屋久島は、世界遺産と屋久杉、そして最近では宮崎駿監督の映画「もののけ姫」のモデルとなった森として有名です。そんな屋久杉の森を見ました。屋久杉と屋久島の地質には関係があるのでしょうか。
屋久島は、1993年に白神山地とともに、日本で最初に世界自然遺産として登録されました。屋久島の森は、亜熱帯から亜高山帯にかけての植生の垂直分布が見られること、多くの固有植物や北限・南限植物が自生していること、絶滅危惧種の野生動物が生息していることが特徴で、登録の理由となっています。中でも屋久杉が重要な要因となっています。
杉は、日本固有に樹木で、その南限が屋久島にあたります。南限の屋久島で、1000年を超える杉が育っています。一般に杉の寿命は300年ほどなのですが、屋久杉が長寿なのは、なぜでしょうか。それは、自然環境と屋久杉自身の性質によるものです。
屋久島では、樹齢1000年を超えるものを屋久杉といい、1000年以下のものを小杉、植林されたものを地杉と呼ぶそうです。もちろん、これは、学名ではありませんが。
屋久杉は、標高600mあたりから見られはじめますが、900mからだんだん多くなり、1600mまでが屋久杉の森となります。1200m前後に大きな杉が多く残されています。しかし、屋久杉だけでなく、いろいろな針葉樹が混じり、下にはツバキなどの常緑樹も生えています。
屋久島は緑の濃いところになっていますが、山域は花崗岩を主とする地質なので、植物にとっては過酷な環境となっています。なぜなら、花崗岩地帯は、栄養分が少ない上に、栄養を保持しにくいからです。
花崗岩は、風化に比較的弱いために、花崗岩地帯は、岩石の地肌がそこここに見えるような、特有の地形となります。屋久島は、それに加えて、地殻変動が激しく、雨も多いので、険しい山となっていきます。
花崗岩は、気温の変化によって主な構成鉱物である長石と石英の膨張率の違いにより、粒子の間に、隙間ができやすく、その隙間にしみこんだ水の凍結、膨張などにより、ばらばら砕けていきます。このような風化によって、マサ(真砂とも書かれます)とよばれる砂ができます。花崗岩の中を流れた川が運んだ砂は、白いきれいな砂浜となります。屋久島の海岸は、世界でも稀なアカウミガメの産卵場所となっています。
マサとなった花崗岩は、水をあまり貯めることができません。また、岩石の成分にも珪酸分が多く、風化しても植物にとっては栄養の乏しい土壌にしかなりません。したがって、植物が大きく成長するには、長い時間が必要となります。成長が遅いと年輪の幅は狭くなり、硬い木となって、大きく成長するのに十分な強度を持ちます。
屋久杉は、内部にできる樹脂の量が、普通の杉の約6倍にもなります。杉の樹脂には、防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間、腐らずに生き続けられます。
このような特徴が、人間には重宝されました。つまり大きな屋久杉は木材としも有用で利用されてきたわけです。人は屋久杉を切り倒していきました。大きな木を求めて、山深くまで入っていきました。木材を運ぶ鉄道も敷設されました。こうして1000年を超える屋久杉は大部分を切られてしまいました。しかし、山の険しいところに少ないながら、まだ残されていました。それが、現在の屋久島を象徴する木となっています。屋久杉にとって、地質や気候よりも、人間の伐採という行為が一番の過酷な条件だったのかもしれませんね。
・屋久島の気候・
私の行ったのは、屋久島の冬のシーズンです。
屋久島は南になる島なのですが、
標高が高いところでは、雪も結構降ります。
私が着く2日前にも雪が降ったそうです。
1月上旬に全国的に雪を降らせた低気圧は、
屋久島にも雪を降らせたのです。
せっかく北海道から、
南の暖かい島に来たつもりなのに、
とんだ誤算でした。
ある資料によると、
屋久島の最高峰宮之浦岳は、
札幌の同じほどの平均気温になるといいます。
屋久島には本当に多様な気候があることを
肌で感じることになりました。
・屋久杉の寿命・
山には雪が一杯ありましたが、
観光客の行くような道路は
除雪がしてありました。
ですから、予定通りに山の奥にも入ることができました。
しかし、昨年の台風のせいでしょうか、
いたるところで、土砂崩れを見かけました。
土砂崩れによって倒れた木もありました。
もしかすると土砂崩れによって、
長寿の屋久杉にも被害はあったかもしれません。
屋久杉がいくら長生きをしようと、
やはり自然の摂理には逆らえません。
自然の摂理には、屋久杉の1000年の単位ではなく、
何万年、何億年という長い単位の地質の摂理もあります。
地質が屋久杉を育て、地質が屋久杉の命を絶ちます。
これも自然の摂理でなのです。
人が屋久杉の命を断つことと、摂理で命がなくなるのと、
どちらが自然なことでしょうかね。
どちらが寿命を全うしたといえるのでしょうかね。
2005年1月27日木曜日
2005年1月20日木曜日
4_51 屋久島1:花崗岩の島
2005年の正月明けは、屋久島と種子島に出かけました。屋久島に2005年1月5日から8日までいました。屋久島は、海上にひときわ高い山として聳え立ちます。それは隣の種子島(約280mが最高度)と好対照です。まずは、屋久島の話を2回にわたって紹介しましょう。
屋久島は周囲約130kmで、面積約500平方km(種子島より少し広い)の丸い形の島です。屋久島は世界遺産に登録されているので有名です。亜熱帯から亜高山帯にかけての植生の垂直分布が見られ、ヤクスギがあることでも有名です。植生が垂直分布をするというのことは、屋久島の標高が高いということを意味しています。宮之浦岳は標高1936mもあり、屋久島で一番高いのですが、九州でも一番の標高を誇っています。
屋久島は円錐形の形をしています。このような形は、地質の特徴によるものであります。屋久島の大部分は、花崗岩という岩石が占めています。花崗岩とは、マグマが地下でゆっくりと固まった深成岩です。屋久島の花崗岩は1300万~1400万年ほど前(新第三紀の中期第三世と呼ばれる時代)にできたものです。
屋久島の花崗岩は、長石、石英、そして黒雲母からできているもの(詳しい分類でいうと黒雲母アダメロ岩と呼ばれるものです)です。特徴として、粒子が粗い結晶からできているのですが、中でも、長辺が10cm以上にもなる角柱状の大きな長石(正長石と呼ばれる鉱物です)がみられます。島の中央にこのような粒子の粗い花崗岩があり、周辺部では粒の細かい花崗岩になります。
屋久島でみられるような花崗岩は、日本列島では新しい時代にできた花崗岩の仲間です。このような新しい時代の花崗岩は、紀伊半島から四国南部、九州南部にかけて、点々ですが、約1000kmにわたって見つかります。西南日本外帯と区分されている地帯です。
これらの花崗岩は、少々変わっていて、キンセイ石を含んでいるのが特徴です。このような特徴を持つ花崗岩は、Sタイプ花崗岩と呼ばれています。Sタイプ花崗岩は、日本列島では、西南日本外帯と北海道の日高帯にしか見られません。このようなSタイプ花崗岩のマグマは、早く移動する熱いプレートが、低角度で沈み込んだとき、上にあった堆積物が溶けてできたと考えられています。
花崗岩をつくったマグマは、地下12kmほどの深さで岩石として固まり、固まった後、比較的比重が小さいので、上昇してきて、やがて海面より高くなりました。上にあった地層のほとんどが侵食されて、島の大部分が花崗岩の島となったのです。この花崗岩は、地下12kmで固まったものが、現在最大約2kmの標高まで持ち上げられています。ですから、1400万年で約14km浮上したのですから、平均すると年間約1mmのスピードで上昇したものだと考えられます。これは、かなり速いスピードでの上昇といえます。
花崗岩のマグマが固まるとき周辺にあった地層は、四万十層群(屋久島では熊毛層群と呼ばれています)よばれるものです。四万十層群は、日本列島の関東から東海、近畿、四国、九州から続くもので、砂岩や泥岩の地層からできています。花崗岩のマグマが四万十層群に入り込むときに、熱いマグマで焼いて変成作用(接触変成作用)を及ぼしています。このような変成岩をホルンフェルスといいます。四万十層群は、現在も屋久島の周辺部に残されています。その内側にはホルンフェルスの部分があります。
島の内部の大部分は花崗岩で、周辺に堆積岩が少しあるという構造が、屋久島の地質となっていて、これが屋久島の特徴をつくっているのです。
・雨の島・
屋久島には4日間いましたが、
実際には2日しか見学時間が取れませんでした。
ですから、見たいところの半分も見ることができませんでした。
島の南半分がほとんど見れませんでした。
広いせいもあるでしょう。
あるいは、歩いてみるところが多いせいもあるでしょう。
でも、一番の理由は天候のせいでもあります。
天気が悪いのです。
雨が多いのです。
「1月に35日雨が降る」というほど、雨が多いようです。
私たちが滞在した4日間のうち、
一日は終日雨で、あとはほとんど曇りでした。
太陽が見えるたのは、ほんのつかの間です。
特に山では、雨がよく降りました。
屋久島は、雨の島です。
・はじめての味覚・
今回の旅行は、家族4人で行きました。
私はもちろん調査をするのですが、
費用を節約するために、旅館ではなく、
できるだけ安い宿泊施設として、
ロッジを借りて自炊をしていました。
このロッジは、まだできて1年も経っていない新しいもので、
自炊可能な、二階建ての快適なロッジでした。
そのロッジの持ち主は、漁師さんで、
最後の夜には、獲れたてのトビウオとサンマの刺身を
持って来てくださいました。
いずれの魚も、刺身は初めてだったので、最高でした。
家族で、はじめての味覚を楽しみました。
屋久島はトビウオが名物らしく、
昼食に入った食堂でも、トビウオのから揚げを食べました。
屋久島は周囲約130kmで、面積約500平方km(種子島より少し広い)の丸い形の島です。屋久島は世界遺産に登録されているので有名です。亜熱帯から亜高山帯にかけての植生の垂直分布が見られ、ヤクスギがあることでも有名です。植生が垂直分布をするというのことは、屋久島の標高が高いということを意味しています。宮之浦岳は標高1936mもあり、屋久島で一番高いのですが、九州でも一番の標高を誇っています。
屋久島は円錐形の形をしています。このような形は、地質の特徴によるものであります。屋久島の大部分は、花崗岩という岩石が占めています。花崗岩とは、マグマが地下でゆっくりと固まった深成岩です。屋久島の花崗岩は1300万~1400万年ほど前(新第三紀の中期第三世と呼ばれる時代)にできたものです。
屋久島の花崗岩は、長石、石英、そして黒雲母からできているもの(詳しい分類でいうと黒雲母アダメロ岩と呼ばれるものです)です。特徴として、粒子が粗い結晶からできているのですが、中でも、長辺が10cm以上にもなる角柱状の大きな長石(正長石と呼ばれる鉱物です)がみられます。島の中央にこのような粒子の粗い花崗岩があり、周辺部では粒の細かい花崗岩になります。
屋久島でみられるような花崗岩は、日本列島では新しい時代にできた花崗岩の仲間です。このような新しい時代の花崗岩は、紀伊半島から四国南部、九州南部にかけて、点々ですが、約1000kmにわたって見つかります。西南日本外帯と区分されている地帯です。
これらの花崗岩は、少々変わっていて、キンセイ石を含んでいるのが特徴です。このような特徴を持つ花崗岩は、Sタイプ花崗岩と呼ばれています。Sタイプ花崗岩は、日本列島では、西南日本外帯と北海道の日高帯にしか見られません。このようなSタイプ花崗岩のマグマは、早く移動する熱いプレートが、低角度で沈み込んだとき、上にあった堆積物が溶けてできたと考えられています。
花崗岩をつくったマグマは、地下12kmほどの深さで岩石として固まり、固まった後、比較的比重が小さいので、上昇してきて、やがて海面より高くなりました。上にあった地層のほとんどが侵食されて、島の大部分が花崗岩の島となったのです。この花崗岩は、地下12kmで固まったものが、現在最大約2kmの標高まで持ち上げられています。ですから、1400万年で約14km浮上したのですから、平均すると年間約1mmのスピードで上昇したものだと考えられます。これは、かなり速いスピードでの上昇といえます。
花崗岩のマグマが固まるとき周辺にあった地層は、四万十層群(屋久島では熊毛層群と呼ばれています)よばれるものです。四万十層群は、日本列島の関東から東海、近畿、四国、九州から続くもので、砂岩や泥岩の地層からできています。花崗岩のマグマが四万十層群に入り込むときに、熱いマグマで焼いて変成作用(接触変成作用)を及ぼしています。このような変成岩をホルンフェルスといいます。四万十層群は、現在も屋久島の周辺部に残されています。その内側にはホルンフェルスの部分があります。
島の内部の大部分は花崗岩で、周辺に堆積岩が少しあるという構造が、屋久島の地質となっていて、これが屋久島の特徴をつくっているのです。
・雨の島・
屋久島には4日間いましたが、
実際には2日しか見学時間が取れませんでした。
ですから、見たいところの半分も見ることができませんでした。
島の南半分がほとんど見れませんでした。
広いせいもあるでしょう。
あるいは、歩いてみるところが多いせいもあるでしょう。
でも、一番の理由は天候のせいでもあります。
天気が悪いのです。
雨が多いのです。
「1月に35日雨が降る」というほど、雨が多いようです。
私たちが滞在した4日間のうち、
一日は終日雨で、あとはほとんど曇りでした。
太陽が見えるたのは、ほんのつかの間です。
特に山では、雨がよく降りました。
屋久島は、雨の島です。
・はじめての味覚・
今回の旅行は、家族4人で行きました。
私はもちろん調査をするのですが、
費用を節約するために、旅館ではなく、
できるだけ安い宿泊施設として、
ロッジを借りて自炊をしていました。
このロッジは、まだできて1年も経っていない新しいもので、
自炊可能な、二階建ての快適なロッジでした。
そのロッジの持ち主は、漁師さんで、
最後の夜には、獲れたてのトビウオとサンマの刺身を
持って来てくださいました。
いずれの魚も、刺身は初めてだったので、最高でした。
家族で、はじめての味覚を楽しみました。
屋久島はトビウオが名物らしく、
昼食に入った食堂でも、トビウオのから揚げを食べました。
2005年1月13日木曜日
1_38 原生代3:全球凍結(2005年1月13日)
昨年からの続きの地質時代シリーズの原生代の3回目です。今回は、全球凍結という事件について紹介します。
原生代の終わりころに、赤道の海までも凍る激しい氷河期が地球を襲いました。その頃の地球を宇宙から見ると白い雪球のように見えるので、スノーボールアースあるいは全球凍結と呼ばれています。
カリフォルニア工科大学クリチュヴィンクが、スノーボール仮説と名づけました。もともとこの仮説は、8~6億年前に見つかる縞状鉄鉱層を説明するために提示されたものですが、この説は忘れられていました。ところが、1998年、ハーバード大学のポール・ホフマンは、ナミビアの地層の調査と炭素の同位体組成から、この時期、大規模な氷河期あり、生物活動が停止したと考え、全球凍結説を唱え、広く研究者に認められるようになりました。全球凍結説を紹介していきましょう。
全球凍結の証拠は、氷河堆積物や氷河地形などとして、原生代の終わりに各地で見つかります。
氷河堆積物とは、氷河によって運ばれた堆積物のことです。氷河によって形成される岩石には、ティライト(氷礫岩)、ヴァーブ、ドロップストーンなどがあります。ティライトとは、粘土や砂岩の中に、大小さまざまな角礫をふくむ岩石で、普通の堆積作用ではできないつくりを持ちます。大陸氷床の下流に形成されます。ヴァーブとは、氷河の末端にできる湖の中で季節変化によってできる縞模様をもつ堆積岩です。ドロップストーンとは、氷河で運ばれた大きな石が、縞状の堆積物の中に落ち込んだつくりを持っているものです。
氷河地形には、岩石につけられた氷河の傷跡の氷河擦痕(さっこん)やモレーンなどの氷河によって形成されたものがあります。
氷河堆積物や氷河地形から、7億5000万年前から5億8000万年前までに、少なくとも2回の氷河期があったことがわかってきました。スターチアン氷河期(7億6000万年~7億年前)とヴァランガー(マリノアン)氷河期(6億年前)と呼ばれています。
10億年前にできた超大陸ロディニアが、8億年前には分裂はじめます。分裂をたじめた大陸は、氷河期のころ、赤道付近にありました。現在、赤道付近で氷河は、標高5000m以上でないと形成されません。しかし、5000m以上の陸地は、そんな広く分布することはありません。ですから、7~6億年前の地球全体が、非常に冷たかったことを意味しています。
ホフマンの説に基づいて、全球凍結のようすを紹介しましょう。
7億7000万年前まで赤道付近にあった超大陸ロディニアが分裂をはじめ、6億年前には大陸は小さく分裂し赤道付近に広がりました。
赤道付近の大陸では、雨がたくさん降り、大陸が侵食されます。激しい雨は、大気中の二酸化炭素を溶かし、大陸から持たされたイオンと結びついて、炭酸塩の沈殿物をつくります。二酸化炭素の急速減少によって、温室効果が下がり、地表の温度が急激に下がります。その結果、大きな氷が極地域の海にできます。広く白い氷は、太陽の光をたくさんはね返してしまい、地球を暖めるために使われなくなります。白っぽい地球は、寒冷化に拍車をかけ、この連鎖が悪循環をうみ、全球凍結へと向かいます。このような状況は暴走冷却と呼ばれます。
暴走冷却によって、地球は一気に寒冷化を迎えます。これが全球凍結期となります。地球は、一番寒い季節を迎えます。全球凍結期の平均気温は-50℃、海面は1kmを越える厚さの氷に覆われていました。氷に覆われた海洋は、今まで海洋がおこなっていた役割を果たさなくなります。それまで、太陽光と地球の自転で、地球表層の温度を平均化する役割を果たしてきたのですが、その働きを、海洋はしなくなったのです。
海洋から、大気への水蒸気の供給はほとんどなくなると、雨が降らなくなります。大気は、乾燥していき、氷に覆われずにかろうじて残っていた陸地も、冷たく乾燥した砂漠となっていきます。
そんな全球凍結の時期もやがては終わります。火山活動は全球凍結期にも続いていました。火山活動によって二酸化炭素は、地球内部から定常的供給されていきます。その二酸化炭素が、雨が降らないことで、大気中にたまっていきます。全球凍結期が1000万年以上も続きますが、その間火山活動が続くと、大気中の二酸化炭素の濃度は、1000倍になります。
大気への二酸化炭素の濃集によって、温室効果が促進され、暖かくなります。暖かくなっていくと、海の氷が融けて、やがて赤道付近では、海が顔を出します。急激に暖かくなることによって、海から大量の水蒸気が発生します。水蒸気も温室効果をもたらしますので、さらに激しい温室効果が生まれます。その結果、寒冷化のゆり戻しのような激しい温暖化がおきます。温暖期の平均気温50℃と推定されています。
海水のマントルへの逆流、2度の全球凍結などの過酷な環境変化が、原生代の終わりの地球を襲います。しかし、その前後に生物は大きな進化を遂げます。事件の直前12~10億年前には、多細胞生物が出現しました。事件の直後、生命の大爆発とよばれるカンブリア紀へと突入します。それについては別の機会にしましょう。
・地質時代シリーズ・
地質時代シリーズも半分ほど終えました。
生物もそれなりの役割を果たしてきました。
しかし、これからは生物が活躍する時代です。
顕生代と呼ばれる時代です。
多くの多様な化石によって彩られる時代であります。
それらの時代を知るために化石は重要な証拠となってきます。
お楽しみに。
・屋久島と種子島へ・
正月明け、1月4日から11日まで、
私は、屋久島と種子島の調査に出かけました。
北海道から屋久島まで3回飛行機を乗り継ぎいで行きます。
家族も一緒の調査旅行ですので、費用もたくさんかかります。
その様子はいずれメールマガジンで紹介します。
10月末以来の久しぶりの調査でした。
調査もさることながら、
いい空気をすってリフレッシュしてきました。
・新しいメールマガジンの発行・
前にもお伝えしましたが、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、暖めた企画で、「大地を眺める」というものです。
大地の景観を、地形や地質のデータから眺めたら、どう見えるか、
毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固いものではなく、読みやすいエッセイで綴ろうと考えています。
地形を鳥瞰しながら、大地の造形に隠された仕組みに、目を向けます。
1月15日に第1号を発行するつもりです。
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
原生代の終わりころに、赤道の海までも凍る激しい氷河期が地球を襲いました。その頃の地球を宇宙から見ると白い雪球のように見えるので、スノーボールアースあるいは全球凍結と呼ばれています。
カリフォルニア工科大学クリチュヴィンクが、スノーボール仮説と名づけました。もともとこの仮説は、8~6億年前に見つかる縞状鉄鉱層を説明するために提示されたものですが、この説は忘れられていました。ところが、1998年、ハーバード大学のポール・ホフマンは、ナミビアの地層の調査と炭素の同位体組成から、この時期、大規模な氷河期あり、生物活動が停止したと考え、全球凍結説を唱え、広く研究者に認められるようになりました。全球凍結説を紹介していきましょう。
全球凍結の証拠は、氷河堆積物や氷河地形などとして、原生代の終わりに各地で見つかります。
氷河堆積物とは、氷河によって運ばれた堆積物のことです。氷河によって形成される岩石には、ティライト(氷礫岩)、ヴァーブ、ドロップストーンなどがあります。ティライトとは、粘土や砂岩の中に、大小さまざまな角礫をふくむ岩石で、普通の堆積作用ではできないつくりを持ちます。大陸氷床の下流に形成されます。ヴァーブとは、氷河の末端にできる湖の中で季節変化によってできる縞模様をもつ堆積岩です。ドロップストーンとは、氷河で運ばれた大きな石が、縞状の堆積物の中に落ち込んだつくりを持っているものです。
氷河地形には、岩石につけられた氷河の傷跡の氷河擦痕(さっこん)やモレーンなどの氷河によって形成されたものがあります。
氷河堆積物や氷河地形から、7億5000万年前から5億8000万年前までに、少なくとも2回の氷河期があったことがわかってきました。スターチアン氷河期(7億6000万年~7億年前)とヴァランガー(マリノアン)氷河期(6億年前)と呼ばれています。
10億年前にできた超大陸ロディニアが、8億年前には分裂はじめます。分裂をたじめた大陸は、氷河期のころ、赤道付近にありました。現在、赤道付近で氷河は、標高5000m以上でないと形成されません。しかし、5000m以上の陸地は、そんな広く分布することはありません。ですから、7~6億年前の地球全体が、非常に冷たかったことを意味しています。
ホフマンの説に基づいて、全球凍結のようすを紹介しましょう。
7億7000万年前まで赤道付近にあった超大陸ロディニアが分裂をはじめ、6億年前には大陸は小さく分裂し赤道付近に広がりました。
赤道付近の大陸では、雨がたくさん降り、大陸が侵食されます。激しい雨は、大気中の二酸化炭素を溶かし、大陸から持たされたイオンと結びついて、炭酸塩の沈殿物をつくります。二酸化炭素の急速減少によって、温室効果が下がり、地表の温度が急激に下がります。その結果、大きな氷が極地域の海にできます。広く白い氷は、太陽の光をたくさんはね返してしまい、地球を暖めるために使われなくなります。白っぽい地球は、寒冷化に拍車をかけ、この連鎖が悪循環をうみ、全球凍結へと向かいます。このような状況は暴走冷却と呼ばれます。
暴走冷却によって、地球は一気に寒冷化を迎えます。これが全球凍結期となります。地球は、一番寒い季節を迎えます。全球凍結期の平均気温は-50℃、海面は1kmを越える厚さの氷に覆われていました。氷に覆われた海洋は、今まで海洋がおこなっていた役割を果たさなくなります。それまで、太陽光と地球の自転で、地球表層の温度を平均化する役割を果たしてきたのですが、その働きを、海洋はしなくなったのです。
海洋から、大気への水蒸気の供給はほとんどなくなると、雨が降らなくなります。大気は、乾燥していき、氷に覆われずにかろうじて残っていた陸地も、冷たく乾燥した砂漠となっていきます。
そんな全球凍結の時期もやがては終わります。火山活動は全球凍結期にも続いていました。火山活動によって二酸化炭素は、地球内部から定常的供給されていきます。その二酸化炭素が、雨が降らないことで、大気中にたまっていきます。全球凍結期が1000万年以上も続きますが、その間火山活動が続くと、大気中の二酸化炭素の濃度は、1000倍になります。
大気への二酸化炭素の濃集によって、温室効果が促進され、暖かくなります。暖かくなっていくと、海の氷が融けて、やがて赤道付近では、海が顔を出します。急激に暖かくなることによって、海から大量の水蒸気が発生します。水蒸気も温室効果をもたらしますので、さらに激しい温室効果が生まれます。その結果、寒冷化のゆり戻しのような激しい温暖化がおきます。温暖期の平均気温50℃と推定されています。
海水のマントルへの逆流、2度の全球凍結などの過酷な環境変化が、原生代の終わりの地球を襲います。しかし、その前後に生物は大きな進化を遂げます。事件の直前12~10億年前には、多細胞生物が出現しました。事件の直後、生命の大爆発とよばれるカンブリア紀へと突入します。それについては別の機会にしましょう。
・地質時代シリーズ・
地質時代シリーズも半分ほど終えました。
生物もそれなりの役割を果たしてきました。
しかし、これからは生物が活躍する時代です。
顕生代と呼ばれる時代です。
多くの多様な化石によって彩られる時代であります。
それらの時代を知るために化石は重要な証拠となってきます。
お楽しみに。
・屋久島と種子島へ・
正月明け、1月4日から11日まで、
私は、屋久島と種子島の調査に出かけました。
北海道から屋久島まで3回飛行機を乗り継ぎいで行きます。
家族も一緒の調査旅行ですので、費用もたくさんかかります。
その様子はいずれメールマガジンで紹介します。
10月末以来の久しぶりの調査でした。
調査もさることながら、
いい空気をすってリフレッシュしてきました。
・新しいメールマガジンの発行・
前にもお伝えしましたが、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、暖めた企画で、「大地を眺める」というものです。
大地の景観を、地形や地質のデータから眺めたら、どう見えるか、
毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固いものではなく、読みやすいエッセイで綴ろうと考えています。
地形を鳥瞰しながら、大地の造形に隠された仕組みに、目を向けます。
1月15日に第1号を発行するつもりです。
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
2005年1月6日木曜日
6_40 科学と人と
あけましておめでとうございます。新年最初の「地球のささやき」として、科学と人のあり方について考えてみました。
前世紀である20世紀は、科学技術が非常に重要な役割を果たしました。科学技術は、私たちの生活を豊かにしました。これは、多くの人が認めることでしょう。
一方、20世紀後半から21世紀にかけて、戦争、核、原子力、公害、環境ホルモン、地球環境破壊、食料危機などなど、挙げればきりがないほど、私たちの生存や生活を危うくするような場面も、生まれるようになってきました。科学や技術が、直接、あるいは間接的に関わりながら、それらを引き起こしました。
科学は必要以上に進みすぎたと警句を発する識者もいます。しかし、性急に答えを出すべきではありません。少し考えていきましょう。
科学や技術は、必要なものや情報も簡単に手に入れられるようになり、多くの人に豊かな生活をもたらしました。そして、その豊かさを背景にして、多くの文化、芸術も花開きました。科学は現代社会では不可欠なものとなりました。電話、コンピュータ、インターネットやネットワークに基づくシステムなどの恩恵は、誰もが、そして科学否定論者も受けているはずです。
人の生存や安全を脅かすものには、一つの原因として、人が起こしていることがあります。戦争、核、環境ホルモン、地球環境破壊などが、それに当るでしょう。これは進みすぎた科学や技術がもたらした弊害だと考えられます。
もう一つの原因として、自然、地球や宇宙の摂理が起こすこともあります。地震、台風、氷河期、隕石の衝突など、不可避なものが、それにあたり多々あります。昨年、日本は地震や台風などの自然災害に再三見舞われました。そんなとき、台風予測や地震予知などの精度を上げて欲しいと願ってしまいます。それは科学の進むことを望んでいるのです。
このように科学のもたらす恩恵と被害を挙げていくと、どうも人とはわがままなものであるという思いに至ります。考えてみると科学とは、人の知的好奇心が生み出した産物です。科学を生み出すのも人なら、使うのも人なのです。
科学というものは必ずしも形にはなっていない、概念です。科学という総体、概念で考えると、それは、一種の道具の延長とみなすことができます。つまり、道具をどう使うかは、人が考えることであります。道具には良い悪いはありません。使う側の目的によって、良くも悪くもなります。刃物や火薬がいい例でしょう。
道具に難癖をつけるのは、まだまだ未熟者のすることです。弘法筆を選ばずとなれば、人は科学もうまく御するようになれるかもしれません。人はまだまだ進歩が足ないのでしょう。何も科学を扱うだけが人の進歩でありません。すべての面で賢くならければなりません。
現代人は、果たして、ソクラテスやアリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ダーウィン、ニュートンなど、何世紀も前に達していた知性の高みを越えたのでしょうか。偉業をなした昔の人に、現代人は科学という道具を使っていますが、果たして知的に勝っているのでしょうか。はなはだ心細いものです。私たちはもっと賢くならければならなければなりません。
科学や技術に頼りすぎることで、私たちの知性や能力が落ちていないでしょうか。ワープロは漢字を忘れさせました。電卓は計算能力を奪いました。車や電車は歩く能力を衰えさせました。エアコンは暑さ寒さへの適応力を奪いました。これでいいのでしょうか。私たち人類は、この道をこのまま進んでいっていいのでしょうか。
そんなことを深く考える時期になっているのではないでしょうか。科学より知恵を進歩させることで、科学をより役に立つものにするべき時代になったのはないでしょうか。
・抱負・
あけましておめでとうございます。
昨年は、いろいろ自然災害の多い年でした。
今年こそは、穏やかな年になることを願っています。
私の今年の抱負を紹介しましょう。
私は、誰もやってない、誰も考えてない、
しかし子供でも楽しい地質学を目指して取り組んでいます。
今年はそんな地質学で新しい展開を迎えたいと考えています。
大変でしょうが、ライフワークとして、
ゆっくりとでもいいですから、
着実に進んでいこうと考えています。
・人類の課題・
日本は昨年、多くの災害にみまわれました。
そのとき感じたのは、
科学がもう少し進んでいればということです。
多くの人も、同じように感じたのではないでしょうか。
しかし、今回書いたように、
それは間違った方向ではないかということを思うようになりました。
科学が進むことも大切なのですが、
私たち人類がもっと賢くなるべきではないか。
それこそが、目指すべき人類最大の課題ではないかということです。
あまりにも金銭や経済、効率が重要視されています。
もっと知性や感性を磨くことに力を注いではどうでしょうか。
今まで忘れ去っていたのものが、
そこにはたくさんあるのではないでしょうか。
前世紀である20世紀は、科学技術が非常に重要な役割を果たしました。科学技術は、私たちの生活を豊かにしました。これは、多くの人が認めることでしょう。
一方、20世紀後半から21世紀にかけて、戦争、核、原子力、公害、環境ホルモン、地球環境破壊、食料危機などなど、挙げればきりがないほど、私たちの生存や生活を危うくするような場面も、生まれるようになってきました。科学や技術が、直接、あるいは間接的に関わりながら、それらを引き起こしました。
科学は必要以上に進みすぎたと警句を発する識者もいます。しかし、性急に答えを出すべきではありません。少し考えていきましょう。
科学や技術は、必要なものや情報も簡単に手に入れられるようになり、多くの人に豊かな生活をもたらしました。そして、その豊かさを背景にして、多くの文化、芸術も花開きました。科学は現代社会では不可欠なものとなりました。電話、コンピュータ、インターネットやネットワークに基づくシステムなどの恩恵は、誰もが、そして科学否定論者も受けているはずです。
人の生存や安全を脅かすものには、一つの原因として、人が起こしていることがあります。戦争、核、環境ホルモン、地球環境破壊などが、それに当るでしょう。これは進みすぎた科学や技術がもたらした弊害だと考えられます。
もう一つの原因として、自然、地球や宇宙の摂理が起こすこともあります。地震、台風、氷河期、隕石の衝突など、不可避なものが、それにあたり多々あります。昨年、日本は地震や台風などの自然災害に再三見舞われました。そんなとき、台風予測や地震予知などの精度を上げて欲しいと願ってしまいます。それは科学の進むことを望んでいるのです。
このように科学のもたらす恩恵と被害を挙げていくと、どうも人とはわがままなものであるという思いに至ります。考えてみると科学とは、人の知的好奇心が生み出した産物です。科学を生み出すのも人なら、使うのも人なのです。
科学というものは必ずしも形にはなっていない、概念です。科学という総体、概念で考えると、それは、一種の道具の延長とみなすことができます。つまり、道具をどう使うかは、人が考えることであります。道具には良い悪いはありません。使う側の目的によって、良くも悪くもなります。刃物や火薬がいい例でしょう。
道具に難癖をつけるのは、まだまだ未熟者のすることです。弘法筆を選ばずとなれば、人は科学もうまく御するようになれるかもしれません。人はまだまだ進歩が足ないのでしょう。何も科学を扱うだけが人の進歩でありません。すべての面で賢くならければなりません。
現代人は、果たして、ソクラテスやアリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ダーウィン、ニュートンなど、何世紀も前に達していた知性の高みを越えたのでしょうか。偉業をなした昔の人に、現代人は科学という道具を使っていますが、果たして知的に勝っているのでしょうか。はなはだ心細いものです。私たちはもっと賢くならければならなければなりません。
科学や技術に頼りすぎることで、私たちの知性や能力が落ちていないでしょうか。ワープロは漢字を忘れさせました。電卓は計算能力を奪いました。車や電車は歩く能力を衰えさせました。エアコンは暑さ寒さへの適応力を奪いました。これでいいのでしょうか。私たち人類は、この道をこのまま進んでいっていいのでしょうか。
そんなことを深く考える時期になっているのではないでしょうか。科学より知恵を進歩させることで、科学をより役に立つものにするべき時代になったのはないでしょうか。
・抱負・
あけましておめでとうございます。
昨年は、いろいろ自然災害の多い年でした。
今年こそは、穏やかな年になることを願っています。
私の今年の抱負を紹介しましょう。
私は、誰もやってない、誰も考えてない、
しかし子供でも楽しい地質学を目指して取り組んでいます。
今年はそんな地質学で新しい展開を迎えたいと考えています。
大変でしょうが、ライフワークとして、
ゆっくりとでもいいですから、
着実に進んでいこうと考えています。
・人類の課題・
日本は昨年、多くの災害にみまわれました。
そのとき感じたのは、
科学がもう少し進んでいればということです。
多くの人も、同じように感じたのではないでしょうか。
しかし、今回書いたように、
それは間違った方向ではないかということを思うようになりました。
科学が進むことも大切なのですが、
私たち人類がもっと賢くなるべきではないか。
それこそが、目指すべき人類最大の課題ではないかということです。
あまりにも金銭や経済、効率が重要視されています。
もっと知性や感性を磨くことに力を注いではどうでしょうか。
今まで忘れ去っていたのものが、
そこにはたくさんあるのではないでしょうか。
2004年12月30日木曜日
1_37 原生代2:海水のマントルへの逆流(2004年12月30日)
地質時代シリーズ、原生代の2回目です。今回は、海水がマントルへ逆流しだした事件について紹介します。
原生代後期、10~6億年前に大事件がおきました。それは、顕生代への移行期(エオカンブリアンとも呼ばれています)の頃でした。大事件がおこったという証拠として、氷河に関係した地層と陸や浅い海でたまった地層などがあります。
氷河に関係した地層には、ティライトなど各種の氷河堆積物がありますが、それは地質時代シリーズの次の回で詳しく紹介します。陸や浅い海でたまった地層の証拠としては、蒸発岩(石膏、岩塩など)、赤色砂岩、正珪岩(オルソクォーツァイト)と呼ばれる岩石がみつかります。
蒸発岩とは、内湾や湖で、海水や水に溶けていた成分が、水分が干上がることによってできたものです。そこには、暑く乾燥気候があったことが分かります。乾燥気候は、大きな大陸の存在を意味します。赤色砂岩は、干潟のような酸化しやすい環境でできた堆積岩です。正珪岩(オルソクォーツァイト)とは、よく円磨された石英の粒からだけでできたもので、砂漠のようなところできた砂がたまってできたものです。
これらの証拠を詳しく調べていくと、2つの事件がおこったことがわかりました。一つは、7.5億年前に起こった海水のマントルへの逆流と、もうひとつは、7億5000万年前~5億8000万年前にあいだに起こった全球凍結(スノーボールアース)というものです。
海水のマントルへの逆流は、浅い海でたまった地層が大量に形成されたことと、変成岩の中に見られる鉱物が時代変化していることの2つから推定されています。
大量の堆積物の形成されるには、大きな河川が多数必要で、これは陸地が広くなったことを意味します。つまり、海水が減った可能性があるのです。上で述べた赤色砂岩や正珪岩(オルソクォーツァイト)は、大陸が広がり、その大陸が海面上にあったことを示します。
海水の逆流は、地球の冷却が、その原因だと考えられています。地球は、内部に蓄えている熱を、マントル対流として地表に放出しています。地球が今より熱を持っていて暖かかったときは、水を含む鉱物がプレートの沈み込むときに分解されていました。ところが、地球が冷めることによって、水を含む鉱物がプレートと伴にマントルに沈み込めるようになりました。それは、地表に出てきた沈み込み帯で形成された変成岩の中の鉱物の種類が時代変化として見られるということです。それが、7億5000万年前頃に見つかりました。その頃に、海水がマントルに逆流をはじめたのです。
7億5000万年前ころから5億5000万年前ころにかけて、海水は徐々に減っていきました。海の深さにすると、200~300m分の海水が、マントルに入ったと考えられています。そのために、陸地が広がったのです。陸地は地球の表面積の10%くらいだったのが、現在の30%くらいにまで広がったと推定されています。
水を含むようになったマントルは膨れ、陸がより上昇します。広い大陸ができ、砂漠や氷河もできるという多様な陸上の環境が形成されます。大河の形成もおこり、堆積物もより多く形成されます。
広がった陸地から、大量の陸の成分が溶け込み、海水の塩分濃度が上昇したと考えられています。また、堆積物が増加すると、その中に含まれていた有機物が分解されずに、岩石中に残っていきます。これは、炭素が、大気-海洋-生命のサイクルから取りのぞかれることになり、大気中の酸素が増加していくことになります。
マントルに水が入ると、マントルは軟らかくなり、暖かいマントルが上昇しやすくなり、火山活動が活発になります。その結果、マントルに逆流する水と、マグマの活動によって、新しいマントルの安定状態ができ、海水の減少も止まります。このような安定状態に5億5000万年前ころに達したと考えられます。
全球凍結(スノーボールアース)については、次回紹介しましょう。
・読者の皆様への感謝・
今年は、これが最後のメールマガジンとなりました。
この1年間、購読ありがとうございました。
そしてメールをいただいた方、本当にありがとうございました。
大変励みになりました。
このようなメールマガジンは、
購読されている方が存在するとういことが重要です。
購読されている方がいれば、
メールマガジンとはいえ、独りよがりな発言は自粛します。
また、乱暴な考え方、常識はずれの考え方を
自分自身で深く考えながら、方向も修正をできます。
このメールマガジンは2000年11月末にスタートして
4年以上が経過しました。
毎週書くことが習慣となってきました。
時間がないときは、書くのがつらいこともありました。
でも、興が乗ると、2、3回分を一気に書くこともありました。
このメールマガジンを書くことが、
自分のペースメーカーのような役割を持ってくるようになりました。
私自身にとって重要なものとなっています。
その背後は読者がおられることが、
やはり何ものにも換え難い重みがあります。
どうもこの1年間も購読いただきありがとうございます。
よろしければ来年も購読をお願いします。
では、よいお年をお迎えください。
新年号は、1月6日発行の予定です。
・新しいメールマガジンの発行・
前回もお伝えしましたが、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、暖めた企画で、「大地を眺める」というものです。
大地の景観を、地形や地質のデータから眺めたら、どう見えるか、
毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固いものではなく、読みやすいエッセイで綴ろうと考えています。
地形を鳥瞰しながら、大地の造形に隠された仕組みに、目を向けます。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
原生代後期、10~6億年前に大事件がおきました。それは、顕生代への移行期(エオカンブリアンとも呼ばれています)の頃でした。大事件がおこったという証拠として、氷河に関係した地層と陸や浅い海でたまった地層などがあります。
氷河に関係した地層には、ティライトなど各種の氷河堆積物がありますが、それは地質時代シリーズの次の回で詳しく紹介します。陸や浅い海でたまった地層の証拠としては、蒸発岩(石膏、岩塩など)、赤色砂岩、正珪岩(オルソクォーツァイト)と呼ばれる岩石がみつかります。
蒸発岩とは、内湾や湖で、海水や水に溶けていた成分が、水分が干上がることによってできたものです。そこには、暑く乾燥気候があったことが分かります。乾燥気候は、大きな大陸の存在を意味します。赤色砂岩は、干潟のような酸化しやすい環境でできた堆積岩です。正珪岩(オルソクォーツァイト)とは、よく円磨された石英の粒からだけでできたもので、砂漠のようなところできた砂がたまってできたものです。
これらの証拠を詳しく調べていくと、2つの事件がおこったことがわかりました。一つは、7.5億年前に起こった海水のマントルへの逆流と、もうひとつは、7億5000万年前~5億8000万年前にあいだに起こった全球凍結(スノーボールアース)というものです。
海水のマントルへの逆流は、浅い海でたまった地層が大量に形成されたことと、変成岩の中に見られる鉱物が時代変化していることの2つから推定されています。
大量の堆積物の形成されるには、大きな河川が多数必要で、これは陸地が広くなったことを意味します。つまり、海水が減った可能性があるのです。上で述べた赤色砂岩や正珪岩(オルソクォーツァイト)は、大陸が広がり、その大陸が海面上にあったことを示します。
海水の逆流は、地球の冷却が、その原因だと考えられています。地球は、内部に蓄えている熱を、マントル対流として地表に放出しています。地球が今より熱を持っていて暖かかったときは、水を含む鉱物がプレートの沈み込むときに分解されていました。ところが、地球が冷めることによって、水を含む鉱物がプレートと伴にマントルに沈み込めるようになりました。それは、地表に出てきた沈み込み帯で形成された変成岩の中の鉱物の種類が時代変化として見られるということです。それが、7億5000万年前頃に見つかりました。その頃に、海水がマントルに逆流をはじめたのです。
7億5000万年前ころから5億5000万年前ころにかけて、海水は徐々に減っていきました。海の深さにすると、200~300m分の海水が、マントルに入ったと考えられています。そのために、陸地が広がったのです。陸地は地球の表面積の10%くらいだったのが、現在の30%くらいにまで広がったと推定されています。
水を含むようになったマントルは膨れ、陸がより上昇します。広い大陸ができ、砂漠や氷河もできるという多様な陸上の環境が形成されます。大河の形成もおこり、堆積物もより多く形成されます。
広がった陸地から、大量の陸の成分が溶け込み、海水の塩分濃度が上昇したと考えられています。また、堆積物が増加すると、その中に含まれていた有機物が分解されずに、岩石中に残っていきます。これは、炭素が、大気-海洋-生命のサイクルから取りのぞかれることになり、大気中の酸素が増加していくことになります。
マントルに水が入ると、マントルは軟らかくなり、暖かいマントルが上昇しやすくなり、火山活動が活発になります。その結果、マントルに逆流する水と、マグマの活動によって、新しいマントルの安定状態ができ、海水の減少も止まります。このような安定状態に5億5000万年前ころに達したと考えられます。
全球凍結(スノーボールアース)については、次回紹介しましょう。
・読者の皆様への感謝・
今年は、これが最後のメールマガジンとなりました。
この1年間、購読ありがとうございました。
そしてメールをいただいた方、本当にありがとうございました。
大変励みになりました。
このようなメールマガジンは、
購読されている方が存在するとういことが重要です。
購読されている方がいれば、
メールマガジンとはいえ、独りよがりな発言は自粛します。
また、乱暴な考え方、常識はずれの考え方を
自分自身で深く考えながら、方向も修正をできます。
このメールマガジンは2000年11月末にスタートして
4年以上が経過しました。
毎週書くことが習慣となってきました。
時間がないときは、書くのがつらいこともありました。
でも、興が乗ると、2、3回分を一気に書くこともありました。
このメールマガジンを書くことが、
自分のペースメーカーのような役割を持ってくるようになりました。
私自身にとって重要なものとなっています。
その背後は読者がおられることが、
やはり何ものにも換え難い重みがあります。
どうもこの1年間も購読いただきありがとうございます。
よろしければ来年も購読をお願いします。
では、よいお年をお迎えください。
新年号は、1月6日発行の予定です。
・新しいメールマガジンの発行・
前回もお伝えしましたが、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、暖めた企画で、「大地を眺める」というものです。
大地の景観を、地形や地質のデータから眺めたら、どう見えるか、
毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固いものではなく、読みやすいエッセイで綴ろうと考えています。
地形を鳥瞰しながら、大地の造形に隠された仕組みに、目を向けます。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
2004年12月23日木曜日
1_36 原生代1:地球の特徴の形成(2004年12月23日)
地質時代シリーズです。今回は、原生代です。原生代は、現在にいたる地球の特徴がつくられた時代です。3回にわたってみていきます。
原生代は、太古代と顕生代の間の時期です。原生代のはじまりは24億5000万年前で、終わりは5億4200万年前となります。原生代の特徴は、一言でいうと、現在にいたる地球の特徴がつくられた時代といえます。具体的には、大気の改変(太古代と原生代の境界の事件)、生命の関係する岩石の形成、大陸の形成、大量の堆積岩の形成、の4つが挙げられます。
順番に見ていきましょう。大気の改変とは、太古代と原生代の境界の時代に起こった事件です。その事件は、その時期に特徴的に現れる縞状鉄鉱層、ストロマトライト、赤色砂岩が、形成されていることから推測できます。これらの証拠は、光合成をする生物が、浅海に大量発生したことを示しています。つまり、大気が変化してきたということです。
酸素の急増によって、酸化に対応できた生物だけが生きのびて、繁栄しました。それは、ミトコンドリアを細胞内に持つことです。もともとミトコンドリアは一つの生物でした。それが他の細胞に入り込んで共生しました。入りこまれた生物は、住みよい環境と安全を与え、ミトコンドリアは酸素を処理しました。DNAを区別すためでしょうか、ミトコンドリアに入りこまれた生物は膜の中に入れました。これが真核生物の誕生です。21億年前ころに起こったと考えられます。
酸素を作った葉緑体やミトコンドリアを体内に持つことによって、生きのびただけでなく、酸素の強力な化学反応のエネルギーを有効に利用できるようになりました。このような新しい機構をもった生物は、大型化できるようになったのです。
その結果、縞状鉄鉱層、ストロマトライトや石灰岩など生命の関係する岩石が形成されはじめます。また赤色砂岩は大気に酸素が増えた証拠だと考えられています。
原生代の地層から、28億年前と18億年前に激しい火成活動が起こったことがわかります。このような激しい火成活動は、地球内の何らかの事件に対応しているはずです。28億年前と18億年前頃の2つの事件は別の原因に夜と考えられています。
28億年前に起こったこととは、マントル対流が、二層対流から、一層対流へ変わった事件だと考えられています。
一層対流とは、沈み込んだプレートは、670km(上部マントルと下部マントル境界部)にたまり、結晶がより密度の高いものに変化した後、重くなって沈みます。その反動として、核とマントルの境界部から、暖かいマントルが上昇してきます。
対流の直径にプレートの大きさが、匹敵すると考えられています。二層対流の頃は、700kmくらいのプレートと大きさになり、一層対流になると、3000kmくらいのサイズになります。このサイズのプレートで地球の表面を覆うと、10枚くらいのプレートの数になります。この数は、現在のプレートの数に一致します。
18億年前の事件は、ウイルソンサイクルがスタートした時期と考えられています。
ウイルソンサイクルとは、カナダの地質学者ツゾー・ウイルソンが提唱した、海洋プレートの一生をプレートテクトニクスという考えで説明するときに生まれた考えです。
地球内部の熱の放出は、物質の対流(マントル対流)でおこなわれます。この対流の出口にあたるのが海嶺です。海嶺では新しい地殻がつくられています。地殻とマントルの一部は、かたい板(プレート)として地球の表面を移動します。このようなプレートはリソスフェアともよばれます。10数枚のプレートの水平運動によって、さまざまな大地の営みを考えることをプレートテクトニクスといいます。
太古代にも堆積岩はあったのですが、その量は少なかったと考えられています。太古代は、大きな大陸はなく、列島(島孤と呼ばれる)や、せいぜい小さな大陸程度(マダガスカル島程度)のものしかなかったようです。大量の堆積岩できはじめるのは、原生代になる直前の28億年前頃からです。大陸には、原生代の初期から中期にかけて、堆積岩たくさん分布します。堆積岩がたくさん形成されるためには、広い陸地がなければなりません。つまり広い大陸が形成されたことを意味します。
18億年前には、最初の超大陸ヌーナ(ローレンシアと呼ぶ人もいます)が誕生します。ヌーナとは、North Europe and North Americanの頭文字をとったもので、アメリカ、ハーバード大学のホフマン博士が命名しました。超大陸とは、地球の大陸の大部分(80%以上)が、一ヶ所に集まったものです。当時は大陸がまだ少なかったので、ヌーナは、現在の北米大陸の大きさ程度だと考えられています。現在のその破片は、北米大陸、グリーンランド、スカンナビア半島、オーストラリア大陸、南極東部に分散しています。原生代後期には、造山運動が活発になり、造山帯と安定帯の区別がはっきりしてきます。
大量の堆積岩できると、その中に堆積物として有機物や、石灰岩が保存されます。これは、炭素が、固体として固定されることを意味します。生物が利用する炭素の大部分は、大気の二酸化炭素から供給されています。大気から、二酸化炭素が一方的に取りのぞかれていきます。
・今年のうちに・
いよいよ2004年も押し詰まってきました。
皆さん、今年のうちにしなければならないことは、
すべて終わりましたか。
私は、まだ終わっていないことがあります。
それもたくさん残っています。
どうしましょうか。悩んでしまいます。
でも、愚痴を言っても、終わるわけではありません。
仕方がありません。ひたすらやり続けることです。
今までサボっていたツケが回ってきたようです。
少々乱暴でも、なんとかやりきってしまうことも手かもしれません。
すると、その先で、進めるべき目処が立ちます。
あわよくば、次なるステップに進めるかもしれません。
まあ、これも終わらなければ空論ですが。
・新しいメールマガジンの発行・
このたび、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、あたためていた企画です。
「大地を眺める」というものです。
大地の景観には、さまざまな自然の驚異、素晴らしさ、
不思議が隠されています。
そんな大地の景観を、地形や地質のデータから、
地質学者である私が眺めたら、どう見えるでしょうか。
そんなことを毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固い内容ではなく、私が訪れたときの感想をいろいろ述べる
エッセイのようなものにしていくつもりです。
また、地形の数値データを使用して
見づらい地形や、特徴的な地質を
鳥瞰することもしていきます。
大地の造形に隠された仕組みに、目を向けて、
楽しんでもらえるものを考えています。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
もしよろしければ、
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
原生代は、太古代と顕生代の間の時期です。原生代のはじまりは24億5000万年前で、終わりは5億4200万年前となります。原生代の特徴は、一言でいうと、現在にいたる地球の特徴がつくられた時代といえます。具体的には、大気の改変(太古代と原生代の境界の事件)、生命の関係する岩石の形成、大陸の形成、大量の堆積岩の形成、の4つが挙げられます。
順番に見ていきましょう。大気の改変とは、太古代と原生代の境界の時代に起こった事件です。その事件は、その時期に特徴的に現れる縞状鉄鉱層、ストロマトライト、赤色砂岩が、形成されていることから推測できます。これらの証拠は、光合成をする生物が、浅海に大量発生したことを示しています。つまり、大気が変化してきたということです。
酸素の急増によって、酸化に対応できた生物だけが生きのびて、繁栄しました。それは、ミトコンドリアを細胞内に持つことです。もともとミトコンドリアは一つの生物でした。それが他の細胞に入り込んで共生しました。入りこまれた生物は、住みよい環境と安全を与え、ミトコンドリアは酸素を処理しました。DNAを区別すためでしょうか、ミトコンドリアに入りこまれた生物は膜の中に入れました。これが真核生物の誕生です。21億年前ころに起こったと考えられます。
酸素を作った葉緑体やミトコンドリアを体内に持つことによって、生きのびただけでなく、酸素の強力な化学反応のエネルギーを有効に利用できるようになりました。このような新しい機構をもった生物は、大型化できるようになったのです。
その結果、縞状鉄鉱層、ストロマトライトや石灰岩など生命の関係する岩石が形成されはじめます。また赤色砂岩は大気に酸素が増えた証拠だと考えられています。
原生代の地層から、28億年前と18億年前に激しい火成活動が起こったことがわかります。このような激しい火成活動は、地球内の何らかの事件に対応しているはずです。28億年前と18億年前頃の2つの事件は別の原因に夜と考えられています。
28億年前に起こったこととは、マントル対流が、二層対流から、一層対流へ変わった事件だと考えられています。
一層対流とは、沈み込んだプレートは、670km(上部マントルと下部マントル境界部)にたまり、結晶がより密度の高いものに変化した後、重くなって沈みます。その反動として、核とマントルの境界部から、暖かいマントルが上昇してきます。
対流の直径にプレートの大きさが、匹敵すると考えられています。二層対流の頃は、700kmくらいのプレートと大きさになり、一層対流になると、3000kmくらいのサイズになります。このサイズのプレートで地球の表面を覆うと、10枚くらいのプレートの数になります。この数は、現在のプレートの数に一致します。
18億年前の事件は、ウイルソンサイクルがスタートした時期と考えられています。
ウイルソンサイクルとは、カナダの地質学者ツゾー・ウイルソンが提唱した、海洋プレートの一生をプレートテクトニクスという考えで説明するときに生まれた考えです。
地球内部の熱の放出は、物質の対流(マントル対流)でおこなわれます。この対流の出口にあたるのが海嶺です。海嶺では新しい地殻がつくられています。地殻とマントルの一部は、かたい板(プレート)として地球の表面を移動します。このようなプレートはリソスフェアともよばれます。10数枚のプレートの水平運動によって、さまざまな大地の営みを考えることをプレートテクトニクスといいます。
太古代にも堆積岩はあったのですが、その量は少なかったと考えられています。太古代は、大きな大陸はなく、列島(島孤と呼ばれる)や、せいぜい小さな大陸程度(マダガスカル島程度)のものしかなかったようです。大量の堆積岩できはじめるのは、原生代になる直前の28億年前頃からです。大陸には、原生代の初期から中期にかけて、堆積岩たくさん分布します。堆積岩がたくさん形成されるためには、広い陸地がなければなりません。つまり広い大陸が形成されたことを意味します。
18億年前には、最初の超大陸ヌーナ(ローレンシアと呼ぶ人もいます)が誕生します。ヌーナとは、North Europe and North Americanの頭文字をとったもので、アメリカ、ハーバード大学のホフマン博士が命名しました。超大陸とは、地球の大陸の大部分(80%以上)が、一ヶ所に集まったものです。当時は大陸がまだ少なかったので、ヌーナは、現在の北米大陸の大きさ程度だと考えられています。現在のその破片は、北米大陸、グリーンランド、スカンナビア半島、オーストラリア大陸、南極東部に分散しています。原生代後期には、造山運動が活発になり、造山帯と安定帯の区別がはっきりしてきます。
大量の堆積岩できると、その中に堆積物として有機物や、石灰岩が保存されます。これは、炭素が、固体として固定されることを意味します。生物が利用する炭素の大部分は、大気の二酸化炭素から供給されています。大気から、二酸化炭素が一方的に取りのぞかれていきます。
・今年のうちに・
いよいよ2004年も押し詰まってきました。
皆さん、今年のうちにしなければならないことは、
すべて終わりましたか。
私は、まだ終わっていないことがあります。
それもたくさん残っています。
どうしましょうか。悩んでしまいます。
でも、愚痴を言っても、終わるわけではありません。
仕方がありません。ひたすらやり続けることです。
今までサボっていたツケが回ってきたようです。
少々乱暴でも、なんとかやりきってしまうことも手かもしれません。
すると、その先で、進めるべき目処が立ちます。
あわよくば、次なるステップに進めるかもしれません。
まあ、これも終わらなければ空論ですが。
・新しいメールマガジンの発行・
このたび、新しい月刊メールマガジンを発行します。
1年間、あたためていた企画です。
「大地を眺める」というものです。
大地の景観には、さまざまな自然の驚異、素晴らしさ、
不思議が隠されています。
そんな大地の景観を、地形や地質のデータから、
地質学者である私が眺めたら、どう見えるでしょうか。
そんなことを毎回、日本の各地を題材にして見てきたいと考えています。
固い内容ではなく、私が訪れたときの感想をいろいろ述べる
エッセイのようなものにしていくつもりです。
また、地形の数値データを使用して
見づらい地形や、特徴的な地質を
鳥瞰することもしていきます。
大地の造形に隠された仕組みに、目を向けて、
楽しんでもらえるものを考えています。
2005年正月に創刊特別号を発行するつもりです。
毎月中旬に連載をお送りします。
もしよろしければ、
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/index.html
から申し込めますので、よろしくお願いします。
2004年12月16日木曜日
3_39 ゼロ・エミッション:サブダクション・ファクトリー4
サブダクション・ファクトリーをシリーズでお送りしましたが、これで完結となります。今回は列島の下でおこなわれる作用が、非常に効率的に大陸地殻をつくるという話です。
大陸地殻の平均は、トーナル岩あるいはカルクアルカリ安山岩の組成でした。そのようなマグマが大量に活動しているのは、日本列島のような、プレートの沈み込み(サブダクション)があるところでした。もちろん火山だけでなく、深部でゆっくりと固まっていく深成岩の活動もあります。
列島のマグマの活動は、火山のようなマグマの噴出だけでなく、巨大な花崗岩のマグマ、あるいはトーナル岩のマグマなど、さまざまな性質、種類のマグマの活動が起こっています。しかし、列島では、平均すると安山岩質のマグマで、実際に安山岩質の火山噴出がたくさん活動する場所であります。
列島の下での物質収支を見積もる試みが、海洋科学技術センターの巽好幸さんによってなされています。まだ、完全に証明されたものではありませんが、その全貌が明らかにされつつあります。
沈み込むプレートから水や水に溶けやすい成分が、列島の下のマントルに供給されます。条件によってはプレート自体が溶けることも起こります。これが、列島の下への物質供給です。出がらしや溶け残りのプレートは、マントルへと沈みこんでいきます。
供給された水は、マントルを溶かして、まずは玄武岩質のマグマをつくります。列島の地殻が薄いときは、そのまま火山として噴出し、玄武岩の火山ができます。列島が厚い地殻になっているときは、玄武岩質のマグマが、すでにある玄武岩を溶かして花崗岩質のマグマを形成します。
また、玄武岩質のマグマが地殻にたまった堆積岩を溶かすと、大量の花崗岩マグマをつくります。この堆積岩は、列島にある岩石が浸食されて溜まってできたものです。列島で、物質は自給されているものです。
花崗岩質のマグマが、そのまま固まれば、深部で花崗岩になります。しかし、列島の下では、溶かした玄武岩質のマグマか別の玄武岩質のマグマかはわかりませんが、花崗岩質のマグマと混じるということがよく起こります。混じる比率によって、玄武岩に近いものから花崗岩(火山岩ではデーサイトや流紋岩とよばれます)まで、多様なものができます。しかし、列島で安山岩質のマグマがたくさん活動していることから、玄武岩と花崗岩の間の安山岩になることが多いとわかります。
玄武岩質マグマと花崗岩質マグマが混じってカルクアルカリ安山岩ができるということは、柵山さん(残念ながら若くして地質調査中に亡くなられました)が、日本列島の火山の研究から、すでに明らかにされています。
列島では、プレートがもぐり込むときに圧力が上がることによって必然的に起こる脱水作用が引き金になっています。列島の下で溶け残り物質は、残存物として、マントルに沈んでいきます(デラミネーションと呼ばれています)。このような特殊な履歴を持った物質は、マントル深部に貯蔵されます。
もし、このような特殊な物質がまったく利用されることがないと、私たちはこのモデルが本当かどうか証明のしようがありません。ところが、これらの物質は、マントル対流やプルームとよばれる上昇流として、火山活動をしているところがあります。ですから、残存物が存在することが判明しています。
まるで、地球全体が、廃棄物ゼロ(ゼロエミッション)の工場のように、無駄なく大陸地殻を形成しているようにみえます。巽さんは、このような作用を、工場に見立ててサブダクション・ファクトリーと呼んでいます。
・日本の貢献・
4回にわたって続いたサブダクション・ファクトリーですが、
今回で終わりとなります。
私たちの住む日本列島が、
その秘密の解明の舞台となっています。
そして、それを主導的に解明している人たちも日本人です。
日本列島を調べることことで、地球の大陸のでき方から、
地球の物質循環まで、解明されつつあります。
日本人が、科学の進歩に大きな貢献をしていることです。
なかなか痛快なことですね。
・苦労は報われる・
日本列島は、色々な岩石が少しずつでるような
まるで標本箱のような地域です。
標本採取をするには便利なのですが、
鉱物資源を採掘するには、地質が複雑であるために、
大量に採集することができず、ハンディがありました。
しかし、苦労して採掘した結果、
石炭を地下深くで探がしたり、掘ったりする技術は、
世界の一流になりました。
露天掘りする国では、技術はそれほどいらず進歩もしません。
しかし、そんな国でも、地表の主だった石炭が採り終わると、
次は地下で採掘していかなければなりません。
日本は、その技術を輸出することができます。
今回は、列島の研究から大陸の起源を調べる研究を
輸出することなりそうです。
今回のサブダクション・ファクトリーでも
今までの苦労が報われるといいですね。
大陸地殻の平均は、トーナル岩あるいはカルクアルカリ安山岩の組成でした。そのようなマグマが大量に活動しているのは、日本列島のような、プレートの沈み込み(サブダクション)があるところでした。もちろん火山だけでなく、深部でゆっくりと固まっていく深成岩の活動もあります。
列島のマグマの活動は、火山のようなマグマの噴出だけでなく、巨大な花崗岩のマグマ、あるいはトーナル岩のマグマなど、さまざまな性質、種類のマグマの活動が起こっています。しかし、列島では、平均すると安山岩質のマグマで、実際に安山岩質の火山噴出がたくさん活動する場所であります。
列島の下での物質収支を見積もる試みが、海洋科学技術センターの巽好幸さんによってなされています。まだ、完全に証明されたものではありませんが、その全貌が明らかにされつつあります。
沈み込むプレートから水や水に溶けやすい成分が、列島の下のマントルに供給されます。条件によってはプレート自体が溶けることも起こります。これが、列島の下への物質供給です。出がらしや溶け残りのプレートは、マントルへと沈みこんでいきます。
供給された水は、マントルを溶かして、まずは玄武岩質のマグマをつくります。列島の地殻が薄いときは、そのまま火山として噴出し、玄武岩の火山ができます。列島が厚い地殻になっているときは、玄武岩質のマグマが、すでにある玄武岩を溶かして花崗岩質のマグマを形成します。
また、玄武岩質のマグマが地殻にたまった堆積岩を溶かすと、大量の花崗岩マグマをつくります。この堆積岩は、列島にある岩石が浸食されて溜まってできたものです。列島で、物質は自給されているものです。
花崗岩質のマグマが、そのまま固まれば、深部で花崗岩になります。しかし、列島の下では、溶かした玄武岩質のマグマか別の玄武岩質のマグマかはわかりませんが、花崗岩質のマグマと混じるということがよく起こります。混じる比率によって、玄武岩に近いものから花崗岩(火山岩ではデーサイトや流紋岩とよばれます)まで、多様なものができます。しかし、列島で安山岩質のマグマがたくさん活動していることから、玄武岩と花崗岩の間の安山岩になることが多いとわかります。
玄武岩質マグマと花崗岩質マグマが混じってカルクアルカリ安山岩ができるということは、柵山さん(残念ながら若くして地質調査中に亡くなられました)が、日本列島の火山の研究から、すでに明らかにされています。
列島では、プレートがもぐり込むときに圧力が上がることによって必然的に起こる脱水作用が引き金になっています。列島の下で溶け残り物質は、残存物として、マントルに沈んでいきます(デラミネーションと呼ばれています)。このような特殊な履歴を持った物質は、マントル深部に貯蔵されます。
もし、このような特殊な物質がまったく利用されることがないと、私たちはこのモデルが本当かどうか証明のしようがありません。ところが、これらの物質は、マントル対流やプルームとよばれる上昇流として、火山活動をしているところがあります。ですから、残存物が存在することが判明しています。
まるで、地球全体が、廃棄物ゼロ(ゼロエミッション)の工場のように、無駄なく大陸地殻を形成しているようにみえます。巽さんは、このような作用を、工場に見立ててサブダクション・ファクトリーと呼んでいます。
・日本の貢献・
4回にわたって続いたサブダクション・ファクトリーですが、
今回で終わりとなります。
私たちの住む日本列島が、
その秘密の解明の舞台となっています。
そして、それを主導的に解明している人たちも日本人です。
日本列島を調べることことで、地球の大陸のでき方から、
地球の物質循環まで、解明されつつあります。
日本人が、科学の進歩に大きな貢献をしていることです。
なかなか痛快なことですね。
・苦労は報われる・
日本列島は、色々な岩石が少しずつでるような
まるで標本箱のような地域です。
標本採取をするには便利なのですが、
鉱物資源を採掘するには、地質が複雑であるために、
大量に採集することができず、ハンディがありました。
しかし、苦労して採掘した結果、
石炭を地下深くで探がしたり、掘ったりする技術は、
世界の一流になりました。
露天掘りする国では、技術はそれほどいらず進歩もしません。
しかし、そんな国でも、地表の主だった石炭が採り終わると、
次は地下で採掘していかなければなりません。
日本は、その技術を輸出することができます。
今回は、列島の研究から大陸の起源を調べる研究を
輸出することなりそうです。
今回のサブダクション・ファクトリーでも
今までの苦労が報われるといいですね。
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