する方法もあります。ただ、川砂の中でジルコンの量は少なく、ジルコンだけを抽出するのには手間が必要です。多大な手間がかかりますが、統計的には信頼のできるデータは得られるはずです。あとは、そこまでの手間をかけて、実施するかどうかが問題です。
そのような大変さが予想されるために、あまり手を出す人はいませんでしたが、東京工業大学の平田岳史さんたちのグループ(東京工業大学 21世紀COEプログラム「地球:人の住む惑星ができるまで」解読グループの研究の一つ)が行っています。以下では、平田さんたちの研究の内容から紹介していきます。
平田さんたちは、川砂の統計的問題として、流域の岩石の性質を均等に川砂が反映しているかどうか、そして年代の頻度分布を知るために何個くらいジルコン粒子を分析すればという問題を、まず解決することからはじめました。
その検討のために選ばれたのが、ミシシッピ川でした。ミシシッピ川は、アメリカ大陸の平原のみを流れる大河で、流域を構成している岩石が比較的単調で、地質学的に年代ごとの岩石の分布量を知ることができます。そのデータと、実際に川砂のジルコンの分析したデータを比べれば、ジルコン粒子が流域の岩石を均等に反映しているかどうかを評価できます。そして、どれくらいのデータを測定すればいいかも検討がつけられます。
その結果、ジルコン粒子は流域の地質を均等に反映していることと、200から300粒の分析をすればよいことがわかりました。これによって、川砂のジルコンの有効性が判明したのです。あとは、試料を集めて、年代データを出す作業に入れます。もちろんその作業は大変です。
平田さんたちのグループは、現在、世界の35の主要河川から川砂の回収をしています。その数は今後も増やす予定だそうです。現在、それらの採集した試料からジルコンを選別し、年代を測定するという作業が精力的に行われています。現在、すでにいくつかの河川のデータがでてきていますが、その内容は次回としましょう。
・若さの特権・
受験生は、今や、選り好みをしなければ、
全員どこかの大学に入学できます。
現実に競争率1を下回る大学、学部、学科も
いくつも出現してきました。
そんな有利さを、今の若者は謳歌しているでのでしょうか。
苦労せず大学に入ること、
入学してもあまり勉強しないで卒業すること、
なにより楽しく生きることに軸足を置いていないでしょうか。
大学を卒業しても、先行きの見えない社会状況が続いています。
就職を真剣に探す気力も湧かない学生もいます。
不景気が、それに拍車をかけることでしょう。
若者は、どこに将来の望みを持ち、
何を目指せばいいのでしょうか。
若者には、その若さゆえ残された時間の多さから、
何でもできる、何にでもなれるという特権があるはずです。
そんな若者であるはずですが、
なぜか表層の楽しさ、見栄えだけを追い求め、
本来の若さを活かす生き方を選ばないのはなぜでしょうか。
これは、年配の人間の穿(うが)った見方でしょうか。
若さへの羨望による嫉妬のため、
そうみなしたがっているのでしょうか。
・訃報・
人は、人生の終わりをどのように迎えるのかは、
本人にはもちろん、他の誰にもわかりません。
どんなに、幸福を望んだとしても、
嫌な終わりを迎えることもあります。
自分がいくら正義に悖(もと)ることなく
日々を生きてきたとしても、不可抗力のように
予期せぬ境遇に追い込まれ、
潰(つい)えてしまうこともあるでしょう。
もしそうなら、人の人生は結果論として論じることができても、
自分がどう生きればいいのかという指針にはできません。
嫌な見方ですが、ついついそう見てしまいます。
しかし、心の奥底で、もしかすると
そんな不可抗力的人生の中にも、
その人の生き方が、なんらか
反映されているかもしれないと思いもあります。
だからこそ、人は、襟を正し、
人生を送ろうとするのかもしれません。
ある人の一生を、後からみると、
いいことばかり見えてきます。
思い出は、いつも楽しいものになってしまいます。
だからこそ、その人の人生の終わり不本意なものであれば、
その悲しみはいやがうえに増します。
昨日、お世話になった親戚の方の訃報が届きました。
母と、その人について何時間も電話で話しました。
遠くから、冥福を祈っています。
大陸は多様な岩石からできています。大陸を構成するすべて岩石の形成年代を正確に決定するには、膨大な時間が必要で、現実的には不可能です。そのため、苦肉の策として、大陸を構成する花崗岩で、今まで得られている年代データを集めて、その頻度分布を調べるという試みがなされました。もちろん人為的偏りが起こる不安があります。後に、データを多くして、より厳密にやっていっても、やはり同じような結果になっていました。ですから、その結果が、正しく思えます。しかし、統計的に正しいのか、本当に人為的偏りがないのか、やはりなんとなく不安が残ります。
そのような不安を解消するために、大陸の大河の砂を利用する方法があることを前回紹介しました。砂の中によく見つかる結晶で、一粒でも年代測定できるジルコンと呼ばれる鉱物が用いられます。ジルコンは、主に花崗岩をつくるマグマからできる結晶です。岩石の中では、ジルコンの量は少ないのですが、もと岩石への激しい変形や、900℃ほどの熱の変成作用によっても、年代データを保持できる頑丈な鉱物です。そして、川砂の中でも、削られてなくなってしまうことなく、よく見つかる結晶です。
ジルコン一粒で年代測定できる技術が、今ではほぼ完成しています。ただ、川砂から得られた年代データに、統計的に偏りをなくすには、多数のジルコンを測らなければなりません。川砂の中から、ジルコンだけを分離する方法もあります。ただ、川砂の中でジルコンの量は少なく、ジルコンだけを抽出するのには手間が必要です。多大な手間がかかりますが、統計的には信頼のできるデータは得られるはずです。あとは、そこまでの手間をかけて、実施するかどうかが問題です。
そのような大変さが予想されるために、あまり手を出す人はいませんでしたが、東京工業大学の平田岳史さんたちのグループ(東京工業大学 21世紀COEプログラム「地球:人の住む惑星ができるまで」解読グループの研究の一つ)が行っています。以下では、平田さんたちの研究の内容から紹介していきます。
平田さんたちは、川砂の統計的問題として、流域の岩石の性質を均等に川砂が反映しているかどうか、そして年代の頻度分布を知るために何個くらいジルコン粒子を分析すればという問題を、まず解決することからはじめました。
その検討のために選ばれたのが、ミシシッピ川でした。ミシシッピ川は、アメリカ大陸の平原のみを流れる大河で、流域を構成している岩石が比較的単調で、地質学的に年代ごとの岩石の分布量を知ることができます。そのデータと、実際に川砂のジルコンの分析したデータを比べれば、ジルコン粒子が流域の岩石を均等に反映しているかどうかを評価できます。そして、どれくらいのデータを測定すればいいかも検討がつけられます。
その結果、ジルコン粒子は流域の地質を均等に反映していることと、200から300粒の分析をすればよいことがわかりました。これによって、川砂のジルコンの有効性が判明したのです。あとは、試料を集めて、年代データを出す作業に入れます。もちろんその作業は大変です。
平田さんたちのグループは、現在、世界の35の主要河川から川砂の回収をしています。その数は今後も増やす予定だそうです。現在、それらの採集した試料からジルコンを選別し、年代を測定するという作業が精力的に行われています。現在、すでにいくつかの河川のデータがでてきていますが、その内容は次回としましょう。
・若さの特権・
受験生は、今や、選り好みをしなければ、
全員どこかの大学に入学できます。
現実に競争率1を下回る大学、学部、学科も
いくつも出現してきました。
そんな有利さを、今の若者は謳歌しているでのでしょうか。
苦労せず大学に入ること、
入学してもあまり勉強しないで卒業すること、
なにより楽しく生きることに軸足を置いていないでしょうか。
大学を卒業しても、先行きの見えない社会状況が続いています。
就職を真剣に探す気力も湧かない学生もいます。
不景気が、それに拍車をかけることでしょう。
若者は、どこに将来の望みを持ち、
何を目指せばいいのでしょうか。
若者には、その若さゆえ残された時間の多さから、
何でもできる、何にでもなれるという特権があるはずです。
そんな若者であるはずですが、
なぜか表層の楽しさ、見栄えだけを追い求め、
本来の若さを活かす生き方を選ばないのはなぜでしょうか。
これは、年配の人間の穿(うが)った見方でしょうか。
若さへの羨望による嫉妬のため、
そうみなしたがっているのでしょうか。
・訃報・
人は、人生の終わりをどのように迎えるのかは、
本人にはもちろん、他の誰にもわかりません。
どんなに、幸福を望んだとしても、
嫌な終わりを迎えることもあります。
自分がいくら正義に悖(もと)ることなく
日々を生きてきたとしても、不可抗力のように
予期せぬ境遇に追い込まれ、
潰(つい)えてしまうこともあるでしょう。
もしそうなら、人の人生は結果論として論じることができても、
自分がどう生きればいいのかという指針にはできません。
嫌な見方ですが、ついついそう見てしまいます。
しかし、心の奥底で、もしかすると
そんな不可抗力的人生の中にも、
その人の生き方が、なんらか
反映されているかもしれないと思いもあります。
だからこそ、人は、襟を正し、
人生を送ろうとするのかもしれません。
ある人の一生を、後からみると、
いいことばかり見えてきます。
思い出は、いつも楽しいものになってしまいます。
だからこそ、その人の人生の終わり不本意なものであれば、
その悲しみはいやがうえに増します。
昨日、お世話になった親戚の方の訃報が届きました。
母と、その人について何時間も電話で話しました。
遠くから、冥福を祈っています。
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