2013年1月10日木曜日

2_113 生物種数 2:推定

 今回紹介する生物種を推定する方法は、不確実な部分を統計的に見積もっています。精度の悪いところはそれなりの値になっていきます。かつての、生物種の見積りには、一桁近い数値の幅があります。ある一定の論理と信頼度を示しながら値が知ることができることが示されました。知りたいことを何らかの根拠で推定することは、知的な行為として重要ではないでしょうか。

 私たちは、毎年新しい種を多数記載しています。まだまだ新種、未記載の生物が一杯いるということです。記載されている種は、100万種とか140万種です。後述のモーラらのデータでは、124万4360種となっています。人によっていろいろな値があるようです。全生物種の実数は不明ですが、推定はされています。生物全体の種数では、300万種から1億種という広い幅の推定値になっています。見積りには、非常に大きな誤差があります。
 もし全生物種が300万種で、120万種が記載されているとすると、現在生きている生物の4割ほどを知っていることになります。もし、全生物種が1億種で120万種が記載されているとすると、私たちは、1%程度しか知らないことになります。
 全生物種数の推定は、もしかすると私たちの自然や生命の理解の程度を示す、ひとつの指標となるかもしれませんが。
 PLoS biologyという雑誌で2011年に、モーラ(C. Mora, D. P. Tittensor, S. Adl, A. G. B. Simpson, B. Worm)らによって、全生物の種数は、870万種(±130万)で、海棲生物では220万種(±18万)という推定が報告されました。ただし、原核生物は、記載の数が少ない(記載数約1万種)ので、あまり精度はなさそうです。モーラの推定も真核生物(DNAの入れ物である核を細胞内にもっている)での値としています。
 モーラの全生物種の推定によると、私たちは、生物の実態の1割程度を知っていることになります。この値は、多いのでしょうか、少ないのでしょうか、それともほどほどのところでしょうか。感想はさておき、この870万種という推定は、どのような方法でなされたのでしょうか。
生物の分類の体系で、一番基本になるのが、種です。種がいくつか集まって属になり、属が集まって科になり、目、綱、門、界となっていきます。界は、動物、植物、菌、原生生物、モネラ(細菌)の5つがあります。
  モーラらは、生物の分類項目ごとに、その数の変化を調べていきました。年代とともに研究が進んでいくので、それぞれの項目の数は増加していきます。そのような増加を考慮して推定していきます。それぞれの界に含まれる門、綱、目、科、属の総数を推定していきます。種は、新しい種の記載数は20世紀以降、急増しているので推定が難しくなります。
 種以外の項目の増加数は、ここ数十年、安定しているようです。ある界では、種の数が一番多く、門が少なくなります。属、科、目、綱、門の数に、ある一定の相関があれば、そこから種の数を推定できるという考え方です。属や科の数や増加数を用いて、種の数を統計処理によって推定していきました。その結果が870万種という値になったということです。
 確かに、このような理路整然とした推定は説得力があります。しかし、それは統計処理の論理性であって、問題点もいくつかあるようです。それは、次回としましょう。

・統計・
統計は、ある集団のデータの中に隠された
特徴を導き出すことができます。
そしてデータの集団に個性を与えます。
しかし、データ自体の信憑性は、
検討が難しいものです。
あやふやで不明瞭なデータ、
まだあまり研究者のいない分野のデータ、
最近開拓されてきた分野のデータ、
このようなデータは、不完全ものです。
一方、古くから多くの人が研究している分野は、
精度の高いデータが順調に積み重ねられています。
そのような精度の高いデータに基づく統計は
信頼性も高くなります。
問題は、精度のばらばらのデータが混じっている場合です。
配慮なく統計を導入すると、
結果だけが独り歩きすることになります。
あるいは、誤差として不確かさがついていても
ついつい誤差抜きの数値だけが独り歩きすることもあります。
今回の870万±130万種という値は、
1000万種から740万種の範囲の誤差が含まれるということです。
結構大きな誤差だと言えます。
でも、どの程度の生物種がいるかの概数を知ることは
知的活動としては重要なことです。

・卒業研究発表会・
いよいよ大学は今週から講義がスタートして
通常通りの日常がスタートしました。
私の学科では、早速卒業研究の発表会があります。
学生たちは緊張するでしょうが、
一生懸命やった人は、その充実感が味わえるでしょう。
手を抜いた人は、そのなりのものになるでしょう。
2年という長い間の努力は、発表をみればわかります。
そしてなにより努力した本人がその努力を知っているはずです。
努力がうまく発表されることを願っています。