生物は、光合成によって酸素を生み出し、酸素を元にした体のシステムをつくりあげました。酸素が大気中に加わると、陸上進出のための環境も整いました。生物が陸上に進出までに、地球誕生から40億年という時間がかかったのです。これに要した時間は、長いのでしょうか、短いのでしょうか。
酸素は、現在の大部分の生物にとって、エネルギー・システムを維持すために、欠くことのできないものです。酸素を使ったエネルギー・システムとは、呼吸(厳密には好気呼吸と呼びます)という仕組みのことです。呼吸に使う酸素は、光合成をする生物が生み出しています。つまり、酸素は、現在の生物にとって非常に重要なものといえます。
生物の進化を、酸素とのかかわりでみていくと、いくつか重要な出来事が見えてきます。酸素を生み出す仕組み(光合成)の誕生、酸素をエネルギー源とする仕組みの誕生、酸素が恵んでくれた快適な陸地の誕生が、重要な出来事といえるでしょう。
時期の新しいものから見ていきましょう。まずは、生物の陸上への進出です。
生物が陸上へ進出を可能になったのは、酸素のおかげです。酸素が大気中にあれば、太陽光の作用によってオゾンができ、大気中にオゾン層が形成されます。オゾン層が安定に大気中に存在し紫外線をほとんどさえぎるためには、酸素濃度が15~20%程度必要です。最低でも2%ほどなければ、紫外線は防げません。
オゾン層ができれば、有害な紫外線がなくなり、地表は生物にとって生存可能な領域となります。このような条件ができた時期は、推定されてはいますが、正確にわかっていません。
生物が、水中から陸に上がるには、生物側の条件も整わなければなりません。それは、水中の浮力に頼ることなく陸上の重力に耐え、乾燥に耐える体と、大気の酸素を利用する呼吸の仕組み、栄養を大気や大地からやとる手段、子孫を水に依存することなく残せる仕組みなどです。生物側の仕組みが整い、環境も整ったときが、陸上への進出の時期となったはずです。
化石の証拠に基づけば、陸上に進出したのは、シルル紀(4億4370万~4億1600万年前)ころだと考えられています。
水辺で大気中に体を出していた植物(シダ植物の仲間のリニア、クックソニア、ゾステロフィルムなど)が、シルル紀後期に見つかっています。マツバランは、原始的な葉のない維管束植物で、シルル紀末の地層からみつかっています。マツバランは、完全に水から独立した生活ができるようになっていました。
動物では、ウミサソリの仲間で肺(書肺と呼ばれている)をもつものがあらわれ、シルル紀の中ごろにはサソリとして陸上に進出したと考えられます。
シルル紀中ごろで、サソリが陸上生活をしていたことになります。これは、サソリの化石が、その時代に見つかっているということですが、実際にはもっと多くの種類、あるいはもっと以前に進出している可能性もあります。なぜなら、サソリという種が、単独で陸上への進出はできないからです。サソリが陸上で生きていくためには、住みかとして植物や、餌として昆虫やミミズのような小動物なども必要でだったはずです。
このようにひとつの化石が見つかるということは、その化石が属していた生態系を考えると、他の種も、同時期には進出していたと推定されます。
生物の陸上進出は、古生代のシルル紀ころでした。それは、地球誕生から40億年も経過していました。この長い時間は、生物が陸上に進出するには、そのほどの時間を要するものなのでしょうか。それとも、地球生物では、たまたまそれくらいの時間がかかっただけなのでしょうか。この答えは、地球では見つかりません。地球外の生物の例と比較対照しなければならないからです。
・環境の象徴・
化石とはたった1個でも見つかれば、
重要な情報を得られます。
ある化石が見つかれば、
形態や現在の生物との比較から、
生活様式が分かります。
たとえば、動物の歯の化石が見つかったとします。
歯の形態から、肉食動物と判定できました。
その食料となる草食生物が必要になります。
草食動物がいるということは、
植物があったということです。
植物が育つには、栄養となる土壌が必要です。
土壌をつくりには、有機物を分解する生物が必要となります。
このように、ある生物が住むためには
それなりの環境が必要となります。
その環境とは、生物がかかわって生み出されていくものです。
化石は、その環境を象徴していると捉えることもできます。
・教育実習の指導・
このメールが届くころには、
私は、教育実習の指導で網走にいます。
北海道は広いので、学生の指導に行くにも、
泊りがけとなります。
教育実習の学生が多くなると
手間も交通費もかかるので、
掛け持ちで何人かの学生のところを回ることになります。
しかし、日中の多くの時間が、
列車での移動時間となります。
札幌から網走まで、5時間以上かかります。
それでも教員の義務として、
実習指導へ行く必要があります。
幸い私のゼミの学生にはいませんでしたが
道外も担当者が回っています。
2009年5月28日木曜日
2009年5月21日木曜日
2_76 酸素の利用:酸素の物語2
2_76 酸素の利用:酸素の物語2
(2009.05.21)
酸素は、植物が生産しています。酸素は、生物にとって有害でもありますが、うまく利用すると、エネルギーを生み出すこともできます。酸素を利用するために、非常に複雑な仕組みを持たなければなりませんでした。しかし、酸素を用いたエネルギーは、非常に効率のいいもので、複雑な仕組みを整える価値がありました。
地球上で酸素は、いくら使ってもなくなりません。ですから、どこかで、酸素が、常につくられているはずです。酸素は、どのようにして合成されているのでしょうか。
酸素の合成というと、多くの人が、学校ので習った光合成を思い出したはずです。光合成とは、植物が葉緑体で太陽の光をエネルギー源として、水と二酸化炭素を使って、糖類(炭水化物)を合成する作用です化学反応式は、
6CO2+12H2O→C6H12O6+6H2O+6O2
となります。そのときに、副産物として酸素がでてきます。
光合成をおこなうのは、植物の葉緑体です。葉緑体こそが、酸素を生みだすみなもとです。酸素のほとんどは、植物が光合成によって供給しています。植物は、陸上だけでなく、海にも植物性プランクトンとしてたくさん生息しています。そのような生物たちが日々酸素を生産しているために、酸素が尽きることがないのです。
酸素は、植物でも動物でも、呼吸をする生物にとって、不可欠なものです。呼吸とは、酸素を取り込み、二酸化炭素を放出することをいいます。その仕組みは、複雑なものですが、解明されています。
細胞内のミトコンドリアという器官で、食料として取り入れた、あるいは光合成で得た糖類を、分解して、アデノシン三リン酸(ATP)というエネルギー物質が合成されます。そのときに、酸素が用いられます。すべての真核生物において、ATPが、生きていくためのエネルギーとなっています。ATP合成のために酸素は不可欠です。それを呼吸として、外から取り入れているのです。
酸素は、細胞内では、活性酸素(フリーラジカル)と呼ばれる、非常に不安定な状態になります。活性酸素の強い酸化力を利用して、ATPがつくられます。しかし、このような強力な活性酸素は、諸刃の刃で、生物にとって有害でもあります。細胞をつくっている組織やDNAなども酸化させてしまいます。ですから、各組織は、抗酸化酵素と呼ばれるものを用いて、活性酸素による酸化を防いでいます。
多数の化学反応や複雑なプロセスは、酸素とATPを使うための代償ともいえます。なぜ、このような複雑な仕組みを持つに至ったのでしょうか。そこが進化の不思議なところなのですが、酸素とATPを用いるのが、非常に効率よくエネルギーを得られるためという結果論的な自然選択が、おこなわれたのではないでしょうか。
数値で比べると、単位ブドウ糖(1モル)あたり、以前の酸素を用いない生物(嫌気性生物)のエネルギー効率(約150kJ)に比べて、酸素を用いる生物(好気性生物)では、20倍(約2,880kJ)近く効率がいいのです。これだけの効率のいいエネルギー源なら、少々複雑な仕組みでも、利用できれば、他の生物を圧倒できます。それが、真核生物が、大発展をしてきた理由かもしれません。
酸素を生み出す生物、そして酸素を利用する生物が、現在の地球上では多数派となっています。酸素を嫌う、嫌気性細菌や古細菌などもいます。彼らは、昔の地球では主役だったのですが、今では日陰者となっています。それは、別の機会としましょう。
・教育実習・
4年生たちの教育実習が始まっています。
第一期生たちが、緊張しながら実習校へと出ています。
教員は、小学校への挨拶と研究授業に参加するために、
北海道各地を巡ることになります。
近くの学校ならば掛け持ちで回りことになります。
私は、今のところ4校にいく予定です。
ただし遠いところは、
泊まりで出かけることになります。
授業を休講にしていくため、
曜日が重ならないようにすることも
配慮しながら日程が組まれていきます。
学生だけでなく、教員もなかなか大変です。
・春から夏へ・
北海道も、快晴の日には、
暑いくらいの気温にまで上がるようになりました。
春から夏の兆しがみえます。
学生やうちの子供たちも、
半袖になって外を遊びまわっています。
先日までストーブを炊いていたことがあるのを思うと、
例年より、寒暖の変化が激しいようです。
(2009.05.21)
酸素は、植物が生産しています。酸素は、生物にとって有害でもありますが、うまく利用すると、エネルギーを生み出すこともできます。酸素を利用するために、非常に複雑な仕組みを持たなければなりませんでした。しかし、酸素を用いたエネルギーは、非常に効率のいいもので、複雑な仕組みを整える価値がありました。
地球上で酸素は、いくら使ってもなくなりません。ですから、どこかで、酸素が、常につくられているはずです。酸素は、どのようにして合成されているのでしょうか。
酸素の合成というと、多くの人が、学校ので習った光合成を思い出したはずです。光合成とは、植物が葉緑体で太陽の光をエネルギー源として、水と二酸化炭素を使って、糖類(炭水化物)を合成する作用です化学反応式は、
6CO2+12H2O→C6H12O6+6H2O+6O2
となります。そのときに、副産物として酸素がでてきます。
光合成をおこなうのは、植物の葉緑体です。葉緑体こそが、酸素を生みだすみなもとです。酸素のほとんどは、植物が光合成によって供給しています。植物は、陸上だけでなく、海にも植物性プランクトンとしてたくさん生息しています。そのような生物たちが日々酸素を生産しているために、酸素が尽きることがないのです。
酸素は、植物でも動物でも、呼吸をする生物にとって、不可欠なものです。呼吸とは、酸素を取り込み、二酸化炭素を放出することをいいます。その仕組みは、複雑なものですが、解明されています。
細胞内のミトコンドリアという器官で、食料として取り入れた、あるいは光合成で得た糖類を、分解して、アデノシン三リン酸(ATP)というエネルギー物質が合成されます。そのときに、酸素が用いられます。すべての真核生物において、ATPが、生きていくためのエネルギーとなっています。ATP合成のために酸素は不可欠です。それを呼吸として、外から取り入れているのです。
酸素は、細胞内では、活性酸素(フリーラジカル)と呼ばれる、非常に不安定な状態になります。活性酸素の強い酸化力を利用して、ATPがつくられます。しかし、このような強力な活性酸素は、諸刃の刃で、生物にとって有害でもあります。細胞をつくっている組織やDNAなども酸化させてしまいます。ですから、各組織は、抗酸化酵素と呼ばれるものを用いて、活性酸素による酸化を防いでいます。
多数の化学反応や複雑なプロセスは、酸素とATPを使うための代償ともいえます。なぜ、このような複雑な仕組みを持つに至ったのでしょうか。そこが進化の不思議なところなのですが、酸素とATPを用いるのが、非常に効率よくエネルギーを得られるためという結果論的な自然選択が、おこなわれたのではないでしょうか。
数値で比べると、単位ブドウ糖(1モル)あたり、以前の酸素を用いない生物(嫌気性生物)のエネルギー効率(約150kJ)に比べて、酸素を用いる生物(好気性生物)では、20倍(約2,880kJ)近く効率がいいのです。これだけの効率のいいエネルギー源なら、少々複雑な仕組みでも、利用できれば、他の生物を圧倒できます。それが、真核生物が、大発展をしてきた理由かもしれません。
酸素を生み出す生物、そして酸素を利用する生物が、現在の地球上では多数派となっています。酸素を嫌う、嫌気性細菌や古細菌などもいます。彼らは、昔の地球では主役だったのですが、今では日陰者となっています。それは、別の機会としましょう。
・教育実習・
4年生たちの教育実習が始まっています。
第一期生たちが、緊張しながら実習校へと出ています。
教員は、小学校への挨拶と研究授業に参加するために、
北海道各地を巡ることになります。
近くの学校ならば掛け持ちで回りことになります。
私は、今のところ4校にいく予定です。
ただし遠いところは、
泊まりで出かけることになります。
授業を休講にしていくため、
曜日が重ならないようにすることも
配慮しながら日程が組まれていきます。
学生だけでなく、教員もなかなか大変です。
・春から夏へ・
北海道も、快晴の日には、
暑いくらいの気温にまで上がるようになりました。
春から夏の兆しがみえます。
学生やうちの子供たちも、
半袖になって外を遊びまわっています。
先日までストーブを炊いていたことがあるのを思うと、
例年より、寒暖の変化が激しいようです。
2009年5月14日木曜日
2_75 酸素の役割:酸素の物語1(2009.05.14)
酸素は、大気中の主要成分のひとつです。酸素は、地表のどこにでも、無尽蔵にあるように考えて、気にも留められないものです。ところが、その酸素の恩恵なしには、人類はもちろん、多くの生物たちも、一日たりと生きていけません。そのような酸素にまつわる物語を紹介しましょう。
地球には、酸素があります。それも大気中に分子としてたくさん存在します。酸素が大気中にあったおかげで、人類は火を使うことができました。そもそも火とは、高温になった元素(たとえば炭素)が酸素と激しく結合する現象で、酸化という化学反応の一種です。大気中に酸素がなければ、火はおきないし、文明も起こらなかったでしょう。文明は、酸素のおかげといっても過言ではないでしょう。
大気中において酸素は、分子の形で存在します。酸素分子は、酸素原子が2つ結合したものです。大気中に酸素は、体積の比率で20.949%、重量比で23.143%となっています。それ以外の成分は窒素(N2)です。その他にも微量成分として、アルゴン(Ar)が0.93%(体積比)、そして二酸化炭素が0.035%(350ppmとも表せます)含まれています。
大気は、自転とともに地球と一緒に回転しています。昼間には、太陽の光を受けます。太陽光の中には、紫外線も大量に含まれています。酸素分子に紫外線を当てると、酸素分子が分解して酸素原子になり、新たに酸素原子が3つ結合した、オゾンの分子に変わります。ただしオゾンは不安定な分子なので、やがては酸素分子が変わってしまいます。でも、常に太陽の光が降り注ぎ、十分な酸素があれば、一定量のオゾンがいつも大気中で形成されることになります。オゾンが、ある程度でき、層をなすと、波長の短い紫外線ほど通さなくなります。これがオゾン層と呼ばれるものです。
紫外線(Ultra Violet、約してUV)は、光(可視光)でも波長が一番短いものです。紫外線も波長が短いほどエネルギーが強くなります。もし、オゾン層や大気がなく、紫外線が直接地表に降り注げば、DNAを分断したり、ケロイドになってしまうほど皮膚を焼いてしまいます。大気やオゾン層のおかげで、生物にとって有害な波長の短い紫外線は、ほとんどさえぎられ、長いものもある程度さえぎられています。ですから、生物は、地上で太陽の光を浴びても、焼け死ぬことなく、日焼けをする程度ですんでいるのです。
このオゾン層が安定に大気中に存在し、紫外線をかなりさえぎるには、酸素濃度が15~20%程度ないとなりません。地球の大気は、幸いなことに、その条件を満たしていたのです。
酸素を主成分とする大気は、実は太陽系では地球だけの特徴となっています。
両隣の惑星である金星と火星は、大気の量はまったく違っています。金星は、地球の約900倍(表面の大気圧)、火星は地球の0.007倍しかありません。ところが、金星と火星の大気の成分を比率で見ると、主成分は二酸化炭素(いずれも95%以上)であり、ついで窒素(3%前後)となっています。いずれの惑星にも、酸素はほとんどありません。これは、何を意味するのでしょうか。
火星は、惑星全体としてみると、初期にその活動を停めています。また、金星は地球のようにマグマ活動が続いている可能性がありますが、大気はもともとあったものとマグマに由来するものだけで成りたっていると考えられます。その上で、両者の大気は、その分量が何桁も違っているのに、比率が似ているということは、原始の大気がこのような成分であったことを意味していそうです。
ですから、両惑星にはさまれた、地球の原始大気も、このような成分でスタートをきったと考えられます。しかし、地球だけが、何らかの原因であるときから、酸素も持つ特異な大気へと変貌したのです。このシリーズでは、その変遷と由来を、最新情報を交えながら、探っていこうと思います。
・酸素のありがたさ・
私たち人類は、大気中においては、
微量成分である二酸化炭素には、
温暖化問題として非常に注目しています。
しかし、酸素に関しては無頓着です。
酸素は、生物が日々大量に消費しています。
どこにいっても、酸素は無料で、
いくらでも使える無尽蔵の、
気にも留める必要もないような成分です。
もちろん人類も他の生物に比べ物にならないほどの勢いで
消費しています。
その酸素は、本当に無尽蔵なのでしょうか。
なぜ、なくならないのでしょうか。
その仕組みは、どのようなものなのでしょうか。
その歴史は、どこまでさかのぼれるのでしょうか。
それが今回の「酸素の物語」シリーズのテーマです。
・北国の春・
ゴールデンウィークも終わり、
大学も通常の授業が戻ってきました。
北海道も桜が終わり、
春が到来しました。
ストーブともやっと離れることができます。
これから、北海道は最高の季節を迎えます。
特に快晴の日に、緑の中に出かけると
北海道に住んでいてよかったと思えます。
そんな北国の春を、今やっと満喫しています。
地球には、酸素があります。それも大気中に分子としてたくさん存在します。酸素が大気中にあったおかげで、人類は火を使うことができました。そもそも火とは、高温になった元素(たとえば炭素)が酸素と激しく結合する現象で、酸化という化学反応の一種です。大気中に酸素がなければ、火はおきないし、文明も起こらなかったでしょう。文明は、酸素のおかげといっても過言ではないでしょう。
大気中において酸素は、分子の形で存在します。酸素分子は、酸素原子が2つ結合したものです。大気中に酸素は、体積の比率で20.949%、重量比で23.143%となっています。それ以外の成分は窒素(N2)です。その他にも微量成分として、アルゴン(Ar)が0.93%(体積比)、そして二酸化炭素が0.035%(350ppmとも表せます)含まれています。
大気は、自転とともに地球と一緒に回転しています。昼間には、太陽の光を受けます。太陽光の中には、紫外線も大量に含まれています。酸素分子に紫外線を当てると、酸素分子が分解して酸素原子になり、新たに酸素原子が3つ結合した、オゾンの分子に変わります。ただしオゾンは不安定な分子なので、やがては酸素分子が変わってしまいます。でも、常に太陽の光が降り注ぎ、十分な酸素があれば、一定量のオゾンがいつも大気中で形成されることになります。オゾンが、ある程度でき、層をなすと、波長の短い紫外線ほど通さなくなります。これがオゾン層と呼ばれるものです。
紫外線(Ultra Violet、約してUV)は、光(可視光)でも波長が一番短いものです。紫外線も波長が短いほどエネルギーが強くなります。もし、オゾン層や大気がなく、紫外線が直接地表に降り注げば、DNAを分断したり、ケロイドになってしまうほど皮膚を焼いてしまいます。大気やオゾン層のおかげで、生物にとって有害な波長の短い紫外線は、ほとんどさえぎられ、長いものもある程度さえぎられています。ですから、生物は、地上で太陽の光を浴びても、焼け死ぬことなく、日焼けをする程度ですんでいるのです。
このオゾン層が安定に大気中に存在し、紫外線をかなりさえぎるには、酸素濃度が15~20%程度ないとなりません。地球の大気は、幸いなことに、その条件を満たしていたのです。
酸素を主成分とする大気は、実は太陽系では地球だけの特徴となっています。
両隣の惑星である金星と火星は、大気の量はまったく違っています。金星は、地球の約900倍(表面の大気圧)、火星は地球の0.007倍しかありません。ところが、金星と火星の大気の成分を比率で見ると、主成分は二酸化炭素(いずれも95%以上)であり、ついで窒素(3%前後)となっています。いずれの惑星にも、酸素はほとんどありません。これは、何を意味するのでしょうか。
火星は、惑星全体としてみると、初期にその活動を停めています。また、金星は地球のようにマグマ活動が続いている可能性がありますが、大気はもともとあったものとマグマに由来するものだけで成りたっていると考えられます。その上で、両者の大気は、その分量が何桁も違っているのに、比率が似ているということは、原始の大気がこのような成分であったことを意味していそうです。
ですから、両惑星にはさまれた、地球の原始大気も、このような成分でスタートをきったと考えられます。しかし、地球だけが、何らかの原因であるときから、酸素も持つ特異な大気へと変貌したのです。このシリーズでは、その変遷と由来を、最新情報を交えながら、探っていこうと思います。
・酸素のありがたさ・
私たち人類は、大気中においては、
微量成分である二酸化炭素には、
温暖化問題として非常に注目しています。
しかし、酸素に関しては無頓着です。
酸素は、生物が日々大量に消費しています。
どこにいっても、酸素は無料で、
いくらでも使える無尽蔵の、
気にも留める必要もないような成分です。
もちろん人類も他の生物に比べ物にならないほどの勢いで
消費しています。
その酸素は、本当に無尽蔵なのでしょうか。
なぜ、なくならないのでしょうか。
その仕組みは、どのようなものなのでしょうか。
その歴史は、どこまでさかのぼれるのでしょうか。
それが今回の「酸素の物語」シリーズのテーマです。
・北国の春・
ゴールデンウィークも終わり、
大学も通常の授業が戻ってきました。
北海道も桜が終わり、
春が到来しました。
ストーブともやっと離れることができます。
これから、北海道は最高の季節を迎えます。
特に快晴の日に、緑の中に出かけると
北海道に住んでいてよかったと思えます。
そんな北国の春を、今やっと満喫しています。
2009年5月7日木曜日
3_74 ダイヤモンドより硬いもの(2008.05.07)
ダイヤモンドは、もっとも硬い鉱物として有名です。しかし、近年ダイヤモンドより硬い結晶があることが分かってきました。今年の2月に、ダイヤモンドより硬い結晶を発見したというニュースが流れました。ただし、実際の結晶をつくって調べたのではなく、シミュレーションしたものでした。
2009年の2月のアメリカ物理学会が発行する学術雑誌(Physical Review Letters)に、ある論文が発表され、各種のメディアがニュースとして取り上げました。それは、「ダイヤモンドより硬い(Harder than Diamond)」というタイトルの論文でした。
今回報告された結晶は2種類あって、それらの物理的性質を検討したら、いずれもダイヤモンドより硬いことになりそうだという報告でした。
実は、ダイヤモンドより硬い硬度をもつものには、以前からいくつかのものが挙げられています。たとえば、立方晶窒化炭素やフラーレン(C60)と呼ばれる結晶です。フラーレンは、炭素鉱物のシュンガ石(shungite)の中から見つかっているため、天然の鉱物といえます。しかし、いずれの候補も、結晶が小さいため硬度の実測できていませんでした。
今回の報告でも実測はされていませんが、2つの鉱物でシミュレーションによって、硬いことが判明したという報告でした。2つの結晶は、六方晶ダイヤとウルツ鉱(wurtzite)と呼ばれている鉱物です。シミュレーションの結果、六方晶ダイヤは、ダイヤモンドの硬度より1.58倍以上、ウルツ鉱はダイヤモンドの硬度より1.18倍以上ありそうだということです。
六方晶ダイヤは、鉱物としてはロンズデーライト(lonsdaleite)と呼ばれ、ダイヤモンドと同じように、炭素からできています。結晶系が、六方晶系で、等軸晶系のダイヤモンドとは違っています。ロンズデーライトは、隕石が衝突したときのような高温高圧の条件でできます。隕石中にあった炭素が高温高圧によって、結晶構造が六方晶系になってできたものだと考えられています。
最初に見つかったのは、アメリカのアリゾナで隕石が衝突してできたバリンジャー・クレータからでした。バリンジャー・クレーターをつくった隕石は、キャニオン・ディアブロという鉄隕石ですが、その中に少量含まれていた炭素からできたようです。ちなみにタイヤモンドも一緒に発見されているようです。ゴアルパラ隕石、南極隕石のAH77283、またツングースカの隕石衝突地からも見つかっています。ただし、結晶は顕微鏡サイズの非常に小さいものです。
一方、ウルツ鉱(wurtzite)は、窒化炭素(BN)という化合物で、ウルツ鉱型の窒化炭素ということでw-BNと表記されています。天然のウルツ鉱には、いろいろなタイプの化合物があります。主にはABという2つの元素がくっついた化合物をつくっています。Aにはカドニウム(Cd)と亜鉛(Zn)(他にもHg、Feなど)が入り、Bにはイオウ(S)やセレン(Se)が入ります。ウルツ鉱はタイヤモンドと似た結晶構造を持っているので硬いものとなります。
私が調べたところ、天然のものでウルツ鉱型のBNという化学式を持つものは見つけることができませんでした。この結晶は、自然に産するものかどうかは、分かりませんでした。
このような鉱物は、天然では非常に稀で、あっても小さいものなので、硬度を調べられるほどのサイズの結晶は見つかっていません。天然で大きな結晶は見つからないならば、合成によって大きな結晶をつくって確かめるしかありません。それができれば、今回の報告が正しいかどうか判定できます。そのとき初めてダイヤモンドより硬い鉱物の発見となります。
重要なのは、単に発見したというだけでなく、そこに技術革新が起こる可能性があるため、多くの科学者や技術者がしのぎを削っています。w-BNは、ダイヤモンドより高温の条件で、強く安定していると考えられています。ダイヤモンドは炭素なので燃えてしまいますが、w-BNなら酸化にも強い結晶だと考えられます。もしこのような結晶合成の技術が完成すれば、今までダイヤモンドでは不可能であった温度領域でも高硬度素材が加工も可能になります。
目標がはっきりしていれば、やがて技術は達成されるでしょう。今までの技術進歩が、それを証明しています。ですから、今では、だれがその栄誉を手に入れるかの時間との勝負となっています。
・鉱物と結晶・
鉱物とは自然にできたものではないとなりません。
自然は、地球に限定されたものではありません。
隕石や月の岩石にも見つかっても鉱物になります。
もし天然で発見されなければ、
それは人工物にすぎず、鉱物名は与えられません。
そのため発見者は、新鉱物として、国際鉱物学連合(IMA)の
新鉱物命名分類委員会(CNMNC)に申請して
承認手続きをとります。
そこの承認されたもののみが、
鉱物と名乗ることができます。
一般に鉱物の和名では、
非金属光沢を持つ鉱物には「石」をつけ、
金属光沢を持つ鉱物には「鉱」をつけることになっています。
ただし例外は多々ありますが。
・権威づけ・
今回の報告は、Physical Review Lettersという
アメリカ物理学会が発行する学術雑誌に掲載されました。
この雑誌は、物理学の専門誌としては
最も権威があるものとされています。
物理学者は、この雑誌に掲載されることが重要な目標になります。
科学全般では、科学専門であるNatureやScienceに
掲載されることが今でもステータスとなっています。
地球科学ではどうでしょうか。
私が大学院生のころは、
Journal of PetrologyやJournal of Geophysical Research、
Earth and Planetary Science Lettersなどが
権威があるされていましたが、
今では、雑誌の数も増え、分野も多岐になり、
甲乙つけがたい状態になってきました。
こんな問題を解消するために、
雑誌の評価をImpact Factorなどで測られるようになりました。
もともとImpact Factorは、雑誌の影響度を測る指標でしだが、
研究者や研究施設の評価に転用されることが多くなってきました。
研究に対する正当な評価は必要でしょうが、
評価を目標に研究をするのは、
研究の本来の姿ではないように思われます。
評価に押しつぶされそうな
研究者がいるとしたら問題です。
おおらかに研究できるといいのですが。
2009年の2月のアメリカ物理学会が発行する学術雑誌(Physical Review Letters)に、ある論文が発表され、各種のメディアがニュースとして取り上げました。それは、「ダイヤモンドより硬い(Harder than Diamond)」というタイトルの論文でした。
今回報告された結晶は2種類あって、それらの物理的性質を検討したら、いずれもダイヤモンドより硬いことになりそうだという報告でした。
実は、ダイヤモンドより硬い硬度をもつものには、以前からいくつかのものが挙げられています。たとえば、立方晶窒化炭素やフラーレン(C60)と呼ばれる結晶です。フラーレンは、炭素鉱物のシュンガ石(shungite)の中から見つかっているため、天然の鉱物といえます。しかし、いずれの候補も、結晶が小さいため硬度の実測できていませんでした。
今回の報告でも実測はされていませんが、2つの鉱物でシミュレーションによって、硬いことが判明したという報告でした。2つの結晶は、六方晶ダイヤとウルツ鉱(wurtzite)と呼ばれている鉱物です。シミュレーションの結果、六方晶ダイヤは、ダイヤモンドの硬度より1.58倍以上、ウルツ鉱はダイヤモンドの硬度より1.18倍以上ありそうだということです。
六方晶ダイヤは、鉱物としてはロンズデーライト(lonsdaleite)と呼ばれ、ダイヤモンドと同じように、炭素からできています。結晶系が、六方晶系で、等軸晶系のダイヤモンドとは違っています。ロンズデーライトは、隕石が衝突したときのような高温高圧の条件でできます。隕石中にあった炭素が高温高圧によって、結晶構造が六方晶系になってできたものだと考えられています。
最初に見つかったのは、アメリカのアリゾナで隕石が衝突してできたバリンジャー・クレータからでした。バリンジャー・クレーターをつくった隕石は、キャニオン・ディアブロという鉄隕石ですが、その中に少量含まれていた炭素からできたようです。ちなみにタイヤモンドも一緒に発見されているようです。ゴアルパラ隕石、南極隕石のAH77283、またツングースカの隕石衝突地からも見つかっています。ただし、結晶は顕微鏡サイズの非常に小さいものです。
一方、ウルツ鉱(wurtzite)は、窒化炭素(BN)という化合物で、ウルツ鉱型の窒化炭素ということでw-BNと表記されています。天然のウルツ鉱には、いろいろなタイプの化合物があります。主にはABという2つの元素がくっついた化合物をつくっています。Aにはカドニウム(Cd)と亜鉛(Zn)(他にもHg、Feなど)が入り、Bにはイオウ(S)やセレン(Se)が入ります。ウルツ鉱はタイヤモンドと似た結晶構造を持っているので硬いものとなります。
私が調べたところ、天然のものでウルツ鉱型のBNという化学式を持つものは見つけることができませんでした。この結晶は、自然に産するものかどうかは、分かりませんでした。
このような鉱物は、天然では非常に稀で、あっても小さいものなので、硬度を調べられるほどのサイズの結晶は見つかっていません。天然で大きな結晶は見つからないならば、合成によって大きな結晶をつくって確かめるしかありません。それができれば、今回の報告が正しいかどうか判定できます。そのとき初めてダイヤモンドより硬い鉱物の発見となります。
重要なのは、単に発見したというだけでなく、そこに技術革新が起こる可能性があるため、多くの科学者や技術者がしのぎを削っています。w-BNは、ダイヤモンドより高温の条件で、強く安定していると考えられています。ダイヤモンドは炭素なので燃えてしまいますが、w-BNなら酸化にも強い結晶だと考えられます。もしこのような結晶合成の技術が完成すれば、今までダイヤモンドでは不可能であった温度領域でも高硬度素材が加工も可能になります。
目標がはっきりしていれば、やがて技術は達成されるでしょう。今までの技術進歩が、それを証明しています。ですから、今では、だれがその栄誉を手に入れるかの時間との勝負となっています。
・鉱物と結晶・
鉱物とは自然にできたものではないとなりません。
自然は、地球に限定されたものではありません。
隕石や月の岩石にも見つかっても鉱物になります。
もし天然で発見されなければ、
それは人工物にすぎず、鉱物名は与えられません。
そのため発見者は、新鉱物として、国際鉱物学連合(IMA)の
新鉱物命名分類委員会(CNMNC)に申請して
承認手続きをとります。
そこの承認されたもののみが、
鉱物と名乗ることができます。
一般に鉱物の和名では、
非金属光沢を持つ鉱物には「石」をつけ、
金属光沢を持つ鉱物には「鉱」をつけることになっています。
ただし例外は多々ありますが。
・権威づけ・
今回の報告は、Physical Review Lettersという
アメリカ物理学会が発行する学術雑誌に掲載されました。
この雑誌は、物理学の専門誌としては
最も権威があるものとされています。
物理学者は、この雑誌に掲載されることが重要な目標になります。
科学全般では、科学専門であるNatureやScienceに
掲載されることが今でもステータスとなっています。
地球科学ではどうでしょうか。
私が大学院生のころは、
Journal of PetrologyやJournal of Geophysical Research、
Earth and Planetary Science Lettersなどが
権威があるされていましたが、
今では、雑誌の数も増え、分野も多岐になり、
甲乙つけがたい状態になってきました。
こんな問題を解消するために、
雑誌の評価をImpact Factorなどで測られるようになりました。
もともとImpact Factorは、雑誌の影響度を測る指標でしだが、
研究者や研究施設の評価に転用されることが多くなってきました。
研究に対する正当な評価は必要でしょうが、
評価を目標に研究をするのは、
研究の本来の姿ではないように思われます。
評価に押しつぶされそうな
研究者がいるとしたら問題です。
おおらかに研究できるといいのですが。
2009年4月30日木曜日
4_87 円月島:南紀4
南紀シリーズも4回めとなります。振り返ると白浜が中心になってしまいまた。白浜周辺は第三紀の堆積岩からできているのですが、堆積岩の構造や性質がいろいろ見られる所が多く、地質学的にも興味深いところです。今回の旅で白浜の地質の見所すべてを巡ったわけではありません。見残して心残りのところもいくつかあるのですが、南紀シリーズも今回が最後となります。今回は南紀の旅の最後として、侵食作用による造形を紹介しましょう。
白浜の温泉街を北に向かって通り抜けて、番所の崎の方に向かって海岸沿いを走ると、円月島と呼ばれている島が見えてきます。この島は、もともと「高嶋」と呼ばれているのですが、1887年ごろにこの地を訪れた漢詩人の津田香巌が、円月島と命名し、現在に至っているそうです。島は、1974(昭和49)年に、町指定の名勝となっています。
円月島は、南北に長く(130m)、東西に薄く(35m)、高さ(26m)もかなりあります。ふたこぶラクダの背のような形をしています。
現在島として残っているのは、海になっている部分よりは、風雨や波の浸食には強かったのでしょう。しかし、島として残ったところも、中央が侵食に弱かったためのでしょう、ラクダの背のように浸食されてしまいました。
この島は、白浜周辺をつくる地層と同じものからできてます。新第三紀中新世(1500~1600万年前)の田辺層群白浜累層の堆積岩です。しかし、礫岩を主としているために、もろく、波による浸食を受けやすくなっています。
ラクダの背の真ん中の一番くぼんだところが、さらに波の浸食を受け、丸い穴(高さ9m、幅8m)があいています。海蝕洞(かいしょくどう)と呼ばれる浸食地形になっています。
この島の穴の開いたラクダの背のような形状は、自然の妙なのでしょうが、海に浮かぶと不思議で奇異な形に見えます。丸みを持った、たおやかさに見入ってしまう魅力があります。前に紹介した白良浜や千畳敷とともに、白浜の観光名所となっています。
岩石が弱いため、現在も浸食が進行しています。2008年10月1日に南側の岩が、高さ13m、最大幅9m、厚さ1.4mにわたって崩落しました。2005年にも、北側でも幅8m、高さ9mにわたって崩落しています。いずれも、浸食に弱い岩石であるために、起こった崩落です。浸食が、この円月島をつくり、そして浸食が円月島をこれからも変えていきます。やがては、丸い穴はなくなり、島が2つに分かれてしまうかもしれません。これが自然の摂理です。
しかし、人は、現状のまま変わらぬ景観があることを願います。1939年に穴の上部に亀裂が発見され、それが拡大していることが判明したのですが、自然のままにしておこうと、現状維持のままにされました。しかし、2005年と2008年の2回にわたって崩壊がおこっため、「やがて海蝕洞はなくなり、夫婦岩のようになってしまう」という心配の声が起こりました。町では、今後、観光資源としての重要性を考え、崩落防止の対策を考えていくことになったそうです。
技術をもってすれば、人間の時間スケールで考えれば、現状の景観を維持できるかもしれません。しかし、地質学的な時間、地球時間で考えると、自然の摂理として、浸食は進むでしょう。ここには、自然の営為と人為、観光資源と自然保護、いろいろ複雑な問題が絡み合っています。あまり不自然な景観にだけはならないことを願っています。
・行きたいところ・
このようなエッセイを書くとき、いろいろ調べます。
もちろん調査に行く前にもそれなりに調べます。
すると、行ってきたところ以外にも
堆積作用の珍しい形態がいろいろあったことに気づきます。
もちろん、知っていたのですが、時間の都合や交通事情で
いけなかったところもいくつもあります。
それをエッセイを書きながら悔やむことになります。
本来なら、もっとじっくりと時間をかけて巡れればと思います。
だから、別の機会にまだ行こうと思うことになります。
これは、出かけるたびに、感じることです。
そうなると、行ったところへまた行きたくなります。
日本中行きたいところだけになります。
でも、出かけたいところがないよりはいいと思います。
今度時間があったら、あの近くにいったら、見たいところを
いくつも持っていることは、幸せなのことなのか知れません。
・南紀シリーズ・
今回で南紀のシリーズが、終わりとします。
他にも見たところがいくつかありますが、
それは、月刊メールマガジン「大地を眺める」
のほうで、いくつか紹介します。
興味のある人は、そちらを参照してください。
・ゴールデンウィーク・
皆さんは、今週末か始まるゴールデンウィークはどうされますか。
普通の人は、5連休となります。
私は、土曜日に振り替え授業があるので、
4連休になりますが、あまり遠出はしないつもりです。
天気を見ながら、日帰りで近隣の人出の少なそうなところへ
行こうかと考えています。
白浜の温泉街を北に向かって通り抜けて、番所の崎の方に向かって海岸沿いを走ると、円月島と呼ばれている島が見えてきます。この島は、もともと「高嶋」と呼ばれているのですが、1887年ごろにこの地を訪れた漢詩人の津田香巌が、円月島と命名し、現在に至っているそうです。島は、1974(昭和49)年に、町指定の名勝となっています。
円月島は、南北に長く(130m)、東西に薄く(35m)、高さ(26m)もかなりあります。ふたこぶラクダの背のような形をしています。
現在島として残っているのは、海になっている部分よりは、風雨や波の浸食には強かったのでしょう。しかし、島として残ったところも、中央が侵食に弱かったためのでしょう、ラクダの背のように浸食されてしまいました。
この島は、白浜周辺をつくる地層と同じものからできてます。新第三紀中新世(1500~1600万年前)の田辺層群白浜累層の堆積岩です。しかし、礫岩を主としているために、もろく、波による浸食を受けやすくなっています。
ラクダの背の真ん中の一番くぼんだところが、さらに波の浸食を受け、丸い穴(高さ9m、幅8m)があいています。海蝕洞(かいしょくどう)と呼ばれる浸食地形になっています。
この島の穴の開いたラクダの背のような形状は、自然の妙なのでしょうが、海に浮かぶと不思議で奇異な形に見えます。丸みを持った、たおやかさに見入ってしまう魅力があります。前に紹介した白良浜や千畳敷とともに、白浜の観光名所となっています。
岩石が弱いため、現在も浸食が進行しています。2008年10月1日に南側の岩が、高さ13m、最大幅9m、厚さ1.4mにわたって崩落しました。2005年にも、北側でも幅8m、高さ9mにわたって崩落しています。いずれも、浸食に弱い岩石であるために、起こった崩落です。浸食が、この円月島をつくり、そして浸食が円月島をこれからも変えていきます。やがては、丸い穴はなくなり、島が2つに分かれてしまうかもしれません。これが自然の摂理です。
しかし、人は、現状のまま変わらぬ景観があることを願います。1939年に穴の上部に亀裂が発見され、それが拡大していることが判明したのですが、自然のままにしておこうと、現状維持のままにされました。しかし、2005年と2008年の2回にわたって崩壊がおこっため、「やがて海蝕洞はなくなり、夫婦岩のようになってしまう」という心配の声が起こりました。町では、今後、観光資源としての重要性を考え、崩落防止の対策を考えていくことになったそうです。
技術をもってすれば、人間の時間スケールで考えれば、現状の景観を維持できるかもしれません。しかし、地質学的な時間、地球時間で考えると、自然の摂理として、浸食は進むでしょう。ここには、自然の営為と人為、観光資源と自然保護、いろいろ複雑な問題が絡み合っています。あまり不自然な景観にだけはならないことを願っています。
・行きたいところ・
このようなエッセイを書くとき、いろいろ調べます。
もちろん調査に行く前にもそれなりに調べます。
すると、行ってきたところ以外にも
堆積作用の珍しい形態がいろいろあったことに気づきます。
もちろん、知っていたのですが、時間の都合や交通事情で
いけなかったところもいくつもあります。
それをエッセイを書きながら悔やむことになります。
本来なら、もっとじっくりと時間をかけて巡れればと思います。
だから、別の機会にまだ行こうと思うことになります。
これは、出かけるたびに、感じることです。
そうなると、行ったところへまた行きたくなります。
日本中行きたいところだけになります。
でも、出かけたいところがないよりはいいと思います。
今度時間があったら、あの近くにいったら、見たいところを
いくつも持っていることは、幸せなのことなのか知れません。
・南紀シリーズ・
今回で南紀のシリーズが、終わりとします。
他にも見たところがいくつかありますが、
それは、月刊メールマガジン「大地を眺める」
のほうで、いくつか紹介します。
興味のある人は、そちらを参照してください。
・ゴールデンウィーク・
皆さんは、今週末か始まるゴールデンウィークはどうされますか。
普通の人は、5連休となります。
私は、土曜日に振り替え授業があるので、
4連休になりますが、あまり遠出はしないつもりです。
天気を見ながら、日帰りで近隣の人出の少なそうなところへ
行こうかと考えています。
2009年4月23日木曜日
4_86 千畳敷の堆積構造:南紀3
南紀白浜に千畳敷と呼ばれる岩場があります。起伏に富んだ広い岩場で、うろうろしてみるには最適の場所です。千畳敷は、堆積岩の地層が広がっているところです。地層のその構造を詳しく見ると、どのようなところでできたかをうかがい知ることができます。
南紀白浜の白砂の白良浜がある鉛山湾を南に回りこんで、西に突き出た瀬戸崎という岩場があります。そこは、千畳敷とよばれている観光名所となっています。本当に畳、千枚分の広さがあるかどうかは知りませんが、地層がきれいにでているところをあちこち散策できます。
千畳敷という名称はよく耳にしますが、青森県の西の海岸にある千畳敷ということには、私も行ったことがあります。調べると、千畳敷と呼ばれている地名は日本各地にけっこうあるようです。
木曾駒ケ岳の千畳敷カールや、福井県小浜市の第三紀中新世の砂岩の千畳敷、兵庫県香住町の広い波食台の千畳敷、函館山南部の平坦な台地をつくる溶岩の千畳敷、島根県仁多郡仁多町の花崗岩(粗粒黒雲母花崗岩)の大きな岩塊の千畳敷など、他にもいっぱいあります。実際には、それほど広くはない千畳敷もあるようですが、回りのものと比べると広々としていると千畳敷と表現されているようです。千畳敷は、実際の広さではなく、広さの比喩として用いられているだけです。
南紀白浜がある湯崎半島では、地層が馬の背状に曲がる(背斜(はいしゃ)と呼ばれています)軸が東西に伸びています。背斜の軸の海側で、隆起が起こったため、海岸は何段にも絶壁ができました。この背斜軸に沿って、鉛山湾を中心して高温の温泉が湧き出しています。
白浜の千畳敷をつくっている地層は、田辺層群白浜累層にあたります。砂岩や礫岩、泥岩からできています。地層の中には、いくつかの海岸近くで形成された構造を見ることができます。
分かりやすいものでは、砂岩層の上面にリップルマークがみられます。リップルマークとは、漣痕とも呼ばれ、水流による波の模様が海底の土砂にできたものが、そのまま化石のように保存されたものです。リップルマークは深海でも水流があればできますが、千畳敷で見られるリップルマークは、波の頂部がとがり、谷の部分が丸くなっていて、その波が頂部を軸にして左右対称の形をしていることが特徴です。これは、ウェーブリップルと呼ばれるもので、沿岸で繰り返し打ち寄せる波の作用によってできたものです。
また、ハンモッキー斜交葉理や大規模な斜交層理がみられます。これらの構造は、激しい波によって浅い海底できたと考えられています。波浪によってこのような模様ができる限界の水深は、波が穏やかなときは15~30mで、激しい波浪のときは50~80mといわれています。いずれにしても、千畳敷の地層は、比較的浅い海に堆積したことを示しています。地質学的には、浅海の外浜から陸棚のようなところだと推定できます。もちろん、地層ができた新第三紀中新世(1500~1600万年前)のころの海ですが。
南紀白浜は、一方では白い砂浜の海岸が広がっていると思うと、すぐ近くには岩場の絶壁があります。そして、そこに温泉もあります。硬軟おりまぜた観光要素が白浜の魅力となっています。
・落書き・
千畳敷におりようしたら、
落書き禁止の看板が目に付きました。
理由は岩場に出るとすぐにわかりました。
岩場をつくっている地層がやわらかい岩石であるため、
石ころなどでこすると、簡単に傷がつけられ、
文字も書けてしまうのです。
そこに落書きをする輩がでてくるわけです。
旧跡名跡であっても、ところかまわず落書きをする人がいます。
実際には、私が訪れたときにも、人目を気にしながらも
落書きをしようとしている人を見かけました。
私は、このような落書きに及ぶ行為をみて、
2008年2月の岐阜市立女子短期大学修学旅行で学生が
イタリアの世界遺産のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁に
落書きをして大きくマスコミが騒いだ事件を思い出しました。
私は子供を連れていたので、
こんな現場を見せたくありませんでした。
しかし、現実に起こっていることはどうしようもありません。
子供たちには、あんなことをしないようにと、
大切な遺跡に落書きをして大事件となったことがあることを紹介して、
戒めとしましたが、本当に伝わったでしょうか。
少々心配ですが。
・体が発する声・
いつものことですが、春は眠くなります。
特に授業が始まって1、2週目あたりが
疲れのピークになり眠さも増します。
私の場合は、朝方なので、夕食後が猛烈に眠くなります。
そんなときは、睡魔に負けてあっさりと寝てしまいます。
すると朝が早く起きてしまい、
夜がますます眠くなります。
悪循環ですが、あまり抵抗しないようにしています。
体が要求するのに可能な限り、従うようにしています。
これは、時期的にそのようなときだと思うからです。
時差ボケならぬ季節ボケでしょうか。
若いときのように無理が利かないので、
体が発する声をよく聞くようにしています。
南紀白浜の白砂の白良浜がある鉛山湾を南に回りこんで、西に突き出た瀬戸崎という岩場があります。そこは、千畳敷とよばれている観光名所となっています。本当に畳、千枚分の広さがあるかどうかは知りませんが、地層がきれいにでているところをあちこち散策できます。
千畳敷という名称はよく耳にしますが、青森県の西の海岸にある千畳敷ということには、私も行ったことがあります。調べると、千畳敷と呼ばれている地名は日本各地にけっこうあるようです。
木曾駒ケ岳の千畳敷カールや、福井県小浜市の第三紀中新世の砂岩の千畳敷、兵庫県香住町の広い波食台の千畳敷、函館山南部の平坦な台地をつくる溶岩の千畳敷、島根県仁多郡仁多町の花崗岩(粗粒黒雲母花崗岩)の大きな岩塊の千畳敷など、他にもいっぱいあります。実際には、それほど広くはない千畳敷もあるようですが、回りのものと比べると広々としていると千畳敷と表現されているようです。千畳敷は、実際の広さではなく、広さの比喩として用いられているだけです。
南紀白浜がある湯崎半島では、地層が馬の背状に曲がる(背斜(はいしゃ)と呼ばれています)軸が東西に伸びています。背斜の軸の海側で、隆起が起こったため、海岸は何段にも絶壁ができました。この背斜軸に沿って、鉛山湾を中心して高温の温泉が湧き出しています。
白浜の千畳敷をつくっている地層は、田辺層群白浜累層にあたります。砂岩や礫岩、泥岩からできています。地層の中には、いくつかの海岸近くで形成された構造を見ることができます。
分かりやすいものでは、砂岩層の上面にリップルマークがみられます。リップルマークとは、漣痕とも呼ばれ、水流による波の模様が海底の土砂にできたものが、そのまま化石のように保存されたものです。リップルマークは深海でも水流があればできますが、千畳敷で見られるリップルマークは、波の頂部がとがり、谷の部分が丸くなっていて、その波が頂部を軸にして左右対称の形をしていることが特徴です。これは、ウェーブリップルと呼ばれるもので、沿岸で繰り返し打ち寄せる波の作用によってできたものです。
また、ハンモッキー斜交葉理や大規模な斜交層理がみられます。これらの構造は、激しい波によって浅い海底できたと考えられています。波浪によってこのような模様ができる限界の水深は、波が穏やかなときは15~30mで、激しい波浪のときは50~80mといわれています。いずれにしても、千畳敷の地層は、比較的浅い海に堆積したことを示しています。地質学的には、浅海の外浜から陸棚のようなところだと推定できます。もちろん、地層ができた新第三紀中新世(1500~1600万年前)のころの海ですが。
南紀白浜は、一方では白い砂浜の海岸が広がっていると思うと、すぐ近くには岩場の絶壁があります。そして、そこに温泉もあります。硬軟おりまぜた観光要素が白浜の魅力となっています。
・落書き・
千畳敷におりようしたら、
落書き禁止の看板が目に付きました。
理由は岩場に出るとすぐにわかりました。
岩場をつくっている地層がやわらかい岩石であるため、
石ころなどでこすると、簡単に傷がつけられ、
文字も書けてしまうのです。
そこに落書きをする輩がでてくるわけです。
旧跡名跡であっても、ところかまわず落書きをする人がいます。
実際には、私が訪れたときにも、人目を気にしながらも
落書きをしようとしている人を見かけました。
私は、このような落書きに及ぶ行為をみて、
2008年2月の岐阜市立女子短期大学修学旅行で学生が
イタリアの世界遺産のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁に
落書きをして大きくマスコミが騒いだ事件を思い出しました。
私は子供を連れていたので、
こんな現場を見せたくありませんでした。
しかし、現実に起こっていることはどうしようもありません。
子供たちには、あんなことをしないようにと、
大切な遺跡に落書きをして大事件となったことがあることを紹介して、
戒めとしましたが、本当に伝わったでしょうか。
少々心配ですが。
・体が発する声・
いつものことですが、春は眠くなります。
特に授業が始まって1、2週目あたりが
疲れのピークになり眠さも増します。
私の場合は、朝方なので、夕食後が猛烈に眠くなります。
そんなときは、睡魔に負けてあっさりと寝てしまいます。
すると朝が早く起きてしまい、
夜がますます眠くなります。
悪循環ですが、あまり抵抗しないようにしています。
体が要求するのに可能な限り、従うようにしています。
これは、時期的にそのようなときだと思うからです。
時差ボケならぬ季節ボケでしょうか。
若いときのように無理が利かないので、
体が発する声をよく聞くようにしています。
2009年4月16日木曜日
4_85 白砂の白良浜:南紀2(2009.04.16)
南紀の旅の2回目は、白浜の白良浜を紹介します。白浜は、関西では有名な観光地です。しかし、白浜は、結構遠くて、関西在住の人でも、いったことのない人も多いのかもしれません。私も、今回が始めての訪問でした。白浜を象徴するような白い砂浜を見てきました。
南紀白浜は、関西では有名な観光地です。しかし、私は今までいったことがありませんが、今回の南紀の旅で、はじめて訪れることができました。白浜の中でも白良浜(しららはま)と呼ばれるところは、感動をするような海岸です。白良浜は、丸い弧を描いたような海岸線(鉛山湾)に、長さ700mほどにわたり白い砂浜が続いています。まるで、海外のリゾート地の海岸を思わせるような砂浜が広がっています。
白い砂は、石英を主成分としています。波にあわられ、円磨された砂となっています。かつては、ガラスの材料にも使われていたほど淘汰のいい砂です。ところが、白良浜以外の周辺の海岸は、特別に石英が多い、白い砂浜ではありません。白良浜は、白い砂浜になるための限られた条件を満たしていたためにできたのです。
その条件の一つは、砂の供給源(後背地と呼びます)に石英がたくさんあったことです。後背地は、湯崎半島全体となります。半島は、新第三紀中新世(1500~1600万年前)に形成された田辺層群の中の白浜累層と呼ばれる地層から成り立っています。白浜累層は、砂岩と泥岩の繰り返し(互層と呼びます)や、礫岩、泥岩などからできています。それらの地層から石英が供給されることによって白い砂浜ができます。
その供給経路は、その石英の多い地層の中を流れ、白良浜に流れ込む川となります。白良浜に流れ込んでいるのは、寺谷川です。ところが、この寺谷川は、コンクリートに護岸されているため、供給源としての役割を果たさなくなりました。結果、砂浜は、波の浸食作用で砂がなくなっていきました。白良浜の白砂は、重要な観光資源です。それを守るために、対応策がいろいろととられました。
ひとつの対応策として、砂を補給するという方法がとられています。しかし、石英だけからできた白い砂はそうそうありません。遠いのですが、オーストラリアの西海岸から持ち込まれています。1989年から2005年まで、7万立方メートル以上の砂が持ち込まれたそうです。
他の対応策として、海底に石やブロックを入れて堤防(潜堤といいます)を波による流出を防ごうとされました。しかた対策むなしく、砂の流出は止まっていません。現在、海面上に堤防が建築中です。これは海岸の砂の流出対策かどうかわかりませんが、この人工的な堤防が白砂の海岸では異質な存在に見えました。
白良浜は、もともとは自然にできた白い砂浜だったのです。ところが、現在では、人が手を入れなければ砂浜が維持できない状態となっています。堤防だけでなく、砂自体が、人工的に補われたものです。しかし、これが、白浜という有名な観光地の現状でもありました。できれば、自然状態でこのような浜が残ればいいのですが、都市化した観光地では、なかなか難しい問題です。
国民の祝日「海の日」を記念して、1996年に運輸省(当時)認定を受けた「日本の渚・中央委員会」が、関係公官庁の後援を受けて「日本の渚・百選」を選定しました。「日本の渚・百選」は、自然の海岸だけを選ぶのではなく、環境保全などの対策や、生活者との深い関わり合いをもっていることも考慮されて選ばれています。ですから、人工的に維持されている白良浜も、「日本の渚・百選」に選ばれています。
白良浜は白浜でも有数の観光名所なので、平日にもかかわらず、駐車場がいっぱいで、車を停めることができずに困りました。仕方なく、白浜周辺の他の名所を見ることにしました。その日は白浜に泊まることになっていたので、夕方になって白良浜にいくと、公営の駐車場が空いていて停めることができました。夕刻の浜辺を、散策することができました。そして、白砂の行方に思いを馳せました。
・人工と自然・
人工の砂浜だとわかっていても、
やはり白砂の海岸は見事でした。
さすがに「日本の渚・百選」に選ばれているだけのことはあります。
現在では人手によって維持されていますが、
かつては、自然のままの白砂が広がっていたのです。
それを思うを自然の偉大さを感じます。
ここ20年は、人工的に多くの労力を使って
白砂の浜が維持されています。
そもそもは陸側に住む人間の都合で後背地から
新しい砂が供給されないことが、
砂浜消失の大きな原因だったはずです。
しかし、そこは人間が住んで暮らし、
観光産業を営まなくてはなりません。
どこか論理矛盾しているような行為をしているように見えます。
でも、人工の砂浜を守る努力は、
今後も続けなければなりません。
・雨不足・
北海道は4月になって、
雨がほとんど降らない天気が続いていました。
晴ればかりではないのですが、
曇っても雨が降りませんでした。
もちろん晴天の日も多かったのです。
今週中ごろになって雨が降りだし、
雨不足の心配はなくなりました。
北海道は、春は雪解けの時期なので、
農業用水は飲料水の心配はないはずです。
でもはやり、雨が降らないと
心なしか、木々の元気がないように見えます。
私は、雨の日も好きなのですが、
春はやはりぬけるような快晴の日がいいです。
4月の前半は晴れが多く、春を満喫していたのですが、
ここらで一休みでしょうか。
雨の情緒を楽しみましょう。
南紀白浜は、関西では有名な観光地です。しかし、私は今までいったことがありませんが、今回の南紀の旅で、はじめて訪れることができました。白浜の中でも白良浜(しららはま)と呼ばれるところは、感動をするような海岸です。白良浜は、丸い弧を描いたような海岸線(鉛山湾)に、長さ700mほどにわたり白い砂浜が続いています。まるで、海外のリゾート地の海岸を思わせるような砂浜が広がっています。
白い砂は、石英を主成分としています。波にあわられ、円磨された砂となっています。かつては、ガラスの材料にも使われていたほど淘汰のいい砂です。ところが、白良浜以外の周辺の海岸は、特別に石英が多い、白い砂浜ではありません。白良浜は、白い砂浜になるための限られた条件を満たしていたためにできたのです。
その条件の一つは、砂の供給源(後背地と呼びます)に石英がたくさんあったことです。後背地は、湯崎半島全体となります。半島は、新第三紀中新世(1500~1600万年前)に形成された田辺層群の中の白浜累層と呼ばれる地層から成り立っています。白浜累層は、砂岩と泥岩の繰り返し(互層と呼びます)や、礫岩、泥岩などからできています。それらの地層から石英が供給されることによって白い砂浜ができます。
その供給経路は、その石英の多い地層の中を流れ、白良浜に流れ込む川となります。白良浜に流れ込んでいるのは、寺谷川です。ところが、この寺谷川は、コンクリートに護岸されているため、供給源としての役割を果たさなくなりました。結果、砂浜は、波の浸食作用で砂がなくなっていきました。白良浜の白砂は、重要な観光資源です。それを守るために、対応策がいろいろととられました。
ひとつの対応策として、砂を補給するという方法がとられています。しかし、石英だけからできた白い砂はそうそうありません。遠いのですが、オーストラリアの西海岸から持ち込まれています。1989年から2005年まで、7万立方メートル以上の砂が持ち込まれたそうです。
他の対応策として、海底に石やブロックを入れて堤防(潜堤といいます)を波による流出を防ごうとされました。しかた対策むなしく、砂の流出は止まっていません。現在、海面上に堤防が建築中です。これは海岸の砂の流出対策かどうかわかりませんが、この人工的な堤防が白砂の海岸では異質な存在に見えました。
白良浜は、もともとは自然にできた白い砂浜だったのです。ところが、現在では、人が手を入れなければ砂浜が維持できない状態となっています。堤防だけでなく、砂自体が、人工的に補われたものです。しかし、これが、白浜という有名な観光地の現状でもありました。できれば、自然状態でこのような浜が残ればいいのですが、都市化した観光地では、なかなか難しい問題です。
国民の祝日「海の日」を記念して、1996年に運輸省(当時)認定を受けた「日本の渚・中央委員会」が、関係公官庁の後援を受けて「日本の渚・百選」を選定しました。「日本の渚・百選」は、自然の海岸だけを選ぶのではなく、環境保全などの対策や、生活者との深い関わり合いをもっていることも考慮されて選ばれています。ですから、人工的に維持されている白良浜も、「日本の渚・百選」に選ばれています。
白良浜は白浜でも有数の観光名所なので、平日にもかかわらず、駐車場がいっぱいで、車を停めることができずに困りました。仕方なく、白浜周辺の他の名所を見ることにしました。その日は白浜に泊まることになっていたので、夕方になって白良浜にいくと、公営の駐車場が空いていて停めることができました。夕刻の浜辺を、散策することができました。そして、白砂の行方に思いを馳せました。
・人工と自然・
人工の砂浜だとわかっていても、
やはり白砂の海岸は見事でした。
さすがに「日本の渚・百選」に選ばれているだけのことはあります。
現在では人手によって維持されていますが、
かつては、自然のままの白砂が広がっていたのです。
それを思うを自然の偉大さを感じます。
ここ20年は、人工的に多くの労力を使って
白砂の浜が維持されています。
そもそもは陸側に住む人間の都合で後背地から
新しい砂が供給されないことが、
砂浜消失の大きな原因だったはずです。
しかし、そこは人間が住んで暮らし、
観光産業を営まなくてはなりません。
どこか論理矛盾しているような行為をしているように見えます。
でも、人工の砂浜を守る努力は、
今後も続けなければなりません。
・雨不足・
北海道は4月になって、
雨がほとんど降らない天気が続いていました。
晴ればかりではないのですが、
曇っても雨が降りませんでした。
もちろん晴天の日も多かったのです。
今週中ごろになって雨が降りだし、
雨不足の心配はなくなりました。
北海道は、春は雪解けの時期なので、
農業用水は飲料水の心配はないはずです。
でもはやり、雨が降らないと
心なしか、木々の元気がないように見えます。
私は、雨の日も好きなのですが、
春はやはりぬけるような快晴の日がいいです。
4月の前半は晴れが多く、春を満喫していたのですが、
ここらで一休みでしょうか。
雨の情緒を楽しみましょう。
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