2025年9月11日木曜日

5_208 惑星形成 1:理論と観測

 惑星の形成は、シミュレーションが主で、観測が難しくて実体はよくわかっていませんでした。観測技術の進歩とともに、徐々に形成過程がわかってきました。形成過程を、詳細に観測した結果が報告されました。


 惑星系の形成過程については、コンピュータを用いたシミュレーション(理論)と、新しい恒星の周辺を観察(観測)することで進められています。理論だけでは、検証できません。観察だけでは法則性や原理がわかりません。両者がそろって確実性が高まってきます。理論と観測の両輪で、研究が進められています。
 惑星の形成過程のシミュレーションは、1960年代から京都大学の林忠四郎を中心としたグループが、世界をリードしていました。「林モデル」という惑星形成モデルがつくられてきました。林モデルによると、中心にある恒星の形成のスタートの直後(100から1000万年経過)に、恒星の周辺に円盤状に集まった物質内で惑星が形成されていくと考えられてきました。惑星形成の場所は、「原始惑星系円盤」と呼ばれています。
 シミュレーションがはじまった時は、観測技術はまだ進歩していなかったのですが、進歩とともに、実際に若い恒星の周りに原始惑星が形成されている円盤が存在することが確かめられました。
 観測は難しかったのは、ガスやチリが多くある恒星周辺は通常(可視光)の観測では見えないからです。ガスやチリの内部の観測は、赤外線、あるいは可視光・近赤外の散乱光の観測、ガスやチリの吸収線や放射線のスペクトル解析、そしてミリ波・サブミリ波の観測などで、実施する必要がありました。
 赤外線の観測では、チリの分布や円盤の温度構造がわかります。可視光・近赤外の散乱光の観測では、円盤の傾きや厚み、形状を調べることができます。
ガスやチリの吸収線や放射線のスペクトル解析では、円盤内の分子を見分けることができます。そしてミリ波・サブミリ波の観測では、いくつかの分子の区分や分布、ガス分子(COなど)の運動、そしてチリのリングや隙間の存在を見つけることができます。
 そのような各種の観測技術の発達と、それぞれの特性を組み合わせることによって、シミュレーションの結果が確認されてきました。いずれも難しい観測になるので、詳細な観測はまだ不足していました。
 また、ひとつの惑星系を調べることは、ある時期のある状態の惑星系を調べていることなります。ですから、惑星の形成「過程」をみていることにはなりません。形成「過程」を調べるには、形成中のさまざまな段階にある、惑星系を同じ精度で調べていく必要があります。
 今回、そんな研究が大規模になされました。まだ成果の解析や報告の途上にある研究プロジェクトですが、その概要を紹介していきましょう。

・地球の調べ方・
この「地球の調べ方」のセッションは
前回は、タンデムモデルのシリーズでした。
その配信は2023年9月28日が
最後になっています。
この時期は、四国にサバティカルで滞在していて
北海道に戻って来る直前に
配信したエッセイとなっていました。
かなり間があいてしまいました。
久々のこのセッションのシリーズになります。

・休暇・
今日から、休暇をとることにしています。
1週間、北海道の田舎で
のんびりと過ごすことにしました。
コロナ禍前はこのようなことをしていたのですが、
その後、サバティカルから退職時期と
バタバタしている時期があったので、
今回、久しぶりに北海道の田舎で
夫婦でのんびりすることにしました。
滞在記は、機会があれば、紹介していきましょう。

2025年9月4日木曜日

4_197 支笏の秘湖へ:オコタンペ湖

 久しぶりの地球地学紀行となります。7月から8月にかけては暑くて、旅行のハイシーズンでもあるので、でかけるのを控えていました。涼しくなってきた8月下旬に、大好きな支笏にでかけました。


 先週、支笏湖を訪れました。退職すると、平日に活動できるという利点を、最大限に利用して出かけました。自宅で昼食とってから、のんびりと出発しました。途中で、恵庭にある白扇の滝や、そして今回紹介するオコタンペ湖、支笏湖畔などいろいろ寄り道してから宿に入りました。
 今回はオコタンペ湖を紹介します。何度が訪れているのですが、奥譚キャンプ場までいったこともあります。ところが、2020年6月から現在も、キャンプ場までは、土砂崩れのため通行止めとなっていました。前回、11月に来たときは、冬期の通行止めでオコタンペ湖にはいけませんでした。5月からはオコタンペ湖までは入れるようになったので、今回でかけました。
 オコタンペ湖は、支笏湖カルデラができる大噴火のあと、恵庭火山の噴火活動で放出された火山放出物が、オコタンベ川を堰き止めてできた堰止湖です。湖水は、その日の太陽光線の位置や、天候、見る時間帯などによって、湖面の色合いが変化します。訪れた日は曇りで風も少しあり波立っていましたが、岸辺はコバルトブルーからエメラルドグリーンになっていました。きれいな色合いが神秘的で、そして近づくのが大変なので、秘湖と呼ばれています。
 オコタンペ湖は、周囲約5km、最大水深20.5mで、西岸には高層湿原があります。オコタンペ川は、急な湖畔には近づけませんが、湖の全域が特別指定保護区であり立ち入りは禁止されています。道路沿いの展望台から見ることができます。
 オコタンベ川は、支笏湖に流れ込む、長さ約3.5kmほどの短い沢ですが、オコタンベ湖が支笏湖より標高差が300mもある高い位置にあるので、急流となっています。下流の河口となる奥潭のキャンプ場には、道路が通じていた時にいったことがあり、撮影もしていました。しばらくは再訪は難しいでしょうね。
 北海道には三大秘湖があり、オコタンペ湖はそのひとつになっています。その他にオンネトー、東雲湖があります。オンネトーは今年の初夏にいきましたが、東雲湖には昔いったきり、しばらくいっていません。そんな昔に思いを馳せきましょうか。

・いろいろな面・
今回、支笏湖の周辺を散策しました。
いつ来ても、その豊かな自然に癒やされます。
その自然の背景には、
活火山の激しさ、
人里離れた地の静寂、
山深い自然の神秘さ、
人を寄せ付けない火山の厳しさ、
火山の恵みたる温泉の心地よさ、
そんないろいろな面を感じさせてくれます。

・多くが望まない・
湖畔は、団体や観光客が多数訪れています。
湖畔のホテル街は、賑わっていていました。
小さい観光地なので、土産や飲食店が充実しています。
ビジターセンターもあり、
情報がえやすくなっています。
ただし、少々価格が高くなっています。
私たちは老夫婦なので、
多くを望むことはありません。
美しい景色と温かい温泉、
美味しい食事が少々あれば
満足できます。

2025年8月28日木曜日

1_242 冥王代の岩石 7:短い半減期

 複数の岩石を用いた年代値はどうしても信頼性が、高くなりません。そこでSmの2種の放射性核種の用いた年代測定から、年代の精度を保証していくという方法です。議論を呼びそうな方法論ですが、今度どうなるでしょうか。


 一連のマグマでできたことが明らかな場合は、ひとつの火成岩の中で、同時にできたいくつ種かの鉱物で、147Smを測定することです。しかし、そのためには、変成・変質作用を受けていない鉱物を見つけて、きれいな状態で分離するという手続きが必要です。さらに、鉱物によっては、少ない量の147Smの測定する技術が必要になります。
 かつては、岩石全体でしか、147Smの量を測定することができませんでした。その後、比較的147Smの量の多い鉱物を見つけて、分離して測定することに挑戦されるようになりました。そのためには、きれいな鉱物を、より多く分離していく必要がありした。
 大学院生のとき、その方法にチャレンジしたことがありました。研究対象としてた地域の岩石は、激しく変成作用や変質作用を受けていました。その中で、火成作用で形成された(初成のといいます)鉱物であった単斜輝石が、変成作用・変質作用に耐えて、かろうじて残っていました。それを分離していくことにしました。その苦労は並大抵ではありませんでした。
 まず、4つの岩石を選び、単斜輝石の分離に挑戦しました。きれいに単斜輝石だけが分離できたは、ひとつの岩石のみで、あとは単斜輝石を多く含むもの(「mafic fraction 苦鉄質濃集物」と論文では呼びました)になりました。分離したものから、変成・変質物を取りぞくために、何度も洗浄してから、147Smの測定をしました。その結果、なんとか年代を求めることができました。
 現在では、より微量の147Smであっても、測定精度は上がっていますが、変成作用を受けていない鉱物を分離する作業は、今でも大変です。このような鉱物の分離による年代測定は、ジルコンを用いたウランの年代測定ほどは、用いられていません。
 この論文では、同じマグマだ「と考えられる」岩石の147Smを用いてのアイソクロン年代が41.57±1.74億年と求められました。上述したように、この年代が、火成岩の年代を示しているかどうかの確実性が、これだけでは足りません。
 論文では、年代の精度をチェックするために、放射性核種の146Smも用いています。146Smは崩壊すると142Ndになりますが、その半減期は6800万年と短いものです。短い半減期の核種は、古い岩石の年代測定には使えません。冥王代に形成された岩石では、146Smはすべて142Ndに改変しています。
 もしこの岩石が冥王代に形成されていたら、形成時にもっていた146Smからの142Ndと、147Smからの143Ndの間に相関が残っているはずです。崩壊してできた143Nと142Nd(実際には144Ndとの比の規格化しています)の相関関係を、アイソクロン法とみなして調べています。
 半減期の短い142Nd/144Nd比では、誤差が大きくなっていましたが、直線状の相関が見られました。これをアイソクロンとみなして、その年代を求めると、41.96+0.53-0.81億年前となりました。この年代は、半減期の長い147Smからえられた年代と似ています。したがって、半減期の短い146Smのアイソクロンも、形成時の情報を保存しているという根拠だと主張しています。
 したがって、この地域の岩石の年代が41.57億年前となり、冥王代に火成作用でできた可能性が高いといっています。仮定や論理が複雑なので、今後も議論は続きそうです。まだ誰もが納得できる冥王台の岩石は見つかったとはならないようですね。

・人間の忍耐力・
正確なアイソクロン年代をえるには、
必要な素材の分離技術、
そして微量成分のために測定技術が必要です。
分離も測定も、技術の進歩で
簡便化、高精度化されています。
しかし、分離には、研究者の忍耐力が必要です。
いつの世も、人間側の問題には
進歩はなかなか訪れませんね。

・症状悪化・
早朝の出勤は涼しいのですが、
昼間の暑い中を、
連日歩いて帰宅していました。
夏の暑さと日差しのせいでしょうか。
それとも年齢による衰えでしょうか。
先日、検査にいったら、
一旦治まっていた症状が、まだ悪化していました。
それまで自覚症状はまったくなかったのですが、
その診断されると、つらく感じるようになりました。
新たな対処薬も加わることになりました。
今日から暑い中を歩くのはやめて
妻に迎えに来てもらうことにしました。
次回の診察まで様子を見ていきましょう。

2025年8月21日木曜日

1_241 冥王代の岩石 6:年代確証の課題

 アイソクロンでえられた年代が、火成岩の形成時のものだというためには、いくつかの課題をクリアしなければなりません。この論文では、いくつかはクリアしていますが、クリアできない課題もありました。


 前回、アイソクロン年代の意味を説明して、論文での精度がはっきりしないということまで紹介しました。もう少し詳しく説明して、その課題をみていきましょう。
 アイソクロンを引くためには、同時に形成された「もの」で、なおかつ放射性核種の147Smの量が異なっているもの(岩石や鉱物)が必要です。ここで「もの」とは、岩石や鉱物のことになります。147Smの量は、岩石や鉱物の組成を反映して変化していきます。そのため、一連のマグマから形成された「と考えられる」組成の異なった岩石・鉱物を選んで、147Smの量を測定していきます。その結果、147Smの量が異なっていれば、「直線状に並ぶはず」で、時間とともに直線の傾斜が大きくなります。
 この「と考えられる」と「直線状に並ぶはず」とが問題となります。それらの確証がない限り、求めた年代が岩石の形成されたもの(初成年代)だということができません。
 まず、同じ起源であることを示す必要があります。なぜなら、放射性核種がマグマの中で一様になってから、固化(岩石や鉱物になる)してから、崩壊が進むという条件が必要です。岩石の放射性核種の量が一定(直線状)になってから、崩壊がストップウオッチを押したように、同時にスタートする必要があるからです。
 今回の論文では、組成の変化をえるために、離れた地域の岩石を用いています。そのような状態の試料で、同じ起源であるという前提を置くのは危険です。一連のマグマからできたということが確実なのは、連続した露頭で、組成変化していることが確認できる場合です。
 今回の試料の多くは、数100mから数kmの範囲で、一連に見える岩石です。しかし、もともと海洋地殻だった古い時代の地質体が、陸地に上がっているものでは、一連に見えても、見えない断層(衝上断層やスラストと呼ばれます)が多数存在してことが知られています。そのため、一連のマグマであったという確証がえられません。
 また、岩石ごとに、形成後に異なった変成作用や変質作用を受けると、147Smの量の違いが、本当にマグマ由来(初成)かどうかが、はっきりしなくなります。一番の問題は、ある時期、147Smを含んだ成分が、変成作用などで水に含まれていたり、別の岩石から由来する可能性です。このような可能性を論文では「同位体混合」と呼んで検討しています。
 同位体混合では、混合する成分がわかれば、その混合状態(グラフ上で曲線が描ける)が推定できます。論文ではそのチェックはしており、いくつもの条件で検討してみて、可能性が少ないとしています。
 ですから、課題として残るのは、一連のマグマからできたかどうかです。これは岩石で検討している限り解決できそうもありません。その課題の詳細については、次回としましょう。

・長男の帰省・
先週、1週間ほど、長男が帰省していました。
昨年もこの時期に帰省していました。
その理由は、野外フェスにいくためです。
今年は、1日分しかチケットを取れなかったようですが
幸い、雨にも降られず、見ることができたようです。
連日、ひとりであちこち出歩いていたり
夜も知人の飲みにいったりしていました。
それでも、家族では2回ほど
夕食をともにしました。
一年に一度の面会で、団欒を楽しみました。

・夏が終わりつつある・
北海道の小・中学校は、
来週で夏休みが終わり、学校がはじまります。
昼間は、その日の天気により
暑かったり、蒸したりすることがありますが、
夜は涼しく、窓を閉めて寝れるようになりました。
朝も涼しく、上着をはおるようになりました。
研究室は、午後には西日が当たり暑くなるので
午後には早帰りもしていましたが、
これからは、通常に戻れますかね。

2025年8月14日木曜日

1_240 冥王代の岩石 5:年代の意味

 斑レイ岩の年代を求めめようとした論文ですが、半減期の長いサマリウムを用いてアイソクロン法で年代測定をしています。アイソクロン法には、一筋縄ではいかない困難さがあります。


 年代測定をするとき、冥王代のような古い時代の岩石では、放射性核種でも、半減期の長いものを用いなければなりません。そのような元素として、ジルコンに含まれている放射性核種のウラン238(238Uと表記)の半減期は約45億年、ウラン235(235U)の半減期は約7億年です。
 以前、ウジャラルク・ユニットを貫入している酸性岩(トロニエム岩と呼ばれる)があり、そこにはジルコンが含まれていたので、年代測定されています。その年代は約37億7000万年前となり、冥王代ではありませんでした。ただし、他の根拠から、ウジャラルク・ユニットは、冥王代ではないかと推定されていたのですが、確実な年代値が示されていたわけではありません。
 今回、斑レイ岩で年代測定が試みられたのですが、塩基性の岩石なのでジルコンは含まれていませんでした。そこで、サマリウム(Sm)の放射性核種が用いられました。サマリウムには、年代測定に使えるサマリウム147(以降、147Smと表記)があり、その半減期は約1060億年と極めて長いものです。147Smは崩壊すると、ネオデウム143(143Nd)になります。
 マグマからできた岩石は、結晶化するとき、岩石ごとに化学組成の変化が起こります。岩石ごとに、放射性核種の147Smが量が異なってきます。147Smの量が異なると、改変でできた143Ndの量も、それに比例して変化していきます。ですから、組成の異なった岩石の147Smと143Ndの比率を調べていくと、形成時間に応じて一連の関係(直線)をもってきます。この原理を利用して年代測定する方法が、アイソクロン法と呼ばれています。
 ウジャラルク内で採取された6種類の斑レイ岩と、飛び地になりますが同じ地帯と属すると考えられる2種類の斑レイ岩も加えて分析しました。8個の岩石は、143Nd/144Ndではきれいな直線となりました。そこからえられた年代値は、41.57±1.74億年前となりました。
 各種の岩石で、年代測定をすることになるのですが、アイソクロン法にはいくつか問題があります。それは一連の起源の岩石を用いておこなうのですが、マグマの一連の結晶分化で組成変化したのか、マグマや他の岩石の成分が混合した混合線を示している可能性があります。また、激しい変成作用を受けていると、147Smと143Ndの比がリセットされる可能もあります。古い時代のアイソクロン年代が、火成作用の年代だと決定づけられないことがあります。
 この論文では、別の工夫をして、他の可能性も検討しています。工夫とは、同じサマリウムの放射性各種を用いるのですが、詳細は次回としましょう。

・パソコンまだ不調・
修理に出したパソコンが、新しいものにかわりました。
苦労してアプリケーションやデータを入れてきました。
ところが、現在、非常に不安定な状態です。
アプリケーションのバージョンを下げたり、
スタート時に読み込むアプリケーションを制限したり、
あれこれと調整しながら使っています。
データのバックアップは怠りなくおこなっています。
しかし、週末に、全く動かなくなりました。
諦めかけたのですが、原因は不明ですが、
別のところたシンプルにして立ち上げたら
なんと動き出しました。
熱暴走していたようです。
今後、放熱対策をしていきましょう。

・暑さのピーク・
昼間には暑い日があるのですが、
しばらくエアコンを使っていません。
夜には暑くて窓を開けていても
夜中には閉めないと涼しくなります。
昼間も扇風機でなんとか過ごせます。
まだ暑い日が来るでしょうが
暑さのピーク時は過ぎ去ったのでしょうかね。

2025年8月7日木曜日

1_239 冥王代の岩石 4:花崗岩マグマの起源

 これまで報告されてきた冥王代の年代は、砕屑性ジルコンによるものでした。ジルコンは、花崗岩マグマから由来していました。花崗岩マグマの起源を探ると、今回の緑色岩帯に貫入している斑レイ岩の地質学的な重要性もわかってきます。


 年代測定で岩石最古の年代は、太古代のものでした。それより古いが岩石は見つかっておらず、砕屑性ジルコンでは冥王代のものが見つかっていました。砕屑性ジルコンは、花崗岩(大陸地殻)に由来していると考えられますが、そもそも花崗岩をつくったマグマは、どうしてできたのでしょうか。
 花崗岩マグマの起源には、いくつかあるとわかっています。それは、玄武岩質マグマの結晶分化作用、地殻物質の水の存在下での融解、そして島弧下でのマグマ混合の3つが主なものです。これらは、島弧の地下では、それぞれ独立して働くものではなく、関連して起こっていると考えられています。
 マントル物質が溶融すると玄武岩質マグマができます。深部では温度は高温ですが、マグマは液体のため周りの岩石より密度は小さくなります。その結果、マグマはマントル内を上昇していきます。周りの岩石は冷たいので、マグマの温度が冷えててき、結晶ができてきます。温度とマグマの成分により、出てくる結晶の種類や組成が変化していきます。結晶化(結晶分化)が進むと、マグマの組成は玄武岩質から、安山岩質、そして花崗岩質に変化していきます。玄武岩質マグマが、結晶分化して花崗岩質マグマになっていくのは、量的に少なくなります。花崗岩マグマによる貫入岩などはできますが、地殻を構成するような大規模な花崗岩の起源としては量が足りません。
 次の地殻物質の溶融とは、地殻物質(花崗岩類や堆積岩類など)が、水のある条件で高温になると溶けて、花崗岩質マグマができます。この起源には、高温にするための熱源が必要ですが、熱が十分供給されれば、大量のマグマができます。では、熱源はどうすればもらされるでしょうか。
 それが次の島弧下のマグマ混合と関連してきます。島弧は、海洋プレートが沈み込む陸側にできます。沈み込んだ海洋プレートから、島弧下のマントルへ水分が継続的に供給され、マントルが溶融していきます。マントルの溶融では、上で述べたように玄武岩質マグマができます。沈み込みはプレート運動によるものなので継続的に起こるので、島弧下ではマグマが常に上昇してくるところになります。
 マントルから玄武岩質マグマが島弧地殻下部にまで上昇してくると、それが熱源となって、地殻の溶融が起こり花崗岩質マグマができます。熱源の玄武岩質マグマと溶融でできた花崗岩質マグマは近くにあるので、混合することになります。玄武岩質マグマの量(熱量)や、花崗岩質マグマの形成量、混合機構などの違いによって、多様な組成のマグマができます。マグマ混合で、島弧の多様な火山のマグマ組成を説明できます。
 混合比率によって多様なマグマができますが、平均的には中間組成の安山岩質になります。大陸地殻の平均化学組成は、島弧の安山岩に似ていることが知られているため、島弧のマグマ混合作用で島弧の地殻ができて、やがてそれが大陸地殻を形成しているのではないかと考えられています。
 今回、緑色岩帯の玄武岩(海洋地殻)に貫入した斑レイ岩は、海洋地殻内で起こった現象となります。ただし、緑色岩帯は、大陸地域に残されているため、島弧の一部として取り込まれ、大陸地殻へと変化していったと考えられます。
 また、島弧の地下でのマグマ混合作用で大陸地殻を形成するような大量の花崗岩質マグマの形成は、水が重要な役割を果たしています。砕屑性ジルコンの年代の冥王代には、すでに海洋が形成されプレートテクトニクスが働いていたことも示すことにもなります。
 では、次は、年代測定の方法とその信頼性を見てきましょう。

・北海道らしい夏・
7月下旬からは、北海道らしい夏の気候となっています。
昼間でも、乾燥しているので、
爽やかな風が抜けています。
そのため、しばらくエアコンは使っていません。
夜も涼しく、窓も閉めて寝ています。
これぞ北海道と思えます。
このまま涼しくなっていけばと思っていますが、
そうはいかないでしょうがか。

・パソコン本体のバックアップ・
メインで使用していたパソコンを壊れたので
修理に出したところ、破損箇所は特定されたのですが、
修理ができず、新品との交換となりました。
保証期間でよかったのですが、
再度のアプリケーションのインストールすることを考えると
気が重くなります。
現在、大学に返却予定のパソコンを使用しています。
サバティカルと時と現在自宅で使うようにしているものです。
それを大学に持ってきて使っています。
パソコンで仕事をしているので
壊れることは非常に恐ろしいことです。
データのバックアップは常にしていますが、
パソコン本体のハードウェアとしてのバックアップも
考えておく必要がありますね。

2025年7月31日木曜日

1_238 冥王代の岩石 3:貫入の意味

 論文で年代が報告された岩石には、貫入という産状や苦鉄質という岩石の特徴が示されていました。そこには重要な地質学的意味があります。その意味を紹介していきましょう。


 報告された冥王代の年代をもった岩石は、タイトルには苦鉄質貫入岩とありました。貫入岩と苦鉄質とには、それぞれの地質学的には重要な意味があります。それを見ていきましょう。
 まずは、貫入岩についてです。貫入岩とは、マグマが移動(主には上昇)していくとき、周りの岩石を割りながら進んでいきます。できた割れ目にマグマが残って固まることがあります。その状態を貫入といいます。貫入した状態は、岩石の産状から見分けることができます。貫入岩があるということは、それ以前にできていた岩石があったことになります。その岩石は、当然、貫入岩より、前の時代にできたことになります。
 この貫入岩は斑レイ岩で、ウジャラルク・ユニット(Ujaraaluk unit)と呼ばれ変成作用を受けた玄武岩類に貫入しています。このユニットは、ヌーヴァギットゥク緑色岩帯(Nuvvuagittuq Greenstone Belt)の一部になっています。緑色岩帯は海洋地殻の名残だと考えられています。海洋地殻は、中央海嶺で長期に渡るマグマ活動で形成されます。それが海洋プレートとなっていきます。その時、一連のマグマから斑レイ岩の貫入も起こっていたと考えられます。ですから、このウジャラルク・ユニットとともに、海洋プレートの年代も冥王代となりそうです。
 ウジャラルク・ユニットの年代は、37億5000万年前から43億年前までのいろいろな年代が推定され報告されてきました。その度に年代が真かどうかが議論されましたが、年代はまだ確定していませんでした。今回報告された年代が確実だと認められれば、ウジャラルク・ユニットからヌーヴァギットゥク緑色岩帯までが、冥王代に形成された可能性がでてきます。
 次に苦鉄質岩の意味についてですが、これまで、冥王代を示す年代は、太古代の堆積岩中から見つかった砕屑性の鉱物からの年代でした。冥王代の鉱物が由来した岩石の鉱物なので、年代は求められても、岩石の直接の情報はえられません。年代測定できた砕屑性の鉱物の多くはジルコンと呼ばれるものでした。
 ジルコンは化学組成ZrSiO4で、ジルコニウムと珪酸からできています。このような鉱物は、火成岩から結晶化したもので、なおかつマグマの組成が珪酸に富んだもの(酸性マグマと呼ばれ)、つまり花崗岩類から由来したと考えられています。花崗岩は大陸地殻を構成する岩石なので、花崗岩の年代は、大陸地殻の年代を意味しています。ですから最古の砕屑性ジルコンの年代は、大陸が存在した最古の年代も意味しています。
 では、花崗岩マグマは、どうしてできたのでしょうか。少々長くなった来たので、花崗岩の起源については、次回にしましょう。

・前期講義終了・
大学は、前期の授業が終わりました。
別キャンパスでの授業でしたが
なんとか終わることができました。
新しいキャンパスできれいで設備もいいのですが、
ホワイトボードなのでペンのインクが見えず
ダメになりきれいに書けないことが度々ありました。
まあ、これもいい経験でした。

・睡眠不足・
北海道は今年も暑い日が続いています。
エアコンも使っていますが、
夜になる寝る部屋にはないので
窓を開けること、それでも暑いときは
扇風機を窓際において外の涼しい空気を入れます。
それでも暑い日は、熟睡できずに
寝不足状態になっていきます。
まだ、そんな日は少ないですが、
これからも暑い日がありそうなので
睡眠不足が心配ですね。