しばらく間が開きましたが地質時代のシリーズを再開します。3月に古生代の話を書いたのを最後に、しばらく途切れていました。さて、今回は古生代と中生代の境界の話から再開しましょう。
地球の歴史で、大量の絶滅が何度か起こっています。どの程度の絶滅があったかは、その絶滅の事件が起きる直前まで生きていた生物の化石の種類が、その事件でその程度絶滅したかで、見当が付きます。つまり全滅前後の化石の種類を調べ、どれだけ絶滅したかを統計ととれば、その絶滅の規模をだいたい見当が付きます。この方法は一見簡単にみえますが、当たり前のことですが、たくさんの化石が出る時代でないと使えません。
この地質時代シリーズも紹介しましたが、化石がたくさん見つかるのは、顕生代(けんせいだい)と呼ばれる古生代の始まり(5億4200万年前)以降の時代です。生物が顕(あらわ)れた時代という意味です。つまり、生物が繁栄している時代ということです。もちろん現在も顕生代に含まれます。
それ以前の大絶滅がどんなに大規模であったとしても、その規模を見積もることはなかなか難しいものです。たとえていうと、どんなに状況証拠がそろっていても、肝心の多数の死体が見つからないことには、その虐殺の様子や程度はわからないようなものです。私たちが生物の進化を定量的に知ることができるのは、今のところ、顕生代だけです。つまり45.5億年の地球の歴史の9分の1しか、正確な絶滅の証拠をつかめないのです。
顕生代には、たくさんの絶滅があったことがわかっています。大きな絶滅の事件の多くは、時代の境界に用いられています。もちろん大きな絶滅があったのに、それが大きな時代境界になっていないこともあります。地質時代の境界は、学問の進展に伴って、必要に応じて、区分されてきました。今わかっているすべての情報が提示されて区分されたものではなく、そのときにあったデータでもっとらしいものをもととして区分されたものです。
ですから、今から考えると、なぜそこに境界があるか、なぜそちらの境界の方が重要視されているのか疑問に思えるものもあります。しかし、このような矛盾を解消するに、十分な議論をしていかなければなりません。もし変えるとしたら、今までの研究成果の表現を、すべて読み替えることにしなければならないからです。それは、すごく混乱を伴うことになるからです。
さて、大量絶滅の原因については、多くの研究があり、さまざまなものが考えられてきました。たとえば、気候の悪化、食物の悪化、病気、寄生虫、闘争、解剖学上のまたは代謝上の障害、種の老齢化、老化を示す過度の特殊化に向かった進化的浮動、大気の圧力のまたは組成の変化、有毒ガス、火山チリ、植物による過剰な酸素の生産、隕石、彗星、造山運動、卵を餌にする小型哺乳類による遺伝子プールの流出、捕食者の過剰な殺戮能力、宇宙線、洪水、地球の極の移動、大陸漂移などがあります。このあたりまでは、なんとなく科学的な根拠がありそうです。しかし、他の原因として、重力定数の変動、精神異常的な自殺因子の発達、エントロピー、太平洋海盆からの月の抽出、湖沼環境の排水、黒点などになると、それがどう大絶滅と結びつくのか、本当に起こったこのななか思えるようなことが原因となっています。さらには、神の意思、空飛ぶ円盤でやってきたグリーンハンターたちの襲撃、ノアの箱舟が狭かったなどなど、まさにありとあらゆる原因が考えられてきました。
なぜこんなにもたくさんの原因が挙げれているかというと、大絶滅が起こった理由がなかなか究明できないからです。生物が生きていた環境は、海、土、大気など地表にあるもののいずれかです。それらの環境は、移ろいやすく、なかなか明瞭な記録を残さないからです。もちろん生物の柔らかい肉体は、他の生物のエサや栄養になります。運良く他の生物の栄養にならなかったとしても、長い時間を経れば、有機物は分解してしまいます。最終的に残るのは、化石と呼ばれる、石化したもの部分だけです。
私たちが過去を調べるすべは、地層や岩石などの固体物質として残されたものだけです。化石ももちろん固体です。大気や海の記憶も、地層や岩石に刻印されていなければ、私たちは読み取ることができないのです。
私たちがよく知っている恐竜絶滅は、中生代と新生代の時代境界で起こった事件です。地質学者も大いに関心を寄せています。その大絶滅事件で、まじめに議論されたものだけでも、65種類の原因が考えられたそうです。
古生物学者や地質学者の多くは、一般に大絶滅が地球内の原因によると考えています。しかし、多くの研究者が納得している絶滅の原因で、唯一はっきりとしているのは、皮肉なことに、地球外の原因によるものです。それが有名な恐竜絶滅の隕石衝突説です。
たくさんの大量絶滅の中でも最大のものは、古生代の終わりにおこりました。古生代と中生代の境界は、古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と、中生代最初の時代である三畳紀(Triassic)の境界なので、P-T境界と呼ばれます。さて、次回は、その時代境界の話をしましょう。
・地質時代シリーズ・
地質時代シリーズを続けるのを、ついつい怠っていました。
地球地学紀行が連続していたためです。
これからは、忘れないようにこのシリーズを続けていこうと思います。
シリーズは、調べればいろいろと新しいことがわかってきて、
書き出すと長くなってしまいます。
でも、この「地球のささやき」は6つに分けて進めています。
それらを万遍なく書いていきたいと考えています。
もちろん、シリーズのようものは継続的に、
最新情報は、そのときにすぐに取り上げるようにしていきたいと思います。
・予兆現象・
Matさんから不思議な雲を見つけたという報告がありました。
それはもしかしたら、地震雲ではということでした。
私はそれに対して、次のようなメールを書きました。
「まず、地震雲については、私の専門とするところではありませんので、
その上での話とご了承ください。
現在のところ、地震雲と地震との完全な関連は、
まだ理論的には確立されていないはずです。
それは、地震の予兆に関しては、
残念ながら、完全な証拠が得にくいからです。
なぜなら、予兆現象に関する証拠は、
すべて後追いで提示され、記録されていくからです。
つまり提示される証拠に偏りがあるのです。
例えば、ある日何ごともなかったとき、
変な現象を見たと名乗り出る人は少ないでしょうし、
もし何もなければ、その現象は忘れ去られるでしょう。
でも、巨大地震があったときには、私はこんな現象を見た、写真を撮った、
という人がたくさん名乗り出て、証拠らしきものもたくさん集まるでしょう。
でも、それらの証拠が本当に予兆として特別な現象かどうかは、
注意が必要です。
何もないときにこそ、データを集めて、
特別な現象があったときと、比べることが重要になります。
もちろんそのような研究をなされている方もいるでしょう。
しかし、次の問題として、そのような予兆らしきものが、
地震とどのような関連があるかということを
論理的に証明にしなければなりません。
こと災害に関しては、不用意な仮説、あるいはあいまいな仮説を
研究者としては一般市民に向けて、安易に提示すべきではないでしょう。
人心を惑わすことは、不用意にすべきではないと思うからです。
それは研究者の倫理でもあります。
とりあえずは、学会でその説の正当性を、
多くの専門家の中で議論していくべきでしょう。
そのような意味で、地震の前兆現象は、
必ずしも、確立されているものではありません。
でも、今後、十分検討されるべきでしょうが。」
と答えました。
皆さんは、どうお考えになりますか。
2005年6月2日木曜日
2005年5月26日木曜日
4_59 白神岬:春の渡島半島3
北海道の最南端にある白神岬を訪れた日は、風の強い日でしたが、晴れていました。運良く青森県を眺めることができました。しかし、私は、遠くより足元の石を眺めることに、たくさんの時間を使いました。
道南にある渡島半島は、南側で東西2つに分かれています。東側は亀田半島、西側は松前半島と呼ばれています。北海道の最南端は、松前半島の松前町にある白神岬です。白神岬は、青森県の下北半島より南にあります。JRの津軽海峡線は、青森県の津軽半島から青函トンネルでこの白神崎の東側を通り、知内(しりうち)町で陸に顔を出します。
白神岬に向かう国道228号線は、トンネルと覆道の連続する道です。覆道の途切れたところに駐車場があり、白神岬という石碑があります。天気さえよければ、津軽海峡をはさんで津軽半島、下北半島、そして北海道の亀田半島も見ることができます。私が行った日も天気がよく、少々霞んでいましたが、遠くまでよく見ることができました。ゴールデンウィークでもあったので、多くの車が止まり、海越しに遠くの景色を眺めている観光客が後を絶ちませんでした。
さて、この白神岬は、ちょっと変わった石がみられます。私は、景色をほどほどにして、石を見にきました。駐車場の一番奥に海岸に下りる階段があります。そこから海岸に下りると、岩礁があり、岩石が出ているので、見ることができます。ここには、ほとんど人は来ません。
海岸の岩礁には、地層が見られます。この地層は、何種類かの石が複雑に入り乱れています。よく見るとぐにゃぐにゃに曲がったり、違った種類の石が入り混んで、混在しています。それぞれの石の境界は複雑ですが、はっきりとしています。階段付近にはチャートと呼ばれる深海底でたまる石があります。黒っぽいもの、白っぽいもの、緑がかった灰色のものなど、いろいろな色のチャートがあります。少し離れると緑色の玄武岩、泥岩と砂岩の繰り返しの地層もあります。
でも考えると、これらは不思議な石の組み合わせです。玄武岩はマグマが固まったものです。チャートは深海底にたまった生物の死骸が固まってできたものです。泥岩と砂岩の地層は陸から運ばれた土砂がたまったものです。
もう少し詳しくいうと、玄武岩は、海底の中央海嶺でというところで、海底火山によってできました。チャートは、中央海嶺から離れた海底で静かに、玄武岩の上にたまったものです。泥岩と砂岩の地層は、陸の近くで河川によって土砂が運ばれてくるような大陸棚でたまったものです。
いろいろな場所でできた石が、今や、がっちりとくっついて固まり、今の海岸で見られるのです。これらの石が、硬く固まっているということは、どこかで出会い、地下の深いところで固められたということになります。海でできた石と陸の近くでできた石が出会い、固まるような場所、それは沈み込み帯と呼ばれるところです。
陸近くの大陸棚と、海から来たプレートが沈み込む海溝のあるところが沈み込み帯です。海洋プレートの上部は玄武岩でできています。海洋プレートが海嶺から海溝まで長い時間移動している間に、生物の死骸が玄武岩の上にたまり、チャートという岩石ができます。海洋プレートが沈み込むときに、マントルまでいかずに、一部が陸側に剥ぎ取られてることがあります。剥ぎ取られた海洋プレートの一部は、大陸側の岩石の中にまぎれこんでいきます。このようにしてできた石の混合物からできた地質体を、付加体(ふかたい)と呼んでいます。
付加体の形成は、地殻深部での出来事なので、圧力の高い状態で起こります。そこでは、石が割れることなく変形したり、条件によっては割れてくっついたり、複雑な状態になって固まっていきます。このような付加体が白神岬には顔を出しているのです。その付加体ができたのは約2億年前のことだと考えられています。
波が洗う岩礁に、地球の歴史が読み取れるのです。私は、今の景色にそんな過去の歴史をダブらせながら白神岬を眺めていました。
・科学のロマン・
白神岬に立つと、かつての地下でおこった激しい運動を感じます。
大地の、ゆっくりとはしていたでしょうが、
激しい営みがあったことが、複雑に入り混じった石から想像できます。
これは実際に誰かが見たわけではなく、
地質学という科学が解き明かした
もっともらしい説を私が信じているからです。
その科学を信じる心が、ここでは大地のダイナミックな営みが起こったと、
私にそんな想像をもたらしたのです。
実際のところ、本当かどうかはわかりません。
私は科学を信じているから、そのような想像ができたのです。
でも、それが本当かどうかはわからないと、言えるところに、
更なる、科学の進歩があるのでしょう。
しかし、私は、そこにこそ、科学のロマンを感じるのですが。
・花見・
北海道も先週末の土曜・日曜日が暖かい日で、春を満喫できました。
一家で、小学校の父母会主催による花見に参加しました。
宮司さんが父母におられるので、
神社の境内を貸しきっての、昼からの花見大会です。
学校先生たちも参加していました。
その神社の参道は桜並木になっています。
紅白の幕を張り巡らし、他の氏子さんも一緒に花見です。
みんなでジンギスカンを食べました。
また、ジンギスカンを食べ終わるころ、
花見に参加していた子供たち20名ほどは、
近所の家の棟上式で餅まきがあるので、
子供全員が、数台の車に便乗して餅拾いにいきました。
うちの子たちも、いっぱい餅や、お菓子をもらってきました。
地元の祭りに参加しているという気がします。
その後、酔っぱらった大人たちは、カラオケ大会に突入しました。
我が家は、そこで終わりにして、近所の温泉にいきました。
夕食は子供たちがもらってきた紅白の餅を
いろいろに調理して、お腹いっぱい食べました。
子供たちは、拾ってきたおやつも食べました。
春を満喫した一日でした。
道南にある渡島半島は、南側で東西2つに分かれています。東側は亀田半島、西側は松前半島と呼ばれています。北海道の最南端は、松前半島の松前町にある白神岬です。白神岬は、青森県の下北半島より南にあります。JRの津軽海峡線は、青森県の津軽半島から青函トンネルでこの白神崎の東側を通り、知内(しりうち)町で陸に顔を出します。
白神岬に向かう国道228号線は、トンネルと覆道の連続する道です。覆道の途切れたところに駐車場があり、白神岬という石碑があります。天気さえよければ、津軽海峡をはさんで津軽半島、下北半島、そして北海道の亀田半島も見ることができます。私が行った日も天気がよく、少々霞んでいましたが、遠くまでよく見ることができました。ゴールデンウィークでもあったので、多くの車が止まり、海越しに遠くの景色を眺めている観光客が後を絶ちませんでした。
さて、この白神岬は、ちょっと変わった石がみられます。私は、景色をほどほどにして、石を見にきました。駐車場の一番奥に海岸に下りる階段があります。そこから海岸に下りると、岩礁があり、岩石が出ているので、見ることができます。ここには、ほとんど人は来ません。
海岸の岩礁には、地層が見られます。この地層は、何種類かの石が複雑に入り乱れています。よく見るとぐにゃぐにゃに曲がったり、違った種類の石が入り混んで、混在しています。それぞれの石の境界は複雑ですが、はっきりとしています。階段付近にはチャートと呼ばれる深海底でたまる石があります。黒っぽいもの、白っぽいもの、緑がかった灰色のものなど、いろいろな色のチャートがあります。少し離れると緑色の玄武岩、泥岩と砂岩の繰り返しの地層もあります。
でも考えると、これらは不思議な石の組み合わせです。玄武岩はマグマが固まったものです。チャートは深海底にたまった生物の死骸が固まってできたものです。泥岩と砂岩の地層は陸から運ばれた土砂がたまったものです。
もう少し詳しくいうと、玄武岩は、海底の中央海嶺でというところで、海底火山によってできました。チャートは、中央海嶺から離れた海底で静かに、玄武岩の上にたまったものです。泥岩と砂岩の地層は、陸の近くで河川によって土砂が運ばれてくるような大陸棚でたまったものです。
いろいろな場所でできた石が、今や、がっちりとくっついて固まり、今の海岸で見られるのです。これらの石が、硬く固まっているということは、どこかで出会い、地下の深いところで固められたということになります。海でできた石と陸の近くでできた石が出会い、固まるような場所、それは沈み込み帯と呼ばれるところです。
陸近くの大陸棚と、海から来たプレートが沈み込む海溝のあるところが沈み込み帯です。海洋プレートの上部は玄武岩でできています。海洋プレートが海嶺から海溝まで長い時間移動している間に、生物の死骸が玄武岩の上にたまり、チャートという岩石ができます。海洋プレートが沈み込むときに、マントルまでいかずに、一部が陸側に剥ぎ取られてることがあります。剥ぎ取られた海洋プレートの一部は、大陸側の岩石の中にまぎれこんでいきます。このようにしてできた石の混合物からできた地質体を、付加体(ふかたい)と呼んでいます。
付加体の形成は、地殻深部での出来事なので、圧力の高い状態で起こります。そこでは、石が割れることなく変形したり、条件によっては割れてくっついたり、複雑な状態になって固まっていきます。このような付加体が白神岬には顔を出しているのです。その付加体ができたのは約2億年前のことだと考えられています。
波が洗う岩礁に、地球の歴史が読み取れるのです。私は、今の景色にそんな過去の歴史をダブらせながら白神岬を眺めていました。
・科学のロマン・
白神岬に立つと、かつての地下でおこった激しい運動を感じます。
大地の、ゆっくりとはしていたでしょうが、
激しい営みがあったことが、複雑に入り混じった石から想像できます。
これは実際に誰かが見たわけではなく、
地質学という科学が解き明かした
もっともらしい説を私が信じているからです。
その科学を信じる心が、ここでは大地のダイナミックな営みが起こったと、
私にそんな想像をもたらしたのです。
実際のところ、本当かどうかはわかりません。
私は科学を信じているから、そのような想像ができたのです。
でも、それが本当かどうかはわからないと、言えるところに、
更なる、科学の進歩があるのでしょう。
しかし、私は、そこにこそ、科学のロマンを感じるのですが。
・花見・
北海道も先週末の土曜・日曜日が暖かい日で、春を満喫できました。
一家で、小学校の父母会主催による花見に参加しました。
宮司さんが父母におられるので、
神社の境内を貸しきっての、昼からの花見大会です。
学校先生たちも参加していました。
その神社の参道は桜並木になっています。
紅白の幕を張り巡らし、他の氏子さんも一緒に花見です。
みんなでジンギスカンを食べました。
また、ジンギスカンを食べ終わるころ、
花見に参加していた子供たち20名ほどは、
近所の家の棟上式で餅まきがあるので、
子供全員が、数台の車に便乗して餅拾いにいきました。
うちの子たちも、いっぱい餅や、お菓子をもらってきました。
地元の祭りに参加しているという気がします。
その後、酔っぱらった大人たちは、カラオケ大会に突入しました。
我が家は、そこで終わりにして、近所の温泉にいきました。
夕食は子供たちがもらってきた紅白の餅を
いろいろに調理して、お腹いっぱい食べました。
子供たちは、拾ってきたおやつも食べました。
春を満喫した一日でした。
2005年5月19日木曜日
4_58 メノウ:春の渡島半島2
ゴールデンウィークの前半に、渡島半島を訪れました。海岸沿いでは風の強いところが多く、ヤッケが必要なときもありましたが、幸い天気に恵まれて、春めいた暖かい日の渡島半島を見て回りました。渡島半島の東側を回ったときに、黒岩というところがありました。今回は黒岩の話をしましょう。
八雲町の町から北の方に10kmほどいくと、海岸線に山が迫ってきます。国道とJR函館本線が交差するあたりに、黒岩と呼ばれる集落があります。そこに、黒岩奇岩と呼ばれるところがあります。
黒岩自体小さな町なので、注意していないと通り過ぎてしまいそうなところです。黒岩奇岩は、名所とされて、地図にも出ているのですが、目立たないために、見落としてしまいそうです。また、行こうと思っても、民家の庭先のような狭い道を通っていくので、ここでいいのかな思いながら進まなければなりません。着くと、小さな看板があり、トイレもあり、一応観光名所というべき目印があります。
コンクリートの堤防を越えて、海岸にでると、なるほど奇岩とも呼ぶべき、ごつごつした岩礁が見えます。砂浜の中に、まさに忽然とあらわれます。あづまやがあり、その横には、赤く塗られた鳥居と、隣の岩の上にある祠(ほこら)に行くために赤い欄干の橋があります。名所らしい装いをもっています。
この奇岩は、流紋岩という火山岩からできています。流紋岩という火山岩が観察できます。この流紋岩は不思議なつくりをしています。場所によっていろいろな姿に見えます。
全体としては、ごつごつした岩ですが、場所によっては、いかにもマグマの固まったように見えるがっしりとしたところや、流紋岩という名前の起こりである流れるような模様のところあります。時には、枕状溶岩かのような放射状の割れ目もあります。数cmからこぶしくらいの大きさで丸い形をした石がたくさん含まれているところがたくさんあります。その様子は、一見すると、礫岩のように見えます。
この火山岩は、マグマが海底で噴出したとき砕かれてできたものです。水中で壊されたものなので、ハイアロクラスタイトと呼ばれるものです。ときどき、白色や灰色、透明感のある丸い粒や脈のようなところがあります。これは、メノウです。大きいものや小さいもの、形も色も、いろいろあります。
ここのメノウは、岩石がまだ熱い状態のときに、マグマと一緒に熱水も上がって来てできたと考えられます。熱水の中には二酸化珪素(SiO2)という成分も含まれていて、それがメノウをつくったと考えられます。二酸化珪素はメノウの主な成分です。
メノウが見つかっても、うまく割れそうにもありません。私は、砕けた破片をひとつ拾ってきました。でも、よく見るとあちこちで、メノウを採ろうとした形跡があちこちにあります。もともとはきれいであったであろうメノウが、採集できずに砕かれて無残な形として残されています。
黒岩奇岩の流紋岩とメノウは、看板にも書かれていませんから、一般の観光客にはわからないはずです。しかし、ここのメノウのことは、地質のガイドブックに紹介されているので、調べればすぐにわかります。私もそれを見て、ここに来たのですから。メノウに興味のある人たちが、取りに来るのかも知れません。あるいは私のような地質学者が採集するのかもしれません。
私が訪れた春の黒岩奇岩には、ゴールデンウィークだというのに観光客は誰もいませんでした。近所の人が、何組か散歩に来ていました。多分この地域の人たちにとっては、身近で愛すべきところなのでしょう。そして、ここは祠もあり、大切に今も守っているところに違いありません。静かな観光地にも、いろいろな物語があったのようです。
・科学が教えてくれること・
流紋岩の中には、時々透明できれいなメノウが時折あります。
このようなごつごつとした岩の中に、
自然の美しさが隠されているのです。
その理由を科学は探ることができ、
そして解明できるのは、すばらしいことです。
私が見たところ、きれいなメノウは、あまり見当たらず、
あっても誰かが採ろうとしてしくじったのでしょうか、砕かれています。
奇岩を身近な自然と感じている人。
奇岩を信仰対象とする人。
奇岩より自然の神秘を見る人。
奇岩を科学の対象として見る人。
奇岩を観光資源とする人。
奇岩を寂れた観光地と見る人。
自然の造詣を我が物にしようとする人。
それをいろいろ思い巡らしながら見守る私。
いろいろな見方ができることを、
この黒岩奇岩から感じることができました。
・心で感じること・
八雲町で黒岩奇岩は、朝日の名所だそうです。
考えてみると東向きの海岸であれば、
どこでも朝日は海岸線から昇るのが見えるはずです。
あえて、ここが、名所とされるのは、多分、
この黒岩奇岩や鳥居や祠のシルエットを前景にして
朝日をみると幻想的な景色になるのかもしれません。
私が訪れたのは、午前中で陽は高く上っていました。
科学は、この奇岩の由来が
流紋岩のマグマであることは説明してくれます。
しかし、砂浜の海岸に忽然と現れる不思議さは説明してくれません。
そして、奇妙に思える気持ちだって説明してくれません。
そんなことは、科学の領分ではないのでしょう。
ただ、そのその不思議さを心で感じればいいのだけなのでしょう。
・砂鉄・
ここの砂浜には黒っぽいところと、
普通の砂のところがあります。
黒っぽいところは、砂鉄がたくさん含まれています。
黄色っぽいものや緑色っぽいものは、輝石です。
砂鉄とは磁鉄鉱のことで、
火山岩の中に含まれていたものが、集まったものです。
内浦湾一帯の海岸には砂鉄がたくさんあり、
かつては砂鉄をとっていたことがあります。
そんな思いで、ここの砂を、2種類持ち帰りました。
八雲町の町から北の方に10kmほどいくと、海岸線に山が迫ってきます。国道とJR函館本線が交差するあたりに、黒岩と呼ばれる集落があります。そこに、黒岩奇岩と呼ばれるところがあります。
黒岩自体小さな町なので、注意していないと通り過ぎてしまいそうなところです。黒岩奇岩は、名所とされて、地図にも出ているのですが、目立たないために、見落としてしまいそうです。また、行こうと思っても、民家の庭先のような狭い道を通っていくので、ここでいいのかな思いながら進まなければなりません。着くと、小さな看板があり、トイレもあり、一応観光名所というべき目印があります。
コンクリートの堤防を越えて、海岸にでると、なるほど奇岩とも呼ぶべき、ごつごつした岩礁が見えます。砂浜の中に、まさに忽然とあらわれます。あづまやがあり、その横には、赤く塗られた鳥居と、隣の岩の上にある祠(ほこら)に行くために赤い欄干の橋があります。名所らしい装いをもっています。
この奇岩は、流紋岩という火山岩からできています。流紋岩という火山岩が観察できます。この流紋岩は不思議なつくりをしています。場所によっていろいろな姿に見えます。
全体としては、ごつごつした岩ですが、場所によっては、いかにもマグマの固まったように見えるがっしりとしたところや、流紋岩という名前の起こりである流れるような模様のところあります。時には、枕状溶岩かのような放射状の割れ目もあります。数cmからこぶしくらいの大きさで丸い形をした石がたくさん含まれているところがたくさんあります。その様子は、一見すると、礫岩のように見えます。
この火山岩は、マグマが海底で噴出したとき砕かれてできたものです。水中で壊されたものなので、ハイアロクラスタイトと呼ばれるものです。ときどき、白色や灰色、透明感のある丸い粒や脈のようなところがあります。これは、メノウです。大きいものや小さいもの、形も色も、いろいろあります。
ここのメノウは、岩石がまだ熱い状態のときに、マグマと一緒に熱水も上がって来てできたと考えられます。熱水の中には二酸化珪素(SiO2)という成分も含まれていて、それがメノウをつくったと考えられます。二酸化珪素はメノウの主な成分です。
メノウが見つかっても、うまく割れそうにもありません。私は、砕けた破片をひとつ拾ってきました。でも、よく見るとあちこちで、メノウを採ろうとした形跡があちこちにあります。もともとはきれいであったであろうメノウが、採集できずに砕かれて無残な形として残されています。
黒岩奇岩の流紋岩とメノウは、看板にも書かれていませんから、一般の観光客にはわからないはずです。しかし、ここのメノウのことは、地質のガイドブックに紹介されているので、調べればすぐにわかります。私もそれを見て、ここに来たのですから。メノウに興味のある人たちが、取りに来るのかも知れません。あるいは私のような地質学者が採集するのかもしれません。
私が訪れた春の黒岩奇岩には、ゴールデンウィークだというのに観光客は誰もいませんでした。近所の人が、何組か散歩に来ていました。多分この地域の人たちにとっては、身近で愛すべきところなのでしょう。そして、ここは祠もあり、大切に今も守っているところに違いありません。静かな観光地にも、いろいろな物語があったのようです。
・科学が教えてくれること・
流紋岩の中には、時々透明できれいなメノウが時折あります。
このようなごつごつとした岩の中に、
自然の美しさが隠されているのです。
その理由を科学は探ることができ、
そして解明できるのは、すばらしいことです。
私が見たところ、きれいなメノウは、あまり見当たらず、
あっても誰かが採ろうとしてしくじったのでしょうか、砕かれています。
奇岩を身近な自然と感じている人。
奇岩を信仰対象とする人。
奇岩より自然の神秘を見る人。
奇岩を科学の対象として見る人。
奇岩を観光資源とする人。
奇岩を寂れた観光地と見る人。
自然の造詣を我が物にしようとする人。
それをいろいろ思い巡らしながら見守る私。
いろいろな見方ができることを、
この黒岩奇岩から感じることができました。
・心で感じること・
八雲町で黒岩奇岩は、朝日の名所だそうです。
考えてみると東向きの海岸であれば、
どこでも朝日は海岸線から昇るのが見えるはずです。
あえて、ここが、名所とされるのは、多分、
この黒岩奇岩や鳥居や祠のシルエットを前景にして
朝日をみると幻想的な景色になるのかもしれません。
私が訪れたのは、午前中で陽は高く上っていました。
科学は、この奇岩の由来が
流紋岩のマグマであることは説明してくれます。
しかし、砂浜の海岸に忽然と現れる不思議さは説明してくれません。
そして、奇妙に思える気持ちだって説明してくれません。
そんなことは、科学の領分ではないのでしょう。
ただ、そのその不思議さを心で感じればいいのだけなのでしょう。
・砂鉄・
ここの砂浜には黒っぽいところと、
普通の砂のところがあります。
黒っぽいところは、砂鉄がたくさん含まれています。
黄色っぽいものや緑色っぽいものは、輝石です。
砂鉄とは磁鉄鉱のことで、
火山岩の中に含まれていたものが、集まったものです。
内浦湾一帯の海岸には砂鉄がたくさんあり、
かつては砂鉄をとっていたことがあります。
そんな思いで、ここの砂を、2種類持ち帰りました。
2005年5月12日木曜日
5_42 活火山
かつて火山の区分には、活火山、休火山、死火山という3つがありました。しかし、活火山以外の、休火山、死火山という用語は使わなくなりました。まさに、死語となりました。しかし、活火山という語は現在新たな定義で使われています。活火山という言葉を考えてみました。
火山噴火予知連絡会が、国際的な研究動向にあわせて、平成15年1月21日に、活火山を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動がある火山」という定義に改定しました。その結果、それまで86個あった活火山が、108個になりました。正式に死火山や休火山が消えたのは、2年ほど前のことなのです。
火山噴火予知連絡会というのは、火山噴火があるとニュースでよく聞く組織の名称ですが、「噴火予知に関する研究・開発の促進、火山活動の総合判断、研究観測体制の総合的検討を行うために」昭和49年に設置されたものです。研究者と防災関係者、30名以内で構成されています。
平成15年まで火山は、歴史的な記録がある2000年前くらい目処にして、活動期録があるものを「活火山」、活動記録がないものを「死火山」、活動記録があるが現在火山活動をしていない火山を「休火山」と呼んでいました。しかし、このような区分は、人間のライフサイクルと比べると十分はスパンをとっているように見えましたが、火山のライフサイクルは、数100年単位ではなく、数1000年、数万年単位となることから、このような区分は適切でないことがわかってきました。
そのような問題は、1979年(昭和54年)に、「死火山」とされていた木曽御嶽山が水蒸気爆発を起こしたことが、契機となり表面化しました。それまでの火山の区分が誤解を与えること、現状にそぐわないこと、その後の研究の進展によって、多くの火山は2000年以上の活動周期をもつこと、などの理由から見直しがされたのです。
現在、火山噴火予知連絡会では、活火山の定義は、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動がある火山」とされています。しかし、これにも問題がないわけではありません。火山のライフサイクルを考慮して、1万年という期間を設けたのですが、それで十分という保障はありません。
しかし、防災という側面を考えたとき、現段階で噴火の危険性がある程度判定できるものとして、「活火山」という用語は必要となります。防災のための監視を、どの火山で、どの程度すべきかを示唆してくれるからです。
その防災のために「活火山」は、A、B、Cの3つのランクがつくられ分類されています。ランクは、「過去100 年間に組織的に収集された詳細な観測データ」によって計算された100 年活動度指数と、「過去1万年間の地層に残るような規模の大きい噴火履歴(活動頻度,噴火規模及び活動様式)」によって計算された1万年活動度指数から、分類されています。
ランクAは13火山、ランクBは36火山、ランクCは36火山、対象外として23火山があります。また、各火山のうち、12の火山では、0から5の6段階の「火山活動レベル」を、それぞれの火山で気象庁のホームページで常時掲載されています。
火山活動というのは比較的理解しやすい概念です。地下にあったマグマや火山性ガスが地表で活動をはじめたものが火山活動です。火山活動によって形成された山が火山です。しかし、活火山はどうも一筋縄ではいきません。活火山は、一応上記のような定義はできますが、活火山に上げられたから今後噴火するかどうかはわかりませんし、今まで活火山とされていない火山でも噴火するものがあるかもしれません。あるいは、まったく今まで火山と関係のなかった地域で火山活動が起こることこともありえます。
たとえば、富士山も、最初から高い山があったわけではなく、あるときから火山活動を開始して、現在のような火山になってきたはずです。あるときに始まりがあるのです。ですから、活火山とは、言葉上の定義ができたとしても、それで十分といういうわけではありません。もちろん防災の面からもです。
これが、私たちの知識の現状なのかもしれません。火山噴火の予知は、だいぶ進んできました。特に火山観測網が十分なところでは、噴火の前にはさまざまな予兆的現象が記録されていきます。しかし、活火山は、どれほど監視しても、いつどこでどれくらいの噴火が起こるかを正確に予知できるとは限りません。
活火山という言葉から、いろいろなことを考えてしまいました。
今回のエッセイは、気象庁のホームページと、山里 平さんの
http://homepage3.nifty.com/hyamasat/levelrank.html
を参考にさせていただきました。
・休火山・
前回のエッセイで「休火山」という言葉を
不用意に使ってしまいました。
Aihさんから、その指摘を受けました。
この「休火山」という言葉は、
上で書いたように今では使わないのです。
以前に私もこのことをどこかで書いたことがありました。
まったくもって、私の不注意でした。
反省の意味をこめて、このエッセイを書きました。
申し訳ありませんでした。
改めてお詫びします。
・研究者の苦悩・
火山の定義はできます。
過去に活動した火山も、その定義に入れることができます。
しかし、古い火山の多くは、もはや活動しません。
では、活動しない火山と活動する火山は、
どこで線を引けばいいのでしょうか。
現状の科学では、線を引けません。
自然はそれほど単純ではないようです。
したがって、活火山の認定は、
人間への危険性という点に配慮して考えられます。
過去の火山の研究から、
「1万年」というタイムスパンを
火山活動のひとつの目安としたわけです。
しかし、その「1万年」という区切りは、
経験則とでもいうべきもので、科学的根拠はありません。
ですから、活火山として認定されてないから
活動しないという保証はないのです。
そこが困ったところです。
学術的には火山として
たとえば、いつごろからいつごろまで、
どのような活動して、現状はどうなのかを示せば、
用が足りるかもしれません。
しかし、人間生活への影響を考えると、
そう大雑把なことではすまなくなります。
学問が現実に、人間生活に応用、適用されるときの
苦悩がそこには、感じられます。
そして、研究者の苦悩も見え隠れしているように思えます。
火山噴火予知連絡会が、国際的な研究動向にあわせて、平成15年1月21日に、活火山を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動がある火山」という定義に改定しました。その結果、それまで86個あった活火山が、108個になりました。正式に死火山や休火山が消えたのは、2年ほど前のことなのです。
火山噴火予知連絡会というのは、火山噴火があるとニュースでよく聞く組織の名称ですが、「噴火予知に関する研究・開発の促進、火山活動の総合判断、研究観測体制の総合的検討を行うために」昭和49年に設置されたものです。研究者と防災関係者、30名以内で構成されています。
平成15年まで火山は、歴史的な記録がある2000年前くらい目処にして、活動期録があるものを「活火山」、活動記録がないものを「死火山」、活動記録があるが現在火山活動をしていない火山を「休火山」と呼んでいました。しかし、このような区分は、人間のライフサイクルと比べると十分はスパンをとっているように見えましたが、火山のライフサイクルは、数100年単位ではなく、数1000年、数万年単位となることから、このような区分は適切でないことがわかってきました。
そのような問題は、1979年(昭和54年)に、「死火山」とされていた木曽御嶽山が水蒸気爆発を起こしたことが、契機となり表面化しました。それまでの火山の区分が誤解を与えること、現状にそぐわないこと、その後の研究の進展によって、多くの火山は2000年以上の活動周期をもつこと、などの理由から見直しがされたのです。
現在、火山噴火予知連絡会では、活火山の定義は、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動がある火山」とされています。しかし、これにも問題がないわけではありません。火山のライフサイクルを考慮して、1万年という期間を設けたのですが、それで十分という保障はありません。
しかし、防災という側面を考えたとき、現段階で噴火の危険性がある程度判定できるものとして、「活火山」という用語は必要となります。防災のための監視を、どの火山で、どの程度すべきかを示唆してくれるからです。
その防災のために「活火山」は、A、B、Cの3つのランクがつくられ分類されています。ランクは、「過去100 年間に組織的に収集された詳細な観測データ」によって計算された100 年活動度指数と、「過去1万年間の地層に残るような規模の大きい噴火履歴(活動頻度,噴火規模及び活動様式)」によって計算された1万年活動度指数から、分類されています。
ランクAは13火山、ランクBは36火山、ランクCは36火山、対象外として23火山があります。また、各火山のうち、12の火山では、0から5の6段階の「火山活動レベル」を、それぞれの火山で気象庁のホームページで常時掲載されています。
火山活動というのは比較的理解しやすい概念です。地下にあったマグマや火山性ガスが地表で活動をはじめたものが火山活動です。火山活動によって形成された山が火山です。しかし、活火山はどうも一筋縄ではいきません。活火山は、一応上記のような定義はできますが、活火山に上げられたから今後噴火するかどうかはわかりませんし、今まで活火山とされていない火山でも噴火するものがあるかもしれません。あるいは、まったく今まで火山と関係のなかった地域で火山活動が起こることこともありえます。
たとえば、富士山も、最初から高い山があったわけではなく、あるときから火山活動を開始して、現在のような火山になってきたはずです。あるときに始まりがあるのです。ですから、活火山とは、言葉上の定義ができたとしても、それで十分といういうわけではありません。もちろん防災の面からもです。
これが、私たちの知識の現状なのかもしれません。火山噴火の予知は、だいぶ進んできました。特に火山観測網が十分なところでは、噴火の前にはさまざまな予兆的現象が記録されていきます。しかし、活火山は、どれほど監視しても、いつどこでどれくらいの噴火が起こるかを正確に予知できるとは限りません。
活火山という言葉から、いろいろなことを考えてしまいました。
今回のエッセイは、気象庁のホームページと、山里 平さんの
http://homepage3.nifty.com/hyamasat/levelrank.html
を参考にさせていただきました。
・休火山・
前回のエッセイで「休火山」という言葉を
不用意に使ってしまいました。
Aihさんから、その指摘を受けました。
この「休火山」という言葉は、
上で書いたように今では使わないのです。
以前に私もこのことをどこかで書いたことがありました。
まったくもって、私の不注意でした。
反省の意味をこめて、このエッセイを書きました。
申し訳ありませんでした。
改めてお詫びします。
・研究者の苦悩・
火山の定義はできます。
過去に活動した火山も、その定義に入れることができます。
しかし、古い火山の多くは、もはや活動しません。
では、活動しない火山と活動する火山は、
どこで線を引けばいいのでしょうか。
現状の科学では、線を引けません。
自然はそれほど単純ではないようです。
したがって、活火山の認定は、
人間への危険性という点に配慮して考えられます。
過去の火山の研究から、
「1万年」というタイムスパンを
火山活動のひとつの目安としたわけです。
しかし、その「1万年」という区切りは、
経験則とでもいうべきもので、科学的根拠はありません。
ですから、活火山として認定されてないから
活動しないという保証はないのです。
そこが困ったところです。
学術的には火山として
たとえば、いつごろからいつごろまで、
どのような活動して、現状はどうなのかを示せば、
用が足りるかもしれません。
しかし、人間生活への影響を考えると、
そう大雑把なことではすまなくなります。
学問が現実に、人間生活に応用、適用されるときの
苦悩がそこには、感じられます。
そして、研究者の苦悩も見え隠れしているように思えます。
2005年5月5日木曜日
4_57 柱状節理:春の渡島半島1
ゴールデンウィークの前半に道南に出かけました。今回は、渡島半島をぐるりと一周しました。そのときに見た地質現象と感じたことを紹介しましょう。
春の渡島半島の海岸沿いを、3泊4日で一周しました。北海道南部の渡島半島にあたる地域は、道南とも呼ばれる地域です。私は、以前にも渡島半島は何度か回っています。今回は、海岸線の調査として、全道をつなぐために、渡島半島を一周することにしました。
時計回りに半島を巡りながら調査をしました。噴火湾沿いに海岸を走り、渡島半島先端の東半分の亀田半島をめぐり、函館湾、そして渡島半島先端の西半分の松前半島を回りました。幸い天気に恵まれて予定通り調査を進めることができました。
渡島半島は活火山や休火山などが各地にあり、火山岩やその砕かれた岩石などを、いろいろな火山岩の形態を見ることができました。
ほぼこの今回と同じコースを、反対周りに、以前、まわったことがあります。もう30年近く前になります。巡検とよばれる地質見学旅行で、当時私は大学の2年生として、先生に連れられて、このコースを巡りました。そのときの記憶はそれほど残ってないのですが、いくつか思い出されるものがあります。そんな記憶を、今回は思い出しながらまわることになりました。
現地を見るまでまったく記憶から消えていたところが、現地にいってみると、思い出されることがありました。それまで一度も思い出すことがなかったのに、現地に行った瞬間に思い出すのです。30年近く前の記憶だというのに不思議なものです。
そんなひとつに柱状節理がありました。実は、その柱状節理の崖の光景だけは鮮明に覚えていたのです。しかし、その柱状節理を、渡島半島のどこで見たのか正確に覚えていなかったのです。実は渡島半島の東側の海岸で見たのではないかと勘違いしていました。しかし、この乙部町の柱状節理を見た瞬間、「あ、ここだ」と鮮明に記憶が蘇りました。
友人が立っていた光景、先生が説明されていた姿(内容は申し訳ありませんが覚えていません)も、道路わきで車が時々通るのも、同時に思い出しました。しかし、その景観の不思議さだけが記憶として残っていたのでした。
乙部町の海岸沿いにみられる崖に、柱状節理がきれいに出ています。ここの柱状節理は、安山岩のマグマが岩石として固まったときに、できたものです。一般にマグマは、固まるとき体積が少し縮みます。その減った分が割れ目(節理といいます)となります。割れ目には、規則性があります。マグマが固まるときの形と冷えるときの冷え方によって割れ目のでき方が、いろいろな形状となります。長く柱状になって節理ができたものを、柱状節理といいます。他にも板状、方状、放射状などの形状ができることがあります。
今回見た柱状節理は乙部町鮪ノ岬(しびのみさき)というところにあります。岬の付け根辺りに道路があり、道路はトンネルでその岬を潜り抜けます。岬は海に向かってゆるく傾斜して、海に入り込んだような形になっています。その傾斜はマグマの形を反映したものです。マグマが岩石の中に入り込んで(貫入といいます)冷え固まったのです。
ここでは、柱状節理はマグマの真ん中部にできています。柱状節理の高さは、トンネル付近では10mほどの厚さがあります。上部と下部にも節理があるのですが、不規則な割れ目となっています。下部は海岸の波打ち際で海食台のようにみえます。
不規則な節理の間に、整然とした柱状節理が岬の先端に向かって伸びています。まるで人工物のような不思議な景観をかもし出しています。この不思議な景観を30年近くたった今も、私は覚えていたのです。
これが人工的なものだときっとこの不思議さは出てこなかったでしょう。自然の柱状節理と人工物との違いは、その不規則さです。柱の形は、だいたい5角形になってるのですが、どれひとつと同じものがありません。また、5角形だけでなく、4角形、5角形、6角形もあります。また、正4角形、正5角形、正6角形になっていものは、ひとつもありません。でも、全体としてみると整然と柱が密集して並んでいるように見えます。
こんな不規則でいて、全体として規則的に見えるものなど、果たして人工的につくることができるのだろうか、ついつい考えてしまいます。もちろん乱数やカオスなどを発生させればできるでしょう。でも、人工物はきっと何のためということが前提にあるでしょう。
しかし、ここの柱状節理は、自然がつくった、ただあるがままの造形です。そこには存在意義を問うこともありません。意義と問うのは人間の側で、自然には正確につくらなければならない必然性もありません。そんことを考えていくと、自然の不思議さがますます増してきます。多分私は、この柱状節理は一生忘れ得ないものとなったでしょう。そして、その場所も今度は覚えていることでしょう。
・道南の黄砂・
道南は天気がよかったのですが、
初日の夜に黄砂とともに雨も降りました。
雨の黄砂のつくるまだら模様は、これまら不思議な模様でした。
窓ガラスは拭いたのですが、
旅行中ですから車を洗うこともできず、
黄色いまだら模様のまま走り続けました。
この時期、北海道でも道南の方では
よく黄砂は見られるらしく、
地元の人は驚かないようです。
私の住む札幌近郊ではまれに降ることありますが、
珍しい現象となります。
桜より先に、大陸から春の便りが来ました。
・子供の見方・
今回の調査は家族連れで行きました。
乙部町の柱状節理のある場所で、
子供に「柱は何角形か」聞いたら、
一生懸命子供が数えて「11角形」と答えました。
大きな割れ目も小さな割れ目を区別せず数えたのでしょう。
私としては、5角形か4角形と答えてもらいたかったのですが、
実際に近づいて数えてみようとすると、
確かに正多角形ではなく、いびつな形をしています。
ですから、4、5とか6とはっきりとしたものもありますが、
不規則な多角形もたくさんあります。
さすがに11角形は、細かい角も数えすぎかもしれませんが、
先入観を持ってみているせでしょうか、
あるいは知識を優先しているのでしょうか、
はたまた、ざーっと見ているせいでしょうか
5角形が多いような気がします。
こんな柱状節理は、私のように子供の記憶にどれだけ残るでしょうか。
こればかりは親の思い通りにはいかないはずです。
子供の自身の記憶ですから。
春の渡島半島の海岸沿いを、3泊4日で一周しました。北海道南部の渡島半島にあたる地域は、道南とも呼ばれる地域です。私は、以前にも渡島半島は何度か回っています。今回は、海岸線の調査として、全道をつなぐために、渡島半島を一周することにしました。
時計回りに半島を巡りながら調査をしました。噴火湾沿いに海岸を走り、渡島半島先端の東半分の亀田半島をめぐり、函館湾、そして渡島半島先端の西半分の松前半島を回りました。幸い天気に恵まれて予定通り調査を進めることができました。
渡島半島は活火山や休火山などが各地にあり、火山岩やその砕かれた岩石などを、いろいろな火山岩の形態を見ることができました。
ほぼこの今回と同じコースを、反対周りに、以前、まわったことがあります。もう30年近く前になります。巡検とよばれる地質見学旅行で、当時私は大学の2年生として、先生に連れられて、このコースを巡りました。そのときの記憶はそれほど残ってないのですが、いくつか思い出されるものがあります。そんな記憶を、今回は思い出しながらまわることになりました。
現地を見るまでまったく記憶から消えていたところが、現地にいってみると、思い出されることがありました。それまで一度も思い出すことがなかったのに、現地に行った瞬間に思い出すのです。30年近く前の記憶だというのに不思議なものです。
そんなひとつに柱状節理がありました。実は、その柱状節理の崖の光景だけは鮮明に覚えていたのです。しかし、その柱状節理を、渡島半島のどこで見たのか正確に覚えていなかったのです。実は渡島半島の東側の海岸で見たのではないかと勘違いしていました。しかし、この乙部町の柱状節理を見た瞬間、「あ、ここだ」と鮮明に記憶が蘇りました。
友人が立っていた光景、先生が説明されていた姿(内容は申し訳ありませんが覚えていません)も、道路わきで車が時々通るのも、同時に思い出しました。しかし、その景観の不思議さだけが記憶として残っていたのでした。
乙部町の海岸沿いにみられる崖に、柱状節理がきれいに出ています。ここの柱状節理は、安山岩のマグマが岩石として固まったときに、できたものです。一般にマグマは、固まるとき体積が少し縮みます。その減った分が割れ目(節理といいます)となります。割れ目には、規則性があります。マグマが固まるときの形と冷えるときの冷え方によって割れ目のでき方が、いろいろな形状となります。長く柱状になって節理ができたものを、柱状節理といいます。他にも板状、方状、放射状などの形状ができることがあります。
今回見た柱状節理は乙部町鮪ノ岬(しびのみさき)というところにあります。岬の付け根辺りに道路があり、道路はトンネルでその岬を潜り抜けます。岬は海に向かってゆるく傾斜して、海に入り込んだような形になっています。その傾斜はマグマの形を反映したものです。マグマが岩石の中に入り込んで(貫入といいます)冷え固まったのです。
ここでは、柱状節理はマグマの真ん中部にできています。柱状節理の高さは、トンネル付近では10mほどの厚さがあります。上部と下部にも節理があるのですが、不規則な割れ目となっています。下部は海岸の波打ち際で海食台のようにみえます。
不規則な節理の間に、整然とした柱状節理が岬の先端に向かって伸びています。まるで人工物のような不思議な景観をかもし出しています。この不思議な景観を30年近くたった今も、私は覚えていたのです。
これが人工的なものだときっとこの不思議さは出てこなかったでしょう。自然の柱状節理と人工物との違いは、その不規則さです。柱の形は、だいたい5角形になってるのですが、どれひとつと同じものがありません。また、5角形だけでなく、4角形、5角形、6角形もあります。また、正4角形、正5角形、正6角形になっていものは、ひとつもありません。でも、全体としてみると整然と柱が密集して並んでいるように見えます。
こんな不規則でいて、全体として規則的に見えるものなど、果たして人工的につくることができるのだろうか、ついつい考えてしまいます。もちろん乱数やカオスなどを発生させればできるでしょう。でも、人工物はきっと何のためということが前提にあるでしょう。
しかし、ここの柱状節理は、自然がつくった、ただあるがままの造形です。そこには存在意義を問うこともありません。意義と問うのは人間の側で、自然には正確につくらなければならない必然性もありません。そんことを考えていくと、自然の不思議さがますます増してきます。多分私は、この柱状節理は一生忘れ得ないものとなったでしょう。そして、その場所も今度は覚えていることでしょう。
・道南の黄砂・
道南は天気がよかったのですが、
初日の夜に黄砂とともに雨も降りました。
雨の黄砂のつくるまだら模様は、これまら不思議な模様でした。
窓ガラスは拭いたのですが、
旅行中ですから車を洗うこともできず、
黄色いまだら模様のまま走り続けました。
この時期、北海道でも道南の方では
よく黄砂は見られるらしく、
地元の人は驚かないようです。
私の住む札幌近郊ではまれに降ることありますが、
珍しい現象となります。
桜より先に、大陸から春の便りが来ました。
・子供の見方・
今回の調査は家族連れで行きました。
乙部町の柱状節理のある場所で、
子供に「柱は何角形か」聞いたら、
一生懸命子供が数えて「11角形」と答えました。
大きな割れ目も小さな割れ目を区別せず数えたのでしょう。
私としては、5角形か4角形と答えてもらいたかったのですが、
実際に近づいて数えてみようとすると、
確かに正多角形ではなく、いびつな形をしています。
ですから、4、5とか6とはっきりとしたものもありますが、
不規則な多角形もたくさんあります。
さすがに11角形は、細かい角も数えすぎかもしれませんが、
先入観を持ってみているせでしょうか、
あるいは知識を優先しているのでしょうか、
はたまた、ざーっと見ているせいでしょうか
5角形が多いような気がします。
こんな柱状節理は、私のように子供の記憶にどれだけ残るでしょうか。
こればかりは親の思い通りにはいかないはずです。
子供の自身の記憶ですから。
2005年4月28日木曜日
6_41 地球と環境
地球環境問題という言葉をよく耳にします。しかし、私は、この地球環境問題という言葉に、いつも、なにか違和感を感じながら聞いています。なぜ変に思うか紹介しましょう。
「地球環境問題」という言葉をよく耳にします。この「地球環境問題」という言葉の意味は、私たちは漠然と「地球全体にかかわる環境の問題」と考えています。今回は、この「地球環境問題」について考えていきます。地球環境についての問題を、科学的な立場で考えるのではなく、単に言葉の意味についてみていきます。
「地球環境問題」という言葉を考える前に、この言葉、「地球」、「環境」そして「問題」という3つの単語が修飾し合いながら構成されています。ここでは、単語の意味を順番にみていきます。
まず、「環境」について調べていきます。調べるといっても、最初いいいましたように、言葉の意味についてく考えていくので、国語の辞書をひいてみることにします。
私の持っているの辞書は、岩波国語辞典第2版で、1973年に印刷された古いものですが、言葉の意味を調べるのに支障はありません。その辞書によると、「環境」とは、「あるものをとりまく、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとしてして見た外界」と書いてあります。
つまり、「環境」とは、「あるもの」を取り囲んではいるのですが、「あるもの」の「外界」にあるのです。「あるもの」に対して、影響は与えるのですが、「あるもの」は含まれないのです。これが、重要な点です。
この意味をよく理解して、「地球環境」を考えていきましょう。地球環境を、辞書の「環境」にあてはめていくと、「あるもの」が「地球」に限定されているとみなせます。ですから、「地球環境」の言葉の意味は、「地球と何らかの関係を持ち、影響を与える状況やもの」ということなります。これが、環境本来の意味からでてくる解釈となるはずです。
しかし、すぐ気づかれたように、これは、私たちが使っている、地球環境という意味とは違います。地球環境とは、地球と地球を取り囲んでいる総合的なものというのが、日ごろ私たちが使っている意味のはずなのです。どうも違った意味合いを持っています。
もし、原意のままで解釈すると、地球に影響を与える地球外ものが環境となります。地球外空間が地球環境となります。規模からいって、地球に影響を与える外界のものとしては、月や太陽、そして他の惑星が代表的な環境様要素と考えられます。しかし、私たちは「地球環境」に、降り注ぐ太陽光は考慮しますが、太陽や月の運行を地球環境として、考えているわけではないようです。どうも原意のまま適用すると、うまくいきません。
原意をくんで、今使われている地球環境というものになるように、解釈てみるとどうなるでしょうか。地球とは、岩石からできている固体部分を意味していて、固体より外側は、地球に含まれないという意味だとします。このような固体部分を固体地球と呼ぶことがあります。つまり、海洋や生命圏、大気、そして、柔らかい土壌などは、固体地球からしたら外界にあります。つまり環境です。地球環境とは、固体地球より外側のことを意味していることなります。
固体地球とそのまわりの環境というのも、どうも、こじつけのような気がしてきます。「地球環境」とは、どうも地球表層の自然そのものを意味しているようです。私たちは、地球の表層部分だけ、それも生命、あるいは「人類に深くかかわりのある自然」だけを、「地球環境」と呼んでいるようです。これは、「地球環境」という言葉の原意とは、明らかに違った意味合いを持ってきます。
もしかすると、「地球環境」には、「あるもの」が別にあるのかもしれません。たとえば、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」、「人類」などがあるような気がします。もしそうなら、地球環境は「ヒトと深くかかわりのある自然」と読みかえられます。
話を進めましょう。「地球環境」に「問題」ということが付くと、どうなるでしょうか。「地球環境」という言葉が、もし上で解釈した「ヒトと深くかかわりのある自然」のことだということになると、「地球環境問題」とは、私たちが日ごろ使っている意味とは少々色合いが違ったものになってきます。地球環境問題とは、漠然と地球全体の問題というようなものではなく、「ヒトに深くかかわりのある自然」に関する問題ということになります。他の生命、あるいは大気や海洋、あるいは地球全体にとってより、人類にとっての自然が問題にされているということになります。
ここまで話を進めてきて、がっくり来ませんでしたか。「地球環境問題」とは、何のことはない、人類が、まずは自分たちに良かれと思えるような解決をしたいという、エゴがみえみえの内容になってきました。
もし「ヒト」が上で言ったように、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」などに置き換えられるとるすと、企業の倫理や京都議定書、環境保護運動、どれもレベルが違うだけで、どれもエゴになるだけで、所詮人類のエゴにひとくくりにできるようなものに見えてきます。
今のところ残念ながら、「地球環境」という言葉は、善意ある行動として定着してしいます。でも、これがより広い全地球や自然全体に対して配慮されていくことを祈ります。
・PCレター・
新しい試みをするのに有効なソフトウェアに出会いました。
PCレターというソフトです。
私は一人でいろいろE-learnigを試みてきました。
でも、一人では限界があることもあります。
動画、音声などは、なかなか使えません。
大学のストリーミングの配信システムを考えても、
これは、大掛かりのものになって、
個人が気軽にできるものではありません。
でも、このPCレターはそれを実現できるような仕組みを持っています。
もちろん価格も安くなっていくでしょう。
しかし、ソフトはまだ未完成のようで、
他の10数名ユーザには問題なく使えるのですが、
なぜか、私だけが、うまく使えません。
大学では3台、自宅では1台のパソコンで試したのですが、
どこもうまくいきません。
原因はよくわかっていません。
作成者と協力していろいろ試しています。
いいソフトであるだけに、
私のところでうまく動かないのが残念でなりません。
このソフトは、北海道の浦河在住の電気屋さんが開発したソフトです。
詳しく言うと長くなりますので、
別の機会にしましょう。
興味のある方は、次のURLをご覧になってください。
http://pcltr.com/blog/
・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークの予定はどうなっていますか。
休みの日が、前半と後半に分かれています。
一日でも休みが取れる人は、1週間近い休みとなります。
私は、前半の休みを調査に出かけます。
函館、松前のある道南をめぐります。
例によって家族連れです。
天気が心配ですが、28日の午後から出かけます。
後半は、家族でいろいろやろうかなと思っていたのですが、
どうもコンピュータの調子が悪いようなので、
再フォーマットをしなければならないかもしれません。
ソフト、データ、ネットワークの再構築には、
2、3日かかるかもしれません。
また、ダウンロードで購入したソフトは、
もしかするとトラブルを起こすかもしれません。
ですから、再構築後もどうなるかわかりません。
平日は講義がありますので、
講義用サイトの更新、
eメールによるレポートが大量に送信され、
それに対して返事を書かなければなりません。
ですから、もしメインのコンピュータがダウンすると
おおごととなります。
今も不調ですが、まだ、だましだまし使っている状態です。
しばらく格闘が続きそうです。
「地球環境問題」という言葉をよく耳にします。この「地球環境問題」という言葉の意味は、私たちは漠然と「地球全体にかかわる環境の問題」と考えています。今回は、この「地球環境問題」について考えていきます。地球環境についての問題を、科学的な立場で考えるのではなく、単に言葉の意味についてみていきます。
「地球環境問題」という言葉を考える前に、この言葉、「地球」、「環境」そして「問題」という3つの単語が修飾し合いながら構成されています。ここでは、単語の意味を順番にみていきます。
まず、「環境」について調べていきます。調べるといっても、最初いいいましたように、言葉の意味についてく考えていくので、国語の辞書をひいてみることにします。
私の持っているの辞書は、岩波国語辞典第2版で、1973年に印刷された古いものですが、言葉の意味を調べるのに支障はありません。その辞書によると、「環境」とは、「あるものをとりまく、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとしてして見た外界」と書いてあります。
つまり、「環境」とは、「あるもの」を取り囲んではいるのですが、「あるもの」の「外界」にあるのです。「あるもの」に対して、影響は与えるのですが、「あるもの」は含まれないのです。これが、重要な点です。
この意味をよく理解して、「地球環境」を考えていきましょう。地球環境を、辞書の「環境」にあてはめていくと、「あるもの」が「地球」に限定されているとみなせます。ですから、「地球環境」の言葉の意味は、「地球と何らかの関係を持ち、影響を与える状況やもの」ということなります。これが、環境本来の意味からでてくる解釈となるはずです。
しかし、すぐ気づかれたように、これは、私たちが使っている、地球環境という意味とは違います。地球環境とは、地球と地球を取り囲んでいる総合的なものというのが、日ごろ私たちが使っている意味のはずなのです。どうも違った意味合いを持っています。
もし、原意のままで解釈すると、地球に影響を与える地球外ものが環境となります。地球外空間が地球環境となります。規模からいって、地球に影響を与える外界のものとしては、月や太陽、そして他の惑星が代表的な環境様要素と考えられます。しかし、私たちは「地球環境」に、降り注ぐ太陽光は考慮しますが、太陽や月の運行を地球環境として、考えているわけではないようです。どうも原意のまま適用すると、うまくいきません。
原意をくんで、今使われている地球環境というものになるように、解釈てみるとどうなるでしょうか。地球とは、岩石からできている固体部分を意味していて、固体より外側は、地球に含まれないという意味だとします。このような固体部分を固体地球と呼ぶことがあります。つまり、海洋や生命圏、大気、そして、柔らかい土壌などは、固体地球からしたら外界にあります。つまり環境です。地球環境とは、固体地球より外側のことを意味していることなります。
固体地球とそのまわりの環境というのも、どうも、こじつけのような気がしてきます。「地球環境」とは、どうも地球表層の自然そのものを意味しているようです。私たちは、地球の表層部分だけ、それも生命、あるいは「人類に深くかかわりのある自然」だけを、「地球環境」と呼んでいるようです。これは、「地球環境」という言葉の原意とは、明らかに違った意味合いを持ってきます。
もしかすると、「地球環境」には、「あるもの」が別にあるのかもしれません。たとえば、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」、「人類」などがあるような気がします。もしそうなら、地球環境は「ヒトと深くかかわりのある自然」と読みかえられます。
話を進めましょう。「地球環境」に「問題」ということが付くと、どうなるでしょうか。「地球環境」という言葉が、もし上で解釈した「ヒトと深くかかわりのある自然」のことだということになると、「地球環境問題」とは、私たちが日ごろ使っている意味とは少々色合いが違ったものになってきます。地球環境問題とは、漠然と地球全体の問題というようなものではなく、「ヒトに深くかかわりのある自然」に関する問題ということになります。他の生命、あるいは大気や海洋、あるいは地球全体にとってより、人類にとっての自然が問題にされているということになります。
ここまで話を進めてきて、がっくり来ませんでしたか。「地球環境問題」とは、何のことはない、人類が、まずは自分たちに良かれと思えるような解決をしたいという、エゴがみえみえの内容になってきました。
もし「ヒト」が上で言ったように、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」などに置き換えられるとるすと、企業の倫理や京都議定書、環境保護運動、どれもレベルが違うだけで、どれもエゴになるだけで、所詮人類のエゴにひとくくりにできるようなものに見えてきます。
今のところ残念ながら、「地球環境」という言葉は、善意ある行動として定着してしいます。でも、これがより広い全地球や自然全体に対して配慮されていくことを祈ります。
・PCレター・
新しい試みをするのに有効なソフトウェアに出会いました。
PCレターというソフトです。
私は一人でいろいろE-learnigを試みてきました。
でも、一人では限界があることもあります。
動画、音声などは、なかなか使えません。
大学のストリーミングの配信システムを考えても、
これは、大掛かりのものになって、
個人が気軽にできるものではありません。
でも、このPCレターはそれを実現できるような仕組みを持っています。
もちろん価格も安くなっていくでしょう。
しかし、ソフトはまだ未完成のようで、
他の10数名ユーザには問題なく使えるのですが、
なぜか、私だけが、うまく使えません。
大学では3台、自宅では1台のパソコンで試したのですが、
どこもうまくいきません。
原因はよくわかっていません。
作成者と協力していろいろ試しています。
いいソフトであるだけに、
私のところでうまく動かないのが残念でなりません。
このソフトは、北海道の浦河在住の電気屋さんが開発したソフトです。
詳しく言うと長くなりますので、
別の機会にしましょう。
興味のある方は、次のURLをご覧になってください。
http://pcltr.com/blog/
・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークの予定はどうなっていますか。
休みの日が、前半と後半に分かれています。
一日でも休みが取れる人は、1週間近い休みとなります。
私は、前半の休みを調査に出かけます。
函館、松前のある道南をめぐります。
例によって家族連れです。
天気が心配ですが、28日の午後から出かけます。
後半は、家族でいろいろやろうかなと思っていたのですが、
どうもコンピュータの調子が悪いようなので、
再フォーマットをしなければならないかもしれません。
ソフト、データ、ネットワークの再構築には、
2、3日かかるかもしれません。
また、ダウンロードで購入したソフトは、
もしかするとトラブルを起こすかもしれません。
ですから、再構築後もどうなるかわかりません。
平日は講義がありますので、
講義用サイトの更新、
eメールによるレポートが大量に送信され、
それに対して返事を書かなければなりません。
ですから、もしメインのコンピュータがダウンすると
おおごととなります。
今も不調ですが、まだ、だましだまし使っている状態です。
しばらく格闘が続きそうです。
2005年4月21日木曜日
4_56 恐竜展2:恐竜展2005
春休みに、東京で2つの恐竜展を見に行きました。2つ目に訪れたのは上野にある国立科学博物館でおこなわれている「恐竜博2005」でした。今回は、「恐竜博2005」を紹介しましょう。
ティラノサウルス(Tyranosaurus)は、暴君とうい意味のティラノとトカゲとうい意味のサウルスという言葉を合わせてつけられた名前です。1905年に最初に記述されて、今年がちょうど100年目となります。そんな2005年にティラノサウルの中でも、もっと有名な標本である「スー(Sue)」というニックネームでよばれる化石が、日本で展示されることになりました。上野にある国立科学博物館でおこなわれている「恐竜博2005」が、それです。
恐竜展2005の目玉の展示は、なんといってもティラノサウルス・レックスの「スー(Sue)」です。スーはアメリカ合衆国のシカゴにあるフィールド博物館が、紆余曲折をへて、入手して、展示しているものです。
実物標本は、門外不出ですが、今回初めて実物標本が、一点(肋骨)だけですが、貸し出されました。また、アメリカではすでに公開されていたのですが、全身骨格の複製も、今回が日本初公開となります。「恐竜博2005」は、遠いせいでしょうか、北海道では宣伝されていませんが、地域によっては、いろいろなメディアで紹介されているのではないでしょうか。
なぜ、この標本がすごいのかというと、実物化石として見つかった比率のためです。普通多くの動物化石は、断片や破片、よくても一本という形状で見つかるものが大部分です。まれに、いくつかの骨がくっついていることがあります。それは、ごくまれなことです。
もちろんティラノサウルスの化石も、例外ではありません。一部しか見つからないがの普通です。ところが、この「スー」と呼ばれている標本は、もともとあった骨の90%以上が見つかっているのです。ほとんど丸ごと残っていると言っていいほどの率です。
この化石の発見によって、新たなティラノサウルス像がいくつも作り上げられました。
骨をスライスして年齢とともに成長してく様子をみていくと、スーは28歳まで生きてていたことが分かりました。また、10歳から20歳の間には、急速に成長して、最大では1年間で767kgも体重を増やしていたことがわかりました。そして、5トンの体重にまでなっていたことが推定されています。
頭骨のCTスキャンから、臭いを感じる知覚神経の部分が非常に大きかったことがわかりました。その結果、スーの嗅覚は非常に発達しており、臭いで獲物を探していたと考えられます。
骨のデータを用いたシミュレーションから、走るスピードが推定されます。時速20km程度であったと考えられています。しかし、体の大きさからすると、非常に敏捷だといえます。
また、スーは体のあちこちに傷を負ったり、骨折していたところが治ったり、関節炎などの病気になっていたことなどが、骨に残された跡からわかります。これほど、傷を負いながら活きてきたということは、スーはかなりの老齢であったということが、現在の肉食野生動物から推定できます。ということは、ティラノサウルスの平均的な寿命が30歳程度であろうと考えられます。
この「恐竜展2005」では、スーが目玉ではありましたが、「恐竜から鳥への進化」を最新の情報で紹介することが目的でした。1990年代から2000年代にかけて、多くの羽毛の生えた小型の恐竜化石が発見されました。これらの化石は、それまで考えられていた、恐竜が鳥類へと進化していったという説を証拠付ける重要なものとなってきています。
科学博物館の展示はオーソドックスです。音声ガイドの貸し出しもありましたが、標本とそれを効果的に見せる演出、そしてパネルとラベルというごく普通に博物館でおこなわれている展示手法です。案内者はいなかったですが、実物の迫力が十分伝わってきました。それは大人だけでなく、子供にとっても同じだと思います。多くの子供が歓声が、それを、物語っています。恐竜は、いつの時代でも、子供たちのヒーローなのですね。
・かはく・
国立科学博物館は、通称「かはく」と呼ばれます。
私は、新館の一部できたときに、一度見学に行っていますが、
新館が全部が完成してからは、初めての見学となります。
実物標本の充実は、さすが国立科学博物館だと思わせるものがあります。
そしてなんと言っても規模が大きく、集客力があります。
古い展示場を知っている私には、いいところや悪いところが、
いろいろ見えました。
でも、新しくなったことによって、
私も常設展が初めての見学となり、楽しめました。
・スー・
ティラノサウルスの「スー」については、
いろいろな事件がありました。
発掘、クリーニングをおこなった民間研究所と
訴えた土地の持ち主、インディアンのスー族、
押収したFBI、いろいろな立場の古生物学者など
さざまな人が入り乱れ、
泥沼のような事件が起こりました。
最終的には、オークションに出されて、
フィールド博物館が競り落としました。
10億円という高値がつきました。
そのような高価なものは、
門外不出にしてもおかしくありません。
それも、やはりスーがあまりにも立派な
標本であったからでしょう。
そのいきさつは、もっとも詳しく、当事者でもある
ピーター・ラーソンとクリスティン・ドナンの著で
「SUE スー 史上最大のティラノサウルス発掘」
(ISBN4022500107)
に書かれています。
私は、現在、読んでいる最中です。
・恐竜が残った・
私たちは家族で、「恐竜展2005」に行ったのですが、
春休みなので、混雑がするだろうなと予想して、
平日を選びました。
なおかつ、9時開館なので、8時半頃にはいきましたが、
当日は天気もよく、長い行列ができていました。
午前中に特別展を見終わり、午後からは常設展をみました。
「かはく」の新館は、地下3階から地上3階まであります。
子供が興味をもちそうな階を順に見ていき、
2階は疲れて見ることができませんでした。
前日に見たも一つの恐竜の展示の疲れもあったのか、
この日も、へとへとに疲れてしまいました。
しかし、移動距離が短かったのと、
早めに見終わったので、ホテルで夕食前に一休みできました。
今回は、博物館だけを見ていたので、
疲れたのですが、いろいろな標本が頭にこびりついていました。
また、子供向けに化石のレプリカつくりもできました。
子供たちは、恐竜で頭をいっぱいにして
思い出も一杯にしてきたようです。
ティラノサウルス(Tyranosaurus)は、暴君とうい意味のティラノとトカゲとうい意味のサウルスという言葉を合わせてつけられた名前です。1905年に最初に記述されて、今年がちょうど100年目となります。そんな2005年にティラノサウルの中でも、もっと有名な標本である「スー(Sue)」というニックネームでよばれる化石が、日本で展示されることになりました。上野にある国立科学博物館でおこなわれている「恐竜博2005」が、それです。
恐竜展2005の目玉の展示は、なんといってもティラノサウルス・レックスの「スー(Sue)」です。スーはアメリカ合衆国のシカゴにあるフィールド博物館が、紆余曲折をへて、入手して、展示しているものです。
実物標本は、門外不出ですが、今回初めて実物標本が、一点(肋骨)だけですが、貸し出されました。また、アメリカではすでに公開されていたのですが、全身骨格の複製も、今回が日本初公開となります。「恐竜博2005」は、遠いせいでしょうか、北海道では宣伝されていませんが、地域によっては、いろいろなメディアで紹介されているのではないでしょうか。
なぜ、この標本がすごいのかというと、実物化石として見つかった比率のためです。普通多くの動物化石は、断片や破片、よくても一本という形状で見つかるものが大部分です。まれに、いくつかの骨がくっついていることがあります。それは、ごくまれなことです。
もちろんティラノサウルスの化石も、例外ではありません。一部しか見つからないがの普通です。ところが、この「スー」と呼ばれている標本は、もともとあった骨の90%以上が見つかっているのです。ほとんど丸ごと残っていると言っていいほどの率です。
この化石の発見によって、新たなティラノサウルス像がいくつも作り上げられました。
骨をスライスして年齢とともに成長してく様子をみていくと、スーは28歳まで生きてていたことが分かりました。また、10歳から20歳の間には、急速に成長して、最大では1年間で767kgも体重を増やしていたことがわかりました。そして、5トンの体重にまでなっていたことが推定されています。
頭骨のCTスキャンから、臭いを感じる知覚神経の部分が非常に大きかったことがわかりました。その結果、スーの嗅覚は非常に発達しており、臭いで獲物を探していたと考えられます。
骨のデータを用いたシミュレーションから、走るスピードが推定されます。時速20km程度であったと考えられています。しかし、体の大きさからすると、非常に敏捷だといえます。
また、スーは体のあちこちに傷を負ったり、骨折していたところが治ったり、関節炎などの病気になっていたことなどが、骨に残された跡からわかります。これほど、傷を負いながら活きてきたということは、スーはかなりの老齢であったということが、現在の肉食野生動物から推定できます。ということは、ティラノサウルスの平均的な寿命が30歳程度であろうと考えられます。
この「恐竜展2005」では、スーが目玉ではありましたが、「恐竜から鳥への進化」を最新の情報で紹介することが目的でした。1990年代から2000年代にかけて、多くの羽毛の生えた小型の恐竜化石が発見されました。これらの化石は、それまで考えられていた、恐竜が鳥類へと進化していったという説を証拠付ける重要なものとなってきています。
科学博物館の展示はオーソドックスです。音声ガイドの貸し出しもありましたが、標本とそれを効果的に見せる演出、そしてパネルとラベルというごく普通に博物館でおこなわれている展示手法です。案内者はいなかったですが、実物の迫力が十分伝わってきました。それは大人だけでなく、子供にとっても同じだと思います。多くの子供が歓声が、それを、物語っています。恐竜は、いつの時代でも、子供たちのヒーローなのですね。
・かはく・
国立科学博物館は、通称「かはく」と呼ばれます。
私は、新館の一部できたときに、一度見学に行っていますが、
新館が全部が完成してからは、初めての見学となります。
実物標本の充実は、さすが国立科学博物館だと思わせるものがあります。
そしてなんと言っても規模が大きく、集客力があります。
古い展示場を知っている私には、いいところや悪いところが、
いろいろ見えました。
でも、新しくなったことによって、
私も常設展が初めての見学となり、楽しめました。
・スー・
ティラノサウルスの「スー」については、
いろいろな事件がありました。
発掘、クリーニングをおこなった民間研究所と
訴えた土地の持ち主、インディアンのスー族、
押収したFBI、いろいろな立場の古生物学者など
さざまな人が入り乱れ、
泥沼のような事件が起こりました。
最終的には、オークションに出されて、
フィールド博物館が競り落としました。
10億円という高値がつきました。
そのような高価なものは、
門外不出にしてもおかしくありません。
それも、やはりスーがあまりにも立派な
標本であったからでしょう。
そのいきさつは、もっとも詳しく、当事者でもある
ピーター・ラーソンとクリスティン・ドナンの著で
「SUE スー 史上最大のティラノサウルス発掘」
(ISBN4022500107)
に書かれています。
私は、現在、読んでいる最中です。
・恐竜が残った・
私たちは家族で、「恐竜展2005」に行ったのですが、
春休みなので、混雑がするだろうなと予想して、
平日を選びました。
なおかつ、9時開館なので、8時半頃にはいきましたが、
当日は天気もよく、長い行列ができていました。
午前中に特別展を見終わり、午後からは常設展をみました。
「かはく」の新館は、地下3階から地上3階まであります。
子供が興味をもちそうな階を順に見ていき、
2階は疲れて見ることができませんでした。
前日に見たも一つの恐竜の展示の疲れもあったのか、
この日も、へとへとに疲れてしまいました。
しかし、移動距離が短かったのと、
早めに見終わったので、ホテルで夕食前に一休みできました。
今回は、博物館だけを見ていたので、
疲れたのですが、いろいろな標本が頭にこびりついていました。
また、子供向けに化石のレプリカつくりもできました。
子供たちは、恐竜で頭をいっぱいにして
思い出も一杯にしてきたようです。
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