先日デジタル雑誌で研究成果が出されました。それは、年代の測定精度が高まったという見出しがありました。しかし、精度が高なったのは、手段であって目的ではありませんでした。では、その研究の目指したもの、得たものはなんだったのでしょうか。その論文の内容を紹介していきましょう。
先日(2012年1月18日付)、「隕石中の炭酸塩の年代測定精度を高める」というニュースが流れました。これは、発表雑誌(Nature Communications)がそのような見出しをつけたためです。しかし、この論文の上げた成果は、その点ではありません。精度を高めたのは研究プロセスの一環に過ぎず、目的や成果は別の所にありました。それを紹介します。
今回の研究をされたのは、東京大学の大学院生の藤谷渉(わたる)さんを筆頭著者とする、共同研究者5名での論文です。「Evidence for the late formation of hydrous asteroids from young meteoritic carbonates」(若い隕石の炭酸塩から水の存在した小惑星が遅く形成された証拠)という少々難解なタイトルです。残念ながら論文を手に入れられませんでしたので、プレス発表をもとに紹介していきましょう。
太陽系の誕生は、年代を何らかの物質から直接求めることができません。例えば太陽や惑星の形成年代を直接求めることはできません。太陽は物質を手に入れられませんし、惑星の物質は、少なくとも惑星形成時に改変を受けています。それ以外の手がかりで年代を求める必要があります。
年代を求めるための素材として、隕石を用います。ある種の隕石(炭素質コンドライト)は、太陽系形成直後に固体物質が集まり形成されたものです。太陽系の材料、太陽系創生期の化石とも見なせるものです。
隕石が材料物質の化石だったとしても、隕石を調べても、太陽系誕生の直後であることはわかりますが、隕石自体が太陽系と共にできています。ですから、太陽系誕生の瞬間を示しているわけではありません。もし太陽系で固体物質が形成されるのに長い時間がかかっていたとしたら、隕石の年代のうちで、最古の年代をえることはできますが、太陽系誕生の年代を求めることはできません。近づくことはできても、その年代に達することはできません。固体物質を用いる限り、このジレンマは逃れられません。
しかしうまくしたもので、形成年代を別の視点から狭めることが可能になります。隕石の固体の中には、特殊な成分があります。それはある種の放射性元素(核種と呼ぶほうが正確です)です。その放射性核種には、太陽系に素材を給した、一つ前の太陽の死の記録が残されています。太陽の死の記録とは、超新星爆発です。
超新星爆発で形成された放射性核種が、隕石の構成物の中から発見されています。超新星爆発では、さまざまな核種の合成が起こり、半減期(放射壊変によってもとの量が半分になる時間)の非常に短いものもあります。隕石の中から、質量数26のアルミニュウム(半減期72万年)や鉄の放射性核種60Fe(半減期150万年)が見つかっています。
これらの核種の発見が意味するところは、超新星爆発後、200万年ほどで、隕石の固体成分が形成されているということです。非常にあっという間に、太陽系隕石物質はできたことになります。隕石最古の年代より100万年ほど前が、太陽系の誕生の年代となります。約45億6820万年前だと考えられています。
では、今回の発見は、その中でどのような意味を持つのでしょうか。次回としましょう。
・ネットでの成果・
インターネットが普及し、多様な利用法も開発されてきて
研究者ももちろん重宝しています。
しかし、研究成果の公表が、多様化かつ迅速化してくると、
それを追うのもなかなか大変です。
若い頃は、専門雑誌とNature、Scieceあたりをモニターしていれば、
関連する先端の情報は漏らすことなく、
大学の院生、学生、同僚たちからの情報で補強していれば
情報をほぼ押さえることができました。
今では、専門誌も多様化し、多くの種類もあり、デジタル出版もあります。
デジタル雑誌には、有料化、会員制などの規制を設け、
不特定多数の閲覧を制限しているところもあります。
専門雑誌を出版する会社では、
商的に成立しなければならないので
そのような措置も必要になることは理解できます。
科学の進歩を考えると、人類の知的資産として、
研究成果はオープンに公開されるのが理想なのでしょう。
まあ、これもジレンマでしょうか。
・卒業する学生に・
わが学科の卒業研究の発表会が先日終わりました。
4年の学生はもちろん、教員も一段落です。
ほっとして学生たちにメールを送りました。
(以下、私のゼミの学生へに送ったメール)
全員、無事、発表を終えることができました。
内容や充実感、達成感は、人それぞれだと思いますが、
卒業研究およびその発表会まででえた経験は
社会に出た時、きっと役に立つと思います。
卒業研究が4年間で最後の大きな試練となりましたが、
諸君らの努力をたたえます。
次回お目にかかるのは、卒業式になると思います。
それまで(その後も)に進路の決定や変化があれば、
メールでいいですからお知らせ下さい。
これは指導教員として最後の指示です。
何かあったら、いつでも連絡をください。
諸君らの母校は、いつでもオープンしています。
連絡、来訪を楽しみにお待ちしています。
本当に4年間お疲れ様でした。
社会で諸君らの健闘を祈っています。
(以上)
2012年1月26日木曜日
2012年1月19日木曜日
2_103 首長竜の赤ちゃん 2:プレシオサウルス
ひとつの化石も、詳しく調べると新たな発見がなされることもあります。これが、実物もっている重要さの一つです。胎児と認定するには、それなりの根拠が必要です。なぜなら化石は骨しかなく、押しつぶされているため、体内になったのかどうかが不明瞭になっているからです。
陸上の首長竜のプレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。この発見によって、プレシオサウルスが胎生であったことがわかりました。そこに至るプロセスを紹介しましょう。
実はこのプレシオサウルスの化石は、アマチュアの古生物学者のボナー父子が、1987年にアメリカのカンザス州の北で見つけていたものです。彼らは、頁岩から平らな骨がでているのに気づきました。やがてその化石が、プレシオサウルスの骨盤であることがわかりました。地層の時代は白亜紀後期でした。その後、発掘によって、四つのひれ、肋骨、腰、脊柱と首の骨を発見しました。化石の全長は4.7mあり、大型のイクチオサウルス(魚竜)よりひと周り大きいものでした。
2008年に、ロサンゼルス自然史博物館の新しい恐竜ホールで紹介する前に、以前からあったこの化石を詳しく調べてみることにしました。調べた結果、その化石の体内から、小さなプレシオサウルスの化石が見つかりました。化石は、重なってでることもあり、胎児かどうかの認定は、慎重におこなわなければなりません。
まず、骨の形が似ていることは重要な情報です。これによって同じ種類の化石であることがわかります。大人の体内の位置から見つかっていること、そして詳しく見ると、胎児の骨盤が、母親の肩の骨の内側面にかかっている位置であったことが母親の内部で成長していたことを示していました。他にも、胃酸による骨の摩耗がない(食事をした経験がない)ことも根拠とされています。以上の情報から、胎児だと認定されました。その結果が、新発見として、昨年の夏に報告されたのです。
海に完全に適応したイクチオサウルスやプレシオサウルスは卵を陸上で生むことは不可能です。ですから、海中で子孫を残すために、胎生は持っているべき重要な性質であったのです。イクチオサウルスだけが胎生の証拠があり、他の種については、今まで謎であったのが、この度やっとプレシオサウルスもの証明されたわけです。また、イクチオサウルスは複数の胎児を出産していたのですが、プレシオサウルスは一匹の赤ちゃんを産み落としていました。胎生における多様性も同時に認められたのです。
胎児の化石は体長が1.5mもあり、非常に大きいものだといえます。親が4.7mですから、大きくなるまで体内で成長させてから出産したことになります。クジラのようにプレシオサウルスも、ある程度成長した子供を生み、それを育てていたことになります。もしかすると、出産後も親が子育てをしたり、群れで育てていたかもしれません。これは、鳥類や哺乳類の子育てと似ています。
恐竜の仲間の少なくとも一部の目、首長竜目と魚竜目では、胎生であったことがわかりました。では、胎生は恐竜のどの分類までもっていたのか、陸上恐竜で胎生はなかったのかなどが、今後の課題となるでしょう。きっと、新たな化石から答えが見つかることでしょう。
・実物の重要性・
実物はいろいろな意味で重要さがあります。
実物しかない迫力、貴重さがあります。
博物館は実物を永久保存する場でもあります。
そんな保存の場があるからこそ、
再発見もできるのでしょう。
実物を読み取る技術は進みます。
新たな技術やアイディアで読み取るためには、
実物が不可欠です。
今回の発見もその一例でしょう。
・多忙に埋没・
センター試験も終わり、
大学では、後期の講義の終盤となります。
我が大学では、来週で講義が終わり、
その次の週は定期テストです。
そして大学の入試となります。
1月から2月は慌ただしく過ぎています。
正月気分はあっという間に吹き飛んで、
日常の多忙に埋没してしまいます。
そんな毎日が続きます。
陸上の首長竜のプレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。この発見によって、プレシオサウルスが胎生であったことがわかりました。そこに至るプロセスを紹介しましょう。
実はこのプレシオサウルスの化石は、アマチュアの古生物学者のボナー父子が、1987年にアメリカのカンザス州の北で見つけていたものです。彼らは、頁岩から平らな骨がでているのに気づきました。やがてその化石が、プレシオサウルスの骨盤であることがわかりました。地層の時代は白亜紀後期でした。その後、発掘によって、四つのひれ、肋骨、腰、脊柱と首の骨を発見しました。化石の全長は4.7mあり、大型のイクチオサウルス(魚竜)よりひと周り大きいものでした。
2008年に、ロサンゼルス自然史博物館の新しい恐竜ホールで紹介する前に、以前からあったこの化石を詳しく調べてみることにしました。調べた結果、その化石の体内から、小さなプレシオサウルスの化石が見つかりました。化石は、重なってでることもあり、胎児かどうかの認定は、慎重におこなわなければなりません。
まず、骨の形が似ていることは重要な情報です。これによって同じ種類の化石であることがわかります。大人の体内の位置から見つかっていること、そして詳しく見ると、胎児の骨盤が、母親の肩の骨の内側面にかかっている位置であったことが母親の内部で成長していたことを示していました。他にも、胃酸による骨の摩耗がない(食事をした経験がない)ことも根拠とされています。以上の情報から、胎児だと認定されました。その結果が、新発見として、昨年の夏に報告されたのです。
海に完全に適応したイクチオサウルスやプレシオサウルスは卵を陸上で生むことは不可能です。ですから、海中で子孫を残すために、胎生は持っているべき重要な性質であったのです。イクチオサウルスだけが胎生の証拠があり、他の種については、今まで謎であったのが、この度やっとプレシオサウルスもの証明されたわけです。また、イクチオサウルスは複数の胎児を出産していたのですが、プレシオサウルスは一匹の赤ちゃんを産み落としていました。胎生における多様性も同時に認められたのです。
胎児の化石は体長が1.5mもあり、非常に大きいものだといえます。親が4.7mですから、大きくなるまで体内で成長させてから出産したことになります。クジラのようにプレシオサウルスも、ある程度成長した子供を生み、それを育てていたことになります。もしかすると、出産後も親が子育てをしたり、群れで育てていたかもしれません。これは、鳥類や哺乳類の子育てと似ています。
恐竜の仲間の少なくとも一部の目、首長竜目と魚竜目では、胎生であったことがわかりました。では、胎生は恐竜のどの分類までもっていたのか、陸上恐竜で胎生はなかったのかなどが、今後の課題となるでしょう。きっと、新たな化石から答えが見つかることでしょう。
・実物の重要性・
実物はいろいろな意味で重要さがあります。
実物しかない迫力、貴重さがあります。
博物館は実物を永久保存する場でもあります。
そんな保存の場があるからこそ、
再発見もできるのでしょう。
実物を読み取る技術は進みます。
新たな技術やアイディアで読み取るためには、
実物が不可欠です。
今回の発見もその一例でしょう。
・多忙に埋没・
センター試験も終わり、
大学では、後期の講義の終盤となります。
我が大学では、来週で講義が終わり、
その次の週は定期テストです。
そして大学の入試となります。
1月から2月は慌ただしく過ぎています。
正月気分はあっという間に吹き飛んで、
日常の多忙に埋没してしまいます。
そんな毎日が続きます。
2012年1月12日木曜日
2_102 首長竜の赤ちゃん 1:イクチオサウルス
胎生の首長竜化石が発見されました。昨年の夏のことです。魚竜の胎生は以前から知られていましたが、今回の発見は、新たなタイプです。首長竜の赤ちゃんの化石を紹介しましょう。
化石は、いろいろな地域のいろいろな時代からみつかります。新たに見つかった化石からは、今まで知られていなかった事実が発見されることがあります。それら多数の事実が積み重ねられて、より確かな生命の歴史が編まれていきます。
恐竜の新発見についても、このエッセイでも何度か紹介しました。今回は、胎生の恐竜化石の新発見についてです。
赤ちゃんを産む胎生の恐竜(分類上は恐竜ではありません)がいることは、以前から知られていました。海生の爬虫類には、胎生であることを示す化石がみつかっています。
胎生の海生爬虫類は、魚竜、イクチオサウルス(Ichthyosaurs)とよばれているものです。手足はヒレになっていてイルカのような体型をしていています。海に完全に適応した生物となっています。爬虫類ですから、もとともは陸上生物であったものが、海で生活するようになり、適応していったものです。このような進化を収斂(しゅうれん)と呼んでいます。
イクチオサウルスは、2億5千万年前(三畳紀前期)に出現し、9000万年前(白亜紀後期)に絶滅しています。体長は2mから4mほどあり、体重は1トン弱です。ジュラ紀に繁栄し、海では最強の捕食者になっていたと考えられます。イクチオサウルスの化石は、1699年にウェールズから出た化石片から記載されています。大英自然史博物館に非常の保存のよいものが飾られています。
その後、白亜紀になると、首長竜、プレシオサウルス(Pliosaurus)が、海の生態系の頂点の座をうばったと考えられています。プレシオサウルスは、手足はヒレとなっていますが、首が長いのが特徴です。プレシオサウルスは、三畳紀後期に出現し、白亜紀末まで生きつづけました。
プレシオサウルスと恐竜は、じつは別のグループです。どちらも、爬虫綱、双弓亜綱に属しているのですが、ペルム紀から別系統して分かれました。恐竜は竜盤目や鳥盤目ですが、首長竜は首長竜目で、お互いに違った分類体系になります。ちなみにイクチオサウルスは魚竜目で、やはり違ったグループになります。爬虫類や双弓亜綱で大くくりにすれば、いずれも同じですが、違った進化をしてきたグループになります。
プレシオサウルスは、その生態がよくわからなかったのですが、2011年夏、プレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。その詳細については次回としましょう。
・メアリー・アニング・
私は化石が専門ではないのですが、
イクチオサウルスの化石は、
私が以前勤めていた博物館にもありました。
また、大英自然史博物館の有名な化石もみたので
少々馴染み深いものです。
大英自然史博物館の化石は、
1811年にメアリー・アニングが
英国南部の町、ライム・リージスで
発見したといういわれをもったものです。
イクチオサウルスの化石のわきに、
メアリー・アニングの解説が、
写真とともにつけられています。
メアリー・アニングは、化石収集家で
12歳のとき、イクチオサウルスの化石を発見しています。
その後、さらに2体のイクチオサウルスの化石を発見しています。
さらに、今回のエッセイと関係するのですが、
1821年には最初のプレシオサウルスの化石を発見しています。
彼女の化石は、古生物学に多大な貢献しました。
・センター試験・
センター試験がこの週末に行われます。
わが大学も会場になっているので、
大学を挙げて、準備と監督にあたります。
金曜日は、その準備のために、全学休講となっています。
昨年のカンニング事件があって、
より一層、複雑で慎重な手順が組まれています。
教員は、ただただ真摯に手順に則って
遂行していくのみです。
それが受験生のわずらわしさや
負担にならなければいいのですが。
化石は、いろいろな地域のいろいろな時代からみつかります。新たに見つかった化石からは、今まで知られていなかった事実が発見されることがあります。それら多数の事実が積み重ねられて、より確かな生命の歴史が編まれていきます。
恐竜の新発見についても、このエッセイでも何度か紹介しました。今回は、胎生の恐竜化石の新発見についてです。
赤ちゃんを産む胎生の恐竜(分類上は恐竜ではありません)がいることは、以前から知られていました。海生の爬虫類には、胎生であることを示す化石がみつかっています。
胎生の海生爬虫類は、魚竜、イクチオサウルス(Ichthyosaurs)とよばれているものです。手足はヒレになっていてイルカのような体型をしていています。海に完全に適応した生物となっています。爬虫類ですから、もとともは陸上生物であったものが、海で生活するようになり、適応していったものです。このような進化を収斂(しゅうれん)と呼んでいます。
イクチオサウルスは、2億5千万年前(三畳紀前期)に出現し、9000万年前(白亜紀後期)に絶滅しています。体長は2mから4mほどあり、体重は1トン弱です。ジュラ紀に繁栄し、海では最強の捕食者になっていたと考えられます。イクチオサウルスの化石は、1699年にウェールズから出た化石片から記載されています。大英自然史博物館に非常の保存のよいものが飾られています。
その後、白亜紀になると、首長竜、プレシオサウルス(Pliosaurus)が、海の生態系の頂点の座をうばったと考えられています。プレシオサウルスは、手足はヒレとなっていますが、首が長いのが特徴です。プレシオサウルスは、三畳紀後期に出現し、白亜紀末まで生きつづけました。
プレシオサウルスと恐竜は、じつは別のグループです。どちらも、爬虫綱、双弓亜綱に属しているのですが、ペルム紀から別系統して分かれました。恐竜は竜盤目や鳥盤目ですが、首長竜は首長竜目で、お互いに違った分類体系になります。ちなみにイクチオサウルスは魚竜目で、やはり違ったグループになります。爬虫類や双弓亜綱で大くくりにすれば、いずれも同じですが、違った進化をしてきたグループになります。
プレシオサウルスは、その生態がよくわからなかったのですが、2011年夏、プレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。その詳細については次回としましょう。
・メアリー・アニング・
私は化石が専門ではないのですが、
イクチオサウルスの化石は、
私が以前勤めていた博物館にもありました。
また、大英自然史博物館の有名な化石もみたので
少々馴染み深いものです。
大英自然史博物館の化石は、
1811年にメアリー・アニングが
英国南部の町、ライム・リージスで
発見したといういわれをもったものです。
イクチオサウルスの化石のわきに、
メアリー・アニングの解説が、
写真とともにつけられています。
メアリー・アニングは、化石収集家で
12歳のとき、イクチオサウルスの化石を発見しています。
その後、さらに2体のイクチオサウルスの化石を発見しています。
さらに、今回のエッセイと関係するのですが、
1821年には最初のプレシオサウルスの化石を発見しています。
彼女の化石は、古生物学に多大な貢献しました。
・センター試験・
センター試験がこの週末に行われます。
わが大学も会場になっているので、
大学を挙げて、準備と監督にあたります。
金曜日は、その準備のために、全学休講となっています。
昨年のカンニング事件があって、
より一層、複雑で慎重な手順が組まれています。
教員は、ただただ真摯に手順に則って
遂行していくのみです。
それが受験生のわずらわしさや
負担にならなければいいのですが。
2012年1月5日木曜日
6_96 漱石枕流
明けましておめでとうございます。今年の年明けは、この言葉を使うのも憚(はばか)られる気がします。でも、年のはじめは、やはりこの言葉がふさわしい気がします。最初のエッセイは、地質とは少し離れて、故事からはじめましょう。一年の始まりですから、ゆるいスタートでいいのでないでしょうか。
「漱石枕流」という言葉をごぞんじでしょうか。夏目漱石(本名は夏目金之助)の「漱石」という号(ごう)も、この言葉からとっています。「漱石枕流」は、なかなか興味深い故事です。石にまつわる「漱石枕流」という故事を紹介しましょう。
もともと中国には「枕石嗽流」(漢字の順番が違っています)という故事がありました。「石に枕(まくら)す」とは、石を枕にすることで、「流れに嗽(くちすす)ぐ」とは、川のせせらぎで口をすすぐという意味です。読んで字のごとく、自然のままの生活のことで、俗事とはかけ離れた暮らしをするという意味で用いられていました。
西晋(せいしん)の孫楚(そんそ)は、才能があり、学問も優れていました。楚は、若いとき、隠遁したいという気持ちを持っていました。あるとき、宰相の王済(おうさい)に向かって、その故事を引用して伝えようとしました。ところが、「枕石嗽流」を「漱石枕流」といい間違えてしまいました。
済がその間違いに気づき、「石では口をすすぐことのできないし、せせらぎは枕にはならではなかいか」とひやかしました。負けず嫌い楚は、自分のいい間違いを正すことなく、いい返しました。「石に嗽ぎ」とは、石で歯を磨くことで、「流れに枕す」とは、俗事を聞いた耳を洗うためだといい返しました。
この楚の負けず嫌いのこじつけが、故事として残ったのです。言葉の本来の意味とは違ったほうが故事として残ってしまいました。言い間違いの出来事が由来となって、負け惜しみが強いという意味につかれています。中国の人びとも、こんなささやかな言い間違いを故事として残しました。
夏目漱石の号も、もちろんこの故事に由来しています。彼は、このような性格になりたかったのでしょうか。それともそのような自分の性格を自嘲するつもりで使ったのでしょうか。その理由は知りませんが、ユーモアのセンスと知識に裏付けされた号といえます。
以前、どこかの国の宰相の間違いもニュースになり、多くの人の心に残りました。いずれは、故事になるのでしょうか。昨年の原発事故の当事者側が用いた言葉には、「漱石枕流」のような言い回しが、至る所でありました。庶民は大いに惑わされました。庶民は、それを中国の故事のように、揶揄していくもの一興でしょう。主流メディアにあまり期待できないのなら、庶民が本来もっているユーモアセンスで、笑い飛ばしてしまいましょう。そして、少しでも世の中を明るくしていきましょう。
・祈り・
北海道も小雪は降っていますが、
穏やかや年明けを迎えました。
いつものように家族と、
いつものような正月を
穏やかに過ごせることの
幸せを、ありがたさをかみしめています。
ひとりでも多くの人に、
こんな当たり前の幸せが
行き渡ることを祈っています。
・今年の決意・
お気づきなったでしょうか。
今までのエッセイとは
少々味付けが変わっています。
気づかなければいいのですが。
気になった方は、その意味を別のエッセイに書きましたので
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2012/120.htm
を御覧ください。
3.11で私も思うとことがありました。
それを少しずつ実行に移すというのが
年頭の決意でもあります。
「漱石枕流」という言葉をごぞんじでしょうか。夏目漱石(本名は夏目金之助)の「漱石」という号(ごう)も、この言葉からとっています。「漱石枕流」は、なかなか興味深い故事です。石にまつわる「漱石枕流」という故事を紹介しましょう。
もともと中国には「枕石嗽流」(漢字の順番が違っています)という故事がありました。「石に枕(まくら)す」とは、石を枕にすることで、「流れに嗽(くちすす)ぐ」とは、川のせせらぎで口をすすぐという意味です。読んで字のごとく、自然のままの生活のことで、俗事とはかけ離れた暮らしをするという意味で用いられていました。
西晋(せいしん)の孫楚(そんそ)は、才能があり、学問も優れていました。楚は、若いとき、隠遁したいという気持ちを持っていました。あるとき、宰相の王済(おうさい)に向かって、その故事を引用して伝えようとしました。ところが、「枕石嗽流」を「漱石枕流」といい間違えてしまいました。
済がその間違いに気づき、「石では口をすすぐことのできないし、せせらぎは枕にはならではなかいか」とひやかしました。負けず嫌い楚は、自分のいい間違いを正すことなく、いい返しました。「石に嗽ぎ」とは、石で歯を磨くことで、「流れに枕す」とは、俗事を聞いた耳を洗うためだといい返しました。
この楚の負けず嫌いのこじつけが、故事として残ったのです。言葉の本来の意味とは違ったほうが故事として残ってしまいました。言い間違いの出来事が由来となって、負け惜しみが強いという意味につかれています。中国の人びとも、こんなささやかな言い間違いを故事として残しました。
夏目漱石の号も、もちろんこの故事に由来しています。彼は、このような性格になりたかったのでしょうか。それともそのような自分の性格を自嘲するつもりで使ったのでしょうか。その理由は知りませんが、ユーモアのセンスと知識に裏付けされた号といえます。
以前、どこかの国の宰相の間違いもニュースになり、多くの人の心に残りました。いずれは、故事になるのでしょうか。昨年の原発事故の当事者側が用いた言葉には、「漱石枕流」のような言い回しが、至る所でありました。庶民は大いに惑わされました。庶民は、それを中国の故事のように、揶揄していくもの一興でしょう。主流メディアにあまり期待できないのなら、庶民が本来もっているユーモアセンスで、笑い飛ばしてしまいましょう。そして、少しでも世の中を明るくしていきましょう。
・祈り・
北海道も小雪は降っていますが、
穏やかや年明けを迎えました。
いつものように家族と、
いつものような正月を
穏やかに過ごせることの
幸せを、ありがたさをかみしめています。
ひとりでも多くの人に、
こんな当たり前の幸せが
行き渡ることを祈っています。
・今年の決意・
お気づきなったでしょうか。
今までのエッセイとは
少々味付けが変わっています。
気づかなければいいのですが。
気になった方は、その意味を別のエッセイに書きましたので
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2012/120.htm
を御覧ください。
3.11で私も思うとことがありました。
それを少しずつ実行に移すというのが
年頭の決意でもあります。
2011年12月29日木曜日
6_95 2011年を振り返る
今年は、ニュースや話題も、すべて東日本大震災とそれに起因する人災である福島第一原子力発電所の深刻な事故が、占めているのではないでしょうか。震災から、皆さんはどんな教訓をえたでしょうか。災害に会われた方は、今後も長い戦い続くでしょう。幸い震災を免れた方も、いろいろなかたちで、教訓は残さていくでしょう。今年もそして来年も、それぞれの人が震災をかみしめていく必要があるでしょう。2011年を振り返ります。
2011年も残りわずかになりました。今回は、今年一年を振りかえろうと思います。
私事ですが、2011年3月まで愛媛県西予市に滞在していて、4月からは北海道に帰ってきて、大学での通常生活に戻りました。それが、私の身辺では一番のニュースになるはずだったのですが、実際の記憶は違っています。多くの人が、各自の私事以上に、共通の自然災害と人災が、一番の記憶になっているのではないでしょうか。
2011年は、1月19日の新燃岳(しんもえだけ)の噴火のニュースから始まりました。このニュースも、ずっと遠くの記憶となってしまいました。3月11日14時46分、太平洋三陸沖を震源として発生した東日本大震災。それに続く津波、各地での余震。さらに、福島第一原子力発電所の深刻な事故。震災や事故、放射能汚染に対処する政府の醜態。メディアのおよび腰。東京電力の不正常な運営内容。原子力行政の閉鎖性。震災をきっかけにした、自然災害と人災が、強く記憶に残る年でした。
地震や津波の自然災害は、かずかずの映像として、国民の前に提示されました。多くの人がショックを受けるような映像が、多数撮影されており、公開されてきました。その衝撃的な映像は、なによりも世界や後世への教訓となることでしょう。
自然の脅威の前では、人はあまりに弱いことを痛感しました。自然災害を拡大させるのは人災であることも学びました。指導者の力のなさが国民に与える不安も感じました。人の弱さ、人災の怖さを感じました。
一方、窮地に落ちた時の弱者に対する人の優しさ。人のつながりの強さ。知らない人同士の絆。そんな人間の力強さも感じました。
自然災害を前の人の無力さ、差し伸べられた人の手の力強さ、人と人のつながりの温かさなど、自然と人の大きさの違い、異質さを感じました。大きな教訓として受け止めるべきでしょう。
自然災害からの復興は、まだ終わっていず、続いていることも忘れてはいけません。3.11から、人それぞれの行動や考え方として、残すべきでしょう。その教訓によって、今後の生き方が変わることも、多々あるはずです。
読者の皆様も、いろいろな教訓を学んだ一年となったと思います。私も、その教訓を噛み締めながら、今年一年の終わりを迎えたいと思います。そして、忘れる事のないような工夫をすることにしましました。それは、以下のメモで紹介します。
・予行演習・
12月28日は大学の御用納めの日で午前中で終わりです。
27日で講義は終わったのですが、
私のゼミの4年生は、1月にある発表会の予行演習を
28日の午後からします。
一部の学生は予行の準備のために午前からはじめるそうです。
このエッセイは、28日の午前中に発行しますので、
まだ予行演習はしていなのですが、
9名のゼミ生全員が発表をする予定です。
うまく準備ができていれば、
安心して正月を過ごせるでしょう。
うまくいかなくても、
どこに手を加えればいいのかわかるので、
安心できるでしょう。
発表後、夕方から忘年会となります。
私も今年最後の飲み会となります。
・我が家の教訓・
エッセイで述べたのですが、
我が家の教訓として、
自宅の改修をすることにしました。
9月頃に打ち合わせをして、
当初12月の中頃の予定だったのですが、
年末になってしまいましたが、
なんとか自宅の改修が終わりました。
幸い自宅を立ててくれた馴染みの大工さんが
その改修を受けて下さいました。
6日間もかけて、板からすべて手作りをしていただきました。
腕のいい大工さんなので
安心して任せることができます。
改修の目的は耐震です。
今まで自宅内に、市販の本立てや棚を利用して
本をいろいろなところに収納していました。
3.11の地震を教訓として、
壁と天井にきっちりくっついた棚を
家にあわせて作っていただくことしました。
ついでに作業机もその棚の一部として作って頂きました。
こちらの希望を聞きながら
その場でどのようなものがいいかを相談しながら
作って頂きました。
きっちりと丁寧な仕事をしていただいたので、
満足のできる棚が、5ヶ所のデットスペースにできました。
膨大な収納ができるようになりました。
そして一番の目的である耐震性が増しました。
これで、震災でものが倒れて自宅内で圧死するような
危機はなくなるはずです。
生命はお金では買えません。
ですから、少々出費が大きかったのですが、
3.11に対する我が家の教訓として
棚を見れば地震の危険性を思い出せるようにしました。
2011年も残りわずかになりました。今回は、今年一年を振りかえろうと思います。
私事ですが、2011年3月まで愛媛県西予市に滞在していて、4月からは北海道に帰ってきて、大学での通常生活に戻りました。それが、私の身辺では一番のニュースになるはずだったのですが、実際の記憶は違っています。多くの人が、各自の私事以上に、共通の自然災害と人災が、一番の記憶になっているのではないでしょうか。
2011年は、1月19日の新燃岳(しんもえだけ)の噴火のニュースから始まりました。このニュースも、ずっと遠くの記憶となってしまいました。3月11日14時46分、太平洋三陸沖を震源として発生した東日本大震災。それに続く津波、各地での余震。さらに、福島第一原子力発電所の深刻な事故。震災や事故、放射能汚染に対処する政府の醜態。メディアのおよび腰。東京電力の不正常な運営内容。原子力行政の閉鎖性。震災をきっかけにした、自然災害と人災が、強く記憶に残る年でした。
地震や津波の自然災害は、かずかずの映像として、国民の前に提示されました。多くの人がショックを受けるような映像が、多数撮影されており、公開されてきました。その衝撃的な映像は、なによりも世界や後世への教訓となることでしょう。
自然の脅威の前では、人はあまりに弱いことを痛感しました。自然災害を拡大させるのは人災であることも学びました。指導者の力のなさが国民に与える不安も感じました。人の弱さ、人災の怖さを感じました。
一方、窮地に落ちた時の弱者に対する人の優しさ。人のつながりの強さ。知らない人同士の絆。そんな人間の力強さも感じました。
自然災害を前の人の無力さ、差し伸べられた人の手の力強さ、人と人のつながりの温かさなど、自然と人の大きさの違い、異質さを感じました。大きな教訓として受け止めるべきでしょう。
自然災害からの復興は、まだ終わっていず、続いていることも忘れてはいけません。3.11から、人それぞれの行動や考え方として、残すべきでしょう。その教訓によって、今後の生き方が変わることも、多々あるはずです。
読者の皆様も、いろいろな教訓を学んだ一年となったと思います。私も、その教訓を噛み締めながら、今年一年の終わりを迎えたいと思います。そして、忘れる事のないような工夫をすることにしましました。それは、以下のメモで紹介します。
・予行演習・
12月28日は大学の御用納めの日で午前中で終わりです。
27日で講義は終わったのですが、
私のゼミの4年生は、1月にある発表会の予行演習を
28日の午後からします。
一部の学生は予行の準備のために午前からはじめるそうです。
このエッセイは、28日の午前中に発行しますので、
まだ予行演習はしていなのですが、
9名のゼミ生全員が発表をする予定です。
うまく準備ができていれば、
安心して正月を過ごせるでしょう。
うまくいかなくても、
どこに手を加えればいいのかわかるので、
安心できるでしょう。
発表後、夕方から忘年会となります。
私も今年最後の飲み会となります。
・我が家の教訓・
エッセイで述べたのですが、
我が家の教訓として、
自宅の改修をすることにしました。
9月頃に打ち合わせをして、
当初12月の中頃の予定だったのですが、
年末になってしまいましたが、
なんとか自宅の改修が終わりました。
幸い自宅を立ててくれた馴染みの大工さんが
その改修を受けて下さいました。
6日間もかけて、板からすべて手作りをしていただきました。
腕のいい大工さんなので
安心して任せることができます。
改修の目的は耐震です。
今まで自宅内に、市販の本立てや棚を利用して
本をいろいろなところに収納していました。
3.11の地震を教訓として、
壁と天井にきっちりくっついた棚を
家にあわせて作っていただくことしました。
ついでに作業机もその棚の一部として作って頂きました。
こちらの希望を聞きながら
その場でどのようなものがいいかを相談しながら
作って頂きました。
きっちりと丁寧な仕事をしていただいたので、
満足のできる棚が、5ヶ所のデットスペースにできました。
膨大な収納ができるようになりました。
そして一番の目的である耐震性が増しました。
これで、震災でものが倒れて自宅内で圧死するような
危機はなくなるはずです。
生命はお金では買えません。
ですから、少々出費が大きかったのですが、
3.11に対する我が家の教訓として
棚を見れば地震の危険性を思い出せるようにしました。
2011年12月22日木曜日
2_101 単純な多様性:古い化石 3
34億年前の化石は、最古ではありませんが、かなり古い生物の痕跡には違いありません。どのようなタイプの生物で、どのような環境で生息していたのかという情報は、地球の生物史にとってだけでなく、宇宙全般にまで広げた生命の起源を考える上においても、非常に重要な情報となります。杉谷さんたちの研究が、宇宙生物の雑誌に報告されたのは、そのような意図があったからなのでしょう。
名古屋大学の杉谷さんたちの古い化石の発見が、2010年に「Astrobiology(宇宙生物)」という科学雑誌に報告されたことを、はじめに紹介しました。ではなぜ、総合科学雑誌や生物学や古生物、地質学などの雑誌でなく、このような一見分野の違うような雑誌に、発表されたのでしょうか。このシリーズの最後に、その意義を考えてみましょう。
原始の地球には酸素はなく、大量の二酸化炭素と少しの窒素からなる大気がありました。窒素の量は今と変わらなかったはずなのですが、二酸化炭素は今の大気の量の何倍、あるいは何十倍もあり、その分、大気の圧力も高かったはずです。地球の表層は、今はとは、かなり違った環境でした。
もちろん海水中にも酸素はありませんでした。酸素のない環境で、最初の生物は生まれたことになります。そもそも酸素は、20億年前ころに生物が光合成によって生産したものです。酸素のある環境が今では当たり前になっていますが、20億年前以前は酸素のない環境が「当たり前」なのです。酸素のない環境は、今も少しは残っていて、そこにも生物は暮らしています。酸素を嫌う「嫌気性」と呼ばれる性質をもつような微生物です。
最古の生物が、嫌気性生物だとしても、どのような温度を好むのか、どのような場所で生活していたのか、どのような代謝システムをもっていたのかなど、いずれも生物の起源を考える上で、非常に重要な情報となります。
今までの情報からは、34億年前の生物は、当初いわれていたような光合成をするような生物ではなく、深海の熱水噴出孔の嫌気性環境でひっそりと暮らしていたようです。そこでは、硫黄を代謝に用いていたり(杉谷さんたちやワーシーらの研究)、代謝によってメタンを生成していたような生物(上野さんたちの研究)がいたようです。いずれも嫌気性古細菌だと考えられます。
このような古い化石から得られる生物像は、海という環境さえあれば、案外簡単に生物が発生できそうだということを示しています。
できたての惑星であれば、天体の内部に熱も多くあり、マグマの活動も活発だったはずです。そのような天体で海さえあれば、熱水噴出孔は、至るところにできたはずです。つまり、どんな天体でも海さえあれば、地球タイプの生物が簡単に発生した可能性を、間接的ですが示しています。このような推定が地球の化石からわかります。
その成果を、だれに伝えたいのかによって、発表される雑誌は変わってきます。杉谷さんたちは、天文学者や宇宙の生物の研究者に伝えたかったのです。そのモデルの最初の検証の場は、火星が最適でしょう。その一方で、太陽系外に、水惑星が存在するかどうかが、生物の存在に重要な決め手となるです。火星に生物の痕跡や化石みつかれば、他の天体で海の痕跡があれば、そこには生物発生している可能性が大きくなります。
熱水噴出孔は、ただひとつの生物種だけではなく、何種類からの生物からなる生態系をなしていたはずです。化石で見つかっている以上の、もっと多様の生物がいたことでしょうが、まだ解明されていません。ただし、現在の熱水噴出孔でみられるような賑やかな生態系ではなかったでしょう。多様性はシンプルであったはずです。初期の生物による生態系だからです。また、多様性が少ないのなら、熱水の温度や成分など少し違っていれば隣同士の環境でも、生態系も違っていたかもしれません。熱水噴出孔ごとに違った生態系をもっていたかもしれません。そんなまだ見ぬ世界に思いを馳せてしまいます。
・遅々として・
いよいよ今年も残すところあと少しとなりました。
今年中にすべき課題(原稿)があるのですが、
まだ終わらず、あがいています。
データはそろいつつあるのですが、
大量の画像処理をしなければならず、
なかなかはかどりません。
なんとかシなければならないのですが、
遅々としてすすみません。
努力はしているのですが。
無限の仕事量ではないので、
毎日少しでも進めていけば、
きっと終わるはずです。
それを信じて進めています。
・予行演習・
大学の授業は27日までで
28日の午前中は教職員の御用納めで終わりとなります。
ただし、私の4年生のゼミは
28日の午後に3、4時間かけて
卒業研究の発表会の予行演習をします。
発表会は1月中下旬です。
年末正月を心穏やかに過ごせればという
親心ですが、さて理解していくれているでしょうか。
28日の発表会後、打ち上げの忘年会となります。
いまのところ全員出席の予定ですが、
なにせ年末のことなのでどうなることやら。
風邪をひかなければいいのですが。
ちなみに私は今、風邪気味です。
名古屋大学の杉谷さんたちの古い化石の発見が、2010年に「Astrobiology(宇宙生物)」という科学雑誌に報告されたことを、はじめに紹介しました。ではなぜ、総合科学雑誌や生物学や古生物、地質学などの雑誌でなく、このような一見分野の違うような雑誌に、発表されたのでしょうか。このシリーズの最後に、その意義を考えてみましょう。
原始の地球には酸素はなく、大量の二酸化炭素と少しの窒素からなる大気がありました。窒素の量は今と変わらなかったはずなのですが、二酸化炭素は今の大気の量の何倍、あるいは何十倍もあり、その分、大気の圧力も高かったはずです。地球の表層は、今はとは、かなり違った環境でした。
もちろん海水中にも酸素はありませんでした。酸素のない環境で、最初の生物は生まれたことになります。そもそも酸素は、20億年前ころに生物が光合成によって生産したものです。酸素のある環境が今では当たり前になっていますが、20億年前以前は酸素のない環境が「当たり前」なのです。酸素のない環境は、今も少しは残っていて、そこにも生物は暮らしています。酸素を嫌う「嫌気性」と呼ばれる性質をもつような微生物です。
最古の生物が、嫌気性生物だとしても、どのような温度を好むのか、どのような場所で生活していたのか、どのような代謝システムをもっていたのかなど、いずれも生物の起源を考える上で、非常に重要な情報となります。
今までの情報からは、34億年前の生物は、当初いわれていたような光合成をするような生物ではなく、深海の熱水噴出孔の嫌気性環境でひっそりと暮らしていたようです。そこでは、硫黄を代謝に用いていたり(杉谷さんたちやワーシーらの研究)、代謝によってメタンを生成していたような生物(上野さんたちの研究)がいたようです。いずれも嫌気性古細菌だと考えられます。
このような古い化石から得られる生物像は、海という環境さえあれば、案外簡単に生物が発生できそうだということを示しています。
できたての惑星であれば、天体の内部に熱も多くあり、マグマの活動も活発だったはずです。そのような天体で海さえあれば、熱水噴出孔は、至るところにできたはずです。つまり、どんな天体でも海さえあれば、地球タイプの生物が簡単に発生した可能性を、間接的ですが示しています。このような推定が地球の化石からわかります。
その成果を、だれに伝えたいのかによって、発表される雑誌は変わってきます。杉谷さんたちは、天文学者や宇宙の生物の研究者に伝えたかったのです。そのモデルの最初の検証の場は、火星が最適でしょう。その一方で、太陽系外に、水惑星が存在するかどうかが、生物の存在に重要な決め手となるです。火星に生物の痕跡や化石みつかれば、他の天体で海の痕跡があれば、そこには生物発生している可能性が大きくなります。
熱水噴出孔は、ただひとつの生物種だけではなく、何種類からの生物からなる生態系をなしていたはずです。化石で見つかっている以上の、もっと多様の生物がいたことでしょうが、まだ解明されていません。ただし、現在の熱水噴出孔でみられるような賑やかな生態系ではなかったでしょう。多様性はシンプルであったはずです。初期の生物による生態系だからです。また、多様性が少ないのなら、熱水の温度や成分など少し違っていれば隣同士の環境でも、生態系も違っていたかもしれません。熱水噴出孔ごとに違った生態系をもっていたかもしれません。そんなまだ見ぬ世界に思いを馳せてしまいます。
・遅々として・
いよいよ今年も残すところあと少しとなりました。
今年中にすべき課題(原稿)があるのですが、
まだ終わらず、あがいています。
データはそろいつつあるのですが、
大量の画像処理をしなければならず、
なかなかはかどりません。
なんとかシなければならないのですが、
遅々としてすすみません。
努力はしているのですが。
無限の仕事量ではないので、
毎日少しでも進めていけば、
きっと終わるはずです。
それを信じて進めています。
・予行演習・
大学の授業は27日までで
28日の午前中は教職員の御用納めで終わりとなります。
ただし、私の4年生のゼミは
28日の午後に3、4時間かけて
卒業研究の発表会の予行演習をします。
発表会は1月中下旬です。
年末正月を心穏やかに過ごせればという
親心ですが、さて理解していくれているでしょうか。
28日の発表会後、打ち上げの忘年会となります。
いまのところ全員出席の予定ですが、
なにせ年末のことなのでどうなることやら。
風邪をひかなければいいのですが。
ちなみに私は今、風邪気味です。
2011年12月15日木曜日
2_100 嫌気性細菌:古い化石 2
地質学では、同じような地域で、何度も似たテーマで議論が沸き起こることがよくあります。そんな地域は、地質学において、重要な役割があり、潜在的な可能性をもっているため、今後も同じような議論を湧き起こすことになるはずです。今回の古い化石の見つかったピルバラも、そんな重要な地の一つです。非常に広大ですが。
西オーストラリアのピルバラ地域から発見された約34億年前の化石は、20年来、科学者の間でもいろいろな議論がありました。近年では、化石であることが多くの研究者から認められてきました。その認定のプロセスは、なかなか大変なものでした。
恐竜の歯や植物の葉などの化石であれば、化石どうかの疑問はでません。形だけで、だれもの化石だと認めてくれます。しかし、最古とか、非常に古い化石では、それが生物かどうかは、いろいろなプロセスを経なければ認定されません。最初の頃(一番最初かどうかは永年に謎です)の生物は、微小で、単純な形態の単細胞生物のはずです。このような化石は、化石らしいものではありません。逆に化石ぽく見えても、化石でない結晶や自然の産物の可能性があります。生物と無生物との区別が、大切になります。以下ではそのような化石の認定について考えていきます。
化石であると判定するためには、形態、サイズ、サイズのばらつき、そして生化学的化学組成などの客観的データが必要となります。
形態とは、生物がもっているべき形のことです。未知の形態は、説得材料にはなりません。現世の既知の生物との類似性が必要です。形態は、直感的、視覚的ですので、重要な根拠です。しかし、決め手にはなりません。球状や繊維状などの形態は、無機的に、つまり生物のかかわりなく化学反応としてできることがあるからです。生物も、簡単で単純な形態を持っているのです。研究者は化石らしきものを、見つけようとしているのですから、そのような形態のものが、まずは候補となります。研究者自信も、それなりの先入観をもって化石探しをしています。ですから、第一歩は形態からでもいいのですが、さらなる証拠は不可欠になります。
形態がもっているサイズも、生物として持ちうる大きさでなければなりません。火星の生物化石の報告は、化石っぽく見える写真で、インパクトがあり、真実味もありました。しかし、DNAが入らないほどの小さいサイズしかないことが、否定的な見解を生みました。生物がもっているべきサイズは、確保されていなければなりません。むやみに大きのも問題ですが。
サイズのばらつきは、ある一定の範囲でおさまっているべきです。似た形態の化石が多数見つかっているのであれば、そのサイズの統計的ばらつきは、その生物種が持っている一定の大きさに収まるはずです。統計的に大きなばらつきがあるものは、無機的な成因を反映している可能性があります。初期のピルバラの化石の報告でも、このようなサイズが正規分布している状態を根拠の一つとして示されていました。
生化学的化学組成とは、今では当たり前になりましたが、化石の構成物質から生化学的にデータを発見することです。生物しか作りえない化学成分(バイオマーカーと呼ばれています)を見つければ、化石が生物であったことの重要な根拠になります。しかし、それはそれでなかなか難しい問題もあるのですが。
以上のような証拠をいろいろ積み重ねて、化石かどうかを判定していきます。 杉谷らやワーシーらの両グループは、電子顕微鏡や化学分析値などを根拠に化石であること主張しています。化石のサイズはわずか10μmほどで、細菌の細胞の形状をしているといいます。鉄と硫黄からなる結晶(黄鉄鉱(pyrite))もあることから、硫黄などを用いて代謝していたと考えられています。
そして最後に、化石から得られた生物像と地質調査から得られた形成環境が一致しなければなりません。
ピルバラの化石は、ストロマトライト(最初に提唱された生物像)が形成される浅海ではなく、メタン生成菌(東京工業大学の上野たちが最初に提唱)やイオウ細菌などの嫌気性細菌が生息していた深海底の熱水噴出孔ではないかというものになりました。このような生物像は、地質調査から得られた環境とも一致して、議論は収斂しつつあるようです。
・いよいよ年末・
師走も中旬となり、
世間はクリスマス気分なのでしょうか。
大学では、卒業研究の提出など、
ばたばたしているので、
そのような浮かれ気分はありません。
もちろん、4年生を担当している教員だからでしょうが。
今度の週末に、久しぶりに家族で街に出ます。
私は、先日の忘年会で街にでたのですが、
なんとなく、まだクリスマス気分になれません。
今週提出が終わります。
ただ、1月末に発表会があるので、
12月末に予行演習をおこなう予定です。
それが終われば、私たちは一段落となります。
御用納めのある28日ですが。
・根雪・
北海道は、今年は定期的に積雪があり、
一度に激しいドカ雪は、局地的に有りますが、
広域には今のところありません。
歳ごとに積雪の状態は違います。
12月中旬なのですが、
もう根雪の様相を持っています。
こんな雪景色が、北海道の冬らしくていいです。
ただ、寒いのはつらいですが。
西オーストラリアのピルバラ地域から発見された約34億年前の化石は、20年来、科学者の間でもいろいろな議論がありました。近年では、化石であることが多くの研究者から認められてきました。その認定のプロセスは、なかなか大変なものでした。
恐竜の歯や植物の葉などの化石であれば、化石どうかの疑問はでません。形だけで、だれもの化石だと認めてくれます。しかし、最古とか、非常に古い化石では、それが生物かどうかは、いろいろなプロセスを経なければ認定されません。最初の頃(一番最初かどうかは永年に謎です)の生物は、微小で、単純な形態の単細胞生物のはずです。このような化石は、化石らしいものではありません。逆に化石ぽく見えても、化石でない結晶や自然の産物の可能性があります。生物と無生物との区別が、大切になります。以下ではそのような化石の認定について考えていきます。
化石であると判定するためには、形態、サイズ、サイズのばらつき、そして生化学的化学組成などの客観的データが必要となります。
形態とは、生物がもっているべき形のことです。未知の形態は、説得材料にはなりません。現世の既知の生物との類似性が必要です。形態は、直感的、視覚的ですので、重要な根拠です。しかし、決め手にはなりません。球状や繊維状などの形態は、無機的に、つまり生物のかかわりなく化学反応としてできることがあるからです。生物も、簡単で単純な形態を持っているのです。研究者は化石らしきものを、見つけようとしているのですから、そのような形態のものが、まずは候補となります。研究者自信も、それなりの先入観をもって化石探しをしています。ですから、第一歩は形態からでもいいのですが、さらなる証拠は不可欠になります。
形態がもっているサイズも、生物として持ちうる大きさでなければなりません。火星の生物化石の報告は、化石っぽく見える写真で、インパクトがあり、真実味もありました。しかし、DNAが入らないほどの小さいサイズしかないことが、否定的な見解を生みました。生物がもっているべきサイズは、確保されていなければなりません。むやみに大きのも問題ですが。
サイズのばらつきは、ある一定の範囲でおさまっているべきです。似た形態の化石が多数見つかっているのであれば、そのサイズの統計的ばらつきは、その生物種が持っている一定の大きさに収まるはずです。統計的に大きなばらつきがあるものは、無機的な成因を反映している可能性があります。初期のピルバラの化石の報告でも、このようなサイズが正規分布している状態を根拠の一つとして示されていました。
生化学的化学組成とは、今では当たり前になりましたが、化石の構成物質から生化学的にデータを発見することです。生物しか作りえない化学成分(バイオマーカーと呼ばれています)を見つければ、化石が生物であったことの重要な根拠になります。しかし、それはそれでなかなか難しい問題もあるのですが。
以上のような証拠をいろいろ積み重ねて、化石かどうかを判定していきます。 杉谷らやワーシーらの両グループは、電子顕微鏡や化学分析値などを根拠に化石であること主張しています。化石のサイズはわずか10μmほどで、細菌の細胞の形状をしているといいます。鉄と硫黄からなる結晶(黄鉄鉱(pyrite))もあることから、硫黄などを用いて代謝していたと考えられています。
そして最後に、化石から得られた生物像と地質調査から得られた形成環境が一致しなければなりません。
ピルバラの化石は、ストロマトライト(最初に提唱された生物像)が形成される浅海ではなく、メタン生成菌(東京工業大学の上野たちが最初に提唱)やイオウ細菌などの嫌気性細菌が生息していた深海底の熱水噴出孔ではないかというものになりました。このような生物像は、地質調査から得られた環境とも一致して、議論は収斂しつつあるようです。
・いよいよ年末・
師走も中旬となり、
世間はクリスマス気分なのでしょうか。
大学では、卒業研究の提出など、
ばたばたしているので、
そのような浮かれ気分はありません。
もちろん、4年生を担当している教員だからでしょうが。
今度の週末に、久しぶりに家族で街に出ます。
私は、先日の忘年会で街にでたのですが、
なんとなく、まだクリスマス気分になれません。
今週提出が終わります。
ただ、1月末に発表会があるので、
12月末に予行演習をおこなう予定です。
それが終われば、私たちは一段落となります。
御用納めのある28日ですが。
・根雪・
北海道は、今年は定期的に積雪があり、
一度に激しいドカ雪は、局地的に有りますが、
広域には今のところありません。
歳ごとに積雪の状態は違います。
12月中旬なのですが、
もう根雪の様相を持っています。
こんな雪景色が、北海道の冬らしくていいです。
ただ、寒いのはつらいですが。
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