2009年10月1日木曜日

4_89 茂津多:狩場2009年 2

 今回も、8月にでかけた道南の狩場山の紀行の続きです。今では、涼しく秋めいてきたのですが、夏の道南の話です。蒸し暑い夏を思い起こしながら、火山に思いを馳せましょう。

 道南の渡島半島の付け根に位置する島牧村と瀬棚町にまたがって、狩場山はあります。狩場山の西の裾野は、日本海に向かって急激に落ち込んでいます。狩場山は、新生代の火山ですが、活火山ではなく、現在は活動していません。比較的新しい火山なので、狩場山周辺では火山岩をいたるところで見ることができます。
 今年の夏、狩場山に登るつもりで島牧村にでかけましたが、天気が悪く断念しました。しかし、狩場山の奥懐にあたる賀老渓谷では、活動した時代の違いや、性質の違うさまざまな火山岩を見ることができました。
 さらに見たかった火山岩が、茂多津(もったつ)の海岸線にでていました。この周辺で火山岩は、縞模様が発達しているのが特徴です。さらに、面白いことに、水中で活動した火山の特徴をもった岩石もみることができます。火山活動できた岩石は、火山砕屑岩と呼び、一般には陸上で活動したものです。しかし、水中や海岸近くで活動した火山もあります。そのような火山では、水の中でできる固有の特徴をもった水中火山砕屑岩(hyaloclastite、ハイアロクラスタイト)ができることがあります。
 ハイアロクラスタイトは、陸上のものとは、産状が違います。水の中でマグマは、急冷されるので、壊れます。溶岩が壊れたものが主体となることが多いのですが、溶岩の壊れ方はさまざまで、また海底を崩れ落ちて堆積岩の構造を持つこともあります。また、冷え方つまりマグマが固まるスピードもいろいろで、結晶のできない緻密で黒っぽい透明感があるガラスから、ある程度結晶化しているところもあなります。このようなガラスの縁を急冷縁(chilled margin)と呼みます。急冷縁は、水中に溶岩が固まったことを示しています。急冷縁の有無が、ハイアロクラスタイトを見分ける一番の特徴となります。
 マグマの量が多く、粘り気(粘性といいます)が小さいとき、水中に流れ込んでもマグマが壊れないことがあります。ある割れ目から出てきたマグマは、まるで練り歯磨きのチューブを押し出したように、円柱状にでてきます。周りは海水のなので、すぐに急冷縁を持った溶岩になります。勢いが止まると、先端は丸い球状の急冷縁ができます。丸太のようなものが何個も何個も連なり、まるで枕を並べたような形状になることがよくあります。このような溶岩を枕状溶岩と呼びます。枕状溶岩は、急冷縁とともにマグマが水中で形成されたことを示しています。
 このような多様性ができるのは、マグマが熱いのと岩石に断熱効果があるためです。表面が海水に触れて冷え固まっても、内側はまだ熱いマグマのまま固まらないで、溶岩の流れで新たな割れ目ができて、またそこが急激に冷却され、壊れたり、ガラスができたりします。枕状溶岩とハイアロクラスタイトとが連続的に変化していくこともよくあります。
 狩場トンネルの途中にある休息所で、不思議な縞模様を持つ溶岩と、ハイアロクラスタイトを近くで見ることができます。そんな過去の壮大な火と水のせめぎあいを、今では穏やかな海岸で見ることができます。

・秋の訪れ・
北海道は秋めいてきました。
気温はそれほど下がっていないのですが、
高山での初雪の知らせもとどきました。
わが町でも、紅葉がはじまり、
気の早い木々は葉を落とし始めています。
一気に秋に向かいそうです。
雪が来る前にしたいことがいくつかあるのですが、
さてさて間に合うのでしょうか。

・お出かけ・
8月のでかけたときのことを
前回と今回書きましたが、
9月は、あちこちでかけました。
ですから、狩場山への旅行が
遠い以前のような気がします。
愛媛県西予市、宮崎県各地、
神居古譚-日高、京都から奈良
を1月の間にめぐりました。
ほとんど出かけていました。
今年は特に多く出かけました。
調査のためだけではないのですが、
チャンスさえあれば、エッセイのネタは探していました。
機会をみて、順番に紹介していきたいと考えています。

2009年9月24日木曜日

4_88 黒松内:狩場2009年 1

 ブナは、木偏に無という字(残念ながらフォントがありません)を使いますが、近年作られた日本文字です。黒松内では、木偏の貴いと書いてブナと読むことにしているそうです。黒松内でブナ林を見てきました。

 2009年8月初旬、黒松内を訪れました。当初は、半日だけの滞在の予定でしたが、天候が悪るかったのと、黒松内には見るべきところがいくつもあったので、1日半も見学することになりました。予定変更は、天候が悪かったためです。狩場山へ登山をする予定が、雨が降ったりやんだりだったので、諦めて、黒松内を見てまわることにしました。
 川に入ったりすることができませんでした。ただし、ブナ林の散策コースだけは、朝一番の雨が降っていないとき、1時間ほど歩くことができました。有名な歌才(うたさい)のブナの自然林ではなく、添別(そいべつ)のブナ林を見ることにしました。
 添別のブナ林は、70年ほど前に伐採された森で、その後開発されることなく、自然に再生した二次林です。しかし、若いブナの元気さを感じました。キノコがいっぱいで、いろいろな種類のものを見ることができました。一番よく見かけたものは、後でしべたらテングダケという毒キノコでした。また、クマのつけたなまなましい傷後とフンをみることができました。近くで草刈の音がしていたので、歩いていても不安はなかったのですが、ここには自然がまだいっぱい残っています。
 黒松内は、「北限のブナ林」として有名です。歌才のブナ林は、大半がブナ(純林といいます)で、樹齢200年以上の自然林です。そのため、1928(昭和3)年に、国の天然記念物に指定されました。
 ブナは、落葉広葉樹で、温帯では主要な樹種となります。氷河期には、北海道からはブナがなくなりました。その後間氷期になって、ブナは、北進してきました。縄文時代には、暖かさのピークとなり、黒松内までたどり着きました。しかし、縄文時代と比べると現在は平均気温が2℃ほど低いですから、ブナの北進は終わり、後退しているのではないかと考えられます。
 実は、黒松内の添別川では、貝化石がたくさん取れます。特に、河床のある部分に、化石が集まっているところ(化石床といいます)があります。化石床には、びっしりと化石があり、自由に取っていいことになっています。「ブナセンター」というビジターハウスにいけば、代表的な標本が展示されていますし、採取や整理の指導も受けることができます。
 貝化石は、瀬棚層とよばれる地層から産出します。瀬棚層は、170万から70万年前の浅い海でたまった堆積物です。瀬棚層が露出するほかの場所にも、化石床があるそうです。
 海の貝がざくざく取れるのですが、雨で増水していたため、今回は採取しませんでした。子供と一緒だったので、雨の中で動き回るは大変なので、「ブナセンター」に長くいることになりました。
 黒松内は、再び、のんびりと訪れたい町となりました。

・帰省・
昨日まで、私は、京都に里帰りをしていました。
秋の大型連休を利用しての
家族全員での里帰りです。
子供たちは久しぶりの実家です。
母は年に1、2度は北海道に来ていますが
家族で京都に行くのは、交通費がかかるので
北海道に着てから、ほとんどいっていませんでした。
法事などでも、私一人が行くことにしていました。
北海道の夏休みが短いのと京都の夏が暑いので、
春秋しか帰省はできないと思っていました。
しかし、長男が来年から中学生になるので、
家族で行動できる機会が減るはずです。
今回が最後のチャンスになるかもしれないと、
思い切ってこの時期に里帰りすることにしました。

・黒松内層・
黒松内には、黒松内層とよばれるものがあり、
その露頭もみることができます。
大きな崖となっているので、
遠目にもはっきりと地層がみえます。
黒松内層は、瀬棚層より古く
500万から140万年前にたまったものです。
また、瀬棚層は浅い海でしたが、
黒松内層は深い海底です。
黒松内を構成する地層も、
時代とともに、環境変化してきています。

2009年9月17日木曜日

5_85 巨大火山:テクトニクス9

 コールド・プルームの反作用のように、マントルの底から暖かいホット・プルームが上昇します。その上昇流がマントル対流のスタートですが、その上昇流がさまざまの火山活動、そしてプレート・テクトニクスの基本となる海嶺の活動をも説明していきます。

 ホット・プルームはマントル物質(カンラン岩)が細い管のような状態で上昇していく流れです。このホット・プルームが、少々不思議な上昇プロセスを取ることが分かってきました。
 物性を調整して小さな水槽の中で、マントルを再現するモデル実験がなされました。すると、上昇流の最上部がキノコのような形状になることが分かってきました。キノコの傘の部分が、くるくると内側に巻き込まれていきます。その規模は、巨大で上昇流の何倍もの大きさになります。そのキノコ状の部分に、温かいマントル物質が溜まることになります。つまり巨大なマントルだまり(マグマだまりでないので注意)になります。そこから、枝分かれしたマントル物質が上昇します。
 もし、そのマントル物質の流れが、直線的な割れ目に入っていけば、中央海嶺になります。太平洋には、非常に古い海洋地殻があるので、その活動時期は少なくとも1億5000万年以上に達するはずです。中央海嶺といえば、海洋プレートの形成の場でもあります。つまり、プレート・テクトニクスのスタート地点でもあります。
 キノコからそのままマントル物質が上昇すれば、活動域が最大1000kmに達するような超巨大火山を形成することもあります。海嶺も巨大火山も、巨大なマントルだまりがあるため、活動期間は数1000万年から数億年におよぶ長いものとなります。非常に息の長い火山活動となります。
 このようなホット・プルームがどのような履歴をもっている物質かを調べたところ、ある見積もりでは、10億年前の海洋プレートに由来するという説もあります。沈み込んだ海洋プレートが、コールド・プルームとして下降し、D"層として長らくマントルの底にあったものが、10億年の時を経て、地表に戻ってきたことになります。
 地球全体で見たとき、ひとつのホット・プルームが上昇してくると、火山活動が活発な時期ができます。実際に地球の歴史で、火山活動の活発な時期をみていくと、数億年に1度の割で、激しい活動が起こってきたことがわかってきました。これが、メガリスの落下、ホット・プルームの上昇などのサイクルに対応していると考えらます。
 以上が、地球全体におよぶテクトニクスとなります。テクトニクスとは、地球の大地の構成をつくりあげるためのモデルのことです。このような、ホット・プルームやコールド・プルームによるテクトニクスを、プルーム・テクトニクスと呼びます。プレート・テクトニクスが地表部分の営みの解説であったの対し、プルーム・テクトニクスは、マントルにまでおよぶ地球全体のテクトニクスといえます。
 プルームは、定常的なマントルの流れを意味するのではなく、間欠的に起こるもので、総体としてみると対流となっています。このプルーム・テクトニクスは、マントル対流を意味し、プレート・テクトニクスもモデルの中に組み込んでいます。現状では、一番多くのことを説明可能なテクトニクスのモデルです。

・科学の流れ・
プルーム・テクトニクスは、丸山茂徳さんが
当時名古屋大学におられた深尾良夫さんが作成された
地震波トモグラフィを始めて見せてもらったとき、
思いつかれたと本人から伺っています。
丸山さんは、地球の各地の地質をたくさんみてきて、
まとめてこられたからこそ、思いついたのでしょう。
しかし、それをモデルとして、多くの人が納得する形に
データや論理を積み重ねていくことが、本当の科学というものです。
それには、多くの研究者の協力が必要になります。
最初は少数派でしょうが、そのモデルがいけるとなると、
だまっていても多くの研究者は研究していきます。
そのような流れを生めるかどうかが重要なのかもしれません。
プルーム・テクトニクスは現在では主流となっています。

・夏休み・
北海道も、いよいよ秋が深まってきました。
大学も来週から後期が始まります。
ですが、私の夏休みはまだ終わっていません。
今度の連休は京都にいきます。
家族で里帰りです。
家族での里帰りは久しぶりです。
墓参りと京都の奈良へもいってみよう思っています。
それが終われば、後期のスタートです。
秋めいてきての夏休みは少々奇異な感じがしますが。
私は、9月が一番、調査できる時期なので、
9月が私の夏休みとなります。

2009年9月10日木曜日

5_84 ホット・プルーム:テクトニクス8

 D"層がプレートの墓場ですが、そこはプレートの揺りかごでもあります。核で温められたD"層が、ホット・プルームとして、上昇してきます。これが、上昇するマントル対流となります。これが解明されれば、マントル対流の全貌がわかることがになります。このようなマントル対流全体が、プルーム・テクトニクスと呼ばれています。

 D"層が海洋プレートの墓場だというのを、前回、紹介しました。D"層は、マントルの底に、部分的にしか見つかりません。長年地球はプレート・テクトニクスが働いていたわけですから、海洋プレートは大量に沈んでいったはずです。それが、D"層が全域にないのは、不思議な気がします。D"層がコールド・プルームの到達後、形成されるわけですが、その後が、少々気になるところです。
 D"層は、時間がたてば、核から伝わる熱によって温められることになります。でも、D"層の岩石は、下部マントルのもともとあった岩石(カンラン岩)とは違った経歴で、性質も違った岩石となっています。D"層は、いったん地表を経由した岩石で、なおかつ不均質です。このような物質が温められると、地震波の速度は低下していくので、周囲の下部マントルのカンラン岩と、地震波では見分けがつかなくなります。
 だたし現在では、地震波の解析技術も進み、D"層には、一箇所だけですが、異常なところが見つかっています。カリブ海の下に見つかっているものですが、ここD"層では、海洋プレートの玄武岩の成分が、一部分が溶けているのではないかと考えられています。
 海洋プレートの中で一番解けやすい成分は玄武岩です。溶けた玄武岩は、鉄の成分が多いため、周囲のマントル物質より重くなる可能性があり、マントルと核の境界に溜まってしまうことが考えられます。そのようなマグマが集まれば、異常な低速度層となるはずです。中央太平洋のD"層の底には、マグマが集まっているかのような低速度層が見つかっています。
 このようなD"層の実態は、現在も研究中で、上で紹介した解釈も、今後二転三転する可能性があります。まだ未解決な部分が多々あり、こからの課題です。
 さて、コールド・プルームが発生すると、必然的にホット・プルームが発生します。なぜなら、コールド・プルームとして大量の物質が、マントルの底に向かって降下していけば、その量に見合った物質が上にいかなければ、物質の収支があいません。
 上昇するところは、長年D"層として温められた部分が主力となるはずです。上昇していくマントル物質は、暖かく、メガリスの大きさに見合ったものになるはずで、巨大なマントル上昇流となります。塊としていくより、細い管のような流れとして上昇していくと考えられます。これを、ホット・プルームと呼んでいます。
 この上昇の仕方と規模が特異なのですが、それは次回としましょう。

・プルーム・
ホット・プルームは、最初は、スーパー・ホット・プルームと
呼ばれていました。
少々まどろっこしい用語なのですが、
プルーム・テクトニクスを考えだされた丸山茂徳さんが
そう呼ばれたため、しばらくその名称が使われていました。
ただし、コールド・プルームはそのままです。
当時、プルームといえば、
ハワイなどのプレートの真ん中で活動する、
マグマの由来がはっきりとしないマントル上昇流に対して
ホット・プルームと名称が事前に使われていました。
それとは規模が違うので、スーパーをつけて区別されました。
しかし、ハワイの火山も、実は、D"層から来た
ホット・プルームに由来するものであると考えられています。

・宮崎調査・
このメールマガジンが届く頃には、
私は、宮崎で地質調査をしてます。
4日に宮崎入りをして、11日までいます。
1週間の調査ですが、いくつかの目的があるのですが、
今回は、宮崎層群を調べることが目的です。
調査の様子は、別の機会に紹介しましょう。

2009年9月3日木曜日

5_83 D"層:テクトニクス7

 今回は、マントルの一番底の話になります。マントルの底には、D"層と呼ばれるものがあります。このD"層は不思議な層で、その実態がよくわなっていなかったのですが、最近ここが、プレートの墓場であることがわかってきました。そして、そこはマントル対流の行き着く先でもありました。

 メガリスの話を前回しましたが、メガリスとは、海洋プレートが遷移層の底で滞留したものでした。しかし、メガリスの形成には、予想外の物理現象がありました。それは、玄武岩が低温の場合、より高い圧力まで、低密度の鉱物が安定であるこということです。低温の玄武岩では相転移が起こりにくく、沈み込みにブレーキかける働きをします。
 メガリスの中に「浮き」の成分ができます。海洋プレートのカンラン岩は、通常の結晶で相転移が進み、「錘」となります。両者の兼ね合いが、メガリスの浮き沈みを決定します。古くて十分冷めた海洋プレートは、「浮き」が大きく、メガリスが遷移層にとどまります。
 この不思議な相転移は、高温高圧発生装置による鉱物合成実験の結果から、わかってきたことです。この実験結果は、当時の相転移の常識に反するものでした。しかし現在では追試もされ、多くの研究者から認められるものとなりました。この不思議な相転移が、メガリスを生むことになります。
 沈み込んだ海洋プレートは冷たいうちは、「浮き」として働き、メガリスとして、遷移層の下部にとどまります。しかし、周辺のマントルは温かいので、メガリスも温まります。すると、玄武岩の結晶の相転移も進みます。温まった玄武岩は「錘」になります。
 このような浮きと錘と釣り合いが、ある一定上の大きさ、一定以上の期間を経過したメガリスでは、バランスがくずれて、重くなり、下部マントルを落下していきます。地震波では、下部マントルでは大きな相転移はみつかっていません。ですからメガリスは、低温で密度が大きいため、下部マントルの底、つまりマントルの核の境界まで落ちていきます。
 さて、マントルと核の境界には、D"(ディー・ダブルプライム)層と呼ばれる不思議なものが、以前から見つかっていました。D"層は、地震波が高速度になるところとして、特徴づけられていました。地震波が高速度とは、低温の物質があることを意味していました。
 D"層は、不思議な存在でした。50kmから400kmほどの厚さもまちまちで、マントル底部に普遍的に存在するものではなく、ないところ(地震波で確認できない)もありました。また、D"層内部を詳細に見ると、非常に不均質であることがわかりました。D"層は、不思議な存在で、なにものなのかがわかりませんでした。
 ところが現在では、メガリスが落ちてきたもの、つまり海洋プレートから由来してきたものだとわかってきました。落ちてきたメガリスだとすれば、低温だし、部分的にしか存在しないし、厚さもさまざまで、中身も不均質になります。今では、D"層は、海洋プレートの「墓場」として理解されています。
 海嶺で形成された海洋プレートがコールド・プールとして、D"層になります。D"層は、数億年ほどかけて暖められ、やがて別の役割を担います。それは次回としましょう。

・サバティカル・
一昨日まで、愛媛県西予市にいってきました。
1泊2日のとんぼ返りの旅行でした。
目的は、来年春からサバティカルで
西予市に1年間滞在することになっています。
サバティカルとは研究のための長期休暇のことで、
わが大学でもこの制度があります。
ただし、再来年から予算の関係でどうなるかは
現在問題となっています。
幸い、私は、1年前に決定してましたので、
予定通りでかけられるようになっています。
そのサバティカルのために、
市長や教育長などの主だった人に挨拶をして、
研究環境を調整するために関係機関との打ち合わせをします。
この町とは、20年ほどの交流があり、
後輩もいるので、なじみのある町です。
そこで1年過ごせるのは幸せなことだと思っています。

・心の師・
玄武岩の相転移の逆転を最初に発見したのは、
岡山大学の伊藤英司さんでした。
現在は退官されていますが、
私もお世話になっていました。
分野が違うので、直接の師弟関係はなかったのですが、
生活や精神の上では大いに世話になり、
現在でも心の師と思っています。

2009年8月27日木曜日

5_82 コールド・プルーム:テクトニクス6

 地表部はプレートの運動が支配しています。プレート・テクトニクスが、地表の大地の営みを解明しました。しかし、プレートの運動は、もっと深い部分にその原動力があります。それは、マントル対流と呼ばれていますが、単純なものではなく、地球の仕組みを反映した複雑なメカニズムが支配しているのが見えてきました。

 マントルは、カンラン岩と呼ばれる岩石からできています。ただし、一様な岩石ではなく、大きく2つの種類に分かれることになります。その境界は、遷移層と呼ばれる深度400kmから670kmあたりにあります。その層を境界(遷移層下部の670kmを境界にしています)にして、上を上部マントル、下を下部マントルと呼びます。
 地震波による地球内部の探査によると、上下マントルで密度の違う岩石があることが分かっています。つまり、上下マントルで、別の岩石になっていることになります。地球内部にいくにつれて、高温高圧の条件になっているために、同じ鉱物でも、深部ではより高密度の結晶になっていきます。その境界は、物理条件によって、必然的に生じるものになります。ですから、同じ化学組成のカンラン岩だとしても、鉱物の組み合わせの違っている全く別の岩石というべきものになっています。
 もともとマントルはカンラン岩からできていると考えられているのですが、マントルの上下で、物質の性質としては、かなり違ったものとなっています。マントルが対流しているとすれば、その境界部で、対流がどう振舞うかが問題となります。
 それがどんな問題かというと、境界部に関係なく対流が行き来するか、それともその境界を物質が越えることなく、上下で別々の対流になっているのかです。行き来する方はマントル対流が一つなので1層対流、行き来しないのは上下で対流ができるので2層対流となります。
 さらに、1層対流なら、物質は上下マントルを行き来しているので、マントルのカンラン岩は、常に混ぜられていることになります。結晶は条件で変化しますが、化学組成は上下でそれほど変わらないはずです。一方、2層対流なら、熱だけが上下を移動して、物質は移動しないことになります。上部マントルは、地上の大陸、海洋、大気と物質をやり取りしているので、長い時間がたてば、上部マントルはもともとのマントル物質とは変わってくることになります。つまり、2層対流なら、遷移層は物質境界となり、1層対流なら単なる相転移の境界となります。
 1層対流か2層対流かは、地震波トモグラフィと呼ばれる、地震波による地球断層撮影という手法によって解決されました。地震波トモグラフィとは、地震波によって地球内部を覗くのですが、コンピュータによって、大量の地震波データを用いて、地球内部を3次元的に示す方法です。地震波は、密度によって進むスピードが変化します。密度は、温度によって変化しますから、物質がわかれば、温度が推定できます。つまり、地震波トモグラフィを、地球内部の温度分布を見ることにも使えます。
 地震波トモグラフィによる地球内部の温度分布によって、マントル対流が見えるようになりました。特に、冷たい海洋プレートが沈み込んでいる状態がよく見えました。太平洋の海洋プレートが日本海溝に沈みこみます。その海洋プレートは、遷移層の底にあたる670kmにまで沈み込みます。そこでいったん停止します。
 なぜ、停止するのでしょうか。沈み込む海洋プレートのうち、海洋地殻を主要部を構成する玄武岩は、上部マントル条件では密度は大きく、海洋プレート全体を引っ張るほどの原動力になるのですが、670kmの結晶の相転移で、不思議なことに、下部マントルの輝石(実際にはペロフスカイトと呼ばれる鉱物)より、密度の小さな結晶に相転移(ポストスピネル転移と呼ばれています)します。そのため、海洋プレートのうち玄武岩の成分だけが、「浮き」の役割を果たします。玄武岩の「浮き」のために、海洋プレート全体が、遷移層の底に滞留することになります。
 このような滞留する冷たいプレートが地震波トモグラフィで見えてきました。このような冷たい海洋プレートのたまったものは、メガリスと呼ばれます。一定以上の厚さを持ったメガリス、つまり長時間沈み込みが続き大量に滞留した海洋プレートは、なだれのように下部マントルに落ち込んでいるところも見えてきました。このような冷たいマントルの下向きの流れをコールド・プルームと呼びます。
 このコールド・プルームは、マントル全体におよぶ下向きの対流とみなせます。そうであれば、マントルは、上下の隔てなく物質ごと、1層の対流として振舞っていることになります。この地震波トモグラフィは、対流を可視化させることになり、説得力のあるものとなっています。ただし、まだ異論もあり完全な決着はみていませんが。

・始原マントル・
始原マントルという言葉があります。
始原マントルとは、隕石と似たような
化学組成をもっているマントルで、
地球の初期に存在したと考えられているものです。
しかし、実際に始原マントルに由来すると考えられる
化学組成の岩石が、各地で見つかっています。
2層対流で物質が入れ替わることがなければ、
始原マントルが下部マントルに
存在すると考えられていました。
それが、マントル対流が、地震波トモグラフィによって
マントル全体におよぶ1層対流として考えられてきたため
そのようなものを想定しづらくなってきました。
しかし、始原マントル由来の成分が見つかるということは、
マントルは、長年対流しているにもかかわらず、
まだ完全に混ざっていないことを示しています。
いったんできた不均質という履歴は
なかなか消えないのかもしれません。

・夏休みの終わり・
8月もいよいよ終わりに近づいてきました。
8月の下旬ともなる秋めいてきました。
今年の北海道は、爽快な夏がなく、
雲の多い、蒸し暑い夏でした。
快適なはずの北海道の夏を味わうことなく
秋がもうすぐそこに来ています。
小・中・高校の学生は、夏休みの終わりを惜しみながら、
あわただしい日々を過ごしていることでしょう。
ただ、北海道は、もうとっくに2学期が始まっていますが。
私の夏休みは、今週から本格的になりました。
前期の校務は終わりました。
ただ、学生は、今週から後期の単位となる、
集中講義を受けています。
私は、9月から出歩くことになるので、
そのための準備に、今週は忙しくしてます。
まあ、いつものように忙しいのです。
私だけでなく、多くの社会人が、
同じように忙しい思いをしているのでしょうが。

2009年8月20日木曜日

5_81 対流:テクトニクス5

 前回までに、プレートが、なぜ動くのかを紹介しました。今回は、もう少し地球の深い部分にまで目を向けて、マントル対流を見ていきましょう。マントル内に、地震波で見ると境界があります。その境界が、マントル対流に対して、どのような意味を持つものなのかが問題となります。

 マントル上部に、温度が高く、流動性をもったアセノスフェアという部分があり、その上に乗っかったプレート(リソスフェア)が動く仕組みがあることが分かりました。海嶺にマントルから上昇してきた熱いマントルの上昇流の押し広げる力と、冷えて重くなった海洋プレートがマントルに沈み込むときの引っ張る力が、プレートを動かす原動力となっています。その結果、プレートが水平方向に移動していました。これが、地球の表層の大地の営みの原理ともいうべき、プレートテクトニクスの考え方です。
 このプレートテクトニクスによって、火山や地震の原因、山脈や海底地形の形成プロセス、火成作用や変成作用のメカニズムなどが、体系的に説明できるようになってきました。プレートテクトニクスは、大きな成果を挙げてきました。今後も、地表の大地の営みは、プレートテクニクスによって解明されていくことでしょう。
 前回、海嶺で熱いマントルが上昇し、海溝で冷たいプレートがマントルに沈み込むということは、大局的に見ると、マントル対流になっているということをいいました。では、沈み込んだプレートはどこにたどり着き、熱いマントルは地球のどこから湧き上がってきたのでしょうか。このマントル対流を解明するには、地球深部を探ることになります。
 マントルは、上部マントルと下部マントルに分けられています。上下の境界は、遷移層と呼ばれる部分になります。地震波の研究から、遷移層は、深度400kmから670kmあたりにあることが分かっています。
 地球は、深部にいくに従って、温度と圧力が上がります。深度400kmは13万気圧、1450℃の条件、670kmは24万気圧、1600℃の条件になります。遷移層は、岩石の構成鉱物が、より高温高圧の結晶に変わる(相転移といいます)ためにできた、物質の違いによる境界が、地震波に現れていると考えられています。遷移層より上が上部マントル、下が下部マントルになります。
 遷移層は、物質境界であり、下部マントルから熱だけを上部マントルに伝え、上下に物質は移動しないと考えられていました。つまり、上部と下部マントルは、それぞれ別の履歴をもったマントル物質からできていると考えていました。
 上部マントルには、何度も海洋プレートとして地表付近を巡ったものが混じっていることになります。時には、地表の成分や物質がマントルを汚すこともあった(汚染といいます)と考えられています。上部マントルからは、大陸地殻となったり、海洋に溶け込んだり、大気になった成分などが、抜けていったと考えられていまる。
 一方、下部マントルは、地球ができたときのままの物質(始原物質や始原マントルとよばれています)が、そのまま残っていると考えられていました。ですから、上下のマントルは45億年も経過すると、かなり違った性質の物質になっていると考えられます。
 マントル内の熱を伝える方法は対流ですから、マントル対流も、上部マントルと下部マントルが、それぞれ別の対流をしていたと考えられています。このような上部マントルと下部マントルが性質の違う物質で、対流も上下別々に起こっているというモデルは、2層対流と呼ばれています。
 2層対流に対して、マントル対流は1層で起こるという考えもあります。1層対流は、遷移層が相転移の場にすぎず、物質が簡単に入れ替われる境界で、上下のマントルは常に物質ごと入れ替わっているという考え方です。
 この1層対流と2層対流の2つの考え方には、現在では、地震波トモグラフィという手法によって決着をみました。その内容は、次回にしましょう。

・地震波トモグラフィ・
地球深部を探るために、
地震波が重要な働きをしています。
現在も、その重要性は変わりませんが、
精度が向上して、地球内部の非常に微小な変化をも
観測することできるようになっています。
おかげで、マントル内の情報も
多く得られるようになってきました。
その情報を一つに総合化したものに、
地震波トモグラフィがあります。
トモグラフィとは断層撮影のことで、
医療でよく使われる方法です。
人体を切ることなく、人体内部の状態を探る方法です。
そのために、人体の内部を通り抜け
内部の物質や状態の変化を反映する
電磁波や粒子などが利用されます。
地球は岩石からできていて巨大なため、
人工的な電磁波は通用しません。
地震波を使って、内部を覗くことになります。
でも地震波は、自然現象ですから、
いつ起こるかわかりません。
でも幸いなことに、地球全体で見ると
多数の地震が、日々起こっています。
それを利用したものが地震波トモグラフィです。

・涼しい朝夕・
北海道は、お盆過ぎから急に
涼しい日が続くようになりました。
まだ、湿度は高く、晴れると蒸し暑くなりますが、
朝夕は、上着が欲しくなるような
日がくるようになってきました。
まだ、暑い日は来るのでしょうが、
このまま秋が来るのではという気配さえあります。
小学校が19日から始まりました。
2学期がスタートしたのですが、
大学では、まだ、前期の最後の詰めが行われています。
つまり、採点と成績評価です。
これが終わると、教員もやっと夏休みになります。
そんな夏休みが暑くないともう秋になりそうで、
なんとなく不安になります。
ですから、涼しい夏は、落ち着かなくなります。