2025年12月25日木曜日

4_204 志賀島 1:金印

 北九州での最後の宿泊地は志賀島でした。志賀島は金印の発見地として有名です。実際の金印は見たことがないのですが、島の観光地やホテルに、金印が土産やデザインとして、あちこちにあしらわれていました。


 北九州の旅では、海の中道のマリンワールドを見学したあと、志賀島(しかのしま)にあるホテルまで長男の車で送ってもらいました。長男は、翌日から仕事なので、そのまま車で自宅へと戻りました。翌日、私たちは、列車と地下鉄で福岡空港までいきました。
 志賀島といえば金印が有名です。ホテルにも、金印の印影、金印模型などが飾られたり、レプリカも土産物になっていました。妻も大きな金印の飾りと一緒に写真をとりました。
 金印は、1784(天明4)年2月23日、志賀島の農民(甚兵衛)が、田んぼに水をひく溝を修理していたところ、たまたま見つけたものでした。一辺2.35cmの立方体で、上には紐が通せる穴があいた蛇の形のつまみ(蛇鈕)がありました。含有率95.1%の金、108.729gからできているため、金印と呼ばれています。
 金印には、漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)と書かれていました。そこから、福岡藩の儒学者の亀井南冥(かめい なんめい)は、解読を進めてきました。
 中国の「後漢書」の東夷伝倭人条に、当時の皇帝の光武帝が、西暦57年(弥生時代後期)、倭奴国王が後漢の皇帝に朝貢したので、倭奴国王に印綬を与えたという記述ありました。
 それと照らし合わせて、金印の印影の「漢」は、中国の後漢王朝(光武帝)が与えたもので、中国の当時の日本国のことを「倭」と呼んでいたので、倭の中のひとつの国家であった「奴國王」に送ったことを意味していると解釈しました。他の説もいくつかあるようですが、この説が、現在の定説となっています。
 後漢のころ、記録は木や竹の板に残していました。しかし、重要な文章や記録は、誰も開いていないこと、つまり改竄、捏造をしていないことを示すのに。記録した竹を粘土で封をし、印(しるし)をつけることで密封していました。封として、粘土に金印で文字が押しました。金印の文字は浮き出るよう、作られています。
 金印が、なぜ志賀島で見つかったのは謎です。金印は大きな石(二人がかりで持ち上げなければならないほどのサイズ)の下から見つかったそうです。まわりには他の遺構や遺物もないことから、墳墓・石棺説は否定されています。
 奴国が滅亡するような危機的状態が起こった時、貴重な金印を奪われないように隠匿したという説が有力です。人目につかない場所で、アプローチが容易な志賀島を隠し場所に選んだと考えられいます。
 印文は、漢の配下の奴国王となり、自国の地位が低いことになります。そのため、不名誉なことで、使用せずに封印したという説もあります。また、航海の安全の祈願が、信仰の場であった所に埋められたとする説もあります。いろいろな説があり、謎は残されています。
 金印は、長年、福岡藩主黒田家に代々伝えられていたのですが、1931(昭和6)年に国宝に指定されました。1978(昭和53)年に福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館に展示されています。もし機会があれば、金印の実物を見にいきたいと考えていますが、いつになることでしょうか。

・マリンワールド海の中道・
福岡市は日本海側の玄界灘に面しています。
玄界灘と博多湾の間に大きな砂州があり、
「海の中道」と呼ばれています。
そこにマリンワールドと呼ばれる水族館があります。
マリンワールドは巨大な施設で、
巨大水槽があり、黒潮の生物を中心に展示されています。
また、ペンギン、アザラシ、イルカ、
クラゲも多数展示され、充実していました。

・アイスバーンに雨・
北海道は、寒波と大雪に襲われました。
路面にあった雪が凍り
アイスバーンになりました。
スパイクを靴につけて
なんとか転ばないように対処していました
その直後、急に暖かくなり
雨が降ってきました。
氷の上への雨となったので
非常に滑りやすくなりました。
自宅を出てすぐに、すべって危険なので
大学に歩いていくのを諦めて、
自宅の戻りました。
その日は休みとしました。
翌日も雨だったのですが、
凍っているところは残っていましたが、
かなり路面がでていたので
そこを選びなが歩いて
無事、大学に来れました。

2025年12月18日木曜日

4_203 関門海峡 2:地質学的成り立ち

 前回は関門海峡の地形の特徴を紹介ました。その地形は、狭く変な形状の海峡でした。なぜこのような狭く、曲がった形の海峡ができたのかを、地質学的背景を紹介してきましょう。


 日本列島は、大陸の縁にありました。そして中国地方と九州地方も、地質学的には連続した地層が分布しています。古生代末から中生代初期には、大陸の縁に、海洋プレートが沈み込みこんで、大陸棚の堆積物、海山や海洋島の岩石や、その周辺の石灰岩、海洋地殻などが、陸に付け加わった地質体(付加体)からできています。
 中生代のジュラ紀から白亜紀には、浅海や河川の堆積物(関門層群)ができ、後期白亜紀には火成活動が盛んになり深成岩類も形成されます。新生代古第三紀から新第三紀(漸新世〜中新世)には、日本列島が大陸から切り離されていきます。その時、激しい火山活動が起こり、多様な火成岩類ができました。
 大陸から分離して日本列島がができたころ、関門海峡はまだありませんでした。関門海峡は、白亜紀後期の花崗岩の分布域にできています。その花崗岩が削られているように見えます。
 花崗岩は火成岩でも深成岩とよばれるものです。深成岩は、マグマが地下深いところでゆっくりと固まった岩石です。地質学的に上昇しているところでは、表層が常に侵食されていきます。長い時間が経過すると、深部にあった花崗岩も表層にでてくることがあります。花崗岩類は他の深成岩類と比べると、地表に露出すると、風化によって崩れやすい岩石です。花崗岩は、侵食されやすい上に、河川があると侵食が激しくなります(差別侵食)。
 氷河期には、海水面が低かったので、海峡のある地域も、陸地になっていました。そこに大きな河川(古瀬戸内海川)ができ、花崗岩を差別侵食して深い谷となっていきました。
 縄文時代になると、暖かくなってきます。海水面が上昇し、低地の谷に海水が入り込み、日本海と瀬戸内海がつながり、地質学的特徴を残した地形の海峡となってきました。
 充実した旅行となりました。長男は住んでいるので、来年も、長男の運転で九州の北側を巡れればと思っています。

・門司にて・
門司は港レトロとして、明治の洋館、
そして現在も使われている門司駅などがあり
街全体が博物館のようになっています。
関門海峡ミュージアムは門司側にある博物館です。
海峡や門司港に関する展示が充実していました。
そしてり驚いたのは、バナナに関することでした。
貿易港として栄え、バナナの輸入中継地となっていたそうです。
また、傷んだバナナを安く売りさばくために、
「バナナの叩き売り」がはじまったとのことでした。
バナナの関する商品もあり土産として買って帰りました。

・下関にて・
一日目は、門司の古い町並みと
下関の水族館、海響館を見ました。
長男は以前海響館を訪れているようですが、
リニューアル後は、行ったことがないというので
一緒に見学しました。
二日目は関門トンネルの中を人道を県境まで歩き、
海峡大橋などを見ました。
そして、下関の唐戸市場を見て回りました。

2025年12月11日木曜日

4_202 関門海峡 1:地形

 九州には何度も旅行しているのですが、福岡から下関へは、訪れたことがありませんでした。巡る手段ができたので、今後も九州の北部を巡っていきたいと思っています。まずは、関門海峡の紹介をしていきます。


 11月中旬に、北九州から下関へ、そして志賀島へと、3泊4日で巡りました。北九州を訪れたのは、長男がそこに住んでいるので、合流して、車を出してもらって巡りました。今回は、小倉から門司へ、下関で一泊してから、海の中道を通って、宿まで送ってもらいました。
 大きな街の中を、自分で運転するのは苦手なのですが、長男は苦も無く、はじめてのところでも、ナビを参考に、快調に進みました。土、日曜日で交通量が大きかったのでしたが、安心して乗っていられました。
 今回は、関門海峡について紹介していきましょう。関門海峡は、瀬戸内海と日本海をつなぐ海峡で、古くから海上交通の要衝となっています。関門海峡は不思議な地形をしていますが、地形の特徴から見ていきましょう。
 海峡は南北に伸びており、南側が戸畑で日本海に、北側が山口県下関市で瀬戸内海につながっています。S字状に曲がっています。海峡全体が28kmものあるのに、幅が狭く、壇ノ浦と和布刈の間が最も狭くなっており、早鞆(はやとも)の瀬戸と呼ばれるところでは、幅が600mほどしかありません。水深が深く(最深部は47m)なっています。
 また、日本海側(最大1.5m)と瀬戸内海側(3.8m)で、潮の干満の差が大きく、狭い海峡に、大量の海水が出入りすることになり、潮流が非常に速く(時速18.5km)なります。日本の三大急潮に数えられています。ちなにみ三大急潮の他の2つは、鳴門海峡、来島海峡です。いずれも訪れたことがあり、今回で制覇できました。
 干満なので1日4回、潮の流れが変わります。関門海峡では激流となるので、交通の要衝でもありながら、日本有数の難所にもなっています。
 現在の関門海峡は、かつては、大瀬戸(おおせと)と呼ばれていました。かつては、小瀬戸(こせと)呼ばれる海峡もありました。下関の現在の関門海峡の北側に、狭い海峡がありました。海峡があったため、本州側と切り離された彦島がありました。以前は、水路として使われていました。潮流が激しく、水路がも狭いため、現在では下関漁港閘門(こうもん)ができて、締め切られています。ただし、水門で水位を調整して、小型船は航行できるようになっています。
 関門海峡の現在の地形の特徴を示しました。このような不思議な地形をしているのは、地質学的の形成過程も背景にはあります。それは次回としましょう。
 下関では、フグを食べました。長男は食べたことがないとのことなので、フグサシやフグの唐揚げなどをご馳走しました。満足していたので、よかったです。来年も北九州を訪れたいと考えています。

・唐戸市場・
宿泊した翌日は、長男のすすめで、
唐戸市場を訪れました。
市場には興味がなかったのですが
長男が進めるので見にいきました。
昼には早い午前中でしたが、
多くの観光客が、道端で食事をしていました。
中を覗いてみて、その意味がわかりました。
海産物の土産物や、寿司を中心に
すぐに食べられる食品を売る店が
大量に並んでいました。
それを目当てに、観光客でごった返していました。
そのすごさに圧倒されました。
そこで買った食品を外で食べていたのでした。
長男の勧め意味が理解できました。
長男も一貫だけ食べたいというので
妻もいっしょに大トロの握りを買いました。
私は、朝食をとったすぐあとなので、
見ているだけにしました。

・海響館・
市立しものせきの水族館を訪れました。
土曜日のこともあり、
多くの人が見にてきました。
フグの展示が充実していました。
淡水のフグやクサフグの産卵など
珍しい展示がありました。
マンボウの展示もあったので
不思議に思ったのですが、
驚いたことに、マンボウも
フグ目に属するとのことのです。
独特の歯や腹びれがないなど
共通する特徴がある
などの説明があり納得しました。

2025年12月4日木曜日

5_216 隕石の由来 5:それぞれの母天体

 今回のシリーズは、隕石が由来を探る話題でした。コンドライトという主たるタイプの隕石が、どの母天体からきたかを突き止めました。母天体の衝突した時期が重要な情報になっていました。


 3編の論文により、炭素質コンドライト、Hコンドライト、Lコンドライトの母天体が推定されました。どの天体に由来するのかを、順番に見ていきましょう。
 炭素質コンドライトの母天体を推定してますが、炭素質コンドライトはいくつかの分類に細分されています。分類の詳細を省きますが、区分ごとに母天体となる小惑星の族が推定されています。CMコンドライト(ケーニッヒ族からの可能性もある)とCRコンドライトはヴェリタス族から、CIコンドライトはポラナ族(クラリッサ族、ミサ族、ホフマイスター族)から、COコンドライト、CVコンドライト、CKコンドライトはエオス族から、それぞれ由来したと推定されました。
 小さな(メートルサイズ)の炭素質コンドライトも、普通コンドライトと同じように破片ができ、落下してきていることになります。炭素質コンドライトは同じ隕石に由来する破片が多く、他のコンドライトと比べると比率は小さくなっています。炭素質コンドライトは、揮発成分を多く含んでいるため、大気圏に突入時に、気化や熱分解で崩れてしまうものが多くなります。ブロズらの研究では、炭素質コンドライトには同じ隕石に由来した破片が多いこと、そして小さくなりすぎて見つかりにくくなっていると考えました。
 Hコンドライトは、580万年前の衝突によるカリン族と、760万年前のコロニス2族のどちらかに由来していると考えられました。Hコンドライトは、照射年代が500万から800万年前と広がりあるのですが、それは2つの衝突に由来しているためと考えられます。両族がHコンドライトという同じ化学組成のグループに属しているのですが、より大きなコロニス族に属しています。さらに大きな衝突が以前起こって、その後小さな衝突が起こったのではないでしょうか。
 マーセットらの研究では、Lコンドライトは、多数(6000個以上)の小惑星からなるマッサリア族に由来しており、その衝突は4億7000万年前の大規模なものでした。また、4000万年前にもこれより小規模な衝突があったと考えられています。
 石灰岩の研究から、オルドビス紀中期(約4億6600万年前)に氷河期と大規模な絶滅があったことが知られています。氷河期による寒冷化で大絶滅が起こったと考えられます。衝突クレーターの存在や、Lコンドライトに由来する微小の物質が見つかっています。氷河期と大絶滅の原因は、大規模な天体衝突によるのではないかと考えられていました。4億7000万年前のLコンドライトの衝突時期は、オルドビス紀の事件と時期が似ています。
 現在もこの衝突に由来する隕石が多くの占めています(全落下の20%以上)になっています。4000万年前の衝突も、Lコンドライトが多い原因となっていると考えられます。
 他にも、LLコンドライトは1500万年前に衝突を経験したフローラ族を起源とする可能性も可能性があるのではないと推定しています。
 地球近傍小惑星のシミュレーションで衝突を再現し、その結果を隕石の年代と対応させて、隕石の母天体を探ってきました。そして、主たる隕石(90%程度)の由来を明らかにしてきました。これらの研究の手法はオーソドックなものにみえます。しかし、このアイディアを思いついて、それを研究成果にするには、多くの努力が必要になります。

・心の余裕・
もう師走となりました。
今年は、退職という大きな節目を迎えました。
幸い研究室が1年間使用可能にしていただいてので
大学の研究室にいくという生活パターンは
変わることがありませんでした。
気持ちの上では大きな変化が生じました。
それは、授業の減少という時間的なゆとりだけでなく
対人関係の校務がなくなったことが大きかったようです。
行動にはあまり変化が起こっていませんが
心の余裕できたことで、
研究が深めることができました。

・師走の恒例行事・
例年、11月になると郵便局で年賀状が販売されます。
そのために、購入する枚数を確認するために
住所を整理して、年々数を減らしてきました。
そして12月になると年賀状を購入して
文面の準備をしていました。
まだ、住所の整理すらスタートしていません。
今年からは、ずっと送る人だけで
減少させることはありません。
また年賀状もいつでも買えるようになってきました。
そんな状況で、急ぐ気持ちがなくなりました。