2007年5月3日木曜日

3_53 アカスタ片麻岩:思い出の石ころ2

 思い出の石ころシリーズの2回目は片麻岩という石です。今回紹介する片麻岩は一味違った意味があります。


 1990年7月15日から8月14日まで約1カ月、カナダで地質調査をしました。その主たる目的は、アカスタという地域にでる片麻岩の調査でした。
 1989年の科学雑誌に、カナダ北西準州のアカスタ地域から、39.8億年前の岩石が発見されたという論文が発表されました。それまで地球最古のの岩石は、グリーンランドの38億年前のものだったのですが、その記録を一気に2億年もぬりかえたのです。その直後に、私は、アカスタ地域の片麻岩の調査をすることになりました。
 その新記録樹立には、高精度の最新の分析装置(SHRIMPと呼ばれる微小部分の同位体測定装置)が利用されていました。そして、最古の岩石の発見は、アカスタという地域と分析装置のSHRIMPを、一気に世界的に有名にしました。
 片麻岩とは、縞状の模様があり、その縞模様が曲がりくねっている岩石ものです。かなりの高温高圧の変成作用で片麻状の組織ができます。もとの岩石は、堆積岩のこともあるし、火成岩のこともあります。アカスタの最古の片麻岩は、トーナル岩という火成岩が変成作用を受けたものでした。
 発見者である地質学者たちが、その当時、アカスタでまだ調査をしていたので、彼らのキャンプに合流して、調査をすることになりました。アカスタは、湖がいっぱいある広大な露岩地帯です。大きな湖の中の島にキャンプ地がありました。
 私は、アカスタでいろいろが岩石を探すこと目的としてましたが、やはり一番の目的は、当時最古の片麻岩を調査することです。
 カナダの地質学者たちは、広域を踏査して、必要な試料を採取していくという手法でした。一方、私たち日本の地質学者は、詳細な地質調査をすることを身上としていました。もちろん私も日本的なスタイルで、アカスタ片麻岩を中心に地を這うように調査をしました。
 何日か調査していくと、その地域の岩石の構成がわかってきました。火成岩は、マグマが冷え固まったものです。マグマは地下深部できます。マグマが深部から上がってくる時に、上ですでに固まっている岩石を割って上がってきます。このような関係を貫入といいます。ですから、火成岩を調べれば、貫入関係から、形成時期の前後関係を知ることができます。調査の結果、アカスタ地域の貫入関係をまとめることができました。
 私の調査で、最古の年代を出したトーナル岩が貫入している閃緑岩があり、すべてに貫入されている斑れい岩があることがわかりました。年代決定はされていませんが、最古の片麻岩より古い岩石が2種類もあることが明らかになったのです。
 その後、私は所属が変わったので、その研究を続けることはできませんでしたが、そのマグマの貫入関係だけは論文として記録に残していました。その後、その地を調べていた地質学者たちによって、39.8億年前よりさらに古い40億年前の岩石も発見されました。
 私には、はじめての極北の地域での調査でした。大量の虫、そして雄大な野生、自然に圧倒された調査でした。アカスタのトーナル岩質片麻岩は、そんな思いを思いこさせます。今でも私のコレクションとして棚に収められています。

・違う視点で・
アカスタは、極北地域で道などないところです。
そこに行くには飛行機しかありません。
もちろんそのような人跡未踏地に飛行場などありません。
湖が多数あるので、水上飛行を使えば、どこにでも着水できます。
水上飛行でアカスタのキャンプ地まで行きました。
カナダの地質学者たちは、
専属のヘリコプターとそのパイロットを雇っていました。
彼らは、研究費や調査費をふんだんに持っていますので、
そのような夢のような調査ができるのです。
しかし私は、ヘリコプターで目的地に下ろしてもらって、
帰る時間がきたら、予定の地点に迎えに来てもらっていました。
地を這う日本的な詳細な調査をしました。
その結果、同じものをみていても、違う視点でみれば、
違ったものが見えてくるということが実感できた調査でした。

・連休後半・
ゴールデンウィークの後半がはじまりました。
北海道は連休の間の2日間の平日は、天気が悪く、
後半はどうなるか心配です。
天気を心配していのは、
後半の連休に道南の恵山に登る予定をしているからです。
恵山はまだ蒸気を出している火山です。
以前、近くには行っているのですが、
周囲を詳しく見たことがないので、
恵山とその周辺を見ることが今回の目的です。
家族は、温泉と登山が目的です。
遠いので、2泊3日の予定となります。

2007年4月26日木曜日

1_61 隕石の起源5:最古を求めて(2007.04.26)

 地球最古のものを考えていきます。それは、もちろん地球にあるものです。果たして、真の地球最古のものは、何でしょうか。それは、どれくらい古いものなのでしょうか。

 地球で一番古い「岩石」は、約40億年前にできたものです。カナダの北西準州のアカスタというところから見つかったものです。岩石に「」をつけたのは、岩石というカテゴリーでは最古という意味だったのです。
 実は、地球上で見つかった「もの」(物質という意味)には、もっと古いものがあります。それは、44億0400万年前のジルコンという鉱物です。鉱物は岩石を構成する成分です。このジルコンは、古い時代にできたのですが、その岩石は、風化や浸食でばらばらになり、砂粒となりました。もとの岩石はもうなくなっています。最古のジルコンは、約20億年前の堆積物の中から、砂粒として、いくつか見つかっています。
 地球で最古の「もの」といえば、地質学者であれば、この44億0400万年前のジルコンという鉱物を挙げるでしょう。
 しかし、もっと古いものが地球にはあります。それは、隕石です。隕石には、45億年前にできたものが、たくさん見つかっています。隕石は今でも地球に落ちてきます。ですから、地球のものではないという人もいるかもしれません。
 しかし、地球とは、もともと隕石のような小さな物質が、衝突や合体を繰り返して、その中のたまたま大きくなったものが、選ばれて今の地球になったのです。地球は今も少しずつですが成長を続けていることになります。地球の材料は、45億年前につくられた隕石なのです。
 多くの隕石が45億年前の時代を示しているのは、地球ブレンドという事件があったからです。太陽系の素材は、今の太陽より一つ前の太陽が、超新星爆発をして、飛び散ったものを主な素材にして、周辺にあった他の材料も取り込みながら、原始太陽系ガスができました。
 原始太陽系ガスには、いろいろな物質が混じっていました。それがそのまま隕石のような物質になったら、太陽系周辺に散らばっていた、いろいろな起源の物質が混じっていて、いろいろな年代を示すはずです。しかし、隕石がすべて同じ年代や化学的性質を示すのは、ガスが混じり合う作用があったことを示しています。
 太陽系ができた時、原始の太陽を取り巻く濃いガスが、太陽の熱にあぶられて、非常に高温になります。ガスの中に混じっていた固体物質も気体になってしまい、均質に混じりあってしまいました。それが、地球固有のブレンドとなったのです。その地球ブレンドのガスが冷却して、固体物質が凝縮してきました。その時代が、隕石の年代なのです。
 しかし、よくよく調べるとある種の隕石(炭素質コンドライト)からは、高温にも耐えて固体のまま残った粒子が見つかっています。ダイヤモンドや石墨、炭化珪素などの小さな鉱物です。これらは、地球ブレンドの値を持たず、異質な化学的な性質をもっています。ですから、太陽系における融け残り素材と考えられています。今の太陽系の前の粒子なので、プレソーラーグレインと呼ばれています。
 プレソーラーグレインには、残念ながら、年代を測定できる成分は含まれていません。ですから、太陽系ができたの時代より古いのは、わかっているのですが、いつできたのかは不明です。
 実は、形成年代もわかっていて、もっと古いものがあるのを、ご存知でしょうか。それは、水素原子です。水素原子がどうしてできたかを考えれば、その理由がわかります。
 水素原子は、宇宙が形成された137億年前のビックバンの直後にできた成分です。それが宇宙の大半の成分ともなっています。ヘリウムも同時にできましたが、地球ではそれほど多い成分ではありません。しかし、水素は、水や有機物の素材として、地球にはたくさんあります。隕石にも、もちろん海にも、私たちの体にも、含まれているものです。一番身近な成分である水素が、実は、地球最古のものだったのです。
 でも、ちょっと「考え落ち」のような気がしますが、科学的に考えても、これは筋が通っています。

・トラブル・
先日、講義をしているとき、ノートパソコンでプロジェクターで
プレゼンテーションをしようと思ったら、映像が出ません。
あせりました。
教務の方に来てもらって装置を見てもらいながら、
私は、昨年度まで行っていた板書で講義を始めていました。
今年からプレゼンテーションソフトを用いておこなうようになっていたので、
昨年までと同様に、講義メモ(手持ち用)と講義レジメを用意していました。
結局、プレゼンテーションは利用できませんでした。
板書とレジメだけで、90分の講義をしました。
少し時間が押していましたが、
何とか予定通りの講義をこなすことができました。
私のノートパソコンが壊れたのか心配になったのですが、
確かめたら、その教室のプロジェクターの配線がどうもいかれたようです。
他の先生もプロジェクターを使われているかもしれませんから、
大丈夫だったのか心配ですが、苦情は出てないそうですから、
私が先週その教室を使ったときは問題がなかったのですが、
その後誰もトラブルに合わなかったようです。
ITは便利ですが、何かあったときお手上げになるので、困ってしまいます。
その時のことまで、考えておかなければならないのですかね。

・春・
北海道も春めいてきました。
大学の授業もスタートして落ち着いて
学びができるようになってきました。
外では、いろいろな花が咲き始めています。
桜はまだですが、フキノトウは大きくなり、
日当たりのいいところでは、エゾエンゴサクが咲きはじめています。
ツツジも、つぼみが膨らんでいます。
北海道ではツツジも桜も同じころに咲きます。
今週末からゴールデンウィークとなります。
我が家でも、花と春を味わいに外に出かけましょうか。
そんな気分になる気候となりました。

2007年4月19日木曜日

4_75 銭石:沖縄3

 沖縄の旅の紹介も今回が最後です。最後は、沖縄の砂の中からみつけた不思議な砂粒を紹介しましょう。

 沖縄本島北部、本部半島よりさらに北の西海岸沿いに、塩屋湾があります。大宜味村にある塩屋湾は、入り組んだ形をしていますが、さらに地形を複雑にしているのは、湾の入り口に、宮城島があるためです。
 かつて、西海岸を走る県道58号線は、この湾の海岸線を縫うように走っていました。しかし、現在では、宮城島に2つの橋をかけて、塩屋湾をバイパスしています。宮城島から南側にかかる短い橋は宮城橋、北側かかる塩屋大橋は全長307mもあります。
 この塩屋大橋の宮城島のたもとに、小さいな海岸があります。少しの砂浜があり、岩も顔を出しています。この岩は、黒っぽい色で薄くはげやすいもので、黒色片岩という変成岩からできています。
 私がここを訪れた目的は黒色片岩ではありません。砂でした。砂を採取することもさることながら、砂の中に含まれている不思議な「銭石(ぜにいし)」を見つけることでした。
 銭石とは、直径数mm程度の小さいコイン状のものです。これは、有孔虫の仲間のマルギノポラ(Marginopora)というものの遺骸です。
 有孔虫とは、アメーバーなどの原生動物の一種で、単細胞動物です。単細胞生物ですから、それほど大きなものはなく、小さいものがほとんどです。しかし、銭石のように数mmを越えるものや、時には、パレオジン(古第三紀)の貨幣石と呼ばれる有孔虫には、15cmにものあるものがあります。
 海岸の砂の中にみられる有孔虫は、目で見える大きいものがあるので目をひきます。その中には、おみやげ物で有名な、星砂(バキュロジプシナ)や太陽の砂(カルカリナ)もありますが、銭石と同じ有孔虫の仲間です。
 有孔虫は殻をかぶっており、海を漂って生活するものと、海底で生活するものがあります。銭石などは、海底で生活しています。海底といっても、サンゴや海草などにくっついて生活するものも含まれています。銭石は、殻にあいた小さな穴から透明な偽足を出し、リュウキュウスガモなどの海藻にくっついて移動しながら、えさをとって暮らしています。ですから銭石の生活に適した海草が多い海岸には、銭石が打ち上げられています。宮城島の塩屋大橋のたもともそんなところなのです。
 銭石は、少ししか見つかりませんが、丹念に探せば、変わった形をしているので、子供でも見つけることができます。

・貨幣石・
上のエッセイで15cmもの大きさの貨幣石あるといいました。
貨幣石とは、銭のような形をしたものですが、
非常に大きいものが、世界各地から見つかっています。
貨幣石はたくさん出ることと、生存時期が短いので、
示準化石(時代を示す化石)として利用されています。
フランスでは、パレオジン(古第三紀)を
貨幣石紀と呼ぶほどたくさん出ていたのです。
学名は、ヌンムリテス(Nummulites gizensis)といいます。
学名についているgizensisは、
エジプトのギザのピラミッドから由来しています。
ピラミッドの石材には石灰岩があり、
その中に貨幣石の化石がたくさん含んでいるものがあります。
沖縄の始新世の地層からも貨幣石が見つかっています。

・発見・
砂浜で、我が家の家族も銭石を探しました。
最初の1個は、私が見つけました。
それは小さいものですが、その形の不思議さに家族は驚きました。
自分でも見つけたいと、皆で探し始めました。
小学生の子供たちも、家内も、15分ほど探して、
1個から数個は、見つけることができました。
これくらいの頻度で見つかるのが、
発見の面白さ、珍しさ、でもだれもが手にできる喜び
などを味わうには、いいかもしれませんね。
もちろん一番たくさん見つけたのは、私でしたが。

・画像・
銭石という形の不思議さは、
言葉で聞いてもなかなかわからないかもしれません。
もし、興味がある方は、私がとってきた銭石の写真を
http://terra.sgu.ac.jp/geotravel/2007/Okinawa2007/index.html
に掲載してます。
覗いてみてください。

2007年4月12日木曜日

4_74 カルスト:沖縄2

 沖縄には石灰岩がたくさんあります。そのうち、前回は、新しい時代の石灰岩を紹介しました。今回は、古い時代の石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄本島の北部は、山地が多く、深い森がある地域となっています。「山原」と書いて「やんばる」と読みます。国の天然記念物に指定されている「ヤンバルクイナ」のヤンバルは山原から由来しています。山道を走っていると、道路には「ヤンバルクイナ注意」の看板があります。
 ヤンバルの山には、ごつごつしたものや、こんもりとした山など、不思議な形のものを見かけます。実は、この不思議な形をしたものの多くは、石灰岩からできています。
 この石灰岩は、前回紹介した「琉球石灰岩」と比べると非常に古いものです。時代は、古生代二畳紀から中生代三畳紀にかけてのものです。そのような石灰岩からは、アンモナイトなどの古い時代の化石が見つかっています。
 北部の石灰岩は、古いだけでなく、現在の位置にたどりつくのにも少し変わった履歴をもっています。オリストストロームと呼ばれる大規模な海底地すべりのような仕組みで巨大が石灰岩のブロック、土砂の中に埋まりこんだものです。ですから、石灰岩ができた時代と周りの土砂の形成された時代が違っています。
 このようなオリストストロームという仕組みは、日本列島ではよく見られるもので、付加体と呼ばれる地質構造となっています。
 今回、沖縄本島の最北端にあたる辺戸岬を見下ろす山に行きました。「金剛石林山」と呼ばれるところで、公園として整備されています。ヤンバルの道を、ながながと登った頂上付近にあります。マイクロバスでの送迎があり、バリアフリーのコースもありますので、子供や車椅子などの人も見学することができます。
 公園は、石林と名称にあるように、中国の石林と似たような景観をもっています。石が林立したり、奇岩が多数あったりします。
 実は、オリストストロームに巻き込まれた巨大な石灰岩のブロックが、侵食によってカルスト地形をつくったものです。沖縄の北部の西海岸付近には、このようなオリストストロームが多数ある地質帯なのです。その一つとして金剛石林山があります。
 カルスト地形とは、石灰岩地帯が、雨水によって侵食を受けたものです。琉球石灰岩でも、カルスト地形がありましたが、古い時代の石灰岩地帯でもカルストがあります。
 石灰岩地帯に形成されるカルスト地形は、日本の本州でも多くみらますが、温帯地方の特徴を持ったカルストです、ところが、辺戸では、熱帯のカルストとなっています。熱帯カルストの特徴は、円錐カルストで、こんもりとした山になります。沖縄本島の北部には、このような円錐カルストがよく見られます。それが奇妙な山の正体でした。
 金剛石林山にも、円錐カルストが高い頂きとしてあります。そして、そこから辺戸岬から北の海を見渡すことできます。金剛石林山は、沖縄本島の北端にあたり、熱帯カルストの北限ともなります。コックピットと呼ばれる星型に侵食された深い窪地や、針の塔のようにとがったピナクルなども見られます。
 奇岩の織りなすカルスト地形が、ソテツやガジュマロなどの熱帯植物からなるヤンバルの中にあります。非常に不思議な熱帯の景観を堪能しました。

・金剛石林山・
金剛石林山の金剛とは、非常に硬いことをいいます。
金剛石とは、もっとも硬い結晶であるダイヤモンドのことです。
金剛砂とは、研磨剤に使われるやはり硬いカーボランダムのことです。
石灰岩は、方解石という結晶かできています。
方解石は、実はそれほど硬くはありません。
カッターナイフの刃で、傷つけることができます。
ですから、表現としては「金剛」は、
地質学的には、ちょっといただけませんが、
固有名詞ですので、あまり「堅いこと」をいってもしかたがありません。
金剛石林山の麓のヤンバルには、
とてつもなく大きなガジュマロの木があります。
非常に大きく、枝から地面に降りてきて根になった
気根と呼ばれるものが、多数形成されています。
沖縄では、大きなガジュマロには、ブナガヤー(木の精)が
宿っているといわれています。
本州や北海道ではみられない、不思議な景観の中に立ち、
木の精が存在するような感じを味わいました。

・パワーポイント・
いよいよ学校が本格的に始動しました。
私の講義も、はじまりました。
今年から私はコンピュータのプレゼンテーションソフト(パワーポイント)を
利用してある講義を行うことにしました。
今まで学会や研究会ではパワーポイントは当たり前に使っていましたが、
講義では意識的にレジメと板書だけにおこなっていました。
そして、この度、6年目にしてはじめてパワーポイントを講義に導入します。
それは、今後PCレターを使った講義への伏線でもあります。
PCレターを使うと講義をよりアトラクティブにそして記録できます。
しかし、講義をそのまま公開するのは、なかなか困難です。
なぜなら著作権や個人情報などの配慮すべきことが色々あるからです。
そのために、講義や記録ファイルを見直す必要もあるでしょう。
すると簡便さが薄れていくような気がします。
パワーポイントは多分非常に便利だと思います。
一度使うと多分非常に便利で病み付きになるかもしれません。
まあ、ほどほどに、そして冷静に使っていきましょう。

2007年4月5日木曜日

4_73 鍾乳洞:沖縄1

 2007年3月26日から31日まで沖縄に行きました。3年前にも家族で訪れています。今回の訪問の目的は、沖縄本島の石灰岩をみること、そして付加体の地層を見ることでした。まずは石灰岩を紹介しましょう。

 沖縄のマリンブルーの海には、サンゴ礁があります。サンゴ礁が陸地に上がり固まると石灰岩になります。ご存知の方もおられるかもしれませんが、沖縄は非常に石灰岩の豊富なところです。石灰岩が織りなす地形がいたるところに見られます。
 沖縄の石灰岩には、いくつかの種類があります。石灰岩としては同じものなのですが、時代が違っています。それは古いものと、新しいものです。
 新しい石灰岩とは、琉球列島に広く分布する「琉球石灰岩」と呼ばれています。更新世(180万年前から1万1500年前)の新しい時代(多分70、80万年前以降)から堆積しはじめたものです。
 琉球列島では、60kmの幅と300kmの長さにわたって、サンゴ礁堆積物が連続的に分布しています。サンゴ礁の大部分は、海底にあり、陸に上がっていませんで。
 琉球列島の島になっている部分だけが、上昇して陸化しました。サンゴ礁に覆われた島の部分は、平坦になっています。もともと平らな面を持っていたのと、侵食に弱い岩石であるためです。沖縄本島の南部のそのような平坦な地帯になっています。
 サンゴ礁が陸に上がりますと、侵食や再沈殿がはじまります。地表のものだけでなく、地下水の面より上にあれば、水が浸透していきます。サンゴ礁は隙間が多く、水が浸透しやすい性質をもともと持っています。ですから、沖縄本島の南部は雨の多い地帯にかかわらず、水不足が問題となっています。
 大気中の二酸化炭素を溶かしこんだ雨水が、石灰岩の中に浸透してくると、石灰岩は溶解していきます。サンゴ礁がそのまま陸化した石灰岩は、非常に解けやすく、洞窟を作りやすくなります。解けた石灰岩は、再沈殿します。このような作用が繰り返し行われると鍾乳洞が形成されます。
 私は、今回、玉泉洞という鍾乳洞を見学しました。新しい時代のサンゴ礁からできている石灰岩なのに、非常に大きく深いものです。鍾乳洞内には、さまざまな形状や成因の沈殿物がみられます。玉泉洞の石灰岩は、上で述べたような原因で、石灰分の沈殿の速度が非常に大きいためです。そのスピードは、コンクリートの上に鍾乳石が成長をはじめているほどでした。
 私にとって、この鍾乳洞で一番印象に残ったのは、多様な鍾乳石の中でも、「槍天井」と呼ばれているところでした。槍天井は、天井から細い本当に槍のように見える鍾乳石が、多数垂れ下がっているところです。誰が数えたのかは知りませんが、槍の数が2万本もあるそうです。
 沖縄島は、現在も変化を続けているところなのです。

・暑い沖縄・
以前沖縄を訪れたのは、2月末から3月上旬でした。
今回は、それより一月遅い3月末でした。
今年は暖冬だったせいでしょうか、
寝る時は蒸し暑くて寝れないほどでした。
まるで梅雨を思わせ気候でした。
晴れた日に、地層を見るために、海岸を半日歩いたのですが、
家族一同真っ赤に日焼けをしてしまいました。
今回の私の目的は、石を見ることでしたが、
家族の目的は、水族館(再訪)とガラス細工やシーサー作成など、
沖縄ならではのものを楽しむことでした。
そして、みんなほぼ目的を達成することができました。

・ミス・
沖縄には25日から6泊7日の予定で出かけるつもりでした。
しかし、空港に向かう途中、チケットを忘れるというミスをしてしまいました。
途中で気づいたのですが、家内がタクシーで自宅にとりにもどったのですが、
寸前のところで間に合いませんでした。
再度チケットを購入する金銭的余裕はありませんので、
どうしようか迷っていました。
子供たちは行きたがっています。
幸いなことに、私が、事前にぎりぎりか遅れるかもしれない
という届けをカウンターに出向いてしていました。
乗り遅れた後、どうにかならないかと
カウンターで、すったもんだの交渉をしました。
担当の人が、何度か偉い人に聞きにいってるうちに、
事前に私が届けていた担当者が見つかりました。
その人がカウンターのチーフだったので、直接交渉できました。
翌日ならチケットを、そのままで、1日短いのですが
追加料金なしに手配できるという扱いにしていただきました。
その日は、自宅にもどったのですが、翌日に無事出発できました。
1日短かったのですが、沖縄の旅行をすることができました。

2007年3月29日木曜日

1_60 隕石の起源4:極地から(2007.03.29)

 南極と隕石はなかなか結びつきません。しかし、南極こそ、隕石のメッカともいうべきところです。そんな南極と隕石の関係を紹介しましょう。

 隕石とは、地球に落ちてきて、誰かが隕石だと認定して初めて隕石になります。だれも、誰も隕石と知らなければ、ただの石ころになってしまいます。
 隕石として、だれでもすぐに見分けられるものに、鉄隕石があります。鉄ですので、重く、金属色をしています。その辺に転がっている石とは、明らかに違いがあります。
 隕石の中に占めている鉄隕石の割合は、数の上では6%程度にしかなりません。ですから、鉄隕石が見つかる確率は非常に小さいものです。もし落ちていたとしても、表面がさびていたりすると、金属色ではないので非常の判別しづらくなっています。
 石の隕石(石質隕石といいます)が、隕石の中では、非常に多くの比率を占めています。しかし、石であることから、地球の石なのか隕石なのかを見分けることが困難となります。
 隕石として一番見つけやすいのは、落ちてくるのが目撃されている場合です。しかし、隕石の落下を目撃することは、非常に稀なことです。地球の7割は海です。3割の陸でも、砂漠や氷原、極地など、人があまり住んでいない地域も広くあります。ですから、人が目撃し、隕石を拾うことができるのは非常の稀なことです。それでも、1000個強の隕石が落下の目撃され、採取されています。
 落下が目撃されていない隕石が、3700個以上も発見されています。まあ、それにしても、5000個に満たない数しか隕石が発見されていないのです。
 ところが、隕石の数は、現在、4万4000個近くあります。それは、人の住んでいないところから、隕石が大量に発見されるようになったためです。
 それは南極からはじまりました。1912年、オーストラリアの人が、南極で最初の隕石を発見しました。その後1961年、ソビエト(当時)が2個の隕石を南極で発見しました。1アメリカ合衆国が962年と1964年にそれぞれ2個と1個と、発見しました。
 1969年には、日本の第10次観測隊が9個の隕石を発見しました。その後、日本の観測隊は、1973年第14次に12個、1974の第15次に663個、197年第16次に308個と、大量の隕石を発見しはじめました。1976年には、日米共同で探索が始まり、11個、1977年には310個、1978には311個と、隕石の発見が相次ぎました。2007年2月17日までに、南極からは総計3万2282個の隕石が発見されています。
 なぜ、南極からこんなにも大量の隕石が発見されるのでしょうか。
 南極の大部分が氷で覆われています。ですから、もしそこに石ころが転がっていれば、非常に目立ちます。氷の大地は、隕石を探すには非常に効率のいいところなのです。
 さらに、氷の大地には、隕石を濃集するメカニズムがあったのです。南極の氷は、ゆっくりとですが、流れて移動しているところがあります。そのような氷の流れには、山脈にぶつかるような流れもあります。そのような場所では、氷が風や乾燥によって、激しく昇華(しょうか、固体から直接気体に変わること)して、減っていきます。
 氷の中には、稀にですが隕石が紛れ込んでいることがあります。隕石は、南極でも非常に稀なものですが、このように氷の移動と昇華によって、隕石を集積するメカニズムが働いていることわかってきました。ですから、そのような場所を見つければ、非常に効率よく隕石を発見することができます。このようなメカニズムは、隕石探査の結果、日本の研究者が見つけ出したものです。
 南極は、どの国の領有権もなく、科学研究のために利用するというと国際的な約束があります。長期間、南極で動き回っているような人は、観測隊員で、隕石があるかもしれないという知識があります。ですから、変な石を見つけたら、まずは、隕石ではないかと疑います。それも隕石を見つける率を高めているはずです。そして、見つけた隕石は、科学に利用するために公開されます。
 南極では、隕石を見つけやすい条件と、見つけられる人、見つけて公開するという理由がそろっているため、多くの隕石が発見されて、人類共通の資産となってきました。
 南極隕石の保有数は、日本が1万6000個以上で、世界で一番となっています。ついで、アメリカ合衆国の1万1000個弱となります。日本は、南極の隕石については、非常に大きな国際貢献をしているのです。

・日本の隕石・
南極には日本も毎年多くの観測隊員が参加して研究しています。
そして時には隕石探査を重要な目的として、研究されたこともありました。
日本隊は、上で述べたようなメカニズムにいち早く気づき、
大量の隕石を収集したのです。
日本の隕石は、国立極地研究所が管理して、国際的に公開されています。
研究者で研究目的であれば、申請をして採択されれば
無料で隕石の提供を受けられます。
また、教育目的として、貸し出しの制度もあります。
このようにして日本の隕石は、国際的に有効利用されています。

・沖縄・
このメールマガジンがお手元に届いてる頃には、
私は、沖縄に調査に来ています。
3年前の2004年にも、一度来ているのですが、
今回は、前回見残した地域を見ることと、
鍾乳洞やカルストなどの石灰岩地帯を見ることが目的です。
これは、私の目的で、家族の目的は、もちろん違います。
海水浴(水遊び)と美ら海水族館です。
6泊7日の間、コンドミニアムタイプのホテルに宿泊します。
自炊しながら、のんびりとしようと考えています。

2007年3月22日木曜日

1_59 隕石の起源3:太陽系の創成を読む(2007.03.22)

 隕石に含まれている特殊な成分から、いろいろな情報が読み取られています。ほんの小さな石ころから、いろいろな情報が読み取られます。その一つに年齢があります。今回は隕石の年齢からわかることを紹介します。

 「放射性核種」というものをご存知でしょうか。放射性同位体とも呼ばれています。放射性とは、物質や元素が、放射能をもっているものを指します。同じ元素でも、放射能を持つものと持たないものがあります。同じ元素でも、原子の質量の違いがあり、放射能を持つものと持たないものを、区別することができます。その質量の違いを区別したものを、核種あるいは同位体と呼んでいます。
 放射能とは、ある核種から、なんらかの粒子、あるいは電磁波を出して、別の核種に変わるという性質です。ひとつ放射性核種を観察していたとすると、いつ別の核種に変るかは、定かではありません。しかし、同じ核種がたくさん集まっていれば、種類によって、その変化する時間は決まっていることがわかっています。
 その変化する時間を利用すれば、その放射性核種を持っている物質ができてから、どれくらい時間が経過したかが測定できます。変化する時間は、半減期(もとの核種が半分になる時間)などによって、示されています。
 核種によって、壊れるスピードがわかっていますから、できて間もないものは、半減期の短い放射性核種を、できてから長い時間たつものは、長い半減期のものを利用すれば、物質ができてからの年齢測定ができます。
 さて、隕石です。隕石にも放射性核種が含まれています。その核種の量の測定から、隕石が形成されてからの経過時間がわかります。ただし、隕石の年齢は、非常に古いために、半減期の長い放射性核種を選んで、測定しなければなりません。
 ほとんどの隕石の年齢は、約45.5億年前というものになっています。測定結果は、非常によい一致をします。隕石の年齢の一致は、太陽系で最初にできた物質が隕石で、固体物質はすべて同時にできたということを示しています。
 しかし、隕石を構成する粒子を、詳しく調べていくと、粒子ごとに形成年齢が若干違っていました。ほんの少しですが、測定誤差以上の違いとして、高温でできる粒子ほど古く、低温の粒子ほど新らしいことがわかってきました。
 このような年齢の違いは、何を意味しているのでしょうか。太陽系ができた当初は、すべての粒子が、気体のガス状になってしまうほど、熱い状態であったということです。これを、原始太陽系ガスと呼んでいます。その後、太陽系全体が冷めてきて、ガスから結晶ができはじめます。熱かったものから冷めてできるのですから、最初に高温で形成される結晶ができ、その後低温でできる結晶が出てきています。
 隕石の構成物のほんの少しの測定値の差から、このような太陽系誕生の物語が読み取られるのです。
 このように隕石を調べれば、太陽系の創成期の様子を探ることができます。隕石が、太陽系のすべての素材となり、集積して天体が形成されたことになります。ですから、隕石から、太陽系の天体の起源を探ることもできるのです。さらに、そのような隕石が今も落ちてくるということは、太陽系の創成時代のまま現在まで保存されている場として。小惑星帯があることがわかります。
 隕石は、太陽系の起源を知っている証人なのです。

・隕石不足・
隕石は、小さなひとかけらでも、非常に重要な意味を持ちます。
そして、読む側の能力さえがあれば、同じ隕石からでも、
いろいろな情報を読み取ることができます。
例えば、宇宙空間で形成される放射性核種で、
非常に半減期の短いものがあります。
そのような核種は、隕石が地球に落下してすぐに
測定しなければ、少なくて測定できなくなってしまいます。
しかし、その核種がなくなっても、
今度は半減期の長い核種を利用して
別の情報を読み取ることができます。
多数の核種があるために、一つの隕石からも
いろいろな情報を読み取ることができるのです。
ただ、問題は、多くの分析では、隕石を砕いたり、
溶かしてしまうことです。
そうなれば、その隕石から、他の情報を読み取ることはできません。
しかし、隕石は、今も落ちてきますし、
今まで探さなかったところから、大量に見つかったりもしています。
ですから、とりあえずは、隕石が不足するということはないはずです。
不足するころには、小惑星帯での探査や試料回収などが
行われているかもしれませんね。

・卒業・
現在、卒業式があちこちで行われています。
次男の幼稚園は15日に、長男の小学校は18日に、
私の大学は23日に行われます。
そして、今週で小・中・高校も終業となります。
いよいよ区切りの季節となりました。
新たな場、環境に向けて、多くの人たちが旅立ちます。
残っている人も、新しい人たちを迎えることになります。
そんな4月には、桜が似合います。
でも、北海道の4月はまだ春浅く、
桜は新天地になれたころとなります。