長くなりましたが、いよいよSm-Nd法による年代測定の話になります。年代は、一応得られています。しかし、重要なことは、その年代が何を意味するかを解明することです。その年代の意味と、他の化学成分から導かれる話が、一致しなければなりません。しかし、それがなかなか難しいのです。
ヌヴアギツク(Nuvvuagittuq)の岩石は、複雑な地質で、なおかつ変形・変成作用を受けているでしたところでした、しかし、この地域では、貫入関係から「偽角閃岩」が一番古い岩石であったことがわかってきました。問題は、どうして年代を決めるかです。ジルコンもみつからず、岩石全体のU-Pb法による年代測定もうまくいきませんでした。
そこで、いよいよSm-Nd法による年代測定が登場します。「偽角閃岩」のSm-Nd法で測定をしたところ、42.86(+0.96、-3.7)億年前という年代値になりました。変成作用を受けた変斑レイ岩は40.23億年前という年代、ひとつのマグマからできたと考えられる斑レイ岩から超苦鉄質岩は38.40億年前の年代を得ました。トーナル岩と珪長質のバンドは、36億から38億年前の年代を持ちます。
この地域の岩石には、6億年以上にわたる歴史が記録されていたのです。その歴史を解読しなければなりません。さらに、年代の意味も吟味しなければなりません。
「偽角閃岩」は、地質関係を裏付けるように、岩石としては、最古の年代となりました。そして、現在のところ地球最古の岩石となっています。ただし、いろいろと考えておくべきこともあるようです。
まず、「偽角閃岩」の化学的性質は、マントルのカンラン岩から形成されたところまではいいのですが、通常の海洋地殻の岩石(玄武岩や斑レイ岩)と比べて、いくつかの違いがあることを示しています。「偽角閃岩」には、低いカルシウム(Ca)、高いカリウム(K)、高いルビジュウム(Rb)、高い軽い希土類元素(ランタンLa、セリウムCe、Nd、Smなど原子量の小さい希土類元素でLREEと略されています)などの化学的特徴があります。
これらの特徴のうち、KやRbは、変質や変成作用で移動しやすい元素ですので、もともとマグマが持っていた値を、もはやは示してはいないと考えられます。ですから、変質や変成作用で動きにくい元素に着目して吟味していくことになります。
高いLREEの濃度という特徴は、マントルからマグマができるときの溶ける(部分溶融)程度が低いことを示しています。しかし、部分溶融程度が低いということは、チタン(Ti)やニオブ(Nb)の少ない含有量とは矛盾しています。高いLREE濃度、少ないTiやNb濃度というのは、列島にみられる火山岩(カルクアルカリ岩)の特徴と似ています。このあたりは、まだ完全に解明されていません。ですから、「偽角閃岩」の年代値の解釈も、はっきりと決着をみていないわけです。
論文に基づけば、以下のシナリオが描けるとされています。まず、「偽角閃岩」が、冥王代(40億年前以前)に、最古の地殻として形成されます。その地殻は、高いLREE濃度、少ないTiやNb濃度を持つ物質から由来しています。その後38億から40億年前に、斑レイ岩から超苦鉄質岩になるマグマが、現在の海洋地殻をつくったのと同じようなマントルから由来し、「偽角閃岩」に貫入します。36億から38億年前に、「偽角閃岩」の部分溶融に由来すると考えられるトーナル岩と珪長質のバンドが形成されます。
さて、最古の年代を得ても、なかなか最古ですと名乗りを上げにく状態です。論文を読んでいても、歯切れの口調で書かれていることが気になりました。でも、それは報告している科学者たちが、良識的あることを示しているように思いました。最近の論文は、業績主義が蔓延する中、自己主張をするものが多くなっています。今回の論文も、最古の年代を得られたら、それのみを前面に出し、問題点を見ない振りをすることもありえたわけです。しかし、その問題点を、正面に出し、苦渋しながら、最善の道を探っている姿勢、最古の年代の意味を真摯に追求する姿勢に、私は科学者の良心を見ました。
・悩みぬく科学者・
このような論文では、
年代値だけが一人歩きすることがままあります
しかし、年代値が正しいという保障はありません。
たとえば、年代を決めるために使った核種が
変質・変成作用で移動していたら
その年代は、「見かけ」のものとなり、
本当の年代を意味しません。
その年代がとんでもない値なら
だれでもそう思うのですが
自分の欲しい年代が得られ、それも最古の年代となれば
その年代だけを前面に出したいところでしょう。
しかし、他の元素の分析をしていれば
それらとの整合性が問われるわけです。
年代測定だけを生業としている研究者は、
そのような整合性をチェックすることなく、
年代だけを報告して終わりとすることも多数あります。
しかし、今回の著者たちは、年代以外の他の元素も分析し、
それらの吟味もきっちりとしていました。
その結果、シナリオは提示したが、
まだ不明瞭な部分があるというのが、今回の報告です。
私は、この科学者の良心と
その良心を認めたうえで掲載したサイエンス誌を
立派だと思います。
ひさびさに悩みぬく科学者の論文を読んだ気がします。
・冬に向かって・
遅れていた息子たちの小学校の学芸会も終わりました。
今年は、12月も餅つき大会が大きな行事となります。
家庭でも、そろそろ冬支度が整ってきました。
ところが、天候は、分かりにくい天候が続いています。
暖かい日があったり、寒い日があったり、
雨が降ったり、雪が降ったしています。
それでも着実に冬に向かっています。
2009年11月19日木曜日
2009年11月12日木曜日
1_84 複雑な地質:最古の岩石3
最古の岩石が発見されたのは、今まで最古とは無縁の地域でした。非常に複雑な地質の持った地域で、岩石も複雑に入り組んで、激しい変質や変成作用も受けていました。しかし、そんな複雑でやっかいな岩石でしたが、年代を決めることができました。今回は、その複雑は地質を紹介します。
今回最古の岩石が発見された場所は、カナダのケベック州北部ウンガバ(Ungava)というところで、西南にはハドソン湾を臨みます。今まで、最後の岩石は、カナダの北西準州のアカスタというところから見つかっていたのでしたが、今回は、同じカナダでも、まったく違った地質帯から見つかりました。報告したのも、オニールらのカナダのケベック州にある大学の研究者が中心になっています。
最古の岩石は、ヌヴアギツク(Nuvvuagittuq)グリーンストーン帯と呼ばれるものに属します。ヌヴアギツク帯は、火山岩や変成した堆積岩から主としてできています。この地では一方向に傾むいた(等傾斜と呼ばれます)向斜構造が、後に南に開きながら傾斜している向斜構造になるような造構運動を受けています。周囲は36.6億年前のトーナル岩に囲まれています。まあ、非常に複雑な地質となっています。
ヌヴアギツク帯を構成する岩石は各種あり、それぞれが違う時代に形成されていると考えられています。年代が決まっているのは、いくつかあり、量は少ないですが珪質長の鉱物からできる岩石のバンドがいくつもあり、そこからジルコンの年代が求まられていて、38.17億年前と37.5億年前の年代が求められています。やはりジルコンは非常に有力な年代測定の手段となっています。
ヌヴアギツク帯の構成岩石の主体は、「偽角閃岩」、斑レイ岩、超苦鉄質石、玄武岩類の順に多く、量は少ないですが縞状鉄鉱層や珪質岩もあります。主構成岩石となっている角閃岩、斑レイ岩、超苦鉄質、玄武岩からはジルコンが見つかっておらず、年代は決まっていません。そこで、Sm-N法によるd年代測定が有効となってくるわけです。
この主体となる「偽角閃岩」(faux-amphibolite)は、周囲の一般的な角閃岩とは違った成分の角閃石(カミングトン閃石と呼ばれています)からできています。さらに、角閃石の多いところと黒雲母が多いところが層を成すような複雑な構造をもっている岩石です。
斑レイ岩には、2種類あります。ひとつは、あまり変成作用を受けていない斑レイ岩(以下「斑レイ岩」と呼びます)と、変成作用を強く受けて片麻状の構造をもった斑レイ岩(以下変斑レイ岩と呼びます)です。超苦鉄質岩は変成を受けていない「斑レイ岩」のグループになります。
「偽角閃岩」は苦鉄岩ですし、斑レイ岩も苦鉄質岩です。ですから「偽角閃岩」は、斑レイ岩と同じマグマから由来して、火山砕屑岩として噴出し、激しく変質を受けたため、組成の違うものができたのではないかと、従来は考えられてきました。しかし、変質で変化のしにくい化学成分で比べると、同じマグマとは考えられないことがわかってきました。ですから、違う起源の可能性ががあります。
さらに、「角閃岩」は、「斑レイ岩」と超苦鉄質岩に貫入されているのが、この地域の西端で確認されています。これは非常の重要な産状です。「角閃岩」の方が「斑レイ岩」より以前に形成されたことを意味します。
さて、いよいよSm-Nd法の登場ですが、それは次回としましょう。
・場所・
今回の最古の岩石が見つかったところを
Google Earthで見てみました。
すると、地質図とそっくりな地形が見えました。
極北の地では、地質がむき出しになっているため、
非常によくわかります。
その画像をホームページに掲載しておきますので、
興味のある方は見てください。
・成果の違い・
私も、似たような岩石を研究していて、
変質や変成作用には、悩まされました。
年代測定もしていたのですが、
Rb-Sr法では、正確な年代が出てきませんでした。
Rb-Sr法は、RbもSrも変質や変成作用によって、
移動しやすい元素だからです。
そこで取った方法は、変質・変成をしていない鉱物として
輝石を選び、それだけを岩石から分離して、測定しました。
一方、Sm-Nd法では、岩石全体を用いて
正確な年代を出すことができました。
今回の論文を読んで、
同じような苦労をしている研究者が
今もいることを感じました。
ただし、彼らの成果は、
最古の岩石の発見に繋がっているのが
私の成果と違う点です。
この違いは、大きいですね。
・いよいよ冬・
北海道のわが町でも、何度か雪が降りました。
木々の葉は、ほとんど落ちてしまいました。
いよいよ冬を迎えます。
あちこちの庭や公園では、
冬の備えて、雪囲いが行われています。
冬を迎える準備が着々と進んでいます。
私も、冬用のジャンバーに変えました。
忘年会の連絡も、はってきました。
いよいよ冬になってきました。
今回最古の岩石が発見された場所は、カナダのケベック州北部ウンガバ(Ungava)というところで、西南にはハドソン湾を臨みます。今まで、最後の岩石は、カナダの北西準州のアカスタというところから見つかっていたのでしたが、今回は、同じカナダでも、まったく違った地質帯から見つかりました。報告したのも、オニールらのカナダのケベック州にある大学の研究者が中心になっています。
最古の岩石は、ヌヴアギツク(Nuvvuagittuq)グリーンストーン帯と呼ばれるものに属します。ヌヴアギツク帯は、火山岩や変成した堆積岩から主としてできています。この地では一方向に傾むいた(等傾斜と呼ばれます)向斜構造が、後に南に開きながら傾斜している向斜構造になるような造構運動を受けています。周囲は36.6億年前のトーナル岩に囲まれています。まあ、非常に複雑な地質となっています。
ヌヴアギツク帯を構成する岩石は各種あり、それぞれが違う時代に形成されていると考えられています。年代が決まっているのは、いくつかあり、量は少ないですが珪質長の鉱物からできる岩石のバンドがいくつもあり、そこからジルコンの年代が求まられていて、38.17億年前と37.5億年前の年代が求められています。やはりジルコンは非常に有力な年代測定の手段となっています。
ヌヴアギツク帯の構成岩石の主体は、「偽角閃岩」、斑レイ岩、超苦鉄質石、玄武岩類の順に多く、量は少ないですが縞状鉄鉱層や珪質岩もあります。主構成岩石となっている角閃岩、斑レイ岩、超苦鉄質、玄武岩からはジルコンが見つかっておらず、年代は決まっていません。そこで、Sm-N法によるd年代測定が有効となってくるわけです。
この主体となる「偽角閃岩」(faux-amphibolite)は、周囲の一般的な角閃岩とは違った成分の角閃石(カミングトン閃石と呼ばれています)からできています。さらに、角閃石の多いところと黒雲母が多いところが層を成すような複雑な構造をもっている岩石です。
斑レイ岩には、2種類あります。ひとつは、あまり変成作用を受けていない斑レイ岩(以下「斑レイ岩」と呼びます)と、変成作用を強く受けて片麻状の構造をもった斑レイ岩(以下変斑レイ岩と呼びます)です。超苦鉄質岩は変成を受けていない「斑レイ岩」のグループになります。
「偽角閃岩」は苦鉄岩ですし、斑レイ岩も苦鉄質岩です。ですから「偽角閃岩」は、斑レイ岩と同じマグマから由来して、火山砕屑岩として噴出し、激しく変質を受けたため、組成の違うものができたのではないかと、従来は考えられてきました。しかし、変質で変化のしにくい化学成分で比べると、同じマグマとは考えられないことがわかってきました。ですから、違う起源の可能性ががあります。
さらに、「角閃岩」は、「斑レイ岩」と超苦鉄質岩に貫入されているのが、この地域の西端で確認されています。これは非常の重要な産状です。「角閃岩」の方が「斑レイ岩」より以前に形成されたことを意味します。
さて、いよいよSm-Nd法の登場ですが、それは次回としましょう。
・場所・
今回の最古の岩石が見つかったところを
Google Earthで見てみました。
すると、地質図とそっくりな地形が見えました。
極北の地では、地質がむき出しになっているため、
非常によくわかります。
その画像をホームページに掲載しておきますので、
興味のある方は見てください。
・成果の違い・
私も、似たような岩石を研究していて、
変質や変成作用には、悩まされました。
年代測定もしていたのですが、
Rb-Sr法では、正確な年代が出てきませんでした。
Rb-Sr法は、RbもSrも変質や変成作用によって、
移動しやすい元素だからです。
そこで取った方法は、変質・変成をしていない鉱物として
輝石を選び、それだけを岩石から分離して、測定しました。
一方、Sm-Nd法では、岩石全体を用いて
正確な年代を出すことができました。
今回の論文を読んで、
同じような苦労をしている研究者が
今もいることを感じました。
ただし、彼らの成果は、
最古の岩石の発見に繋がっているのが
私の成果と違う点です。
この違いは、大きいですね。
・いよいよ冬・
北海道のわが町でも、何度か雪が降りました。
木々の葉は、ほとんど落ちてしまいました。
いよいよ冬を迎えます。
あちこちの庭や公園では、
冬の備えて、雪囲いが行われています。
冬を迎える準備が着々と進んでいます。
私も、冬用のジャンバーに変えました。
忘年会の連絡も、はってきました。
いよいよ冬になってきました。
2009年11月5日木曜日
1_83 困難を克服して:最古の岩石2
地球最古の岩石の発見を紹介しているのですが、今回は、測定に必要な条件について見ていきます。その条件をクリアしたものだけが、年代測定できるわけです。でも、その条件をクリアするのが、実はなかなか大変なのですが。
岩石の年代は、昔と比べると、技術も道具も進歩してきたので、さまざまな岩石や鉱物で、微量の含有量や微小な部分でも測定できるようになってきました。でも、いまだにどんな岩石でも年代測定ができるわけではありませんし、年代測定には手間がかかります。理想としては、マグマからできた火成岩ならどんな岩質のものでも、簡単にできる年代測定の方法があればいいのですが、なかなかそうはうまくいきません。
年代測定によく使われる放射性核種(元素といういいかたが馴染みあるのですが、核種の方が適切なのでここでは核種を使います)には、カリウム(K)、ルビジウム(Rb)やサマリウム(Sm)、ウラン(U)など、いろいろなものがあります。それらの放射性核種は、条件によって、年代測定に使える場合と使えない場合があります。
その条件とは、放射性核種の含有量、崩壊定数、形成後の移動などが重要となります。
放射性核種の含有量とは、測りたい岩石に放射性核種が充分含まれていなければ、測定できないということです。もともとあった放射性核種(親核種といいます)だけでなく、壊変でできた核種(娘核種と呼びます)も測らなければなりません。親核種の含有量が少なければ少ないほど、測定は困難になっていきます。どんなに技術が進んでも、検出限界を超える微小な部分や微量のものは測定できません。
また、放射性核種の崩壊定数とは、放射性元素ごとに決まっている壊変のスピードが、目的の岩石の年代に対して適切かどうかです。崩壊定数は、半減期とも呼ばれるものです。最近できたものには、早く崩壊する放射性核種、古いものならゆっくりとした崩壊をする核種を利用しなければなりません。
さらに、放射性核種の形成後の移動とは、測りたい岩石から放射性核種が移動しては、得られた年代はウソのものになります。目的の岩石が、どこかの時代に変成作用や変質作用などを受け、その時親の放射性核種や娘の核種が岩石から移動していると、年代は正確に記録していないことになります。変成や変質作用を受けていない岩石、あるいは動きにくい核種でなければなりません。
このような条件を満たす放射性核種はそうそうないのですが、ウラン(U)という放射性核種を含むジルコンという丈夫な結晶で、古い時代の岩石の年代測定するのは理にかなっています。
しかし、前回も紹介しましたが、珪酸の少ない苦鉄質(mafic)マグマからできた岩石では、ジルコンはほどんど含まれていませんので、ジルコンを用いた年代測定は有効ではありません。ジルコンの代わりに、ウランを含み、なおかつ丈夫な結晶構造をもつ鉱物(モナズ石など)を用いて、苦鉄質から超苦鉄質岩石で年代測定されたことがあります。しかし、大量の岩石を処理して、その中から目的の結晶をみつけるという作業がなされたものです。非常の困難な方法で、だれにでもできる手法ではありません。その証拠に、似たような研究はなかなかでてきません。
そこで注目されるのがサマリウム(Sm)という放射性核種を用いた年代測定です。サマリウムが崩壊してネオディミウム(Nd)になります。Sm-Nd年代測定と呼ばれています。サマリウムの半減期はウランのものと似ています。ですから古い岩石に利用できます。サマリウムは、苦鉄質岩にも利用でき、変成や変質作用にも強い年代測定です。
Sm-Nd年代測定は、いいこと尽くめかのように見えますが、そうでもないのです。サマリウムは、珪長質岩や中性岩では、それなりの濃度があるのですが、苦鉄質岩や超苦鉄質岩では、濃度が小さくなります。ですからなかなか難しい場合があります。また、最古の岩石は、変成作用を強く受けているものも含まれていました。そのような岩石の年代は、なかなか正確には決まりません。そのような困難さを克服しての年代測定ができたというのが、今回の論文の意義でした。
・初雪・
いよいよ11月です。
わが町では、初雪が降りました。
例年と比べて3日ほど早い初雪だそうですが
寒波のために、寒さの方がつらいです。
我が家では、先週末に車のタイヤを冬タイヤにしました。
タイヤを交換しておけば、心配することはありません。
間に合ってほっとしました。
実は、冬タイヤでなくても大丈夫なほど
ささやかな初雪だったのですが、
次男は、今シーズン初めての雪かきだといって
喜んで雪の中に出て行きました。
私は、道具だけだして雪かきは、次男に任せました。
・母の滞在・
母が、昨日まで滞在していました。
ちょうと初雪だったのですが、
真冬の寒さは何度も経験しています。
ですから、それほど驚くこともなかったようです。
孫の学芸会を見せるつもりで呼んだのですが、
新型インフルエンザの延期になったので、
せっかく来たのに、お楽しみがないので、
温泉につれてきました。
近所の温泉2箇所と、遠くの温泉1箇所でした。
ころんで痛めた右足が少しでもよくなればと思いましたが、
なかなかすぐにはよくならないようです。
岩石の年代は、昔と比べると、技術も道具も進歩してきたので、さまざまな岩石や鉱物で、微量の含有量や微小な部分でも測定できるようになってきました。でも、いまだにどんな岩石でも年代測定ができるわけではありませんし、年代測定には手間がかかります。理想としては、マグマからできた火成岩ならどんな岩質のものでも、簡単にできる年代測定の方法があればいいのですが、なかなかそうはうまくいきません。
年代測定によく使われる放射性核種(元素といういいかたが馴染みあるのですが、核種の方が適切なのでここでは核種を使います)には、カリウム(K)、ルビジウム(Rb)やサマリウム(Sm)、ウラン(U)など、いろいろなものがあります。それらの放射性核種は、条件によって、年代測定に使える場合と使えない場合があります。
その条件とは、放射性核種の含有量、崩壊定数、形成後の移動などが重要となります。
放射性核種の含有量とは、測りたい岩石に放射性核種が充分含まれていなければ、測定できないということです。もともとあった放射性核種(親核種といいます)だけでなく、壊変でできた核種(娘核種と呼びます)も測らなければなりません。親核種の含有量が少なければ少ないほど、測定は困難になっていきます。どんなに技術が進んでも、検出限界を超える微小な部分や微量のものは測定できません。
また、放射性核種の崩壊定数とは、放射性元素ごとに決まっている壊変のスピードが、目的の岩石の年代に対して適切かどうかです。崩壊定数は、半減期とも呼ばれるものです。最近できたものには、早く崩壊する放射性核種、古いものならゆっくりとした崩壊をする核種を利用しなければなりません。
さらに、放射性核種の形成後の移動とは、測りたい岩石から放射性核種が移動しては、得られた年代はウソのものになります。目的の岩石が、どこかの時代に変成作用や変質作用などを受け、その時親の放射性核種や娘の核種が岩石から移動していると、年代は正確に記録していないことになります。変成や変質作用を受けていない岩石、あるいは動きにくい核種でなければなりません。
このような条件を満たす放射性核種はそうそうないのですが、ウラン(U)という放射性核種を含むジルコンという丈夫な結晶で、古い時代の岩石の年代測定するのは理にかなっています。
しかし、前回も紹介しましたが、珪酸の少ない苦鉄質(mafic)マグマからできた岩石では、ジルコンはほどんど含まれていませんので、ジルコンを用いた年代測定は有効ではありません。ジルコンの代わりに、ウランを含み、なおかつ丈夫な結晶構造をもつ鉱物(モナズ石など)を用いて、苦鉄質から超苦鉄質岩石で年代測定されたことがあります。しかし、大量の岩石を処理して、その中から目的の結晶をみつけるという作業がなされたものです。非常の困難な方法で、だれにでもできる手法ではありません。その証拠に、似たような研究はなかなかでてきません。
そこで注目されるのがサマリウム(Sm)という放射性核種を用いた年代測定です。サマリウムが崩壊してネオディミウム(Nd)になります。Sm-Nd年代測定と呼ばれています。サマリウムの半減期はウランのものと似ています。ですから古い岩石に利用できます。サマリウムは、苦鉄質岩にも利用でき、変成や変質作用にも強い年代測定です。
Sm-Nd年代測定は、いいこと尽くめかのように見えますが、そうでもないのです。サマリウムは、珪長質岩や中性岩では、それなりの濃度があるのですが、苦鉄質岩や超苦鉄質岩では、濃度が小さくなります。ですからなかなか難しい場合があります。また、最古の岩石は、変成作用を強く受けているものも含まれていました。そのような岩石の年代は、なかなか正確には決まりません。そのような困難さを克服しての年代測定ができたというのが、今回の論文の意義でした。
・初雪・
いよいよ11月です。
わが町では、初雪が降りました。
例年と比べて3日ほど早い初雪だそうですが
寒波のために、寒さの方がつらいです。
我が家では、先週末に車のタイヤを冬タイヤにしました。
タイヤを交換しておけば、心配することはありません。
間に合ってほっとしました。
実は、冬タイヤでなくても大丈夫なほど
ささやかな初雪だったのですが、
次男は、今シーズン初めての雪かきだといって
喜んで雪の中に出て行きました。
私は、道具だけだして雪かきは、次男に任せました。
・母の滞在・
母が、昨日まで滞在していました。
ちょうと初雪だったのですが、
真冬の寒さは何度も経験しています。
ですから、それほど驚くこともなかったようです。
孫の学芸会を見せるつもりで呼んだのですが、
新型インフルエンザの延期になったので、
せっかく来たのに、お楽しみがないので、
温泉につれてきました。
近所の温泉2箇所と、遠くの温泉1箇所でした。
ころんで痛めた右足が少しでもよくなればと思いましたが、
なかなかすぐにはよくならないようです。
2009年10月29日木曜日
1_82 ちょっと前の最古:最古の岩石1
地球最古の岩石が見つかったという報告が、昨年9月に出されました。その最古の岩石には、どのような意味があるのかを考えていきます。なぜ、今頃になってといわれそうですが、じつは、私はこの論文を見逃していて、夏ごろになって気づいたからです。雑誌を探したら製本中で、昨日やっと製本から戻ってきた論文をみることができました。少々、賞味期限切れかもしれませんが、紹介しましょう。
昨年(2008年9月26日付け)のサイエンス(Vol. 321, 1828-1831 p)という科学雑誌に、「冥王代の苦鉄質地殻へのネオディミウム142の証拠」(Neodymium-142 Evidence for Hadean Mafic Crust)という題名の論文が載りました。その報告によると、42.8(+0.53、-0.81)億年前の地殻の証拠がみつかり、それは地球最古のものであるということがわかったということです。
今回の岩石について説明をする前に、このエッセイもでも最古の岩石や鉱物などを何度か取り上げましたが、今まで見つかっている最古の岩石と鉱物について紹介しましょう。
地球最古の物質は、西オーストラリアの堆積岩の中から見つかっているジルコンという結晶です。そもそも堆積岩とは、別の岩石の砕かれたものが集まり固まったものです。堆積岩を構成する砂粒は、その堆積岩より古いものからできているはず。砂粒の中から、年代を測定ができて、その年代に意味をもっている対象としてジルコンという鉱物が選ばれました。
ジルコンは、一度できるとなかなか壊れにくいという性質を持っています。さらに、結晶の中には、ウランという元素が少量ですが含まれています。ウランは放射性核種で、時間経過とともに鉛に変わっていきます。ウランから鉛に変化した量を測定することができれば、ジルコン一粒、あるいはその中の微小部分ででも、年代測定が可能になります。
西オーストラリアの堆積岩の中のジルコンから、44億年前という年代が得られました。2001年のことでした。しかし、これは、もともとは石の一部であったジルコンが鉱物の粒として砂の中に紛れ込んだものです。ですから、残念ながら、もとの石の情報はほとんど持っていませんでした。
地殻の情報を持っているのは岩石です。古い地殻のことを知りたければ、岩石を探す必要があります。最古の岩石は、北西カナダからみつかった片麻岩で40から40.3億年前のものです。1999年に報告されています。これは大陸地殻をつくっていた岩石の中から取り出したジルコンを、上と同じ方法で測定したものです。
今まで述べてきた方法は、ジルコンという丈夫な結晶を見つけて、その中に残されているウラン-鉛の放射性壊変の記録を読むことで年代測定をするものです。この方法には、大きな弱点があります。それは、ジルコンを含む岩石、もしくはジルコンがないと、その手法が利用できないのです。
ジルコンは、マグマからできる火成岩の中に形成される鉱物です。しかも、そのマグマは、珪酸が多い性質のものでなければなりません。珪酸が多いマグマからできた岩石は、灰色から白っぽい岩石になります。このような岩石は珪長質(felsic)や中性(intermediate)とよばれるタイプのもので、花崗岩や閃緑岩、トーナル岩とよばれる岩石となります。これらは、大陸地殻を構成する岩石です。
大陸地殻には苦鉄質(mafic)の岩石も混じっています。さらに海洋地殻は苦鉄質の岩石からできています。珪酸の少ない苦鉄質マグマからできた岩石では、ジルコンはほとんどありませんので、その方法は使えません。一般に苦鉄質岩にも利用できる年代測定を利用すればいいのですが、それがなかなか難しいのです。その話は次回としましょう。
・晩秋・
いよいよ10月も終わりです。
北海道では、木々が紅葉がそろそろ終わろうとしています。
ひと風吹くたびに、梢から落ち葉が舞い散ります。
もちろん木々の下には落ち葉が一杯になっています。
北海道の秋も、いよいよ終わろうとしています。
今年の夏は天候不順でしたので、
夏を楽しみきれなかったという思いがあり、
雪よ降るなと思ってしまいます。
・自分で選んだ道・
以前私は、大学院から研究所に所属していたときは、
年代測定を行っていました。
特に特別研究員としてウラン-鉛の年代測定をするために、
鉛の同位体測定のルーチン化に3年間励んでいました。
そのシステムをほぼ完成して
博物館へと転職したのですが、
それもずいぶん昔のような気がします。
当時、先端の研究をしていたと自負していたのですが、
それも遠い過去の話です。
今は、そのような先端の研究をする環境ではなく、
じっくりと時間をかけて地質現象を考えることに専念しています。
これも自分で選んだ道です。
昨年(2008年9月26日付け)のサイエンス(Vol. 321, 1828-1831 p)という科学雑誌に、「冥王代の苦鉄質地殻へのネオディミウム142の証拠」(Neodymium-142 Evidence for Hadean Mafic Crust)という題名の論文が載りました。その報告によると、42.8(+0.53、-0.81)億年前の地殻の証拠がみつかり、それは地球最古のものであるということがわかったということです。
今回の岩石について説明をする前に、このエッセイもでも最古の岩石や鉱物などを何度か取り上げましたが、今まで見つかっている最古の岩石と鉱物について紹介しましょう。
地球最古の物質は、西オーストラリアの堆積岩の中から見つかっているジルコンという結晶です。そもそも堆積岩とは、別の岩石の砕かれたものが集まり固まったものです。堆積岩を構成する砂粒は、その堆積岩より古いものからできているはず。砂粒の中から、年代を測定ができて、その年代に意味をもっている対象としてジルコンという鉱物が選ばれました。
ジルコンは、一度できるとなかなか壊れにくいという性質を持っています。さらに、結晶の中には、ウランという元素が少量ですが含まれています。ウランは放射性核種で、時間経過とともに鉛に変わっていきます。ウランから鉛に変化した量を測定することができれば、ジルコン一粒、あるいはその中の微小部分ででも、年代測定が可能になります。
西オーストラリアの堆積岩の中のジルコンから、44億年前という年代が得られました。2001年のことでした。しかし、これは、もともとは石の一部であったジルコンが鉱物の粒として砂の中に紛れ込んだものです。ですから、残念ながら、もとの石の情報はほとんど持っていませんでした。
地殻の情報を持っているのは岩石です。古い地殻のことを知りたければ、岩石を探す必要があります。最古の岩石は、北西カナダからみつかった片麻岩で40から40.3億年前のものです。1999年に報告されています。これは大陸地殻をつくっていた岩石の中から取り出したジルコンを、上と同じ方法で測定したものです。
今まで述べてきた方法は、ジルコンという丈夫な結晶を見つけて、その中に残されているウラン-鉛の放射性壊変の記録を読むことで年代測定をするものです。この方法には、大きな弱点があります。それは、ジルコンを含む岩石、もしくはジルコンがないと、その手法が利用できないのです。
ジルコンは、マグマからできる火成岩の中に形成される鉱物です。しかも、そのマグマは、珪酸が多い性質のものでなければなりません。珪酸が多いマグマからできた岩石は、灰色から白っぽい岩石になります。このような岩石は珪長質(felsic)や中性(intermediate)とよばれるタイプのもので、花崗岩や閃緑岩、トーナル岩とよばれる岩石となります。これらは、大陸地殻を構成する岩石です。
大陸地殻には苦鉄質(mafic)の岩石も混じっています。さらに海洋地殻は苦鉄質の岩石からできています。珪酸の少ない苦鉄質マグマからできた岩石では、ジルコンはほとんどありませんので、その方法は使えません。一般に苦鉄質岩にも利用できる年代測定を利用すればいいのですが、それがなかなか難しいのです。その話は次回としましょう。
・晩秋・
いよいよ10月も終わりです。
北海道では、木々が紅葉がそろそろ終わろうとしています。
ひと風吹くたびに、梢から落ち葉が舞い散ります。
もちろん木々の下には落ち葉が一杯になっています。
北海道の秋も、いよいよ終わろうとしています。
今年の夏は天候不順でしたので、
夏を楽しみきれなかったという思いがあり、
雪よ降るなと思ってしまいます。
・自分で選んだ道・
以前私は、大学院から研究所に所属していたときは、
年代測定を行っていました。
特に特別研究員としてウラン-鉛の年代測定をするために、
鉛の同位体測定のルーチン化に3年間励んでいました。
そのシステムをほぼ完成して
博物館へと転職したのですが、
それもずいぶん昔のような気がします。
当時、先端の研究をしていたと自負していたのですが、
それも遠い過去の話です。
今は、そのような先端の研究をする環境ではなく、
じっくりと時間をかけて地質現象を考えることに専念しています。
これも自分で選んだ道です。
2009年10月22日木曜日
4_92 鵜戸神社:宮崎3
9月に出かけた宮崎への調査の続きです。今回は、鵜戸神社の紹介です。鵜戸神社は、その立地の不思議さから、有名なものとなっています。しかし、このエッセイでは、神社そのものの紹介ではなく、地質学的な紹介となります。
調査のはじめは、宮崎市から北上しました。その後一気に南下して、最南端の都井岬までいきました。都井岬から北上しながら宮崎県の海岸線を調査を進めました。途上、日南市の鵜戸(うど)神社に立ち寄りました。
この神社は、階段を下りていくと、海岸沿いに本殿があります。本殿は、海岸沿いの大きな洞窟があり、その中にあります。洞窟は広く、普通の神社がすっぽりと納まるほどの高さ、奥行きがあります。
この洞窟は、もともと海蝕洞でした。海蝕洞とは、波の浸食で崖に形成された穴のことです。このような海蝕洞の形成のメカニズムには、地質の影響が大きくなります。地層面や断層面、節理面にそって形成されるので、どこもにでもできるものではありません。鵜戸神社は、地層面にそって形成された海蝕洞です。ですから、砂岩を中心とする地層が周囲にはあります。
海蝕台は、もともと海面近くにあるはずですが、現在は、隆起して海上に顔を出したものです。そこに神殿を作っても波をかぶることがないほどの隆起がありました。
神社の境内を歩いていると、本殿のほかに稲荷神社もあり、そこから別の神社へいけるという看板がありました。それもついでに見学に行くことにしました。その道程は、ほとんど人の行かないような荒れたものでした。途中、雨によって道が流されていて、道がよく分からなくなりました。流れにそって歩いていくと海岸に出ました。そこには、神社はありません。どうも道を迷ったようです。引き返してやっと道を見つけて、その神社にたどり着きました。
波切神社と呼ばれているものでした。この神社も、波音が響く、海蝕洞の中にありました。隆起量が鵜戸神社はより少ないのでしょうか、大波があれば、洞窟の奥まで海水が入ってきそうです。海蝕洞は、地層面にそって浸食された洞窟です。古びた鳥居が3つ並んだ先に、高さ1メールにも満たないような小さな祠がありました。苦労してきたわりには、みすぼらしさを感じるようなものです。
アプローチがよくないせいでしょうか。それとも小さい神社だからでしょうか。人もほとんどこないような場所となっています。雨でくずれた道も補修されることなく、神社も寂れています。
ところが、人が訪れない分、海蝕洞は神秘さと荘厳さに満ちているように感じました。その荘厳さは、神社の小ささを打ち消すような波音と、海に向かって延びる砂岩の地層の厚さが生み出しているのでしょうか。海蝕洞の力強さを感じながら、波切神社を後にしました。
周辺の岩石は、砂岩と泥岩を主とする地層からなる宮崎層群の青島層と呼ばれるものです。砂岩は浸食に強く、泥岩は浸食に弱いので、差別浸食を受けます。でも、長期的に見ると平らに浸食されていきます。それが、海蝕台です。周辺には、海蝕台もあります。
鵜戸神社周辺だけでなく、宮崎県の海岸線には、宮崎層群が広く分布します。宮崎層群は、砂岩と泥岩の繰り返しの地層(互層といいます)からできています。そのような地層が浸食されて、海蝕台になります。
その後、海岸線の隆起が起こり、海蝕台が海上に顔を出します。そこも海水がくるようなところでは、差別浸食が起こります。宮崎県南部の海岸には、地層が洗濯板のように広がっている地層があちこちでみることできました。海岸の各地に洗濯板と名づけられたところがあります。鵜戸神社にいたる道沿いにも、「鵜戸千畳敷奇岩」、別名「鬼の洗濯板」と名づけられています。鵜戸千畳敷は、干潮時には、非常に広い海蝕台が現れます。その広さから、県指定の天然記念物にされています。
今回、観光客に多数来る神社と、人の来ない寂れた神社が、尾根をはさんで並んでいるのをみることになりました。海蝕洞の響く波音に、同じ海蝕洞もこうも違って見えるのとかと思いました。
・洗濯板・
洗濯板は、現在では、
ほとんど使われることがない道具になっています。
しかし、なぜか、うちの子供たちはでも
洗濯板を知っています。
でも、死語に近いものでしょう。
「鬼の洗濯板」という死語を用いた名称が
今後も残るかどうかは分かりません。
ですが、景観の不思議さは、
変わることがないでしょう。
・予防接種・
先日、インフルエンザの予防接種を
いつもいっている病院でおこないました。
子どもたちは、来週、小児科で受ける予定です。
息子たちの通っている小学校では、
新型インフルエンザがはやっています。
子どもたちもいつかかるか気になります。
かかるのはいいのですが、
かかって欲しくない時期があります。
たとえば近々、学芸会があります。
そのときに学級閉鎖があると、学芸会ができなくなります。
事実、2週間延期になりました。
でも病気ばかりは、こちらの都合でかかる時期を調節でません。
用心するしかないですね。
調査のはじめは、宮崎市から北上しました。その後一気に南下して、最南端の都井岬までいきました。都井岬から北上しながら宮崎県の海岸線を調査を進めました。途上、日南市の鵜戸(うど)神社に立ち寄りました。
この神社は、階段を下りていくと、海岸沿いに本殿があります。本殿は、海岸沿いの大きな洞窟があり、その中にあります。洞窟は広く、普通の神社がすっぽりと納まるほどの高さ、奥行きがあります。
この洞窟は、もともと海蝕洞でした。海蝕洞とは、波の浸食で崖に形成された穴のことです。このような海蝕洞の形成のメカニズムには、地質の影響が大きくなります。地層面や断層面、節理面にそって形成されるので、どこもにでもできるものではありません。鵜戸神社は、地層面にそって形成された海蝕洞です。ですから、砂岩を中心とする地層が周囲にはあります。
海蝕台は、もともと海面近くにあるはずですが、現在は、隆起して海上に顔を出したものです。そこに神殿を作っても波をかぶることがないほどの隆起がありました。
神社の境内を歩いていると、本殿のほかに稲荷神社もあり、そこから別の神社へいけるという看板がありました。それもついでに見学に行くことにしました。その道程は、ほとんど人の行かないような荒れたものでした。途中、雨によって道が流されていて、道がよく分からなくなりました。流れにそって歩いていくと海岸に出ました。そこには、神社はありません。どうも道を迷ったようです。引き返してやっと道を見つけて、その神社にたどり着きました。
波切神社と呼ばれているものでした。この神社も、波音が響く、海蝕洞の中にありました。隆起量が鵜戸神社はより少ないのでしょうか、大波があれば、洞窟の奥まで海水が入ってきそうです。海蝕洞は、地層面にそって浸食された洞窟です。古びた鳥居が3つ並んだ先に、高さ1メールにも満たないような小さな祠がありました。苦労してきたわりには、みすぼらしさを感じるようなものです。
アプローチがよくないせいでしょうか。それとも小さい神社だからでしょうか。人もほとんどこないような場所となっています。雨でくずれた道も補修されることなく、神社も寂れています。
ところが、人が訪れない分、海蝕洞は神秘さと荘厳さに満ちているように感じました。その荘厳さは、神社の小ささを打ち消すような波音と、海に向かって延びる砂岩の地層の厚さが生み出しているのでしょうか。海蝕洞の力強さを感じながら、波切神社を後にしました。
周辺の岩石は、砂岩と泥岩を主とする地層からなる宮崎層群の青島層と呼ばれるものです。砂岩は浸食に強く、泥岩は浸食に弱いので、差別浸食を受けます。でも、長期的に見ると平らに浸食されていきます。それが、海蝕台です。周辺には、海蝕台もあります。
鵜戸神社周辺だけでなく、宮崎県の海岸線には、宮崎層群が広く分布します。宮崎層群は、砂岩と泥岩の繰り返しの地層(互層といいます)からできています。そのような地層が浸食されて、海蝕台になります。
その後、海岸線の隆起が起こり、海蝕台が海上に顔を出します。そこも海水がくるようなところでは、差別浸食が起こります。宮崎県南部の海岸には、地層が洗濯板のように広がっている地層があちこちでみることできました。海岸の各地に洗濯板と名づけられたところがあります。鵜戸神社にいたる道沿いにも、「鵜戸千畳敷奇岩」、別名「鬼の洗濯板」と名づけられています。鵜戸千畳敷は、干潮時には、非常に広い海蝕台が現れます。その広さから、県指定の天然記念物にされています。
今回、観光客に多数来る神社と、人の来ない寂れた神社が、尾根をはさんで並んでいるのをみることになりました。海蝕洞の響く波音に、同じ海蝕洞もこうも違って見えるのとかと思いました。
・洗濯板・
洗濯板は、現在では、
ほとんど使われることがない道具になっています。
しかし、なぜか、うちの子供たちはでも
洗濯板を知っています。
でも、死語に近いものでしょう。
「鬼の洗濯板」という死語を用いた名称が
今後も残るかどうかは分かりません。
ですが、景観の不思議さは、
変わることがないでしょう。
・予防接種・
先日、インフルエンザの予防接種を
いつもいっている病院でおこないました。
子どもたちは、来週、小児科で受ける予定です。
息子たちの通っている小学校では、
新型インフルエンザがはやっています。
子どもたちもいつかかるか気になります。
かかるのはいいのですが、
かかって欲しくない時期があります。
たとえば近々、学芸会があります。
そのときに学級閉鎖があると、学芸会ができなくなります。
事実、2週間延期になりました。
でも病気ばかりは、こちらの都合でかかる時期を調節でません。
用心するしかないですね。
2009年10月15日木曜日
4_91 上村:宮崎2
宮崎県高千穂の近くに、天の岩戸の伝説で有名な、天岩戸神社があります。天岩戸があり案内とともに見学できるようですが、訪れませんでした。なぜなら別に行きたいところがあったからです。それは、上村というところで、観光地でも名所ともなっていところでした。
上村と書いて「かむら」と呼びます。地元の人もあまり知らないような小さな村落の地名です。私は、ここに訪れたくて時間をとったのですが、場所がわからず、残念ながらたどり着けませんでした。時間があれば、探し出すことができたのかもしれませんが、午後の1、2時間で、一つの露頭だけを見るつもりの予定でした。入り組んだ道がいろいろあって、地図と比べてもどこを走っているかわからなくなり、1時間以上うろうろしたのですが、探すのを断念しました。少々心残りでしたが、次の機会に行こうと考えています。
なぜ上村に行きたかったのかというと、そこには地球史でも有数の事件である生物の大絶滅の記録が発見されているからです。絶滅の時代の地層が、上村には分布しているからです。
大絶滅は、古生代と中生代の境界(P-T境界)となる時代(2億5100万年前)に起こったもので、地球史上、最大のものだったと考えられています。その絶滅は、中生代と新生代の時代境界であるK-T境界よりも大規模であったことがわかっています。
絶滅の規模を定量的に記録するには、化石が必要です。古いほうの時代の化石と、新しい方の時代のものがあって、はじめてどの程度、絶滅したかが推定可能になります。そのような研究は、世界のいろいろな時代の化石を集大成しておこなわれています。他にも大規模な絶滅がいくつもあったのですが、その中でもP-T境界の絶滅が最大であることが、わかってきました。
P-T境界をまたいだ地層は、絶滅の規模を知るためだけでなく、何が起こったのかを解明するために重要になります。そのような地層は、幸いなことに日本の岐阜県各務原市の犬山地域ででています。犬山の地層は、海洋の深海底にたまったチャートと呼ばれる岩石からでてきます。深海底の環境を知るために、チャートは重要になるのですが、表層環境を知るには役不足になります。
海洋の表層にできる地層としては、熱帯付近で礁をつくっている石灰岩が有力です。日本の石灰岩の多くは、海洋島(大洋の中の火山活動でできた島)の周囲でできたものです。海洋島の環境は、海洋島の火山固有の岩石種から判別できます。そしてそのような火山岩の上に石灰岩があれば、それは、陸から離れた海洋島の環境でできたことがわかります。
上村には、P-T境界部の地層は残念ながらありませんが、ペルム紀末の海洋島上の石灰岩を主とする地層が連続的に出ています。そのような地層は、海洋での表層環境の情報を読み取ることができます。
研究の結果、P-T境界の大絶滅は、2度の事件によって起こったことがわかってきました。P-T境界時代の1000万年前にも第一陣の絶滅事件があり、その後P-T境界の直前に二番目の絶滅事件が起こったというシナリオです。そのような大絶滅事件の解明のきっかけに、上村の地層はなったのです。
そんな大絶滅の事件が記録した上村の地層を見たかったのですが、今回はできませんでした。
・K-T境界・
P-T境界とは、
古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と
中生代最初の時代の三畳紀(Triassic)の頭文字をとって
名づけられたものです。
一方、K-T境界は、
中生代の終わりの白亜紀(Cretaceous)と
新生代最初の第三紀(Tertialy)の
頭文字をとってC-Tとしたいところですが、
CではなくKとなっています。
Cはカンブリア紀や石炭紀なども使うので、
白亜紀はドイツ語の白亜紀の表記からKを使うことになっています。
実は、さらに問題があります。
それは、第三紀という時代名称が使われなくなってきたためです。
そのかわり、パレオジンとネオジンが使われるようになってきました。
K-T境界は、世間では有名ですが、
地質学では、重要度は世間ほどでなくなってきました。
・もっと大きな事件・
P-T境界を最大の絶滅としましたが、
本当は最大とはいえません。
なぜなら、もっと大規模な絶滅が起こったと
考えられる時代があるからです。
それは、約20億年前におこった酸素の大発生の時期の事件と
7億年前ころに起こった全地球凍結という大氷河期の事件です。
いずれの事件も大規模な大絶滅が起こったはずですが、
化石になる生物がほとんどいなかったことから、
絶滅の規模を定量的に推定できません。
ですから、残念ながら、
どれくらいの大絶滅であったかの比較にはでてきません。
上村と書いて「かむら」と呼びます。地元の人もあまり知らないような小さな村落の地名です。私は、ここに訪れたくて時間をとったのですが、場所がわからず、残念ながらたどり着けませんでした。時間があれば、探し出すことができたのかもしれませんが、午後の1、2時間で、一つの露頭だけを見るつもりの予定でした。入り組んだ道がいろいろあって、地図と比べてもどこを走っているかわからなくなり、1時間以上うろうろしたのですが、探すのを断念しました。少々心残りでしたが、次の機会に行こうと考えています。
なぜ上村に行きたかったのかというと、そこには地球史でも有数の事件である生物の大絶滅の記録が発見されているからです。絶滅の時代の地層が、上村には分布しているからです。
大絶滅は、古生代と中生代の境界(P-T境界)となる時代(2億5100万年前)に起こったもので、地球史上、最大のものだったと考えられています。その絶滅は、中生代と新生代の時代境界であるK-T境界よりも大規模であったことがわかっています。
絶滅の規模を定量的に記録するには、化石が必要です。古いほうの時代の化石と、新しい方の時代のものがあって、はじめてどの程度、絶滅したかが推定可能になります。そのような研究は、世界のいろいろな時代の化石を集大成しておこなわれています。他にも大規模な絶滅がいくつもあったのですが、その中でもP-T境界の絶滅が最大であることが、わかってきました。
P-T境界をまたいだ地層は、絶滅の規模を知るためだけでなく、何が起こったのかを解明するために重要になります。そのような地層は、幸いなことに日本の岐阜県各務原市の犬山地域ででています。犬山の地層は、海洋の深海底にたまったチャートと呼ばれる岩石からでてきます。深海底の環境を知るために、チャートは重要になるのですが、表層環境を知るには役不足になります。
海洋の表層にできる地層としては、熱帯付近で礁をつくっている石灰岩が有力です。日本の石灰岩の多くは、海洋島(大洋の中の火山活動でできた島)の周囲でできたものです。海洋島の環境は、海洋島の火山固有の岩石種から判別できます。そしてそのような火山岩の上に石灰岩があれば、それは、陸から離れた海洋島の環境でできたことがわかります。
上村には、P-T境界部の地層は残念ながらありませんが、ペルム紀末の海洋島上の石灰岩を主とする地層が連続的に出ています。そのような地層は、海洋での表層環境の情報を読み取ることができます。
研究の結果、P-T境界の大絶滅は、2度の事件によって起こったことがわかってきました。P-T境界時代の1000万年前にも第一陣の絶滅事件があり、その後P-T境界の直前に二番目の絶滅事件が起こったというシナリオです。そのような大絶滅事件の解明のきっかけに、上村の地層はなったのです。
そんな大絶滅の事件が記録した上村の地層を見たかったのですが、今回はできませんでした。
・K-T境界・
P-T境界とは、
古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と
中生代最初の時代の三畳紀(Triassic)の頭文字をとって
名づけられたものです。
一方、K-T境界は、
中生代の終わりの白亜紀(Cretaceous)と
新生代最初の第三紀(Tertialy)の
頭文字をとってC-Tとしたいところですが、
CではなくKとなっています。
Cはカンブリア紀や石炭紀なども使うので、
白亜紀はドイツ語の白亜紀の表記からKを使うことになっています。
実は、さらに問題があります。
それは、第三紀という時代名称が使われなくなってきたためです。
そのかわり、パレオジンとネオジンが使われるようになってきました。
K-T境界は、世間では有名ですが、
地質学では、重要度は世間ほどでなくなってきました。
・もっと大きな事件・
P-T境界を最大の絶滅としましたが、
本当は最大とはいえません。
なぜなら、もっと大規模な絶滅が起こったと
考えられる時代があるからです。
それは、約20億年前におこった酸素の大発生の時期の事件と
7億年前ころに起こった全地球凍結という大氷河期の事件です。
いずれの事件も大規模な大絶滅が起こったはずですが、
化石になる生物がほとんどいなかったことから、
絶滅の規模を定量的に推定できません。
ですから、残念ながら、
どれくらいの大絶滅であったかの比較にはでてきません。
2009年10月8日木曜日
4_90 大御神社:宮崎1
9月に宮崎へ調査にいきました。今回から数回にわたって、宮崎の地でみて感じたことを、紹介していきたいと考えています。まず第1回目は、日向岬の大御神社で見た、柱状節理の上に建つ神社とさざれ石についてです。
9月上旬に宮崎に1週間ほど出かけました。宮崎では、いくつかの目的地があったのですが、まずは、空港から宮崎市内を素通りして、海岸沿いを北上しました。最初の目的地は、日向岬でした。
日向岬周辺の海岸沿いに出ている柱状節理を見るのが目的でした。単に節理が見れただけでなく、そこには人間の営みと自然そして科学が融合していることをみることができます。その一番典型が、大御(おおみ)神社でした。
大御神社は、日向岬の南の付け根にあるところです。観光名所として有名なところですが、私は地質の見所を巡るので、観光ガイドブックをもって出かけません。ですから、そのような神社が、日向にあることを知りませんでした。しかし、現地で手にしたパンフレットに、大御神社の写真があり、そこには見事な柱状節理が映っていました。そんな柱状節理を見たら、実物を見たくなりました。実は、前日、その大御神社の前を通っていたのですが、後の祭りでした。日向岬を前日に見たので、別の地点に移動する予定でした。予定を少し変更して、再度日向岬に向かいました。
大御神社は「日向のお伊勢さま」と呼ばれ、地域の信仰を集めています。この神社は、柱状節理のすぐ脇に立てられていますが、境内の西奥には、「さざれ石」があります。国歌の「君が代」に歌われている「さざれ石」です。「さざれ石」とは、地質学的には礫岩のことです。
礫岩は、それほど珍しくないのですが、神社の境内にでてくると、それなりのありがたみがありそうです。この「さざれ石」は、柱状節理を形成した火山活動起こる前にできたもの(基盤といいます)です。「さざれ石」は、大陸の広い海岸平野に、2000万年前ころにできた地層で、河口付近にたまったものだとされています。
「さざれ石」には、丸くなったもの(円磨されているといいます)が多数含まれています。礫のサイズは大小さまざま(淘汰(とうた)が悪いといいます)なものとなっています。礫の中には、割れているものもたくさんあります。あまり硬くない礫だったのでしょうか。
火山が噴出したとき、そこから火山砕屑物が熱いままたまっていくと、砕屑物の中の軽石など溶けることがあります。そのような岩石を、溶結凝灰岩と呼びます。日向岬の柱状節理を形成している岩石は、1400万年前ころの火山活動できた溶結凝灰岩です。神社の中には、神社のつくるときに基礎部からでてきた岩石が、断面が研磨されて展示してありました。
「さざれ石」のある海岸では、柱状節理を形成している溶結凝灰岩との境界が見ることができ、看板が立てられていました。「さざれ石」の看板には、地質についての説明もなされていました。なおこの「さざれ石」は、平成15年の境内の拡張の折に見つかったものだそうです。大御神社では、地質と宗教の融合、新旧の融合をみたような気がしました。
・訂正・
前回のエッセイで、
Tahさんから、間違い指摘を受けました。
急冷縁の英語を「child margin」と表記してしまいましたが、
「chilled margin」の間違いです。
言い訳になりますが、
Tahさんに、次のような返事を書きました。
「現在の所属が「子ども発達学科」というところで、
子ども(child)という単語をよくつかっていので、
無意識に間違ったようです」
というものでした。
ホームページでは修正をしていますが、
メールマガジンでは修正ができませんので、
ここでお詫び申し上げます。
・無意識・
無意識つながりなのですが、
無意識で、同じような経験をしました。
私は、エッセイ類を「ですます」調で書いています。
しかし、論文を書き始めると「である」調なのですが、
頭では「である」で考えているのですが、
なぜか語尾がなぜか「ですます」なってしまいます。
多分、無意識にキーボードでそんな入力しているようです。
無意識というか習慣でしょうか、
しかし、毎日書く、ホームページでは、
「である」調で書けます。
不思議なことです。
9月上旬に宮崎に1週間ほど出かけました。宮崎では、いくつかの目的地があったのですが、まずは、空港から宮崎市内を素通りして、海岸沿いを北上しました。最初の目的地は、日向岬でした。
日向岬周辺の海岸沿いに出ている柱状節理を見るのが目的でした。単に節理が見れただけでなく、そこには人間の営みと自然そして科学が融合していることをみることができます。その一番典型が、大御(おおみ)神社でした。
大御神社は、日向岬の南の付け根にあるところです。観光名所として有名なところですが、私は地質の見所を巡るので、観光ガイドブックをもって出かけません。ですから、そのような神社が、日向にあることを知りませんでした。しかし、現地で手にしたパンフレットに、大御神社の写真があり、そこには見事な柱状節理が映っていました。そんな柱状節理を見たら、実物を見たくなりました。実は、前日、その大御神社の前を通っていたのですが、後の祭りでした。日向岬を前日に見たので、別の地点に移動する予定でした。予定を少し変更して、再度日向岬に向かいました。
大御神社は「日向のお伊勢さま」と呼ばれ、地域の信仰を集めています。この神社は、柱状節理のすぐ脇に立てられていますが、境内の西奥には、「さざれ石」があります。国歌の「君が代」に歌われている「さざれ石」です。「さざれ石」とは、地質学的には礫岩のことです。
礫岩は、それほど珍しくないのですが、神社の境内にでてくると、それなりのありがたみがありそうです。この「さざれ石」は、柱状節理を形成した火山活動起こる前にできたもの(基盤といいます)です。「さざれ石」は、大陸の広い海岸平野に、2000万年前ころにできた地層で、河口付近にたまったものだとされています。
「さざれ石」には、丸くなったもの(円磨されているといいます)が多数含まれています。礫のサイズは大小さまざま(淘汰(とうた)が悪いといいます)なものとなっています。礫の中には、割れているものもたくさんあります。あまり硬くない礫だったのでしょうか。
火山が噴出したとき、そこから火山砕屑物が熱いままたまっていくと、砕屑物の中の軽石など溶けることがあります。そのような岩石を、溶結凝灰岩と呼びます。日向岬の柱状節理を形成している岩石は、1400万年前ころの火山活動できた溶結凝灰岩です。神社の中には、神社のつくるときに基礎部からでてきた岩石が、断面が研磨されて展示してありました。
「さざれ石」のある海岸では、柱状節理を形成している溶結凝灰岩との境界が見ることができ、看板が立てられていました。「さざれ石」の看板には、地質についての説明もなされていました。なおこの「さざれ石」は、平成15年の境内の拡張の折に見つかったものだそうです。大御神社では、地質と宗教の融合、新旧の融合をみたような気がしました。
・訂正・
前回のエッセイで、
Tahさんから、間違い指摘を受けました。
急冷縁の英語を「child margin」と表記してしまいましたが、
「chilled margin」の間違いです。
言い訳になりますが、
Tahさんに、次のような返事を書きました。
「現在の所属が「子ども発達学科」というところで、
子ども(child)という単語をよくつかっていので、
無意識に間違ったようです」
というものでした。
ホームページでは修正をしていますが、
メールマガジンでは修正ができませんので、
ここでお詫び申し上げます。
・無意識・
無意識つながりなのですが、
無意識で、同じような経験をしました。
私は、エッセイ類を「ですます」調で書いています。
しかし、論文を書き始めると「である」調なのですが、
頭では「である」で考えているのですが、
なぜか語尾がなぜか「ですます」なってしまいます。
多分、無意識にキーボードでそんな入力しているようです。
無意識というか習慣でしょうか、
しかし、毎日書く、ホームページでは、
「である」調で書けます。
不思議なことです。
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